グッドバイブスギレとは
おはようございます。グッドモーニング・ボイスです。
今日は4月の10日なのかな?月曜日であることは確実なんですけどね。
4月10日月曜日ですね。今、大体朝の8時過ぎだぐらい。
8時5分ですね。
あの、遂にですね。娘の学校が再開。
これ多分全国で多くの学校が今日から新年度スタートというところだと思いますので。
えっと、それと変わらないだけなんですけどね。
これが始まるとやっぱり眠いよね。この時間でももう既に眠いよなーって感じが特にこう久しぶりなんであります。
いい天気ですし、いい感じで朝なんで、まさにこの名前グッドモーニング・ボイスらしく収録できて、それはとてもいいんだけど。
そうなんだよな。この感じとこれはセットだなっていうのを思い出しますね。
はい。で、今日はその前に告知しておきますと、新年度始まったらちゃんとガッチリやろうと思っていることに、第2期の3ヶ月チャレンジと並行してですね。
もうこれはですね、ある意味クラゾノさんがワンオンワンセッションやってますけど、あれと同じで個別セッションのセットみたいなもんですよ。
3ヶ月セットみたいな感じでね。そういう裏メニュー的な意味としては、表にちゃんと書いてあるから裏メニューじゃないんだけど、裏の意味としてはそんな感じのところがあります。
で、それと並行してですね、これ1回きりっていうのも用意しておきますね。私はワンオンワンセッションの1回きり。
ただお値段高くさせてもらってて1万円で、ウッドバイブスファクトリー会員さんは限定のオフとかも用意してるんで、ちょっと用意しようとは思ってます。
例えばこの番組聴いている方とか向けにですね。ただこれ1回きりってのには、1回だけだからちょっと高くなってるってことの他に、1回でいいよねって方もいらっしゃると思うんですよ。私の話であれば。
それこそタスク管理でここら辺に書いてあったことがちょっと最近言ってることと矛盾してないとか、そういうのの確認をしたいとかであれば、何もそんな3ヶ月とかね、そういうふうにお話ししなくても、それはここですって言えばある意味済んじゃうじゃないですか。
だから手っ取り早く済ませたいとか、とりあえずちょっと私と喋ってみれば、これはこと足りるなっていう方向けのサービスもあるので、もちろんですね、緊急的にとにかく誰にでもいいから話し聞いてほしいし厳しい状態なんですみたいなのが、たまたま私の話を聞いてたとか本読んでくださってたという方向けのものではあるんで、
そんな感じの意味ありなんですね。で、それと別にですね、まだ用意できてないんですけど、1ヶ月だけコースみたいなのを用意しようと思ってます。これはだからつまり、1回が1万円なら、それを4回とか5回、週1回ですね、1ヶ月やると4、5万になっちゃうところを少し割引かせていただくという感じ、でも3ヶ月コースよりは高くなりますっていう1対1ですからね。
3ヶ月コースは1対1ではありませんから。1対1のコースも用意するんだけど、あれはコミュニティなので、1回あたりの値段が安くなっていると。一応そういう設定にしてあります。だから1ヶ月コースいるなと。これはですね、もう去年の段階で、数回のセットはないのかというお話を伺ってたんですよ、いただいてたんですよ。
でも私は、あれ数回とかだったら、1回を何回もにすればいいんじゃないかなと思ったんだけど、当然それは割高になる上に、なんかやっぱりそういうのはですね、申し込みにくいといった方もいらっしゃいまして、そうかそういうことってあるんだなぁと思ってですね、数回コースを、これは需要が未だにあるのかどうかわからないんですけどね、とりあえずご用意はしようと思っています。
なので、とりあえずそういうセッション系のものを早急に用意するというのが、この新年度スタートで私がとりあえず私のサービスとして考えているところですね、といった告知です。
それで、今日はグッドバイブス編なんですよ。モーニングボイスのグッドバイブス編ということでですね、グッドバイブスに私が取り組んでいる取り組みについて喋っていくという、週に1回の回にしたいと思っているんですけれども、
昨日、たまたまではない、まあでもたまたまですね、昨日クラゾノさんとかなり久しぶりにグッドバイブスファクトリーの方のですね、ご参加いただいているオンラインコミュニティ参加の方のためのテレビ、グッドバイブスTVというですね、コンテンツ収録のために東京に行ってきたんですね。
久しぶりにこの番組、僕が出るのは久しぶりでして、クラゾノさんとグッドバイブステーマで割とガッツリ話すと、その割にですね、短く1回あたりの収録時間は進むんですよね。
30分いかないぐらいなんですよ。これが面白いなと毎回思うんですよね。もっと長くなりそうなものなんだけど、そうはならないんですよね。
意外とあっさり終わるなって感じの印象を僕は持っています。あっさり終わるのにも一定の理由があると思うんだけど、いずれにしても、私がこれで喋ってるみたいにグダグダと40分過ぎるってことは起こらないんですよね。
起こさないように心がけてるせいはありますけどね。その中でいろいろと、私は久しぶりに面白いお話をいっぱい伺えて、大変有意義な1日というか半日だったわけなんですが、それを全部ここで喋りますってことではできませんから。
