1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 466】傷つきたくない?
2021-09-28 43:43

【GMV 466】傷つきたくない?

全体対象と部分対象
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月1日というのは、しあさってなんですね。
10月に入ったら、いきなり10月1日じゃないですか。当然ですけど。
その日から、グッドバイブスのオンライン合宿があるんですよ。
1日2日と、金土ですね。
10月に入ってから申し込もうと言うんだと、
10月に入った瞬間に始まっちゃうので、
実際には、金曜日の朝からじゃないんですけれども、
夜からなんですけれども、
よろしければ、
グッドバイブスで、
極めて植物的な意味で、大きなメリットが一つありまして、
果物が食べれるようになったというのがあるんですよ。
私は子供の時、果物をやたら好きで、
私はみんな好きだと思い込んでいたから、
実は多くの人は、果物ってさほど好きではないということを知って、
結構ショックを受けたんですけど、大きくなってから。
結構好きだったわけですね。
だけれども、加糖ってダメなんですよ。
私、糖質制限してた時、実は一番最大の問題が加糖だったんですね。
砂糖じゃないんですよ。
加糖を摂りすぎると、肌が猛烈に荒れるんですよ。
それを知らずに子供の時バカバカ食ってたら、
何だったんだと思うんだけど、まあまあいいや。
これが大きかったんですよね。
やめた時の効果が絶大で、果物ゼロにした途端に、
ほぼ治っちゃったんですよ。
果物と砂糖ゼロにした上に、
ある種の炭水化物をやめると、
きれいさっぱりなんです。びっくりでしたね。
3日とかかってたら、たぶん1日半くらいで、
全部消えちゃうんですよ。
ものすごかったとまでは言わないけど、
結構ひどかったんですよ。
全部なくなっちゃったんですよね。
なんだろうと思いましたね。正直。
ヤバいんじゃないかと。
今までやってきたことがヤバいんじゃないかと。
普通にだって、気がつかずにっていうのも変ですけどね。
食べてましたから。
そういうことがあったので、
当然クテ出せなくなりますよね。
そういうことがあると思う。砂糖とかに。
グッドバイオスで、
なんて言うんですかね。
自分は価値マックスで、
疲れもせず、傷つかないっていう。
これを文字通りに受け止めると、
別にこれを聞いてる人は文字通りに受け止めなくてもいいんですよ。
文字通りに受け止めると、
砂糖食べてもアトピー出ないことになるなと。
03:02
理屈の上ではそうなるなと思ったんですよ。
私はやっぱり理屈っぽいんでね。非常に。
でもやっぱり手を出すのは非常に怖いですよね。
怖いものが一切なくなるわけではないですよ。やっぱり。
未だに静電気結構ビビりますから。
前よりだいぶ楽ですけどね。ビビりますからね。
でも果物は食べたいわけじゃないですか。
で、食べて出なかったんですよ。
ただしこれは合宿行った後の話なんですよね。
だから合宿行きましょうって話につなげてるんですよ。
今回オンラインですけどね。
この状況下でリアル合宿はさすがにちょっとまだ厳しいだろうと。
特にこれを計画した1ヶ月前は相当厳しい状態でしたから。
今は随分収まって、今びっくりですよね。
でもこれよりもはるかに僕のアトピーはびっくりだったんですよ。
僕的には。消えちゃうんですからね、あれがね。
あれで苦労したのは相当なもんだったんで。
まさかこんな果物立っただけで消えてしまうという。
ただ果物を立つというのは残念なことだったんで。
で、今普通に全然食べてるんですよ。
子供の時ほどはさすがに食べてないですけど。
普通に食べてるんですよ。全然出ないんですよ。
で、これはグッドバイブスの直接の要因なのかどうかは分からないです。
体質的なことっていろいろ難しいですからね。
ただ、食べるきっかけはグッドバイブスで。
これは間違いないですね。
タスクシュートでは果物に手を出す気は全くしなかったんで。
これの直接のきっかけになったのはグッドバイブスなんですよ。
僕は自分の体感覚的には、もう体感覚としか引用がないんです。
そう言っちゃいますが、この言葉間違ってると思うんですけど。
グッドバイブスで出なくなった感じがします。
これを言ってもですね、これを信じてほしいとは思わないんですよね。
これを信じられてしまっても困るなっていうのがむしろあって。
