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2021-04-26 38:08

【GMV 364】悔しい時には何を失ったかを確認する

リアルに失ったものなどないとわかれば悔しさも収まる
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
時間、この番組収録の時間がおおむね元に戻りました。
8時20分くらいですね。
つまり、先週お話ししたつまらない事件が、一つ収束を迎えたということですね。
で、この話、事件は、事件というのもあれだくらいしょうもない出来事なんだけど、
これをですね、整理して見ることができるというのが、グッドバイブスのような、
グッドバイブスでなくてもいいと思うんですけど、このレベルの出来事であれば、
グッドバイブスのような視点を持っておくというのは、
この事態をですね、混沌の中にいるような感じを抱かなくて済むところに良さがあるんだと思います。
あの、もやもやするとかって言うじゃないですか。
あの表現ではない方が僕はいいと思うんですけれども、気が晴れないって言った方がいいと思うんですけどね。
今日はちょっと細かい話をしたいんですが、気という言葉は割と大事にしたらいいかなって自分はよく今思ってます。
まあ、あえてそうしない方がいいのかもしれませんけれども、気という言葉は近代的じゃない言葉じゃないですか。
例えば気が済まないっていうのを何度もこの番組でも出してますけど、
これを指摘したのがつまりドイタ教さんなんですけどね、甘えの構造の。
気が済まないというのは近代用語に直すと脅迫神経症になっちゃうんですよ。
で、脅迫神経症の方が科学的な感じはしますけれども、気が済まないの方が分かりやすいことは確実ですよね。
宗教的だったりスビっぽかったりきってオーラのオーラと当てたりするじゃないですか。
僕はかなり違うと思うんですけれども、そういうスビっぽくならないレベルで使われている全近代的用語っていうのは大変役に立つんじゃないかと思うんですね。
なんて言ったらいいんですかね、ライフエナジーみたいな感じを言うとすっごく無理がある感じになるじゃないですか。
でも、例えば気持ちと言ったりするものは捉え心がないんですけれども、みんなのコンセンサスがだいたい得られてますよね。
これをムードと言ってみたり、心理用語にあるんだけれども、そういう言い方をすると途端に分かりにくくなっていくんですよ。
鬱っていうのもそうじゃないですか。憂鬱だったら大変分かりやすいんですけれども、今の医学で定義される鬱になってしまうと僕ら手出せないですよね。
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自分かかるにもかかわらず。ここら辺にそれこそ息が晴れないというかむやむやさせられるので、
気という言葉はですね、大変いろんなところで有益だなと、皆さん無意識に使ってますからね。
気の中に米かくやつだと無意識には使えなくなるんですよ。無意識に使うっていうのが非常に大事だと思います。
5月の8日にですね、グッドバイブス勉強会というのを東京、東京ではないな。すみません、ごめんなさい。
グッドバイブス勉強会っていうのをオンラインでやります。だから参加する場所は自由。地球の裏側でも大丈夫っていう言い方を昔流行ったんですけど、してましたね。
そういう感じで、今度は時間がテーマだったと思います。
クライソンの軽道さんとの共催で、ずっとこのグッドバイブス勉強会はですね、人が作ったものを作ってないものという、
今日この話もどっかで出せればいいかなと思ってるんですが、を取り上げますので、
お時間があったら参加してみていただけるといいかなと思います。
そうだ、それでその時間なんですけどね。時間というのはですね、人が作ったものだという感じがするんですね。
量子力学とか相対論とかで言うところの時間、双子のパラドックスが発生するような、あの時間はもしかすると宇宙に実在していたりすればですね、
人が作ったとは言えないんですけど、そうではなくて、日時と日付変更線で定義できる、あれは人が作ったものですね。
さっき地球の裏側って言いましたけれども、地球のすべての井戸には現在すでに時刻というラベルがついているんですよ。
時間というのは僕らが使っている時間というのはこれなんですよ。空間につけるラベルなんですね。
だから私たちは時間だけを扱うことってできないんですよ。
多分必ず空間とセットでないと意味を出さなくて、空間、万地みたいなもんですよ。
すべて今、統計135度はこの時刻っていう風に一斉に変わるんですよ。
