2022-06-27 39:02

【624GMV】人はどんなときに引き篭もるか?

偽りの自分が現れるとき
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
不思議だなぁと思うのが、これが続いているということが一つですよね。
なんだかんだ季節もどんどん変わるし、年も取るし、娘ももう中学に行っちゃってるわけですけど、これが延々続いているんですよ。
そう言ってもまだたかだか600回ですけど、こういう仕事でもなければ趣味とも言えない、なんかよくわからないものが続くというのは不思議だなぁと思う時があるんですよ。
自分にとってのブログって割とそうで、僕にとってブログってもちろん収益にはならないにしても、告知とかしてましたから。
あの告知っていうのも面白くて、告知してある程度動くときはいいんですよ。不思議なんですよね。仕事をしている気分というものになれるんです。
僕みたいな人間ってそうなんですよ、結局。マーケットにつくづく向かない体質の人間だなと思うんだけど、本を書くのが自分の仕事みたいに思っちゃってて、
最近そのよく出版関係の方に売るまでが仕事みたいに言われるし、それも今の時代そうなんだろうなと思うんだけど、売るのは著者の仕事じゃなくないかっていう風に思うこともあるんですよ。
最近話題になってますよね、一部話題になってるんですけど、出版関係の契約の仕方ってダメじゃないかみたいな話が、
実はこれ結構ですね、消費者庁とかなんとか庁ってところから秘かにですね、僕のところに秘かって言ってて喋ってますけど、来るんですよ。
ちゃんとやってますかと向こうさんは、出版会とか出版社とか、出版社ですよね多くは、ちゃんとやってますかっていうのが調査に来るんですよ。
僕のところに来るくらいだから、さっそく多くのところに行ってるんだろうなと、もっと売れてる方は言ってると思うんですけど、要するに優先的立場を利用したなんとか乱用みたいなのがあるじゃないですか。
僕ら言ってみれば製造業の下請けってところですから、書くだけ書いてそういうケースってほんと稀でほとんどないんですけどね。
でも書くだけ書いてお金は渡さないよみたいな話をされれば、ある意味それっきりなんですよ。裁判とかできるけどそれで取れるかっていうと難しいですよ、はっきり言って。
何の話をしてるんだよ、よくわかんなくなったんですけど、言いなりっちゃ言いなりなわけですよね。でも、なんとか長が守ってくれるっていう部分もあるわけですよ。
実は赤い枠の紙に一生懸命書けばですね、少しは違うのかもしれないですよね。
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一応書くんですよ、私はああいうのでも。権利を守りたいとかじゃなくて、これもまた先日大橋哲夫さんとセミナーやってて、私たちのやや不思議なところなんだけど、実はああいうの好きなんですよね。
権利云々とかが好きとかじゃなくて、手続きが好きなんですよ。ここで僕はああいうの分かれるんじゃないかなって思うんですよね。
誰かツイッターで著者さんがですね、ああいうもう煩雑な手続きをやらせることによって我々の権利を阻害している。こういう捉え方をする人もいるよなって思ったんですよ。
つまりああいう権利系の話をやるときは煩雑だから、煩雑さによって親父は実は著者とかの権利を奪ってるんだ。私全く逆なんですよね。
ここがやっぱり面白いところで、私はああいう煩雑なものがばっちりできる自分ってものが結構快感なんで、全然苦にならないんですよ、実はね。
大橋さんはもっと先を行ってて、ああいうことをついやっちゃう人らしいんですよね。
要するに煩雑だと絶対思ってないと思うんですけど、煩雑な仕組みの何とかみたいなものをやるのが、もうどっちかっていうと仕事をやるよりもやりたい人だから、仕事をサボりたくなるとあっちに手を出してしまうのを一生懸命ブレーキをかけてるみたいな話をして、結構先日セミナーで受けてたんですけど、私は彼のことを知ってるんでよくわかるんですよ。
私は彼の半歩手前か一歩手前ぐらいなんですよね。趣味でやるならば、やっぱり大谷翔平の野球を見てる方が絶対いいと思うんだけど、仕事をやるのとどっこいどっこいぐらいには好きなところがあるんですよ。
ああいう役所みたいなこの、だから僕代書屋って意味わかんないんですよね。代わりに書いてほしいと思うことは決してほとんどないんですよ。全部自分で書き込んでしまえるし、そこを間違わないという自信も結構あるので、間違えるときはあるんですよ、私は結構ゆっかりした人間なんで。
