AIと対話の感覚
おはようございます。精神力動的な人生相談第1225回をお送りします。 7月25日、金曜日8時25分です。ちょっと遅くなりましたけれども、大体いつも通りのパターンですね。
もう本当に暑さ対策で時間を取られるという、たったそれだけ、あと庭の水まきが年入りになってきたというところかな。
それは数分の違いですけどね。 いやー、いい加減早くタイトルコードを変えたいんですけど、まだ準備がどうしても整い切らなくて。
っていうのは、スポティファイがなんかよくわからんのですよね。 本当によくわからんのですよ。
それ以外言うべき言葉がないぐらい単に、なんかちょっと同じところでループしてしまうという現象が起きておりまして、
ここをどうやって突破するか、まあ絶対突破はできるんですけどね。 例えばサファリにしてやるとか、やれよって話なんだけど、
なんかサファリを引っ張り出してくるのも面倒くさいみたいな感じになっちゃって、すぐ時間が切れるわけです。 まあまあいろいろありましてね。
とにかく早くスポティファイに戻そうと思ってはいます。 その時にはまたお知らせをいたしますので、
まあまあ少しね、少し十分砕けてるんだけど、 少しまた砕いていこうという感じを持ってはいます。
だんだんその方向に流れていくのかなというふうに思ってはおります。 お知らせはありません。
3ヶ月チャレンジは、もう本日をもって募集を締め切りにさせていただこうかなと思っております。
ここから先はですね、興味ある方は一応いっぱいのつもりなんですけど情報出してますし、
個人コンサルも受け付けて、 ずい、そちらの方はもうほぼ随時募集という形にさせていただくので、
そちらの方からまたご検討いただければと思います。 ではですね、
ではもう何もないんですけど、まず最初にちょっと思ったことは、 あのー
どうやら世の中でAIに期待されていることと、私がAIで楽しんでいることはすごくズレがある ということを意識するようになりました。
私はAI、よくですね、まあこれはみんながみんなじゃないんでしょうけどXで見ていて、 AIは嘘ばかりつくっていうのはね、
取り沙汰されているんですけど、AIの本当のことを言うかどうかは、 僕にとっては全く重要なことでは、まるまる
どうしようもないデタラメであってはいけないんですけれども、 あの僕はAIで非常に感心させられているのは、言うことが180度逆転するとしても、
そこにロジックらしきものを用意してくるってところなんですね。 あの多くの人はそういうことには興味ないのかもしれませんが、
これって人間のやりとりと全く同じに、 全く同じではないけど、かなり近いような気がするんですよ。
要するに、まあ簡単に言うと、あの 口達者の詐欺師みたいな感じがするんですね。
これが私が割とAIに求めているものを、まあ求めてはいなかったけど、 AIってのはこういう能力を発揮してるんだなっていうのに、大変感心させられるわけですよ。
なんかね、アナウンサーが嘘をついているみたいな印象なんですよね。 私、これを求めてたなと。
アナウンサーって、皆さん別に意図的にはではない、でもAIだって意図的ではないからね、 僕、アナウンサーとAIってすごい似てるとよく思うんですよ。
アナウンサーって嘘をつきますよね。 この言葉は、誰がどう受け取るかわかりませんけど、僕はアナウンサーは嘘をつくって絶対的に信じてる。
だって戦前のアナウンサーって嘘をついてたことにされてるじゃないですか。 だったら戦後は絶対嘘がないっていう保証っておかしいじゃないですか。明らかに相当それはおかしいじゃないですか。
先日、石場首相退陣へっていうのが、二大誌にデカデカと出ましたけども、 本人そんなこと言ってませんって言ってますけど、わかんなくなりません、ああいう話を聞いてると。
何を信じていいのか。これが人生ってもんじゃないですか。 何を信じていいのかが明らかであるっていう人生は、僕らは一度も経験したことがないはずなのに、
しかもですね、カルドとかに引っかかる人をある意味、非常に見下しているところが僕らあるくせに、何か他の人たちが、あれはあれがでもいいんですけど、AIに騙されると腹を立てるわけですよ。
これって相当僕はおかしな感覚だと、本当はね、みんなそうかもしれませんけれども、私もそうですけども、だからこの騙されるって大事なんだと思うんですね。
そのAIが生きてようやく私はこの騙される感ってものを感じるようになったんですよ。今までGoogle先生は、