やっぱり大事なのは怖がらないということと、
信じるということと、結局宗教みたいになっちゃうんですけど。
信じるというのは、いわゆる他人を信頼するというあの信頼ですね。
と、肉体や自分は傷つかないということですね。
僕は結局、傷つかない以上アトピーにはならないっていう論法だったんで。
これを信じられないというのは分かるんですよ。
例えばですね、思い込みでしょうって言われたこともあるんですけど、問題なのはそれなんですよね。
思い込みではいけないのかってことなんですよ。
お医者さんは思い込みではいけないというお医者さんがするわけじゃないんですけどね、実はね。
でもそういう考え方ってありますよね。
だけれども、じゃあなんで私はアトピーなのかという問いには、
実はですね、誰一人お医者さんが僕がちゃんと答えてくれた人は一人も知らないんですよ。
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専門の人でもそうです。
なんでっていうのはこういうことですよね。
父も母も妹も砂糖を食べ放題で、加糖を食べ放題でもアトピーになってしまうんですよね。
アトピーには全然ならない。
肌には何も出てこないのに、なぜ私だけあんなに全身にブワッと出るのか。
ブワッと出るんですよ。
で、この問いに僕は答えられたのを聞いたことがないんですよ。
妻のお兄さんがお医者さんで結構ね、コンコンと喋ったんですけど、
お医者さんというのは別にそういうことに本当のところ興味がさほどないんだなということは分かりました。
だから聞いてる相手が間違ってるんだなということは分かりました。
つまり、例えば私のような人は、その妻のお兄さんのお話によると、
体の外に出てないときは全足とか、基幹支援全足で内側から出てくると。
それを薬物によって引っ込めると、なぜか外側に出てきて、
やっている治療の方法は大して基本的に変わっていないんだと。
ざっくりまとめるとこういうことだったんですね。
それは私の経験にぴったり合致してたんですよ。不思議だったんです。
全足が出るとアトピーは消える。で、全足が治るとアトピーになると。
繰り返しなんですよ、これ。
だから内側の調子が悪いなというときは、外側の調子はなぜかそこそこ良くて。
で、内側を治すと、治さなきゃならないから治すと外側が悪化すると。
で、基本冷やすのは良くなくて、どっちの方向としても温めるということで、
結構緩和されるというところまでは言う通りだったんですね。
だけども、例えばお医者さんは糖質制限については、
勧められたことは僕はなかったです。
時代も時代でしたからね。
40年前にそういうことを言う人はいなかったような気がします。
いたのかもしれないけど、僕の周りにはいなかったんですよ。
で、塗ると、塗りゃ治まるんだけど、治るわけではないんですよね。
また出てくると。
で、ずっと塗ってると黒くなるんですよ。
だから私の皮膚結構あちらこちらが真っ黒だったんですよね。
これも大体今は解消されたというか、ほとんど黒ずんでるところは消えてるんですけれども、
それについてお医者さんは、こうすると黒くなりませんとか一切なかったんで、
黒くはなるんですよね。
それはそれにしょうがないじゃないですか。
そういうもんだから。
問題なのは僕が思うに、なぜ思い込みで治しちゃいけないのかっていう方なんですよ。
どうして思い込みでなった理由がわからないのに、実は思い込みでなってるということではいけないのかと。
だって私の心類筋でなってる人っていうのは遠い親戚にはいるんですけれども、
近い人にはいないんですからね。
全てを体質だけで説明するならば、なんかこれだけ遺伝が近い、
特に妹とかね。
09:00
近いつったって50%かもしれないけれども、
そうは言っても極めて体質的に近いところはあるわけじゃないですか。
顔も似たところはあるし、発想とかすごい似てるし、でも全然違う。
絶対妹はならないんですよ。
で、僕は絶対なるんですよ。
これは思い込みではないことになっていて、
なぜ治るのが思い込みでなっちゃいけないのかっていうのがわからないんですよね。
未だに僕にはわかんないんですよ。
これ思い込みかもしれないけど、
それじゃ治ったことにはならないのかどうかが非常にわかりにくいことだと僕は思います。
というわけで、10月1日に合宿なんです。
これがどうして、これでCMのつもりなのかと言われるとそうなんですけど、
よろしければということですね。
で、この思い込みなんだけれども、
