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2021-01-19 35:13

【GMV300】不満がなければ腰痛もなくなる?

ここ一年は整体さんのお世話になってません。
00:01
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
あと一枠ですね、書き上げ塾という、第3期になるんですけど、今回で。
今月から始まる、倉園圭造さんと私とでやっている、一冊本を書いてみましょうという塾です。
ただ半年なので、一冊書ける人もいれば、電子書籍で際どく一冊かな、みたいな感じの方もいらっしゃるんですけど、文量としてはですね。
ここが結構自由なので、それがいいと思うんですよ。
紙の本というのははっきり言ってですね、本当は192ページでなければいけない理由はあまりないんじゃないかという本も、どうしても192ページ付近になっていってしまうわけですね。
だから図の多めだったり少なめだったり、行間空き目だったり空いてなかったり、紙ってレイアウトがかなり大事なので、ものすごくいろんな形状をとるのに、決まったように192ページ付近に収まるのは様々な事情があるんですけど、
少なくともですね、例えば電子書籍であれば、それは187ページとかでも全然いいわけじゃないですか。その方がよっぽどいいと思うんですね。
5ページ違うと結構やること違うんですが、考えてみるとその5ページを増やしたりするためにかけるエネルギーって結構バカにならない時がありまして、
だいぶ前なんですけど、私、青いですね、クラウド時代のタスク管理の技術かな、そういうタイトルの本があったんですけど、あるページを収めるのにえらい難儀してですね、1週間以上そのことだけでかかったんだけど、
ああいうことが多分電子書籍とかでは起きないんですよ。自由なんですよね。自由なので様々な形式でいろんな本が出ています、すでに。
というところにこうですね、割ときちんとした文章で、割とちゃんとした表紙のものを出すということをやっていきましょう、みたいな面もあります。
実際にはクラウドさんががっちり、少なくとも1回分はがっちり入れてくださる赤入れが結構ものを言うんですけれども、
あれを私も見るようになってから、文章を書くときにですね、悩むことがなくなったというかこう、そうですね、躊躇しなくなったんですよね、書くときに。
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これは大きいんですよ、躊躇しないというのは。いろんな方がですね、よく長期計画と言うじゃないですか。
3ヶ月で4ヶ月でとか5ヶ月後にはどうなっているのか、その進捗をマイルストーンをきっちりと知りたいと。
でもですね、そんなことよりも大事なのは、1文書くときにいちいち悩まないということだったりするんですよ。
ここで悩んでいると、話は作業が進まないんですね。
だからこれもタスクシュートでもよく思うことなんですけど、書き淀みなく書ければですね、十分間に合うんですよ、本とかは。
多分これはほとんどの仕事にほぼ確実に当てはまると思うんですね。
今日やることで延々悩んで30分かけましたが空白でしたということが1日でもあれば、翌日だって同じことが起きそうじゃないですか。
こうしていく限りですね、3ヶ月経っても空白のままだったりします。
これが悩むことなく一行一行書いていくことができるんだったら、すぐ書き終わるんですよ。
だから長期計画の話を考えるよりも、一文を確信を持って書き続けられるようにするということが大事だと思います。
だからノープランでも書けるんですね、という軸で。あと一枠あるんで、よろしければぜひということです。
やっぱりそれとは関係あるようなないような話なんですけれども、
最近ずっとテーマにしている、それも様々ですね、不満というのかな。
で、一つですね、私が最近不思議だと思っているのが、事情が事情なので行ってないんですけど、マッサージ屋さんですね。
行ってないんですよ。ここ1年行ってないんですね。行けなかったということが大きいですよ。
多分行けてりゃ行ってますね、はっきり言って。
ところが痛くないわけですよ。で、私が一番警戒していたのはこの時期なんですね。
昨日一昨日と一瞬ですが二宮も0下になり、今日も0度ですね。
つまり一番痛くなるのはこの季節なんですよ。でもならないと。
全くならないんですよ、これが。しかも。
これだけでもグッドファイフスって効く価値あるんじゃないかと思うんですよね。
だってですね、例えば今月30日のが3000円ですからね。
