本エピソードの概要
こんにちは、のらじおのmuroです。
こんにちは、かえです。
はい。これ、配信順番がどうなるかわかんないんだけど。
え?録音どおりじゃない?
わかんない。ひめじがあって、しょうどしまでひめじ、ひえとしおさんととったじゃん。
うん。
が、先に来て、これにしたらいいかもと思ってて。
うんうん。それでいいと思う。
ちょっとどういう順番になるかわかんないんだけど、
時系列で僕はひめじに行った日があって、
しょうどしまに行った日に、しょうどしまから帰りのフェリーでひとしおさんととったんで、
うんうん。
たぶんその音源がこれの前で流れていて、
はいはいはい。
で、今回またしょうどしまの話。
妖怪美術館の展示内容
はい。
で、しょうどしまとのフェリーで、ちょっと僕が濁した部分がある。
そう。
うん。ちょっといまいちだった観光スポット。
うん。その時はね、コンプライアンスに配慮して濁したけど、
誰の何のコンプライアンスかわからんけど。
たしかにね。
先方も商売だし、頑張ってると思うので、
うん。
うん。言わんかったけど、
うん。
やっぱり言った方がいいかもしれないってなって。
そう。私がその件に関して、
うん。
一件絶対に許せないシリーズ。
はい。
あるので。
はい。
これはもうやりましょうって、
はい。
いうことになりました。
うん。
どこですか?
はい。妖怪美術館という場所なんですよね。
はい。
あの、しょうどしまに迷路の町というのがあって、
うん。
このしょうどしまの迷路の町が、
まあ、昔は商店街だった。
うん。
だけど、それがまあちょっと加速化、
高齢化加速化になってて空き家が増えたので、
その空き家を利活用して美術館にしてるところがあるんですよね。
で、それがまあ、あの、なんていうかな、
その美術館のテーマを妖怪にしていて、
うん。
で、その妖怪をテーマにした美術館、妖怪美術館っていうのを、
まあ、作っていらっしゃると。
はい。どうでしたか?
うろこしさんが一番気になったのはどこですか?
日本語。
あ、日本語ね。
うん。あの、気になったポイントはいくつかあるんですけど、
まずはじめに、あの、日本語が、美術館って、
その展示品の説明みたいなものを入れるじゃないですか、
その日本語がずっと変なんですよね。
ちょっと変でしたね。
それがすごく気になったのと、
あと僕は、2歳から水木しげるの妖怪辞典を見て育ったので、
僕も好きなんです、妖怪。
妖怪ね。
妖怪美術館の人たちも妖怪好きなんだと思うんです。
はい。
で、その後、まあ、僕は大学も民族学やったりとか、
で、その小松和彦先生の主事講義出たりして、
小松和彦といえば、日本の妖怪の権威ですから、
妖怪についてちょっとだけね、勉強した身ではあると思うんですよ。
やっぱ妖怪に対する勉強がちょっと足りないんじゃないかなっていうのはすごく思った。
妖怪というそのものの理解も、もしかしたら足りてないのかもしれないし、
これまで行われてきた妖怪学というか、
妖怪がどのように研究されてきたかとか、
妖怪がどのように取り扱われてきたかみたいなことに対するレビューみたいなものをせずにやってるんじゃないかなっていうのをすごく感じました。
キャラクターとして取り扱ってるっていう感じですか?
