セミナーのお知らせと倉園圭三さんのポッドキャスト休止
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
9月22日、金曜日、朝7時45分。すごい、昨日とほとんど変わらないですね。
優秀な感じがしてきました、自分が。
来週なんですよ。
昨日お話しするのと全く同じことを、来週の今日の16時半からセミナーをやります。
山崎孝明さんをお招きして。
北信也さんね、ベックさんね、今ミュウヘンとかに行っちゃってて、大丈夫なのかみたいなのがちょっとあるんだけど、
彼は本当にこの辺結構無茶をされる。僕の目から見ると無茶なんだけど、結構普通なんでしょうね、海外出張とかって。
僕海外出張って人生で一度も行ったことがないからわかんないですよね。海外出張の勘どころとか、配管的なものがわかんない。
ただ僕だったら、この時期ドイツにいたら、その次の週にセミナーできるのか、俺って感じはしますね。
アメリカもダメだ。時差ボケが結構僕はダメで、一週間ぐらいボケっぱなしみたいになっちゃうんですよ。
ツラとかあんまないんだけど、ボケてるんですよ、完全に。
白昼夢を見てるような感じで昼を過ごしてしまって、しかも僕は寝ることに大して苦労はないから、すごい実は精神的に健全なんだなって最近思うね。
とにかくあんま苦労なくて、夜はぐっすり寝て、かつ昼も白昼夢みたいになっちゃって、一日夢見てるみたいになってしまってね。
僕らの生活、人生って割と一日中夢見てるようなところはあるんですが、それとはちょっと違う意味でですね。
この時差ボケってのはすごい個人差がすごいんですよね、ほんと。
留学してて個人差大きいなって、僕よりひどい人もいますし、体調的に来る人もいるし、まるで来ないというとても不思議な人もいて、僕はまあ中間みたいな少しちょっと長引く傾向あるかなって感じですね。
昔、まだまだ日本とアメリカのメジャーリーグの力量の差があった頃、やっぱり初戦、二戦とかは明らかにメジャーリーグは動きおかしかったっていうことがあったんで、まあ真面目にやってないって面もあったかもしれないけど、
でもやっぱり第6戦、第7戦になるとえらい強くなってくるんですよね。時差ボケってあるよね、普通にと思うんですよ。
野球やってるぐらいだから、そんな白昼夢見てるみたいな感じじゃないと思うんですけど、何かが戻って来らないみたいなレベルになってくるとあるということなんだと思いますね。
意識してなくても。
ちょっとね、ベックさんのミュウヘン3つとかを見て、疲れないようにしてほしいなーみたいなのを意味もなく思ってるわけですけれども、
まあまあ、多分大丈夫でしょう。一週間ありますからね、まだね。いつ帰ってくるのかにもよると思うんですけどね。
心配してもしゃあないんで、やります。
この日エフタさんもいらっしゃってくれるということで、精神分析次なんで彼はきっとね。
岸田さんの話とかも昔、記憶にないんだけど書いてたかな、ノートかなんかに書いてたような気がしますんで、僕の記憶違いかもしれませんけどね。
岸田修さんね、彼も非常に独特の精神分析の人ですよね。精神分析って結構ね、誰の精神分析かで、
最近遠畑さんが面白いこと書かれていて、都市によってのカリスマが発生するんだみたいな、
大体精神分析は都市部でしか広がってない傾向があるし、なんとなくわかる気がするんですけど、
例えばウィンは言うまでもなくフロイトだけど、パリではラカン、ロンドンではメラニークライ、
ニューヨークかな、ニューヨークじゃないのかな、アンナフロイトとね。
都市部でね、そうすると東京は誰だよって感じがするんだけど、日本はまあ十分広がってない。
なんかこう日本は可愛い早岡みたいな感じもするんだけど、だからそういう意味ではスイスではユングみたいな、そういうノリなんですかね、これはね。
僕デタラメ喋ってますからね、あんまり間に受けないでください、この件については。
今真面目に考えずに喋りましたから。
きっとウエノスアイレスでビオンみたいなのがあるのかなって思わなくもないんですけど、まあまあそれは良しとしまして。
やります、やるからもう来てねと。
もう単純にそうですよ、来ていただくのがベストで、同じぐらいベストなのがオンラインで聞いていただくと。
人少ないと寂しいじゃないですか、山崎さんが。
私ももうこのぐらいいればいいだろうぐらいに思うんだけど、せっかく多分野からお呼びするんで、
まあそれなりにライフハックでも聞いてくれる人がいるんだって精神分析の人に思ってほしいじゃないですかって思うのは僕の勝手なんだけど、
僕はそういうことを思っているという面もありますね。
だから来るっていうのは本当にギリになっちゃうんだけど、まあギリでもいいじゃないですか。
そういう感じで今ちょっとそういうノリで喋っています。
あとですね、この番組にお知らせする話でもない上に、なんかちょっと変なんだけど、
倉園圭三さんがポッドキャストを一時休止されるというポッドキャストをね、ついさっき聞いて、えーあーと思ったんですよ。
心情や母親対象について
僕あのね、えっと今連載をほぼ確実に追ってるのっていうと、
倉園さんのポッドキャストと、あとグッドバイブスファクトリーというオンラインコミュニティで、
倉園さんが毎日今日のグッドバイブス文章、一定の分量と一定の質量を持ったものがあるんですけど、
それを読むという日課なんですよ。
プラス、えっと上がってればゾエさんのフリニシキャストしか追ってないんですよ。
あの本当に、ゾエさんのボイシーは聞いてるんですよ時々。
でこれはね、なんかね日課にしてるというよりは、あれを聞くとこうしなきゃいけないなーみたいになるわけですよ。
あのやっぱり同じようなこと喋ってるんだけど、こういう機材を使ってこう喋るべきなんだとかって思うわけですよ。
