庭仕事とカウンセリングの類似性
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1175回をお送りします。
5月1日、冥帝の日か、木曜日、7時40分です。
ちょっとなんかこう、しんやり朝はして、昼はガッと気温が上がって、で、私は多分高燃気障害が出て少々頭痛がして、
夜になるとまたガッと下がってきて、その時はなんか涼しくていい感じみたいなところですかね。
昨日飛ばしたのは、庭の買い物に行ったせいなんですよ。
ああいうのって、みんな朝が早いじゃないですか。苗とかね。
だからもう眠いわけで、これはちょっと、これを取って悠長にまた二度寝してみたいなことをやってると苗なくなるんで、
もうやむを得ず、すべてに目をつぶり、妻とこういう時喧嘩になりやすいんですけど、
幸い昨日はあんまりやり合うこともなく、平和に苗を買って戻ってきたんですけど、まあ疲れますよね。
畑仕事って肉体労働そのものなので、農家の方って本当大変だし偉いなと思うことしきりなわけですが、
うちはなんちゃって家庭菜園ですから、でも疲れるんですよ。
というわけで昨日は休み、今日もまだ体が痛い、運動してませんからね、はっきり言ってね。
ただこのですね、これはもう本当に全く評端からコマもいいところなんですけど、
庭仕事というのは、僕は必ずこのエキスキューズ入れるね、僕も。
カウンセラーにはいいですね。そういう話しようかなとどっかで思うんですけどね、
庭仕事って絶対カウンセラー向きだと思います。
庭じゃなくてもいいんで、とにかく植物を相手にするっていいことだと私は思いますね。
ままならないし、目に見えた変化ないからです。
でも変化するんですよ、必ずね。
失敗もするんですけど、それはだいたい不可抗力なんですよ。
この辺がすごくこのカウンセリングな世界と似てるんですよね。
目の前で劇的な変化をしたらかなりやばいんですよ。
それはそういう特殊なお花でないと起こらない。
あと、自分が善意でやってることは基本いい結果を生むんですよ。
ただし、だからといって台風が来ないとかは期待できないわけですよね。
台風が来たらケアしなきゃいけない。
もうどういうことであってもケアしなきゃいけない。
マネジメントしなきゃいけない。
だけどあとは基本的に善意とお任せなんですよね。
自分にできることは常識的にまともなこと。
知識を増やせば増やすほどいいんだけど、知識が全てを解決するわけではないんですよね。
だって台風来ないようにはできないじゃないですか。
だからその他、急に寒くなることを防ぐこともできないし、
長梅雨で日光が足りないときはもう祈る以外のことはないみたいな。
しかし、頑張ってればその地位ことがある。
似てるんですよ。
だからこれはやっててよかったなと思ってます。
今後もやり続けようとなんとなく思ってます。
そういう感じなんですよね。
3ヶ月チャレンジの試行錯誤
そういう意味では魔法の秘寮とかが売ってるわけですよ。
あの文言が自己啓発ですよね。
中に入っているものは大して違わないんですよ。
普通の秘寮と。
今時代はよくできてますからね。
でもよくできているってことは進歩の余地はあるわけですよね。
魔法みたいだって思うときもたまにありますよ。
ほぼほぼねぐされ、もうちょっと無理だなって思ったときに、
引きかけ続けていたら治るみたいな。
それは本当にそれで治ったのかどうかわかんないです。
この辺も全部すごくスピッポさがある。
これと無縁でいられないところも似てるんですよね。
あと劇的に悪化することがありますね、たまに。
だから長梅雨とか去年のようなことにも来るでしょうけど、
酷暑。
もう地面の温度40度突破しましたみたいな。
植物普通に枯れますから。
水まいたところでそれ全部お湯になるから。
本当に厳しいんですよね。
できることはすごい限られる。
暑さに相当強いやつ。
例えばトマトとかは強いですね、確かに。
あとある種の植物はやっぱり強いですね。
まあそういう話。
だけどあとは日陰に置くとか。
だからプランター中心にするとかですね。
そういうふうに庭の話で5分使うのはダメなんで、
先へ進みますが。
最近思ったんですよね。
今日5月1日。
ついにめでたく3ヶ月チャレンジ第10期スタートです。
3ヶ月チャレンジ内実報告キャストと化していますが、
これはこれでいいんではないかと思っていて。
最近ですね、
まかないとか3ヶ月チャレンジのバリエーションで
サービスを増やすっていう発想から脱却しようと思って、
独自にもう1個サービス作っちゃおうかなと思うようになりました。
さっきの2Y心理臨床にいいよね的な話をする。
これは商売にするレベルじゃないな。
とりあえず時々Xとかに投稿するレベルだなっていう小話ですよね。
この小話で炎上するからみんな嫌になっちゃうんだと思うんですよね。
だって小話で炎上するの損くさいじゃないですか。
別にどうせ小話なんだし、儲けになるわけじゃないんだしね。
そういうのは心理臨床化としてみたいなことを言われるのってバカくさいじゃないですか。
