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おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1334回をお送りします。
3月20日、金曜日、8時41分です。
あの、春分の日ですね。ということは、これからあれですね。
あの、昼が長くなるってやつですね。
まあ確かに暖かくなってきたし、なんか桜満開とかよくわかんないこと言ってますし、まあ開花したばっかりなんですよね。
でも開花した日に満開になることもあるというのを昨日テレビで見て、しかもそれは朝日川とかで起きるみたいな話をテレビで見て、
ああ、と思ったんですけど、まあ特に何も思ったわけじゃないんですけど。
あと、昨日1333回で、あれは私が習った限り、鎌倉幕府が滅亡した西暦の年が1333年だったような日が、
なんかね、語呂合わせだったんだけど意味わかんなくて、一味三段で覚えるんですけど、
一味三段の意味がわかんねえよって思ったんだけど、のわりによく記憶に残っているんですよね。
まあこういう話をしていると、そうでなくても今日はちょっと祝日なんで短めに切り上げるべき事情があるんで、先へ行こうと思いますが。
あの、今ボラスを読みながら、松木邦博さんが編集している
抑鬱パーソナリティ障害の精神分析的アプローチだったかなっていう本を読んでいて、
いやーあれはよくまとわってんだなっていうのをすごい思い知ってるんですね。
で、抑鬱のパーソナリティ障害の本、僕、松木さんのやつだけを前の方のですね、メタサイコロジーからだったかな、
のうんたらかんたらのところを一生懸命何回も読んでる。後ろの方の臨床例は、まあ通しで3回ぐらい読んだかなぐらいな感じなんですけど、
えーと、よくわからなかったんですよ、はっきり言って。よくわかってないなと思ってたんですけれども、
今読み直してみるとめちゃよくわかって、しかもひどく物足りなく感じるんですよね。
いや、こんなにあっさり書かれても困るんだけどって思うんですよ。これがやっぱり怖いなっていうか、しゃあないんですけれども、
わかってないんだよなーっていう、そしてわかってないということは今もなおわかってないわけですよね。
だけど、他に書いてある本があんまないんですよ。だからこういうことが起きちゃうわけですよね。
わかってないんだけど、ものすごいこれでわかったことになるのも事実なんですよね。
あの、ふんじだしっていう幕末のことを書くためなのに江戸時代全域について書いちゃってる漫画が、ついに未刊のまま原作者お亡くなりになっちゃう、
水本太郎さんね、お亡くなりになっちゃってるんですけど、あの中に海大新書のドラマが非常によく描けていて、それが実写化されたぐらいなんですけど、
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前野良拓っていうタヘルアナトミアを訳した人が最初にオランダ語を勉強するんだけど、手鶴が何にもないわけですね。
なんかこう、わけわからんタヘルアナトミアを最初、そんなことしてたかどうかわかんないですけど、ずーっと眺めていて何にもわかんないわけですよ。
それはそうですよね。辞書もなければ何もないのに、外国語の文章をひたすら眺めててもわかるようには絶対にならないですよね。
そういうことで、どうやってあれを理解していくかっていうのを一生懸命、ああでもない、こうでもないとやって理解したやつをですね、
オランダの辻さんに見てもらって、これ以上わかってる人はいないみたいなことを言われるシーンが漫画ではあるんですね。
リアルには知りませんけどね。
で、その後に前の両族が酷く放信状態みたいになって、あの辺を描くことができる漫画家ってすごいなと思うんだけど、
要するに自分の実力はオランダ語の少なくとも文章読解力で言うと、現段階で日本一だと。
でも、漫画なんでそういうセリフがあるんですけど、自分のランクなんてカスみたいなもんだと。
中一の英語レベルにも達してない。そうなんですよね。
そういうことになっちゃうわけですよね。その先駆者の世界ってある意味では。
