おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第1092回をお送りします。
11月19日火曜日、7時32分です。
いや、もうめっきり寒くなりましたね。
えー、なんと言いますか。冬ですね、これはね。
えーと、まあ冬、とにかく10度切ったんで外、外気温がですね、この時間で10度切っているというのは、まあ別に、まあ冬って感じではないんだけど、やっぱり先々日あたりはまだネッククーラーしていたかったぐらいなんで、
もうストーブなしでちょっとここに立ってるのは厳しくなってきたので、えー、冬だなあという感じがします。
あの、今日をもって冬が来たというふうに言いたくなるような。
今日をもってといえば、今日、私知ったんですけど、今朝。
あの、詩人のですね、谷川俊太郎さんがお亡くなりになりましたね。
いやもう本当に、うちの娘が聞いてもショックを受けるという、すごいなっていう感じがします。
4世代離れてますよね、たぶんうちの娘とだったら。3世代ではないよな。
暇ご相当ですからね。
いやーもう冥福を祈りしますとともに、これぐらい4世代離れた人にも亡くなるとショックを与えられる詩人って、
詩人ですからね、作家ならわからなくはないんだけど、
あのー、詩人となってくると知ってる人の数が激減するじゃないですか。
作家さんの10人知ってるのに対して詩人1人知ってるっていう人は詩好きな人だと思うんですよ。
もっと比率的に下がると思うんですよね、詩人っていうのは。
本当にすごいなと思います。
ちなみに私は谷川俊太郎さんのことを、たぶんかわいはやおさんの本で知るという、
やっぱりなんかですね、野良カウンセラーですらない私なんですが、
あまりにもカウンセリングっていう世界に自分はどっぷりハマってるんだなっていう。
だって谷川さんの名前を知るのが、かわいはやおの本って普通ちょっとないじゃないですか。
わかんないですけどね。私は間違いなくそうなんですよ、意識してる感じでは。
もちろんその前から谷川さんの詩をどっかで読んだことがあるとかはあると思うんだけど、
私はそういうのあんまり得意なほうじゃないんで、
国語は得意だったけどあれですよ、文芸史みたいなのがあって非常に苦手だったんでね。
だいたいもう間違う。
漱石の前期3部作すらちゃんと言えないみたいな全部読んでる。
そういう人間なんで、全部読んでるどころか、
少なくとも全部3回ずつぐらいは読んでるんで、もっと読んでるよな、絶対な。
でも言えないんですよね。興味がないんだろうな、そういうことに。
いや、電話がかかってきやがったんですよ。
それも電子音の迷惑電話ってやつで。
電話ね、かかってこないようにしておけばいいって感じもあるんだけど、
かかってこないようにしておくっていうわけにもいかないんですよね、この時間帯は。
非常に困る。もう本当にあれですね。
そして、なんだっけ。こうして途切れたので何をしゃべるのかが分かんない。
そう、怒りでボタボタね。
つまりですね、怒っているのに対して解釈をするわけじゃないですか。
そのあなたの怒りは何でもいいんですけど、親に対する怒りで。
その奥底にあるのはあなた自身が世の中でうまくいかなくて、
自分でお金を稼ぐこともできずに親に世話になっていて、
みじめな状況だということに対する自分の絶望感なんだみたいなことを言われると、
これが解釈だと私は思うという言い方だとしてもですね、
肯定受け入れられないわけですよ、このような話には。
それを受け入れるところでどうなるんだっていう、これが絶望感なんだけど。
そういう気持ちになるじゃないですか。
だから、いやいや、あんた分かってない。
私あんなに言ったじゃん、うちの親本当ひどいんだよって言ってるわけですよ。
別に岩月さんはそこをあなたの親ひどくないですって言ってるわけじゃないんだけど、
これを肯定してくれる以外の話は聞きたくないんだと思うんですよね。
こういう状況になってしまったら。
だから、岩月さんをおそらく言うときはですね、頼りにしたりすると思うんですよね。
理想家ってやつだけど、いずれにしてもなんか頼るわけですよね。
