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2021-10-22 36:16

【GMV 482】どうして私がクラウドソーシングさせられているか?

不安から守るイリュージョン
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今は8時26分ですが、14分から今までクラウドソーシングをやっていました。
時間がもったいない感じがしました。
時給に換算すると、1円はいくと思います。
計算してみると、3倍して60倍するので、時給で10円。
もうちょっといくかもしれませんが、そういうワールドです。
誤解のないように言いたいのですが、
グッドワイブスで依頼には対応するからといって、
依頼にはすぐに原則として対応するからといって、
どんな依頼でも受けなければいけないということではないと思います。
私は、この種のことをやるときは、原理主義的にやります。
僕はタスクシュートがそうです。
タスクシュートに他のものを混ぜないというのは、私は絶対視しています。
人にオススメするときもまず言います。
無理かもなとは思います。
思うのですが、やらなければ良くないということはないです。
逆に言うと、やらなくても済むことを曖昧なままやると、
どんどんやりたくないことはやらなくなるので、
どうなっていくかと僕は思います。
タスクシュートをやるかやらないかは、
オールはナッシング的に感じます。
慣れてくれば勘所がつかめるから、
自分なりの塩梅が実感できると思います。
塩梅で禁煙しようとすると難しいです。
こういう時はこういうルールで行こうとすると、
どんどん数方向に向かうと思います。
私は糖質制限でそのことを思い知りました。
03:02
外出の時は食べていいことにしようとすると、
外出して食うくらいのノリになります。
依頼用には即座にと言った時は、
例外は一切認めない。
依頼内容も基本的には勘案しない。
依頼でありさえすれば絶対やる。
その依頼は曖昧なものも家族でもありますが、
原則としては言われたことしかしないと決めています。
自分で考えて動くことは一切やらない。
これは大事なことだと思っています。
人は言語でコミュニケーションを取るべきだと
正しさとして基本的に思います。
もちろんニュアンス次第では
これはあんにく言っていてやってほしいと
思うことはやりますが、
それも基本的に極力排除したいです。
本当のことはわからないですから。
本当のことはわからないと詰めると、
言葉で言ったことなら本当かという話もありますが、
言葉で言ったことはありにしようと。
ここのポッドキャストで何度か言っている
東英同一化ということがありますね。
直接コミュニケーション。
直接コミュニケーションというものは
やはり私は一種の対抗の表れであって、
つまり用事帰りだと思うんですね。
だから人にその場で口頭で指示しないことまでが
暗黙のうちに伝わっていると考えるのは
意識シズムであって、
やめるべきだと思うんですよ、私は。
やりてほしいことがあったら
ちゃんとはっきり明言しないと
そういうことをしない習慣がつくような日がするんですね。
私も娘とやり取りをしていて、
弦外のことは絶対に汲み取らない、
汲み取らせないというのがよく意識しているんですよね。
何かを本当にやってほしいならそれだけを言うようにして、
言わないことはやらせないみたいな。
勝手にやっちゃうことはどうでもいいんですけれども、
そういうふうに会社ではよく指示待ちとか言って
よくないこととされているんですけど、
私どうしても逆だと思うんですよね。
コミュニケーションを節約するっていうのは
何かろくな結果を招かないような日がします。
やっちゃうんですけど、私たちはすぐやるじゃないですか、
そんたくって言ってね、人の気持ちを読むと。
あれ読めてる気になればなるほど
だいたいつらいことになっていくと思うんですよ。
既読するみたいな、最近も話出してますけど、
そういうことですよね。
何にもそこに意図がないのに、
勝手にそこに意図を汲んで、
勝手に苦しみ、勝手に殺意を委くみたいな、
すっごいいいことは起こらないと思うんで、
06:01
必ず明瞭に外に出ているものだけを
出ているものとみなすっていうのが、
心の健康を保つ上では大事かなというふうに思います。
なぜこの話を今しているんだろう。