どうでもいいことなのに。
そういう心理が働くよなというのはちょっと思いますね。
また関係ない話で6分になってしまったんですけど。
ここにね、昨日ロッテが云々とか入れると取り留めもなくなっていくんですが。
一旦それはやめて。
3ヶ月チャレンジの他になんかちょっとこうなんていうのかな。
つまり3ヶ月チャレンジって本格的なんですよね。
本格的なだけにしようかと思ってるんですけど。
本格的なのは本格的にやるとして。
本格的と言いながら3ヶ月で7万5千円で済むのかって話もあるんだけど。
これ以上はやっぱり最初の人にしてみると難しいと思うんですよ。
でもこれって1ヶ月あたり2万5千円じゃないですか。3で割るから。
4週やってるわけだから2万5千円をざっくり割って6千円じゃないですか。
週に1回の面接、2回のグループセッションで6千円ってどうよって感じなんですよね。
1回あたり2千円相当になってるじゃないですか。
個人面談を高めに見積もるとどうなるかというと。
3000円、1500円、1500円になっちゃうわけですよ。
ここがもうやっぱり限界ギリギリだなっていう感じですよね。
心理臨床の金額としてはもうありえないほど安くしてしまっていてダメでしょうってことになっちゃうんですけど。
ここでもう1つ心理臨床ではないですと私が言う理由はあるんだと思うんですよね。
だって臨床で1回の面談3000円って見たことがないですもん。
ケースによっては保険利かせでもこれより高くなりますよね。
15000円ぐらい取ってるところって普通にありますから保険が効いて3割だとしても3000円では負かないですよね。
私の多分2500円ぐらいになってるからもう負かないないですよね。
だからもうこれはここまでだなって思うんですよね。
やるとしたらやっぱりこうちょっと違うことを考えればいけないっていうか。
いろいろ考えだけは膨らむんですけど、でもそれを実際にやるとなるとなるみたいな感じで。
3ヶ月チャレンジの第10期をやってみてその負担を考えた上でやりつつ。
ちょっとこうやりつつじゃないとわかんないんで。
やり終わった後は開放感とかに浸ってまたぶち上げちゃうんで。
やりつつできる範囲内で新しいサービスを考えようみたいに。
ただこれはですね多分これほど心理臨床に近づくみたいな本格的なことはもうしないと思うんですよね。
嫉妬と精神分析の考察
そうではない方向の方がいいだろうなというふうに思ってます。
ただ本格的でなくていいってことにはもうならないんで。
まかない的なものはやめようと思ってます。
チャレで出てきた切れっぱしを売るみたいな。
ビジネス的にそれは正しいんだと思うんですけど、私の場合それはやる気が全くしないんだということがだんだんわかってきたので。
やっぱパーソナリティってありますよね。大事だなと思います。
自分の性格に合わないことはやめようっていうことですよね。
そこまで考えたところで、その話は一旦置いておいて、再びようやく本題に入るわけですけど。
なんで本題がいいようになったんだろう。
3ヶ月チャレンジで今、目標としているっていうのとも違うんですけど、
言ってしまえばですけれども、オリジナルに対する気持ちってことなんですね。
オリジナルに対する気持ちと詐欺すみ。
この詐欺すみがどこからくるのかっていうことを割と精神分析を考えるにあたって私は考えてきて、
ここですごく自分の中では理解が進んだなってことがあるんですよ。
ぶっちゃけ言ってしまうと、私が考えたのは不法のセックスってやつなんですよ。
最近現行形を盛んに話題にしてますけど、まずこれを思い描くと気持ち悪いって私も思ってたんですけど、
いう人いっぱいいらっしゃるじゃないですか。
なぜなのかってことは出てこないじゃないですか。
これについてなぜなのかを考えたときに、精神分析の説明が一番私の理にかなってると思ってたんです。
私の気持ちを言い当ててるというよりは理にかなってるって思ったんですよ。
不法のセックスが気持ち悪いって言うけど、私たちは、女性は女性向けのサービス少ないから。
男はかなりの割合でセックス見てますよね、ビデオで盛んに。
不法のセックスが気持ち悪いって言うけど、絶対不法のセックスですよね。
見てるセックスはある意味全て不法のセックスですよね。
あれなんで他人のだと気持ち悪くないのか、これって変ですよね。
他人のなら気持ち悪くないが、自分のだと気持ち悪い。
明らかに私が盛んにここで話題にしている、Gというのはダメだがカブトムシは素晴らしいぜっていう意味不明な価値観なんですよ。
似てないと、まあクワガタだったら相当いい線行くと思うんですよね。
クワガタは最高だがGは最悪だ。おかしいと思うんですよね、やっぱりね。
その観点は投影が入ってないはずがないと思うんですよ。
入ってる気がしなくても入ってるはずなんですよ。
自分の不法のセックスはダメだが、他の人の不法のセックスはいいぜっていうのは明らかにおかしいと思うんですよね。
ここまで考えてみたときに、この感覚について考えていってもしょうがないので、とりあえずフロイドの言うことをパッと信じてみる。
