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ブログ「フライングドヤ」のねざさんをゲストにお招きしました!

ねざさんのTwitter

@nezanezane

NEZAさんのブログスタートとタスクカフェ時代
はい、おはようございます。グッドモーニングボイスです。
今日はですね、ゲストの方をお招きしているのでご紹介しますけれども、
この番組でですね、今日は一応、そうですね、
Good Vibes編ということでお送りしようかなと思っています。
ゲストは、NEZAさんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
NEZAさんは、NEZAさんで活動されている感じですよね。
そうですね、はい。
それも、もうだいぶ昔からですか?
そうですね、はい。
10年以上ですかね、はい。
その、今回お招きしたいと思ったのは、
NEZAさんのブログを見たから、読んだからなんですけども、
ありがとうございます。
いや、あの、あれですよ。
RSSリーダーとかにも登録していますし、
ありがとうございます。
相当間が空いて久しぶりだった感じなんだけど。
フライングドヤね。
あの、あれって、始めてもどのぐらいになります?
だいぶ昔からやられてましたよね。
そうですね、だいたい2011年ぐらいだと思うんですけど。
夏とか冬とか覚えてます?
覚えてないんですけど、ちょうどその頃から、
お仕事で、おうちでお仕事するようになって、
タスク管理に興味持ったんですよね。
それで、ネットで調べて、タスクカフェが出てきたんですよね。
しごたのさんが出てきて、はい。
そこに参加して、はい。
タスクカフェも知らなかったのは当然として、
しごたのほうご存じなかった?
そうですね、全く知らなかったです。
そうなんだ、なるほど。
はい、結構もうGoogleで見つけて、すぐにもうセミナー応募した感じでした。
えー、そうでしたか。
じゃあ、しごたのほう、別に好読していたわけではなかったと。
ではないですね、はい。
で、タスクカフェにいらっしゃったと。
申し訳ないんだけど、それをよく覚えてないんですけどね。
その時に、タスク管理をしたくて、タスクカフェにいらっしゃったんだけど、
ブログを勧められたりしたんですか?
なんか、もう参加してる方、皆さんブログ持ってたんですよ。
それでもうブログやろうよ、みたいな感じだったので。
はいはい。
それで私も、はい、ドメイン取って始めたわけですね。
そうなんですね。
NEZAさんのマレーシア留学時代
で、フライングドヤですね。
はい。
なるほど。
うーん、面白いな。
で、その頃、タスクカフェ、ちなみにそれ渋谷でしたか?
渋谷ですね、はい。
じゃあ結構人いたかもしれないですよね、渋谷の頃って、そこそこ覚えてない?
そうですね、私が最初に行った時は、
ジェイ松崎さんとか、タチさんとか、
はいはいはい。
もういらっしゃいましたね、はい。
人たちに会ったのも、その時が初めてですか?
そうです、はい。
あ、そうなんだ。いやー。
はい、すべての始まりがタスクカフェです。
えー、そういうこともあるんですね。
そうですね。
で、その後タスクシュートとかをお使いになったりしたんですか?
タスクシュートは、私Mac使ってるので、
あ、当時からMacで。
はい。
なるほど、なるほど。
試してみたいけどできなくて、
はいはいはい。
あのー、別のアプリとかでどうにかならないかみたいな。
あー、そういう、そういう帰り方なんですね。
なかなかマニアックなスタートだなーって。
そうですね。
うーん、なるほどねー。
はい。
で、まあブログを書き始めて、でも結構間も空けられましたよね。
まあ今みんなそうだけどね。
そうですね。
あの、書いたり書かなかったり。
うんうんうんうんうん。
その後、まあ僕の目からすると、
ねずさんは突然マレーシアに行かれるという。
そうですね。
何なんですか。
私の中でも突然だったんですけど、はい。
あれ、どうしてマレーシアだったんですか?
どうしてか。
あ、それもあんまり、それほどはっきりした理由はないんですか?
安かったからですかね。
あー、なるほど。
えーと、娘をインターナショナルスクールに入れたかったんですよ。
なぜですか?