ただ直せとか言われても、苦にならないんで全然。字が自分の綺麗とかを思ってないから、字好き、自分の手書きの字好きとかはないんですけど、役所で記入を求められたときっていうのは結構快感なんですよね。だからあれが煩雑だから権利奪われてるとかは全然意識したことはないです、実は。
権利系のが、僕は別に半元さんとかに含むところとかは全くないんで、ああいうのにすごい出したいというモチベーションは実はないんですよ。ただああいうの枠を見ると、ついちょっとワクワクしてしまって、つい書いて、つい送ってしまうんですよね。
それは別に悪いことじゃないと思うんだけれども、あとあれなんですよ。返信用封筒に貼って出すっていうのもかなり実は好きな人間で、意味もなくそういうことをやりたくなる。だからなんとかのアンケートとかあるじゃないですか、ああいうのも私結構意味もなくやったりするんですよね。
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なので、あれが苦になるから権利が奪われるっていうのは一概にそういう人ばかりとは思えないんですけどね。私、クリエイティブなことをしている人はみんなそうなんだっていう主張をよく読むんですけど、もしかすると私はクリエイティブな仕事をしてないからなのかもしれない。
よく思うんですよ。僕は作家ですが、クリエイティビティは別にないなってよく思ってるんですよ。オリジナリティはなくはないと思ってるんだけど、クリエイティビティっていう感覚を僕はあんまり持ってなくて。
クラゾノさんがですね、グッドバイブスで綺麗な部屋を創造するっていう話を、掃除をするってことはね、なるほどなと思ったんだけど、やっぱり実感としては全くないんですよね。僕は部屋を綺麗にするのは非常に得意で、やれと言われれば一日中それをやってるし、昔からなんですよ。幼稚園時代から整理整頓って実は大好きで、整理整頓が褒められるから好きとかは関係ないんですよね。
好きなんですよ、根本的に。ずっとそれをやっていたいみたいなところもある。ちょっと自閉気味なのかなって思う時もあるんですけどね。でもとにかく嫌いじゃないんですよ。そこに創造性とかは僕は全く意識したことはないんですね。なんか綺麗な部屋を創造しようというつもりはないんですよ。部屋でも僕はあんまりですね、汚くしていたという記憶がないんですよね。
なんでなのかはわからないんですよ、実際のところは。呼吸をするように限りなく近くて、引き出しとかも基本的には全部あるじゃないですか、なんとかの奥さんみたいな、ああいうことを実は好んでやる。
この点は結構大端さんと似てて、あんまりこれをやっていると仕事じゃないですからね。これをやっているのはほとんど消費生活みたいなものなんで、私は別に整理整頓の人とかでもないから、これをやらないように、あんまり整理整頓をやらないっていう教訓にリスト1つあるんですけど、本当に手を出し始めると切れないんですよ。時間かかるのは間違いないんで。別に早くできるわけじゃないですからね。
ああいうのに凝り出すとよろしくないんで。しかもお金かけますから。100円100均とかで買ってくるパーツにしたってお金はかかるわけですから、極力これを適当に整理をしようと。だから最近私一つコツを学んだんだけど、若干汚くしておくって大事だなって思うんですよね。
あんまり綺麗にしておくとよりマニアックになっていって頑張っちゃうんで、適当にしておくとあんまりすぐにはやる気がしないんで、この少し散らかしておくのが整理にのめり込まない一つのコツだなという、どうでもいいような話ばっかりずっとしていてすいません。月曜日なんで。
あとちょっと暑いんでやっぱりテンションが無駄に上がるんですよね。何の話をしてたか全然覚えてないんですけど、要するに告知というものは私は実はあんまりテンション上がらないんだけど嫌いなわけではないんですよね。仕事やってる気になれるから、自分告知したからこれで出版社さんも満足するだろう。満足しないんですけどね。売れなきゃ絶対満足してもらえないと思うんですけど。
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やっぱり約束を守った感というものにちょっと支えられてる感じがあって、告知すること自体は好きなんだけれども、あんまり効果が出ないとやっぱり結局申し訳ない、結局ここで無駄に罪悪感を持つから、好きかと言われると若干好きじゃないんだけど、やることは一応やるんだけど、ちょっとありはいっぽさが多分にありますね。
