短編の紹介
こんにちは、のらじおのmuroです。
こんにちは、かえです。
はい、今日は何の話ですかね。
今日は、私が読んだ本の中で、面白い話があったので、それをmurokoさんに読んでもらいました。
読ませていただきました。
かえちゃんから読んでくださいって言われてる本、2割ぐらいしか読めてないよね。
消化率が非常に悪いけど。
いいです、2割でも読んでいただいたら。
これは短編集の中の一つなので、あんまし長い話じゃなかったですけど、
門川文子の村田沙耶香さんの、「丸の内魔法少女ミラクリーナ」っていう表題がついてる短編集の一番最後の変容っていう作品でのらじおを撮りたいですと言って、
murokoさんに読んでもらいました。
はい、村田沙耶香さん。今、ときめく?
そうですね、コンビニ人間が何年か前の芥川賞を受賞した村田沙耶香さんですね。
のらじおでコンビニ人間やったっけ?
やってない。
やってない。
コンビニ人間もめっちゃ面白かった。
コンビニ人間面白かったですね。
コンビニ人間に引き続き、僕2冊目なのかな、村田さん。
私もそうですね。なんか、あれは雑誌のエッセイみたいなのかインタビューみたいなのかは読んだけど、本としては私は2冊目ですね、これ。
僕、白色の街のその骨の体温のも読んだわ。
面白かったですか、それ。
あんまり覚えてない。
ごめん、もう歳とると覚えられなくなるね。
歳とると覚えられなくなるって本当なんだって思ってる、最近。
覚えられなくなりますね。
何も覚えてない。
だから、私なんか好きな作家さんって、例えば小川陽子さんとか好きなんですけど、
本屋にフラッと行った時に、あ、これ多分持ってないやと思って買うと、家にあったりとかするんですよね。
だから、それを防ぐために小川沙耶香さんの、ん?違う違う、小川陽子。小川陽子さんの、小川沙耶香さんって誰だっけ、小川沙耶香さん人類学者なんですよ。
小川陽子さん。小川陽子さんの小説で、二重に変わったりしないように、小川陽子さんのウィキペディアをスクショして、読んだやつは赤マーカー、持ってるけど読んでないやつは青マーカーみたいに消して、二重に変わらないようにしてます。
僕は、あの、なるべくアマゾンで買うようにしてます。
あ、履歴見れるから?
そう。
あー、なるほどね。それ確かに、一目瞭然ですね。
一目瞭然。あの、買った本は買いましたって出てくれるから。
あー、そうなんだ。
うん。
でも、売っちゃったりもするからな、ちゅう。
あー。
それでも買ったら、そこに残るからいいのか。
そうそう。
読んだのはわかるからね。
ね。
はい。
でも、一回忘れたら、もう一回新たな気持ちで読めて、二度おいしいかもしれないですね。
うんうんうん、そうだね。
映画とかも。
はい。
えーと、それで、変容という短編のざっくりあらすじを言いますと、
はい。
私、あんまし上手じゃないけどいいかな。
はい。
もろこしさんの方があらすじ上手だから、もろこしさんにやっぱりやってもらおうかな。
あらすじ担当、その、じゃ丸の内未来少女。
まあ違った、丸の内魔法少女ミラクリーナの中にある一番最後のやつだよね。
変容のあらすじ
変容。
はい、一番最後、変容。
うん、いくつか入ってる中の、4個入っている中の変容。
で、変容は、まあどういう話かというと、えーと、たぶんざっくり説明すると、世代間ギャップの話なんですよね。
あー、そうですね。
しかもその世代間ギャップっていうのが、この2024年とか25年ぐらいの感じじゃなくて、たぶんもっとずっと未来の話だということがなんとなく示唆されていて、
で、タワマンに住んでる人は金持ちみたいなステレオタイプが、相当古い、80歳ぐらいの人が持っているイメージっていうことになってるんですよね。
うんうんうん。
で、そういう社会の中で、そういう社会の中で、まあ専業主婦だった人が、社会復帰というかパートで働き始めて、そのパートの同僚の若い子たちの感覚とか言葉遣いとかが理解できないっていうところから始まるんですよね。
うんうんうん。
で、若い子たちがナモムとか、あ、それマジナモミマスねみたいな言うんだけど、ナモムがわからないんですよね。
うんうんうん。
で、これは読者である我々もナモムがわからないから、ナモムってなんだろうって。
で、主人公がインターネットで探してナモムの定義を見るんだけど、定義を読んでも確かにやっぱりわからないっていう話で。
で、ただ、これが自分が若い時のことも思い出すんだよね、主人公が。
で、自分が二十歳ぐらいの若い時っていうのは、もうカップルになっても、恋愛をしてカップルになってもセックスをしないのが当たり前っていう時代だったんだと。
