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おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、第1093回をお送りします。
猛烈に寒くなりました。11月20日水曜日、7時34分となっております。
えーとね、お知らせがありまして、今日はこのお知らせの話をしていこうと思ってるんですけど、
アツさんという方がですね、私このお仕事非常にこう、ありがたいお仕事だと思っているんですが、ありがたいっていうのはちょっとうまく説明できないんですけどね、
アツさんという方がですね、ポッドキャスト、夫婦関係学ラジオっていうのをやっていらっしゃる方なんですけどね、
ポッドキャストなんですよ。これと同じポッドキャスト。で、コラボすることになりまして、12月のですね、何日かな、
18日の17時から21時までコラボして、これを我々一人一人の、というか各々のポッドキャストで、つまり夫婦関係学ラジオに私がゲスト出演させてもらって、
代わりにこの働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャストにアツさんをお招きするというのを、その日に両方撮っておいて、だから現場では聴いていただけるライブをですね、
現場っていうのは中野なんですが、東京都の中野なんですが、それをまたこのポッドキャストで流す。だから来ていただかなくても両方とも聞くことはできます。
来ていただけると面白いっていうぐらいですね。そこでですね、私は、こちらにアツさんに来ていただいてやることは、心理職と民間カウンセラーが共存する道はあるのか。
道があろうとなかろうと共存することに絶対なるだろうというのが僕の考えなんだけど、アツさんがどのようにお考えになっているかはまた、それは当時期、当日期で明らかにしていきましょうと。
野良カウンセラーと呼ばれる彼らの生きる道は何なのか。まあこれね、僕はこっちの方が全然興味があるんですよ。僕もきっと野良カウンセラーとこれから呼ばれていくことになるだろうと。
私カウンセラーではないですよって言ってるんで、実は野良カウンセラー未満で、お前一体何なんだ。野良人かみたいなノリなんですけど、野良人ぐらいが僕にはちょうど合ってるなって思ってるんですけどね。
野良カウンセラー以下みたいなね。それが私なんだけど、これは生きる道が何なのかというと、生きる道はこういう感じなんですよね。
生きるってことはね、できるってことなんですよ。僕が言いたいことはね。できそうもない奴でもできる。サバイブ能力ゼロっぽいやつでも生きられる。
資格が全くどこにもなくても、まあ僕資格ないね。資格は何もないんで、資格全くなくても生きられる。
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何にもなくても大丈夫っていう、これがね、私の言いたいことなんですね。非常にその生き方はダメだよねっていう感じでも大丈夫。
ダメに見えることとダメであることは全然同じじゃないんですよね。ここをね、ぜひぜひ伝えさせてもらいたいと思っているわけです。
下げすまれていてもそんなことはなんてことはない。下げすまれていると生きられないなんてことはありえない。何ならそれは下げすまれていることでもないってことですね。
そこまでお話できるかどうかわかりませんけど、まあまあそういう話。
私の方、アツさんに、これは夫婦関係学ラジオに出るぐらいだから、奥さんのことを相談しようかなと思ってそういう告知にしてるんだけど、
ちょっとね、さっきもですね、この夫婦関係学ラジオを出る関係上、出ると決まる前から聞いてはいたんですけど、
リスニングしているうちにですね、これなんか私の話やっぱりちょっとね深刻味に欠けすぎるなっていう、深刻であればいいってもんではないんだけど、
やっぱり夫婦関係学ラジオでは結構深刻なお話あるなっていうね、この話があって、
ちょっとこう僕の話をしつつ、なんかやっぱりもう少し深刻なですね、アツさんもカウンセラーを今名乗られてないって話なんですが、
多分ね、僕にも昨日も言われたことなんだけど、いや佐々木がやってるのはカウンセリングじゃんっていう、それを堂々と言いなよ的なノリはあるんですよね。
それは分からないでもないんだけど、いろいろやっぱり事情がありまして難しい。
で、アツさんがやってるのも肌で聞くと、これはカウンセリングだよなと、一言だとすぐそうなっちゃうんですよね。
だけど、気持ちは分かるんですよ。この辺はね、深い事情が僕はあると思っております。
で、その辺についてどうしようかなっていう、私、教材課ってここにね、教材課としての意外な一面って書かれてるんですけど、
多分僕のこと知ってる人は、教材課であることはちっとも意外じゃない気もするんですよね。
しかもね、私実はこう言ってるけど、余裕があるんですよ、はっきり言っちゃって。
別に怖がることと怖いことはイコールじゃないんですよね。
こうなってしまうともうね、全然実はここで相談するほどの深刻味がないんですよ。
うちの奥さんね、優しいんですよ。私が怖がることと奥さんが怖いことはイコールじゃないんです。
私が怖がるのは、私が勝手に怖がってるだけで、奥さん優しいんですよ。
私にもよくしてくれてるんで、これをね、本当はこれをお伝えするってのは非常に大事なんですよ。
世の中の人を怖がることと世の中の人が怖いことはイコールでは全然ないんですよね。
世の中を怖がることと世の中が怖いことは全然違うことなんですよ。
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世の中が優しくてもニュートラルでも世の中が怖い人はいっぱいいるんですよ。
僕の話って全部そういうふうな立て付けになってんで、ここを最初は、だから僕はちゃんと、ちゃんとって言うのおかしいけど告知だよね。
怖がると、怖がってしまうっていうのをね、あの奥さんに相談しようと思ってたんだけど、
これだなっていう感じ、ちょっとね、さっき聞いていたのもすごい厳しいお話なんで、
大変だなこの話はっていう、僕の話は大変じゃないなっていう、実際大変じゃないんでね。
