1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 3チャレは精神力動をベースに..
2025-06-15 51:38

3チャレは精神力動をベースにした「個人コンサル」です【1205】

治療ではありません。
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サマリー

このエピソードでは、3チャレによる精神力に基づいた個人コンサルの拡張について議論しています。精神分析的アプローチと既存のビジネス心理支援の違いを明確にし、独自のスタイルを確立する過程が語られています。また、精神力動を基にしたアプローチについても触れられ、心理臨床とライフハックの交差点が強調されています。タスクシュートの実例を通じて、生活リズムの改善と自己肯定感の向上がどのように関連するかについても説明されています。さらに、精神力道に基づく個人コンサルタントの役割とその重要性についても探求されており、具体的な事例を交えながらクライアントの心理的状態や治療へのアプローチの多様性が語られています。また、タスク管理と心理臨床の接点について探求し、個人コンサルティングの進展も述べられています。「リキドル」や「Good Vibes」といった手法を通じて、生活と仕事の相互関係の理解がどれほど重要かが強調されています。最後に、タスクシュートと個人コンサルに関連する心理的アプローチについて探求し、診断的アプローチと非倫理的行動についての見解も示されています。

エピソードの始まりと土砂降りの日常
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1205回をお送りします。6月15日、日曜日、時時18分です。
いやいやいやいや、あの、土砂降りですね。そしてついに、今週は全ての日やってしまい、7日で8回多分配信したと。
別に配信回数を急いで稼ぎ出したいという意図は全くなくて、気がついたらこうなってしまったというですね。ほとんど失敗に近いんですけど、
しゃーないなっていう感じですかね。 あと全然、全くこれを聞いている人にとってはほとんど100%どうでもいい、極めて詩的なニュースがありまして、
あの、あれなんですよ。UKEL55インチを買ってしまったんですよ。 まあこれを聞いている方の中にこれに関係があるとすると、佐々木がまた無駄な散財をしたために、
また一生懸命働くことになるだろうってことが、どこかで関係してくる方いらっしゃるかもしれませんが、
そんなもんですね。いや、でかいですよ55インチ。しかもUKELはすごいです。 私UKELっていうのは、物の高級度からして、しばらく年数が経てば、もちろん別だと思うんですけど、
まあiPadぐらいのサイズが限界だろうと思ったんですけど、あっという間にこのサイズのUKELは、はっきり言って高いですけど、個人が頑張れば家に置けちゃう時代もあっさり到来してるんだなと。
結構時代遅れてるな自分と思いながら、昨日見て衝撃を受けました。家で映画見てるみたいな感じ。
UKELレベルになってくると音の方もすごいんで、私はテレビにUKELがいるとは全く信じられない人間なんですけど、
奥さん結構ずっとテレビ見てる人ですしね。 まあ別にいいかと思って買ってしまったわけですよ。
奥さんあれなんですよね、朝MLB見て、大リーグ見て、それからワイドショーを見て、夜はまた野球を。
野球好きだよねっていう、私よりずっと好きなんじゃないかっていうぐらい野球好きなんで、まあいいんじゃないかなと思って。
またお金がすっからかになってしまったんで、一から頑張って稼がないと大変なことになるなと思いながらですね、
Jマスタキさんは偉いなといつも思いながら彼にくっついていろいろと仕事をさせていただいているのが私なんですけれどもね。
まあまあこういう欲物的なわけではないが、欲物的な気分になっているわけですね。
でもまあユキエルはさすがに美しいので、ボールもはっきり見えるんで、つまり私も肉眼で結構野球のボールが見えなくなりつつあるという。
まああのメガネかければいいんですけど、メガネ結構疲れるんで、テレビとか見てる時はメガネとか全然外したいんですよ。
ので結局よく見えるということになっておりましてですね、ユキエルだったら裸眼でも見えてちょっと感動している。
だからなんだってことはないんですけどね。 ロって弱いしね、まあまあ。
今日は日曜ですし、こういうふうに無駄話でいこうかと思ってたんですけど、
やっぱりこれからちょっとまたですね、視聴者の皆様にはあまり、視聴者数からしてあまり人気がないということがわかっているサンチャレの話を今日はしたいと思っておりまして、
かつですね土日になると、あの私これ土日配信しないということを皆さんご存知なので、ガクンと減るんで、なんか一桁に入るんじゃないかスタンデフンね。
あのスポーティファイはさすがに一桁はないですけど、また一桁案件なんじゃないかと思うんですけど、まあ構わず3ヶ月チャレンジの現在の方針の拡張というものについて考えようと思っているんですね。
方針の拡張と精神力度
考えているわけで第11期からは方針の拡張を目指そうというふうに思っております。
方針の拡張というのは何か言いたいかというと、何も変わらないんですけど結局は、定義上、定義ね、まあ一応定義と申し上げますと、
精神力度をベースとした個人コンサルという定義にしようかと、何も変わらないじゃんそれじゃって思われるでしょうけれども、
一応これまでは精神分析の知識について勉強し合うビジネス心理コンサルだったはずなの。ビジネス心理支援だったんです。長いしよくわからんかったんで、これからは精神力度をベースとした個人コンサルということにします。
だいぶスッキリするし、なんか少しわかっている気がするじゃないですか。やることはない。実態に近づいたと思うんですね。
で、とはいえこれははっきり言って定義になってないんですよ。というのはですね、定義っていうのは私が思うに少なくともパッと聞いた人が似たようなものを思い浮かべられるものだと思うんですね。
