タイトル考えるだけで時間がどんどん経過していくのがあまりにもバカバカしいというか、全くそのことに私は前向きになれていないのに、それをただ要求されているうちに寝ちゃいたくなっちゃうんで、これを取った後寝ることが多いんですよね。
もうそういう感じです。お知らせはあんまり残念ながら今はないんですけれども、3ヶ月チャレンジも12期過強に入ってきましたし、100日チャレンジも12期スタートいたしまして、ワンオーワンオーお一人お一人お一人、私は今進めている伐採中で、今日もあり明日もありという感じなんですけど、
これはですね、やってよかったかなって思っているんで、私だけがそう思っている可能性もないわけじゃないんだけど、とりあえず第1期もこの何らかの形でこれは残そうというふうに思いました。
2回目と1回目ではね、1回目とりあえず経験してみたいっていうのと2回目やってみたいかどうかは全然違うんですけど、2回目で激減したら中止にしますけれども、とりあえずはやってみようかなというふうには思っております。
で、100日チャレンジ第12期、3ヶ月チャレンジも第12期はちょっと紛らわしいなとは思うんですけど、今となってはちょっとしょうがないんでね、同じような時に同じようなこと、全然違うんですけど、タイトルだけはやたら似たものを始めちゃったんで、
まあちょっと100チャレが先なんで、ちょっとそこは申し訳ないなと思ってはいるんですけれども、でもだからといって今更このタイトルを変えるには3ヶ月チャレンジはチャレンジで、それなりにここに意味を認めてしまいましたからね、3ヶ月であることには大きな意味があると思うのと、チャレンジといえばチャレンジだよなと、何にチャレンジしてるんだってちょっとややこしいんですけどね。
まあそのあれですね、心に向かうということですね。
でこの心に向かうなんですけど、この辺から本題かな、心に向かうというタイトルでもよかったな。
あの、遠畑海斗さんのカウンセリングとは何かな、あの図をね、あの本やっぱあの図が秀逸なんだなって最近思います。
とはいえあの図はフロイドの図が横になっちゃってるんですよね。横にしたのは一つのエポックなのかもしれませんけど、横になってしまうとね、外界が右方に展開するってことになるんですよね。
別に外界が右方に展開してもいいんだけど、外界が右方に展開する、じゃあ左方は何なのって感じ。内界なんですけど、左が内界で右が現実って必然性が何もないじゃないですか。
なんかちょっと引っかかるものは感じますよね。やっぱり私たちにとって現実は情報にあると思うんですよね。
なぜならば、やっぱりあのフロイドの心の図というものはですね、母子関係がメタファーに入ってるわけですよ、なんだかんだ。つまり立ってるのは赤ちゃんというか幼児なんですよ。幼児にとって世界とは情報にあるものじゃないですか。
やっぱり右方にあるので右側に世界がありますって、なんかちょっと現実としてどうかと思うんですよね。情報に上の方に世界が展開し、心はやっぱり自分の中だから下の方にあるわけですよね。
特に下半身ですよね。えっと、だってやっぱり私たち二三歳児の時って多分に下半身か口周りか、だから肛胃か肛門かということはそういうことなんだけど、しか意識してないぐらいだと思うんですよ。
食べる、飲む、おっぱい飲む、泣く、全て口でやることですよね。一方でやっぱりトイレトレーニングが子供にとっては重要ですよね。おむつ締めてるわけですからね。
だからやっぱり下方に心があり、上の方に世界がある。そして上には自分を押さえつけてくる親という、そして自分の面倒を見てくれる親という、自分が大好きな親という、自分が腹が立って仕方がない親という、全部上にいるわけですよね。
この上にいるってこと自体が象徴的だし、非常にこうある意味煩わしいことじゃないですか。自分は上の方に手も届かない、上の方に強い人がみんないて、上から押さえつけてきて、上に抱っこしてくれて、そういうことなんだと思うんですよね。
だから世界は上にあるわけですよね。決して右にあるわけ。右なら右に行けばすぐ話なわけで、行けないっていうのが天上界というものの、まあ雲上人とか天上人とか言ったりしてますけど、子分でも、行けないっていう、だから我々はやっぱり空の彼方に憧れちゃうわけじゃないですか。海の彼方に憧れる人もいるんですけど。
