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2021-12-29 1:41:05

013. 本当にやりたいことをやり続ける難しさと大切さ

@takawo さん(クリエイティブコーダー、甲南女子大学メディア表現学科講師)をお迎えして、教員としてのお仕事、クリエイティブコーディングを始めた経緯やこれからのこと、書籍というメディアの特性、承認欲求や自身の驕りとどう向き合っていくか、コミュニティの持つ力についてなどお話しました。


* 教員としてのお仕事や講義内容

* クリエイティブコーディングを始めたころ

* 書籍は物理的に残るメディア

* パートタイムな肩書のあり方

* 承認欲求や自身の驕りとの向き合い方

* コミュニティの持つ力

* Takawo Shunsuke | 高尾俊介

* Generativemasks

* p5.js | home

* Tokyo Demo Fest 2021


## show notes


* クリエイティブコーディングを始めたきっかけ

* なにをモチベーションにしているのか

* 承認欲求みたいなものとどのように向き合っているか


00:00
はい、みなさんこんにちは。ノーマライズFMの今日は第13回になりますね。
多分今収録しているのが12月27日なんですけども、これが年内最後の収録になるのかなと思ってます。
今日はですね、今年の締めくくりとして来ていただいたゲストはですね、クリエイティブコーダーの高尾俊介さんに本日はゲストでお越しいただいています。
高尾さん本日はよろしくお願いします。
こんにちはよろしくお願いします。
高尾俊介さんといえば、今年はかなり色々なところで話題になった方だと思うんですけども、
今日はですね、私と高尾さんが直接口頭でやり取りするのは今日ちょっと初めてというのもありますので、お互いにね、色々気になっていることとかもありますので、
そのあたり雑談、よりな感じでね、気軽な感じでトークをね、していければと思っていますので、本日も早速始めていきたいと思います。
はい、では早速なんですけれども、まずは、まあ皆さんね、高尾さんのことはご存知だとは思うんですけども、
まずはね、自己紹介からお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、よろしくお願いします。高尾俊介と言います。
肩書きは、クリエイティブコーダーって最近は本当に名乗っていて、不思議だなと思ってるんですけど、
いたについてきたというか、アーティストでもプログラマーでもないというか、その間ぐらいにいる、
そのちょうどいい感じを目指してやっています。で、普段は実は大学の教員をやっていまして、
兵庫県神戸市にある、高南女子大学というところの文学部の中にさらにメディア表現学科という
学科があって、そこで教員をやっています。主にプログラミングとか、デジタルファブリケーションとか、
コンピューターグラフィックスとか、わりと新しい目のコンピューターで表現する事柄に関する授業だったりとか、
ゼミを開いてたりとかして、基本楽しくやってる感じです。
はい、ありがとうございます。もちろん私も、その学校の教員をされてるっていうのはもちろん知ってはいたんですけど、そのデジタルファブリケーションとか、
03:09
授業で扱ってらっしゃる細かい内容って実際その、なんて言うんでしょう、そのポートフォリオ上で拝見することはもちろんあるんですけど、
具体的にもうちょっとこんなことをやってますよみたいなところって、もう少し突っ込んで聞けたら嬉しいなと思ってたんですけど。
そうですね。デジタルファブリケーションは大きく2つぐらい、授業の目標があって、1つはデジタルファブリケーションって何なのかとか、
そのここ15年ぐらいだと思うんですけど、デジタルで何か形を起こしたりとか、出力したりとか、それがまあ
紙のプリントアウトとかではなくて、3次元の形を出力するとか、削り出すとか、そういった事柄に関する新しい
技術が登場して、何か物の作り方とか、私たちの生活に関わる部分で変わるよね、みたいなことを教えているつもりで、実際には
ブラウザベースのTinker CADっていうウェブアプリケーションがあって、それを使ってモデリングというか
3D CAD的なことを学んで、3Dプリンタで出力したりとか、レーザーカッターで出力したりとかっていうのをやったりするような授業です。
なるほど、何かファブリケーションと言っても必ずしも何か布とイコールではなくて、いろんな3D的な造形の様々なものを広く包んでファブリケーションって言ってる感じなんですね。
えっとね、ファブリックとファブリケーションの、何かファブリケーションって、何かね、日本語訳するとこしらえるとか、
じゃあ、布っていうイメージがあるのは日本人的な感覚なってことなんですかね。
そうかもしれないですね、何かね、もうちょっと広い、その、なんか、デジタルで何か作るみたいなぐらいの雰囲気なのかな。
あーなるほど、何か勝手にファブリケーションって布かなと思ってました。
そういうわけじゃないですね。
何か感じとしては、コンピューターで、何かその、例えばプリンターだったら、
XY方向にヘッドが動いて、紙にインクが乗っかって、何ていうか、文章が出力できるよみたいなものだと思うんですけど、
それを、例えばXYZの方向、皆、おそらくWebGLスクールとかの事柄も知って、これ聞いてらっしゃると思うので、
そういう座標みたいな話をしちゃうんですけど、その、3Dの制御というかな、そういったものができる様々な機械を使うと、
もうちょっと立体が出せるよねとか、ロボットアーム使うと、もうちょっとこう、何ていうのか、五軸とかで動かせて、
06:06
複雑な形っていうのを出力できるよね、みたいなことをやる分野なのかな。
うん、なるほど、何かすごい面白そうですね。何かその、ちょっと今、すいません、私勉強不足だったんですけど、
その文学のさらに下のレイヤーにその、何かデジタルなものが収まってるっていうのがちょっと何か面白い感じがしますね。
何か不思議な感じもするんですけど。 不思議な学科です。
不思議な学科ですよね。何か文学の下にさらに何かそういうデジタルな領域が入ってる。
まあ全然、よくよく考えてみればおかしなことではないんですけど、何かどうしても、
コンピューターサイエンスっていうと理系なイメージがあるから、何かちょっと不思議な感じもしましたけど、
まあでも、その授業の内容だったりとか取り組まれている内容を聞いた感じは確かに、
プログラミングだけってわけでもなくて、
3Dっていうだけでもなくて、いろんなものを含んだ何か授業の内容になっているのかなって、今想像、
勝手な想像ですけど、お話を聞いてて想像しましたね。
なんかもともとおそらく教養とか、
どう言ったらいいんだろうな、リベラルアーツ的な感じの、
まあ学科の教育方針というかな、その分野の中にコンピューターで表現することとか、
まあそういうのも入ってくるよね、2010年代、20年代はみたいなところがあって、
新しくまあそういった授業が科目として作られて、まあそこに入ったというか、
すっと収まったのが私という感じなのかもしれないです。
いやすごいね、なんか、私なんかその学校の先生なんて考えたこともないんで、
どういうキャリアだったらそういう人生になるのかなってすごく不思議ですけど、
まあでも、どういう経緯でその先生をやられ、なんか知り合いのつてでとかそういうことなんですか?
全くちょっとすいません、私全然想像がつかないですけど。
いえいえ全然大丈夫です。僕は実は結構キャリアで言うと、
いろいろこう大学と民間を右往左往していってというか、
あのウェブの制作会社というか、みたいなところでウェブ制作の仕事をしていた時もあったし、
大学の助手をした時もあったし、みたいな感じで、結構その行ったり来たりしている間に、
どっちに行くの?みたいな時に、たまたま大学教員になったというか、
今のタイミングでは目指したというか、ところでしたね。それがまあちょうど2015年ぐらいだったんですけど、
その頃にちょうどそのクリエイティブコーディングっていうような、今やっている表現することを目指すというか、
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創造性を志向するようなプログラミングのあり方としてクリエイティブコーディングっていうのを始めたところでした。
じゃあ大学のそのお仕事の話はお仕事の部分でいろいろな変化はありつつも、
なんていうんだろう、その大学教員になると同時ぐらいのタイミングでクリエイティブコーディングも趣味で始めたみたいな感じですか。
そうですね、時期的にはちょっと前かな。大学教員になったのは2017年からなので、
まあそのなる前のモヤモヤ期っていうのかな。
こうキャリアどうしようとか、なんか自分の人生どうしようの方が大きいかな。
当時は多分30、2015年だから34とか33とかそのくらいだったと思うんですけど、
それぐらいの自分の残りの人生というか、もう30半ばだけど、プログラマー35歳定年説とかあるけど、どうしようみたいな。
なんかそういう、なんか、まあモヤモヤした感じを当時は抱いてて。
で、住んでた場所も結構田舎の方だったので、
まあなんというかな、くすぶるのにもってこいというか、
なんかちょうどよく、なんか人生悩んでたというか、これで。
で、そこになんかスポットはまったのが、その箱庭的にプログラミングができるような、
まあ今の環境だったのかな、表現手段だったのかなとは思ってます。
なるほどなあ、なんかすごく、本当になんか、めっちゃ勝手な話ですけど、すごく共感できるところが多くて、
なんか私もあの、30代になってから職業プログラマーになったんですけど、
まあその前は、あの、パーティング屋さんの店員やってたりとか、あとはなんか倉庫でフォークリフトを乗ってたりとか、
まあ全然違う仕事してて。
で、やっぱり30も半ばになると、本当になんか転職するならもうそろそろ、
だんだんチャンス減ってくるなって、やっぱり30代になると、だんだん思い始めるタイミングで。
で、私はたまたまそのWebGLと出会いがあり、まあ職業プログラマーではなくて、完全な趣味ではあったんですけども、
それを通じてなんかこう、WebGLの人っていう、なんかこう、共造が出来上がっていって、
で、それによってまあなんとなくその、まあ縁もあって運もあったと思うんですけど、
まあ今は、巡り巡って職業プログラマーになれたんですけど、
12:01
やっぱり同じように、たかおさんと同じように、なんていうか、このまんまでいいのかなっていうのすごいあったし、