コミュニケーションのことで、つまり依頼なんですよ。
依頼というのは実はですね、よく見ていると
いつもそうなんですが、はっきりとした形をとらない。
これいかんのよね、と思うんですけどね。
これをやるからみんなで苦しむはめになる。
やってほしいことをはっきり言って、
言わなかったことは相手がやらなくても
一切気にしないというのが一番いいと思うんだけども、
なかなかそうならない。
家の中ですらそうならず、すぐ厳害という。
厳害をやるとですね、厳害ってものすごく微妙なものを含んじゃうんで、
例えば皿を出してほしくても、どの皿だってのがあるわけじゃないですか。
それに決まっているとか言うんだけど、決まっちゃいないんですよね。
解釈次第でいくらでも成り立つわけですよ。
そうして喧嘩が起こると。
そんなことが起こるくらいなら、はっきり言うっていう。
このはっきり言うのをなぜ人が節約したいのかということを時々思うんですが、
それよりもまず私がちょっと考えたのが、この依頼に応える上で、
私はなぜこの依頼は嫌なんだろうというふうにまず考える必要があると思うんですよね。
ちょっとさっき言った通り、Good Vibesは全部の依頼を受けなきゃいけないわけじゃないと思うし、
依頼でないものは受けなくていいと思うんですよ。
依頼か依頼でないかっていうのは結構難しいところがあって、
私はここをはっきり理解するために全部の依頼を一応引き受けることにしてるんですね。
依頼を引き受けようとすれば、必ずそれに対する自分の内心の抵抗みたいなものがある時とない時とあってですね、
その時に私の正しさなり価値観なり、大事にしていると思い込んでいるものが何であるかっていうのが分かるんですよ。
私はタスクシュート今もずっとやっていて、依然として辞める気は全くないんですが、
このことと依頼を受けるということを必ずマッチさせることに意外と自分はメリットを感じるんですよ。
さっき言った時給数十円だった場合の依頼ね、これを依頼と見出した場合では何でこれをしたくないのかというと、
費用対効果が悪いって考えちゃうからなんですね。
でも私は費用対効果が悪いってどういうことだろうと、やっぱり考えずにはいられない口で、
例えばですね、私これをやるよりはロッテの試合を見ている方がずっと生産的だって思っちゃうんですけど、
生産はしてないんですよね、ロッテの試合を見てても。1円たりと。
これに比べれば数十円でも内職は生産的なんですよね。
何なんだろうこれはと。苦労なんだろうかと思うんだけど、苦労はしてないんですよね。
仕事そのものは簡単だから。めちゃくちゃ簡単ですよ。
ツイッターを操作するのと大して違わない。
09:02
ツイッターの操作はするじゃないですか。時給0円でもするんですよ。
なぜなのかと。これはやっぱり苦労とか苦痛のせいではない。
私肩凝らないですから今、別に肩凝るわけでもない。肩凝るわけでもなく、
辛さの問題でもなく、費用対効果でいうと極めて悪いけれども、
消費活動よりはベターであるということになってくると、
私は何を我慢している気でいるのかと。何も我慢をしてないんですよね。
辞めたければ辞められないわけじゃないし。
損をしているかというと、損をしているとは思いますが、
その間、例えば私が物を書けば得をするかというと微妙なんですよ。非常に。
だってその間に書籍言語を書いたところで、その本が出なければ1円にもならないわけだから、
このクラウドソーシングよりも書籍言語を書く方がベターであるという、
いかなる根拠もないわけですよ。
ただこれは安いというふうに、何か絶対的なものとして安すぎるというふうに感じている。
でも私はこれを社会正義的な観点から見ているわけではない。
あまり良いことだとは思いませんけど、
決して私はこれが世の中の経済を歪めているとかに、
本気で怒っているからこれをやりたくないのではないんですよ。
理由が見つからないんですよね。やりたくないという。
やりたくないという気持ちをあっても、その理由が見つからない。
で、追って追って追っていくとですね、面白いものが出てくるんですよね。
昔、私の母が実家で、なんかすごい親に手伝わされて嫌だったって、
それを繰り返し言っていたら、そこに行き着くんですよ。
非常に面白いなと思うんですよね。
私はこれは他の人は関係ないですよ。
これは私にだけです。
これも3ヶ月くらいかけて見つけたんですから。
思い出ですよね。内的対象としての母親ですよ。
