YouTubeでの情報発信と記録の限界
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1322回をお送りします。
2月24日火曜日7時53分です。 お知らせというほどのものではないんですけど、YouTubeの方でですね
3チャレとは何かとか 私がアトピーをどうして精神分析で対応しようとしているのかとか
ましていたのかとかかな、いった話を 完全に無料でただただ
ミニセミナーみたいにしてガンガン流しているので まあよろしければ興味ある方はですねご覧いただければと思います
なんて言うんですかねあれはね、今のうちに喋っておかないと完全に思い出すことは不可能になるんじゃないかと
完全に思い出すことなんて不可能ですけど、でもまあ本当に やっぱり良心を見ていてですね
いかん記憶というものは生きてるからって残り続けるもんではないと でよく言うじゃないですか記録を残しましょうって
私は論外だって最近本当に思うようになったわけですね 記録に残っているものなんて何もないんですよ
僕の感じでは なんと喋って動画を残せばだいぶマシですが
それでもアトピーだった時の記憶なんていう記録なんてものは残しようがないんですね 今日は少しその話をしようと思うんですけど
記録を残さないことの重要性と誤解
残るわけがないなって思うんですよ アトピーだった肌が痒かった書いた嘘ばっかりなんですよ
一つも本当のことではない第一私は 痒かったから書いていたわけでは決してないんでね
全然残らないのですねでそれは描写の正確さとかではないんですよ そういうものでは全くないなっていうことを最近思い知ったんですよ
とはいえ記録というのは残さないわけにいかない部分もありまして 本当にそれはややこしい問題なんですが
それでもですね最近になってとにかく記録を残さないということが大事だと思うんですが 一方で記録を残さないというのは記録を残すというのと同じぐらい
あっさり誤解されるんですよね この辺の話も
なんかこう日常の言葉になってないんですごくあからさまに当たり前のことだと思うんですけど てかあからさまに当たり前のことなのですが
それが説明が難しい なんかタスクシュートで仕事が進む話とちょっと似てくる
なんでもそうですねなんかこう過度に正確性を競うとするとこういうことが起きますね まあ仕方がないことだと思いますいずれにしても今お知らせとして youtube で喋っているんで
認識の反転と対偶の思考
まあ気になる人は見てくださいと で私合わせてですねあの
このアトピーの話をするようになって わかってきたことなんですけどもうとにかく
すべてを すべてなんて言うんですかねまあ
なんつーのかな考えまいと思ってるんですね今ありとあらゆることのについて これは反転できるパースペクティブちょっとなぁこれすぐわかんなくなるんだよな
8ルビンのツボと向かい合う顔なんですけどもこれなんですがものの見方というのは あの
我々はコンセプト抜きでは見ることができないんですね だから
その2カリロンっていうのが待てブランコの2カリロンっていうのがね 非常にいい話の沼月くん様さんがですね
たしてる例も悪くはないんですけどあのあなたはお父さんがなくなって悲しいんでしょう っていうと相手が怒りだして俺に悲しめというのかみたいなことを言うと
これもっともなんですよねあなたがお父さんがなくなって悲しいんですねって言うってことは 聞きようによってはですよ
だから反転できるパースペクティブなんですけれども企業によっては8 両親が死んで悲しくないと思ってる
俺は人出なしだというのかとかねいくらでもできるじゃないですか 対偶を取るみたいな感じかなあの私これウェインの4枚カード問題を思い出すんです
けど あれですね k の後ろにはボインがあるみたいなじゃあボインの後ろにはあのキスがある
みたいなでどれとどれをめくればいいと思う いいかみたいな問題ですねああいう対偶っていう考え方を取るとでそれって普通に
考えるとありえないじゃないですかわざわざ対偶を取るとか裏を読むとか でも我々人間関係ですぐそれやりますよね
あのありがとうございました丸ってあまるで終わったってことは私はあの なんかこのメールでは嫌われているに違いないとか何とかそういうことをやり始めるじゃない
ですか 丸打った方はあのもしかすると自動入力で丸打ってるだけなのかもしれないのにそういう
こう裏を読むしかも必ずそういう時にはネガティブな裏を読もうとする ネガティブに対偶読もうとすればもはや世界の全メッセージはネガティブに読めるわけですよ