これは南位、北位、都位問わずにですね。世界中のっていうのも変だけれども、地球上の統計135度には今この瞬間の時刻っていうのが名前がついていて、
それが地球が動くたびに変化していくんですね。これが時刻ですよね。これが時間ですよね。
私たち結局これを使って未来予測ができるつもりになってたりするんですけど、とんでもなくて、これで未来予測できるわけがないですよね。
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これ1日分しかそもそもないじゃないですか。
これの延長線上に1年後、10年後、100年後、1000年後、1億年後って平気で言うんですけども、
そういう年代規的な世界に入っちゃうんですけど、それはもう全然違うんで、私たちの生活時刻っていうのは完全にこれで済むはずです。
一番扱いにくいのがあれですよね。時差ってやつですよね。時差ボケも起きるし、
例えば今大谷翔平はロサンゼルスだから何月何日の何時に先発って言うんだけど、日本時間ではとかって言わなきゃならないんですよね。
これがまさに空間につけられている名前の延長線における限界みたいな感じですかね。
あれ以上複雑になるとわけわかんないですよね。
私たちタスクシュートユーザーだからあれなんですけど、この日付変更線をこっちからまたいだ時とあっちからまたいだ時の
そのタスクマにおける扱い方の違いみたいなのはもう相当難しい話になって、
よく考えればわかりますけどもパッとは考えたくない話ですよね。
開発者の人は大変だなとこの辺のことを考えるたびに思うんです。
これの完全に余談なんですが、さっきの気が晴れないというやつですね。
結局何が起こったかというとですね、この番組をスキップする原因になったのは
投稿班の着く時刻が遅いという訴えがあったという噂が起こったんです。
この段階でダメだなって感じですよね。事件の契機が噂みたいなところから来てるんですよ。
投稿班の着く時刻が遅い。でもですね、遅くなかったんですよ。
うちの子が投稿班では先頭なんですけども、
たぶん途中の銀行とかの時刻を見たり、学校の校門の時刻を見たり、教室の時刻で確認しているのはうちの子だけなんですね。
だから遅いと訴えた人は誰なのかみたいな話がそもそも出てきちゃうんですよ。
こういうことを考え始めるからモヤモヤするわけですね。
誰が言ったのかって話って結局どこに責任の所在があるのかって話にしてるじゃないですか。
この段階ですでにある種の人には不安がよぎりますよね。うちの子だったらどうしよう的な不安もあるじゃないですか。
それがでも小学校2年生とかだったら和訳茶になっていくわけですよね。
でも気をもみ始める人が複数に出ると。大人も含めてですね。
そうすると不安がですね、ふわっと上がるんですね。
で、その中でじゃあどうすればいいのかと。
着く時間を早めればいいって言うんだと話は簡単なんですね。早く歩けばいいんですよ。
ところが登校班というものは小学校1年から小学校6年までいるので早く歩くわけにはいかないという事情もあるわけですよね。
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めちゃくちゃ早く歩いて妻に走って問題になるケースは多々あります。
小学校6年の男子がね、走り出したらですね、小1じゃ着いていけないですよね。
この段階でダメなんで、走るのはこはっとなだけでなく、着く時間が早すぎちゃいけないというのがあるんですよ。
で、着く時間が早すぎちゃいけなくて遅すぎてもいけなくて、じゃあどういう枠があるかというと5分しかないんですね、その枠には。
幅5分なんですよ。ところがこの5分を前回の言ったんですけども、正確に測っている人はいないんですね。
誰の時計で5分なのか。学校の時計というのはほとんどが狂っているので、どの時計で5分なのかというのは大事なんですけど、
子供たちはみんな違う教室に行くわけだから、自分の教室の時計で測りたいわけじゃないですか。
狂っているほど正確だろうと、自分の教室の時計を中心に動かされるわけですから、
なんていうんですかね、要するに自分の教室の時計でちょうどよくないと意味がないんですね。
ところが早い遅い、早すぎる遅すぎるを言うのはまた別の時計で測られているわけだから、
その時計を子供は確認できていないわけですから、厳密には正確なところに入り得ませんよね。
だからこういう話を厳密にしちゃいけないと思うんだけども、
早すぎるって話が出た時は多分2分早いとかなんですよ。
あるいは遅すぎるって話が出た時は1分遅いとかなんですね。
だから厳密になっちゃうわけですよ、話としては。
結局何をやっているかというと5分早く出発するということになって、
