1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. クライアントは治療を辞めたく..
2025-05-02 48:07

クライアントは治療を辞めたくなる【1176】

心理療法はいつも「中断」と闘っているように見える
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サマリー

今回のエピソードでは、陰性治療反応について考察されています。著者は、精神分析におけるその重要性や心理臨床における広がりについて述べ、治療過程でのさまざまな反応を指摘します。クライアントが治療を辞める理由について分析され、タスクシュートやサポートグループの影響、さらに治療の中断がもたらす心理的な不安について詳述されています。また、カウンセリングの実践における逆転移や誤解、パーソナリティ障害の影響についても考察されています。このエピソードでは、治療を中断したくなる理由、特に陰性治療反応や総敵防衛の概念が取り上げられています。ドコンジョガエルの娘を通じて、心理的な問題とカウンセリングの必要性についても語られています。最後に、クライアントが治療を辞めたくなる理由やその背景にある心理的要因、カウンセリングの効果、人間関係が治療に与える影響についても探求されています。

陰性治療反応の重要性
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1176回をお送りします。
今日は5月2日、金曜日、8時7分。ちょっと遅くなりました。
正直ちょっと眠いんですよ。雨も降ってるしってあんま関係ないんですけどね。
雨が降ってるのはとてもいいことっていうか、今日フルフルずーっと言ってたから、これに合わせて庭に苗をですね、盛大に、もうなんか特幹工事的に植えて、いつもそうなるんだけど、この雨を待ってたわけですね。
やっぱね、植えてすぐ雨が降るというのが、土砂降りになるとちょっとあれなんですけど、おおむねベストで、私の経験では。
やっぱ雨ってすごいんですよね。水やりしても絶対こうはなってくれないレベルで、特にこう、植え替えの時期ってすぐ下手るんで、このタイミングで雨が降ってきて、それでも下手るやつは基本ダメなんで。
これでうまくいったらもうですね、あとはだいたい国床と台風以外は乗り切れるみたいなところまでは、私は一応できるようになってきたんですよね、ガーデニングは。
だからもうこの春の雨を逃してはいけないわけで、最近ちょっと気候が異常気象なんで、春の雨とか言っててほとんど夏の雨じゃんって感じもしなくはないんですけど、
強く降るし、前後暑いしね、それはそれでリスクあるんですけど、まあまあそんなことまで言ってたら農家になっちゃいますから、農家さんやるしかなくなるんで、ここまではできないんで。
急いで植えて結構疲れたという、そういうことですね、要するに言いたいこと。
はい、お知らせはなくてですね、だから今ちょっと模索していることはあるんだけど、まだまだ模索中でですね、そして今Jマスザキさんが日本にお帰りになったばかりで、これから猛烈に忙しくなるわけですよ。
だからその前に模索している仕事をふわっと進めてしまうのも、それはそれでこうそういうことをやるのが私ですが、なんか気がついたらやっちゃってましたすいませんみたいなのが私ですが、
今この段階ではちょっとね、まだこらえているというわけですね、持ちこたえているつもりなわけです。
これは冗談ですけど。
3ヶ月チャレンジ10期もおかげさまで10期開始させてもらえまして、メインもDiscordに変えてようやくこう、メタ様から少なくともグループが一つ撤退という格好になったわけですけども、
まあそれはそれとして、そこで何やっていくかというのをこの番組で話すことが多くなるだろうと。
今日はですね、これもずっとおそらくもう本当に3チャレ始める前からですね、私にとっては重大なテーマの一つであるこの陰性治療反応というやつですね。
これもフロイトの言った陰性治療反応と、ローゼンヘルドの言っている陰性治療反応と、その後の展開されている自己愛構造体とか病理構造体とか言った話と相的望遠の絡みで、
微妙に概念がですね、この種の揺れ動きはこのレベルではもう絶対的にあるぐらいに思っておかないとダメで、何しろ一人一人が少しずつは独自色を出してくる世界ですからね。
全部を追うのは本当にやってられない気持ちにもなるんだけれども、まあでも読むと興味深いんですよね。
だから松木さんの本にはめちゃくちゃ助けられている。
もうなんかね、あれがなければ、なんて言えばいいのかも、明日みたいな感じになってしまう雰囲気を持つぐらい、でもそうですよね。
なんか私やっぱりライフハックやってて、GTDとかもそうだけど、なんかすぐ独自解釈を神に従うじゃないですか。
大体大物ほどそうですよね、ある意味ね。勝手なことを急に言い出して、しかも元の概念に微妙に付け加えるだけだから、
はっきり言ってその差にこだわっているのは誰だよみたいな感じなんだけど、でも聞くと面白いから、なんかちょっと乗っていきたくなるんだけど、
でも8人いれば8通りのGTDがあって畑迷惑でもあるみたいな、この種の問題はもう多分どこにいても絶対あるんだろうけど、
まあ本当にどうしようかなって感じになりますよね。
なんか多分こういうのはすごく良くない感じもしますけど、無視できる場合はいいんですよ、ある意味。
感じ悪いけど。でも無視できなくなってくると、なんかこうGTDRとか言ってみたりして、プラスとか言ってみたりして、