僕はもう全然こう、ある意味幸せいっぱいに生きてるんで、どうしましょうかねっていうのをね、ちょっと考えつつ、
お前幸せいっぱいに生きてるんじゃねえよっていうのも分かるんですけど、
それはね難しい話なんですよね、ある意味ではね。
昨日も5セッションあったんですよ、3ヶ月チャレンジの5セッション、5人の方で、合わせてだいたい7時間ぐらいになってるんだけど、
もう充実感であふれかえっているって言ったらちょっと言い過ぎなんですけど、持っちゃってますけどね。
充実感がたっぷりなんですよ。で、お前が充実感持っててもダメだろってのはその通りで、
参加者さんが納得感がなければ意味がないんですけど、この仕事は。
5人やった日はですね、充実感が僕の方にもなくては僕はダメだなと思うんですよね。
これが1人の日に、そういう日もあるんですよね、1セッションの日もあるんですよ。
1セッションならね、僕が充実感を持ってちゃダメだと思うんですよね。
相手の人の納得感がほぼ全てだと考えていいと思うんですけど、
5セッションともなってくるとほとんど1日中セッションなんで、午後から夜までセッションなんで、
これはねやっぱり僕の充実感って大事だと思うんですよね。
終わった後にこれでぐっすり寝られますっていう状態は非常にやっぱり私にとっては欠かせないものだろうと。
1セッションの日はね、それによってぐっすり寝られますではしょうがないなって思うんですけどもね。
この辺の話を今日はちょっと兼ね合いを考えながら、
その夫婦関係学ラジオというものでやってる活動が僕は非常に今の時代貴重な活動だと思っておるんですけれども、
なぜなのかという話をしながら3ヶ月チャレンジでは、3ヶ月チャレンジって多分分かりにくいと思うんですよ。
働くメンタルを取り戻す精神分析的運動ってなんじゃそりゃって感じじゃないですか。
僕はもうこれしかないと思ってるからこれやってるわけですけれども、
まあ分かりにくいですよね。
だからこの夫婦関係学ラジオはすごい分かりやすいじゃないですか。
何がやってるかが一聴両然と言いますか、一目瞭然と言いますか、そういうものですよね。
これは何なのかということを、何だと僕が感じているのかということを、
今日は話しながら3チャレのお話をしたいと思ってるんですね。
一つ、僕のこのいうしゃべりを聞いていてリスナーも多くなくて、
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よくそんなんでやってんなんみたいな話も合わせて今日うまくお伝えできればいいかなと、
今日はそういう回にしたいなと、全然違う回になっちゃうかもしれませんけどね。
この辺の僕の雑々ぶりといい加減ぶりとノープランぶりはね、
このラジオを聞いている方にはお馴染みだとは思うんですけど、
スタンスとしては僕はもう今や欠かせないと思うように、
こうでなきゃいけないぐらいに、こうでなきゃいけないってことは何もないんですけどね、
こうであっちゃダメだろっていう意見の方が普通だと思うんですけど、
先日のポッドキャストなんかもリスナーがついにスタエフで一桁になっちゃいますからね。
救命とか大丈夫かおいって感じが自分でもちょっとするんですけども、
Spotifyの数字はもうちょっと違いますけどね。
なんでこうであったらいいと、僕が思っているだけかもしれないけれども、
僕だけが思っていることかもしれないけど、
なんでこう思っているのかというのをお伝えしたいと思っているわけですね。
3ヶ月チャレンジで僕がやっているものは、金銭は本当、金銭はすごい僕にとって今大事なんだけど、
金銭でない部分の重要性がもう半端なくなってきてるんですよね。
昨日も冒頭いきなりお話しした方とのやり取りの中でですね、
サディズムとマゾヒズムについての話があったんですけど、
これはすごいやっぱりね、久しぶりに僕は自分のサディズムってものについて
深刻に、深刻にっていうか真剣に考えてみて、
だいぶなんかこう、なんていうのかな、新しい知識が増えたってことは別になかったんだけど、
やっぱり聞くべきタイミングと聞いた時の視点ですよね。
これがあった時にすごいドッと進む何かがあるんですよ。
なるほどそうだよね、いやそうだったよね、確かにそうだったよねみたいな。
それは前から前からずっとそう思ってたんだけど、
そうだよなっていうそういう感じをですね、
いかに増やしていくかだと思うんですよね、人間はある意味では。
特にメンタルの問題については。
これも別の方とのお話をしてたんですけど、
これ私もたまたまなんですけどね、
チクムントフロイトの元メランコリという非常に有名な、
ヒアイとメランコリって書いてあってヒアイというよりはモだと思いますが、
ウォーニングですからね、元メランコリだと思うんだけど、
とにかくヒアイとメランコリね、あの論文を読んでたんですよね。
そしたら読んでるっていうセッション参加者さんとお話しして、
なんかこう、こういうタイミングが大事なんですよね。
別にそれただの偶然なんだけど、ユングファだったらそうは言わないかもしれませんけど、
別にセレンディビティとか言うことではなくてですね、
これを読むってことによって、いろんな、
こういう心理的方向性に近づいていけるっていう、
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その先あるいはその手前のところに、
夫婦関係ラジオみたいなものがあってくれないと、
ある意味多くの人が困るはずだっていう風に僕は思うんですよね。
アーツさんがなさってるのは、別に夫婦のどちらかの問題を解決するっていうのはないんだけど、
夫寄りみたいになってくる。夫寄りだと夫に厳しいんですよ。
僕にはそう聞こえる。
夫寄りだと夫に厳しくなるっていうのはやっぱりですね、
真剣に問題を解決しようとするとそうなるんじゃないだろうかと、
僕が思ってる仮説なんですね。
夫寄りになると妻に厳しくなるんだったら、
それは社会問題として扱ってる感じなんですよ。
夫寄りになると夫に厳しくなるように聞こえる。
聞こえてるだけなんだけど、別に夫にアーツさんが厳しいわけでも、
妻に厳しいわけでもないんだけど、
多分夫側の人がああいう相談、
妻にさっき言った7年間無視されてるって厳しいなって感じがするじゃないですか。
