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2021-11-10 37:17

【GMV 494】自分の中の母性を回復する

甘えを受け止める自分が必要になる
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
相変わらず同じ話を繰り返して、
今日はちょっと変えまして、
YouTubeで、倉園圭造さんと一緒に
ぶっちゃけ相談という、グッドボイスのぶっちゃけ相談かな?
という番組をやっているんですが、
あれはですね、お悩み相談に答えるという、
よくラジオでそういうのがありますよね。
昔私が好きだったわけじゃないんですけど、
父が釣りに連れて行ってくれた時に、
よく子供電話相談室というのは、
あれ多分父が好きだったんでしょうね。
聞いてたんですよ。
で、あれのお悩み相談で、
しかも私がハガキを読み上げると、
あのハガキどこから来たんだと思っている方は、
多分いらっしゃらないと思うんですけど、
あのハガキは、言うならばダミーでして、
こちらで用意させていただいています。
お悩み自体はですね、
ハガキに書いていただいて、
どっかの宛先に送る必要はないんですよ。
あれはフォームがあって、
グッドワイブスの公式サイトというものがあるので、
フォームがありまして、
そこから送ることがどなたでも、
匿名でできますんで、
グッドワイブス公式っていう風に、
多分検索いただければ当たると思うんですよ。
何ならぶっちゃけ相談をYouTubeで一つ見ていただくと、
すぐにURLが出ますんで、
そっちの方に送っていただければですね、
お悩み相談いただけますんで、
つまり相談の数が尽きると、
番組も尽きるという原理になっているので、
もうかなりの回数続けてきましたから、
尽きておかしくはないような気もするんですけれども、
でも、悩みって尽きないという面もありますので、
今朝ね、
ツイッターで、
すっごい本売れた、
読書ザルさんっていう、
読書ザルさんでいいんだよね、多分。
読み方がわかんないなって、
いつも思って困っちゃうんですけど、
マシュマロを投げ合おうっていうのかな、
僕よく知らないんですけど、
あそこに悩み相談をどんどん投げかけてるんですね。
投げ受け付けてるんですよ。
私もシステム使おうかなと思ったことだけはあるんだけど、
だいたい思うだけで僕は終わっちゃうんで、
そこに読書ザルさん宛に、
大学生の方がすごいいっぱい、
勉強に興味が持てませんという、
お悩みを相談されるんですけど、
あまりにもこの種のが多すぎるんで、
一旦この悩みを打ち切るみたいなこと書いてあって、
やっぱり売れてる人はいろんなところで、
恵まれてるというか、いいなと思ったわけですね。
尽きる、尽きないんだなっていう、
尽きるんですよ。
同じような形式でやっていてもですね。
全く同じお悩みがあまりに続くということも
03:01
あるのかもしれませんけれども、
やっぱり、
読書ザルさんは勉強法とか、
勉強大全みたいなものだから、
勉強に絡む悩みが、
それって結局大学生の人とか、
受験勉強の人とか、
尽きないじゃないですか。
私たちは多分人生のぶっちゃけ相談なんですけど、
私たちは多分人生のぶっちゃけ相談なんで、
尽きる、
それも変な話ですよね。
人生の悩みのほうが尽きない気がするんですけどね。
学生さんで、
勉強に興味持てませんとかでも全然いいと、
いいので、
もし聞いていらっしゃる方に、
学生さんの方がいらっしゃったらですね、
お悩みいただければ、
多分同じのが何回来ようと、
私たちのほうは、
答えやすくはですね、
これはもう答えは打ち切ります、
みたいなことはできない感じなので、
気にせず送っていただければと思います。
というわけで、
何の話をしているんだか、
いろいろ喋っているうちに、
分かんなくなってきたんですけど、
昨日の話は、
完全には、
収束できなかった気がするんですが、
要するに私が言っていたのは、
元メランコリーの話をしていたんですね。
昨日フロイトの論文を読み直してみたら、
あれはヒアイとメランコリーになっていたんですけど、