それも私の中にカチッとインストールされて、つまり母の価値観ですよ。
こんなことを私はやらされる人間でありたくないという。
それはそれで結構ですよね。母の価値観。
それをただ私がストンとインストールするのはいけないんですよ。
私は母じゃないんだから。
でもこれをやるんですよね、私たちはね。
多分僕が4歳とか、もしかすれば3歳とか、
7、8歳くらいまで母が言っていたんでしょうね。
以降そんな話を私はまともに聞かなくなっているので、
それを聞くくらいなら、友達と昆虫獲りに行くほうが楽しかったんでね。
母の話を聞いてあげる時代みたいなのもあったわけですよ。
おぼろげですけどね、つい最近まで忘れていたわけですからね。
でもこれなんですよ、私の中では。
父はその頃忙しかったし、あまりそういう話をしないんですよね。
12:02
あんまりそういうことに興味ないんでしょうね、父はね。
父の話って、ある意味非常に面白いんですけど、
蛇をブンブン回して、スズメバシの巣にぶち当てたとか、
そういう話なんですよ、父の話ってのはね。
あんまり僕の中に入ってきてないんですよ。
この人異常な人生を送ってきてるな、みたいな、そういうノリでしかなくて。
母の方が非常に分かりやすかった、当時としてはね。
そういうそのくさいことをさせられる人間になっちゃいけないっていう、
この価値観が入ってて、これが私は役に立っているし役に立つだろうと思い込んでたんですね。
役に立ってないんですけど。
役に立ってないですよ。
私は結局このクラウド送信をやってますからね。
やらずにとことんやり合う気はしないんですよ。
その方が得だという風には思えない。
だからやってるわけですよ。
これ母に説明できませんが、母はクラウドわかんないからね。
つまびらかに何がどうなってるのかを言ったら怒ると思うんですよね。
これは母の価値観なんですよ。
それが私にインストールされている。
内的対象としての母親だと思う。
あるいはこれは母の男性性なのかもしれない。
ファルスとしての母みたいなね、言い方をするのかもしれないです。
なんでもいいです。私はそれを実感できるんで。
実感できるというのはどういうことかというと、
その時の母の若かった頃の横顔とか、
口調とかを鮮明に思い出せるわけですね。
そしてそれがですね、腹の底からくるんですよ。
これはイリュージョンですよ。
頭に決まってます。記憶だからね。
身体的な記憶だみたいなことを言う人もいるし、
いろいろあるんだけど、僕は信じないです。
絶対ノーだと思ってます。
だってノーはクオリアを持ってるし、
あれがあるじゃないですか、ホムンクルス人形。
味覚も舌で感じてはいないですからね。
ノーですから。
これについては、いろんな自己啓発側からの異論があるのは
承知してるんですけど、私は信じない。
ノーだというふうに思ってます。
ちなみにノーだというのも本当じゃないんですけどね。
じゃあノーでどうやってクオリア作るんだって話は
できないんでね、私たちには。
たぶんノーが何かを感じるということが
私たちの知覚だってことなんだと思うんですよ。
なんで腹の側から来るんだろうって
いつも思うんですけどね、この種のことは。
極めて不愉快です、正直言って。
なぜならネガティブな価値観ですからね、これはね。
なんか消化不良でも起こしているような感覚があります。
こういうのをたぶんフロイトは
高愛的とオーラルと言ったんでしょうね。
口から出るんですよ。
母の言葉じゃないですか。
そして罵るように口から出る。
怖いサディズムとか言うのは
こういう感じなんだろうなと思うんですよ。
独特の一体感がそこにあって
私も今そういう
胃から口の付近までムカムカするような
この感覚がある。
だから妻の依頼というものに
15:02
非常に理不尽なことをさせられているような気がすると。
ここからなんですね。
ここからこの感覚は何に役立つかというと
役立つというとあれなんですが
役立つのかそれって話をされても困るんだけど
クレームなんですね。
クレームをしている人の気持ちはこれだろうと思います。
怖い敵だなって思うんですよ。
噛みつくって言うじゃないですか。
口汚く罵るとか噛みつくとか
口の快感ですよね、それはね。
口の快感。
サディズムとしての口の快感です。
口で攻撃って言ったりするじゃないですか。
あれですよね。
フロイトはあれを言ったんで
口と肛門と正気なんですよね。