頼った分だけ腹が立つってことってあるじゃないですか。
だからものすごく怒り出すわけですよ。
これに対してさっきのように、あなたのその怒りはとかってやってられなくなってくるわけじゃないですか。
もう自分ボタボタな光景が想像がつくわけだから、人でも呼びたくなるわけですよ。
平等にいるわけですしね。
ちょっと屈強そうな人いると思うんですよ、絶対そういうスタッフさんって。
なんか柔道なんだみたいな。
で、ちょっとその人呼んで、一旦落ち着かせようみたいにしちゃダメなんですよね。
でもね、きっと。
まあ僕だったらそうしたくなると思うんですけどね。
つまり、なんでそうしちゃダメかというと、それって結局最後には力に頼るって話になっちゃうと。
松木さんそういう話書かれてるわけですけれどもね。
そのクライアントさんの一つの重要な問題は、いざとなったら力づくで何とかするという路線が行き詰まってるっていう状況にあるわけですよね。
親とか自分のわかってくれない奴は怒鳴ったり威嚇したり、なんならそれこそボタボタにしてやってきたわけではないですか。
それって一見うまくいきそうに思う、うまくいくと思ってる人が多いからこそ、
私だってあの昔、本当に昔昔昔になっちゃいますけど。
私これでもね、どこもサービスに努めてた時あったわけですよ。
その時やっぱりちょっと柔道できそうな人に、ほらその時なんだそれみたいなことを言われてたわけですよ。
これってそういうことですよね。
いざとなったら、威嚇なり力づくで怒れば、その場を何とかその人の考えてるところの正常な状態、
つまりその人の人生というものについて、あるべき姿にさせることができるっていう考え方、8巻ですよね。
それをもう退属しているわけですよ。
私がその時態度悪かったりしたんだと思うんですけれども。
とはいえなんてあれですね。
そうやってこう、なんていうんですかな。
言ってみれば暴力的に直すってことができる。
直すってことはつまり、その人の心の中にある姿を現実を、心の中にある姿を現実より優先させるって意味になりますよね。
僕らは結局は、突き詰めて言えばここで困ってるわけですよ。
車に、自動車に鍵がかかってるかかってないもそうだし、家の鍵がかかってるかかってない、家にいないのに火がつきっぱなしになってる、
すべてあってはならない現実をあるべき姿に変えようとするところで、そこにそごが起きた時に悩むわけですよ。
それはどなって直そうと、何十回も確認して直そうと、要するにそこにそごが発生すると僕ら困るわけだけど、
ないのもでかいから、何度も僕がこういう言い方しますけどね、想像力が人間豊かすぎて、現実がどっちになってんだかわからなくなるわけですよね。
炎上というものを恐れるのも、炎上してる状態はあるべき姿じゃないってその人が思ってるところに最大の問題があるわけですよ。
現実というのをあるべき姿に変えなきゃいかんと。
少なくとも精神分析とか心理臨床とか心理カウンセリングの世界ではそうなんですよ。
自分の主観をまずは現実にチューニングしましょうって合わせてチューニングしましょう。
現実の方を自分の心象の方、心理的な風景の方ね、こっちが正解だと思って現実の方を変えようとするのやめましょうと。
ここが批判されるポイントでもあるわけですよ。
今回日本の県知事選が実に独特の選挙で独特の結果になりましたけど、あれに対してそんなことでいいのかっていう批判がやってくる可能性あるわけですよ。
現実こそをあるべき姿に変えていくのが社会的なあり方じゃないのかっていう考え方ですよね。
でも心理臨床でそれをやろうとすると結局のところ親の子育てを正すみたいな話になってくるんで、少なくとも精神分析ではその観点は取らないわけですよね。
なぜならばクライアントさん一人の言い分しか原則聞かないからですよ。
それ母親が悪いみたいになっちゃうけど、実際は母親側の状況としてそれしょうがないだろうと。
その通りなんですよ。
これは全くそうなんです。
ただあくまでも視点は絶対子供側から見るっていうのに動かさないわけですよ。
アジャセコンプレックスっていうやつですよ。