ただ原文は、
僕が発音できないんです。
モーニングっていう、
モなんですよね。
モーニングはヒアイじゃないと僕は思うんですね。
ヒアイは、
モの気持ちになる原因、
じゃないですか。
モっていうのは、
怒りを含むって思うんですよ。
つまり、
グッドバイブスの柄園さんの言葉を借りれば、
罪と罰なわけですよ。
罰したいと思っているんですよね。
罰されるから、
自分が欲打つになるわけですよ。
誰かが死んだ人は、
死んだら罪なんですよ。
これはあるじゃないですか。
僕はあれ、
おかしな話だとは思うんですけど、
草津温泉にありますよね。
石積むやつですよ。
つまり、逆縁の不幸とかって言うじゃないですか。
親より子が先に死んじゃダメです。
というやつですよね。
だから先に死ぬのは罪だっていう、
どう考えてもおかしいと思うんだけれども、
そういう考え方があるというのは、
残された人が恨むっていう意味ですよね。
どう考えても。
なぜ私を残して死んだんだっていうセリフ、
僕は小説か漫画でしか見たことがないですけれども、
言うじゃないですか。
ということは、
恨むわけですよ。
恨むと、
最初は死んだ人を恨むんだけど、
06:02
当然、死んだ人を恨み続けていても
どうにもならないので、
それがUターンして自分に戻ってくるわけですよね。
中にはかなり思考そのものが病的になってしまって、
私が一緒に行ってあげれば、
あの人は死なずに済んだとか、
また無理な話が出てきちゃうわけですよ。
でもこれは、
そういう思考が先にあるはずはなくて、
やっぱり先にあるのは、
自分を罰したいという気持ち。
それはつまり、
罰したいという気持ちにターンを発するわけですよね。
で、悲哀だけじゃないと思うんですね。
そこにあるのは。
明らかに、もちろん悲哀はあるんだけれども、
罰があるわけですよね。
罰があると。
で、罰が自分を抑制しまくって、
ついには抑鬱状態に達するわけですよね。
これがマーニングという時間における人の気持ちなんだと思うんです。
で、私は自分の母を、
母といっても自分の母は生きてましたけど、
今も生きてますから、
内的対象であった、
私の心の中の母が消えたと。
で、それに気づくことが全くなく、
なにか訳のわからない怒りに借り立てられてたわけですね。
ぽっかり穴が開いたってやつですよね。
よく表現で言えば。
で、昨日言った通り、
一番私がそのことを今思っても顕著に出ていたのが、
アルコール依存と、
要するに朝全く起きられなくなったってことですね。
そういう時期が少なくとも7、8ヶ月長いですよ。
これはこういう時期がずっと続いていると考えるとね。
もっと長いんですけども、多くの場合。
私の場合は7、8ヶ月は、
ずっとほぼ毎日、昼間からお酒飲んでて、
朝全く起きてないという時間帯があったわけですね。
だから8単位しか取れてないわけですよ。
で、この状態にあった時に私は自覚がなかったので、
何が起きているのか分かっていなかったどころか、
自分病気だとも多分、
自分は全くそれで正常だと思っていたわけですよ。
体が動きもしないのにですね。
で、その時に、
長らく時間を使ってですね、
要するに何をするべきだったのかというと、
一言で言うと、
自分の甘えというものを取り戻す必要があったわけです。
甘えられないというのは、
甘えを抑止しているわけですね。
だから、抑鬱なわけですよ。
甘えを抑止してしまう。
で、甘えを抑止してしまうと、
自分がまるで機能できなくなるので、
つまり私たちはしょっちゅう、
もちろん自分に甘えているという部分と、
人に甘えているという部分と、
09:01
両方あって成り立っていますので、
それが表には見えないケースがありますよ、たくさん。
でも甘えてないで生きているという人はいないんですね。
これ別の言い方をしようとするならば、
生きたいと思っていないのに、
普通に生きられるという人はいないんですよ。
ニードをニーズに変えるという話を何度かしていますけれども、
要は自分の血糖値が下がると、
お腹が空いたと思って物を食べるわけですね。
自分の血糖値が下がるのを放置できないということは、
つまり生きていたいということですよね。