本当はでも僕はやっぱりこの売る努力っていうのは著者の仕事じゃないんじゃないかなというのも無くはないです。だから、なんつーんだろうな、やってるから褒めてほしいぐらいな感じなんですよ。やって当然と見なされるのは若干納得がいかないんですよね。
僕がやって当然なのは、著述と編集までであって、構成とかね、そこまでだと思うんですよ。そっから先はやったら褒めてくれほしいって感じなんですよね。しかもちょっと過剰なぐらいに。何ならやったらお金くれぐらいな感じなんですよ。そしたら仕事になるじゃないですか。
確かに売れた分お金になるわけだから、仕事ではないとも言えなくはないと思うんですけど、なんかやっぱり製造業で、下請け的な立場で契約交わしてるのだって事実上納品5ですし、納品5かどうか非常に曖昧なタイミングなんですけど、でもいわゆる業界監修的にそうなってますし、これも是正なるものがされるのかもしれませんけどね。
私はでも書写っていうのは完全に工業製品を作るみたいには作れないから、ここがきちっと事前にされても結構困るよなって思うんですよ。きちっと事前に契約されてしまったら絶対書かなきゃならないじゃないですか。
で、私は一応99%書いてきたから書けると思ってますけど、でもやっぱり本書くっていうのはやっぱりちょっと違うんですよね。事前に契約書を作れるかって言われると微妙だなって思うんですよ。
多分いけると思いますけれども、今のままでいいよっていうのが本音なんですよね。そこも難しいんですけど、今のままじゃダメでしょって言われれば今のままじゃダメな気もするんですよ。僕はやっぱりその辺のこだわりがないんですよね。まあいいや。
そんなわけで売るっていうのも仕事かもしれないけれども、告知も仕事かもしれないけれども、やっぱりオプションだなっていう感じはしますね。
で、全然全く違う話をしたいんですけど、上山和樹さんだと思ったんですよ。引き込みだった僕かな。とにかく引きこもりの本ですごく切々と日記が書かれてるんですよね。ちょっと過剰かなみたいな感じがするぐらい曝露的に自分の引きこもり体験を書いてて。
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私これ読んでたんですよ。何回か読んで。いわゆるドッグイヤー的に折り目もいっぱいついてる系なんですけど、つまり僕はすごい引きこもりっていうものにやっぱり関心が強いんですよね。いろんな意味で。いろんな意味で関心が強いんですよ。
自分もこうはならないんだろうけれども、こういうようなところはよくわかるっていうのはあるんで。どうしても説明がよくわからなかったんですよ。いつもなぜ人は引きこもるのかと。ニートみたいな話も含めてですね。仕事が本当にないとか、行くのが嫌だっていうのはよくわかるんですよ。
絶対行くの嫌だっていうのはわかるんだけれども、それでもここまで引きこもるって話にはなかなかわからないなっていうのがあるし、あと親と筆談みたいなのもこれももう本当目で見たこともあるし、アメリカ人でもあるんですよあれ。筆談ってやつね。でもわかんないんですよね。なぜ人は口も聞かなくなるんだろうっていう。
最初から親が虐待してるとか仲が悪いっていう話もなんか妙に仲がいい家族でしたみたいなケースもあるんで、難しい話だっていうのはいつも思っております。
日記とかを上山一樹さんの日記に近い感じの本なんですけど、わかんないんですよね。全然どういう戦いでここまでになっていくのかってあれほど国名に書かれていてもなかなかわからない。
で、ますますわからないのはいきなり上山さんのケースなんですけど、すみません上山さん上山さん言ってますけど間違ってるかもしれないんで。でも多分上山一樹みたいなのでもし気になる方がいたら検索して引きこもりっていう風に検索すれば絶対Amazonで引っかかると思うんで、それにタグイしたものかそれと同じものが引っかかると思うんで。
まあこれで押しますが、つまりですね、彼はいきなり治るっていうか立ち直るっていうのか、僕はそうは言う捉え方じゃないけれどもでも世間的にはそうですよね。
つまり普通にパッと出てくるんですよ。ここのいきさつが全然わからなくて、もうどうにもならないみたいな話がずっと続いているところにパッとですね、公演を始めたって話になるんですよ。
そのつなぎの部分も何となく何かの会合に出てカミングアウトしてみたいな話になるんだけど、急に普通に公演していて仕事を得るようになったみたいな話に切り替わるんですよね。