だけど夫にもまだできることがあるんじゃないかってここで出られると、
多分相談している人は厳しく感じちゃうと思うんですよね。
これが大事なんですよ。
相談している人の側に立つと、
相談している人にとって厳しい提案が来るような感じが相談者には感じられるっていうこれが、
いかにこれを実現し、
かつこれを厳しくないように伝えていけるかみたいなところに、
これはカウンセリングっぽく僕には感じられるわけですよね。
これが社会問題であるならば、
いやそんな7年も無視するのではないアプローチがないでしょうかと妻側に提案するっていうのは、
これは人間関係と行動変容についての交渉に切り替わっていくんで、
これもカウンセリングなんだけれども、
どちらかというと僕はそれは社会モデル側の、
どっちが良い悪いというよりは社会モデル側のカウンセリングだなっていう感じがするんですね。
両方あったほうがいいと思うんだけど、
私はやっぱりどっちかというと、
この場合は夫側に立つ。
相談者の人側に立つんですよ。
そうすると不思議に感じられると思うんですけど、
相談者にとってやや厳しい内容を伝えていくことになってしまう。
厳しく聞こえるんです。
これを厳しく聞こえさせないことがスキルになっていくのかなとは思ってるんですけれどもね。
でも僕はまだ未熟なんで、
そこはどうしても厳しく聞こえてしまうんですね。
物飲み方を変えましょうというのは、
いや相手が悪いのになんで私の物飲み方を変えなきゃならないのっていう風になっちゃうんですよ。
でも物飲み方を変える、アプローチを変えるっていうことは、
あなたにはまだそれをするだけの道が残されていますっていうストーリーがあるはずだからそこには、
実はその人の立場に立ってるからなんですよ。
そうじゃないと相手が変わってくれないと、
もう自分のこの悲劇は永遠に悲劇のままですってことになっちゃうじゃないですか。
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例えば妻が7年間無視し続けている。
つらい、それは当然つらいんだけど、
いやでもそこは奥さんに変わってもらいましょうっていうのは一見優しいアプローチだけど、
奥さん全然変わってくれなかったらこのアプローチはどうなっちゃうんだっていう問題があるわけですね。
で、外してこの7年も無視され続けているという人をそんなに簡単に変えられそうな気がしないじゃないですか。
しかもここが大事なんですけど、
カウンセラーさんがどういうスタンスの人であれ、
妻こそ変わるべきだってスタンスの人であっても、
妻を変えてはくれないんですよ。
結局変えなきゃならないのは夫の方なんですよ。
だから一見優しそうな相手に変わってもらうアプローチは、
実はとってもなかなか高度なアプローチになっちゃうんですよね。
交渉するのは夫じゃないですか。
カウンセラーじゃないじゃないですか。
ここでカウンセラーの人ちょっと出てきてくださいっていう気持ちになられる方はいっぱいいるんだけど、
無理なんですよこれ。
カウンセラーの人が例えば100人とかクライアント抱えてたら、
100人のその人が困らせられている相手と交渉しなきゃならなくなるんですよね。
で、実際それは無理なんで海外だったりすることもあるわけですからね。
海外でなくたってそれが九州だ、北海道だ、沖縄だってことになったら無理じゃないですか。
いやうちのちょっと親毒親なんで、あの親心を入れ替えさせてください。
一緒に行きましょうって言って、引っ張っていかれて、
じゃあこれから交渉してくださいって言われても、
交渉地に行く人じゃないよねっていう話になるわけ。
だからこの交渉は本人がしなきゃならないんですよ。
で、それができないから困ってるじゃんって話に戻るでしょ。
だからこの相手に変わってもらうアプローチというのは、
優しいようでそうではないんですね。
かわいいはやおさんが臨床なんとかの、実践問題かな。
ごめんなさい、全然違うタイトルだという可能性も否定できませんが、
でも非常にそこで出てきたのがまさに今のにぴったりの話だったんですね。
息子さんが長い間不登校なんですよ。
あの時代の息子さんが長い間不登校っていうのは、
ご家族の中に非常に複雑な問題があることは、複雑ないし深刻な問題があることは、
めちゃくちゃ虐待してるとかそういう意味じゃないですよ。
でも確実なんですよ。
かわいはやおさんはそんなことは分かりきって100も承知だから、
引き受けたがらないんですよね最初ね。
それは私には無理ですからって感じなんだけど、
でも気がつくと引き受けさせられていると。
この家の力度の怪しさとややこしさの強さみたいな。
息子が高校生で学校行かないっていうだけっちゃだけなんですけど、中学生だったかな。
とにかくそういう話なんですよ。
気がつくとその家の中のこたつに入ってお茶でも飲んでいると。
こういうことをカウンセラーってやっちゃいかんのだかなと思いながらそれをやってると。
お父さんになっちゃってるわけですね、完全にね。
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お父さんにさせられてるわけですよ。
この番組、このポッドキャストをお聞きの方はおなじみの転移が起きてるわけですね。
ものすごい転移ですよね。
家族ぐるみ転移みたいな。
気がつくとあなたは私の夫でありお父さんですみたいにさせられてるわけですよ。
リアルに近いですよね、もうね。
結婚しちゃったのかよお前はみたいなノリですよね。
最悪の事態では最悪の事態で、これこそまさに僕はカウンセリング話の真骨頂だなと思うんですよ。
で、何を言われるか。
息子が学校に連れてってくださいってことになっちゃうんですよ。
これ完全にあれですよね。
息子が学校行かないんです。
あ、そうですかお母さん。
じゃあ息子さんの話を聞いてみましょうとかいろいろ。
これがカウンセリングの普通の流れじゃないですか。
結局お母さんは息子さんを学校に行かせる気にさせぬるしかないんですよね。
ある意味は不登校であるということを受け入れる。
この受け入れるっていうアプローチが私はある意味非常に優しいアプローチだと思うんだけど、
当人には厳しく聞こえるわけですよ。