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オンラインで聞けば全員腰痛が取れるというようなものではないですが、
私1回あたりのマッサージ料って、これも場所によって違うと思うんですけど、6000円だったんですよ。
しかも保険が一切効かないんですよね、あれは。
で、月に2度ぐらいは行ってたわけですよ。12000円じゃないですか。
年間通してこのペースなんですよ。つまり24万か。違う。
24万はない。14万ですね。
まあでも3回行ったりする時あったから14万ではないんですよ、やっぱり。
15、6万は行ってるわけですね。
これだけ捉えても1回3000円のセミナーって安いなと思うんですけど、どうですかね。
14万かけてたわけですから。
それはやっぱり大きいっちゃ大きいですよね。
これも人にはよると思うんですけど、保険効かないのが大きいんですよね。
保険効けば3分の1でも2000円で済んでるんで。
痛くならないっていうのはそれはそれとしてすごいですよね。
14万円かけたからといって痛くならないわけじゃないですからね。
痛くなるんで。
で、痛くなるのが痛くならないのって変じゃないですか。
そんな心構えとかでなるものならとっくに心構えてますよね。
だってあれ結構辛いんで。
そんなに楽なもんではないですからね、やっぱり。
もちろん常時ものすごくきついって言うほど私はその、
そうそう、私は28歳の時に最初にぎっくり腰をやってるんですよ。
それは雪かきをですね、関東で雪かきするのはダメなんですよね。
ベチャベチャじゃないですか。
ああいう雪、東北北部とかではまず降らないんですけど、
まあでも降る量は全然違うんで、
たまに降った雪かきぐらいどってことないとも言えるんですが、
寺の境内であのぐちゃぐちゃの雪を雪かきすると結構来るんですよね。
時々しかしないじゃないですか。
しかも外寒いんで。
で、やっちゃったことがあり、以来こう時々やっちゃうんですけど、
思えばですね、今年1年はそれもないんですよね。
なんなんだろうこれって思いますよね。
だってこうちょっと、なんていうのかな、一つ意識とかって言うだけで、
一つ意識とかを認識するとか常に平安でいようと思えば、
ぎっくり腰にならないとかだったらみんなそう思うじゃないですか。
別にだって一つ意識っていうことを意識したからといって、
なんか特別しなきゃいけないことって何にもないんですよ、本当に。
一つ意識だから雲を触れるようになりましょうとか、そういうことはないんですよ。
スズメバチを飼いましょうとかもないわけですよ。
別に一つ意識を殺しても構わないわけですよ。
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私は殺さないようになりましたけど。
何がどうってことはないんですよ。
あえて言うならばここが大きく変わらざるを得ないなっていうのはありまして、
例えば妻が料理でも何でもやっとくように言えば、
嫌な気持ちになることなくやらないと、しかも即答で。
これも人によって事情によって様々なんですが、原則はこうなんですよね。
これは一定の努力は要しました、後から振り返れば。
ただ嫌な気持ちになることなくっていうのがあるので、
嫌な気持ちには多くの場合、少なくとも10回に6回ぐらいはならずにやるんで、
結局嫌な気持ちにはならないんですけどね。
この辺に多分、スピだという感じとか洗脳だという感じがあると思います。
ないとは多分感じられないでしょう、片目から見ればですね。
ただですね、たとえ女性だと特に嫌かもしれません。
人が言った通りに嫌な気持ちになることなくやるというのは、そのこと自体が嫌かもしれないです。
ここが多分ポイントになるんですけどね。
ただですね、私はだとしても夫のために何かこう、何ですかね、
隣町まで水汲みに行くとかだったらダメだと思うんですけど、
夫のためにご飯の炊くとかによることですよ。
あるいは食洗機回すとかを基本自分がいつでもスタンバイでやるということによってですよ。
しかも嫌な気持ちになることなく、ここがハードル高いかもむしろ知れませんけど、
して腰痛がなくなってかつ年間15万浮くんならいいと思うんですよね。
たとえ若干洗脳的であったとしても。
今もお話ししていて、ここがポイントだと思うんですが、
嫌な気持ちになることなくでなければいけないわけですよ、言ってしまえば。
いけないという言葉がこの場合、相性悪いんですけど、
自分が犠牲になればいいんですかっていう話がよく出るんですけど、
