2024-11-24 1:31:47

#EXTRA-1「フォーカスの位置を問うこと」(小野田総合法律事務所 代表弁護士小野田 峻)

今回の語り手:小野田 峻 (弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠HP:⁠⁠⁠⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

内容:人それぞれにとっての「風景」/他者の中の自分と自分の中の他者/毎日を新しく見るという感覚/変化への寄与と命の意味/課題と原因の場所/ボトムアップのルールメイキング/フォーカスを常に変えていく/具象と抽象の行き来/現抽象と新抽象/体感時間の違い/人と社会の形状記憶力/固まるものを定期的にはずすこと


ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の弧へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://niila.info/index.html⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠HP:⁠⁠⁠⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


X [Twitter] :⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

*ご感想は 「#点描の弧」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

ーーー

Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

00:07
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の弧~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがフラッと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の弧~ 新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常
今回の点描の弧は、エクストラ特別回です。
この番組のプロデューサーであり、socialhive HONGOを運営している弁護士の小野田さんと、WAITING CAFE常連の和賀さんの雑談会をお送りします。
初めて会ったとは覚えない西井さんとね。
そうですね。なんかすごかったですよね。
すごかったです。
風景、景色ですねって言われたときに、全然わからなかったんですけど。
ほろっとなんかね、なんかずっとこう授業の思いを語ったら、あ、風景ですかって言われて、単語が出てたんですよ。
風景?って思って、全然よくわからん。
ロケーションね。
そう。
それ僕が言ってるから。
ああ、そういうことですね。
僕は和賀さんにも西井さんにも言ってるから。
ああ、そういうことなんですね。
だからそれは割と、だから和賀さんの初期の頃の定例でも言ってる。要はジャーニーとかロケーション、風景っていう。
だからなんか、ピーシズもそうなんですけど、なんて言うんですかね。
撮ってます?これ。
今もうなんか回し始めちゃってました。
はい、どうぞどうぞ。
なんか段階的な成長だって、みんな思い込んでるっていうか、段階的成長すべきみたいな。
でも人間って段階的な成長の生き物じゃないと思っていて、っていうのは要は、なんて言うんですかね。
例えば身近な人への振る舞い方と、社会での振る舞い方と、全然道行く人への振る舞い方って全然違うというか。
だから極端に言えば、なんか外で立派なことできてても、家帰ってパートナーにはすごい子供っぽい振る舞いをするとかもあるかもしれないし、
逆になんか今日はめっちゃいいことしたなとか、俺っていい人間だなと思えても、翌日はそうじゃないかもしれないし、逆に子供が劣ってて大人が優れてるってわけでもないみたいなときに、
03:00
でもそれでもなんかこう社会的事業やるときに、進化みたいに捉えてしまうというか、昨日できなかったことを今日できるようにするとか、
昨日気づかなかったことを今日気づけるような人間をいかに育てるかみたいな。
そうすると、じゃあ気づいた人と気づいてない人は、気づいてない人の方が劣ってるのかみたいなことに次はなっちゃうわけですけど、そうじゃないよねっていう。
でもとはいえ、変革とか状態変化を引き起こそうとしてるのが社会企業かなわけですよ。
だからこれをどう説明するかっていうときに、ロケーションの話をしたんですよ。
要するに見える景色が違うだけで、例えばなんか森の中とか山の中を探索して、最初にいた場所で見えた景色と次の場所で見えた景色って、どっちの景色が優れてるとかってないじゃないですか。
っていう話を我がさんにも蔡さんにも結構何度もしてるというか。
それで通じたんですね。
そうだったんですね。覚えてないっていう。
点が繋がった感じが。
そうなんですね。
今の覚えてないっていうのも個人的には重要だと思ってて。
ずっと僕、岡田さんがずっとキョトンとした顔で聞いてるなっていう。
キョトンとしてます。
そのキョトンのはなんだこいつみたいな。
そんなことない。リスナー代表みたいな感じのね。
そういう世界なんだみたいな。
さっきの、それこそ回す前だったかもしれないですけど、自分の欠片が他者の中にあると感じるみたいなことの時に、この考え方とかこの言葉ってあの人が言ってたなって思われてるうちはダメだと思ってて。
だから僕は。
リアクションが揃いました。
思っちゃった。
だからその僕が言ったことなり、というかそれ自体もおこがましいです。
でもとはいえその人のそれこそある種見え方が違うとか感じ方が違うみたいなきっかけが自分だったとして、で小野田さんのおかげですって言われたくないし言われないようにするっていうか。
その人の血肉になってるというか。
だからもともとは例えば何かのワードとか考え方とか整理の仕方が正直僕が言ったことだったとしても、最初から自分で思いついたんだとか自分の中にもともとあったんだって思ってもらいたい。
たぶん現にそうなんですよね。
06:01
だからその人に反応して僕が喋ってるだけで、その人の中にあるものを僕が、を通して僕が言葉にしているだけ。
なるほど。
なので、だから覚えてないっていうのはある意味、僕としてはすごい嬉しいというか。
そこのことが起きてほしいみたいな感じ。
そうですね。
だから昨日もちょっと新規のご相談というか、とある企業の事業伴奏のご相談あったんですけど、その企業がある意味創業当時からずっと悩んでたことに関して打ち合わせと後その後ご食事行って喋って最終的には担当者の方がものすごい晴れやかな。
こういうことですみたいな。
でもこれも最終的にはその人が、いや自分が気づいたんですと思っててほしいっていうか。
僕のおかげだと言わなくていいし、だから逆に言うと僕のおかげだと覚え、忘れてしまうぐらいの時間を一緒にするというか、どんどん曖昧になっていくようなコミュニケーションっていうか。
すごい安っぽい言葉で言うと、なんか文化思想レベルまで落ちてるみたいな感じなんですよ。
でもなんかもっとベースみたいな感じがすごい聞いてしまいましたけど、若さんなんかどんな感じを感じますか?
今常にシャワー浴びてる若さんですけど。
いわゆるだから雑談っていうことではないけど、あんまりメモを取らないで、別に小野田さんに限らず相談を受けるときにも、会議に出てるときも、私はメモを取らないで、体に入ってくる言葉だけを覚えておく。
覚えておくっていうか、血肉になるみたいなことを小野田さんさっき言ったかなと思うんですけど。
そういう感覚でいたいなと思ってて、だからメモたくさん取って、覚えておこうとしておかないっていう感じはする。
意図的ではないけれど、残った言葉が本当の言葉になるんじゃない?みたいな。
自分が自分の体に残って、さらにそれを誰かに話すときに、自分の言葉になって出ていくみたいな感覚。
記録じゃなくて、記憶みたいな感じなんですか?
そうですね。自分の体に取ってって出ていかないと、自分の言葉にはそもそもなっていないんじゃないかなっていうか、コピペしたいいことを言おうとしている人になっちゃう?