それ以上先を行ってる人は誰もいないんだけれども、それは確立された学問体験の中では、
ほんの小学生の最初の方をかすったぐらいのところまでしか行ってないんだけど、
それ以上の道はどこにもないみたいな、そういうことが起こるわけですよ。
そこまででは全然ないんだけど、私はこの心理印象の世界ってすごいこれを感じるんですよ。
ちょっと読むだけでえらいいろんなことがわかるんだけど、
それは全体の中では全体がどういうものかがよくわかっていないこの状況の中では、
しかもそれが日本では学術体系として教わることは一瞬もないみたいな世界なんで、
フロイトって倫理の本の四角い写真に出てくる人みたいな勢いじゃないですか、
無意識を発見したとか、そっぱしなことを書いてあるわけですけど、
無意識から発見してないと僕は思うんだけど、
いずれにしてもフロイトってフロイトっていう言葉について習うぐらいの感じの人なわけですよね。
ボイル・シャルルの法則とかって習うじゃないですか、
でもボイルもシャルルも我々は別に、
大概の人は全然知らなくても別にいいわけじゃないですか。
そういう世界に近い、それ以下ですよね。
フロイトが何やったか、ほとんど具体的に習うことは私なんかの時代にはなかったんで、
もちろん大学で精神分析なんて全く一瞬も教えてないですから、
たまたま私はD.H.ロレンスの文学作品の中で、
うちの先生が、教官がフロイト大好き人間だったからめちゃくちゃいろいろ話を聞いたけど、
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ほぼ全く無視してましたし。
そういうことなんですよね。
それでもマシですよ、全然。
耳にしたから。
耳にすることも普通ないもん。
だからそういうことになっちゃうわけですよ。
前野良拓とは違うんだけれども、
要するに中1の英語レベルしかやってないのにも関わらず、
全然やってない時の自分に比べれば、
めちゃ英語わかってるじゃんってことになるじゃないですか。
どうしたって。
いや、This is Japanが言えますから、
それはすごいことなんですよっていう世界ですよね。
イズがB同士だって知ってますからっていうだけでも、
もうイズの変化形をなんなら知ってればもう完璧だみたいな。
イズの変化形知ってるだけで心理現象やっちゃダメなんだけれども、
でもですね、
こんだけベースのものが欠けている世界であればですね、
やっぱりベースのことを見たことありますみたいなので、
もう全然すごい頑張ってる感じになってしまうわけですよね。
だって欲打つっていう言葉だって、
最近さすがにですね、
少しは出回ってる気がするけど、
例えば打つと欲打つパーソナリティ障害はどう違うかなんて、
問いの意味がそもそもわかんないじゃないですか。
僕だったら10年前は問いの意味がそもそもよくわかってなかったし、
20年前は全くわかってなかったですから。
でも20年前って言ったって僕30過ぎてますからね。
20年前って言ったって、
例えば好きな行動主義みたいなのだったら、
一通りのことは原文で読んでるんですよ。
これの落差ですよね。
心理現象のことはなんかもう、
その千分の一も知らないみたいな、
ネズミがレバーを倒してチーズゲットする部分の説明だったら、
レスポンサー反応とか、
そういうことも一応一通り相当突っ込んで理解しているのに、
心を認知的に判定して、
コンピューターに例えるとか、
そういう話なら、
いろんなことを一応読んできてるのに、
ことが心理現象となった瞬間に、
もうなんかフロイトという人がいましたみたいな、
以上おしまいみたいな、
そういうなっちゃうわけですよ。
だからわかんないんですよね。
よくスパーソナリティ障害の本を読んで、
一通りのことを読み、
さっぱりわからんって感じがしていたわけですね。
さっぱりわかんないんだけど、
なんか重要そうなことが書いてあるなみたいな、
この段階でセッションやっちゃってる勢いなんですよ。
ある意味では。
この段階でやってるセッションの時に、
こんな知識は役に立たないんで、
結局何をやってるかというと、