だから非常に気持ちの悪い理論だって話にされてるんですけど
私はこれ、肉体的に考えなければいいと思うんですよ。
非常にいい感じがする。
いい感じがしないか。
非常に重要なことを
重要なことを
日本語でも言いますよね。
噛みつくとか
これは本当に噛むわけじゃないじゃないですか。
噛みつくとか
今言ったように
むさぼるとかも言いますよね。
取り込むとか
下すとか
腹の底からとか
全て身体と関係が直接あるわけじゃない話をしてると思うんですよ。
でもこれは情緒の話をしている。
情緒が身体で例えられているんですよね。
でも身体で例えるのが
一番この情緒の生々しさに近づけるんだと思うんですよ。
だから
そういう意味で
口っていうものを
彼は比喩として選んでいて
その比喩は
比喩なんですけれども
生々しさがなければ意味がないと思うんですね。
やっぱり
なんて言うんですかね。
好愛的とか
いう代わりに
消化的とか言い始めると
途端に無機質な感じがして
その方が気持ちが楽になれるんだけど
この無機質さが
この種の話をするときの
無意味さにつながっちゃう気がするんですよ。
だから
あの例えを今どき持ち出すのは
精神分析でも古典的な話になっちゃうんですけど
好愛だの
アナルだのっていうのは
でも何か私はこの部分を
別の言葉に言い換えてみたところで
役に立たなくなる上に
つまらなくなるだけじゃないのかなっていう気も
ちょっとするんですね。
今どき流行らないから
あんまり出なくていいんだろうとも思うんですけれどもね。
クレームをもらったときで
つまり彼らは
何を大事にしているのかを
18:01
自覚してはいないと思うんですよね。
人がですね
失って恐れるものって
あんまり種類ない気がするんです。
時間でしょ
プライドでしょ
お金ですよね。
そんなもんだと思うんですよ。ある意味。
あといくつかあるにせよ
なんか全部これに派生しているだけで
しかもあとせいぜい
お金しか出てこないと思うんですよね。
で、時間
大して大切にしてないんですよ。
私測りますからね。
そもそもこうやって
妻にクラウドソーシングしてって言われると
測んないじゃないですか。ほとんどの方は。
だから時間をどの程度失ったかについて
そこまで興味があるとは言えないと思うんですよね。
ムカつくとかのほうが大事なんですよ。
人にとっては。
私がクラウドソーシングで手伝っているのは
賞味全部合わせて
20数分なんですよ。
もっとずっとやっている気がするんですよね。
だからこれ普通に
タスクシュートもなく
口で喧嘩したら
絶対1、2時間やってるとかって言うんですよ。
嘘なんですよね。
平均してみると20数分なんですよ。
この20数分が
2、3時間に感じられますけどね。
ああいう作業だと。
でも20数分であることに間違いはない。
その間私が稼いでいる金額も
25、6円であることに
違いはないんですよね。
で、
時間を大事にしているって
人は言うんだけれども
25分はあっという間に
すごい適当な使い方をする人のほうが
普通だと思うし
私はそれでいいと思うんですよね。
タスクシュートっていうものを使っていると
ものすごく時間に隣植な感じが
すると思うんですけれども
そうは思えない。
むしろこれを使っているとですね
時間というのは
湯水のように使う人は
それでいいんだと思うんですよ。
25分なんて
1イニング、2イニング
2イニング見たら25分は経過します。
私黙って見ていることも
結構今
ロッテ優勝しそうですからね。
ありますからね。
黙って見ていることも
全然もったいないと思いません。
こういう場合は。
だからなぜクラウドソーシングのほうだと
もったいなく感じるのかというと
イリュージョンなんですよね結局。
全く理由をはっきりさせることが
できないんで
これとほぼおそらく同じことが
時間を無駄にさせられたら
どうしてくれるって言うんですよ。
これをクレームで出しているという段階で
既に大して時間は大事じゃないんですよね。
その方にとっては。
出さないですよね。
時間がそこまで重要なら。
私タスクシュートで1分も惜しいみたいな時って
ここ数年ずっとやったわけだから
何日かはありましたけど
クレームとか出す気に
一切ならないです。
あまりにも時間がもったいなくて
クレームというのは
出す時間と戻ってくる時間と
おそらく1億じゃしないってことが
分かってるじゃないですか。
そういう時に全部合わせて
