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2021-12-06 33:32

【GMV 507】本当に弱ってるとき

母親機能の低迷
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日は、あまりお知らせも挟まずに、ダイレクトに本題からいきたいと思うんですけども、
あ、金曜日スキップしてしまいました。
これは、たまたまちょっとですね、時間的なトラブル等があってスキップしちゃったんですけど、
多分、あんまりよく覚えてないですね。
別に何があったというわけではないんですが、その後何がありまして、
今私は、久しぶりにこの大変な心理状態というか、
大変というか、非常に僕にとってはおなじみの、そうか、だからあれなんですね。
結局、人が考えるトラブルとか辛さというのは、確かにイリュージョンなんでしょうね。
まあ、私の目にも、なかなか空もどんよりしているし、気分もこれに極めてよくマッチしているんだけれども、
でも、考えてみるとこの気持ちは大変おなじみのもので、子供の時からこうだなと思うんですよ。
つまり、多分ですよ、皆様もそうじゃないかと思います。
どうも、世の中はトラブルが多いって思っている時のそのトラブルは様々あるはずなんですよ。
トラブルは様々あると思うんですけれども、
その時、同じような気持ちになったり、同じような反応を自分がするということは、
つまり、その現実の、こういう言い方をすればいいですかね。
処理の仕方は、認識的な、認知的な処理っていうのかな、は、
大体いつも自分のパターンにはめてしまうんですね、人は。
私もそうで、結局こう、これは久しぶりではあるけれど、おなじみのものの感じなんですよ。
多分、同じ事態に陥ったからといって、別の人は同じような気持ちにはならないと思うんですね。
ネガティブな気分になるにしてもですね、私とは違う気分になる。
私はいつもこういう気分になってしまうっていう、その度合いはあるにしても、
つまりこれは自分の頭で、そういうふうに現実を捉えていると。
私たちはその、ルッドバイブスに多分ですね、
一番こう、理屈の上では反対してなくても、
気持ちの上でこのパターンにはまってしまうのは、
つまり私が今はまっている通りで、
自分で作っている気持ちの中にいるのに、
この原因は外にあるように、
まあ確かに外に全くないというのも、おかしいとは思うんだけど、
でも、この気持ちを作り出しているのは、
断続的に作り出しているのは私であって、
強いられては決していないんですよ。
どう取り除くかという問題は残るんだけれども、
外に要因はないんですよね、結局。
と言っても変わらないというところに、
03:00
一つの問題がありますね。
で、えっと、
まず、今回の件で、
今私が今回の件についての、
一つの報告をしたいと思っているんですね。
取りまとめるということもできるんだけど、
まずは報告から入っているんですが、
つまりですね、
これは名前を付けるなら東映ドイツカというやつなんですね。
そうですね、今頭の機能も鈍ってる感じがするので、
東映ドイツカでいいんだっけって思うんだけど、東映ドイツカなんですね。
で、原因が私にないんですよ。
だからわかるんですね、はっきりと。
えっと、奥さんが抑鬱的な状態になると、
その要因は100%、
後の口っこの100%を話題にできるといいんだけど、
基本、少なくとも世の中的には100%私に原因はないんですよ。
で、抑鬱的になるということは、
ことが起こると、何が最終的に起こるかというと、
私が抑鬱的になるんです。
これはさっき言った通り、私の精神的な弱点があり、
抑鬱的に私はなりやすいんです。
多分ここで怒りを爆発させるっていうタイプの人もいると思いますが、
ここにイリュージョンがあるんですね。
その人は同じことを繰り返すんですよ。
私は抑鬱的になる。
人によっては怒りを爆発させる。
多分でも怒りを爆発させる人は、
怒りを爆発させる選択肢しか持たないんですよ。
こういう時に、普段は怒りを爆発させるんだけど、
今回は抑鬱的になりまして、
次回はヒステリックになりますみたいな、
そうはならないんですよ、あんまり。
私がそうはなりません。
繰り返し抑鬱的になってしまう。
ここに私の特徴があるんですね。
つまり、私の作るイリュージョンの特質があるわけです。
で、トワイドイツカというのは、
つまり、映るといって、今回は飛ばしましょう。
映るんですよ。
奥さんが抑鬱的になる。
すると私も抑鬱的になる。
という形を取り、ここを足掛かりにしてですね、
そうか、こういう気持ちになってるからこういうコードを取るんだなと。