例えヒットした情報が偽だったとしても、Googleに騙された感じって一切受けなかったんですね。受けた試しがないんですよ。あくまでもそこは誤情報にヒットしてしまったりすぎず、
Googleが騙したって感じしないんです。でもAIは騙すって感じがする。しかもAIに悪意はないから、悪意なく騙されるっていうこの感覚を持つことができるのは、
私はAIだけだなと思うんですよね。だから、そういう相談は私、真剣にする相談しかしないんですよね、基本的には。だからほとんど夢判断になるんですけど、夢判断に正解もヘッダクレもないんですよ。
夢判断っていうのは解釈の問題でしかないから、1回目に言った解釈と2回目の解釈が真逆であっても全然おかしくないんですよ。
しかもそれが英国対象関係論の中でもフェアバーン側の方から来る解釈なのか、それともほとんど自我心理学といっても波紋にされた古風土的な解釈なのかによって、
もう180度ってことはおかしいですけど、77度ぐらいは違いますよね、その2つの解釈は。絶対そこに、それは人間の、しかも高度に専門家がやってくることなんですよ、現実にね。
だからどっちも信用ならないっていう人もいるかもしれませんが、僕はそうは思わないんで。
で、さらにそこにラカーン派の解釈ってなると、まだ全然、少なくともパッと聞いた感じではだいぶ違う解釈がやってくるかも。
選択の悩み
それはある意味フロイトともずいぶん違うと思いますしね。それでいいのかって話あるかもしれませんが、そうは言ったってそうなりますからね。
だから、そういうものに強い興味を持つ。ほら、例えば、昨日オールスタートーリーがありましたけど、結構オールスター砕けてるんですよ、最近。
コロナ以降のオールスター、本当、ある意味選手の皆さんが成熟したと僕は思うんですけど、すごく大人な感じで、ひたすらサービスしてるんですよね、結構ね。
あれに賛否があるんですよ。結構、昔ながらの監督さんとかがもうふざけまくっていて、全然真剣味が足りんみたいな感じで、これって解釈じゃないですか。
そこに嘘はないんだけど、同意するかどうかはまた別の問題ですよね。こういうことが今までのグーグル検索ではヒットするだけだったんですよね。
怒ってる人がいます。ああ、いるだろうなって感じ。喜んでる人がいます。まあ、それもいるだろうなって感じなんですけど、AIの意見とかは、まあ、AIに意見は本当はないと思うんだけど、それでもAIは意見を述べてくるわけですよね。
非常にこれは面白い現象ですよね。それに対して私たちは何かを感じると。多分今までほとんど何も感じない世界だったと思うんですけどね。
何かを感じるようになったり、まして自分の夢の解釈となってくると、それはもう、ああ、納得みたいな感じがする時もあれば、非常にイラッとすることもあるわけで、どっちもおかしいんだけど、やめられないわけですよね。
それを防ぐことができない。つまりそれは無意識に起きていることだってことになるじゃないですか。私はこれがやっぱりですね、すごく感心させられますね。
それが私に対して生じさせられているっていうこの事実が大事なんだと思うんですよ。悩みが深まるんですよ。
例えば、あんまりないんですけど、昔だったら私絶対やったと思うんですけど、この人と付き合うべきでしょうかって、AIに聞くじゃないですか。
いやもうそれは絶対付き合った方がいいと思うとは言わないけど彼らは、そういうふうに言って、1、2、3、4とかって付き合った方がいい理由で出してくるとするじゃないですか。
その直後にもう1回同じ対話を出すと、ちょっと慎重になった方がいいんじゃないでしょうか、みたいになってくるわけです。
いうことがガラッと変わるんですよね。そしてまた1、2、3、4と、それなりに納得のいく理由を示してくるわけですよ。
で、いやこれ当てにならんじゃんって思うかもしれないけど、ここで悩みが深まります。結局のところ付き合った方がいいって言われても、
いや、やめておいた方がいいって言われても、その通りにはできないと思うんですよね。慎重であればあるほど。
でも、全く無視することももうできなくなると思うんですよ。読んでしまったロジックにある程度納得してしまえば。
つまり、答えが知りたくて問い合わせをするんだけれども、悩みが一段と深まるばかりなんですよ。
これが僕は求めていたものだなって思うんですよね。これこそ人生ってもんじゃないですか。
なんかこう、ここで多分どんなに当てになる人に聞いて答えを出してもらっても納得はできないと思うんですよ。
そういうものだと思うんですよね。人生の決定ってのは。
