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意味のないクレームを言う人の心理【1335】
2026-03-24 41:44

意味のないクレームを言う人の心理【1335】

愛しつつ憎むのはシンプルな葛藤だけではない。
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サマリー

このポッドキャストでは、AIの進化が開発者やクリエイターに与える影響と、人間関係における「愛しつつ憎む」という複雑な心理について掘り下げています。AIはコード生成やクレーム対応を効率化し、一人開発者にとって強力な味方となっています。しかし、AIが人間の創造性や感情の機微を完全に代替できるわけではなく、特に文章作成においては、AIが生成したものを人間が見抜くことは困難になりつつあります。筆者は、AIとの競争ではなく、AIを活用しつつ人間ならではの価値を見出すことの重要性を説いています。 後半では、精神分析家のボラスが提唱する「愛しつつ憎む」というテーマを、自身の経験や臨床例を交えながら考察します。これは単なる愛憎の葛藤ではなく、関係性を維持するために憎しみを利用する心理であり、親子関係や人間関係における複雑な力学を解き明かしていきます。特に、相手の本音を引き出すためにあえて憎しみを表現する、あるいは憎まれることで関係性を保とうとする心理は、一見すると病理的にも見えますが、ボラスはこれを「普通の家庭でも起こりうること」として捉え、その深層心理を探求します。最終的に、AIの進化と人間関係の心理という二つのテーマが交錯し、現代社会における人間のあり方について深く考えさせられる内容となっています。

収録環境と番組の現状
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1335回をお送りします。
3月24日火曜日9時58分です。
いよいよですね、春休みに入ってきましたので、当然この収録は不安定になっていきます。
やっぱり学校があれば、送って、送った後に収録するというパターンが確立できるんですが、
学校がないと寝ているので収録ができないというパターンが確立されます。
これが夏休みでこの収録をどうするか問題につながっていく。
もう一つ夏休みには重大な問題があって、こっちの方がはるかに重大なんですけど、
今撮っているこの空間が40度超えになっていき、どうやってもここでは収録はできないっていう、下手すると死ぬっていうですね、
場所なんで、他の部屋でやればいいんですが、それがなかなか簡単ではないので、そういうわけなんですね。
夏休みは最大のこの収録にとっての危機的状況で、ネッククーラー等いろいろと作戦は練っているんで何とかなるんですけど、回数は減りますね。
ただ1335回もやっていて、視聴者数は確実に減っているというこの番組なので、そんなに続けることに意義を求めなくてもいいわけなんですが、
そうは言っても人気商売でもありますんで、この不人気の中で人気商売でもあるというのも厳しいわけですが、何とか考えてやっていかねばならないと。
ただ考えてやる一方で、なんかもう世の中で良しとされている方法は一つ残らずやる気がしないので、
基本的には人のアドバイスに全く耳を貸さないのが自分なんだということがだんだんわかってきましたので、死なない程度に頑張ろうみたいな感じですね。
死なない程度っていうのは死ぬこと頑張るって話じゃなくて、あまりにも貧乏になって死ぬということだけは避けつつ頑張っていきましょうという感じですね。
AIの進化と開発者への影響
お知らせがあって、このお知らせの流れの中で本題に入っていきますが、タスクシュートクラウド2ですね。
あまりにもアップデートが急速で、Jマウスだけは超人なのかと思ってしまうんですけど、超人じゃないので大丈夫かなという逆に心配になるんですけど、超人なら心配いらないじゃないですか。
任せとけば全てがあっという間に変形性対象ですね。
そんなことは現実には起こらないはずなので、起きているということは一つはAIの力がありますね。
やっぱりこのAI、今まさに確実にどこに最も重大な効果を与えてくれるかというとコード書きだと思うんですね。
しかもJさんのようなタイプのコード書き。
先日、倉下忠則さんとTACさんの知的生産のポッドキャストで話題になってたんですけど、Jエディットっていうエディターがあるんですよ。
割と老舗の、ただしありがちなフリーソフトからシェアソフトまで一人で、一人企画、一人コード、一人開発、一人営業、そういうやつですよ。
要するに一人か二人いたりすることもあるにしても、超小人数、おおよそ一人。そういうソフトはいいんですよね。確かにね。
余計なことをしないからいいんですよ。余計なことができないからなんですよね。
でも、わーっと広まっちゃうと余計なことをさせられ始めるわけですよね。
いろんな人が使うと、いろんな人がいろんな勝手なことを言い出して、巻き込まれていき、
うまくそこを、私は私、人は人で、切り捨てられるっていう人が多分生き残っていくんですけど、
