1. グッドモーニングボイス
  2. 時間があっても何にもならない..
2024-04-08 1:05:34

時間があっても何にもならない【GMV960】

「精神分析を知っておく」だけでも価値がある。

サマリー

グッドモーニングボイスによる4月8日の配信では、継続に関する話題が取り上げられ、習慣化の能力や悩み相談の難しさが探求されています。また、3ヶ月チャレンジの第5期の終了と第6期の募集についてもお知らせされています。 Good Vibesについて語られ、3ヶ月チャレンジについて考えられています。精神分析の知識が大いに役立つ理由や自己愛の重要性にも言及されています。 精神分析の考え方は、大変重要な部分にあるように感じられます。日本では精神分析を受ける人はほとんどいないため、他者と出会えず適応できないことが多い日本社会についても考えられています。 CBTによる短時間の治療が普及していますが、話をする相手が必要な人が増えています。精神分析の必要性が再評価されるべきです。 時間を惜しむことは正しいという時間に対する万能感が、おそらく私たちの自己愛の中に潜んでいる、潜んでいるでしょう。

目次

継続の難しさと悩み相談
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
4月8日月曜日、朝7時35分ですね。
グッドモーニングぶりが配布できて、
すいませんね、先週は何回かお休みさせていただいたわけですが、
ちょっと旅行に行ったりしておりまして、
仕事もちょっとだけしてみたりもしましたけれども、
そんな感じで割と盛大に穴が開いて、
もしかして心配になった方もいらっしゃるかもしれませんけど、
そうそうこれやめないので、
私はたぶん、続っこい継続しようというか、
継続する習慣化とか、そういった能力が高いってわけじゃない気がするんですよ。
ただ、これもそうですけど、
割と何をやりたいのかよくわからない番組じゃないですか。
あれですね、この50分くらいになったら一旦やめて、
ゴミを捨ててきてから再開するっていう形を取るので、
どっかでギャップ入ると思うんですけれども、
それはちょっと事前に言っておきますが、
ちゃんとやらないですよね、私って。
それは最近はもうちゃんとやらないぞっていうある程度、
意識的にちゃんとやらないんですけれども、
もともとちゃんとできないんですよ。
だから続くんですよ、きっと。
人によって型にカチッとはめるから続くっていうタイプの人はいらっしゃるんですよ。
これも何か行動科学的ですけど、
私は型が曖昧だから続くっていう人間なんですよ。
これはやってて本人がすごくそういう自覚があって、
カチッとさせるならこことここは変えなきゃなって思うんですよ。
私もこの950回くらいやってきてる中で、ほぼ毎日そういうこと思ってるんですよ。
ここで取るのもダメだし、この時間帯も良くないし、
予約にするべきだし、ヘッドセットも変えるべきだし、
って思っていながら900回くらい変えずにくるんですよ。
それが自分なんですよね。
この方法論をね、これはグッドバイオス的だとも僕は思わない、
グッドバイオス的ですけどいささか、
タスクシュート的かっていうとややそうなんですけど、
カッチリ合ってるかっていうとそうでない部分もあるんですよ。
何かなあなあで続けてしまうという人間には推進力なのかな、
なんかそういうものがありまして、それで続けてるんですよ。
だからこれ習慣で言えばそうなんですけれども、
何かそのうち本にまとめてもいいなみたいな、
ハードル下げるって言うじゃないですか、
あれともまた少し違う気がするんですよね。
あえて言うならば、別にこれ予約にしてヘッドセット買い替えると
ハードル上がるかっていうとそういう話ではないんですよね。
だからそういうことではなく、僕が思うのはですね、
全体の構造はそうなっているだけの理由があるっていう、
言ってしまうとそういうことになるんですよね。
この中のどこかをいじってしまうと結構続けるのが難しくなる。
何でなのかは分からないけど難しくなるだろうなっていうのがありまして、
今日はこういうダラダラモードですね。
このダラダラモードもすっごい多いじゃないですか。
この番組の7割はダラダラモードが占めてる感じで、
これも多分嫌がる人すごい嫌がると思うんですよね。
私はこうじゃないと絶対僕のような人間が続けられるはずがないから、
これもね実は一時どこかでやめようと思って、
だからほらタイトル変えてみたり、
百チャレ編とか言ってみたりするんだけど、
いつしか消えましたよね。
だからああいうの僕無理なんですよね、継続していくの。
僕にできることはそういうことではないんですね。
自分を知るみたいな話になってしまうんですけどね。
人によってでも知るべき自分って違うじゃないですか。
私はこういう人間でこうはなりたくないなーって人は、
多分この番組聞かなくなるはずなんですよ。
そういうふうにこの番組は構造上できていると思いますね。
50分までと言いながら、
こうやって時間を費やしていくわけですけど、
今日はもう多分、
久しいプレミアルと話す話題だけは
満載に頭の中に多分あるんですよね。
意識できてないですけど。
その表面の一角が意識されてて、
全体像でかいなーって感じがするので、
今日は長くなると思うんですが、
まずはお知らせですね。
お知らせ。
3ヶ月チャレンジの第5期がいよいよ3ヶ月目に入っておりまして、
第6期の募集を始めます。
キンキン始めようと思っています。
今度からプレミアム編を、
このプレミアムと言っても別に、
何がどうプレミアムかというと、
単に私とセッションできる回数が
週に2回に増える方がいらっしゃいますという。
これが金額の上限に当然なりますね。
なぜかというと、
月最大ではもう10回か9回いくはずなんで、
8,3,24としても24回セッションになる。
もうここまで来るとなんかちょっとね、
カウンセリング化してくるんじゃないかという。
カウンセリングではないですけどね。
ここはもう譲りませんから。
これはカウンセリングではないよと。
受ける方がどう思われるかというのは別として、
カウンセリングではない。
このセッションの話を今日はちょっと入ってくると思うんですけど、
一体それは何の役に立つのかと。
3ヶ月経ってどうできるのかと。
これはね、体験された方に聞いていただくしかないような気もするんですけど、
僕が喋るのはあくまでも宣伝ですからね。
そう思って聞いてほしいんですけど、
しかも宣伝にしては地味な内容になるんですけど、
でもこれは僕はすごい地味に聞こえても、
なかなかなことだって思わなくもないというね、
その程度の自負はあるんだなと思ってほしいわけですが、
要は僕と12回なり24回なりセッションしていただく中で、
3ヶ月かけて何をしようとしているかというとですね、
自分のお悩みというのか、
まあお悩みでいいね、
とりあえず困り事、お悩み何でもいいんですけど、
ここをどうしたいっていうのが人に言えるようになる。
人に言えるようになるというのはハードルがあるという意味ではないです。
ハードルもあるんですが、
ハードルと同程度に大事なのはですね、
話をまとめて人に伝えると、
自分が伝えたいことが歪むんですよ。
3ヶ月チャレンジのお知らせ
これは確実に歪むんですよ。
これは僕の経験でもあるし、
3ヶ月チャレンジの方と話していても分かるんで、
そうじゃないんだっていう気持ちとともに、
自分の話が流れていくんですよ。
これが嫌なんですよ、人は。
だから、人に話せなくなってしまうんですね。
私も経験してみてようやく分かったんですけれども、
自分の相談をするときの最大のネックがある意味これで、
自分の中では分かってるんだけど、
転在してるんですね。
ものすごく幅広く転在してるんですよ。
カウンセラーに力量があれば1回で済むんじゃないの?