しかも10分から20分で切り上げて短くまとめなきゃダメだよねとかって、
いちいち決意を新たにして全部忘れて無視するというのが僕なんですね。
これもですね多分いろんな方に少なくとも直接話を聞けるような方に聞く限り、
9割5分以上はまんまにしてください、変えないでくださいっておっしゃるんで、
多分僕のファンの人は世の一般のいわゆるターゲット的な考え方とマッチ絶対しないんだろうなっていう風に
思うようになりました。Jに寄せないでくれっていう話に結局なると思うんだけど、
寄せたりとか思うわけじゃないですよ。ただ、何か正しい感じがするんですよね。
まぁあっちの方がリスナーも絶対多いしね。正しい感じがするんですよね。
正しさってやつですよね。正しさのイリュージョンっていうのは。
やっぱりこう強くインパクトがどこかに残る。
多分私の場合は非常に分かりやすいところで母親対象に宿ってるんだなぁこれって思うんですよね。
Jさん正しいよって言ってるのはうちの母なんですよ。うちの母って見栄っ張りなんで、
僕みたいな田舎からポッと出て上京したやつを結局有名私立中学とか、
自分でも大学名知ってるようなところに無理やりねじ込んでる。
自分はこういうこと言っちゃあれですけれども、
本当に昭和中期の地方都市の商業高校を出た田舎の4番目の兄弟の女の子なのに、
私のことはそうやってねじ込むわけですよ。
そしてそれを人に言いたいわけですよ。結局ね。
いや大したことないのよとかって言いたいわけですよ。
そういう人なんですよね。別に素朴なんですよ。
妹はちょっとね、僕はそれでよかったけど別に、妹はそれをちょっとネガティブに相当言ったんで、
こじれちゃったんですけどね。
あの辺も母娘の難しさもそこにはありますよね。
なんでそんなに私が付き合わさらなきゃならないんだみたいな。
それを言えばその通りだと思うんだけど、
親の身に付き合うのも子供の務めとまではとても言えませんが、
そういうことがあってもしょうがないんじゃないですかっていう感じはするんですよね。
でもそういう感じはしないと言われればその通りだと思いますし、
要するにJさんとかの方がみんなに人気者になっていて、話もよく伝わっていて、
ハキハキ喋ってて、あんたもあなりなさいみたいな感じで、
うちの母は言いそうだ、すごい言いそうだわ。今喋っててもそのまんま言いそうだ。
これが母親対象というやつなんで。今の母は言いませんから。
今の母は好きにすればいいんじゃないのみたいな。
しっかりこう全然人格変わっちゃいましたからね。
あれが素なんですよ。昔は無理してたってことなんですね。
だから母親対象はすごく超自我的であったと言っていいと思うんですよ。
僕のやっぱり超自我はですね、父親というよりは母親なんですよね。
非常に強く色濃く出ています。
だから私ね、リフスコンプレックスで先輩の指切りとかが怖いよとかね、
体育会系とかやってられないよって全部母親対象と深い兼ね合いがあるんですよね。
父親もありますよ、もちろんね。父親もあるんだけど、
母親対象っていうのが僕の中では良くも悪くもですね、
大筋悪いところが多かったけど、良くも悪くもすごく影響して。
今ではね、前も言ったかもしれませんけど、
四ツ矢を使って大手の始塾があるんですよ。
あれを三ツ矢って言いましたからね。
この人向いてないわ、こういう世界って思いましたね。
まあまあそういう向いてないことをやると結構子供が後々苦労すると。
だからやっぱりGood Vibesのプラゾンさん、こういうところ正しいんですよね。
正しさになっちゃうんですけど、素のままでいきましょうと。
素のままで僕が生きていて、素のままで母が生きていればですね、
もっと遥かに楽に幸せになれるんですよね、人っていうのはね。
っていう話を今日ちょっとこれからしようと思ってるんですけど、
J松崎さんの100日チャレンジのルール
100日チャレンジですね。
どこから話せばいいんですかね。
100日チャレンジのルールっていうのは基本的に全部J松崎さんが考案してくださったわけです。
この辺からやっぱり正しいわけですよね。
これはさっき言った私の母親対象が正しいって言ったんじゃないですよ。
もう少し真面目な意味で言ってます。
J松崎さんの100日チャレンジのルールっていうのは非常に単純でして、
今ここで喋れるほど単純でして、
要は今日やるんだって思ったことはまず3つにしときなさいと。
3つあげましょうみたいな言い方するんだけど、
はっきり言ってこれは3つにしときなさいなんですよ。
それぞれに1分でも手をつけられたら、
もうそれは先送りじゃないとしましょう。
これだけなんですよ。
ついでに言うとこれを100日間は続けてDiscordにできたよという投稿をしたり、
できなかったよという投稿、これを切らしてはいけません。
これだけなんです。
誰もがこれを聞くと、まず100チャレンジに参加するような方は、
皆さん誰にでもあるんですよ。
長寿画があるんだけど、長寿画の機能が、機能じゃないな。
長寿画の何て言うんですかね。
現実的に向かっている力がやや強めなんですね。
これ良いも悪いもないですね。
だから先送りなんかしてもいいじゃんっていう長寿画の人もいるわけですよ。
世の中には。
でも先送りはダメだって思ってる人が、
まあ大筋、多い、多くいらっしゃるはずなんですね。
そうすると、この話を聞いてまず第一に考えてしまうことはですね、
Jさん繰り返し強調されてますけど、
もう1時間かけて、あの例のハキハキした調子でね、
言ってますけども、
要は、これはハードルを下げるっていう風に捉えられてしまうんですね。
3つでいい、Jさんが言ってくれてるのは親心なんだな。