今まで出れなかった理由は何で、原因は何で、今出られている理由は何なんだっていうのがわからないんですよね。わかるとは思えないんですよ、私には。
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もちろん何かいろいろ内面的な変化があったことについては日記もあるわけだから、追っていって理解しようと思えばできるような気もして、だから僕は本を何度も読んだんだけど、結局よくわからなかったわけです。
グッドバイブスを倉園さんが宮山さんに語ったという記述もないしね、あるわけないんですけどね、本が出たのがグッドバイブスが出るのより多分前だったと思うんで、そもそもカウンセリングすら行ってるって感じはしなかったし、ここが難しいところなんですよ。
あのケース、引きこもりという問題は多分、精神分析の私は独断上とは言いませんが、非常に有効に作用するはずだと思うけど、通えないじゃないですか、困ってるわけですからね、多分行きたいと思わないでしょうし、お金もかかるじゃないですか、お金もなかったりするじゃないですか、非常に難しい問題だっていう、ここに難しさがあると思うんですよ。
で、行って話をするっていうサービスも今結構話題になってるんですけど、難しいですよね。そもそもそういう人に会いたくないって思っていらっしゃると思うんで、そこに無理やり行くっていうこと自体が一つの問題ですし、トラウマを刺激するっていうべきなのかな、そういうことがあると思うんですよ。
とにかく、しかし何よりもですね、私はこういう人間なんで説明が欲しいんですね。なぜなのかと、どういう理由で対人恐怖なのか、それともいわゆる就職での傷つきなのか、これもでも対人恐怖みたいなもんですかね。
あるいは親との、だいたい親が怒られたりしているんですよね。だけども、親はそんなに悪いことをしている感じはないんですよね。もちろんしていたとのかもしれないし、結局見てきたわけじゃないのでわからないんだけど、まあまあ全部が全部そうだとも思えないんですよ。
で、私が知っているケースも数件あって、どれも割と微妙なんですよね。親がっていうのがわかる気がするのもあれば、職場がっていうのがわかる気がするのもあるし、どっちにも全く当てはならないのもあるし、家にお金があるからこもるんだっていう説もあるじゃないですか。
これは生活環境的な話ですよね。でも家に全くお金がないのにこもっているうつせみの家っていうNHKのやつを前にこの番組でも言いましたけど、あれはもうこのまま行くと我死するっていう話をしていたら死んじゃったみたいな話で、つまり家にお金があるとも限らないわけですよね。
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ただ、ただですね、あのうつせみの家を見ていてなんとなく思ったのは、なんていうんですかね、今日知りたかったのは結局ここなんですけど、私の引きこもりっていうのはそのものずばりのキーワードを違う意味だけど使っている精神分析の人ってミニコットだけだという意識があるんですね。
彼はwe throw upという言葉を多分キーワードとして使っているんですよ。意味違うんですか。でも実は同じなのかもしれないと思うようになって、ミニコットの本読んだときに、解説書も含めて読んだときに、北山さんという方が有名なんですけど、北山治さんかな、ちょっとまたいい加減なんで調べておいてください。ミニコット北山ってやれば絶対出てくると思います。興味ある方はね。
で、探しているうちに、なんとなく分かりはしないんだけど、近いことを言っているのはやっぱりこの人なんじゃないかなって思ったんですよ。
いろいろ他にもありますよ。今ではね。不登校と精神分析っていう話は非常に出てきているんで、それを読んでようやく少し分かるような気がしてきているんですけどね。
一番僕がやっぱり意識に入っているのは、オグデンが引いていた事例で、この番組でもよく言ってますけども、ガレージに籠る、ガレージ所在、仕事場に籠っちゃうエンジニアなんですよ。
その時は運と年上の奥さんをもらって、その奥さんが家にいる時はガレージに籠って危機としていられるんだけど、その奥さんが出かけてしまうともうガレージにはいられなくなって奥さんの帰りを待つんです。
そのガレージに奥さんが入ってくると腹を立てる。これが僕は一番ウィニコットの言っている通りの動きを見せているし、引きこもりの人ってきっとこういう所があるに違いないと。