みたいに思う人も多いんですけど、
そうするためには1回で自分が言いたいことを
全部伝えきらなきゃならないんですよ。
それをそもそも50分のうちに、
10年ぐらいシコタンをため込んできた
自分の困りごとなりお悩みをですね、
50分のうちにまとめて人に話し、
しかもですね、その内容で自分として納得がいく、
しっくりくるっていう人はほぼいらっしゃらない。
いまして、そういう方は悩まないんですよ。
多分悩むっていう人はですね、
それはできないはずなんです。
一歩間違うと50分のうちで
いや、言いたいことほとんど言えなかったな。
で、例えばなんですが、
私の話でもいいですし、
他に精神分析家の話でもいいんですけど、
話を聞く余裕はないですよ。
それ話してたら、話して50分経って終わってしまう。
だから長いくかかる場合、
2時間とか3時間とかになってくるんだけど、
そうやってしまうと、今度は話聞くじゃないですか。
ああいう話されても、
そもそも自分が相談したかったことって、
あそこでしゃべったことじゃないしなってことが
絶対起きるんですよ。
やむを得ないんですね。
話というのは事実を歪めてる。
だからかかるんです、3ヶ月ぐらいは。
そして、でもですね、話してるうちにまとまってくるんですよ。
そもそもそれは自分の心を少し、
残念ながらね、
愛曲とは言わないまでも編集はしないわけにいかないんですよ。
だって例えばですね、
私がここでよくしゃべっている昔の悩み事、
彼女はできなくてって、こうまとめちゃう。
これがまとめなんですよ。
でもこれはまとめてるけど、
僕のこの一言にまとまっている中には、
少なくとも10年に及ぶ苦痛があったわけですよ。
10年間この問題で僕は格闘してきたんですよ。
ほとんど毎日がなマスターベーションしかしてない日とかもあったり、
あるいはこう、
彼女がクリスマスツリーの前で写真を撮ってる人を見て、
なんかもうはぁーっていう気持ちになったりとか、
全部彼女ができなくてっていう一言にまとまってるわけですよ。
で、これを人に伝えても僕の中で釈然としないわけですよ。
ましてそこで素晴らしいアドバイスをもらったとしてもですね、
いやそういうことじゃないんだよなと思っちゃうわけですよ。
いや人生もっと面白いことがたくさんあるよって、
その通りなんだけど、たぶんそう言われても、
まあそれには本当なんですよ。
たぶんそれ以上のアドバイスはないレベルなんですけど、
でもそれで納得できるかというとそういうことではないんですよ。
ってことが絶対起きるわけですね。
だからお悩み相談っていうのはですね、
まず人に自分の伝えたい、これで自分の心が納得がいくという内容の、
しかも人がそれを理解できるという内容を持っていくってことができるようにならないと、
なかなかうまく成立しない。
そこを、それができないんですよ。
僕もできないし、悩み相談をしている人にはできないわけですよ。
それをうまくさせるってことがまず力量のある良い点なんですよ。
カウンセラーと言ってもいいんでしょうし、新聞石家でもいいんですけど、
これを引き出せるんだったらもう話の7割ぐらいは済んだも同然、
そこまで言うと言い過ぎなんですけど、
でも最近見たこの話をこれからしようとも思ってるんですけどね、
ここ難しいんですよ。
とにかく人に話を聞いてもらって、
しかもそれが自分が言いたかったことであるということを、
状態を成立させるために、
僕が思うに3ヶ月ぐらいはかかりますね。
しかもこの間に、これをやるだけでもですね、最近思うんですよ。
相手が僕のように、別に正式の訓練を受けたり、
力量がそれほど大したことがなかったと仮にしても、
これをやるだけでですね、自分の心にとっての効果は抜群にある。
だから私はこのやり方に今沿っているんだなと。
こう言うと非常に誤解を招くんですが、
別にそれは精神分析でも、CBTでも、いわゆる認知行動療法でも、
ホストでも、何でもいいんですよ。
何でもよくはないんだけど、
使っている人がそのツールの功用なり、意味を理解していて、
しかもその人に一定の効く力があればですね、
何でもいいんですよ、これは。
多分その中で行われることは、
だんだんだんだん、本来全然違うものなんだけど、
類似していくんですよね。2回やっていくんですよ。
多分僕はこれを今、
これすでに戸畑海人さんの普通の相談の中で徹底的に議論した話でもあるんですが、
私は今これをだから、ある意味実践付けようとしているんだなと。
たてつけはですよ、あくまでもたてつけは、
私はタスクシュートの認定トレーナーみたいなものなんですよ、理事ですけど。
認定トレーナーじゃないですけどね。
要するにタスクシュートの人なんですよ。
という、一応建前でライフハックの、なんだっけ?
ブームの引きつけ役だっけ?
あれ誰かが書いてくれたのをそのまま、
僕は自分のプロフィールのような顔をして使っているわけですけど、
そういうものでもいいんですよ、別に。
ライフハック効く人みたいな。
これがですね、ある種の訓練とか知識とかがあるほうが絶対いいとは思います。
いいとは思うんですけど、
そこについているラベルは、
話したい人がそのラベルの人のところで話したいなと、
Good Vibesとは何なのか
あるいはそのテーマについて話したいなと思うのであれば、
多分何でもいいんですね。
そういう意味では僕はGood Vibesっていうのは非常にいいほうだと思うんですが、
結局これって、
自分がタスクシュートやってるとタスクシュートの人に聞きたくなるみたいな構造は、
避けがたいんですよね。
Good Vibesというものを知るところが結構ハードルがあるわけですね。
Good Vibesとは何なんだろうと。
これを説明する人は世の中に今のところクラスの系統さんただ一人という状況なんで、
多分そうなんですかね。
お前Good Vibesっていうのを一言でわかるように言ってって言われると、
結構僕なんかじゃなくてまだ困っちゃうんですよ。
これをやった人の中にはこれが語れる人はいるんですけど、間違いなくいるんですが、
なかなかやっぱりこれは難しいんです。
精神分析とかもう難しいんですよね。
そういう意味でわかってきたんですけど、
これが説明しやすいほうが流行るよねってのはありますね。
例えば認知行動療法これ説明しやすいんですよ。
だから流行るんですね。
だけどここで行われてることが認知行動療法…。
あ、失礼しました。
今しがたゴミを捨ててきたところです。
あのですね、何の話をしてたか完璧に忘れてしまったので、
3チャレの話をしていたと思いますので、3ヶ月チャレンジですね。
第6期です。
直前の数分前でも全部忘れているんですよ本当に。
ほとんど全部忘れてるんですよね。
こうやって今僕生きてるんですけど、
こうしてから全ての調子がいいんで、
自己愛と精神分析の知見
今ここだけじゃダメ、
あの話ちょっと違う話なのでやめておこうみたいな話もあるんだけど、
多分この今ここってのはほとんどの人は実践しないんだなっていうのを感じますね。
実践するというのはそんなに難しいことじゃないし、
今みたいに不便なことはあるんですけど、
例えばじゃあ今回旅行行ってきたっていうのはさっき言った気がしますが、
旅行先で今ここで生きててつい数分前のことも忘れるから道にめちゃくちゃ迷うかって別にそんなことはないんですよ。
もちろん僕はめちゃめちゃ道にもともと迷うタイプですけど、
昔みたいに記憶をフル活用しててもどうせ迷ってたんで。
あれは道を忘れるから、もちろん多少忘れるってあるんだけど迷うわけじゃないんですよ。
