1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. その時は「変われない」として..
2025-12-04 45:04

その時は「変われない」としても【1289】


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サマリー

このエピソードでは、冬の訪れに伴う寒さについて述べ、精神分析における「転移」と「気まずさ」の概念に焦点を当てています。また、カウンセリングにおけるマッチングの重要性についても考察されています。気まずさや変容の可能性について考察し、話題が避けられる状況での心理的葛藤や変容を促す解釈の重要性について論じています。このエピソードでは、自己の変化や加齢への心理的適応がテーマとなっており、特に家族との関係性に焦点が当てられています。ルーチンの設定に伴う心理的変容が語られ、精神力動的な要素も取り入れられています。また、感情と情緒の変化について考察し、パンダお母さんの役割を通じて精神力の影響を議論しています。

冬の訪れと寒さ
おはようございます。 佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1289回をお送りします。
12月4日木曜日7時52分です。 いきなり
まあ 南関東
停床の話ですけど、いきなり寒くなりました。 なんか外出た時は1度とかあって
神奈川県で1度っていうのはかなり寒いんですよ。 ここは東北地方ではないので
やっぱりこう、しかも南関東なんでね。海減りはそこまであんま気温下がらないんで、今日はかなり寒い。
多分北海道、北東北は間違いなくふぶいてるレベルではないかと思うんですね。
まあ、熊騒動がありますからね。雪が必ずしも良くないってわけじゃないような気もするんですけどね。
どう考えても、熊自体の 生物としての性質が変化したわけじゃないでしょうから
当然、いずれにしても冬眠には向かうでしょうからね。 熊の冬眠の話はどうでもよくてですね。
寒いなと。関東も寒くなりましたと。ようやく本格的に冬かなという感じがします。
なんかこうユニクロで極暖とかだっけ?わかんないけど。 買わなきゃなぁと思っているところですね。
ここでやってる時も、だいたい季節の大半は
季節の大半はというのは何なのかよくわかんないんだけど。
なんか初めてコメントいただいた。おはようございます。 親近感が出てきました。ありがとうございます。
親近感が何によって分かれたのかわかんないですけど大変ありがたいと。
はい、ありがとうございます。 これが
ライブでやってることの妙味だなぁと思いました。
ライブでやったりやらなかったり。
同じ佐々木、本当だ。 佐々木すぐるさんと書かれていますね。これ言っていいのかな?わかんないけど。
私は佐々木翔子です。 東北には多い苗字なんですよね。
で、なんだろうな。
ライブでやって昨日もやりませんでしたけれども、タイトルが先についた場合は
これをやれるなという。今日はだからですね。その時は変われないとしてもというタイトルを。
これかなり文脈があるのでわかりにくいとは思うんですけれども、変容をもたらす解釈っていう言葉がもういきなり本題ですけど
あるんですね。精神分析の世界には。ストレイチーってそれほど日本では知られていないと思うんですけど
メラニー・クラインの前の世代人々で、一群という言い方おかしいですけども、そういう
比較的その後の対象関係論という、当時は患者さんと分析家の関係について
かなり早々に着目した一群の人たちがいた。結局2つモデルがやっぱりあると思うんですよね。
ここにいるのは医者で、そういうふうに医者って表記をしていた時代も結構ありましたから
フロイトも医者だというある意味認識を持っていて、医者と患者ってそこの関係なんてあんまり
むしろ重視しない感じのお医者さんだって今でもいっぱいいらっしゃるじゃないですか。
歯医者さんもそうで、歯医者さんと個人的に仲良しっていう感じってあんまり抱かない
抱く人もいると思うんだけど、抱かないですよね。小児科医さんなんかは割と
その関係って感じもないわけじゃなくて、やっぱりそこにはすごいハッキリとした違いがあるじゃないですか。
言ってるのは子供だってこともあるんですけど、時間も長くても5分とかだった場合、やっぱりそこの関係ってそこに
あんまりわざわざ着目しない。でも心理臨床ってやっぱり1回あたりの時間が長いし
すごく個人的な話に注視してる。そもそも話ですし、治療って感じよりも関係性の方が
浮かび上がってきやすいのは間違いないと思うんですよね。転移ってまさにそういうことだと思うんですよ。
だいたいフロイドみたいな人を見て父親に似てるなぁとぐらい思うのは別に専門用語を使わずともごくごく普通の感覚だと思うんですね。