喋れないってこともあるし、ファクトリーのコンテンツだということもあるし、2人で喋るから出てくる話で、1人だけで喋ってると出てこないってこともあるんで、それを喋るっていうことはしないんですけどね。
そこでお話いただいたところから、私が昨日、なんていうのかな、なぜこういうことが起こるんだろうっていうのについて少し感じるところがあったので、今日はその話をしたいと思います。
こういうことっていうのはね、言葉がドアすりゃ、思い出した。グッドワイブスギレっていう、これは僕が作った言葉じゃないし、そんな言葉はこの世の中に一部界隈でしか通じないから単語じゃないんですけど、専門用語ですらないんですけど、
そういうグッドワイブスギレっていう言葉をグッドワイブスファクトリーの界隈の方だったと思うんだけど、誰かがおっしゃっていて、それはすごく正しい言葉とは言えないけど、すごく言えて妙だなと思ったんで、なんとなく覚えてるんですよ。
これがなぜ起こっちゃうのかということをお話したいと思います。グッドワイブスギレはなぜ起きるかという話なんですが、これはあれなんですよね、僕は定義からして、定義がないんだけどそんな言葉には、定義からしておかしいなと思うんですけど、
グッドワイブスの必要性
グッドワイブスファクトリーでもグループセッションとか、いろいろ直接お悩み相談させてもらえるサービスがあるわけですよ。本を読むとかでもいいのかもしれないんだけど、とにかくグッドワイブスについて一定頻度で供給を受けていないと、
グッドワイブスが切れてイライラが止まらなくなるとか、悩みが悩みの中にまた叩き込まれてしまうとか、要は元にグッドワイブスを知る以前の状態に引き戻されてしまうという現象、心理現象ですよね。
おとらえてグッドワイブス切れという、だいたいこういう意味だと思うんですけど、だいたいこういう意味というのは厳密な定義がないですからね、こういう言葉には。
そういうことはよくカウンセリングでも聞きまして、だからこそ非常に濃密な頻度、精神分析が最も顕著ですが、毎日、毎日ですよ、毎日ですからね。
変なことなんですよ、毎日っていうのは。普通に考えれば家族とだって毎日毎日そんなですね、自分の人生での特にやった嫌なこととかについて毎日毎日話さないでしょ。
毎日毎日っていうのは非常に特殊な意味があるんですけど、そこまでいかないにしても、毎週カウンセラーの人に会うといったことになってくると、これはもう非常に濃密だと思うんですよ。
だから、今、私はギジッカにちょくちょく戻っているって話してますけど、ギジッカの父は今ですね、デイケアさんが週3日来るんですよ。
これもカウンセリングでは全くないし、そういうことはしてくれないし、できないと思うんですけどね。
でも、ここには僕はすごい独特の良くも良いんですが、悪くもね。悪くもっていろんな含みがあるつもりですが、いろんな影響が出るよねって絶対思うんですよね。
週に3回も特定の人と一定時間過ごすということには大きな意味を持つんですよ、人の心理にとっては。
だから、まさにグッドバイブス、ギレっていうのは何かのサプリメントじゃないんで、そういう言い方をするのは不思議なものを感じるんだけど、
でもこういうことは、つまり、倉園さんとある程度の頻度で関わっていないと、その心理状態を維持するのは難しいんですっていうのはよくわかるなと。
昨日お話しして、つくづくそれを感じたんですね。これはやっぱり、倉園さんカウンセラーを名乗ってるわけでも、カウンセラーを本業としてるとかいうわけでもないんで、
カウンセラーという言い方をするのは語弊があるんですが、でもやっぱり適量のあるカウンセラーと同じような効果を彼と喋ると持つんですよね、多分。
だからそれが大きな影響を及ぼすというのか、その種の影響力を持った場合に、しかもグッドバイブスで話されていることもある意味カウンセリング的な内容なので、
もうちょっと広いと思うんですけど、どちらかというともう少し上手い言葉がないんですよね。
これは倉園さんがそういう定義を持たないようにしているというのではないんだけど、話の内容からしても、いろんないきさつからしても、
そういうものとして定義しにくいところはあるので、この言い方は伝わりにくいですね。
でも簡単に言うと宗教というようなものではないものでもあるし、スピリチュアルというのとも違うし、
ただそういうどこかのカテゴリーに入れるとすると、既成のカテゴリーにはそういうものがあったし、そういうものでは全くないですというわけでもないんで、
だから今みたいな言い方になるんですけどね。
グッドバイブス定義について
ただ私の中ではそれなりにこの件ははっきりしているんですよ。
今の段階ではこれは宗教ではないし、いわゆるスピリチュアルでもないし、本人がそう言ってないからカウンセリングでもないんだけど、
ある種の自己啓発としての機能を必ず果たすものになる。
人間社会ではそういう位置づけにせざるを得ないというふうに思ってはいるんですけどね。
何にせよグッドワイブすぎれというような言葉は生まれたわけですね。