これを理解するために、精神分析の
このトワイドイツカという概念は役に立つと思うんですね。
そうか、この気持ちならしょうがないなとかって思えるようになったら、
だいぶ違うんですよ。
なんで俺が抑鬱的にならないといけないんだって普通に思うわけですよ。
自分に原因がないからね。
そうすると喧嘩になるじゃないですか。
そうすると相手はますます抑鬱的になるんですよ。
そうすると私も結果としてますます抑鬱的になるんですね。
このパターンから少なくとも一歩、
外に出るために
抑鬱的になってる理由は、
これはトワイドイツカが起こってるんだと。
この解釈は私は100%間違いないと思います。
私は分析家じゃないし、カウンセラーでもないけれど、
06:00
ここはもう間違いないなって思うんですよ。
で、それはいいとして、
抑鬱的になるじゃないですか。
これはロッドバイブス的に言うと、
罪の意識なんですね。
抑鬱というのは罪悪感なんで。
で、罪悪感ってなんだろうと今ならよくわかるんですが、
罪悪感というのは母親への不信感です。
私の心の中の母親に対する不信感です。
これが罪悪感。
この母親という言葉、私の心の中ですよ。
実際の母に対する不信感とかとは関係ありません。
なんですが、
これを母親機能と呼んだりもするんだけど、
機能と言うと、機能よりの人の感覚には、
これはなぜ母親と言わずに母親機能と言いたくなるかというと、
私の実母はひどい人ですという方もいらっしゃるわけですよね。
母は虐待ばっかりして、
ちっとも母親らしいことを私にしてくれませんでしたと。
それは本当だと思うんですよ。
ただ、だから私の母親機能はないんですとか、
ダメなんですというのは必ずしも本当ではないんですよ。
ここに難しさがあるんです。
その母親機能が弱いとか、
機動のさせ方がよくわからないということはあると思うんだけど、
機能を全くしないとかいうことにはならないんですよ。
だけれども、その人にしてみると母親はひどい人だという意識が強いので、
母親という言葉をここに使ってほしくすらないんですよね。
肯定的な意味では。
でもこれを最初にやってくれたのは、
たとえどんなにひどくても多分お母さんなので、
というか、ここにお母さん的なものという認識が入ってこないと、
ただの機能になってしまうんですね。
母親を機能と言えば、だいぶ冗長的には楽になれるかもしれないんだけど、
このことが前回のセミナーですごく僕が痛感させられたことでして、
これは呼吸機能とか認識機能とかとは違うんですよ。
単に機械的な機能、ファンクションとはちょっと違うんですよね。
ファンクションとして説明できるんだけれども、
ファンクションとしてでは説明しきれない部分があって、
しかもそっちの方がでかいときてるんですね。
呼吸機能とか、計算する能力とか、思考の能力とか、
そういうのとはちょっと違うんですよ。
だから母親機能がありますと言って、
でも母親機能ではどうにもならない問題がありますよねという風に
話がどんどん進んでいくと、この話はすごくおかしなところになるんです。
母親機能の重大な問題というのは、損なわれた場合の重大な問題というのは、
やっぱり私はひとつはニードをニーズに変えられなくなるということも
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これひとつとってもえらいことなんですよ。
もうひとつは、そもそも母親機能というか、心の中の母親というのは
これを絶対信頼することによって、自分はそれこそ機能して生きていけるんですね。
これに対する不信感があるというのは、はっきり言って生きていくのに差し障るんですね。
今私にはそういうことが起こりつつあると。
これが罪の意識なんですよ。
なんか世の中に対して、あるいは世界に対して、
つまり母親に対して。
乳児にとって母親というのはもう子宮という言い方をしてしまうならば、
子宮ですよ。ただそういう認識はないと思いますけどね。
お腹の中にいるときに、このお腹に悪いことをしてしまって、
このお腹が私のためにもう機能してくれなくなるんじゃないんだろうかって、
もし乳児が思ったら、もう悲惨じゃないですか。自分その中にいるんですから。
でも私たちが世界に対して不信感を抱くというのは同じですよね。
世界そのものは、言ってみれば子宮なんですよ。
ここに対して私が不信感をわずかでも抱けば、もうそれは大変なことになります。
それ自体がトラウマですよね。
という問題なんですよ。この母親機能を損なわれるというのは。
だから母親への不信感というのは、世界への不信感とイコールになってしまう。