1分でいいって言ってるのは親心なんだなって思ってしまうんですよ。
これは、そんなことは誰でもできるっていう含みがここにあるんですね。
でも僕はそうは思わないんですよ。
そして多分Jもそうは思ってないんです。
これは、決して簡単にできることではないんだっていう、
含みというのかな。
その前提があって、
多分これはかなりの人にとって相当難しいだろうっていうところがあるわけですよ。
それはどういうことかというと、
現実に対応する生き方
人間に限らないんですけど動物は、
動物は特にそうなんですけど、
決めた通りには動けるようには作られてないと私は思うんですね。
Jさんどう思ってるかわかんないけど、
大胸前のタスクシュートジャーニーで喋ってるのを聞くと、
彼も間違いなくそう思ってるんです。
脳ってのは多分、
自分がやるぞって決めたことをやるようにはできてないんですよ。
これはとってもいいことなんですよ。
これをまず逆に考えてるのが私たちの時代の特徴なんですね。
決めた通りにできるんだと、
しかもそうした方がいいんだと考えてるんですよ。
そういう長寿が思ってるってことですね。
長寿があるいはそういうことを言いたがりだってことですよ。
昔からそうだったわけではないと私は思うし、
人間以外の生物はまずそうやったら生きていないんですよね。
これが僕は人間をひどく不幸にすることが多いし、
不幸にしないまでもこれができないということで重い悩み。
これができないことがいいことなんですけどね。
これができないことがいいことなのはすぐにわかると思うんですよ。
地震来たらどうするんですかって話なんですよ、これは。
当然決めた通りに動いたら死んじゃいますから、
決めた通りには動かない。
それは特殊な事情でしょうって言われるかもしれないんだけれども、
人類は長らくこの特殊な事情の方が
圧倒的に優勢な時代を生きてきたんですよ。
少なくとも3万年に近い時間。
そうやって生きてきたんですよ。
ここ最近の本当に短い間、
多分ここ100年ですらないと思うんですよね。
だっていまだに不意に非常に予想しがたいことってすぐ起きますよね。
これを半ば無視することができて初めて
今日やりたいと思ったことを今日やった方がいいって言える
環境が整ったって言えるんですよ。
この環境はまず原則大地震は来ない環境。
火事も起こらない環境。
昨日、たった昨日やってきたね、
ギリララインもどこからも来ない環境じゃないと
本当はこれ成り立たないはずなんですよ。
だってね、車は水に冠水する。
そこら中で起きてますけど冠水したら
今日決めた通りに動いてたら
すぐ大変なことになっちゃう。
まずその対策取らないと
車二度と使い物にならなくなりますからね。
絶対一日は車対策で潰れるに決まってますよね。
こういうことが起きてはならないんだって思ってるんですよ。
そういう余計なことさえ起きなければ
私のこの素晴らしい計画が実施行されて
私の人生どんどん良くなるのにって思うためには
相当の環境整備がすでに済んでいるっていう事態が
必要なんですよ。
でも多分そんな環境が整うまでには
まだあと50年以上はかかると思うんですよね。
そしてそれが良いことなのかどうなのかも
はっきりしない。
最近グラゾノさんも
ポッドキャストを休止するにあたって
その理由を述べてましたけど
なんか熱っぽいとかだるいとか
やっぱりですね、
37度の酷暑が1ヶ月も続いて上げて
6月になっても30度の日がひっきりなしに
やってくるっていう状態を
僕ら経験してないんですよ、誰も。
だからこの後どうなるかなんて
まだ誰も知らないんですね。
環境整備の必要性と困難さ
こういう風に私たちは常に
まず落ちたことに何とか対応するっていう
脳みそで生きてるんですよ。
全ての動物は多分そういう
身体状態になってると思うんですね。
だってほら大谷翔平さん
スーパーマンみたいな人だって
あれほどの無理をすればですね
普通の人はやんないんですから
ピッチャーやったらバッターやらない
バッターやったらピッチャーやらないんですよ。
両方やってると。
しかもピッチャーを選抜で投げて100球を投げた人は
1週間休むんですよ、普通の場合は。
彼は翌日薬やってるじゃないですか、普通に。
ああいうことをやっていれば
右脇腹とかが痛んだり
トミー・ジョンソンっていう肘の手術ですね
これを2度も受けなきゃなんなくなったり
するということです。
一旦そういう事態が発生すれば
彼もそうなったように
ホームラン40本持ってて
日本人が初のメジャーリーグホームランになれそうだ
という時でも休むんですよ。
つまり我々は現実に起きたことを受けて
行動をその後で決めるんですね。
先に決めるっていうのは
なんつうんですかね。
ある意味こう言ってあれですけれども
VRなお孫とかですね
先に決めた通りに動こうっていう発想は
こういう発想はおよそ生物的ではない
何か違う発想だと思うんですね。
ただ、現代は確かに
この物質文明ってやつで
環境が人工的に整備されて
かなりの部分
不良の事故って言うんだろうけど
保険屋みたいなね、保険屋さんみたいな
ものを排除して排除して排除して
必死になって排除して
ウイルスは来ないようにするとか
地震は予知するとか予知できてませんが
気候変動も可能な限り予知するとか
必死こいてやってきて
辛うじて何とか保ててるラインが
でもやっぱり戦争とか起きちゃうんですけどね
これがないっていう前提で
実は考えられてるんですね。
となってくると
1分着手できたらめっけ者なぐらいなんですよ。
本当は。
多分信じてはいただけないんだろうけども
3つのことに1分ずつ100日連続で
着手できるということを
僕は信じられないので
僕はあんまり
あの通りにはできないです。