ただその職場の、自分が二十歳ぐらいの時に職場にいた五十歳ぐらいの人が、なんていうかな、セックスをしてエクスタシーを感じるのが、感じた方がいいみたいな話をずっとしていて。
で、それを友達と二人で、エクスタシー、なんだっけ名前。
なんかあだ名つけるんですよね。
エクスタシー磯川さんって呼んで、バカにしてたんですよね。
で、あの時もその磯川さんっていう年配の先輩が、あんまりその感覚と自分たち若い世代の感覚が違ったよねっていうのを思い出して。
で、今度自分がその当時の磯川さんと同じぐらいの年齢になってくると、確かに二十歳前後の人たちの言ってることが何にもわかんないってなる。
ちょっと二十歳前後の人たちが怒んないんですよね。
そうね。怒りっていう感情がないんだよね。よくムッとしないねっていう言い方をしたら、ムッとってどういうことですかって聞かれちゃうんだよね。
で、怒りっていう感情が社会からなくなっていて、ドラマでも描写されないみたいな、そういうふうに社会が変化していて。
で、その、ただこの主人公はずっと怒りを持っているんですよね。
で、ずっと怒りを持っているから、若い人に怒ってほしいと、怒れよって思うんですよね。
クレーマーとかが来るから店に、なんでこいつら怒らねえんだろうって思ってて、それにだんだんイライラしてくるんですよね。
で、いろいろツテを探って、その磯川さんと再会して、磯川さんに会ったら、もういい歳なのに、やっぱめちゃくちゃキレてるんですよね。怒ってる。
で、怒ってるのを見て、やっぱ怒りってあるんだっていう感じになって。
で、やっぱりこの怒りみたいなものを社会の中に取り戻さなければみたいな気持ちになっていくんですよね。
で、その主人公の旦那さんとかは、あの、ナモムムわかるし、怒りの感じもすでになくなっている。同世代のようになくなっていて。
で、主人公はそれは、社会と接点がないからだってなるんですよね。社会からちゃんと、なんていうのか、感染させてほしいみたいな。
その、インフェクトさせてほしいみたいなことを、その思ってるんだけど、そのパートに出る前はお母さんの看護をしていたから、社会との接点がなくて、
主人公の気づき
その新しい感覚に全然感染できてないと。で、当時、磯川さんを一緒にバカにしてた友達っていうのが、今でも仲がいいんだけど、
その人は、なんていうかな、その若い人たちの感覚の最先端みたいな、よくわからないソーシャルサークルみたいなのに、月額6万円で会議をするっていう。
月額6万円払うと会議に参加できるっていう、今でもいっぱいあると思うんだけど、そういうわけのわからないサークルにいて、
で、そのサークルに乗り込んでいって、磯川さんとそのサークルをぶち壊そうっていう計画を立てて、で、職場のアルバイト仲間の若い子2人と磯川さんと主人公の4人でそこに行くと。
そこでは、30年後のスタンダードモデル。30年後にこういうふうな性格の人が最も一般的みたいな、そのモデルの性格っていうのを作り出そうとしてるわけですよね。
で、それをチックで一等賞だったモデルっていうのが全国に行き、全国で一等賞だったモデルっていうのが全世界のモデルとプレゼンしてみたいな、それでロールモデルみたいなのを作り出していくんだみたいな話をしていて、磯川さんがそれにバチ切れるんですよ。
で、そのバチ切れている磯川さんを見て、みんな、周りの人がその磯川さんを見ながらどんどんなもんでいくんですよね。うわ、なもむ、なもむーってなっていって、そのなもんでる中で磯川さんが主人公に、「あなたはこれがおかしいってわかるよね?」って主人公を聞くんだけど、主人公は自分もなもんでることに気が付くんですよね。
生まれて初めて、「あ、私、なもんでる!」ってなって、磯川さんが怒れば怒るほど、うわー、なもむーってなって。それが、なもみが最高潮に達したら、その一緒に連れて行った若い子が、「この気持ちって、すっごくマミマヌンデラって言うんですよね。」
言ったら、「本当だ!この気持ちはマミマヌンデラとしか言えない!」ってなって、周りの人が、「本当だ!これがマミマヌンデラなんだ!」ってなって、磯川さんがずっとパチ切れている中をみんなでマミマヌンデルっていうところの話が終わるっていう。
ああ、やばい!本当に。素晴らしい。
そういう話でしたね。
もう、ブラボーですね。面白い話としてもめっちゃ面白いし、私がなんでこれを大越さんに読んでもらわなければって思ったかっていうと、すごく磯川さんにシンパシーだったからなんですよね。私はきっとこうなっていくんだろうって思った。
磯川さんみたいに?