私自身にもこういう所は多分にあって、そういう時すごく自己嫌悪に陥るんですよね。なんて自分勝手な人間なんだ自分はって思うんですよ。
人にいてほしいくせに、人に直面していたくはなくて、人がいなくなると困る。非常に困った奴だなって。
僕これをですね、特に大学生の頃こういう自分であることを発見した時、極めて嫌な気持ちになったのがよく覚えているんですよ。
ただ、これに類することを言う人って意外にいなくはないんだなっていうのもそれから徐々に知ってですね、こういう心理状態は何が生み出すんだろうっていうのをいつも考えるようになってたんですね。
この延長線上の極端なケースが引きこもりなんじゃないだろうかっていうのが今僕が持っている仮説なんですよ。
この心理状態から人は逃れてほしいっていうか、この心理状態のまず心理的な起助っていうのかな。
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どうしてこれがいわゆる力動的に無意識の中で、無意識なんですよこれ。
意識的に人を追っ払いたいとか孤独になりたいとか孤独が寂しいとかそういうんじゃないんですよね。
かなり無意識が働いているんで、こういう時の無意識の働きというものを詳しく解説した本を最初探していた時期ってあったんですね。
で、無いんですよ。
で、ウィニゴッドのは近いと。ただし分かりにくいんですけどね。
でもようやく少し分かってきた感じがしていて。
ホールディングっていう言葉があるんですね。抱え込みっていうんですけど、これがキーワードなんだろうなって思っております。
で、ウィズドローはウィニゴッドの引きこもりですごく大事な部分は、赤ちゃんは孤立しているっていう有名なセリフがあるんですけど、
この孤立って彼はいい意味で使っているんですね。
たった一人でいられる能力、これも非常に誤解を招きそうな表現なんですけど、
一人でいられる能力っていうのは一人で寂しくないって話をしているのでは全くないんですよ。
一人でいられる能力というのは常に人といる時に発揮されるものなんですよ。
これが発揮できるかどうかがカギだと。
で、私は引きこもりの人ってこれが発揮できないに違いないって思うんですよね。
いわゆる社会的引きこもりの方。
さっきのあれですよ、エンジニアの人がまさにそうで、
書斎によくさんが入ってきちゃなぜダメなのかというと落ち着かないからですよね。
彼は一人でいられる能力が足りないんですよ。人がいる時に。
人がいない時に一人でいられる能力じゃないですよ。
人がいない時に寂しくないぜって言ってる話じゃなくて、
人がいる時に一人でいられるかいられないかって大事じゃないですか。
僕これすごく大事なことだとしょっちゅう思ってるんですね。
昔ですね、私の家は寺だったんでお坊さんがいっぱい来る時ってあって、
非常に落ち着かないんですよね。
もう今の方とかにも来ちゃうんで、今の方に来ちゃうんですよ。
その時に僕野球好きだったから甲子園とか見てたりするわけですよ。
そうすると甲子園かとか言って知らん坊さんが、知らなくはないんだけど、
父の友達の坊さんとかが普通に入ってくるわけですよ。
あれが落ち着かなくてですね。
これが人といると一人ではいられなくなる現象なんですよ。
これって私はですね、あ、私はじゃない。
イニコットの抱え込みが足りないっていうような言い方をするんですよ。
ちょっとそういう言い方じゃないんですけどね。
抱え込み、つまり母親によって抱え込まれていれば、
その子は母親と共にいるにもかかわらず、
一人でいることができるっていう感じなんですよ。
これイメージするには、
そうですね。
いるのはつらいよという本で、
田畑佳人さんも書かれている。
まさにそれがテーマなんですけどね、あれ。
やっぱり夏の甲子園を見てる時に、
一人でいるんですよ。みんなといるんだけど。
こういう感じってあるじゃないですか。
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もうちょっと言うとですね、一番やっぱりいいのは、
多分イニコットはこれを意識したと思うんですけど、
子宮の中にいる赤ちゃんですよね。
あれ一人でいるじゃないですか。
孤立じゃないですか。
一人しかいないと思ってますよね。
でも一人じゃないじゃないですか。
二人でいますよね。
この時お母さんが人格だと思ったら、
アウトだという考え方なんですよ。
赤ちゃん絶対そうは思いませんよね。
お腹の中にいるわけだから。
自信しきっていて、自分一人きりだと信じているけれども、
一人ではない。