それは嫉妬だっていうね。
で、私はそういう実感はわからないんですよ。
全然嫉妬してる気がしない。
全然嫉妬してる気がしないんだが、嫉妬だということにしてみると、説明としては実に理にかなってる。
ということはつまり私の中に、ここで2つに分けることができるんですよね。
頭で考える限り、嫉妬だから気持ち悪いというのは成立しないんだが、
意識下では嫉妬しているからこれを見るのがとても嫌だというふうに強烈に働いていると考えれば、かなりの部分辻褄があってくると思うんですよね。
だからよそんちの不法のセックスは全然気にならないんじゃないか。
よってよそんちの不法に嫉妬する理由ってとっても薄いんで。
大谷翔平さんのお父さんとお母さんのセックスを想像するのは気持ちが悪いとか、僕は全然考えないんですよね。
なぜならば、私は大谷翔平のようになりたいとか、あそこに地に生まれたかったとか思わないからだと思うんですよ。
その可能性も吟味できてないと思うんですよ。
一方で、ここで大谷翔平さん出してしまったのは申し訳ないです。
まあでもほら、あるじゃないですか。よそんちの家であんな風に育ったらよかったみたいなことってあるじゃないですか。
僕もそれはないんですよね。
だから自分家に関してだけ引っかかってくるというのは、やっぱり自分家というものの不法に対する詐欺すみたいという気持ちがあるんだと思うんですよ。
少なくともどっちかを。
俺の方が父ちゃんよりいいよ、これは嫉妬ですよね。
多分そういう気持ちになったことが1歳とか2歳の頃ならあり得たと思うんですよ。
そしてここの精神理、ここの心の部分を精神病部分って言うんですっていう説明は、やはり私は理にかなってると思うんですよ。
そこのところは合理的な判断はできないんだよって言ってるわけですよね、美音が。
クラインもほとんど同じことを言ってるわけですけど、
メラニー・クラインってやっぱり最近クラインというのは実はフロイト以上のことを言ってるし、フロイトが認められないことまで言及してしまってるんだっていう説の意味がようやくわかってきたんですよね。
フロイトはこの2歳児以下の統合失調的な世界というものに対しては、やっぱりあんまりそこを扱うの予想で的なノリがあったんですよね。
あくまでも人生相談のための精神分析だったわけですよ。
幼児期の精神病とアイデンティティ
人生相談するには2歳児には無理じゃないですか。ところがメラニー・クラインが見たのはそもそも2歳児だったわけですよね。
しかもどっちかというとちょっと手に余る系の幼児を見ていた。だから幼児期精神病みたいなやつなんですよね。
そうすると明らかにここの世界にどっぷり浸ってみると、この非合理っていうのもフロイトが言う無意識の非合理のレベルを超えていくわけですよね。
嫉妬と言ってももうむちゃくちゃな嫉妬なわけですよね。
お母さんと絶対結婚するみたいな感じで、何を言ってるのか本人もよくわかってないし、どうせ後で忘れてしまうんだけど、そのためにはお父さん殺すみたいな、そういう世界になっちゃってるわけですよ。
で、この世界でしかし追ってみると、それこそね、杉義晴さんのコミックとか見るとわかりやすいんですよね、すごく。
だから彼は幼児期のファンタジーにおける狂気ぶりというものが、よくなぜか描ける人だったんだと思うんですよね。
大概の人はそういうところって、どうせいつまで付き合っててもどうしようもないし気持ちが悪いしわけわからんから飛ばそうみたいになるんだけど、でもガロとか読む人は好きなわけじゃないですか。
だから読むわけじゃないですか。僕とかガロとかはもう大半読んだ気がするんですよ、何らかの形で。
何足的に読んだってことはないですよ。お金なかったしね、その頃は。
でもまあ読んだわけですよ。多分トータルでは立読みとかを含めて相当量読んだと思うんですよね。好きだったわけですよ。
でも自分なんであれが好きなのか、見ても意味わからなかったし、もちろん気持ち悪いし、なんか不安にさせられるし、まあ嫌な作品だけど、いいなーって思ってたわけですよね。
私の精神病部分がこう、こうするんですよね。呼吸の子に応じるね。反応するわけですよ、強く。
で、非精神病部分、言葉で操ってる部分、ここが私3ヶ月チャレンジのミソだなと思ってるんですけど、つまり、
まあクラインがね、深い解釈をしないとダメなんだと、浅い解釈なんかしてたってダメなんだと、主にこれは自我心理学とアンダフロイトを攻撃していったわけですけど、
とはいえ、素人が応意を取っちゃダメなんだよ、みたいな北村さんの応意を取るな論もわからなくはないんですけど、
いざ3ヶ月チャレンジが始まったら何が一番ポイントになってきてるかというと、非精神病部分、つまり言語領域ではものすごく適応性が良い、
みんながみんなとは言いませんけど、でも僕なんかよりはるかに良い方々がいらっしゃってて、この人たちが、この方々が、あのー、なんて言えばいいのかな、
精神分析受けるならまだしも、それこそ浅い解釈やってても、ブラッチ開かないと思うんですよね、お困りならばです。