でもこれはパッと聞いた人が似たようなものが多分一個も思い浮かばない恐れが高いと思うんですよ。なぜならばそんなことをやっている人を僕は他に誰も知らないから。
僕が誰も知らないって、僕は調べてますからさすがに。似たようなことをやっている人がいたら参考にさせていただこうと思って、あれやこれや探しているし、
それこそチャットGPTとかにも似たようなことをやっている人がいたら、実名を挙げて教えてって言ってるんですけど、上がってこないんですよ。
ということは似たようなことをやっている人はいないんではなかろうかと。外国にはいそうなんですけど、外国にいたってね、果たして人もそれ似てるのかって話じゃないですか。
だからこれはもう似たようなことは少なくとも国内ではしばらく行われていないということをやや絶望的な気もしますけれども、しゃあないと。それは私が絶望しててもしゃあないと。
似たようなことをやることはできると思うんで、ただやってその人の得になるのかというと全然ならない気もしますしね。
これは公認心理師とか臨床心理師とか、いわゆる正規の心理師さんがやるというのがあるんじゃないかと思われると思うんですけれども、問題なのはそうすることのメリットが何もないような気がするってことなんですよ。
資格を持っていらっしゃる人の場合にはですね。資格がない人がこれをやるメリットはというとやっぱり全然ないような気がするんですよ。
なぜならば資格がない人にしてみるとですね、おそらくこの精神力度をベースにするというのは難しい上に面倒くさい上に厄介な事態を引き起こすんですよ。
多分。にもかかわらずさほどビジネス的には旨味がないんですよ。これが。だったらばどちらかというとCBTをベースとしたビジネスコンサルとか、それだったら現にやってる方はいらっしゃるし、
多分研修とかをやると旨味もあるわけですね。これは蔵園さんだったか他の方だったか、蔵園さんだったかなぁに習った、多分俗流の表現なんですけど、
様々なアプローチの交差点
1対1で延々頑張る、例えば生態とかもそうですけど、俗にビジネスでは水商売みたいな言い方をする。
なんでかというと、係数、いわゆる係数しないって言うんだったっけ。要するにですね、1対他にはなり得ないからですね。
1対1になっちゃうから。そうすると1対1で1回1億円とか、そういう額の金額を要求すれば別ですけど、まあそうはならないですよね。
それだったらB to Bにしろって話なんで、B to Cなんでこれは絶対的に、しかも規模が最小になるので、そうすると年賞多くとかあり得ない。
年賞1000万単位もあり得ないです。年賞もしかすると100万単位も下手をすると厳しくなるという世界なわけですね。
だからそんなことを多大な手もひもをかけて、しかもそんなことをやる人はいないわけですよ。
精神分析化になるっていうのはこれとは違うんですね。あれはそのシステムが背景にあり、しかもそれだけをやるっていうベーシックな考え方があり、しかも訓練分析というものもありますから、つまり集団の中でやっていくので、お弟子さんを取るというビジネスであるわけです。
私の場合は類似のものをやってる人がいないので、お弟子さんもいないので、結局のところ絶対に1対1ワンオンワンになるわけですよ。私にそれが合ってるんでこれをやってるわけですが、似たようなことをする人がいないものを言葉に直しても定義にならないわけですよ。その人は、ああそうですかってことになっちゃうんですよ。他に何を思い浮かべればいいのかわからないことになるわけですね。
しかしそれではしょうがないので、これをあえて頑張って、それこそCBT認知コード両方的な概略も使いながら、使うとまた余計な迷惑がかかりそうなんで、私も使わないほうがいいかなと思うんですけど、一応使いながら分かりやすく説明、分かりやすくはないんだけど、少しでも分かりやすい説明をちょっと今日考えてみたわけですね。前置きが長いですが、そういうことなんですよ。
どういうことかというと、つまりこれは似たようなものの異なる方面からのアプローチをして、最後にそうすると衝突するというか、ぶつかるところ、ぶつかるというのは戦うわけじゃないんですけど、交差するところが出てくると思うんですよね。
それがライフファックとCBT認知コード両方だと、世の中には幅広く行き渡っているし、似たようなことをやっている人もいっぱいいらっしゃるので、こっちで説明をしていこうと。私もやってたしね、ライフファックを。非常に簡単な話なんですよ。ライフファックは健常な側から出発していくわけですね。健常なと一応言っておきますね。健常というものは非常に怪しくて曖昧な概念ですけど、とりあえずそういうものもないわけじゃないから。
だって健常という概念がないと、心理病理っていう、あるいは心理障害っていう概念もなくなっちゃうじゃないですか。それがスティグマがあるからとか何とか言ったって、でもやっぱり病気とクリニックというものがある以上、そういう概念はなきゃ困るわけですよ、結局。だからあるとしましょう。
ビジネス側でもいいですよ。ビジネスや生活のスキル向上のためにライフファックや仕事術を用いるというアプローチが一方にあるわけですよ。他方には心身障、精神障、心理障害、何でもいいですけど、要するにそういうメンタルな問題を何とかするために認知行動療法をとるというアプローチがあるわけです。
これがどこかでこの両者が交差する場所が出てくるはずなんですよね。いくら健常と言ったって、もしかしたらその人はクリニックに行ったら、いや、こういう診断からしてあなたはアンタラ障害ですね、ハッタ障害でもいいですけどですね、とか、神経症ですね、みたいなそういう神経症ですねとは今言わないですけど、あるいはパーソナリティ障害ですね、みたいな思い場合にはですよ。
そういうような話になるかもしれん。でもその人は行かない間はあくまでも健常な人としてというか、まあそういう言い方をしておきます。
普通に一般にビジネスパーソンとして、いやでもここがどうしても自分はどうしても仕事がある種の仕事になると全くはかどらなくなるとか、なんかよくわからないんだけど対人トラブルが妙に多いとか、