嫌われないとか、無難な言葉を言おうとしてるみたいな感じがするかな。
本当にその通りというか、だからそこが僕はもう初回からというか、最初から同じというか、近しいものを我がさんに感じてて。
09:01
要は人の話を聞いて、それに対して何かしら解答めいたものとか、対応方針とかを話す専門職って意味では同じなわけですよ。
でも何か別に答えとか、情報を渡すことでお金をもらってるような仕事に思われてるし、現にそうだとは思うんですけど、でもそうじゃない、さっき岡田さんが言った土台の部分というか、土台の部分同士で喋ってるっていうか。
なんかそこがすごい同じ、むちゃくちゃ珍しいんですよ。なかなか会えないって。だからもう、もちろん僕は何かしらアドバイスっていうことを言う立場ではありつつも、最初から尊敬、我がさんに対しての尊敬とか、ある意味僕にとっての救いでもあるというか、我がさんと話すことが。
普通、でも例えば顧問弁護士とクライアントの関係ってそうじゃないと思うんですけど。だって顧問弁護士が依頼者を救わなきゃいけないわけですよ、本来は。
そうですよね。なんか頼って、こう、回答を出していく立場ですよね。こう、世間的には。
まあ、せいせいどうしましょうみたいなね。
ありがちな。
そういう感じじゃないですね。
でももちろんどんどん、そういう意味では、我がさんに限らず、その対象の人の、その人のある意味土台から出てくる考え方とか言葉自体が、逆に言うと何か事件、事故とか紛争とか悩みに巻き込まれてるとしたら、そこと関係があるというか原因があるかもしれない。
で、その、核論の部分に対してアプローチはするんだけど、総論の部分が変わらなかったら、土台の部分が変わらなかったら、また同じことが起こるかもしれないし。
確かに確かに。
だし、もっと言うならその、今直面している問題がすぐに解決しないかもしれないし、解決なんてないかもしれない。
そうすると、核論の部分を永遠いじってても、その人は生きやすくならないんですよね。
でもかといって、総論を何か変えられると思うことも盛り上がりなので。
なので、何かもう、一緒になんかこう、土台の粘土在庫を一緒にこねるじゃないですけど。
なんて言うんですかね、その、自分の土台は晒さずに、相手の土台だけをこねくり回すって、なんか何様なんだって思っちゃうというか。
でも、そのある種の上下関係を崩さない方が、多分こういう専門職って一般的だと思うんですよ。
要するに先生の方が人間的に立派でとか、知識がたくさんあって、依頼者相談者の方がある種劣ってるみたいな。
で、その関係性を崩さない人の方が多いんですけど、それって結構僕弊害大きいなと思う。
12:08
確かに。
でも、そうやった方が楽みたいなとこも、多分それは教えてもらう側もそうだと思うんですよね。
そういう構造もなんかあるかなと思ったり、むしろそれをいい感じにお互い利用してそうしましょうみたいな人もいるのかなとか思ったりはしますけど。
でも、それはそれで自由と多分供給が成り立ってるんで。
確かに。
ある種、表面的なやりとりだけでいいって思ってると思うんですよね。
だからそういう人もいいというか、例えばこんだけお金払うんだからこういう情報をよこせとか。
というか、そういう対価に対しての納品物じゃないですけど。
とか、ある種先生と生徒っていう関係性っていいんだとかっていう。
それはそれでいいんですけど、でもその関係性って今日の冒頭で言ってた、中身同士の話はしてないよね、その2人って思っちゃって。
土台というよりかは枝派というか。
そうそうそうそう。
で、それって結局そういうコミュニケーションってお互いの中にお互いの欠片が残らないというか。
さっきの和賀さんの言う残るものがないみたいな。
単なる情報の交換でしかないって、その人と出会ってその人を知ったっていうふうに言えないんじゃないかっていうか。
別に言えないことがダメって言ってるんじゃないですか。
でもそういうふうに考えると、実は本当に知ったと言える人間関係って実は思ってる以上に少ないんじゃないかって。
確かに確かに。和賀さん、自分を知った、その人を知るってどういうふうに思いますか?今の言葉聞いてみて。
いやー、だから。
でもそれ和賀さんの収録で見るっていうことの多様さっていう話が多分同じだと思う。
だから見てないっていうことか、あるいは普通の簡単な感じの見るだけであって、観察の勘で見るとか、看護の勘で見るとかっていうことをしてない。
してないし、知るということも同じですよね。
知るっていうこともしないし、わかったつもりになってる人がすごく多いし、自分のプライベートなことで言うと、
夫と23年、4年ぐらいいるんですけど、わからないって思って。ある意味毎日新しい。
めっちゃわかります。
毎日、僕もそうですね。
わ、新しい、みたいな。
めっちゃわかります。それだし、逆に新しく見れるっていうか、こんな顔だったんだって、毎日思う。
毎日新しい人と会ってる感覚なんですか?
新しい面があって面白いなと思う。もちろん腹が立つこともありますよ。そんな綺麗事ばっかりじゃない。
15:00
だけど、このシチュエーションでこういうことを思ってたとか、こんなことを感じるって言ったときに、わー知らなかったみたいな。相手も同じ。
知るっていうことは、知った気になるっていうのとはまた違うというか、そういう意味では知るっていう言葉も和賀さんの見ると同じで、いろんな意味がある。浅さ深さはあって。
知るっていうのは、自分の中にその人がいるっていうか、その人のかけら、感覚が自分の中にあるって、同時に自分のかけらもその人の中にあるっていうふうな関係性というか、それを感じたときに知るっていう。
本当の意味で知るっていうか、単純にその人の表面的な経歴とか、どういう性格とか、そういうことではない。和賀さんの物の見方とか感じ方みたいなものが自分に作用しているっていう、自分の中にもあると気づくとか。
自分のその考え方、物の見方も和賀さんの中にあると思える。それはもう別に思い込みでもいいんですけど、とはいえ重要というか救われたしめちゃくちゃいいなと思ったのは、そう思えた時点で、ある意味自分は一人じゃないって思えるし、ある種のつながりみたいなものは感じるし、
生きた意味を感じるというか、だから何かを成し遂げるとか何かを残すみたいなことができることはそれはそれで素晴らしいけど、でも生きることってそれをしなきゃいけないことではないと思ってるんですよ。
そうした時に僕はたった一人でも僕がこの人の中にあるんだって思えれば、もう何も焦ることはないし恐れることもないなっていうふうに思えたので、そういう意味では表面的な知るではない知るっていうことをみんながやるようになれば、もっとある種の安心感とか苦しみからちょっと楽になるっていうことがあり得るんじゃないかなと思った。
その辺りが知るっていう行為。
だし、相手表面的な情報の交換ではない。かといって別に全部内面さらせっていう意味ではないんですよ。これ難しいですけど。
確かに。
だってよく自己開示とか、なんか深い話とかってよく言うんですけど、これ我がさんともこのテーマで話すんですけど。
いくらでも話せますね。
家族相談とかでいろいろありそうですね。
でもそういう話ともまた違うんですよ。
だから仮に情報交換をする者同士の会話の中で、例えば老いたちとか深い話とかをしたとしても、それはどこまで行ってもその関係性だと情報交換なんですよ。
18:10
土台の発見とか気づきとか、もしくは交換なのか何なのかわかんないですけど。
だから僕も話しててこれ何だろうなっていうのは、でもやっぱり敬意とか愛じゃない。敬意とか愛みたいな話す内容ではなくて、自分を大事にしていて相手も大事にしていて、お互いそれってそうだよねって思えてるっていう関係性であれば、
やっぱミスタードーナツはエンゼルクリームでしょうみたいな会話であっても、
僕ポンデリング派ですね。
私ココナッツチョコレート派。
全員わかりましたね。この点が繋がる日も来るかもしれない。
だからそれがエンゼルクリームでしょう、私もじゃない。
そうそうそうそう。
なるほど。
それに乗ってほしいわけじゃない。
でもポンデリングちょっといいと思う自分もいるなとかそういう。
そうそうそれは全然違っていいんだけど、でもなんか世の共感っていうのは、おそらくエンゼルクリームって言ったらエンゼルクリームだよねって言わなきゃいけないのが共感なんですよ。
確かに確かに。
とか、仮に僕がエンゼルクリームで、岡田さんがポンデリングだとしたら、岡田さんはポンデリングが好きな人だと記憶することが重要だって思っちゃうんですけど、そうじゃないんです。
過剰ななんかタグ付けされてる感じですね。
そうそう。
あと共感圧が結構強い。
あとちょっとお話戻りますけど、その関係性、その上と下とか先生と生徒っていう関係性を崩さずにしゃべる方が専門職、むしろ一般的というか、その方がやりやすいっていうのは本当に岡田さんおっしゃる通りなんですよ。
だってお金をもらう関係性なので。
あるいは僕がさっき言った、自分の土台は離さないのに、相手の土台だけいじくろうとするっていうことのおこがましさとか危うさみたいなこととかって、この企業支援の文脈ではむちゃくちゃ起こってるんですよ。
本当ですね。
被害者がね。
やりやすい構想になっちゃってますね。
特に例えば地方とか、あと若者の企業支援で、それで本当に大人たちが若い人たちに対してそういうアプローチをとってるっていうことの危うさ。
そうですね。
あえて相手をコントロールしないっていうか、コントロールしやすい関係性をことさらに維持しないっていう。
そうですね。
それは絶対にやらないように気をつけてますね。
僕もそうです。
意識して。
むしろそこは気をつけてやらない。
気をつけてる。
