1. グッドモーニングボイス
  2. 1人になることと引きこもるこ..
2023-10-12 40:58

1人になることと引きこもること【GMV858】

オグデンが

「多くの慢性睡眠障害は、内的な心理的マトリックスの不適切な発達を反映している。眠りに落ちることは、意識的なコントロールをほとんどすべて放棄したままで自分の存在を時間を越えて維持する能力を信頼する営みを含んでいる。眠りにおいて、私たちは自分自身を内的な抱える環境に委ねるのである。」

と書いています。


こころのマトリックス―対象関係論との対話


ややこしい文章ですが「意識的なコントロールをほとんどすべて放棄したままで自分の存在を時間を越えて維持する能力を信頼する営み」という文章を、私は全身麻酔の直前に思い出してちょっとブルッとひるんだ経験があります。


サマリー

10月12日の収録中、くらださんは実は会社に行ってきたことや、一人になる能力が重要であることについて話しています。一人になることと引きこもることについて考えています。一人になる能力を発揮するということは幸せだと私は思います。引きこもりと孤立が対比されています。これは万能な力です。会社も遊びの空間ではなくなっています。一人になる能力が重要になってきます。セクハラやパワハラのような問題が起きる中で、一人になることと引きこもることの関係について語られています。一人になれない人は万能感を得られず、侵襲を起こす傾向があると言われています。

くらだのさんの敗者エピソード
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
多分これ取って出しすると僕は思っているんですけれども、朝ではないだけですよね。
10月12日木曜日、夜21時13分に収録中で、おそらくアップは今日の夜9時のグッドモーニングということになります。
月曜日は一応スポーツの日で休ませてもらったという感じで、火曜日にアップしたと思うんですけど、
なぜ昨日サボって、しかも今日もサボったっていうか、サボったっちゃサボったんだけど、実は訳が大変ありましてね、
会社に行ってきたわけですよ。いわゆる定期検診であって、別に治療じゃないんですけど、
このプレッシャーがでかいんですよね、今の私には。
前はここまでではなかったんですけどね、こういうことは僕はあると思ってるんですけど、
くらだのさんのグッドバイブスの中で、いくつか僕が後退していくというか、適応が悪くなっている事実もないわけじゃないです。
でもこういうことってすごいカウンセラリングではよく聞く話なんですよ。
そうして自分が求めている適応が良くなっていくと、何かが後退していくんです。
そのうちの一つが多分僕、敗者で、グッドバイブス以前の方が敗者はよく行けてましたね。
それは幸せだったっていうことではないんだけど、まだ行けなくなったわけじゃないからね。
なんですけど、敗者はちょっとプレッシャーが前よりはでかくなった。
これは一つはグッドバイブス云々じゃなくて、くらだのけいぞうさん自身の敗者エピソードが結構またすごくて、
でもくらだのけいぞうさんのお話になるエピソードはだいたい常軌位している感じがちょっとありましてですね。
常軌位しているというか想像を超えてしまっているんで、私の人生とはやっぱりちょっと違うんですよね。
10年違うだけなんですけど、ここの10年って結構違うような気がしますね。
だから結構壮絶な感じがするんですよね。
多分体験している人の世代からしていると全然特に壮絶ではなかったりするんでしょうし、
さらにそこから15年ぐらい上にいって、うちの父親の世代とか本当ひどいですからね。
本当にむちゃくちゃな話がいっぱいあって、ほとんど事実だと思えなくなってしまうんですよね。
うちの父に聞いたひどい話の一つに、スズメバチに刺されまくって、生きた心地もしなくなるわけですよ。
そしたら頭から小便の樽とかに入れられるらしいんですよ。
アーモニアで下毒するっていうことなんです。
同じ日本人とは思えない生活じゃないですか。
そういう話がうちの父は結構バカバカ出てくるんですよね。
飽きたの、本当にいわゆるきこりなんですよね。
だからそういう文明生活とは程遠いような生活を、初期の頃ですよ。
多分8歳とか7歳の頃の話だと思うんですけど。
しかもあの人の記憶力から考えて、話がすごい適当に作られてる気もしなくはないんで。
全部を全部信じるわけにはいかないんだけど、そういう話しかないなっていう感じの人なんで。
そんな人生と比較すると、自分はもう文明社会どっぷりですから。
小さい頃からテレビゲームもあるみたいな、そういう生活ですからね。
一応、今と比べるとあれも結構原始生活みたいなものですけどね。
でもそんな感じで、何の話をしてるのかよく分からなくなったんですけど。
何かいうと歯医者が今プレッシャーになったと。
でも今日は結構、今日行ったんですけど。
今日行ってだいぶすっきりして、ペラペラ喋ってるわけですけど。