その下地消えるかもしれませんけどね。
これはどうして起こるのかと言いますと、いろいろ説明の仕方がそれこそ精神分析的な説明の仕方をしても、
いいんですが、要はですね、忘れるんですよ。
何を忘れるのかというと、
クラドノさんが順を追って説明してくれて、
私たちが持っている、多くの人が持っている共有地みたいなものですよね。
これはクラドノさんがよくお話になる、ビッグバンというのは共有地じゃないですか。
太古の昔からそんな知識を人類が持っていたわけではないので、
これは改めて登場した知識と言えるんですよね、ある意味では。
僕らは別にビッグバンについて、詳しい人はいるかもしれないけど、
詳しいとは言うわけじゃないし、もちろんそれを見たことがあるなという人はいないわけだから、
共有地というのはそういうものなんですよね。
我々多くの人間が必ずしもそれに詳しくない上に、
誰もがそれを本当の意味で知っているとは言い切れないものに、
私がよく思うんですけど、万有引力の法則ってあるじゃないですか。
これはもう絶対みんなにとって共有地に限りなく近いと思うんだけど、
これについて我々はちゃんと知っているかというと多分結構大いに疑わしいと思うんですよ。
万有引力ですか。万有引力って僕も引力を持っているという意味ですからね。
地球だけが引力を持って引っ張っているわけじゃない。
結局誤差の範囲なんで、僕が地球を引っ張っているという事実はあるんだけど、
ここをみんな意識していないで喋っていると思うんですけどね。
意識する価値がないからね。価値がないというのはおかしいな。
意識する規模になってないですから、でも引っ張り合っているわけですよ。
だからこの引っ張り合っているから万有なんだけど、
そういう意識はなくて喋っているじゃないですか。
そしてこの共有地ってニュートンが発見したわけだけれども、
それ以前からみんな知ってましたよね。
まさかですね、それこそネアンデルタル人たち知ってたと思うんですよ。
つまり物を上に投げると下に落ちるということは知ってたと思うんですよね。
そういう意味で知っていることを我々はほぼ意識せずに済むじゃないですか。
知っているし無意識じゃないですよね。
知ってはいるが意識しないこと
物を上に投げれば下に落ちるというのを知っているというのは明らかに無意識ではないですよね。
意識的に知っていることなんだけど、使わないんですよね。
これをわざわざ使わない。
ビッグバンに至ってはですね、
僕らは全然それを共有地であろうとなかろうとですね、
意識しないで生きていると思うんですよ、多くの場合には。
特にどんな時に意識しないかっていうのが、
私はグッドバイブすぎれと関係があると思うんですけど、
特にどんな時に意識しないかというと、
例えば上司にパワハラを受けましたみたいな時に、
ビッグバンのことは全く意識しなくなると思うんですね。
こういうことなんですよね。
私がグッドバイブスで忘れるとか思い出すという話に直結するなと思うのは、
どうしてそこでビッグバンが出てくるのっていう話なんですよ。
でも、ほら禅とかでも言うじゃないですか。
父母が生まれる前からいた本当のあなたっていうのを思い出しなさいっていう言葉があるんですよね。
もっと漢文調で言いますけれども、要するにそういう意味なんですよ。
父母が生まれる前から自分が生まれるわけないじゃないですか。
皆さんのお父さんお母さんを想像してもらえればすぐ、
お父さんやお母さんが生まれる前からあなたがいましたっていうのはおかしいですよね。
でもビッグバンって話ってそういう話になっていくじゃないですか。
もともとすべてはそこにありましたっていう話をしているわけだから、
これは虚実を本当の意味で明らかにせよって言われると困るんだけど、
私たちが生まれる前から私たちはそこにいましたって話をしてますよね、あれ。
ビッグバンって話は結局。
宇宙は時空を含めて、時間もですからね、含めて、
時間をそれ以前にあったって話してませんから。
あれすごい大事なポイントなんですけどね。
ホーキング博士もそういうことを書いてましたよね。
時間はその前にはなかったんですよ。
こういう時間がずっと流れていて、
ビッグバンが突然ある時間の線の上に現れたんではないんですよ。
ビッグバンの後に時間が生まれてるんですよね。
だから空間が生まれる以前には時間もないっていう発想なんで、
それはすごい相対論と相対性理論、アインシュタインのやつと似てると思うんだけど。
禅寺での悩み
いずれにしてもそういう話をしてるわけだから、
あの外には何もないわけですよ。本当に無なわけですね。
だから何かがあるんだとすると、全部あの中にあったってことになるわけですよ。
ということは、もちろんビッグバンが起きたのは、
私たちのあらゆる良心の生まれるはるか以前ですから、
私たちの父母が生まれる前から私たちはそこにあったってことになるわけです。
で、こういう話をいくらやってもですね、非常に関連的に聞こえて、
非常に遠い昔の話で、遠すぎて何が何だかやっぱりわからないというか、
何の関係が自分にあるのかってことになるんですよね。
あの漱石が門で書いてましたよね、そういうことを。