一人でいる赤ん坊などというのがいないっていう、
これも有名なセリフがあるんですけど、
あの状態に入れるといいわけですよ。
私この心理状態と、
倉澤さんがグットバイブスで平安って言っている状態が
同一だと思っているんですけれども、
ついでに言うと、人が甘えているという状態も
同一だと思っているんですよ。
この三つが僕が思うに、
同一で、同一線にあって、
常に自分がこの状態にありたいと思っているんですけれども、
今ではね。
人がいるというただそれだけのことによって、
これが脅かされるときというのは、
落ち着かないんですよね。
テレビに集中できなかったり、
子供がですね、
例えば今でブロックに夢中になっていると、
でも親が近くにいるのは知っていると、
これっていい状態じゃないですか。
これで親がいなくなったら同じ状態じゃないですよね。
不安になります。
つまり一人でいるという、
この場合の一人でいるというのは、
二人以上いるんだけど一人でいるんですよ。
引きこもってしまう必要があるというのは、
自室なりに引きこもって話もしないというのは、
多分二人以上でいるときには一人でいられないんですよね。
二人以上でいるときに一人でいる能力というのは、
多分育むものなんだろうと思います。
最初は当然、
母親がそういう条件を設定するということが言う通りなんだけど、
大人になった場合は、
その条件を母親が設定してくれるはずはないので、
何らかの形で自分でその状態を作り出さなければならなくて、
この状態を作り出すというのは、
環境設定の話じゃないんですよね。
心理的な問題なんだと思うんですよ。
だから私はですね、
引きこもっているということが必要だという人は、
私の考えなんですけどね、
これはね、
むやみに旅行に行く傾向が時々起こるんじゃないんだろうかと、
不思議なんですけども、
そういうことはあるんじゃないんだろうかと。
上山さんの引きこもりの本でも、
別にずっと自室にいるとは限らないんですよ。
結構いろんなところに出たりするんですよね。
だって旅先ってあるとそうじゃないですか。
人がいるけれども、
全く見知らぬ人なので、
しばしば孤独にもなるんだけれども、
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結局この問題っていうべきなのかな。
問題じゃないんですけどね、きっとね。
でも問題だと本人が思っているならば問題は、
まず人は油断ならないってことですよね。
人が油断ならないから、
人と一緒にいると、
何を言われたりされたり思われたりするか、
分かったものじゃないっていう不信感があるんだと思います。
だから確実に一人であるということが、
確実である状態を物理的に作り出さなければならないと。
そういう状態なんだろうなと。
ところが上山さんは、
いきなりそこから講演を始められるようになっちゃうわけ。
多分それが一足飛びではないと思うんだけど、
本の中ではその間の説明がはなはだ乏しいので、
多分なんですけど、僕はこの間、
記憶が落ちるんだと思っているんですよ。
それぐらい人格交代に近いことが起こらないと、
なかなかあの状態から脱出することが本人的に難しいので、
だからこの間が空業になっているんじゃないかと、
不業があるわけじゃないですけどね。
これは僕の勝手な推察ですけどね。
そういう風に思うんですよ。
だからその間にフォールディングを思い出したんだろうと思うんですよね。
抱え込まれているんだと。
これって思い出すものだと思うんですよ。
一番最初になってしまうと子宮になるんで、
親は全く抱え込んでくれなかったんですって言ってもそんなことはないんですよ。
なぜなら僕らは母親から生まれてきているはずなので、
ここが大事なんですよ。
でもそれ思い出せないと言われれば思い出せないかもしれないんですよね。
子宮のことも言っていたと思うんですよね。
つまり何かイベントがあればイベントのことは覚えているが、
自分の寝床のことを赤ちゃんは覚えていないってこういうことなんですよ。
意識していないこと柄なんですよね。日頃は。
今でみんなでボケッと野球を見ています。
だいたい後になるとそういう記憶って落ちているじゃないですか。
落ちていて叱るべきなんですよね、そういうものは。
残っていない方がいいぐらいだと思います。
そういうでも記憶が心の奥底の方には常にあって、
それで私たちはいわば抱えられていて、
どういう状態でも安心していられるっていうのが多分理想的なんですよ。
連続性って言うんですよね。ミニコットが連続性って言うんですよ。