おそらく何か意味があるわけじゃないけども5分早く出発することになったわけです。
そうすると娘はギリギリまで寝ていたいので、
うまく回らないですよね、今日あたりもですね。
そうするとイラッとしたりモヤッとしたりする人が出るわけです。
この種の言葉を使わない方がいいと思うのはですね、
ここの言葉の中に気という言葉が、気持ちの気ですよ、入ってないからです。
さっき気が晴れないと言いましたけれども、
モヤモヤするとかいう表現に最近切り替わってきたには多分訳があるんだろうなと思いつつもですね、
ここは気を使いたい感じなんですよね。気を使うという表現もありますけど。
結局みんな気を使うわけですよ。
うちの子も5分早く出ることに対しても他の方が気を使うと。
でも、おそいという話が出た以上、そこでやきもきしていたくはないと。
つまり登校を出発前にやきもきしていたくはないと。
どうしても5分早く出させたいと。
5分早く出すとですね、そこで見送る親からすると気が晴れるんですね。
スッキリするってやつですね。
で、この種の話全体にモヤッとしちゃうこともあるわけじゃないですか。
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こういう時にですね、私はですね、悔しさってものが飛び出すんだろうなと。
なぜ今このしょうもない例を出しているかというとですね、しょうもない例じゃないと危険だと思うんです。
この話って深刻になろうとしょうもなかろうと同じように作用していくのが嫌なところで、
悔しいっていう気持ちが出た時に、私たちは心が傷つくってよく言うんだと思うんですね。
このレベルなら、今の話のレベルなら、多分心は傷つくっていうところまでいかないと思うんですよ。
で、本当はですね、ほとんどのケースでそうなんだと思うんですけども、
一旦この言葉が出てしまうと、悔しさがですね、ものすごく上がってきていて、
対応しきれないような感じを抱くんですね。
本当はそんなことは絶対ないんですよ。
多分本当はこの投稿犯レベルのことしか起きていない。
先日私、もうちょっと深刻なレベルで、町内のゴミ出しをするところに網をかけるかどうか問題というのが発生したことが、
これはだいぶ前ですね、あるんですよ。
この時には結構深刻で、子供の投稿時間よりは事態が深刻だからなのかな。
カラスの被害とかね、いろいろありますからね。
で、ある人が網をかけるということに反対したんですね。
それも様々な理由はあって妥当なんですけれども。
こういうところにですね、自分の正義が通らない悔しさというものを抱え込むんですよね、私たちは。
心が傷つくわけです。
で、悔しいという気持ちになっている時というのは、心が傷ついたというのと多分同じ意味になります。
多分ですけれども、自分の中にある正しさが通らなかったんですよ。
で、私はいろんな言い方をされるじゃないですか、怒られるとか、
失責されるのも、罵倒されるのも、何でもいいんですけど、
先生さんみたいな話にもよく出てくるやつですよ。
あれのうちの9割どころか、おそらく10割近くがですね、
悔しいという気持ちと気持ちが伴っている感じがします。
つまり、自分の正しさが通っていないっていう。
例えば今回の投稿班でいうと、うちの子は少々悔しかったんじゃないかと思うんですね。
自分は正しい時刻についていたと。
おそらくそうなんですよ。
ところがその時刻通ってないわけですよね、最終的には。
そうしたからといって何か自体が良くなったかというと、
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何も良くはなっていないような気が多分すると思うんですよ。
で、悔しいというのはつまり傷つくわけじゃないですか。
この傷つくという悔しさは、このままじゃ気が済まないという表現を取る時があるんですね。
ここまで行くことは少ないんですけど、うちの子はそうは言わなかったから、
そこまで言ったらちょっと考えようと思ってたんですけども、
気が済まないなとは言わなかったんですよ。
この気が済まないというやつ、この番組でも再三お伝えしてますけれども、
気が済まないんですよ。
つまり自分の中にあるんですよ、これは。
そんなの当たり前だと思われるかもしれませんけれども、
私たちはこの気の取り扱いをめぐって悩むんですよ。
だからなんだと僕は思うんですよね。
ライブスでは人の不安を取りに行くとか、現実を見に行くとか言うんだけれども、
それは現実なら済むからなんですね。
いつまでも晴れないという、もやもやすると傷つくとかいう話になるやつは、
全部気が絡むんですよ。
これは僕はすごく見逃せないところだと思うんです。