じゃなきゃ困ってないんで、完成にいかないよねって話になるんですよ。
僕はここに、ちょっとねじれてるしなまにえだから今日はスルーしますけど、ここに正規のカウンセリングとノラカウンセリング問題という問題が潜んでるに違いないと。
確かにノラカウンセリングは危険で、えーと、なんていうのかな、危険で素人臭くって、えーと、なんか訳もわからずやってるもんだけど、
訳もわからないがゆえに、この非精神病、精神病部分に入ることがあってヒットしさせることがあるんだろうなって思うんですよね。
運が良ければって話ですよ。運が良くなければ、多分、なんかこう、ヒーリングおもちゃみたいな世界になって、それこそ浅い部分で終始しちゃうと思う。
でもこれは別に変わらないと思うんですよ。どうせ大したことが起きないという異常ってことなんで。
確かに正規っていうところでは治療法なり知識なりが非常に浸透していて慎重なんだけど、それがためになかなか踏み込めないまま、えーと、なんていうのかな、
まあ適応度の高い、しかし本当に本当のところ、つまり精神病部分というのはみんなにあるものですから、美音的に言うと。
ところがそういう風な前提ではない楽派の世界では、なるべくなるべくならそれこそ、だからつまり健全な人生相談に近いレベルで進めていきたいと思うんですけど、
これが自体、当事者を非常にイライラさせるんだと思うんですよ。
じゃあお前どうすんだって話をされると非常に感慨させられるんだけど、やっぱり私は精神病部分があるんだという、そしてそこが実際の困りごと。
価値と自己認識
だからクラインの立場にものすごい近づくんですよね。だから私はクラインと同じ真似はできないけれども、クラインを、クライン派の話に沿って、
ひたすらこう自分でできることをやってって、自分でできることの限界に行き着いたところで、必要な、つまり自分にとっておそらく必要なサービスを提供してくれるであろうところに移るなりするっていう、それができるんだなって話ですけどね、これもね。
できるんなら移るなり、あるいは少なくともそれについて模索をかけていくっていうのがいいと思うんですよね。
非精神病部分で社会生活を維持継続していくことは大事だと思うんですよ。この分裂を何とかこう自分なりに収めていく方法を検討しつつ、何ならそういうのの専門のところを探しながら進んでいくという、これが3ヶ月チャレンジなんだと思うんですね。
いろんな定義の仕方を、この番組でも繰り返し繰り返し、ああでもね、こうでもねと言ってきてますけれども、だからこの線に沿って考えると、クライン・ビヨンというライン、その途中にウェニコットとかハンナ・シー・ガルトンさんとか、そういう人たちの名前が、もちろんマスキさんとか藤山直樹さんとかそういう名前がどんどん上がってくるわけですよ。
で、そこしか上がってこないんですよ。ある意味では。もちろんそれが、第3世代でしたっけ、のCBTで、不適応的、相互的スキーマみたいな話をするっていうのもありだと思うんですけど、好みに応じてですね。
でも私はあんまりないんですよね。一つにはそれは、やってることはすごいそっちの方が近いような気もするんですよ。非精神病部分の軸に精神病部分について触れていくっていう、たぶんだから力量のあるそういう人のところに行ったら、多くの人がかなりいい結果を得られるんじゃないかなって思うようになってきたんですね。
ただこれは、やること変わらない気がするんですね、ある意味で。そうすると、私の感じからするとですね、むしろそういうCBTを軸に進めていく方が、実は難しいんではないだろうかっていうふうに思うんですよね。
フラインの、これは言葉遣いにも近いんですけど、発想の大元に、同じだと思うんですよね、最終的にはね。同じだと思うんですけど、この相互的って言ったときに、基本的にはフロイトだったわけじゃないですか、フラインのお師匠さんはフロイトだから。だから相互的なところにバッシュぐらいにバーンとエリプスをぶつけてきたっていうか、投入してきたんですよね。
エリプスって結局、生物の世界なんですよね。生き物の、特に哺乳類の世界だと思うんですよ。母子べったりで、お父さんはある意味無関心みたいな。で、その中で母子が勢い余ってセックスしちゃいましたみたいな、そうするとお父さん噛みつくみたいな、でも噛みつかないケースだったと思うんですよ。
だからそこをどういうふうに、そういう情緒で発信していくところをどういうふうに、まあ獣たちは頑張ってきたのかみたいなのをベースに、言語を使う私たちのような、毛のない獣たちはどうするのかっていうような話を持ってきた方が、ここにですね、持ってこずにこれをやるよりも、持ってくると気持ち悪いかもしれませんが、
だからその気持ち悪さというものそのものが、そもそも非合理な精神から生まれてくるものだと思うんですよね。しかも我々は気持ち悪いのが合理的だぐらいに思ってるところあるじゃないですか。自分の両親のセックスって気持ち悪いに決まってるじゃんみたいな、全然合理的じゃないのに、さも答えは自明であるかのような態度を取るじゃないですか。