話聞いてるだけっていうことになりかねないわけですよね。
話聞いてるだけではないんだけど、
結局気がつくと、
どっかの自己啓発、
自分の仕事術、
みたいなものから、
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得てきた知識に、
何かそれっぽい、
松木さんの本で読んだそれっぽいものをブレンドして、
喋っているような気がする。
そしてそれは、
実際のところ相手にとってどういう効果を
十分に発揮するのかが、
本人にも他人にもよくわかっていない。
しかし、そこから先に進もうとすると、
ネット上には何もないみたいな感じになっていくんですよ。
何もなくはないんだけれども、
でも非常に乏しい意図を
たどっていくような世界であることは間違いない。
大抵だっているこの教科書を一冊読めば、
大体のことは全部わかります、なんてことは
起こらないんですよね。
起こるじゃないですか、英語とかだったら。
例えば、英語って読めるようになるじゃないですか。
例えば海外の新聞だって読めるようになるじゃないですか。
こういうふうにはならないんですよ。
なかなか毎回毎回セッションで話を伺っていくうちに、
こういう話は聞いたことがないみたいなことが起こるんですよ。
初めて聞く話だみたいな。
つまりここには何か心理的な難しさがあるのはわかるんだけれども、
それはどういう観点で見ると、
立体的に浮かび上がってくるみたいな言い方をするじゃないですか。
言ってる人が何を意図しているのか知りませんが、
そういうことが起こらないんですよ。
実感として湧いてこないんですよね。
っていうことがわかってきたわけですよ。
ああ、植物パーソナリティの本に書いてあったことが、
わかる感じがする。
しかもここに書かれてないことがすげえいっぱいある。
前は逆だったんですよ。
ここに詰まっていることがあまりにも詰まりすぎていて、
要するに充実しすぎていて、密集度高すぎて、
意味がわかんないって感じだったのは、
今ではここは省かれていることが多すぎて、
これは確かにそうなんだけど、
で?っていう感じになっちゃうんですよね。
今その肉付けの部分を埋めるべく、
結局でも自分の経験以上のものはこういう時なかなかなくて、
自分の経験が本に書かれていることと何の関係もないようにしか見えないので、
そこがすごい難しいんですよね。
英語も勉強している真っ最中でそうじゃなかったですか。
私受験英語を始めた直後あたり、
いつも困っていたのが、
英文法の教科書に書いてあることと、
英字新聞に書いてあることに観覧性が見出せない。
構造が見えてこないんですよ。
英字新聞になると途端に見えてこなくなるんですよね。
新聞でちょっと書き方が独特なんでね。
あれは実はいろんなことを知れば構造通りだということは分かるんだけれども、
そこまでいかない間は構造が全くマッチしないから、
英文法をやる意味がはなはなよく分かったわけですよね。
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私、現代国語の文法は全く逆の意味で、
なんでこんな分かりきったことを改めて文法として学ぶんだっていう感じになってたわけですけど、
ダロダツデニダナナラみたいに、
いや、そんなの当たり前じゃんっていう先に言葉を知っちゃってると、
それが起きるわけですよね。
だけど後から文法を知るっていう話になってくると、
先に文法を学ぶってことになってくると、
いつこれを適用させることができるんだという、
単語をやたらと3000語とか覚えたがるのも同じで、
知らない単語をゼロにしてから読みたくなるわけですよね。
でもそんなこと起こらないわけじゃないですか。
知らない単語をゼロにするなんて母国語じゃないんだから。
で、そういうことがやっぱりあれだなっていうのをすごく思うんですよね。
あの、なんていうのかな。
欲打つと言ってみたときに、
一体欲打つって何なんだろうっていう話。
欲打つとスキゾイドとか書いてあった瞬間にもう
さっぱりわかりませんっていうことが起こるわけですよね。
で、欲打つとスキゾイドっていうのは