すべてのニードはここを目指しているわけですよ。
生きていたいと。
フロイトの言葉で言うならリビドウですよね。
生きていたいと。リビドウはイコール性欲じゃないですよ。
あれはたぶん生きていたいという要求ですよね。
性欲が一番外に出て目立つので、
リビドウ性欲という部分が強調されているんだけれども、
呼吸したいのだってリビドウだと思うんですよ。
リブですから。
とにかくこのリブというのが要するにラブなんですけれども、
性に向かってラブが向かうわけですよね。
これって非対称的ですよね。
ニュートラルなアンドロイドとかニュートラルな車とかだったら、
生きるのも壊れるのも同じだから、
そこに願望の方向性はないはずなんですよ。
別に車、元気よく走り回りたいぜとか思ってないわけですよね。
私たちだから思うわけですよ。生き物だからね。
そのニードがうまくニードに変換されないということは、
つまり例えば起きたいとか思う前に起きるわけじゃないですか。
起きたくなくても起きるんだけれども、
つまり起きようという意欲というのは既にニードですよね。
ニードのままだったら起きたいという言葉にはならないわけですよ。
赤ちゃん向かって起こしたり寝かせたりするのは、
私もやったけど親なわけですよ。
赤ちゃんは眠いとは言えないんですからね。
自覚もないですよね。
だから明らかに眠くなっている赤ちゃんを寝室に連れて行くと怒るんですよ。
泣きまくるってよくありますよね。
この寝かしつけに失敗するとか。
寝かしつけに失敗するということは、
当然ニードがニードに変換されていないから、
親がですね、あなたは眠いんですっていうことを教えてやらなきゃならないんですよ。
これ実際親になるとやるんですよね。
結構これが大変なんですよ。
一日に何回もやらなきゃならないからこれを。
一日に何回もやる上に毎日だから、
これでノイローゼになるみたいな、
育児ノイローゼの中に寝かしつけノイローゼってすごい多いんですよね。
まさにニューロシスなんですよ。
神経症なんですね、あれは。
だってこうやってもやってもうまくいかない。
うちも結構これは苦労しましたからね。
もう寝室に連れて行けば泣くみたいな。
うちの方はやっぱりある意味では楽だったんですよ。
12:02
例えば起こして怒り出すことってほぼなかったですからね。
寝かしつけにはしくじることが多々あったんですよ。
寝かしつけなんてある意味うまくいかない時期は
うまくいくことが全くないという日々が続くので、
これ一個取っても親には感謝してもいいんですよ。
ものすごい辛いですからね。
特に母親は多分辛いんですよ。
うちの奥さんもあれが大変だってずっと言ってましたから。
あれはもう本当大変なんですよね。
自分眠いのに子供いきなり起きて泣くと、
しかも寝ないと。
しかも子供の本当のところは眠い。
もうそれは間違いないですよね。
ニードとして目指しているのは寝ることなんだけど、
うまく寝られないもんだから叫ぶみたいな。
意味不明な行動ですよね。
まさに甘えなんだけれども、
これを罪だって人は誰もいませんよね。
これが当然こういうことが親がインストールしてくれるから、
いずれ子供も寝ることになると思うんですよ。
子供は自分で学ぶわけですね。
眠い時は寝ると。
これ一見非常に簡単なことのようなんですが、
寝られない人は世の中にいっぱいいますよね。
不眠症ってありますもんね。
私はあれは内的な母親の気の不全。
ほとんど、全部ではないでしょうが、
極めて多くはそうだと思うんです。
今回、遠畑海人さんが心はどこに消えたで、
心が消えるというのは大変なことなんですが、
だから心はどこに消えたでも書いていますが、
眠れないのねって言う年配の品のいいご夫人が
訴えてきたという話が出てくるんですけど、
これはカウンセリングで多分相当いい訴えだと思います。
人は知ってるんですよ。
カウンセリングに行く必要があるってことは、
眠れなくなった時は心の悩みがそこにあるということをですね。
じゃなかったら睡眠薬とかでさっさと寝たらいいわけじゃないですか。
寝られないというのは理由があるわけですよね。
ぶっちゃけ相談にも来ました。
