2025-08-01 18:31

本当の私って?【1226】

ウィニコットから考えてます。
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サマリー

第1226回のエピソードでは、精神分析に対する興味や3ヶ月チャレンジの意義が述べられています。また、参加者との関係が感情に与える影響や、精神分析が継続的に重要である理由について掘り下げています。このエピソードでは、引きこもりや恋愛に関する心の問題が深く掘り下げられており、特に他者との関係の重要性、分離不安、孤立についての考察が行われ、ウィニコットの理論が引用されています。

精神分析への関心
おはようございます。 精神分析を理解したい3ヶ月チャレンジ、第1226回をお送りします。
7月31日木曜日、10時21分です。 お久しぶりかな。少し間が空きました。タイトルも変えました。
やっとね。 まあいろいろとリバーサイド何度かとかで悩んだりもしたわけですけど、
ようやくなんとなく、別にスタンドFMのままでいいんだというふうに割り切れまして、
このままやっていこうと思えるようになってやっていきます。 3ヶ月チャレンジとタイトルに入れたのは、
明日からすでに始まっておりますが、始まる3ヶ月チャレンジの第11期がちょうどタイミングがいいのでですね、
この3ヶ月っていう区切りを少し意識しながらお話ししていきたいと思うようになりましたのと、
今日お話するメインのテーマですけれども、この番組もそうですし、3ヶ月チャレンジというサービスそのものがですね、
精神分析を理解したいと私が思い続けている間は大丈夫だろうと、
そういう考え方に至れるようになったのが大きな変化ですね。 大きくないですけどね。今まで何も変わらないんですが、
でも少し形がまた一つはっきりしてきたという意味では小さくない変化かなと思います。
昨日本当は、昨日私誕生日というやつを迎えまして52歳になったわけですが、
方々からお祝いいただきましてありがとうございます。
52歳っていうのはね、特に何がどうっていうのが一切ない、しかもすごく嬉しいぜっていうもはや年齢とも違いますが、
お祝いいただくのはありがたいことなので、ありがたいなと思います。 それを一つの区切り
っぽくしてですね、3ヶ月チャレンジも少しずれてますが、新しい機も迎えるし、ここらで自分
様々なこの困難ですね、この3ヶ月チャレンジって本当困難だなと思うようになりましたが、
でも11機続けられてきたし、それ自体が一つの成果だと思うので、11機となりますと12機であれば
4機で1年だから3年になるわけですよね。3年って本当にもう駆け出しですし、
私の場合非正規だから永遠に駆け出しな気もしますけれども、
まあこううまくいかないことの連続なわけでして、 だけどこれうまくいくとはどういうことなのか、そもそも
完全には理解できんなというところで、常にこうですね、いろいろ不安といえば不安なわけですよ。 不安とはちょっと違う気もするんですが、迷いが
はなはなしいわけですね。 迷ってなきゃいけないみたいな話はずっと出るんだけど、でも迷ってなければいけないというのと、
迷ってさえいればいいってもんではないと思うんですよね。 やっぱり何か必要だろうと。その必要なものの一つに精神分析への興味っていうのが
持続するか否かだなと。精神分析を理解したいというのは私のことなんですよ。 精神分析を理解したい人たちのためにではなくて、精神分析を理解したいと思いながらずっと
やっている3カ月チャレンジを提供しているのは佐々木翔吾ですっていう話なんですよ。 まあ、だから何なんていう感じの話になってしまうんですけれども、そうなんですよ。
で、これがどうでもよくなってしまい、兼ねないことが最大の危機なわけですね。 しかしですね、よくよくここからがまあおおむね本題なんですが、3カ月チャレンジさんの
参加者さんたちとの関係というものが濃密になればなるほど それに対してつまり濃密になるということは感情が激しく動き出すということですから