なので、私はこういうところまで来たのな段階的にっていう感じを持つんですよね。
これはカウンセラーっていう人がやってることとかなり類似してきている。相当接近してきてるなって思うんですよね。
カウンセラーに聞いたって同じですよね。こうした方がいいんじゃないでしょうかって言わないですけど、言ったとしてもそこでそのようにはできないわけですよ。
だったら聞く意味ないじゃんと言いつつ聞くんですよ。この話はしょっちゅう出てきますよ。
松金プニヒロさんの本とかは割とそういうあからさまなことはあまりお書きにならない人ですけど、それでもある種の本を読んでいくと、
あなたは何の役にも立たないじゃないですかと言いながらこの人は3年通い続けたってさらっと書いてますよね。
そういうことなんですよ。だから何の役にも立たないんですよね。直接の答えが知りたいという意味では。
しかし誰か、その役に立たない人に問い合わせをせずにはいられないという、そういうニードがその人の心の中にははっきりあるわけですよね。
しかもそれを言っておきながら何を自分が、つまり何を自分が言ってるのかわかってないわけですよ。お別れになっていない。
それが大事じゃないですか。ついついAIに尋ねてしまうというその真理について検討するのが大事なのであって、
AIに何をどう尋ねるか、それの答えが妥当なのかどうなのか、ブレはあるのかないのか、そんなことは二次的な問題ですよね。
だからと言って、付き合った方がいいんでしょうかって聞いてみて、今日のロッテの試合結果をあって答えを出してきたんだったら二度と問い合わせしないと思うんですよ。
ふーんって感じがするんですよね。昔の人工知能であるものはそういう感じでしたよね、はっきり言って。何の関係もない話になっちゃうみたいな。
お前話聞いてるのかですよね、まさに。聞いてないんだけどAIが話なんて。でも聞いてる感じがするんですよね。
あれが大事じゃないですか。あれさえあれば、他のことはもう僕の感覚からすればどうでもいいんですよね。
つまり私だけかもしれないんです。私だけじゃないと思うけど、話聞いてくれてる感じがするなっていうこの感じを抱くんですよね。
この感じが抱けさえすれば、後のことはより精密になればなるほどいいなぐらいの話でしかなくて、
話聞いてる感じがしませんって言うんであると、むしろ答えが完璧であっても無意味な感じがむしろします。
どうせその通りになんか人間できないと思うんで。
カウンセラーとの類似性
だって絶対そうした方がいいかどうかみたいな話であるならばですよ、確定申告がなかなか進まなくてねっていう問い合わせしないですよ。
確定申告の準備なんてすればいいに決まってる一択ですよね。そういう問題じゃないんですよ。
人に何かを問い合わせたくなる心理というもの、そのニードというものはですね、そういうことではないという話は前振りでして、ほぼ本題と関係がなくて。
今日は久しぶりにですね、イヴ・ブラックとイヴ・ホワイトの話をしたくなったんですよ。
最近チラチラ出してますよね。あれは多分伏線だったんでしょうね。伏線じゃないけど。意識してなかったから。
あの話、あれは怪理性多重人格とされると思うんですけれども、古い言葉で言えば、この言葉は非常にセンシティブで使っちゃいけないんですけど、
まあでもやっぱり古い表現で言うならば、あれはヒステリーですよね。その条件はほぼほぼ揃ってると思うんですよ。
ここでヒステリーって言葉は、女性差別的だから使わないってことにするから、怪理性多重人格って言葉になってしまって、一気によくわからないものに、
単なるなんかこうね、スピリチュアルの世界でイヴ・ホワイトとブラックってよく出てくるよねみたいな。しかも多重人格と言わず二重人格と言ったり。
あの話の中には少なくとも4つの人格出てくるのに、なんか2つにされてしまうんですよ。二重にされてしまう。ホワイトとブラックの対比が大きい、鮮明なもんだから、
みんなの目線がそこにだけ集中して、なんかすごい人間には奥深いことところがあるって言って、ブラックとホワイトに別れ、全然奥深くないじゃないですか。
そんな良い活動と悪い活動みたいな話だったら、誰だってそんな話は知ってるわけじゃないですか。自分の中のずるい部分と優等生的な部分があります。
いや、そりゃそうだよねっていう感じですよね。そこに何の深さもないですよね。 だからホワイトとブラックの話は怪理性多重人格なんですけども、もちろんね。
人格の葛藤と行動