なんかこう、自分の好きなことで仕事しながら生きていくっていうことが、
すごくあの、出来るとは思ってなかったですね、昔は。
まあでも、まあ今はなんか、やると決めてやってきたつもりではあるんですけど、
なんかすごく今のお話は、共感できる部分がありますね。
たぶん、世代的にも同じ外ですよね。私たぶん81年生まれなんで、1981年生まれなんで。
同い年です。
同じ外ですよね、たぶんね。そうだから。
お笑い芸人の同期みたいな感じですね、なんかね。
そうですね。そうですね。だから、ちょうどたぶん私も、2015年とか14年ぐらいに、
職業プログラマーになるかならないかぐらいのタイミングがそのぐらいだったんですよね。
だから、たぶん同じぐらいの頃にもやもやしてたかもしれないですね。
そうなんですね。僕、ドクサスさんは、ウェブで知ってて、どっちかというと、
始めた頃からすでにウェブサイトあったよなーとか、ありましたよね。ありましたよね。
まあでも、そうですね。たぶん、WGLDっていうウェブページの解説サイトみたいなのがあるんですけども。
いや、あります。読んでたと思います。
あれがたぶん2012年ぐらいからたぶん始めてますね。
なので、その頃は本当に、昼間はパチンコの球を流して拾って、夜にプログラミングをして、感じの頃ですね。
へー。
そういうくらいの頃ですね、あれは。
すごい。いや、ウェブGLというか、シェーダーとかGLSL周りも、
挫折ずっとしてるんですけど、勉強しようと思った時はウェブサイトを除いて見てたと思うので、
今回はすごいこんなことあるんだなーと思って、感慨深いというか。
いやいやいや、そんな大したものではないです、私なんかは別に。
お互いにちょっとね、多分ツイッター越しとかウェブサイト越しにこの人すげえなってお互いに思ってるパターンだと思うんですけども。
はい、でもなんですかね。だから本当に今の話ちょっと話戻しちゃうんですけど、
高尾さんの経歴を別にどうこう言うつもりは最初は別になかったんですけど、今の話を聞いてたら、
なんかすごく身近に感じられるようになったというか、私も似たような感じだったなーって懐かしく思い出しながらお話をちょっと今聞いてましたね。
そうするとじゃあ結構あれですか、今でこそ結構P5でクリエイティブコーディングをしてみたいなイメージがすごく高尾さんの場合はありますけど、
P5ってわけじゃないのか、プロセッシングなんですかね。
15:00
うん、今はもうP5.jsしか書けないというか、書かないぞぐらいの気持ちになってきましたけど、
なんかそこは、なんかどういうチョイスがあってそういうふうになったんですか。
難しい、最初はプロセッシングでやってたんですよ。
で、ただプロセッシングのどう言ったらいいんだろうな、やっぱり環境とか言語って相性があるような気がしてて、
で、そこら辺の硬さ柔らかさというか、もっと言うとJavaScriptの柔らかさ適当さみたいなものがなんか始めてすぐ、
2017年、8年ぐらいだったと思うんですけど、その頃にプロセッシングからP5.jsに切り替えたんですけど、
その割と早い段階で、こっちの方が自分に合ってる、しっくりくるなって思ったのがP5.jsで、それ以降ずっとP5.jsを使ってやってる感じです。
なるほど、なんか本当すみません、私あんまり実はプロセッシングとかわかんなくて、
勉強すればすぐわかるような、その平易なプラットフォームと言ったらいいですかね、言語的にはすごく扱いやすく工夫されてる言語だとは思うんですけど、
私はあんまり個人的には触ったことがなくて、多分P5.jsの方がやっぱり基本ベースがJavaScriptだから、
なんか言語仕様的に書きやすいみたいなのがあるってことですよね、多分今のおっしゃってたところって。
性格的なものがきっとあると思ってて、なんかカッチリやりたいとか、なんかエラーとかなんかそういうのと、
なんかうまく付き合いたいとかの場合は、おそらくJavaベースのプロセッシングの方が、もしかしたら合ってるかもしれなくて、
僕みたいな、なんか別に動けばいいやみたいなとか、フレームレートとか気にしないよとか、
解像度とか計算量とか気にしないよみたいな人は、もしかしたらそのブラウザで、なんていうか、いつでもコーディングできるみたいな、
なんかそういうメリットの方、インストールいらないとか、そういうところに魅力を感じるみたいなことはあるかもしれないですね。
そうですよね。なんか私も結構そのWebGLのいいなって思うところはそういうところというか、
別にC言語とかJavaを使ってOpenGLで書くこともできなくはないと思うんですけど、やっぱりブラウザでさっと動作確認ができるとか、
敷居が低く感じられるようなところがやっぱりありまして、それでWebGLをずっとやってるところもあるんで、なんかP5.jsの方が手軽っていうのはなんとなく想像ができるなという気がします。
いや本当グラフィックスプログラミング入門を読んで、すごいこれ書けるんだったらP5.jsとか全然できると思いますって思いました。
18:11
私の書籍の話ですか。
そうそう。
ありがとうございます。なんかあの本はWebGLとか全然出てこないので、すごくその、なんていうんだろう、本当にグラフィックスプログラミングの始めの一歩になればという気持ちで書いた本ではあったんですけど、
まあそうですね、結構やっぱりベクトル扱う部分を自分で自作したりとかっていうのは、それをこう生涯使っていくかどうかは別として、概念を勉強する入り口としてはああいうのを自分で作ってみるっていうのはいいのかなと思いますけどね、個人的には。
いやなんかその、この辺りの事柄ってなかなかこう、ブレイクダウンしてなんか解説されてる書籍だったりってすごく少ないので、僕は個人的にこれをP5で勉強するってめちゃくちゃいいなと思って、あのたまに開いて読んだりはしてます。
そうなんですね、なんかすいません。
いやいやそんなそんな、いやわかんないし、わかんないというか、僕は全然理系の人間ではないので、この行列とか、いわゆる難しめのプログラミングの分野部分は、なんかこういうふうに本読んだりとかして当たって、ちょっと使わせてもらうとか、あのしめしめみたいな感じでやってるので。
わかります、すげーわかります。私もそうです、私もやっぱりあんまり得意ではない、あの、あんな本を出版してはいますけど、そんなになんか言うてそんななんか得意ではないんで、なんていうか簡単なことしかやっぱりできないんですけど、
まあでも、あの、やっぱりすごい人たちの文献とかをやっぱあさって、これ使えるぞってなった時は確かにしめしめってなりますよね。
そういうものがたくさん増えて、まあやってると増えるので、ありがたいなとは思ったりしてますね。
いやーありがとうございます。まさか自分の本の話をするとは思ってませんでしたが。
でもあの本も、なんかあれは確か出版社の人が、そのウェブジエルっていうことも込みで最初になんかグラフィックスの本を書いてくれませんかみたいな、すごいふんわりした依頼が来たんですよ、当時確か。
で私の方で、その本を出したいっていうのはわかりましたと。でも初心者向けの本を出すっていうコンセプト、まあそれが最初にあったんですけど、そういうコンセプトであればウェブジエル多分入れない方がいいですよって言って、
まああえてCanvas2Dで、その数学的な部分とかも触りだけ、本当に簡単な部分だけでも入れた方がいいんじゃないですかって言って、結構軌道修正して作った本ではあって、
21:12
なので、なんかそのウェブジエルとは関係のない領域でもそうやって参考にしていただけてるっていうのは、なんかすごく嬉しい気持ちになりますね。
本当になんかP5.jsでなんかいい感じにラップされてるその、なんていうかな、メソッドとかそういったものの奥にあるものがこういうものでこういうふうに書かれてるんだとかに触れられたりとか、
なんかCanvasのAPIってこういうふうに、じゃあ別にP5.jsでもぶっちゃけこういうふうに書けば書けるじゃんみたいなとか、いろいろこう、なんか僕は発見がたくさんあって、
あのコンテクスト2Dのところとか、すごい突っ込んだ話になったんですけど、勉強になると思ってめっちゃ読みました。
いやーありがとうございます。なんかそうですね、あの本もすごくなんか私の観測できる範囲ではめっちゃ好評だったんですよね。まあだからすごく嬉しかったんですけど。
いや分厚い分厚い分厚いというか内容がめちゃ濃くて。
うん。iPhoneあんま実際そう言われてみると確かに、特にJavaScriptベースのものってあんまないかもしれないですね。私が知らないだけ説もありますけど。
だからP5.js経由からのここに行くのは実は意外といいルートなんだなと思ってます。
あーなるほどな。まあそれあるかもしれないですね。やっぱりなんか、あのよく私自身がその開催してるスクールのあの講義の中とかでも言ってることなんですけど、
その一番最初の入り口はできるだけ間口広い方がいいというか、その簡単にできる方がいいと思っていまして、そのすぐ、
ちょっと適当に書いてもパッとまず絵が出てくれて、そこに純粋なこう喜びだったり感動だったりがまずわーってあることが結構大事だなって私自身は思ってまして、
そのWebGLのスクールで言うと最初はライブラリ使ったところから始めるんですよね。そのいきなりネイティブなWebGLのAPIを扱うんじゃなくて、
ライブラリを使ってまずは簡単なこうジオメトリをまずは出してみましょうみたいな話からやるんですけど、なんかその
クリエイティブコーディングとか、もっと広い分野で言うと、GLSLで何かやるとかっていうのもそうだと思うんですけど、
結構最初はなるべく簡単な手軽に感動を味わってもらいたいなっていうのがあって、
iPhoneとか書く時もなんかそういう手助けができたらいいなとは常々思ってはいるんですけどね、
サイト運営とか本を出すとかそういったところが、そのなんていうんですかね、
24:05
おこがましいんですけど少しでも誰かの役に立てばみたいな感じで結構私なんかは普段やってることが多いですね。
素晴らしいっす。本が出せるとか本を出すっていうところがまず膨大な知識をこういった形でまとめて、
で誰かに届けるみたいなことを結構時間をかけてやらなきゃいけない作業っていうのは、なんか
想像しただけでわかるというか、数ヶ月かかるとか数年かかったりするじゃないですか。
だからそこは本当に僕は出してないのでリスペクトしかないですね。
いやいやいや、そんなでも多分あれですよ、
おそらく考えることって結構学校の授業とかで使う資料の作り方に近いものあるんじゃないかなと思いますけどね、
やっぱりそのわかりやすく伝えるためにはっていう工夫がやっぱり伝える側がまずその工夫を考えながら作らないといけないと思うんですけど。