なんでそんなの受け入れられるはずないじゃないですかってことになるからね。厳しいアプローチなんですよ。
それより息子を学校に連れてってくださいよってことになっちゃうわけですよ。
これはカウンセラーの領域を完璧に超えてますよね。
でも家に引きずり込まれた上に、
息子ほら、息子はそこにいるから学校連れてってよかわいいさんみたいな、そういうノリなわけですよ。
ひどい話なんだけど、かわいいさんが怒るっていうね。
この怒るっていうね、わざに転移じゃないですか。逆転移ですね。
お父さんだから怒っちゃうわけですよ。
あんた方ね、なんで私が学校に連れて行かないんだよっていうことを言って怒鳴ってるわけですよ。
この人は私にとっては息子じゃなくて赤の他人じゃないかと。
これはKですよね。マイナスK的な雰囲気もありますけれども、LHKのKですよね。
息子ではないということをわざわざ頑張って事実に迫らんとしてるわけですよね。
そこに制服姿の子が出てきたから、お前なんで今起きてきたんだみたいに怒鳴ってるわけですよ。
転移は起きてるわけ。だから親父になっちゃってるから怒鳴っちゃうわけですよね。
非常にカウンセリングの実際問題だったな、そういうタイトルだった気がする。
実にタイトルの通りだなと思うんですよね。まさにこれこそ実際問題だなって感じがしますね。
このことが、転移という言葉をどうでもいいというのはよくないんだけど、知らなくても別にいいと思うんですけど、
カウンセラーが正規の人であれば、僕はこれはこの問題で悩まないってことはあり得ないだろうとは思うんですよね。
力動派であろうとなかろうとこういうことは起きるはずなんですよ。
嫌でも絶対に。大なり小なり、こんなに大なるのは起きないと思うんですけど、
っていうか起きないように気をつけると思うんですけどね。気をつけないと起きちゃうんで。
だからこういう問題が実際問題だと思うんですよね。
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で、アツさんの7年間無視の話はですね、
応答でやっぱり、この双子のご家族と全く同じで発泡ふさがりから話がスタートするんですね。
発泡ふさがりというのはアフローチが2通りあるとして、本人が結局のところ視点を変えるか、
出なければ何らか自分が困っている相手と交渉するかのいずれか、
僕はそれをだからつまり心理モデル社会モデルで言うと、前者が心理モデル後者が社会モデルだと思うんですね。
社会、結局のところ他者ですよね。奥さんなりお子さんなりと交渉する。
本来妻とはこうあるべきだからっていうのをどういうふうにとるにせよ交渉する。
結局変わってもらうってことじゃないですか。
本来妻と夫と口ぐらいは聞くべきだから、口を聞いてくれるように交渉するっていうのが社会モデル側だと思うんですよ。
もちろん心理に大きく踏み込むんだけど、でもやっぱりこの交渉するってことが社会的だなって感じがするんですよ。
そうではなくて、アツさんのお勧めされていたさっきのラジオ聞く限りとかね、
例えば奥さんが負担に思っている家事を積極的にやるとか、小さな感謝を繰り返し伝えるっていうのは、
これは全部夫側の変容を求めてますよね。
僕はこっちを心理モデルと呼んでるわけですね。
私は特に行動の変容ではなくて、心理的変容というか、心理的なビューポイントですよね。
ビューポイントであり、そこで眺める風景を変えていくっていうことを、
しかもそれをお勧めするんではなくて、それを眺める視点なり風景が変化し得るということを、
フロイトを中心というか精神分析を中心に見ていきましょうっていうことだけをお勧めしているわけです、私はね。
だから私は正規のカウンセリングを受けるとか、精神科に行くとか心療内科に行くとかを全てもろ手を挙げてとは言わないけど、
全く邪魔はしないというか、それを基本的には全部ポジティブなものと考えますけど、
お勧めは別にしません。
それはやっぱり相談すべきですねとは言いません。
相談した方がいいような気がするなんぐらいは言わないとは言いませんけれども、
言うことはあると思うんですけど、滅多に言わないと、もう今は誓っております。
基本邪魔はしないってことです。
邪魔はしないっていうのは、お勧めしないことが僕はその中に含まれるっていう風に最近は思っていて、
どういうことかというとですね、お勧めしちゃうと行きたくなくなるっていう人はいっぱいいるんですよ。
力道的に考えて、これは自然とそうなるんですよね。
例えば、親店員みたいなもの、さっきのかわいはやおがお父さんになっちゃうみたいなことって起こるわけじゃないですか。
で、かわいはやおが怒鳴りつけると、「あっこいけー!」みたいなことを言うと、
そしたら行きたくなくなるって子はいっぱいいるでしょ。
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これと全く同じ、遥かにマイルドだけど、
いや、そりゃもう精神かなりいった方がいいんじゃないですかって僕が言うと、
面白くなくなって行きたくなくなるってことは十分あり得ることなんですよ。
いくらでも。だから邪魔はしない。
僕は正規に通うとか精神科に通うものの邪魔は絶対この仕事をしている限りしたくないというのがあるので、
何もそこで推奨はしないっていうのが並行して出てくるなって思うんですよ。
必然的にこういう流れになる。
強く進めるというのは最初から何かが、
僕はだからカウンセラーじゃないから、
アセスメントする権利がないんでアセスメントはしないんですよね。
そこに病理は見ない。
あくまでもその人は働くメンタルなりが弱ってるという状態。
働くメンタルを取り戻すというのは普通の心になるっていうだけなんですよ。
僕にとってはですね。
元の心に、なんなら天真爛漫な心に戻るぐらいな感じなんですよ。
そうすれば働こうという気持ちってものは、
たぶん現代社会に生きている限りは出てくる。
だけどだから働くかどうかとか、
だからお金を稼げるかどうかとかは繰り返し言っちゃってますけど、
だから診療内科に通ってでも仕事を続けるかどうかとか言ったことは、
それは私の責任の終える範疇を超えている感じがするんですね。
お勧めは一切しないってわけじゃないですよ。
少なくともカウンセリングというものがありますぐらいの話はしますけれども、