違いはあるけれども、抑えていくのは七面倒臭いとしか思えないみたいなでも面白いっていうね、そういう感じの話かなと思います。
で、まあその際はともかくとして陰性治療反応というのはですね、私はやっぱりこれもいつもながら、この番組はこれを2軸ですよね。
精神分析的なものと、精神分析と、そして非正規とっていうこの3軸なんだなっていうね。
陰性治療反応は私はですね、本当に非正規というものの存在を、目をつぶらざるを得ないっていうか、それは正規側の言い分ですけど、
絶対この反応があるということを一つとってもですね、そしてこの反応の存在というものの広がりと重要性、今後ますます広がるんではないかと思われる。
まあそんなことはないか。一定のピークを迎えたかもしれませんけど、でもとても広い。
現代では陰性治療反応は僕はもう至る所にあると思うんですよね。
心理臨床における挑戦
普通の医療行為でもあると思うんですよ。
まあでも心理臨床はもう避けて通れないというか、そればっかりなんじゃないかとある種のところではですね。
それがあるからには、私はやっぱりこう、陰性治療反応が絶対に治療で成功するってなら別ですよ。
だからここなんですよね。
非正規では分けて、非正規をパージできる、正当化できる理由の一つとして、その落差が絶大的にでかいってことですよ。
言わないです、もう。医療の世界では。やっぱり絶大にでかすぎて。
歯を抜くの自分でやりますって人いないと思うんで、今時は。
そうすると言わないじゃないですか。非正規の歯医者危ないとかって聞いたことないんですよね。
歯医者正規を選びましょうとか、僕は聞いたことがないですね。
それは当然そうですよね。歯医者専門家に行く以外の選択肢が普通の人の頭に思い浮かばないからなんだと思うんですよ。
だけど、これが心理臨床の世界では逆に近かった時代が結構長くあって、
今やってることって、ある意味非正規に行ってる人を正規に流し込むみたいな作業が、
全部では全くないんだけど、一部間違いなくそういう風にしようというノリになってると思うんですよね。
多分そうはなってないと思うんですけどね。
先にだってあったのは非正規だったわけだから、最初からノラカウンセラーはいたんですから。
そこに公認人理士というものが後から公式に追加されて、こっち来なさいよって話をある意味してるわけじゃないですか。
そういう風に言って確実に通すってことはですね、
89割はこっちに来た方が明らかに上手くいくんですって言い切れて初めて通る話だと思うんですよ、ある意味ではね。
そうじゃないのかもしれないけど、でも私はやっぱり利用者側からはそういう目線になると思うんですよね。
その時に2つあって、まずそもそも第一に本当に絶対そうなんのか、
正規に行けば確実に良くなって治るのかみたいな問いが素人的に普通に立ちますよね。
もう一つが、どこまでの範疇がカウンセリングに行くべきなんですかっていうことなんですよね。
やっぱり、たとえば野良がどれほどバッコしてるって言われていても、ある意味そう言われている世界にもう一つは、
どこにでもいっぱいあるんですけど、そういうのは文章教室ってのがあるんですよ。
で、文章教室に後任も減ったくれもないんですよね。後任文章教室とかはないわけですよ。
文章は国語の先生にならなければいけないとかもないわけですよ。
小説家ってあれは野良ですからね。小説家が文章が上手いとかいうのはそういうことになってるという話であって、
別に文章を教えるプロとかいうわけではないわけですから。
で、文章教室は別に誰がやってもいいわけですよ。それこそね。
よくカウンセラーの先生がおっしゃってる、誰でもカウンセラーは名乗れて、
ある意味よくないよねみたいな感じなんだけど、誰でも文章教室の先生にはなれるわけですよ。
だけど、ここは範疇外だと僕は思うんですよね。文章うまくなりたいんですって。
つまり心理カウンセリングの方がどんな悩みでもOKみたいな感じで打ち出してる方もいらっしゃるんだけど、
文章うまくならないんですけどっていうのはどうするんだろう。
全く扱えないとは僕は思わないんだけど、文章うまくならないんですけどっていう心理臨床のところに行っても、
心理臨床の先生よりその言った人の方が文章うまいかもよっていう話があるじゃないですか。
だけど教えるのはまた別ってこともあるんで、難しいんですねこの教えるって話はですね。
だってほら、コーチよりも野球選手の方が上手いけど、コーチはコーチでしょ。
だからそういうのはあり得ると思うんですけど、僕はやっぱり文章うまくなれませんっていうのが、
心理臨床に行くっていうことはないと思うんですね、あんまりね。濃いと思ってもいないと思うんですよ。
そんなの当たり前だと思われるかもしれないけど、ちょっと微妙なんですよ、これが。
最近文章うまく書けないんですよねっていう悩みを、作家さんが心理カウンセラーのところに持ち込むのはありじゃないですか。
最近全く書けないから本当に困ってるんですよを持ち込むのもありじゃないですか。
でここにはテクニカルな問題があるのかもしれないしないのかもしれないし、だから純心理的な問題なのかもしれないんだけど、
それって本人にしか結局わからないじゃないですか。
だから心理臨床に向かうというのは、どの範疇までだったら妥当なのかっていうのが、実は僕はあんまりコンセンサスがはっきりしないなって思うんですよ。
実際の事例と考察
だから、よく知っている自己啓発の方にスッと行くんですよ。
よく知っている自己啓発の方もまず変わったりしますからね。
今後この流れが変わってくるでしょうけど、今はほぼ過渡期なんですよ。