気をつけないとやっちゃいますよ。
21:01
相手がやっぱりそういうエネルギーで来るので。
なるほど。頼ってきちゃううちに。むしろ向こうはそれを求めちゃうみたいな。
そうです。
助けてくださいで来るからアドバイスくださいとか、本当にあまりにもそれが強い人にはアドバイスはしません。あなたが決めてくださいっていう、特に私の相談の場合は。
大野さんの場合はちょっと法律的なサポートであれば、そうはいかない法律があるから。
でも私の場合はもっとそこは曖昧だから、一緒に考えて最後はあなたが決めてくださいねっていう。
なるほど。
頼られるっていうよりはもっと分かりやすく、さっきのもうちょっとはっきり言うとタイパとかコスパとかを求める人がすごく多いから、そこに対して返してもらわないと困るみたいな、得られない、何が得られるのかっていうのをすごく気にしてる人が多いから、上下関係じゃないことになったときにすごく不満を持つ人は一定数いるなと思います。
そこを強く求めちゃうと、逆に不満になっちゃう人もいるわけですね。
だいたいそういう人の特徴は、最初にお金の話をします。あんなに払ったのに何も得られなかったっておっしゃる。
だから値段って何なんだろうなとか、価値においてお金を払うって感覚がないとか、常に金額と得られるもののジャッジっていうのかな、測りをかけてる人にはもしかしたら私の相談スタイルとかは合わない。
まあ高いですねとか、ある人にとったら全然高くなかったっておっしゃってくれたりとかする。それは本当に感じ方だから。
だから我がさんのやってることって、僕は本当に何だったらもっと値段を上げてもいいぐらいのことをやってるんですけど、
でも我がさん今おっしゃった通り、多分時間単価で考えてる人とか、情報量で考えてる人、つまりお金と何かを天秤にかけて、
その何かの部分に乗っかってるものが時間とか情報量の人が今、我がさんがおっしゃったようなことを言う方というか、
もちろん別にそれはそれである種、社会のルールなので、そういうふうに捉える人は別の専門職の方に相談に行っていただければ。
なるほど。
いいのかな。
いいのかな。
多分それを否定するわけじゃない。
いや、もう本当そう。
そういう方がいらっしゃるのでどうぞ。
それは本当そう思います。価値観。
ですよね。
そのある種の社会で起こってる変化、あるべきっていうのもちょっとあれですけど、変化に気をできてれば、もうそれだけで命に意味はあると思うんですよ。
だからそれが成功しようかしまいかとか、大きな成果だろうがとか、誰かにすごいと言われるか言われないかってあんま関係ないっていうか。
その変化に何か良いとか悪いはないんですね。
ない。
でも変化が起こるってことは繋がりがあるっていうことでもあるし、変化が起き続けるってことは僕に意味があったのと同様にその他者にも意味が生まれてるので、
24:09
だからそれが全部分断されていたり、それが変化していないように見えるとか変化してないみたいな状態がある種みんなの苦しみでもあるのかな。
で、なるべく何かこう川が綺麗に流れるように、ゴミが捨てられてる川からゴミ拾ってうまく流れるようにする、ホクホクみたいな。
でも川はもともとあるんですよ。
僕の存在とは関係なく川はそこにあるみたいな感覚です。
ありのままって感じがなんかすごい商業無常というかなっていうか。
いやまさに、でもそのありのままで無為自然っていう言葉があって、老子の言葉なんですけど。
で、無為自然って物の本とか入門書とかだとありのまま、あるがままみたいな。
ただ僕無為自然の説明としてありのままとかあるがままみたいな。
あるがままは近いけど、ありのままって僕語弊があるなと思ってて。
なんか現状でいいよみたいな話ともまた違うんですよ。
だし、現に僕が仕事で出会う人はなんかとか、例えば少年事件とか犯罪犯してしまった人とか、何かうまくいかなかった人って、ありのままって言っちゃったら、これを受け入れろってことですか。
確かに確かに。
例えばなんか少年の付き添い人っていう立場に法的立場になって、面接に行った時に、人生今後どうしたらいいんですかみたいな。
生まれた場所も育った環境も劣悪な中で、ありのままって言ってみたいなことになるじゃないですか。
そのありのままっていうのは、無意地年っていうのはありのままってことではなくて、その人本来の流れ、大いなる流れみたいなものを疎外しているものがあったり、あるいは別の流れに放り込まれているだけ。
なので、その人の本来が発揮されれば、要は海に流れていくタイガみたいな、その人だけの大きな川みたいなものに気づくとか、その場所に戻れて、かつその流れを疎外するものが取り払われれば、その人なりの海まで行き着く流れみたいなものがあるので、
そういうところに気づいてもらうとか、一緒に行くとかって。
ただ別に無意地年って言葉は、現状を変えないっていうことと同義ではないっていうか。
まんまでよしとするっていう言葉じゃない。
じゃない。
でもかといって、無意っていうのは有意に対しての、ありのなすの有意に対しての他義ですけど、自分によってこれが引き起こされたとか、何かによってこれが引き起こされたと思い込むなよっていう意味での無意なんですよ。
27:04
思い上がるなってこと?
そう。だから、いろんな物事がつながっている中で、例えば自分がすごいからこれを成し遂げられたんだとか、っていうふうなことが幻想だよっていうことの有意の反対としての無意なんです。
ただ何もしないっていう意味の無意じゃないんですよね。
効力感持ちすぎないみたいな。
そうですね、とか万能感とか、あと何かすごい極地的な因果関係みたいなものにとらわれるとか。
たぶん今まで話してきた中で、小野田さんは変化って言葉をよく使うけど、成長っていう言葉は一回も使ってないんですよね。
そうですね。
私も成長って言葉がどうも合わなくて、体にも気持ちにも合わなくて、でもすごいいろんなとこ行って誰かの話聞いてると、こんなに成長しましたとか、
例えばね、企業家のみならず若い人もすごくそれを使うんで、ちょっとそれは違和感があって、
成長とかモチベーションって言葉はすごくあふれてるんだけど、
変化っていうことをポジティブに使う人はあんまりないかなって思ってて、
その辺の成長しなければならない感とか、すごいそれも違和感があるなと思って聞いてました。
なんかそこの成長とかモチベーションみたいなのは、この評価軸とかベクトルが明確な感じが。
それこそ、それはそうですね、右肩上がりでなければならないみたいな、日本経済が良かった時代を知る人とかっていっぱいいるけど、
そういうスタートアップとかもそうかもしれないけど、矢印が一方通行っていうか、
人間ってもっといろいろ触れたり戻ったり、いきなりあっち行ったりこっち行ったりするだけの気持ちとか体とか、
そういうのが含まれてないような気がするんですよね、成長っていう言葉には。
まあそれは私の解釈なので、いやそんな意味で使ってないよって人ももちろんいると思うんだけど、
どこかそういういい子でいる言葉の一つなのかな。
だからありのままあるがままっていう言葉とはちょっと違うかな。
なんか変化のほうがすごいニュートラルに聞こえますね。
そうなんですよね。
例えばじゃあ、こういうシェアオフィスにいて、入って小野田さんと出会って、私はこんなに成長しましたってことは、
私は言ったことないし、言うつもりもないし、言う必要もないんだけど、でも多くは多分そういうことを言うんだと思う。
それは悪いって言ってるわけじゃなくて。
だから根っこにはやっぱり人は成長しなければならないとか、
30:01
なんか本来持ってるものにはあまり目を向けないで、上の部分を大事にしている人が多いのかも。
本来持ってるものはいっぱいあるのに、例えば少年事件を起こす少年も青年になって、おじさんになっていった中で変化していくわけだけど、
その中にやっぱり成長っていう軸よりは変化っていう軸のほうが、私はフィットするのかなっていう。
本来持ってるものに目を向けて、その人がいろんなものを断ち切れる決断ができるとか選択ができることを一緒に何か見守るってことのほうが変化につながるのかな。
なるほど。断ち切るとかそういう、あと見守るとかそういう感じなんですね。
そうですね。そばにいたりいなかったり。
なんかまさに小野田さんとの関係性なのかなとか思って聞いてたんですけど、
あえて台本の言葉で言うと、そういえば小野さんって普段これ何してる方なんですかっていうところでいくと、
弁護士さんっていうことはそうかもしれないんですけど、もっと違うなんか今言ったような動きとして、すごい我が家さんにとってありがたい方なのかなっていうふうに思うんですけど、どういうふうに感じられてますか。
不思議だと思うんですよ。だから、私の周りにいる人に小野弁護士さんっていう存在がいるって言うと、まず驚かれるし、
えーって、弁護士さんと何話すの?みたいなことも言われるし、だから主語が弁護士さんになってるんですよね。
だから、そこは多分感覚的に違うんだろうなって、小野田さんという人と私は話してるんだけど、世の中的には、小野弁護士さん、もしくは弁護士さんってなる。
だから、そこがわりとわかりづらいとは言われるし、わかんない、いいよね、わかんなくていいかもね、みたいなぐらいな。
確かに。表面だと強すぎるタグが場合に来ちゃいすぎますもんね。
そのタグに強すぎる影響を受けちゃって、周りもわからないって仕方ないみたいなのは起きますよね。
逆に言うと、弁護士さんがそばにいる人なんだと思われると、表だって誹謗中傷はされないという、わりといい面はありますね。
そういうタグの強さもあるんですね。
本来私自身も基本ドSな部分は強いんですけど、とはいえそうじゃない部分もあるんで、守られてる側は大きい。見えないシールドがあるって感じ。