なんかよくわからないけど自分というものがよくわからないし周りの人も自分というものがどういう人間なんだかどうもお互いにギクシャクしているしすれ違いも多いし認識の不一致が多くなっている感じがするとか、なんか自分は記憶が、
胃の食べたものも思い出せないとかそういう話ではなくて、記憶がなんか拡散していて、なんか部分的に消えてはいないんだけどもなんかよく思い出せないことが多いし、自分というものが一つのまとまったアイデンティティだとみんなはそういう風に生きてるけど自分はそういう風には生きていない気がするとか、
ものすごく恋愛経験がたくさんあるんだけど結婚もしたいんだけどついになんかその経験だけはすごい豊富なんだけど結婚もしないままでもそういうのを望んでいるわけじゃないんだけどなかなか結婚までは至れないままなんか20年ぐらいが経過しているとかですね。
そういった方に仕事術、それこそ対人関係スキル、コミュニケーションスキル、ライフハック、仕事術、ビジネス書と言われているもの、もう少しそこに超自然的な話を入れるならばスピリチュアル系自己啓発とかですね、祈りに行くとかそういうものも含めるとかなりこっちからのアプローチってあるわけですよ。
でもそのアプローチの中には、そうとは考えず必ずしもそうという意識を持たず、それこそですね、危険だからやっているわけでもない心理臨床みたいなものが含まれてくるはずなんですよ。
危険だからやめなさいって言われても、そんなことやってる今日別にないですからっていう、そういうアプローチ、こっちのアプローチの歴史もあればですね、伝統ってのは変ですけれども、一つのコミュニティーはあるわけですよ。
クラスターと言ってもいいですけどね。
そういうアプローチをしてきましたと。
何なら小西西より古いわけですよ。
危険かもしれないし怪しいかもしれないけどあったわけだし。
僕が思うに一定の成果も上げてきたわけですよ。
タスクシュートの効果
例えばタスクシュートだってそういうものの一つなんですよね。
別に夫婦関係をそれによって改善しましたという統計的な結果を得たとかいうじゃないかもしれないけど、その人があるいはタスクシュートみたいなものを使うことによって、
他のルーティンが自分が回ることによって、結果として自分の生活リズムというものが整い始めて自己肯定感が高まりましたと。
その結果として周囲の人間関係も良くなった気がするぐらいのことは起きてるんだと思うんですよね、別に。
それは美容によっては心理臨床かもしれないけど、別にそういうことをやってるわけではないんですよ。
あくまでもそういうアプローチから交差点みたいなところに踏み入っている。だから被ってくるはずだってことなんですよね。
これを心理臨床という側から見るならば、やっぱりそこにはアセスメント診断というものがあるはずで、
あなたはDSMでも何でもいいんですけど、そういう一覧する参照表の中のどこかに該当し、それに対する治療アプローチというものを使えばですね、
何もそんなタスクシュートをやらなくたって、あなたの心理的な症状が改善して、人間関係や生活レベルで生活の幸福度が高まりますよみたいなことかもしれないですよ。
でもこの2つのどこかに交差している部分はあるだろうと。
あまり面白くもない話だったかもしれませんが、これが僕の考えるCBT側のアプローチか、ライフハック側のアプローチかと。
単純化して言いましたけど、このライフハック側のアプローチにはものすごくいろんなものがありますし、CBT側のアプローチにもCBTだけがあるわけじゃないですね。
心理臨床側のアプローチというものがあって、どこかに交差点がある。
実際に論理的に言うならば、その交差点にはおそらく一番軽度の心的障害、メンタルサポートを必要とする一番軽度の人と一番重度の人の普通の健常的なビジネスパーソンが被ってるっていうのが多分美しいでしょうね。
でも私は実態は全然そうじゃないとは思ってます。
それほど傾聴を簡単に定義できないし、傾聴はその人の中でも大きく揺れ動きます。
やってる職業が何で何となんていうのかな、副業やってるのか正業やってるのかの時にも言っても違うし、どっちも思ってないっていう時には良くなったり悪くなったりもしますから。
そんなに簡単にこのベンズがですね、美しくはまとまらないはずなんですけれども。
でもどこかにオーバーラップと交差点があることは確かだろうなと。
そういうふうに思います。
個人コンサルの意義
だからしばしばライフハックが心理臨床やっちゃうし、心理臨床が結果としてはライフハックになっているってことは起きるってことですよね。
仕事術でもいいですけどね。
で、これはあくまでも前提ですよ。
ここから私がやってることがこの図式にのっとっていくとですね、私はこのビジネ、いわゆる健常とされていたり、別の言い方をすると病院には入っていない。
あるいは心理療法をするつもりはない一群の人たちに向けて精神力動的な個人コンサルないし個人サポートをする。
つまりライフハック側のアプローチと同じ。
ただしその時に取るアプローチが精神力動的な個人コンサルというやつなんですよ。
それはつまり心理臨床なんじゃないかと言われるかもしれませんけど、私は違うと思っているんですよ。
できないからそのエクスキューズだろうと言われれば別に反対はしませんが、最近はっきりしてきたことはですね、
これが心理臨床なのかどうかは、結局は受ける人が決めるより他ない問題だということに、僕の中では落ち着きつつある。
今後例外が現れると思っておりますが例外数的な方が。
でも総合的に見ると、心理臨床というものを受けるつもりでやるのかやらないのかは、
あるいはそれは心理臨床であるべきなのかどうなのかは、それは受ける人が決める問題だと思うんですね。
受ける人が決めるテーマだと。
でもそれは危険だし無責任じゃんって言われれば、そういうのであればですね、
その精神力動の、私は精神力動フィールドでこれを考えますから、精神力動の人がもっと積極的に多くの人が、
多くの人を見てアセスメントしてあげてくださいとしか言いようがないかなと思います。
でもこれが危険で無責任だというのであるならば、
そしてそうでない方が絶対的にあらゆる市民にとって幸福度が高いということであれば、