だから、なんで心理臨床に行かなきゃならないのかっていうのが、実は普通の人の頭では少しもはっきりしていないんですよ。
例えば、会社で上司がアーハラでひどいですって言った時に、じゃあタスク管理やろうかってなったらライフハックに行くわけじゃないですか。
それがけしからんっていうのかもしれないけど、そういう風に今までなってきていたから、この流れを切り替えるんだったら、よっぽどちゃんとした理由っていうのが、少なくとも今まで以上にうまくいくっていうのがはっきりしないとうまくないと思うんですよね。
で、中で僕が一番それをはっきりさせてくれないのが陰性治療反応だと思っているわけですよ。
突然なんかめちゃくちゃ専門用語で申し訳ないんですけど、この陰性治療反応っていうのはつまり僕には馴染みがあるわけです。
話を伺っていてもこれ発生しちゃうし、最初わからなかったんですよ。もちろん知らなかったからですね。
3ヶ月チャレンジの話じゃなくてそれ以前の話ですね。
うまくいったような感じがして、関係が親しみに増せば増すほど突然それが中断するというケースが、ケースと言ってしまいましたけど、はっきりあるんですよね。はっきりあったんですよ。
それは心理臨床やってるつもりは全くなくて、ライフハックと仕事術のつもりでやっていたし、実際そうだったんですけど、でもはっきりその種のことが起こるという方はいらっしゃるわけですよ。
クライアントの治療中断
あれは一体何なんだろうなって思ったんですよ。こっちの雰囲気としては、絶対このタスクシュートならタスクシュートで使えるようになってきましたし、仕事生活状況改善してきたみたいですし、
あれですよ、ワンオンとずっとやってたわけじゃないですよ。でもセミナーを定期的に、僕らは定期的が好きだったんで、めちゃくちゃ定期的で地味に人数が減ってきても定期的にしぶとく行ってたわけですよ。
ちょっとでも黒字ならやめないみたいな感じで、だからタスクカフェ100回もやったんだけど、そうすると超少人数制のある種のカウンセリングっていうのは違うんだけど、ものすごくインテンシブなコーチングみたいになっていくわけですよ。
ようやくこの方には話が伝わってうまくいきそうだってなると、ピタッとその人が辞めてしまう。最初はうまくいったから辞めたんだな、めでたしめでたしぐらいに思ったんだけど、
なんかね、そういう実感が湧かないんですよね。なんかこう、不意にブチって断ち切られるって感じの方が、むしろ適切な感じっていうのがあったんですよ。で、そういう時に、ついついこっちが何か変なことを言ってしまったりするじゃないですか。
ていうか、したと後から思っちゃうじゃないですか。なんか、つまり急に来なくなったから、やっぱりあの言葉が失礼だったのかなとかって思うんだけど、後から考えるとそれは無理やり、無理やりねじ、なんていうのかな、自分をねじ伏せるための納得材料でしかなくて、そんなことは別に、そんなこと言ってたら、すぐみんな来なくなるレベルの失礼なんですよね。
あれが失礼かもしれないとかを探し出そうと頑張っていると、あのカラバス効果みたいになってですね、何でも見つかっちゃうわけですよ。やっぱりあれは後から考えると少なくとも、あのうちの全部じゃなくても一部は偽治療反応と同じなんだなと。
考えてみれば、全部逆転移が起きて不思議のなさそうな認定しぶさで関わってたもんねっていうケースでこれが起きると。私はですね、これがじゃあ正規だったら絶対起きないのかって思わないんですよね。でも正規の人にしてみれば、いやだってそんなこと言われても困るって言うかもしんないけど、正規の方がですね、そんなところに行っている人が妊娠治療反応でいかなくなりましたって言ったら、
ひっくるのは一般の人であり、その人たちの一部が少なくとも非正規のところに行ってるんですよ。だから僕は非正規ってのが原理的になくならないと。これは一例ですけどね、あくまでもね。だってこの妊娠治療反応を引き起こした人は正規嫌いにしばしばなるので、当然なるんですけど、それは誤解だっておっしゃられると思うんですよね、正規の人からすると。
それは誤解なんだけど、しょうがないんですよ、これはね。そういう誤解をしやすいっていうのがそもそも心理臨床の対象なんだから、それは誤解だっていうのはやっぱりフェアじゃないと思うんですよね。確かにそれは誤解なんだけど、それは起きるんですよね。起きた以上は引っかぶるんですよ。
だって治療、何をもって感知とか感解とか言うのかっていうのもすごい難しいんだけど、少なくとも中途半端な治療のところで嫌だと思って、もう私カウンセリングなんかゴリゴリだと思ってる人が、そこにパーソナリティ障害に近いものだと思うんですよね、おそらくね。そういったもので戻ってきて、周囲の人をまた巻き込んでいろいろと起こし始めるわけですよ。
これ、もし正規がこういう正規のカウンセリングというのはこういうのを治せるんですって言うなら、明らかに責任の一端は残ってるじゃないですか。で、周りの人はその何て言うんですかね、それに対して対応して頑張らなければいけないんだから、そこにたまたまなんかこう非正規の人が、いや、うちに来れば劇的に治りますからっていう人がいたとして、もうそんな正規の心理カウンセリングなんか信用できないって言ってそっちの方に行っちゃった。
心理的な誤解の重要性
しょうがないと思うんですよ、これはね。それは起こるべきではなくて、むしろみんなで引っかぶるべきだとは言えないじゃないですか。そう言ってもいいのかもしれないけど、私はこれはしょうがないと思うんですよ。
で、この種のことがパーソナリティ障害ないしそれに準ずるパターンと陰性治療反応なり、相的防衛が起きたときに、これはかなりの可能性、かなりこういうことが起きやすいと思うんですよね。