ずっと一人でブチ切れてて、あの人何怒ってるんだろうって取り残されていく。
私、何個かのラジオで喋ろうとしてやめたことっていうのがあって、大越さんにはこれについて喋りたいって言った後に、やっぱりやめますって言ったことがあると思うんですけど、それね、全部喋ったらずっと怒ってる人だからなんですよね。
そうなんだよね。たぶん今日までの4回、4回は久々に何の怒りもないっていうか、なんか結構空の話をしてたと思うんだけど、それは意識的に内容のない話をしないと、怒りでぎっしり引き付く。
ちょっとあまりにも、で、なんかラジオで、Xで検索して、なんか全然知り合いでもない、すごいどこから見つけてくれたんだろうっていうトークの人が聞いてくださってて、すごい嬉しかったんですけど、その人がこの女の人ずっと怒ってるみたいに、そこ面白がってて、私それ見て本当だと思ったんですよね。
ちょっとなんか怒ってばっかり、もうなんかまずいなと思って調整してたんだけど、この編容を読んで、こういう感じだなって思ったから。
AIの不確実性とか厳密さのないことに一人でバチギレてるけど、みんなもうAIを受け入れているみたいなのと、このなんかもう怒りを忘れた人たちの中、中心でバチギレてる磯川さんがすごいリンクしてしまって、ああ、これ私だと思っちゃうんだよね。
みんながバチギレてないことでね。
で、なんかまあ、すごくよくわかるなと思ったんですよ、この小説面白い。なんかちょっとSFなんですけど、だから未来の、だいぶ未来の話だから、SF的なんだけど、今までもきっとこれが起こってきたんだろうなって思わせるとこが面白くて、流行の感覚の言葉ってずっとあるじゃないですか。
ずっと昔だったら例えば、マブイとか、ナウイとか、で最近だったら、最近ちょうどなんかXでメロイというのが何なのかっていう議論が起こってたと思うんですけど、メロイっていうのは一体何なのかって。
メロイを観測する前に、メロイが妥当かで揉めてるのを見たから。
いや、あの論争が起きてるのがめっちゃ面白くて、なんかその、今までそういうことを議論する場がなかったから、マブイとかナウイとかも、みんな本当はどういう意味なのかっていうのを確かめずに感覚で使ってきてたと思うんですけど、
言葉の変容
それに、今突然現れた新しい言葉について論争が起きてるのがめっちゃ面白かったのって。
それさ、エモイって今言うじゃん。エモイってさ、たぶんさ、2010年代ぐらいに意味が変わったよね。
いや、意味変わった。あの、私が最初にエモイっていう言葉を聞いたのは、そのバンドシーンっていうか。
そのエモっていう音楽ジャンルがあるから、そのエモの音楽ジャンルっぽいよねっていうのをエモイって言ってて。
そうそうそうそうそうそう。私もそうだと思ってたら、どこかの時点から、なんかこう、感情、情緒的なっていうか、感情がこう。
呼び覚まされるみたいな。
よく出てるみたいなことについてエモイって使い上げたから、私が知ってるやつじゃないって思いましたね。
そう。
なんかこの編集の中で、若い子たちが、いやなんかその、ほらこんな感じですよみたいな。説明はできないけどほら、みたいな感じの。
で、そのナモムとかを使ってるの。いやあるよねーみたいな。
あるよねー。
そう。エモイの意味が変わる時に、あの初級派のエモイを使っている人に注意されたことあるもん。使い方間違ってるって。
えー。
エモイの使い方が間違ってるって言われて。
私新しい方はまだわかってないですよく。
若者言葉の特徴
あ、そう。
うん。で、わかってないままもうあまり使われなくなってると思うから。
そうね。そうね。
こうやって通り過ぎていくんだみたいな。
本当だよね。マミマヌンデラになってる。
マミマヌンデラ、モミマヌンデラ。
でも、この主人公の人はだんだんちゃんと観戦して、本当だこれは確かにマミマヌンデラって。
よかったよね。
うん。なって磯川さんだけが。で、磯川さんだけが取り残されていることを、私たちの中央で凛と咲いているのだったっていう表現されてるのもなんかすごいなんか。
最後にね。
いいんですよね。
いやでもこういうのあるんですよね。
うん。
すごい距離感だよね。村田沙耶香さんの。
うん。
この磯川さんが切れ近らかしてるのを私たちの中心で凛と咲いているのだったっていう距離感。
凛と咲いている。マミマヌンデラ。
キモイもね、変わってると思うんですよね。
キモイ変わってるね。キモイとダルイが変わってる?