要するに歯医者が怖かったから、すぐに僕と休むという。
こういうことが起こるんだなっていう感じがしますね。
昨日はですね、ちょっと打ち合わせで親しい人と食べに行ったりもしてたんですけど。
やっぱりこうね、そうやって直前に気を紛らわすイベントが、
無意識に近いんですけど、何となくめぐり合わせ的に入れてあるという。
歯医者に行くというのの勇気をもらうという。
もらえないんですけどね、そんなものはね。
人と飯食ったから歯医者に行けるようになるかっていうと、
一般だからそういうのもないわけじゃないですけど。
いろんなことがね、あるわけですよ。
生活上の工夫がですね。
グッドバイブス1本だけではないところがあるってことですね。
グッドバイブスで歯医者を乗り切るっていうのも、
いかにもな感じがするんだけど、簡単ではないんですよ。
でも全然すごい、もう本当に行ってよかったというか、
敵見心なんで、いつも行っているんですけれども。
そこは僕は全然嫌なわけじゃん。
嫌なんだけど、行ってしまえば結構なんてことはないという感じで。
結局歯ってのはね、もう本当にいろいろとあります。
昔からいろんな人が好んで行ってる人はほとんどいないと思うんで。
まあまあ僕なんかは、なんていうのかな。
大変楽な方ではあると思うんですけど、
抜いたことなんてないですしね、1本も。
まあまあいいや、そういう話はありましたということで。
まだちょっとわかんないですね。
現在引き続き、そうそう、3ヶ月チャレンジ募集中です。
これはもう本当あと2枠、1枠ぐらいになっていくと思うので、
もしこれを聞いている方で、なんていうのかな。
週1絶対私とセッションしなきゃいけないとか、
週1絶対グループの話をしなきゃいけないとか、
そういう話をしなきゃいけないとか、
なんていうのかな。
週1絶対私とセッションしなきゃいけないとか、
週1絶対グループセッションしなきゃいけないというわけじゃないので、
本当に選択していただいていけばいいと思うんですよ。
これ前も言いましたけれども、
仕事中、これは僕の言葉ではないんだけど、
正気を保って仕事をするというサポートをします。
そこに僕は割と特化していきたいというのは思います。
あるじゃないですか。
ある上司にすごいダメ出しされて、
気がおかしくなりそうだとか、
この人には絶対顔を合わせたくないのに、
毎日顔を合わせなきゃならないとか、
仕事というものはそういうのを、
イリュージョンなんではあるんですけど、
そういうイリュージョン、
人が苦しめるイリュージョンを作り出すんですよ。
だからそういうものとどうやっていくかを、
カウンセリング的な知見を使って、
タスク管理とかライフワークも必要ならば、
全部総動員して正気を保って仕事をしていくと。
いったところを目指して、
3ヶ月やっていこうといった感じです。
例えば夏は苦手だとか、
冬が苦手だってあるから、
これから冬来ますからね。
その冬、暗い中会社に行くというだけでも、
もう憂鬱だっていう状態で、
状態があるとして、
それは確かにグッドバイブスで乗り切るっていうのも、
全然あると思うんですけど、
私のこの話を聞いていらっしゃる方で、
3チャレでやっていきたいっていう方がいらっしゃれば、
これはぜひご参加いただければ、
私としては全力でやりますというやつです。
PTXで現在募集中。
ただし、最大で2ヶ月、
生まればもうすぐ止めちゃいます。
何でかっていうと、
これは人数限りがあるんですよ。
10人とか絶対僕じゃ無理なんで、
本当に週1絶対必要であればですね、
週2でもセッションを受けしますんで、
追加の料金とかもいただかないので、
もう仕事にまつわることですけれどもね、
3ヶ月経って、
仕事にまつわることですけれどもね、
きくみに解けませんとかだったら、
YouTubeでも見ていただいた方がいいと思うんで、
つまり、仕事に行く、行かない、
そういう辞める、辞めないみたいなのも、
せめぎ合いの辛さみたいなものを扱うのであって、
何でもかんでも話ができるってわけじゃないですけれども、
でも何でもかんでも話しているようなところもありますが、
でもカウンセリング系の話にしたいかなとは思ってますね。
別にEvernoteの話に終始するとかでもいいんですけれども、
あんまり僕の方が今そういうのに、
Evernoteも今や私は毎日毎日バッチリ使ってるって感じでもないですし、
そもそもメモを見返すっていうことも、
必要に応じてしかやらなくなっちゃいましたから、
これはやるべきでないとかいう話では全然ないですけれどもね、
僕はしてないので、
あんまりそれよりかだったら、
CSの話とかをしている方が全然乗れるだろうなっていう、
これはもう本当に趣味志向の話に近づいてきております。
まあまあそんな感じですね。
よろしければどうぞといったところです。
一人になれる能力の重要性
今日は久しぶりにではない、
全然久しぶり、でも久しぶりな気がするんですよね、