夏目漱石がですね、作家のね、門という小説の中で悩むんですよ、主人公は。
夏目漱石の主人公はぐじぐじ悩んでばっかりですが、
とにかくぐじぐじ悩んでいて、悩みに悩んで、グッドバイブスもないしね、
禅寺に行くわけで、禅寺の門を叩くから門なわけですね。
そうすると、禅の坊さんはだいたい訳のわからんことを言うので、
訳のわからんことを言うわけですよ、アドバイスとして。
お父さんお母さんが生まれる前の本当のあなたというものを思い出しなさいって言われて、
訳わかんないわけですよ。
まあ、三素朗とそれからと思うんですよね、三部作ってやつ。
前期だったか後期だったかちょっと、
私日本文学とか文学史とかすげえ適当だったんで、
今もよくわからなくなってるんですけど、
どっちか三部作の一つなんですが、
不倫して、ある罪悪感に悩んでるわけですよね。
だから不倫して、まずいことやっちゃったんで、
このまま人生幸せになることができないっていう、
ものすごいざっくり言うとそういう話になるんだけど、
その時に、悩みに悩んで禅寺に行くわけですよ、
禅寺に行くわけですよ、
そういう話になるんだけど、
禅寺に行くとお父さんお母さんが生まれる前の、
本当のあなたという物を思い出しなさいと言われて、
主人公はそれと今の私と何の関係があるんだと、
まあ、そう思うわけですね、ごく普通に。
それについて考えると言われれば考えてもいいけれど、それについて考えるというのはなんだっけな、とにかく今こうお腹が痛くて困ってるのに、そこに高校の数学の問題を出されてこれを解けって言われてるようなもんだと、そういう感じがするっていう感想があって、
結局それでは解決にならないよなと思いつつも、なんとなく完全にそこから離れることもできなくて、総席の主人公らしいんだけど、つまり禅寺の門の入り口のところで立ち止まってしまうっていうような意味なんですよね。
っていう感じがするじゃないですか、ビッグバンの話って。だから僕はグッドバイブス切れというものを起こすんだろうなって思うんですよ。話を聞いたときはなんかすごくなるほどなぁと思ってすっきりする。
今まで自分の悩みと思っていたものは悩むことはなかったんだなと思って、悩みから解放されるんだけど、蔵園さんから離れてしばらく時間が経つとね、全く同じことで悩んでる自分を再発見するわけですよ。
そういうようなことが起こる。そういうようなことが起きたときにグッドバイブス切れという話になってくる。だからこれは禅寺切れでも別におんなじなわけですよね。そういうことっていうのはあるということです。
忘れることの重要性
要するに順を追って考えていけば、ある種の事柄、それもすごく自分よりもはるかに規模が大きくて、自分と一見縁がなさそうなほど古い話、遠い昔の話が実は自分と関係があるっていうことを思い出すと、ある種の悩みはそれだけで解消してしまうことがあるんだけれども、
そういうこととは普段全く意識せずに普通に日常生活を送っていくことができますので、新車のプリウスを買い替えようかなとか思っているうちにですね、ビッグマンのことは忘れるわけですよね。そうするとグッドバイブスのことも忘れるわけですよ。
そうすると以前悩んだのと全く同じようなシチュエーションが、人生同じように日常生活を送っていると同じようなことで我々は悩むようにできているので、反復するようにできていますから、同じような問題に突き当たったときに忘れているわけですね。
私も忘れるんですよ、それを。そういうことばっかり考えているようでいて、そういうことをいざって時に忘れるんですね。このいざって時には忘れるというのが大切なんですよ。大切というか重要なポイントなんですね。
この番組でもよくお伝えしていて、これはグッドバイブス系の文脈じゃないし、用語も違うんだけど、妄想分裂ポジションという言葉を何度も出していますね。
妄想分裂ポジションと抑鬱ポジションというのは、今ではセットとして語られて、もともとそうじゃなかったんだけど、セットとして語られるようになって、この話は規模が小さくなっているけど、それだけに思い出しやすさがある一方で規模が小さくなっちゃうというトレードオフなんですが、結局同じことを言っているんですよ。
妄想分裂ポジションというのは忘れるということなんです。僕らは憶殺語を持っているわけですよね。例えば自分の奥さんと自分がすごく大喧嘩して、すごく嫌な気分になったから、もうこれは別れるか、張ったおすしかなくて、あるいはもう裁判にしようみたいになった時に、そもそもどうしてそんなに大喧嘩するその奥さんと一緒になったんですかというのが憶殺ですよね。
その話をうんと規模を大きくしているわけですね。そもそも上司とすごく嫌なというか、毎日毎日顔を合わせなきゃいけない上司とはどうして毎日顔を合わせるようになったでしょうかというような話をしているわけですね。
で、その話の大きな大きな前提として、この上司とあなたはあなたのお父さんお母さんが生まれる前から一緒だったんですって話を、実はビッグバンの話ではしているわけです。
で、そんなことを長く朝から働いているのに、さらに残業を追加された瞬間に思い出せないわけですよ。ビッグバンのことも忘れているか、もしかするとこの世に宇宙があることもすっかり忘れているわけですよ。