上手く寝られないとか。
それこそライフハックでは有名なGTDの中にも
いきなり出てくるじゃないですか。
夜3時とか4時にいきなりやってない仕事のことを思い出すと。
あれがまさに僕の感じではですけどね。
内的な母親が機能しきれてないんですよ。
抱えてる問題がでかいので、
お母さんが寝かしつけてくれれば
どんな男の人でも寝てられるのに、
うまく寝かしつけようとした時に
かっとこう、あのプロジェクトはとかって言うんですよ。
赤ちゃんと同じ状態ですよね、これはね。
プロジェクトだから赤ちゃんだという意識が全くないでしょうけど、
夜の3時に目を覚ましてそんなことを思い出しても
意味が全くないわけじゃないですか。
だからこれは部分対抗が起きていて、
そういう解釈をしてもいいと思うんですよ。
部分対抗が起きていて、
15:00
内的な母親がうまく機能していないと。
で、私の場合はそれがほぼ完全に機能停止したために
朝は起きられないわ。
昼から酒飲んでなきゃなんだいわ。
ずっと彼女を作り出さなきゃなんだいわと。
私この作り出すという表現は
先日の連載で書いていて、
ふと思い出したんですけど、
私あの時彼女をもはやゲットするということはほぼ諦めていて、
作り出すという方針に切り替えようとしていた時期があったんです。
もう完全に病んでますよね。
でも自分は病んでるとは全く思ってなかったんですけどね。
その頃そういうSFを読んだこともあったんですよ。
そういうバーチャルな女性を作るという。
今でもそういうゲームありますけどね。
バーチャルな彼女を作るというゲーム。
あれ、彼氏の出てくるの絶対と思うんですけど。
私はただ彼氏が出てくるよりも、
今の女性の中のジゾイドっぽい人たちは
たぶん彼女を作るんじゃないかなというふうにずっと思うようになりました。
異性であることは重要じゃないですよね、この場合。
内的な母親対象なので、
どっちかというともうどっちにとっても女性のほうがいいんじゃないだろうかという気がします。
だから私はここで異性愛になるのか同性愛になるのかは
大して重要な問題じゃないんじゃないかと最近思うようになっています。
これはあくまでも僕の頭の中のSFみたいなもんですけど。
あの、書いてますね、あの人が。
ドイ・タケオさんが。
心の甘えの構造の中で、
漱石の心を取り出してきて、
つまり彼女の心を取り出してきて、
甘えというのは同性愛というふうに西洋人は受け止めると。
これは恋愛じゃない愛というものを
彼らが厳密に意識するのが困難なために
同性愛という言葉に直っちゃうんですよね。
同性愛だけを意味するわけじゃないんですけども、
たぶん異性愛は全部恋愛のような方向で意識されすぎるので
同性愛と言ったんでしょう。
だからフロイトの同性愛というのも
甘えに置き換えたほうがはるかに我々には分かりやすい気がします。
あそこ同性愛というふうに見て考え始めると
わけわかんなくなっていく文明がすっごい多いような気がしますね。
そういうのは私はドイさんの本で
理解するようになっていったんですけれども。
この眠れないというのは、
私はなぜか眠れなくは、
でも酒飲んでたから眠れなくても
たぶん眠れなかった可能性もありますよね。
こういうすごく生存の基本中の基本みたいな
基本中の基本を全部、私は特にそうですが
母親にやってもらっていたから
内的な母親対象というものは
私の生存の基本中の基本をケアしてくれているわけですよ。
おそらく私がAGSPっぽい、怒られればすぐ傷つくとか
ADDっぽい
やだらと不注意だとか
18:02
全部ここに淡泊しているんだと思います。
内的な母親対象の機能不全というのが
私の生活のごく基本的な身の回りのことをできなくするんですよね。
つまりこれを人は私の考えでは知的にやっていないんですよ。
何時までに家を出るとか
今日は誰それさんと約束があったっていうのは
人はお母さんに昔やってもらっていて
そのお母さんにやってもらっていたものを
自分の心にインストールすると
別にGTDとかタスクシュートがなくても
ウォームでやれるんですよ。完璧は無理ですよ。
お母さんがしくじることだってありますからね。