minicodの一人になれる能力っていうのをちょっと久しぶりに、
ちょっと正面的に取り上げたいと思ってたんですよ。
これもちょっといろいろ身内とかのトラブルなどもありまして、
一人になれる能力っていうのは、
そういえば、私はこれ自分意外と意識的に身につけた、
実はなんとなく記憶があるんですね。
誤解かもしれないけど。
だからこの一人になれる能力っていうことをminicodが言っていて、
しかもこの一人になれる能力が、
全く一般的な概念と彼の言ってることは全然違う。
非常に僕はminicodのこの一人になれる能力が好きなんですよ。
これはね、2人以上の空間でっていう正しがきが絶対必須なんですよ。
一人になれる能力っていうのは一人で遊べますって話に近いんだけど、
イコールではないんですよ。
あの子一人でいられて偉いねじゃないんですよ。
そうではなく、例えば教室の中で一人になれるかってことなんですよ。
教室に他に人いるんですよ。
一人ぼっちで教室にいるんではなくて、
他の友人もいっぱいいる中で一人になれるか。
もっと極端なことを言うと、
サッカーしていて、みんなでサッカーしているんだけど、
その子はすっごい上手いから一人で、
一人になれるってこれ意味通りますかね。
非常に僕は大事だっていう風に言ったミニコットのものすごく共感するんですよ。
例えば映画館って、
マイナーな映画でもバンバン見るっていう方もいらっしゃると思うんですけど、
映画館って大体僕なんかはもうほんと、
他の人絶対映画しか見たことないんだけど、
一人になれるじゃないですか。
これはわかると思うんですよ。
映画に没頭すると一人になっちゃいますよね。
でもそこには他の人いますよね。
なんならデートしている相手とかもいるわけじゃないですか。
でも一人になれる。
この能力がない人が引きこもるっていう風にミニコットっていう人は言ってるんですよね。
オナルド・ウィニコット。
ちょっと上の名前はいいんですけど、
これはね、人間ならではだと私は思うんですよ。
多分ね。
超高度な頭を持った霊長類のチンパンジーとかってないと思うんでね。
やっぱりね、これができるのは人だけじゃないですかね。
そして人は、
現前に生きていくにはやっぱりこれができないと始まらないって思うんですよ。
だから僕は別になんてことはない話なんだけど、
自分の小さい頃の経験からしてですね、
うちの娘が3歳の頃にこの能力を間違いなく持ってるっていうところがあるんですね。
自分の能力を間違いなく持ってるっていうところを示していたところを見て、
割と安心したんですね。
この子はこれで一生いけるんじゃないかなって感じがしたんですよ。
大きな絵本読んでいて、
親類割といっぱいいるところとかでも、
うちのじいさんばあさんがいるところでも、
本を読んで一人になっちゃうんですよ。
これができるっていうことは、
すごい大事だと思うんですよね。
もう小さい子、これさえできればいいんじゃないかっていう風に、
思ってたんですよ。
テレビでもなんでもいいんですけど、
一人の部屋でじゃいけないんですよ。
むしろそれは不健全な気がするんですよ。
3歳児がやってたら。
10歳ならいいけど。
3歳の子はやっぱりね、
おばあちゃんのところに抱っこされてるんだけど、
一人になってしまう。
あれがすっごい大事だと思うんですよね。
これをミニコットは万能感って呼んだんじゃないかなって思うんですよ。
つまり万能になれるんですよね。
一人になれない子
この世界に入ると。
ここがまたややこしくて、
この種の万能感のせいで、
精神的に難しい問題を引き起こすのも人間なんだけど、
でもどっちにしてもこの能力は、
我々は使ってしまうんですね。
それによって苦しもうと苦しむまいと。
ということは、
この能力はやっぱり使えないと困るんですよ。
今時の子はあんまりそうではないのかもしれませんけど、
昔はですね、
よく小学校時代とか、
勉強ができない子っていうのと
一人になれない子っていうのは
ほぼイコールだった気がするんですね。
どうしても教室の中で、
テスト時間でさえそうなんですよね。
一人になれない子っているわけですよ。
一人になっちゃうとむしろ、
そういう子っていうのは
問題児みたいな扱いをされていて、
騒がしくて、
急に人のことを拗ねたりして、
強そうな子に見えるんだけど、
僕は当時からそうは思わなかったですよね。
すっごくある種の弱さを
感じさせられるなって感じがしたんですよ。
つまり、
テストって孤独に子供をさせるじゃないですか。
僕はあれを最初に感じたのは、
小学校たぶん1年の頃だったと思うんですけど、
死因となりますよね。
死因となってみんなテストに没頭してしまう。
あれに耐えられない子って出るんですよね。
僕はあれを見ていて、
この子耐えられないんだ、
耐えられないんだ、
みたいに思ってたことがあるんですよね。
あれが1人しかいないんだったら、
あの子、
あの子って拗ねたりする子も、
そうはならない。