英語の勉強させてあげたかったのと、
あと、ちょっとあの、何でしょう、
うーん、コミュニケーションというか、
うーん、そのうちの娘がちょっと大人びてて、
ほうほうほう。
他と馴染めなかったりとか、
そういうのも、まあ少しはあったかな。
なるほど。
馴染めないと、マレーシア。
いや、あの、日本の教育だと、ちょっとこの子伸びないかな、
っていうのがあったんで、はい。
それでまあ、安いところがマレーシアだったんで。
あー。
マレーシアにおける食文化
ちなみにインドネシアとかじゃダメだったのか。
全然道理のいい話なんですけど。
全く考えなかったですね。
ポンってもうマレーシアっていうのが出てきて、
じゃあ見に行ってみよう、みたいな。
でもポンポンポンと、はい、決めました。
周辺に、なんか近くにいろいろ国があるから、
なんかマレーシアであるということに、
なんかこう、そういうもんなんだな、みたいに今思ったんですけどね。
ただ、マレーシア結構日本人に人気なんですよね。
そうなんですか。どうして?
そういうのが結構おいしいですね。
日本食もあるんで。
なるほど。マレーシアでおいしいというのは、
根沢さん、パッと挙げられます。
こう、マレーシア料理で、しかも僕らが知ってるもので。
知ってるもの?
いや、知らなくてもいいです。
これっていうのはないんですけど、
結構チャイニーズ系の方が作ってる料理は何でもおいしいですね。
それは中国人の人がってことですか?マレーシアに住んでる。
中華系のマレーシア人ですね。
なるほど。
それはもう中華料理みたいな感じなんですか?
私たちが日本で食べている中華料理とは違います。
ただ、その出汁の取り方とか、使ってる調味料とかが、
マレーシアでの生活
たぶん同じなんでしょうね。
なるほどね。
どんな料理があるんですか?チャーハンみたいなやつとか。
ヌードルがいろいろありますね。
なるほど。
どのくらいマレーシアにはいらしたんですか?
3年間です。
そうなんだ。何年からです?
思い出せないな。2015年か16年ぐらい。
ぐらいから、2019年ぐらいに戻ってこられたという。
そうですね。
なるほどね。
また行きたくなりませんか?
行きたいですね。
しばらくステイしたいです。
ステイ。
食事は日本の方がおいしいですけどね。
どっちの方が住みやすいですか?
ご飯はおいしい。
どっちが住みやすい?
いや、いっちょいったん。
なるほどね。
希望的にはマレーシアの方がいいです。
それは好きな人はそうですよね。要するにああいう気候が。
冬とか、日本って湿気があるから、
服とかを毎回衣替えしたりとか、
例えば冷暖房とか機器を用意しなきゃいけないじゃないですか、季節によって。
そういうのないんですよね。ずっと同じぐらいなんで。
そういうのわかる。
結構めんどくさい、そういうなんだろうな、
体に直接関係がある単純なことが結構決めたりになりやすいですよね。
そうですね。楽でしたね。
なるほどね。
お金もかからないですよね、あんまり。
なるほどね。
ちなみに、滞在するためには何ビザって形になる?ビザなんですかね?
ビザですね。忘れてしまいましたけど、
おそらく学生ビザとそのペアレントビザみたいな。
そんなものがあるんだ。
ペアレントビザっておもしろい。学生ビザは当然どこにでもあるでしょうけど、
そのペアレントは滞在していいよ、みたいな感じなわけですか。
結構そういう方がたくさんいらっしゃいました。
日本人でも、あと韓国から来てる方とか、親子で。
いいな、それ。
ブログについて
確かそんなビザだったと思います。
ちょっとやりたくなってきたけど、ちょっと難しいな、今となっては。
いやいや、まだまだありますよ。
いけ、いやいけないと思うな。その形にするのが難しい気がする。
だからそうか、3年なわけですね、なるほどね。
高校からは日本の高校ってことになるわけですか?
そうですね、はい。
で、戻ってこられて、戻ってこられてからといってブログを書かれたってわけじゃないんだけど、
あのブログが僕はおもしろかったんですよ。
最新のやつですね、フライングドイヤーの最新記事のやつですね。
はい。
なんかこう、みんなちょっとは思ってるだろうな、みたいなことが、
ネザーさんらしく、なんて言うんですかね、さっぱり書いてあるというか、そういう感じがありまして、
なんて言うんですかね、これはね、脱技術みたいな感じなんですかね。
そうですね。
脱テクノロジーみたいな感じなんですかね。
そうですね、脱テクノロジー、なかなかできないんですけどね。
理想としてはありますね。
すべて使わない生活に憧れはします。
過去のテクノロジー
そのすべてっていうのはどこぐらいまでを言うんですかね。
私も考えたんですよね、どこまでかなっていうのが、自分が子供の頃にあったものだけでいいかなっていう。
あー、なるほど。ネザーさんが子供の頃には当然カラーテレビはあったとして。
まあテレビ見ないんで、テレビはなくてもいいんですけど、その家電とかはもうある程度あって、
だけどそのパソコンとか要はインターネットってなかったんですよね、あと携帯もなかったんで。
レジカメはあった?