でもとても嫌な気持ちにだけなっている。とてもとても嫌な気持ちにだけなっているので、いきさつというものが頭から消し飛んでいくわけですよね。消えてしまう。
で、いきさつがなくなるということはですね、私たちは時の流れというか、世の中変化する世界の中で生きているからいきさつが全くない世界で生きていくとですね、つまり瞬間瞬間の目に見える光景と耳から入ってくる音声の雑多な集まりみたいになっていくわけですよ。
そこまでいかないですけどなかなか。でもそういうことも起こり得るわけですよね。とにかくうるさくて、とにかく雑然として、とにかく混沌とした刺激の塊に投げ込まれているような感じになるわけですよ。
そこで僕ら勝手な空想を始めるわけですね。それが妄想分裂ポジションですよね。だからこそ妄想なわけですよ。
こんなわけのわかんない混沌として騒々しくて神経にお魚出するような刺激、例えば上司の声だったり、会社のオフィスの匂いだったり、帰っていく満員電車の中だったり、そこでなんか感じの悪い異性の年配の人だったりがエバっていたり。
とにかく適当に考えてください。嫌悪感を催すような刺激の集合体というか、無秩序にそういうものが降り注いでくるだけの現実に、もう痛いと思わないじゃないですか。
だからそして僕らは幸い空想ということができますので、だから空想というのはもうこれが人間のすごいところなんですけど、無茶苦茶どんな空想でもできちゃうんで、だからこの現実はやめにしてファンタジーに走るわけですよね。
でそのファンタジーに走ったというところでですね、これをまた私たちの特徴なんですけど、ファンタジーに走ったときに我々はですね、多くの現実をほぼ完璧に見失うことができちゃう。これがすごいと思うんですよね。
グッドファイブスであれ、それこそビッグバンの話であれ、何でもそうなんだけど、現実に起きたことを全部徹底的に忘れてですね、自分の空想と今その目の前に降り注いでいる嫌悪感を催すような現実とを組み合わせて、何か不可思議な物語を徹底的に構築するという能力が、
これもしかも一瞬でやれるんですよね。これはすごい能力だなとある意味思うんですよ。イリュージョンなんだけど、すごい能力だと僕は思うんですよ。一瞬でこれだけのことをやっちゃうんだよなと。
この話の諸中出すとき、妄想分裂ポジションの話を出すとき、私は必ず良いおっぱいって話をしているんですね。この話って無茶苦茶じゃないですか。お腹が空いてるからおっぱいが飲んでるわけですよ。ただそれだけですよ。
これが馬だったらね、馬は母乳を飲むからね。馬だったら何の空想もできないから普通に母乳を飲むんですよ。馬が生後生まれて30分で立って駆け始めるっていう話を聞くと、ものすごい現実的だなって思いません。
馬は死ぬってことを知らないんですよね。死ぬってことを知ってるのは人間だけですからね。死ぬなんてことを主力自重意識して生きていけるのは人間だけだと思うんですね。人間の空想力って生まれた時から凄まじいってことを多分メラニ・クラインは言いたいんですよ。本当にそんな空想してるのかどうか知りませんよ。
知りませんが、馬と僕らのものすごく違うんですよ。だから赤ちゃんというのは、これもクラインの言い方なんで、メラニ・クラインという対象関係論ですね、精神分析。今日はこの話はスパッと流してしちゃいますけど。
要は何が言いたいかというと赤ちゃんは気が狂ってるって言ってるんですよ、ほぼほぼ。ここもすっごい批判されるんだけど、彼女のメタファーなんですよ、あれはね、ある種の。
非常に重度の精神障害というのは、要は頭の状態は、知的な状態は無くして、情緒的、感情的にはゼロ歳時期にまで戻ってくるっていう理由なんですよ。
これとグッドバイオスがどう関係するかというと、つまり僕らは共有地として万有引力とかビッグバンとかも知ってるんですけど、消し飛ぶわけですよ、そういうのが。赤ちゃんはそんなことは知らないですよね。
共有地以前に生きてるじゃないですか。その共有地以前に生きている赤ちゃんの段階に知識としては戻らないですよ、僕らは。でも情緒としてそこに戻ってしまうから、知らないも同然の生き方を始めるわけですよ。
そこに異常なファンタジーで頭をいっぱいにする状態を妄想分裂ポジションと言って、これはグッドバイオス切れと僕は全く同じかもっとひどいか、いずれにしてもグッドバイオスどころじゃない状態になるわけです。
赤ちゃんと精神障害の関係
でもやっぱりこれはグッドバイオス切れって言うんだと思うんですよね。どころじゃないわけですよ。そんなビッグバンのことを考えている場合ではないわけですよ。そこで何を考えている場合かというと、上司がひどい目に遭う空想とかをするわけじゃないですか。
あるいは電車の中で大声で叫んでいるこの連中がみんな火炎放射器で蹴飛ぶ空想とかを始めるわけですよ。そしてそういう世界が来たらとても素晴らしいのにと思うような空想を始めるわけですよ。
これと赤ちゃんがおっぱいを飲んでいるうちにハングリーという悪いものがお腹にあって、自分の中の何かを減らしていっているような空想をしているんだけど、なぜかおっぱいに吸い付くとそれがお腹の中から出ていってすごくすっきりするという空想を赤ちゃんはしている。