それをだから幻覚症による a 変形による転移みたいな言い方をしているのも専門用語をガチャガチャ出して
ますけれども それはなぜかというとこういうふうに回言っておかないとですねこれは何の文脈で出た出た話の
わけわかんなくなっていくからなんですよね 話が常に散逸するのがこのポッドキャストの特徴なんでこれを聞いていらっしゃる方はこの話が常に
散逸するものは好きだってことになるわけですよ そんなつもりはないってことになるかもしれないとこれが対偶で相手に言いがかりをつける
時の一つのやり方なんですよ私はこれを今 事例で示したつもりでいるわけですね
口が考えて喋るポッドキャストの特性
わかります何を言わんとしているかわかりにくいですねこれではね私もこれがうまい事例だとは 全然思ってないんですけど何しろ眠いんで口が喋るのに対して思考を後から
覆わせるみたいなやり方なんだ このポッドキャストで本当そうなんですよ僕1000回以上やってきてわかってきたことは
基本的に口に考えさせているわけですね頭は何も考えてないんですよ だからこんなに早口で喋れるというふうに私自身は思ってるんですけど
さほどのいいよ飲みもなくですね 考えさせている感覚なんですよそれは脳が考えてるに決まってますよ当たり前です
けれども脳が考えたものを口から出すって言うんでは こういうふうには喋れないなって感じがするんですよ
今とにかくねっいいんであのねー 5時50分に起きて娘を送ってきてゴミを出した後にこれ喋ってますから
これを喋り終わったら即座に寝るっていう状態なんで何にも考えられてないんですね 私の頭ではまともにはだから基本的に本当に口の音
あのなんかエクボできるあたりあるじゃないですかあの辺が考えている感じで喋っている わけですよ
そういう時が一番なめらかに出てくるんですね だから当然何かを用意しているとかノートがあるとか論外なんですよ
ノートを目で読んでいたらもう全然口は考えてくれないわけですね この感じってあるんですよ
たぶん右脳がとかっていうことにどうしても脳でねいきたいということであれば右脳がって ことになるんでしょうね
今ちょっとマトリックスを思いついたんですけどちょっとここはねとっておこうって言っても無理な 口にはね記憶力がないんですよ
残念ながらだから思いついた順に喋っていくより他仕方がなくて意外とその順番が良かったりも するんですけれども
とにかくそういうことなわけですね ものすごく多弁でしょう私ここの中で誰かと会話しているわけでもないのに
全く途切れることがないじゃないですかこれは口が喋っている口が考えている 口が動くに従って動かしているからこういう風になるわけなんですね
通常でこれをやったら多分割と鬱陶しくて騒がしいだけのやつになっちゃうと思うんですけど 通常私一応頭で考えて喋ったりしますから
だからつまらなくなると思うんですけれどもね あのまた3ヶ月チャレンジのセッションは別なんですよ
あれはこう情緒で喋ろうと一生懸命頑張っているのでこの速度に比べると多分1 8分の1ぐらいまでは落ちるんだ今8って何で出てきたのか私は
わかんないんですよ 測ったわけでもないくせに1 8分の1っていう数字が出てきたんですよ
こういう感じなんですよねでも出てきたのはどこかというと口なんですよ 頭に8っていう数字は全く思い浮かんでないんですね
8という数字を頭に思い浮かべてからそれについて読むってことをやるとおそらく本当に 8かっていうそういう突っ込みが頭の中で入っちゃうから言い淀むはずなんですよね
それが起きないというのはつまり口が考えて喋っているからということに必要なるわけです 私の表現を使えばですね
まあ youtube お願いいたします で本題に入って今までのは前置きですからね
マトリックスと現実認識の欺瞞
何をどう前置いたのか youtube のこと喋ったなぁ以外は何も覚えてないんですけど私の 頭はてか私の頭今何も覚えようという気がないんですけれどもね
8口が喋っておりますで今しから話したいことを話したいことはないんだけれども何も ないですよ頭の中には話したいことはないんですけれども
そうそうさっき言ったノートを取りたくないとその前にマトリックスの話しましたね私 あのマトリックスってすげーひどい詐欺だなって思うんですよ
あの作品あの作品は意味が先にあるじゃないですか それがそもそもものすごくおかしいわけですよ
現実というものがこの世にあるというのであればね あの世界現実が一応あることになってますから何もないとはいうふうにはあの