もっと啓発するしかないと思います。
YouTubeなりXではない方がいいと思うんですけどね、
せめてノートとかね、YouTubeとかそういったもので啓発してください。
伝わるように伝えると。
じゃなければサークルの内側にあれは本当危ないよねっていう話は、
我々のところまで届きませんもんやっぱり。
本屋さんに行っても思うんですけど、
このコーナーに来る人は専門家だけだよなんていうような本屋さんのコーナーに、
いくら啓発的なことが正しく書いてあったって、
そこの情報に触れるのはやっぱりよっぽど物好きな人ですよ専門家でなければ。
私みたいな。
いわゆる一般的にはならないし、ギャズムは絶対超えないと思うし、
アーリーアダプターでさえもそこに入れるかどうかは相当うだましいと思うんですよね。
アーリーアダプターよりも少ない一番最初の一群っているじゃないですか、
あの種の人たちはいますよ。
でもあの種の人たちの目にも触れることができるから、
一般的な啓発も十分してますというのは、
私はやっぱりそれは疑弁というもんだと思いますね。
しょうがないとは思うんですけれども、
これがもししょうがないということであるならば、
私がやっていることだってしょうがないという範疇に絶対入ると思います。
だから精神力度をベースとした個人コンサルというのが私の立ち位置だし、
それは精神分析ではないんだし、精神分析的心理療法でもないんだから、
それらの方法論というものを、それらの構造的な技術をそのまま用いることはありえない。
てかそのまま用いることはそもそもできない。
そういう構造に守られていない以上はその構造を用いているとは言えないじゃないですか。
だからその構造を用いてない以上は用いてないんですよ。
しょうがないんですよね。
僕は資格がないんですから、大学院を出てないし、
多分ですが出られないんですよ私は。
これがね、多くの人は僕を買いかぶってくださってるんだけど、
僕に何か欠けてる部分が確かにあって、スキルというかある種の能力を発揮させるという意味においてですね、
理解できないことを大学院の教科書に書いてはあるとは思わないんですけども、
アメリカのあれですね、ネバダ州立大学でも読んだものや授業の内容は理解できてたし、
私のプレゼンテーションも授業中やるんですけど評価は高かったんで、
別に大学院に行ってやれないとは思わないんですけど、
それでも僕は卒業できる気はしないんですよ。
ましてそこで訓練分析受けてなんたらかんたらをやるとなると、
一方で僕は70手前まで行くなっていう、
それはそれでどうかなと思うんですよね。
そんなことまでしていただくことはないんじゃないかって思うんですよ。
わかんないですけどね、何がどうなのかは厳密には。
そうなり金ないし、お金もないしね、
有機ゲル買っただけでお金全然なくなっちゃうし、
というか有機ゲル買うなよって話かもしれないけど、
僕はですね、自分が大学院これから行って200万ぐらいかけて、
婚姻心理師とかの取るって言うんだったら奥さんに有機ゲル買ってあげた方が、
僕にとってはいいことだなって思っちゃう人間なんで、
この辺がやっぱり出られないことと非常に深い関係があるんでしょうね。
だからまあいいと思うんです、別に。
みんながみんな同じことしなくたっていいんじゃないかと思うんですよ。
危険だとか危ういってことはありますよ、世の中には、やっぱり。
そこはもうやや無責任かもわからないですけれども、
しゃあないじゃんっていう、
まあ私はこれが嫌っていう人は批判してくれればいいと思いますし、
これが嫌だって人は多分近づいてはアプローチ、私にアプローチはされないと思うんですよね。
そういう意味ではそんな意図は全然なかったんですけど、
山崎仲明さんという方にイベントに出て、
私のイベントに申し訳ないけど出てきていただいたり、
お話を伺ったりできたのは後から考えるとなんですけど、
大変よかったなと思うんですよ。
許されないと思う人もいるでしょうが、
許されなくもないと思う人もいらっしゃるんだなっていう、
この辺のゾーンなんだと。
自分のやってることや、自分のやってることの無責任さや、
自分のやってることの怪しさといったものはその辺のゾーンなんだと。
許されない人にとっては許されないでしょうし、
許されなくもない人にとって許されなくもないと思う人もいなくもないと。
このぐらいで僕は自分のやってることとしては十分なんですよ。
それでは残念だとは、私自身という人間については私は思わないんですよね。
だからまあそれでいいんじゃないか。
消去法、消去法、消去法みたいな感じの定義の仕方ではありましたけれども、
そういうふうにしかならない。
じゃなければもっといると思うんですよね、さすがに。
日本にそんな何人もいないようなことをわざわざやっちゃってるというのは、
やっぱり変わってるんでしょうね、自分という人間は。
僕はそうは自分自身ですから考えないんですけど、
なんとでもなるじゃんと。
PHD取って購入心理師になればいいじゃんと言ってくださる方もいらっしゃったんですけれども、
できない気がする。できる気がしない。
本当はそうじゃなくてできるのかもしれないんだけど、
それはだからまああえて言うならば、
私のナルシシズムなんだろうなって思うんですけど、
倫理と実行の交差点
これは皆さんご存知の通りっていうか、ご存知じゃないかもしれないけど、
ナルシシズムって治りにくいんですよ、すごく。
非常に難しいところがあるんです。
やっぱりこれが肌迷惑だっていうなら頑張って治そうと思いますけど、
今のところ、私の周りにいる人は、
鈴木さんがそのままでは到底ご一緒できませんとはおっしゃらないので、
よしとするしかないんじゃないかなっていう感じがするんですよね。
今のところ私の娘も、
治したほうがいいようなところはあんまり見当たらないと言ってくれてるんで、
まあそんなもんなんじゃないでしょうかという感じ。
同じ部屋で一緒に寝るならそのいびきは何とかしろとか言われたことは、
あの子が小学校の頃にはあったんですけど、
もはや同じ部屋に一緒に寝るはずもない年ですし、
言われるのがいびきが一番最初に来ていたから、
