00:05
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1321回をお送りします。
2月20日金曜日4時22分です。はいはい、寒くなりました。あっさりと。でもなんかこう、河津桜とかも咲いてきて、だいぶなんかこう、春らしさっていうのが出てきた感じがしますね。
えーと、お知らせはないんですけれども、今サンチャレというところで、あっ先に申し上げておくと多分今日これですね、ゴミを出しに行く直前でブツッと切れます。
で、そこでおしまいにします。なんて、何があろうと。まああのいろいろと今日はやらなきゃならないこともある上に、このゴミ出しを忘れると非常に良くないので、
あのもうこのゴミ出しはアラームが鳴ってそのまま終了ということになりますんで、多分ブツッと切れますんで、まあその辺ご容赦ください。
これ聞いてない人はですね、何言ってんのかさっぱりわかんないことになるんだけどもしょうがないね。
はい、元々きちっと終わろうという気は全然ないんで、別にどこでブツッと切れてもいいと思っておりますけれども、今日は特に時間がシビアですので、
今日本当はお休みしようと思ってたんですけど、それなりに気持ちが乗ったんで、まあそんなこと言ってるうちに時間が経つんで、先へ進みますが、
サンチャレで何をやっているのかということに合わせてですね、最近転移転移言ってますが、しかしですね、あの有名なセリフがあるんですよ、フロイトの。
転移と抵抗を扱えば精神分析であると。しかしこれは精神分析ではありませんから、つまり転移と抵抗、ここをどうするかって話なんですね。
で、私は転移と抵抗は何とか努力して徹底的に認識するが、
やむを得ない場合を除いては扱いはしないということにしております。しました。しようと思ってます。
で、このことを規約とかに書いても無駄なので、転移と抵抗を扱ってどういう意味だよってことに、今の時代だとなってしまいますので、何しろライフハック時代ですから、ちゃんと訳もなくこのタイトルになってるわけではないんですよ。
今、ライフハック時代ですので、AI時代かもしれないけど、価値観としてはライフハック時代だと思うんですよね。
その時代に転移と抵抗は扱いません。ただし認識はしますとか言っても意味が全く理解できないので、
そんなんだったら、エバーノートが高くなりましたの方がよっぽど理解しやすい時代なので。
ということで、転移と抵抗ということについてちょっとお話をしていきたいわけですね。
3ヶ月チャレンジで転移と抵抗は、もちろん意識はしなければならんと思っています。
何しろ精神分析的なビジネスコンサル、ビジネスメンタルサポートと言いたいんですけども、長いじゃないですか。
精神分析的なビジネスをとっちゃってメンタルサポートとなってくると、今度はそうしようかなーってのないわけじゃないんですけど、そうしようかなと。
そうすると、ますます治療との心理臨床とのグレーゾーンが広がっていき、それは避けたいんですね、私としてね。
03:12
あくまでも心理臨床ではないと。最近特にそうではないなと。
やっぱり本気で精神分析やるなら、私は分析受ける必要あるし、精神分析ですって言って、
しかも大事なのはオンラインでは非常に無理があるっていう問題をクリアしなきゃなんだ。
オンラインでなければ今だけの時代、私のような人間が開業でやっていけるとはとても思えない、はっきり言って。
いずれにしても無理ですけど、大学院出てないしね。いずれにしても無理なんですけど、とにかく今の時代にもオンラインを外すってのは、それはちょっと難しいですよ。
それに私のような人間は特にそうですよね。結局、私はインフルエンサーだとか人気作家だとかじゃないんで、あくまでも全国にファンがいてくださるから、
オンラインを通じれば何とかやっていける。まさにそうなんだということを最近痛感したんで、ちょっとカンダオーミーティングプロってやつをね、この辺がライフワークっぽいんですけど、買ったわけですよ。
これは海外だろうと日本全国だろうと、もうド素人がただそれを持ってってポンと置いて電源入れて発信すれば、オンラインでもその場にいるオフラインでもミキシングみたいなのも全部ちゃんとやってくれるという、すげえものなんですよ。