描かれてなかったですからねどういうふうに見たとしてもですね 何かはあるわけじゃないですか
その意味が先にあるということ自体がおかしいし それに社会的な意味が付与されているのはいよいよおかしいと思うんですね
いやそれはあなたその映画だからいいんですけど あなたそれ映画監督の意味付けを人間すべてに押し付けようとしてるじゃんっていうことになるわけですよ
天球天空に黄色い光の玉があるからってそれを太陽だと認識すると誰が決めたんだって ことなんですよね
みんながそう言ってるじゃんって言うかもしれないけどそれは人間勝手にそう言ってるんだって 他の動物に聞けば全然違う答えが返ってくるかもしれないわけですよ
我々は社会的認知をもって真実の代わりにするっていう離れ技をやってのけてますから 例えばだからよく言う交差点に入ったらそこを交差点だと認識しちゃうじゃないですか
私たちはそれができなければ車の運転でできないんですよ でも交差点でどこから入ってるんだよっていう交差点の形なんて一応じゃないですからね
4サローばっかりであるわけじゃない5サローも6サローもあるわけでなんなら3サローもあるわけで でそういったものは全て交差点なんだけどその交差点はどこから始まっているのかっていう
定義という定義はあるのかもしれないけど多分定義なんか意識している人はほとんどいないと思うん ですよ運転中にしかし交差点に入りますよね
我々は絶対そういうことはあるんですよ 交差点前後5メートルには駐車にしては駐車違反になるっていうのも当然なんですよ
めちゃくちゃ危ないんでああいうところに車止まってると止めちゃう車はありますけどね でもとにかく危ないわけじゃないですかこれは運転手ならみんな知ってるはずのことなんで
概ね知ってるはずのことですね つまり交差点とは交差点であるというのを
if にマトリックスみたいに信号で全員同時に10日に出すということで成立させるということが本当に できるというならばこの世に統合失調症の人は誰もいなくなるんですよ
一体マトリックスで見ている現実を見ている人たちとマトリックスの中ですら統合失調症で 幻覚を見ている人どうやって作り分けるのかってことですよね
幻覚と空想は違いますからね幻覚と夢も違いますからね 夢の例えばマトリックスの世界で事実上夢をみんなが見てる集団で夢見てるわけじゃないですか
しかもその信号はなぜか1個みたいなところがあるわけじゃないですか 2人の人間がいて共通認識を持つということは同じものを見ているという前提に立っているわけ
ですけど あのマトリックスの世界では完璧に同じものを見ちゃうじゃないですか
一人一人の異なる主観というものがない世界ですよねすべての人が同一の意識状態で 生きているようなところがあるわけだから
つまり意識というのは信号によって作り出されるものだから で我々の現実世界というのは多分ああじゃない
つまり現実というものはほとんど意識に入ってこないはずなんですよね 無視されている現実がほとんどですよね
あのマトリックスの世界って無視されている信号ってものがない感じの世界だと思うんですよ
感覚の主観性とアトピーの再定義
であの我々は目は重要機関だと思っているし 鼻も口も耳も重要機関取り込む機関だというふうに考えてますけれども
まあそれが逆転すると幻覚が見えるってことになるわけですけど 幻覚ってそうですね心の中にあるものをある意味目を通じて外の世界に
映し出してしまう まあこれから投影なんだけど作り出してしまうと幻覚になるわけですね
ということはつまりあれですよ あのプロジェクションマッピングっていうのかな
あの プレゼンテーションするときにスクリーンあるじゃないですか
あのスクリーンがあれば投影なければ幻覚なのかなって感じがするんですよ だからやってることは近いんじゃないかと思うんですよね
いずれにしても目という機能を逆転させている あのマトリックスの世界って受信してばっかりいますよね人間はね信号
だからみんな正気のはずなんですよね 狂気の人がいない世界になっちゃいますあれではでも狂気の人はいるはずだからこの現実
には狂気の人って言われている人がそれが狂気というのはなぜかというと 目の使い方が逆だったり耳の使い方が逆だっていうことを言ってる
私はその youtube の中でですね肌の使い方が逆だからアトピーになったっていう理屈 すなわち私にとって世の中のアトピーというのが定義上はそうではないかもしれない
けれども私にとってはアトピーだと言われたところの私自身の皮膚病は精神病 だったと言いたいわけですよ