全く自分のことを言っているんだということに気づくのに
えらい時間がかかったわけです。
というか、ちょっと最近わかったぐらいな感じがするんですよね。
ある意味で。
もちろんあなりはつけてたんですよ。
自分はすごいスキゾイドっぽい人間だというのは
それはわかるんですね。
で、私はただ自分が欲打つ的であるということは
わかってなかったんですよね。
で、最近クリストファー・ボラースの
保存性対象っていうまた
どんどん言葉を増やすなこの人もっていう感じなんですけど
僕はこれやっぱりですね。
でも保存性対象っていうのは
あえてそういう言葉を作り出すのも
あえて作り出すのもわからないことはない気もするんですけど
気分がカプセルみたいになってしまうってことって
人にはありますよね。
だからあの人今不機嫌だからそっとしてあげようよみたいなあれですね。
その人はある気分に包まれてるんだけど
それ何のためにやってるのかと。
で、よくほら不機嫌をコミュニケーションの道具にする人に近づくなみたいな
またそういうこうなんていうのかな
心理テクニックなのかもしれないけど
非常にこうなんて言えばいいのかな
それだけでいいんだろうかって感じがまずするんですね。
なんか機嫌をコミュニケーションの道具にするなというのは
する人に近づくなという人も絶対やってることなんですよ。
なんかそういうことがスルーされるのが謎な感じ
もちろん教訓として近づくなというっていうことは
その人は自分はやってるかやってないかの責任は取らなくても
いいようにも感じなくはないんですよね。
教訓なんで。教訓ってそういうもんじゃないですか。
例えば何でもいいんですけど
立つ鳥跡を濁さずみたいなことは
言葉としてあるわけであって
それを最初に言った人の部屋が散らかってても
別にそれはそれでいいわけですよね。
そういう感じの話を
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として聞くならそれはそれでもありだと思うんだけれども
機嫌が悪いということによって周りの人が気を使う
それによってその人の
周りへの支配力を高めるみたいな話は
ほんとしょっちゅう聞くんだけど
つまんないなっていう感じ
うちの母はそれしょっちゅうやってたけど
だからなんなんだって感じが
私だってやってるし
父だってやる時はやるし
あんまりやらない人でしたけどね
もちろんうちの妹もやってたし
みんなやってるじゃんっていう
学校の先生だってやってるし
やるじゃないですかそんなことを普通に
そういうことはどうでもいいわけじゃないかもしれないが
私はそれよりもずっと重要だと思うのは
なぜその人は
私はその人が他人をコントロールするために
そうここがやっぱり
全く共感できてなかった
同意も賛同もできないんですよ
ある人は
無意識に不機嫌になって
例えば
みんな意見が一致するんですよやっぱり
面白いなと思うんですけど
あの人にはなんか物申しにくいよねっていう人は
ほとんどの人が一斉にうなずくんですよ
うん確かにみたいな
でもその人が
私は物申させないために
そういう態度を取っているっていうようには
見えないし
他の人もそれにも同意するんですよだいたい
でもあれはわざとやってるわけではないし
人をあれでコントロールしようとしてるとも
言い難いと
なんなら物申したからと言って
その人はいきなりブチ切れたりは
返してしないんだけど
でも物申し難いのは確かだ
なんかこわもてな感じがする
顔で損してるっていう話も
なんかないんですけど
でこの時に
ボラスの言うように
これはそういうことじゃないんだと
昔親との関係で
その気分に包まれている時が
実はその子にとっては一番親との
距離感を近づけられる
というふうに思った瞬間が
あったんだっていう
つまりある種外相的な話でもあり
ある種欲動的な話でもあり
その辺非常にミニコット的ですけど
同時に
これは
言うならばなんて言うんですか
対象って言葉を使っちゃってますけれども
やっぱり戦略ですよね
そして一つのテクニックですよね
つまり親を呼び覚ますための