まあしょうがないんじゃないかなって感じがします。
何の話をしてるのかよく分かんなくなってるんですけども、
だからライフワーク側からのアプローチとCBT側からのアプローチ、
これは便宜的にこう言ってるんですよ、
の交差点があると。
精神分析的なアプローチと精神力道の、
まあ私がやってる三ヶ月チャレンジにも交差点がある。
この交差点に生み込むという意味で、
結果としてね、結果として心理臨床っぽいことを、
心理臨床や心理療法を望まない人になるべく、
なるべくというか、私はこれは違法だとは決して思わないので、
倫理的な問題は知らんけど、知らんけどっていうのはいけないけど、
倫理的には問題が少なくともグレーかもしれませんが、
違法ではないと思います。
だから合法的にやっている。
でも倫理的っていう意味でも、
そんなに精神分析をやってるとは言いませんし、
言うつもりもないですからね。
精神力道系というのは、
具体的にこうしなければいけないってことはないはずなんですよ。
だってユングとフロイトのやってることは違いますからね。
心理学と名称の違い
ユングけしからんって人はいっぱいいると思いますよ、もちろん。
でもユング心理学に対して、
それは違法で倫理的に問題があるからやめろとは、
今やもう言えないと思うんですよね。
私はもちろんユング心理学でもありませんから。
というかどっちかというとユング心理学では全くありませんから。
力道系ですから、せいぜい。
だからそれを力道系と名乗るなと言われるのかもしれないですけれども、
これは力道系だとしか思えないんですよね。
力道だと言ってるわけではないんでね。
系なんで。
非常にまたこれも微妙なんですけど、
でも精神力道系というのに例えば、
名称独占ということはないと思うんですよね。
名称独占だということになればなったで、
すごく困ることが起こるんじゃないかとも思いますし、
名称独占とは言えないと思うんですよね。
精神分析だったら名称独占というようなことも、
その他のこともあるかもしれないですけどね。
だから最近は力道という言葉の方をむしろ使ってはいるんですけれども、
少なくともCBTでは全くないと。
だからこことは何ら抵触しないですね。
心理臨床でもないので、こことも全く抵触しないですよね。
でも交差点はあるんですよ。
あんまり抽象的な話をずっとしてても、
個人コンサルの重要性
面白くもなんでもなくて退屈で、
退屈なまま30分きちゃったんですけど、
ここからちょっと具体的な話をしたいと思うんですよ。
なるべくですね、しかもそこまで言うみたいな、
まあいいや。
あのですね、パーソナリティ障害の本の中に、
ものすごくお漏らしをしてしまうという、
クライアントさんの例が出てくるんですね。
最初は来る途中にお漏らしをしてるんだけど、
やがては治療室に半減ナッツいっぱい食べて、
そのままお漏らししちゃうみたいな、
アイスクリームいっぱい食べて、
お漏らしする女の子ですよね。
いや、それは心理臨床だろうっていうことだと思いますし、
心理臨床なんですが、
そしてなんかこう、前もこの番組でお話ししたんですけど、
この方は尿を逆流させることができるって言うんですよ。
そして尿を脳内まで逆流させると、
オーガズムが得られるという、
秘密のマスターベーションをやってるっていう、
そして全くそれが追体験できなかったと、
治療者が書いてるんですが、
意味もさっぱり理解できなかったと書いてるんですけど、
つまりそれはβ要素だってことになるんですけど、
精神病水準の体験だから、
言葉にしても意味をなさないみたいな話ですね。
これはもちろん心理臨床扱いですよね。
絶対3ヶ月チャレンジ相当ではないと思われると思うんですよ。
ですが、私は実はそう言い切れるだろうかって、
最近思うようになったわけですよ。
まず第一に、この方は非常にラッキーなことに、
指導ある種の先生に巡り合ったってことが、
さらっと書かれてますけど、
僕は偽装だかもしれないけど、
重要な要素だなと一つ思います。
こういう人って必ずしも、
自らクリニックに行かないですよ。
で、自らクリニックに行かない人に向かって、
どれほど啓発してもそんなに簡単にいかないですよ。
こういう人が、分からないですけど、
秘めつけることはできないですけど、
純駆動の精神分析的アセスメントみたいな本、
読まないですよ、はっきり言って。
放っておいても。
で、そういう本しかないんですから。
ある意味で。
ビジネス書のコーナーに行ったって、
精神分析を素人がやったら危険であるみたいなことは、
わざわざ書いてないですよ。
そういう本は売れないんですよ。
ビジネス書コーナーでは全くと言っていいぐらい。
全く売れないんで。
もちろん上手く書いている本が、
例えば東肌カイトさんのような手による方によって、
上手く売れるってことはしっかりと気をつけますけど、
それにずっと期待できるってことではないですよ。
本がむしろ大量にあることによって、
書いてはありますが読まれはしませんってことは、
いくらも起こりますから。
私の本もそういう決めに散々あってきましたから。
書いていたから読まれるっていうのはありえないことなんでね。
スゴシュードの本なんて大量には出てないけど、
もう十分出してきてますけれども、
じゃあタスクシュードそこら辺の一つかっての見たことあるかっていうとないでしょう。
ないはずですよ。
まして精神分析と心理論法と精神分析の違いについて書いている本はありますけど、
だからみんながそれを知ってるかなんて言ったらとんでもないじゃないですか。
だからわからないものにアプローチすることはできませんから。
存在してないので、その方々にとって。
にもかかわらず三チャレが見つかることは起こるんですよ。
で、どうしてかっていうと、
それはタスクシュードから来たり、タスクシュードから見つかったりするからですよ。
心理論法に行けばいいじゃんって思われるかもしれませんが、
そのためには自分が病気だと思えなければならないわけじゃないですか。
まずこれがこの病気とかだったら痛みがあるから、
病気だという認識をしたくなくたって、
させられることになります。
日常生活そのものに、