レジカメはなかったんじゃないですかね、ないですね。
本当に小学生ぐらいの頃はなかったと思います。
なるほど。パソコンもなかったですか?
パソコンはうちにはあったんですね、小学生の時に。
親がそういうお仕事でいるので、ただ一般的にはなかったと思いますね。
あー、そういうことですね。そのラインという感じですかね。
そうですね、その読んだ本が、僕はテクノロジーを使わずに生きることにしたという。
この人すごいですよね、なんか電気を使わないんでね。
そうですね、電気もそう、電気を使わないっていうので、そこまではできないなっていう。
電気外したらすごいですよね。
すごいですよね、もう本当にサバイバルな感じになってくるので、そこまでじゃないんだよなっていう。
そうすると、やっぱり自分が覚えてる子供の頃も十分楽しく生きていたんで、それぐらいだったらできるかなっていう。
そうですよね、うねざさんが子供の頃より、僕が子供の頃はもう少しあれですからね、もう少しないですからね。
そうですか?そんなに変わらなくないですか?
まあ、そんなに変わらない。でも僕がうんと小さい頃は結構違いますよ。
そうなんですか。
だってうち、白黒テレビだったもん。
あー、なるほど。
あの時期は、しかも電話は電話なんだけど、電気がギリギリしかない電話って言ってわかんないかな。
わからないです。
なんかね、コンセントに挿してないんですよ。電話線からの電気だけで機能している電話ってあったんですよね。
なんか、ギリギリギリギリギリとかいう音が鳴るやつ。
え、こう回すやつですか?
回すやつ。
はいはいはい。あれはありましたね、うちにも。
あれ、あれと白黒テレビと、本当に僕が3、4歳の頃はそうだったんですよね。
だから何にもなかったですね。
でもテレビゲームというものはあったんですよね。
あったんですか?
あった。でもファミコンはなかったんですよ。
あ、そうですよね。
なんかもう微妙な、テレビゲームってこれ、あれ当時あれに熱中できていたのは何だったんだろうって思うぐらい、なんか四角とボールが出てくるだけのゲーム機でしたね。
えー、そんなのあったんですね。
あった。白黒テレビに繋がるんだから、そういう世界。
あー、すごいですね。
時代の変遷とテクノロジーの便利さ
でも繋げるのに、なんか5時間ぐらいかかってたような気がしたんだよ。
そんなに?
もうだって、なんか始められないんだよね、とにかく。昔のものって。
あと、生まれつつものがありました。
あー、各家庭にあったんですか?
そうそう、ある家庭にはあったみたい。でもありましたね。
生まれつつに虫が、虫が湧くんだよね。
その虫をなんかこう、戦うみたいなことをやっていた記憶がありますね。
あー、それは私の時代にはなかったかもしれないですね。
もうちょっとですよ、ほんのちょっとここから。
ほんのちょっとなんですね。
そう、一気に変わっていくんだよ、ほんとに。
確かに。電子レンジとかはあったんですかね?
ありました。ありましたし、あのね、壊れないんですよ。
あ、昔の。
そう、あの、ごく単純な機能しか持ってないから、ほんと壊れないんですよね。
私にあった電子レンジ、僕が4歳の時のやつが、今じゃありえないようなデザインなんだけど、
40年ぐらいは生きてましたね。
わー、すごいですね。
それはもう、世界の人がね、日本の製品欲しくなりますよね。
まあ、今だったらあれじゃ絶対売れないと思うようなものなんだけどね。
ほんとに不思議な時代でしたよね。
そういう頃に戻りたいって感じですか?
戻りたいっていう気持ちではないんですけど、
自分のどこまでテクノロジーを排除できるかって考えた時に、電気は欲しいなっていう。
排除できるかってことは、排除したい気持ちがどっかにあるって感じですよね。
そうですね。そうなんだと思います。
それはどんな意味で良さそうな感じがします?
どんな感じでってことなの?