私結構ドラえもん見てね、あのドラえもんってやっぱ、何ていうのかな、昔の人が偉かったのか藤子富城さんがやっぱり大人だったのか、子供向けの話なのにやたらと地底人が出てくるんですよね、あの話。いやータケコプターでしょう、やっぱりって。私なんかは思っちゃいますけどね。なんか地底に何かがいてもそれはろくな感じがしないじゃないですか。
なんて地底っていうのはやっぱりうんこが落ちていくところですからね。地底人ピンとこんなっていう感じがするんですよね。情報にはやっぱりいいものがあるから、やっぱりタケコプターで空を飛びたいわけですよね。空を自由に飛びたいわけですよ。それは大人になりたいということでもあると思うんですよね。
今日は少しいい話みたいになっちゃってますけど、別に何を考えてるわけでもないんですけど、何の話かと、あれを横に転がしたのはまあ確かに秀逸なんですよ。それをすることに何ができるかというと、やっぱり大人の世界が始まるんですよね。右側に世界が展開するというのはそっちにホイホイ行ける大人の感覚なんだと思う。つまりカウンセリングが結構大人向けなんですよね。
昨日のあまりポッドキャストは聞かれておりませんけれども、10名とSTIFEで、10ってなんかもうヤバい人じゃないですか。1200回もやってて、10っていうのはどうなのかと。STIFEだけでも200ぐらいやってるはずなので、10ですからね。ヤバいですよね。反省せずにやっていくわけですけどね、こういうところはね。
1000回ぐらいで悩んでちゃダメだなって思うんですよね。やっぱり5000回ぐらい行っても10なら悩む必要があると思うんだけど、1000回ぐらいで悩めてもしょうがないかなと。私は決してそんなに超有名人というわけじゃないわけですからね。
で、無法に展開すると。何が無法なのかというと現実なんだけど、そこで現代のカウンセリングのあそこには特徴が全部大体書いてあるんですよ。それが素晴らしいんだと思うんです。心と現実の接点、つまり我々からすれば、例えば会社、例えば電車、現実に出ていくとき、心というものが動き出す。
そして電車に乗るのが辛いんです。会社に行くのが辛いんですっていうのをカウンセラーにお話しする。つまり接触面について我々はカウンセラーにお話しする。接触面があるということは接触できるということですよ。
タケコプターは我々持ってないじゃないですか。空は自由に飛べないじゃないですか。空と私たちは接触しないわけじゃないですか。憧れるのが精一杯ですね。憧れって心を反映してますからね。空に行くことはできないんで。我々が行けるのは会社とか電車とかそういうところなわけですよ。そこはいつも悩みの種になってるわけですね。
うちの娘が言ってた大手の塾でも、やっぱりPDCAの図がまんま書いてありましたからね。プランを立てて志望校まで逆算して、どのような計画を夏休みに何を勉強し、冬休みに何を勉強し、いつ頃志望校の過去問をやり始めるといいのかって、詳細に埋めていく図があったんですよ。
うちの娘は埋めませんでしたけど、それは僕の本とかを片っ端から読んでたら埋めるようにならないだろうなと思うんですけど、やっぱりならないですよね。で、やっぱり埋めないうちの娘には認識の変容を迫るっていう圧はちゃんとかかってきてましたからね。
一歩間違えばですよ。うちの大手の先生は言わせんでしたけど、こういうのちゃんと埋めないからあなたは第二志望にしか浮かなかったんじゃないの?みたいな、そういうノリってありますよ。10歳児に対してもあります。
これはやっぱり認知行動的なものが一つのピークを迎えつつあるんだと思う。私が中学受験した頃は先生スパルタだったけど、ああいう感じではなかったですもんやっぱり。あそこまでエビデンスベースの人間の行動を変容させることで子供の成績を伸ばすんだみたいな、ああいう発想はなかったです。
今の方がはるかにシステマティックに行われて、その分競争は激化してます。子供の数も少ないしね、奪い合ってますからね、私立はね。超一流の、というのか要するにトップの3校とかはさすがに子供がいくら減っても倍率が1倍切るなんてことはないでしょうけれども、いのき並み下がっていくんで、私たちの頃に比べると子供の数が異様に少ないじゃないですか。
私なんて板学校に1学年で350人もいて、1クラス50人ずついましたからね、たまったもんじゃないというぐらい教育パンパンでしたからね、今は絶対そういうことないですよね。50人学級なんて考えられないと思うんですよ。担任の先生1人しかいなかったし、話が盛大に逸れてきていますけど、話を元に戻しつついくとですね、心に向かわないわけですよ。
