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おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1323回をお送りします。
2月26日、木曜日、7時47分です。
はい、えーと、まあですね、なんか春一番とかが吹き出して、春化しているわけですが、まあ2月なんだけどね、まだ。
でも春になってきつつあって、少し楽になってきたなというのはありますが、私この辺になると少し体調おかしくするということもあってですね。
まあまだまだ、春だからいいぜってことにはなかなかならないんですが、
まあそれはそれとしましてですね、2月ももう終わりますね。ので、また改めてすごく悩んでるわけですよ。
まあまあ最近、ちょっとようやく動画というものがですね、ヒットはしないまでも、まあまあ全くやる意味ないなっていうレベルを少し出しつつありまして、
いや全くやる意味ないよあれじゃって言われるかもしれませんが、私の中での感覚として、全くやる意味ないなって感じはやや出しつつありかつですね、
ようやく撮ってあんまり苦しまずに出すという感覚がつかめてきたんですよね。
やっぱりね、まず絶対私の場合に言えることは、やりたくないことを無理やりやると絶対ダメだってことなんですね。
サムネイル作るとか文字入れるとか考えてみると、そうまでして見てほしいと思ってないんですよ私は。どう考えても。
だからインフルエンス画とかインプレゾンビ画とか、ああいう話題にも一向に興味を持ってない自分がいるんですね。
インプレゾンビとかやるでしょ普通と思っていて、かつしかもインプレゾンビをしたいとは全く思ってないという、なんかですね、数をとるっていうことの意味が多分わかってないんですよ私には。
だからアクセス数というものに興味は出るんですよ、数としては。ただそれが欲しいっていう風に多分思ってないんですよ。
欲しくないものを取りに行く努力とかがましてできない人間なんで、あれと似てるんですよね。
結局私は受験とかしましたけど、テストの点を高くしたいと多分思ってなかったんですよ。
ただ親がそれをしないとうるさく言うから、とりあえずそういうことにはですね、別に反発しないんですよそれほど。
親がそれを強く望んでうるさく言うなら、まあその点を取りに行こうとするんだけど、本気になれてないから、本当にそれに執着できる親子には勝てないんですね私では。
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そこそこのところまでは行けるんですよ、それでも。でもそこから先は競争には勝とうという勇気がないと無理なんだと思うんですよね。
なんかこうそういうのっていろんなところで知りました。私は競争というものに根本的には向いてない。
なんとなくですね、全力を尽くさないとかはないが、全力を尽くしても勝てない相手に勝とうという意欲は湧かないんですよね。
昔野村監督の本とか何回か読んでみて、あ、多分やっぱ私はこういう、何と言われようとこういうタイプじゃないなっていうのは分かったんですよね。
何が何でも勝つという気持ちが大事なんだみたいな、そうなんだと思うんですよね。でも私は全然ないんですよね。
勝つのと負けるのなら勝つ方が好きだっていうレベルで必ず留まる。何をやってもそうなんですよ。
だからましてこれは無理だなっていう、この何のためにアクセス数を目指すのか分からないこれはまず無理だなっていう風に分かって
えらい動画をやっていられるようになったんですよね。内部。
これやっぱりね何回も自分で納得したはずなのに、なかなかブログの時もそうで、だいたいブログっていうのはいずれ今のようになるだろうというのは
うすうすっていうか、やってればわかるじゃないですか。インターネットの世界に長くいて、このようなものが永遠に栄えるはずはない。
なんでかっていうと自動で書けるようになっちゃうからですよね。あのぐらいのことであれば。
だってどんなに、いやそもそもダガイオサムとシガナオヤンを戦わせてるわけじゃないんですよブログというのは。
1日で一定の領文字数書くんですから。
昔ねユリシーズ書いていた、ジェームズ・ジョイス。あの人はもう文章懲りに懲る人だけど、
あの人なんて10年かけて1冊しか書かないゆえに、なんか前の日は1行書きました、次の日はそれを消しましたとかそういうことを平気でやってるわけですよ。
金全然ないのに。
ああいう人は文章力はそれあるに決まってますけど、
ダメでしょそんなことブログでやってたら。1行書きました、次の日1行消しましたなんてやってたら。