本を書く、本を出してるってなんかすごくハックがつくし、すごいことのように最初はすごい感じるんですけど、
でも私なんかが思うのは、その割には合わないですよね。やっぱり時間がめっちゃかかるから、すごい大変なんですよね。
だからその割に合う合わないで言うと割に合わないんですけど、やっぱりなんかその本を出したいっていう、
なんか憧れみたいな気持ちだけだと最後まで書ききれなかったりするんじゃないかなと思っちゃいますけど、やっぱ誰かの役に立ってほしいであったりとか、
少しでもこう、業界とか界隈の底上げに少しでもつながればなとか、なんかそういう別のなんか思想を持ってないと結構大変なのかもしれないですね。
確かに。でもなんかやっぱ本って残るから、そこはすごいメディアだなというか。
そうですね。
なんか自分も最近はそのグラフィックに関連する書籍とか当たってる時に、
まあ1970年代とか60年代とかに出てる図案の本とかを読んだりするんですけど、
残ってるから読めて、なんかね、葛飾北斎の図案集とかもそうですけど、アーカイブされてるやつが、
あの博物館とかで公開されてるから読めて、ああ、すげえみたいな。でもウェブサイトとかは結構ね、
そうですね、そうですね。
なんか10年前とか20年前のウェブサイトとかも全然見れなかったりとか、
インターネット、アーカイブとかでも、ああ見れないわみたいな、あの記事を見たかったのにとか結構あるから、
やっぱり本って形式で情報を残したりとかするっていうのは非常に重要なんだなと思ってますね。
27:00
そうですね。確かにそれはあるかもしれないですね。なんか本当にたまたまなんですけど、
今日ツイッターでとある方が、書籍を出されてる著者として書籍を何冊も出されてる方が、
たまたまツイッターで言ってたんですけど、その人の場合は本を出すっていうことの動機は、
自分の思考のアウトプット先として物理的に残るものとして書籍があるっていう考え方をされていて、
その後から自分が必要、その知識が再度必要になったときにその本を引けば、
過去の自分のアウトプットを確認できるし、
どちらかというと自分自身のアウトプット先として書籍というプラットフォームがあるっていう考え方をされていて、
なんか面白いなって思ったんですけど、今のたかおさんの話はそれもちょっと近い部分があるかもしれないですね。
うんうんうん。
なんか残っていくことの大切さみたいなのって確かにデジタルなデータだけだと危ういところがあるというか、
やっぱ物理的に存在しているからこその存在感ってありますよね。
うんうんうん。
いやなんかドメインが一緒ね、そのドメインであってとか、状態だったらまた違うんでしょうけど、
現実、期限あるし、なんか自分のドメインをみんながね、なんか維持してくれたいとか、
未来英語を使えるわけじゃないから、じゃあリンク切れちゃうねとか、
この情報どこ行っちゃうんだろうね、ドロップボックスのなんか契約も20年後あるかなとか、
考えるとなんかテンポラリーなものなんだなーとか、思ってしまう時があって。
そうですね、本だったらもう物理的に存在してますからね。
うん、図書館に入るし。
誰かが手入れしてくれるというか、管理される仕組みが世の中にもうすでにありますもんね。
それがしかも、なんていうか、比較的安価な値段で手に入れることができるっていうのは、まあすごいことだなぁと。
確かにそうですね。なんか私なんかすごい小さい話ですけど、そのKindleで買った電子書籍はAmazonがなくなったら読めなくなっちゃうなとか、
なんかそういう小さい庶民的なことはよく考えますけど、なんかそういう、なんか今の話本当にそうですね。
なんか図書館に入ってれば、下手したら100年後だって普通に見れる可能性ありますもんね。
いやそうなんですよね。図書館に、まあ分散保管されてるってことだと思うんで、いやもう絶対見れますよね。
100年後でも、まあ日本が存続してればおそらく普通に見れますよね、多分ね。
そう考えると本当にそうですね。なんか本を出すっていうことの、すごい、なんだろう、アドバンテージと言うとちょっと違いますけど、すごい意義のあることなんだなっていうのが、
なんか急にわかったような気になってきました。 これまでなかったけど。
30:05
いやなんか、そう私の中では割に合わねえなあぐらいの感想しかなかったっていうか、まああの、
別になんて言うんだろう、あの嫌々出してたとかではないんですよ。ちゃんと真面目に頑張って書籍を執筆はするんですけど、
まあとはいえそのやり切った後に、ああもうしばらくいいわって気持ちになっちゃうぐらいやっぱ大変で、
だからまあ、こう振り返った時には大変さが先に押し寄せてくるというか、その記憶の順番としては。
やってる最中はね、すごくあの真面目に一生懸命やってはいるんですけど、なんかそこにこう新たな価値が今、
見出されたというか、そういう見方もあるんだなって結構新鮮な気持ちが今しておりますね、私。
いや、しかもなんか残る本と、まあその残らない本というか、なんか参照しづらい本というかな、ある気がするんですけど、
あのドクサさんの本は残るタイプの情報が詰まってる。
そうですかね。
いや僕はそのキャンバスとかそのwebのAPI周りの、なんていうかエッセンスが詰まってて、そこはまあその
p5.jsとかそういうこう、なんていうかな、ラップされているライブラリの使い方とか、そういうもののもっと奥にあることだから、
別になんだろう、それが変わったりとか、なんかキャンバスじゃないんですよみたいなことになっても全然読めるというか。
まあそうですね、そうかもしれないです。なんかベクトルがどうしたこうしたとか、
まあそういう話は確かにキャンバスとか関係なく使える知識になるとは思うんで、
そういう意味ではそうですね。なんかこうホーミングミサイルの数学っていうのはこうですよみたいな話とか、
そういうのはどんなプラットフォームでも確かに活用できる話ではあるんで。
その辺が詰まってて、なんかおすすめなんで、みんな買ってください。
いやー恐縮です。なんだかこんな宣伝していただいてなんかすいません。
買ったほうがいいです。クリエイティブコーディングとかやりたい人買ったほうがいいです。
でも実際そうですね、なんかその普段結構どうやって勉強というかその、
どう言ったらいいんだろう、その高尾さんの中で、やっぱりこう新しいことを勉強するのももちろんそうだし、
日々の創作のシードというか種と言ったらいいんですかね、そのアイデアの源泉みたいな部分って、
一体どういうインプットがあって今の活動があるのかなっていうのは結構その、
多分見えない部分もいろいろあるんじゃないかなっていう想像がありまして、
だから始めたきっかけもそうだし、今どういうインプットからのアウトプットなのかなっていうのもちょっといろいろ聞けたらなっていうのはあったんですけど、
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なんか今までのお話聞いた感じだと、クリエイティブコーディング始めたきっかけ自体は、
割となんとなくというか、そのモヤモヤした部分の中から自然とたまたま手に取ったみたいな感じだったんですかね。
そう、なんか僕自身は、どう言ったらいいんだろう、プログラミングとかは、まあやってこなかったわけではないですけど、
なんか自分のなんていうかな、一つのこうなんていうのかな、
こう、ストロングポイントっていうのか、こう、自分はこれがやれるとかっていうのに、プログラミングってあんまり考えたことはなくて、
どっちかっていうと自分のやりたいことを表現するための道具だったりとか、
なんかコンピューターにそれをやらせるとか、なんか自分の実現したいビジョンを実現するために、
プログラミングはあるみたいな風に考えてて。
で、そういうモチベーションで色々こう、何回もその、今やってるデイリーコーディングじゃないですけど、
あのプログラミングの学習みたいなのを続けようと試みたことはあったんです。それまでも2015年以前も、
おそらく7年間ぐらいかな、大学院卒業してから、ずっとあの、年に2,3回はやってきてて。
で、それが続いたことがなかったんです、全く。やっぱり2,3日で。
難しいってなっちゃう感じだったんですか?
うーん、というか、そうですね、それもあるし、その、例えばサンプルコードがあったりとか、
なんかこういう風にかっこいいコードがあります、みたいなものを映して、そっから先が自分では思いつかないというか、
なんかその、色々、今思うと、なんていうか、こうしてればよかったとか、
なんか、例えば仲間を、なんか見つければよかったのかなぁとか、
うん、その、自分のモチベーションを高めるような何かをすればよかったのかなぁとか思うんですけど、
とにかくその頃はずっとそこら辺が見つからなかったので、挫折繰り返してて。
で、たまたまその2015年ぐらいは、その自分がいい感じに空っぽだったのもあって、
そのダメな自分というかな、あの適当な自分みたいなのを結構スッと受け入れられたんですよね。
その、わかんない、まあいっか、みたいな、そのプログラミングして、その映して、映しただけ、
36:05
まあそれもいいか、みたいなとか、ちょっと書き換えただけ、書き換えてこんだけ変わるんだったらいいか、みたいなとか、
うん、なんか自分をその、何だろうなぁ、許してあげれたというのか。
それがすごい、まあいい感じに続けられた、なんか最初のポイントだったかなと思います。
うーん、めちゃくちゃ面白いですね、その話。
なんか、 あ、そうですか。
はい、あの私も、なんか今日本当に別に無理やり揃えようとしてるわけではないんですけど、
私もやっぱ似たような感覚があって、あの、まあさっきWGLDというウェブサイトの話がちらっと出てきたんですけど、
実はあのサイト初めに書き始めたぐらいの時って、私JavaScriptも初心者だったし、
そのWebGLもぶっちゃけ今考えると全然わかってなかったんですよ、当時書き始めた頃は。
それはなぜかっていうと、高尾さんと同じように、
人様の行動をまずパクってきて、パクってきてという言い方ちょっといいかどうか去っておき、
まずは参考にさせてもらって、まず丸写しするんですよね、まずは。
で、動くかどうか確かめてみて、で、動いた、よかった。
じゃあ次に、ちょっとここを変えてみよう。
変えたら結果がこう変わった、なるほど、これがこう変わるってことは多分こういう違いがあるってことなんだなみたいな風に、
私の場合は結構まず、人のところから持ってきて自分の手元で動かしてみることから始まり、
その理屈云々ではなくて結果を見ていろいろ考えたりしてたですよ、当時。
なので、なんかこう、WebGLでセーダーをこういうふうに書くとライトが当たったかのように陰影がつきます。