あるということと行くってことはやっぱり違うと思うんですよね。
僕があると言っちゃえば行けと言ってるように聞こえるってことはあり得ると思うんだけれども、
そうではないんですよ。
やっぱり私は行動を促すってことはギリギリまでやっぱりですね、
控えたいと思ってるわけです。
感謝を伝えるっていうのは良いことだと思うんですよ。
でも感謝を伝えましょうっていうことが良いことかどうかはまた別の問題だという感じを僕は抱いちゃうんですよね。
だから感謝と言えばやっぱりこの文脈ではクラインの扇望と感謝になるんだけど、
扇望と感謝っていう言葉はですね、厳しいなって。
クライン厳しいからね。
だから感謝って言われると厳しいかなって思ってしまうんで、
でもこれはあれですよ。
感謝を伝えましょうっていう話の邪魔はしない。
ここがですねやっぱりね、僕の基本的なスタンスですね。
邪魔はしないっていうことが、それを応援するということの意味に一番重なっていくと思うんですよ。
だってね、扇望と感謝って言われて、
例えば僕の話でもいいんですけど、
須貝さんのおかげですごい助かってますっていうのに対して、
それを認めて感謝しようって話になるとつらいじゃないですか。
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これはつらくないか。
でもね、これつらいんだと思うんですよね。
ここがね、なんてことはない場合とつらい場合とに分かれちゃうと思うんですけれども、
例えばタスクシュートでもいいんですけど、
タスクシュートって、オリジナルは大橋裕三さんなわけですね。
でも、昔誰が言ってたんだよな、ライプニッツが考えた理石ぐらいのことは自分でも考えつくと思うんだみたいな。
これがつまり扇望なんですけどもね。
嫉妬とちょっと違うんですよね。
自分でも考えつくと思うけども、オリジナル取られちゃったよねみたいな。
こういう話ってあると思うんですよ。
タスクシュートぐらいのことは俺でも考えついたと思うんだよっていうね。
そのタスクシュートをこんなに便利に使わせてもらってるから、大橋さんに感謝しなきゃみたいな。
つらいと思うんですよね、こういうのって。
そんなことを思うぐらいだったら、感謝はしなくてもいいから、先にオリジナルはあるんだから別のオリジナルになりましょうぐらいな。
そのぐらいのスタンスでいないと、オリジナルを使わせていただいて感謝だみたいになろうとするとですね、
帰って憎くなるみたいなことが起きちゃうと思うんですよ。
こういうことっていくらもあると思うんですね。
Googleみたいにだってこんなに成功するんだったら、
俺だってGoogleぐらい発明できたよみたいに思っちゃいたくない。
だってAmazonとかそうじゃないですか。
所詮はよくできたEC通販じゃないですか。
あんなの俺だってできたのに、今じゃもう全地球の何番目かの大富豪みたいになれるんだったら、
俺だってできたよって思う。Amazon使えてるから感謝だわみたいに。
そうは思えないってことは起こると思うんですよ。
だから戦防は厳しいんですよ。
俺だったらもうAmazonのない地球を作り出したいから、
Amazonに核ミサイル落ちればいいのにみたいな極端な場合はね、
極端な場合は戦防ってこの辺までいく。
だから戦防は死の本能だってことに、クライン的に言うとなるんだと思うんですけど、
今言った話は全然ピンとこないなって私も思うんですよね。
でもこの感情は私は、つまりちょっとウィニコットっぽくなりますけど、
赤ちゃんはお母さんを憎む。
なんならお母さんのおっぱいを憎むと。
なんでもいいものがここから出てきて、
私はこのいいものに完全に依存してるんだっていうこの思いは、
生物が自立に向かうときの大きな妨げになるので、
怒りを覚えるっていうのはですね、
そうだなって僕は思うんですよね。
だからその怒りは、いやいやしゃあないな。
少なくともその怒りをいきなり感謝に変えられないだろうと。
感謝に変えることによって感謝をここでできるようになるのが、
大人になるっていう大事な一歩だという、
このクライーンの言うことはわからないではないんですけど、
だから欲物っぽくなっちゃうじゃないかなというふうに。
あるいはこう、いわゆるフロイドの言うところの女の子になってしまうってやつ。
ああもうお母さんには叶えませんから、
私もうひたすら従属して生きていきますみたいな、
ものすごく依存っぽくなっていくっていう現象が、
潜望が嫌だからですね。
潜望しておっぱい破壊すると私生きていけなくなると。
30:00
結局のところ潜望してアマゾン破壊したって何もいいことはないと。
これを踏まえて自立するっていうのも大人なのかもしれないけど、
これを踏まえちゃうとものすごく自分が従属的になる。
ああもうだから自分はひたすら依存的に、
なんなら規制的に生きていこうみたいなふうになっちゃうと、
ちょっと感謝ではないんですよねこれはね。
感謝難しいっていうのが僕はやっぱ思うところなんですよ。
感謝して叱るべきなんだけど感謝って簡単にできるものではない気がするっていうのが僕はよく思うところで、
だから感謝感謝、世の中ではこんなに言われてるっていうこともあると思うんですよね。
だから確かに夫がお金を稼いできてくれる感謝だとか、
奥さんが家事やってくれる感謝だっていうのは理にかなってると思う。
というか理にかなってますが、
だから感謝できるかっていうとまたそこは簡単じゃなくなるので、
だからですね時代が紛糾するっていうことなのでやっぱり感謝しなきゃいけないっていうのもあるんですけれども、
そこはなんていうんですかね、
私は話を聞いてて、
うーんっていう感じになるんですよ。
うーんって感じになるんですよね。
お前うーんって言ってるだけで勝手にセッションで充実してどうすんだよって言われると思うんですけど、
お前のそのうーんは俺でもできるから買われって言われるかもしれないですけど、
これがね簡単じゃないんですよ。
何が簡単じゃないかっていうと、
佐々木いらないよねっていうのはよくわかるんですよ。
そのお気持ちはよくわかるんだけど、
僕がいなくなるとたちまちめちゃくちゃ困る人って結構いるんですよ。
例えば筆頭がうちの娘なんですね。