私だってすぐそういうふうに、私のことだから、やっぱりフロイドに父親像を見ればあっさり不安になって、やっぱり何言われるかわかったもんじゃないぐらいには思うと思うんですね。
怖いっていうやつね。つまり虚勢不安ですけど、それはやっぱありますよね。これがすっごいあんまり見たことないですけど、
すっごい優しそうな女の人だったらやっぱりもうメロメロになっちゃったりしそうじゃないですか。そういうことはすぐ起きると思うんですよ。
これがどんなに優しそうで柔らかそうな感じの人でも歯医者さんとなってくるとですね、やっぱり私の少なくとも意識は女性、お医者さんの方には向かわずにもっぱら自分の歯の痛みの方に向かうということだと思うんですよね。
だから、あのー、今日はすごいコメントを入れられるな。そうですね、だからそうなんですよ。
あのー、会う会わないが出ると僕も思うんですよ。だからどうしてもそれこそ、すみません、このコメントを読まずに言ってるんですけど、
僕、流儀をよくわかってないんで、これとりあえず僕が読んでいるという感じで、感情論が入れられても会う会わないが出るだろうかっていうのはまさにそうで、カウンセリングってそうなるとどうしても思うんですよね。
感情論というよりは、やっぱりマッチングっていう話が出てくるってことはそういうことなのだろうなという感じがしますね。
あのー、ふとはだかいとさんがカウンセリングとは何かでマッチング、まあすごく彼はマッチングっていう話を強調されますけれども、会う会わないっていうことは、マッチングって会う会わないってことですもんね。
だからどうしてもそこはすごく長く付き合って、1回あたりの話も長い上にしてる話も濃密で、まあうちの子が勉強しないんですよとか、
あるいは今度の新しく来た上司がすごく厳しくてみたいな話ってどうしても個人的に聞くことになると思うんですね。もうここから先はダンスかなという感じがします。
なるほど。いや、コメント入れられたくはないです。コメント入れられたい、たい、たいって言いませんけど、コメント入れられたくはない。そういうふうな気持ちはないです。
で、この話、マッチングの話、つまり私はマッチングっていう話から
行こうとしてるわけではないんだけれども、ライフハックというものを考えてみたときには、一律で全く同じ方向で、なんていうのかな、
一つのライフハックは誰にでも聞くという前提でやるわけじゃないですか。ビジネス書ってそういうふうにしか書けないんで、実際そう書くんですけれども。
だけれども、これがワンオンワンとなってきて、さらにはセッションということになっていくと、徐々にやっぱりマッチングっていう感覚は出てくると思うんですね。
ただ、どういうマッチングになるかというのは、私がどういうふうに相手の人から見てですね、私がどういうふうに見えるかということによってやっぱり大きく変わってくるとは思うんですよね。
私が女性に見えるっていうケースすら極端に言うとあるんだけれども、少なくとも私は男性だから、最初はやっぱりこう、お兄ちゃんとかね、あるいは父親とか、そういうこう、これはつまり錯覚なんですけれども、ある種の。
この錯覚っていうものがでも自動的に機能していってしまうので、これがお医者さんの場合は少なくとも多少は入ってくると思うんですけど、
そうはしにくいと思うんですよね。でもやっぱり私がこう、このような仕事をしている時には、9時間話していますし、しかも繰り返し話しますから、当然その、なんて言うんですかね、
結構まあだから専門的に言ってしまえば、これが転移ってことになるんでしょうし、私は転移というふうに意識はしないようにしてますけれども、でもやっぱり転移で以外で説明するとなると、単なる錯覚みたいな言い方になってしまうので、やっぱり転移っていう説明になっちゃうんだろうなという感じがします。
で、そこでこの転移についての話をするかしないかってことだと思うんですよね。転移について話をするかしないかっていうのは結局のところ、これはもう一言で言うと気まずさみたいなものとの兼ね合いかなというふうに思います。先に言ってしまうと。
気まずさってのは、なんかこう、この種の用語にはなっていないし、そこら辺の言葉なんですけど、でも一番僕は転移解釈っていうことを、なんて言うんですかね、転移解釈というものについて考えるという時には、この言葉が浮かび上がってくる気がします。
ドイタケオさんの世界なんだな、ドイタケオさんが言ってるようなことに近いなと思うんですけど、やっぱり私たちは気まずいっていう、気まずい以外の、もっとこう深刻になってくるとちょっと大変なんですけど、とりあえず気まずいっていうことが、なんつーのやろうなぁ、今ここに関する関係についての説明というものを始めると、まさに気まずいっていうことが、
