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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今週の土曜にオンライン合宿をやります。
オンライン合宿なので、要するに家で生活していただくことになるわけじゃないですか。
最初にやった時不思議だったんですけど、ある種の、当然ではないな、バーチャル合宿感みたいなものが
今回、昨日言った通り久しぶりにリアルで合宿したんですね。
リアルとバーチャルはもちろんだいぶ違うんですけど、
やっぱり合宿感ってのはこういうもんだなというようなものはオンラインでも不思議と得られるので、
そこが人間のすごいところだとは思うんですけどね、これ動物だったら絶対無理だと思うんで。
ぜひ、コミュニケーションというのはオンラインでもオフラインでもスキルではないと思うんですけれども、
スキルレスな問題で困るっていう人も多くいらっしゃると思うんで、よろしければご参加ください。
私が何を喋るかはちょっとまだ、まだっていうのもどうかと思うんですけど、
前回喋ったようなことにでもなる、自分が喋る話はなるんだろうなと思いますが、
一見関係ないようなんですけど、今タスク管理の本を書いていて、コミュニケーション大事だなと思います。
本の中身というよりは本を作るにあたって、結構チャレンジングな状態に今なっておりまして、
ある意味、グッドバイブス5人っていう、僕はこの番組ではずっとしてますが、書くほぼ最初のタスク管理系の本になるわけで、
ほぼではなくて事実上最初の本になるわけですね。
やっぱり前に書いていた時とはノリが全く違うんですよ、自分の中で。
これは当然そういうことが文章の端々に出ますし、当然そういうことは編集さんがですね、
私に期待するなりイメージするなりしているものとズレがあるわけですね。
ここをコミュニケーションで埋めていかなきゃならないわけですが、埋めていくっていうよりはもうちょっとこう、
もっと想像していかなければいけないんですけど、クリエイトの方ですね。
これがですね、容易な作業ではないんです。容易なようなんですけどね。
ズレは微妙なズレでしかないんで、でも微妙なズレをコミュニケーションで縫っていくっていうのはやっぱり容易なことではないんですね。
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そういうこともあって、この秋は結構ずっといろいろとチャレンジングだと思うんですけど、
これはやっぱり新しいことを始めるとこういうことは避けて通れないので、やっていくしかないなと不思議と思い出したんですよ。
最初にタスクシュートを使い出した時もこういうある種困難にぶつかったんだと。
タスクシュートを使ってない時は、私になってもっとライフハックというのはある意味簡単明瞭なものだったんで、
タスクシュートをやっぱり本格的に使うようになってから、私の中でタスクシュートが真ん中に入ってきたんで、
それまでライフハックに別に真ん中とかはなかったわけですよね。
そういうことがあって、やっぱりスピードハックスとか後から読んでみると全然違うものに見えるようになったりもして、
あれは書いた後の話なんですけどね。
タスクシュートを本格的に運用するようになったのはスピードハックスは書いた後だったんですよ。
でもあれは大橋哲夫さんとの強調なんで、スピードハックスにはタスクシュートがかなり背骨的に入ってるんですけれども、
それはタスクシュートユーザーにはすぐ分かることなんですが、別に分からなくてもいいように作られていると。
そういう意味であの本は何ともうまいこと言ったんですよね。
その後の私のタスクシュートを使って以後の本は基本タスクシュートに沿っているんですね。
最初の方は苦労しましたよね、そういう意味で。
あれは私のオリジナルじゃないんでね。
最初からそういう考え方でいたわけじゃないですから。
私アメリカにいた時に、アメリカでGTDを読んだ関係上、ライフハック私のはベースにGTDらしさがあったんですよ、割と。
GTDそのまま書くという風にはならなかったんですけど、そういう乗り気にならなかったんですけどね。
GTD的だったんですよ。
そこがタスクシュート的に実は切り替わっているんですね。
あんまそういうところは表に出さないように書きましたけどね。
本当に私のタスクシュート以前に書いたライフハック本って数少ないので、そこが幸いしているというか、
今は本いっぱい書いちゃった後で、今度はグッドバイブス的にというのも変ですけどね。
でもやっぱり、もう自分の中に取り込んだものを、今日はこの取り込むって話をしたいんですけど、