だからそのちゃんとした文章を書く戦いなんだっていう話を聞いても私はそれに納得したことはないですし、
何の話をしてるんだ。
だから当然AIがガンガン書くに決まってるよねって思うわけですよ。
そこに何の疑問も持たないけど、でも私はAIにガンガン書かせて収益を得るというイメージが作れないんですよ。
そういうビジネスを考えるところまでいくんだけど、
それって結構成果出すまでに何が何でも勝つ気持ちが多少いると思うんですよね。
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ないんで私はそれもまた。
だからそういうことで戦おうとするのは全面的にやめなければいけないなということなんですね。
それはモラルの問題じゃないなと。
私のパーソナリティに全く合ってなくて、やればできるって言われるんだけど、
多分やらないからできないんですよねっていうことなんですよ。
やればできるでしょう。
でもやらないんで。
このパーソナリティというのは、いかに人を参考にしないかなんですよね。
だってパーソナリティですからね。
なんとかさんはそう。
だから例えば私が蔵野圭祥さんと感覚的に似てるなと。
今のような話はわかってくれるっていうのはわかるんですよ。
あるんですよ。
GOOD VIBESとね。
でも私は彼のパーソナリティと私のパーソナリティはすごい違うんですよ。
一緒にいてすごいよくわかったんで、
違うパーソナリティなんてそれはみんな違うんですけど、
パーソナリティってめちゃくちゃみんな違うんですけど、
とにかくパーソナリティというものは違うから。
だから人を参考にこういうことでしてはいけないんですよ。
私がいくら競争が面白くないと言っても、
競争なんて面白くないっていうふうに参考にしてはいけないんですよ。
その人は実は競争が大好きなのかもしれない。
それはわからないんですよね。
自分でもなかなかわからないし。
でも自分にしか絶対わからないことなんでこれは。
私ここでよくエディプスコンプレックスとか、
あんまり喋ってないですけどそういうことも、
母子一体とか母親を守護するんですっていう言い方しますけど、
それは人類に相当部分共通すると思うけど、
だからといってある女性が、
例えば私の表紙を書いてくださった永田花美さんが、
母親という概念にべったり寄り添いたいっていうのと、
私が母親にものすごく寄り添いたくて、
アドピーになりましたって話は違うんですよ。
同じ欲望を持ってるから同じパーソナリティになるわけでは決してないんで、
お母さんが好きだよね、だからマザコンだよねっていうのは、
そこだけ取り出せばそうかもしれないけど、
それはもうなんていうのかな、
X字状ダスABXプラスなんだろなんだろなんですよ。
あの式はそうだけど、
あそこに変数は無限に入れられるわけじゃないですか。
だから式が、エディプスコンプレックスという式を理解したからといって、
パーソナリティがわかるわけでは決してないんですよ。
構造を理解したからといって、
自分が何者かがわかるわけではないんですよ。
やっぱり私はここのところそのYouTubeで、
YouTube動画で5本ぐらいアドピーの話を改めて喋ってみて、
そもそも自分の頭の中ですでにあれ3本ぐらいって感じがしますもん。
多分5本ぐらい言ってる気がするんですけど、
すでに自分が喋ったことの数が完全には一致してないんですよね。
それぐらい頭の中であれに関する思考は凝縮されてしまっていて、
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つまりわかってないんですよ、私は自分のことが。
喋ってみると意外に思い出すことが多くて、
やっぱり自分自身のことがわかってないから、
構造としては確かに母との愛憎のアンビバレントと確実なんだけど、
やっぱりそこには私ならではのものがありまして、
私と母でしか起きないことが起きていて、
だから私はあれをアトピーとは呼べないと。
あれを一般ではアトピーって言うんですが、
私の中ではあれはアトピーとはもはや呼べないと。
全然違うものになっている。
だから絶対肌を治そうとしても治んないんですよね。
でもそれは感慨とかいう言葉を使う意味があるかって、
アトピーって感慨とよく言われるんですよね。
でも私はそもそもあれは感知、デブすらないんですよ。
私はそもそもアトピーですらなかったから、
皮膚病ですらなかったから、
だって生まれた時そうじゃなかったと思う。
その母との確実というべきなのか、
愛憎劇の中で皮膚炎という現象が現れたんだけど、