あれは方向性が狂ってるから迷う。
僕の場合はね、いわゆる方向音痴ってやつで、
方向の問題であって向いてる方向が最初からおかしいからだいたい逆向いてるんですよね。
間違い迷うのであって、別に道を覚えてるとか覚えてないからとかはあんま関係ないんですよ。
変な話なんですけどね。
だから数寸前のことも喋ってたことなんてどんどん忘れていきますが、
なかなかこれも信用されないんですけど、
昨日も手帳のセミナーをやってきたんですけど、
そこで喋るわけですが、
ある方にどうやって喋る内容を、
何て言うんですかね、よどみなくと。
僕、よどんでますけどね。
よどみなく喋れるのかって言われるんですが、
私は喋る内容について考えないほどいいと思うんですよ、絶対に。
だってこれ何度も言うんですけどね、
友達とか夫婦間でこれから喋ることについて段取り考えてる人なんて誰もいない。
今、世の中が広いし変わってる方もいらっしゃるから、
もしかして今日これから妻に1これこれ2これこれ3のAこれ4これみたいになってる人もいるかもしれないけど、
聞いてくんないと思うんですよね、そんなんじゃ。
で、そう喋ればいいはずなんですよ。
そう喋ればよどまないかって言うとそんなことはないと思うんですよ。
友達と喋っててもよどむことはありますからね。
ですが、私は少なくとも、
喋る内容を事前に考えておくほどよどまないとか、
そうしないと何言うんだか忘れるというか、
私は覚えてることは何もないから、
自動的に出てくるものに任せて喋っているんだけど、
これをやるのが難しいってことはありえないと自分は思いますね。
だからこれはつい我々はですね、
大事な回とかでは喋ることを決めておこうとかしてしまいがちなんですが、
私もしちゃう恐れを感じるんですよ、まだ。
例えば総理大臣の喋るとかないと思うんですけどね一生。
ないことを祈る。
でも、えっと、
総理大臣と喋るのであったとしてもアドリブの方がいいと思いますね、私は。
そういう時はマシテスの方がいいんじゃないかと思うんですよ。
多分機械を損失するとかっていうことを考えられるのかもしれないけど、
どんなことを喋れば機械を損失しないのかが事前に分かってるぐらいなら、
まあ僕だったら総理大臣とは喋りませんね。
事前に分かってるぐらいならね。
何が起きるか分からないっていうのがやっぱり、
これを多分多くの人は真剣に何が起きるか分からないとは考えてないんだろうなとは思いますね。
やっぱり我々は大抵の人はこれを聞いていらっしゃるほぼ全てとは言わないまでも、
多くの方は3.11なりを体験しているわけじゃないですか。
何が起きるか分かってないですね、私たちは。
極めて根本的な意味で分かってないと思うんですよ。
だからこれを分かろうとするという努力が、
まあこれももうその人その人の考え方ですけど、
私はもう完璧に諦めてますね。
何が次に起こるのかを分かろうとする。
それ考えれば考えるだけ恐怖で身がすくむだけのような気がするんですよ本当に。
だいたい人間の脳ってそうできちゃってるんで最初からバイアスがかかってる。
素晴らしいことが起きるリアリティが持ちにくいように構造上なってるんですよ。
でもそれだったら正しいっていうのは間違ってるじゃないですか。
ただひたすら生き延びるのには脳は役にかなり立つんだけど、
それはどんな生き方でも構わないから生き延びさえすればいいっていう場合にだけ役に立つのであって、
幸せに生きるとかに脳は根本的に多分何の興味も持ってないと僕は思うんですよ。
脳が望むことっていうのは人を生き延びさせることなんですよ。
しかもこの脳の大きなまた別の欠点はですね、
100万年前ぐらいの世界が想定されてるんですよ。
残念ながら100万年前はないかもしれないけど1万年ぐらい前なんですよ。
1万年前も100万年前もあんま変わんないと思うんですよね、世界の状態って。
だからヘビが怖いとかいうわけわかんないことになっちゃうわけですよ。
クモが怖いとかね。
しょうがないんですよそれは。
たかだか人類が世界を大幅に作り変えたのはここ100年ぐらい。
それも言い過ぎかもしれないけどここせいぜい1000年じゃないですか。
で、進化ってそういうスパンでは動かないんで、
我々の脳の見ている世界って間違いなく1万年前の世界なんですよ。
早く肉食わなきゃとかって思ってるわけですよ。
だから肉食べると幸せだってことになるんだけど、幸せと関係ないんですよそれは。
1万年前なら肉いっぱい食べといたほうが、
その時食べ損ねた人より生き延びやすいからそうなってるだけであって、
それはつまり感情がそう動くって話なんだけど、
これはもう本当にバイアスなんですよ。めちゃくちゃバイアスなんですよ。
今肉たらふく食べるとむしろ寿命縮まるじゃないですか。
ということは脳には想定できないわけですよね。
しょうがないんですよね、これはね。
はい、何の話をしていたのかわかんなくなってるんで、
3ヶ月チャレンジよろしくお願いしますということですね。
だんだん思い出してきたんだけど、
要するに3ヶ月かけるのはなぜかという話をしてたんですね。
なぜかというと、悩みを人に相談できるという状態をある意味作るため、
そしてそのこと自体が自分の心の健康にとっては大いに役に、
おそらく大いに役に立つから。
そしてその場合、だから私はせっせと精神分析の知見なりを手に入れようと頑張ってるんですけど、
その精神分析の知見というものがですね、
すごい手に取るようにわかるみたいにならないんですよ。
ならなくてもいいんですよ。
僕らは精神分析家じゃないし、なるわけじゃないし、
受けるということすらどうかわからないんで、
別にそれは手に取るようにわからなくても、
どうしてある種の、例えば自己愛、性自覚障害とかいうのかっていうだけでも違うんですよ。
あれ、名前だけ知ってるんじゃダメなんですよ。
ダメとは言わないけど、今名前だけ知ってる臨床家さんさえもいらっしゃるかもしれませんが、
どうしてその名前になってるのかというのを知らないと変じゃないですか。
やっぱりこの話はしてますよね、この番組で。
なぜボーダーラインというのかとか、なぜスキゾイドっていうのが分裂型なのか、
なぜ脅迫というのか。
すべて精神分析から来ている、かなりの部分ですよ。
かなりの部分が精神分析から来ている。
ナルシシズムという言葉がわからなくて、
自己愛がわかるはずがないんですよ、本当はね。
自己愛がこういう人ですっていうのは、
すごい詳しい人はいっぱいいらっしゃるわけです。
ネットでも今、いくらでも自己愛とかっていうの出てきます。
でもなぜ自己愛というのかっていうのは出てこないんですよ、ネットではほとんど。
よっぽど調べていかないと。
で、自己愛の元はナルシシズムなんだけど、
ナルシシズムに愛って言葉は入ってないんですって。
で、愛とあんまり関係ないんですよ、あれは。
他者との遭遇
自分大好きって話で言えば、ナルシスは別に全然言ってないんですよ、全然。
ナルシスはただ溺れて死んでしまうんですね。
事故の姿に溺れて死んでしまうんですよ。
それは外から見ると、自分大好きすぎるって思うかもしれないけど、
別に彼は自分が大好きだから死んじゃったわけではないわけですよね。
すごくこれは大事なポイントなんだけど、
全然、自己愛性人格障害っていう項目をただ見ただけでは、
こういう人は困るなぐらいにしか人は思わないわけですね。
それで果たして、それが一体どういう意味を持つのかという、
多分そこまで十分興味は持てないから、
チャレとかになかなかご参加いただけないかもしれませんけれども、