私はだからここから自分が精神分析というのは相当理解が進んだ気が、自分の中ではね。一旦気持ち悪い、なんていうのかな、一旦なぜ気持ち悪いかの説明が妥当かどうかを置いといて、とにかくその説明を追ってみるわけですよ。
なぜ気持ち悪いかっていうことを放ってないわけですから、自分では。合理的なフリをしているけれども、まさにフルイトですよね。合理的なフリをしているけれども、気持ち悪いから気持ち悪いんだって、全然合理的じゃないわけですよ、態度。断言明報マッシュグラなわけですよ。おそらくベルプソンが有高八三に言ったことと同じなんですよ。
せねばならぬからせねばならぬの世界。つまり、あれですよね、ある意味では、ウィニコットが言ったあれは病理の話ですけど、犬は犬であるは犬であるの世界になっちゃってるわけですよ。全然合理的じゃないんですよね。言葉を使う必要がないみたいな。
なんで父母のセックスはダメなのか。それは、詐欺すみの対象にせねばならないからですよ。これって嫉妬なんだろうけど、煽謗でもあると思うんですよ。だから、お母さんのいいおっぱいは最高のものですって、三か条あるんですよね。
お母さんのいいおっぱいを最高のものとみなせと。父母のセックスを最高のものだと死状って書いてあったかな。あとは時間は不可逆で死は不可非であることを認めろってこの3つに、これを言ったのはクラインじゃなかったと思うんですよね。お弟子さんだと思うんですけど。
何かね名前がちょっと、もちろん私のことですから出てきません。諦めてください。この三か条を目指せみたいな。この三か条を目指せっていうのは、私は目指してませんけど別に。三回チャレンジでも目指しませんけど、すごいこの三か条を目指す方向に向かってるな気がつくと思うんですよね。
だからこの三か条すごい不に落ちるんですよ。聞いた時は、なるほどそれは正しいわって感じがしたんです。めちゃくちゃ正しいわって感じがしたんですよ。できてないでしょうって言われてるっていう、まさにそういう感じがするんですよ。お母さんのおっぱいを最高のものとみなせなさいはまだわからないである。でももちろんなさけないし残念で気持ち悪い気持ちにもなるんですよ。
でもこれが3つが3つとも詐欺すみと関係がある。つまりお母さんのおっぱいを詐欺すむ。父母のセックスを詐欺すむ。気持ち悪いってのは詐欺すんでるってことですよね。で最後に時間の不可逆性というものはつまりですね、現在の自分を詐欺すんでるわけですよね私たちは。だから転生ものとかタイムマシンものが好きなわけですよ。
いや俺は今こんなにウダツが上がらないのはちょっと一旦置いといて、あの30年前に今と同じ頭脳で戻ったらもう最高の結果を出してみせるよみたいな。それって現在の状況を詐欺すんでるわけですよね。現在の自分を丸ごとひっくるめて。
例えば現在の結婚状況を含めて、いやあいつと結婚してない時代に戻ってあっちと結婚しておけばなみたいなことを言ってるのって、つまり現在の自分の状況を詐欺すんでるわけですよね。懐かし化してるわけですよ。
この3つが詐欺すみと関係があるってことは、この3つは上から確かですね、えっとなんだっけな。一番上がセンボーなんですよね。いいおっぱいにセンボーすると。これはもう超有名。で、全部オリジナルと関係があるんですよ。
2番目は嫉妬なんだけど、これもセンボーみたいなもんですよね、ものすごく。お父さんとお母さんのセックスを詐欺すまないんですっていう。つまりセンボーしてぶち壊しにしようとしないんです。しますけどね。するから気持ち悪いって言ってるわけです。なきゃいいのに。なきゃあんたないよっていう。なきゃいいのにってことは、なきゃいいのにという発想そのものができないよってことですよね。
同じですよね、3つとも言ってることは。つまり時間は不可逆なんだよってことですよね。視点というものを詐欺すんじゃダメだってことですよね。視点と現在を詐欺、結局それは現在の詐欺すみにつながっています。で、死がダメだっていうのも同じですね。終着点は死なんだから、死を詐欺すむという死の世界は受け入れられないということになってくると、つまりは一切は受け入れられないってことになるし、現在の価値は消滅するわけですよ。
で、あらゆる精神病の、その精神病水準における不合理な考えの中でも一番自分を悩ませて困らせてジレンマに落とし入れるのがこれなんですよね。現在の自分は価値がないという考え方、および現在の自分の生きている世界は本当は価値がないんだという考え方。
この考え方にとらわれれば、もちろん働く気なんて失うに決まってますし、ある意味自分のケアなんてしないですよね。まず現在に、現在と現実に価値はなく、しかも自分に価値はなく、その上自分の判断に価値がないのに、なぜ歯を磨く必要があるのかってことになってしまいますよね。そもそも歯を磨くことがいいことなのかみたいな。いや、ろくでもないことじゃないですか。どうせ自分ろくでもないんだからってことになってしまいますよね。