言ってみれば移行対象なんですよね
それはね
安心毛布でライナス君は
お母さんと一緒にいる感覚を
呼び覚ましたいわけですよね
これが移行対象の基本原理だと思うんですけれども
ある気分になることによって
それが
例え悪い気分だったとしても
お母さんと一緒にいる気分というものを
呼び覚ませる
これが非常に精神分析的ですが
対象関係論的でもあると思いますけどね
この方が僕にはよっぽど
納得がいくんですよ
なぜならばある種の気分になっている
というのを
外的な条件と関係なくやるっていうことは
ある意味子供っぽいことなので
つまりそれは対抗的な行動だと思うんで
行動に見えますよね
18:01
畑目からは見えるんで一応
で
みんなやるんですよ私が知る限り
これをやらないっていう人は見たほどがないんですね
微妙にうまく隠すように
見える人はいますけれども
あくまでもそれはテクニックの話であって
それは既にやってるってことだと思うんですよね
なぜならば
たとえそれがどれほど匠に行われたとしても
違和感が生じるんで
普通に
これは無意識にとかじゃないんですよ
違和感が生じるはずなんですよ
だってその状況に
ぴったり合った
気分とかあるいは
その人がその時にそういう気分になったことと
常に直結する
言動が周囲で
行われるなんてことはむしろ
ありえないことなんで
人間ってのはそういう生き方してないじゃないですか
明らかに夢思考アルファの世界に生きてるんで
動物ってその辺
めちゃくちゃストレートじゃないですか
なんかこう攻撃すると
攻撃し返す
今の戦争じゃないですけど
攻撃されれば攻撃し返す
でもだからといって
ヘビとかそういったものが特に身の危険も感じなく
空腹も感じてないのに
ヘビとかじゃダメだけど
犬とかそうじゃないですか
穏やかな時は全く穏やかじゃないですか
あれは
要するに周囲と基本的には
マッチしてるからと思うんですよ
夢思考とかに生きてないから
直接近くの存在って
大体穏やかじゃないですか
動物園にいて動物っていうのは
基本的に見ててこっちは退屈するものばっかりですよね
一部
猿とかあれかわいそうだとだから思うんですけど
頭がよほどいいと
自分がどうやら
閉じ込められてるらしいみたいな意識があるのかもしれないけど
トカゲとかヘビとか見てると
閉じ込められてる意識なんて一個もないから
非常に穏やかなものですよね
基本的には
満たされていればそれでOK
ライオンって意外と穏やかですよね
あの穏やかさというのは
もちろん自由である方が
いいに決まってるんでしょうけれども
基本的にでも
動物というものは機嫌とか
気分とかに左右されて
猫とか知らんすけど
あんまりないように思うんですよね
機嫌でコントロールとかできるのはやっぱり
もしできるとしても
人間ぐらいなもんだろうという感じが
しますよね
この気分というものは保存性対象
というだけのことあって
移行対象だと思わなくもないのですが
移行対象だとやっぱ
ちょっと外在化するものとか
人が必要な感じがするんで
気分は明らかに外在化はしないんで
外在のものではないので
保存性対象という
保存性対象というのは要するに
TPOに全くそぐわないですよね
全くそぐいようがないですよね
その場にいない人呼び出してるわけだから
その場にいない人しかも
どうしなければならない
事情がその人にあるってことが
大事だと思うんですよ
つまり不機嫌になることによって
お母さんは
これ非常にシンプルですね
お母さんはその子が不機嫌な時だけ
ひどく親密さを
表してくれたかもしれない
21:01
あるいはお父さんが
そうだったのかもしれない
そうするとその人にとっては
部屋の隅に行って退屈割になって
うずくまって不機嫌っていう感じを
醸し出してようやく親は
自分にちゃんと接してくれた
っていうことがあったのかもしれないじゃないですか
ここに外傷的な
出来事がさらに追加されてくると
つまりそうでない時には
ひどく外傷的なことが起きていると
例えば両親が
絶望的なくらい大喧嘩すると
そういう後で
不機嫌に退屈割をしていると
この時に両親がですね
いや悪かった
喧嘩をして悪かったって言うなら