できると思っている間は
やってみてほしいんです。
できるという環境にある人も
人によって環境というのは微妙に違うんで
結局車が貫水する環境もあれば
車は貫水しない環境もあります。
ギリララインは日本どこに住んでいても
この夏1回ぐらいは体験しちゃうと思うんですけど
この夏1回体験するってことは
でも100日に1回は絶対来るってことですから
100日連続でっていうのは
難しいはずなんですよ。実はね。
だから1分じゃ意味ないじゃんとかは
関係ないんですよ。
大事なのは
頭の中で
頭の中で何かをやって
やっちゃうんですよね。
頭の中で考えたことをやろうとしているんだから
頭の中でまずそれをやってますよね。
ここで終わりにしないということなんです。
1分着手というのは
即行動とタイムラグの重要性
現実に行動を起こすと。
私はこの番組では盛んに言ってますけど
頭の中でやればやるほど
その人は現実の行動をしなくなっていくだろうから
本当は
頭の中で考えたことは一瞬で済ませて
あとはもう1分だか3分だか知らないけど
すぐ現実の方に動くべきだと思うんですね。
本当はそういうことをしたいのであれば。
つまり猶予はないってことです。
何が起きるかは分からないんだから
考えたら即行動に出るべきなんですよ。
本来はね。
計画を立てているということは
そのスパンが長くなれば長くなるほど
その間に不良の事故がどこからもともなくやってくる確率が
どんどんどんどん高くしていくので
単に実用的な意味で言ってもですね
本当は考えてから行動までのスパンは
僕は1分以上空けるっていうのは
もう長いって思うんですよ。
日が長いというのではないんだけれども
何かがちょっと
タイムラグが大きすぎてるっていうのかな
そう言ったらいいのかな。
だから朝に立てた3つの計画を
本当に完遂したいというか
1分でも着手したいと思うなら
立てた瞬間にその3つを
実行に移すっていうのが僕はいいと思う。
現に僕は限りなくそうしているんですよ。
ここの間のタイムラグを取らない。
取れば雨が降り出すかもしれないし
地震が起きるかもしれないんですよ。
そういうふうにいつも思ってましょうね
って話ではないんだけど
そういう経験はいっぱいあると思うんですよね。
急にどこかが痛み出すとか
体の話ですね。
あるいは家族が何かを
言ってくるとか
頼んでくるとか
新しい仕事が入ってくるとか
いろんなことがいくらでも起こり得るんですよ。
起こらないはずがないじゃないですか。
どっちかっていうと。
起きますよね。
はっきり言って必ず。
熱出てくるかもしれませんから。
だからその前にやるんですよ。
はっきり言ってしまえば。
まあでも
そもそもその前にできるのかって話もあります。
会社に行かなきゃならないかもしれませんし
お子さんをどこかに送らなければいけないかもしれない。
つまり僕らは
タイムラグを作り出すというときには
いつも実は
今ここしかないんですよ。
ここをずっとやっているうちに
時間はどんどん
経過していくってことですね。
僕だから実はタスクシュート上にある
リストっていうのはどうせその日やることしか
載せてないんで
トイレ行くとかお風呂入るとかになってるんで
全部同時にやってるのと
同じだと思ってるんですよ。
それは同時にはできないから。
だってねお風呂に入りながら
トイレするってわけにはいかないじゃないですか。
だから同時にやるというものは
実は順を追ってやるしかないんですよ。
その順を追って
ずっとやっているうちに
夜になるんですよね。
これが僕の
今現在の毎日なわけです。
これしか
僕はないと思いますね。
夜になってからやるっていうのは
できるかもしれないけど
ゴブゴブになるでしょうね。
それをやれば。
だからできるかもしれない
っていう感じはしないんですよ。
今すぐやるから
これが妨げられたらもうどうしようもない
ぐらいな感じなんですよ。
とりあえず立て続けにどんどんどんどん
やってって
できたらいいけれども
これでできないんだったらもうどうしようもない。
大谷さんがそう思ってますよ。
それよりもね
あそこまでできないんだったらしょうがないじゃないですか。
でも僕らだって
実は同じなんですよ。
僕らはもっと余裕があるように思っているのは
大きな間違いで
実は私たちだってですね
いつどこからどんなことがやってくるかなんて
わからないんですよ。
昨日新潟県のお出会いの方では
真っ黒い竜巻が上がってましたけど
ああなってしまったら
これから読書を
1分とかやってられるかどうか
相当疑わしいですよ。
つまりその行為の難易度とか
そこに対する
気合とかやる気とかは一切関係ないんですよね。
事情が許すんだったら
できるでしょうけど
事情はそうそう許してはくれないんですよ。
っていうことです。
で、でですね。
こうやって喋ってるだけで24分経ってるじゃないですか。
私も今言わんとすることは
全部言おうと思ってるわけだから
それは同時に喋ってるもん。
当然なんですよ。
全部同時に喋るということは物理的に不可能だから
24分という時間をかけて喋るわけです。
この間だって
何にも起きてないからいいようなものの
先送りをやめたければ投影を止める
予備輪がなるかもしれないし
お隣さんから何かを言われるかもしれない。
それこそ
いきなり昨日
落雷がちょっと近くであって停電したんですけど
停電が起きるかもしれないわけですね。
何が起きるかだって
分からないじゃないですか。
だからやれる間にやるんですよね。
で、それは
いやそれは
しんどいんですっていうのであれば
僕は、僕ならですよ
やらないですね。
しんどいことをやってる場合じゃないと思うし
しんどい思いをしてまで
やるようなこと
この世の中には何もないんじゃないかな