キャラクターとしてというか、なんか妖怪っているよねっていう感じでやってるなっていう、
なんか僕の印象でしたね。
わかんないけどね。
本当はめちゃくちゃ勉強されて、そのエッセンスとしての展示だったのかもしれないですけど、
僕はその展示と特に解説、
展示はフィギュアみたいなのが多かったんで、
たぶん今現役のフィギュア作家とかに作っていただいてるんだと思うんですけど、
造形はプレゼンシャルというか、今の造形というか、
ゲームに出てくる妖怪みたいな感じなんです、全部。
それは別に良くも悪くもないというか、そういう人に依頼したんだろうなっていう感じだから別にそうなんだろうなって思うんだけど、
本当にあるキャプションみたいなものは、
例えばその妖怪がどういう妖怪であるかということを説明し、
その造形作家がどういうふうにそれをモダナイズしているのかということを説明し、
造形作家の意図みたいなものを説明することによって、
妖怪と美術みたいなものがマージしてくる地平みたいなのがあるはずなんですよ。
僕の理解ではあんまりそういう感じじゃなかった。
なんか、たぶんポエティックにしたかったんだと思うんですけど、
よくわからない日本語でよくわからないことを言っているって感じだった。
これがね、入場料が500円だったら、こういうのもあるかもって思ったんだけど、
入場料が3000円ぐらいするんですよ。
3000円とは正直に思いましたね。
こういうのあるかもっていう気持ちになれない。
これじゃダメだろって思った。
文化の尊重と理解の欠如
なんかあれですよね、何軒かの町にある空き家を、
繋がってない施設を渡り歩いて、
電子ロックっていうかピッピッピって暗証番号で開くようにしたりとか、
イヤホンつけて、スマホでアプリ入れて説明を聞きながら行くみたいなのとか、
設備としてはっていうか、
側は結構細かくちゃんとやってるのに、中身がみたいな感じでしたね。
町屋を利活用しなきゃいけないから多分、
普通の美術館みたいにこの建物の中にたくさん展示品があるわけじゃなくて、
町を周回させるような設計みたいな、
それは結構素晴らしいアイデアだと思うんですよ。
面白い、特に迷路の町ってそれをやるってすごい意義深いと思うんですよね。
面白いなと思った。
特にロック場があって、ロックを開ける暗証番号を客に渡して、
客は自分で家から家に渡り歩いて、展示を見ていくっていう仕組みも面白いし、
全てに人を配置する、たぶん人件費が出ないから、
アプリでツアーガイドさせて、解説を聞かせるっていう発想もめちゃくちゃいいと思うんです。
すごいよくできてるんだけど、
肝心のコンテンツというか、
流れてくる音声が、何の話をしてるみたいなことをずっと言わされて、
しかもお客さんが展示品を見るスピードと全然合ってないので、
それもすごくフラストレーションというか。
途中で聞くのやめました。
ね、僕も。
書いてあること以上のことは言わないし、
美術館とかであるじゃないですか、時々観光地とかでもそういうイヤホンで説明させるみたいな、
書いてあること以上の説明があったりするけど、
それが途中でないなと思ったからやめました。
おそらく妖怪が語りかけてくるっていう形式になってるんですよ。
でも客観情報と語りかけてくる妖怪の気持ちと、
美術館のスタッフの気持ちみたいなのが、
主語が切り分けられてないから、
何の話なんだろう、今みたいなのがずっと続く。
これが今解説をしているっていうパートなのか、
それとも私たちに今話しかけているパートなのか、
すごくわかりにくい、ずっと同じトーンで話しかけてくるので、
確かにそれが妖怪っぽいって言われたら妖怪っぽいかもしれないけど、
わけのわからないことずっと話しかけてくる。
そういう現象として人間を混乱させるみたいな。
そういう設計なのかもしれないけど、ずっと何なのかなって思ってましたね。
私は、マンソード・ムロコシさんが言ってたこともみんなそうだなと思ってたんですけど、
私がそこで最も許せなかったのは、
途中の2個目のブース、2個目の町屋の展示が、
本物の古い人形、日本人形とか、
一抹人形とかガラスケースに入っている人形の顔だけ、
粘土で覆いかぶして、怖い顔にしたり顔紫にしたりっていう展示があって、
それがもう許せん。これは許せんと思ったんですよね。
まず直感的に、もともと顔のあるもののその顔を覆いかぶすっていうことが、
ひどい。かわいそうって思ってしまうんですよね。
人形自体にもかわいそうって思うし、
アートとしてそれをやっているのに、人形を作った人の意思を完全に無視してる?