その、つきますよっていうサンプルをまず持ってきて自分の手元で動かしてみて、確かに陰影がつくなと。
でも理屈はわかってないんですよ、全然。全然わかってなくて。でも陰影がついたより確かに見えるな。
じゃあちょっと、ここまでできたんだったら、まず初期化処理の部分ぐらいだったら説明できそうだなって言って、まず初期化処理の記事を書いて公開してみたいな感じで、
その理解は後回しで、まずできたっていうことだけで、なんかこの自分のわかる範囲だけを無理せずアウトプットしていく。
わかんないことは無理に説明しようとせずに、わからなくても、なんていうか、別にあんま深刻に捉えないというか、
どうせそのうちわかるだろうと思ってやってたんですよね、当時。だから後から1年2年続けていくとやっぱり、だんだんそのセーダーの中で、
どうしてこれが正解なのかっていうのが、コードを何回もやっぱり触っていればわかんないなりに、
ベクトルってもしかしてこういうことなんじゃねえかなとか、そのベクトル同士の内積外積って多分こういうことなんじゃないかなっていうのがやっぱり続けてるといきなりわかる瞬間っていうのがあって、
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そうすると具体的に説明ができるようになるんですよね。私は結構それの繰り返しをずっとしてきただけというか、
最初は本当に何もわかってなくて、すげえ適当なこと書いてるなって思うような記事とかがたまにあるんですよね。
こいつもわかんねえまんま書いてんだっていうのが、今見るとわかるのとかがあるんですけど、ただその、
WebGLのスクールとかでもよく言うんですけど、そのわかんない自分を残念に思ってしまうと続けらんないですよね、つらくなっちゃって。
だからその、まずはできたっていうことに喜びを感じてほしいし、なんかそういうところをモチベーションにしてもらう努力は結構しますね、私のスクールやるときとかも。
だからなんか今の高尾さんのお話も、自分を許せたっておっしゃってましたけど、なんかその感覚はすごいわかりますね。
それすごく大事なことのような気がします。
なんかやっぱりすごくできる人が周りにいたりとか、特にまあ続けてる人しか残らないんだったら、なんか適者生存的にそういうふうに、
で、なんかプログラミングはできる人がいて、自分はできない側なんだみたいなふうに、しばらく思ってた気もするし、今も別に自分はできると思ってなくて、
どっちかっていうと、その、挫折とか、あのわからないよう経験してきてるし、今も経験してるから、
なんか一緒に仲間を増やせる側というか、まあできる人は別にいいというか、ほっといても多分できると思うから、
どっちかっていうと、そのわかんない人とかに寄り添っておきたいというか、自分もわかんないし、
わかんないよねーとか、どうやってやったらできるようになるだろうねーみたいなのを考えてるのが結構楽しいというか。
結構じゃあ、最近のその、まあ最近だとすっかりそのデイリーコーディングっていうものが、ある程度中尾さんの中でも確立してるのかなとは思って見てるんですけど、
なんかそこは、なんかどうなんですかね、その続けていくモチベーションなのか、あるいは何か小さなゴールみたいなものが常にあってそこに向かってる感じなのか、ちょっとわかんないですけど。
そうですね、まあなので2015年とか、始めた頃のデイリーコーディングと、今の、まあデイリーコーディングというかな、やってるモチベーションとか、そのやってる目的みたいなのが少し変わってきて。
うん、なんかすごいそこ興味があります。
始めた頃はやっぱりその楽しみもあるんだけれども、とは言ってもその、やっぱできるようになりたいとか、なんていうか、描けるようになりたいとか、そういうふうなところがちょっと前に前傾化してるというか、主にあって、
だからこう、なんていうか、成長するとか、なんかどう言ったらいいんだろうな、でもできるようになるですよね、そういうふうなことをモチベーションにやってたかな、だから技術の習得だったり、まあそういうトピックみたいなのを追っかけたりとか、
42:19
今ももちろんあるんですけど、そういう要素が強かったかな、なんて、筋トレみたいなふうに考えたかもしれないです。
自分自身に対するフィードバックが強いというか、自分にベクトルが結構向いてるような考え方っていうことですよね。
そうですね。で、ただ、やってるうちに、どう言ったらいいんだろうな、そのさっき言ったように、僕はなんか、人と関わりながらプログラミングをするみたいな活動に少しずつ変わっていったんですよね。
それがまさにP5.jsでプログラムを書き始めて、Webベースなのでコードとか作ったものを公開しやすくなって、
で、Web上で公開してSNSでシェアしてみたいなことをやってるうちに、人からコメントもらったりとか、書き換えたコードがプラットフォーム上で見れたりとか、
そういうのが続いて、ある意味でなんかそのソーシャルなコーディングというか、そういう活動に自分のデイリーコーディングがなっていったんですよね。
そうすると、なんか自分だけのデイリーコーディングじゃなくなるというか、
要は筋トレして、めちゃ自分がムキムキになって強くなって、
で、その先にムキムキの自分だけがいる世界を目指してもしょうがなくないですかっていうか、それ別に面白いですかみたいな。
僕はめちゃくちゃできるようになるけど、でもなんか山の上に一人しかいなくて、他の人たち、まあできる僕とできないみんなみたいな、
なんかそういう線引きをして生きていくって結構しんどいなっていうか、それ目指してたわけじゃないよなと思って。
だから、そこから成長を目指すみたいなところの要素を、もちろん全くなくすことはできないと思うけど、そうじゃない、
なんかみんなで進んでいくとか、なんか人にこういう活動を広めるとか、そういう部分をもっとこう自分の活動の主にした方がいいのではというのが
結構気づいて、途中で気づいて、そういう方向のデイリーコーディングになっていった。だから、まあ毎日やらなくても極端な話いいとか、
あの、プログラム動かなくてもいいみたいなとか、そういうもっと自然に気楽にコードと、まあ自分の生活とか人生とかそういうものを結びつけてみませんかみたいな風な意識で今はやっていて
45:19
なので、そうですね、インスピレーションの源泉とかもだいぶそのそういう意味では変わってきて
技術的なトピックとかっていうよりも、なんか日常で見たものとか、まあ家族とか、その自分の感情とか
まあその前に書いたコードをなんかこう
ちょっと継ぎ足したり書き換えたりとかするとか、そういう風な、まあどう言ったらいいんだろうな、オルタナティブな方向に向かっているというのかな
そういう活動になってきているなぁとは思います。 うーん、なんかすごい面白いですね、なんかやっぱりその、ご自身も先ほどおっしゃられてましたけど、なんかプログラマーで
純粋なプログラマーでもないし、純粋なアーティストでもないし、
なんかそのタカオイズムというと言い過ぎかもしれないですけど、なんか独自のやっぱり考え方が中心にあっての活動なのかなっていう感じがします。
まあそれをもちろん似たようなことを考えている人はおそらくいっぱいいて、SNSってやっぱり
多少の誤差はあると似たような人たちがやっぱり集まるというか、そのシンパシーが近い人たちがやっぱりそのだんだんグループと言うと言い過ぎですけど、
まあ関わりを持ち合っていくと思うんですけど、なんかその、
多分純粋なプログラマーの人たちとやっぱちょっと考え方違うし、多分アーティストっていうわけでもないしなぁ、どっちかっていうとその2つを
僕はなんか途中でなんか諦めたというか、あ、無理無理ってなったんですよね。
どっちか選んで生きていくみたいなこともそうだと思うし、そのある意味でプロフェッショナルにそういう方向を目指すっていうのも、
なんか自分の適性的になんか違うなぁと思って。
で、どっかで開き直れたタイミングがあったと思うんですけど、それがまあ結構最近ですね。
なんかそこらへんも、なんかご自身でも説明は難しいことなのかもしれないですけど、
どういうことがきっかけでそういうふうになったのかって結構なんかちょっと興味がありますね。なんか私なんかも、
多分肩書きで言うと一応プログラマーになると思うんですけど、ただ少なくとも私自身はアーティストではないっていうのはもうはっきりわかっていて、自分自身では。
なのでその、クリエイターとかアーティストって名乗ることにはすごい抵抗があるんですね。
48:01
やってできないわけではないんですけど、俺は全然プロのレベルではないっていう自分がいる気がしていて、
俺のやるクリエイティブとかアートっていうのは全然それを真面目にやってる人たちと比べたときに、全然もう
比較にならんって自分では思っているんですね。なのでなんかそういうふうに名乗ってしまうことに対して、すごいおこがましい気持ちが湧いちゃうので、私はどっちかっていうと、
まあプログラマーなのかなっていうふうに思うんですけど。なんかもっとみんな適当に肩書き使っていいような気もしてる。
そうですね。そうですね。
そこがすごい、なんていうかな、えっと、自分でも、だからクリエイティブコーダーって言ってますけど、アーティスト的になんていうかな、振る舞うというか、
そのグラデーション、プログラマーとアーティストの間の真ん中ぐらいをクリエイティブコーダーだとして、
なんか場合によってはちょっとアーティストっぽく振る舞う時もあるし、あの展覧会とかに作品を出すとか、なんかその、ね、そういうイベントで話すとかって時はそうだし、
で、なんか作るときは、いや、僕はちょっとそういうのはできないんでみたいな、プログラマーよりなんでみたいな感じで、なんかこう、重心をこう移動してやってる感じはあって、
でも別に本当に、あんまり人が思うほど気にしてないんじゃないかなみたいな、自分が思うほどか、周りは気にしてないんじゃないかなと思うし、
プログラミングの中にもやっぱりアートに精髄、なんか繋がるような精髄っていうのは実際、あの、本読んで感じるしあると思うし、
なんか、よっぽど、どうだろうな、ハッカーとか画家とか読むと、プログラマーってアーティストだなとも思うんで。
うーん、そうかもしれないですね。確かにそうかもしれません。なんかやっぱGLSLのコーディングやる人たちは、あの人たちって多分喫水のプログラマーなのに、同時にとんでもないアーティストでもある。
いや、そうですよ。僕はアーティストだと思ってるかな。 うーん、確かにそうですね。なんかだから、やっぱりなんか、箱に分類できるものじゃないってことなのかもしれないですよね。
みんな人それぞれに、箱の形も大きさも人それぞれに全然違うから、こういうものがプログラマーです、ドンっていうふうに、こう、一つの枠で、