自己愛ってのは大事だってのがよくわかる。
僕らはすごく自己愛的になりやすい世界に今は生きておりますから、
そしてそのことで困ってるんだけど困ってるっていう自覚も、
なかなか持ちにくい世の中に生きておりますのでね。
他者と遭遇しにくい。
この場合、他者っていうのは単純に他人って意味じゃないです。
他人の中に自分しか見ないっていう人はいっぱいいらっしゃるので、
他人と遭遇できないんですよ。
僕らの世界は寒さとか暑さとか痛みとかも、
なるべく排除する方向に向かっていますよね。
特に痛みはそうです。
本当に痛い目にあいそうになったら麻酔かけてもらえる。
こういうふうにして自己愛構造が守られるように作ってるので、
他者と他者っていうのは痛み、つまり外部なんです。
私の想定の範囲を超えてしまう出来事と遭遇しにくくなって。
いいことなんですけど、いいことなんですよ。
すげえ上とか、ほんの100年以上前だったら普通にあったことが、
僕らほぼなくなってきてますよね。
すごい上とか、すごい寒さとか。
すごい暑さはかえってあるんですけどね。
でもクーラーとかで対応するじゃないですか。
自己愛が守られるように。
自己愛ってのは自分大好きってことではないんですよ。
自分大好きだからクーラーつけてるわけじゃないですよね。
自分が好きだからつけてるって部分はもちろんあるんだけど、
どんな人だってクーラー暖房は今つけるじゃないですか。
麻酔もしますよね。
自分を愛しているから麻酔してるんだって、
あんまり自分に興味ない人は麻酔しないってことはないじゃないですか。
自己愛ってのはそういうことではないんですよね。
他者と遭遇しないで済むっていう。
外部と遭遇しないで済むっていう。
だから結果としてなんですけど、
結果として自分の外に出られなくなってしまうと、
それで困ることは一件ないんだけれども、
そういう生き方をずっとしているというのはですね、
死んだように生きる、なりかねないっていうのは
自己愛とお金の関係
精神分析の考え方にかなり大事な部分にあるような気がするんです。
こういうものをダイレクトに取り扱ってくれるのは、
そうした方が精神分析的な何かじゃないとないんじゃないかなって思うんですよ。
だから自己愛っていうのの厄介さはですね、
その自己愛の考え方の中にやや極端な発想が万能感の考え方ですよね。
例えばお金は万能ですっていう考え方が自己愛とともに取り込まれている人は、
お金がなくなる恐怖とずっと戦わなければならなくなるわけですね。
お金って今のところベーシックインカムとかがないので、
どんなになくなっても自動的に供給されます。
いずれきっと僕はそうなると思うんですね。
なぜなら世の中は自己愛に向かっているんで今のところ。
そういうことなんですよ。
すっごい寒くなる前に温かくしてあげます。
すごい痛む前に麻酔かけて。
すっごいお金なくなる前にお金が供給されますってことをやっていくうちに、
これは全部必要でいいことなんですよ。
これを止めればいいとかいうよくわからないストレシズムに走っても無駄なんです、当然。
なんだけれども、これをずっとやっている僕らの世界は他者と遭遇しにくくなっていき、
この他者と遭遇しにくくなっていくために、
ある種の万能感が自分にとって非常にこう辛い目に合わせる、その人。
例えばお金は万能ですって考え方がこの自己愛の中に潜り込んでしまった人の場合、
この外に出られないためにお金は万能だから、
無くなったらつまり万能的なものの逆の地獄に落ちなきゃならないからっていう恐怖で一杯になるわけです。
それは実際にお金がなくなる、これが他者なんですけれども、
そういう体験をしてみると実はそんなに恐ろしいことは起きないじゃんってことはわかるんですけれども、
つまり外部との接触はそういうメリットは痛みは伴うけれども、
大丈夫なんだなっていうのがわかるんだけど、わかるようにならないわけですよ。
その前に例えばお金が政府によって供給されますってことになると、
お金がなくなるという経験をしたくなるわけです。
でも恐怖は残るわけです。この辺が人間の難しいところなんですよね。
供給されるんだから恐怖なくなればいいじゃんって人は思うと思うんですけど、
僕もそう思うんだけど、そうはならないんですよ我々は。変なもんでですね。
そういう話をするってことです。
するためには少なくともこれぐらいの知識っていうのかな、
用語集なりを理解している人がある程度はそこにいる必要があって、
自分がそっちに勤めてるってことでもあるし、
3カ月チャレンジではこういう話が普通にされるように構造上になっているので、
そういうコミュニティを作ってるということですね、私は。そんな感じです。
このラベルは3カ月チャレンジというラベルなんですよ。
言い淀むことの意味
これを3カ月でチャレンジするわけです。
チャレンジしなくてもできるようになるんですけどね。
3カ月ここでお話ししていれば多分。
僕にとってチャレンジかなっていうぐらいですね。
壮大に話をしてきたんですが、多分結構これで時間は経ってるんですが、
これからは本題ですからね。
先日言論の山崎孝明さんが6時間以上喋っていらっしゃった長い動画の、
実はあれ第2回で第1回がありまして、こっちも長いんですけども、
でもまあ第2回ほどではない。
僕はこれを両方見て、非常にこう全てがブラッシュアップされた、
それは僕の勝手な思い込みですけども、
全てがブラッシュアップされたという思い込みに今浸ってるわけですよ。
僕は順番が非常に良くて、第2回、第1回という順番で見たんですね。
これが僕は正しい見方だって今は思います。
偶然ですけどね。
第2回は山崎さんが精神分析について珍しくですね、非常にまとまった量の、
非常にこれ以上分かりやすい精神分析の話は多分聞けない。
しかも2000円で聞けるんで大おすすめなんですけど、
ただものすごい長いんで。
僕は倍速とかしないで絶対聞くんで、高速で全て聞きますけれども、
しかももう2週しましたけれども。
あれだと1.2倍ぐらいにはしたいかもしれないけど、
やっぱりそれは特にしてみると非常に言い淀まないように話す人っているじゃないですか。
英都とかがない人。
フィラーっていうのかな。
僕はあれダメなんですよね。
ダメだと思うんですよ。
英都がないとかって英都は大事なんですよ。
ここで淀んだ事実が大事なんですよ。
そういうものは全部大事だと私は思うので。
だから分からなくはないんですけどね。
あれだけ長くなってくると。
カットできないですよね。
どこの場所もカットできないなっていう風に本当に思いました。
フィラーが大事っていうのはもう一つ別の理由があって、
人の話を聞いている時に、
ここでこの人はなぜこれほど言い淀むんだっていうのはやっぱりあります。
なぜ言い淀むのかというと、
アンガーマネジメントのリスク
これはあくまでも当て推量みたいになっちゃうんですけど、
やっぱりその人の中で、
その人の言葉を修正しにかかっている存在があるんじゃないか。
これがさっきのナルシズムの話に絡んでくるんですけど。
なんでこう話がポンポンポンポン出てこないのか。
下手なこと言ってはいけないよっていう教えをね、
やっぱり叩き込まれた可能性があるわけですよ。
そういう人が、例えばですよ。
例えばですけれども何かの書類を記入するのに
人の2倍時間がかかりますってことは不思議じゃないですよね。
だって言葉を発するという段階ですでに、
うちなる指導者みたいな、これがクラズノさんの以前。
今、怖い自分っておっしゃってるかな。
うちなる指導者みたいなものがですね、