実は行動に向かう。認識に向かう。物の見方に向かう。そして薬を入れる。で、あとはマッサージ。体に触れてトラウマを癒す。だからこれが効けば、そっちの方がしかもアメリカのなんとかという博士が研究したカントカという話に、証拠に、エビデンスですね。
よるとって話をして、そしてタッピングをしてトラウマがなくなるなら、それに越したことはない感じがするじゃないですか。そこに子供時代の目線からすると、戸棚がどうこうで、その時にある安心毛布をかぶると母親を思い出してっていうように、心の世界に入っていくというのはですね、それ自体がまどろっこしい感じがするでしょうし、
実際そういう方法で、5年の分析を経て終結を迎えたとか、5年?みたいになるじゃないですか。いや、明日会社に行きたいんですけどっていうようになるわけですよね。
明日とは言わないまでも、このプロジェクト今なんとかなんで、あと2ヶ月のうちには自分元気になっていたいんですけどってことになるわけですよね。この時元気と言っている元気は、体がスイスイ動くっていうニュアンスをやっぱり取りやすいんだと思うんですよ。
体って私からすると、特にこういうホワイトカラーの仕事のプロジェクトなどというのは、少々体を使うものであったとしても、スイスイ別に動かなくったって、なんとかなんとか動いていればなんとかなんとかなると思うんですよね。
私原稿書きますけど、動かなきゃいけないのはせいぜい手先ですからね。もちろんそれは体全体が健やかである方が原稿も進みますけど、正直言って原稿を書くとか、ワンオンセッションするとか、口が動けばなんとかなる仕事なわけで、そんなに体がスイスイ動くっていうことは実は望まれてるとあんま思えないんですよね。
夜すぐ寝られれば十分だと思う。これがまた簡単じゃないんですけど。夜すぐ寝るっていうことを皆さんご希望になるから、やっぱり眠剤ってものができるんでしょうし、マッサージとかタッピングとか全て体に向かう。そして睡眠とは行動だと思われている。
心って言うから、睡眠ではアルファ機能で夢思考とかって言い出すんだけど、そんなものに興味を多くの人は持ってないわけですよね。私は夢を見た睡眠と夢を見なかった睡眠では、睡眠は全く、これをもう皆様は睡眠の質とおっしゃるんですよね。私は質では全くないと思ってるんだけど、夢を見るってことに意味がある。これは行動じゃないしね、私からすると夢を見ることは決して行動じゃないし。
で、夢を見た方が睡眠の質が良いのか悪いのかという議論には私は何の興味もないんですよ。そんなことは全然関係ないだろうと思うので。夢を見るということが、やっぱり安全なところで私の情緒をどこまで動かせているかっていうこと。
そして、安全なところで私の危険な状況的な何かの心における消化活動というのかな、消化機能がどれぐらい働いているか、こういうのは全部心の問題だと思うんですけれども、行動でもなければ体の問題では絶対ない気がする。夢ってだって私別にベッドで見るとは限りないですもん。昼日中に仕事しながら夢見ることもありますもの。
というか見てます。で、そういう時に見ている夢っていうのが集中力を欠いていて無駄だっていうふうに人は思うらしいんですけれども、夢を見なかったら仕事できないと思うんですよね。どう考えても夢っていうのはビジュアルという意味ではないですよ。
ビジュアルという意味ではなくて、どう考えたってまず我々は外界のものを変換してるはずなんですよ。心の中に入れるとき。
トワタカイトさんのカウンセリングとは何かの図で行くと、右側に現実があるならば、左側に心の世界があるならば、右から左に映るときに何かが起きてるわけじゃないですか。像を見たとき、像が心の中にパオーンと入ってこないじゃないですか。
それは図。絵に変わったり、雰囲気に変わったり、像という認識に変わったり、エレファントという認識に変わったり、鼻の長さに着目したりして、心の中に入れて、しかも心の中に入ったら、例えば私の場合には、暖房の絵本のあれを読んでいた頃の自分ってものが嫌をなく、私の場合はね、呼び出されてくるんですよ。
あそこに書いてある像さん、上手いけど、実はリアルな像を見てみると似ても似つかないんですよね。暖房の絵とかはね。似ても似つかない絵なんだけど、像以外の何物でもないと思ってるわけじゃないですか。