そういう作用もある。
あるあるある。その持つ、固有名詞の持つ強さみたいなのはもちろん当然あります。だけどそれだけではない。
もっと土台のお話をずっと舞い付けされてるっていう。
そうですね。それは不思議ですよね。
こういう意図で、そもそも小野さんはこういう場所を作ろうとされてたんですか。なんでこういう場所を作っていこうっていうふうになってたんですか。
33:03
ソーシャルハイブラウン。
そうそう、立ち上げたっていうお話。
これもう話そうと思うとでも、なんかワンパッケージの話はあるんですけど、ワンパッケージの話をしたくないっていうか。
すみません、なんか天の弱で。
でも今日の話とつなげるなら、だいたい相談に来る人とかって、ここが問題なんですとか、ここが相談したいんですって思ってくるんですけど、だいたい原因って別のところにあったりするんですよね。
でも相談に来る人は、ここが問題だからって言うんで、そこに関わることを持ってくるんですけど。
でも、なんかどうも違うところにも原因があるなって思ったら、他のことも聞く必要が出てくるじゃないですか。
とか、あとは出来事とか事実に対してその人がどう向き合うかみたいなことって、普段見てればわかるけど、例えば相談に来た30分とか1時間だけじゃわかんないときに、
例えばビジネスセクターであれば、いわば問題も明確なんですよ。こういう問題が起きて法的にこうしたいみたいな。
だから、だいたいはそのニーズと問題の素材は、さっきだいたい原因が違うところにあるって言いましたけど、ビジネスの場合はそんなに差分はないというか、それでもずれてること多いんですけど。
でもソーシャルセクターというか、社会的事業の色合いが濃いと、それが結構ズレが大きいんですよ。
つまり本人が思っている原因とは違うところに原因があるとか、あるいは他の情報をもっと聞く必要があるとか、あるいは問題とか社会にこの人がどう向き合うんだろうってことを感じる必要があるみたいなときに、いわゆる外部の顧問弁護士ではそれはできないなと思ったんですよね。
なので、時間とか情報をいかに共有するかとか、それこそいかに身近に思ってもらうか。要するに弁護士ではなくて小野田さんというふうに認識してもらうには、一緒に過ごす方がいいなっていうことを、
要は社会起業家の支援というか伴奏のきっかけ自体は2014年から2015年あたりのエティックさんがやってたスサノオっていうソーシャルアクセラレーションプログラムっていう社会起業家。
そのときはそのプログラムが言っていたのは、いわゆる市場の失敗って言われている領域。要は普通にストレートな、そのときはまだこんなにソーシャルなことっていうのは言われてなかった時代、時期なので、ほっといても誰もやらないよねとか、資本主義のルールの中だとうまくいかないよね。
でも誰かがやらなきゃいけないよねっていう事業を、ある意味永続的な仕組みとかビジネスのアプローチでチャレンジする起業家を増やす。かつそういうコミュニティを作るみたいなことをエティックの当時宮城さんが代表されてたエティックと、あとは孫大蔵さん。
36:08
孫大蔵さんの弟さん、孫大蔵さんと、あとは銀行系の方で世界一周して戻ってきた渡辺健太郎っていう方がそういうプログラムを作って、そこの僕が二期生というか。
そうなんですね。
まあ要はリーガルスタートアップというか、僕は法律の作られ方に疑問を持っていたので、日本の場合、核法と議員立法っていう二つのルートしかないんですけど、民衆立法っていう、いわばボトムアップでのルールメイキングの仕組みが日本に必要なんじゃないかということで、そこをビジネスにするアイディアを応募したところ採択をされて、そのコミュニティに参加したと。
で、その自分のその仕組み作りとは別に、社会起業家の方々の話を聞いたりサポートしているうちに、むちゃくちゃ面白いなと。
だしこれからの弁護士の役割の一つじゃないかなっていう、つまりだから社会のいろんなところで、ここに問題がありますとか、こここうした方がいいですって手を挙げている人はいるのに、誰もそこを手伝わないみたいな状況を変えていくっていうことが弁護士としての価値も意義も高いんじゃないか。
ただそれを当時やっている人がいなかったので、部分的に例えば官僚出身の弁護士の先生とか、企業法務の先生とかで何でしょう規制緩和に動くとか、政治的な動きと合わせて仕事をするとか、あるいはその公共訴訟、例えば公害とか役害とかそういうことに関する先生方も社会を変えるっていう活動はしている。
それも素晴らしいんですけど、そういう社会企業化支援みたいなところっていうのが業界的に一般的ではなかったので、じゃあそれを仕組みにするにはっていうときに、とはいえ弁護士のお金の取り方とか働き方って顧問弁護士っていうしかないけど、それを例えばその件数だけをひたすら増やしたら忙しくなるんだけど。
かつ忙しくなるだけだけど、そのお金というかそこでの経済的な利益を別に僕が取りたいわけじゃない。
ある意味みんなにとってウィンウィンの形を作る。
あとはやっぱりソーシャルな領域ってトライアンドエラーの教訓をみんなでシェアするみたいな文化がもともとあったし、かつ自分と同じ失敗を他の人もする必要ないっていうか。
ある種行き場の目を抜くじゃないけど、ビジネスの世界はある意味別に蹴落とすこととか切れ事じゃないので競争で別にいいんですけど、でも要は社会を良くするみたいな取り組みって誰かの失敗は絶対誰かの役に立つんですよ。
39:09
というか教訓になるんですよ。
でもそういうある種の横串がなかったので、そういう意味ではじゃあコミュニティ化してしまってかつ一緒に過ごすってことをすれば、いい意味でも悪い意味でも僕が弁護士みたいなことでそういうレッテルで判断されるみたいな垣根をなくせるし、
お互いの情報も共有できるし、コミュニティも作れるしっていうのもあって、社会企業家向けシェアオフィス併設の法律事務所っていうのを作ってみようと。
かつそういう僕自身の社会企業家に伴走するっていう弁護士の業務を確立するには、さっき言った通り外部だとひたすら時間が取られるし、毎回毎回持ってこられる問題を解決するっていうことが積み重なるだけじゃないですか。
でもそうじゃなくて、さっきの話じゃないですけど、コミュニティにしてその人たち自身がある意味リーガルマインドを持っていけば、僕に相談する話っていうのは減っていくというか、でも違った観点の相談が生まれてくる。だから全員で上がっていくみたいなことができるんじゃないかっていう目的と、さっき言ったリーガルスタートアップで、
ボトムアップのルールメイキングをウェブ上でやろうとしたんですけど、最初。でもそもそも法律を自分たちで作れる。何それっていう時代だったんですよ。今は割と一般的にちょっとなりつつあるというか、メルカリさんとかヤフーさんとかもある種、ブリッカフェアじゃないですけど、公共政策。あとはポリポリさんとか、そういう政策リクエストみたいなものもあるんで。
要は自分たちが法律とかルールに関わっていくってことが割とこう一般的にはなってきたんだけど、そういう時期じゃなかったんで、誰が問題提起するのとか、誰が議論するのそんなのとか、それ議論した後、その後どうなるのみたいなことで、はてながむちゃくちゃありまくったアイディアだったんですよ、外部からして。
ただ僕からしてみれば、ルールは自分たちで作ればいいし、議論もできるしっていうのは割と僕の中では当たり前だったんですけど、世の中的には当たり前じゃないんだなっていうのが分かったんで、じゃあ一旦リアルでやってみようということで、社会企業家が声を上げて、それに弁護士が伴奏して、新しい当たり前を作っていくっていうのをウェブじゃなくリアルでやる。ひとまずやってみる。
っていうのがここ、ソーシャル配慮本号の構想の始まりです。
じゃあその実現していくための手段としてそういうものを作ったっていうことですね。リアルで変えていくっていうこととか、あとはそれぞれの社会企業家同士みたいなのが天秤として緩やかに繋がるみたいなものが起きていくみたいな、その二軸のための手段がソーシャル配慮本号。
42:07
プラス、そういう人に伴奏するっていう業務を法律事務所でやるとしたら、要するに時間とか情報を共有する。ある意味組織内弁護士の先生方とかはそういうことをやってると思うんですよ。要は企業の中に入ってオフィスで社員さんと一緒にっていう。
でもその形だとそこに入っているその会社しか支援できないじゃないですか。だから緩やかな組織内弁護士のシェアリングみたいな。
なるべくバウンダリーが低くいろいろ浸透していくのが良さそうですね、そういうのは。そこの熱量ってすごいものを感じるんですけど。
ソーシャル配慮、ウェイティングカフェ、天秤の子、新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
オーナーさんの中からどうしてそこまでそこの熱量とか、さっき面白いとかもおっしゃってましたけど、どういう視点で見てそういう熱量が今出てるって感じますか。
いやだからそれもだから、熱量よく言われるんですけど熱量は別にないんですよ。
ないんですね。人から見たらあるように見えるけど。
意外と本人は自然な感じですね。
よく言われるんですよ。だから別に強烈な減体験とか熱量とかではなくて、それこそ景色で、ただ僕がたまたま立ってた場所から見えている景色がそうだったから、
まあ自分がそういう役割なんだろうなと思ってやっているだけっていうか。
なんか起点で動かしてるってよりかは職場としているから反応が起きてるみたいな感じがしましたね。
45:00
変化を起こしてるけど本人は特に何かが作用しようと思ってしてないみたいな。