自分の中にあるから、自分の外にあるものは済むんですよ。
今回の件、投稿班の件、これは解決が難しい話じゃなかったからもう済んだわけですよ。
これが大事だと思うんです。
気が済まないっていうのは自分の中にあるじゃないですか。
外は済むんですよ。
だからフォーカスを外へ外へと持っていけば、私たちは苦しまなくて済むんですよ。
ここ逆だと、なぜか思ってしまうんですね。
悪い原因は外にあるだろうって思っちゃうからなんですよ。
そいつを正しにいかなきゃいけない。これが気が済まないってことじゃないですか。
正すべき、間違いは向こうにあるのに、今回の件は軽いからここで扱いやすかったんですね。
うちの子は多分正しかったんですけれども、これを正しにいくのになると大変じゃないですか。
登校班のお母さんたち、一人一人を説得して、元のままで何も問題ないんですと不安になることはないんです。
これ、うちの子じゃ無理ですよね。私でも無理です。
一人一人、到底説得するとは納得するとは思えない。
だけれども何が問題なのかは誰も本当のところはよくわからないし、解決策も実はないんですね。
でも何もしないっていう解決はとっても人にとっては難しいんですよ。
正しにいくっていうのは結局何もしないってことなんですね。
でもこの解決策は取れないと。だから正しにいけないで自分の中に残るんですね。
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自分が正しかったのにそうじゃないものが結果としては残った。
これが悔しいなんだどうか思うんですね。
大げさに言ってますよ。本当の悔しいっていうのは多分もっと深刻な問題になります。
でも構造は変わらないと思うんですよ。
現実が勝った、自分は負けた、悔しいってことなんだと思うんですよ、突き詰めるとね。
で、気が済まないと。気が済まないんだけれどもこの気を済ませるために何かを正すことがもうできないので取り返しがつかないじゃないですか。
一旦起こってしまったことですからね。これ多分何もしなくても気が完全に晴れるわけではないと思うんです。
何もしないと自分の勝利感みたいなものが残るかもしれませんけれども、それでも気が完全に晴れるかどうか、
結局何事も起こらなかったというわけには起こってしまったからいかないんですね。
で、話が元に戻るんですよ。
取り返しがつかないというのは、
倉澤圭三さんはそこに罪を見ると最終的には解決しきれなくなるという、
つまり罪を見るとそれを完全に許し切ることは難しいから、ほぼ不可能だからという話をセミナー中にされたことがあるんですけど、
もうちょっとですね、簡単な今回みたいな非常に誰も罪を見るってところまでいかないやつだと、
過去に戻れないっていうことだと思うんですね。
で、だからなんですよ。
時間というものがないっていう、時間というものがあるとは見なさないというのは非常にこの話の中では大事になってくるんですね。
私たちには今現在しか存在しないということ、生きているってことは今現在生きているということだけを意味するっていう風なところに、
視点をぶらさないようにすることによって気が済まないってことはなくなるはずなんです。
結局自分が割り送って我慢するんじゃないかっていうのが悔しい人の言い分じゃないですか。
今回の家はうちの子がそれを言えばですね、結局私が我慢すればいいのかって話なのかって話になるじゃないですか。
これは過去が存在しているっていう意識にまだとらわれてますよね。
そういう話は私してませんよ。
だけれどもそういうことになっちゃいますよね。
悔しさって全部そうのはずなんですよ。
過去にありますよね。
過去を正せない。過去は正せないじゃないですか。
過去ですから。
だから途中言ったんですよ。
相対論とか量子力学のように、論理上タイムマシンが扱えるような世界に入ってくるとどうだかわからないんですが、
私たちの時刻ではそういうことは絶対不可能なので、
時刻というのは所詮は井戸についているラベルでしかないので、
絶対に元には戻せないんですよ。
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地球反対側に回っていきませんからね。
大変なことになりますからね。
で、その大変なことをしてまで都合版の過去を正してもしょうがないですよね。
このいろんな意味で過去は正せないようにできているわけですよね。
ここに悔しいって思うのは、多くの場合、多分意味が全くない。
ただ、いくつかの点では意味があるケースがあるだろうなと自分は思います。
今回のケースはもちろんないです。
リアルに何かを失ったのかと問うべきなんですね。
悔しかった時には。
自分はリアルに何かを失ったのかと。