ただし、超大人数とかじゃ無理です。それ大人数でやるのはテレビなんで、テレビは機材がやっぱりいるんでね。でもあれはすごいです。やっぱりこれはコロナ禍というものをくぐり抜けた人類のある種遺産だなって思うんですよ。
以前にはああいうものは絶対考えられなかったと思うんです。誰も使わなかったからね、あんなもので。今10万ぐらいするんですけど、10万めちゃくちゃ安いなと思う。
昔だったらああいうこと真剣にやろうと思うと100万は絶対必要だったと思うんですけど、やっぱりあれが今10万でできちゃうんだ。すごいねっていうことで、何が言いたいかというと、まあそういうことも今後いよいよやっていこうと。
やっぱりオンライン発信が、オフラインでその場の人たちとも交流しつつオンライン発信っていうのが、私が多分もう一つサンジャレではできてませんけど、模索している一つの形ではあるので、そこも頑張ってやっていこうと思っているわけですね。
ぽつぽつとやっていこうと。現場には5人とか3人とかいらっしゃっていただければもう十分だなって思うんですよね。
で、そういうオンラインとオフラインのなんかこうハイブリッドみたいなことをやろうとしている私は、やっぱり精神分析はできないんですよ。精神分析はオンラインって本当に向かないなって最近ようやくわかってきたんですよ。
それは、要は力量の問題はあると思うんですけど、でも力量といったって、分析家がそれは多分難しいと思っているものを分析家でない人間が同じことをやろうとすればそれは難しいわけですよね。
06:02
で、やっぱり定義ってのは松木さんがすっごい強調してるんですけど、四角屋だっていうことなんですよね。ビジュアルだっていう。ビジュアルによって伝わってくるんだと。
で、ビジュアルの情報はありますけどね、オンライン。私もっと大画面買おうかなって思ってるんですよ。
いずれにしてもビジュアルってやっぱり乏しいですよね。どうしたって空間を共有しているのとは違うわけですよ。
音や匂いも大事なんだっていう。どういう香水つけてるとかそういう話になってきますよね。そんなのオンラインで伝わるようがないじゃないですか。どう考えたって。やっぱりダメなんですよね。
で、これは観察とは全く違うんですよ。むしろ観察言うんだったら演劇なんですよね。舞台なんですよ。
舞台ってことになってくるとやっぱりほら、シェイクスピア劇場リア王じゃないですけど、テレビで見るよりは劇見に行った方が、というか劇見に行かなきゃ絶対分かんないことあるよって絶対にマニアックなファンの人は言うと思うんですね。
全く同じことが問題になっちゃうんですよね。だからテレビを、劇をテレビで見ているような話になってるんですよ。
もちろんそれで良い部分もいっぱいあると思うんです。劇とテレビの相性はすこぶり良いと思うんですよ。でも同じでは絶対ないですよね。VRゴーグルとかをお互いがつけてね。
やるっていう形までいけばですね、匂いは無理で似せよう。だいぶ違ってくるこの空間共有問題というのがですね、永遠の課題になっていくであろうと。分析的にやりたければね。
で、転移と抵抗という話になるわけです。で、先に抵抗からいくと、抵抗の方は簡単ではないけれども、治療ではないと言っているときに最大のポイントになってくるのが僕は抵抗だなと思う。
もちろん対抗とか投影とか投影ドイツかとかもあるんですが、でも抵抗だろうと。治療に対する抵抗というのが治療ですら最大の問題の一つになるわけじゃないですか。
でもこれがサンチャレにおいて起きたら、それは取り扱いはしないと。ここでそれをさらに取り扱うことが強要されたならば、やはりこうおそらく崩壊していくであろうという問題を、だから最初からあんまりそこを治療的には取り扱う。
精神分析用語は一切やめにしてください。これはサンチャレでは成立しないんですよ。これをあえて精神分析でやることはできるんですよ。精神分析的なことは一切やめてくださいと精神分析に主張するってことはできるんですよ。
そこで精神分析はこれを抵抗として扱う。だからつまりこれを抵抗だと認識する段階ですでに治療に大きく踏み込むわけですよ。普通だったらありえないじゃないですか。例えば百チャレに入っていらっしゃって、Jさんがはい三つあげてくださいね。
09:03