こういうふうにして判断というものができなくなっていくわけですよね。だって自分が価値がないのに、自分の価値判断に価値があるわけがないじゃないですか。だから何もできなくなっていくはずなんですよ。これをとことん受け入れちゃうと。だから逆へ逆へといかなきゃいけないわけですね。自分が自然と詐欺すむものほど詐欺すんではいけないってことですよね。
フロイトとクライン派の影響
特にそこでクライン派は扇膀を一番重視したわけです。なぜなら扇膀というのは破滅的な発想だから。扇膀というのは嫉妬と同じで、ある対象に向ける気持ちのことを言ってると思うんですけど、おっぱいなんてあんなものは壊せみたい。
自分がそこに生命を、全生命をそこに依存している、それを壊してしまえと言うんだから、つまり自滅への全力疾走みたいな感じがあるわけですよ。
これはオリジナルに対する怒り、詐欺すむっていうのはものすごく我々を悩ませると思うんですよね。
あのー私は、大橋えつおさんの、突然出てきますが、この文脈でしょっちゅう彼を僕は持ち出してるんだけど、タスクシュートに似たものが出てくる度に、まあGTTもいいんですけど、毎回これ思うんですよ。
確か誰だっけなー、ライフニッツかなんかじゃなかったかなー、微積についていろんな数学者がつい思ってしまう。いや微積なんて俺でも考えつくよっていう、あれね。
まあ別に万有引力でも、変動説でもなんでもいいんですよ、自動説でもね。俺でも考えつくよって思うじゃないですか。考えつかないんだけど。
電子レンジぐらい自分でも発明できたよって思うじゃないですか。これは電子レンジというものがありきたりのものになってそこら中にありますからね。
中にはもうなんか100円ショップとかに売り出しかねないものまで出てきてますからね。詐欺すんでるじゃないですか、電子レンジなんてものは。
これだけ詐欺すんでしまえば、自分がオリジナルを作り出せるような気がしても不思議はないわけですよね。
だからタスクシュートなんて、自分だって全く同じ発想を昔から持ってたしみたいな、これ時間の不可逆性を無視している上にオリジナルというものを詐欺すんでるわけですよ。
この気持ちが戦謀なんですよ。あんなの壊してしまおう。そうして一からやり直せば自分はいいものを作れたんだと。
時間は戻ってるし、オリジナル破壊してるし、それによって私なんかほらタスクシュート協会の理事ですから、それによって収益も得て政権を立てて、娘が学校にやって、自分が食べ物食べてるくせにオリジナルを壊そうとするんですよね。
オリジナルが壊れれば全部ないはずなんですよ。全部なければお前路頭に迷ってるだろうってことを、これが悔しいってことですよね、戦謀っての。
これが認められないと。だから両親からもたらされるいいものというものを拒否するという発想。
もちろんこれは性食障害につながってくるでしょうし、様々な問題につながってくるから、それはダメですから。
お母さんのいいおっぱいは最高のものだとして感謝しなさいと。感謝しなさいっていうか感謝できるようになりましょうっていう。感謝する以外ないでしょうっていうことなんですよね。
下げ済むのやめて、だから理想化と出す価値観。ここには理想化があったはずなんですよ。一方で。だからすっごい混乱してるんですよね。非常に非合理な発想なんですよ。
どう考えても理想化がなければ出す価値観ってないんだと思うんですよね。
タスクシュートはあんなの俺でも発想できるよって言ってるのって俺はすごいって言いたいんでしょ。つまりタスクシュートはすごいって言ってるくせにあんなのって言ってるわけですよ。
この気持ちがフラインがですね。明らかにこれはフロイトの死の衝動を書き換えたんですよ。フラインは死の衝動とはこれだって言ったわけですよね。
ハナトスって言いますけど。つまり自滅以外の結果をもたらさない衝動を自分が持ってるから自殺衝動だって言ってるんだけれども。
フロイトは多分そこまで細かーく見ていった感じではないんで、なんとなくこうなんとなくではないんだけど彼のもんだから。でもあれはなんかこう、死の衝動っていうのが生の衝動と結構していて不思議な感じっていうのが抜けないんですよね。
フラインはもっとこれを強烈な衝動として打ち出したんですよ。あるみたいな感じ。死の衝動があるみたいな。それは扇望であるっていうふうにはっきり言っているわけですよ。
嫉妬はお父さんからお母さんを奪い取るだから。まあ死なずに済む。これはこれで破壊的だけどなんとか親父殺して俺は生き延びてお母さんはゲットするっていうのは、それでハッピーになれるのか本当にっていうのはあるにせよ死の衝動ではない。
やっぱり生きようとしている。得ようとしている。だけどお母さんがおっぱいをくれるからおっぱいごと破壊してしまおうっていうのもみんな死にますよ。だから非常に破滅的な衝動なわけですよ。
いじになってみたいな言葉が日本語にありますけど、あれな感じですよね。いじになって死を急ぐみたいな。戦国風省みたいですけどね。この考えを絵放せるようになれって言ってるんですよね。この衝動は強烈できついけど絵放せるようになれ。