ってか侮辱してると思うんですよね。
そうだね。
何か物を作る人がそういうことをしたらダメだと思うんですよ。
最初から、一から日本人形的なものを作って顔を怖くすることと話が違うじゃないですか。
全然。
それだったら別に3,000円払うのもったいないなとは思うかもしれないけど、
別に許せんとは思わないんですけど、
芸術としてそこにそれを展示するのに、
初めに作った人の上から何かを、しかもその人形、
人の形を知っているものとして、やっぱり表情を追いかぶすっていうのはすごい酷いことだと思うんですけど、
それをやって見せ物にするって、
どういうことなんと思って、
見てたときは、
もう見えなく、直視できなくて、あまりに酷くて、悲しいという気持ちの方が強くて、
帰ってきて思い出してすごい怒りがふつふつと湧いてきてるんですけど、
あとその前の展示が、つくもがみの展示だったんですよね。
つくもがみっていう、
100年道具使ったら魂が宿って妖怪になるみたいな、
からかさとか、
そういうものが妖怪化するみたいな、
それって、そこにも説明としてあったと思うんですけど、
日本人が物を大事にする気持ちとか、アミニズムの精神とかが融合して、
そういう発想になってる。
説明した後にやるか、それっていう、
古い人形の顔に、
おぞましい顔を取り付けるって、よくそんなことできましたねと思って、
これはもうまじで許せない。
許せないです。
ひどかったですね。
なんか全体的にそういう感じなんだよな。
あんまり尊重されてないですよね。
妖怪のことをあんまり勉強したって思えないっていうのも、
文化とか信仰に対して、あんまり尊重する気持ちがないっていう感じ、
印象でしたね。
尊重する気持ちがないというか、それが尊重されるべきものであるという感覚がなさそうだった。
妖怪というものに対して。
妖怪というものというか、人間の信仰心とか、
妖怪というものを愛している人の気持ちとか。
そうですね。
このキーワードみたいにして、たくさんこの美術館で出てくる言葉が、
妖怪はいるのか、いないのかなんですよ。
書いてありましたね。最初入口に書いてましたね。
最後も書いてるんですよ。
一番最後に小学生とか、全国の人から集めた妖怪の絵が展示してるんだけど、
そこにも妖怪はいるのか、いないのかって書いてあって、
本当にそのことについてよく考えたって感じはすごいです。
確かにそうですね。
なんというか、
考えたようには思わんかった。
あなた方はどうせ妖怪なんかいないと思ってるでしょうけど、
ここにいる、これが妖怪ですよ、みたいな軽さというか、
でも、なんで水木しげるが妖怪がいると言い続けたのか、みたいなことに対する、
洞察が少しでもあれば、そういう態度には出ない。
そうですね。
なんていうか、
これが、その妖怪アーティストのヤギウチューベイさんっていう方の作品がメインであって、
彼のアーティストというか、芸術作品を作る腕みたいなのは多分あると思うんですけど、
例えば、ヤギウチューベイ美術館だったら、僕はこんなにイライラしなかったと思うんですよね。
そうですね。
ヤギウチューベイさんの妖怪理解があり、
ヤギウチューベイさんの作品がある。
で、その作品の好説とか、いい悪いはあるかもしれないけど、
なんていうかな、
それってそういうもんだと思うんですよ。
ヤギウチューベイさんが存在をかけて出した美術作品があるっていう話に多分なると思うんだけど、
妖怪美術館という名前を掲げて、
その妖怪の歴史みたいなことを初めに導入しながら、
してましたね。
これ、かー感はある。
だから、説明書きはあったけど、
本当に妖怪っていうジャンルっていうか、
妖怪というものに、
ここに至るまでの道とか、
それの道を支えてきた人とか、
人々の信仰心みたいなものを、
妖怪美術館の評価
あるって書いてるけど思ってなさそうだなって感じでしたね。
言葉ではペラッと書いてたけど、
そういう歴史みたいなものについて、
書いてるだけだなって感じだった。
妖怪たちは本当に存在しているのだろうか、
もしかしたらそんな議論すら必要ないのかもしれないって、
問いを立てたのはそっちだよねっていう話で。
妖怪美術館じゃなくて、
モンスターハウスみたいな、お化け屋敷みたいに、
そういうアトラクションだったら、
なんも思わないかも。
怖い、不気味な、
仕掛けとかも、
肝試し的にしてあったから、
部屋暗くして、
懐中電灯で見たりとか、
夜も開いてるみたいだから、
夜中に古い家に入らせて、
懐中電灯で照らさせて、
照らしたところに不気味なフィギュアがあるっていう、
面白さでやるんだったら、
それで押し出してやるんだったら、
アトラクションかなって思うんだけど、
最初は美術館っぽいことをやろうとして、
中身がそんなだから、腹立つって感じですね。
お化け屋敷だったら、なんも思わないかも。
なんで美術館ってつけちゃったんだろうっていう感じ。
なんで妖怪ってつけちゃったんだろう?