測りきれないというか、分類しきれないものなんでしょうね。まあそもそもが。で、それをなんか無理やりこう分けようとするからおかしなことになるというか、
うん、なんかそうですね、中田川さんがおっしゃった通り、別にそこってもっとゆるふわでも良くないっていうのは、意外と大事なことなのかもしれないですね。
51:03
実際、たぶんパフォーマンスする1時間前にアーティストになってもいいと思うし、 そうですね、そうですね。
なんかそういう、なんていうかパートタイムというか、なんかウルトラマン的な肩書きのあり方って全然、なんか、みんな、ちょっと神経質に感慨すぎなんじゃないかなって思います。
いや、なんとなくわかります。わかりますわかります。たぶんだから、もちろん私と今高尾さんのこの話を聞いてて、いやそうじゃないだろって思う意見もおそらくあるし、
それがあること自体は別にいいと思うんですけども、ただその、私は結構今の高尾さんのお話すごくわかるというか、
本当にね、なんかもう私の周り、特にその我々から見た時に、の年代から見た時に、もう20代前半の子たちって、
やっぱりもう下手したら親子ほどの年の差があって、全然違うじゃないですか。彼らを見ていると、その、なんか俺たちがこだわっていることって本当に小さいことなんじゃないかなっていうのを感じることよくあって、
で、なんかこう例えばVRチャットみたいなサービスとかツールが今世の中にいっぱい出てきていて、
その自分をアバター、アバターを通して自分を表現することもだんだんもう当たり前になってきていて、私なんか例えばですけど、その美少女モデルを自分に当てて
喋ったり絶対できないです。恥ずかしくてとてもじゃないけどできないし、でも彼らはそれに対して何のアレルギーもないというか、自然なこととしてやってるですよね。
で、それがなんていうか、私から見ると、その、本当になんか自由でいいんだなっていう気持ちになるというか、その私がやるやらないは別として、
すごく彼らのそのエネルギーに勇気をもらえるというか、見てて純粋に楽しいというのもありますけどね。なんか
自分にはできないけどすごいなって単純に思うんですよね。だからなんかあんまりこう、
自分の中の何かにこだわりすぎてしまうことによって何かが閉じてしまうっていうのは絶対あるなと思っていて、
そういう意味では肩書きもなんかもっと、自分に合った形で表現していけばいいのかなっていうふうになんか感じますね、ちょっと。
VR、VRのあの、VTuberと呼ばれている人たちとか、
見てる分には楽しいですけど、なんていうんだろう、なんか語尾をなんかこうキャラクターのに合わせで語尾を変えてたりとか、ああいう喋り方ってなんかいわゆるその声優さんとかがやってたお仕事を
素人が見よ見まねでやったりしていることもある世界だと思うんですけど、なんかああいうのはちょっと絶対自分にはできないですもんね。
54:01
まあでもそれをやってる子たちを見ていると、なんか別に嫌じゃないっていうか。 うん、そうですよね。
別にそれいいんだろうなって、それはそれでいいことなんだろうなっては感じるんでしょうね。
だからなんか働き方とか、その、なんていうんだろう、だから表現者としての自分みたいなものを、なんか自分で自分の殻を作ってそこに閉じ込めちゃいけないなというか、
だから高尾さんのその、なんかモヤモヤ期からのクリエイティブコーディングみたいな活動をやり始めてからの、しかも最初と今では結構考え方も変わってきたみたいな、その時とともに日々変わっていくわけじゃないですか。
だからこれから先もね、なんかまた違う何かが見えてくる瞬間っていうのがおそらくあって。
いや、きっとあるんだろうなと思いますね。 変わっていくんだろうなって感じますよね。 うん。
なんか今の時点で見えている何かってあったりするんですか。 やっぱ日々悩みながらって感じですか。
うーん、そうですね。 まあなんかできたらいいなとかちょっとでも、まあ感じとしてはなんかセーブポイントじゃないけど、なんか
タッチ、コードにタッチしてなんか得られればいいし、まあ得られなくても別に何だろうな、タッチはできてるしいいんじゃないですかみたいな感じでやってて。
ただまあ、その、さっき言ったように長く続けるとかが一つのまあ目的になってきた場合に、
なんか目標のあり方みたいなのも変わってくるんですよね。 僕の場合は、なんか感じで言うと20年ぐらい
プログラミングを続けることができたらいいなとか、 そういうふうになった場合に
なんか一番大事にしなきゃいけないのは、なんかもう嫌だとか飽きたとか、そうならないこと
になってくるというか、 あのあと健康とか。
それ大事ですよね、それすごい大事ですね。 健康とか、あの体のこと、目とか手とかそういうのもあれだと思うんですけど、
なんで、まあその辺に対する、なんていうかな、意識の向き方みたいなのはあるかもしれないですね。
目先のその、今日、明日、いいものを作りたいとか、なんか最高を目指すとかっていうのはもうなくなってきてて、
どちらかというと、なんか次に繋がるとか、なんかちょっと発見して、 まあ絵的には全然しょぼくてもよくて、
あ、これ見つけたんだったらあれと繋がるかも、じゃあ今日はこれでみたいな、おしまいみたいな感じの、
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なんか気楽なプログラミングに最近はなってきてますね。 なんか、これ勝手なイメージですけど、結構そのアウトプットの流度がちょっと前と違ってきてる
というか変わってきてるかなっていうのは感じていて、なんかその高尾さんの呟かれるツイートに、まあだいたい画像とかが一緒にくっついている
パターンのやつよく見てると、本当になんていうんだろう、まだ原稿用紙に殴り書きにした、本当に走行の段階ですみたいな状態の絵でもパッとこう出してくれたりとかしてるように見えるんですよね。
なんかその白いシェイプと黒い線だけで作られてる絵とかが出ていて、 塗りも線も指定してないやつだろみたいな。
そうですね。なんかその、やっぱり仕上がってから出さなきゃっていう感覚とも、もはやそこすらも超えてしまった状態になってるというか、まあそれがいい、悪いは置いといて。
達人とかじゃない。
なんかその、結構もうプロトタイプの段階から、本当に無理なく少しずつ自分のペースでやられてるなっていうのがすごく感じていて、すごくいいなーって思ってたんですけどね、見てて。
うん。 いやなんか、もう、なんていうかな、下駄も履けなくなってきたというか、嘘もつけないというか、自分の実力ってもう出ちゃってると思うので、限界も、まあなんかまあ分かってる人というかな、あの描ける人には見えちゃってて、なんとなくタカオノはこれぐらいなんじゃないか戦争力的に。
そう、この辺ってすごく難しいですよね、なんか。いや、分かります。なんか私も、自分をやっぱりクリエイターとしては恥ずかしくて語れないっていう話がさっきあったと思うんですけど、なんか作品を見てもらう、評価してもらうっていう気持ちでアウトプットはやっぱできないですもんね。
だからなんか、ちょっと最近こういう実験してますよーとか、こんなんしてみたら結構面白い絵ができましたよーみたいな感じの切り口だったら多分出せるんですけど、俺の作ったものを見てくれーみたいな感じではやっぱり出せないですね、気持ち的に。
なんか、まあもちろんめっちゃいいものがたまたまできたら出してもいいと思うんですよ、それは全然。うんうん。ただなんかそこをゴールにはやっぱり設定できない気がしますね。まあ私の個人的な考え方に過ぎない話ではあるんですけど。
うん、なんかただあれですね、僕はそのさっき言った感じで言うと、なんかナンバーワンを目指すとか、その、もうなんかやめたというか、あの、まあ目指すの無理だなーみたいなのもあるんですけど、うん。
そこがあって、ただなんかおもろいやつとか、なんかいるなとか、たかおいるなーみたいな、そういう存在感というかな、なんか実在感みたいなものはなんか出せるかな、まあやってりゃ出せるかみたいな感じで、
1:00:05
だったらまあそんなカッコつけないで、あとまあ20年やるとか決める、決めるというか目指すんだったら別に、今そんなすごいのじゃなくてもいいし、
あと、最近の実感なんですけど、続けてるとね、みんなその、今しか見てなくて、ほとんどの人は、
始めた時の、今よりもっとこう、つたなかった自分の行動とか、自分の活動の始まりの部分っていうのは気にしてないし忘れてるんですよね。
だから、大丈夫っていう、現時点のそのつたなさみたいなのとか、なんか至らなさみたいなのも、やってりゃ多分みんな忘れていくし、
なんか、その時々の自分をやって見せて、で、まあ仲間が増えたりとか、なんか誰かが指揮を受けたりとかしてくれたら、
それでいいのかなーみたいな、ふうな、なんかちょっとその目線というか見方が変わってきたかもしれないですね。
うーん、いやーなんかすごい、なんかほんと、いいですね。なんかすごくわかる話が多いです。
はい、そうですね。
なんかその、やっぱり、継続、そのなんか、見返りを求めてやるのと、まあ運が良ければなんかあるかもなぐらいのモチベーションでやり続けていくので言うと、
私結構後者のタイプで、なんかそのWebGLの第一人者になってやるぞみたいな感じでやってきたわけではなくて、
なんかその、WebGL、結構好きだったんですよね、単純に。だから、自分がその成長していく楽しさもあったし、
それを少しでもこう、日本語の資料が全然なかったんですよね、当時。だから、ちょっとでも人の役に立てばと思って書いてただけで、
なんかその、WebGLの第一人者になって、めちゃめちゃ金を稼いでやるぜみたいな、そういうこととかって別に考えてなかったし、
1年後、2年後どうなってるかわかんないけど、ただ黙々とサイトを少しずつ更新してっていうことがやってきて、
ただそれがなんか、やっぱ4年、5年って続けていくと、なんかいつの間にかもうWebGLの人みたいな感じになってて、
望むと望まざるとに関わらずやっぱり続けてきたことって積み上がっていくじゃないですか、絶対に。
だから今のたかおさんのお話もめっちゃわかりますね。なんかその、そういう意味では私も結構、なんかふんわりしてるというか、
例えばこのポッドキャストも、今日13回目になりますけど、なんかほんとに9月ぐらいに始めて、どれぐらい続けていけるかとかわかん、正直わかんないんですよね。
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まあでも、で、しかもなんか売上が立つわけでもないし、何のためにやってるのって言われると、別に何?っていうのないんですよ。