そうではないわけですよ。
自分が犠牲になったのではどうにもならないんですね。
たぶんそれだと肩こりとか取れないと思います。
犠牲になっているわけじゃないですか。
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私たちはこの点であまりにも、これこそスピリチュアル的だし、
あまりにも何の根拠もなく物理部分と心理部分を分けたんですよ。
デカルトですよ。
二言論にしたわけです。
そしてこれは心心は二つに、心理部分と物理部分は分かれているんですと、
誰もそんなことを実証してないのに、実証が好きであればですけど、
エビデンスはないのに、流行りの言葉で言えばですね、
そういう式はないんですから、心理部分の公式はMC参上みたいにないんですから、
そこの実証はないのに私たちはここを分けたんですよ。
だから犠牲になるんですよ。
体を余計動かした方が、体を余計動かした人間の方が損をしているわけですよ。
心理ではたとえ損をしていないとしても、それは損をしているものを損をしていないと思い込もうとしているから洗脳なんですよ。
そういうふうに考えるようにしているわけですね。
つまり物理部分で測定できる損害を、損害というのかな、負担増を、
それに、つまりそういうふうに身体を動かしたやつは寝ている、この2つのエネルギー量は測定できます。
こっちに心情を合わせなさいということですよ。
こっちに損をした分損をしたというふうに認識しなかったものは宗教にやられていると、そういう話になったんですよ。
ただ私はそれはそれで宗教だとは思うんですよ。
それが物理負担が大きかったですというのはいいと思うんですね。
事実測定可能だと思うんですよ。
身体運動が大きかった方がどっちであるかを決めることができる。
ただそれをそうしたものが損をしたと決めることは不可能だと思うんですね。
これは実は簡単に言えることでですね、私はテニスへ行ってたんですよ。
あの時の身体負荷は火事の日では絶対ないんですよ。
火事の100倍ぐらいは大変ですよ。
どういうふうにやってもですね、まして私は結構ハードにやってる口だったんでめちゃくちゃ負担かかるんですよ、あれは。
私の仕事のパートナーの大橋哲夫さんはフルマラソンを走ったことありますからね、私の聞いた話では。
フルマラソンで42キロ走るって話ですよね。
絶対火事の日じゃないと思いますね。
僕普通にやったら死んじゃうんじゃないかと思います。
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火事やって死ぬことは考えにくいですからね。
真夏にやったらテニスだって死ぬ人出ますけどね。
で、その時に使ってるカロリー量とか本当おかしな数字出ますよ。
1日とかじゃない、1週間でもそんな数字は全然使わないっていう消費カロリー叩き出しますからね。
8月にテニスとかやってれば。
これは、だからそれをやる、つまりテニスをやってる人間は全員ものすごく損をしてますよね。
で、ものすごく損をしてると認識していない人間は全員テニス教に洗脳されてるってことになりますよね。
フェデラーとか最悪ですよね。
みんなで目を覚まさせなければダメじゃないですか。
で、そういうこと言う人っていますよ、はっきり言って。
テニスやってる人たちはやめた方がいいっていう人、本当にいます。
で、クーラーの効いてるところでのんびりしている私の方が賢いっていう人。
私テニスやってる時にそれ言われたことありますもん。
ただテニスやってる人はそれ納得しないですよ、その話聞いても。決して納得しないです。
大学時代私スキー行ってましたけど、同じような話はいろんな人に言われたものです。
冬山にわざわざ行ってね、あんな重いものを担いでですね、担ぐんですからね。
やっぱりカロリー消費量は半端ないですよね。
一日中家でゴロゴロしている方が賢明であるという話は何度も聞きました。
だからそれはそういう測定の仕方は可能ですよね。間違いないですよ。
そのわざわざ測定しなくたって、一日中家にいる人、家で集盛やってる人と
一日中外でスキーやってる人じゃ消費カロリー量は後者の方が圧倒的に決まってます。
あとはそれに認識を揃えるかどうかですよね。
集盛やってる人が得をして、スキーやってる人が損をしていると。
そうはならないと思うんですよね。
これと多分家事の話が同じだと言っても納得されないじゃないですか。
つまりそこにあるのは本当は消費カロリー量の多い少ないではないと思うんですよ。
テニスは楽しかったりするんでしょうって話になるわけですよね。