だからタスクシュート自分のものにするのは諦めようねってことなんですけど、いやあの元々の発案者は別人ですからねっていう。そうするとでも諦められないとですね、タスクシュートとかタイムロギングとか言い出すわけですよ頑張って。頑張りたくなっちゃうわけですよ。いじになるわけですよ。ここを手放せなくなるわけですよね。
だから酷似した違うものを作りたいっていうか、よくあるじゃないですか。GTDとかでもあると思うんですよ。なんかこういやあれはまだまだ甘いみたいなこと言って。なんかこう佐々木流GTDは進化した形です。これも戦法の一種だと思うんですよね。嫉妬というよりは。
オリジナルというものに掘って変わってしまう。オリジナルがなんだかを知らないっていうなら私も知っててこれをやろうとするってことは、時間の不可逆性を無視したいわけですよ。時間は不可逆なんですよ。先に選取されたものは後から選取はできないんですよ。後から取るということはできても選取はできない。
選取はできない。だったら嫉妬してますって言った方がよっぽど正常だってことなんですよ。いや私はタスクシュートに嫉妬してるんで、あれを彼から奪い取りたいんですよ。これも良くないけど、この方が遥かに健全だっていう。これは神経症水準だってことですよね。三者関係に入ってますから。
私、大橋哲、タスクシュートという三者関係。これは私、お父さん、大橋哲というお父さんとタスクシュートというお母さんですよね。お母さんを奪おうと。お父さんを亡き者にしようと。この発想はもちろんこれは暴力的で問題があるけど、この発想ならばまだまだだいぶまともな発想なわけですよ。
一応生きている感じがするっていう。だからほらあの選手権がなければ俺が選手権を主張するみたいな。これって奪ってるわけですよ。奪ってるならまだ話はわかる。一切を壊そうっていう。なかったことにして新しく佐々木シュートみたいなのを作るみたいな。これがおかしいんですよね。
これは明らかに何かがおかしくなっていて、もうなんか人間社会でこれをやるっていうのは正気とはみなされない。だから狂気の世界に入っている。だけど我々は、これが対象関係論のクライン派の主張ですけど、狂気の部分はなくならないと言ってるわけですよ。狂気とみなされてるのはつまり、幼児期に満たしきれなかった情緒的な不満と不足だから、そういうのはみんな持ってるから、ここはなくならないんだと。
これがその私が繰り返し言ってる始終にして不悪にはいたらないと。自我心理学で言ったりエリック・エリクソンが言ったり、第5のフェーズとかに入れないと。第1のフェーズは最後まで残ってくるから。精神病部分は最後まで。これをだからビオンが一番洗練させ、ここまででは洗練させたと思うんですよ。精神病部分と非精神病部分という言い方をして。
精神病部分がどの程度どう活性化してきているのかをモニタリングしていきましょうみたいな。これがやっぱりアプローチとしては一番僕は適切かなって感じがします。ここであの不母の成功に僕は戻るわけです。そうか気持ち悪いのは嫉妬と煽望があるからなんだと。気持ち悪いのは気持ち悪いんでそれでいいんだが、嫉妬と煽望がなければおそらく気持ち悪くはあるまいと。
タスクシュートの自己評価
結局それが生々しい。やたらとありきたりでありふれきすぎていて、だから下げ隅の対象になってるんだけど、そこから自分は出てきたんだ。これは残念に思いたくなければ最高のものと思いなさいみたいな。モネーカイルだったかな。あれが最高だと認められれば自分が生まれてきたのは良いことだって思えるでしょうっていうこういう図式だと思うんですよ。
私はこれはすごい一つ、グラスノケイドさんのGood Vibesを急に持ち出しますけど、自分は価値マックスだっていうふうに生まれながらに価値マックスで、それが損なわれたことは一瞬もないという。で、一つなんだ。もともと一つだったんだと。全部同じ話ししてんなって思うんですよね。最終的には。
だから一つ意識で価値マックスだってなった瞬間に、どうもセックスは下げ隅いますっていう気持ち悪いですってことはないはずだってことになるんですよね。残ってるんならば少なくともどっかで価値マックスは信じてないってこと。自分が価値マックスなのにそれを生み出したところは最低でしたってのはおかしいじゃないですか。理屈に合わなくなりますよね。
だから合理的ではないんですよ。意識化というもの。だからここの不合理性の中で、不合理性なのはある程度しょうがないとしても言語を使えない部分ですから、に少しずつ揺さぶりと働きかけをしていって、マックスだとすぐに思えなかったとしても、少なくともどんどん下げ隅んでいくのは予想で、自分で自分の首を結果として占めることに必ずなりますから。
というようなことへの挑戦なんですよね。なぜなら現実的程度が高い人というのは言語レベルで今みたいなところは受け入れられても気持ちよりそのまま残る。つまりこれは分裂してるってことですよね。
意識上と意識化が分裂している。この分裂を少しでも断層のずれを少しこうなんとかこう戻していくみたいな感じで戻していけたらいいよねっていう。どうしてもこれが戻せないということでしたら、正規なり、非正規でもいいんですけど、これができそうなところを模索していく。