ただなんか少しでも、せっかく私が誰かとお話しして楽しいんだったら、それを他の人にも共有できたらいいなとか、なんかそういう感じなんですよね。
まあだから基本ほんとに、呼ばれた側の人たちは多分すごく緊張される方もいると思うし、そんな方の力抜いて喋れねえよっていう人もいるとは思うんですけども、
ただ私としては、何ていうか、自分の話したい人と話して、お話しして楽しいねっていうのをただ収録して公開することで、
それが誰かの少しでもなんか刺激になったり、まあ何だろう、考え方の参考になったりとか、何でもいいんですけど、プラスに働いてくれたらいいなっていうだけなんですよね。
だから何か見返りを求めてやってるわけではなくて、なんかそういう意味では、ちょっと傲慢というか、傲慢な感じのふうに聞こえてしまうかもしれないんですけど、
なんか私は別に何かのためにやってるわけじゃないというか、なんかクリエイティブコーディングの取り組み方の部分になんか通じるものがあるなってちょっと思いました、今話を聞いていて。
まじ、実際、ほんとだったら、皆さんに、ほんとはゲストの皆さんにお金払いたいですもん、ほんとは。
いやいや、みんなに報酬払いたいですもん、ほんとは。 でもなんか、ポッドキャストって本当にちょうどいい感じというか、なんか話したい人と話せるし、
それがまあ伝わって、なんていうかな、いい人肌のなんかその温度感で、なんか情報を人とシェアしたりとかできる、なんかいいメディアですよね。
なんかテレビとか、そのまあ紙媒体のメディアとかの感じともちょっと違くて、なんか温度が残る感じというかな。
そうですね、なんかあの、なんでかわかんないですけど、やっぱ映像で見るのと、なんか音だけ聞くのの違いじゃないですか、単純に物理的な違いで言うと。
でもなんかちょっと違うんですよね。なんかやってみるとすごく心地よいというか、すげえいいなっていう感じがしてますね、私も。
始めてよかったなっていう感じがしてて、そもそもあの、こうなんかちょっとこう、感染症の影響でみんながこう、勉強会とかやったりできなくなっちゃって、
なんかこう人と喋る機会が減ったなっていう、なんか個人的なその感覚がまあ出発点になってるんですよ、ポッドキャストを始めた感覚、一番最初は。
なんかその久しぶりに、ちょっと会う人と雑談するやつ、どうせだからちょっと収録してみようかなみたいな、なんか軽いノリで始めたんですけど。
1:06:09
うん、だから今日も高尾さんをこうお呼びするにあたって、なんかその、がっつりテーマを決めて深掘りしていくぜみたいな感じじゃなくて、なんか
初めましてな中でこういろいろお話して楽しいねっていう感じの空気でできたらいいなっていうのがあって、まあ少なくとも今のところそれは成功しているなと思ってるんですけど。
いや、僕もそんな感じです、いい感じです。 うん。
なんかこういう、こういう温度感でいろいろ話せるのってすごく本人たちにとっても気持ちがいいですよね。
そうですね、なんか適度な緊張感というかな、なんかその、飲み会で話すのともちょっと違うし、
なんか仕事で話すのともちょっと違うし、なんかいい感じの、公開できる感じの話をするというか、うん。
だらっと話してるわけでもないし。 うん、いやすごくわかります、はい、あの、ここまでもうなんだかんだ1時間ちょいぐらい経ってますけど、
結構いい話ができていいんじゃないかなと思います。 そうですね、なんか他の人とは出ない感じの。
うん、そうですね、なんかやっぱり、はい、ちょっとやっぱ、なんだろ、変な意味ではないんですけど、やっぱ独特の世界観をお持ちだなっていうのが。
あ、そうですか。 結構面白いです、俺から、俺の個人的な感想になっちゃいますけどね。
ありがとうございます。
[音楽]
えーっと、そうしましたら、ちょっとこの辺からまた少し話題を変えたいなと思うんですけども、
あの、なんか本当にこれ別に、
特に何もないっていう感じだったら、それはそれで全然構わないんですけども、なんか結構こうTwitterとか、
まあInstagramとか何でもSNSやってる方って、やっぱ大なり小なり承認欲求みたいなものあると思っていて、
うんうん。 なんか高尾さんの中にそういう感覚ってあるのかなっていうのをちょっと聞いてみたかったんですよね。
うーん、そうですね。 さっきまでの話を聞いてると、やっぱその時期によって変わってきてるのかなっていう感じもするんですけど。
うーん、そうですね。何者かになりたいというか、なんかその手を伸ばす感じでプログラミングをしていた時期もあったし、
ただまあ、諦めたというか、なんかそうじゃない、手を伸ばすんじゃない、広げるみたいな感じでやっていこうとしているのが今だとして、
1:09:09
ただ、もちろんその承認欲求みたいなものが、じゃあそこでなくなって、
私は全くそういったものと無縁でプログラミングをしていますよとか、コーディングをしていますよ、
SNSに公開していいねとか見てませんよみたいなことはなくて、人間なので、やっぱりそのなんだろうな、認めて欲しいとか、
なんか見つけて欲しいとか、やっぱりそういうのはあるかな、今はまだありますね。 うん、なんかそのちょっと私個人がたまに思うこととして、
やっぱりまあ、あの承認欲求なさげに振る舞うのって結構クールな感じでかっこいいはかっこいいと思うんですよね、やっぱり感覚として。
でも実際、どんなクリエイティブにしろアーティストにしろ、クリエイティブにしろアートにせよ、
なんていうか、知ってもらわないことには始まらないというか、例えば自分が作ったものに自分で納得できて満足なのであれば、それこそ山に籠って一人でやればいい話で、
なんか我々がやってることってその、なんていうんだろう、自分の道を追求していく人たちを別に卑下する意味や意図はないんですけど、
自分たちがやろうとしていることで多分それじゃないよなっていう感覚がやっぱ私もあって、だから承認欲求みたいなものって、
なさすぎも絶対ダメだなと思うし、どういうふうにそれと付き合っていくかっていうところが大事なのかなって個人的には結構思っていまして、
高尾さんは本当に今年はいろんなことがあって、その望んでないレベルの大きな波が押し寄せてきて大変だったんじゃないかなって、
完全にその旗から見ていた個人的な感想になっちゃうんですけど、いろんなことがあって大変だったんじゃないかなって個人的には想像していまして、
そういう中でこう承認欲求とか、自分自身をどう捉えて自分で振る舞っていくのかとかすごく悩みがあったんじゃないかなみたいな、
勝手な想像ですけどね、それがあったのでちょっと聞いてみたいなと思ったんですよね。
そうですね、前提としてちょっと共有というか、聞いていただいている方に話すと、今年の8月にNFTアートのプロジェクトで、
Generative Masksというのを僕が発表しまして、予想以上に作品が売買されてというか、
反響がめちゃくちゃ大きかったんですよね。
そうですね、っていうのがあって、そういう意味でもともと想像していなかったような様々な依頼だったりとか、
1:12:06
連絡とか、いろんな人から連絡いただいたりとかって、そこの時期、
なのでちょうどこのNormalize FMの収録のご依頼というか、お話をいただいた時に、ちょうどその真っ只中ぐらいだったかな。
そうですね、多分そうだったと思います。また私も何も考えずに適当に声をかけてしまって、すいません。
ちょうどその、なんていうかな、なかなかいろんなことの実感って、時差があるじゃないですか。
そうですね。
その瞬間に、なんかその全てがバキッとこう、なんかね、実感として得られるっていうよりは、少しずつわかってくるというか、
僕は鈍いのもあるんだと思うんですけど、1ヶ月ぐらいかかって、どうやらこれ大変なことになったぞとか、
なんかこれ、この先は私はどうするんですかみたいなことが、いろいろこう、頭を抱えるというか、ちょっとこうプレッシャーに押しつぶされそうになる時があって。
もちろんその、ある意味では、そのプロジェクトとしては経済的に成功していたりとか、あるわけなんですけど、どう言ったらいいんだろうな。
ただ、えっと、なんだかんだ自分は自分のことをなんか立志したりとか、あの、ある意味ではこう、何かと誠実に向き合ったり、善良でいるみたいなことが、
えっと、できるというか、やる、やれる、と、なんかこう言い聞かせながら活動していたんですけど、
それでもね、やっぱり、判断を間違えるというか、どう言ったらいいんだろうな、
おごり高ぶるというかな、なんかその、ね、日本で一番とか、なんかその世界に通用するみたいなことになってしまったことによって、
自分がこう、なんていうか、存在になっていく瞬間を感じたりとか、あれは間違ってたなと思うことっていうのもあって、
で、まあ反省したりとか、どう言ったらいいのかな、なんかその承認欲求みたいなものに、こう、
自分がこう塗りつぶされていくみたいな感覚も、その1ヶ月、2ヶ月ぐらいかな、やっぱりあって、
その時期は結構苦しかったというか、うん、だからデイリーコーディングとかにも影響あって、
うん、で、どうやって乗り越えられたかというと、
1:15:01
うーん、まあ、あの家族に、まあその自分の活動だったりとか、日々のコーディングとか見てもらったりとか、
普段からしてるんですけど、なんか最近あんま楽しそうじゃないかもね、みたいな、なんかその、
うまくいってたりとか、なんかこう、これぐらい、ね、えっと収益があって、みたいな話とかするけど、
でもそれって、なんか本当にやりたかったことと、ちょっとずつずれてきてないみたいな、
話を、まあある時にされて、
その時は、そんなはずないみたいな、俺が頑張ってるみたいな、
言い張ったりとかするんだけど、でもまあ、どう考えても間違ってるな、みたいな、後から気づくというか、
少し経ってみると、睡眠時間削って、プログラミングして、情報発信して、なんか価値を高めてとか、
なんか、そういうこう、もともとデイリーコーディングで目指してた、つい先ほど話したようなところと、
少しずつ離れていくような活動を、プロジェクトの中では自分はやってしまっていた時期が、少なくとも秋頃にはあって、
そういうのに気づいた時は、
やっぱり何か変えなきゃなーとか、その、
戻ってこなきゃなー、みたいなことはちょっと考えたりしましたね。
いや、面白い、面白いと言うとちょっと失礼になっちゃうかもしれないですけど、
いやー、絶対そういうことあっただろうなって思ってました。その、肩から見てて、
その、なんて言うんだろう、もう高雄さんの名前を目にしない日がない、みたいな時期があったっすよ、やっぱり。その書籍のインタビューで今回のゲストは高雄さんですとか、
ウェブサイトもそうですし、動画とかもそうですし、とにかく、