だからここに母親という言葉を当てないでくださいという方の気持ちはわかるんですが、
ここが母親でないという言葉を使うと、何になっちゃうんだろうと。
世界と言っておけばいいのかという感じなんだけど、
世界と言ってしまうとですね、情緒的な含みがやっぱり足りないと思うんですね。
あまりにも生々しさがないと言いますか。
やっぱり世界に対する信頼感というのは、情緒含みなんですよ。
世界に甘えていられると。
私たちは、今日は余計なことは言いたくないんですけど、
世界に甘えているんですよ。地球にでもいいですけどね。
母親に甘える子供のようにですね、ほぼそこに対しては100%依存している。
月とかに行けばすぐわかることなんですけどね。
何もないし、あそこで生きていけないですよね、ずっと。
基本的に何でもあるし、ここでずっと生きていけるところで僕らは生きている。
だから甘えているわけだし、ここの甘えはですね、
物質的なことが今の話だと先行して感じられるかもしれないんですが、
情緒的なことの方がはるかに大きいと思うんですね。
なんとなく世界というものは信頼できると。
私たちは人生みたいなもので考えちゃうんで、
今今が大丈夫でも、本当はこれは大事なんだけど、
今今が大丈夫でも10年後大丈夫だろうかって考えるじゃないですか。
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そういう時も結局不信感があるわけですよね。
このままではお金がなくなるとか、
この人とずっと一緒にいるとストレスでボロボロになるとか、
全て不信感です。
自分の身の回りに対する不信感というもの。
それが一見そうは思えなくても、
子供の頃が最大でかつ最悪の可能性があるってことなんですね。
だって、例えばなんですけど、
お持ちを変えてくれると、
これ自分の恋人が変えてくれるという風に考えたら、
かなり厳しいと思うんですね。
よっぽど信頼していないと、やってほしくないですよね。
でも子供がお母さんに対してそんなことは考えないんですよね。
考えるようなことがもしあるとすれば、
それはよほど不信だということになると思うんですね。
だから、母親イコール世界であると思えている時に、
そこに母親が人として現れてきちゃダメなんですよね、やっぱり。
それはもう罰に等しいと思うんです。
つまり、罪と罰なんですね、これは。
母親がそこにいて、私の世話をしていると考えるということは、
すでに罪なんですよ、罪の意識なんです。
100%信じきっていれば、母親なんてもうそこにはいないんですよね。
そこにあるのはただ自分の環境でしかないわけです。
これが100%信頼できている時の、たぶん赤ちゃんの状態です。
私たち成人の状態ではないですけど、
私たち成人にもこういう面があって、ここに甘えがあるんですが、
そんなことではダメなんじゃないだろうかと思った時、
罪の意識が芽生えます。
その時に罰というのは何かというと、
罪が母親への不信感であるならば、
罰は母親機能の停止なんですね。
母親機能が停止するということは、
一つ目にNはNSに変えられない。
つまり自分のNをニーズに変換することにできなくなり、
自分のニーズを満たすことにも失敗する。
これが自分の全活動にかかってくるんですよ。
だからすっごい辛いんですね。
抑圧的な状態というのはこれなんですよ。
自分が罪を犯したために罰される。
罪を犯すというのは、つまり母親機能というものを損なったために、
損なうような真似をしたために、
母親機能というものが停止してしまう。
停止するということは、例えば食欲不振になります。
食欲の前のニードというものがきれいに食欲に変換されず、
食欲を満たしてあげるという自分のケアも、
こういう人いっぱいいるじゃないですか。
自分のためには料理ができないとか、食べる気もあんまりしないとか、
あるいはもうちょっと原始的なところで、
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眠りにもつけなくなる。これもいっぱいいるじゃないですか。
母親機能が停止するということは、
眠いというニードを、いや違うな、
疲れているというニードを、眠いというニーズに切り替えて、
寝るという行為に変換してケアしてあげることに、
困難を覚え始めるんですよ。
全くできなくなることはないです。
全くできなくなるということは、たぶん死ぬってことなんで。
これが全員気にかかってくるわけです。
仕事なんか本当にですね、今の私、これ喋ってますけど、
いつもよりも重いんですよ、どうしてもね。
ニードがニーズにきれいに変換されないんですね。
なぜならば、私の中の母親機能への不信感が芽生えていて、