でもうちは母が愛情が不足していたとかではないんですけど
こういうものを突き放すのが早かったんです。
子供に早くこういうことを自分一人でさせるようにする方が
より教育的に良いと考える
そういうことが盛んに言われていた時代でもあったんですね。
私はしっかり者だということになっていたので
その早い段階で完全に任せっきりみたいな
完全に一人でできるでしょう状態に早くなったんですね。
こういうことがすべて今の大学時代の私の
多大に抱えることになったことと
かなり深い関係があるんですよ。
もちろん全部ここにかかっているわけではないんですけど
相当この部分は大きいとは思います。
そういうふうにして自分で約束をケアできないとか
そもそも起きることすらできないんですから
約束のケアなんかできるはずがないんですよね。
人の名前を覚えておけないとか
あった出来事をことごとく忘れるとか
そういうことが起きてくるわけですね。
今ではそれは発達障害という文明風で
全部くくり出されてしまったんで
私にはすっごいその見方には無理があると思う。
現象面以外何も見てませんからね。
原因的な話は一切していない。
だからライフハックで全部現象的な手当て
対象療法的な発想だけを取っていくようになっちゃってるんですけど
しょうがないんですけどね。
精神分析が今日本では受け入れられてない部分が多いんで
し、今みたいな内的な母親対象みたいに
どこにもエビデンスないようなもの
ただの思いつきと空想みたいな話を使って
人の症状を見るというのが
到底今の日本では馴染まないので
ADDにせよHSPにせよ
私にはもうどう見ても
本人が心の中で甘えられてない
そしてそれ故に他人に頼ることなんか
全然できなくなってしまっているというのが
全原因大体そうじゃないですか。
会社に行って怒られても
人に慰めてもらえるっていう部分があれば
全然違ってくると思うし
約束の時間とか
それこそすごい発達障害の本にも書いてありましたけど
あれは誰だ。借金玉さんか。
21:01
最近著者名がこういうふうに読書ザルさんだの
借金玉さんだの多いんで
別の意味ですごい覚えやすいようで
発音もしにくいし
借金玉なんだよなみたいに思っちゃいますよね
彼が書いてましたけど住民票払いに行けないとか
非常に何かですね
そこは神経症っぽい部分もあるし
お母さんがやってくれたでしょう
そういうのが最初はっていう話がすごい多いですよね
人との関わりの中で解消できそうなのに
全部ライフワークでやらなきゃなんなくなって
つまり全部自力で人に聞きもせず
つまり人の手を煩わせずに
煩わせるってのは甘えですよね
つまり甘えることを一切拒絶して
一人一人が粛々とやるのが絶対正しいんですっていう
こういう文化的な圧力のもとに僕らは置かれましたね
そういう気がします
それが一番いいじゃんって言われるでしょうけれども
僕は明らかに変な面もあると思うんですよ
聞いてやれば話早いじゃないですか一つには
もう一つそれよりもずっと僕が感じることとして
全部をリストアップするのっておかしいと思うんですよ
何一つ自分の頭の中では処理していなくて
これをするあれをするそれをするっていうのが
全部書いてあると
それを読んではやると
どんどんどんどん自分らが機械的になっていってしまうじゃないですか
食事も全部レシピ通りに作っていく
これをとことんやればですよ
8000ぐらい項目があって
一つ一つ書いてある通りにやって
これがいいっていう感じの方も今いらっしゃるみたいなんですけど
僕はこういうところに身を置いていたけれども
これは不自然だろうと思いますけどね
一日何百も項目を書いておいて
一個一個やったら全部終わった
今日もいい日だったって言って
寝てまた起きてそれをやっていく
生きてなくてもいいんじゃないかぐらいなノリになって
生きかねないという気もします
やっぱりそんな風にしなくったって
大概のことは頭でやれると思うんですよ
それがGTDでも言ってるけど
頭を空っぽにするっていうのと
反するように思われるんですけど
頭は絶対空っぽにはなってませんから
例えば住民票をコンビニに出しに行くって書いてあったから
頭空っぽになっているかというと