ディスコード使ってください。いやディスコード嫌です。私はあくまでもFacebookで行きます。成立しないじゃないですか。でも精神分析的にやれば成立するわけですよ。成立させることができるわけで。あなたはディスコードを使わないということによってまあわかんないですよ。別にそういう解釈をするしないなんてどうでもいいんですよ。大事なのはそれを扱うかどうか。それをもうここのトピックだと捉えるかどうか。百チャレでは絶対やんないことですね。
例えば投稿してください。いやです私は100日間1回も投稿しませんみたいな。いやいや来るなよみたいな話になるじゃないですか。つまり百チャレを利用するのをやめましょうねって話になりますよね。ならないのが精神分析なんですよ。百チャレだとなっちゃうわけです。なぜなら百チャレは精神分析ではないし治療でもないし全く治療ではない。
メンタルサポートとも言いがたい。でもこれはメンタルのサポートを一切しませんということではないですからね。ただ100%抵抗的であるという。だから抵抗という概念は私は今精神分析では抵抗そのものを目一杯扱うなんてことはしないと思うんですけれども。
でも抵抗という概念はこの意外と精神分析外では大事だなと。だからもうすごく極端なことを言えばなんかもう百チャレでJ松崎批判をしまくってやるぜみたいな。毎回毎回の投稿がJに対するバリ増言みたいなね。これは百チャレじゃ扱わないですよ。3ヶ月チャレンジでもちょっとどうかなというかまあ使わないですよはっきり言ってね。
つまりそれを抵抗とはみなさないということです。だって抵抗とみなすってことは正しい使い方があり、しかもそれは治療的であるはずだということですから。治療の一環としてバリ増言は症状として認めてるわけじゃないですか。
でも百チャレや三チャレは言ってみればその診断をしない以上それを症状だとみなすっていうのは非常にそれこそ抵抗があるわけですよ。グレーなわけです。毎回毎回私に対するバリ増言ですみたいな。
この三チャレも全然ダメだみたいな話をずっと僕が聞いて頑張るみたいなのは治療になっちゃうと思うんですよね。一時間丸々だった場合の話ですね。百チャレだったら三チャレよりダメですよね。
一回でもどうかと思いますよ。だってJに対するバリ増言ってそんなものがありえないじゃないですか。でも三チャレならばまあ一回ぐらいはつまりそれは治療的になってるってことだ。だってこれどう考えても三チャレそのものにはいらないと思うんですよね。
バリ増言というのをビジネスコンサルではどのようにやるのかみたいな。やらないだろっていう。バリ増言やるっていうのはかなり問題があるでしょうって感じがしますからビジネスの場ではビジネスというのは私は営みということにしてますが、例えば夫婦の営みにおいてバリ増言はどう扱うか。難しいありえないわけじゃないからなっていうことはあるんですよね。だから踏み込まないわけではないですね。
12:08
だけど例えば精神分析でよくやってるみたいにこの3セッションはほぼまるまるの沈黙が続いた。この日は特に一切口を開かなかったみたいな。これも三チャレではどうかなと思うんですよね。やっぱりね。4週間1ヶ月にわたり一言も口を聞かれませんでした。
だからすぐにおしまいにしようねってことにはならないにしても私も長く黙っちゃうことありますからね。嫌で黙ることは全然ないんだけどどう言えばいいのかがわからんみたいなことはもちろんありますから。もちろんあるんですよ。だからそういうのは沈黙という抵抗。
沈黙は取り扱うのか否かみたいな話。沈黙ってあれですよ。ひどい場合っていうかすごい場合には半年沈黙みたいな話ありますからね。精神分析だったら。でもやっぱ3ヶ月沈黙を3ヶ月チャレンジでできるのかというとできないというかできないというかやっぱりそれをやると治療的になっちゃいますよね。どうしたってねっていう話なんですよ。
ただ治療的であることと治療であることは違うんでそこはあれですね。直ちにそれが沈黙だからどうって言えないと思う。そういう意味では3ヶ月チャレンジにおいてはこの線を引くのはすごい難しいんですよ。抵抗だからどうってのも言えないと思う。
ただしそもそも抵抗とはなんだってことを今の時代は言わなきゃなんないんでそれは無理なんで誰も興味持ってないんで真剣には。だからここで例のあれが入るわけですよ。精神分析に興味を持つっていうね。興味がないですっていうのはやっぱ抵抗なんですよね。だから治療になってしまう。