例えば食事とか何かを飲むということに、
そもそも大きなネックが発生しますから。
個々のケーススタディ
だから私はビジネス書とか仕事術って言うんだなと思ったんですよ。
何が言いたいかというと、
人は仕事ができないだけではそんなに簡単に動かないんですよ。
いや困るじゃんって言われるかもしれませんが、
困りますよそりゃ。
でも仕事ができない、
友達ができないというのは耐えられるんですよ。
喉がものすごい痛いとか歯がすごい痛いとは違うんですよ。
そっちは耐え難いですよ。
だって食べないで生きていくっていうのは全く不可能じゃないですか。
仕事しないで生きていくっていうのはギリギリ可能じゃないですか。
だからこそ我々は病院に行くっていうことになった時には、
もう生活そのものが立ち行かなくなった時なんですよ。
ところが心理的な病ましてパーソナリティ障害、
ないしは発達障害のグレーとかになってくると、
すごく不便ではあっても立ち行くんですよねギリギリ。
生活はできるんですよ。
食事と園芸ができて睡眠が取れれば何とかなるんですよ。
この何とかなるが大きな癖物ですよね。
そうは私も思うんだけど、
でも自分自身のことを考えてもですね、
最近だからうちの父がね、おかしな話なんですけどこれも、
うちの父が全身に湿疹が出たと電話をしてきたわけですよ。
この話とさっきの尿の話が微妙に絡むんだけど。
分かりにくい話だと思うんですけどなるべく分かりやすく話しますね。
うちの父が全身に湿疹が出たと。
で私に電話をかけてくる。おかしいでしょこれ。
私に電話かけてきたって湿疹治るはずないじゃないですか。
ところがうちの父はまず、
しょうごは何でもエキスパートだという、
とんじんかんな考え方を持ってますんで、
私に電話をしてくるんですよ。
私に分かることは、
iPhoneの、それもやめてほしいんだけど、
iPhoneが起動しなくなったとかなんですよあくまでもね。
全身に湿疹できたら皮膚科行けよって話なんですよ。
内科でもいいけど。
それをそもそも私に言ってほしいっていう困ったところがあるわけですね。
で、こういうもんじゃないですか人間って。
いやそれ湿疹症だから心理クリニックに行ってくださいって専門家の人は、
もしかしたら言う人がいるもんだけど、
まず絶対そういう発想取らないでしょ。
うちの父絶対いかないですよ。
だからまず私に電話を。
しかも何を言ってくるかというと、
ステロイド剤っていうのが社会的に悪いんじゃないかみたいな。
あの人は社会派なんで。
物事を社会的にしか捉えようとしないですよ。
自分がよくわからない事態に巻き込まれる。
だから私がまだ6つとか7つの頃、
あるいは最も前3歳4歳の時にステロイド剤を大量投与された、
そういう薬害に巻き込まれたから、
生後はアトピーになったんだっていうのにまだ取り憑かれてるんですよ。
それは自民党が悪いんだって言いたいんですよ彼は。
だからやっぱり政権交代しなければ。
これはどういうことかというと、
政権交代すれば自分の自信が治るみたいな話なんですよ。
うちの父からするとよ。
段階の世代である種の人ってそうなんですよ。
ただしあの人は単なる心情差派なんで、
だから共産党に票を入れてるかというとそうでもないんですけどね。
全然違ったりするんですよ。
非常に微妙で絶妙なところがあるんですよね。
まあそれはいいですけど。
こういうふうに僕に電話をかけてくる。
まあそれはだからさ、
病院に行ってよって話しかしようがないじゃないですか。
病院に行くと薬害があって、
こういう推し問答しなきゃならないわけですよ。
こういう人が心理療法を受けに行かないじゃないですか。
私あれ心身傷だと思ってるってことですよ。
この全身の失神は、
本人は否認し続けてるから、
おそらく行き当たることは永遠にないでしょうが、
割と最近進んできた、
まあうちの父にすると、
私の母ね、奥さんが認知症が進んできて、
そしてその認知症が進んできた奥さんは、
急に今まで抑えに抑え込んでいた、
うちの、
まあ要するに私の肉身の引きこもりと、
メインはもう引きこもりだね。
精神病はこの際ちょっと置いておくしかないなって感じなんですけど、
精神病で非常に我慢し続けてきた、
私の母の非常に無限ループになってきつつある認知症的な、
まあ主祖ですよ。
知らんけど。
ずっとうちの父に訴え続ける。
まあだから主祖ですよ。
これに耐えられなくなって、
心が出てるんですよ。
でもこんな話は受け入れないんですよ。
うちの父に言わせれば、
確実にチョークお前アトピーなんだろう。
それは薬害なんだろう。
なんですよ。
これしか受け付けたくないんですよ。
だから病院にも行かずに、
次の三陰線についての話しかしたいんですよ。
でも私はその話をする気に全然ならないんですよ。
なんで次の三陰線の話を、
失神のおじいちゃんとずっとしてなきゃならないのかと思うわけじゃないですか。
まあうちの父も猛力してますからねとは思うんですけれども、
結構全然猛力してなかったりもするから困るんですよね。
まあというわけで、
その家その家その人その人、
何でどう困ってどう解決したいかっていうのは、
全然違うんですよ。
この尿がずっと尿を逆流させてきた人も、
このパーソナリティ障害というふうに見立てて、
クリニックに行って、
松木さんのおそらくお弟子さんなのか、
関係者なのかわかりませんが、
リキド系ですよね。
リキド系の人のアプローチによって治療に入ったから、
まるであれがちゃんとフィットしているように、
読めますけど、逆転医とか言い始めて読めますけど、
最初は絶対違うんですよ。
なんで私ここに来なきゃならないんだよっていう態度のはずだったんですよね。
全然違うことを望んでたと思うんです。
まずそれを、
タスク管理と心理臨床の接点
ある種の説法をその人にセッティングするところが、
めちゃくちゃハードル高い、そのほう大変ですけど、
そこまでのハードルがかなり高いんですよ。
だからここまでのハードルが、
あんまりないところに入れるんだったら、
それでいいじゃないですかと、僕は最近思うんですね。
別に、
ライフハックかタスク管理から、
その人が心理臨床に近いところに、