ダルイわかんない。ダルイってよく言ってるけど若い10代ぐらいの子たちが。
あの、性格にはよくわからってない。
なんかそんなに悪い意味じゃなさそうじゃないですか。
真剣に嫌だって感じじゃないっていう感じがするけど。
なんかTikTokとかで寸劇みたいなのやってる分野あるじゃないですか。
うんうんうん。
寸劇の分野で野球部の顧問の先生が狐の練習メニューを出してきたとかにキモって言うんだよね。
それ僕の言語感覚ではキモじゃないんだよね。
うんうんうん。
気持ち悪くはないもんね。
そう、わかる。それでもうちの子たち小学生と中学生、そういう使い方してる。
キモって言ってる。
キモイっていうの。それ、なんか意味わからないみたいな感じ使ってると思う。結構。
あーそうだね。
でもこれでも多分あんまし言い表わせてないけど、近い言葉で言うんだったら訳わからないとか、整合性が保たれてないみたいな感じで、
キモイって言ったりしてて、それってキモイって言うんだみたいな思いますね。
置いていかれているね。
置いていかれている。
で、この変容ではそれが何かこう自然発生的なものじゃなくて、何かによってコントロールされているっていう世界、世界観っていうか、
なんかわきわかんないサークルが扇動していますっていう感じになってるんですけど、
まあでも、始まりはどこなのかって言ったら難しいですよ、そのキモイとかダルいとか。
難しいね。
難しい。
キモイとかって、僕たちが本当に子供の頃は多分なかったと思うんだよな。
なかったなかった。なかったです。
いのちゅうたっきゅうぶとかあるのかな?
わからない。
でも、その女子高生の言葉だと思う。
女子高生の言葉だったんだ。キモイとかダルいとか。
多分、そのティーンズ中高生の言葉。
ダルいって、語源もよくわからないもんな。
ダルいは。
けだるい?
けだるい。
から来てんのか。
けど、ダルいって、もっと身体的な表現だったと思うんですけど、本当に体がしんどいみたいな。
面倒くさいみたいな意味だと思ってたけどね。ダルいって。
それもそうだけど。
よだきみたいな意味だと思ってたけど。
しんどいみたいな。
でも今のダルいって、なんか勘弁してくれみたいな感じの意味じゃないですか。
今、若い子たちが使ってるダルいって、それマジダルいみたいな、ダルいみたいな言ってるのって。
翻訳できん。
私の観測では、これは多分勘弁してよっていう意味なんだなって思ってるんですけど。
なんか、お茶を食ったこと言ったりとか、冗談言ったらダルみたいに言ってるから、もうなんか勘弁してくれみたいな意味なのかなって。
でも私の知ってるダルいは、本当にもっと体がきついとか、面倒とか、身体的なっていうか、
もっと悪い意味、悪いっていうか、自分だけの感覚の言葉だったけど、勘弁してくださいっていうのは他者が言って成立するやりとりじゃないですか。
だから一人だけでは起こらない感じの言葉になってるなって思う。なんか、かなり違うなって思いますね。
なるほどな。言葉の問題もあるけど、言葉がわかりやすく出てるだけで、この変容の、もうちょっとミソみたいなところは、この小説の中の言葉遣いではスタンダードモデルって言ってるけど、
その世代における正しい精神性とか、良い精神性みたいなものがあるっていう話と、それが今の20、2025年のこの軸から、
多分直線的に進んだ先にあるものとして提示されてると思うんですよ、これ。
社会の感情と変容
そう思います。
怒りのない社会。怒りとセックスのない社会。それもそうなんだって思った。そういうふうに見えてるんだって。
確か消滅世界もそういう話なんだっけ。消滅世界もセックスが存在しない社会だったような気がする。
消滅世界って何?