だからある種のこうさっきの無意有意というか、
世界って。
うんうんうんうん。
でもその反応しちゃダメってことは、
そこでこういう情報をそれこそコミュニケーションしちゃいけなくなるっていうのは私はそう思ってるんですよ。
どっで。
承認してくるんすかね。
繋がったりして 反応し合っているだけなんですよね 社会って
でもその反応し合う状態が ある意味ランダムあればあるほど
変化は僕は大きいと思っていて あるべき方向に行くというか
でもそこに例えば誰かの優位というか 優位というのはあるに成すっていう
誰かの意図とか好意があると 途端にその全体の図が歪んでくるんです
その人の意図とかエネルギー そうすると社会が本来発揮できる
形になっていかないっていうか たぶん熱量がないとは言いつつも
野田さんが持っているエネルギー みたいな多分強くて それは分かっている
からこそあえてそこを出しすぎない みたいな感じがあったりするのかな
熱量っていうのって言っちゃうと そこに価値判断とか優劣が入ってる
ように聞こえるので
暑い寒いっていう軸もあります ね熱量は
すごいすごくないみたいな ただ熱量ありますねみたいなことは
すごいですね半分なんか暑いですね いやいう半分みたいなふうにも
受け取っちゃってるだけなんで 言ってくださる人は本当に純粋
に言ってくださると思うんですけど でもなんか熱量って言われた時点
で線を引かれてるように感じて しまうというか私は熱量ないけど
あなたは熱量ありますねっていう ふうに感じるので途端に寂しく
なるっていう
さっきの成長するしないの話と ちょっと似たような
そういやあなたもすごいですよ って即座に言いたくなるって
なるほどな
別にあなたと比較して私がすごい わけじゃないですよって即座に
言いたくなっちゃうんですよね 熱量ありますねって言われると
職場位って言葉でいくと確かに そうですよね職場位がいられる
わけじゃないですし何か起こそう と思って起こしてるわけでもない
ですし
そうですね私も同業者にすごいですね って言われた時に宇野田さんが
言うように寂しくなるいやあすご くないんだけどなあだからすごい
でちょっとしたら片付けられちゃ ったっていう感じがする
そうそう
あっち側にえいってなんかやられ ちゃった感じがする
分断を感じる感じがする
あっそうなんですそうそうそっち だからすごいですねって褒め
られてるのか場合によってはディス られてるのかがすごく曖昧だし
なんならちょっとネガティブに 感じる自分はいるし
48:02
なるほど
うん遠くの存在に追いやられて しまった今っていう
私はなんか言葉ですればフラット に話したかったのになあ今みたい
それは
めっちゃ分かります
すごいですねわーってなっちゃう
本当はもうちょっとフラットに 話したいんですよ分断されてる
感じが
そうなんですよあっち側の人こっち 側の人とかそういうこう区分け
が起きていてそういうことだけで 見てほしくないなあみたいな感じ
がします
これってそこを賢で宇野さんの 周りでも和田さんの周りでも起き
てると思うんですけどこうやって なんで起きちゃうんですかねこういう
ことってこれも悪いことかどうか っていうのも分かんないですよね
もちろん分からないし
起きるもんだぐらいな
そうそれは表現の仕方だと思う けどでも結構多くありませんそういう
ふうに見られてるとか話になる のか
だからそれはすごいですねとか ねツルがありますねって言っちゃう
コミュニケーションがってこと ですか
とかそういうことに至る思想は なぜそう醸成されてきてるのか
とか感じるものってありますか お二人のそのシャワーをいっぱい
浴びてるお二人
タグとかジャッジとか
いやまあこういうことですっていう のは言えるのは言えるんですけど
なんでそういうふうに言っちゃう のかっていう意味ですかその人
そうですねなんかどういう意図 でそういうふうになっちゃうの
かみたいなそれも多分それをどう 感じるかっていうお二人の感じ方
なのかなと思うんですけど
でもなんか逆に言うと言われやすい っていうのをそれはよしと捉えて
いて
別によいしょしてほしいわけじゃないん だけどすごいですねって思った
ことをそのまま言ってもらえてる っていう気もするんですよ
一方ですごいですねって言われた 時の寂しさも感じるそれは勝手
な話ですよね
もしかしたら全力で相手を褒めて くれてるかもしれない
お二の参拝棒相手は全力で褒めてる でも羨ましさだったりそれは人間
誰しも私にもたくさんあるしだから 良い悪いではないけどその時に
感じる寂しさがあってそれは割と 多い
かいとして多いかな言われることが 多いしまあ言っちゃうか私も言っちゃう
かな
多分言葉としてもだいぶライト なんでしょうね向こうもあそう
なんだみたいな
まあそうだからまあすごいですね ぐらいだったら別に気軽に言う
ことあるしそれいいんですけど 熱量に関して熱量ありますねみたいな
ことに関してはなんでそうなる かってそれこそ僕がよく言う誤解
矛盾思い込みの話にもつながるん ですけどやっぱ人それぞれ見ている
景色の方向も違うし情報量も違う というかでその人のその場所から
51:01
見えてるものだけで判断すると すごいとか熱量があるってやっぱ
思っちゃうんでそれってなんかね 今日の話もつながると思うんですけ
どなんか他方が見るとか知るとか っていう話を表面的にやってる
人ほどそう感じるんじゃないかな と
すごいですねとか熱量あります ねっていう人はなんか広く浅く
なっちゃってるだけとかいろんな ことを同時に考えちゃっている
だけじゃないかな
なるほどだいぶ前の質問に戻す けどなんか小野さんがやってる
仕事って何なのかなっていうところ で今聞いたらなんかこうフォーカス
屋さんなのかなってお客さんに とってもフォーカスしてもらう
ことが助かるし小野さん自体も それをやってることがすごく意味
があるみたいなそれを世間的にも すごい価値と感じるみたいなの
は一種なんか小野さんのお仕事 の一つ一つの見え方なのかなって
ちょっと聞いてて思いました
いやそれは本当に言い得てみよう だと思います確かに今僕思いました
ねかつそのフォーカスを常に変 えていくっていうかただ切り分ける
こともあればフォーカスを広げる ともあるしフォーカスした上で
順序とか優先順位を決めるみたいな こともある基本的に人間をフォーカス
するためには情報と視点が必要 ただいわば情報が少なくてかつ
評価軸とか視点が少ない人はフォーカス の仕方がすごい少ないというか
だから目の荒い物差しとか画素 数の少ない携帯電話みたいなもん
懐かしいパカパカのあたりですね
そうそうだから画素数とかそういう のが少なかったら何か.aのゲーム
ぐらいしかできないけどそれが すごい情報量も画素数も増えれば
プレイステーション5ぐらいのゲーム ができるじゃないですけどそれを
サポートしてるというか
OSのアップグレードしてくれてる みたいな感じですねゲーム機の
そうですねだからアップグレード の場合もあればアンラーニング
の場合もあれば別のOSを乗せ替える
行き来をしてくれるお菓子屋さん みたいな感じですね
そうで僕はそれが僕の特殊能力 僕は得意ではあると思うけど僕の
特殊能力というよりは法律化って そういうもんだと思ってていわば
中傷と愚症を行き来するであえて 言うならだから言うのは愚症問題
があるなり悩みがあるなり何か 事象があってそれを中傷化したり
浮かんでみるみたいなでもう1回 愚症に戻るみたいなで愚症と中傷
を繰り返しながら解像度を上げて いくとかフォーカスをしていく
っていうのが法律化の仕事だと思 ってるんですけど現に具体的な
事案は愚症だし法律は中傷なわけ ですよその愚症と中傷の出会う
ところが裁判例みたいなだから 裁判例裁判自体も結局は愚症と
54:03
中傷の行き来なんですよねでこれは 法律学でいえば実際に起きた事実
と法律要件認定事実と法律要件 みたいなことを行き来するみたいな
これが一般的な法律家の所有だし 役割なんですけどあえて言うなら
僕はそこに愚症と中傷のステージ もう1個別なものを用意して旧愚症
と旧中傷で新中傷新愚症
4証言
そう
すごい
で大体の法律家とかコンサル とかは愚症と中傷を行き来する
だけでも十分仕事になるしかつ 役割を果たせるんですよでも特に
ここ数年思うのは例えばlgbtの 問題とかジェンダーの問題とか
で中傷と愚症の生き気既存の生き 気だけでは足りないというかで
愚症同士の喧嘩をずっとやって るんですよで悩ましいのはその
喧嘩してる人たちが同じ中傷の 下の愚症の選択肢というかバリエーション
の違い同士での喧嘩だとしたら その人たちの中傷は共通してる
ということに気づければ対話は できるはずなんですよ
なるほど
でも要はだから手段の違い だよねっていうふうな認め合い
があり得るんですけどでも実際 は分断が進んでいるのはなぜか
っていうと中傷aと中傷bっていう 違う中傷から出てくる愚症っていう
のがあったとして中傷aから出て くる愚症aと中傷bから出てくる
愚症bっていうものは違う中傷 から生まれているのに世の中
ややこしくて難しいのはその中傷 aから生まれている例えば愚症
aダッシュと中傷bから生まれる 愚症bが見た目が同じっていうこと
が起きてる
カテゴリーとしては同じ ことをやってるふうに見えてる
そうですね見え方が同じ なので例えば愚症aの人からして
みると愚症aダッシュは例えば 劣ってるとかダメだとかっていう
中傷aからすると愚症aの我こそ が正しいみたいなことで愚症a
ダッシュを叩くんですでもその 愚症aが叩いてる愚症aダッシュ
は実は中傷bから生まれた愚症b のことだからつまり愚症bの人