そうすると楽しくさえあればですね、今度はこういう話に戻ってきますよね。
楽しくさえあれば家事をさせられていたとしてもその人は損はしてないことになりますよね。
これは多分洗脳家からすると認められないと思うんですよ。
私は今何ら損をしているとも感じず苦痛を感じることもなく
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妻が寝ている時に家事するとかしますけど
これはグッドバイブス教に洗脳されてるっていう話になるじゃないですか。
どうやってこの辺の整合性を全部取ろうとするのかというと
多分僕は一番最初に問題が発生していると思うんですよね。
つまり物理的な世界と心理的な世界を完全に分けられるという嘘からすべてが始まったと思うんですよ。
僕はどこで融合すればいいのかというそういう統一理論みたいなのは出せませんよ、もちろん。
出せてる人まだ世の中にいませんしね。
ただこの真摯二元論にはきっと嘘があるということだけは分かります。
これが本当であれば今のような話の整合性はどこかで取れるはずだと思うんですよ。
だけども多分取れないと思うんですよね。
私たちはみんなある種の宗教に対して
それどころか私は宗教そのものに対して多くの人はものすごく警戒していると思うんですね。
一つには損をさせられるっていう話だと思うんですよ。
すごくやっぱり唯物的な人ってうちの父に論争をふっかけてきたりしてましたもん。
私が子供の頃にですね。
宗教は人民のアヘンだってやつですよ。
もう古臭くて知ってる人が少ないんじゃないかと思うんですけれども
そういう話をする人ってやってきたりします。
私だからああいう話を聞くことにすっごくなりきっちゃったんで
そういうことをわざわざ私に言う人がいても何にも感じなくなるんですよ。
筋をねぎりですからね。
わざわざ寺に来て坊主に向かって宗教は人民のアヘンだって話をしに来るって人はいるんで。
そういう審査欲みたいな人って。
そういう人に比べると私の友達とかがちょっと唯物的でそういう話をするなんて楽しいものです。
私が思うにですね。
なんでわざわざ私たちは公平という観念でこんなに苦しまなきゃならないのかと。
さっきも言いましたけどあれですよ。
隣の町まで水を汲みに行くとなってくるともっと問題にするべき部分はあると思います。
ただ家の中にいて十分にやれるときでも分担が不公平であるということには
なんかすごい怒りを燃やさなければならないのかと。
その怒りがきっとですね。
身体的な不調にほぼ直結している。
面白いことにこの種の怒りを感じる人は必ずお金が必要だということに結論としてなるんですよ。
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金を稼いで独立してこの人から搾取するパートナーから自分は自由に一人で生きられるようにならないと
いつまで経ってもこの負担の下で奴隷のようなことにさせられてしまうと。
でもですね、この心理にいる限り私が一昨年以前がそうだったようにですね。
金はかかるんですよ。
なんかこう釈然としないって話をされたんですけど
佐々木さん、自分の時間がないんですね。
生理的な時間にかかる時間が長くなっていくって話をしたんですね。
ストレスが大きい生活を送っていくと。
あの辺ちょっとそれも前までの部分が全体の7割以上を示しちゃったんで分かりにくかったんですけど
適民に出ると僕は思うんですよね。
だから職戦期のこととかで嫌な気持ちになったままやっちゃダメなんですよ。
グッドバイブスの話ではなくて、嫌な気持ちになったまま何をするにしても何かをするとですね
それなりに大きな心理的な負担がその都度その間中あって
そのせいでそれを解消するための生理的な時間を要するんですよ。
この時間が半端なく長いんですよ。
そうして本当は時間は無限にありますけど
有限だと思っている人の時間が有限だと思っている人ってつまり1日が24時間で
その1日しか意識の中にないわけだから
しかも寝てる時間を除外するわけですからものすごい短いんですよ。
せいぜい長くて20時間しかないわけですよ常に。
20時間しかない時間をしかも望まない生理的な解消に当ててたら無くなりますよねそれは絶対に。
何でもいいですよ。スッとする飴を舐めるとか何でもいいんですけど
すごい時間使います。しかもお金も使います。
だから年間14万とかになるわけじゃないですか。
しかもマッサージは一瞬では終わらないんで1時間はかかりますからね。
月に2時間増えてるわけじゃないですか。
どうでもいいような時間が。だって寝ていて誰かがそれで揉んでくれてるだけですからね。