だって私が学費とか職費とか全部持ってるんだから、
僕がいなくなるとめっちゃ困るじゃないですか。
だから佐々木不要説っていうのは本当じゃないですよ。
これを皆さんに、これを聞いてる全ての人に、
自分不要説っていうのはダメだっていうか、
絶対成立しないんだっていうことをですね、
いろんな形で言い直してみてほしいんですよ。
本当いろんな形がいると思うんですよね。
すぐにみんな唱え出すんですよね。
社会にとって私はいらない存在だみたいな。
すぐ唱え出すんですよ。
これがね、これが納得できれば、
ずっと無視され続けていながら、
6年もただただ耐え続けるとかいうことではない観点が見えてくるんではないかなと、
今日思いながらフース関係学ラジオを聞かせていただいてたわけですね。
それは多分どっちかの心の中に、
私って本当はいらない存在なんじゃないだろうかと思ってしまっている。
いらないのにもかかわらず無駄飯だけ食ってるから、
私自分罰さなきゃみたいになってる。
これをね、やってると恨みがましくもなりますよね。
だって人間ご飯食べないで生きていけないじゃないですか。
だから無駄飯だろうとなんだろうと食わなきゃならないじゃないですか。
食うたびに自分をバシバシ殴ってたら、
33:00
嫌になるに決まってると思うんですよ、私は。
だからこれを避けるためにやっぱり、
プラザの継続性のグッドバイブスの価値マックスって言いたいんだけど、
それを言っても多分全然、
価値マックスなんてとんでもございませんって風にすぐなっちゃう場合には、
とにかく不要っていうことは無理だってことをまず認識していただきたいですね。
だから私の場合は娘がすぐに困る。
明日から困る。何なら今日の夜から困る。
だからダメなんですよ。
もちろんうちの奥さんも困る。
私がたちまちいなくなると、
私の価値云々と全く別に私の良心は絶対ものすごい探し始める。
困りますよね。めちゃくちゃ困る。
ただここにいりゃそんなことにならないで済むのに、
このただいるってことをやめちゃうから失踪するとかね。
いわゆる騎士っていうことでなくたって、
失踪するとか何なら連絡せずに海外に行っちゃうとかだって、
失踪じゃないんだけどそれは。
単なる旅行かもしれないんだけど、それですら困るんですよ。
やっぱり良心はめちゃくちゃ探しますよ。
80過ぎてるのにそんな探して探すって言ったって、
本当に隣の電車まで行くのも大変なのに探すなんてとんでもないじゃないですか。
もうこれで最低4人の人間が驚くほど困るわけですよ。
何なら私の妹も多分相当困るんですよね。
これで5人じゃないですか。
この段階でいなくてもいい説とかダメだと思うんですよね。
だから簡単に僕がやってることは簡単そうに見える。
朝起きてご飯作ってっていうのは誰でもできそうに見えるんだけど、
ここが大事なんですけど、誰でもできそうに見えることと、
それを代わりにやることは全然イコールじゃないんですよ。
だから私がいなくなった瞬間に、
代わりにここに来てご飯作ってくれるかっていうと、
そんなことはしてくれないです。
この話はさっきのカウンセリングの話につながってるんですね。
かわいはよさんはある意味スーパーカウンセラーで親切だから、
ついには家の中にのこたつに入ってお茶まで飲んで、
どなってまでくれるけれども、
そんなことはしてくれないですよ、普通のカウンセラーじゃね。
だから代わりにやってくださいというのは、
ものすごいハードルが実は高いんですよ。
代わりにいてくださいですらハードルは実はめちゃくちゃ高いんで、
このことから安易に自分がいなくてもいい説を取っちゃダメなんですよ。
いるってことは代わりはきかないんですよ。
この人じゃない人がいるってことはほぼ不可能なことなんで、
自分じゃない人がここにいればこと足りるよねって言ったって、
自分じゃない人がまずここにいてはくれないですからね。
ものすごいお金取られますからね。
今私の妻の、そうそう私がいなくなった途端に、
私の妻の実家まで困っちゃいますから。
うちの妻の実家のお父さんは今では実家では生活一人ではできないから、
36:03
ヘルパーさんなりなんなりというのを手配してきてもらわなきゃならない。
その手配してきてもらうのは公的な資金でできるんだけど、
それだけじゃ進まないんですよね。
例えばその公的な資金を特定の銀行から下ろすというのをやんなきゃならない。
誰でもできるでしょそれって言われるかもしれないけど、
これ他人に頼むと大変なことになりますよね。
実際他人に頼んでるんだけど、他人が信用できる人じゃないと、
だって1回につき数千円とかでやるにしたってですね、
入ってる金額全部持ってった方が得じゃないですか。
暗証番号も教えて通帳も教えて、できますよ誰でも。
通帳もカードも持ってお金を下ろすってことは誰でもできるけど、
子供でもできるけど、これを他人に頼むとなってくると、
ものすごい大変なことになるんですよ、なってるんで。
だから一人そこにいて普通のことをするってことを
安易に代替できると考えてはいけないんですよ、僕が思うに。
これ全然宗教的でも実存的でもないですよ。
めちゃくちゃ実際的な話ですよね。
ATMを下ろす人を見つけるっていうことがどんなに大変なことかと。
だって持って飛んずらされる可能性なんていくらでもあるわけですからね。
そこが信用できる会社なのかどうかをどうやって調べ抜くのか無理なんですよ。
結局どこかで妥協してこれ取られてもしょうがないよね。
この金額だけ入れて、あとは清水の舞台から飛び降りるつもりで
ここの会社に頼んじゃおうと。
だってめっちゃ高いところに頼めば信用できるかもしれないけど、
1回10万円のところとか頼めないじゃないですか、結局は。
1回数千円がいいところでしょ。
1回数千円だって何度も何度も使えないじゃないですか。
うちは軸が遠いから1回数千円なら相当得になるんですよ、結局はね。
一見したところインターネットバンキングとか使えばいいようだけど、
私の岐阜はインターネットバンキングがとても無理ですよね。
もう全くできない。
そういう人の生活費を遠隔から支えるということをするためには、
実は膨大な手間暇がかかる。
そこに、例えばですよ。
例えば、実際いないんだけど、