なんとなく向かっていくということがあるのは、
いいことじゃないですか。
それが倫理的であると、
ある程度倫理的にやろうという人たちがそこにいるならば、
という正しがきはいると思うんだけど、
これ本当にどうやってそれを保証するんだと言われると無理ですけど、そんなことは。
放置するよりマシじゃないかっていうのが一つの言い方ですね。
で、
だってですね、
行かないですよ、いきなりは。
うちの父絶対行かないと思います。
僕は一生行かないなって思います。
行けと言ったって行かないです。
いろんなことをさせたいですよ。
私の言うことなんかを聞くんだったら、
あの人は私を頼りはするし、電話はかけてくるけど、
言うことは絶対聞かないですからね。
女性生後の言うことだからね。
なら電話してくんだよって気持ちになるんで、
これは逆転いらない。逆転いらない。
東映同一化なのか、まあいいや。
とにかく、
難しいってことですよ。
すごく。
簡単に正義につなぐように言って、
非正義は危険だって言うけど、
どうやればそれができるんだよっていうのが、
身内にさえできないのに、
他の他人にできるわけがないじゃないですか。
おかしいと思うんですよね。
僕はそれは。
あなた死ににしようけなさいとかって、
僕が言うのおかしいじゃないですか。
で、私はそれまでライフハックやってたわけで、
あのやっぱりその、
このアプローチでも同じことが起きるわけですよ。
意識してればですけどね。
交差点にぶっつき当たるわけですね。
ずーっと先送りしてますと。
それはタスク管理の問題のように見えますが、
そうではないんですよね。
見ようによってはだけ。
液動的に見ると、
はっきり見えてくるものが、
はっきりは見えてこなくても、
少なくともタスク管理から見るよりは、
遥かに見えてくるものがあるんだから、
そうやってみたっていいじゃんってこと。
そうやって見るんだら、
直ちに精神分析官の手に渡しなさいって言われても、
大人に見るんならそうします。
でも、
長らくタスク管理系でやってきて、
ついにそれは、
ものすごくラッキーな時には、
ようやく起こるかもしれないっていう話でしかなくて、
結局は無理でも大でも、
タスク管理で押していくしかないんですよね。
我々の手持ちの駒からすると。
自分たちにとって確かに有効で、
しかも現実的に適用できるものとしては、
それしかないんですよ。
見ましたよ、それは。
だって1万人近い人に何らかの形で接してきたんだから、
中にはそれは適用障害っていう感じの方が、
登場してくる。
何なら抑鬱病と診断されましたとか、
発達障害ですって言われましたっていう方ならば、
相当の方に遭遇してきました。
だからといって、
すでに心理臨床系のカウンセリングを受けてるとか、
病院行ってますっていう人もいらっしゃる中で、
行ってませんとか、
行きたくありませんっていう人にまで、
行けとか薬飲めって言えないですよ、そんなこと。
言ったって意味ないし。
だから最初は無理押しでもタスクシュートで、
しかもどちらかしらゴリゴリのタスクシュートを押すみたいなね。
なんとかなるはずだっていうのがあったんで、
リキドルとGood Vibesの手法
なんでもならないんだなっていうことが、
分かってくるんですよ、さすがに。
だから私は、
並行してリキドルという方向に、
Good Vibesの間にクッションっていうのかな、
ジョイントだね。
ジョイントとしてGood Vibesが入ってるんですけど、
そこから精神リキドルという方向を延用してるわけですが、
最近はその延用がメインになってきましたと。
そういうことなんです。
だから今回11期になって、
ここの方針を拡張して、
結局は生活というものが仕事には絡んできてますと。
分かりやすいところで、
奥さんと不和だから仕事行っても気が乗らないとか、
家に不登校の息子がいるから、
なんだか仕事が手につかないとかいうことが起こるんですよ。
そしてこれが仕事が手につかないことと、
不登校であることと不和であることが、
一斉に関係してくるんですよ。
これがですね、
行をずっとっていうレベルにはならないだろうと思われると思うんですけど、
ならないですけど、
そのまんまの形にならないですけど、
でもこの話が昔は本当にさっぱり理解できなかったんですが、
そうではないなって感じがするんですよ。
あれをただ対抗って言ってられる間は、
むしろ幸せだったなって感じがするんですよね。
いろんな意味がある。
いろんな意図がありますよね。
伝えてくることは。
この話、その仁王の話ですね。
私は最初に読んだときも、
あの一文はうぐって思ったんだけど、
今だともっと遥かに刺さってくるんですよね。
このお母さんはおむつを業者さんに出してクリーニングしてたと。
あ、なるほどなって思ったんですよ。
その女の子でしょうね。
おむつを赤ちゃんのときですよね。
業者に出してそれぐらい綺麗好き。
綺麗好きという範疇にはないですよね。
私はもうこの一文を読んだらですね。
最近聞いたような話に、
いくらもそういう感覚を、感覚ですね。
連想させるような話はある。
あくまでも私の3ヶ月チャレンジはビジネスコンサルなので、
ビジネスの側から入りはします。
でも、母親がおむつを業者に依頼して、
全部綺麗にさせたくなるということを、
それはつまり何ていうのかな。
ものすごく脅迫的で支配的ですよね。
って感じが僕はする。
人によるかもしれません。
でも僕は、それはすごいなって思います。
もうなんかこう、鉄の意思を感じますよね。
鉄の意思でその女の子は、
そのお母さんにガチャガチャガチャ。
それ以外の動きは絶対許されないみたいな。
だから、尿を逆流させる秘密のマスターベーションとかを
発明しちゃうわけですよね。
で、そういう話自体は聞きませんけれども、
そのいわゆる精神病水準を部分的に抱えながら、
必死にそれを覆い隠して、
だからその人はあれですよ。
いわゆる覗き見妄想を持っちゃうわけですよ。
私の生活は全部誰かに覗き見られているって妄想がその後出てくるんですけど、
出てくるよなって思うんですよ。
でもそれって一見したところ、