ゴーイングオンビーングって言うんだけど、赤ちゃんは寸断されちゃいけないわけですよ。
これがどこかで途切れて連続性が途切れると、
生人のライフが途切れるって死ぬってことになるじゃないですか。
そして今まで環境だと思っていた人が実は人間だということになり、
パニックに陥ると。つまり寸断ですからね。
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一家断乱でテレビ見ているときに強盗が入ってきたみたいな、
そこまで極端じゃないかもしれないけど、
赤ちゃんにとってはそれぐらい極端な、破滅的なっていう表現を取るんですよね。
たぶん引きこもっている人にしてみると、
平安に入ってこられるというのはこういう意味なんだろうなって思うんですよ。
何か連続性が脅かされる、心の平安っていうのは、
倉野さんがおっしゃる通りで、一期一会で、今ここにしかないものなんだけど、
でもずっと平安が続いてほしいと僕ら願うじゃないですか。
これが一つのイリュージョン作るんだけど、でも願いますよね。
Going on beingっていうのはそういう意味で、
連続性っていうことはずっと平安は続くんだという感覚なんですよね。
絶対そういうことはないから、
それは一つの理想みたいな話であって、
しかも実現しない理想であって、
いわゆる完璧な母親を求めるという無理な甘えなんですけれども、
でも我々はそういうのがある程度ありますよね。
で、これが脅かされるっていう瞬間が来るんですよ。
この時に物を言うんですよね。
きっとホールディングというのが抱え込まれているという感覚を、
その時でも保てるかどうかと。
保てなくなってしまったら、自分の連続性がそこでストップするので、
ここでウィニコットがスキゾイドって言うんですよ。
分裂って言うんですね。
連続性が途切れたから分裂するわけです。
たぶん引きこもりの人に分裂症的な傾向が強く出やすいのは、
こういう理由なんだろうなと思います。
連続性は途切れやすいんですよね、きっと。
我々は、私なんかがよくこの番組で言うところの、
クレームをもらって急に怖くなってパニックになるとかしても、
完全な形で連続性が途切れることはないんですよね、結局。
まず自我同一性は完全に保たれてますし、
少々私の人格に変化が起こったとしても、
自分が自分であることまで見失っているわけではないし、
究極的には大丈夫だろうって思っているところがどっかにあるわけですよ。
これがゴインゴンビームなんだろうと思うんですよ。
本当の事故って言っているやつの連続性ですね。
でも偽りの事故は出てくるわけですよ、しょうがないから。
事態に対処するためにクレームをもらって、
畜生をぶっ殺してやりたいとか思ってもですね、
誠に最もですみたいなことを言うわけじゃないですか。
誠に最もですとは言いませんけれども、
なんか少なくとも思った通りのことを言わないシチュエーションって絶対ありますよね。
これはもうやむを得ないというか、
人間である以上、これを全くやらないでは済まない、
必要以上にやらないように最近気を付けるようになったんですよ。
どんなシチュエーションであっても。
例えば、私が全く悪くなくてもメール返すときに
返信遅れまして申し訳ありませんとか書いといてたわけですよ。
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この書いとくっていうのが、言ってみれば偽りの事故なんですよね。
こういうことを言うっていうのは、
私の弊案の連続性がどこかで脅かされたっていうことを意識したから
違いないわけです。
じゃなきゃそんなことは言わないですよね。
私はどっちかというと今は、
それを過剰にやるというのを習慣にするのはやめたほうがいいと思うようになったので、ようやく。
今まではこういうところに保険のために常に手当てしておいたほうがいいぐらいに思ってたんですけど、
それは全くいい結果を生まないなと最近ようやく思えるようになったので、
やめるようには心がけているんですよ。
全部やめられているわけではないし、
全部やめられるかどうかはまた別の問題ではありますが、
とりあえず減らすことはできている気がするんですよ。
いきなりだから用事から書くんですね。
何かのライフはくみたいなんだけど、
謝らないということですね。
必要もないのに。
必要ならば別にいいと思うんだけど。
そういうふうにしてみると面白いなと思うのが、
ミニゴッドの引きこもり。