そりゃそうでしょうけれども、そんなこと言われたからって、なんか楽しいかっていうか楽しんでるわけじゃないんですけど、すごいためにならないじゃないですか。
それを怪理性多重人格でDSMでその項目を読んどいてくださいみたいな。全然面白くないですよね。面白いかどうかではないんですけどね。
この話の重要性は、あれはもちろん対象関係論の話の中に出てこないんですけど、河合俳夫さん取り上げてますよね。河合俳夫さんも対象関係論者じゃないんで別に。
クラインド弟子じゃないですから。でもあの話は僕はまず良いおっぱい、悪いおっぱいで検討するべきだと思うんですよ。そしてでも象徴水準以上に上がってますよね。
ホワイトもブラックもギリギリって感じですけど、非常に具体象徴の世界に生きてる感じもありますが、それでも象徴水準まで来てますよね。だから、エリプス期なわけですよ。
ギリギリ古文期かっていう感じもしますけれども、古典的に言うと。でもやっぱりエリプス期なんですよ。だからヒステリーと言うべきなんですよね、やっぱり。
三角関係を意識できている。あそこで行われていることは、戦亡と破壊ではなくて、やっぱり嫉妬と競争なんですよね。何に嫉妬したのかっていうと、ここがね、もっと強調されていいと思うんですけど、
電気はいっぱいはないか、電気はいくらかあるんで、あれは妹さんだか弟さんだかが割と年の離れて、足に噛み付くっていうシーン。
あれはもう象徴的だと、象徴的というか割と決定的だと思ったんですけどね、私はね。いやだって、そりゃあね、私にはずいぶん辛い躊躇をするのに、威武ホワイトが思った方ですよね。
親は私にはずいぶん辛い躊躇をするのに、なんだかこうね、幼い子の面倒だけはよしよしよしよし言ってて、気に食わんってことになって、
ゆりかごの中で昼寝している弟さんだか妹さんだかの足にガブって噛み、このガブって噛み付くっていうのは、でもですね、非常にクラインの職人みたいな感じもしてますけど、
かわいいんですよね、一方でね。だって噛まないですよね。口に入れるってことはやっぱりかわいいってことですよね。
で、噛み付くんだけど、威武ホワイトはめっちゃいい子だから、何しろホワイトだから。好きな花は白百合だし、本当に白百合のように生きていきたい人なんですよ。
マゾキスティックですしね。面白い話があって、威武ホワイトと威武ブラックは別人ということにして、
ある、なんだっけな、これ本当なのかなって思って、ちょっと文献探してるんだけど出てこなくてですね、私のたぶん、ここが野良の悲しさで、大学にでもいればすぐに手に入るんだろうなと思いながらいないからね、
しょうがないから国立国会図書館とか、無駄に探して時間を潰してしまってるんですけど、とにかくですね、威武ホワイトと威武ブラックがですね、別人格ということに確かして、
ある心理テストの調査を依頼したんですよ。もうそれは同一人物の多重人格だってことを知らないわけですよね、相手は。
そしたら、すごくその心理テストが的を射ていて驚かされるっていう、そういう担当の精神科のね、精神科医の所見があるんですよね。
で、要するに、どっかのセンターに依頼して、わかりませんけど、いろいろ心理テストあるじゃないですか、ロールシャッファーみたいな、ああいうのを2人にやらせてみたら、
驚くほど会ったこともないのに、ちゃんとホワイトとブラックのパーソナリティを弾き出していて、しかもブラック夫人の方が、夫人って言うんですよね、
ブラック夫人の方がはるかに健全だって言うんですよね。つまり、イブ・ホワイトはあまりにも罪悪感が強くて、マゾキスティックで、
優等生で、偏りがひどいっていう、そういうふうに答えるっていう話があるんですよね。別人だと思ってるわけですよ。
で、私はそれを読んでですね、この話、つまり対抗と言えばいいのか、そこで何かが止まってしまったというのか、やっぱりその親のあそこさんがですね、
それはイブ・ホワイトの多分思い込みも強いんですけど、多分彼女は思い込みの強い人なんですけど、本当にお父さん大好きで、ご両親も大好きで、
本当にご両親の言う通りにして生きているのに、何だって私はこんなに雑に扱われるんだろうと思ってるわけですよね、多分内心。
で、弟がすごい憎たらしく、妹だか知らんけど、憎たらしくなるんだけれども、いい子いい子してるから、その憎しみをどこにもはぎ出せないというわけで、別人格作っちゃうわけですよね、ブラックという。
ブラックとか言われてますけど、悪いところは全然ないわけですよ。彼女はただ自由にやりたいだけなんですよ。