どうするにお母さんの都合でアジャセ王子は生まれたから怒ってるんだけどアジャセ王子は。
でもお母さんにしてみればですね、それは当たり前じゃんっていう私の都合で生むのよみたいなノリはあるわけじゃないですか。古代インドですしね。
ただアジャセ王子はそれを許せないんですよ。
これは社会正義の話をしているのでは全くなくて、アジャセ王子の観点からしか基本見ない。
この観点を動かさないという点において、精神分析家はある意味絶対にクライアントの見方をしてるんですよ。
それこそ見方をしてるんですよね。
クライアント側からものを見ると。
それでもこういう解釈はあり得るんではないでしょうかみたいなのを提案していくのがおそらく理想的なやり方なんじゃないかなって思うんですよね。
で、またここの以上の話はほぼ脱線なんですよ。申し訳ないんだけどね。脱線に近い。
だからそのお母さんは子供を寝かしつけたと思ったら私の仕事をしなきゃいけない。ましてあれは仕事をしてたんだと思うんですよね。
その3ヶ月チャレンジと提示した話はですよ。あり仕事とかに集中しちゃうと。
そうするとお母さんも構ってくれないと。
あまりにもその時間が恐ろしいと。
これはね、一生にあれなんですよね。
それは子育て問題ですかって言われると、その話に見えちゃうのが問題で、子育て問題ではないんですよ。
我々は親から迫害されたと思うようなシーンの1つや2つは誰もが絶対持っているはずだし、持ってなければいけないんだと思うんですよね。
そうしないと、親というものが完璧に私を包むものになってしまうので、これは閉塞状況を生みますよね。
いわゆるパーフェクトマザーってやつですね。
ウィニコットが言うところのグッドイナフマザーでいいんだと。
それにアンチの言葉、グッドイナフに対する反対語がパーフェクトマザーなんだけど、パーフェクトマザーっていうのは理念上の母親です。
現実にパーフェクトマザーはいないんですよ。
だから現実のお母さんはみんなグッドイナフマザーだってことです。
ここもいやいやグッドイナフじゃないでしょうみたいなバッドマザーでしょうっていう意見があるんですけど、それは精神分析というものではないものの見方をしてるんですよ。
世の中にはそういう親から保護して虐待だから児童相談所に云々って、それは現実の話をしてるんです。
精神分析というのは主観の話をしてるんです。
だからすべての母親はグッドイナフなんですよ。
仮に母親が私別していらっしゃらなくても亡くなっていたってグッドイナフマザーなんですよ。
これはもう観念に近い問題なのであって、具体的な話、これがねまた具体的な話でもあるから一層困るんだけど、とにかくパーフェクトマザーというのは観念上の存在です。
で、いてもいなくてもグッドイナフマザー。
リアルのものはすべてグッドイナフマザーです。
なぜならば子供は生きてるか、そしてすべては子供の主観から見たものの考え方を捉えるか。
完璧な母親というものはいないか。
子育てを完璧にしている母親がいないって話はここではしてないってことです。
完璧にして良くとしてまいが、必ず失敗はする。
これはただ精神分析の治療の部屋についての話を具体的にはしてるんですけど。
松木さんは母親になって、松木さんは完璧な母親ではない。
松木さんはグッドイナフマザーなんですよ。
で、まあそれはいいとして、ここのところは読み物なんです、私にとっては。
大事なのはここで点を置きますよね、と。
松木さんはそうは言っても解釈頑張ろうとしてますけど、あなたのその怒りはとか言おうとしてるけど、
相手はもう激怒していて今にも自分を殴りそうなんで、怖えーとか思ってしまうわけ。
で、当然この患者もいい加減にしてくれってめちゃくちゃ腹も立ってると思うんですよね。
この怒りは転移ですよね、間違いなく。
普段の松木さんは別に人に会って怒るってことはないわけだから、
これは明らかにそのクライアントさん、自己愛のクライアントさんが怒りと憎しみをガンガンガンガン投入してくるから、
この怒りが松木さんの心の中に入ってきちゃって、松木さんも怒ると。
これはあれですよね、子供の喧嘩ってやつですよね。