でもそうやっても簡単ではないですよね。お金払ってもらっている人の定欲をこっちは切り捨てて、こっちは閉域するっていうのは難しいことなんですよ。
あらゆることに対応しろって必ず言うことになるんですよ。お金払ってるわけだから。
ただならまたちょっと違うんですけど、ただでこれをやるのは、本当に絶望的な努力になっていくんで、
一人開発、一人企画、一人クレーム対応、一人営業みたいになって、やってることがね、だんだん自己矛盾を払っていくんですよね。
営業かけてるのにクレーム対応も切り捨てもしなければならなくなるという、顧客管理みたいなやつもね。
ここにAIが刺さるんですよね。やってくれることがとても多いわけですよ。たまたまなんだけど。
まずコード書きやってくれますからね。これがもう全然違うじゃないですか。クレーム対応もやってくれるじゃないですか。
なんなら、あそこに僕はですね、AIによく言われる、AIは肯定してばっかりでダメだっていう論に対する反論があるんですよ。
それはね、クレーム対応をやっている人のことを考えるとわかるんですよ。
AIっていうのも結局あらゆる人にいい顔してるんで、一番何に刺さるかっていうと、クレーム対応をしている人に刺さると思うんですよね。
クレーム対応している人に必要なのは、正論とかでは一切ないんですよ。
正論はクレーマーに死ぬほど聞かされてるんで、無条件肯定をガンガン効果的に矢のように浴びせてくれるという、ある意味変なんだけど、そういうのが効くんですよね。
だからこの一人コード書き、一人開発、一人クレーム対応している、しかも一人営業をしている人には、絶対AIはいいんですよね。
これが今Jさんに、私は多大にいい影響を、つまりコード書きだけではないってことなんですよね。
コードにもいいと思うんですよ。コードと文章は違うんですよね。
文章はよく最近言われていて、私はデタラメだと思ってるんですけど、AIに書かせていると何とかが抜ける、魂抜けるみたいな話なんだと思うんですけど、
私は魂がすごいこもっていて、みんなが絶対これは本人が書いている、これからこういう人が生き残る時代だって言ってるこの人が、
AIに書かせてないという風に理解できていると思うのが甘いよなって思うんですけれども、
私は物書きなんで、そういうことを一般に我々に見抜く能力が、今あると思っても明日あると思うのは大きな間違いだと思うんですよ。
どう考えたってプトンプトンを練りに練る能力だって文章書きはすごくあるはずで、
受ける文章、魂がこもっていると見なされる文章がどういう文章かも彼らは熟知しているんで、
それをAIに非常に丁寧に書かせるように作れないはずがない、そしてその技術が上がっていくってことも忘れちゃいけないと思うんですよね。
しかもそういう文章を書いているものをAIは読んでいるわけだから、
そのことも全部加味して考えるとですね、それが分かると思うっていうのが、
人間の能力はAIが日進月歩であるようには上がってはいかないってことを忘れてはいけないと思うんですよ。
最初はこっちが前を走ってるかもしれないが、気がつくと抜かれて、一旦抜かれてしまえばもうその差は絶対縮まることはないわけなんだから、
私はどこかで抜かれてないと思うっていうのは無理があるだろうと思うんですよね。
だから見分けるっていうのは絶対やめたほうがいいと思うんですよ。
見分けるという努力をするっていうこと自体が新幹線と駆けっこしているようなもんだと思ったほうがいいと思う。
どんなに後方を新幹線が走っててもいずれは絶対抜かれる。
津波と競争しちゃいけないっていうのと同じですよね。
高台に登んなきゃいけない。違うことを考えなきゃいけないと思うんですよ。
そういうことが必要だと本当に言うのであればですね。
やっぱり海から遠くへ行こうとする速度には駆けっこないじゃないですか。
どういうふうにやったって飛行機で逃げないと勝てないみたいな話なのに、
自分が駆けっこで逃げ切れるっていうのは無理があると思うんですよ。
昔で言うとカール・ルイスにジェットエンジンつけても難しいみたいな話なんだから、
やめたほうがいいと私は思うんですよね。AIと競争するのは。
AIに抜かれないと思うのもやめたほうがいいと思うんですよ。
そうやったら文章は少なくとも紙になってるやつ以外は読まない。
あれは絶対に人間の手はどっかで入るんで。
例えば構成係の手が入るんで。
AIが丸々吐き出したものを丸々読ませることは絶対紙だったらないんで。
紙だけ読むみたいなのはアリだと思うんですよね。
どっちにしたってそれも一生かかっても全部は読み切れないわけですからね。
AIと人間の文章作成能力の比較
話が変わりまして、コードの話。
なんでコードは相性がいいかというとコードに魂がこもってるかどうか誰も問題にしないからわけですね。
コードを読んでこれはAIに書かせた、こっちは人間が書いたとかって見分けようとしないじゃないですか。
この知事をとっても私はそれを人間の文章にも当然当てはめるべきだと思うんですよ。
これを人間の文章に当てはまらないがコードに当てはまると思うというのは
オセロだったら人工知能に勝てなくなってもイゴだったら人間が勝つだろうって思ってるのと似てるんですよ。
いやイゴだってどんなにそれが無限の組み合わせに見えても無限じゃないですからね。