だって、拗ねる相手がいないから。
他の子がいるから、
1人になれないわけじゃないですか。
自分が置き去りにされる不安みたいなものに、
ちょっと苛まれちゃうっていうのかな。
そういうものを感じさせられるんですよ。
でも、そういう子も大体、
長時計、
普通にそういう子がいるんですよね。
でも、そういう子も大体、
長時計、普通に育つと、
1人になる能力をどこかで身につける。
この1人になる能力、
1人ぼっちが耐えられるって話では全くないです。
それは、僕が思うにほぼ逆だと思いますね。
そうではなくて、
いっぱい人がいるんだけど、
1人になれる。
僕はこの能力を結構、
いろんなところで、
自分は駆使してきたなって感じを
一人になる能力と移行対象
ちょっと持っているんで、
このウィニコットのこれは大事だって思うんですよ。
難しい空間ってあるじゃないですか。
この能力を発揮するのが非常に厄介な空間。
この能力を発揮するのが非常に厄介な空間。
例えばそうだな、
どういうところがいいですかね。
例えばそうだな、
どういうところがいいですかね。
なんかね、こう、
ある種の、
クラブ活動の合宿とかで、
先輩と一緒に、
座候部屋みたいなところにいると、
1人になれる人とそうでない人って出ますよね。
1人になれる人とそうでない人って出ますよね。
僕はあの時、
やっぱり非常に苦労したんですよ。
1人になるとこういう空間きついなっていうね。
テレビとかがあるとまだいいんですけどね。
テレビとかがあるとまだいいんですけどね。
だから移行対象っていう言葉が
ここで出てくるんですよ。
ウィニコットは慣れないんだったら
なんかを使ってでも
なろうねっていう感じがあるわけですね。
小道具を使うわけですよ。
小道具ってこういう時によく出てきますよね。
小道具ってこういう時によく出てきますよね。
演劇のシーンがよく思い浮かぶんですけど、
演劇のシーンがよく思い浮かぶんですけど、
人形劇の人形も移行対象だと思うんですよ。
人形劇の人形も移行対象だと思うんですよ。
あれ使って
そこに新しい空間を作り出してしまうわけじゃないですか。
そこに新しい空間を作り出してしまうわけじゃないですか。
これをウィニコットは移行空間って呼んでるんだけど、
要するに、
万能感を持ってるってことは
その人は1人になれるんですよ。
その人は1人になれるんですよ。
でも万能感を持っている人、
万能感を持ってるってのは
母親と一緒にいるんですね。
ここがすっごく矛盾したところなんだけど、
さっき私の息子が
おばあちゃんに抱っこされてって言ったじゃないですか。
おばあちゃんに抱っこされているからこそ
1人になれるんですよ。
僕は
ある種の人の私服の瞬間ってのは
こういうところに訪れると思う。
人がそこにいるからこそ
1人になれてしまう。
で、
一人になる能力の欠損
1人になる能力ってのは
なんていうんですかね。
持てないと、
そこに誰と一緒にいようと持てない。
例えばそれは多分なんだけど、
おばあちゃんでも私置いて
いるかしらって思う子は
1人になれない。
だからこれは養育歴と関係があるんですよ。
私、
うちの娘の様子を見ていて
この子は大丈夫なんだなって思ったのが
ここにだいたい
思うところがあったんですね。
おばあちゃんがいなくならないってことを
勝手に決めてる。
この勝手に決めてるから
ウェニコットもここを
ナルシズムってやっぱり
使う言葉で読んでるんですね。
ちょっと他の人が言うナルシズムと
ある種のナルシシズムなんですよね。
うちの子のナルシシズムなんですよ。
だっておばあちゃんが
抱っこしていることを忘れてるんだから。
ある意味めちゃめちゃ都合のいい世界に
住んでるじゃないですか。
でもこのある種の
絶対的信頼性みたいなもの
非常に大事なんですよ。
これを他人に抱けない人は
常に他人のことが
意識の中から消え去らないってことになりますよね。
人は私を置き去りにするとか
一歩落ちないと急に殴り出すとか
そんなことはあんまりないんだけど
そういう心配をし始めるわけですよ。
これが人の顔色を伺うって話に
つながってくるなと思うんですね。
つまりそこに他の人がいると
一人になれなくなっちゃう。
いつもいつもいる人のことを
意識してしまう。
二人目、三人目、四人目
私に何か監視の目が向いているって
一人になれてないですよね。
一人ぼっちって話では
全くないですよ。
こういう人は逆に
一人ぼっちになりたがるわけですよ。
安心感を得るために。
安心するために他の人の存在が
邪魔になるってのは
非常に面倒くさい人生を
送ることになるじゃないですか。
これがあんまりエスカレードすると
たぶん迫害妄想とかになってく
と思うんですよ。
隣人が私を見張ってる。
あのゆうちゃんのお母さんがやってましたよね。
隣の家に盗聴器仕掛けて売れたから。
あの人たち私たちの悪口言ってるからね
みたいなそういう
本当にあれやってたんだと思うんですよ。
あれまさに一人になれないんですよ。