まあ身体精神病というですね言葉を松木国宏さんがだと思ったんだけどパーソナリティー 障害の本の中で書かれているのでそれにのっとって私はああいう見解を自分で自分に対して
出してみたという話でしかないんですけれどもそういう話なわけですよ つまり受診機能受診機能を持つはずのものが発信機能を持っちゃっている
アトピーというか皮膚の上にかゆみというものを作り出してしまったわけです でこのかゆみというものはしたがってですね
この世でかゆみと呼ばれている感覚とはおそらく違うんですよ このようにして私はさっきマトリックスを批判したんですよ
マトリックスのように世界ができているというなら私にかゆみという信号を与えられれば 痒くなるこの場合のかゆみというのは全世界の人にとって共通のものじゃないですか
でも私はそれは違うと思うんですよねそういうのは社会的な制約というか社会的な 共通言語というか社会的な約束ごとに過ぎなくてつまり他の人もかゆみだと言っている
なんか爪を肌に立てているなんだか知らないけどボリボリという音がする なんだかこう虫がたかっているああいうやつを全部かゆみとああそうかあれがかゆみなんだな
みたいな感じで他の人がどういう感覚でいるのかを本当の意味では知らないくせに 我々はそれを同じような感覚だと勝手に納得することに決めてるんですよね
だと思うんですよ実態は決して同一の信号を同一のように受け取っているから つまりかゆみと全く同じ感覚であるものをお互いが言葉を使って述べているわけでは決してないと思うんですよね
現に私自身にアトピーだった時代にですね この肌のこの上のこの感覚は一体何なんだろうっていうことについてものすごい考えた
「理解」の難しさと親子の関係
十数年はそれについて考えてたという気がします だから全然学校の成績とか伸びないんですよ
ちなみに学校の成績が良くならないということの意味をですね 多くの人はすごく誤解していると私は思うんですね
それはそんなことやってる場合じゃないってことなんですよほとんどの場合僕はそうだと思うん ですよね
私自身全然大学に行った頃とかはもうまともに授業なんかほとんど出ていなかったんだけど それは肌描くことに忙しかったからに他にならないわけですよ
そういうふうには人は理解してくれないんですよね 肌のことなんて気にせずに勉強に集中しなさいとか意味不明なことを平気で言うわけですよ
これがいかに意味がわかっていないかというのは その人だって私と同じ事態が発生すれば肌描き続けるに決まってると私は断言できるぐらい
それがどういう感覚だかを知っていたから だからそういうふうには考えることは不可能だと言って私は基本的にはですね
私もよくよく見落とすしよくよくやらかすし やらかすことも非常に大事なことなんだけれども
つまりさっき言ったような勉強しなさいというそういう言い方をしちゃうということが親の機能として超大事なんですけど
これは厳しくするって話では全然ないですよ 親は私のことを理解できないという体験を子供はしなきゃいけないって意味なんですよ
そうしないと親は私のことを全部わかってる これと同じことを言いに行くとか言ってますよね
精神分析家は間違った解釈を施すべきなんだ 私が黙ってると私が何でもわかってるというふうに考えるだろう
あれは全くそうだと思うんですね だから私も勇気いるっていう面はあるにせよ
3ヶ月チャレンジとか100日チャレンジとかのセッションで何とかそこそこいけそうだと思った解釈は
相手に対するインパクトがデカすぎないだろうなと これもまたわからないことなんだけど
思ったら口に出すっていう努力はするようにしてるんですよね
松木隆一郎さんと藤山直樹さんははっきりと 転移解釈ができるときに解釈しない
それはダメですみたいな なんか即答なんですよねあの辺がね
2人ともそれはダメです それはダメですみたいな感じで
それ本当にダメですかねみたいな
なんか細澤さんがいろんなところで食い下がるみたいなことをやってるんだけど
基本的にはやっぱそれはダメなんだろうなと
私は精神分析家じゃないからちょっちゅう言い淀む黙るみたいなことが起きるんだけども
基本的に転移解釈ができるときにしないというのは分析家だったらありえないみたいな感じなんですよね
でも私は分析家じゃないからありだって思っているし
でも一生懸命頑張ろうと思ってるんです
なんとかこうここで喋るって
そしてやっぱりこういやそれはちょっとって言われた時には割とドギッとするんだけど
でもこれがないと非常に困ったことが起こるんだっていう