あの大変だと思ったり、もうちょっと情緒的に言ってしまえば、情緒ってまさにそういうことなんですけど 好きになったり嫌いになったり
するわけですよ。この人と永遠に喋っていたいと思うとか この人と喋るのは実に骨が折れると思ったりするとか
しかしですね、それがあんまり生き抜けると精神分析ってどうでもよくなっちゃうじゃないですか だってですね
例えば恋愛関係といえばこの話どうしてもここに行き着くんだなぁ まあ恋愛関係でなくてもいいんですよ。恋愛関係だとしましょう
恋愛関係を精神分析的に分析しながら付き合っていたら恋愛になってないじゃないですか しかし恋愛がどこまでもこうずればつまり精神分析とか全くどうでもよくなるわけじゃないですか
彼女が私を好きなのは私のことを父親だと思ってるからだろうかとか考えてたら恋愛にならないじゃないですか
つまり恋愛をするということはそういうことを考えなくなるってことですよね でもですね
そういうことを考えなくなってしまったら3ヶ月チャレンジ的にはアウトなわけですよ これは3ヶ月チャレンジの提供者さんと参加者さんの関係点はどこまでも
情緒一変等になってはいけないんですよね 情緒的なやり取りをそこに強烈に含むだけれども
情緒一変等になってはいけないわけですよ だから情緒一変等になるということは精神分析がどうでもよくなる日がやってくるということなんですね
どうでもよくなるスレスレまでいっても精神分析の興味というものが失われてしまってはダメなわけですよ
でどう考えても失われそうになる瞬間はあるはずなんですよね 今後もずっと
精神分析の重要性
しかしだからここに至近的があるなと フロイトなりでもいいんですが私の場合藤山直樹さんだったりさっき読んでたわけですね
藤山直樹さんを読んでいて頭に入ってこなくなったら危険推移なわけですね でもバンバン頭に入ってくるというようではダメなわけですよ
というのはつまり恋愛中にいやこの人は私のことをお父さんだと思ってるから私のことを 好きになってくれてるんで実際にはこの人は私のこと好きなわけじゃないんだよな
だったら恋愛にならないじゃないですか つまり情緒がちゃんと動いてないですよ
分析ばっかりして 分析ばっかりして情緒がちゃんと動いていないというのはいかんわけですよ
でもだからといって 情緒が動く一辺等で分析が一切しなくなりましたっていうのもダメなんですよ
妄想したらだって嫌いになったからもう二度と話はしませんとかになってしまったら サービスになってないじゃないですか
サービスを維持しているということは嫌いになったとかめんどくさくなったと話したくもない というそのその
まあ常年に近いものね常年に近いものが をきちんと私がまあ
分析でもいいんですが観察でもいいんですがそういうことができているということが 維持されないといけないわけですよ
そうしないと私の3ヶ月チャレンジをやっていますよというアイデンティティの連続性が 失われるわけですよ
バトンタッチしていくわけですよどんどん私が佐々木翔吾というバトンは変えない 最初にこの参加者さんが来てくれて当然そうなんですけれどもこれも私だから
一定程度貧乏じゃなきゃいけないんじゃないかと最近思い始めたんだけど 誰が来てもありがたいわけですよ
誰が来てもありがたいと思っているのにこの人やめてくれないかなって思い始める ということが起こった場合お互い不幸じゃないですか
でもこの不幸をどうやってなぜこういう変化が起きたのかということをよく考えて いく必要があるんですよ
そうするよく考えていくとほとんどの場合というか今のところ100% 単純に私とその人の関係であるケースはないんですよ
ほとんどの場合単純にも何もほとんどその人と私の関係である可能性ってないんです 私とその人の関係だけを言うならば好きになったり嫌いになったりする理由ないんですよ
そもそもリアルにあってすらいないんでここが精神分析じゃないんですけど 3カ月チャレンジリアルにあってすらいないんですよ
一緒に物を食べたと 一緒に遊びに行ったと一緒にカラオケしたとかそんなことは一回もないわけですね
ほとんどの人とは現実にあってすらいないわけ だから好きになるも嫌いになるもないわけじゃないですか