あのー、一番日本語としては出てきやすい言葉かなと、で、当然気まずいから避けたいわけじゃないですか。で、避けるべきときはいっぱいあると思うというか、基本的には避けるべきだと思うんですよね。これがその難しい感じがするんだけれども、藤浦直樹さんなんかが本に書いているのは、つまり転移解釈をする、それが変容を生む、つまりそこでのやり取りで、
ずーっと動かないものを動かすっていうことになってきたとき、それまでのその人が避けていたようなものに、まぁ結局直面させるっていうような話になってくるんだけれども、例えばずーっと気まずいから、やっぱり気まずいって言葉はあってると思うんですね、こういうときに気まずいから、もうここ何年も母親と話をしてませんというような状況があったときに、
カウンセリングにおけるマッチング
多分全く同じものが私の性別に関わらず、ちゃんとというか、濃くそこで人間関係を作り出せば、多分同じような気まずさがそこに現れてくるっていう話になってくると思うんですよ。
最初は母親と話してないっていうのが持ち込まれる悩みの相談ではないことも多いでしょうし、いろんな話をしていくんですけど、最終的にはきっと何年もお母さんと話してないですみたいな話になったときには、やっぱりそこに焦点がだんだんあってくると思うんですよね。
そのうちに、同じような反復、反復ですよね。やっぱり同じような事態があちらこちらで実は起きていて、決してその人はカウントリングの場にだけその関係を持ち込むわけではないと思うんですよ。
やっぱり気まずくなって疎遠になるとか、気まずくなって話をしていないとかいう人がチラリチラリとその人生の中で現れてくるということが何回か起きるっていうことがあると思うんですが、本人はそんなにそこは意識されない可能性も高いと思うんですよね。
だけどカウントリングってそうじゃないじゃないですか。結局週に1回とか、週に3回とか、週に5回とかになってくると定期的に同じような相方するから絶対にその気まずさみたいなものが再燃してくると、そこのときに話さないってわけにいかないでしょうから、母親とは何年も話してなかったとしてもカウントリングの場に行ってカウンセラーの先生と話すっていうことになったとき、話したくないみたいなことが大きい。
で、沈黙がずっと続くみたいなことが大きい。そして、そうやって沈黙がずっと続いていると、なんか話すのが気まずくなってくるみたいなことは起こり得ると思うんですよね。
これがつまり、この気まずさっていうのは割とあちらこちらにいろんな形であって、例えば上司との関係で気まずいとか、部下との関係で気まずいとか、だいたいある種の沈黙が走るとか、あるいは特定の話題については触れないで、話を弾んでるように一見見えるんだけど、特定の話題については全く触れないで、で、その人との関係は続いているんだけれども、
明らかにお互いが触れない話題についての意識は共有しているみたいなことも起きると思うんですよ。
例えば、まあ、例えばですけれども、今たまたま思いついたんだけれども、そうだな、私が誰かに請求書を送り忘れていたと、で、その請求書についてはそれなりの金額がもらえることになっているはずだったんだけれども、
やっぱり、それなりの金額がもらえることになっているはずの請求書を出していないと、で、これについての言及をするのが、そもそもその請求書を出すべき相手ですよ、気まずいっていうようなことが、これはもう非常に真相的である必要は一切なくて、表層的な心理ですけど、しかし、その請求書を結局出さないままにしておいて、何年か経っちゃいましたと、
で、そのことは忘れてませんけれども、もう話題にすることもなくなりました、みたいなことが起きたとき、なんかやっぱり気まずさってものを、なんかその、あれですよ、その話に出そうになったときには気まずさってものを感じるような気がするんですよね。
っていうか感じますね、私ならば。で、相手の人もしばしば感じますよね。この人なんか言いたいことあるんじゃないかな、みたいな感じを持ちながら、お互いにそれとは関係のない話を、なんかこう、しらじらしくって感じでやっぱりなるんだよな。しらじらしくお互いに話している。つまり、一方では気まずさというものを意識しながら、他方ではしらじらしく話すっていうことが起きるんだと思うんですよね。
で、こういうことが起きたときに、なんていうのかな、こういうことは起きるんですけれども、間違いなく。で、こういうことが起きたときに、その、私たちは多分、カウンセリングみたいな、カウンセリングってそういう気まずさが本来全く最初はないままやってるわけじゃないですか。やってるはずなんだけれども、なんか似たような気まずさに遭遇すると。