はそもそも中傷のステージという かグループが違うんですので
愚症aの人が愚症bを叩いてる叩き方 ってバリエーションの違いだろう
57:01
とか方法論の違いであってお前 が別に新しいこと何も言ってない
ぞと手段として俺が正しいぞって 叩くんですけどでも実際はこの
愚症aダッシュに見えてるその人 が言ってることは中傷bという
いわば新しい中傷から導き出した 愚症bなんだとしたらだったり
するので噛み合わないんですよね で世の中でやるべきはその中傷b
っていう存在があるんだよって いうことをみんなで認識するとか
中傷bから生まれた愚症bと愚症a ダッシュが同じに見えるっていうこと
があるんだってことを知るっていう まずその構造があることを理解
しない限り何か会話が難しそうですね そうだから噛み合ってない議論
とか分断がむちゃくちゃ多い時に 話戻るとそういう状態なのに
愚症aと中傷aというかその一ステージ の中だけで論点整理ってできない
のでなのでよく例えば業界を新しく 変えるみたいなときに例えばこういう
業界がありますその業界の中では こういうふうなやり方は認められて
ましたけどこういうやり方は認め られてませんで業界から反対を
受けてますみたいなときにでも 業界が反対する理由もあるわけ
ですよっていうときにその業界 が反対する理由を例えば古いですよ
とか言っちゃうとかあるいはもっと うまくできますよって要は別の
愚症がありますよっていうこと を別にそれもそれで必要なんですけ
ど時間かかったり喧嘩になったり するしそれだけで対応できない
いやいやその皆さんが大事にしている ものはそれはそれで分かります
でもそもそもこういう別の必要性 とか別の観点から見たときの手段
としてこういうことも必要です っていう心中症をみんなで共有
してからそこから生まれる新愚 症としてのこれをやりたいんです
っていうふうに業界に理解して もらう分かります
これはYouTubeのほうが良さそう と思います
図解も欲しい
具体例をホワイトボートとかで 説明するのを
ホワイトボート
これ4証言欲しいですね
だからそういう意味ではアウトボックス に近いかもしれないですけどだから
その外側があるというか同じ抽象 の中での愚症の喧嘩だと要はスタイル
ウォーズというか自分たちが正しんだ っていう議論をするしそれはそれで
いって意味はあるというか手段 が洗練されていくとかある意味
思考錯誤が前提になっていくみたいな でも違う抽象から導かれたら愚症
同士はそもそも同じ土俵にない ので両方とも例えば重要とか両方
1:00:00
とも必要みたいなことがあるんですよ ね
始まりの視点が全然違うということ ですよねそもそもが
大体がさっき冒頭に言った通り 愚症と抽象を行き来できるのが
そもそも法律家の能力だっていう 話をしたんですけど一般の人は
そもそもそれができないんですよ 要はだから抽象化して考えるって
いうこととか抽象と愚症を行き来 するっていうことができない人
のほうがとか苦手な人とか意識 してない人のほうが多いのでより
カオスになるんですわかります つまり要証言あった上でその愚
症旧愚症っていうか現愚症旧っていう とちょっと優劣に聞こえるんで現
愚症と現抽象があったときに現 愚症の中だけしか知らない人から
すると異なる立場のガチンコ勝負 なんでただひたすらそこに抽象
的に考えられる賢者らしき人が やってきていやいや皆さん喧嘩
しないでと皆さんが言ってる ことは全部別に間違ってるわけ
じゃなくて抽象化するとこういうこと なわけだからあなたの言ってる
ことはこの側面で正しいしあなた の言ってることはこういう側面
では一つ真理ですよみたいなこと を言ってああなるほどみたいな
感じで喧嘩が止むみたいなことは あるわけですよそうするとだから
現愚症に対して現抽象っていうこと を意識できる人がいるとかその
視点が持ち込まれるだけでいろん なものは一定整理できるでもその
最初に現れた賢者らしき人の抽象 化とはまた違う観点の価値観
とかそういうものによる別ステージ の抽象化みたいなものっていう
のが実はあるんだよっていういや これ具体例はもう出せるんですけど
ちょっとなかなかね次案とか言い にくいやつみたいなここまでき
てちょっと和賀さんがどう感じ たかも聞いてみたいんですけど
具体抽象とかそのあたり
最近の話で言うとストレスについて 話をする機会があったんですね
ストレスがありますって皆さん 言うけど何にどこでどんな影響
が出てるって考えたことあります かって伝えたときにストレスっていう
一言で全部を表してるように見えるん だけれどそれを分解して考えて
いくこととかそれを分解して説明 することができないとなかなか
相手には伝わっていかないし言って しまうとこじらせてる人にしか
ならないみたいなところがあるん じゃないかなって私は思っていて
例えばストレスの中にもいろんな 原因があるし要因があったり解釈
1:03:00
もあるので例えば人間関係に困っています 特に職場の人です上司ですこういう
ことが起きていますで一個一個 こう丁寧に拾ってったときに見える
ことってたくさんあるんだけど 多くの場合一言で表そうとしてる
感じがするストレスってそれで 理解してほしいとかその具体とか
抽象っていうことを割と私自身も 結構ふわっとした話をしてしまう
けれど人に伝えるときにはやっぱり こうある程度分解とかしてった
ほうが自分がわかりやすいかな 解像度を上げるみたいな
言ってしまえばそうですねでも 解像度を上げましょうって言う
とえってなっちゃうのでえっと じゃあまずどこから行きましょう
かみたいな感じで私は話す場合 が多いです多分小野田さんのスタイル
と近い部分はあるんだけど私の 場合は一個一個こういうことかな
ああいうことかなっていうふうに 点を打っててあ当たった外れた
っていうのを一緒にやって話しながら そういうことですかこういうこと
ですかああいうことですかって ああそうそうそれそうそうそれ
じゃないとかでそれを積み上げて たときに具体的になるし
ポイントで具象化していくみたいな イメージですか
そうですねそのほうが一緒に考えて いたほうがわかりやすいかな私の
スタイルは
なるほど確かにいろんなスタイル ありますね
そうそうそうそう
行き来にも一旦下で作った上で 上でまとめるなのか
さすが和賀さん今の話でいろいろ 整理されてきたまず今のアプローチ
に関して言えば多分和賀さんの やり方がある種機能的機能っていう
のは数学的機能法の機能ですね 機能的カエルに収めるの機能で
僕は演劇的なんだと思うんですよ 要は和賀さんはだから何かこう
水面に石を投げてその波面を見 ながら徐々にフォーカスを当て
ていくっていう要はだから経験 というか事象ごとにフォーカス
していくっていうどっちかとい えば僕はそれこそ弁護士だし作品
みたいなアプローチで言えばある 意味整理をしていって積み上げ
ていくっていうだから演劇的っていう 積み上げていって全体でここの
パーツは足りてないとかあるいは 思い込んでるとか見えてないって
なればいやいやここもこういうこと もあるんですよみたいなことで
こういう考え方をすると次のステップ でこういう考え方ができるみたいな
ゲームの実績解除みたいなことを 経験してもらってマインクラフト
じゃないですけどこれとこれの素材 を合わせたらこれができたみたいな
こっちも作れるようになった実績 解除みたいなそういうふうなアプローチ
1:06:02
の違いがある和田さんがそういう 意味で機能的で僕は演劇的で今
ちょっとストレスの話を出して もらったんでちょっとさっきの
言語賞言中賞真中賞真語賞の話の ひとつこれ具体例と従わせるな
と思ったんですけど例えばストレス がある人が夜眠れませんとかうまく
人とコミュニケーション取れません って相談に来たときにその眠れない
とかうまく人とコミュニケーション 取れないっていうのが言えば愚
性だった具体的な事でそれの原因 がストレスだとしてそれはストレス
は悪いことですその悪いストレス という状態によってこういうこと
が引き起こされていますっていう ものが持ち込まれたら例えば愚
性にアプローチするならじゃあ 眠れやすくするためにこういう
ベッドいいんじゃないですかとか 人とコミュニケーション取るとき
はじゃあ目を見ずに一旦喋って みましょうとかひとまず相撃ち
やってみたらみたいな広報論を 言うっていうアドバイスもあれば
じゃあストレスをそもそも取り 除きましょうっていう回答で例えば
ストレスを取り除くような例えば 療法を指導するとかあるいは何か
定期的にマッサージとか体のメンテナンス に行くみたいなストレスを取り除く
みたいなこれによって言えば愚症 での解決もあるし中傷での解決
って話あるじゃないですかこれに対して 僕がやるのはこういうのも
やるんですけどそもそもストレス って悪いことなんですかねって
言うってストレスってそれこそ 言い換えれば負荷だけであって
負荷とか心というか考えに負荷 がかかる状態って悪いことじゃない
というかある種の緊張感とかが 生まれていたり何かやりすぎない
ように制御させるためのものっていう 側面もある逆に言うと嫌なこと
よりも好きなことのほうが無茶 しちゃうじゃないですかそれって
ストレスかかってるんですよだから 別にストレスがかかる状態が悪い
ことかどうかとか悪いことによって のみストレスが起こるっていうこと
も思い込みで話聞いてみたら実は むちゃくちゃ毎日毎日朝方まで
プラモデル作ってるそっちのほう が上司の愚痴よりもその人に対して
の負荷は高いかもしれないって なるとストレスが悪いことだっていう
観点だけでその人の話聞いちゃう とじゃあその上司のことについて