取り込んだものを、取り込んだけれども本は取り込んでないかのように書くというのは余計難しいんですよね。
そういうのはおかしいと思うので、とはいえタスク管理なんでね。
タスク管理というのはグッドバイブスを全面にバンバン押し出して書くというのを求められていないケースではできないですよね。
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そういうような独特の迷路感があります。
書いていることは全然迷路感はないんですけどね。
いたって直線感しかないんですけれども。
そんな感じでコミュニケーションというものをテーマに、コミュニケーショントレーニングなのでぜひご参加ください。
取り込む前に、失うなんですよ。
対象創出という本が、本のタイトルなんですよね。
お好み圭吾さんの本がありまして。
要はあれはフロイトの有名なモトメランコリという論文が、
読んだものという前提こそないものの、読んでから読んだ方が分かるという意味では全然分かりやすい本ですね。
対象創出というと、僕の年ですからまだ肉身をどんどん喪失するという年齢ではないので、
ちょっと昔すごく話題になったので言うと、ペトロス症候群とかあれなんかは、
僕の感じでは明瞭に対象創出の一種。
重くなればですけどね。
すいません。
だけどペトロスで考えちゃうと、分かりやすいところと非常に分かりにくいところがやっぱりあります。
というのはやっぱりペットというのは、言葉は返していないわけですから、
いわゆる人の言葉という意味ではですね。返していないし、血の繋がりがあるとかでもないので、
例えば私の場合には目高が死にましたみたいなのでペトロス症候群にはならないわけですよ。
生きてては欲しいんだけど、だからといって対象創出というのとは違うんですね。
対象というのは単なる思い出みたいなのではないと思うんですね。
やっぱり不防、ないしは伴侶、あるいはペットのケースもありますよね。
その人にとっての食い込み方みたいなのの違いなんですけれども、
なんというんですかね、これは。
要は心の一部がそれになっているということなんです。
私のここのところずっと言っていた母子ユニットという表現を使うならば、
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あの場合の母というのはもう自分の心の一部の重要な機能を成しているわけですね。
でもその母は、例えば私の母の内的対象とかって言うんですけど、
心の中に生きていて、存在していて、ニードをニーズに変えるとか、
いろんな機能を果たしていますが、とはいえ実の母は生きていますからね。
そうすると母は2人になっちゃうんじゃないですか。
ということはどっちかは実在はしていないわけですよ。
私の母が実際に生きている母親が実在しているとすれば、
私の心の中にいるのは内的対象でしかないわけですね。
この内的対象を喪失するという問題なんですよ。
問題というのは大変な事態ですよね。
母親が死んだからといって心の中の母親はいなくならないだろうと思われると思うんですけど、
やっぱり人間の心というのは現実を反映させようとするので、
多分どういうふうに説明するべきなのかというのは分かりにくいんですけれども、
対象喪失という事態は発生するんですね。
この対象喪失が発生した時に私たちは母というものを必要とする、母中の母ですね。
喪失の層だと思うんですけれども、
あれを必要とするというフロイトの考え方なんですね。
母が始まるとその人の中で何が起きるかというと、
いろんな事が起きますが、まず欲愛感が出ますね。
喪失における欲愛です。
これは至って普通。
どれほどそれによる痛手が大きかったとしても、
基本的には時間が癒してくれるというアレで、
長い時間が経てばその人の欲打つはだんだん解消されていくんですが、
解消されないような場合があると。
いつまで経ってもその人が打つ状態から抜け出せないという時に、
つまりそれが鬱なのですというような文脈があります。
鬱というのは逆の言い方をすると、
お母さんが本当に亡くなっていてもいなくても、
大体の場合亡くなっていなかったりするんですが、
対象喪失が起きているその人の中で、
どういう理由によるのかは分からないけど、
外的な事件とつまり必ずしも直接関係ない形で、
対象喪失が起きているという風に言っているように私には読めたわけですね。
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私はこの経験があってですね、
これが私の人生の中で今のところ最悪の経験、
学生時代なんですね。
グッドワイブスのきっかけになったのは、