オセロが無限じゃないように将棋も無限じゃないしイゴも無限じゃないんですよ。
番がいくら広いからってそれは昔のパソコンだったら絶対に計算できないほどイゴの手は多かったですよ。
番広いんだからどこに打ってもいいんだから。
一見無限に近いですよ。でも絶対無限でないことは確実なわけですよ。
マス目の数は決まってるんだから。
どんなに数字のデカさがデカくなったって有限である以上は計算速度が速くなれば速くなるほど
相手の方が強くなるに決まってるんですよ。
究極的には考え方の違いでしかなくて考えることに違いはないわけだから
AIが考えると人間が考えるとですね。
つまり文字を使ってしまう以上はそれは魂の話ではなくなる部分がどっかに絶対あり
で我々がそれを読解する時の時間には限りがあるんだから
どっちであるかの鑑定に永遠の時間をかけるなら別ですけれども
それって虚しいじゃないですか。
このXのポストを人間が書いたのかAIが書いたのかに無限の時間を使うってナンセンスじゃないですか。
つまりそういうのは費用対効果の問題でしかないと思うんですよね。
明らかにコードはAIが書いてるに決まってるわけですよ。
相性が抜群にいいんで。
でも大事なのは私が思うにコードを書けばこと足りるわけではないので
AIによるクレーム対応と心理カウンセリング
結局その人は営業をかけねばならずそしてクレーム対応をせねばならなくなります。
売れれば。全く売れなきゃ別ですが売れれば。
このクレーム対応をAIがやってくれるっていうのは多分
コード書きの高生産性を今いろんなJeditもそうですしタスクシュートクラウド2もそうなんですけど
急速にまたリマスターがかかって望んだ通りにこれだよこれ的な感をユーザーさんがいっぱい持ってると思うんですよね。
いかにクレーム対応というものを企画をしている人たちが苦しんでいるかだなっていうのを私は感じるんですよ。
もちろんコードそのものに上がってる期待も大きいと思うんですけど
そもそもコードがスパゲッティ化していることにその人が罪悪感を持つなり
多色的になるにせよ自責的になるにせよそういうことが起こるということ
それ自体が非常に不特定多数の人の自己愛の傷つきに対応するというのは
実にいかに人の消耗をもたらすかということだなと思うんですよね。
これに対応していたのがある意味精神分析だったんだなっていうか心理カウンセリングだったんだなと
ある意味では確かにAIはカウンセラーの仕事を奪いつつある
それは相談に乗ることによってでは全くないという
相談に乗ることによってではなくてある種のクレーム対応をすることによって
その人の心の傷つきがなくなりはしないですけれども
非常に遠くに追いやることができ
そうするとその人は心理カウンセリングをすっきり必要としなくなる
そしてコード書きに邁進できる
ついでにそのコード書きもAIが大幅に手伝ってくれるということになって
多分心の健康が一時的かもしれませんが
もたらされるんではないだろうかと思っているところから本題に
すでに本題に入りつつあります
タスクシュートと過去のクレーム経験
タスクシュートクラウド2を試してみてくださいってことですね
Jさん頑張ってるんでおそらく南国の地で熱い思いをしながら頑張ってるんで
結構コックローチにも悩まされているって話を聞くんで
結構彼はコックローチ嫌いなんだなっていうことを
でもちょっとね彼の地の数は日本の地とちょっと嫌だと思うんで
飛ばしますけどちょっと大変だなというふうに好きで行ったんでしょうって言われれば
そうなのかもしれませんけれども
いろんな意味で今開発ラッシュが起きているのには訳があるだろうなと
絶対それはAIだろうなというAIは大きくここにこの手に関与している
そういう意味では分泌化に対してよりもまず効果がはっきり現れるのは
こっちだっていうのはよく分かります
だって我々はタスクシュードクラウド2とかエバーノートとかJeditとか
Obsidianとか何でもいいですがそういうものを使うときコード見ないでしょ
コードに魂こもってるかどうか誰も気にしないですよね
本はコードそのものをある意味読まれるものだから
まだそこが問題になるわけですよ
でもあれはそういうもんではないから
カラクリの中身がどうであるかに多くの人はほとんど全く注目しないので
ですよね車に乗るときボンネットまず開けるっていう人は今時少ないじゃないですか
昔結構いたんですけどね今時はグッと減ってますよね
あの機械のこの配置が気に食わんからこの車買わんみたいな人って
あんまりいないと思うんですよ
だからこれはもう本当に全くそういう時代がやってきていると
車の中身をAIが作っても多分そこに魂がこもってないから
事故が増えると思う人はいないんですよね
いずれ本もそうなりますが今はまだそうはならないというだけの話ですね
本題にこれはあくまでも前置き
タスクシュートクラウド2は試してね興味がある人はっていう話をしたに過ぎません
私の話はここから始まりますあんまり変わらないですけど
「愛しつつ憎む」心理の考察
このタスクシュートクラウド2じゃなくてタスクシュートというものを
私の仕事の今でも中核にありますがもっと遥かに中核にはそれしかなかった時代に