住民票っていう言葉は頭の中に入っているし
コンビニがどこにあるかも頭の中に入っています
追い出した方がいいのかというと
追い出した方がいいとは思えないんですよね
全部空っぽになっていて
毎回毎回地図を見てコンビニの場所はここだったと
頭空っぽですっきりしている
奇妙な感じがしますよね
そうはならないと思うんですよ
結局のところ多くのことが頭に入っているから
立訴の文章を読んで
それを理解して行動に移せるのであって
出せば出すほどいい
24:01
残っていないほどいいということには
多分ならないと思うんですよね
実際には
ここは多分負荷が多すぎるかそうでないかの
話をしているだけであって
空っぽっていうのは比喩ですよね
あくまでも
つまり比喩なんですよ
どっちにしても私が思う
実際にはね
発達障害という言葉は
エビデンスがある実態がある
正しい解釈であって
内的な母屋対象というのは
エビでしかないということは
ないと思うんですよ
これはどっちも比喩なんだと思うんですね
本当のところは
私はこの比喩
どっちの比喩を使うというならば
内的な母屋対象という方が
ずっとしっくりくると思う
よく似ているところがありますからね
HSPと発達障害って
今回私は前の本の中でも
取りざたしましたけれどもね
両方ある意味同列に並べるような部分も
ありましたけど
全然違うものとして扱われることになっちゃう
症状療法だけ考えて
DSMというかな
アメリカの精神診断マニュアルに
即して考えるとなると
最初はそもそもHSPに載ってなかったし
そういうことになるんだけど
あれは母屋の機能不全
それもそうまだ重い部分に
至ってないって考えればですね
両方同じようなものとして
考えることができる上に
対応策も取りやすいと思うんですよ
要はその内的な母屋の機能を
もう一度
アクティベートしてあげれば
いいはずなんですよ
母屋の機能というのは何かというと
生きたいという気持ちを肯定してあげる
ってことですよ
突き詰めれば
自他問わずですね
だから他人を甘えさせるって話にしてあるわけですね
他人を甘えさせるのも
自分を甘えさせるのも
自分の心の中の母屋の役割なんですよね
一つは
一つはですよ
全部じゃないです
これを自分のも他人で
自分のも
ケアしてあげるようにしていけば
多分そんなに
怒られる弱さみたいなものに
過剰に恐れなくても済むし
多分朝は起きられるし
したがって人との約束も
自然と思い出して
果たせるようになるはずなんですよ
非常にフロイトの失策行為に
書いてあったことに近いんで
分析的な考え方なんですよね
この辺の部分って
基本的には無意識に進行する話であって
決して自意識的に展開していく
ような事柄ではないんで
だってそうですよね
明らかにタスクシュートに書いてあるから
朝起きるわけじゃないじゃないですか
朝起きてからタスクシュート見るんですよね
気象って書いてあったから起きるっていうのは
ありえないと思うんですよ
起きるのは自然に起きないと
出なければ起きられなくなってしまう
目覚まし時計があるって言うんですけど
これはあくまでも
目覚まし時計の音を
耳が取り込んで
耳から取り込まれて
それを電気信号に変えて
起きようという風に
脳が無意識に機能した結果
起きられるのであって
27:01
私は現に音がでっかく
目覚まし時計が鳴っても
一番ひどかった時は
大学3年の頃は
起きられなかったですからね
朝全く
iPhoneの音とかじゃないですよ
鐘のけたたましい音が鳴っても
気が付くんだけど
起きられないんですよ
そういうことが起こるんです
これについては
ADDとかでは
解説できないじゃないですか
ライハックでは
対応にならないですよ
これでは
多分当時行かなかったから
どこの医者に行ったとしても
あなたの体におかしいところはないです
って言われたに違いないんですよ
こうして人は心療内科とかに
行くはずなんですね
心の問題だってことになるから
ここに至ると
脳を見るか心を見るかするしか
もうなくなるじゃないですか
そこで私がずっと
自分の自覚症状としてあったのは
彼女が欲しいだったわけですよ
もう少しいれば
彼女を作り出そう
っていうことだったんですね