で、さらに一番理想的、理想的ではないんだけど、ありそうなことは、同じような事態そのものが進行することがあるってことなんですよね。これはもう教科書的な話であって、実際のカウンセリングでそういうことがバンバン起きるって話ではないです。そういうことは多分僕はありえないと思うんですよね。
ただ時々は起きると思うんですよ。やっぱり。つまり請求書というものを、例えば、どっちでもいいんですけれども、書き間違えるとかね。私は請求書書いてませんけれども、精神分析の場面で昔は紙と財布からのお金の出し入れをやってましたから、請求書とか領収書とか、領収書って多分今でも書くんじゃないかな。
私、心理カウンセリング受けに行ったときもらってたんですよ、領収書。で、この領収書というものが今はデジタルだから書き損じってないんだけど、書き損じるみたいなことが起きたとき、この請求書を出してないということを過去に持っていて気まずくてそのことを言えずに来ていたみたいな人がそういうものを受け取ったときって必ず心が揺さぶられるっていう体験をすることになると思うんですよね。
こういうのが反復みたいな話だろうと思うし、再演というふうに言われることもあるし、あれですよね。つまり劇が再演されるみたいなそういう話ですよね。
いずれにしてもそこで何か変容をもたらす解釈があるというよりは、そこについて適切な解釈というのか言及がなされれば、何か心は動かざるを得なくなると思うんですよ。
変容の可能性
この辺の話が、ただ藤浦直樹さんは週に1回でもそういうことが適切にポンポン起きて、そして非常にそれをつかみ取るっていうことが果たしてそんなに簡単だろうかっていうような論を立ててるんですよね。
週に4回ならばそういうことは起きるだろうし、しかもそういうのもすごいあからさまになって見つけやすいだろうけど、少ない回数でも起きるだろうかみたいな話があるんですよね。
でもそれは精神分析の世界の話であって、なるほどそうなんだろうなと思うんですけど、でも今の世の中ではカウンセリングって週に1回ぐらいなもんじゃないですか、普通に考えれば。
それどころかおそらく各週とかいうのが自然だと思うんですよ。自然じゃないかもしれないけど、各週っていうのもいっぱいあるだろうし、私の知ってる中でも月に1回みたいな話も普通にいっぱいあるわけですよね。
そうすると、とてもじゃないけど、そういう話をしたとしても、そういうモデルみたいなものがあったとしても、まんまそれが適用できるかどうかはまた別の問題っていう話もあるだろうと思うんですよね。
で、それはまあそれでいいとして、それは要するにいわゆる正規の話ですから、私が考えなきゃいけないかなと思っているのは、当然転移みたいな概念を使わずに、しかも変容をもたらす解釈、つまり変化をもたらす解釈、つまり変わるということが可能なんだろうかっていう話になったときに、
で、私がやってるのは、やっぱりベーシックには週に1回ですから、ここで藤山さんのような話を入れるにしても踏まえるにしても踏まえないにしても踏まえちゃうっていうか、少なくとも念頭に置かざるを得ないっていうことはあるにしてもですね。
週に1回で、しかし基本的には仕事というものに自分が適応していく、そこにストレスがある、ストレスはやめよう、抵抗があるというようなときに、変容っていうのは自分が変わるっていうことですけれども、
私はまず最初にはサクッとはお勧めしないんですよ。変容というものを目指すというような話であるならば、やっぱりこう、なんか新しいツールを使うとかそういう話でもとりあえずいいと思うんですよね。
変容するということが目指してできるぐらいなら、まあ、とっくになさっていて、朝起きるのが大変だとか、会社に行くのが辛いから、あるいは特定のすごく年上のおじさんみたいな上司になぜか自分はビシビシ言われて、自分だけ言われてるような気がするとか、そういう話になっていったときに、変容、つまり、
例えばそれが大丈夫になるとか、そういうことを言われても気にしなくなるとか、そのことは目指してできるようにならないような気がするんですよね。だから、言われたことに対してきちんと対応できるようにタスクシュートをお勧めしますとかなら、私ももうとっくにお勧めしているわけだけれども、
それをやったからといって、その事態に対する免疫性がつくとか、耐性がつくとか、そういうふうにはなかなかいかないんじゃないかなという感じが、私自身のことを振り返れば思うんですよ。
で、週に1回どころか、今は100日チャレンジで100日に1回という方とお話しさせていただいてるんですね。この方はもう2回目っていうのは原則ないわけですから、もちろんあるかもしれませんけれども、原則としては2回目というものはないわけですから、1回きりなんですよね。
日常生活の中での対話