お互いがお互いのことが分かっている分かっている分かっている分かっているになってしまって
そして何も分かってないっていう
それはそれで大事なんですけどね
だから大事やないシーンってないんだけど
だから親が子供を雑に扱うシーンっていうのは
やっぱりどうしても欠かせないというか
実現してしまう
昔の昭和の親なんてそれがオンパレードだったなと思わなくはないんですけど
とにかく親ってのは私のことが分かってないんだということを
よくよく理解する必要があるわけですよ
かじみなんていうのはまさにいい例でして
かゆみという感覚の深層と他者の理解
誰も分かってくれないんですよ
驚くほど全然
私自身が分かってないということに思い至るまでに
生まれて20年くらい経ったんですね
一体これは何だろうと思ったんですよ
そしてその時にある膝の上の赤い反転があったんですけど
猛烈にそこに爪を掻き立てて取り除きたくなったんですけど
この感じがかゆみというものとは何の関係もないんだっていう
あえて言うならば空虚な痺れ
ないしはそこの奥にあるものを取り出して
切り刻みたい欲求なんですが
それを実際にやると書くって行為になってしまうんですね
仲の相当良かった飲み友達に
これをコンコンと
無駄ですよね
やってることが無駄ですよね大学時代
コンコンと説明したことがあった
その中にヒステリー的な要素があって
ああいうことを聞くとね
すごい納得する人っているんですよね
分かったなるほど君の言うことはよく分かったみたいになって
お母さんにPRしたいんだっていう
そういう話YouTubeでしてますから
興味ある方は聞いてやってください
でこれはこう言われると嘘じゃないように
そういう漫画書いてる人いました
小児前足の子がね
お父さんが出張でお母さんが寂しくなると
小児前足にででででってなるんですよ
私機関支援前足にほぼ毎月のようになっていたんで
なるんですよ別にPRじゃないですよ
多分前足の方は難しいんですよ物事ってのは
やたらと分かりたがる人がいるんですよね
残念ではない残念ではない
気持ちは分かるんだけど
やたらと分かっちゃうっていうことってある
やたらと分かられてしまう
PRなんだねっていう話
以前言ってるんですけど
それは事実ではないんですよね
事実ではないというか分かってないんですよ
肌がそこにあるということは
それはそれがなんだか厳密では分からない時には
肌はメータ要素なんですよ
私にとっては外部のものですから
心の中に肌があるわけじゃないんでね
肌は内部だと思うのは大きな間違いなんですよ
肌は外部にあるものなんですよ
身体は外部にあるものなんですよ
心の外にあるんですよ体ってのはね
もちろんそれは私の状態なんかになってくると
乖離と言われるかもしれないけど
私は乖離っていう人はやっぱり多くの場合
分かってないなって思うんですよね
何が分かってないかというとですね
もし私のこの感覚が本当に理解できたとするならば
あなたは肌を書くはずだって言いたいんですよ
私は今すぐに
なぜならそこにあなたの肌があるんだから
肌があるのに肌に触りもしないで
私の話が分かるっていうだけってことは
まず絶対ないって感じがするんですよね
それぐらい私のこの肌に対する違和感っていうものが
私に対してこの肌っていうものを書かせると
だから二つに一つしかないと思うんだ
私の話が本当に分かったら
自分の肌を書き始めるか
さもなければ自分の肌は
こういう肌に関する認識で本当に良かったと
心から安心できるかの
どっちかになるぐらいにならないと
それがPRだとか会議だっていうことで
分かったって感じがするっていうことが
分かってないっていう感じが
私からするとするんですね
患者になることと精神分析の目標
これが私が理解するところの
美音の王になるなんですよ
または諸富さん
諸富さんの名前ちょっと今出てこないんですけれども
口から出てこないんですけれども
諸富さんという人が
患者になるっていう
患者の話を聞くんではなくて
患者になっちゃえばいいんだっていう風に
あれやっぱ先へ行ってんなと思う
あれは雷談社中心療法の
ある種の形だなと思うんですけれども
似ているなと思うんですね
王になるっていう
王にはなれないんだけどでもやっぱ
王であるわけですよね我々はね
自分自身得体の知れない何かであって
美音は精神分析の目標として
患者に患者自身を
なんとか紹介するんだっていうような
言い方があるんですけど
あれ相当近いなって私は思うんですけどね
患者は何者であるのかを患者に紹介する
っていう言い方をするんですけど
これがやっぱ近いなとは思うんですけれども