例えば私たちは血中酸素濃度とかわけのわかんないことを言い出すじゃないですか。
これはみんな思い込みじゃないと思い込んでいるわけですよね。
見たこと一回もなくてもアップルが教えてくれれば血中酸素濃度が高く、
私は健康だっていうのは思い込みじゃないわけですよね。
よーく考えてみると私たちは空気の中に酸素があります。
多分あるんだけど、見たことがあるわけでもないのにそう思い込んでいますよね。
僕らの世界の見方って面白いですよね。
それは事実なんだと。
幻覚でもイリュージョンでも思い込みでもなく事実なんだと言われていることが、
その世界での事実認定に合致していると事実になっちゃうんですよ。
見たことがあろうとなかろうと、病気が治ろうと治るまいと、
そんなことはどうでもいいんですよ。
血中酸素濃度とかは事実なんですよ。
空気中に酸素があるのも事実なんですよ。
空気中に酸素があるのも事実なんですよ。
僕が下等を断って治るのは思い込みみたいなもので、
でも今グッドバイブスを知って下等を取ってもならなくなったのも思い込みなんですよ。
これではいけないのかどうかは分かりませんけれども、
本当ならという言い方があって、薬塗って治すべきなんですよ。
例えば薬を塗りまくっているうちに指が全部真っ黒になっていても、薬を塗って治すべきなんですよ。
別にこれは何かの批判をしているわけではないんですよ。
それしかないものですからね。
このそれしかないというのが大事なんだと、なんだろうなって思いますね。
この思い込みというものだとされていること、
私はどっちも全部思い込みだと思うということなんだけれども、
思い込みの原点が意味付けなんだと。
意味付けを最初にした人というのが母親なんだと思うんです。
ちなみにこれはリアルな母親という意味ではないですよ。
でも多くの場合リアルな母親でしょう。
のはずですよね。
例えば赤ちゃんが泣いているじゃないですか。
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おっぱいって言うじゃないですか。
これが意味付けですよね。
赤ちゃんはおっぱいくれなんて言わなかったと。
これがニードだという話なんだけど。
私はこのような話の中で、いわゆる意味付けでもいいんですけれども、
最初にそういう空想を教え込んだのは母親だと思うんですね。
その母親が空想を教え込むというところで、
既に精神分析の間でも意見が割れている感じがするんです。
しょっちゅうここでクラインクライン言っている人が言っていたのは、
幼児はまるごと空想的だと。
つまり赤ちゃんは空想ばかりしていると言っていたんですね。
でも私は一向大将といったウィニコットは、
そうじゃないようなことを言っている気がして仕方がないんです。
彼が言っているのは、意味付けの仕方を母親に習うんだと言っているように聞こえるんですよ。
意味付けの仕方を母親が教えるとなってくると、
幼児はつまり生まれたときは何もできない。空想すらできない。
昔、神経心理学の先生が幼児には目がほとんど見えていないというのを教えてくれたことがあるんですね。
幼児の見ている世界みたいなのを見てちょっと驚いたんですよ。
何もほとんど見えていないに等しいこの状態で、
果たして何も見たことがない人が空想ってできるかなって思うんですよね。
空想ってできないんじゃないのかなと。
僕らの空想って見たことのあるものの組み合わせじゃないですか。
見たことのあるものの組み合わせということは結局、
今日は私はここが大事だと思っているんですけど、
見たことのあることの空想というのは結局、分割したものばかりですよね。
これを分割って言うんだと思うんですよ。スピリット。
このスプリット、スプリットね。スプリットが非常に問題だと思うんですけれども、
とにかく分割なんですよ。
だって、例えば私が知っている大橋哲夫さんというタスクシューズを作った方は、
本当に一部分ですよね。本体とは何の関係もないレベルでしか僕は知らないと思うんですよ。
知っている方の人だけど、本当に一部分ですよね。
倉澤圭三さんだって同じですよ。
いちいち出てくる話が面白いとうちの奥さん言うんだけど、
それは本当に一部のエピソードを次から次へと聞かされている断片の集まりですよね。
断片の集まりって言ったって、たぶん全体の全人生のほんの一部しかないわけね。
全部そうですよね。考えてみると自分の母親ですらそうですよね。
母親の、例えば男関係とか、私何も知らないですよ。