こう言うべきじゃない、それもダメだみたいなことを言ってるから、
これ無意識にやるんですよ、しかも。
だから、つまりですね、みたいになるわけじゃないですか。
で、こういうのが大事なんですよ。
これを聞いているうちに、
この人書類作成するの大変じゃないかなっていうのが浮かぶんですよ、自然とね。
浮かばなかったらダメな気がするんですよ、やっぱりある程度。
そうすると、例えばタスクシュートで見積もり時間の何たらって、
この方がおっしゃった場合、多分そうだろうなという感じを抱くんですね。
こういうのが僕は欠かせないと思うんですよ、この種の仕事には。
私はね、少なくとも私はそう思うっていう話ですけども。
だから、なぜ言い淀むのかというのを知るためにも、
どのくらい言い淀むのかというのを体感しないといけない。
で、言い淀まれているうちに少しイライラするかもしれないじゃないですか。
このイライラ非常に大事ですよね。
どの程度自分はイライラするのかというので測れますよね。
別に何回言い淀んだかとか、数える必要はないわけです。
それに数えるってダメなんですよ。
やっぱり大事なのは頻度と雰囲気なんで。
しかも、私がイライラする以上に他の人はイライラするかもしれない。
そして、この目の前の人はイライラさせちゃったと思って、
絶対人のイライラっていうのは見て伝わるものだから、
そのイライラさせてしまったというものを見て、
ますます言い淀むだろうなっていうものまで、
その言い淀みの中で測れるじゃないですか。
こういうのは本当に情報量満載だとある意味思うんですよね。
だから言い淀まない訓練とかはしないほうがいいと思うんですよ。
これは昨日出てきたんですよね。
その言論の中で出てきたんですけど、
アンガーマネジメントみたいなもののリスクなんですよ。
アンガーをマネジメントするということは、
人の前で怒れなくなるってことを意味するじゃないですか。
6秒間待つ能力というものをスキルとして身につけてしまったら、
クラソンの慶応さんがGood Vibesでもよくおっしゃってますよね。
怒りは隠蔽されるんですよ。隠されてしまう。
で、エフロイトの大事な指摘がありますね。
自分に隠すんですよ、人に隠したもの。
我々はそういう生き物なんで、
怒りを人に隠すだけで済ませようと思ってるのかもしれないけど、
怒りというのは良くないんだ。
だから人前で示しちゃダメなんだと思うと、
自分にも隠すんですよ。
私は怒ってないってことになってしまうんですね。
で、こうなると怒りはどっかに行ってしまう。
でも怒ってるから、本人は。
何とかしようとするわけですね、無意識の中では。
表現はできない。
だから相手に対しては怒れない。
自分が怒ってるということにも気づけない。
でも私は自分の行動を変えることによって、
この怒りを何とかしようと。
で、私なんかが体験した中でも、
とびきり悪いのも一つとして、
人魔神にしよう、みたいな怒りをね。
本当に溜まったもんじゃないですか。
怒るたびに体中からボンボンボンってものが出てきて、
しかも痒くて、
生活も仕事もあったもんじゃないっていう状態になっていく。
だって怒りなんていうのは、
ちっちゃなものまで入れるとですね、
本当にあらゆる機械を捉えて出てくるわけじゃないですか。
これが体中から出てきたんじゃ、
溜まったもんじゃないわけですよ。
でもこれは、
私が自分の怒りというものを無視しようとするから、
こういうことが起きるわけであって、
つまりアンガーをマネジメントするっていうのは、
6秒数えるぐらいでは済まされないという話ですね。
結局極まりないんですよ、そういうことをしていたんでは。
といった話が先日の言論でされていて、
シラスっていうので見てください。
90円ぐらいで買えるんじゃないかなと思う。
本編だけなら。
でも安いと思いますね。
その中で松本俊彦さんという、
これは有名な人なんですけれども、
薬物依存の割と大化の方ですね。
本たくさん書かれてますね。
薬物依存ですから、
お医者さんですし、
精神病理でもおそらく精神病理の方を扱っていて、
私がそのお話を聞かれているし、
すごい思ったのが、
松本さんがその山崎さんとの対談の中で、
CBTみたいなものがラベルなんだと。
ここまで言い切るっていうのはやっぱり、
ある意味すごいなと思うし、
認知行動量がラベルなんだっておっしゃるわけですよね。
ラベルってどういうことかというと、
このラベルがついた商品のところに来いって話なんですよ。
来ることによってそこから関係性が始まる。
始まってしまえば、
それは実際に行われるものがCBTかどうかなどというのは、
大した問題じゃないっていう話を多分されてたんだと思うんですね。
ここが一番この対談の中では響いたんですね。
響いたところはいっぱいあるんで、
ここが一番とか言いながら、
全然違うところを次が平気で一番って言いますが、
まず僕の中ではここが響いた。
極論ライフワークでもいいわけですよ、そのラベルはね。
関係性がそこに成立するというのが大事だっていうのは、
全くそうだろうなって感じがします。
特に薬物依存の人ともなってきますとね、
そういうことが言えるんじゃないかと思うわけです。
関係性を築くのがそもそも大変な苦労ですからね。
山崎さんが3桁にも行かないだろうと、
本格的に説人無色やってる人は。
だから我々はですね、
オプションがいっぱいあるようでそうではないわけです。
我々はユーザーですからね。
これ山崎さんがですね、
クライアントとか患者って言う代わりに、
ユーザーっていうのが今は正解なんじゃないかっておっしゃってて、
それは結構なるほどなと思ったんで、
極力そう言うように僕もしたいかなって思ったんですけど、
精神分析のユーザー。
つったって精神分析というオプションを選択する方法がないわけですよ。
日本で3桁にも行かないようなものを見つけ出すのは大変ですからね。
で、やっぱり思ったんですけれども、
ユーザーと言ってみたってユーズできないユーザーなんで、
我々はですね、一体どこに行ったらいいんだろうっていう問題は、
ずっと僕はあるような気がするんですね。
僕が言いたいのは要するに、
人は相談しなさすぎるっていう話ですよ。
他者と出会いにくい日本の社会
この番組でももう頻繁にやって言ってますね。
多分多くの方はピンとこられてないと思うんですよ。
でも僕は東京ライフ研究会からそうで、
タスクカフェだってそうで、
人はどこかに持ち込みたい何かをお持ちなんですよ。
僕はもうそれは新橋の飲み屋に行くってのも同じことだって、
最近はもうほぼ確信しているわけですね。
同じなんだと。
ただ理由がいるんですよ。
それが松本先生の言ったラベルなんですけど、
理由がいる。
CBT行きますみたいな、
私心の病考えてますから認知行動療法行きますって、
ならないじゃないですか。
なる人も結構今増えてきてるかもわかんないけど、
多分僕はなかなかならないと思うんですよね。
で、東京ライフ研究会に行きますっていう方が、
まだまだ選択しやすいわけです。
タスクカフェでもいいですけど。
昨日手帳の会やってもほんとそう思ったんですよね。
精神分析なーっていう。
別に精神分析に行った方がこの人いいなと思った人がいたってわけじゃないですよ。
ただやっぱ僕はとりあえず考えることにしているわけですよ。
ここにいらっしゃる方が精神分析を受ける可能性ってあるだろう。
で、まずサクッと考えてみるんですね。
もうないな、全然ないなと。
なんでないのかっていうのは、
でも私は適当な理由がないんですよ。
多くの日本人はそんなの当たり前だろうと思うかもしれませんけれども、