じゃあどこか相談したほうがいいん じゃないですかとか法的手段取った
ほうがいいんじゃないですかって なるけどいやとりあえず朝まで
毎日プラモデル作るの一旦やめ ましょうかっていうことで結果的に
寝れるようになりました
すごくシンプルな話だったりする
1:09:02
っていうときに例えば世の中的には いやいやもう睡眠こそが善だと
人生は半分が寝てるわけだから 睡眠をバカにするなないがちに
睡眠するなみたいな睡眠中の 人といやいや人間コミュニケーション
が大事なんだコミュニケーション 中みたいな人が100ゼロでずっと
喧嘩し続ける
どっちも大事じゃんって
終わりなさそうですね両方の視点 から見ると両方それぞれ正義なん
でしょうねそれ自体がね
そうね
で今言った睡眠中もコミュニケーション 中も一つのジャンルの中でしかな
くてこれでいくと心中症は今の 話で言えばストレスが果たして
悪いことかとかストレスが悪い ことからしか起こらないのかっていう
問いに対していやいやそんなことは ないといいことやりたいことを
したときにもストレスはかかってる しかつストレスがかかってる状態
を利用するっていう考え方もある よねっていうところから導かれる
のは例えば何から何まで自分の 自由になる環境だけが幸せじゃない
よみたいな時間が限られている とか環境が限られている状態の
方が能力が発揮されるっていうこと もあるよねってなるとそこから
見たときにいやいやそこから見る とベッドに金をかけることが有
でそうじゃないことが劣だみたいな ことは別軸じゃないですかでも
この睡眠中とコミュニケーション 中からしてみるとこっちの心中症
から生まれたこの人は全然別軸 にいるんだけどシングにもこだわ
ってないし人とのコミュニケーション もしてないってなると睡眠中
とコミュニケーション中の人が 喧嘩してたはずなのに揃って
こっちの人叩くみたいな睡眠大事 だぞみたいなとかコミュニケーション
大事だぞでも言われた側からしたら いや睡眠もコミュニケーション
も大事なの分かってるけど私は そういう限られた環境の中で負荷
がかかるっていうそれをある種 楽しむっていう人生なんですみたいな
楽しむってしてんじゃん勢いに 上がってはいけますもんねストレス
かかってるちょっと楽しいかも みたいな
多分小野田さんも意図してるか 知ってないかは分かんないけど
私は意図的にやってるとかあります けど派体験を
でも意図はしてますね
ある意味ゴール仮のゴールみたいな
意図するってどういう感じで意図 してるの
だからそもそもそれって本当ですか っていうのは私もよく言うし
と思い込まされてるだけじゃない ですかとか
小野さんもさっき天の弱って言った けど私もすごく天の弱で
それって本当ですかとかそもそも 出たそもそもみたいなこと言われた
りしますけど
でもなんか疑わない人は比較的 多いように感じるから
1:12:01
別の話を突っ込んでいくほうが わりと面白くなる
なるほど
なんかでも聞きながら当たり前 を問うというよりかは
なんか当たり前と思われてるもの のなんか視点を変えてみてみる
みたいな
そこにも優劣はないというか
そんな感じを聞いててしまう
できる余裕がある人とない人がいる からそれは相手によって言い方
変えますけど
この人は言ったら怒っちゃいそうだ なと思ったら言わないし
でもそれって本当ですかとかそれって 誰が言ったんですかと
ちょっと意地悪ですね
たしかに
たしかに
世の中の常識って言われてるものは 誰かに言われたものじゃないこと
があって
自分で思い込んでる説あるかもしれない ですね
よくある会話で私あいづちのわかる が苦手でわかるをれんこされる
ともう本当にしゃべりたくなく なっちゃう
わかるってすごくあいづちの多い 人がそばにいたら黙っちゃう
それぐらい苦手なんですか
はい
わかんないでしょって
前提がわからないから
わかんないでしょって思って話す と面白いかなと思いますね
わかるとかわからないからスタート したほうが面白いですよね
その真中傷ですねわかるっていう 前提の人たちのところでわからない
人がわからないでもいいとかが 真中傷ですよ
いろんな真中傷あるわけですよね わかる前提で生きてる人に
これって普通ですよねってれん こされたらそうなんですかみたいな
普通とは
とはあなたの普通と私の普通は 違いますよねとか確認しないと
わからない
だからちょっと原中傷真中傷でいく とやっぱりジェンダーの領域とか
あとはその性加害の領域とかに 関してはやっぱりその性加害の
当事者が声を上げるとか女性を 声を上げるっていうのに対して
いわゆる男性の側が例えばその 声を潰そうとするとか反論する
とか
原中傷の中での愚症の違いだと 男の側は思い込んでるんですよ
社会とはこういうものか男女の 役割とはこういうものでとか性別
的にこういう差があってとかでも 性加害の被害者が声を上げてる
声の人とかその女性のある種の 仕立てられたものに関して問題
提起をしている人っていうのは 真中傷社会ってそもそもそうなん
のとか男女の役割ってそうなの とかっていうところから導いた
具体的な声なんですけどでもその 声って原中傷からでも導ける声
のように見えるのでいやいやお前 はそれは視野が狭いとか情報を
1:15:02
知らないだけだとかポジショントーク だとかって言って自分と同じ
中傷から導いた愚症は自分の考え の方が優れているからっていう
理由で叩くわけですけどそもそも その女性が言っている声上げている
声はそもそも違う中傷から生まれている ものだよっていうことに気づいて
ないっていうことがよくあるな と思うんですよね
特にその辺の辺りで顕著に出やす くはありますよね今の新しい真
中傷みたいな
だからちょっと言い方を変える とそういう意味ではその女性が
言っていることって別に原中傷 から生まれる原愚症自体を叩いてる
わけではなくて真中傷から生まれる 真愚症を語っているだけなんですよ
でもそれを自分の愚症が間違っている って叩かれているって思い込ん
じゃうんですよ
喧嘩する必要なかったり単純に そういう声を上げている人がいる
なら真中傷を知ればいいし真中傷 からの愚症もあるよねと言えば
いいだけなのに同じ授業の中で 私たちのやり方の方が正しいって
言ってるんだあいつらは俺たち のやり方が間違ってるんだって
思って喧嘩しちゃうみたいな
そういう意味で言うと誹謗中傷 とかはまさにそれですよねだから
反応でもないし反射でしかない っていうか理解とか解釈をせずに
自分が目に入ったものにすごく 反応してる
でも反射とかマットとかってよく 話をしてても出るしそれこそそれは
染み込んでる感じがするんですよ ね小倉さんとの定例の1時間って
言ってなかなか1時間で終わんない 定例の雑談というなの重層的な
雑談の時間って多分要所要所ポイント ではメモをとっているけれどという
よりは多分景色とか同様に体に 蓄積されているって感じが
そういう意味では意識するのは 時間軸多様な時間軸を持ってもらう
みたいなことを意識してるかもしれない だいたい何か事件事故とか問題
が起きたときに自分の時間軸で 考えちゃうんですすぐ回答しなきゃ
とかあるいはすぐにわかってほしい とかこれ一番大きいんですよ特に
誹謗中傷とかの案件とか誤解とか っていう事案のときって誤解されてる
わけだから一個個も早く誤解を 解きたいと思ってしまうとかあの
人たちああいうこと言ってるあの 人たちは私たち私のこういうこと
を知らないつまりだから情報に 差があるからその情報をすぐに
埋めようとしてしまうみたいな それはちょっと一旦待ってください
と今仮に伝えても相手は聞いて ないんでみたいなだから相手が
1:18:03
聞いてくれる状況になってから 話しましょうとあるいはそもそも
その誤解を解くのは無理なんで その誤解を前提に失われてしまった
信用を別の方法で回復しましょう とかこれって言えばテンポをず
らすとか時間軸をずらすだから 例えばなんか誰かから内容証明
とか来たときにこれはもう弁護士 全般のセオリーですけど何か請求
してくるとかクレームとか何か 問題を言ってくる人ってだいたい
期限をすごい短く切ってくるとか 要するに自分の時間軸に自分の
テンポ感に乗せてこようとする それに乗らなくてもいいですよ
っていうのがまず最初に言うこと だったりします自分のテンポを
まず整える
乗らなきゃってなんか思っちゃ いますね確かにそういうの来ちゃ
ったら
そうそう慌てちゃうしだから振り 込め詐欺みたいなことはまさに
そうですよね
あれは本当に戦略的な
追い込んでいくというか
あれは見事な心理劇だと思う 褒めてないです全然褒めてない
けれど人の心理をすごく理解して 逆手にとっているしでも日常生活
でもすごく不安や恐れを煽る言葉 ってありふれてますよね
そうですね基本そういう恐れとか 不安心配を煽ることはその人たち
自分自身のテンポ感を意図して 乱そうとする
そういう謎の緊急性バイアスを 追いつけられてますね確かに今
だけここだけあなただけみたいな
そうそうそうまさにこれを逃 したらあなたにはもうみたいな
タイムセーブ
そうあとは夏までに痩せましょう とか毎年言ってるよっていうね
そうですね
夏でも長袖着ればいいんじゃない みたいな
そもそも痩せなくてもいいんじゃない かいっていう
そういうところから本当にお金 の催促からまたは誹謗中傷に関して
言えば勝手に期限を切って回答 をよこせみたいな人もいらっしゃ
るしね
そういう意味ではそのテンポ感 自分のテンポ感を思い出してもらう
とかあるいはその人の持っている 時間軸テンポ感自体がそもそも
何事にも反射してしまうような テンポ感の人であれば待つということ