世の中知らないこと、知らなくていいことがたくさんあると思うんですよね。
そもそも私、ニュースとかも好きじゃないんですよ。
自分にしか興味ないっていうか、自分と自分の周りにしか興味がないので、
どこで何が起こってるとか、それは知らなくても、知ってても知らなくても、私の生活そんなに変わらないなっていう。
情報ってそんなに必要かなっていうのはありますね。
昔は新聞というものが、今もあるんだけど、
すごいなんかこう、生活に食い込んでたなって今思うと感じますね。
そうですね。
今はそうですね、私新聞撮ってないんですけど、どちらかというと新聞の方がいいのかなって最近は思います。
どうしてそう思います?
リンクとかないじゃないですか。
アナログですからね。
何か一つのニュース見てて、関連のものが出てこないので。
そうですね。
こんな記事も読んでますとか言いやすいですね。
そういうのないので、集中して欲しい情報だけ取れるっていうので。
僕が新聞ってもので、今もよく覚えてるのが、
苦労話とライフハック
ある意味あれも良し悪しだなと思うんだけど、
世の中の出来事に対する重み付けを勝手に向こうでしてくるんだよね。
なんかね、よく覚えてるのが、大観光空機撃墜ってのがね、一面ぶち抜きだったんですよね。
何かそして、黒背景とかになってくると、すごいことが起きたぞっていうことをね、
あの頃そういう、あの時代って米蘇冷戦で、核戦争が起きたらみんな死んじゃいますみたいなことを盛んにテレビでやってたから、
なんかああいう黒いやつは、何て言うんだろうな、映画みたいな印象がありましたね。
そういうのがすごい覚えて、あと昭和天皇奉行もすごかった。
その頃に、私は新聞なんて読んでなかったですね。
小っちゃかったのかな。
何て言うんだろう、一面を見ると、その日の世の中の衝撃度が変わるみたいな。
普通の日の一面のレベルはこうだけど、この日の一面のレベルはこうだ、みたいな。
確かにそういうのありましたね。
今は全然ないから、何か本当僕の世界にはないからね。
世の中の色を新聞が決めるみたいなのがあって。
確かにそうですね。今これが一番のニュースなんだっていうのが一面ですよね。
勝手に向こうが決めちゃうんだけどね。
そういう時代だったから、そういうのがすごいあったなっていうのをよく覚えてますね。
そうですね。
その時代前後ですよね、ネザーさんがおっしゃって。
そうですね、きっと。
便利なグッズっていう話ですよね。
佐々木さんはそういうのないですか?
無くはないですよ。無くはないですね。
諦めかけているっていう、昔の方があった気がします、僕は。
割と極端な人的なんで、決して向いてるわけじゃないんだけど、
サバイバル生活的なものに憧れるというのは、昔の方があった気がしますね。
あったんですね。
ありましたね。
意外です。
そうですよね、ある意味ではね。
でもね、なんかこう、ここも難しいんですけど、
私、もともとライフハックとかが好きなんじゃないですか、
それって今思うとなんですけれども、
デジタルにどんどん移行した時って、めちゃくちゃ不便になったんですよ。
そうなんですか。
1980年の最後か90…違うな、90年の最初ですね。
このタイミングで僕はちょうど大学から卒業して、
なんかこうね、一気に不便になったんですよね、急に。
不便になったなっていうのを僕は感じたんですよ。
でも、こう乗り越えれば便利になるからっていう、そういう意識が芽生えたんですよね。
だからライフハックが好きになったんですよね、そういう面があったんです。
その90年になるその頃っていうのは何が変わったんですか?