それは現実に即しているようで全く即してないですよね。同じですよね。会社の部長なりがひどい目に遭うというのもこんなひどい男なんだからSNSとかで炎上してこいつがすごい痛い目を見て精神的にうんと大きなダメージを受けるっていうのを空想してすっきりするとしたら、
それは全然現実に即していないけど、なんか現実に即しているような気になれるわけですよ。ここが赤ちゃんの状態ととても接近している。
そのうちそれがほぼ状態というのかな。日常の中にどっかりと居座って孤独さばっかりで生きるようになって、現実には昔ビッグバンがありましたとかそういうことはどうでもよくなって、それどころか自分がそういう会社にわざわざ入りに行きましたということもどうでもよくなって、
そこから給料をもらって整形立ててますということもどうでもよくなって、そこで仕事をして自分をお客さんにいろいろと提供しているんですということもどうでもよくなってくるとですね、
情緒的には、今言ったようなことを知識として全部忘れるということは成人はないと思うんですが、情緒的には完全に忘れ去ることができて、とてもそんなところにはいられないような現実に縛り付けられる感じになっていく。
端的に言ってちょっと地獄ですよね。この状態をカラゾノさんと定期的に喋ってないとこの状態になってしまいますという話なんだろうなと。
昨日喋ってて、私はそういう感じを抱いたわけですよ。
私がそういう感じを抱くというぐらいだから、そういう感じを抱く人は少なからずいらっしゃると思うんですね。
この問題って思い出すってところがやっぱりキーでして、要は僕らはですね、そんなにそんなにいろんなことを同時に、僕はここが一つのポイントかなと思っているんだけど、そんなにそんなに同時にいろんなことを同時に意識していられない感じがするんですね。
だからカラゾノさんもなんですが、Good Vibesをなるべくシンプルに伝えるとか、シンプルにこの点だけを抑えるとか、そういう点を強調されるわけです。
が、どんなにシンプルでも、ある種の時には僕らの頭はシンプルなものすら受け付けないキャパシティになってしまう。これも妄想分裂ポジション的なんですよ。
0歳時とか0歳までいかなくても、乳幼児って結局そうじゃないですか。ここごく単純なことも忘れる。
私見ててびっくりしたんですけどね、うちの子育てていてですね、あれは0歳だと思うな、0歳7か月とかかな、手に持っているおにぎりのことを忘れちゃうんですよね。
手に持っているおにぎりを忘れて、ご飯がないとか言って、言わないんだけど、そういう感じで叫ぶわけです。
いやいや、手にあるからって言って、面白いんですよ。手にあるからって言って、その手の方を見てびっくりするんですよ、本人が。
欲打つポジション
ああ、ここにおにぎりが、自分持ってたみたいだ。
でも考えてみると、サンザイさんの並兵がメガネを頭の上に乗っけて、メガネを探しているじゃないですか。
僕らはそんなものなんですよ。そんなものになっちゃう時があるんですね。
いつもいつもそんなものではないんだけど、確かにそんなものになってしまう時があるわけです。
残念なことに、そんなものになってしまう時は大体人と争っていることが多いんですよね。
だから人との関係で悩んだり、あとは多分体の病気ですよね。
僕の経験ではそういうことが多いけど、体の病気にちょっと悩んでいたり、もう一つは寝不足が続くみたいなことが起きるとですね、
そんなものになってしまうわけですよ。
そんなものになると、どれほどグッドバイオスのシンプルなポイントとか言ってもですね、
頭に入ってこないんですよね。
本を読んでも、なんかこう、もうあんまり釈然としない感じに、つまり入ってこなくなってくるわけです。
入ってこなくなるってことと、過去の戦いから掘り起こせなくなるってことは、とってもよく似ています。
欲打つポジションっていうのは、ごく単純に言ってしまうと、妄想分裂ポジションから脱出すると、欲打つポジションに入るんですね。
ファンタジーをデッチ上げる
ここが大事だって対象関係論の精神分析の人はみんな言うんだけど、
カウンセリングでも、一般的なカウンセリングでもですね、ほぼ同じような話はいつも出ます。
戦を思い出せよって話をみんなしてる気がします。
戦って何かっていうと、いいおっぱいと悪いおっぱいがありましたと。
それがもう両方が同じものであることは忘れてしまいました。
それは相当ひどい話だろうと思うんだけど、つまりお母さんは怒っている時と優しい時とありますと。
同一人物であることは忘れちゃいました。
だから悪いお母さんを、縁を切ったらいいお母さんもいなくなっちゃって困ってるんですよって言った時に、
いやそれはあなたがこういう時系列の上でやったことなんです。
だからそのことを思い出してくださいねっていうのが運と規模をでかくすると、
ビッグバンの話になるんですよね。
どこまで行くかっていう話ですよ。
戦の話だってビッグバンまでは遡ってないわけじゃないですか。
お母さんとお父さんが生まれる前の自分の状態、
でもそれはもうビッグバンと何ら変わらないくらい思い出しにくいと思うんだけど、