例えばドイツ人とかだったら受けに行ってるんですよ、今だって。
多分そんなに我々の状況と心理的に変わらない状況で、
例えば僕のジンマシンが出ましたら絶対行きますよ。
普通ですって今診断されましたっていう方いっぱいいらっしゃるんだけれども、
そのうちの7割ぐらいの人が、7割すぎかな。
でも半数ぐらいの人が普通に力動的なカウンセリング受けに行きますよ、行く国では。
日本では多分ゼロですよ、それ。
すっごくこれ極端なんですよ。
ゼロだというのがどれほど極端なことかというのは、もう僕らには分からない、多分。
それがゼロの国でずっと生きてるから。
でもこれは多分ですね、歯がものすごくひどく痛むんですって人が、
普通に会社に行ったことがない人ばっかりの国っていうぐらい独特なんですよ、ある意味では。
別にだから代わりに新橋に飲み屋がありますって言えばそういうことになるんですけど、
この辺から松本敏子さんのお話につながっていくんですけどね。
世界でも日本はとびきりアルコールに甘い国だ、これは昔から言われてることではありますけどね。
何をやってるかっていうと、つまり分析受けに行く代わりに酒飲んでるってことなんですよ、ある意味ではですよ。
非常にこれもおかえりを招くし、この番組でなかったらこの発言それ自体がダメかもしれませんけど、
まあでもこれは僕は不穏当な発言だとは思わないんですよね。
だってそうやってくる文化でやってるんだし、僕だってやってきたんだから。
僕なんか絶対に大学時代の、いわゆるさっきも言った彼女ができませんという一言でバッキングしてしまうこの言葉に
込められていた後ろ側にあった苦悩を思えば酒飲んでる場合じゃないんですよ。
ないんだけどそれしかなかったんでね。今だってそれしかないんでね。
だからそうするんですよ。ファンザ見ながら酒を飲む。でもそれじゃダメなんですよ。
なぜダメかというと健全じゃないからとかじゃないんですよ。
それでは事態を悪化させるからダメなんですね。
だけどもこういう知識すらなかったらどうしたらいいんだかわかんないじゃないですか。
タスクカフェに行きますって話が絶対解決する感じしないんですよ。
タスクカフェ男性ばっかりだとし、まあこれはたまたまなんですけどね。
タスクカフェに彼女作りに行っても無理なんですけれども話を持っていきようがないわけですよね。
持っていきようのない話をしかしどこかに持っていかなければならないわけですよ。
だから僕はサンチャレに来てくださいと言いたいわけですけれども話をまず持っていくというのは
どういうことなのかを身をもって知らなければダメだから。
ここで赤いな言葉が出てくるんですよ。自助ってやつです。
自分でなんとかしろ。自分でなんとかできないわけですよ。
僕が思うにこの自分でなんとかするって発想がナルシシズムのそれなんですよ。
ものすごく自分から外に一歩も出られない時に我々がやりがちな発想なんですね。
他者を当てにできなくなる。
というか他者がそもそも外部に存在していることがだんだん信じられなくなっていく。
というのがさっき途中でチラッとしたお話なわけです。
で、この早本さん先生もカナエ団だったんですけど井上雄貴さん。
名前が正確に読めないんですけれどもこの人の本絶対僕読もうと思ったんですけど。
これは認知行動療法の先生なんですけど非常に面白かったんですけどね。
と山崎孝明さんのカナエ団なんですが、この3人とも同じことをおっしゃったんですよ結局。
他者に出会えと言ってるわけですよ。3者ともですよ。全然違うんですよ。
1人は薬物依存のお医者さん。
もう1人はお子さん相手にする認知行動療法のスクールカウンセラーとか心理カウンセリングとかそういう方のたぶん第一人者みたいな。
精神分析的心理療法をやってる山崎さん。
全然やり方違うし見ている人も全然違うんですよ。
そういうカナエ団だから面白いし、面白いからそういうことを言論で組んだんでしょうけれどもね。
で、とにかくその3人がおっしゃってる話って要するにこれを雑に一つにまとめると、他者と出会えってことなんですよ。
他者と出会えないから、例えば薬物に依存するんだし、他者と出会えないから、
まあ、思春期の特有の僕もなったわけですけれどもね。
何かをしたってわけじゃないんだけど、ずぶずぶになっていく。
あるいは他者と出会えないからやっぱり心理療法が、多くの場合スキゾイドですかね。
今の時代で言うとね。
そういうふうになっていくのか。
いずれにしてもそういう話なんです。
適応と他者頼りの必要性
他者と出会えないのは、実は他者に向かって何をどう思っていったらいいかがわかんないから。
で、それがわかるようになりましょう。
3ヶ月間かけてねっていうお話を私は3ヶ月チャレンジでやってます。
こういうたてつけなんですね。
で、そのためにいろいろブラッシュアップをしようと頑張っているという話なんですけど、
で、山崎さんの言論で第2回で喋った話が精神分析の中身についてのがっつり。
あれ7時間でもですね、全体の3割ぐらいしか僕は話せない感じなので、
専門家がそうなんで、私じゃ無理なんですよ。
何時間かけても無理な気がするんですね。
精神分析ってことはどっから話せばいいんだかわかんないぐらい幅広いんですよね。
あらゆるところに広がってしまっていて。
すごい難しいなって思います。
どこから喋ればいいのか問題っていうのがある。
で、その井上さんって方は本書かれているんですけれども、
要するに他者に助けを求めろっていうひたすらそれを書いた本なんだっていうのが認知行動療法の先生です。
ちょっとでも事情を知ってる人には意外な感じがしますよね。
認知行動療法といえば事情感があるわけですよ。
これは誤解だって井上さんおっしゃってましたけれども、
誤解なのかもしれないけど、もうそういう感じがしちゃうん。
だってアンガーマネジメントの本売れたじゃないですか。
あの背景にあるのは認知行動療法であり、で、怒った時には6秒数えなさい。
完全に事情じゃないですか。
セルフヘルプそのものですよね。
セルフヘルプ日本では自己啓発と訳されていて、
自己啓発って意外と他者に頼りましょうってことが書いてあって、
非常にこの辺ややこしいと思うんですけど、
昔のちょっと前の首相の言う事情ですよ。
事情でいいならいいんですが、
私は別に事情がいけないと思うわけじゃないんですけど、
アンガーした時に自分にそのことを隠してしまうのは、
果たして事情になるかどうか。
ここは常々疑問です。
アンガーをマネジメントできるんだろうか、本当に自分だけで。
それは大体望ましいことなんだろうかと思うんですね。
レジリエンスって言葉も出てきました。
レジリエンスってのは、この辺で僕も非常に考えさせられはするんだけれども、
でもそう言われてもなって話も出てきたんですよね。
これは別に批判してるとか言うわけでは全然ないし、
だから見ていただくと一番手っ取り早いんですけど、
要するにブラック企業でマインドフルネスやっちゃダメでしょって話なわけですよ。
ほとんどこのままの話が出てきてました。
言いたいことはよくわかるわけですね。
つまりひどい目にすごい合ってるのに、
自分の打たれ強さというもの、心のしなやかさとかね、
強化してさあまた働きましょうねっていうのは、
企業にとって都合のいい人になるだけでしょうと。
で、この先なんですよ。
彼らが話してたわけだから。
そのお医者さんたちが話してたわけだから。
で、我々はそのお先傍活猶予ではいけないよねみたいな話だったんですよ。
僕これすっごいその種の話になってしまうと、
要するに社会的な話にするか個人的な話にとどめるかっていう件なんですけれども、