これを栄養妨害で言ってるわけじゃないんで
多分この場面でこんなことを喋ったからといって
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腰痛治りませんから引き続き行く人は行くことになると思うんですが
そもそもこれリッスンしてくださってる方は日に多くて200人なので心配いらないと思ってるんですけど
しかも今コロナですからね。逆にコロナだから行かないと厳しいのかって話もあるんですけれども
私でも行くのはいいと思うんですよ。
この辺もすごくいい加減に思われるかもしれませんが
私コロナ収束したら一回は行っておこうと思ってます。
理由は別にないんですけど。
つまり何やってもいいと思うんですよね。
この感覚がすごく大事で
先日もタスク管理のイベントで
私はもう本当に10分くらい演説ぶっただけで終わっちゃったんですけど
正しいことをしなければ何かが失われているという恐怖感が
ものすごくいろんなところで蔓延しているんだなと思いますね。
いいんですよ。別に何を信じていてもいいと思うし
何をしてもいいと思うんですよ。
この感覚のままで食戦記とかができれば
何にもことは起こらないと思うんですね。
ところが公平という観念がある関係上
犠牲になってしまうわけですね。
犠牲になってしまうんですよね、これは。
私たちは観念と無縁で生きていないんですね。
現実の中で生きているとき
多分僕らがさっきの心理と物理をはっきり分けようとしたせいで
私たちは物理世界で生きていると思い込んでいるんですよ。
でも物理世界で生きている人なんていないんですよ。
人間というのはそういうところでは生きられないんですよ。
虫とかなら物理世界に生きているんですよ。
前もこの話したと思うんですけどね
考えるだけでも嫌だっていう人が多いと思うんで
さらっと言いますが
伏せ地のGとボクシングをしても絶対に勝てないっていうあれですよ。
なぜならば伏せ地のGは私がパンチを打とうとした瞬間に避けられるんですよ。
だからなかなかGを叩くのは難しいんですよ。
あるいは風を微分する能力というものを
能力ですよ。微分とかを知っているわけじゃないですよ。
風を微分する能力というものを持っていて
風が少しでも触覚に当たると
たちまちそれと交互して対応できる
これが物理的な世界ですよね。
心を読んでいるとか論外なんですよ。
だけど私たちはそういう世界に生きていないんで
27:02
だからこそ誰かが亡くなって
そのことをすごく悔やむとかって起こるわけですよね。
それは例えば私がでもいいですが
私の娘が亡くなってしまえば
この世に現実としてはいないんだけど
心の中にはいるじゃないですか。
物理世界と現実世界、心理世界が常に混ざっているんで
物理世界と心理世界が完全に分けられると主張するならば
死んでしまって直後は悲しい。
だけどどんな状態で死んでも葬式に行って
はい、じゃあもう死んだんだから割り切って
明日から元気に生きていきましょうって
平気でできることになりますよね。
できないですよね、そういうことは。
今の私じゃ到底無理だと思います。
これは心理的な世界というものが
私に絶対に影響を及ぼさずにはいられないからであって
それは結局私が心理的に
つまり記憶ですけれども
記憶の世界にある程度生きているからなんですよ。
物理世界が全てであればこういうことって起きないはずなんですよ。
ましてあれじゃないですか
クレーム来るとかあるいはクレーム出した人と会うと
気分が悪くなるとか論外ですよね。
だってクレームって物理的には何の影響もないじゃないですか。
それが社会的に影響を及ぼすこともあるといいますか
及ぼさないことの方が多いじゃないですか。
クレームメールが一個来ただけで
本当に物理的な世界にだけ生きているのならば
全く思いがある瞬間ってないと思うんですよね。
せいぜい2秒とかだと思うんですよ。
見た時だけ気分が悪い。
そうじゃないですよね。
それはすごく心理的な影響を及ぼしてくるので
だからこそ私たちは心理的に不公平だとか
心理的に奴隷にされているとか
そういうことによって苦しむわけですよね。
物理的なことと無関係じゃないんだけど
それは必ず心理的なことが同時に
強い影響を及ぼしてくるから
だから食洗機に入れるという
消費カロリーは少ない行動だとしてもですね
心理負担が極めて大であって
結局現実的には犠牲になってしまうんですよね。
よく言われたんですよ。
マッサージしている人に
僕が通ってたところにですね
痛いと思ってちゃダメですよと
面白いことだと思いますね。