私のニードをニーズに変えるという機能が損なわれているから、
いつものように簡単に言葉に、頭の中で変換できないし、
それを喋るということ、ここに意味付けも母親はしてくれるわけですよ、機能として。
これには意味があるんだと。
ところがこの意味付けが不十分だと、ただやっているような感じになってしまう。
何の意味もなく喋っているような。
これお金になるんだろうかと考えなければならないのは、意味がないからなんですよ。
お金になるんだろうかと考えると、お金にならないじゃないですか。
そうするとまたやりにくくなるんですよね、一つ。
こうやって一つ一ついろんな行動の負荷が上がっていく感じがするわけです。
実際は負荷は上がっていないですよ。
ただ私の中の甘えが、甘えていた、今まで甘えていた部分が甘えられなくなったので、
一つ一つのNがNSに変わらない、ニードがニーズに変わっていかない、
おろそかになっていくわけですね、いろんなところで。
これが母親機能というものの停止であり、停止せよという罰が下されているんですね。
他の人から停止せよという罰が下されたように感じることもありますね。
よく言うじゃないですか、上司とかに、お前そんなんでいいと思っているのかと。
これ、母親機能を停止せよということになります。
そんなんでいいと思っているからやれるんですよ。
だってNをNSに変えるのに自分流のやり方以外のやり方を知っている人っていませんよね。
のどが渇いた水を飲む、お前そんなんでいいと思っているのかと言われたら困っちゃいますよね。
どういうふうにやればいいのかと。
実はこれはどんな仕事のやり方についても同じことが言えるはずなんですね。
書き上げ塾の話をせっかくだからしますが、26日に第5期が始まりますが、
18:00
手枷足枷をつけたらすぐ人は全く何も書けなくなります。
全く何もといっても一文もという意味ではないですけど、一生書くなんてとんでもないです。
そんなんでいいと思っているのかと言って誰か偉そうな人が出てきてですね、
一行一行に全ての女子とか言葉の運びとかにこと細かなケチをつけて、
しかもどうすればいいのか示さない。
これをやればですね、大抵の人はあのムカデがどうやって足を動かしているんだろうというのと同じで何にもできなくなるんですよ。
これがニードーニーズに変えられなくなるということであって、
つまりこれが罰を与えるというやり方なんですね。
罪というのはつまり自分の中の母親機能に対する不信感。
そして罰というのはその母親機能を使うこと、停止させられること。
普通にこれで抑鬱になります。
で、これはあんまりなので一つはこのような罰を下す人と縁を切るという考え方があるんですよ。
いやいや、そんな母親機能を停止するような人のことはもう面倒見きれないから、付き合っていられないからということで切ると。
そうするとすごく自由になった気がするじゃないですか。
これが相的防衛と呼ばれるやり方ですよね。
関係を断ち切る。
関係を断ち切ることによって私は自分に対する罰から一瞬解放されるんですよ。
つまり母親機能を取り戻すことができると。
で、ある程度はできるんですよこれで。
多分これである程度できるようでないならば誰も相的防衛なんてやらないんですよね。
関係性を切るみたいな。
上司と縁を切ればこの母親機能の回復に役に立つと。
ある程度は。
状況によってはこのある程度でも十分だということもあります。
ただ、Good Vibesでこのやり方を進めないのはですね、おそらく。
この縁を切るというやり方を繰り返すことになるんですけど。
やるということは。
自分では自分の母親機能を回復する方法を持っていませんという宣言をしているに等しいんですね。
母親機能の停止は外から言われてやってしまったことなので。
その外との縁を切れば自分の母親機能を回復させられるということになってしまうと。
縁を作るということ自体に不審感が芽生えてきますよね。
縁を作るということは結局いついかなる罰を下されるかわかったものではないので。
罰が外から絶対に来るものであるならば。
ニードをニーズに変えるということがある意味では環境次第で決定されるということになってしまう。
一人でいればいいんだけども。
21:01
人といた場合どのような形で母親機能というものを止めろと言われるかわかったものじゃないので。
結局この方針でいくということは潜在的にはですね。
人とのつながりというものに対する不審感をほぼ固定させてしまうという問題があります。
もう一つ私は実はそっちも問題だしどっちも問題なんだけど厄介な問題として。
母親機能が停止してしまうといった事態になった時にただ縁を切っただけで回復する理由はないですよね。