クレームというものを私も多文に受けました
それは個人的に言うと営業してるから別ですが理不尽な言いがかりです
しかしながらこの理不尽な言いがかりというものには
精神分析の対象になるものが山ほど含まれていたと思ったんですね
もう昔クレームを僕に直接投げかけて
当時タスクカフェとかタスクセラピーとかマインドハック研究会とかで
直接私にぶつけてくるっていう人は数数えることしかいらっしゃらなかったわけですけども
しかもそれはおおむねタスクシュートに対するクレームなので
私にはダイレクトにはズバズバ刺さらなかったわけですけど
それは基本的には言いがかりに近いよねと
だいたい私に言ってる段階ですでに言いがかりに近いよねって感じはしてたんで
当時は基本的にはスルーしてたんですよ
結構話も聞いて話に乗って今っぽいことやってたよなと思うんです
すごく雑というか非常に稚拙ではあったけどやってたよなとは思ったんですけど
例えば転移的状況に対する解釈みたいなことになってたよな
でもそれは偶然であって
だって当時はそれは転移って言葉知ってましたよ
基本的にはそれはあのショーレードラでフロイトが失敗したやつねぐらいの
そういう非常に知らなかったわけですよ
どうでもよかったんでそんなことは
当時はまだタスクシュートをどう使うかの話をしたくてしたくてしょうがない人間だったんで
そういうクレームに捕まったら運が悪かったぐらいにしか思わなかったんですよね
今は思うに後から振り返ってみるとなんですけれども
あれはつまり例えばボラスが書いてることだと
そういう話に私がしたいだけなのかもしれないですけど
でもやっぱりボラスが書いてることだと思うんですよね
愛しつつ憎むことでこの表題だけ取るとは何ですね
それはつまり愛憎の葛藤でしょってまあそうなんですよ
ただボラスの本を読んでいてすごくいいなと思うのは
愛憎の葛藤ではないんじゃないだろうかって気がしてくるところなんですよね
愛しつつ憎むことっていうふうに書いていて
例えばタスクシュートというものに対して
結局のところ愛しつつ憎んでるわけじゃないですか
だって本当に嫌なら離れればいいわけだから
それができないというかそれをしたくないっていうこと
クレームっていうものにはそういう一面があるわけですよね
ボラスの「愛しつつ憎む」と病理
心理臨床をやりますっていうのって要するに
なんつうんだろうな
この愛しつつ憎むことっていうのは
心理臨床の世界に持ち込んだ場合
お金を払ってそうするって話になってくるんで
最初からそれをしようっていう気は
多分っていうか基本なかったりもすると思うんですよね
この話だけ取ると
すっごい単純な話を聞いてるように
多分聞こえると思うんですけど
ボラスが書いていることを読んでいくとですね
これは病理と言えるかっていう
実際ボラスも果たしてこれは当作と言えるのかっていう問いを
それはもう病理と言えるかって問うてるのと
なら変わらないんですけれども
普通の家のここのところがボラスの
嫌なところでもあるしいいところでもあるわけですよ
つまりこれがどうこせば病理だっていうのは
誰の目にも明らかになっていくんだけど
いやそんなの普通の家でザラにあるでしょ
うちにもあったしって
私読んでてうちの母がそっくりじゃんって
思ってしまったわけですね
で私はなるほど母を憎んでたわ
美音とボラスの臨床例の比較
あれって思ったんですよ
つまり愛と憎しみの葛藤っていう言い方をすると
いかにもだなって感じがするんですけど
私の中にその葛藤がこんなにも完全とあり
しかもそれはしかし病気かそれはと思うんですよね
これを扱いますっていうか扱ってきたんだ
ボラスはっていうのに
非常に興味を惹かれるわけですよね
ある意味美音の逆だなって思うんですよ
美音の言ってることっていうのは
もう診断とかを要しないよね
そういうことになってしまったらっていう感じがする
例えばもう目の前で女性が
おげんだのセクシャルな話だのしながら
美音をめちゃくちゃ罵倒している
全くこの空間を防音壁つけてるのになぁと思いながら
外に丸ぎ声になってしまうほどの大声でどなりまくっていて
美音はただただそれをたじろぎながら聞いているみたいな
その状況に対して
いや憎しみがとかっていうこと自体が無駄じゃないでしょうか
っていうようなところから
美音の話が始まってたりするんだけど
まれまれというか
それは美音的な世界じゃないですか
ある意味
私はそういうふうに遭遇したことはないですし
戸畑海斗さんが
嵐が起きましたとかって
でも嵐が起きてても
戸畑海斗さんのところに来ているような話であれば
ああいうのなら分かる気がするんですよ
私が実際に遭遇しなくても
でも美音のそれとなってくると
1時間中相手はどなりまくっているとかじゃないですか
それってやっぱり
あんまり見たことも聞いたことも
あんまり臨床例でもないなみたいな
いやあるんですよないわけではなくて
例えばずっとどなっていて
臨床室におぼらしをいっぱいして帰っていくとか
そういう話は書いてあったりするんですよね
だからないわけではないんですよね
でもなんかやっぱりちょっと違う気がする
ボラスがそういう意味ではめちゃくちゃ上品なんですよね
親子関係における憎しみの役割