もう毎日絶対どっかで何か喋ってんなっていう時期あったと思うんですよ。だからなんかそういう時って、その本人が望んでるかどうかに関わらず、
世界が勝手に回ってっちゃうというか、恐ろしい力みたいなものが襲いかかってくんじゃないかなっていう想像があって、
なんかその今の高雄さんは、本当いい意味で、1回行って戻ってきたなっていう感じに見えるんですよね。その日々の活動をされている
ツイッターの内容とかしかほとんど私は、すいません、拝見できてないんですけど、それを見ているだけでも、なんかその、
変ななんか、気負えみたいなのを1回なくなったのかなっていうふうに見えるんですよね。
だからなんかそこにどういうストーリーというか、聞ける範囲がね、もちろん全部聞き出そうとは思ってないんですけど、なんかそういうのにどういうのがあったのかなってすごく気になっていて、
私なんかが例えばですけど同じ立場に置かれたら、相当なんかいろんな葛藤とか苦しみがあるなと思っちゃうんですよね、想像するだけでも。
1:18:08
いやだからなんか、うん、その、まあ私はたまたま今回は承認欲求というキーワードでちょっと切り口として、まあ質問させていただいたんですけど、なんかその、
ね、やっぱ大変だったんですね。
そうですね、なんかなかなか難しい部分、まあその承認欲求以外のところもやっぱり葛藤は、葛藤というか悩む部分っていうのはなかったわけじゃなくて、
やっぱりその楽しいコーディング、ね、さっき言ったみたいな仲間を増やしたりとか、みんなでやっていくみたいな、ね、勝ちづけされてないプログラミングのいいところを自分はやってきたけれども、
他方で、その成功したと言われているNFTアートのプロジェクトでは、その作ったものに値段をつけるとか、それに価値が生まれて、もちろんそれはポジティブなこともたくさんあるんですよね。
作品が売れて、まあ経済的に成形が立てられるようになるような人が出てくるとか、そういうシーンができるとかっていうところもあるんですけど、
他方で、その、仲間の中にその作品の価値とか、より良いものみたいな、なんかその、さっきまで、これその時まではなかった、何か物差しとか尺度とか単位みたいなものが生まれてしまう。
売れるとか売れないとかっていうのもそうだと思うんですけど、なんかそれを、どう言ったらいいんだろうなぁ、持ち込んだ人になったというか、
遅かれ早かれ、それはそのこの世界というかな、僕のやっているところに入ってきてたものかもしれないんですけど、
そうですね。
それをまあ持ち込んだのが僕ですっていうところがあって、まあだからそれは背負っていくというか、まあどう言ったらいいんだろうなぁ、
まあ続けていく中であれは良かったことなんだなとか、色々あったけども、なんかそれによってできるようになったこともあって、
トータルで見るとちょっとプラスかなぐらいのところは目指していく必要があるというか、
なんかそういうふうな、指名じみたものというかな、なんか最近はそういうやりきらないといけないなっていうのはちょっと感じてるところです。
いやーすごいなぁ、すごいですね、なんか本当に本当になんか賭けなしで本当にすごいなって思っちゃいますけどね、なんか
1:21:06
あのちょっとやっぱ印象的だったのは、ご家族から言われたことがきっかけでこう、一旦冷静になれたみたいな感じのニュアンスがありましたけど、
なんかそれがまた素晴らしいというか、大事なことだなって思います。そのやっぱ一人きりで頑張り続けることって絶対限界があって、
で、まあ若い人たちの中にはね、もちろんあの今一人で頑張っている人もいると思うし、実際その一人で、たった一人で成功していく人も世の中にはいるんでしょうけど、
やっぱ凡人にはやっぱ無理なんですよね。やっぱ家族とか、自分にとって大切な人がいてくれないと、なかなかやっぱり成り立たないなって私は思うタイプというか思ってるんですよね。
だからなんかその、たかおさんがやっぱり追い込まれ、あの望んでなくても追い込まれてた時っていうのがあって、そこにやっぱり家族が支えてくれたんだなっていうその逸話を聞けたっていうのが、なんかすごくほっこりして、
嬉しかったですね。 いや本当に、でもコミュニティの仲間とかもすごく温かかったりしたし。
そうですね、そうですね。なんかそれはあの私も感じました。その旗から見てた立場で、なんか旗から偉そうなこと言うつもりはないんですけど、やっぱすごいなって思いましたね。
今も現在進行形だと思うんですよね、それって。嵐が過ぎ去ったとかっていうそういうことではなくて、今もみんなが前を向いて歩いてるっていう状態だと思うんですけど。
なんかそのたかおさんと、その周囲のコミュニティの皆さんの振る舞いだったり言動だったり、あとはクリエイティブに対して真摯に、別にNFTがあるからってことではなくて、
ずっとやられてたことが単純にまだこれから続いていくだけだと思うんですけど、なんかこう変にネガティブに擦れた考え方をするんじゃなくて、自分たちの
一番目指す、目指すって言うとちょっと違うかな。自分たちがどういうふうに振る舞っていけばいいのかを常に真摯に考えているというか、
それはなんかすごく感じましたね。なんかコミュニティの力みたいなものは確かあるような気がしますね。
いや本当に僕は、自分のコーディングも、インスピレーションの源泉というかな、なんか刺激をもらっているのはやっぱりコミュニティの人たちが
なんか自分と同じようにコードを書いてて、で、それが
どう言ったらいいんだろうな、すごく短いとか、複雑じゃないからこそ、
こう読めるというかな、家族性がそれなりにあって、
だから僕もそこから刺激をもらえて、また短いコードを書けるみたいな、
そういう、どう言ったらいいんだろうな、
不思議なクリエイティブコーディングの良さに支えられてて、
1:24:02
なんで、家族とかコミュニティを大事にしたいなぁみたいなところは、
ずっと持っているし、なんだかその自分のやってることっていうのが、そのアートとか、
まあプログラミングもそうなんですけど、そういうところよりももうちょっとこう、
コミュニティだったり、なんか文化的な組織というかな、なんか自分はヒップホップがすごく好きなので、
なんかヒップホップカルチャーでいう、なんかこう仲間を大事にするとか、
なんか地元というかな、自分のその存在しているコミュニティレペゼンスルー
みたいなところを、なんかこう意識するというかな、
そんな感じで、だからプロセッシングのコミュニティを上げたいとか、
なんか、最高なところを発信していきたいみたいなところはずっと持ってやっているつもりです。
いやー、すごいです。もう聞けば聞くほどすごいです。
いやいやいやいや、そんなことないです。
いやー、すごいですね。
いや、まあ本当なんか、プロセッシングその、私はちょっとやっぱり自分のクリエイターだとは思えない。
もうそれはなんか諦めではないんですけど、今はそういうふうに思っていて、なんかこうすごく眩しい界隈として見てますけどね。
いやいやいや、全然そんなことないですよ。
あの、こちらから見てもやっぱり、なんというか、WebGL、GLSL界隈というか、
技術的、技巧的なところっていうのは本当に、なんというか参考になるし、見てていいなみたいな、
かっこいいやつ作りたいなって本当に思う。
いやー、わかります。俺も思います。
なんかやっぱり、東京デモフェストとかああいうイベントに出てくるような、もう喫水のクリエイターというか、アーティストみたいな人たちは本当にすごいなって思いますね。
やっぱり、あとつぶやきプロセッシング、つぶやきGLSLのあの界隈とか。
そうですよね。
ああいう人たちはもうスターっていうか、ヒーローですよね。
いや本当になんか、ああいう、なんか、どう言ったらいいんだろうな、番組?
なんか、あの、競うでもなくてもいいと思うんですけど、本当に紹介するような番組みたいなのって、もう無限に見れるなとか。
うん。
なんか、いや、本当にすごいパフォーマーでもありますよね、ああいう人たちって。
いや本当にすごいですよね。なんかその、まあ、もちろんね、自分にそういう能力があったらもっと楽しいんだろうなとは思いますけど、
そうじゃなくても単純に一視聴者として見ててもね、本当に興奮しますしね。
1:27:00
魔法使いやん、みたいな、本当に。
うん、わかりますわかります。
なんでこの絵がこのコードで出るんですかって。で、それを今、今描いてるんですか?みたいな。
この30分も満たない時間で?みたいな。
いや、あの、そう、あの、セイダーショーダウンですよね、多分。
東京デモフェストのね、セイダーショーダウン。まあちょっと知らない人のために簡単に補足すると、東京デモフェストというね、イベントが先日あったんですけども、
そのイベントが今年はちょっとオンラインでね、やらざるを得なくなったオンライン開催だったんですけど、あの、セイダーをライブコーディングして、
その、絵作りの良さで、まあ、競技として楽しむというのがありまして、
それで8人ぐらいのコーダーさんたちがね、まあ、トーナメント方式で、まあ、勝った人が勝ち上がっていくっていう感じでバトルしていくっていうのがあったんですけど、
まあその順位がどうこうっていうのはね、もちろん、あの、イベントの趣旨としてそういう順位付けみたいなのはあったんですけど、まあ一個一個のバトルね、それぞれがもうレベルが高すぎて。
すごすぎる、ほんとに。
すごすぎてね、ほんとに、まあもし気になる人いたら、たぶんYouTubeで探せば見つかるので、なんか、あの、このポッドキャストのリンクとかにも貼っときますけど、ほんとにすごくて。
あれね、世界1から世界8位までが、あの、並んでた大会だったと思いますよ。
いや、もう。
全員、全員お世界の人です。
いやもうそうですね、まあ、あの、このそもそもシェーダーショーダウン実態は、あの、リビジョンっていう海外の大きいパーティーがありまして、そのデモパーティーで、まあ始まったイベントというか企画を、まあ輸入したような形なんですけど、
まあ本家の方もすごいんですよ、もう異次元のシェーダーを、まあ短時間で仕上げていくんですけど、あの本家に負けないレベルだったなとは思いますね。
だからまあ、ほんとに世界で戦える人たちが、あの、ライブしてくれたっていう意味で、めちゃめちゃ興奮する素晴らしいイベントだったんですけど、
まあああいうのはやっぱりなんか、一種ちょっと尖った才能ではあると思うんですけど、やっぱり憧れちゃいますよね、ちょっとね。
うんうん。なんか役割じゃないですけど、そういうふうにこう切り開いていく人たちというか、まあ新しい領域とか未来の的な表現というか、そういう人たち、
まあプロセッシングも同じで、おそらくみんながその、僕みたいなデイリーコーディングとか、なんかほのぼのやってこうみたいなところではなくて、