ニートの息子さんが、じゃあもうそれぐらいだったらやってあげるからってやってくれたら、
どんなに助かるかってことなんですよね。
で、そういう人はいる価値ないかっていう話をしちゃダメだと思うんですよ。
ここをですね、無視されていようが、無視していようが、
そこに感謝の気持ちが足りていてもいなくても、
自分がいるっていうことは絶対欠かせないことなんだと。
自分にとって相手がいることが欠かせないんじゃなくて、
自分がいるってことはそもそも代替えは効かないんだと。
相手の人気づいてないかもしれないが、代替えは効かないんだということを認識できるようになると、
いるのは辛いよっていう、東方カイトさんのタイトルでもありましたけど、
この問題が解消されていくと思うんですよね。
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これは非常に難しいところがあるんだけど、
結局これは価値マックスって話につながらざるを得ないのですが、
価値マックスなんですが、
でも価値マックスに至るためにですね、
ここまで僕は、少なくともこれぐらいは、今せいぜい3、40分喋っただけですから、
このぐらいの思考は追っていく価値があるんじゃなかろうかと。
思いたいところなわけですよ。
非常に持って回った言い方が連発しておりますが、
それは何でかというと、そうは感じられないって話から始まっているわけですね。
先ほどラジオで聞いていて、やっぱ8方塞がり感というのが出されてしまうんですよね。
8方塞がってないよっていうことが、
ぶっちゃけ、よく論じていれば、あらゆるカウンセリングで言っていることはそれだと僕は思うんですけどね。
8方は塞がっていませんと。せいぜい4方塞がりです。
4方ぐらい抜け道がありますと。
ただ多分1個足りとも見えてないと思うんですよ。
例えば6年そんな声聞いてくれないなら、
これもちょっとつらいけど別れたらいかがですか?
いや別れるのは無理ですと。
ラジオで仰ってたんですよね。
ラジオで言ってたわけじゃないけど、
ラジオを聞いている限りでは子供たちが可愛いと。
別れたらもう気が狂いそうだと。
あ、そうか。別れる罰みたいな感じでね。
奥さんに何で口を聞いてくれないかを聞いてもこうこうこうで。
これも罰と。
奥さんの言ってるカウンセリングでは同意書がいる。
これも罰と。
こうやって8方が塞がっていくわけですよね。
でもこれはあくまでも主観なんですよ。
8方塞がってるかどうかは本当はわからない。
今塞がって見えていても空いてるときがあるかもしれない。
僕は梅津和夫さんの漫画で先日お亡くなりになりましたが、
非常に僕は彼は大好きだったんで、
ほぼ全部読んでる気がするんですけど。
ある日だけ牢に鍵をかけ忘れている話っていうのが出てきて、
人間の運命とは多分にこうしたものだとかって、
いかにも梅津さんらしい雰囲気のナレーションが入るんですけども。
要するにこの鍵を忘れかけた日の時にたまたま開けていられれば、
この人の人生は大きく好転するんだけど、
実際にはそれは成立しなかったっていう、
ある種の独特の絶望感を読者に叩き込むという梅津和夫さんらしい手法なんですけど、
でもこういうことってあるんですよ。
だから毎日、牢じゃないですけどね、
毎日毎日鍵は開いてるんじゃないだろうかと思って確認するというのは、
結構大事な作業なんですよね。
ここにさっきの感謝みたいな話も出てくると思うんですよ。
毎日毎日伝えてみるみたいな話はあるとあると思うんですよ。
昨日全然響きませんでしたという理由によって放送下がりになっちゃうんだけど、
でも今日響かないとは限らない。
つまり、私たちが見ているものの見方というのはですね、
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ある観点を取り、ある条件がどんどん取ってしまうと、
自分に不利益になるように不利益になるように証拠が揃っていってしまうんですね。
そういうものの見方というものが成立してしまうんですよ。
これは抑鬱的っていうふうに専門的にはなるんだと思うんだけれども、
何的であろうとも。
とにかく全ての条件は私に不利益をもたらすようになっているようにしか考えられない。
っていうそういう独特の観点の取り方っていうのがあるんですよ。
そこを通じてみると、アドバイスされているアドバイスはいちいちもっともだが、
残念ながら私には適用できない。
なぜなら、こういうハンディキャップ、ディスアドバンテージがあるから、
残念ながらそれは採用できませんとなってくるんですよね。
そうして私はものの見方を変えるということが、
すでに絶望的に不可能になりました。
交渉の余地も全くありません。
って言って、カウンセラーさんに投げられるっていうことなんですよ。
で、何を提案しても多分8本塞がってるんで、
あるいは16本も塞がっていて、32本とも塞がってるんで、
360度塞がってるんだから、
何を提案されたとしても何にも響くことはないと。
だからですね、かわいさんはうーんってなって、
ただこたつの中で丸まってると。
これが大事なんですよ。
このようなことをしてくれる人は代替えが効かないんですね。
この観点を自分に持つってことなんですよ。
うーんってただ丸まってるだけで何の価値もない。
この人間の価値というものは代替えが効かないんです。
一旦その人がうーんってくるまるのをやめて、消えてしまいました。
蒸発してしまいました。
昔、昭和のおじさんが突然会社を辞めていなくなることを蒸発するんだったんだけど、
蒸発すると、だんだんに蜂の巣をたたえたような騒ぎになって、
つついたような騒ぎになって、
あらゆる人が、しのとさんどこ行ったんだ、何やってるんだってことになるんですよ。
本人はいないほうがいいんだ、俺なんかって思ってるんだけども、
そしてそれはあまりにも自明なように思えてるんですよ、本人にとっては。
よくね、ジョークであったんですよね。
俺がいなくなっても山手線は明日も回り続ける。
そりゃ山手線は回り続けますよ。
だけど家族は回り続けないんですよ。
でもあらゆるこの発泡塞がり感に塞がっている人は、
みんな同じように考える。
どう考えるかというと、それは他の人は価値がある。
だが私には価値がない。