いわゆるミドルクライシスで、
45か46の頃の問題を、
グッドワイブスがなんとなく解消してくれたということなんですが、
こっちはこっちできつかったんですが、
これとはやっぱり比にならないレベルで、
学生時代はきつかったんですよ。
でも何があったかと聞かれると、
困るぐらい何も別になかったんですね。
ただただ対象喪失が、今思えばなんだけど、
当時はさっぱり分かってなかったんですよ。
この辺にきつさの原因があるんですね。
やっぱり事態を正確に把握できているかどうかというのは大きくて、
45と19じゃ、全然19か20かな、
もうとにかく違うんですよ。
倍以上生きてますからね、考えてみると。
つまり20歳の時に、
自分に何が生じているのかもわからないような形で、
精神的に問題を引き起こしているとですね、
やっぱりきついんですね。
今から思えばなんですけどこれも。
でも当時もめちゃくちゃきつかった感じがするんですよ。
でも何も起きていないんですよ。
だから困るんですよね。
甘えの病理というのは上手い言い方で、
甘えていると言われれば甘えているでしょうし、
他人の目にも甘えているようには映ったと思うんですね。
でもそれ以上のものには映らないと思うんですよ。
内部で進行していることは結構大きな問題で、
まず起死年齢ずっとあったんですよね。
死んでしまいたいってやつですね。
で、一番ひどかったのが大学の3年の時で、
単位が8しか取れなかったんですよ。
もうなんか8取れたのだって不思議なぐらいですね。
8単位ってことはつまり授業デート2つですね。
よく4年で卒業できましたよね。
奇跡的なんですけども、
大学3年の1年間は棒に振ったも同然で、
思い出すのも難しいんですよ結構。
まだらにしか思い出せない。
普通そんなことないじゃないですか。
大学生の頃の話ともなれば、
思い出そうと思えば結構思い出せるはずなんですけど、
なんか非常に少ないんですよね、思い出せることが。
まるで4歳の頃ぐらいまで戻っている感じ。
部分退校って言うべきなんでしょうね、あれは。
彼女が欲しかった病なんですけども、僕の中では。
彼女が欲しかった病というよりは、
今思えばですね、
当時はそういうふうに確信していたんだけど、
今思えば対象喪失なんですよ。
何の対象喪失していたかというと、母親なんですね。
母親対象喪失していたと。
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ところが母は別に死んだわけじゃないんですよ。
今も生きてるんだから当時は当然生きてますわね。
特に母と、母に対する嫌悪感は極めて大でしたけれども、
当時は。
特に母と何があったというわけですらないんですよ。
ただただ対象喪失が起きていて、
しかもそのことを全く僕は気づいていなかったんですよ。
でも、当時のゼミの先生が、
この先生のおかげで私は卒業できたと思っているんですけども、
よく分かってたんですね。
私にフロイトの方に勧めてくれて、
甘えの講座を勧めてくれたのもこの先生で、
しかも葬石の心、あれもう教科書に載ってるじゃないですか。
あれを採読するように勧めてくれたんで、完璧なんですよね。
今思えばこの本のどれにも書いてある内容なんです。
でもね、分かんないですね、当時じゃ。
元メランコリーじゃさっぱり分かんないし、
甘えの講座は読みましたけど、途中までしか読んでないです、当時は。
心は知ってましたけど、私と何の関係もないような気が。
何の関係もなくはないんですけどね。
だいたいその先生のところに、私は1年間ほぼ通い詰めだったんです。
1年間ゼミの先生のところに通い詰めなのに、
ゼミの単位を含めて8しか取ってないわけですよ。
だから大学に行くというか、その先生と喋りに行くのであって、
他のことは何にもしなかったんですね。
で、それって非常に今思えばなんですけど、
漱石の心の話と似てますよね、第1部と。
何なのかっていうことなんですけど、
うまく全部説明できる気はしないんですけど、
部分的に言うと、
まず、私が結局彼女が欲しいというのは、
何をしたかったのかというとですね、
用事対抗がしたかったんですね。
用事対抗をしたいというのは何がしたいかというと、
私の中では童話を読んで、
オレンジの絨毯の上で温かくしていたかったんですよ。
これ以上の説明はできないんですね。
こういう情景しか僕の脳内にないんで。
蜂蜜入りのミルクを飲んでたかったんですよ。
つまり甘えていたかったんですけれども、
これは母親を必要とするんですね。
ここに1人でいたいわけじゃないんですよ。
この時の母親はもういないじゃないですか。
この時の自分ももういないじゃないですか。
これがぽっかり消滅してたんですね。