リアルに親を失った場合。
これは悔やみが残ります。
これを悔やむって言うんですよ、僕らは。
だから精神分析のワールドではね、
この時物作業が要るんだと。
私は多分それは正しいだろうなと思います。
でも今回のような悔しさに物作業はいらない。
つまり、5分遅く出られたあの時代は素晴らしかったっていうことを抱えながら物作業をして、
時間をかけてこの悔しさを溶かしていくとか、
この悔しみを手放していくっていう作業は僕は多分いらないと思うんです。
リアルには何も失ってないから。
ここに違いがあるかなと思います。
結局リアルを見に行くべきなんですよ。
気が済まないだけ。
気が済まないだけっていうのは、
リアルには多分何も失ってないケースがいっぱいあるんです。
今回、例えば時間を失ったという言い方をする人もいるかもしれませんが、
時間はリアルに存在しないものなので、
これが最初の話に戻るんですよ。
Good Vibesの今度のオンラインセミナーで、
多分勉強会で扱われるのはこういうことだと思うんです。
時間は人が作ったものだから。
人が作ったものはここに含めないんですよ。
リアルに何かを失ったときに、
真剣にそれについて悩むべき対象とは見なさない。
お金もですね。
お金も人が作ったものですから。
宇宙空間に最初からお金があって、
そのお金に100円とかいう価値があったとか、
そういうことはないんで。
あれは人が作ったものなので、
失っても大丈夫。
物作業はいらない。
現に大金を失ったときの物作業をしましょうって話は、
精神分析には存在しないんです。
物作業というのはですね、
お葬式が一番いい例でしょうね。
リアルにそれはなくなったんですが、
心の中にはまだあります。
そうですよね。
親御さんとか亡くなったときに、
心の中には親御さんがいるが、
リアルにはないと。
そのことを認識するために少し時間を取りましょうと。
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それが物作業というものです。
ケースによってはペットにこれをしなければ、
まずいかなというケースもあるでしょう。
ケースによっては物はね、
たぶんほとんどいらないんですよ。
すっごい大事にしていたぬいぐるみとかですかね。
そういう場合に、もしそれが失われるようなことがあれば、
その作業をした方がいいのかもと。
あと、これも人が作ったものだと思うんですけれども、
名誉。
人によってはね。
名誉を失ったときに、
今の人でいうと名誉よりはキャリアとかなんですかね。
キャリアとか、
自分が今まで信じていた。
これはですね、人が作ったものなんだけど、
非常に微妙なラインだと思うんですね。
信じていた価値観みたいなもの。
これは物作業がいるとされます。
これは人が作ったものとは言い切れないかもしれない。
人が作ったことに違いはないと思うんですけどね。
ただ動物の間にもこういうことってありますからね。
絆みたいなやつですね。
ものすごい古い話をするならば、
敗戦とかですよ。
帝国は絶対勝つと信じていたのに裏切られたみたいな。
失われたって感じですね。
これは物作業が発生します。
いるとかいらないというよりもありますね。
物作業というものが起こります。
そういう時間を置いて、
よく言う心の傷を癒すっていうやつですね。
あれが必要なものを物作業というわけですけど、
ただ自分の気が済まないだけのことについて、
物作業は多分いらないんですよ。
これはリアルを見に行けば済む話。
つまりリアルを見に行くというのは、
自分の気が済まないだけじゃないということです。
厳密にはそれは済んでますっていう話なんです。
ここにこだわりまくるとですね、
多分欲打つっぽくなります。
悔しい、あいつ許せないっていう感じがですね、
ずっと自分のせいなのに。
気だから。気って自分の中にあるものですからね。
気だけなのか、
リアルに何かが失われているのか、
リアルに自分が傷ついたのか、
これは肉体が傷つくとかですね。
あるいはリアルに自分が何かを失ったのか、
食とかそういうものを失ったのか、
そういうことなんですよ。
そうでないものは多分気だけの問題。
気だけの問題は済ませてしまったほうがいいと。
ただこれを済ませるのは実は、
なぜかとても難しい時があるので、
その時は必ずリアルに目を向けていきましょうというのが、
グッドバイブスの一つの形なんだと思います。
型っていうのかな。
リアルに時間を失わない。
時間が止まっちゃったとかなら別ですよ。
27:00
よくあるじゃないですか。
待ち合わせ場所に、
今日はデートだからと言って、
準備していったらすっぽかされたと。