それができると一番いいんですけどね
無意識の信頼と記録の危険性
たまーに
数が増えてきたからってこともありますが
たまーにですね
上手くできたな今
この瞬間はっていう瞬間は来るんですよね
なんかねこう
何て言えばいいのかな
合図しを打つことも多いんですけど
そういう時には
あーって言った時
今のあーは良かったみたいな瞬間は来るんですよ
なんかね何か
私もやるまでは全然わからなかったことなんですけど
これは
カウンセリングとかコーチングとか
相談系の仕事はすべて
11系の仕事はすべて
正規が重要とか
資格がとかスーパーバイズがとか
傾聴がとか共感がとか
口を挟み方はとか
いろいろ言われるし
全部本当なんですよ
嘘はないんですけど
でも全然そういうことではない気がする
ノートを取るのか取らないのかとか
プロセスノートとか
フロイトはメモを取るのもいいだろう
ただし私は取らんがねっていう感じのスタンスですけど
あれ非常にわかる気がするんですよね
メモ取れないだろうって感じが
うまくいってるなここまではっていう
不思議な感覚が入ることがあるんですよね
なんでかとかはないんですよ
説得力のある話ができたとかは
まるで全くないんですよね
あえて言うならば
全然そういう感じしないんですけど
かわいはやほさんがおっしゃってたような
ただそこにいる
でもなんかねただそこにいるわけじゃないし
ただそこにいるイメージっていうのが
私なんかにはやっぱできちゃってるんで
なんか優しそうな
かわいはやほのおじいさんがそこにいるみたいな
そういう感じではないと思うんですよね
なんかよくわかんないけど
違うなーって感じがするんですよ
私はね
私がうまくいってるなーというときは
あーあーなるほどって感じがして
でこれと全く同じことを言っていて
全然うまくいってないことも多々あるんで
うまくいってるなーと思ったときに
ただ一つ確実に気づくときは
決まってそのときはメモが白紙なんですね
だから私は記録を取るというのは
ダメだなとよく思うんだけど
しゃーないなということもあるんですよ
最近国用のソフトリングのノート買ってですね
読み返さないですね
読み返さないんですけど
読み返さないようにしてるんですよ
読み返すってのは多分行動化なんですよね
アクティングアウトだと思うんですよやっぱり
自分の経験から言って
読み返したとき読み返そうとしているときには
良いことは何も起きてないんですよ
その良いことにもつながらないんですよね
例えばですね
ある種の人に
佐々木さんそれ言ったじゃないですかって言われる
つまりそういうの忘れてるのは残念ですって
言われるじゃないですか
そうすると傷つけた感じがするじゃないですか
このやり取りがなくなるということの
何て言うのかもうほぼそれは恐怖ですよね
そのやり取りがなくなってしまう
これがなくなるぐらいならば
失望されて去られた方がだいぶマシなような気が
だいぶマシっていうか絶対良いなって
絶対良くはないな難しい
でもこういう話をしちゃいけないのか
無意識の完璧さと意識の介入
でもなおこうでなければいけないと思うんですよね
やっぱりね
つまり
その失望するっていうのは
さっきの親が分かってくれないのと似てるんですけど
こういうことなんだっていう
失望とはこういうことなんだっていう
そういうものをですね
再認識するべきタイミングとかがきっとあるんですよね
失望を先回りして
相手がお話ししてくださった情報を
全部頭に入れておけば
そういう事態は消え失せますよね
そして実りのない話を
その時間することになっちゃうと思うんですよ
本来感じ取る必要がある何かを
感じ取る機会を
何か違う機会にしてしまうっていう雰囲気が
そこに出現するはずなんですよね
そういうことをやっていると
私に対する失望が形を変えて蓄積される
これはあくまでも一例で
そういう話がしたいわけではないんですけど
そして取り返しもつかない怒りになる
それは取り返しがつかない怒りが必要なんですけど
だから結局そういうことになっちゃうんですけど
そのでも
なんつーんだろうな
とにかく大事なのは
患者さんになれるってことなんですよね
理解して欲しいわけじゃないですか
我々がコミュニケーションする時ってのは
この私のこれでさえそうであって
何か私には理解して欲しいことがあるから
こうやって他弁を漏してるわけじゃないですか
これが理解されるということは
相手の人がこれと全く同じものになるって
そんなことはありえないんだけど
でも王になるということは
王であるということなんですよねやっぱりね