この確実が終われば全ては消えるんですよ。
そういう運命にあるみたいな感じですよね。
今後そういうことにはならないんですよ。
理論的に、もう原理的に。
その確信を得たら確かになくなっていたみたいな。
その時にはほとんどなかったんですけどもね。
確信を得る時と確信で急に得ないんだなってやっぱり、
私は少なくともそう思うんですよね。
確信というのは少しずつ迫っていくもので、
急に閃かないんだなっていう感じがします。
私は母に愛憎あったっていうのは、
考えてみればもう4歳か5歳の頃から自覚はありましたね。
でもそれを頭から否認してかかっていたって時代が長くありました。
その後、うすうす気づいてくるんだけど、
やっぱり受け入れられないって時期が5、6年ありましたね。
もう10年ぐらいかもしれない。
さらに受け入れるしかないって思ってから
受け入れられるようになるまでにも5年ぐらいかかってます。
それも人によって長さって同じじゃないじゃないですか。
5年ぐらいっていうのも、
5年の人もいれば4年の人もいて6年の人もいると思うんですよ。
当然。
母親が存命か存命でないか、母の性格がどうか、
母のご両親との関係性はどうか、
すべてが関係してきざるを得なくて、
そしたら絶対オリジナルになってしまうじゃないですか。
だってすべてのお母さんは異なるご両親から生まれてるわけですから。
すべてのお母さんは別の人なんですからね。
生きてる時代も全員違うわけですから。
構造をいくら理解したからといって、
自分自身が理解できるわけではないんですよね。
まして自分自身に起きてる現象は、
さらにこのアトピーというのは、
アトピーであるからにはやっぱり、
関東地方のカラッカゼと無関係に起きてるわけではないんですよ。
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さらに言うと、
日本の温暖湿純気候の特に夏の高温多湿と
無関係に起きてるわけでもないんです。
やっぱり関係はありますよ、肌なんだから。
そういうことを永遠に言っていったらキリがないじゃないですか。
でも核となってる部分は確かに私の場合は
母に対する愛憎劇だったと。
愛憎劇の幕が降りた以上、
アトピーは消えるんで。
あれはやっぱり劇の小道具だったわけですよ。
それは間違いないと思う。
あれが劇の小道具だったっていうのは確信があります。
簡単に言うとあれですよね。
浦島太郎さんの玉手箱の時にドライアイスやって、
その間にヒゲつけるでしょ。
そのヒゲですよね。
それが私の皮膚病だったわけです。
そのヒゲを取っちゃえば皮膚病はなくなる道理なわけですよ。
でもそれがつけヒゲだと本人が、
そもそもつけられていたつけヒゲなんだけど、
つけられていたということは気づかなかったし、
つけられたヒゲではないと思い込もうと頑張ってたし、
その間はヒゲは取れないですよ。
本人がそう思い込んでたんだから。
しかもそれは無意識ですけどね。
でもそのうちこのヒゲは実はつけヒゲなんじゃないかって
うずうず考えつくわけですけど、
いやそうじゃないんだって一生懸命思い込もうとするわけですよ。
ようやく取ったら取れるよねと。
でも取るの怖いよねっていう段階もあるわけですよね。
ようやく取る気になり取ってみたら取れる。
ここのところだけに興味を持つんですよね。
どうしても我々は最後のところにしか興味を持たないんですよね。
大事なのはその前の方だと思うわけです。
葛藤の方だけが大事だって言ってもいいぐらいだと思うんですよ。
だってヒゲつけて取るだけだったら何のことはないじゃないですか。
取れるに決まってるし、
もともとそれは体に張り付いてるものでないのは当たり前じゃないですか。
ただ葛藤してるから取れないわけであって、
取れないのはなぜかの方だけが私はやっぱりだけがとは。
でもだけがと思うなやっぱりな。
だからこの葛藤だけに注目した方がまして3ヶ月という。
ある意味私のこれの自分の経歴から考えると
スーパー短期間であるこの3ヶ月で何かをするとなったら
葛藤に照準を合わせる以外、
照準を合わせるだけで3ヶ月経つなって感じがあるんですよね。
最近不在論の読書会等で
あるだけ松木邦博さんのをジェミニが読んでいて
公開されてるものなんでね。
それらを読んだ松木さんに3ヶ月チャレンジについて
松木さんじゃないけどね。
松木さんのデータをため込んだジェミニに読んでもらって
3チャレンジどう思うっていうのを再三にわたって聞いていて
一番感心させられたのが
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私の冷ややかな目線としてはこういう表現だったんですよね。