で、これは一体私がやるときどういうふうにやるんだろうと、青い写真が全くないわけじゃなかったけど、一方一方がお話しされる内容はもちろんワンオンですから違いますし、今回に限っては100名はいらっしゃらないけど70名近くの方が基本的にいらっしゃる予定なわけですよね。
そうなってくると、全てに対応する特定の方法論を私が持てるはずはないわけですよ。
で、いわゆる転移解釈からの変容性をもたらす解釈みたいな、つまり今ここの2人の関係というものを色濃く意識して、その関係について何かしらうまいこと言及すれば相手の方が変化して動いていくっていう話にも一切ならないわけですよね。
それは長期的な視点に立った場合の話で、それも少なくとも3ヶ月では無理な話で、1年2年ないし5年みたいな話じゃないですか。週に4回5年となってくると、そういうことなのかもしれないけれども、100日に1回だけでそんなことが可能なはずないですよね。
こういう時に私の中にある、いわゆる力動系ってどういう意味を持つんだろうというのを考え考え、今10名ぐらいの方とお話しさせていただいているわけですね。あと50名ぐらいの方とお話しすることに今後なる予定なんですけれども。
この時に私はもちろんお話を伺って参加動機も伺って、それに対応する話をさせてもらうんだけれども、実際そうしてますけれどもこれまでは。
例えば場合によっては50分の間ほぼタスクシュートクラウド2の使い方の話に終始するということもあります。もちろんそれはそれで全然いいわけですよ。
これを聞かれることがその時の一番の満足に直結するわけですからね、そういう場合。でも、しかし、変容云々はもちろん論外です。
変容するのかしないのかをその人が求めているのか求めていないのかすら1回で全てを明らかにすることは不可能ですからね。
変容云々はもちろん論外なんだけど、このタスクシュートの操作性について、例えばどこでルーチン設定をするのか、ルーチンの頻度はどうやったら変えられるのかと話していることはこういうことだったりするわけですよ、本当に。
エクスポートするためのメニューはどこから出せばいいのかとか話しているのは本当にこういう感じで画面を共有して、それはここですねみたいなことを言っていくというサポートセンターみたいにも見えかねない雰囲気なわけです。
ただそうであったとしてもですね、例えばその人の画面を拝見させていただいて、そっかここで時間あたりのここのところでタスクシュートを使っていても飛ぶんだなみたいなことは認識できますよね。
認識させられてしまうんですよね、私の場合タスクシュートを使っていると。私のセクションだったらここからここの間に飛びは絶対入らない。僕もあれですよ、つけ忘れるとか飛ぶっていう時間帯ってあるんですよ。
でも例えば朝の午前中と午後のこの11時から2時の間が飛ぶということは決して起きない。でもまあ普通に起きるよねそれはねっていうことはあります。ここで飛ぶってことはどういうことなんだろうっていうことが頭の中を駆け巡り始めるんですよね。
でその駆け巡り方は以前と何も変わってないです。以前というのはつまり私が2010年とか2005年とかビジネス書を書き出した頃から私の頭の中でそれが駆け巡ると駆け巡り方は変わっていませんけれども、
力道的に駆け巡るんですよ。力道的に駆け巡るようにつまり駆け巡り方は変わらないんだけど、力道的な意味を持つようになったんですよ。もちろんそれについていきいき解釈するなんてことはありえないし言及も全くしないですが、
でもここで自分がこれを見るということはつまり母親なんだろうかというようなこと。母親なんだろうなぁみたいな感じっていうのはかつては絶対に抱かなかった感触なんだけど抱くんですよ。
で、そうしていくと何が起きるかというとこの方ともし週に5回は絶対になるんだけど仮にですよ。週に5回1時間ずつ話していって3年経った時にはきっとっていうようななんか濃厚な何かがですね。
濃厚な何かがものすごくボリュームとして説明になってないのは恐縮なんですけど、実際そういう感じなんですよね。なんか濃いミルクがうんと遠くにあるみたいな感じ。なんか3年後にこの濃いミルクが出てきますみたいな感じ。
これは漢字なんで他にうまい使い方ができないんで私が今言ってることっていうのはつまり精神力動的な観点を持ちながら人と話をするということは基本的にはその観念を持たずにどっちがいいとかは全くないです。
良いも悪いもないですが、松木くんひろさんが最新の本の中で奥様のそういう力動的な動きを読むんですかって書かれて質問があったんですね。読みまくりですねっていうふうに彼は答えてたんですけどそうだろうなって感じがするんですよ。
一方で精神力動みたいなことを知ってるからって家族で解釈すんなよみたいな話が多々あるというかそれは常識なんだけどそりゃそうなんですよね。だから解釈するということはありえないと思うんだけどでも見えちゃうものは見えちゃいますよねっていう話です。