で王であるっていうのは
毎週毎週変化しますから当たり前ですが
だから王であり続けるためには
あれですよ
あのなんだっけ
リチャード・バックがイリュージョンに書いてましたよね
空は完璧だろうみたいな
空はいつ見ても完璧だろう
いつも完璧であるためには
いつも変わり続けなければならないって
言っているようにですね
ルーチンとかしていてはいかんわけですよ
同じパターンの空って来ないじゃないですか
ルーチンダメだし
スタティックなものも全部ダメなんですよね
毎回毎回全く違うものになっていくってことになるわけですよ
でも前と次の瞬間はそっくり似たようなものでもあるみたいな
そういうスタンスが望ましいんだろうと思うんですね
これはあくまでもスタンスの問題になっちゃいますけどね
でその
そういうことはできないわけなんですよ
意図的には
ただより遠のくことはあり得る
一つにはやっぱりメモをしっかり取って
記録をかっちり残して
ちゃんと相手と向き合って
記憶をしておく
これは一番遠くなるなって感じだけは私はするんですね
やるんだったら一番まずい
自分の中ではですね
でもついやりかけない
やりかねない時が出てくるんですけど
そういう時はよくよく
よくよく何か
なんていうのかな
これから何かを非常に私が不安がってるっていうことでは
ありそうだと思うんですね
そうでなくても先の予測はつかないんですけれども
だから先の予測がつかないのに
ある形態を与えておけば大丈夫そうだって考えるのは
まずいってことでもあるわけですね
何よりもその
覚醒水準とメモを取る行為の不毛さ
メモは取るんですよ残念ながらね
覚醒水準が上がった時にメモって取るんですけれどもね
つまり覚醒水準が上がるということは
しかも覚醒水準が上がったくせに
セッションそのものは揺れてないというのは
上がりすぎているか
それとも何かセッションが
なんて言えばいいんですかね
ユーズ頑固な形になってしまっているか
いずれにしても何か起きてるわけです
だから私メモを取るたびに
何かこう何かまずいんだろうなぁと思いながら
つまりそういうシグナルにはなるんですよね
ある意味では
でもそれは何と言うんだろうな
やっぱり下手だってことなので
結局のところは
ただじゃあ上手くなるためには
どうしたらいいのかっていうのがないんでですね
何かこうちょうどいい
ちょうどいい覚醒水準って言うべきなんでしょうけどね
ちょうど目覚めていないし
眠ってもいない覚醒水準に入れるようであり
しかもそれは相手次第で決まることなので
自分次第でそれを決めるんだったら簡単ですけど
相手次第で決めることなので
相手の方が話している状態と覚醒水準に
こうしているにもかかわらず
ちょうどいい覚醒水準になったとき
少なくともメモを取るという覚醒水準では
全くないぐらい低い覚醒水準であるときに
そして相手の話は完璧に頭に入ってきているっていうか
スーッと飲み込めてきているっていう状態がいいわけです
それは狙ってできることでは絶対ないことなので
というか狙うも何もないことなので
だって何が起きるかが予測がされないのに
そのようなことを狙うっていうこと自体がおかしいので
あり得ない
アトピーと無意識の完璧な機能
あり得ないんだけど時々あり得るですね
これを私自身の肌の様子と考え合わせると
考え深いものが一つあるんですよ
つまりアトピーだと言われていて
自分もそうだと思ってたときは
全肌が常に痒かったんです
これが大事なんです
肌の全体が常に痒かったんです
これ以上の例えはやめておきます
気分悪くなるという方もいらっしゃると思うので
今はつまり肌のことはほとんどの時間を忘れてるんです
これがいいじゃないですか
そりゃやっぱり
意識すれば心臓動いてることは思い出せますけど
時に時にみたいな
大変の時は意識してないから忘れてるじゃないですか
でも動いてますよね
ていうかその時の方が
よりおそらく健全かつ正常に動いてると思うんですよ
つまり心臓の動きというものが
意識に入ってくるというのは
中はベータ要素だと思うんですね
中は覚醒水準が上がりすぎていると思うし
やってることが不毛だし
意味が特にないわけですよね
無意識に任せとけばいいわけですよ
そして多くの人は無意識に任せるということを
大変恐れるのである部分
だから準備するとかプレゼンの資料作成するとか
当日になって慌てないようにしたいって
思ってしまうわけじゃないですか
しかし私たちはどんなに無意識を信用しなくても
99%生存というものは
無意識任せになってるのは間違いないわけですよね