10分使うのも惜しいってことが
21:01
あるんですよ。状況次第ではね。
そういう時はクレームって出さないです。
だから時間じゃないんですよね。
多分プライドだと思うんですよ。
でもこれも私はどの程度
それで大事にされているのか
疑わしいもんだと思います。
だってクレーム出すっていうこと自体が
非常に私だったら
プライドに関わります。
クレーム出すということを
大事にしないと
思っちゃいますからね。
この辺私は隠れてプライドが高いなって
自分で呆れるんですけれども
とにかく
このようなものを出した相手が
どのように、これもイリュージョンですけど
どの程度自分を詐欺するのかが
十分想像がつくので
到底プライドに相談したら
クレームって出さないんですよね。
黙っているという方が
よっぽど自分が守られる感じがします。
だから結局
私が思うに
これはおかしな行動なんですよ。
なぜなら
イリュージョンを動機付けにして
思いっきり行動を取っちゃっているから
おかしな行動なんですね。
私が自分でクラフトソーシングを
やるときに
妻に対する態度も
多分におかしな行動なんですよ。
今の二つが大事じゃないのに
やるんだとすると
明らかに変なんですよね。
この明らかに変というのが
それこそ十分理解できた
暁には
腹落ちって思わないんですけどね。
むしろ腹はむかついているんで
十分理解できた
暁には消えるんですよね。
この
むかつきが
消えるんですよ。
クレームを受け取ったときの
相手がどれほど
イリュージョンから来ているか
イリュージョンから来ているということは
不安に
不安に
捉えられているって感じですね。
それが見えさえすれば
いいんですね。
なんで見えさえすれば
いいんだろうって
なりますよね。
直接コミュニケーションなんですけど
関節ではないですよね。
言葉によってない。
言葉によるのであれば
私はイリュージョンにまみれて
不安です、何とかしてください
って言うべきです。
人は絶対こうは言わない。
だから私は
言葉でコミュニケートするべきだ
っていうのが
直接コミュニケーションになるんですよ。
相手の不安が私に伝わってきて
相手は不安なんだということが
私が気づくことができれば
一緒に不安にさせられているときは
気づかないんですね。
そこに少しスペースが必要で
私が少し自分から離れて
自分の不安を
不安のまま少し自分を客観視できないと
この不安で
不安が向こうから投げつけられたんだ
ということに気づけない。
同じように
相手を伝わらせられようとしているとき
自分の心の抵抗が発生して
不安になる。
これは妻の直接コミュニケーション
24:01
なわけです。
妻はこれを私にさせたい。
なぜならば不安だから。
これはつまり
言葉によるものではないんですよ。
言葉だと
あれ手伝ってようになってしまう。
これは言いたいことではないんですね。
私の不安を何とかする義務がある。
夫なんだから。
どういう不安なんだろう
ということになるわけですよね。
一生懸命考えるわけですよ。
ありとあらゆること。
で、見つかると。
このとき
相手の不安を
何で俺が取らなきゃいけないんだろう
とは感じません。
相手の不安の正体がはっきりし
しかも自分がそれを
取り去ることができるとなったら
取り去るということによって
後悔したことは一度もないんですよ。
以前私は
散歩をするのが
寒い日とか
暗い日はしたくないなと思うんですけど
帰ってきてから
散歩しなきゃよかったと思ったことは
多分2000回行って
一度もないです。
2000回以上行ってますが
一度もないです。
この種のことって信じていいかなって
よく思います。
同じことは繰り返さないんですけどね。
グッドバイブス的にも
マインドフルネス的にも
仏教的にも
そもそもタスク修道的にも
後悔したことはないことってあって
もう一つが
相手の不安や恐怖を
取り除くことができたと感じて
そのことを後悔したことは一度もない。
だから
相手が不安であるということが
完全に見えればですね
取り除くという気になれるんですよ。
結構
分かりにくい時があります。
グッドバイブスで
クラウドの慶応さんに言わせれば
難しいことはないはずなんだけど
やっぱり見えにくいことってあります。
このクラウドソーシングによって
私に押し付けられている妻の不安というのは
非常に私には
長らく見えにくいものでした。
今でもここでしゃべるほど