まだいいと思うんですよ
何かガラッと全然関係ないかのように
いきなりその子のお機嫌を
取り出すみたいなことをやり始めると
非常に子供としては
混乱すると思うんですよね
2歳とか3歳の話ですよ
7、8歳になればそうでもないと思うんだけども
2、3歳だと多分子供は
非常に混乱すると思うんですよ
つまりその外傷的な
現実には
全然
頭が働かないんだけど
とりあえずこの自分の気分が変わることによって
世界は変わるんだと
つまり変形性対象と絡む話ですよね
これは同じくボラスの
要するに
世界は変わるわけですよ
ミルクを沸騰させることができますからね
母親はね
なぜミルクが沸騰するのかとかは知らないんですから
子供は
ついでに言うと
そもそもパチパチパチボンって火がつきますけど
あれがすでに魔法ですよね
だから何かというと
ハリーポッターですらやってたじゃないですか
杖一振りすると火がワッとつくって
あれはガスコンロでしょうっていう感じですよね
あるいはライターでしょう
でも子供ってライター大好きじゃないですか
だから
火遊びするなんてよく言われるわけですけれども
世界が変わるんですよ
原理を知らない時ほど世界は
一変させられるはずなんですよ
オカルトなんですよね
その変形性対象ですよね
自分が気分が変わると
同時に
親が例えばケンカをパッとやめる
それは変形が起こるわけですよね
やっぱり親が
世界を変形させてるわけですよ
そうすると
つまり子供は自分の気分が悪い
ということこそが
親と親密な関係を保つために
必須のことであるっていうことを
なんて言うんだかろうか
思考過程をすっ飛ばして
つまり
未思考の地っていう表現を取ってるんだけど
あれですよね
考えられない考えってやつですよね
考えられない考えが
現実のものとなる
厳然するわけですよね
考えられない考え
つまりビブデバビデブーなんだけど
呪文みたいなものですよね
それによって世界が一変する
っていう体験を繰り返し繰り返し
持つっていうことが
その人が不機嫌になるだけの
大きな理由があるわけです
もう
そのことは
やってこないことは知ってるわけですよ
たぶんこの気分というものに
24:01
包まれる人は
私は精神病水準でやることは
あんまりないと思うんですよね
やっぱりボーダーより上
健常的って上はいけないね
ボーダーより健常に近いと思うんですね
上下ないんで別に
上下も右左もないんで
ボーダーよりも健常の
神経症水準に近いということは
つまり
もう
気分変えたからといって
世界変わらないし
親が登場してこないのも知ってるわけですよ
なんなら親はもう亡くなってるのかもしれない
親が亡くなってないにしても身の回りに親はいない
だけれども気分を悪くする
逆なんですよね
だからこそ気分を悪くする
そうすることによって親が
パッと喧嘩をやめて
自分に寄り添ってきてくれたときの
感覚というものを
引っ張り出してきて
そうすることによってむしろ
居心地の悪いパーティーに
居続けることができるのかもしれないじゃないですか
これを我々はそうは捉えずに
この人は
機嫌で人をコントロールしようとするんだ
このパーティーが好きになれないんだ
我々のことが好きになれないから
こうやって機嫌を悪くして
人をコントロールしようとしてるんだ
近づくのやめようってのは
私には非常に
納得がいかないんですよ
そういうことをするべきじゃないかもしれないけれども
しょうがないじゃん
って感じが第一にするし
第二に全然誤解してるじゃん
結局それはという
何でも一律にそういう
心理ハックみたいなものを
検討をつけて
当然そうである
つまり当然その人の気分というもの
今ここの状態に反応する
という風に決めつけるのは
相当
こういう言い方は嫌いなんですが
相当浅いと思うんですよ
全然相手に関心を持たない態度に
思える
いくらかでも持てば
いくらかでも気分というものについて考えてみれば
もう少し違った解釈が
出てきそうなもんじゃないですか
気分が良くなったり悪くなったりするのは
必ずしも目の前の現実に
直結した
直結した反応だけってことは
多分絶対ないと思うんですよね