村田さんの前の小説。
そうなんだ。この短編集の中の一個前の話も性別が禁止されてるっていう世界。
そこに興味があるんですね、多分。
ここからどうなっていくのかっていうことなんでしょうね。
なんかこれを読んで、その怒りがなくなるみたいなところで、やっぱりセルフケアみたいなのを思い出して、
他者に感情をぶつけずに自分でケアするみたいなのの一つがセルフケアかと思うんですけど、
最近読んだ本で、これをうろこしさんにこれも読んでくださいって言ったやつなんですけど、
のぶたかやこさんの題名を正確に言いたい。
なぜ人は自分を責めてしまうのか。
そうそう、それすごい面白くてよかったんですけど、その中で、
自己解決をあんまり強調しないほうがいいみたいな話があって、
自分だけの中で問題を解決することはのぶたさんはできないと言っていて、
それは他者を介してというか、その他者に何かしてもらうというよりは、
他者に自分の問題を打ち明ける。
それに対して何か対処したり反応してもらうんではなく、ただ聞いてもらうということ、
また人の話を聞くということがすごく傷ついた心を癒すのであるみたいな議論があって、
これはちょっと私はびっくりして、結構今セルフケアすごい言われてると思うんですよね。
私もセルフケアがやっぱり大事なんだと思って、この数年思っていて、
みんながセルフケアできるようにならなくちゃいけないんじゃないかと思っていた。
その頃、のぶたさんのやつを読んで、確かにそうだなとすごい思ったんですよね。
ちょっとすごくいろんな要素について書いてあるから、ここで一言で言うのは難しいんだけど、
自己完結で解決しようとするのって危険だという感じ。
で、この変容を読んだ時に、このなんか怒りの感情がなくなるみたいなのは、
そのなんかセルフケアの一つの、まあこれだけではないと思うけど、
辿っていく先の例みたいな、その感情をなくしていくみたいな、
そういう例字というか、可能性として書かれているのかなと思いました。
この中ではそれが良いとも悪いとも、あんまり表現しないようにされている気がするんですけど、
磯川さんの方がいいのか、こっちの方がいいのかということはあんまり判断できないような書き方になっていると思うんですけど、
違うということが書かれているだけで。
それでなんかちょっといろいろ考えるなっていう感じ。
そうね。磯川さんが良いのか、その怒りがなくなった社会が良いのかは、全然わからないように書かれているよね。
そのような立場を筆者は取っていないということで書いてあるよね。
それがなんかこう面白いというか、なんかこのSFから今を振り返った時に、
なんかいろんな要素があるっていうか、そのどっちがいいと言わないからこそ、みたいな思いました。面白い。
それで私は、どちらかと言えば磯川さんであろうと思った。
あろうと思ったんだ。
え?
ありたいって思ってるわけじゃん。
違う違う、磯川さんなんだろうと思った。
なんだろうと思ったんだ。
たぶんね。
私の今どちらなのかと言えば、磯川さんの感じで生きてるんだろうなと思った。
なるほどね。
で、そうだろうなと思いながら、最後に林と咲いているというふうに表現されていたので、
なんかそれまでなんか私これ磯川さんだわーと思ってたのに、咲いているというふうに言われたので、
じゃあいいかな、これでと思った。
なんていうか、村田さんが磯川さんを見捨てないから、村田さんが磯川さんをちゃんと咲かせるから、
咲かせて終わらせたから、私はこれまで不安な気持ちで、あーダメだわー私磯川だわーと思ってたのに、
磯川で行くかって思ってしまうじゃないですか、そんな咲くとか言われたら。
斎太郎界ってなってるわけ?
そうそう。
そうか、斎太郎界ってなってるんだね。
斎太郎界ってなってしまいますね。
斎太郎界ってなってるのか、わかんないな。今、社会に特に何のビジョンもないもんな。
自分が?
自分が。何と言ったらいいのか。
でも今までにこういう経験ないですか?私は結構何回もあるんですけど、え、なんでみんな怒ってないの?みたいな。
これだいぶひどい扱いを受けてるよ、これ。
なんで誰も怒ってないのって言って、私だけが意を唱える、直接唱えるみたいなのが結構何回もあるけどない?ないですか?
うーん、僕みんなが思ってるよりずっと同調的なんだよね、基本的に。
みんなが、なんていうのかな、みんながやばいと思っている人でも一番最後まで同調してるのは僕ぐらいの感じだと思う。
あんまり相手の認知を遮ったりしないからさ。
そうですね。
心の中でずっと違うなって思ってるだけで、お首にも出さないから、基本的には。
あんまりしなんないか、こういう。
あんまり磯川さんみたいにならない。行かないよね、たぶんね、そこに。
あー。
ぶっ壊してやるってあんまならないからね。
うーん。
そうか。ぶっ壊してやるために行くみたいなことはないけど。
はい。
え、おかしくない?