気が済まないんじゃないですか。
悔しいですよね。
でもリアルには何も失ってない。
このリアルに時間を失ったっていうのは多分、
私たちの時代では非常によく使われるパターンで、
これ逆だと思っているんですよ。
今逆っていうのはちょっと変かもしれませんが、
気が済まないから時間を持ち出しちゃうんですよ、私たちは。
気が済まない。
いや何も失ってないでしょって言われた時に、
時間を俺は失った。貴重な時間だって。
これが言いたいから時間を持ち出すんだよって。
本当は時間のことを言ってるんではなくて、
気が済まない、悔しい、相手を罰したいと言ってるだけなんじゃないかという気がします。
何にも失っていないから、
黙って違うことを始めたらいいわけです。
気が済まないとかに、
気が済まないだけかどうかをチェックするべきです。
気が済まないとどうしてくれるんだって話なんですよ。
最後に出てくるのがきっと。
気がどうしても済まない。
相手を罰したところで気は多分済まない。
なぜかというと過去は取り返しがつかないからですね。
過去を正すことはできない。
最終的に正したいという気持ちから最初始まったんだと思うんですけど、
途中からそれが罰したいに切り替わるんですよね。
多分自分が痛い目を見たから。
でも自分の痛い目というのは、
多くは自分の気がやってることなんですよ。
家に帰ってきてもですね、
上司に言われたあの言葉がどうしても気になるとかって言うじゃないですか。
気なんですよね、ことは。
気になるというだけであるならば、
多分それは捨てても大丈夫っていうことなんです。
イリュージョンだから。
実際には存在しないから。
気になるんだ、それでもっていうあれですね。
それは気しか相手にしなくなった時に起こるんです。
私はずっとそのことをここのところ考えてきていて、
ここ2年くらい考えてきていて、1年半くらいかな。
気を使うとか気になるとか、気が塞ぐとか気にするとか、
それが自己完結でないケースもなくはないですよ。
自分の気以外にも問題はまだ残ってると。
その時は問題の方を解決しに行った方がいいです。
ただほとんどの場合、問題はもう残ってないんですよ。
残ったのは気だけなんです。
この場合はとにかくリアルに、意識をリアルに向けて、
意識をリアルに向けた時にリアルに失ったものを確認して、
住んでないのは気だけなのではないかどうか。
ここを最終確認の場所として取っておいたらいいと思うんです。
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住んでないのが気だけならば大丈夫です、本当はね。
そこにこだわりを捨てさえすれば大丈夫に必ずなるはずです。
これを大丈夫にしないぞって頑張るのだけはやめた方が絶対にいいです。
これ途中に申し上げた通り、近代用語では強迫症と言うんですよ。
そうなりたくないじゃないですか。
気が済まないだけが問題というのは、
つまりどういうことかというと、
ドアに鍵がかかっていないかどうかを確認しないと気が済まないなんですよ。
強迫神経症とはそれを言うんでね。
さっきも確認しに行った。その前、これで5度目だ。
問題なのは気だけですよね、間違いなく。
本当に鍵がかかっていないはずないですよ。
5回も確認しに行って。
それは本人もわかっているはずです。
問題なのは気だけなんですよ。
これは悔しいとは言いませんけどね、絶対に。
気になるんですよね。
でも同じことです。
同じことだから私たちは気が済まないという日本人はですね、
この言葉を使ったんですよ。
どちらの現象に対しても。
手を洗わないと気が済まない。
相手に復讐してやらないと気が済まない。
同じなんですよ。
同じ心理が働いているはずです。
で、自分の中にある気だけが問題になっているときは、
手放しましょうの合図でしかありえないと思うんです。
だって鍵はかかっているわけじゃないですか、現実には。
だから現実を見に行くべきなんですよ。
現実を見に行って鍵がかかっているのを確認したら、
もう気も済むべきなんですよ。
気が済まないんですって言い出すということは、
何かが狂っているということになるわけです。
だからそういう話を僕は今回はしてませんけれども、
そうなったらそういう話をしようとは思っていたんですね。
問題が気だけになったときは、
もう解決し終わっているはずであって、
本当は心も穏やかになるはずなんですよ。
ならないとすると何かを見間違っているわけです。
イリュージョンがあると思っているわけですよ。
イリュージョンというのはイリュージョンですから、
ないものを見ちゃいけないんですね。
かかっていないかもしれないという意識しても、
何にもならないわけじゃないですか。