やっぱその金枝の中でも難しい話になってきたなっていう雰囲気がちょっとあったんですが、
ていうか、ライフワークなんて思いっきりそういうふうに言われるわけじゃないですか。
有意義によってはいくらでもそう言えますよね。
だけれども、そうは言ってもですね、
我々やっぱり適応しないわけにはいかない事業で生きてるし、
あらゆる企業がブラックなわけじゃないわけですよね。
こんなことはもちろん皆様、
従順ご承知の上でこういう戒めをされているって話だったから、
非常に偉いっていう話なんだけど、
でも偉くても立派でも、
僕らはやっぱりあそこの悩みに簡単にはまり込むわけにもいかないわけですよね。
だって給料をもらって生きていかなきゃならないわけですから、
さっき途中これもちらって言いましたけど、
ベーシックインカムがあるわけじゃないんで、
適応しないってわけにはいかないんですよ。
多くの場合は何らかの価値で適応はしないわけにはいかないし、
適応っていうのは井上さんという方がね、
言葉として嫌いだとおっしゃってたんですけど、
それはそうだろうなと僕も思います。
あんまり僕も好きな言葉じゃないです。
適応なんてね。
しないで済むならそれに越したことはないところって多々あるわけですよね。
私はすごくエリプス的な虚勢不安の強い人間ですし、
全然適応したいと思ってやることはできるぐらいだったら会社員になってますよね。
会社員になったことがない人間ですから、事実上、正社員は。
しかもまあ無理だなって自分は思ってたんで。
だから適応というのが僕は全然ダメですけれども、
でもやっぱり適応って何らかの形ではしないわけにはいかないんですよね。
大体他社に頼るっていうのはある意味適応ですし、
だから他社に頼れるようになろうということと、
適応を避けていけるぐらいな感じにするっていうのは両立しないと思うんですよ、結局は。
何らかの形で他社に頼る以上は適応しているわけですし、
適応しなきゃなんないから他社に頼るというのがやっぱり、
適応が難しい人にとっての一つの、一つのというかやむを得ずっていうのも変だし、
やっぱり必要な方法、方法というか方向ですよね。
ここにでもストイックなものをなるべく感じないでいきたいよねっていうのは当然あると思うんですよね。
適応というものがストイシズムになってしまったらダメだと思うんですよ。
昔のね、これまでも状況全然改善されてるとは絶対思います。
本当に改善されてるのかみたいな議論もその中でもあったんですけど、絶対改善されてると思いますね。
私少年野球にいたんですけどひどかったですよ。
なんかもう本当に多分監督は知りませんが、
全体的にああいうものは星ヒューマンの世界でやりたいわけですよ。
精神分析と認知行動療法
なんかもうあれですよね、空振りしたら市内が飛んでくるみたいな、
それが適応なわけで、適応するためにストイシズムになってしまうんですよ。
でも戦国時代に生きてるわけじゃないんだよ、我々は。
あれいらないんですよ、全然。
今はやっぱり昔に比べればあれいらないよねということでコンセンスが相当取れつつあるんで、
そっちの問題みたいなのがむしろ起きている感じはするんです。
さっきの言った、つまりナルシズムの問題ってそういう問題になるんですけれども、
でもやっぱりない方がいいですよ、絶対に。
適応するのにいちいち金属バットでケツ叩かれてたりすると止まんないんで、
そうじゃない方がいいとは思うわけですよね。
で、そうじゃない方が良くなっては来ていると思うんですよ。
だから多分適応というのは、もちろんブラック企業とマインドフルネスみたいな問題は起こるにせよですね。
だからレジリエンスとか簡単に言っちゃわない方がいいと思うんで、
だからますます僕が思うに精神分析みたいな知見ってあるといいなと思うんですよ。
そうするとレジリエンスというのはどこから来た言葉なのかというのが意識できるはずなので、
言葉だけパッと手に入れるっていうのがおかしいわけですよ。
この話って当然グッドバイブスみたいなところでも関係してくるんですけど、
私はクラウドのケイゾーさんがお話になってるグッドバイブスというのがですね、
パッとレジリエンスとかパッとアンカウントマネジメントみたいなのが良しとされていて、
グッドバイブスみたいなのが宗教じみてるよねみたいに言われるのって、
根本的に何かが逆転している気がします。
つまりブラック企業でマインドフルネスみたいな倒作めいたことが起こるというのはですね、
この種の常識感が私たちが何か手放しかけてきたせいで起きていると思うんですよ。
ちょっと話がややこしくなって、言い方がややこしくなって申し訳ないんですけど、
ごく簡単に言うと常識的にグッドバイブスの方が常識的だろうと、
書き上げ塾では絶対ダメな文章の書き方になっちゃいましたけれども、
常識的に愛とか言う方が常識的だと思うんですよね。
レジリエンスっていう方がとっつきやすくて、スピリチュアルじゃなくて良いよね、
愛ってちょっと気色悪いよねって思うとすると、
よっぽど僕らは何か逆転させてしまったと思うんですよ。
レジリエンスの方がよっぽど微妙なものを含んでいると思うんですよね、多分。
レジリエンスって言葉は意味がいきなりは分からないじゃないですか。
アンガーマネジメントでもいいけれども、意味がいきなりは分からないじゃないですか。
アンガーってマネジメントの対象じゃなかったじゃないですか。
こっちはスッキリして聞こえるけれども、愛とか言われると怪しい感じがするっていうのはですね、
僕らがやっぱり別の宗教にどっぷり浸ってるせいなんですよ。
ある種の宗教だと思うんですよね。
ライフパック的な雰囲気っていうのも同じですけどね。
この雰囲気ですよね、結局ね。
レジリエンスというなら受け入れられるという雰囲気。
これはおかしな動作だと思うんですよね。
だから、ブラック企業でマインドフルネスみたいな問題に、
僕はなってってしまうんじゃないかと思うわけです。
だってですね、大体他社と繋がるとか普通じゃないですか。
500年前からやってそうな、1000年前からやってそうじゃないですか。
愛に生きるとか全然普通じゃないですか。
キリスト教とか2000年くらい前じゃないですか。
レジリエンスとかってたぶんここ10年とかですよ。
最大限見積もっても20年です。21世紀からの産物ですよ。
で、こっちは常識的だっていうのって、
ハナハナ変だと思うんですよ。
こっちが新しいっていうのは本当だと思うんですけど、
新しいってことはですね、
要するに作り出されてきたっていう意味であって、
要するに新薬みたいなもんですよ。
つまり昔からの漢方は怪しいけれども、
新薬はすごく常識的だよねって言ってるのと、
何ら変わらない意味だと思うんですよね。
僕はそれは一種の倒作だろうという感じがする。
新薬に期待したいというのはわかりますけれども、
新薬の方が安全だっていうのは、
それはどう考えてもそうじゃないだろうって感じがするんですよね。
なんて言うんですかね。
最新式のAI搭載で運転しなくてもいい自動運転の車は安心だけれども、
昔ながらのセダンに乗ってるのは危険だっていうのは、
ある種の技術への信頼というか、ほぼ信仰みたいなものがないと。
でもそういう感じを僕ら抱かない。
本当はそうかもしれないですよ。
でもそうじゃない感じが普通するもんだと思うんですよ。
レリリヘンスって言葉はリスキーだなって感じが私はします。
ある意味そういう意味では、
グッドバイブスとかグラゾンさんがお話になってることっていうのは、