うん。
なんで、誰もなんも言わんの?みたいな。
怒りの感情の重要性
で、私だけが言って、私だけが怒っている感じになる、みたいなことはある。
で、後から聞いたら、いやおかしいとは思ったけど、みたいな。
うーん。
でもまあ、もう決まってるし、みたいな感じ。
うん。
のことはよくありました。
そうね。あんまり、あーでも、あれかも。
その、子供の頃左翼の活動家と一緒にいて、それに失望した経験があるからかも。
あー、怒りが。
うん。
何かに進展しないと諦めたってことですか。
そう。
うーん、早。早い段階で。
うん。問題は解決しなければならないが、
うん。
怒りというフェーズは、あんまり問題解決に意味がないかもって、だからまあ、
ここで、この小説で書かれている若い子みたいな感じかもしれないけど。
ほんとですよね。ほんとだ。めっちゃそう。
でも、それが25になって、初めて言ったのは22の時か。22になって、キューバで初めて思い直した。
その、切れた方がいいなって。
あ、そうなんですか。
うん。あの、何かほら、日本は社会どっちかとおもんぱかり合うけど、ほら、おもんぱかり合わないところでは、
自分のポジションというのを一瞬で相手に理解させないといけないので、切れないといけないんだよね。
切れないと伝わんないんだ。
だから、こっち側、礼儀正しく、お釣りちょっと足りてませんけど、みたいなこと言うと、
いやいや、出したし、みたいなこと言われるから、
いやいや、出したの、見てなかったらそっちでしょ、みたいなことを言ってくるから、適当なことを、
バーンって、釣り足りてないんだよ、みたいな感じで、バーンって言わないとダメ。
で、ずっとキューバにいるとき、自分でも変だなって思ってた、その、4円とかだよ。4円足りないとかだよ。
その2本円で言うと、1ペソ足りないって、4円足りないとかだからさ、4円とかでさ、ほんとめちゃくちゃ切れてるわけよ。
で、なんか1日の終わりにさ、なんかバカみたいだなって思うけどさ、
それをやらないと永久に4円ごまかされ続けるわけだよ。
だから、切れ大事だなぁと思ってたかもしれない。
で、まぁあと若いときはあんまり社会正義のために切れてなかったから、自分のために切れてたから、それでもその切れるのあんまり良くないみたいな感じで、
怒らないようにしようという気持ちもあってたかもしれない。
よく暴力に訴えてた、子供のときは。
まぁ体格も小さい方じゃなかったからさ、から切れてたけど、良くないなぁと思って。
適切な切れは必要だなぁって今は思ってるけど、自分自身はあんまり怒ったりしないかもしれないな、普段。
社会正義のために怒ったりとかしてない。不機嫌になることはあるよ。
めちゃくちゃ眠いのに、ちょっと毎日夜遅く寝て、めっちゃ眠いのに、朝早くに恋人が駅まで送ってくれとか言われてんのに、すごい不機嫌になったりしちゃう。
けど、別に怒っては、社会正義のために怒ってはないよね、それはね。不機嫌にはなるけど、社会正義のために怒ったりはしない。
まぁでも自分が不快であるっていう発露だから、まぁ一緒のことじゃないですか。それが何のためであっても。
でもそれは、なるべく不機嫌にならないように気をつけてる。
起きてくれって言われたときは嫌だなって思うけど、でも行くんだと思って、不機嫌じゃないようにしてる。なるべく。
なっちゃうけどね。
いやぁ、なんかまぁ怒った方がいいとは思わないけど別に。
怒った方がいいポイントは絶対あると思うけどね。だって怒らないとわかんないもん、言っても。
うん、そう。でもどうでしょうね。この変容の世界みたいに、みんなが優しくて怒らなくなったらもう怒る人いなくなるのかな。怒る必要なくなるのかな。
どうだろうね。この変容の世界だったら怒った方が良さそうなことたくさんありそうだけどね、結構ね。
魔術的リアリズムの文学
でもこれが世界の中で起こっているのって年配の人ばっかりじゃないですか。クレームみたいな。で、若い人たちは何を起こっているんだろうみたいに思ってる。そんなことしても何の意味もないのにみたいな。
何起こっているんだろうすら思わないんだよね、この人たち。怒りという感情が観測できないから。
そうか、わからないから。
なんで大きい声で喋ってるんだろうって思ってるんだよ。
でもそうですよね、そういうことってきっとありますよね。だってもう、昔なんかタバコなんかすごい当たり前で、家の中で捨てても何も思わなかったですけど、みたいな話多分すでに10代の人たちびっくりするでしょうからね。
そうね。飛行機でタバコ捨てたとか信じられないだろうね。
信じられないですよね。バスの席1個ずつ灰皿ついてたとかわけわからないでしょうね。でもそういう感じのことだと思うんですよね。
そうだろうね。気づいたら変わってるでしょうね。