って感じがするんですよね。
ここで
多分皆さんの脳内には
機械損失って言葉が出てくるんですよね。
あるいは
価値って言葉なのかな。
先日もJさんとタスクシュートジャーニーで
やってたときに
僕はそのことをお伝えしたくて
奥さんに頼まれていた
1年間ですね。
ずっと
ラウドワークスって言うんですかね。
現代の
IT袋張りって感じですね。
100個で1円とかそういうやつですよ。
ずっとやってたわけですね。
皆さん
そんなことはやれないって言うんだけど
これはですね
辛いから
辛いからやれないわけじゃまずないですよね。
辛くはないから。
しょうもない仕事だけど
やってることはクリックマウスで
カチカチしてるだけなんで
辛くはないですよ。
指がちょっと辛いか。でもまあ
辛いっていうのとは違うよね。
で
多分機械損失ってことなんだと思うんですよね。
私は。
つまり
私はですね、タスクに上下をつけない
というのはさっきの話からして
基本的にそうなると思う。
何しろ原則的には同時に全部やってる感じなので
それは結果として時間と順を追っていくけど
僕これ全部同時に
喋ってる感じを持ってますからね。
自分の中で。
喋りたいことを全部喋ろうと。
喋りきったら終わりだと。
この間に何分かかるかは私の知らない世界なんですよ。
だからさっき冒頭で言ったようにね
Jさんのようにやんなきゃって思うこともあっても
できるわけではないんですよ。
喋りたいことがあって
それを塊のように
ドンと出していくんだけど
ドンとは出ないから。
結局練りチューブみたいに少しずつ出していくしかないから
出していって
10分で収まるかどうかということを
問題に先にするわけにはいかないんですよね。
この塊が全部できるのに
何分かかるかは私には分かんないんですから
分かるようにしてみたところで
10分にはできないでしょう。
だからならないんですよ。
そういう風に。
そういう風にするのは僕はもうやめたわけですね。
長寿が的な母親対象が
そうした方がいいのよって言っても
その人いませんから。
残念ながらどこにも。
現実の母はもうそういう人じゃなくなって
まもなく80になろうとしていて
好きにすればいいんじゃない
としか言わない人になっちゃってますから
僕の中にいる
長寿が対象的な
母親対象が
言ってるだけで
実態のある人は
そこにはいないんですよね。
架空の人の話だって
100%この人架空だって分かってて
その人の言うこと聞かないですよ
人間は。
どっかでこの人がリアルだと
リアルな何かと結びついてると思うから
長寿がの言いなりになるってこと
人間にはできるけど
この完全に架空だなと思うようになっちゃったら
あの
松木先生の本に書いてある
通りの存在でしかないな
ということが分かっちゃったら
バカバカしくて聞いてられないですよ。
この通りにしてれば
人生よくなるって言う
その根拠どこにも求められませんから
その通りにして
人生うまくいかなくなってる人の例を
山ほど読んでるわけですから
セリフカンセリングってこういう風にも
使える気がちょっとするんですよね
で
えっと
こういう風に全部同時にやってるから
実はタスクは
いろいろ70とか50とかに分けてるけど
全部丸にかつくというのは
当然でこれ1個なんですよね
私にとっては
朝起きてから夜寝るまで
1個のタスクをやっていて
それにあえて
予列と順番とリストと
区別をつけるなら
部屋の
あるじゃないですか
部屋のこの辺の隅はテレビがあるコーナー
この辺にソファーがあって
この辺にダイニングテーブルがあるコーナー
ってあるけど
それ1つの部屋を
区分しているだけであって
1つの部屋でもあるじゃないですか
この感じは
この1つ間の方が今
タスク全体のイメージとしては
はるかに強いので
これに序列をつけるっていうのは
意味をなさないんですね
これはさっきの
私のこのポッドキャストが1つの
ポッドキャストであって
確かに
最初の方で
次回セミナーの
告知をした記憶があるし
Jさんの話も
ボイシーの話もしたながら
そういえばカラゾンさんのポッドキャストが
急使になる話もした
この辺は丸だがここは三角だ
みたいなことをやりたいと思わないんですよね
これは全部で1つなんで
どこかの方が優れていて
地下は劣っている
っていう
良い感覚がないんですよ
1個のリンゴを剥いて
この辺が劣っていて
言えなくはないのかもしれないけど
1個のリンゴは1個のリンゴですよね
それを評価するでしょ
評価するんだ
それが良いと思えば
その中身もどこも良いじゃないですか
だいたいね
一部すっごく腐ってる部分
そう思ったらやっぱり1個のリンゴが腐ってる感じが
しちゃうけどね私だったら
そこ切り取って食べたりはしますけどね
いずれにしても
私の中での行動の評価というのは
タスクの分割と効果
そういう風になっていて
ここだけ取り替えるっていうのは
ナンセンスな感じがするんです
やるとリンゴをね
4つに切って
ここは美味しい梨にした方が美味しいし
ここは桃にした方が美味しいから
梨とリンゴと桃を
キメラみたいに合体したやつの方が
良いよねっていう
そういう何かおかしさがあるんですよね
部分的に良くするっていう
発想の中には
だから僕は機械損失っていう
観点に
今は寄り添えなくなっていて
ここだけ取り替えられないだろう
って感じがやっぱりするんですよ
で
機械損失という
感情だと思うんだよね
感情だと思うんだけど
会いてきたら
別に私は
旦那さんでも
夫からのでも
やりたくもないことをやるんですか
みたいな話があるとするならば
それは別にやらなくてもいいと思うんですよね
全然
私がやったようにやる必要は
全くないと思うんですよ
そういう意味ではなくてですね