パーソナリティ障害の臨床例と、のを集めた松木邦博さんの本、あれが私はこの種の本では今のところ一番当てにできて、ほとんどそればっかり読むようになっているわけですけれども、あれを読んでいてもですね、あそこで扱われていて、あれをあそこまで持ってってる正規の人たちは素晴らしくて、でも私はみんながみんなああできてるとはさすがに思えないんですよね。
なんかこう知りませんけど数万人と言われている公認心理師の方が、全員あそこまでできるっていうなら野良いらないです。
僕は思います。
でも僕はそうはならないと思うんですよね。
正直言って。
絶対中断する困難だったらって思うんですよ。
いくつかのケースにおいては。
すごいですもんやっぱり。
これはパーソナリティ障害っていうものなのっていうか。
これはやっぱりもっとこう。
水準が深くないって感じの。
あの例えばですけども。
私これどこか偽装でどこが本当なのかもよくわかんない話だなって思ったんですけど。
あのなんつーのかな。
尿を逆流させて頂点まで持っていくと快感の絶頂に達する秘密のマスターベーションっていうのが出てくるんだけど。
もうそのカウンセラーの方がこの話を聞いた時に。
私には意味がさっぱりわからなかったって。
そうだよねって感じが。
なんかこれを。
これはこうこうこういう解釈でみたいのか。
さらっと出てくるとしたら。
いやもうなんか。
なんて言うんだろう。
シャーロックホームズですよねそれじゃね。
全然意味わかんないわっていう。
まあなんかね。
そこにこう生々したみたいなものとか。
トイレトレーニング絡みとか排泄とか言っていけばいろいろ出てくるんですけどね。
その人は要するにカウンセリングルームでひたすらお漏らしするっていう。
そして男の人なんですけどね。
そのカウンセラーさんは。
ひたすらそのおしっこを拭くっていうね。
つまりお母さんですよね。
環境都市の母親だとも思うし。
もっと甘えが強いなって感じもするんですけど。
でやっぱり悩むっていうのか本当に悩んでるのかわかりませんけどね。
逆転なんでしょうけど。
でもまあ実になんかね現実的な不安でもありますよね。
これ人に見られたらまずくないみたいに思うわけですよ。
思うと思うんですよ。
やっぱりね。
そのまあ専門的に対抗のさせすぎって言うんだけど。
対抗のさせすぎって。
なんかまるでその対抗のレベルを精密にコントロールできるかのようなその言い回しもちょっと素人的には納得しがたいものを感じますが。
そうは言っても。
松木さんもどっか接触障害じゃないな。
何かの本で書いてましたけど。
もう明らかに外に行ったら正気の人。
そういう人ってパーソナリティ障害だから。
それはあり得るわけじゃないですか。
なんか外に行ったらビシッとして銀行マンですみたいな人が。
面接してお漏らししますみたいになってくると。
明らかにカウンセラーのせいにされるじゃないですか。
お前がこいつを狂わせたんだと。
こいつ超まともだったのにってことになるじゃないですか。
この一種の恐れが逆転医なんだけど。
逆転医だと思うんですけどね。
東映ドイツ科でもいいと思うんだけど。
まあとにかくそういう恐れを抱きますよね。
これはね。
でも最初からそうなんですけどねっていう風に。
書いているのを読めばそうだったと思うんですけど。
何しろほら臨床室って密室ですから。
でそこに録音機とか動画とか撮ってちゃダメなわけですから。
基本的にそれがリアルな空間であれば特にですね。
だからそこで何が起きてるかなんて分かんないわけで。
そういうことが起きちゃっていて。
カウンセラーの役割と責任
全部臨床科のせいにされるということは。
あり得ることですよねやっぱりね。
何かがバレたりすれば。
で2つありますよね。
その対抗のさせすぎってこともあるだろうし。
そもそもそれ治療として進展してるのみたいな。
でもこれ実感の問題だと思うんですよ。
読んでいる限りではやっぱり進展してるんですよね。
で進展してると進展そのものに。
まあ要するに進展するということは。
何だろうな。
自由の関係が広がりますし。
責任も出てきますし。
そのパーソナリティ障害を抱えてる人からすると。
基本的にはその万能空想の方に投げちゃうわけですよね。
何でもいいんですよネガティブなものは全部投げたくない。
私にも身に覚えがあるんでよくわかるんですよ。
とにかくネガティブなものは耐えられない。
そんなことやってるくせにすっげー自分悩んでるつもりでいるんですけど。
これはもうやってみないとわかんないですよね。
もう万能空想の世界に入っていくことが。
だってそれってなんていうのかな。
僕は明快にそれが病理の一種なんですっていう構造を。
それこそ病理構造体のように示してくれてるのって。
精神力道とか精神分析の世界だけなんで。
別に辛いことがあったら楽しい空想すればいいじゃんみたいな。
辛いことがあったら上司にいじめられたら女の子とイチャイチャしてる空想して。
ついでにAV見とけばいいじゃんみたいな。
そういう人生観ってありますから。
なんか酒に溺れるとかね。
普通にあるじゃないですか。
やけ酒を飲むとかって言うじゃないですか。
防疫性の一種だってことになると思うんですけど。
普通に健常なレベルでやる分には健常とみなされるわけですよ。
これを呆然とそしてちょっとでも嫌なことがあったら絶対やるみたいなノリになって。
ほとんどいわゆるコンテナーですよね。
これだってコンテナーみたいな概念いるじゃないですか。
持ちこたえて嫌なことも少々嫌なことがあっても持ちこたえて。