あの私はまだ50過ぎましたから私はまだと言っておきますけれどもあの妻がですねえっとこれも非常に困ってはいないんだけどまあ困っていいような話なんですが
抜け毛を剣にするんですよ。申し訳ないと言うべきなのか何がどう申し訳ないのかわかんないんですけど結構髪が抜けてまいりました。でもまあその見た目はまだねそれがわかっているっていうレベルではないんですけれども抜けておるわけですよ。
抜けてるなーと最近全く気にしないってわけではないんですけれどもでねえっと一時なんですけど今はそうでもないですけど劣化のごとく怒られるんですよ。本当にあの様相が違うみたいな感じがね。
でまあそのしょうがないんで本当に私は全くしょうがないんでっていうしょうがない以外の気持ちが一つもないんですけどあの美容院に美容師さんに相談して相談したいというモチベーションが1ミリもないんだけど相談してそうすると絶対そういう展開になるよなと思うんだけれどもあのこのシャンプー使いましょうみたいなもちろん別料金になるわけじゃないですか。
でそんなにお安くもないわけですよね。いや気が乗んないわーみたいな感じなんだけどでも奥様はやりなさいっていうこうねいうわけですよ。やんなかったら家に入れないからねぐらいな勢いなわけですよ。
自己の変化と心理的適応
でも本当にこう情けない気持ちになるんだけどいやそもそも何がどうこの場に情けないのかわかんないんだけどなんとかクリームみたいななんとかなんとかローションみたいないやー全然これを塗ることによってますます抜ける速度が早まるのではあるまいかっていう懸念をね。
持ちながらこうやっていただきそしてそのまったく気の乗らないものに追加料金を支払ってあのしかもその公釈をされるわけじゃないですか。
医学的に説明がつく特別ななんとかであってっていうその医学的な説明も伺うことになるわけですけど。医学的に説明がつこうがつくまいがあの塗らないでくださいって言いたいんだけど塗ってくださいって言わなきゃならないっていうこの非常にこう困った状態。
別に心臓心理とかでもなんでもなくてめちゃくちゃ表層にあることを意識してるわけですけどただですね2013年の段階では私はいやもう本当勘弁してくれそんなことやってらんないしみたいに言ってたんだけど現段階では年を取ったということはもちろんありますよ抜ける髪の数も増えてきたということもありますがしかしはいわかりましたやってきますって言えるんですよね。
これが力動的なものがあの念頭に置かれた場合の関係性の変容だと思うんですね。ここに別にその変容をもたらす解釈とかがあるわけじゃないし転移解釈をしてるわけでももちろんないし私と奥さんの間だから解釈とか一切したことないですしただ見えるってことはあるわけですよ。
いや何が見えるのさって言われるでしょうけどそれはね私の岐阜の頭が見えるわけですよ。もちろん知ってましたよ。もちろん知ってました。それは会った時から存じておりましたし10年も経てばですねそれは年齢が違いますからうちの父はもともと坊主なんですよ。
したがってうちの母にせようちの妹はあんまりもともとそうか。でもまあうちの母にせよこれについて笹木家で特別言及するいかなるモチベーションも誰も持ってなかったわけですね。だって神ないんだもん父親には最初から。
まああるんだけどさちょっとでも伸びてくると早々にテカテカにしないと怒られるとか誰が怒るのか知らないけど怒られるらしいんですよね。だからある意味あれですよ間もなく80になる父はですね私がかつて見た中で一番髪がフサフサしておりまして坊主クビになったんでフサフサしておりましてしかし誰もそれについてわざわざ言及はしないっていうか切ってこいよみたいなノリになってますけど誰もそれも言いませんけどねわざわざね。
変に見えちゃうんですよあの坊主じゃなかったことがない人の髪の毛が微妙な伸び方をしているだけだとですねその不思議な感じがしちゃうんですよ家族の人間だからそう思うんですけどねこれはもちろんね家族じゃなければそうは思わないから全然いいんですけど家族は見たことがない光景だからそれなんか違和感を持っちゃうわけでまあ持たないんだけどね母も何か言ってるの聞いたことないしね。
わかったわけですよ。何がわかったのかと言いますとそうかなるほどうちの奥様はこれを恐れていらっしゃるんですねっていうねこれは真相真理じゃないですけどもちろんでも力道が見えることで変容性って起きるんだなということの一つですよだって私あんなに嫌だったのに今でも嫌ですけどなんかもう何も言わずに追加料金を払って聞くんだか聞かないんだかわからないものがいっぱい頭に塗りたくなってきちゃうんですよ。
ただ私が同じようなファッションになってしまうということに対してはすまないんですよ。