家が違うところにいても
一人になれない。
もうこうなったらどうしようもない
言い訳じゃないですか。
人間はこの世の中にいるわけだから。
この世の中に人間がいる限り
私は一人になれません。
本当にみんなが私のことを見張っていて
いつか亡き者にしてやろうという
陰謀を持ってるんですって。
陰謀論的な話にもなってくるんだけど
きっとつらいと思うんですよ。
あのだいぶ昔
ほんと昔ですね。
埼玉県で
連続幼女誘拐殺人で
非常に
女の子の持ってる親なんか
ほんと
まったもんじゃない事件があったんですけど
その犯人宮崎勤っていう人だったんですけど
あの人
刑務所の中にいても
なるべく
ビデオとかを借りてきて
それを積んでいくんだって言うんですよね。
刑務所の鉄格子のところに
ビデオとか本を積んでいくんだって言うんですよ。
それは読むとか見るとかいう目的じゃなくて
一人になる
なんですね。
これは
病理だと僕やっぱ思ったんですよ。
一人きりになれないんですよ。
どうしても。
刑務所だから
安心されてるって意識は当然あったんだと思うんだけど
彼は
彼の部屋っていうのは
当時、今では別に珍しい光景じゃないんだけど
当時すっごい話題になったんですよ。
部屋中がビデオとか
ビデオだらけだ
今思うと部屋中ビデオだらけだから
なんなんて思うんだけど
本当におぞましい部屋だみたいな
当時そういう報道がなされていて
世の中の偏見ってひどいなって思ったんですけど
まあでも確かにビデオの数は相当なもんだったけど
彼はその中で
全部見てるわけじゃないんだみたいな発言があって
これは
部屋をこれで守ってるんだみたいな
これはやっぱりね
辛いと思うんですよね。
同情するっていうわけじゃないんだけど
これは非常に
この状態を持って生きていくのは
本当に厳しいと思うんですよ。
自分の部屋にいるのに
誰かに監視されているから
それを防護するために
だってビデオなんか積んだって
防護できるわけないじゃないですか。
そんな厳しい監視の命令を
惹かれているのに
ホンダのビデオなどを
壁のところに積んどいたって
それは防御にも何もなりゃしないわけですよね。
これが僕は一人になる能力の
欠損ってものだという感じが
やっぱりするんですよ。
そこで
めでたくですね
先日千葉ロッテマリンスか
楽天イーグルスに勝って
CSに出場したんですけど
私なんかもう
ロッテの試合とか見に行くと
即一人になっちゃうわけですよ。
そこに何万人いようと一人になる
これはでも熱烈に応援している人は
みんな一人になっていると思いますね。
これは一人になる能力っていうのは
そういうふうに発揮される。
他にそこに他の人がいることは
もちろん知ってますよみんな。
知ってるんだけど一人になれる。
だって映画館で映画見て
一人になっている人も同じじゃないですか。
他の人が映画館にいるのはなんて
分かっているわけじゃないですか。
でも一人になれるじゃないですか。
特にこうもう
一人で泣いちゃうような人って
一人になれてるからこそ泣けるわけじゃないですか。
でもじゃあそこに
隣に彼女いるのも忘れてますかって
別に忘れてはいないんですよ。
こういうことが人間にはできる
ってことだと思うんですよ。
赤ちゃんのこれ構造と
よく似てるじゃないですか。
赤ちゃんはお母さんと一緒にいることは
知ってるわけですよ。
むしろいなくなったら大騒ぎしますよね。
でも一緒にいるからこそ一人になれて
一人になれるからこそ
スヤスヤ寝られるんですよ。
ここ大事なんですよ。
不眠に悩む人っていうのは
僕はやっぱり一人になる能力が
なぜか機能不全を起こしている。
睡眠、寝るためには
一人になる必要があるじゃないですか。
隣で誰が寝ていようと。
隣で人が寝ていると
どうしても寝られないんだって人は
つまり一人になる能力が
その時発揮できてないわけですよ。
眠る時は一人だっていう。
村上春樹がそんなことを
小説で言ってましたけど
私はあれは
だから人は孤独なんだよ
みたいなことを言うんだけど
美濃子とも似たようなことを
言ってますけれども
一人になる能力と幸せ
僕はそれは孤独なんじゃなくて
幸せなんだって思うんですよね。
ある意味では都合のいい世界なんですよ。
でも我々は一人になる能力だって
発揮している場合じゃないんですよね。
だから一人になる能力を
発揮するということは
幸せだってことなんだと
私は思うんですね。
完全に同じじゃないんだけど
私はグッドバイブスで
蔵野平野さんがおっしゃるところの
平安というのと
カチマックスで最強というのは
これに相当近い感覚
あるいは感覚的には
ほとんど同じかなと
ちょっと言ってる意味は違うんだけど
お母さんと一緒にいて
お母さんのことを
完全に忘れられたとき
カチマックスで最強で平安で
あるはずなんですよ。
万能っていうふうに
ミニコットが言ったのは
僕は非常に正しいと思うんですよね。
大人がこれと全く同じじゃダメですよ。
大人がお母さんに抱っこされているから