罪というのは母親機能にそのものに対する不審感が発生したということなんですよ。
ここに大きな問題があります。
自分の中のニードをニーズに変えるのはダメなんじゃないかとか。
そういう機能を自分は果たせないんではないかという風に思ったのに。
ただただ人から離れてみたところでこれが従前に回復するとは思えないんですよ。
確かにひどいケースはあります。
殴るとかめちゃくちゃ罵声を浴びせるとか手足縛るとかで。
そうしたらニードをニーズに変えてそれを満たすところではなくなるんで。
だから逃げ出さないとニーズに変換できなくなる条件というのはあるんだけれども。
ただ精神的な威圧を加えられたとかそういう理由によって
容易に自分の母親機能が停止したり休止したり弱体化するという状態で
自分でそれをどうにかするということにならず
ただその人間に原因を置いてそこから距離を置くというやり方だと
その機能回復なかなかしないじゃないですか。
100%ここが問題なんだけど相手が悪かったならば
そうなんですが常に全部100%相手が悪いとも限らないですよね。
自分がミスした場合も当然あるはずなんですよ。
で私の場合今回100%に近いんですが100%ではないんですよ。
これは説明すると場が長くなる上に多分伝わらないような気がするんで
今日は説明しませんが奥さんとの関係において100%ってことはないんですね結局。
99.9%だとしても自分に0.1%くらいがあって
この分だけでも自分で回復させようとしなかったら
離れたからといって回復する理由にはならないんです。
問題はこの機能を回復させるところにあるのであって
人と距離を置くところにはないんですよ。
本当はもう一つ相手を甘えさせるっていうのがあるんだけど
今回はそれを一旦置いておいて自分を甘えさせるの問題だとして
自分を甘えさせられるに値しないんだって感じることが罪の意識です。
24:04
だから自分を甘えさせるのはやめてしまおうこれが罰です。
これは自分でやってることなのでここを取り除かないと回復はしないんですよね結局。
これをどうやって取り除こうといった時に例のあれが出てくるんですよ。
価値マックスがこれしか考えられないと思うんですね。
自分は甘えさせるに値する。なぜなら価値マックスだからですよ。
ここで多分どんな人でも自分は甘えるに値しないんじゃないだろうか。
その分価値が値ですから損なわれているわけです。
母親機能のつまり罪の意識と母親機能の定名を招いている時には
セットで必ず自分の価値に対する何らかの他の人が下しているという評価についてのイリュージョンがあります。
多分私はイメージ能力低いけどお前の価値は低いって言っている人がそこら辺にいます。脳内のね。
多分そういうことが起こっていると思います。
お前の価値は低いというかお前は例えばですけど彼女みたいな人に男としてなってないとか
こういう風な言葉は私の中の母親機能を既存します。
同意すればですよ。
それほどの価値はない。
つまり子宮にいる赤ちゃんは価値MAXです。
何をしてもそこでいいし、何もできませんけどね。
何をしてもそこでいいし、何を望んでもOKです。
そこでこれは遠慮しておこうとか考えていたら多分もう死んじゃうっていうレベルですね。
だから何をしてもOKです。価値MAXですね。
つまり何にもしないで栄養をもらい好きなように生きていける価値MAXですよ。
あなたは将来藤沢のようにはなれないからここで栄養を十分取っちゃダメとかはありえない。
これと全く同じ条件でないと母親機能というのは従前には機能してくれないんですね。
だから男としてなってないとか成績が十分優秀でないとかそういう理由によって価値が既存されるということはありえないんですよ。
つまり100%甘えていいという状態になるわけですね。
こうでない人は世の中にいないんですよ。
誰もが子宮を取ってきたから。
だからここで母親機能という言葉が必要なんですね。
私の中では精神分析の言葉ですね。
27:02
もう一つ言うとなぜ私が精神分析とグッドバイブスにこだわっているかというとですね。
これ私の特殊事情なんだと思ってたんです。
これ聞いてる方の中にもきっとロングスリーパーさんとかのツイート読んでると思うんですけど。
思ってる方がいらっしゃると思うんですが。
自分が特殊なマザコンなんじゃないだろうかとか。
あるいは自分が特別気が弱すぎるんじゃないだろうかと。
私は長らくそう思ってたところがあるんですよ。
だから母親機能の低迷というものが仕事に差し障るなんてナンセンスなんじゃないだろうかと。
そういう気がしてたんですね。
バリバリ仕事ができる実業家の方とか社長さんとかね。
そういう人が例えば奥さんとちょっと揉めたということによって。