よーく考えてみると。父以外の関係者。知らないと言ってもいい。
友人関係って言ったって小学校、中学校、高校時代も友達いたはずですが、一人として知らない。
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知っている気になっているじゃないですか。母親のことなんて一番知っている気になっているじゃないですか。
でも部分ですよね。僕たちはそういう部分を使って脳内で映画館みたいなもので繰り広げて現実を見ている気になるじゃないですか。
さっきの酸素もそうですよね。見たこともないのにあると教え込まれていて、
それはあることにしてあって、甘蔦えって昔言って蔵野さんに指摘されたんですけど甘蔦えですよ。
酸素というものが血中にこれぐらいあると健康だと、そういう幻想まで抱くじゃないですか。
もうほとんど脳内にあるものは、なんて言うんですかね。
この本当の現実とは何の関係もないのに、全く現実とほとんど同じなんだってこの話はよくしますけれども、
脳が思い込ませようとしている感じがやっぱり僕は、それこそ体感的にはするんですけどね。
この空想がホラーの様子を帯びてくると、僕らは恐怖心に駆られるんですよ。
この空想がですね、現実とは何の関係もなく非常に怖い空想が始まると。
例えば酸素はPM2.5とかになっちゃうとか、蔵野さんがすごいなぜか怒ってるとか、空想なんですよ全部。
空想をどんどんどんどん作っていくんですよ。
母が急に体が悪くなったとか、そういう空想をすればちょっとするとすぐにでもですね、恐怖心に駆られる。
で、これ部分なので、全ての僕の脳内にあるものは部分しかないので、全体がないので、
裏側というものを考えた時、必ずと言っていいくらい悪い空想が始まるんですよ。
私そんなこと考えたことないけど、母は裏で男を作ってるんじゃないかとかいう空想が、
さらに現実みたいな顔をしてですね、脳内でまかりとり始めるわけですよね。
このようなことを指して、クラインは多分妄想分裂と呼んだんだろうなと思うんですね。
で、妄想分裂っていう言葉には実は元がありまして、
クラインはあれ、東洋とまでは言わないけれども、あれ人のアイディアをパクってるんですよ。
で、実はロナルド・フェアバーンという人がいて、
彼は分裂という、分裂ポジションという言葉を最初に言い出した人だったんですね。
メラニ・クラインがそれに妄想をくっつけたんだけど、それは正しいと僕は思いますけど、
元々は分裂ポジションだったんです。
そしてそれはフェアバーンという人が言い出したことで、
フェアバーンという人はこれしかないのに、ある意味、不思議な人で、
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人好きのしない人だったらしく、孤独に精神分析を頑張ってた人で、
そういう人ってだいたい面白いことを言ってるんですけど、
偏りがあるんですよね。
自分の理論はしぐら感がちょっとあって、
自分の理論もすごいフロイトをまっすぐ継承してるって、
みんなそういうこと言うんだけど、偏りがあるわけです。
彼の理論は偏りはあるんだけど、すごく面白いところがありまして、
彼も分裂分裂言う人なんですけど、
ちょっとミニコットの言う分裂と違うんですよね。
こういうところも困るんですよ、読んでて。
ミニコットの分裂ではこういう風で、フェアバーンの分裂ではこうで、
クライーンの妄想分裂ではこうだ、みたいなのが少しずつずれてる。
しかも全然違うんだな、まだしも。少しずつずれてるから、
どういうつもりで言ってんのかを一日考えながら読まなきゃなんなくて、
ほんと疲れるんですよね。余談ですが。
フェアバーンの分裂っていうのは、つまり好きになったらいけないぞっていう病理なんですよ。
だからすごくクライーンのそれと似てるんですね。
好きになるということはひどい目に遭うんだと。
そういうのって、よく恋愛系のコミックでやたら出てくるじゃないですか。
好きになった方が負け、みたいなのとか、好きになれば必ず裏切られるとか、
そういう病理の大元は、やっぱり幼少期に原点があるんだということを
ものすごくとうとうと述べてるというか、かなり分厚い本一冊で頑張っているのが
フェアバーンっていう人だなって、これもざっくりと言うとそういう感じなんですね。
いいおっぱい、悪いおっぱいっていうのは、これは何度も言うけれども部分だからなんですよ。
いいお母さん、悪いお母さんでいいじゃんって言われると困るんですけど、