うまく説明はできませんが
でもそれは
マイルドなクレームに近い内容ですね。
マイルドなクレームというのは
結局間違いなく不安な
そういう時の方がむしろ分かりますね。
相手が興奮していると
知りめずれずでわけわかんないんですけど
でもこの内容は
なんか奇妙だなと思う時の方が
その人の不安というものが
割と手に取るようにわかる。
そして自分にもそれが投げ込まれるから
直接コミュニケーションなので
自分も不安になって
この気持ちにこの文面ならこうだろう
というのがわかります。
これがわかった時に
相手の不安を取り除くということは
非常に前向きになれます。
やってみて損をしたとか
馬鹿らしかったとか
そういう気持ちを感じることは
決してない。
これはグッドファイブスで言わせれば
一つ意識だからと
そう説明されると思うんですけど
27:01
多分そうなんだろうなぐらいです。
私の中では。
多分そうなんだろうなと。
だって別に得することはないはずなのに
後悔することが決してないぐらい
ある意味いい気持ちになれるということは
理解が完全に一致してないと
おかしいってね。
娘にだったらわかるんですよ。
すぐわかるんです。
そういうことをして
後悔することは絶対ないんで
その場合娘と私は
ほぼ同じ感覚でいるというのは
私にとって何ら違和感はないんですが
これは例外的で
その他の人については
こうはなかなかやっぱりいかないんですね。
非常にいろいろ考えたり
検討したり参照したり
せざるを得ないんですよ。
今のところ私は。
相手はどういう不安でいるのか
不安はもう間違いないんですよ。
自分のことを振り返ると
人にちょっとでも
クレームっぽいこと
攻撃っぽいこと
抗議っぽいこと
懸念を伝えるということをするってのは
自分が怖いんですよね。
そしてこれもほぼ例外なく
その怖さは何を守ろうとしているのかを
真剣に考えると
何も守ろうとしていないということが
さっきみたいにわかります。
この派生系として出てきているんですよ。
こっから先はグッドバイブスで
言われているというよりは
僕は精神分析で
言われていることだと思いますけど
その派生系として
途中言ったような
内的対象としての母親
というものが僕に
ドーンとインストールされてしまっていて
そいつが怖かったんですよ。
そいつって誰なんだって話なんだけど
言ってみれば
私の中に入っちゃっている母です。
より多分僕の場合
多くの場合正確に言えるのは
母が男に
特に
母が男性的世界の中で
自分の価値を発揮しようとして
できなかったことに対する
怒りが私の中に
インストールされて
こいつが反応するんです。
それ男性じゃなきゃいけないの
という話されるんですけど
これは比喩です。
現実原則というものを
フロイトは父親という風に
名付けたんで
なんで父親って名付けるの
という話をすると
エリプスって話になっちゃうんですよ。
私がお母さんと
一体になっていますと
お母さんのことを意識していませんよ。
私が
ゆりかごの中で
すごく落ち着いていると
この世はこれでいいんだと
自分はゆりかごで
ずっとこうやっていれば
ずっと幸せだと思っている
これが母子一体なんです。
母親がいると
心の奥底で確信している
それは母親が
いるという認識を
持つことはできていない
これが一番一体じゃないですか。
一体なのに相手がいるって
おかしいですよね。
一体なんだから。
一体ということは
相手がいるということを
30:01
知らないってことなんですよ。
その上で相手がいるっていうことを
絶対的に信じているのが
一体ですよね。
だから母子一体なんですよ。
本当に一体だった時代も
自分の中にいたっていうことが
あったわけだから
特に出る直前とかで
自分の意識もあったでしょうけれども
にもかかわらず
人の中にいるわけだから
こんなに不思議なことはないと思うんですけど
物理的にもそうだった時代が
本当にあるわけですよね。
つながっていたわけですからね。
へそのおってやつで。
でもそれで完全じゃないかって
思いますよね。
当人としては。
他に何にもいらないじゃないかと
この環境
環境というのはつまり
母親そのものなんだけど
環境は私のものだと
間違いないじゃないですか。
私が生きるために
この環境はあるんですよ。
ところがその環境は
驚いたことに
自分が生まれる前には
父親が好きだと
これを父親と言うんですね。