小物の先端と最近のテクノロジー
まさにパソコンが普通になってきたんですよね。
ちょうど普通になってきた、パソコンが。
で、携帯はなくて、携帯はギリギリあったけど、
いわゆる携帯は電話しかできない奇妙な機械で今から思うと。
で、デジカメもちょうど出てきたんですよ。
で、当時一番世の中で小物で最先端っぽい物でみんなが持ってたのは、
ソニーのウォークマンとかだった気がするんですよ。
あの時代なんですよ、あの時代僕はね、すごい不便になってきたなっていう意識が入ったんですよね。
ちょうど社会人になる頃でしたね、なる直前ぐらいかな、
1993年、4年、5年、6年、Windows95とかの発売。
95ぐらいの時ですか。
そう、発売される直前ぐらいのね、Windows3.1とかいうよくわからないものがあったんですよね。
本当に僕はあの時代は不便だわって思った記憶があったんですよね。
例えば記憶媒体がやたらいろいろ出て、ものすごく不便になった気がしたんですよ。
なんか変換機っていうものが、僕ちょうどですね、秋葉原でその変換機を売る人だったんですよ。
そういう仕事してた時代があって、なんて不便なんだろうって思いましたね。
ただ変換するだけなのに、しかもなんで変換しなきゃなんないのかもよくわからないのに、
ひょうけんめんみんながね、こう、なんかね、当時PDっていうものが出てきたんですよね。
PD。
もう今全く消えてしまったんだけど、あったんですよ。
そういうブルーレイの、例名のブルーレイみたいなのがあって、
DVDが出たぞってころで、で、MOってのもあって。
MOは覚えてますね。
あとZIPってのがあって。
ZIP。
そういうね、ちょうど1枚で100メガですとか、そういう非常に、今思うと中途半端なものが出てたんですよ。
で、みんながCD-ROMに何倍速とかで焼く競争をしていて、
結局、だから、何にとっておけば最終的には、ダメなものは消えちゃうんで。
世の中に頼らないから、消えちゃうんで。
だから、大量のディスクを、データを移したとしても、それがなくなっちゃうと、今度書き出すこともできないじゃないですか。
そうですね。
そういうことがあった気がします。
それでもう本当にみんながてんやもんやしていたんですよね。
確かにすごい、いろいろ変わっていった時代ですよね。
そうそう、その時代。
で、不便だったんですよ。
なるほど、それを不便だと。
感じたんですよ。
なぜかというと、僕はそれらを使いたいと思ってたから、全部持ってた口なんですよ、割と。
で、秋葉原でバイトしてたのも、それは見入りが良かったんで、そういう仕事って、
当時は割と人が少ない割に需要は多かったんで、
しかも高いものだったから、バイト代とかでも仕事としても良かったんですよね。
全部持ってたんです。
でも全部持つとすごい不便なことになるんですよ。
確かにそうですよね。
レジカメ持って、ウォークマン持って、携帯持って、ガチャガチャっていう感じになるんですよ、ポケットの中とかがね。
はいはいはいはい。
そしてできればパソコンも持ちたいみたいな。
持ちたい。
なんでこんなに、毎日3キロぐらいで荷物大量に持ち歩いてるんだけど、別にどれも使わないみたいなことが頻繁に起こってたんですよね。
すごいですね。
そうなんです。それで、新しく写真を撮ったら、すかさずCD-ROMに32倍速で焼く。
当時はでも、僕持ってたのは8倍速とかだったから、えらい時間かかったんですよね。
遅いですね。
そして、それは今どこに行くったのか分かりもしないんだけど、そういうことも起こったわけで、えらい不便だな。
テキスト通信の時代
でもここを乗り越えれば、きっと一つにまとまって便利になるからっていう、そういう期待感が僕はすごく自分をライフハックっぽくした。
なるほど。
その時代に。
いつかこう8個の機械が1個にまとまるんだみたいな。
まあただ、今iPhoneになってないから。
iPhoneになりましたね。
当時僕は多分ね、8個持って歩いてたんですよ。それも、どこに行くのでも持って歩いてたんですよ。
すごいですね。
いや、なんかね、持ち歩かなければ、なんかなんだろうな、何かを逃してしまうかもしれないっていうふうに思ってて。
だから、鳥とかが飛んだら、レジカメで撮るみたいな、そういうことをしなきゃいけないと思ってたから。
しなくてもよかったんですけど、郵便局とか行くときも必ずポケットには入るかどうか微妙なレジカメを持って歩いてたんですよね。
あったんですね。
そうなんです。
全部期待してたんですね。すべてのものに。
その、こういうふうに世の中は絶対動くだろうみたいなのがあったので。
だから、僕は新聞とかも意識してもうやめて、当時パソコン通信みたいなものがあったんですよね。
ありましたね。
あそこからテキストを、いろいろやりましたね。
テキストとしては、モバイルギアみたいなものに入れるとか、縮小コピーするとか、
今思えば何のためにそんなことまでしなきゃいけないのかよくわからなかったんだけど、そういうのを読みながら秋葉原に行くのがいいみたい思ってたんですよね。
オンラインコミュニティ
なんか私はそういう機械っていうか、どちらかというと、そういう機械を使って人とつながることの方が楽しかったんですよね。
僕ね、そこを全く意識できなかったのが一つと、
当時はつながる手段そのものがなかったこともあって、
そうですね。
つながる方法についてはちょっとまだ全然検討、まだネットなかったからね、インターネットがいわゆる。