ちょっと怖い気もしますね、なんかその大きな波みたいなものに。
でもまあ、その磯川さんとか、主人公の人みたいにそれに乗り切れない不安みたいなのもあるよなっていうのもわかる。
けどもうそれしかわからんみたいな、もう怒るしかわからんみたいな。
で、多分私がこれが気に入らないことのラジオで話したいって黒子さんに言うのは、
もうなんか主人公の人が磯川さんを探しているのと同じことをしているんだろうなと思って。
その話を聞いてくれる人を探しているんだろうなと思いつつ。
さすがに怒りすぎだなと思ったら引っ込めて、そのテーマを引っ込めて。
引っ込めなくてもいい。収録しておくらにしたらいい。別に一通り出してみて。
なんかこう、正しくなくてもいいと思うんだよな。なんかプライベートな空間じゃん。
だから自分の方がもう100%悪くても、なんか友達に怒るぐらいのことがあっても僕はいいと思うんだよね。別にさ。
それに対してそれを許容したいタイプの友達とそうじゃない友達もいると思うけど、
別に正しくなければ怒れないってこともないと思ってて、怒ったらええやないかみたいなのはあるよね。
怒ってる人面白いですよね。
怒ってる人面白いね。
怒ってる人面白いからね。
なもむよね。
なもむ。
怒ってる人見ると。
怒ってる人見るとなもむからね。
私も結構半分ぐらいは気に入らねえと思いながら、ちょっと面白いなと思ってるからこうやって喋ったりしてるんですけど、
怒っている自分がちょっと面白いから、
まあ野良女だったり言っても許されるだろうと思って、そういう場所があるのは大変ありがたいんですけど。
この短編集結構、ミラクリーナはそうでもないけど、SFチックですよね。
SFチックだね。
ミラクリーナは、ラテアメリカ文学の分析概念で、魔術的リアリズムっていう概念があって、
なんか小説の中に突然、この世っぽくないこととかが起きる。
魔法っぽい、魔術っぽいことが起きるんだけど、
それが普通の本当に起きたことみたいな感じで進んでいくみたいな概念だと、僕は理解して、間違ってるかもしれない、ちょっと。
けど、理解してて、で、それの解説を読んだ時に、
ラテンアメリカを旅すると、本当に魔術みたいなことが起きるみたいなことが書いてあって、
ラテアメリカってアンデスからアマゾンに向かうところに草原地帯があるんだけど、
草原地帯を歩いてる時に、蝶がめちゃくちゃいっぱいいて柱のようになっていて、
この世の光景じゃないみたいだったんだけど、それを見た時に、
ラテアメリカではこれがリアリティなんだって、魔術的リアリティってリアリズムってみんな言ってるけど、
これがリアリティなんだって思ったみたいな解説を読んだことがあって、
丸の内魔法少女ミラクリーナではそれを思いました。
電車の中で訳のわからないことを言っている男女3人組が傘で殴り合ったりとかするっていうシーンが出てきて、
それがこんなことないやろみたいな感覚があるんだけど、
僕の東京丸一年過ごしての感想は、東京ならあり得るかもしれないみたいな。
しかもそれが起きた後、周りの人たちの対応が無関心というか、無関心を装うというか、
いないものとする?見えてないみたいにする?
あり得ないことが起きているのに、それに対する反応が鈍いみたいなのも、東京っぽいと思って、
魔術的リアリズムじゃんみたいな、ラテアメリカで蝶の柱が飛ぶのと、
電車の中で訳のわからないことを叫んでいる男女が殴り合ってるの。
都市文化の描写
本当だ。
丸の内線で魔法少女って変身した中年女のおじさんが、
魔法少女って変身した中年のおばさんに日傘で殴られてるの。あるかもって思った。
そういうことがあっても全然おかしくない街、東京だなって思った。
うん、わかるわかる。都会に行くとね、そういうのたまに遭遇しますね。
あれっていう、なんか、自由ってこういう感じ?みたいな。
あれ、よそじゃ起きないと思うんだよな、あんまり。
田舎では起きないですよね。
田舎では起きないね。
いろんな抑止力が幼少期から働いて、どこかで阻止されてるはずだから、田舎では起きない。
都会だから起きる。それが、リアリズムなんですね。
なるほどね、なるほど。
そうか。
ありえなそうだけれども、ちょっとありえるエピソードみたいな。
そうですね、全体的にそうですね、ミラクリーナの話は。
こういう人おるかもみたいな。
毎朝仕事行く前にトイレて持ってるコンパクトで変身したことにして、別人格で仕事を頑張るみたいなことは、やってる人はいっぱい居そうって思った。
いっぱい居そう。いっぱい居そう。
直接コンパクトを開かないでも、ここから先は別の私として働いてる人8割ぐらい居そうと思った。
しかも、なんかこの人は隠せてる体だけど、勘付き合ってると思う。
そうですよね。