つまりクライアントはボラスのことを憎んでいる
だけれどもそれは不危険みたいな
表出の仕方をするだけである
とにかくこの人は何を言うにしても
例えば自分の解釈に対しても全部反対すると
全部反対し続けているんだけれども
罵倒してるとかどなってるとかいうわけじゃないんですよね
その家も要はその人の結局生育歴みたいなのを聞くわけじゃないですか
そういう人が家庭環境は最高でしたみたいなのっておかしいじゃないですか
仮にそう言ったとしても
最高の家庭環境というもので行われていることというのは
例えばですけれどもこれはもう臨床例じゃないんですよね
ボラスはただ単にそういう家はあるだろうみたいな感じでしか書いてないんですよ
そしてあるんですよ
うちがそうだったなって思うんですよね
例えばなんて言うんだろう
本気で母親を怒らせてみたことに
それは偶発的な事件として起きる
つまり私が何かを母に言い
母が急に怒り出す
でもあんまり今まで言わなかったようなことを言ってんだこの人みたいなのに
急に遭遇する
その時母親も言ってて興奮してくる
私に対して普段はそれまでは言わなかったようなことを
12、3歳になっていきなり言い出して
そして言ってしまった自分に興奮している母親がいる
こういう経験をした時ボラスは書くんですよね
これは楽しいことだと
そりゃ親子喧嘩していて
しかもだいたい面白いこと言われてないんだから
腹が立ってるんだけどでもこれは楽しいと
ついに母親の尻尾を掴んだぞって感じがすると
この人ボロを出したというのに遭遇する
偶然なんですけど
それは私の例じゃないんで
ある思春期の女の子が
この利己的なおばずれって言われたっていう話
そんな言葉は使わないと今だけ思うんですけど
エゴイスティックで
なんていうのか
でも言いますよね
いきなり個々を使い出す不思議だなとかね
言い出すじゃないですか言い出さないか
そういうことにこの女の子は
すごい楽しいことを見出したみたいな
つまりそれまでそれっぽいことを
親がもらうみたいなこととか
道徳みたいなこととか
あなたのために言ってるのよみたいな
全部嘘くさかったと
でもこの人は娘に向かって
お前は自己中であばずれだみたいなことを言い出した
めっちゃ面白い
ここに憎しみというものが
現れることこそが
この親子の絆になるんだということを
この女の子は信じられるみたいな話を
書いてるわけですね
愛が関係を壊すことへの恐れ
それまでは自分がいる
あるいは自分の感情が存在するっていうことを
親は歓迎してなかったし
つまり親とのつながりは
別にないわけじゃない
ニグレクトとか
教育虐待とかじゃないんだけど
ただ情緒的なつながりが感じられないと
なんだけど
だって本音を言っちゃってるわけじゃないですか
そのお母さんは
この本音を言っちゃってるっていうのって
わかるじゃないですか
そんなに身近でずっと接してると
それがいい本音ではないにしても
そういう本音が出たってことは
つまり本音で接するこの機会を
保存するために
この人この女の子は
お母さんを憎むんだと
これは私はですね
ちょっとリニコットが言ってることとは違うし
明らかにクラインが言うこととは違う
結局のところ
愛が関係を壊すのが怖いって話を
クラインとかフェアバーンって人はするんですよね
これはわかりやすい面もあると思うんですよ
愛が関係を壊すのが嫌だと
例えば恋愛とかで
恋愛に近かったり
友達関係でもありますよね
私がこの人のことを一方的に好きなだけなんじゃないだろうか
問題みたいなやつですよね
例えば
いつも誘ってるのは私だみたいな
Xでもそういうトークはありますけど
いつも誘ってるのは私だと
この関係の相手の本音を聞くのは
怖いんだみたいな話
相手は実は私のことどうでもいい
もしかするとちょっと鬱陶しいぐらいに
思ってるんじゃないだろうか
問題みたいなやつですよね
大体気の回しすぎなんですけれども
ファンに相手は受動的なだけだったりする
というかほとんどの場合そうなんですけど
人はどれほど受動的であることかっていうことに
この種の人は気づきにくい心象を持ってるんですよ
自分の愛が貪欲すぎる問題で困ってる人っていうのは
受動性と人間関係の誤解
概ね情緒的に積極的で
あらざるを得なかった事情があるために
人というのはもう少し
ある意味マシなというか
何を持ってマシかっていうのはわかんないんですけど
これはマシでも何でもないのかもしれないんですけど
ほとんどの場合
家の子というのはかなり受動的な存在に
させられやすいっていうことを
あんまり気づけないんですよ
働きかけないと動かなかった親を持ってる人は
全然何にもしなくても
親があれこれやるっていう傾向が
結構強いんですよね
親子関係においては
子どもが受動的であってほしいと思ってる親
いっぱいいるわけですよ
静かにテレビ見てろみたいな
そうすると子どもは受動的になっちゃうわけですよ
その方が楽だから
これを友人関係でやってる人が
よく誤解されてるのは
この人私のこと何とも思ってないんじゃないか
恋愛関係でよく
男の人が誤解されてるんですよ
結構男の方は
愛情を持ってるんだけれども
要するに恋愛感情を
強く持ってるんだけども
でも日曜日どうする?