引きこもりって彼が言ったのは、
一人でいられないから偽りの自分をそこに用意するのを、
彼は多分引きこもりというふうに表現しているんですね。
厳密には正しくないかもしれないけど、
僕の解釈では大体こういったところなんですよ。
偽りの自分をそこに出すということは、
本当の自分を守るためですよね。
つまり本当の自分を言ってみればバリケードの後ろに置くわけですよ。
これが引きこもりなんですよね。
引きこもってなくても。
僕は全然この話引きこもってないじゃんとずっと思ってたんだけど、
心理的な話だけで言ってるわけですからね。
引きこもりっていうのはそういう話で、
なるほどずっと延長線上に物理的な引きこもりとか、
社会的な引きこもりってものも起こるんだろうなというか、
起こるよね当然っていう感じを抱くようになったんですよね。
だからといって何もかもがわかるって話じゃないですが、
そしてどういうふうにすればいいのって話もまた難しいですけれども、
でもやっぱりこういう場合は特にそうですが、
大事になってくるとすればですね、
脅かさないことだよねっていう。
で、脅かすっていうのは本当になんていうんですかね、
脅かす気は全くないじゃないですか。
そんなに傷つきそうになってる人だから。
だから脅かされやすいという話なんですよ。
人格、母親の環境なのに人格を持ってるということで、
赤ちゃんにとっては恐怖になるっていう話はピンとこないかもしれないんですけど、
でも私はこれはですね、わかりやすい話じゃないかとむしろ思うんですよ。
なんていうんですかね、
36:00
例えば、やっぱりSFみたいな話になりやすいんですけど、
ここにあるのは全部機械だと。
人はいないんだと思っていて、
機械だから掃除をしてもらったり、食事を作ってもらったり、
全部やってもらうんだけど、
別にそのことに特にこれといった意識を持ってなかった人が急にですね、
いやいや、あの機械は実は中に人が入ってたんですよって言われたら、
怖いじゃないですか。
例えばその中に入っている人に悪意が全くなかったとしてもですね、
と言われたとしても、やっぱりどっか怖いじゃないですか。
100%それは機械であるというふうに信じているのと、
中に人間が入っているのは話が全然違いますよね。
やっぱりそういうことが起こると、少しドギッとすると思うんですよ。
どんな人であっても。
赤ちゃんなんて素朴ですから、
そこにお母さんの都合のない意思なのがあからさまに出てきたら、
それはやっぱり非常に怖いですよね。
っていう話なんだろうと思うんですよ。
そういうふうに世の中を見ている人が、
非常に強い警戒心と不信感を持って他人に対処とするから、
ほとんど偽りの自己しか見せてくれないと。
そこに安心して本当の自分を見せてくださいよって言ったら、
怖いじゃないですか。
っていう話が引きこもりなんだろうなと思うんですね。
そういうことを繰り返しているうちに、
偽りの自己と本当の自分が、
本当の自分を守るために偽りの自分っているんで、
偽りの自分って常に部下じゃなきゃいけないんですよ。
もしかしたらそいつが主人になっちゃったみたいなところに、
多分スキゾイドというものの深刻さがあると思うんですよね。
昔はよく優等生っていうのが、
こういうのの事例に出されていました。
今ではその限りじゃないから、
そういうサンプルばかり出すのはおかしいんですけども、
でもやっぱり藤木藤代さんの漫画なんかでは、
よく優等生の中にそういう感じの人が多いと思うんですけども、
なんでこの人は一生懸命勉強しているのかさっぱり分からないという、
偽りの自己が完全に非大化してしまって、
何の目的もないんだけど常に満点を取ることを目指すみたいな、
そういうスキゾイドってありますよね。
やっぱりそこにあるのは、基本的に不信感だと思うんですよね。
実際そういう優等生のお父さんお母さんって描かれてたじゃないですか。
一生懸命勉強してものすごく偉くならないと、
将来ひどい目に遭うんだぞっていうそういう言い方するじゃないですか。
この限りではないんだけれども、きっとこういう構図が、
そういう子が将来引きこもったとして、
そんなに違和感がない流れってありますよね。
そういうのの説明がミニコットのウィズロワールだったのかなと、
最近少し思うようになって、上山さんの本を読み返しているんですよ。
それでもまだよく分からないところがいっぱいありますが。
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