消滅するというのは、
つまりそれまではいたってことなんですよ。
それまでこういうイメージはなかったんですよ。
むしろこういうイメージが生まれたのは、
消滅した後の話なんですね。
伴侶を失ったり娘を失ったりして、
ああなるのはわかります。
でも私は直接の原因がわからないんですね。
思い当たらない。
今思って直接の原因はわかんないです。
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ただ、18句あたりに完全に見失ったんですね。
その母親対象というもの。
母親対象というのは結局、
その母親と母子ユニットなんで、
母親と幼児だった私はセットなんです。
母親対象を失うということは、
その時一緒にいた自分も一緒に失っちゃうんですよ。
これは心の重要な一部の機能を成していたんで、
これがなくなるといくつかの機能障害を起こすんですね。
多分これがヒステリー型の乖離障害というやつで、
これがあんまり重度になると、
食事も自分じゃできなくなるということが起こるんだけど、
私にはそういうところまでは起きなかったんですが、
例えば朝は全く起きられなくなったんです。
多分、私が朝、それなりに朝らしい時間に起きるためには、
この幼児時代の自分を面倒を見て起こしてくれた母親というものが、
心の中で生きているからなんでしょうね。
私はもう10時より前に布団から出ることが不可能になったんですよ。
これは今では鬱の症状としてよく取り上げられるんですが、
私には鬱と対象素質はフロイトの中ではほとんど同じものなので、
よくよく理にかなっていると思うんですけどね、
完全に機能を失ったんですね。
これは朝起きるのが辛いとか、ベッドから出られないとか、
ああいうんじゃないんですよ。
絶対に目が覚めないか、覚めても出られないんですよ。
本当に体が動かなくなっちゃうんです。
これが大学1年間まるまるほぼ起きていた。
なぜ8台に取れていたかというと、どっちの授業も午後にあったからですね。
午後は起きられるんですよ、これが。
たぶん私が午後起きるという、これだから子どもの面倒を見るとか朝活とか、
私が言うものに同意できない大きな理由なんですが、
午後起きる能力というのは、たぶん午前起きる能力とは別に持っている、
科学的には説明できないのでどうしようもないんですけれども、
たぶん私の実体験の中では午後に起きる能力は高校の頃に身につけたんですよ。
たぶんあれがなかったら午後にも起きられなかったんじゃないかって今思うんですよ。
人間っていうのは相当心で動いてしまってるんで、
心の機能の一部が停止すると別の部分で動くしかなくなるんですね。
セーフモードみたいなもんですよ、パソコンでいう。
全体の50%くらいの機能で動いてるわけです。
だから大学のタイムを取れないし、現実機能が低下していくんですね。
ただですね、この大学さんのとき居酒屋でバイトしてたんですけど、
そのバイトはかなりうまくやれてたんですね。
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ということはですよ、母親機能を持ってなくても居酒屋のバイトはできるんですね。
母親機能というのは今僕の中では完全に取り戻されているんで、
だから朝起きられるんですよ。
これ朝起きるというものが単に睡眠時間に左右されないという、
僕の中では一つの確信になっていて、
信じてもらえないということもあるとは思うんですけどね、
私の中ではですね、朝起きられないという人を無理やり起こすのは
すごい問題がある行動だなと思うんですよ。
朝かつとかですね、みんなで起きるとか、
僕の感じではね、すごいリスク取る感じがします。
後々に往復っていうのかな。
とにかく私は予備校時代も午後まで起きなかったんで、
親は起こってましたけど、午後に起きるという能力を
そのとき多分身につけたんだと思うんですよ。
だから午後なら起きられたんですね。
そのとき母親は別の状態になってたし、
多分内的対象としての母親抜きでも起きられるんですよね、午後なら。
午前となると、母が起こしてくれていた時代に
遡ってしまっているので、一番最初そうしてくれてましたからね。
心の中の機能ってそういうものなんですよ。
これやっぱり単なる思い出じゃないじゃないですか。
機能してますよね、完全に。
だからマザーチャイルドユニットというのは大事なんだと思うんです。
このようなことがあったので、対象素質が起きたので、
まず今の起きられないのもそうなんですけれども、
だからここを彼女に埋めてもらおうという非常に無謀なことを考えてたんですね。
考えてはいないんですよ。今のようなことは後から知ったんでね。