なのに好きになったり嫌いになったり腹が立ったり怒ったり 私の顔色を伺ってくれたり私が顔色を伺ったりするというのは
ここに親子関係みたいなものがやっぱり定義なわけですが 投影されているからこそ起きる現象であって
つまりそこを見ていかなかったらどうしようもないわけですよね でも感情が嘘っ端だったら本当かどうかわからなくなってしまうじゃないですか
だから感情は本当じゃなきゃいけない でも感情は作り出された
まあ言ってみれば人工的なまがいものであるってことも忘れてはいけないっていう この話はやっぱりどこが転移性恋愛の話に最もフロイトが
隣接していたというか書いてくれた中で一番近似値みたいな感じなんですよ 本当に近似値って言葉が僕はこの時にはふさわしいと思うんですけれども
この恋愛は誰もこれが本当の恋愛であると疑う資格はないっていう権利はないだったかな 疑う権利はない
つまり本当の恋愛だとそのカウンセリングルームでね カウンセリングルームは実際あってますから
めちゃめちゃ怖いじゃないですか 会ってないのに比べるとはるかにしかも連日会ってるわけですから
ほとんどの場合は だけどこれがカウンセリングルームで起きたことが恋愛本当の恋愛でないという権利は
誰にもないつまり本当の恋愛なんだよ なんだけどこれを何か非現実的なもののように扱わないといけないっていう
ああいう感じです ああいう感じが私は全対人支援必ずそこで行われていることが行動両方であったり
ブリーフセラピーであってもあるはずだと思うようになったんです だから2つあるんですよね
一応3ヶ月チャレンジの目標は参加者さんと私の関係を私が精神分析への興味を失わない枠組みでのみ行い
同時にこれは裏テーマですけどあらゆる対人支援に精神分析的な理解というものを持ち込んでいった方がいいという
これはムーブメントの意思一つなんですよ 私の中で
こういうムーブメント私は明示的にやってませんけれども まあ将来機会があったらやっていきたいかなとは思っているわけですよ
例えこれが行方のお世話ですけど行動両方にでもやってる人は精神分析を知っていったら 利用者はきっといいことがあって安心感も高まるだろうというふうに思うようになった
わけですね どうしてかというと絶対転移は起きるからだっていうことなんですよ
薄くても弱くても起きないっていうことは多分ない 起きてしまう
引きこもりの心理
この時に僕が最近いろんなケースで全部当てはまるけど特に考えさせられるのがさっき読んでたんだけど
引きこもりなんですよね 引きこもりというものがやっぱり一番この問題に深刻な影を落としているなと
恋愛モードっていうのはどっちかというと昔でいうところのヒステリーとか ボーダーとかそういった話 ボーダーは恋愛といってもあまりにも
のめり込みすぎて恋愛を超えてしまうんですけれどもね だって恋愛において
飲み込まれるか見捨てられるか2つに1つを選べっていうよりは やっぱりこう分かれるか付き合うかどっちかを選ぶじゃないですか
よく歌とかで歌われているのも拒絶か愛かのいずれかだっていう感じじゃないですか そこに飲み込みか見捨てるかのいずれかだっていうことになると
この2つやっぱ違いますよね ボーダー的な話っていうのは親子関係だなっていうその切実さがやっぱりあります
あの空襲で親がいなくなってしまった話とか めっちゃくちゃなんかこう
胸を打つものがあるじゃないですか深刻に読めばですけどね あれと恋愛だったらやっぱり恋愛の方がまだまだ読んでる安心感というものがあります
まあ人生きるだ死ぬだやりますけれども あんな彼にはもう死んじゃうし生きるだ死ぬだやりますけれども
でもやっぱり空襲で親がいなくなったってなった時の子供から見た気持ちからすると 男がどっか行ってしまったというのは
悲しいという意味では後者の方がより悲しいのかもしれないけれども なんかやっぱり切実さの差が感じられますね
だから分離不安っていうのはやっぱり厳しいものがあると思うんですが 私はこれより一段とこのカウンセリングルームにおいて難しいと言うる気がするのと