気だけの問題なわけです。
自分の中だけにあるのか、
外にも何かあるのかということですよね。
この2つを私たちは完全には見抜けないんだと思うんですね。
だから中と外が一緒になってしまって、
本当は鍵がかかっているのが100%確かなのに、
でも気になるという話になって、
現実に確認しに行っちゃうわけですよね。
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つまり、何か自分の心の中だけにあるはずのものが、
外にもあるんじゃないかと思っちゃうということです。
レートをすっぽかしたやつは、
天罰を受けるべきなんじゃないかと思っちゃうわけですよ。
自分の心の中だけにあるはずの問題が、
外にも何かそれに関係して、
それと交互して動くべきなんじゃないかと思っちゃうわけです。
正すというのはそういう意味ですよね。
自分の気が済まないというだけが理由で正すのであれば、
自分の気を中心にこの世の中を動かすべきなんじゃないか、
ということですよね、最終的には。
そういうふうになります。
だから、この脅迫症というのは、
実は魔術思考につながっているというんです。
もしかして、これは子供の考え方ですけどね、
あの子がいなくなったらいいのにと思ったから、
病気になっちゃったんじゃないだろうかというあれです。
自術思考とも言いますね。
自分の気が外の世界とつながっているんじゃないかと思い始めるわけです。
完全に区別できなくなるわけですね。
完全に区別しないとダメじゃないですか。
明らかにおかしいですからね、それ。
そうするとガスコンロに火がついていると思えばついちゃうって話になっていくんで。
でも僕らこれやりますよ。たまにですけどやります。
すっごい気をつけている人はやらないと思うんですけれども、
やらないと思っている人はいっぱいいますね、私が感じている限りでは。
なんか最近ずっと悪いことが続くんですけど、
なんか呪われてるんじゃないだろうかという感じの人っていうことってあるじゃないですか。
なんか今日は月がないとかね、そういうところから全てがスタートするんですけど、
内と外がつながっているんですよ、その瞬間には。
完全にそれに取り込まれると統合失調っぽくなっていくんで、
そうはならないと思うんですけれども、ほとんどの場合で。
つながりという、自分の内部の要するに気なんですけれども、日本人にとっては。
気と外界の物理的な何かの変動が、変更とか事件とか出来事とかに影響を及ぼすと。
及ぼさないじゃないですか。
結局それは及ぼさないということは切り離されているということなんですが、
切り離されているということを確認するためにもですね、
人が作ったものなのかそうでないものなのかというのは大事なんですよ。
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リアルに失われたとか変更余儀なくされたものは、人が作ったものなのか人が作ってないものなのか。
人が作ったものというのは、つまり事実じゃなくても変更が効くんですよ。
だからとてもいい加減に作用し得るものなんですね。
今回の、だって都交派の出発が全くいい例ですよ。
5分早く出来たんですから、5分早くしましょう。
一言言えば積んじゃうわけですね。
朝日が出る時間ってそうはいかないですよね。
一言言ったら2分早くなる、2分早くなるんですよ1日に大体ね。
そういうことは出来ないですよね。
2分ではちょっと、初日のでは不便である1時間遅くしようと。
出来ないですよね。
こういうことなんだと思うんですね。
簡単には変更が効かない。
簡単に変更が効く世界というのは、つまりすべて仮決めなので、
失われたり変更されたりしても大丈夫なんですよ。
ダメだから正そうってしなくても大丈夫なんですよ。
大丈夫だって信じられた時に悔しくなるはずないっていうことなんですよ。
イリュージョンを失っても気が晴れなくないとか気が重くならないとか気が塞がないとか気が済まなくないとか、
そういうことは全部イリュージョンだから言えることなんです。
もしこれが現実だったら気が済まないだけでは済まないってことです。
だから依頼を済ませるべきなんです、私たちはね。
人の依頼を済ませることはできますから、自分の気を済ませることはそんなに難しいと。
なぜか不思議なんですけどね。
自分の中にあるものなんだから済ませられるはずなんですけれども簡単に。
これが簡単に済ませられるようになるとすっごい楽になると思いません?
だって気になることがほとんどなくなるわけですから。
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