つまり何をしなければいけないのかだけは少なくとも3ヶ月かけてなるべく明らかにしていきましょうと。なんとなく正規だったら大丈夫って感じで、個人心理治療のところに丸投げしていけるっていうほどでは、今の日本の心理臨床会はそういう構造にはまだ整備されていないという話をたぶん野良の話としてるんですよ。野良カウンセラーさんたちの話と一緒にしてるんですよ。
一方で、みるみる一点集中とかで一発でっていうのがなかなか難しいのは、ここにピタッと刺す方法っていうのが別に開発されてるわけではないから、結局言葉を使ってますしね。
例え内容が非常に超常的だったり超自然的だったとしても、言葉を使ってしまっていますから、私たちが言葉によって動くのは原則は言葉によって動く部分ですから、非精神病部分ですから、明らかに前者が関係ある話とかは非精神病部分では理解できないんですよ。
もしそういうものがこの世にあるとしても、精神病部分じゃないとある意味理解できないというか、そこは理解するところではないってことですよ。だから刺さるときは刺さるのかもしれないんですよ。
だけども、それだと目隠してダース抜けたら20のトリプルが出ましたみたいな、そういう世界になっちゃうから、それだとそうでないことの方が多そうなので、3チャレではここはスルーしますみたいな感じではありますね。
3ヶ月チャレンジではなるべく超常的な話、なるべくっていうか、私の意識の上では超常的な話は一切出てこないということになってはいます。
ようやく、だからここまできて私は、そうか不法のセックスなるほどねという、そこに私のオリジナルがあったことは確実だよなと、ないとはとても思えない。
心理的要因と身体的影響
だからそれを気持ち悪がるというのは、多分何かそれを下げすみたくなっているわけがあるのであって、下げすみたくなっているというこの力をどうやって押し止めればいいのかは分からないんだけれども、
しかし、なるべく逆へ逆へと、価値マックスだと思えなくても構わないけれども、下げすむという気持ち悪がるのはやめようということをしていったら、面白いことに、私の心身症、アトピーも含めてアトピー以外のですね、大幅に良くなった気がするんです。
気がするだけかもしれないですよ、心身症ですからね、あくまでもね。でも大幅に良くなったような気がするんですよ。
だから、これは心理的なものに、もちろんそうですよね、気持ち悪いってそもそも、気持ちの悪さって目に見えませんし、それこそ匂いもなければ形もないわけですよ。
だから気持ちの悪さというのは、純心理的なものなんですよ。
心身症というのは、少なくとも身体に出ていない部分は心理的な要因に基づくものだから、そこのところの何かがうまくはまればですね、良くなっておかしな話ではないわけですよね。
まして身体から生み出される身体の話をしているわけだから、そこに気持ち悪さという心理的な投影をしない方が自分の体にとってはおそらく良いことになりますよね。
ハブ、まあそういうことを考えつつですね。
この扇望という厄介です、これは。
合理的にはわかってるんで、合理的には当然わかってるじゃないですか。
私はタスクシュート協会の理事で、タスクシュートを作ったのは大橋哲夫さんで、私の頭からはああいうログ中心のメソッドとかいうのは自動的には絶対出てこない。
人に聞いて初めて出てくるので、私はやっぱり未来に計画を立てて、この計画を実現するためには今使えるリソースはこうでっていう発想しか持てないんで。
今までやってきたことをつぶさにリストアップしていくって発想自体が僕の脳は持ちにくい構造を持ってるんです。
非常にこう7つの習慣だとかゴールからの逆算というのは非常にしやすいんです。
そういうの学校で習ってきて、私はいいこぶってたから、すごく逆算思考というものを、もちろん逆算しますみたいな態度だったから、自然とそれが身についちゃったわけですよ。
過去からログを取っていくとかいう発想自体が僕の中では自然じゃないわけですね。
なのにですよ、いやいや彼がいなければ自分タスクシュート作れてたしみたいな気持ちになっていくんですよね。
これは不合理ですよね。この不合理性っていうのは無意識のものなんですよ、多分。
無意識だからこそ、この頭で考える、言葉で説明すれば到底出てこないであろう尻滅裂な発想がポンと出てくるわけですよ。
悪役例上になってみたりですね、過去に戻ってみてGoogleの株とかAppleの株を事前に買って大儲けをしていた人になるとかいうのは全て万能空想じゃないですか。
そしてそれは事件率がめちゃくちゃな世界でしかできないことですよね。
これをやってしまっては、今の自分の価値というものを見落としたり、まあ見落としますよね。
そして今自分が享受できているものの良さというものをかなぐり捨てることになる。
つまり指標道ですっていう、タナトスですっていう。
そこにそうやっていって生きていくっていうのが困難になるのは当然でしょうと言われたわけなんでしょうね、結局。
ご視聴ありがとうございました。