を知ってもらってその人の中に ゆっくり時間が流れるとか落ち着いて
考えるっていうテンポ感を実装 してもらうそれってある意味体
とか考え方の癖に近い骨格とか に近いので一回で治らないという
か一回で身につけられないので それを何度も何度も繰り返して
いってその人に別の時間軸を持 ってとかっていうことも意識して
やってることですね業務の中で
その辺の反応の仕方から含めて ちょっと話してみるみたいな大事
なポイントかもですねしその癖 があるって気づいてない人が多分
ほとんどなんでフィードバック もらえたら初めて気づくかもし
1:21:02
れないです
でこれっていろんな動物たちが それぞれ時間軸が違うってよく
言うじゃないですかつまりだから 犬にとっての例えば8歳はもう人間
にとっての40歳だみたいな
脳とか心臓の大きさとか鼓動 の回数寿命によってやっぱ体感
時間が違うんで動物ごとに体感 時間が違ってでつまり時間の流れ
方が違うよね僕人間もみんな違う だから人間は生じっかコミュニケーション
取れるから同じ時計を共有している からみんな同じ時間の流れだと
誤解してるけど1秒1分1時間の長 さは人それぞれ
誤解さが
なるほどなのでその人にとっての 時間の流れ方みたいなものを見
た上でこの人この時間の流れ方 だとずっと苦しいなと思えばその
テンポを落とすみたいなことを やるとかあるいは時計もう一個
持ってくださいっていうアプローチ を取るとかそれは自分の好きな
ように例えばトレーニングする ときはストップウォッチ使うかも
しれないですけど睡眠を測定 するときは別に何時間か測れれば
いいとか自分が生きている中で 時間の捉え方測り方って多様に
してるはずなんですけど自分の 頭の中の時計だけは1個しかなくて
かつなんかむちゃくちゃなんか 荒いストップウォッチだけ持ってる
人みたいなのってしんどいんで
でもきっとそれはそれをどう 解釈してるかっていうと話してる
中で情報を得ていってるし多分 そういうテンポ感がタタタタって
早い人に関しては私はものすごく ゆっくり話したりするしあと沈黙
をすごく多く使ったりもするんですよ ね意図的にね多分それ小野田さん
もやってると思う時間をずらす
その関わり自体が一つのなんか フィードバックな感じがしますね
そうですね
言ってる内容だけに意味がある わけじゃなくて向き合い方それ
自体も一つのメッセージなんか
話すスピードとか身振り手振り とか
だいたい黙ってるのが一番メッセージ 伝わるみたいなのありますよね
そうですねあります
これでまたつながるなと思うのは なんか和田さんがさっき言って
たアハ体験を意図してるかどうか って僕も意図しててでアハ体験
って言わば騙し絵が違って見える ような瞬間を引き起こすという
同じものを見てるはずなのに違 って見えるみたいな
猿の横顔だと思ってたら岐阜人 の顔みたいな
でアハ体験は一度起きてしまえば 元に戻らないので岐阜人に見えて
しまえば猿の横顔にしか見えなかった 自分には戻らないのである意味
世の中を見る一つ手段が増えた ことになる
だからそういうアハ体験みたいな ことを意図的に例えば一つのセッション
1:24:02
の中で引き起こせるかどうかみたいな ところは多分僕とか和田さんは
そこがある種勝負だと思っている ところがあって
だから例えばどこそこに書いて ある何々という情報を渡します
とか
こういう法律があってこの情報 を知ってると得しますみたいな
そういうことにお金をもらってる というよりはアハ体験的なところ
引き起こすみたいなところが一つ あるのともう一つは僕が思ってる
のは時間軸の話とつながるんです けどいわゆる追う体験とかって
わかります
追う体験追う追うっていうのは その追うですか
確か追うっていうのはoeかな
oe
awe
aweですよ
awe
追う体験は何かすごい大きな自然 を目の前にしたときとか無限の
宇宙を感じたときに自分のちっぽけ さに気づいてすっと楽になるとか
感動するとかそういう体験
いきますねグランドキャニオン デイとか
そうそうそう要は時間軸ってもっと 広げて考えればいつか僕らも死に
ますよね全員死にますよねって もっといえば地球はなくなります
よ太陽に飲み込まれて宇宙もなく なるんですよって言われると自分
の目の前のめちゃくちゃ広げた 後に目の前の事業に戻ってきたら
こんなことにこだわってるんだ ってちょっと違うなって気づく
みたいなさっきの時間軸テンポ をずらすっていうのも同じである
種の悠久の時間みたいなそういう 無限とか大きな時間とか大きな
流れを感じてもらうことですっと 目の前へのこだわりがなくなる
とか見え方が広がるみたいなこと が起こるのでそういうふうなアプローチ
をとる時もある感情すら変わっちゃ いそうですね起こってたのがバカ
バカしくなるとかも普通にあり そうですねまさに
妙なフォーカスになっちゃってるん ですよね多くは困ってもちろん
困っている事象は明確に困ってるん だけどそれだけに集中しすぎ
ちゃってるのでそれをそらすっていう やり方はいろいろあるんだろう
なんかそのフィードバックを得 てやっぱ2つの視点を得た後の
その方の感じ方もなんかその後 ずっと変わりそうな感じはします
ねその新しい視点によって 話だからしててあ抜けたなって
分かりますよね 分かります抜けたってどういう
感覚ですか トンネルを抜けたとかこの人
大丈夫とかもう私がこれ以上何か 言わなくてもこの人はこの人の
方でいけるなとか あと逆に戻っちゃったな
うんありますね なるほど
うんありますね よく小野田さんが言うのは戻り
やすい表現の一つ 二項対立もよく言うけど
両論兵器ですか じゃなくて人は戻りやすい
1:27:02
形状記憶 そうだそうだ
人はすごく戻りやすいっていう のを最初の方で言われてて
さっき言うと猿と岐阜人だったら 猿だけの方向にやっぱり戻っちゃ
ったみたいな いやアハ体験は戻らないのでそも
つもがアハ体験ってなかなか起こ らないんですよ
そうそう日常的には 戻らない不可逆じゃない部分
で戻りやすい部分がある いやそう習慣とか
だから人と社会は元に戻ろうとする 力が強いっていう話を
だから考え方の癖があるのでとか 感じ方の癖があるのでそこに戻
っちゃう なるほど
だから僕よく言うのは僕とのセッション でわーってこういろんな話をする
とその時間内ではわーなるほど って思うんですけど翌日とか何日
か経ってみるとあれみたいなすごい と思ったとかすっきりした感覚
だけは残ってるんだけど自分で 説明できない
だからある意味プチアハ体験は 起こってるんですけどある種ガイド
を僕がしたことによって起こってる 部分も多分にあるんでいつのま
にかガイドしてもらって行った 場所に関しては自分の身で起こ
ったハ体験とは違うのでやっぱり 戻っちゃうんですよね
元の場所に
旅行みたいな感じで住む家は一緒 だから環境の強さがちょっと強
すぎるみたいな
そうですね迷子という
迷子という
だからお二人はもしかしたらいる 場所の引っ越し屋さん兼内見やってる
人みたいな
そうですね多拠点生活しませんか みたいな
でもリアルに私旅が自分に必要 なのはそういうことだなと思って
多分小野田さんはあっちこっち 行かれてると思うんですけど
といって別にプライベートをよく 知ってるっていうわけでは全然
ないんですけど
自分自身もやっぱり同じ場所に ずっといたら煮詰まるしだから
場所そもそも旅が好きってことも あるけど意図的にそれは意識して
やって
それをやってないとそれを伝え られないし
自分が体験してそういう感覚を 得てないと切れ事になっちゃう
なるほど
お二人もそうして結構行き来を してるんですね環境的にも
うん
ただ何て言うんですかね移動する ってことそれ自体に何か価値を
感じてるだけで
かといってだからむちゃくちゃ 世界中いろんなところを旅行してる
人がすげえかと思う
そっか
そんなこともないと思う
まあね
ただ一所にずっととどまってる っていう場合であってもそこの
場所だけで深掘りできることも あるわけでそういう意味では僕
とか和賀さんはまあ経験すること とかいろんなところ旅行行くのが
すげえっていうよりは
うん
なんか自分が一所にとどまるみたいな ことにならないようにしてる
というか
そうです
考え方が凝り固まらないように 意識してる
うんそうかもしれん
外す外すみたいな固まろうとしたら 外れるみたいな
1:30:03
そうですね危ない危ない
危ない危ないみたいな
自分で自分にそれって本当って 問い続けてるみたいな感じなんですよ
うんだからなんていうんだろう 固いシャーベットにならないように
してるっていうか
ババロアにとどまりたい感じプル プルしていたい
僕水ですね
僕は意識してるのが水です
僕イメージしたらソフトクリーム 混ぜてる機械
フローズンの機械
うん
本日のカフェの営業はここまで になります
今回は特別回としてこの番組の プロデューサーであり
ソーシャルハイブ本郷を運営している 弁護士の小野田さんと
ウェイティングカフェ常連の和賀 さんの雑談会をお送りしました
概要欄からはソーシャルハイブ 本郷を運営している
小野田総合法律事務所のホームページ もご覧いただくことができます
また番組のお気に入り登録やフォロー
SNSのアカウントのフォローもお 願いいたします
そして番組ではお便りを募集しています
概要欄のお便りフォームから感想 やご質問をお寄せください
明日はどんな自分をデザインしますか
それではまたのご来店お待ちしています
ソーシャルハイブウェイティング カフェ天秒の子
新しい当たり前をデザインする 実践者たちの日常
01:31:47

コメント

スクロール