つまり僕らはそこにあった物質なんだかなんだかわかんないんだけど存在なので、
それを思い出そうとすればできるはずだって話をしているわけですよ。
で、できないだろうって普通考えてしまうので、
なぜできるのかについて様々な説明がですね、
コマゴマと順を追って紙砕いてなされてきて、
ああなるほど、そういうこともあるのかもと思えたら、
もう供給されているわけですよ、グッドバイブスが。
だけど、ギレを起こしているときは、
いやいやそんなことできるはずがないじゃんというよりも、
はるかに厳しい状態にあって、
どんどんどんどん僕たちの順を追って思い出す能力が低下していくわけですよね。
寝不足が続いて体が少し病気になって人と争うとしたら絶対そうなりますよね。
何にも思い出したくないみたいな世界に入っていく。
その時に僕らが得意とするのはですね、
この場にある適当な材料を使ってファンタジーをデッチ上げるというやり方をするわけですね。
で、そういうことなので、
いきさつを思い出すというのが一つの突破コンになるかなと思います。
そもそも、例えばですけど、
カウンセリングでよくあることですけれども、
もう嫌になったからカウンセリングやめますみたいな、
やめたことすら忘れるんですよね、私たちは。
ということはつまりつらくなって、
抑鬱ポジションの影響
何とかギレを起こしたからそれをまたもらいに行こうってするってことは思い出すってことじゃないですか。
今の状態はなぜこの状態に自分が入ったのかということを思い出すということは、
既にそれは抑鬱ポジションの入り口に入っているわけですね。
抑鬱ポジションという言葉はすごく変な言葉でして、
そんなに大事で人間にとっていいポジションを抑鬱ポジションなんて名付けなくてもいいのに、
でも抑鬱ポジションって言っちゃうのはですね、
入り口に抑鬱が入ってきやすいからですね。
僕は今さらっと思い出して、いきさつを思い出して、
また取りに行けばいいんだよなんて軽く言ってましたけれども、
だいたいそれが難しいというのが、
これはもう医療とか対人支援ではしょっちゅう出てくる話題なんです。
人によってはですね、
歯医者とか医者とかもっとひどくなって、もっと難しくなってくると、
利用医、利用師、美容師に行くのすらここで抵抗を感じる人っていらっしゃって、
私それを聞いたときには、さすがにこの種のサービス提供するときは、
ここ頑張らないとなって思ったものなんですよ。
どういうことかというと、美容院って予約いるじゃないですか。
で、ずっと行ってましたと。
でもたまたまある日ですね、行く気がしなくなってどたけんしちゃいましたと。
もう本当に美容院の人が怒ってると思うと、
行けなくなっちゃったんですよみたいな話をされるんですけど、
いや、絶対相手は怒ってるかもしれないけど、
たぶん来てほしいと思うよって。
歯医者なんかではよく起こることだと思うので、
もう一回行くとまた痛い目に遭うからというので、
怖くて行けなくなったんだけど、
歯医者の先生すごい怒ってると思うから行けなくなった。
これが欲打つポジションなわけですよ。
で、キサツせっかく思い出してもですね、
それを振り切ってしまった罪悪感があるために、
欲打つ状態になってしまって、そこに足が向かわなくなると。
僕らは何かを思い出すときに、
この問題に関しては、
立ちはだかりやすいということを
よく意識しておくといいんじゃないかって思うんですね。
要は友達と絶好したら仲直りするのは難しいってことなんだけど、
いいお母さんと悪いお母さんがいて、
怒ってきたお母さんがいて、
お母さんのことはもう嫌いになったって言ってしまったばっかりに、
お母さんと仲直りできなくなりました。
これが罪悪感と欲打つの関係なんだけど、
ここに入ったらですね、
ここもまた結局グッドバイブスなんだけど、
不急適速やかにって言葉がありますが、
あれですね、
その罪悪感を何とかして、
即戻っていくのがもう大吉なんですね。
これはですね、欲打つポジションに入って、
欲打つ状態でいることほど悲しいことはないんです。
欲打つ状態に入って、欲打つ状態でいることほど悲しいことはないんです。
欲打つポジションに入りかけているのに、
欲打つ状態になると、
必ず妄想分裂ポジションに戻っていく。
結局のところ、思い出せない状態に戻っていくんですよ。
でも思い出せない状態になったから、
そもそもそんな事態になっているわけで、
多分僕はこのことは、
昨日最大級意識した一つのトピックでして、
僕はきっと、僕に限りませんが、
人バイブス切れというのは、つまりそういうことなんだけど、
お父さんお母さんが生まれる前の自分が思い出せないというのは、
当然思い出せないでしょうって思われるかもしれませんが、
私はですね、罪悪感が邪魔するんだろうと。
どんな罪悪感がどう邪魔をしているのかは分かりませんが、
これから探求していく話ですが、
ビッグバンの頃には、
私たちは一つだったというのも思い出しにくいのは、
間違いなくきっとこの抑鬱ポジションのせいなんだというか、
抑鬱のせいなんだと思います。
こうなるとフロイトになっちゃうんですけどね。