だからこれは1回でも本当はあんまり認められないと私は思うんですね。ましてそれが3ヶ月に渡ってしまうのはよろしくなかろうと。精神分析に興味がありませんというのはね。そうすると抵抗とは何かの説明ができなくなるじゃないですか。そもそも。
抵抗とは何かの説明なんてできないんですけれども。でも抵抗という概念を抵抗ってほら電気でも使うでしょ。電気抵抗とか言うじゃないですか。で抵抗はもちろん政治でも使うじゃないですか。だからこの言葉を心理臨床用語だという認識でかつ直感的にどういうものであるかがなんとなくでもわかるっていう状態は3チャレでは必要なんですよ。
私はこれは心理カウンセリングで必要だと思うんですけどね。受けるあたってはですね。ただまあそれは流派によって考え方が行動療法で果たして抵抗という概念を扱うかどうか。やっぱこういうことになるんですよね。抵抗という概念を扱うかどうかって話があるんですよ。
ででん。まあこれは前振りなんですよ。一見何かすごい3チャレのPRなのかそれとも3チャレの説明なのかって思われるかもしれないけどただのこれはメタファーなんですよ。私はこういうものの喋り方してるんで人に誤解を招くんだろうなと。これは実は3チャレとは大して関係ないんですよ。
15:13
すごい関係あるような顔をして。まあないわけじゃないんだけどでも私が喋りたいのは定義の話で抵抗の話はまあまあ便利だから使いました的なものなんです。定義なんです問題は。定義というのは先に申し上げると定義というのは私はやっぱり解消問題をいきなり話が飛躍してるようですけど続いてるんですよ。
なぜならフロイトが定義と抵抗を扱えば精神分析だと言ってくれてるからなんですよ。抵抗というのは今さっきしゃべったみたいにわかりやすい概念なんですよ。はっきり言って。精神分析であると精神分析をすごい勉強するとかほぼ必要ない。定義は全然違う。
これは松木さんがなぜそもそもエリプスとか抵抗が見つかったけど定義がなかなか見つからなかったのか。それはこっちより無意識水準に入っていかなければわからないことだからだっていう。これは全くそうだと。だからこの順番でフロイトが書いてるのは当然歴史的な必然だったと。松木さんすごいなって思うんですよね。
そんな風に書いてる本めったないですよ。あるようでないですよ。
で、定義というのはですね。私は外相問題を精神分析が明快に取り扱えるようになった一つのマイルストーンだなって思うんですよね。さっきの定義の抵抗の話はもう大筋はせない。もう十何分も喋ってしまって後悔してるわけですけど、サンチャレとの兼ね合いが喋れたからなんかこう意気になっていっぱい喋ったんだけど、実は大した話ではないんですね。
それをこれからサンチャレの軸に置くぜとか全然考えてないんですよ。だいたい藤山直樹さんに言わせると、抵抗などという概念はいらないんだぐらいのことを書いてるし、自分は抵抗のシンポジウムに行って退屈で帰ってきたとか、もうなんかすごいことをあっさり書いちゃっているんで。
定義と抵抗を扱ったら精神不適って言ってんのに、もう抵抗はなくていい扱いですから。でもなんちゅうのかな、常識の線でしかないみたいな話なんですよね。定義は全然違うと思うんですよ。
定義というのは、一番僕がやっぱり最近定義おばえ書きを読んでいて、はっと思ってすごいなと思ったのが、私がずっとそうではなかろうかと求めていたやつがいきなり普通に書いてあって、陰性治療反応と呼ばれている、ビオンがクラインに言ったって話なんですけど、本当か知らんけど。
陰性治療反応と呼ばれているあなた方が苦労している問題は、感謝と扇望の概念と私が今考えている定義の概念を組み合わせれば、そこどころ苦労することはないんですってビオンが言ったっていうすげーセリフだって思うんですけど、クラインは面白くなかったんじゃないかなって思うんですけどね。
18:08
これが私はやっぱりさっきの抵抗の話からは全然もう数段ジャンプしているなって感じがするんですよ。私は残念ながらこのレベルの話になると咄嗟にはついていけないんですよね。それについてもここ3日くらい深刻に考え込んでるんだけど、うーんっていう感じなんですよ。
ただ考えてみますと、クラインの革命的なところは新規エディプス状況という概念を発見したことなんですよ。やっぱこれを陰性治療反応だとか抵抗みたいなもの、治療抵抗ですよね陰性治療反応って。わかるんですよ私も。