あるいは自分で経営に何が起こりつつあるのかを理解していくんだみたいなことを言うそういう文脈を用意するから。
あたかもそれが病理であるかのように言うこともできるけれども。
それって程度問題だって言えば程度問題になると思うんですよね。
だから私なんかはもう間違いなくスキドイド系でパーソナリティ障害まっしぐらだった時期が10年ぐらいは絶対あったと思うんで。
少なくともですね。そのぐらいはあったと思うんで。
あの気持ちはよくわかるんですよ。
カウンセラーが何にもカウンセラーなんで話は聞いてくれるけど特に何をしてくれるわけでも。
場合によっては何らかのアドバイスだってポツリポツリとしか出してくれなくて。
で、どうしろこうしろもなくて。
家に帰ったら結局いつも通りAV見てるし、AVざんまいだしみたいなそういう風であった場合。
治療中断の理由
何が動詞に転じてるかなんてわからないですし。
これってなんか、なんかね。
行くたびに嫌な気持ちになるし、大して意味ある気がしないからやめようみたいになるわけじゃないですか。
で、そういう時のやめようの時にはなんかすごい僕は自分が正しいことをやってるような気になるというですね。
つまり総敵防衛が働いて陰性治療反応が起こるわけですよ。
私は得意なんでこれが。
昔は得意中の得意だったんで。
プラザの刑事さんもアドバイスの関係をデストロイするのが自分の習わしみたいなものだったっておっしゃってましたけど。
同じなんですよね。
総敵防衛なんですけど昔の話ですよ。
そういう風に関係でちょっと思わしくないことがあったらすぐぶち壊しにして去っていくっていうね。
しかもその時になんか爽快感を伴っていて、すごい自分は正義を行ったみたいな気すらするという人って結構いっぱいいるんですよ。
で、それの尻拭いというのか。
だって少なくとも関係破壊されたんだから関係してた人は悲しんだりするわけじゃないですか。
そういうの全部引っかぶってる人がいるというのを正義の人は全て収納しきるっていうなら別なんですけど。
私はたぶんあれは絶対治療が中断する例は迷拠にいとまがないレベルだと思うんですね。
で、そういう人がいっぱいいる以上、非正規がそこを受け皿になってる部分がある以上、全部なくすとか全部なくなるはずないでしょうって感じがして。
ドコンジョガエルの娘の事例
陰性治療反応というのはとっても厄介。
本人にとってもだし、治療する人にとってもだし、扱う人にとってもだし、周囲にとってもで。
だからこれが僕は一番よくよく描かれているのがあれなんですよ。
コミックとしてはドコンジョガエルの娘なんですよ。
娘さんの夫さんも総敵防衛に走りがちだし、娘さんのお父さんも総敵防衛の塊みたいな人だし。
こういう人たちがいかにこう、ある種厳しい存在であるかという。
厳しい存在なものだからここの問題をすぐにカウンセリングに持っていくっていう風になかなかならないんですよね。
現にドコンジョガエルを描いた人はカウンセリングを受けている気配は一切ないですからね。
だから娘さんと奥さんは完全にクッションになっているわけですよね。
事実上カウンセラーをやっているに等しいわけですよ。
漫画を描くことがカウンセリングなんですよ。
しかも娘さんは夫もそうで、この夫さんとドコンジョガエルの娘さんはカウンセリングを受けているんですよね。
だからこれはカウンセリング事例なんですよ。
でももう夫さんは受けてないに等しいし、あれ絶対受けてても途中で中断させるよねこの人って感じがするし、
やっぱり誰かがそれを引っかぶってるわけじゃないですか。
編集さんとか夫さんも漫画家さんだからね、明らかに編集さんもカウンセリング役やってるんですよね。
これをやるいい人がいるってことは野良が存在するってことじゃんってことに私は思うんですよね。
心理的問題へのアプローチ
いないと回らないような気がするんで、いれば回るんであればですね、やっぱりこれは私の考え。
この人たちは滅んだ方がいいとかは思わないんで。
ここに僕はですね、やっぱりこの問題をジェンダーに回す。
確かに男に多い総敵防衛に訴えて関係をデストロイしていい気になってるのは、
外視で男に多い感じはするけど、女性にいらっしゃるし、これをジェンダーに持ってっちゃうのはよろしくないと思うんですよね。
いや、一面それもアリだと思うんです。一面。
だからドコンジョガエルの旦那を夫、お父さんね、見てつまり描いた人なんですけど、
ダメオヤジだよみたいな。ああいうのを叩き直すべきだみたいな。
そういう、わかんないですけどね、そんなに雑じゃないんですけど。
そういう考え方も別にいいと思うんですけど、やっぱ彼はカウンセリングに行くべきなんですよ。一番いいのは。
あの人自殺未遂してますけれども、ああなる前に何とかするならカウンセリングしかないんだけど、
頭に思い浮かんでもいないよなんて気がするんですよ。
カウンセリングって発想を全く取らないと、やっぱり福祉になってしまうと思うんですよね。
で、やっぱり女の人に甘えている世界になってしまうんですよ。
女の人に甘えているのがいけないっていう話になってしまう。それだけになってしまうと思うんですよね。
そうするとそれは社会問題なんで、差別意識をやめてちゃんとしなさいみたいなものすごく超自画的になるんですよね。
心理的に見るときっとそういう感じがするんですよ。
それはそれで多分、でも自然の成り行きとしてそっちの方がまだ連想しやすいかなと思うんで。
私はむしろ逆に、逆にというのも変ですが、心理カウンセリングってものがここに頭に浮かぶようにならなきゃいけない気がします。
で、頭に浮かぶようになるためには周りの人がそういう風なリテラシーを持つか、