そうですね。
だから私、高校生の時にちょうどポケベルが流行って、
そうですよね。
それでやっぱりつながるっていうのがすごく楽しくて、その後はニフティとか、パソコン通信でこう掲示板に書き込んだりとか、
インターネットがちょっと普及してきた頃は、英語のチャットルームに入り浸ってましたね。
えー。
英語できなかったんですけど、ただもう嬉しくて、どこか遠くの国の人と話せるっていうのが嬉しくて、
もうだいぶ大昔の話ですけど。
ニフティ通信、ニフティサーブとかそういうやつですもんね。
はい、そうですね。
僕もそのアカウントつい先日でもないけど、割と最近削除したんですよね。
最近まで。
パソコン黎明期の趣味
最近まで、なんかどこかが引き継いで存在していて、しかもなんかこう密かに調べたら定期的にお金まで落とされていて、
すごいこう借りるとせずに削除しようと思ったんだけど、
すごいですね。何十年も。
そう、何十年も。そもそもアカウントがどれだかもわかんないし、パスワードなんかも無論わかんないし、
もうしばらく放置していたものがありまして、非常にびっくりしましたね。
すごいですね、それは。
そう。
やってましたね、だからそういうこともね。
そうだな、でも、だから便利になるだろうと思っていたからなのであって、別に、
そう?
なんだろうね、あれはね、なんかこう、そういうふうにしたかったんですよね。
すごいですね、私単純に便利になったなっていつも思ってましたけどね。
そんないろいろ持ち歩こうっていう気はなかったんで、単純にパソコンっていうのは、
もう一番最初私触れたのは本当にDOSとかなんですけど、
はいはいはい。
父が教えてくれて、こういうことができるんだよっていうので、すごいなみたいな。
その問題なのは何がすごかったんですか?
当時DOSでできたことが便利だったとすると。
単純に機械がすごいと思ったと思うんですけど、
小学生ぐらいの時に小説を書いていて、もうお遊びですよ、
自分のクラスメイトとかが出てくる小説をパソコンで書いたりとか。
出ましたね。
実は全く同じことを僕もやってたんですけど、それはDOSがなかったから、
FBASICっていうやつで、
なんていうのかな、カタカナしか出なかったんですよね、当時ね。
すごいですね。
だからカタカナで、なんかこうあれですよ、
単純みたいなもので書いてましたね。
電報みたいな。
電報みたいな感じですね、カタカナって。
漢字を出すっていうのも結構困難だったんですよね、まだね。
高いお金を払えば出せるんだけど、でもなんか字がでかくなるんですよ。
4倍書くぐらいでかくなっちゃうんですよね。
そうしないと解像度上の関係で漢字にならないですよ、潰れちゃうっていう感覚。
でもそれって、おいくつぐらいだったんですか?年齢的には。
僕は10歳、11歳ですね。
その時点でもうお持ちだったってことですか?
持ってました。
すごいですね。
すごくはないんだけど、まあまあそういう感じだったんですよね。
FMなんとかだったよ、セブンかな。
まあ、富士通ですよ。
富士通ですね。
富士通です。
富士通すごいですね。
そう、なんだかんだ、なんで富士通かも当時はわかってなかったからね。
でもあれは便利だったのかどうかは相当、だって僕がやるようなことは別にやらなくてもいいようなことばっかりでしたから。
確かに、確かに。
あと、僕があの時代にものすごい根を詰めてやってたのが、ベーシックを使って曲作るってことをやってたんですよね。
それも意外ですね。
そうですね。僕は別に作曲がしたいとか思ったわけじゃなくて、機械音というものを使えば、
要はほら、僕だから当時からなんですよね、人付き合いっていうのが苦手だったんで、
一人で全部できちゃうということにすごい熱心だったんですよ。
だから合奏ができるなみたいな感じで。
確かに。
でも当時は、FM音源は最大60層までなので、
60。
和音が6つ同時までしか出せないってことなんで、これまで。
なるほど。
しかもまともにそれっぽく聞こえる、いろいろな音色なるものあるんだけど、それっぽくは聞こえなくて、
ピアノがギリギリピアノっぽいかなみたいな、一番らしく聞こえるのがオルガンだと思うんですよね。
結局機械音に近いんですよ、だからね。
で、オルガン曲ばかりを作りました。
すごいですね。
バッハっぽい曲を作るみたいな。
もともとピアノか何か。
ピアノはやってたんですよね。
なるほど。
でもそれはもう本当に僕は全然熱心にやってなかったんで、バイエルをやっと終えるのが精一杯みたいな子供だったんですよ。
なんかこうバッハは好きで、ずっとバッハ聴いてて、なんかバッハっぽい曲を作ろうみたいなのをずっとやって、
でもそれもやらなくていいかなって。
便利になったって言っても何か便利になってんのかなっていう、そういうことはやってましたね。
でも便利ですよね。
まあ確かに、それはそうだ。
だってそんなことはできないわけですからね、なければね。
そうなんですよね。
そういうことをすごい、なんか狂ったようにやってましたね。
狂ったように。
だって夏休み全部それやってたような気がする。
すごいですね、意外ですね。
意外かな。
意外かな。
データ保存の小ワザ
でもなんか僕はそういうことを数年から、もう5、6年前多分やってたから、
多分昔の僕を知ってる人は全然意外とは思わないんですよね。
結構やってたんですね。そのデータはもう残ってないんですか?