陰性治療反応みたいな話って。私がよくやってた気がするんです。理想的防衛から来るものなんだけど、なんかねてやんでーみたいな感じなんですよ。なんて言ったらいいのかなー。抵抗っていうのも変なんだけど、なんかほら受験勉強とかで勉強しなさいねって言われるじゃないですか。だからうるせーなって言うじゃないですか。これって何なんだろうって思うんですよね。
で、私はもうちょっと歪んでたんで、やっぱりその校長先生のお話とか嫌いだったわけですよ。いや嫌いではなかったんだけど、非常にくだらないものみたいな扱いをしてたんで、だつかちかしてたってことなんですね。その際、想的防衛ってものがすごい役に立っちゃうわけですよ。これを病理構造体とか言うんだけど、3ヶ月チャレンジの人の中でそういう議論があったんですけど。
病理構造体の構造ってどういう構造なのかって、そもそもそれは構造と言えるのかという話になった時、なるほどなーと思ったらコンステレーションって言葉ありますけど、星座みたいなね。コンステレーションと構造ってそもそもどっからが構造でどこまでが配置なんだろうみたいなそういうことを考えているうちによくわからなくなって、そもそも陰性治療反応ってダメだよなって思ったことが結構あって、でもローゼンフェルドンのを読むとこの漢字ってわかるなーっていう漢字があって、
ずっと悩んでたんですけれども、ほとんど、僕はだから封印に近い形にしてたんですよ、陰性治療反応。なんかあれは生贄感が抜けないっていう、なんかこう詰めていくと論理がいまいち整合性が取れてない感じがするっていうのが非常に引っかかってたんですね。
それこそ抵抗があった。抵抗から来る概念だと思うんですけど、あれは早期エリプス状況っていうのを想定しないとよくわかんなくなっちゃうんですよね。早期エリプスっていうのはプレエリプスで、エリプス水準に達してないわけだから、言語がちゃんとあやふやで、要するに夢思考の世界のみに生きてるみたいな感じなんですよね。
物の名前はわかってないわけじゃないと思うんです。3歳児とか2歳児でも。でも、概念っていうところまではなかなか行き着かなくて、物語になっちゃうと思うんですよ。やっぱり夢みたいな世界にある意味生きてると思うんですね。だからいつまで経ってもずーっと、2歳、3歳児ってそうじゃないですか。ずーっと積み木とか作っては壊し、壊しては作りみたいなことやってられるじゃないですか。概念みたいなものが、完全としない世界に生きているんだろうと思うんですよね。
21:11
なんかでも家みたいなの積み上げてすごい5万円になったりする可愛らしい時期なんですけど、あれは何なのかなっていうのをやっぱり考えると夢っていうのがぴったりくる時代だなって思う。で、あれはプレエリプス状況なんですよね。言語が操れてない。三者関係はほぼ理解できないと思うんですよ。
嫉妬みたいなのしますけど、他の兄弟が可愛がられて面白くねーみたいなのは、結構そういうトラウマありますけど、でもなんかよくわかってない感じはするんですよ。
だから大きくなったらお父さんと結婚するとかよくわからないことを言い出す。よくわからないんだけど、つまりそれはよくわかってないっていうことじゃないですか。それがいいんですけれども、でもよくわかってはいないわけですよね。
このよくわかってなさ三者関係が結べないという状況にもエリプスはあるんだよっていうのがクラインの言ったことですよね。要するに何て言えばいいのかな。いい子悪い子お母さんみたいな三角関係が、例えばですね。
例えばそういう三角関係が、だから早期エリプスというのとプレエリプスっていうのは同じ意味じゃないんですよ。当たり前ですけど。プレエリプスという時代における早期エリプスという問題があるわけですよね。で、ここにこいつが転移するみたいな話をしてるんだと思うんですよね。
美音は。だから転移っていうのは、水準が、これなんていうのかな。物語を転移するみたいな話になってる同士。まさにウィニコットが転移の二水準という表現を使ってるんですけど、神経症水準の転移ってなことになってくると、無意識のしか転移しないんだよって一回言ったって絶対その人無意識じゃないっていうところあると思うんですよね。万能空想を転移するじゃないですか。