この辺になって
初めて人に相談すれば
あんたおかしいよって言われてた
可能性はあると思うんですね
私はそれの相談相手に
行ってみれば
自分のゼミの先生を選んで
勧めてくれたのが
フロイトだったわけですよ
聞かなかったですけどね
当時は
それが聞くようになったのは
なんと20年後ぐらいで
その先生も亡くなってますけどね
そういうことって
でもあるんだと思うんですよね
私の考えですけどね
これは私の主観でしかないんですけど
本当に私の中の物語でしかないんですけど
結局最終的に起きたことっていうのは
うよ曲折はたくさんあるんですが
最終的に起きたことは
やっぱり内的な母親というのが
蘇るっていうことだったんです
前と全く同じとかではないですよ
前と全く同じ形では蘇らない
そうですね
大学3年が終わって
4年の時にはもう
80体ぐらいはとれたんですよ
これだけでももう機能してるわけですよね
私にしては珍しく
一元もフルに入れて
全部朝起きられるようにもなってたんで
全然違うんですよ
本人の中では大して違ってないんだけど
ただ朝起きられるようになっただけなんですけど
気がつけば酒飲んでなかったですから
夜は飲んでましたけどね
この辺のことは全部そうなんですけど
気がつけばになりやすいんですが
一つすっごい覚えてるのはですね
モーツァルトを聞いてたんですよ
聞くようになったんですね
なんか思い出したように
やたら聞くようになってたんですよ
ベートベンとかバカとか一切聞かないんですね
これが母が私に望んでたことの一つなんですね
タルコ交信局っていう小作品があるんですけど
あれがですね
母は私に弾けるようになってほしかったんですよ
そのことを私は思い出したんです
30:00
4歳か5歳の頃ね
やたらレコードをかけてくれた記憶があります
で、私ピアノを習うようになったんですね
ピアニストになってほしかったんですよ
手で書いてやたら言われた記憶がある
アホじゃねえかと思ってたんですよ
私ずっと
ピアニストになってほしかったんですよ
ピアノに私がなれるはずないじゃんと
だいたいこのよくわからないようなピアノを
当てがあったぐらいで
ピアニストになれるっていうことを
考えるだけでもおかしいって思ってたんですけど
で、その辺のことを思い出しながら
モツァルトを聞くようになって
留学中かな
最後に決め手になったのは留学中に
ちょっと名前忘れちゃいましたけどね
藤子ヘミングさんではなかった
それを聞きたかったんだけど
私はシカゴで
ピアノのソロリサイタルを
見に行ったんですよ、一人で
その時に思い出したんです
そっか、こういうことかと思ったんですよ
なんかですね、やっぱニードなんですね
言葉になりにくい
とにかく母は
こういうふうに自分になってほしかったんだ
というのを
違和感なく思い出せたんですね
そうか、親ってな
こういうことを望むよなと
親ではなかったんですが
その時私はまだ
その時に自分の中で
母性というものが
インストールできたんですよ
その頃から自分は
この彼女問題では
深刻には悩まなくなったんですね
だいぶ後ですよ、33とかに
違うな、そこまでいってないか
でも30は過ぎてた
だから20代で発症したことを考えると
十数年経っちゃってるわけですけど
その頃にようやく分かったんですよ
母性っていうようなものがですね
だから料理作れるとか
見るとかではないんですよ
親が子に期待するというのは
母性的じゃないですか
100%そうではないにしても
不正的な面もありますけどね
でもとにかく親が子を見る観点というものが
その時私は入ったんですね、私には
初めてそれで
自分には母性というようなものが
成立するようになったんですよ
親になったわけでもないけれども
それで自分の中で
母親というものを
ほぼ完全に
自分が持ってた内的な母親というものを
取り戻せて
そうすると自分の中の子供というものの
面倒が見られるようになるんですね
こうしてですね
彼女を作り出さずに住むようになったんですよ
だから私はアメリカから
帰ってこれたんですね
こういう展開があったんで
つくづく思うんですけども
このHSP的な話を
人と距離を置くでは