好きなところでいいよみたいな
あるいはほぼ何も言わないでスマホ見てるみたいな
あなたは私に冷たくなったとかいう話になるじゃないですか
でも外してそれは誤解で
その男の子は多分お母さんに
あれこれあれこれあれこれ背を焼かれて
成績はどうなの?
宿題はどうなの?ってまあそういうことを言わないと
男の子って宿題のことは忘れるし
ハンカチも忘れるし全部忘れるんで
しょうがないんですよね
そういうあれこれあれこれ
手を回すということはやる
男の子はそれを内心では
よほどどうこされてないか
もちろんうるさいなと思ってるんだけど
内心では結構感謝してるもんなんですよ
しょうがないですよこれはね
癖なんですよねそういう人間関係
そういう人間関係を
ボラスは描いてるんですよ
人間関係の行き違いとカウンセリング
だからそれは病理じゃないじゃん
って感じもするんだけれども
一方で非常に現実的に役に立つんですよ
これがちょっとどうこしていく
これはちょっと
親の罪悪感が強すぎる
何か両親の関係が
うまくいっていないっていう
歪みがここにかかってくると
何かが起こるんですよ
美音みたいな極端なケースは
もろんあるんだけれども
精神病性の境界例みたいな話は
あるんだけども
あるいは妄想性の分裂病みたいなのも
あるんだけど
そこまでは行かなくて
ずっと受動的に扱われてきた
男の人と
妙に親に働きかけないと
相手にされなかった女の人の
カップルみたいなものが形成されてしまうと
うちの主人は
私に出て行ってほしいと思ってるんです
妄想みたいな話が始まって
でもこれは極めて
分かりやすい人間関係の
行き違いとか
祖母であって
そういう話こそカウンセリングにもたらされそうだよね
っていう
これは話なんだと思って
私はそういうのは
いわゆるビジネス心理コンサルという
看板でやってる人間としては
これは大変現実的には
ありがたいお話ですね
っていうことが感じられるわけです
早期の親子関係とAI
アメリカも日本もないんだねっていうような
あるいはイギリスも日本もないよね
みたいなそういう話なんだなと
もちろん
精神分析であり対照関係なんで
最早期の
いわゆる真相みたいな
真相って言ったら要するに01歳って話なんだけど
の要するに
ミシコの地が重要だし
見に行かなくていいって話にならないと思うんですよ
その表層を見るだけだったら
もっと要するに
それこそエリスとかがね
言ったように
認知行動療法じゃなくて
結局認知行動療法になっていくんだけど
行動を見ていくから
認知療法でいいじゃないですかみたいな感じに
常識を悟しましょう
みたいな話になると思うんだけど
それで回る可能性も高いと思うんですけど
でも私は
意外とそうじゃないなって思うんですよね
やっぱりこれも最早期
だってそんなにあれこれあれこれ
手を回す親あるいは意外と
相手のニードを無視してしまう親
っていうのは思春期に急に発生しないじゃないですか
ゼロ歳の時もどうせそういうようなことを
やってたに違いないと思うんですよ
私自分の
ゼロ歳時代の写真
見ると
手を回され過ぎてるわ私は
っていうのがよく分かる気がするんですよね
手を回され過ぎていると
やっぱり受動的な人間が
作り上げられていくわけですよね
だって自分が積極的に
何かをしてもうるさがられるんで
受動的になっていった方が
楽じゃないですか
黙ってテレビ見てください
みたいな感じになって
これを恋愛関係でもやってるだけであって
別に
愛情が薄くなったとかは関係ないわけですよ
昔から
自分が
能動的積極的にやってたところで
基本的には受動的な
ポジションに置かれてしまうわけだから
その方が親にとっては助かるわけだから
受動的になってるわけですよ
だから今度の日をどっか行くって
言われるから行くのであって
それは私が行きたくないということを
案に示しているわけでもなんでもないわけですよね
でもこういう
母親との関係と本音の引き出し
友人関係に気をもむ人が
10回中10回とも私が誘っている
みたいなね
数を数えているみたいな
母親は絶対その数数えませんでしたから
10回中10回ともハンカチ持ったと言ってるのは
私だみたいな
時々そういうこと言われることありましたよね
あんた言わないと持ってかないじゃないって
いやだって言うからさってことなんですよ
そういうことなんですよ
リマインダーはあんたがかけまくってるんだから
私が自分で思い出すっていうこと自体が
無駄じゃんっていう
現にそういう母親の関係で
勝手にポケットにそこら辺の
タオルとか持ってくと怒られるわけですよ
今でも私と奥さんの関係では
そういう問題ありますけどね
これは妙理か
っていう話になってくると
微妙だなーって感じがします
でクレームの話に戻るんですけれども
とはいえ
やっぱり少しこれが歪み
少し前に出ていく
対象関係の最早期において
例えば変形性対象みたいな話の中で
移行対象みたいな事態の中で
もう少しこれが
歪んでいくとですね
歪むっていうか
一般と違った場合には
やっぱり例えば今のJさんの
開発ラッシュみたいなことが起きても