だって信号の色とか
意識して見分ける人いないと思うんですよ
そんな危ないことしていたら
大変なことなんじゃないですか
私の好みからして
赤よりあそこはピンクだとか
しないじゃないですか
あれは結局のところ全ての人が
さっきのマトリックスの話と似てくるんですけど
全ての人があれを見て赤だって思えるっていうのは
無意識に任されてるからであって
自意識がいちいち手を出し始めると
一番右側にあるのが赤だから赤とか
言い出す人が出てくるわけですよ
絶対人事って起こるんですよ
意識っていうのは
使い方が人によって相当ばらけてくるんで
そうすると多分事故るんですよ
今よりもはるかに多くの人が
だって間に合わないからそんなことしていたんでは
無意識任せになっているから
ほとんどのことはうまくいくわけですよね
無意識は完璧に動いてくれるんで
ある意味では
特定の好ましい状況と条件が合えば
無意識への絶大な信頼と意識の限界
無意識のすごいところはそこなんですよ
99.8%とかではない
100%なんですよね
100%だと思ってるじゃないですか
みんな信号を見て
今日はちょっと赤が見抜けそうにないなって
思わないでしょ絶対
100回に1回は失敗しそうだって
絶対そんなことないじゃないですか
そういうことは実際には起こり得ることなんだけど
そうは思ってないですよね
実は我々の無意識に対する信頼って絶大なんですよ
だって今日はちょっと呼吸がうまくいきそうにないとか
大概の人は思わないですよね
今日はちょっと足の筋肉の
特にこの一番脳裁のこの部分が動きそうにないとか
考えることすらできないですよね
そういうもんじゃないですか
認識にしても何にしても
ほとんどが無意識任せになっている
100%うまくいくんですよ
ここがすごいんですよ
意識水準っていうのは相当うまくできることでも
100って数字はほとんど出てこないですよね
意識してやってることっていうのは
9割うまくいけばまあいい方かなって感じですよね
よくチェックリスト作るんですけど
チェックリスト作ってる段階でダメだって思うんですよね
無意識はそういうヘマはしない
チェックリストを作ってないから
やり損ねるといったことは
無意識は絶対しないんですよ
チェックリストがなかったから
今日は信号を見落とし
だって信号なんて何万回も見てるじゃないですか
1回も見落とさないっていうのは
ほとんどのドライバーはそうなんだと思うんですよね
1回も見落とさないんですよね
実に不思議なことだと思うんですよ
もしあれが意識水準で動いてるんだとすれば
意識しなければできないんだとすれば
多分1000回に1回ぐらいは見落としますよ
そして思いっきり事故りますよね
その瞬間命ないですよね
そんなんじゃ困りますよね
呼吸とかもそうじゃないですか
意識による介入の狂気と無意識の凄さ
今日はちょっとあの
心臓の調子と肺の調子が完璧ではないので
吸う時に吐いちゃいますみたいなことやってたら
すぐに息苦しくなって
どうしようもなくなるという感じになる
今回あのあれスカイツリーのエレベーターだ
止まったっていうことで止まっちゃダメなんですよ
絶対にねああいうものは
ところが止まるんですよね
1回はやっぱり人間の無意識とは違う
非常に危険なわけですよね
止まったらもう絶対止まりますからね
止まったけど止まりませんでしたみたいな
そういうことは起こり得ないことなんで
無意識って凄まじいなっていうか
というか逆だよね
この上に意識を乗っけて
何とかなってるところが凄いんですよね
意識による覚醒水準の上下が
いくらか生存に直結しない部分で
まかせ得るってところまで
持ってきてるところが凄いんですよ
これを意識しようと思ったことを
意識できるっていうのは
やっぱり無意識の働きが相当レベルが上がってきて
初めてできることで
この無意識のレベルっていうものに対する
何なのかな
この独特のいざこざですよね
独特の不信感みたいなものが
私たちを大いにややこしい気持ちだよね
多分気持ちの混乱を招くんだと思うんですね
私も本当に肌に意識的な口を出して
介入していた時の自分の狂気と言ったら
ないなと思うんですよ
無意識でこんなに完璧にできるのに
わざわざこれに徹底的に介入していって
全身地だるけでしたからね
非常におかしいですよね
やってることがね
でもそれは全然肌とは関係のないまた理由だったっていうのが
ますますおかしいわけですが
その辺のことを興味があれば
今日なんか再三これのPRをしてますが
YouTubeをご覧いただければいいかなと思います