プラスどっちが難しいっていうのはわからないですけどないと思うんですけどでもプラス 今時だなとむしろ今は多くなっていくだろうって感じがするのが引きこもりの方です
なぜならば 他者を必要としない程度が一段と上がったからですよね現代社会は
フロイトは神経症の治療には他人が必要だって言ったそうですけど まあそれは認証感覚ってやつだと思うんですけどね
そうだろうなぁと思うんですよ今ではね しかし最終の時に意味がわからなかったですから私で
最終の時に意味がわからなかったということの意味はですねやっぱりこの理解度を上げていく というのが対人支援そのものに役に立つと思うんですよ
他人がいるということの神経症の人に役に立つということを知ってるのと知らないことでは えらい違いだと思うんですよ
それはどうしてそうなのかを肌感覚で知れば知るほど何の支援でもプラスになるだろう っていうのは確実だと思うんですよね
恋愛と分離の関係
例えば会社で上司が部下の相談を受けるという時ですら神経症的になっている部下 そんなことはもう腐ることあると思うんで本当に神経症気味になっている部下に他人の存在
他人というのはこの場合 あのなんていうのかな
いわゆる外部に存在するって意味なんだけどその他人の存在がその事態に対して光を 当てうるというか支援になりうると考えられるかどうかは大きいだろうと思うんですよね
大きいだろうと思うようになったんですよ だからそういう話もしていければいいかなと思うようになりました
それで 3カ月チャレンジは思いっきりその話をしていくわけですけれども
特に引きこもりというのはですね なんて言えばいいんですかね
やっぱり アイソレーションってやつですよね 孤立だっていう孤立する必要があるんだと
この一人でいられる能力というのは 複数にいる中で一人でいられる能力を意味していて
その究極的な形にはつまり 私という認識はないんだっていうあれもすごく
わかる感じがするなって言えばいいんですかね 液体の中に液体を混ぜてしまっているんだけど
そうしてうまく混ざっているんだけれども つまり私の外郭というか外壁というか
よく最近バウンダリーって話が出てきますけど そういうバウンダリーみたいな形が見えなくなっていく
ふにゃふにゃふにゃーってなってすっかり混ざってるんだけど でも私はちゃんとここに生きているっていう感じ
なんて言うんですかね あのコーヒーにミルク入れるとふにゃーって混ざっていくじゃないですか
ああいうふうにバウンダリーが バウンダリーも全くどこにもないんだけど
ノットミーかな 無視っていうような感じなんですよね つまりそれは母視なんですけれども
母親が赤ちゃんを抱えているから つまり一人でいるんですよ赤ちゃんは
母親がいることを知らないと だけど一人でいる赤ん坊などというものはいないというのとセットなんですよね
あれは ここに引きこもりの鍵があるっていうのは藤山直樹さんの読んで
私は藤山直樹さん以外に引きこもりのことを書いてる人はいっぱいいるんですけど 引きこもりってものがなんとなく分かったのは藤山直樹さんにおいてのみなんですよね
私は 松木さんではないんですよここは 松木さんも同じことをクラインの方からすごい徹底的に
クラインの方から書くとこれがすごいわかりにくくなるんだけど なるほどなって最後思えるようになったんですが
その話は後日したいと思うんですが 私はやっぱりウィニコットの方がここはわかりやすいと思う
そしてすごく多いさっきの分離の話も 分離の話って大体クライン的に説明されちゃうしそれでいいと思うんですが
分離の話もそうで つまり分離と自立が同じ方向を向いている人は幸せなんですよ
分離と自立が真逆の方向を向いちゃう人ほど大変なことはないわけで
そこにはボーダーっぽさというものと そのウィニコット的なボーイングオンビーングみたいな話とか
混ざってきている領域があって 混ざってるんですけどこの2つは多分
とにかくこうなんですかね なんとかミルクでもいいんですけどカフェラテみたいなやつね
混ぜていくとフニャーってなるじゃないですか
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