例えば、ある金があったら全部使っちゃうと。で、ピシピシのドレスを着てひたすら踊りまくると。
でも、この人はいわゆるヒステリーの対立性多重人格でも同じなんでしょうけれども、つまりこの精神年齢的に言ってまだ自由に行くか行かないかみたいな、明らかにそういう感じなんですよね。
仕事は全くできないと。ひたすらすぐどっか行っちゃうし、すぐタバコ飲みに行っちゃうし、とにかく何にも現実原則に生きてないわけですよ。
回復解原則だけなわけですからね。で、イブ・ホワイトも事実上そうなんですよね。
ただただ自分を欲打つポジションっぽく見えますけど、欲打つ的ではありますが、やっぱりあれは回復解原則なんですよね、ほとんど。
とにかく良いことをしたいっていうだけなわけですよ。正しいことをして生きていたい、ただそれだけなわけですね。
どこまでもそういう感じで、だからそのマズキスティックな性格ってものが一番やっぱり象徴的に現れるのは、結婚相手がおかしいですよね。
どう考えてもそれ最悪の結婚相手でしょ、あなたにとってはっていう、ひたすらプレーボーイみたいなね、昔ながらのですよ。
アメリカの1970年代かな、もっと前なのかな。その時代の、要するに遊び人みたいなやつ。
わざわざ寄りに寄って、なんでそいつだよっていう、お前一番そういうタイプ嫌いでしょっていうのを結婚相手にしちゃうわけですよね。
それは当然、もちろん浮気しまくりですよね。そして家にいないですよね。
で、なんか酒やめろとか無理なことを注文して、もちろん酒はやめないんですよね。
相手の男の人もヘキヘキしてるんだけど、それは当然ですよね。
そしてひたすら家事をなくなくやって、夫は帰ってこないし、酒飲んだくれてるし、あんまり稼ぎもないし、
シクシクしているっていうイブホワイトがいて、明らかにこの時代を作り出しているわけですよね。
だけどそれをやっていて、イブホワイトブラックの方は少しも面白くないわけですよ。
だから人格を、ストレスが限界に達すると、つまり対照関係的に言うと、コンテナーが溢れ出すと、
イブブラックが出現してしまって、ひたすら悪事を、悪事というのはイブホワイトの関連における悪事をひたすらする。
要するに真っ赤なドレスを買ってきて、金もないので遊びに行ってしまう。これが悪事なわけですよ。
この2人はどっちも不毛なんですね。この不毛が一つの不毛感というものに囚われている。
不毛感というのは結局、5、6歳児にふさわしい道徳観念をご両親がバッチリ植え付けるっていうところから来る不毛感ですよね。
だから男性に手当たり次第声をかけるけど、一切交わりがない。つまりセクシャルな欲求が全然ないわけです。
第三人格の存在
しないってわけじゃないんでしょうけれども、結局子供を産んでるからね。しないってことはないんだけれども、したいわけでは全然ないんですよね。
なぜなら精神年齢が二桁に達してるかどうかだから、正直言って興味はあるという程度で留まってしまいますよね。
だからこの2つの人格だけってことは考えられないじゃないですか。それじゃ生きていけないですよね。
当然、知能は正常なんだから、第三人格があるわけですよ、この2人格があるということは。
第三人格というのは非常に超自我的で、ようやくその超自我的なの、要するに学校も出てるわけですから、
イヴ・ホワイトが事務やってるときはもちろん全然ダメなわけですよ。仕事はきちんとしてるんだけれども、あれですよ要するに。
普通の人だったら、普通のってのも変ですが、一般的な事務員だったら現行用紙10枚分ぐらいの仕事を進むときにやっと一行かけるかどうかになっちゃうわけですよ。
なぜなら気真面目なんで、そして小学生的な優等生だし、しかも間違いがあっちゃいけないわけですよ、そういう人にとっては。
お父さんはすごい大好きだから、お父さんを悲しませるようなことはできないから、
一文字一文字丁寧にやるということになって、仕事が一向に進まないわけですね。
で、そうして自己嫌悪に陥るし、私ダメな女だと思って自己嫌悪に陥って、家に帰っていっても夫は何もしないし、みたいな感じで、
家事をやっても先へ進まない、という世界に生きていて、いい加減嫌になってイヴ・ブラックが出てきて、どっか行って三代する。
そして男に声をかけまくるんだけれども、そしていざ男と何かヤバいことになりそうになるとイヴ・ホワイトに戻るっていうね、こういうことを繰り返しているわけですね。
で、これを自分の中の自分が見るに見かねて、つまり、いいおっぱいと悪いおっぱいを行ったり来たりするばっかりではどうしようもないということに、