3ヶ月で何ができるっていうのはありますっていう。
そっかっていうこれが一番響きましたね。
精神分析の知見を生かしてるのがどうのとか
心理臨床をずらしていいのとか
そういうことは一切言ってこないんですよね。
むしろ精神分析的知見みたいな部分は
基本的にはポジティブに言ってくれるんですよ。
ただネガティブに最も気になるのは
たった3ヶ月で何ができると
なんかやっぱりこう
いやわかんないですよ。ご本人に聞けば
全然違うことを言うに違いないとは思うんだけど
やっぱり一番そこなんだっていうのは
すごいやっぱり考えさせられた話でしたね。
どう考えてもたったそれだけのことをやるのに
3ヶ月かけすぎだろうっていうのが
よく言われる話だったわけですよ。
会えるのに躊躇していますっていう方の
お問い合わせがありがたくもいただくことがあるんだけど
必ず言われるのが2点で
やっぱりちょっと長すぎないですかと。
4回ぐらいで何とかならないかっていうわけですよね。
1ヶ月ってことですよね。
せめて。せめて1ヶ月。
3倍かけるのはどうか。
自分はそこまで余裕はないっていう時間的なね。
次に金銭的ですよね。
だから3分の1なんだから
3万円ぐらいでいいんじゃないってことですよね。
それも分からなくはないです。
だから金銭的、時間的、いかにも現代的ですよね。
そしてもう一つが
なぜコミュニティなんてやってるんですかっていう
私はひっそりとやらせてほしいっていうのが
お問い合わせとしてはやっぱりいただきますね。
そうするとだいたい2万5千円ぐらい、4回ぐらい
お試しセッションですよね。
他の人に誰も知られないっていう形を取りたいと。
で、これは何にとてもよく似てくるかというと
短期、短期力動なんですよ。
短期力動、メンタライゼーションっていうのが最新なのかな。
短期力動系って言われているやつで。
でも少なくともジェミニの松木さんの文章を大量に
公開されているものだから限界がありますが
とにかく松木さんのを読んでもらったジェミニの回答は
たった3ヶ月で何ができるのっていうのが回なのに
それをさらに3分の1にするっていうことによって
何が本当に自分、なんかそれは本当にそれこそ
何にもしないのにお金だけいただくってことに
時間もですけどね、なるんじゃないかなと思ってるんで
今僕はそれを止めてるわけですけども
でもやっぱり入り口にこれいるんだろうなって
この葛藤が現在ございます。
あの話がもはやどこから始まったのかわかんないんで
さんちゃれとは何か感になり始めます、なってますね明らかにね
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なってるんですけど、なんでこの話をしてる
そうだから私はアトピー結局40年付き合うことになっていて
さすがに40年はまずいだろうと、10年もまずいかもしれないけど
でも10年だったら短いよなって思うんですよね正直言って
だって10年というのは適当に区切るけど
私が10歳、たぶん小学校4年か
10歳から20歳、あれ10年、確かに長いですけど
あの間ずっとアトピーだったし、20から30
その間もおおむねアトピーだったし、30から40
この間は糖質制限でアトピーはかなり抑えきれてましたけれども
代わりに米は食えない、砂糖菓子は一切ダメ
酒も全部絶って、果物すらほとんど口に入れず
大根とか人参とかすらカットしてましたからね
激減させてました、ほぼゼロにしてましたよ
奥さんは申し訳なかったなと思うんです
めどくさいですよね、こんな人間の食事作るの
じゃがいももダメ、さつまいもは論外
できれば株とかすら食べないみたいな感じ
魚と肉と葉野菜なんですよ、基本的に
抑えるんだけどかゆみのようなものは残ってるんですよね
驚くべきことに
非常にそういう状態で何かが出てくると気になる
でもそれはツケヒゲなんですよ
これが30から40ですね、40以降ですよ
この問題は実は皮膚の問題じゃないんじゃねって
考えるようになったのは
体質がガラッと変わっても
そんな食事に変えたら変わるじゃないですか
ガラッと変わっても冷やしても温めても何しても
皮膚病というものだけが頑固として残るのって
むしろおかしくないかっていう感じがしたんですよ
体のどこもおかしくないのに
私もその頃には人間毒とかいた時には
いたってめちゃくちゃ健康みたいな数字しか出ないんですよね
だからその肌だけが荒れる理由って
どこにもなくなってしまったんですよ
既に外部環境的には
でも感慨とかアトピーの人たちは言ったりするんですよね