他の人がいなくなれば、家族は心配するだろうし、
同僚も心配するだろうし、困っている人も100人も現れるだろうけど、
でも私が消えていなくなっても誰も心配せず、
周りの人もいなくなったんだねと思うだけで、
私が仕事で関わっている人も、
あいついなくなって仕事はどんどん進むようになったよと思うっていう、
この実に独特のものの見方っていうものを、
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私は変わるはずだと思うんですよね。
このものの見方、特殊すぎて、
全く妥当性を変えている。
現実検討式ってやつですね。
あまりにも非現実的なところに行っちゃってるんで、
これは絶対に簡単に変わる。
簡単には変わらないけど、簡単じゃないんだけど、
時間かければ変わるはずだと思うんですよ。
で、これを変えるために必要なことは、
心が元の状態に戻るだけで、こと足りるはずだ。
これを僕はメンタルを取り戻すって言ってるんですけどね。
だから途中申し上げたこの佐々木扶養説みたいな、
本当によくわかるような気がするんですよ。
つまり僕も皆さんと全く同じなんですけど、
すぐ発砲を塞いじゃうんですよね。
発砲を塞いで、
タスクシュート協会理事とか言ったって、
作った大橋哲夫とクラウド作ってるJマスザキは、
しかも人気取ってるし、
3人いるけど1人不要だよね。
佐々木いらないよねみたいな。
すっごい僕これ簡単なんですよ。
しかも自分でこうやって言ってて、
いやすげー妥当だなーみたいな感じがしちゃうわけですよね。
これ言う人が現れたら全然腹立たない気がするんですよ。
これ言う人が現れたら、
いや君言う通りだわ、明日にも理事辞めるわみたいな。
でも辞めると困るんですよ。
必ずこのことが信じられようと信じられないと、
一旦そういうものとして抑える。
自分いなくなるととにかく毎日が困るんだと。
それが誤解だろうと、自分にはそう思えなかろうと、
なんであろうと関係なく困るんだと。
なんならうちの場合、私の場合は、
やっぱり実家の両親ですよね。
実家の両親は僕のおかげで生きてるわけではないんだけど、
でもいなくなればやっぱり困るんですよ。
探さないでくださいとか言うんだけど、
探すに決まってるじゃないですか。
探しますよね。
探さなくたって困ることは困るんですよ。
探せなくてもね。
だから価値は、価値というのかな、
いていいとかじゃないですよ。
いないとダメなんです、結局は。
このことが僕は駆動に言うようですけれども、
特に夫婦関係というところでは確実だろうなというふうに思います。
これでこのお話を残り3分から4分でしちゃいたいんですけれども、
もう一つこれは、これは社会モデルです。
珍しく僕にしては。
現在、夫婦関係というものはマイノリティになりつつあると思うかもですね。
今後マイノリティになるだろうぐらいに感じております。
少なくとも昭和の、私が最後に子供だった昭和後期に比べれば、
すでにそうなりつつあります。
あの時代、結婚生活というのはマジョリティのものでした。
99%ぐらいは身の回りの人は普通に結婚していました。
普通にって言葉は実に怪しい言葉ですけど。
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今はそうじゃないです。
もう普通に3人に1人、2人かぐらいは離婚だったり未婚だったりしている時代です。
つまり、そもそも結婚生活を送れている人はマイノリティになりつつある。
こうなってくると僕はマイノリティにはケアがいるっていうのが、
ある種の持論に近いんですよ。
持論じゃないけどね。
こんな持論をみんなに言ってまわるつもりはないですけど、
やっぱり性的マイノリティしかあり、マイノリティにはケアがいるんですよ。
やっぱりマイノリティであるということは、支持が受けられない。
支援は受けられることは多いんだけど、支持は受けられない、多くの場合。
その生き方を選択していない人の方がマジョリティなんですから、支持されないですよ。
支持されるのと支持されないのとでは、生きやすさが大きく変わります。
例えば奥さんが口を聞いてくれませんといったときでも、
他の人みんなが結婚生活を送っている中では、
その男の人には必ず一定以上の同情表が集まり、
そのことがその人の心理的な支えになり、
したがって結婚生活を維持しやすくなるって流れが多分必ず起こる。
奥さんの方にも別にカウンセラーの人が口を聞いてあげましょうよみたいなことを言いにいかなくても、
何らかの形で口を聞きやすくしてくれるような周辺的支持ってものが起こるんです。
現代はそれが激減しているはずです。
別れればって言われてしまうんですよ。
こうしてシンケアというものが届かなくなっていく。
マイノリティという生き方にはこれが自然と起こるんです。
マイノリティの人が一生懸命訴えていることって、
常にある観点を取ればこれなんです。
だから今後夫婦生活はおそらく半数を割ればマイノリティだと思うんですよね。
半数以上は未婚なんだから。
結婚生活を送る特に男性というのはですね、
自分がマイノリティになりつつあるという意識を持つ必要があるんです。
自分が子供だった時とはもう時代が変わったんです。
誰もが当たり前に結婚する時代は既に終わってるんだと僕は思うんですよね。
夫婦別姓みたいなことがこれほど言われるようになったということ一つとってもですね、
よしよしは置いといて昭和の時代にはその議論そのものがなかったに等しいじゃないですか。
今はもうそれが国会で当然論争されるということになってるわけですよ。
もう夫婦同姓で普通にっていう言い方をするならば、
普通の結婚生活を送ってるっていうことはですね、
マイノリティなんですよ。
マイノリティにはケアがいるんです。
ケアされないマイノリティはかなり苦労して、
その状態を維持する強いメンタルというようなものが求められてる感じがしてしまうんですよね。
このこと一つとっても僕はですね、
夫婦関係学ラジオってこういうのないと本当みんな困っちゃうよなっていう感じがするというわけで、
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12月にコラボするという流れになりました。