それがいなければ自分は生まれてない
これを現実原則と言うんですよ。
どうしようもないですよね。
伝えられようによっては
非常に不愉快な
伝えられ方もする
現実原則なわけですよね。
現実原則として
母は私の母で
家から出られずに
裁縫の手伝いを延々させられて
クラウドフォーシングですよ。
ちっとも儲からずに
実家は借金まみれで
そんなに何回も何万回と
針を縫っても
何の私にもなんないように
しかも親父は酒を飲んで
娘を殴ると来ている
現実原則が極めて不愉快
これを私に
ストーンとインストールして
あんたそういうことを
させられるような大人になったら
損するよって伝えたわけですね。
そして私がそれを
ザナからクラウドソーシングを
言われるために
カチンと狂って
しかしこのように言われたことは
一切覚えていないので
カチンと狂って
自分の理由を探そうとすると
この10分間があれば
本を書けるし
本を書けば時給あたりに
換算して数千円にはなるのに
なんで自分は
時給20何円の仕事を
させられなければならないんだろう
って思ったりするわけですよ。
これは私が
本当に思っていることとは
関係ないんですね。
違うことなんですよ。
私が考えているのは
母にインストールされた
人生としての母親ですよ。
そっちが反応しているだけなんですよ。
そのことをただ思い出せないから
それはほぼ無意識に作動するから
今みたいな
解釈というやつが
現れるんですね。
たったそれだけのこと
こういうことが
たったそれだけというのは
33:01
どうなのかと思いますけど
こういうことを100年前に
ほぼ100年前に
いろんな人が
カウンセリングをして
カウンセリングをして
精神分析して
1時間ずつ
週5回も
同じ人から話を聞き
必ず家族の話になりますよね。
そうでなくても精神的に不安定な人が
来ているわけだから
家族の話を自由連想で
いっぱい喋って
それを解釈して
いっぱい喋って
いつも同じパターンが
現れたんだと思うんですよ。
今までは
すっかり忘れていたことだから
それは無意識という
名前になっている。
いっぱい思い出していって
そういうことがあったから
そのことに反応して
今の例えば
婚約者とうまくいかない
といったことが起きているんだ
っていうのを
定式化したのが
精神分析なんですよね。
それを私はちょい借りして
こういうふうに今使って
ドニー・タケオさんが
これを甘えと言ったわけですよね。
妻も私に甘えているし
私も母に甘えている。
だって甘えていなかったら
このような考え方を
する数がないんですよね。
自分の不安を人に取ってほしいだなんていうのは
取ってくれてしかるべきだっていうのを
甘えですよね。
でもそういうのがないと
というかそういうのが既に
あるものとして私たちは
社会生活を挑んでしまっているから
実際ない夫婦だったら
もうそれは契約している
社員みたいなもんであって
いやそれはできません。
時給何円以下の仕事だったら
私はしないことに契約書で
なってますからみたいな
やり取りになっちゃうんじゃないですか。
そうはならないので実際にはね。
子供との関係で
そういうことを言い出したら
極めて奇妙ですよね。
子供とは契約を交わしたことは
一回もないわけですから。
だからそこには甘えというものが
あるわけですよね。
それを全く
特殊な言葉で
西洋の人たちが言うのは
多分甘えという言葉の意味を
違うな。
甘えという概念は絶対あるんで
あるからこそ精神分析で
ああいうことばっかり問題に
したわけですからね。
奇妙な名前を付けたわけですよね。
一時なるし沈むとかね。
よくわからん言葉になっちゃうわけですよね。
多分それは意識できない
ということなんだと思うんですけども
彼らの世界では
意識極めてしにくいか
意識するのが極めて不愉快か
そういうようなことなんだと思うんですけど
ないわけでは絶対ないと思うんです。
そういうことを問題にして
例えば上司に怒られるのが怖い
みたいな話を
本で書いたわけで
その本を読んでいただけると
嬉しいわけで
何ならその本でよくわからなかったことを
36:01
10月31日に
セミナーで
倉園健三さんと一緒にやるリアルセミナーで
来ていただいて
話し合っていただけると
なおいいかなと
そういうふうに思います。
36:16

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