妖怪もね。
どっちか、妖怪にすごい精通してるか、
学芸員みたいに美術館に精通してる人がどっちかいたら、
絶対はならないと思うんですよ。
どっちもいなかったんだなっていう感じ。
多分美術館ってこういうもんだよねっていうイメージと、
妖怪っていうこういうもんだよねっていうイメージでやってるっていう。
多分ね、妖怪に詳しくなくても、
美術館の展示とか、
学芸員の素養がある人がいたら、
絶対こうしないというか、
もともと知らなくても、まず妖怪は何たるかに行くと思うし、
妖怪のことよく知ってて、美術館のことよく知らなくても、
妖怪を展示するということみたいなので、
うまくいくと思うんですよね。
多分どっちもなかったんだなっていう感じ。
どっちもないのに、どっちもつけちゃったな、名前にっていう感じだった。
野球中米ハウスだったら、
専門性の欠如と批判
全然そうかもって感じがする。
それだったらそうかもって思う。
だって、それは妖怪というより、
野球中米が妖怪というものをどのように考えているかっていうのが知るから。
それはわかりますね。
それはそうかもってなるもんね。
勝手だしね、それは個人の。
こういうふうに見てるんだっていう感じになるから、
それが別に専門家的に、
網羅的に妖怪のことを知っているか知っていないか、
オタク的に、この妖怪はどこそこの地域にいて、
なんとかという書物に出てきてみたいなことを知らなくても、
大丈夫ですよね。
その妖怪からインスピレーションを受けて、
こういうふうにこの人に見えたんだっていうのが出るから、
野球中米ハウスだったら野球中米ハウスだなって思うんだけど。
どっちかいたら、絶対人形の顔に粘土を固めたりするのを許さないと思う。
どっちの人も、妖怪の人も絶対あれ許さないと思うし、
怖いもんね。
学芸の人も絶対許さないと思うんだけど、
妖怪への敬意があるか、美術とか造形への敬意があるか、
どちらかがあれば、あれ絶対やらないと思うんだけど、
なんでって感じなんですよね。
あと信仰があるだけでもいいと思う。
しないと思う、あんなこと。
そうだね。
どういうことっていうの?
そういえば、姫路のアカスリの人が言っていた、信仰が大事って。
言ってました?
うん、信仰が大事って言ってた。
お金とか友達とか言うけど、信仰が大事って言ってた。
結局?
結局。
信仰が大事。
もう今すぐやめてほしい。メール送ろう。
人形の展示やめてくださいって。
うん、見ていられません。
そのまま置くの、まだいいと思うんですよ。
古い人形をそのまま置く。
つくぼがみんな説明してるしね。
そうそう、技術館的だと思いますよ。博物館的な展示だと思うけど。
あれはダメ。
なんか聖堂島の例えば、神社の人とかお寺関係の人とか見たら、
キレるんじゃないかなと思うんだけどな。
これ誰かちゃんと怒ってほしい。叱られてほしい。
でもなんか立派な賞をいくつもいただいてるみたいですよ。
美術館が?
美術館が。
でも私結構探したんですよ。私と同じように怒っている人がいないか。
まだ見つかってない。
Googleだと学芸会レベルでしたっていうのが結構あった。
妖怪美術館の主家権人の方の本も買ったんです。
そうですか。
迷路の街の小さな美術館の女性の。
どうでしたか。
僕まだ全部読んでない、頭の方しか読んでないんですけど。
って感じですね。
妖怪とか美術館とかいうコンセプトが後から出てきた廃坑利活用しない、廃坑じゃないや。
その空き地の利活用みたいなのが一番初め。
先にあったんだ。ここに何か作らなくちゃいけないっていう感じか。
メイパムっていう、迷路パフォーマンスアートマルシェの略で。
小戸島のオリーブをやっている会社。
小戸島ヘルシーランド株式会社っていうのがあって。
このキーアートを作っているヤギュチューベさんもこのゴイ一族みたい。
オリーブの栽培、加工、販売やってる。
で、そこが経営母体となってこのメイパムをやっていて、
メイパムがこの妖怪美術館やってるみたいですね。
同時によくあるよねと思った。
それは思いましたね。
まるまるかけるまるまるみたいな。
ここではたまたま妖怪と美術だったけど、
かえちゃん言ってたけど、ホリエモンも言ってたんでしょ?