ないないないないない。
データも何も、何もないですよね。
当時はフロッピーディスクに残してたんだけど、あれだって128キロとかソウルぐらいしかなかったから、
僕が作った程度の曲でも1枚がいっぱいに、そもそも128全部空いてないんですよね。
なんか他のもので埋められてるんですね、最初から。
そうですね、はい。
なんかそういう世界、だからほら2枚刺すところがあるんですよ、ガチャンガチャンとかって言って。
あーそっか、あーなるほど、それで2枚刺すんだ。
そう、片方でなんかOSっぽいものが起動されて、もう片方にデータを入れておくみたいな。
それではい、FBASICでなんかこう家計のソフトを作ってみたり、そういうことばかりしてましたね。
すごいですね。
すごくはないって。
私そんなの全然思いつかなかったですね。
プロダクティビティに苦しむ時代
だから便利ではないと僕は当時やっぱ思ったんですね。便利にしなきゃみたいな、そういう意識がなんかこう圧迫を自分にかけていたという感じはあります。
これで絵を書いたり文章を書いたり、家計のソフトを作ってみたりして、なんとかこれを便利に使わないとみたいな。
そうしないとこうパソコンのためにこれを使うことになっちゃうみたいなのが、なんか自分の中であったんですよね。
これで何か現実のことができなきゃダメだ。
私多分もっと後の時代になってそれを思ってたかもしれないですね。
だから無謀な感じで何もできなかったんですよ、実質的には。
いやでもいろいろ挑戦してきたんですね。
そう、挑戦はしたんです、一応ね。
びっくり。
そうですか、なるほどね。
まあまあそんなわけで、だから今脱ってのが面白いなと思ったんですよね。
僕はそういうのを目指したんですよ。目指したんだけど、一応こう僕がやったわけじゃないけど、到達したわけじゃないですか、僕たちの。
そうですね。
8台の機器を持ち歩かなくても1台で済むようになったし、さっき禰豆さんがおっしゃってたみたいに繋がるとかも普通にいくらでも好きなだけできます。
そうなんですよね、はい。
作曲もあんなにね、D8とかB92とかやんなくても全部できるわけですよ。
僕は5000歩書いてそれをデータに直すっていう作業をしてましたからね。
わーすごいですね。
1日がかかるんですよ、だから1曲作るのに1年とかになっちゃうんですよね。
すごいな。
それであれですからね、春の小川ぐらいの曲しか作れないので、長さ的にね。
そう、だから今の人が羨ましくもあるんですよね、多少。
あーそうっすよね。
私がアナログでやっていたことを、今の人たちが簡単にデジタルでできるんだなーっていうのがありますね。
10倍速ぐらい速いですもんね。
いやーもう便利ですね。
中学生ぐらいの頃に、お友達が声優さんとかが好きで、私も一緒になって声優さんとかを追ってたというか、アニメとかも見ていて、
自分たちで物語を作って、ボイスドラマを作ろうってなったんですよ。
あーなるほどねー。
それで何人か集まって役決めて、セリフとか言うんですけど、
その時に、じゃあ何で録音するかって言ったら、カセットテープだったんですよね。
そう、そうなる。
そうなんですよ。で、ちょっと本格的だったんで、効果音とかBGMとかも流したいってなって、
その効果音だけ入ってるCDとかを買ってきて、別のラジカセがまた必要だったんですよ。
そうそう、そうですよね。
で、こっちではこれをかけて、これをここでかけてとかっていうのを、ほんとアナログでやってたんで、
なんか今それ簡単に編集できちゃうじゃないですか。
遠く離れてても、一緒にやってるかのようにもできちゃうじゃないですか。
今まさにやってますからね。
そうなんですよね。
だから、いいなーって思いますね。
確かにそうですよね。
でも、ないところでどうやったらできるかって工夫していくことってすごく楽しいじゃないですか。