良くなってるのにすごく
なぜ感慨、普通の感慨みたいな
あの感慨とかって言わなければならないんだ
私、私までみたいな
どう考えても自分そういうものではないような日が
いい加減してきたっていう感じがしても
取れないんですよね
これがグッドワイブスのクラウドの圭沢さんが
そのままでいいんです
あれがね、他の人がそのままでいいって言われてもって
すぐ言うじゃないですか
僕は彼の言う話の響き方は
僕にとっては違うんですよね
やっぱりね、いろんな意味で
もともとインターネットマガジンっていう
私がものすごく愛読していた
雑誌の編集長だったってこともあったりもしますけど
いろいろ違うんですよ
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彼がそのままでいいって言うと
そのままではいけないという理由が
見えなくなってくるっていうのかな
そういう事態が発生するんですよね
そっか、このままでいいんだって
このままでいいってどういう意味かっていうと
例えば私の場合は
母に対する妊娠相関願望があったって
私は思うんですね
それはセックスしたかったってこととは
イコールじゃないんですね
母親との性交渉を考えると
気持ち悪くなったんですよ
この気持ち悪さは私は
生徒の本能ではないと思うんですね
だってたぶん0歳1歳の頃の私は
そんなの気持ち悪いと思ってなかったと思うんで
肌べったりみたいなの
全然気持ちいいと思ってたに違いないと思うんで
これはやっぱり私はエディプスコンプレックスであり
そういうことやってると
お父さんに虚勢されるよっていう恐怖から
来るもんだと思う
で、うちの父がそんなこと言うわけないんで
これはつまり社会文化的に
間接的に私に強烈に
間接的ながらも強烈に伝えてこられた
お母さんとベタベタしてるんじゃねえっていう
そこから来るもんだと思う
でもこれは
エディプスコンプレックスだっていう説明が
私には最もじっくり来るんですよやっぱり
当然じゃないかって思うんですよね
そういうことを男友達が言う
お前はいつまで経っても
とか先生とかが言うってのって
結局は父親が言うってのと
変わらないじゃないかっていう気がするんですね
変わるかもしれないけど
でもメッセージの意味としては
そういうこともなるわけじゃないですか
メッセージの意味として考えると
母親と一体であることに対する
みっともなさとか恥ずかしさとか
弱々しさとかが
要するに攻撃されているわけですよね
それは母子一体であることに対する
分断の歯が飛んでくるってことで
基本的にそれは虚勢恐怖だっていう風に
だからこれが気持ち悪いと感じる
自分にそれを
心の中で内在化させれば
一番有効ですからね
本人が気持ち悪いと思ったら
母親にベタベタしなくなるじゃないですか
つまりそれは
押し付けられた価値観だっていう風に
考えるのが自然だと
ということは
この押し付けられた価値観に
反応しているということは
やっぱり一体でありたいという気持ちが
あったに違いない
実際あったんですよね
しかもエディフス的なメッセージを
母自身が私にめちゃくちゃ出してきてたわけですよ
ベタベタするなと
もっとリリッシュくやれっていうことですよね
彼女にとってのリリッシュさっていうのは
大石倉之介なんですけどね
だから私大石倉之介って
影がない人になっちゃってるんですよ
理想化された男なんですよね
絶対そんなことあるはずないじゃないですか
影のない人間なんていないんだから
ユングみたいだけど
だけど私にとって大石倉之介って
影のない人になっちゃってるんですよ
これは明らかに母の価値観を
まんま受け入れちゃってるから
こういうことが起きているわけですよね
そのうちアトピーの回で
24:00
中心倉の話しますけど
中心倉はもう絶大なんですよ
私中心倉多分
写本みたいなのまで合わせればですね
シナリオって関係のあるものを全部含めれば
100本は有に超えて見てると思うんですよね
何らかの形で
何その中心倉フリークみたいなのはっていう
しかも今思うと
今の中心倉なんて絶対見ませんからね
年末とかに当てても
全く見る気がしないという
もう飽きたってことでしょうけどね
何だったんだろうあれはっていう
あれはつまり母が大好きだった以上なんですよね
母が好きなものは私も好きなんですよ
ただそれだけなんですよ
全然ひねりも何もないんですよね
だから母とベタベタしたいという気持ちに
歯が入ってくるから
刀で歯物が入ってくるから
そしてしかもそれが
父はそんなこと言ってるわけじゃないし
そういうのは何か