なんつうんですかね
もしその時間帯
っていうものに
機械損失って発想を
持つぐらいだったら
その時間
時間っていうより
その瞬間の行為なんですけど
つまり
今私がポッドキャストやってるみたいな
このポッドキャストを
一番面白いという状態に
持っていったほうが
持っていくほうが確実じゃないか
って思います
いやこれはしょうがない
これを先にやるんだけど
後で楽しい時間を持つために
ここはちょっと我慢しようよ
じゃなくて
それってなんつうん
二重に保証のないことをやる感じなんですよ
学生時代にやってたやり方なんですけど
今この時間は
犠牲にして
そういうことになっちゃうと思うんですよ
まず一つ目にこの犠牲必須かって問題が
生まれてくるんだけど
今この時間の面白さは
もっと面白くもできるかもしれないけど
もう私は無理だと思うんで
ここは一旦犠牲にしようと
戦場でやるやつですよね
ここはダメだ
捨てようみたいな
今ここはまず捨てちゃおうと
次にこれからやってくるであろう
デートの時間を最高のものにしようと
なんだけど
機械損失と評価
まずこれで今ここは犠牲になりましたよね
ここ確実に確定しちゃうじゃないですか
今この瞬間は
ダメなんだつまらないんだひどいんだ
ってことに確定してしまって
次のデートが良いものになるという
保証はまだ得られてないんですよ
その段階では
この二重に根拠のないことを
ずーっとやってきて
ミスり続けてきたんですよ
こればっかり僕やってて
子供の頃も
子供の頃って
中学受験ってまさにそういうことになってたんですよ
中学に
学校に入ったら素晴らしいんだから
今本当に
めっちゃきついけど
先生暴力的だったしね
塾の先生とか
間違ったら一発殴るみたいな
お前10問間違えたから10発原告するみたいな
めっちゃ気合い入れて殴るんですよ
友達とかは血とか流してたし
メガネとか落としてたし
とつかヨットなんとかみたいだったんですよね
具体的な名前出しては
ダメかもしれないですけどね
なんかのヨットスクール
みたいになってたわけですよ
あれはですね
その後
学校行ってすごく幸せになれたわけじゃない
みたいなことが起こった場合
二重に損をした感じが
するわけですよね
その時は犠牲になるわ
その後も良くなかったわ
になっちゃうんですよ
これを機械損失
機械損失って考えてる時は
必ずこれやるはずだと僕は思うんですよね
どこかで
ある時間はある時間より良い時間なんだ
っていう話をするということは
必ずどこかで
この現在を犠牲にして
後に良い時間がやってくる
って考えを取ってしまうと思うんですよ
僕はそれは
全部拒否したいわけです
そのような
二つしかそうすると
やり方ないと
今すぐ一番やりたいことをやる
これが怖いっていう方は
これじゃない方が
怖くないっていう話になるはずなんですよ
絶対に
今すぐ一番いいやつをやらないで
今はやりたくもないことをやる
っていうことをどこかで選択するわけじゃないですか
僕はだから
評価で○しかつかないというのと
事前に決めた通りに
やるようにはならない
事前に決めた順番とか
優先順位とかナンセンスだと思うんですよ
優先順位ってのは
一部にやりたいのはこれなんだけど
今はこれをやるよね
って話なんですよ
これは僕はもう
中学受験が大きかったんだよね
結局ね
でもあの後も全く学ばないで
同じことずっとやってましたけどね
この時間は犠牲にして
次の時間を良くしよう
良くならなかったらどうすんだよって感じなんですよ
良くならないことの方が
投影とゲーム
多かったんですよね僕の場合は
だから
この時間を犠牲にしない
基本的にはそこにかけてるわけですね
まずこの時間に
一番やりたいことをやるないしは
絶対にやらないことを
やっているんならば
それはもっと
最高の時間だという観点のもとでやる
でこれがさっきの
クラウドワークスに
かかってくるわけですよ
このクリックバンバンやってるのが
最高だということにするとなると
どういう風に考えればいいんだろう
ここで削除って話が出てくるんですよ
僕はこれを受け入れられないんです
ここを削除というとなると
もう
この時間を跳ねつけるしかないと思うんですよね
むしろ
やっていてしかも削除だと捉える
っていうことほど僕にとって
しょうがないと思うんですね
そう思うくらいだったら
削除であろうとなかろうと
完全にコミットしたと
むっかりマシだと思うんですよ
僕の主観にとって
これが削除であるがしかしやむを得ず
私はこれをやる
これほど嫌なことはないなと思うんです
50にもなって
僕が11だったら
お母さんが言ってるからしょうがないよね
って通るけど
50にもなって
通らないよね
通らないですね私からずれば
この辺くらどのさんの
幸せフェチみたいな話に
近づいてきてるんだけれども
まあまあそういうことですよ
今過ごしている時間は最高のものだと
見出すないしは
今一番やりたいことをやる
この2点に
徹さないと
後になってこれはより良い時間になるんだ
っていう
変な希望を見続けて
ずっと不本意だっていう
気持ちと一緒に過ごさなければならなく
なってしまうと思うんですよ
優先順位とかいう話をしていると
私は長時間の言うことは
言うのは勝手ですけど
長時間はねでも正直言って
本体ないですから根拠も
ないですからもはや
私ぐらいの年になってくると
昔は親だったのかもしれないけど今はもはや
親ですらないようななんだかよくわからない
幽霊みたいなやつなんですよ
これの言うことを聞いて
QOL良くなるとか
言うのはないなって感じが
しませんかね私はもう
全然ダメなんですよね
これ親に言うとおりに
社会的に受けがいいよ
とかは
30代の頃はもっともっと