そうなんだよね。少なくともあれは楽しかった気がするんですよね。
そうなんですよ。すごく楽しいんですよ。
それが今だから、少ないなって、もう簡単にできちゃうんで。
そして簡単にプロっぽくなるところがまた。
そうなんですよ。なんか面白くないんですよね。
うらやましい反面、面白くないなとも思いますね。
なるほどね。
なんとなく、どこにまとまるわけじゃないんですけど、こういう感じでいいかなっていうふうに思ってます、今日はですね。
多分こういう感じになるんじゃないかなと思って始めたんで。
そうなんですね。
結論があるわけじゃないんですけどね、どっちにしても元に戻るわけでもないですしね。
ただ今ので思い出したのは、カセットテープって何個も買って随分高かったなっていうのを。
デジタル時代の恩恵と副作用
そうですね。
TSUTAYAからCDを借りて、カセットに落としては、それをウォークマンで聴くってのをやってましたね。
やってましたね。今の人も何でも聴きたい曲聴けるじゃないですか。
そうなんですよね。すごいことですよね。
そうだから、昔は結構お気に入りのアーティストだけを追ったりとか、それぐらいしかできないじゃないですか。
いろんなものは聴けないんで。
でもやっぱりうちの娘なんかは、Spotifyとかでいろんなの聴くんですよね、本当に。
そうですよね。
ジャンルもいろいろ。
だから、お気に入りのアーティストはいないって言うんですよね。
なるほどね。
そんな曲で結構選んでたりとかして。
これも意外とか言われるかもしれませんけど、僕は渡辺美里だったんですよね。
へー。
全然なぜなのか、今思うと説明ができないんですけどね。
バッハと渡辺美里なんですよね。
バッハと渡辺美里ですか。
全然手がないんですよ。
私、モーツァルトと何だったかな、覚えてないですね。好きだった。
モーツァルトはむしろ僕は大学の頃、その頃はもうね、そんなダウンロード、ダビングとかはしなくなってたんですよ、さすがに。
CDで聴けたし、車で動くようになってたから、CDではどうして聴けないかというと、音飛びしたからなんですよね。
移動中のCDは無理だった。
だからカセットにしてたんだけど、車になってからそういうことをあんまりしなくて済むようにはなった気がしますね。
でもそれはあんまりデジタルの話関係ないんですよね。
でも昔レコードってありましたよね。
アナログ時代の音楽と選曲
ありましたね。
レコードは車じゃ絶対聴けないから。
そうですね。大きいですもんね。
大きい。レコード小さいサイズもあったんですけどね。
ありましたね。
でもあれはなんか、漫画日本昔話の録音がしかなかったような気もする。
そうですね。私もなんか子供の何か雑誌についてた付録とかで、赤いのとか。
赤いのね。
赤いの。自分ではまだ小さかったんで、自分で針を下ろしたりとかはしてなかったと思うんですよね。
僕はね、あれも何度かしてたんだけど、でもあれは針を下ろさなきゃならないし、突くんだよね。
だからCD出たときはすごい感動しましたからね。
感動しましたよね、CDは。
あの、MD出たときも感動しましたね。
感動しました。でもあのMDは僕は結構、なんて言うんだろうな、お金を無駄にした感のある世界ですね。
テクノロジーに満たされる現代社会
あーそうですか。確かにそうですね、あそこからどうにもならないんですかね。
あそこはどうにもならないし、あれもね、圧縮をかけてCD5枚も入るとかそういうことをやってたりしたんですけどね。
そっか。
はい、なんかこんな感じで今日はいいかなと思いますので、どうもまたそのうち一緒に収録できたらいいかなと思います。
はい、ありがとうございます。
はい、ありがとうございました。
じゃあ今日はこんな感じで終わりにします。
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