子供がめちゃくちゃ相手が悪口言ってきてこっちもだんだん腹が立ってくる。
これは向こうの怒りがこっちに入ってきてると考えられるから、転移ですよね、完全に。
で、この転移が起きますよね、こういう人の場合特に。
で、この転移をそのまま扱うのが精神分析なんですけれども、
この転移は病棟にも入ってきますよね。
つまりその人入院してるんだけどやっぱり病棟のスタッフがみんな怒っちゃうわけですよ、こういう患者さんがいると。
お前はなってないっていうような話をされて、こういう患者さんは入院して、
全てのスタッフに対して投影と投影ドイツ化をやるんで、
全てのスタッフを親扱いして、しかもその親が理想的な親じゃない場合はブチ切れるわけですよ。
要するに威嚇したりボタボタにするとか言っちゃうわけですよ。
そうすると病棟スタッフ全員がここに巻き込まれて、みんなが怒りだす。
もうあのような人入れないでください、松木先生みたいな感じになってくるわけじゃないですか。
これを松木さんがどのように扱ってるかっていう話なんですよね。ほんのちょっと書いてあるんですよ。ちょっとですけどね。
こんなに重要な話じゃないことになってるんですけど、僕はこっちに興味があるんですよ。
スタッフに対してやったことが書いてあって、彼らの怒りを言語化してもらって、それこそ言語化してもらって、
そして肯定したと、要するに怒ってOKってことになってる。
ただ、その患者の、あの自己愛の患者の怒りは自己愛だからああいうふうになるんであって、
彼は本当のところは非常に抑鬱的で、自分がすごく惨めな状況にあるというのを想的に防衛しているだけなんだっていう話を
だけなんだって言ったのか知りませんか。伝えていくわけですよ。
要するに、松木さんが心の中でこの患者さんについてどう思っていて、自分はどういう対処方針で言ってるのかという話をしてるわけです。
これで病棟が機能するようになったみたいな話なんですよ。僕が一番この番組でもそうですし、お伝えしたいのはこれなんですよ。
こうすることで僕らは、多分その病棟スタッフは働くメンタルが取り戻されるんだと僕は思うんですよ。
これって結局松木さんは何をしてるのかというと、精神分析を参照してるじゃないですか。
結局のところを使われている知識は精神分析の知識だし、その怒りとか、怒りの元になっている欲打つといった話は、その用語からしても力動的な流れの中の用語なわけじゃないですか。
これを踏まえながらものを見ていけば、病棟というすなわちビジネスの現場が機能不全を起こしかけていたところから機能が取り戻されていくという話じゃないですか。
僕はここのところだけを使いたいんですよ。
ここのところだけを使うのはありだろうと思うんですよ。
ここでですね、いやいやこの自己愛のパーソナリティの人は大変だけど、それが君たちの仕事だろうみたいなこと言ってもいいわけじゃないですか。
そしてそういう話しょっちゅう聞くじゃないですか。
僕はでも松木さんそういう話をしなかったと思うんですよね。
あくまでも精神分析の流れの中でお話しされてたと思うんですよ。
僕はそっちの方が効果が全然あると思っているわけですよ。
プロフェッショナルとしての流儀みたいな話をするよりもずっと。
それがプロフェッショナルの流儀なのかもしれないけど松木さんの場合には。
なんであれですよ。
精神力動みたいな話、つまりここの病棟全体に定位状況が発生しているんだと。
ものすごい強烈な怒りを持っている患者さんを持ち込んだから、その怒りがみんなに拝接されて、みんながその患者さんの気持ちというものにならされているんだと。
そういう同一化なんだという、定位なんだということを言ったわけですよね。
定位なんだからみんなが怒るのは当然で、その怒りOKと。
だってその怒りは患者の怒りなんだから、それをみんなが拝接されてみんなに定位して怒っているんだからしょうがないでしょうと。
実際みんな怒ったじゃんっていう言語化したからね、それが伝わるわけですよね。
で、それを肯定すると。
その上であの怒りっていうのは本当は自分がすごい惨めだとか、この歳になって自分が経済的に自立していないといったことを、なんて言うんですかね。