私カチマックスじゃダメだけど
だから大人になる前に
移行対象と移行空間で
移行しなきゃいけないんですね。
自分だけが
自分だけっていうのかな。
リアルなお母さんに抱っこされていなくても
この感覚の再生はできますというか
再現はできます。
そういう状態を作り出せる
必要があるわけですよ。
引きこもることなくですよ。
引きこもりと孤立っていうんですよね。
引きこもりと孤立
これはもう日本語を言い直すと
藤山先生がおっしゃってましたけど
書いてましたけど
引きこもりと孤立じゃ
さっぱり日本語のニュアンスじゃ
わかんないんですけど
引きこもりと孤立が対比されてるんですよ。
一人でいる能力がない能力
一人でいる能力がない
一人でいる能力を発揮して
ウィニコット流に言うと孤立する
これが万能なわけですよ。
孤立したときに
その人は言ってみれば
世の中を環境扱いしてるんですね。
そうですよね。
私はロッテの試合とか
ロッテ応援してるみんな
というものを環境に
完全に変えてしまっていて
しかも非常に私の都合のいい環境に
変えてしまって
自分の最高の世界みたいなものを
そこに出現させて
で、私はたった一人で
そこで大いに盛り上がったり
喜んだり泣いたりしているわけです。
映画見てる人も
全く同じようなことやってますよね。
あのー
なんだっけな
ここに
ユニコットは遊びの空間とか
遊びっていう言い方するんですけど
そういうことなんですよ。
遊びというのは
主観の世界ですよね。
自分がその
お椀なりに遊びの意味をつけて
水なりに味噌汁という意味をつけたりして
意味をどんどんつけていって
自分にとって
その時
都合のいい空間をそこに出現させて
そして
一人になる能力なるものを発揮して
言ってみれば
周りの茶碗だの水だの
お母さんとしてですね
お母さんと一緒
NHKの番組みたいですけど
お母さんと一緒に生きていく
これを言ってみれば
職場とか
どこでもやれるように
してるわけですよ私たちは
だってそうじゃなかったら
仕事って結局これじゃないですか
何々の取引か
重要とかってのは
意味付けですよね
実はお金だってそうなんですよ
この時お金が動くとかって言うけど
お金などというのは意味付けですから
あれは象徴と記号ですよ
数字だけれど
それは何の意味もないものになって
ただの紙になってしまいますよね
よく言うけど
10とか100とか書いてありますけど
あれはただそういう数字だってことに
してあるだけであって
みんながそれを信じなくなれば
戦前のドイツみたいなことになるわけですよ
札幌いくら持ってても
パン1個手に入れることができない
ってことになるわけですよね
そうならないのは
みんながこの遊びにある意味の
会社の空間と遊び
向かってるからですよね
この遊びは
根拠をくっつけようとはしますけれども
その根拠はもう
失われる瞬間には
一瞬にして失われてしまうわけですよ
ホール立てておいて
こっちはファールこっちはホームラン
っていうのは
それはそれっきりの話なんですよ
そこに何の根拠も必要としないんですよね
だからもう移行空間というものは
ルールが必ずあるわけですけど
遊ぶためのルールがですね
遊ぶためのルールっていうのは
つまりこのルールを信じる
っていうことに決めました
って話でしかないわけです
このルールを信じることに決めた人が
そのルールを信じる能力を発揮さえすれば
そのルールは信じられるわけですよ
ボールを遠くに飛ばしたほうが
偉いんですというような
勝手なルールがあるわけですよ
そこには
この枠の外に行ったやつはファールです
とかいう勝手なルールがあるわけですよね
もちろんどういうふうに解釈しても
いいんだけれども
みんなでそれを
何万人いてる人が
同時にそれを楽しむことが
なぜかできる
そういうルールになってるから
できるんですよ
多くの人が
そこでもう
例えば多分ですけれども
ここって時にゴングランが打てるっていう人は
一人になるのに
わからさまに発揮してると思うんですよ
そこにチームメイトもいるし
敵もいることはもちろん分かってるんだけれども
一人になっちゃうわけですね
そうならなかったら
多分絶対あれは
あそこで打つとか
160キロ打つ
絶対無理だと思うんですよ
この話をですね
久しぶりにしたのは
つまり引きこもりっていうのは
そういう目で見ると
多分全然違うものに
見えてくるんじゃないかな
って感じがするんです
そして私たちの
ある意味課題の延長線にある
社会問題だと思うんですよ
引きこもってる人っていうのは
一人になってるわけじゃないんですよ
なんとか頑張って
一人になろうとしているんですよ
一人になれないんですよ
どうしても
やっぱりそこに働いてるのは
これもムッドバイブス的だけど
強い強い警戒感
まあ怒りといえば
怒りだと言っていいと思います
他の人がに対して怒ってる
クラノンさんがよくおっしゃってますけど
他の人に対して強い怒りを向けると
当然それは相手が