解決にならないだろう
と思うんですよ
どう考えても
一時的に非難的に距離を置くのは
いいと思うんですよ
別にあの本で転職を否定しているわけでも
批判しているわけでもないですし
いいと思うんですよ
33:01
怖すぎる人から距離を置くのは
全然特に
そこに対して何かを
思うところはないんです
話は情緒的な話なんであくまでも
行動の話ではないんでね
ライフプランに対する
何かではないので
どういう行動でも構わないんですよ
ただ
ことはですね
私の思うに
永田香美さんの本もそうなんですけど
母性を求めているじゃないですか
あの方の本の中でも
寂しすぎてレズ風俗
なぜレズなのかと
なぜ同性なのかと
彼女は非常に率直な方だと思うので
母性そのものだと思うんですね
だから男性には求めにくい
男性に母性がないわけでは
ないんですが
今の話の通り
でもやっぱり求めにくい
分かりにくいですよね
だから同性なんだと思うんですが
寂しすぎてというのは
母がいないってことなんですよ
彼女の母親も来ていらっしゃるんですけどね
そういうことは起こるんですよ
内的な母親を喪失するということは
これを回復させるにあたって
人と距離を置いていたのでは
遠回りになるんです
僕が言いたかったのは
要するにそういうことなんですね
自分の中の部分対抗をしたす部分
必ず人はあります
部分対抗をした場所があるとかじゃないですよ
そんなものはないです
ないですが
人なり自分なり
昔の母親なりに甘えたくなる
つまりだいぶ前に言った話で言えば
妄想分裂ポジションに戻ってしまう
というのかな
ピポッとしてしまうんですね
私たちは欲打つポジションと
欲打つポジションでね
妄想分裂ポジションと
つまりある程度訳の分かった自分と
訳も分からず幼児っぽい自分と
両方常に抱えていて
抱えてないって言いたがる人は多いし
抱えてる部分を
人に見せないのが
社会人だというのはそうなんですけれども
でも抱えてることに変わりはないんですよ
人に見せるか見せないかが
最重要課題じゃないんですよ
やっぱり見せようと見せないと
あるんですよね
妄想分裂ポジションに入った時
自分が部分的に幼児対抗をした時に
それをケアする自分というものは
必要なんですよ
ないと異常に寂しくなるとか
一部機能不全を起こすとか
それが表にドーンと出てしまう
ということが起こるわけです
表にドーンと出た時は
人に甘えればいいんですけれども
残念ながらみんながみんな
グッドバイブスじゃないし
これは倉園さんがよくおっしゃることですが
みんながみんな私がこう考えるように
甘え肯定派なわけでも
何でもないわけですよね
土井武夫さんの甘えの構造は
実によく売れましたが
あれと全く逆の方が
世の中の常識としか
思えないところがあります
だからドーンと妄想分裂ポジションが
表に出てしまうと
そこでむしろ激しく傷つけられる可能性は
あるわけです
のでやっぱり自分で
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甘えのケアができる方が
いいと思うし
そのためには
ここがちょっと逆説的なんですが
人間の妄想分裂ポジションに
ドーンと直面した時は
その人を甘えさせるのがベストで
その人を恐れて離れてしまうということは
自分の中の
幼児対抗した部分を
そのままにしてしまうわけですね
相手のも自分のも
だってギャーッと泣いている幼児を
目の前にした自分が幼児であれば
一緒にギャーッと泣くじゃないですか
この事態
この状態を放置しておいても
少しも母性は機能できない
ということなんですよ
単純に言うと
私はピアニストになれたわけでも
なろうとしたわけでも
30になっていた時にはないですが
これを肯定できるということは
いけるってことなんだなというふうに
感覚としてあったんですよね
そこには
つまり戻ってきていたということです
戻るのに13年も
なぜ要するのかというのも
あるんですけれども
ここから
しばらくの間は
自分が
これでやっていけたという
お話でした
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