そういうリテラシーを非正規として確立するかのどっちかが現在のところ現実的かなと。
現に、これも非常に微妙な流れだったんですけど、読んでて微妙な気持ちになる流れだったんですけど、
お母さんですね、ドコンジョガイルの娘のお母さん、つまりドコンジョガイルを書いた人の奥さんは宗教に走ってたんですよね。
こうなるよなって感じがするんですよ、私の感じとして。
その宗教がつまり、真っ当であることが望まれますよね、これはっていう、そういう感じなんですよ。
宗教にはまってるからよくないみたいな感じになると、つまりあれほど厳しい状況に黙って耐えるしかなくなっちゃうじゃないですか。
僕はそれは、新宗教より果たして本当にマジなんだろうかって思うんですよね。
走んなければそれがベストなんだろうかって感じがするんですよ。そうは思えないんですよね。
でもなんとかクッションになっていたわけじゃないですか。お亡くなりにならなかったですしね。
あのお父さんは魅了によってはめちゃくちゃダメな人なんだけど、魅了によってはそこのところの両面がすごくよく描けてるんですよ。
さすが娘さんが描いてるだけあるなと思うんですけども。あんまり僕この話したくないんですよ。
一つは盛大にネタバレやってるし、もう一つはやや実話っぽい話すぎるんで、もっと架空ならば気楽に取り扱えるんだけど、話は全然架空じゃないような気がするんで。
あのちょっとね、偽装がかかってる臨床霊の方が遥かに喋ってて気が楽だなというところはちょっとありますね。
でもとにかくあれは妊娠治療反応と創的防衛って感じがすごくするんですよね。
あの人が家族に対して出す価値化している時の感じって本当にこう、何て言うんだろうか、ギャング団みたいな。
ローゼンフェルトかな。自分の心の中のこの気投げな部分というものをすごく踏みにじるような態度を出してくるっていうそういう感じ。
なんか気投げさというものを弱っちさみたいに見出して、そういうものなしでも俺はやっていけるんだと言って、なんか気がつくと屋上のビルの一番上にいて悩んでるってことになっちゃうわけですよ。
だから僕はこれは心の問題として取り扱う方が、少なくとも100%でなくてもいいんですけど心の問題として取り扱った方がいいと思うんですね。
心の問題として取り扱いましょうねというのが非正規の役割だと僕は思うんですよ、最近。
それは正規の役割なんですって言うのかもしれないですけど、僕はそうは思わない。少なくとも現段階では。
これは心の問題として取り扱いましょうねと言ってあげるのが非正規の役割で、だから専門家のところにいい専門家探しましょうねと言っていくのが非正規の専門家なんですよ。
両方正規の人がやればいいじゃんってことになっているようなんですけれども、僕はまだその段階にあるようには全く感じられないですね。
だからまして一度陰性治療反応で治療が中断してしまうと正規に対する不信感って残ってしまうので、ますますそんなにすんなりとはいけなくなる。
だけれどもそこにはしごがいるんだよなって感じがするんですね。ステップが一つないと。
取り扱ってるんですよ間違いなく。だけど陰性治療反応だって言葉はまず普通の人はご存知ないじゃないですか。
心が分裂しているためにいいことをしようとするっていうのかな。健康な自己っていう言い方を。だってこれだって結局専門的な概念ですよね。
いい方向に向かうときに引き受ける苦しみみたいなものは納得がいかないみたいな感じなんですよね。
これは父親の不在みたいなものと関係がある感じがするんですけど、やっぱりこれ今の父親の不在だって相当変じゃないですか。
いやうちお父さんいたしってことになっちゃうじゃないですか。専門用語がここに出てこないと概念がないんですよ。一般的な。
だからやっぱりここは専門と非専門をつなぐ何かがいる領域なんじゃないかと思うんですよ。ありがちな感覚なんですよ。はっきり言って。
でもなんつーんだろう。こう簡単に長寿が的な世界に引きずり込まれて、だから父親の不在だから簡単に長寿が的な世界に引きずり込まれてしまうためにここで踏みとどまって、
ここと正義がつながってるのかもしれないという発想を持つための何かがいるんですよ。そうしないとやっぱりさっき言ったようにジェンナー問題とかになっちゃうんですよこれが。
それでいいじゃんっていう言い方をするならばそれでいいんですけどそれで良くないと思うならばここはそうなんですよね。それで良くないと思う非正義。
つまり非正義っていうのは非正義非正義って言うからなんか非正義があたかも一枚岩みたいに聞こえてしまうんだけど野良カウンセラがばっこしているみたいな言い方をすると野良カウンセラ集団というものがあるみたいなんだけどそうではないですよね。
逆だと思うんですよね。そこでの価値観はバラバラだったらいいんですよ。バラバラだということは正義っていうのはある意味価値観が統一されている部分が実際そうではないんだけど感じられるので、
やっぱり非正義の中には明らかにもうこれをミソロジーの一種みたいに現代以外の何者でもないっていう考え方をとる人もいるでしょうし、
それこそ新宗教みたいなケースもあると思うんですけど、僕はやっぱり全部、ほとんど全部がと言って、それこそコーチング、ドコンジョガエルの書いた人にコーチングは全く合ってる感じがしないんですよね。
なんだろうなぁ。
とにかくこの領域に入ってしまうとですね、心を入れ替えなさい系が圧倒するんですよ。
だってほら、やけ酒飲んでいる人に対して、何でもいいんですけど、アドバイスする人って全員ほとんど心を入れ替えなさいって言いそうじゃないですか。