殺意を抱くという仮定が
そこに入ってるんで
だってそうですよね
やってみればすぐ分かると思うんですけど
やらないでくださいね
目の前の人に刃物を向ければ
相手めちゃくちゃ
同じぐらい殺意を抱くと思うじゃないですか
ものすごい恐ろしいですね
これを身の回りの人の
ほとんどに対して
意識する状態ってのが
多分最も引きこもりの
きつい状態だと思うんですよ
これはもう家に閉じこもって
作るしかないと
それに近い
心のバリケードを
出ると思うんですよ
でもこれはですね
私たちが会社に行ったなりして
いやどうしても
ここにいる人たちの
大半を意識して
仕事に没頭しきれてないなときに
実はこの心理の
極めてマイルドなバージョンを
私たちは認識しているんですよ
だからパーティションで区切ってみたり
個室に困って
仕事をするとかいうことが
起こるんですよね
実はあれは
僕は電話に邪魔されたくないとかは
かなり表面的な理由である
実は引きこもりたい
っていうことだと思うんですよ
それは会社の空間が
そうで本当はなければいけない
はずの移行空間になってない
ってことだと思うんですよ
会社ってのは実は
遊びの空間でなければいけない
だってそうですよね
課長とか書いてある
ないのかもしれないけど
私の中学生の頃に
あれもあったんですよ
ネームプレートみたいな
課長みたいな
机とかに書いてあるんです
あれは遊びですよね
この人は課長ですと
決めてあるわけですよ
そうすると会社は
この人に特別な席と椅子と
机を用意します
すべてこれはルールと
遊びなわけですよね
ここでみんながそういう
ルールにのっとると
課長のことはみんなで
尊敬するというルールに
のっとってるんですよ
そのルールにのって
遊びをするわけですよ
だから課長の言うことなんか
聞かないっていうのも
遊びの一種なんですよ
課長の言うことなんか聞かない
というふうな形で
この人は私は偉いことになってる
けど俺はそれを認めない
と挨拶しようと挨拶
しないとどうでもいいわけですよ
そういう言い方をしてしまえば
やっぱりこれはみんなが
それを遵守しますという
結局この人は背番号8です
この人はライト守りますとか
ここ1類から回って
3類先に行っちゃダメですとか
そういうルールをみんなが
守ることに決めているから
遊べるのであって
会社で起こってることって
何にもそれと変わらないんですよ
これにのっかる以上は
この空間の中で
一人になれないと始まらない
この空間に行って
みんなが俺のことを監視していて
俺の仕事ぶりとかを
すごいバッシングしていて
とても恐ろしいんだとか
やっていてはですね
全然一人になれなくなって
しまうわけですよ
そういう意味で
この一人になる能力というものが
発揮この空間においてですよ
その人の能力というよりは
この空間では
私も野球場に行くと
すぐ一人になれるけど
映画館では難しい
逆の人は当然いるわけじゃないですか
多分逆の人は映画に行けば
すぐ一人になれるけど
野球場行っても全然一人になれないよと
そもそも何がそこで起こってるのかも
よくわかんない
ここ大事ですよね
ルールが分かっていないスポーツを
目にしていても
一人になるのは難しいんですよ
つまり遊びの空間で
一人になる能力を発揮するためには
心の中で出現させられる能力というのが
大事になってくるわけですね
だから会社も
コミットできている人ほど
一人になれるし
コミットできない人は
みんなが私を見ているとか
私はみんなのことを
意識してしまうという
残念な空間にいること
つまりそれは遊びの空間になってないわけですよ
ちゃんとままごとに参加できていない
会社はままごとなので
非常にコミットままごとだけど
ままごとなので
ある以上は
やっぱりこれは水だとはいけないんですよ
いやこれはスープだから
だってみんながスープだって決めたんだから
これスープだからね
これに乗っからない間は
いやこれ水じゃんとか言ってる人は
そこで引きこもりの道を探って
パーティーションとかね
喫茶店とかにこもるとか
いうことをしなきゃなんだとなるわけですよ
それが辛くなってくると
今度はしょうがないから酒を飲むとかいう
酒の力を借りて
酒をなんとか
一人になる能力を発揮するわけです
酒の力っていうのは
こういう時によく使われる
で一歩間違うと
これも先日主人と話してたんですけど
一人になることとセックハラ・パワハラ
セックハラとかパワハラみたいになってくるわけです
無理やり遊びに参加しようとすると
そういうことが起きるわけですよね
いや俺は上司なんだから
お前殴るみたいな
そういうルールが過剰になっていくわけですよ
あるいはここでは
小田舎になろうみたいな
どうしようもないわけですよ
そういう時に
この世界を
ミミッとできないという状態においてはですね
そうしないと
要するに警戒心が解けない間はですね
なんていうのかな
要はそこで眠ることができない世界っていうのは
信用がならないわけじゃないですか