なんとかとなんとかをかけるといいみたいな。
言ってた。あれなんだったっけ?なんか言ってた。
なんとかとなんとかをかけると。
違うものを2つ合わせたら新しい価値みたい。
それは多分そうなんだと思うんだよね、一般論として。
正しいことを言ってると思うんだけど、ホリエモンも。
でもなんかやっぱ双方に詳しくない人がやるとこうなるんだなって。
参加型美術館の可能性
かっきりは言ってもんじゃないですね。
って感じだった。
専門家を使うっていう感覚がないんだろうなって。
そうですね、それは思った。
誰か1人でもいたらっていう出来栄えだったからな。
それこそ妖怪か美術館かどっちでもいいから誰かみたいな。
小戸島いっぱい美術館あるのにね。
この人たちがそうかどうか僕はわからないけど、
外して、こういうビジネスをやっている人は専門家嫌いなんだよね。
そうなんだ、なんで?助かるじゃない。
水をさしてくるからこういうこと言って。
こういうこと言って?めんどくさいから?
めんどくさいから?
話が進まなくなってたから?
そう。
僕も〇〇×〇〇をやってる人が、
専門家のことをめちゃくちゃ、あいつらほんと何も知らないとか言って、
めちゃくちゃ言ってるのを聞いてびっくりしたもんね。
お前輪をかけて何も知らないじゃんって思って。
そうですよね。
どういうことなの?専門知識があるから専門家なのにね。
だからその知識を使えばいいじゃんね。
聞くところは聞きたくないところは聞かなきゃいいんだけど、
だからその、どの情報を聞くべきで何の情報を聞かないべきかみたいな知識すら多分ないから、
とか、
これ僕今度リベラルアーツ研修を受けてるんだけど、受けてるっていうかやるんだけど、その仕事として。
で、そのお客さんとその講師をどういう人頼んだらいいですかねみたいな話をしたんだけど、
なんかやっぱ、メディアに出ているビッグネームの人をすごく頼みたがるというか、
多分、なんていうかな、専門家というものがあんま分かってなさそうだなっていうのをすごい感じてる。
有名な人がいいってこと?
専門家というものが分からないから、その人が有名であるかどうかでしか測れない。
そういうことか。
なるほど。
だから、これは完全にもののたとえだけど、
例えば僕は人類学の中でも宗教が専門で、
例えばジェンダーをやってる人とか、法律とかをやってる人とか、開発とかをやってる人とかからすると結構遠いんだよね。
だから、そこの分野っていうのは、調べれば多少しゃべれるかもしれないけど、
別に自分のフィールドでそういう事例を集めてるわけじゃないから、
まあ、なんか、素人に毛が生えたようなもんなわけ。
そもそも自分の宗教人類学という分野でも素人に毛が生えたようなもんなんだけど、
輪をかけてそうっていうようなわけよ。
でも、その辺の感覚が多分あんまりないから、
古代ギリシャ哲学が専門の人に、
例えばイビト・ゲンシュタインの話をさせようとしてみたり、
哲学って大きい範囲だけど。
とか、もうメディアに出てるから、20年ぐらい論文書いてない人に、その分野の話をさせようとしてみたりとか、
そういう感じだなぁとは思っている。
だから、何かの課題みたいなのに専門家がいて、そこに適切にアクセスすると、
こういう情報が出てくるみたいな感覚が多分あんまないんだろうなと思った。
そうか、妖怪もまさにそうです。
妖怪もまさにそう。
たぶん、小松和彦を監修してたら、こうはならなかったと思う。