例えば献身相関的な母親と
くっつきたいというのが気持ち悪いのは
本能だとかいう
なんていうのかな本当に
これよりダメな説明はないだろうぐらい
ダメな気がするんですよね
本能だというなら動物はしないっていう話になってくるじゃないですか
動物はしますから
そしてかつ本能だってなる
生まれつきみんなそう思うはずじゃないですか
明らかにそうでないじゃないですか
生まれつきみんなはそうは思ってないですよね
あの永田神さんなんかは
いや私はセックスしたいと思ってるって
女性ですからね彼女はね
全然普通にあるんだよこれは
っていうことですよね
おかしくも何ともない
これがおかしいと思うように
我々は教育されてきているはずだと考えて
どうしてそれがおかしいんだろうと
むしろ教育じゃないなら
なんなんだよって言いたくなるわけですね
生理的にもどもどそうなんだって言うんだったら
ゼロ歳児からそうじゃないとおかしいじゃないですか
なんでゼロ歳児はあんなにお母さんが大好きなのか
っていう説明はどこかにすっとんでしまうんですよね
そういう説明だと
2歳になったらそうなるというか
3歳になったらそうなるという
本能的に発動する何かがあるんだって
説をとってもいいですけど
そうしたら人口の100%に近いぐらい
そうでなきゃおかしいですよね
日本人なら米を食べるっていうよりも
お母さんに対する態度って
人によってもまちまちじゃないですか
これは絶対私は
文化と教育の効果だとしか思えない
それを我々は軽く考えてるんですよ結構
それも生理的に来ないんだと言わんばかりだけど
そんなはずはないと思うんです
昔私Amazonのお口で
猿の肉をこれはご馳走だよっていう感じで
食べていた映像を見て
やっぱりうちの奥さんとか
うわっていう感じだったし
私もうわとは言わなかったんだけど
うーんっていう風になる
やっぱり猿の足が
食われていく感じっていうのは
食ってない人間としてはあれだ
ところがあれ
鳥の骨付きだとみんな日本人は
27:01
全然違和感なく
結構おしとよこそうな女の子でも
バリバリ食べるっていうことができるんですよね
文化と教育って生理に直結していきますよね
まっすぐ刺さってくる
そういう教育をがっちり施せばですね
我々は何かを気持ち悪いと思うのは
別に全然生理的
正徳的本能的である必要は一切ないと思うんですよね
非常に教育的に持っていくことができる
ほらあの私昔これをやって
セミナーの時にやって
アンケートでなんかそれだけの理由で
評価下げられたんですけど
自分の唾液って口の中にあっても
気持ち悪くもなんともないですよね
綺麗に殺菌消毒した紙コップに
唾液をほとっと落として
それ飲めるかっていうと
多分かなり多くの人が
飲めもしないと思うんですよね
これはでも私は正徳的なものでは
全くないと思うんですね
完全にこれは文化的なもの
教育的なもの
習慣的なものだと思うんですよ
唾液は汚いというのは
しかも人のじゃないですからね
自分のですからね
それによって病気になったりすることは
決してないはずなのに
これをそうやったって気持ち悪いでしょ
でもそれは変なことじゃないですか
っていう話をセミナーでしただけで
アンケートで一つ評価を落としてくるっていう
だから一人や二人じゃなかったと思うんですけどね
人すらいるぐらい
生理的に気持ちが悪い
しかしそれは決して本能的でも
なんでもないものであるというのは
いくらもあるはずなんですよ
いくらも
なので私が自分がアトピーになったのは
何ら正直的な理由ではない
筋身相関願望の禁止によるものだとしても
そういう説明をしたとしたって
絶対おかしくはないと私は思いますね
こういうことをもう私は遠慮えしゃくなく
誰が聞いてて気持ち悪い人は
聞かないことです
こんな話は
私は絶対こういう話をする人間だし
もう絶対遠慮しないっていう風に
心の底から誓ってるんで
ここで遠慮してるとね
私もやっぱり
ここのところの母を見ていて
さっきから登場してる母ね
もう5分前のことだって
ちゃんと覚えておけなくなってきている
母を見ていて
記憶がいつまでも頭の中にあると思ったら
大間違いなんですよ
記憶ってのは
あっという間に損なわれるときは損なわれるんで
もちろんうちの母は高齢ですよ
でもあの病気になるのは
高齢者だけでは絶対ないはずですから
ものすごく記憶ってのは
私たちのコントロールの
効かないところにあるんですよ
最近では非常に記録って流行っていて
第2のノーとか第3のノーとか言ってますけど
もうそれはあくまでも言葉遊びですよね
その第2のノーなるものに
何でもいいですよ