フロイトは抑圧と言いました。
抑鬱じゃないですよ。
抑圧ですね。一文字違いなんだけど。
無意識の記憶を抑圧していると。
なぜなら、罪悪感があって思い出したくないから。
羞恥心でもいいんですが、
とにかくそういう昔の昔の記憶を、
人の中には思い出したくないことがあるのでしょうね。
自分と向き合うこととグッドヴァイブス
あって不思議はないですよね。
人類の歴史を見ると、人はいろんなことをやらかしてきていますし、
人類の歴史じゃなくなって思い出したくないことは山ほどあります。
それらを全部思い出すことは当然できるはずがないですよね。
ただ、何を思い出すにしても、
生き立つというものを意識するのが思い作業になりがちなのは、
要するに、自分と向き合うという、
あの言葉にかかっている重さと多分比例している気がします。
この番組ではよくお話ししてきた、
ドコンジョウガエルの娘ですね。
この話を近々またしなきゃと思っておりますが、
あのドコンジョウガエルを描いた人は、
めちゃくちゃ罪悪感が強いので、自分と向き合えない。
自分と向き合うというのは、こういう文脈でよく出てくるんですよね。
話は、第1回のグッドヴァイブス編、
第1回だったか忘れましたが、前回ぐらいのグッドヴァイブス編で、
辛くなったら休みましょうって話をして、
これも昨日倉園さんが取り上げてくださったんだけど、
要はですね、僕は向き合うとかいう言葉はやめた方がいいと思うんですよね。
この話は次回ぐらいにできるかな、
でも次回ぐらいにしたいと思ってます。
過去の罪悪感について
あんまりこの種の話を深刻に、シリアスにやりすぎると、
多分できにくくなっちゃうと思うんですよ。
僕がグッドヴァイブスでよくよくわかってきたのは、
そんなにストイックであることが全然全く求められないとまでは言いませんけれども、
自分と向き合うというのをそこまで深刻に受け取らなくてもですね、
戦というものを思い出しても、
罪悪感を極力持たないようにするのは構わないと思うんですよ。
既に過去にあったことで、そんなにですね、過去にあったことについて、
ただこれはどんなにここで言葉を尽くしても、
もう本当に昔の彼女にしたことは酷かったとか、
なぜこんな奴と結婚しちゃったんだみたいな話になってくると、
感情論になりやすいので、
そこをそれについてそんなに向き合うとかで頑張らなくてもいいんですって言っても、
伝わりにくいかもしれませんが、
僕はここはですね、向き合う的な言い方をするカウンセリングに、
僕は今は組みせないんですよね。
向き合うみたいな言い方では無理なケースが多すぎると思うので、
向き合わないとダメだみたいな話もわからんではないですけれども、
それをやるとですね、羞恥心まみれみたいになって、
絶対人は行くうつポジションの入り口付近で立ち止まることになるんだなっていうのを、
むしろ感じさせられるのでですね、
戦を思い出す時は、
そんなに別にここで思い悩むようなことではない観点がありますからと、
そこはgood virusを信じてくださいみたいな話に非常に近づくんですが、
でもこの番組でもお伝えしたことがありますよね。
反省させると犯罪者になりますみたいな。
反省するっていうことを、
そんなので、福番とかいう話になればですね、
単に話が古すぎてというのかな、
そういう戦であったということが、
自分の今の生活にどうちょこっと、
どこかで、
どこかで、
どこかで、
どこかで、
どこかで、
どこかで、
どうか、
どうかであったということが、
自分の今の生活にどう直結させるのかが分からないというか、
分かりにくいというのは、
僕もずっと、
ずっとというのは、うんと幼い頃から、
よくそんなことを考えてたんですよね。
つまり宇宙のことは宇宙のこと、
生活のことは生活のことって感じが、
どうしたってしちゃう。
受ける印象からしても、
日常にご飯を食べますみたいなことと、
宇宙はビッグバンから始まりました。
全然関係ないような感じがしちゃうっていうのもありますけれども、
一つ、
羞恥心とか罪悪感というものを全く持たなければ、
どこまで私は自分のことが思い出せるだろうというのを、
つまりそれこそ自分が生まれる前とかいう話になったとしても、
構わず思い出せるだろうっていう、
なんていうんですかね、
一つの試行実験というのか、
それこそゲーム感覚みたいなもので、
小説みたいな話だったらあり得るじゃないですか。
そういうことが、
いわゆる実務の世界では無理でも、
小説の話としてなら、
そういうこともやってやれないことはないと思うんですね。
で、やってみるとですね、
グッドバイブス
いいんじゃないかなと思うんです。
そうすると、
きっとこの欲打つポジションごときで、
立ち止まらなくて済むと思うんですよ。
そして、入っていってしまって、
その中で生きてみれば、
僕はですね、
何にも戦いを意識せずに、
ファンタジーまみれの中で、
ほとんどそのファンタジーは、
復讐の物語になってしまうので、
それをやるよりは、
はるかに楽になれると思うんですよね。
で、思い出す能力というのは、
つまり、
グッドバイブス切れを防いでくれるわけですよ。