母親機能が低迷したと仮にするということがあってね。
家出るときは僕だったとか憂鬱だったとしても。
仕事に一切差し障りなくできるような気がしてたんですね。
私の目には他の人のみんな気が強そうに見えたから。
でもだんだんそうじゃないんじゃないんだろうかと思うようになってきたのは。
ある意味ではですね。
私が本を書いていていろんな著者の仲間の方がいろんな理由で本が書けなくなったりしたり。
非常に時間がかかったりするケースが出てくると。
で、私より明らかに強そうに。
私の目には他の人みんな私より強そうに見えるんで。
クラゾノ刑事さんとか私の何か100倍ぐらい強そうに見えるんで。
そういうことはありえないと思ってたんですが。
意外に私の視点ではですよ。
母親機能の低迷みたいなものによって人は何にもできなくなるんですよ。
私と同じなんだなと思うシーンがいっぱいあるんですね。
本人はそうは思ってないかもしれませんが。
例えば、それこそアマゾンで星1をつけた人が2人いたとか。
そんなことで、私から見てもそんなことで。
想像以上にダメージを受けると。
あれは私の考えでは母親機能を損なうということと全く同じなんですよ。
自分が自由に心の赴くままに書いたことに対して強烈な攻撃が加わると。
不意打ち、冷水を浴びせられるという感じと似てるんですよね。
その時に何が起こるか。世界不審が起こる。
それに対して自分に対する罰が発生する。
ああいうふうに書いちゃいけない。
こういう人たちが見ていることをちゃんと気をつけておこうというブレーキがかかる。
これが罰ですよね。
つまりニードをニーズに変えるにあたって最新の注意を払いなさい。
あなたのニードを甘えによって満たすということが
世の中ではいつも許されたり歓迎されているわけではありませんよというメッセージを
自分の頭の中で発する。
こうすると筆が止まるんですよね。
別に不思議なことではないんですよ。
30:02
気が強いとか弱いのもあまり関係ないんですね。
ということを自分がだんだん20年くらいかけて
いろんな人を見ていて、感づいてきて
変わらないんだと思うような対応や反応は違いますよ。
さっきも言ったように総的防衛に訴える人もいれば
ひたすら他人を攻撃するという人もいるし
私のようにすぐ欲打つ的になる人もいるんだけど
同じことが起きてるんですよ。
全然違わないんだなということが
まずグッドバイブスで言われていて
よくよく考えてみると精神分析でも全く同じことが繰り返し
いろんなところで言われていて
甘伝えというかな
母親機能という言葉が使われている。
母親とか内的な母親とか
完全にこれは私がずっと意識していたあれと同じことなんだと
いうことに気づいてみると
つまりこれは私だけの特殊自分じゃないんだなということが
グッドバイブスで言われていることが
多くの人に少なからぬ人にあてはまるならば
精神分析だというのはもう大昔から
それこそあれを使ってカウンセリングしてきた
受けてきたって人も何万人では聞かないよね
ってぐらいいるわけですから
つまりこういうことなんだなということに
思い立ってみると
別に私の特殊事情じゃないわけですよね
そういうふうに考えてみると
大事なのは結局
書くためのライフハックを
これは今の私の心理状態で
ライフハックとか仕事術とか
心の強さとかで乗り切ろうというのは
ナンセンスだと思う。全然無理。
よく今までやってきたというか
2013年の頃まで
こんな状態に近かったですからね
常時この状態にハマっていて
よくこれでやってこれたなと思うんですよ
よくこれで書き続けて来られたなと
テキストエキスパンダーで
-CHって打つとチェンジするようになるとか
あんなことではやれないんですよ
私はこういう状態になってしまったら
まずこの状態を何とかしちゃわないと
価値マックスで
世界に対する不信感を払拭して
ニードは当然ニーズに
何の疑いも挿し挟まずにニーズに変えて
そうですよね。水飲む時に何か
疑い挿し挟まないじゃないですか
疑い挿し挟んじゃった人があんな多ですよ
コップから水飲めなくなってしまったんですよ
そういうことが起こるんですよね
これをやめさえすれば
仮に-CHでやらなくたって
33:02
チェンジずって書けますよね
これが逆だと思うんですよ
この状態のままでもせめて
ライフハッグはやろうと
効率よくやれると言った時の効率というのは
効率悪く元気な私がやってる時の
半分にも満たないパフォーマンスしか出ないと思うんですよね
ってことを久しぶりによくよく思い出した
ということです
33:32

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