真似受けてたんですけどね
Jさんって
若いのに
すごいなって思うときがあるんですよ
30代なのにもう
あれを受け付けられないという
ところにいる感じ
になったんだなみたいな
30代の頃はもっともっとあっさり
受け入れてましたからだから
クレームとかが怖かったわけですよ
社会が言ってきてるように思ってた
ということですねクレームという
ものに対して長時間を投影して
しまうんですね
しなければクレームというものはなくなるんですよ
クレームではなくて
何か非常に
気に食わないと思っている
何かを
おそらく誤解が入ってるんですよ
誤解である理由は
多くの場合
5人に1人ないし
90人に1人ぐらいしかこれを言わない
ということはその人の独自の解釈
っていうのがそこに入りますからね
僕らはね
いろんな意味で入りますから
どうしても同じものを
同じようには見えないのが人間ですから
だから
誤解があるわけですよね
誤解を解けばいいのであって
それが社会からの声だみたいに
思うっていうのは誤解が
やってきたときにこっちも誤解を
引き受けるようなものなので
やっぱりですね
長時間投影っていうのは
しないで済むならやめたほうがいい
しちゃったらもうしばらく
ブルブル震えてるしかないですけど
このブルブル震えてるのは僕じゃないですからね
4歳だった頃の私ですから
この自分を自分に投影してるだけなんで
しばらくはブルブル震えてれば
いいんですよ
お母さん怖いもんね
お父さんかもしれないけどね
そういうことなんですよ
ちょっと私が今脱線したんだけれども
優先順位にせよですね
機械損失にせよ
今やってることがベストだなって
思えないよっていう
ケースと
自分がやりたいことはなかなかやれないんだよ
っていうケースと
結局は両方
これは思いの問題なので
何を具体的にやるかっていう
問題では本当はないんですけれども
つまり何をやっていても
それがベストであるように
持っていくってことは可能ではないんですけれども
なんか
佐々木ならではだろうくらいに
倉園とか佐々木とか
普通の人間にしかできないみたいに
思われるでしょうから
もう一つ
申し添えておくとですね
やはり
一番やりたいことは
このね
この
この
この
パッケージの
この
この
この
この
この
ゲームと実人生のリンク
この
この
僕らは長時間に限らず投影しがちなんですね。
何でもいいからすぐ投影するっていう癖がありまして、
最近やってる私の脱線みたいな話をしないと伝わらないから脱線みたいな話しちゃうんですけど、
ピクミンってゲームがあるんですよ。
あれは言ってみれば体力ゲージを擬人化したんですね。
普通体力ゲージって100が100%だとすると99になっても気にしないでしょ。
でも100のピクミンを引っ張って引き連れているっていう風にこれを切り替えてみると、
1つのピクミンが死ぬと気になるんですよ。
後で回復できる、生き返らせることはできないんですよ概念的に。
でも回復できるからおんなじなんだけど、これが死んだって思うと、
ダメだ、100が99になってしまったから巻き戻そう。
これ投影ですよね完全に。
体力ゲージだった時にはなかった投影がピクミンというゲームで発生するようにしたんですよ。
これは任天堂の作曲なんですよ。
狙った通りの効果を上げられてるんですね。
間違いなくこれは意図されて作り出された投影なんですよ。
ゲームは投影ですけどね。
先日フリーニッチキャストでZoeさんがおっしゃってた通り、
ゲームってのは投影そのものなんですけど、投影なんですよ。
僕ら何でもすぐ投影するんですね。
ここにもちゃんと長寿が対象がいるんですよ。
かわいそうでしょ?っていう。
すごいと思いません?長寿が対象というもの。
死なさないのが正しいでしょ?っていうから、
やむを得ず時間を巻き戻すっていうのをゲーム上でやって、
リアルな時間を使うんですよ。
リアルとゲームはこういう風に一見したところ何かリンクしてるように見える部分があるんで、
私たちはですね、
投影を始めたらこう、
これ100日チャレンジで実はJさんもよく違う言い方だけどしてるんだけど、
ゲームだと思いましょう。
ゲームですからね。
投影ってゲームですから。
ゲームというのは投影の塊なんだけど、
現実に投影が始まったらその部分はもうゲームなんですよ。
だから、
それを現実だと思い込んだらいけないんですよ。
だってピクミン死んだって現実にはなんてことないじゃないですか。
体力ゲージ減っても現実的には体力減りはしないでしょう。
この感覚を、
私たちはやっぱりですね、
投影をする生き物なんだから、
覚えておかないといけないと思うんですよね。
昨日、
千葉ロッテは負けてですね、
優勝も逃した上に、
プレイオフ進出も間がなくなってきつつあるんですよ。
本当にこれでやけ酒飲む人いるんですよ。
こういうのやめましょうって話なんですよ。
あれはゲームだから。
私の大事なものをロッテという球団に託す投影というゲームをしてるんで、
負けようが勝とうが関係ないじゃないですか、私の人生に。
関係をつけてしまっては、
関係つけちゃうんだけど、
だからお酒飲みたくなったりもするけど、
ここでどの程度自分の実人生に、
こういう言い方はあえてしますけどね、
実人生に影響を及ぼさないようにするかが勝負どころなんですよ。
レイさんは100日チャレンジで、
100日チャレンジというゲームを作り出すことで、
先送りというものを実人生から切り離す方法を、
実はそこで提案してるんですよ。
プラソンさんもそういえばよく言うじゃないですか、
Good Vibesでね、
ゲーム感覚でやりましょうと。
そういうことなんですよ。
実人生に影響を及ぼす必要はないんですね。
クレームというものも来たら、