それはそう、それは絶対にならないでしょうね。
多分、作品をたくさん募集して、民間から作品を募って、それを展示するっていうのは、いいなぁと思ったんですよ。
だから、プロの芸術家だけじゃなくて、小学生の絵とかもあったし、アマチュアの作品が、
だからなんかその、等身大のというか、みんなで作る美術館みたいな雰囲気はめっちゃいいなぁと思って。
でも、その感じを残したままできるはずだと思うんですよね。
妖怪のこともちゃんとやって、これまでの妖怪学みたいなもの、文脈から外れずに、それをやったりすること、絶対できると思うんだけど、
何もうまくいってないという感じになった。
まあ、外れてもいいんだよね。外れてもいいんだけど、外し方みたいなのがないと、物を知らねえんだなって思われる。
道がわからないと、外れてるかもわからないですからね。
この道があって、外してますっていうのか、何もわかりませんっていうのは、全然違いますからね。
わかってて、あえて外してるのかもしれないけどね。
そうは思えなかったな。
そうね。
まあ、とても思えなかった。
だから説明の中にも、江戸時代に浮世絵とか、
メディアみたいなものが一般的になるにつれて、妖怪の絵とかが出回るようになって、
人々の間ですごく身近なキャラクターになっていきました、みたいな説明があったと思うんですけど、
そこからちゃんと発展させたらよかったのになあ、とか思いました。
そうね。
全てが突然だった感じだった。
あと、ポエティックさを何か誤解してると思う。
日本語がずっと変っていうのすごい気になった。
ずっと変でしたね。
頭と終わりがおかしい、みたいなのいっぱいありましたもんね。
その始まりは、この末にならないはず、みたいな文法がめちゃくちゃでしたね。
例えば、妖怪は本当に存在しているのだろうか。
もしかしたら、そんな議論すら必要がないのかもしれない。
彼らは私たちの思考の中にこそいる。
存在の議論の是非に関わらず、私たちがそれを考えたときには、
もう妖怪たちは生まれ、私たちと共にあるのだっていうのを、
妖怪について真剣に考えたら出てこない言葉だと思うんだよな。
妖怪が私たちの思考の中にいるみたいなのって、
妖怪という存在の主体性みたいなのをめっちゃ帰却してると思うんだよね。
妖怪は存在してないって言ってるのと同等の意義だと思う。
妖怪は存在してないっていうのは、一つの立ち位置だから別にいいんだけど、
妖怪は存在していない、そこには人間の思考だけがあるって考えたときに、
でもそうなんだろうな、それを考えてるから人形を加工するみたいなことはできるんだろうね。
本当にあれはダメ。
物とか妖怪の主体性みたいなものを考えてないんだろうね。
そうですね。
妖怪と美術館の運営
それがそのようなものがあるという資座に立ってないんだろうね。
その資座に立たないっていうことは、やっぱり妖怪を勉強したらできないもんだ。
別に妖怪勉強までしなくても、ちゃんと勉強。
だって私は別に妖怪ちゃんと勉強してないけど、全然。
妖怪みたいなものを勉強しなくても、人間の信仰みたいなものにビフがあれば、絶対できないと思う。
でも、われわれはなんだかんだ宗教学の研究室に出てますから。
出てるけど、出てるからかな。
んー、じゃない?わかんないけど。
この人は福島大学行政社会学…
だってさ、みんなお人形、ぬいぐるみでさえも捨てられずに、神社に焼いてもらう人たくさんいるでしょ?