夫婦の間って
どかくこれが多くて
やっぱり夫が
不機嫌で奥さんをコントロールする
というよりは遥かに
うちの奥さん見てても思うんですけど
やっぱりあの
お兄ちゃんと小学校時代に
会ったいざこざかなみたいな風に
考える方がよっぽど
ジャパンがWBCで
負けて不機嫌なのかもしれないが
そういう問題ではないんですよね
ほとんどの場合そういう問題ではないような
気がします保存性対象
って言葉はとっても良い言葉だ
と思うんですよね保存されてるわけ
だし保存してるわけですよ
自分にとって
おもちゃを大事にとっておくって
結局それは意向対象な話ですけど
そういうことじゃないですか
このおもちゃには思い出が詰まってるみたいな
気分にこそ思い出って詰まってるじゃないですか
その思い出が良い思い出とは
限りませんが
子供にしてみると親との
親との親密な関係を築けた瞬間
27:02
とかあるいは親が
自分に向き合ってくれた瞬間というのは
実は大いい家は
非常に恵まれてると思うんですけど
実に乏しい家もいっぱいあるわけですよ
親が特に異常で
なくてもですよ
だって私記憶している限り
うちの両親はどちらも
正常でありましたが
およそ子供に直にちゃんと
向き合うという瞬間は非常に
少なかったような気がします
はっきり言ってその瞬間は怒られる
時ばっかりだったような気がします
つまり直に
向き合う時は説教される時だったり
まあ昔の親なんで殴られる時だったり
するわけですよ
決して何か良いことがあったり
あるいは良くも悪くもない時
これが一番問題なんだけど
良くも悪くもない時は
およそ真面目に親は向き合ってないわけですよ
子供に子供が真面目に
向き合ってるのは例えば私の性的が
極度に落ち込んでるとか
そういう時ばっかりなわけですよ
しかしながら子供にしてみると
例えば思春期になったとしても
結局全面的に親に頼ってるわけじゃないですか
学費から食費から
住むところから
結局のところ親が本音を持って
向き合ってくれるという時間は
大好きだ
とかいうことではなくても
必要としてるわけですよね
つまりそのようにしてほしいわけじゃないですよ
殴られたり説教されたりしたいわけではないが
ニードとしてはあるわけですよね
親に私に
真剣に
私の方を向いてもらいたい
みたいなことはあるわけですよね
この瞬間に
会った気分というのは最悪ですよ
だから赤点三つだ
お前どういうつもりだみたいなそういう時ですよ
しかしこの気分というものは
保存されるんですよね
そしてこの気分を
要するにロードするわけですよ
非常に調子が
下がってきた時にロードしやすいですよね
こういうことって結局は
つまり私の
真のニードが
ある程度親に通じた瞬間
私が本当に必要としている
ものを提供してもらった
瞬間は
気分は最悪なんですよ
例えば
パーティーとか
やらかしたなみたいなことを
さっきの
喋ってる時にこんな大勢の前でやらかし
しまったみたいな時に
このニードが発生するわけですよ
真に自分が必要としている人を
呼び出したくなる
そうするとさっきの失敗と相まって
これは作り話ですからね
気分はずっと落ち込んでいる
自分でも
さっきの失敗で落ち込んでいると思ってる
でもボラスに合わせれば
違うんですよ
それは保存性対象を呼び出しているんだという解釈は
十分あり得ると
あなたはいつも繰り返し繰り返し
そういうことが起きた時には
そういう気分になってるけど
それは実は
親との破綻をつなぎ止めようとした
破綻ではないんですけどね
私の話で言えばね
結局親はもう親のことしか
考えなくなってるわけですよ
30:00
つまりそれは対象になっちゃってるわけです
親は全体対象
外的な対象なわけですよ
環境としての親はやめちゃってるわけですね
しかし子供はまだ
たとえ15歳でも
環境としての親を必要とする
まして私みたいに
結局私はその
ディレイをかけられた人間ですから
ディレイをかけるというのはつまり
大事に育てられたという意味でもあるんだけれども
自立能力が非常に低い
ということでもあるわけです
できることは勉強とかなんだから