ただただ私が同じようなファッションになってしまうということに対してはすまんはもう何かこう少なくとも私が考えるレベルではちょっとありないぐらいにはそうなんです。
話をしているうちにすごくわかるんですよ。
例えばお母様はむしろ早めに亡くなりになってるんですけどそのお母さんに対してお母さんに比べればうちの妻はお父さんのことが好きなんですけどもしかしながらそのお父さんのお母さんに対するべったり生活依存感はむしろ非常にある種許しがないものがあった。
ああいうカップルと同じようなカップルになっていくということに対する意はここが無意識なんですよね。
無意識の恐れは強いんですよね。話を聞いているだけでも十分に伝わってくるわけです。
そんなことは別段力度とか関係なくわかるそうなものなんだけど僕にはわからなかったんですよ。
僕はそういうことにうといんでどっちかっていうと何を言わんとしているのかがさっぱりわからない。
言われることは抜け毛が多いということですから。
そうなのかもしれないんですけどそんなに同世代に比べて多いかっていうとそこは美容室の人って専門家じゃないですか。
だから聞いてみたんだけどいや佐々木さんはどっちかっていうと少ない方ですよねみたいな。
でもそこも商売なんであからさまに少ないって言うとそのローションやめちゃうじゃないですか。
だからいや多くはないと思いますけどみたいなことは言われるんだけど
でも対策を打つ必要は絶対あると思いますからっていうノリになり
今みたいには言わないですよ言わないけど要はそういうことなんですよ。
まあいいんでしょうね対策と言った方がというような心理的変容が起きてます。
これは力度から来るものです間違いなく力度的な解釈から来るものです。
確かにそうだろうと確かにそうだろうとは言わないまでも
でもやっぱりだってライフハックの中にだって十分あるものじゃないですか。
髪の毛のなんとかなんていうのはライフハックで全然対応できると思うんですよ。
以上のようなことを一切考量に入れなくたっていや嫌でしょだからやるでしょ当然
そして一番いいのを選ぶならばこうでしょうっていう
そういうロジックで行くこともできるわけじゃないですか。
でも僕はそうは少しも思わなかった別に嫌じゃないしって思ってた。
だってうちの父はずっとそうだったし別に私自身はファッション的にも顔的にも
少しもイケてると思ってませんからっていうか全くイケてないと思ってますから
そこは全然そんなことがそれほど重要だとは
私自身にはどうしたって響かなかったわけですけど
今は全く響いてないにもかかわらず
それは何か納得がいっちゃうわけですよね。
いや私はあれですよニフとギボのようなカップルが良くないとはさらさら思わない。
全然いいじゃないか。いやいやそういうのは男の勝手な言い分なのかもしれない。
しかしながら少なくとも奥様が感じているほどのものは私が感じようがない。
うちのカップルは全然タイプ違いますしね。
うちの両親の実家の方ね。まあ違いますしね。
どっちもまだピンピンしてますし。
だけどタイプが違うのは間違いないしそういう感じを抱かない。
けれどもうちの奥さんがあれを非常にああなるのは避けたいっていうのを
ずっと力強く、だから力なんですよねやっぱりね。
持っているのは分かる。分かるようになった。
分かるようになったのみならず見えるようになったんですね。
言葉の一つ一つの意味が一つ一つの人がこういう不可解だった言葉のね
ルーチン設定と心理的変容
紙に抜けることに対してね。
非常に手厳しいとかそういう言葉の一つ一つの持つことの背景というものが
分かるというよりは見える。
昔から見えてたんだけど意味を持ったものとして見えるということが
分かったんですよ。
で、それが分かりながら話がようやくぐるーっと回って戻ってきたんですけど
100日チャレンジの人肩を人肩とのやり取りの中でもそういうものが見えるわけじゃないですよ。
一回だけだから見えもしなければ分かりもしないんだけど
意識はするようになっているわけですよ。
この意識を持ちながらルーチンの設定についてお話しさせていただくのと
この意識がないままルーチンの設定についてお話しさせていただくのと
この意識がないままルーチンの設定についてお話しさせていただくのと
この意識がないままルーチンの設定についてお話しさせていただく場合は
ルーチンの設定に関して言うと何も変わらないです。
1ミリも変わらないですけど
でもその時に伝える声のトーンとか調子とか
私の強調点とか力強さは変化します。
まあ端的に言いますとマイルドになっています。
つまり以前だったらやるということはやるということを
やらないことはいいしやった方がいいこととかやるかもしれないことは
載せないでくださいっていうあたりが強かった。
強調点として。もっと強く言ってた気がします。