でも、そういうものに想像力を持てという研究室出てるからさ、僕ら。
でも、神社で焼いてもらってる人、研究室出てないじゃないですか。
でもほら、他者が存在するということをもっと重視しろっていう研究室出てるから。
いやだから、私は研究室で出たけど、
キラ人形をゴミ箱に捨てれない人は、かなり多いと思うんですよ。日本人で。
バカだなって思ってるんじゃない?そういう人たちのことを。
そういう人たちのことを?じゃあ、もうそんな美術館作ったらダメ。絶対ダメ。
でも、そんな美術館作っちゃダメという感覚も、それをバカだなと思ってたら、わからないじゃん。
自分がなんで悪いことをしてるか。それが悪いことだと思ってない。
いや、そうか。そんなことなんとも思わないから、そんな気軽に妖怪美術館とか言ったりするってことか。
そうそう。だから、かえちゃんがずっと何の話してるかもわかんないじゃん。
でも。
そんなことを言うんだったら、小道島を自分たちよりもっと活性化させてくださいみたいな話なんだと思うよ、彼らの世界観では。
迷路の街に人を呼び込んでくださいよっていう話なんだと思うよ。
妖怪美術館をより良くできるんだったら、やってくださいよっていう話だと思うんだけど。
別のことでやってほしいね。
ヤマカレの美術館が良かったからさ。
美術館じゃなくて、ヤマキンね。ヤマキン醤油の資料館ね。最高に良かった。
ヤマキンじゃない?ヤマキン醤油。
あれはね、すごい歴代の人々への尊敬の念が感じられましたね。
創業から脈々と醤油を作り続けてきた人々に対する尊敬を感じた。
小道島ヘルシーランド株式会社資料館やればよかったよね。
そこでね、オリーブのね。絶対その方がいい。絶対その方がいい。
だってオリーブの話面白そうだったもん。
オリーブの話面白そうだったのに、道の駅であんまりやられてなかったからね。
オリーブの話、あれ何件も家使ってオリーブの話したら絶対面白かった。
最後オリーブ買わせたらいいじゃんね。それで儲けたらいいじゃん。
オリーブオイル買うよ。
小道島でオリーブやるのめちゃめちゃ大変だったみたいじゃん。
その苦難の歴史をやったらいいし。
じゃあオリーブ買いますよ。それ見た後。
だってヤマキン醤油で醤油買ったもんね。
醤油せんべいも買ったし、醤油ソフトクリームも食べた。
オリーブでアートをすることもできたと思うんだよね。
できますよね。
でもオリーブはたぶん魂入ってるから、
オリーブでアートをするっていうことには魂入ったと思うんで。
オリーブのことは存在にはしないはずですよね。
だからもうなんか、やっぱりちゃんとやりたいことやらなくちゃダメですよ。
あれ誰もやりたくないもん。良さそうだもん。
誰もやりたくないことやってそうだもん。
置いてるそれぞれの作家さんは絶対あると思いますよ、それぞれ。
作品を作ってるそれぞれの人は思いを持ってやってると思うけど、
あの建物、あの施設を運営してる人には、
あんまりこれがやりたいようには思えないって感じだった。
妖怪の美術もかなりどうでもよくないとああならない。
オリーブの魅力と観光
そうそうそう、そういう感じ。
妖怪や美術を犠牲にしてまでもやりたいこともよくわからなかったし。
そうですね。
なんかあれば意味がわかるというか、
例えば迷路の街っていうのに人を寄り込むためには、
もうそんなクオリティ構ってられないと。
妖怪も美術にも涙を飲んでもらうしかないっていうのがあれば。
何かがあればね。
たぶんその覚悟が希薄になると思うんだよな。
ずっとテレッとしてるんだよな。
日本語も変だし、たぶんその日本語を翻訳している英語も、
たぶん機械翻訳やってるのかなと思うんだけど、ずっと変なんだよね。
だから、じゃあ人を呼び込まなきゃいけない。
人を呼び込むのすらどうでもよくて、儲けなきゃいけないみたいな。
俺はこれで儲けてるんだって思ってたら、そこをおろそかにしないと思うんだよな。
だってインバウンドから金取ったほうがいいもん。
そうですね。
だからインバウンドがこれめっちゃいいってなったほうがいいもん。
だってさ、悲鳴事情にさ、これは黒田寛兵衛が作って、
池立留馬さんが改築しましたって説明できるアメリカ人が来てる。
そうですよね。
だから妖怪を知ってる人なのか、この日じゃないはずなんだよ。
そうですよね。
そういう人がここに来て、めちゃくちゃな英語で適当なこと言ってるの見て、
え?ってなると思うんだよね。
本当ですよね。
人気ありますよね、絶対。アニメとかの影響もあって。
もっと本気で人呼ぼうとしてくれって感じですね。
誰の何のオーナーシップで、どういう野望のためにっていう感じですよね。
気が済みましたか?
気が済みました。あとはメール送っときます。
妖怪が見てるでしょうからね。
そう思うよ。絶対許されないよ。
僕はゲゲゲの鬼太郎で見ましたから、こういうの。
妖怪を侮っていている人たち。
鬼太郎が助けに来てくれるといいんですけど。
鬼太郎がね、来てくれるかな?フェリーに乗って来てくれるかな?
化けガラスヘリコプターが一旦揉めに来てくれる人たちですけど、フェリーには乗らない。
YouTubeのやつありましたね。
はい、ということで、それではまたお会いしましょう。ごきげんよう。
ごきげんよう。