小さなバグを
目を皿のようにして光らせるみたいな
わかるんですよ
私もうJさんじゃないんで
だけれどもあり得ることだって
思うんです私はね
これは人に憎しみを伝えることこそが
相手がイラつくことこそが
その人とのやり取り
その人との繋がりを
本当の意味で
保存してくれるというか
相手は基本そう思わないんだけど
憎しみを必要とする人間
親子関係ではそうだったから
大体において
貧乏法制という中に
貧乏法制な人っていうのは貧乏法制に育ってるんで
別に貧乏法制なんだけど
貧乏法制だけじゃないじゃないですか
例えば
万引きはいけないなもう少しいいでないかな
例えば別に
マスターベーションでいいですよね
それに対して母親が見つけたとき
もう二度とやめなさいねみたいなことを
言うとかそういう話
でこれって
子供にとっては非常に
なんていうんでしょうね
行動化になっちゃいますよね
もうひたすら
その目を盗んでマスターベーションするか
一切しなくなるかみたいな
それとなく
話すとか
あんたやったことないのかというみたいな
やりとりがありえなくなっちゃうわけですよ
そんなに最初の
ところからもう二度とやめなさいね
みたいなそういうことしか
言わないってことがやってくると
こういうときに親の本音
親の本当のところというのは
こいつは何を考えているのかということを
引きずり出してやりたく
ならないですかね
私はそういう人がいたとしても全然不思議はないと思うんですよ
引きずり出してやりたい
という気持ちになると
なんかこうもっともらしいことしか
言わないけど
これを入りをむって
言い回しって言ったほうがいいですよね
もっともらしい言い回しばっかり
使ってくるけれど
本当のところこの人がどう思っているのか
全然出てこない多分出すのが嫌な
あるいは出すことを相当恐れている
子供に対して
母親との対立と本音の探求
うちの母にはそういうところがあったわけですよ
劣化のごとく起こるくせに
どっかで聞いたような言い回しを
使いにたかりやがるわけですよ
そんなんで
なんでもいいんですけどね
誰にも相手にされなくなるとか
そういう言い方を従うんですよ
そんなことありえないじゃないですか
誰にも相手にされなくなるなんてことは
ハンカチ忘れたぐらいで
あるいは成績が悪いぐらいで
もう本当にどうしようもなくなっちゃったみたいな
そういう
なんか他の言い方はないのかっていうような
話なわけですね
いやないんですけど彼女には全くない
なぜならば
これが非常に難しいんですけど
父親に徹底的に
父親が暴力的で酒飲みで
宗教かぶれだったんで
母のね
でそれだけじゃないんですよ
決してその父親のもとを離れようとしなかった
自分の母親に対する
強い
意気通りがあるんですよね
そして本音を出すということが
いかに虚しいことか
っていうことを彼女には
徹底的に
なんていうのかな
入っちゃってるんで
私はだから母から本音を
徹底的に引きずり出すっていう
そういう思春期の
戦いがあったわけですよ
でまぁちょっとね
なんていうのかなぁ悪いことしたなと
当時は私も
可愛早を呼んでたぐらいなもんだったんで
役にはちょっと
立ってくれないんですよねやっぱりあれではね
当時私がモラスを読んでれば
母に対する対し方が
今とは当時とは
全然違うことができたと思うんですけど
できたかなぁ疑わしいもんですね
とにかくその
本音を引きずり出したいと
本当の愛情を引きずり出すためには
肌をボロボロにするのが
一番良かったっていうのが
アトピーだったわけですけれども
その本音を引きずり出す
っていうことをやるためにやっぱりね
割断とかをするのがいいわけですよ
母にはねどうしても母は
堪えきれなくなって本音を出しちゃうんで
だからもう
母が聞きたくないような割断を
非常に嫌な形で
ぶつけるというでなんで当時
そんなことを私はしたくなってたのか
全然わかってなかったんですよねやっぱりね
で今となっては
憎しみによる関係性の維持
やっぱり
タスクシュートのクレームとか
新機能に対して
でもこういう機能つけちゃうとさみたいな
その人その機能と何の関係もないのに
その話をしたいと私にですね
これはやっぱり私への
愛情なんだなという風に
考えるとなるほど丸く
収まる少なくとも
そう外しはしない
そういう風に考えて
だからといって気持ちがいいと気分がいいってことはない
わけですよボラスも書いてます
あのね
なんだっけ
なんだったっけな微妙な
やり方でイギリス風なんだな
あれはっていう感じなんですけれども
あの
あそうそう
なんかこう
イタリアとかに休館に遊びに
イギリス人ですからねイタリアに
行ってあの
すらっとして帰ってきたやつが
大体いつもその
愛しつつ憎むことしかしない男らしいんですけれども
ボラスに向かって
っていうかボラスに向かって言ってるわけじゃないんですけど
イギリスの男性っていうのは
生白くて太ってるやつしかいなくて
まあ要するに女性に対するPRの仕方
知らないよねとかって言うと
でボラスはその時ちょうど
新しいマシン買って一生懸命