勉強できるだけじゃ自活ってできないじゃないですか
よくこういうのって
優等生をからかうのに使われるんですけど
私あれはまあ
しょうがないとは思うんですけど
いいことでもないと思うんですよね
つまり自活能力が高いわけですよ
昔ヤンキーとか呼ばれていた人たちは
自活能力が高いわけです
バイトとかすぐするし
何なら金とか
そこらへんの子から
徴収するし
自活能力は確かに高いわけですよ
それは親が結局のところ
十分面倒見てくれないからっていう
これはトレードオフなんですよね
めちゃ十分面倒を見て
学費も高い私立の学校行かせてくれます
っていう場合は自立能力が下がりますよね
代わりにディレイがかかるわけです
まだ自活しなくていいんだと
そうじゃない能力を磨けとか
そうじゃないことをやっとけみたいな
そういう世界に生きてるわけだから
当然自立能力が下がるわけですよ
そうすると自立心というものは
それとは関係なく育っていくんで
親に対して鬱陶しいという気持ちは
極めて強くなりやすいですよね
ということには親を向き合って
くれなかったりするわけですよ
全然
で向き合わせたいというニードは
ニードなんで無意識に発生するわけです
向き合わせる必要があると
でも全然親と話したいとは思ってないわけですよね
心の表では
こういう
決して複雑ってほどではありませんが
ある種の複雑な心境というものが
多重構造を作り出して
少なくとも二重構造を
作り出していて
これがその気分というものを
形成
取っておくべきで
取っておきたくなる大きな理由になる
そして親は
なんだかんだ変形性対象を
やってくれているわけですねこの時
どういうつもりだ
みたいなことを言うっていう
普段だったらばもっとおちゃらけていたり
私をからかっていたり
軽く扱っている親が
ガラッと変わるわけですね
そうすると私も気持ちの上でガラッと変わる
嬉しいとは決して思いませんけど
変わることは確かですよね
つまり魔法が使われているわけですよ
普段の現実というものは
少しも変わらない
相変わらず英語の勉強はわけわかんないし
数学もわけわかんなくなってきたし
友達は何かいびってくるし
いいことある先輩も
小髄でジュースとか買わせるし
毎日毎日変わらないわけですよ
現実は満員電車はもう
信じがたいくらい毎日毎日
満員だし私私立に行ってたんで
ところが親が
急に態度を変え
私の気持ちも急に変わる
33:01
という風に魔法が使われて
変形性対象になってくれている
その時に
使われたというその時に繰り返し
登場した気持ちが
つまり保存性対象ということになり
私はそれを
ここという時に呼び出す
癖がついちゃっているわけなんですね
その時の気持ちに対抗してますよ
もちろん子供っぽくなっていて
親に説教されている気持ち
それは親との距離が非常に近かった
なんなら手が出てきているから
手では触れた
昔ねあの
しばりお太郎の
本で
小説でひれよしがですね
本当か嘘かというか
嘘なんじゃないかと思うんですけど
信長様がいつも私を殴ってくれると
それだけ私は
信長様に近いところにいるんだ
ということをみんなに自慢して回る
っていう話が書かれてたんですけど
つまりそういうことですよ
距離が近づくわけですよね
殴れるってことはすぐそばにいるってことですからね
全然
でも普通に考えれば
ましてしじゅんきの息子が
親に殴られて嬉しいってことはないんですよ
ただし
ニードは返還されて
ニーズとして提供されて
一定程度満たされるってことは
起きるわけですよね
そんなに頻繁にあったわけじゃないです
むしろ逆ですね
これがごくたまにしか起きていないからこそ
むしろますます
保存性対象としての意義が
でかくなってしまったと
なんで
なんだかよくわからないけれども
最悪の気持ちになるということを
今私はなりませんけれども
最悪の気持ちというものを
呼び出すということを
したくなるのはよくわかります
ついでに
この文脈でおそらく
ボラスのですね
おそらく私は自分のアトピー
説明できるなと
母親の前で手とか足とか書いていた
それがやりたいことだったんだろうな
というのがつくづくわかるようになりました