ObsidianでもEvernoteでもNotionでも
何でもいいです
何かのノートでもいいです
書いたという記憶をなくすだけでなく
そのようなものに
今まで書いてきたという記憶もなくすから
30:01
いくらそこにちゃんとした記録が残っていたって
あの状態になったら
全く意味はなくなるんですよ
それは将来は薬とかで
防げるようになるのかもしれません
しかし現段階では無理なんだから
Evernoteに完璧な記録が残ってたって
Evernote自分が使ってるってこと自体
忘れるんですから
だからいつまでも自分の記憶があると思っていたら
行けないんだと思うんですよね
だから私は今はもう
自分が覚えていて
これは大事だと思っていることは
とにかく機会を捉えては
喋る
人がそれで嫌な思いをするんだったら
その人は聞くべきではないと思う
喋んなかったら
私の記録なんて残んないんですから
どこにも
だからEvernoteに
溜め込んでる場合じゃないんですよ
いずれ私は自分がこれを喋ったということも
分からなくなっていくんです
だから喋っておいて
みんなが聞く
みんなに聞けるところに置いておくより
他しょうがないなと
そのうち誰かが何かをしてくれるかもしれないし
してくれないかもしれないが
そのようなことは大したことじゃないと思うんですよね
とにかくこれを残しておかないことには
近親相関とアトピーが関係があるとは
大概ほとんどのところで見かけませんから
この言い方だとすると
ものすごく語弊がありますが
誤解も招きますが
それでもないよりはましだと思う
今では
これがないともうどうしようもないんですよ
私が忘れてしまったら
なくなっちゃいますもん
この世の中から
それよりはましだと思うんですね
誤解を招こうが語弊があろうが
気持ち悪かろうが
気持ち悪いなんて大したことじゃないと思うんですね
気持ち悪いと私が思われるなんてことは
まして大したことではないと思うんですね
私はもともと大した人間じゃないんで
自分の人生も大した人生だと思ってませんから
ていうか大した人生ではないですから
確かに
どこにでもありそうな人生ですから
もうとにかく大事だと思ってることは
吐き出しておこうと
どこかに残して
誰かが聞ける形にしておこうと
のうち私はこういうことを
自分が言ったということも
思いつかなくなるであろうから
その前に手を打っておこうというふうに
今は強く
やっぱ母の影響大きいんだな
こうして考えてみると
やっぱあれを見ているとね
本当にそうなるんですよ
我々は
みんななるとは言いませんが
なりうるんですよやっぱりね
例えばポケットに財布入れるじゃないですか
そして財布どこいった
私の財布どこいった
ここまでの時間が
1分弱ですよね
1分経ってないです
最初に見た時はやっぱ驚きますよ
よくある現象ですけど
やっぱり最初に
自分の親の言動として見れば
びっくりはします
33:00
いやポケットに今入れたよって言って
で見る取り出すと
すごい驚くんですよ
手品を見ているような顔をするんです
つまり僕がポケットに入れたと思う方が
その時の彼女にとっては
理にかなってるぐらい
自分で入れたという自覚は
もうないんですよ
私はやっぱり無意識ってすごいなと
でもポケットに入れてるもんだって思うんですよね
だから我々は
自意識というものが
どれほど記憶と密接に結びついてるかの自覚が
おそらく非常に乏しいんですね
自意識って言っている
自意識ならコントロールが効くとでも思ってる
これは全然効いてないんですよね
97%ぐらいは無自覚にやってることを
3%ぐらいの記憶でつなぐことで
なんとかこの数字は適当ですからね
めちゃくちゃいい加減ですから
ただし私たちは
いわゆるちゃんとして見えているとか
人に対して恥ずかしくない振る舞いを
していると思っているのは
私は基本的には
無意識に感謝しましょうって感じが
するようになりました
自意識に感謝していてもしょうがない
自意識ってのは結局あぶくみたいなもので
水が無意識なんですよね
自意識は本当にあぶくみたいなもんだな
っていうふうに思います
でも3ヶ月チャレンジや1on1セッション
個別セッションは100日チャレンジのね
全て自意識を使わなければできないことですけども
だからこれは大変難しい
あぶくみたいなものだとしても
強力なものなんですよね
ただし無意識の上に乗っかってるってことは
間違いなく忘れちゃいけないことだな
って思うんですよね
その体感覚的にそうなんですよ
これは体の上に意識が乗っかっていて
無意識の上に自意識が乗っかっているから
コントロールと称しているものは