だからちょっと変な話になっちゃって申し訳ないんですけど、なんかすっげー心の底ではSMやりたい男の人が、付き合った女の人が、付き合ったんだからこれからSMごっこやろうよみたいなことを言い出して、結構面白かったり、惹かれたり、様々なことが起きたりするじゃないですか。
これってつまり自分の物語を劇化したいわけじゃないですか。人間ってそういうところあるじゃないですか。例えば結婚記念日に夫婦でどっか行くみたいな。あれって何かの映画みたいなものを自分たちもやりたいみたいな話じゃないですか。つまり心の中に人間ってのはシナリオを持ってて、そいつを実現したいっていうのはあるじゃないですか。でもこれは転移ではないですよね。なぜならものすごく思いっきり意識的にやってるから。
だから転移の水準ってのがあって、ここですごい大事なのは、2歳3歳じゃシナリオを言語的には描ききれないわけですよね。そうするとどういうことが起きるかというと、意識したことがない。つまりそもそも最初から夢思考でしかないものが、もっと大きくなってから転移という夢思考に移し変えられているってことなんですよ。
24:04
これが神経症水準になってくるとさっきみたいに、書いたシナリオを、つまり劇とシナリオっていうのはテキストと劇じゃないですか。でも2、3歳児プレイリプス状況の転移の世界だと、そもそも劇だったものを劇にするわけですよ。わかります?私が言わんとしていること。
ここにトラウマっていう概念をはめてみるとですね、なんかこうすごいことを言ってるんだな。美音はって思うんですよ。それは今までずっとある意味ではそれこそウィニコットが転移の2水準。これはすごいいい話なんですよ。でも転移の2水準という言い方をすると、またしてもそのトラウマという問題の捉え方がすごいややこしく。
欲堂論でトラウマが捉えきれないのと似た話で、神経症水準の人のトラウマってどういうことになってるんだろうと。コンテイナーの話でも微妙な感じがあったわけですよね。コンテインできないもの、なんかトゲトゲのものがひどいことが起きた。地震だみたいな犯罪に巻き込まれた。
これはコンテインしても胃袋みたいなところに行っても消化しきれない。だから生々しい記憶がフラッシュバックしちゃうみたいな話になった時に、いいお母さん悪いお母さんどこ行ったんだろうみたいな。そういう欲堂論的なものが一切役に立たない感じが、役に立たないんじゃないけど、モデルに合致してない感じがするんですよ。
この転移の二水準という話をした時に、問題なのはもちろんテキスト水準じゃない方の転移なんですよね。プレエリプス状況の転移なんですよ。そこにおいては早期三角関係というものがあったはずで、早期三角関係は神経症における三角関係よりも厳しいんじゃないかって感じがするんですよね。
よりトラウマライクなんじゃないかと。ここで欲堂と外相が合流できるポイントが、つまりあなたの人生にはそんなにひどいことが起きた感じはしないのに、あなたの反応はまるでトラウマ的だっていうような人にぶつかった時に、
この人がおそらく持っている、意識もしていないプレエリプス状況の、何かその欲堂から来たものなのか何なのかわからないけど、トラウマ的な体験が一つのシナリオになってしまっていて、シナリオになっているんだけど、それは要はトラウマ的な上にプレエリプスだったから、描ききれていないシナリオみたいなものが転移されてくるっていう考え方なんです。
そうするとこの考え方をとる限り、年歯がいくつであったかってほとんど問題にせずに済むし、それが非常に神経症水準であったとしても、16歳、20歳であっても、出来事がひどかったから、まるで創形リプス状況みたいに概念化されていない体験としての経験、記憶みたいなもののトラウマだとしても、
27:03
あるいはプレエリプス状況における経験だったから、それほど逆感的に見ればそれほどひどくはないけれども、その本人にとってはやっぱり概念化されきれていない、アルファ機能の不全というものの引き起こした問題のようになっていて、
しかもそれは同じような転移的な結末に、あるいは潜在的なリスクに至るってことを、すごい説明しきってるよねという感じがするんですよね。説明しきってる可能性を感じる。
それが陰性治療反応みたいなものに現れるように考えたとしても、そうではなくて、それは感謝と扇望の概念と転移という、今言ったようなですね、美容部が考えるような転移みたいな。