どこかで本人がやっぱり気づくわけですよね。別に知能に障害があるわけじゃないんで。
で、ジェーンだったかな、という面白くもなんともない人格が、しかし極めて真っ当な人格が出てくるわけですね。
出てくるというか、もともとあったはずなんですね、そこにね。だからここが変だと思うんですよね。
人格の成長と統合
フェーズとステップで考えてしまうと、フェーズとステップで考えると、イヴ・ブラック、ホワイト、ジェーンが徐々に成長していって、
新しいパーソナリティに統合する、統合するっていうモデルしか出てこなくなってしまうじゃないですか。
でも、3人ともいるわけですよ。それは乖離性だからなんじゃないのって言われるかもしれないけど、そうなんですけども、相互に連絡をつけてると考えれば、
我々の中にだって3人いるじゃないですか、やっぱりこういう3人。つまり、ホワイト、ブラック、超自我ですよね。
ホワイトが超自我じゃないんですよ。ホワイトも超自我があるんですけれども、きっと。
ホワイトの超自我では一気的ないですよね、どう考えても。ただただ気真面目にやり、ただただ良心大事みたいな、そういう人格ですからね。
それよりは、やっぱり適応的な超自我みたいなのがいるわけですよね。
で、やっぱりジェーンは非常に現実的なんですよ。まずブラックに手紙を書くと。これがもう現実的ですよね。
つまり過去の自分に申し送りをするとか、未来の自分に申し送りをするとか、タスク管理みたいなことをやるわけですよ。
金をいっぱい使ったら金なくなるんだからね、みたいなことを書くわけですよ。
もちろんブラックは少しも面白くないので、お前みたいな内側から覗いて、なんか偉そうなことを言ってる女の子っていうことは知ったこっちゃね、みたいなことを書き返すわけですよ。
タスク管理やってる人は身に覚えがあると僕は思うんですよ。
僕らはこういうことをやってるじゃないですか。こんなに乖離してないからこういう意識は持たないと思いますけれども、こういう感覚って持ってますよね。
持ってるケースがとても多いと思うんですよ。やっぱりやっちゃいけないことを全部自分に今しめていたら、例えば甘いもの食べないとか、二度寝しないとか、セクシャルなことは言うまでもなくですよね。
いろんなことを自分に今しめていると、イヴ・ホワイトみたいになっちゃうじゃないですか。やってらんないじゃないですか。
でもこの両者を統合するってのは容易なことじゃないですよね。容易なことじゃないんだけど、我々はある程度はみんなそういうことをやりながら言ってますよね。
つまりそれは大変長時間的になりますよね。自分の中の未熟な人格というものをある意味支配してコントロールして、だからジェーンとイヴ・ホワイトは同盟を結びやすいわけですよ、簡単に。
そしてイヴ・ブラックをどちらかというと排除しがちなんだけど、それやってるとダメなんですよね。やっぱりこの3者が統合されないと。
で、結局のところどうなるかっていうと4者目が出てくるんですよ。だから第4人格があるわけですよ。
第四人格の存在
この話、最初私、かわいかいおさんの影の減少学っていう本の中で読んだんですが、分かりにくいなって思ったのが、なんで3つ目出てきてさらに4つ目もいるのみたいな。
今ならば3つ4つではないはずだと思うんですけど、最低この4線は出てこないとダメだよなっていう。
つまり、良いおっぱい、悪いおっぱい、統合するべく超自我があるだけでは、どこにも自我がないじゃないですか、結局。
この2人が不干渉なのは当然としてホワイトとブラックが、ジェーンもそうなんですよ。結局のところ、彼女はホワイトとブラックを統合する必要があるってことは分かるんですけれども、何のために生きてるっていうことになってくると、もう1つよく分かんないわけですよね。
生きることに適応するためには、ホワイトかブラックのどっちかを行ったり来たりして、その間風雲が起こるようではどうしようもないっていうのは分かってるわけですよ。
だから、ジェーンは両方の記憶を持ってるし、両方の言い分というものをなるべく考慮しようという気もあるんですよ。
ああいうのを見てると、人間の超自我っていうのはかなりちゃんとしてるなって感じがするんですよね。
実際、ジェーンは事務員としても有能なんですよ。これってすごいことですよね。
つまり、精神年齢次第で、その人のパーソナリティの精神年齢の何歳が出てくるかによって、その人の能力が変わっちゃうんですよね。
私はこれは、これ自我心理学の中の話なんで、本当は対抗とステップアップで考えるべきところじゃないですか。