長時間はやってきたと思ったら、
もうゲームが始まってるんで、
ブルブル震えてていいんですよ。
それはゲームだから。
切り離すことができたら、
そのクレームの良い分に対処すればいいわけですよ。
非常に簡単な話なんですよ、これは。
実人生とゲームは別物じゃないですか。
いくらフォームランが変わるかって、
ものすごい重大なことで、
それによって収入も大幅に、
もしかしたら億単位で変わる人もいるけど、
でもやっぱりフォームランが変わるからゲームでしょ。
それは実人生ではないですよね。
あくまでも架空のストーリー。
僕らのここに面白いところがあるんですよ。
投影と実人生の切り離し
人間の生活というものは、
ゲームと実人生がリンクしているかのように見せかけることで、
必死にゲームをやるっていう楽しさを覚えたんですよ。
将棋指しとかやってることは全くそうじゃないですか。
別にお様死んだって、人は死んだりしないですよね。
でもあれで収入変わってくるから、
実人生に影響を及ぼしているように見えますよね。
でもあくまでも将棋は将棋ですよね。
だから私たちは先送りだってそうなんですよ。
あれを数を数え始めたら、
ルールができちゃったら、
それはゲームなんですよ。
いくらやってもいいんですよ。
でもやらないようにして、
実人生が良くなるように思い込んでおくと、
実人生を実際に改良、改善させていくような力が、
自分の心の中で復旧してくるっていう、
そういうのを狙ってるんですね。
将棋はゲームだし、野球はゲームです。
だけれどもそれに必死に取り組んでいるうちに、
何か肉体の何かが良くなったり、
その人の何かが良くなったりするじゃないですか。
お金って意味じゃないですよ。
こういうことを多分やるための一つの考案なんですね。
ないし提案なんですよ。
だから投影始めてたらそれはゲームなんで、
投影はするんですよ。
しないでは生きていけないわけですからね。
ただそれは投影に過ぎないんだと。
それがあんまり都合が悪いようになったら、
いつでも切り離せるようにしておきましょうと。
ピクミン死んじゃったと思ってうつ病になりそうになったら、
ちゃんと切り離せるようにしないと、
本当にゲームが実人生を覆ってきてしまうので、
こうならないようにするためにも、
投影と現実の分け方
いつも投影には気をつけてみましょうねということなんですね。
そうすると機械損失ってなくなります。
なぜなら機械損失は投影の産物ですか。
機械を損失しないので別に。
時間を失うってこともなくなる。
時間という概念がそもそも投影の産物なんで、
時間を失うなんてこともなくなるんですよ。
クラウドワークスをやっていようと、
ピクミンもやっていようと、
同じなんですよ。
手でカチカチやってるだけなんですよ、実際にはね。
ただこれだと面白くもなんともないので、
人間という生き物としては。
特に人間社会の中で生きていく上では、
そういう現実だけを見て生きていくっていう生き方は、
大変都合が悪いようになっているんで、
適宜投影は取り入れていけばいいんだけれども、
投影を現実だと思い込まないことは大事なんですよ。
そしてそれはできるはずなんですよね、我々には。
だってできるじゃないですか。
現にできてるじゃないですか。
映画の中でヒットラーがすっごいエバってて、
あんなにかわいそうな子どもたちが、
みんなこういうところに連れて行かれて、
本当ひどいわっていうのは、
でも映画なんでね。
実際にやっているのは、
忘れましたけど、
ブルーノワルターさんとか知らないですけど、
そういう人じゃないですか、
ヒットラーやってた人は。
ヒットラーじゃないじゃないですか。
でも僕らは、
あの映画をずっと見ていると、
この人ヒットラーだと本当に思い込むじゃないですか。
これが投影ですよ。
投影と現実、僕らは分けられますよね。
で、自分の人生の中には、
投影は山のように入ってきているけれども、
分けられるんですよ。
ちゃんと分けようという気さえ持っていれば。
だから分けておきましょうと。
いざという時に都合があんまり悪くなりそうだったら、
ヒットラーが悪者すぎて、
なんかもう食欲もなくなりましたって言ったら、
おかしいんでそれは。
それは映画ですから。
ちゃんとそれは映画なんだなっていう風にですね、
心の中で整理して、
食欲を取り戻すと。
要はそういうことをやろうとしているって話なんですよ。
機械損失も、
時間を失うことも、
アクションの優劣もですね、
それによって大きな損害をこむったとか、
施策取材とか、
全部起きてません。
映画の中でヒットラーが、
エバってたようなもんですから。
気になるんだったら、
クレームとかね、
対応すればいいんだけれども、
投影とは切り離して対応しましょうねと。
長寿が対象の美化された親の影響
その投影の中で一番、
おそらく皆さんが、
これを聞いている皆さんの中で一番、
良くない影響を及ぼしているのは、
長寿が対象という、
美化された親みたいなやつですから。
それは実体の親とは何の関係もなかったり、
今時、もしかすると親御さんは、
長寿が対象になっている親御さんは、
すでにいらっしゃらないかもしれませんから。
高梨涼子さんという漫画家がね、
私がこんなことをすると、
墓場から母がよみがえってきて、
私を叱りつけるんじゃないかという、
恐れがまだ抜けないっていう風に、
どこかで書いてましたけど、
そういうことですよ。
長寿が対象は心の中にいるから、
そういうことがあり得るような気がする。
実際には墓から出てきて、
娘叱りに墓から出ては来ないですよ。
ゾンビみたいには。
当然のことなんだけど、
そこを切り分けられるかどうかっていうのは、
つまり、
多分現実検討機能って言うんですよ。