苦しみを持ちこたえなさいって言わなさそうじゃないですか。そこに見通しが全く感じられないから。
心を入れ替えて明日からお酒やめなさいみたいになりやすいじゃないですか。
ここで問題になっているのは、あなたの苦しみに持ちこたえられない、あるいは持ちこたえないことに決めてしまっている発想なんですっていう発想を取らないと思うんですよね。
その2つの違いすら、ピンときませんってことになると思うんですよ。
つまり、漫画家さんなら漫画家さんで、漫画を描かなきゃって思うと辛いわけじゃないですか。
治療辞めたい理由の探求
失踪日記の人もそうでしたよね。辛いわけですよね。
この辛さに持ちこたえられないので、お酒を飲みに行きますと。
これに対して言うことが、ここからカウンセリングに行くっていう流れになりにくくて、やっぱり説教師に行っちゃう、説教されに行っちゃうわけですよ。
編集が説教してたりしてますけれども、説教されに行っちゃうわけですよ。
こんなことやってたらダメでしょみたいになっちゃうわけですよ。
これは行動にその視点が向かうんですよね。
だから僕はここに空撃があきやすい気がする。
この種の空撃は実はいっぱいあるんですよね。もっと説明しがたいやつが。
今のは相当説明しやすいやつなんだけど、それでも上手く説明できる気がしないんですよね。
ある人がいて、東秀夫さんなら東秀夫さんがいて、
いやーもう本当かけないわーってなって酒を飲む。
その酒の前にカウンセリング受けましょうっていう発想には多分ならない。
で、なんでならないかっていうと、ここに社会的な長寿がみたいなものの、
そっちに引っ張られるからって感じがするんですよね。
そんなことやってちゃダメだ、みたいな。
そういう方向に引っ張られるのが、人は好きなのか、やっぱりイメージしやすいのか。
そっちに行っちゃうんですよ。カウンセリングに行かずに。
で、そこに非正規も混ざってるっていうか、多く非正規はあるわけですよね。
だから非常に極端な場合には、お酒をやめて神様に祈りなさいみたいになるのかもしれないし、
あるいは、お酒の体に対する害をめちゃくちゃ解いて、
ある意味ライフワークコーチみたいになっていくのかもしれないし、
行動を変えるってことですよね。
あるいは、編集さんがお説教するのかもしれない。
ですが、あるいは、よくわかんないけど、奥さんの友達の女の人がお説教するのかもしれない。
とにかくカウンセリングに行くっていう流れにならないと思うんですよ。
ここで、双敵防衛とかっていう発想がないと思うんです。
でも人はそこで持ち答えた先にあるものをイメージしにくいから持ち答えないっていうか
持ち答えないそもそも習慣がついているから持ち答えないっていうか
持ち答えてもどうにもならないっていう発想があるから持ち答えないっていうか
とにかく輸出してしまうっていうこの発想がないんですよね。
ですよね 排出行動というものは排出なんだって発想そのものがないんですよ
だから 行動を取るということが
酒を飲むなんだけど酒を飲むなりするという行動を取るということが 苦しみを紛らわしているっていう言い方しかできなくて
こう持ちこたえられない悪い まあ母親の不在なんですけどとにかく持ちこたえられない体験というもの
心が消化しようという気にならず 排出してしまうというその手段に打って出がちだというそこに罪悪感が当然あるので
自分何やってんだろうみたいな罪悪感があるのでそれに対して自罰傾向を持って欲打つ ポジションに入りかけるんだけどひたすら欲打つするだけなので一局のところは
あの 欲打つポジションをワークスルーが全然できないというような言葉がないじゃないですか
それでなんかなんていうのかな世間的な言葉を使うと頑張るみたいになっちゃうじゃないですか ある意味そうなんですけどももう少しその
心理的な構造と見通しみたいなつまりそれは無意識ってものが関係してるんですよね で頑張るってことはやっぱり長寺が的じゃないですか
その頑張る方向の長寺がに対する反抗心ってものが芽生えてくるんですよ この総的防衛やりがちな人の場合
だからパーソナリティ障害っていうのはそこで万能空想に逃げて逃げたっていいじゃん っていうふうに言うわけなんだけどいいじゃんにはあの健康に向かおうという
まあ自我理想とか言ったりするんですけどまぁ長寺が的な話ですよね 結局は社会的な方に向かう適応的な方に向かうっていうことに対する面白くなさみたいな
ものが実はすごく強くて それと万能空想の快楽が合流して突き上げてくるわけですよね
これは私は身に覚えがあるんでめっちゃわかるんですよ なんかもうそっちの方が正しいみたいな気にかし記載してくるつまり
心理的要因の影響
あずま秀夫さんのような漫画家さんで言うと酒飲む方が正しいじゃんぐらいなノリになって くるわけですよ
もうなんかこう面白くないっていう感じなんかはここでこうゴリゴリと漫画書かされる そういう何の言われがあるんだみたいな感じになって
あの自分はこう酒飲む方が正しいんだみたいなそういう校 反発的なある種の子これだから病理構造体って言うんですけど
あのナルシシスティックな集合体なんて言うんだでしょうねあれはね 衝動
あのこう司っている ワールドがあるんですよね
まあでもみんな知ってることなんだと僕は思うんですけど これやるんですよね
これやる時は長時間に対する反発があるんでお説教とかされるとほぼ逆効果になる わけですよ
もう ああいうふうにを説教する奴がいるからいよいよ飲むしかないみたいなそういうノリになって
くるわけですよ これがあの非常に反発的に出る人もいればすっごく大人しく出る回避的に出る人も