当時はただ彼女がいれば全てがうまくいくと思ってたんですけど、
これはフェミニズムに一番怒られる部分なんですけど、
彼女を母親にしているわけですよ。
ただし内的な母親にしようという話なんですね。
外に彼女がいて起こしてくれても多分起きられなかったと思います。
当時の私では。
ここのポイントは内的対象としての母親をリアクトさせることにあるわけです。
リアクトさせるということが果たしてできるのかって問題なんですね。
対象喪失をした人、みんな言うんですけれども取り返しがつかないって言うんですよ。
もう取り戻すことができないと。
死んじゃなくなっちゃいましたからね。
目高であってもそうですよ。取り返すことはできないです。
新しく買ってくることはできますが。
だからペットロスにもあり得るわけです。
そのペットが内的対象になっていればですね。
ただそのペットがどういう機能を果たしていたかというのは母親と違って非常に分かりにくいので
そこらへんがこのペットロスだった場合の内的対象の分かりにくさにはなると思うんです。
私の場合はただ当時は自分では全く分からないまま母親を失ったので
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母親生きてたんですからね。何度も言いますが。
内的対象としての心の中の母親を失ったので
かなりの部分で気の低下が起きました。
まず昼間からずっと酒を飲んでいました。
完全に欲打つなんですがアルコール依存が入りましたね。
あそこに。つまり酔ってないとやってられないんですよ。こうなってしまうと。
やはり取り返しがつかないという感じ。
ほとんど毎日酒を飲んでいましたからね。酔うまでは。
取り返しがつかないという感じというのはものすごくあって
だって幼児の時代って取り戻せないじゃないですか。
そういう現実原則に対応できないわけです。
自分は幼児じゃないというのが現実ですよね。
エリプスなんですけどね。
どんなにお父さんから生まれたのは嫌ですって言ったってダメなんですよ。
お父さんから生まれたのは間違いないんで現実なんでね。
同じでどんなに今大学生なのは嫌ですってダメで
現実としてもう16年前に戻るということはできないわけですね。
20歳の当時の私が。
ところがこの内的対象という母親をですね。
蘇らせることによってこれはできるんですよね。できたんですよ。
問題なのはこれどうやればできるのか。
もちろん当時はそんな自覚すらなかったので
これをしようとは思ってなかったんですよ。
ひたすら彼女を作ろうとしては失敗するというね。
だから私こういう人はガツガツしてるからできないとかいうのも問題外だと思うんです。
そういう話では全くないと思うんですね。
問題なのは彼女を作ることじゃないんでね。
この内的対象としての母親およびその時の自分自身というものを
心の中で再生することが必要なんで。
そういうことに気づくことが大事なんで気づきませんでしたけど。
いくつかの偶然が重なってこれができたわけですね。
一つはその先生がいたってことなんですよ。
このフロイトはですね。
ここを甘えと日本土井さんはこれを甘えと言うんだけど
つまり甘えというのはですね。
土井たけおさんの表現を取ると一つ意識なんですね。あれは。
一つ意識じゃないですか。
心が一つに戻れば自動的にそこに生きていたものは復活しますよね。
心が何らかの形で分裂した上に割れたために対象を喪失したわけですから。
心が再び一つになるということで
先ほどの内的対象としての母親というのは生き返るはずなんですよ。不思議なことに。
リアルな人は生き返りませんけど
だからここが非常に大事で
リアルな人は外にいるんですよ。
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リアルな人は外にいて
自分の内的対象は家にいると。
よく内的対象と外的対象を混同してしまう
この種のものはしょっちゅう混同されています。
この混同ナルシズムって言うんだと思うんですけど
攻撃するわけですよ。
私は現に母親を攻撃していましたからね。大学時代。猛烈に。
そうすると何を攻撃しているのか分からないんですよ。
私は失われた内的対象としての母親を実は攻撃していたわけですね。
失われたから。
よく言うじゃないですか。勝手に死にやがってみたいな。
言いがかりも派手しいわけですけど
勝手に死にやがってっていうのはすごいナルシスティックな言い方ですよね。
そういう風な気持ちになるんですよ。
勝手にいなくなりやがってとか勝手に置いてけぼりにしやがってと思ってるわけですよ。
しかも私はその自覚が全くないので
母にただ攻撃をするということをやるんですね。
これがグッドバイブスで倉園さんが言う