今だと自己啓発っぽく言えるかもしれないんですけども、
そしてすごくよく練られているんで、
単なる常識って言うんではおかしいんですけど、
でも非常に常識的な感じの方が強いと僕は思うんですよね。
仕事を本気でやるとか、
お客様におもてなしするとかですよね。
非常に普通じゃないですか。
こっちの方にそれ以上のものは欲しいという気持ちはわかります。
けれどもそっちは怪しげだから、
アンガーマネジメントのような、
常識的で安心感のある方に行こうっていうのは、
そんなはずはないって感じがするんですよね。
アンガーをマネジメントすることは、
実に恐ろしいことだと思うんですよ。
うまくいったとしても、
なかなかな事態な感じがするんですよね。
ましてうまくいかなかったらどうなるんだろうと、
やっぱり考えなきゃならない気がしますよね。
怒り、怒ってるわけですから。
それをマネジメントするわけですからね。
そういう風になってみると考えてくるのがですね、
要するにCBTとかでもいいんですけれども、
言葉じりからくる、
そういうパッケージ化されたスキルにしたものが、
心が落ち着くとか、
扱いやすそうな気がする。
というのはやっぱりこう、
穏やかに言って現代的。
だから私も絶対にそういう風に本書いてる時に、
そういう風に言われるし、
言われなくてもそう思われてるなって感じがします。
アンガーマネジメントって書いてねと言いたいんだと思うんですけれども、
やっぱりそれを書くということへの不安がですね、
ありますよね。
アンガーマネジメントとか、
アサーティブネスとか、
そういう風に、
新薬っぽく技法にしたものがどんどん飲んでいくっていう、
やってしまうことへのリスク。
そういう風に、
やってしまうことへのリスクというのは、
やっぱりあるわけだと思うんですよ。
だからこれは実はブラック企業のお先歩を担ぐとかじゃないと思うんですよね、
この話は。
精神分析の必要性
この話が、
独特の嫌な感じを与えてくるのは、
マインドフルネスみたいなものが、
技法だと思われているせいだと思うんです。
そして技法だとして考えるんだとすると、
すごくそれは新薬ですよね。
新しさがありすぎて、
人体実験になっちゃうじゃん、
そういうことですよね。
自分が怖くなってくるのは。
マインドフルネスというのは元々禅だから、
全く新薬らしさはないわけですよ。
でも禅の考え方を元に、
なんとか新しい薬を作って、
怖いじゃないですか。
でもやってることはそういう方向を向いてるってことです。
そうはならないと思いますけどね。
こうやってこの薬を飲んで悟れば、
企業でどれほど徹夜して働いてもね、
心を病むことなくなりますみたいな、
めちゃくちゃ怖い感じがするんだけど、
うちの方が安心感があるっていうぐらいには、
この方向性で我々は押されてきているわけですよ。
それが嫌だなって感じがするわけです。
この話はやっぱり押さ希望を担ぐ話じゃないんじゃないかな、
という感じがしましたね。
井上さんという方が、
CBT結局1回5分しかできないっていうか、
5分しか時間ないんですって方も、
本当に来るんだって話されてたんですよ。
僕はやっぱりそれなんだろうなって思うんですよね。
今自分が、
3ヶ月チャレンジみたいなのをやりたくなっているというか、
もうなんとなく一生やりそうな、
わかんないですけどね、
この番組自体がそうなんだよ。
変に長いですよね。
でも短すぎるんですよ。
1回5分でCBTっていうのは、
井上さんみたいな方ならできるのかもわかんないですけど、
僕はとても無理だったからね。
5分って、
それこそ3ヶ月チャレンジ今期からやりますみたいな、
そういうことをしゃべって5分なわけですよね。
異常な時間の惜しみ方というのと、
このバッキングという話と、
お医者さんが、
ドリフ診療なって言葉が出てきたんですけどね、
歯磨いてますか、ご飯食べれてますか、夜眠れてますか、
大丈夫ですねっていう風にして終わると。
短いわけですよ。
私たちはそれでは自分の話は絶対無理なんですよ。
たとえ純粋に体の病気だとしても、
もっと話したいことがあると思うんですよね。
ちょっと腰のあたりも痛んで、
なんかがんかなんかが心配なんですけど、
でも気のせいですよねみたいな、そういう無駄なことをしゃべりたい。
お医者さんはそんな話は聞きたくないでしょうけれども、
こういうことを話す相手がどこにもいなくなってくると、
僕はやっぱり精神分析みたいなものを必要とする人がむしろ増えるはずだって思うんですよね。
話を聞いてくれる人の減少
でも日本では3桁もいないとやってる人がね。
だからなんかが必要になってくるんですよ。
だからのの医者が流行るようになるんですけど、
そののの医者を正式な心理側からあれになるっていうのは、
僕は話が転倒してるなって同じような理由で思います。
話をできるような、なんていうんですかね、状態が。
だって一歩も違うと、最近腰があれでちょっと心配すぎだと思うんだけどねって奥さんに言ったとするじゃないですか。
病院行きなよっていうふうにサラッと言われる。
どこに行ってもこういうふうになんとなく圧縮されてるわけですよ。
話を持っていくところがない。
病院に行けば言ったで、夜眠れてますか歯磨いてますかってことで3分できれいに。
3分だって見てくんないところは見てくんないですからね。
それには理由があるんですけどもちろんね。
この話もされてました。
理由はあるんですよ、どこにも賢にもちゃんと。
だけれどもいっぱいちゃんとした理由があったために結局何が起こるかというと、
自分が言うべきことを、言うべきことかわかりませんが、
言いたいことを言ってそれを聞いてくれる人がいるところがなくて。
で、しょうがないから夜寝る前に発言こまちをずっと見ていて、
気がつくといっぱい時間が経っているってことが起きたりするんじゃないかなと思うわけですね。
で、このいっぱい時間ってのが夜寝る前だろうとどこかだろうと必ず取らなきゃいけない時間なはずなんですよね。
だからこそもともと精神分析は1日1回1時間毎日だったわけですよ。
これだけ聞けばいいだろうっていうぐらい聞いてくれる世界だったわけですね。
で、それがないんですよ、やっぱり。
精神分析じゃなきゃいけないとか、年値行動療法でもいいのかとか、
それ以外に極端なことを言うと喉医者でもいいのかっていう話よりも何よりもそれ以前に聞いてくれるかどうか。
そういう意味では推奨を前にしてあなたのこれから起きることを見てみましょうから始まって、
そこで5000円なり徴収して3、40分女の子がっていうのは既にダメなのかな。
でも私が見てる限り女性が多い、しかも若い人が多い。聞いてもらうというのは偶然なんじゃないかなって。
それはぼったくりですっていうのはもう今や通じないような日がむしろしますよね。
だってそういう話を聞いてくれる人がいなくなってるんですから。
だからスクールカウンセラーを心理師の方がやってるってこと。
結局これは子供が話を聞いてくれる人を求めてそこへ行くわけですよね。
でも私はですね、それでもなおこれを短くしたい。
時間の価値と自己愛
短くするべきだっていうのがあるんでしょうけど、やっぱりここはその問いそれ自体が問われてる場なんだと思うんですよね。
つまり時間を惜しんでどうするんだっていう話ですよね。
時間を惜しむことは正しいことだっていう時間に対する万能感が多分僕らの自己愛の中に潜んでる、潜み込んだんだろう。
そういうことなんだろうと思います。
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