コントロール幻想みたいなもの
やっぱり心理学がやたら言うように
私がコントロールしているから大丈夫という幻想
それ自体を無意識側から与えてもらっているに過ぎなくて
してないんですよね
何にもおそらくは
してないんだっていうことを
ある意味お伝えするのが
3ヶ月チャレンジなのような気もするんですけど
ちょっと違うんだよな
3ヶ月チャレンジって
やっぱりもっと本当は
つつましいゴールを目指している面があるんですよね
その継続されている
継続コースがあるんですけれども
そういうメンタルにぐっと寄ればですね
でもそれは長期的視点というものを
視野に入れざるを得なくなるんですけれども
もう少しさすがに
それなりの
それなりのつつましいものですけど
それなりのものを目指せる気もあるんですけど
3ヶ月限定で
本当に一気3ヶ月
今始めまして3ヶ月後はさよならです
っていう前提であるならば
やっぱり相当目指すべきは
つつましいところになるなと
それは現状の整理の中で
36:01
その人が演じている役割とは
どういうふうになっているのかを
外から分かる限りお伝えする
というところまでだなって感じ
それでも私はそういうことを
我々はしませんから
日常生活では
意味がないとは思わないんですけれども
どうしてそういうふうに評価されたり
どうしてそういうふうに言われるのかっていう
どうやってその人の責任ではない
という説明の中で
もしかするとそのように評価されたり
悪評ですよ
そのように言われたり
悪口ですよ
することは
とてもその人の人生にとっては
プラスに作用する
それはためになるとか
何かを何て言うんですかね
そういうことによって成長するとか
そういうことでは全くなくて
ただそういう
なんていうのかな
こうことによって
人生を大きく
大きくはなくても
じわりといい方向に
変えていくために
欠かせない何かであった
みたいなことってあるんで
だからやっぱり難しいんですけど
いろんな意味で
お伝えするのも難しいし
そもそも
伝えるべきことなのかどうかすら
怪しいし
っていうようなことも
あるんですけどね
何しても3ヶ月っていうのは
チャレンジだなと
昨日たまたまね
そういう話もあったんですよね
3ヶ月チャレンジのチャレンジって
名前だけは変えないっていう話なんだけど
チャレンジなんですよ
やっぱり
この時代に精神分析を
理解しようとするだけで
すでにチャレンジな感じがします
そしてやっぱり3ヶ月
たった3ヶ月で
どうにかこうにかしようって
思うだけでもチャレンジングだし
そしてこう
行動変容を促さない
っていうこと自体がもはや
チャレンジングになってきたなって
感じがするんですよね
目標設定も持たず
行動変容も促さない
私はこれを絶対に譲りたくないなって
本当思うようになっているんですよね
行動をすることで
自体が良くなるという
フリーランスはみんなそう考えちゃいますけど
お金がないフリーランス
私みたいなのは特にね
行動してお金を何とかしないと
自利品じゃんっていう感覚が
常にあるから
どうしても行動によって
自分の価値を高めようって
思っちゃうんですよね
要するに市場価値みたいな
本当絶対辞めるべきだって
こんなに何年も何年も思ってきて
これほど自明なこともない
それをやって
いいことが1回でもあったかって
1回もないんでね
で 羨ましくもないのに
それをやろうとするっていう自分は
本当に圧に弱いんですよ
社会的な圧力に
市場価値を高めるっていう
ものすごく空想な念仏みたいなものを聞いて
高めなきゃって
かすかでも思う自分がいるのが
不思議ですね
だからましてこれを
人様にお伝えするのは
恐縮ではあるんだけど
やっぱり100対0とまでは言わないが
39:02
999対1ぐらいの確率で
何もしないほうがいい時に
何かをしてしまう
そういう時こそ何かをしてしまうんですよね
本当にそうなんですよ
見ていて 人のを見ていても
自分のことを考えても不思議で不思議で
何もしなければいいのに
何かをしてしまう
そして何かをして
事態は悪化させている
味がいないのにやってしまう
圧っていうものの圧を感じますね
昔親が勉強しろ勉強しろと言っていたのは
いかに圧だったかという
その圧はいかに彼らが社会に圧を
だって母なんてもう私が勉強
私に勉強しろと言ったことすら
思い出せなくなってしまっていて
私勉強しろなんて言ったかしら
みたいなことを言い出していて
いやーでも本音では
この人俺に勉強しろって
一万回は言ったと思いますけど
一回も言いたくなかったのかもしれないなと
思うんですよね
彼女にかかっていた圧の強さを感じますよね