遊んでる時は信用がなるはずなんですよ
課長と部下の関係
私たちはこういうヒエラルキーのようなものを作って
要するに上位下達の世界を仮に仮意めで作って
ミミッとできないという状態においてはですね
そうしないと
要するに警戒心が解けない間はですね
みんなで同じ目標に向かって
行きましょうっていう遊びじゃないですか
これは
あるいはお金を儲けるという遊びに参加してるわけですよ
だけれども
いや実はこの人はそうじゃないんだと
そういう役割をお互い演じてるような
ふりをしているだけで
実はこいつは私のことを殴ろうとしてるとか
そういう
なんていうんですかね
その遊びにすぐわないものが
そこに出てきてはいけないわなんですよね
出てこないことになっているからこそ
安心してやっていられるわけで
あんなに固いボールで
あんなに固いボールで
160キロも投げるわけだから
たまーに推理サッカー書きますよね
そういうところやっぱりついてくるわけですよね
野球やってるわけだから
野球をやっておきゃいいんだけど
いやあのーね
実はあいつは
息子を殺したやつだと
ベトナム戦争時代に
だからあいつを野球で復讐するために
頭にデッドボール投げるわけですよ
そういうのを
あんまり出来の良い小説じゃないけど
見たことあるんだけど
こういうことは起こらないことになっているわけですよ
つまりリアル
完全にリアルだかなんだかわからないものが
そこに持ち込まれるということが
あってはならないわ
人間社会というものは
それをやってしまったら
油断も隙もなくなってしまう
あくまでもルールを遵守するという
私は遊びにコミットしますよって言う
言葉があっても
あくまでもルールを遵守するという
私は遊びにコミットしますよって
一人になれない能力の不幸
言う例でいかないと
犯罪というのは全部
ある意味この遊びを台無しにしてしまう
何かなんですよ
例えばお金というのは
埋まっちゃダメだってことになっているわけですよ
だっておかしいじゃないですか
よく考えてみれば
多分犯罪をやる人はおかしいと思っているから
埋まるんですよね
別に埋まればいいじゃんってことになっちゃう
わけですよ
そうではないわけですよ
あれは遊びだからこそ
みんなで同じものを信じて
交換するとか
サービスと交換するとか
せいぜいトレードするとか
そういうデイトレード
ああいうことをすることでしか
手に入れられませんよという遊びを
つまり遊びの上のルール
サッカーで言えば
手を使っちゃいけませんよというルールを
尊重するという
建前の上でやっていて
しかも人はそれに夢中になれますから
楽しいわけですよ
だけどいやいや
あんなのはね
木刀持ってって奪えばいいんだよ
こうなると
全然ルールが台無しになるから
遊べないわけですよ
これが多分
一人になる能力のない人の世界なんですよ
一人になれない
一人になれない人は
夜オチオチ寝てもいられない
そういう意味で市民に悩んでみたり
あるいは人の目が気になって
自分の作業に没頭できない
仕事をするためには
どっか近い喫茶店に
わざわざ引きこもらなければならない
飲みに行ったら飲みに行ったで
人よりガンガン飲んで
めちゃくちゃ酔っ払わなきゃならないとか
あるいは自分が上司になったら
部下を罵倒しまくるという風な格好で
何て言うんだろう
要するにどれもこれも
遊びを台無しにする行為
それが多分
ウィニコットの言っていたことなんだろうなと
その人たちは
すべからく万能感というのが
得られない世界に生きているわけです
万能感は
締め出されていると言っていいんですよね
万能感は
お母さんの抱っこ
抱っこされていて
みんなでNHKの良いテレビを見ている
だからお母さんも私も一つで
万能ですという世界
これはいかにも
人間的な世界なわけですよね
これは楽しいねと
お母さんあれ見てると
お母さんは
言わないルールになってるわけですよね
お母さんは忙しいんだからと
実は浮気していてね
保管家の子供の面倒見なきゃいけないんだから
子供をめちゃくちゃ傷つくじゃないですか
完全にトラウマになりますよね
この意味が分かればですけどね
これを多分
ウィニコットは
インピンジメント
侵襲と言ったんだと思うんですよ
侵襲が起きる日こんなこと
私たちが
インピンジメントを
やっちゃいますけど
アワハラだのセクハラだの
ありますけれども
侵襲を起こすようなことを
減速しないことになってる
これをしちゃうという人は
おそらくやっぱり
この母子一体という世界
一人になる能力を
みんなが発揮しあえる世界
反共としての母親が
常に機能している世界から
多分締め出されている不幸というものを
背負って
いるんでしょう
それを何とかするために
僕らは
移行空間と移行対象と
移行空間の中のルール
を学んでいくんですよ
そういう話なんだろうな
と思いますね
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