人が自分を傷つけることはないと
自分で自分を傷つけることしかないんだってやつなんですね。
母が私を傷つけていると私は確信していましたから
当然攻撃しますわね。
この攻撃によって自分が猛烈に傷つくわけです。
なぜなら私が攻撃しているのは内的対象としての
私の中で半分死んでいる母なんで
これを猛烈に攻撃するというのは
自分の心を滅多打ちにする感じになるんです。
この実感はすげえあるんですよ実は。
これをやるとものすごい落ち込むんですね。
当時はなぜ母を攻撃して
俺が落ち込まなきゃならないんだって本気で思ってたんですよ。
必ずそれをやった後
友達と夜酒を飲みに行くと
その日に居酒屋でバイト
だから居酒屋でバイトなんですよ。
居酒屋でバイトするとその後その居酒屋で
安く飲めるんですね。
これで閉店までずっと飲んでいると。
これを必要とするんですよ不思議と。
その頃にですね
最大にこの問題を解決するのに
役に立った
ちっちゃい失礼なんですけど
この先生と飲んでいる時ってのがかなりあったんですね。
すごく付き合ってくれたもんだと思うんですよね。
こんなアホみたいな話に。
息子たち恋人たちっていう
サンザンラバーズっていう小説が
DHロレンスに小説にあるんですけど
その先生のゼミで扱うテーマの一つがこれなんですね。
というか扱っている作品がこれでした。
サンザンラバーズでした。
これは要するにマザコンのロレンスの
母を失うまでの話で
実にこの先生に扱ってもらっていたものは
的確だったんですね。
私のテーマはマッシュブラなんですよ。
私は知らなかったんですし
卒業しても気づいていなかったんですけど
だからこの先生とずっと喋っていたことが
結局のところ私の一つ意識というものに
30:00
ぴったり符号しているわけです。
当時は全く気づいていなかったから
ちっとも感謝していませんでしたけどね。
いや少しは感謝していましたね。
酒に付き合ってくれてたからね。
大体はおごってくれましたしね。
僕は居酒屋でバイトしている金以外は
基本的に金がないわけですよね。
酒飲んでばっかりいるから。
前の年とかは家庭給支やってたんですけど
それも一切辞めましたからね。
金全然なかったんですよ。
このようなことが起きた理由は
よくわかんないんですけれども
起きたってことだけははっきりわかって
うつの症状はほぼ全部
アルコール依存の症状もかなり
急に起こりだすっていう
ヒステリーの症状みたいなやつですよね。
もう相当あって
要するに本来今で言えば
診療内科行くべきなんですよ。
ゼミに通ってるんじゃなくてね。
ゼミと居酒屋のバイト以外は
動く気になれないんですね。
母とたまに会うと
喧嘩しかしないと。
こういう状態がずっと続いていて
落ち込んでいるんだけど
落ち込んでるという認識はあんまないんですよね。
落ち込んでましたけど。
この時の
元メランコリー
モーニング&メランコリア
あれにある通り
ヘルプレスネスっていうのが
グーッとくるわけです。
自分はすごい弱いんですよね。
ヘルプがレスなんですよ。
ニードっていうのは
原則ヘルプミーだっていう話は
昨日した通りなんですけど
結局ニードっていうのは
水が欲しいとか
そういうニーズに変わるんですけど
その前のニードっていうのは
生きていたいってことですから。
ヘルプなんですよ。
セルフヘルプっていうじゃないですか。
セルフヘルプがほぼ機能しなくなってるわけですね。
自分の中で一番
生きているってことを
ケアしてくれた母親を殺したんで
ヘルプレス
そのものになってるわけですよ。
ものすごい自分が頼りないものに
感じられるわけです。
ここで分かんなくなっちゃうんですよ。
だけど私が取り戻したいと
なんとなく漠然と思ってたのが
あのミルク飲んでいた時代の4歳の私なんですよ。
あんなの取り返したところでね
何がヘルプになるのかと
何の助けにもなる感じはしないんだけど
まさにそれが
助けになるんですよね。
例えば朝7時に起きるとかね。
結構書いてありますよね。
セルフヘルプ
自己啓発の本に
朝7時に起きましょうみたいな。
できないんですよ。
あまりに自分がヘルプレスすぎて。
だからこれは自力でやるもんじゃないってことなんですね。
僕に分かんなかったのは
そういうことなんですね。
まあこの話は
若干続くとも
思うんですけど
基本はこういうことでして
最後は一つ意識っていうもので
33:01
回復していくっていう
その過程が多分大事なんでしょうけど
僕はこの時の記憶が
はっきり定かではないので
今見ていろんなことを見て
少しずつ分かってきたんだけど
結局分かったかどうかは
怪しいものなんですよ。
だから今ドイさんの本とかを読んでる。
そういう話なわけです。