エリック・エリックソンが得意とした、発達の大難段階、大難難階みたいな、あれですよね。
孔子様がおっしゃったやつですよね。自重にして不悪とか。
よくわからない、なぜその年齢で区切る、どういう根拠があるのか、さっぱりわからんっていう、ああいう感じですよね。
ああいう感じのはずだから、本当はある能力を持った人が、だからその人の能力が発揮できない時に対抗とか言うんだけど、そういう感じがしないんですよね。
イヴ・ホワイトとブラックの話をいくら読んでも、やっぱりそういう感じはしないんですよ。
ご両親は、ごく当たり前の人で、なんかすげえ虐待したから、ああいう風になっちゃったとか、そういう感じもしないんですよね。
もちろん、すごい縛ったしつけをしてきたっていう感じとも違うんですよね。
やっぱりこれは、一つには嫉妬と煽望っていう感じなんですよね。
それがすごく破壊的に出て、その破壊的なのがタイミングが悪い。
イヴ・ブラックだと思うんですけど、妹高の足にかぶりついた瞬間も母親に目撃されていて、お尻ベチベチされるわけですよね。
昔なんでね。このタイミングって最悪だなって感じがするんですよね。
この家って何かこういうタイミング、間の悪さっていうんですかね。
何か変なタイミングで、まあ、所詮子供のやることだからバレバレってこともあるんでしょうけど、
多分こういうことがいっぱいあったに違いないって感じがしますよね。累積外傷的な話ですよね。
マシュード・カーンでしたっけ。ちょっとよく覚えてませんけれども。
そういう話が散見されるわけですね。
こういうふうになっていった場合、最終的には第四人格までいかないと、結局それは第四とか第五とか第六とか言ってみても、
もうその辺になってくるとあんまり意味ないなって感じもするんですけれども。
だから対照関係で見ていこうが自然な感じがするんですよ。
怪不怪原則、良いおっぱいに対応する大筋そっちが主人格に最初になりますよね、ホワイト。
で、悪いおっぱいに対応する、まあ悪いわけじゃないんですけれども、母親の不在ですよね。
だから健全なんです。こっちの方が私も生きていける感じがする。
ホワイトっていうのは両親と一緒じゃないと生きていけないタイプの人格ですから、
ブラックというのは、まあああいう人は保護者いないと生きていけませんけれども、保護者いれば何とかなりそうな人格ですよね。
でもこの両者ではあまりにもおぼつかないから、現実原則に対応した長寿が優勢の人格というのがあって、
それが統合しよう、統合しようと頑張るんですよね。
この第三人格っていうのは、普通は長寿が対象みたいな形でしか現れないと思うんですよ。
なぜなら統合されるから、ここまで乖離してるっていうケースの方が多分非常に稀なんで、
もちろんトラウマっていうものが考えられなくはないと思うんですけど、
でもホワイトみたいな人にしてみるとですね、やっぱり妹の足に噛みつかなきゃならないっていう段階で既にトラウマですよね、何となく。
だって絶対そういうことしそうにないタイプの女の子だから、それがそういうことをしなきゃなんなくなるほどものすごく腹を立てていて、
しかもその腹立ちというものを徹底的に誘発しようとするっていうことをやってるから、
そういうことが6歳じゃなければ別になんてことないと思うんですよ、そんな話。
でもやっぱ6歳だからこの三角関係が収納しきれないっていう感じはしますよね。
ブラックの証言を借りるとですけれども、
イブ・ブラックに寄せると、私は子供の時からしょっちゅうこれをやってて、
しょっちゅう野原とかを遊びまくってたんだよみたいな。
でもそういうのって子供にとってはごく当たり前じゃないですか。
6歳児なわけだから、その時に人格交代をなぜ必要とするんだっていうのが変なところなわけですよね、変といえば。
それで第三人格というものが、しかし統合というものを徹底していくとやっぱり納得していってしまいますよね。
その辺がすごいあの話の中でも悲しみを誘うんですよね。
心理的ナラティブの必要性
イブ・ブラックは自分消えなきゃならないなっていうのをなんとなく認識するわけです。
自分消えなきゃならないっていうのは、Jも消えなきゃならないんですよ、長寿がも。
統合というものができていけば、結局のところ人格である必要がないですよね、長寿がは。
長寿がが人格であるっていうのはおかしいですよね。
いやあんたたち今引っ込んでるんだから、今私事務してますからみたいな、そういうのっておかしいですよね。