痩せようとしてたんですって本当かどうか知りませんけどね
だから
ものすごく殺してやりたくなったと
つまりこういう人がやってること
というのは人の憎しみ
というものを必要とするんだと
憎んでるというよりは憎まれたいんだと
憎まれること
っていうことは結局のところ
本心で関わろうとするってことだから
だから
気が付くと
でも本当にそうなのかって思うんだけど
ボラスは奥さんも
この男を好いてないの知ってるのに
気が付くと
七面鳥のパーティーに呼んでると
だからこの男の狙いは
ちゃんとフィットしてるんだと言いたいんですよね
こういうことをしていないと
このような人は読まれなくなる
ということを恐れていると
だからこの間
ああいうことを言いやがってと思って
やっぱりフィットネスに
通うようになった
っていう話なんですよこれは
そしてその男をまた呼んで
自分だってそんなに
タスクセラピーと独占インタビュー
デブデブとした男の
わけじゃないいつまでも
ちなみにボラスは
まだ存命だと思うんで
wikipediaに載ってますんで
結構丸々とした
ポエム書きの人でもありますからね
いかにもだなって感じがするようなタイプ
丸くはないんですけどね
そんなに太ってるようにも見えないんだけど
わかんないですからね実際に
その時何があったのか知りませんからね
どうでもいいことなんだけど
全くどうでもいいことなんですけれども
このどうでもいい話題を
持ち出してでも人をイライラさせる
何のメリットもなさそうじゃないですか
そんなことしても
そんなことはないんだってことなんです
やっぱり人間観察が
よく行き届いてるなぁとも思うんだけど
でも私もいつも不思議だったんですよ
タスクセラピーに毎回のようにいらっしゃっては
このタスクセラピーというのが
いかにダメでいかに社会の役に立たなくて
要するにいかに
佐々木翔子っていう人間の考えることは
ろくでもないことかっていうことを
相談内容に持ってくるんですよね
終始で禁じてやろうか
こいつって思うんだけど
でも話聞いてたんですよね
でももちろんそれは
私はこれは仕事だからだと思ってたわけで
別にボランティスのように思ってたかどうか
わかんないんだけれども
でもこの終始それを聞かされ続けていた
というのは確かであって
だって本当に絶対避けたいと思えば
避けられないわけではなかった
わけですよね
ずっとイライラさせられるんだけれども
でもこの人に
してみると
あの作業はたぶん私に対する
やっぱり少なくとも繋がりを
絶対的に維持する
結局のところ独占インタビューみたいになってた
っていう記憶があるんで
なぜなのかはわかんないんだけど
ずっとその人と話していたことだけは確かなんで
タスクセラピーってグループで島ごとに分けて
誰か一人が対応する
点だったのに
気がつくとその人とは一対一で
何か個別セッションやってるみたいな形になっていましたから
なるほどなぁ
と思うんですよね
母親にこのやり方で
母親と対面し続けることが
できるということが
あの人にとって必要だったと
考えるのが
クライン流に考えるのって無理があるじゃないですか
愛が関係を壊すみたいなのを
恐れているっていうんだったら
こういうやり方は取らない気がするんですよ
で憎しみが破壊した後に欲打つ状態になる
関係性の破壊と維持の戦略
っていうのだったら
もっと破壊的になると思うんですよね
その人は私との関係を
破壊は結局しなかったわけじゃないですか
それは私が堪えたんだ
っていう言い方もできなくはないんだけど
私の堪え力というものを
称賛してくれる人が出てくるわけじゃないですか
あの人の話ずっと聞いていて
佐々木さん偉いですよみたいな
ここまでを含めてさらに
一つの
その人の戦略だったと考えることは
私は不可能じゃないと思うんですよね
不可能じゃない気がするんですよ
ああいう子をちゃんと育ててて
偉いよねって
お母さんがママ友から言われてる
ってことまで含めて
思春期の子が計算づくでやっていく
無意識を騒動にすれば
やってやれないことでは
全くないだろうと
頭のいい人でしたし
だいたい外してクレームっていう話は
そういう知力ってものとの兼ね合いを
考えさせられるんですよ
一体何があれのクレームだったのかすら
なんとも
今となっては
あれによってタスクセラピーが1ミリでも改善したかって
そもそもそんなことは望まれてなかった
と思うんですよね
要は私と話してたかったと
そして私が本気で話す
本気で話すためにはやっぱり
だって来られようとするじゃないですか
ああなるほどそうですね
改善ありがとうございました
嘘っぽいじゃないですかというか嘘だし
改善する気ないし
だけどそういうことを言っていただいて
ありがたいと思ってますみたいな
当時は接触してなかったんで
こういう感じだったわけですよ
向こうはここを面白がっていたとしても
不思議はないわけですよ
いつかこいつボロ出すだろうって
出しまくってましたし当然のことながら
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