インタラクティブなものを作りたいしとか、なんか情報可視化とか、そういうふうな、なんていうか、役に立つとか、なんか利便性を追求する道具として、
何かそうプログラミングをやりたいみたいな人たちもいて、なんかみんなが居心地がいいみたいなところをどうやって作っていくかみたいなのが、
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めちゃくちゃ難しいというか、でもやらなきゃいけないことなのかなぁと思ってますね。
うんうん。いや多分なんか、その、ちょっとこれは本当に個人の意見として聞いてほしいんですけど、やっぱり高尾さんのいろいろな活動が、
こう、社会にいろんな影響を与えたと思うんですよね。で、その中でやっぱりそれを見て、
クリエイティブコーディングやってみようって感じた人たちも絶対にいたはずで、
だから私なんかは結構、やっぱり自分自身もどちらかというと発信する立場になることが多いので、
その、自分がやってることが本当に正しいのかみたいな悩みって常にやっぱりあるんですよね。
で、なんか間違ったこと言ってねえかなとか、自分の言ったことで誰かが傷ついたりしてないかなとかって、
すごくナイーブになろうと思ったらいくらでもナイーブになれてしまうので、やっぱりどっかで自分自身に、
まあ、なんか言い聞かせるじゃないですけど、あの、どっかでやっぱり割り切る必要があるなって私個人はちょっと思ってる部分があって、
だから高尾さんのそのレイリコーディングだったり、もっと広くクリエイティブコーディングって言ってもいいかもしれないですけども、
まあそういった活動が、まあいろいろな話題をね、あの、巻き起こしたっていうのはあったかもしれないけども、絶対にプラスだったと思うんですよね。
その世の中に対して、あの、絶対にプラスだったなって私は思ってて。
だから、あの、本当に無邪気に言っちゃいますけど、今後もすごく高尾さんのペースでね、続けていってほしいなっていうのはすごく感じますね。
確かに、なんかここでこう自分がなんか、なんか折れたりというか、なんかポキッと折れて、いやなんかもうできませんとか、もうやめますみたいなのって、
すごいこう、まあ自分を見てるもう一人の自分がいるとして、それはこう、もったいないというか、
だから、僕も僕を大事にしなきゃいけないし、なんか僕の周りの人も、なんか僕を大事にしてくださいみたいなことは、あの、最近思うようになりました。
だから、もちろん間違ったりとか、なんかそのさっき言ったように傲慢になったりとか、あるかもしれないし、気をつけようとは思ってるんですけど、
そういう時はなんか、ちゃうぞとか、なんかそういう方向じゃない方が高尾さんがやりたいことなんじゃないですか、みたいなのは、本当に言ってほしいし。
いや、ほんとそうですよね。やっぱりなんかこう、自分があんまり有名になったり、実績を持ちすぎたりしてしまうと、言ってくれる人がどんどんいなくなっちゃって。
そう、そう、本当にそう。
だから私も結構たまにTwitterとかで言ってるんですけど、まさかり投げてくれる人ってすげー大事だと思ってて、
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その、調子に乗るんじゃねーぞってこう釘を刺してくれる人をすごく私は大事にしてますね、とっても。
それはすごい。優しく言ってほしいっす。
そこはなんかあれかもしんないですね、その、なんか、育ってきた文化の違いかもしれないですね。
確かに確かに。
結構私はやっぱCG寄りの畑だったんで、その、CGって間違ってることは、圧倒的に間違ってる場合が多いので、
その、雰囲気でやるんじゃねーっていうところはやっぱあるんですよね、CGって。
確かに。
だから結構私なんかはまさかり投げられることにあんまり恐怖を抱かないように育ってしまったんですけど、
でもやっぱなんて言うんでしょう、立場的にやっぱりWebGLスクールとかで先生的な振る舞いをすることが多いので、
なんかその、ものすごい雲の上の人みたいな扱いでみんなしてくれるんですよ、大体。
それは私にとってもちろん嬉しいことではあるんですけど、とはいえなんかその、もっと自分もみんなに寄っていきたいのに、
なんかあまりにもすごい人扱いされてしまって、距離がなかなか詰められないみたいなのはあるんですよね。
ありますよね。
うん、ありますね。
うんうん。
だからなんかその、雑に扱ってほしいってわけじゃないんだけど、いやもっと気軽でいいのになっていうのはすごく普段思ってて、
だからなんか、すごいわかります。
うん、一人間として扱ってくれれば大丈夫ですよっていう感じですよね。
そうですね。だからやっぱなんか最初の頃はやっぱ承認欲求ってあったと思うんですよ。
そのWebGLの第一人者みたいなふうに言われておらず、自分がまだ何者でもないと自分自身も思っていて、
ただわかんないけど、なんか日々を一生懸命過ごしていた頃っていうのは、やっぱりなんかこう、みんなが、
あのー、ドクサスさんすごいなーみたいなこと言ってくれるのってすごく自分にとってありがたかったし、めっちゃ嬉しかったですけど、
やっぱ今はそれが嬉しくないわけじゃないし迷惑なわけでもないんですけど、もうちょっとみんな普通に扱ってくれてもいいですよっていうのはちょっと感じるときありますね。
うんうん。
わかります。そうですよね。
まあ、でもその辺って、僕らぐらいの年齢に差し掛かると、次第にそのそうなっていくというか、
うんうん、そうですね。
なんか、やっぱこう、ね、若い世代の人だったりとか、なんか責任みたいなもん発生してきちゃうし、難しいとこですよね。
そうですね。まあ、だからよく思うのは、なんかこう、若い人たちが変な責任を負わされないように、責任だけはこっちで負ってあげるから、
好きにやんなさいよみたいなことを結構やりたいんですよね、私の中では。
だからなんか、昔はその、えっと、なんか無料の勉強会とかよく開催してたりした時期があったんですけども、
その頃は、私が主催者というその一番重いところを背負ってあげるから、もっと出てこいよっていうような感じだったんですよね、当時は。
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それで、なんかあんまりこう、登壇経験のない、まあでもアウトプットはすごくいいものを出してくれてる人とかを呼んで、
あの、ゲストで喋ってもらったりすることで、その人の自信になるでもいいし、
拍がつくでもいいし、まあなんでもいいんですけど、ちょっとでもその人のプラスになってくれたらなみたいなモチベーションがあってやってた時期もあったんですけどね。
まあでも最近はやっぱりなかなかイベント自体ができないんで、ちょっと難しいなって思ってはいるんですけど。
いやでも本当に、あの、WebGL界隈のコミュニティのその若い人たちというかな、そういう人たちが活躍している様子っていうのは見てて感じてるし、
なんかその辺の、どう言ったらいいんだろうな、世代のグラデーションっていうのか、
みんなが入ってきてくれる感じをどうやって作っていくかみたいなところってすごく今後重要になってくるんだろうなとは思ってますね。
そうかもしれないですね。
運営とかもありますよね。なんかその、ずっと、今だったらプロセッシングのコミュニティとかは僕を中心に数人でやってたりするんですけど、
それもこう引き継いでいくっていうか、できれば新しい人に一緒にやってもらいたいし、
なんかその人たちのこうなってほしいとかこうやりたいみたいなところをサポートしたいなとか思うんですけど。
なんかそういう。難しいですよね。
そうそうそう。まだ勉強したいっすみたいなところもやっぱあると思うし、
そういうロールをどういうふうにこう、なんていうか、循環させていくかみたいな。
まあいろんな難しい問題があって、やっぱりそういうものと向き合っていかなきゃいけないっていうのも我々の世代の役割の一つというか、
うん、やんなきゃいけないことなのかなっていうのは感じますね。
まさか同い年とは思いませんでしたけど。
だからなんか共感しかないみたいな。
なんかそうですね、結構今日はどんな話してもそうだよねっていう感じになっちゃいましたけど。
いやまあでも本当にすごく冗談抜きで今日は本当になんか、共感できる話が本当めっちゃ多いですね、今日は。
いつもはなんかやっぱり雑談ベースでとはいってもちょっと構えちゃうことが多いんですけど、
なんか今日はすごくいい意味でリラックスして話ができてるなと思います。
よかった。
はい、えーとでは、ちょっと今日は長くなってるんですけども、めちゃめちゃもうなんか盛り上がってしまいまして、
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二人でいろんなことを話してる間に時間がどんどん経ってしまいまして、
ちょっとね、ずっと話しちゃいそうな感じなのでちょっと一回ここら辺で今日は締めたいなと思います。
はい、今日はね本当になんか他ではなかなか聞けないような話が聞けたんじゃないかなと思うんですけども、
本当に長時間ね、高尾さん色々お話聞かせていただいてありがとうございました。
いやすごい、僕も楽しくお話できたし、なんかよかった。
いやよかったですよね、すごくよかったと思います。
なんかあの聞いてる皆さんにとってもなんか面白いお話になったのかなとも思うし、
あと話してる本人たちもめちゃめちゃなんか楽しかったしね、すごくよかったんじゃないかなと。
いや本当になんかまたちょっと時間空けて再度ゲストに呼ぶこともあるかもしれないんで、
ぜひぜひ。
ぜひ。
今度はまたなんかちょっと忙しくなさそうな時期を狙って声をかけますので。
はい。
はい、本当に今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、ではノーマライズFMのいつものお知らせになりますけども、
ノーマライズFMでは#のノーマライズFMというねハッシュタグで、
Twitterなどで感想、ご意見などを募集しております。
今日のね収録内容に限った話じゃなくて、普通にねなんか過去回の話とかでもいいし、
今回のもちろんね、あのたかおさんとのお話の文脈でもいいので、
何か感じることがねありましたらぜひね気軽に感想などをお聞かせいただけますと嬉しいです。
はい、えーとじゃあちょっとね今日長くなりましたけども、
これにて収録の方を終わりにしたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
チャンネル登録よろしくお願いします。
(♪ BGM)
01:41:05

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