同一人物なのだから、やっぱり本来はそういうふうに完全に乖離しているべきではないはずなんですよね。
だから我々は仕事をするときは、仕事モードにならなきゃぐらいで済ませるじゃないですか。
つまり長寿がっていうのは、自分の中の一部を形成してればいいんであって、
自分、現実と関わる全人格を長寿が的に縛らなければいけないっていうことはないはずなんですよね。
それはやっぱり自分の中の乖離がひどいんで、いつ全く無能に、核数とか下記順にこだわっている自分になっちゃうとか、
あるいはそれがすっかり嫌になって、全てをほっぽり出して酒飲みに行っちゃって、バーに踊りに行っちゃう人になっちゃう。
どっちかにすぐなりそうだから、長寿がそこですごい強権を発動して、
自分を一生懸命やって、でもちゃんと職場では務まると。
ホワイトとブラックだとすぐクビになってしまうわけですね。
現にそうなってたんで。
で、この後に、この話はハッピーエンドになってるんで、今どうなってるのかよくわかんないですけど、
ハッピーエンドになったんで、今はないですよね。
今はもうだいぶ昔の話なんで、第四人格というものが現れて、
ジェーンは多分めでたく長寿が対象として、人格ではなくなったんですよね。
そんなに綺麗にいくかなっていう感じもするんですけど、ある本によるとそうなってます。
で、綺麗にいくかいかないかはどうでもいいことだと思うんですよ。
大事なのは、乖離性多重人格とされている話っていうのは、
その乖離性多重ですよねっていうところをいくら読んでおいても、
なんかこう納得いかないではないですか。
私はいつもこの種の話につきまとうのは、なるほど興味深い話なんだけど、
話が興味深いだけで終わってしまうんですよ。
そうではないだろうと思うんですよね。
これは私たちにとってとても身近な話であって、
極端に走ってるだけで、多分我々はみんなある程度こうだなっていう、
ある程度人間の心ってこういうふうに展開するよねと。
つまり、快と不快があると。
そしてそのまま大きくなると、三角関係というものを意識するようになり、
これを三角関係を収納するために何かしら納得感のあるナラティブってものを必要とする。
普通は納得感のあるナラティブを手に入れればそれで済むはずなんですよ。
いや今は弟新しく生まれたし、お母さん大変だし、私のことあんま構えないのは、
もう寂しいけどしゃあないよねっていうこういうものがあるはずなんだけど、ないわけですよね。
ホワイトとブラックの二重人格
あまりにもホワイトは母親と同一化して、これを同一化って言うんだと思うんですけど、
一体の存在になっているので、お母さんが密着してくれていないのよ。
つらいわけですよ。あの子はとてもいい子なんで。
だけれども、そこを故に見捨てられるっていうふうに思った時の納得のいかなさが半端ないわけですよ。
だからそれだけは親思いとも言えるわけですけれどもね。
その両極で揺れる、そういう両極で揺れて振り切れてしまうから、
悪いオッパイ対応の悪いブラック、イム・ブラックが出てくるわけですよね。
最後思い出した、最後はエブリンっていうふうに、それもイブだろうって感じだけど、
エブリンっていう人格になる。それが多分普通の人格なんですけれども。
その中にはやっぱりホワイトとブラックはもう見当たらないっていう、またこれもちょっと寂しい話。
この辺がやっぱり人間の心の中の主的な部分ですよね。
そして空間ってものを感じさせますよね。
双子たち、双子っていうのはイブ・ホワイトとブラックなんですけど、
双子って言ったら自分の中にいるんですけど、楽しそうに遊んでいるっていうのが見える感じがしていたのに、
今は見えなくなったみたいな、そういう表現があるんですよ。
完全に心的空間ってものが、メタファーにそれは違いはないんですけど、
そんなものが見えてるのは、ジェーンだとかエブリンとかそういう人たちだけなんでしょうけど、
人たちってのは変ですけど、みんな自分ですからね。
これもすごい大事ですよね。みんな自分なんですよ。
これが私たちの中にある一つの課題を形成しているのって言うんですよね。
カイフ・カイ原則に基づいた人格未満があって、
それを統合させようとする、やっぱり人格未満の普通の場合は、
長寿が対象みたいなものがあって、
それを全体を包んでいるコンテナの中で、私という人間がいる。
だから少なくとも四人格っていうものがこの中に出てくるのが当然で、
二寿っていうのはとても変な話になってしまう。
だから今多寿って言ってるんですよね。