いるし私のようにこうなんかパツッと切っちゃう 非常にこう好きぞチックに出る人もいろいろいるんだけど
まあ基本やってることはあんま変わんないんですよね その時酒を飲むのかあのアダルトに走るのか
その人の思考に合わせて様々例えば私の場合8その場合酒だと肝臓に悪そうだから あのビデオにしておこうみたいなそういう中
ように体に気を遣ってる部分とかあったりするんですけども つまり健康な事故でどっかで動こうとするんですけどってことなんですけどね
でその健康な事故に従うのが面白くないんですよねとにかくだから不健康な事故に 従いたくなる
そういう意味で戦暴的なんですよ自滅的なんで自滅がなんかすごい いいことのように感じられてくるんですよね
これがカウンセリングに対して中断するのは当然じゃないですか アウセリングやってれば自分よくなるよくなるためにはこの面白くなさを面白くなさが
苦しさを引き受けなきゃなんだこれを何とかうまく引き受けさせてくれれば多分力量が あるんでしょうけれども
多分ぶっちますもういいもう行くのを止めましたみたいになるというだってその方が 簡単だし
だってすぐできるじゃないですかお金もかかんなくなるし時間も節約できますしね
この陰性治療反応が実現するとですね カウンセラーというものに対する不信感も一緒に残って
8割とそこに なんていうんですかね周りの人としては取り扱いに苦慮する
自体がつまり8持ちこたえられないの行動に表すわけだからその行動がかんばしいもの になることはまず考えられないわけですよ
持ちこたえられないっていうのは仕事に行くのはサボりたい だからサボる代わりにすることなので決してそれが素晴らしいことですってことはまあ考えにくい
ですよね なんかこう仕事に行くのが辛いから代わりにあの
なんだろうな フォランティアみたいな仕事にものすごくせい出すようになりましたっておかしいじゃないですか
そんなことが起こるはずないので普通は酒を酒びたりになるとか 非常にこうよくありがちな行動になるわけですよね
ひたすらビデオを見て過ごすとかもう僕なんか結構ひどいもんでしたから24時間 暗い部屋でそういうのを見て6回ぐらい抜くみたいだね
やばいだろそれっていう感じがするんですけどもうなんかですねやばいことがいいこと みたいになっちゃうんです
非常に盗作的になるんですよだからここに盗作って言葉を当ててくれている 分析の方もすごい私はやっぱり感銘を受けたんですよね
そうはなかなか言われないなんかやっぱり学生としての本文を忘れているとかそういう なんかこうそうなってしまうんですよ
社会の側の言葉しか出てこなくなるんですよね 心の側の表記術ってものがなんか出てこないんですよねここには
だからなんかねこの空撃を1世紀が埋めるってのある意味 無理があるような気もしなくもないんですけれども
多分ここがお説教モードになりやすい非正規と言ってもは非正規と言ってもっていうか 非正規でお説教モードってめちゃくちゃ普通にあるんですけど
なんかでもねここに非正規でもやっぱりこう 商売やってる非正規というのは商売家強いじゃないですか当然
すぐお客さんいなくなるしあの正規の人がどう思ってるのかわかんないけどお客さん には乏しいのでもともと
対外非正規の人っていうのはだからすごくし なんかねうまくいくとラッキーにはまるんですよ
なぜならば教しながら自我指示的結局これってある意味では同じではないけど 近しいんですよね臨床心理の世界
いうことは 偏向な事故に対して当てているそのオカルト的なものっていうのは何だって別に
同じなんですよこっちの方に行けば愛があるとかこっちの方に行けば光があるとか こっちの方に行けばオーラが光ってるとか
こっちの方に行けば霊気があるとか全部 日本的な健康な事故の方に行けって話なんですよね
で説教するとあなたは魂が濁ってるみたいな説教なのかもしれないけどとにかく その
あの長寿が方面に存在する光に向かわないものに対する説教なんだけど 説教一遍等だと非正規に対してもすぐもちろん異性治療反応と同じことになって中断するんで
治療の継続と人間関係
そうすると食いっぱあふれるんで非正規の人必死なんですよ でもあなたにはいいところもあるんだみたいなことを一生懸命言ってくれてこれが
うまくハマるときはハマるの これは自我指示的なんですよね結局でもこれって普通にカウンセリングでやってる時だって近いことになる
はずなんですよねどれほど知識があって訓練を受けてスーパーバイザーが至って ギリギリやることというのは自我指示とそのなんだろうな
介入の 混ぜ合わせじゃないですか
あとはもうその時その時その人の状況に合わせて分分量を調整できるかどうか それの多分目安に逆転位とかを使うって話だと思うんですよ
ちょっと今日は勢い込んであの 言っちゃいけないようなことまで言っちゃってる気もしますけども
一線超えてるなぁみたいな感じが自分で押しますけど あの言ってしまえばつまり思いっきりあの大雑把にかつわかりやすく言ってしまえば
そういうことだと思うんですよね なのでこの陰性治療反応というのは私は
オラが存在のらカウンセリングと言われているものが存在し 正規の人がいなくならない重要な根拠の一つだと思うし
えっとこれをですね そのしっこ逆流させて超能天に達させれると思うマスターベーションできますとか
あの親がずっと覚醒剤やってましたみたいなああいうパーソナリティ障害を取り扱える っていう人ばっかりにならない限りは
必要だろうとやっぱり思うということなんですよね
48:07

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