今ではやりたいことを入れたければ
それはそれでっていうようなニュアンスになっています。
これはタスクシュートについての考え方が変わったわけでは全くないです。
何も変わってないし
まあどっちかっていうと絶対やることだけを置いた方が
という感じにはなるんですけれども
つまりどっちかというと
絶対にやることだけを置いた方がいいことに
何の変わりもないんですが
トーンは変わるんですよね。
やった方がいいことも起きたいという
力度が伝わってくるんですよ。
なぜならばっていうのが
その人の持つ家族歴生育歴
というものを見ていきたいという
見ていきたいとは思わないんだけど
見ないまま意識に入れるということが
すごく難しくなったんですね。
例えばうちではメダカ飼ってますって聞くと
メダカねーみたいな感じから
そっかだから
メダカに餌をあげるっていうルーチンは
早く入れたいですよねって
いう感じに
以前だってなってましたよ。
以前だってなってたんだけど
そのことが例えば家族的なものとして
メダカを見るとか
あるいは何かもうちょっと違う観点で
見ているということが
スムーズなんですよね。
スムーズに入ってくる。
そこを一生懸命想像力を豊かにしようとか
する必要が一切ないんですよ。
サクッと入ってくるんですね。その辺が。
自分だったら
例えばクマのぬいぐるみとか
うちはパンダお母さんと名付けられている
パンダのぬいぐるみがあるんですけど
パンダお母さんの座る場所とかを
すごく早々に我が家の間では
話題になるわけですよ。
どこでもいいことじゃないですか。
ぬいぐるみの置く場所なんて。
つまりそういうことなんですよ。
パンダお母さんですからね。
名前がついてますからね。
うちの子がうんと小さい時から
パンダお母さんだったわけですよ。
うちの妻が
バイオリンとかのレッスンする時に
ああいう楽器って何なんですかね。
めちゃめちゃ厳しくなるんですよね。
急になんでそんなに変わるのっていう。
私だからしょっちゅう止めてたんですよ。
いやもうほんと勘弁してやってよ。
ちっちゃいじゃん。ちっちゃい子じゃん。
バイオリンなんか弾けないよみたいな。
そういうまた極端な言い方です。
その時に面白かったのが
パンダお母さんが
そうよとかって言い出すんですよ。
そばでですよ。
私びっくりするんですよね。
何度もびっくりしました。
そんなの当たり前じゃんって
言われるかもしれないけど
当たり前じゃないんですよね。
だってレッスンの時に
あんなに怒ってた人が
その自分を止めるための声を
パンダお母さんの声に通じて
これ完全に僕は精神力動的な世界だなって
思うんですけれども
精神力動ってまさに
ああいう世界のことを言ってるんだと思うんですよね。
これをマネジメントというのか
解釈というのか
変容をもたらす解釈というのか
っていうのは微妙な
全部違うと思うんですよ。
全部違うんだけど
パンダお母さんと情緒の変化
微妙な差でしかないような気もします。
だってそこで言及するかしないか
そこがまさに訓練を受けた
分析家の腕の見せ所なんでしょうけど
だけどもここで
例えばパンダお母さんの声で
それを言うのか言わないのかって
やっぱりタイミングとか
いろいろあるじゃないですか。
ただ言えばいいって
もんじゃないじゃないですか。
しかもそれを言ったからなんだって
話じゃないじゃないですか。
娘なんか言ってましたもんやっぱり。
だってパンダお母さんだって
ママじゃないかっていう
そういう当然の議論をしていたわけですよ。
でもやっぱり
うちの妻もなかなか
その辺になってくると面白いですよ。
いや違うわよっていうわけですよ。
パンダお母さんがね。
そしてうちの娘やっぱ
泣き止むんですよね。
そういうわけじゃないですか。
結局精神力動的なものによって
情緒は動くんですよね。
泣いてる子が泣くのやめるわけですから。
そういう情緒の変容というものが
間違いなく我々は知ってるという風に
私は思うんですよ。
だから気まずいという
さっきも言いましたけれども
例えばその請求書の話ができなくて気まずい。
そういうのって
研究する
カウンセリングする
コーチングするならば
多分全てそれについて
言えるようになりましょう。
だと思うんですよね。
私もそれをよく求められるわけだし
1回きりならそう言いますが
でも5年
5年はともかくとして
もっと長い目で見れば
長い目でっていうのは
3ヶ月なのか6ヶ月なのか
9ヶ月なのか12ヶ月なのかは
わかりませんが
長い目で見れば
違う大事なのは
そうなんだって
思うんですよ。
今日はこの辺にしておきます。
ありがとうございました。
45:04

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