これ信じていない人が
あの施術のところに通っていた人の中にも
いっぱいいたと思います。
僕も信じきれませんでしたから。
痛いと思い続けていると
痛みは取れないんですとよく言われまして
これが心理的な世界ですよね。
30:03
つまりその施術の人に言わせればですね
私の腰も首も別に悪くはないんですと
自分が施術した直後とか特に
その人は結構面白いお話をしてくれて
私よく左右歪んでるとか
言われてたんですよ。
他のところで立ち方が悪いとか
姿勢がおかしいとか
だけれどもその人はですね
そんなことは全くないって言ってたんですよ。
最後に私が通ってたところの人は
歪みもないし
姿勢もおかしくはないと
姿勢は番人が違うものであって
ほとんどの人は
姿勢はそのまんまで大丈夫なんだと
そういう言い方をしてました。
ほんのちょっとなんだと。
ほんのちょっと修正すれば
痛みというのは
逆にほんのちょっとずれただけで
結構人間は激しく痛みを感じる
そういう言い方をしてました。
だから施術の直後に
その姿勢だということを
いちいちそんなに考えなくていいんだ
という話をされていて
ただ問題なのは今まで痛いと思っていたから
ずっと痛いと思っていると
スピっぽいんですよね。こういうところが。
実にスピっぽい施術をする先生ではあったんですけど
でもその
言った直後は
すごい良くなるんですよ。
またこれが。
ただ私は戻ってしまうという風に
よく訴えていたんですけど
そんなに早く戻るはずはないと
よく言われたんですよ。
それは痛みを思い出しているだけだという
良い言い方をしてました。
これをどう捉えるかは
それこそ自由ですよ。
私は信じていなかったです。
信じていなかったから
痛みをとれていなかったのかもしれないですけど
いずれにしても信じていなかったです。
ただ今なんとなく
何を言わんとしているのか
わかるような気がするんですよ。
結局
記憶だった部分って
否定できないわけですよね。
記憶だった部分が
否定できないというのは
つまりお悔やみ申し上げます
なんですよね。
あれはあなたはまだ
その記憶に固執しているんでしょう
ということ。それはわかりますよ
ということじゃないですか。
人が悔やんでくれたからといって
人が悔やんでくれるかどうかさえ
そもそも微妙じゃないですか。
そういう場はしっくりきますよね
お葬式の場面では。
しっくり来ないケースもあると思うんだけど
おおむねしっくり来ると思うんですよ。
だから
私たちって悔やむわけですよね。
あの時こうしていれば
あの子は死なずに済んだ。
でもそれは記憶の話ですよね。
でも我々は記憶にこだわるじゃないですか。
あの時もっと育児を
夫が手伝ってくれれば
私はもっとキャリアがあって
考えるじゃないですか。
33:00
どうしてもそれは拭いされない
ですよね。そんなに簡単に。
現在はそういう現実は
存在しないから
過去のことは割り切って
前に向かいましょうみたいな話は
いくらでも出ますけど
なかなかそうはならないですよね。
それは犠牲になっちゃった
からなんだと思うんですよね。
犠牲になっちゃったというのは決して
わざわざ今日私が
くだらな話をいっぱいしたようにですね
消費カロリー量が
相手よりも多大である
って話ではないんですよ。
そんなことであれば
本当に
フルマラソンとか最悪ですよね。
史上最も悪い行為
って感じがしますよね。
行って戻ってくるのに
死の思いをするわけですから
みんなが死の思いをするわけじゃないでしょうけど
だから
その
物理的な負担は
多分ほぼほぼ問題では
なくて心理的な
負担ですよね。
負担って私が
不正に
負担を強いられた
その
作種により
私はひどい目にあったと
これに確信を得た時に
そういう現実が
一つ自分の中で
成り立つんだと思うんですよ。
それはもちろん
その人の内心で起きていることですけれども
分けられないんですよね。
その内心と外面というものが
分けられるという
ことが
多分デタラメだったんだ
と思うんですね。
分けられるのであれば
多分存在しない
苦しみが実際にはいっぱい
存在しているし
分けられるのであればですね、多分
存在しない楽しみも
実際はいっぱい存在してしまっているような
気がしますね。
だから
端的に言ってしまえばですね
不満を
一切持たない
ということがですね
多分14万円の
節約と
痛みのない世界というものに
なんかこう
深く絡んでいるんじゃないかなと
思うんです。
35:13

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