全然関係ないように聞こえるかもしれませんけど、
例えばですね、こういう話は耳にするんですよ。
サンチャレではなかった頃ですよ、むしろ。
だから私がタスクシュートで必死に対応してた頃ですよ。
私の文章作成、今だったらちょっとないか。
また手書きだったこともある時代ですね。
手書きの文章作成を上司が覗いてくるんですと。
これはいやいや、それはハラスメントでしょっていうケースもあるかもしれないし、あるでしょう。
でも私はそういう妄想だとしても全然不思議だと思う。
同じように話は聞きますよ。
それはあなたの妄想かもしれませんとか、そこを切り分ける意味ないんで。
つまりだってそうじゃないですか。
私の逆流の秘密のマスターベーションがバレたら大変なことになるんですっていう妄想だって、それは妄想ですけど、
バレたら大変なことになると思っているその真的現実の苦しみは同じようなもんじゃないですか。
だからそれが事実であるかないかは、この際あまり関係ないと思うんですよね。
で、結局そういう話を伺った時に、
いやそれは精神病水準の妄想だからクリニック行きましょうなどとは言いませんよね、絶対に。
そこはビジネスコンサルで押し通しますよね。
何なら当時タスク管理で押し通すわけですよ。
例えばセクションを変えて、つまり業務に関わるセクションを変えて、その上司が絶対いないタイミングで手書きの書類を書きましょうとかね。
今だったらそういうようなことは言いませんけれども、給与の一策ってやつですよね。
そのことがまずその人の仕事を滞らせていると思われているならば、そういう考え方もありますよ。
でもこれは僕は結局のところ、尿漏れというアクティング委員に対応して一生懸命おしっこの床を拭いている、
その偉いなぁと思うんですけど心理師さんのやってることと私が言ってることは実は告示していると思うんですよね、はっきり言って。
生活と仕事の関連性
いや全然違うでしょって言われるかもしれないけど、私は全然違うとは全然思わないです。
そして昔は尿の床を拭く方がすごく大変だから私には心理師は無理だし、心理師って尊敬に値するとかって割とあっさり読んで思っちゃってたんですけど、今はそうは思わなくなりました。
だって例えば実際そうなるんだけれども、マスクシュートの給与の一策みたいなのも言うじゃないですか。
最初はすごいこう本当に鈴木さんのアドバイスの通りですって、その反応がいかにも理想化じゃないですか。
そんな大したアドバイス何もしてないじゃないですか。
朝の午前の10時だと上司が覗き見るんだったら午後の3時にしましょうねって誰でも言えるじゃないですか。
ある意味子供でも言えそうじゃないですか。
そんなアドバイスをしてなんか私のことを神様みたいに言ってくれるのって理想化じゃないですか。
そういう風には当時は思いませんでしたけど、後で当然脱価値化があって、本当にマスクシュートとかってダメですよねみたいになっていくわけですよそういう方が。
なんかまっしぐらに喧嘩打ってくるわけですよ僕に。
だから振り子が逆に揺れるわけですけどね。
それを別に対抗と呼んだって何と呼んだって自由なんですけれども、意味は全然ないですよね。
で私はこういう時のために力度を知ってないと困ると思うんですよ。
だって当時私は結局素縁にしちゃいましたもん。だってうとましいと思っちゃいますもん。
いやだってそれは確かにね、セクション変えるとかいうアドバイスはくだらないかもしれないけど、しゃーないじゃんっていう。
だって俺それしか考えつかないんだし、なんで俺にそこまで期待するわけみたいになっちゃうじゃないですか逆転位ですよね。
だけど私は当時心理臨床をしてなかったから、心理臨床の人がそのほうがいいという通りの人間だったから。
いやふざけんなよもう二度と来るんだみたいになるわけ。そうは言いませんでしたよ。
でも態度には出しちゃいますよね。だってそういう態度に出しちゃいけないとは当時は思いませんでしたもん。
せいぜいお客様は神様ですで、英雄スマイルは振りまくけれども、何が伝わろうと知ったことかですよね。
てか、でぜひ伝わってほしいみたいな。二度と来ないでほしいオーラをいっぱい出しますみたいな。
別にそう思ってたわけじゃないんですけれども、そうなるじゃないですか。
力道というものを何にも知らないと、相手の態度がガラッと変わった時に、ただただ違和感ですよ。
僕は幸いにも、実はかわいはようとかを山ほど読むという、つまりこれは趣味ですが、
心理的アプローチと診断
だからそうでないことがなんとなく薄々、いわゆる総極的な振り子運動っていうのを意識できないわけじゃなかったから、
多分それが何らかの歯止めにはなってたと思いますし、なんかこう大変そうだなこの人は生きていてっていうような、
なんかこうありきたりな同情心みたいなものもありやすいんで、私はそういうタイプなんで、
なんとかかんとかかんとかかんとか言ってたと思うんですけれども、でも面白くはないですよね。
タスクシュートの場でしかないところに、ただただ私とタスクシュートをけなされ続けるっていうのを聞いていて、
心安らかにはならないですよね。
で、私はこれ知ってる方が絶対いいと思うんですよ、何にも知らないよりは。
何にも知らないで、いきなり臨床心理に回しましょうという発想自体が思い浮かばない。
だから交差点はありますし、私はこの交差点を今後拡張していくっていうことになっていくだろうと。
その際に何とかのグレーゾーンだろうとなんだろうと、そこを私は診断的に見ることをおそらくしないだろうなと。
決してしないとは言いませんが、おそらくそういうことはあんまりならないだろうと。
力道的にアプローチがしたいという時には、診断は多分後から始まる、後から頭に浮かんでくるものなんだろうと思う。
こういうことは批判されやすいですけど、もし分析的心理療法とかやってれば絶対批判の的だと思うんですけど、私はそれをやってないわけで、やってない力道なんですよ。
力道のベースだけど治療じゃないんですよ。この言い方自体が非倫理的ではないと私は思うんですけどね。
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