目つきが違う。
みんな分かってるけど、黙ってあげてるお互い。
お互いのために。円滑な仕事のために。
円滑な丸の内線の運行のために。
殴り合っている男女がなかったことになってるのと同じで。
そうですね。これは日本の話って感じだった確かに。
そうだね。すごい頑竹あるなって思った。この丸の内魔法少女ミラクリーナは。
日本の都会の話って感じだった確かに。
丸の内っていうのはやっぱね、丸の内っていうポイントだと思う。
池袋魔法少女ミラクリーナだったら多分また別のリアリティなんだよね。
なるほどね。丸の内というところに登場人物は結構限定されてくるみたいな。
そうそう。僕東京詳しくないから分かんないけど、新宿魔法少女とか渋谷魔法少女とか。
全く別の話になりそうですねそれはね。
そうそうそうそう。門前中町魔法少女とか。
私も東京のことは何も知らないけど、本当に全然地理、土地感も、街の属性も分かんないけど、
そんな私でも丸の内と言われたらオフィス街なんだろうということぐらいは分かるから、
その辺は親切だなと思いますけど、村田さん、田舎の読者にも親切だなって。
この間さ、サル日本のちゃんとしたコンサルティング会社の社長と一緒に丸の内のあるビルのオフィスに訪問するっていう仕事があって、
でさ、丸の内って高層ビルがめっちゃたくさんあるんやけど、
そのビルの各階、各ブースに色々な会社が入ってるわけだよね。
で、会社によってはさ、ないわけ。看板とか。
丸の内オフィス街の探索
意図的に書いてないのかどうか分かんないけど、このドアが本当にその会社に通じてるドアかとか分かんないわけ。
案内がないんですね。
案内がない。一応さ、地図みたいなさ、マップみたいなのにはさ、そこがその会社であると表示されてたんだけど。
で、ただもうそのマップ上は明らかにそのドアだったから、一緒にいたの社長だからさ、僕がちょっと一歩先に出て、社長のためにドアをバッて開けたんだよね。先に入れようと。
社長が、ロコシさんよく開けられましたね。その勇気ないですって言ってて、丸の内かって思ったんだよね。
リアリズムありましたか。
リアリズムありましたね。
トイレを開けられるものと開けられないものみたいな。
わけが分かってないからね。丸の内分かってないから開けられたんだよね、多分ね。
知らないからできたみたいな。
できた。それを開けることによって何が起きるかみたいなことに何の想像も及んでいないからね。
そういうことはあるでしょうね。
その後別の人と合流して、丸の内のオフィス街を歩きながら、このビルの中にいろいろな会社があるのに、その会社のこと、どのビルに何の会社が入ってるとか全く知らないまま生きてるんだよね、僕って言ったら。
それ知ることに何か意味あるって言われて。
それもなんか、丸の内を知らねえな、僕はって思った。
丸の内知らない人が言う言葉だった。
そうだよね。
丸の内初心者、丸の内エリアの初心者。
エリアの初心者。丸の内のビルに何が入っているかを知らないっていうことを表明するっていう。
私は東京さえよく知らないから、よくわかりますけどね、その疑問が。そうだよね、と思いますけど普通に。
そうだよね、って感じだよね。
だからみんなどのビルの何階のどのオフィスにどの会社が入ってるかを知らずに丸の内に毎日やってきて、毎日自分のオフィスにたどり着いて働いてるのを、魔術的リアリズムだよねって感じよね。
確かに。
その中で働いてる人がさ、実は心の中で魔法少女に毎日なってるとかもさ、恐ろしいリアリティだよね。
丸の内魔法少女の物語
そう。
この話は僕はだから、そのSFっぽくない。SF的な、変容はすげーSFチックだった。けど、丸の内魔法少女はルポみたいだった。
そうですね、確かに。
ルポ丸の内って感じだった。
そうですね。
すごいね、私は丸の内魔法少女ミラクリーナ読んで、あ、すごい健全な話だと思った。
こうやって正気を保って、自分、それこそセルフケア的に、このようにして、社会の理不尽から身を守っているんだなって偉いなって思った。
そうだね。いい話だったね。
いい話だった。これは本当に丸の内魔法少女ミラクリーナ、いい話でしたね。ラストも清々しいラストだったから。
そうだね。晴れやかな気持ちだったね。
うん、晴れやかな気持ち。確かに魔法少女の話だったなっていう終わりでしたね。
うん。
これおすすめ、おすすめの短編集。これ何、2023年だったかな、24年だったかな。ちょっと前のやつ。令和5年だ。2年前。こんな感じですか。
こんな感じですかね。
面白い。
はい、怒っていきましょうね。
怒っていきましょうね。りん咲いていきましょうね。
世界がどれだけ変わっても、りんと咲いていきましょう。
はい。
はい。それではまたお会いしましょう。ごきげんよう。
ごきげんよう。