いいお母さんも部分なんですよ、本当は。
私がさっき言った通り、母親の部分、母親の全体像なんて知らないですよ。
子供の頃どうだったのか。全体像って言うからには全部知ってなきゃいけないんだけど、
全部知ってることはありえなくて、本当に表面的なことしか知らない。
例えばパッと母のイメージを浮かべると、前の顔ですもん、部分ですよね。
後ろの姿もあるはずで、足の裏も頭の上もあるんだけど、そんなところ思い浮かべないですよね。
頭の上今どうなってるのか知らないですよ。
これ部分なんですね。
部分の中でも一番赤ちゃんにとって問題になるのはおっぱいだから、
いいおっぱい、悪いおっぱいなんですよ。
例えば一つ、よくこれはダイエットの人とかが言い出すことなんだけど、
おっぱいを飲んでしまったらなくなってしまう。
これ、すっごい変な考え方のように聞こえるんですけど、
それは私たちが全体を意識できるからですよね。
言う人いるじゃないですか。
今おやつを食べてしまうともう食べられないみたいな。
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今日のカロリー許容量は何キロカロリーまでだから、これ以上は今日食べられなくなる。
だからとっても食べたいものに近づけないっていう、
そういう話って普通にありますよね。
この二重拘束みたいな状態が対人恐怖症には普通に必ず見えてくるわけですよね。
フェラー番号分裂って言ってるのも一つにはそういうのがあって、
好きなものには近づけない。
グッドバイをする理由に言うならば、愛してはダメだっていうことですよね。
愛するということほど危険なことはないと。
幼児がそんなことを意識したら病理の始まりだって言ってるわけですよ、おそらく。
幼児は100%安定はいいんですかね。
ある意味無防備にお母さん大好きモードに突っ走っていくんだけど、
何らかの理由があってそこに差し止められるものが出てきてしまうと。
100%大好きではいけないと。
99%ならいいけど100じゃダメだと。
でも99になってしまうと赤ちゃんなんで、途端にすっごい危険なことが起こるわけですよね。
東洋で言うとアジア性コンプレックスってそういうことだと思うんですけど、
だって1%でも自分を愛していない可能性があるということになったらですね、
大変なことですよね、幼児にとっては。
でも恋愛系のコミックとか恋愛小説でもそうですけど、
1%でも疑ったらもうそれ100%の疑いですよね。
真っ黒黒ですよ。
1%しか浮気を疑ってなくたってもうそれで大事件になってるわけじゃないですか。
あれと何も変わらないですよね。
無防備に相手を好きになろうと言ったときには、
無防備なんですから、えらいひどい目に遭うぞということになっちゃうわけですよね。
だから安心して食べられないんですよ。
例えばおやつとかでも毒が入ってるかもしれない。
そんなことはないですけれども、食べてしまったらなくなる問題っていうのは多々ありますよね。
それこそ非常にある意味奇妙な心配なんですが、タスク管理でもライファックでもありますよ。
例えばここでこの大好きな作業をしてしまうと、
前々からずっとやりたいと思っていたエヴァノートの整理を始めてしまうと、
いっぱい時間を使ってしまう。
それが恐ろしいから全く手をつけずに明日に回すとかっていう人は結構いらっしゃいますからね。
これも全く同じ話ですよね。
おっぱいを飲みたいけれども飲むとなくなってしまう。
そういうことをかすかにでも心配するような赤ちゃんは、
この問題に将来悩むことになる。
だからこれは比喩なんですよ。アレゴリーなんですね。
そんなことは赤ちゃんが真剣にこのおっぱいを今飲むとみたいに考えたことはないんだけど、
そういう感覚がよぎるようなことが起こったっていうのが問題なんですね。
それのことをすっごい言うのがフェアバーンっていう人なんですね。
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この人たぶん小児科医だったのかな。
いろんな赤ちゃんを見てきてるんでしょう。
そういう赤ちゃんの中にはそういう懸念のようなものを抱きつつある子がいて、
そういうところからいろんな病理が始まる。
だから分裂一元論なんですよ。
いいおっぱいと悪いおっぱいに分けてしまったということを最初にやった。
これが全ての精神的な難しさの原点にあるという考え方なんですね。
全部だからある意味では打つだろうと、そう打つだろうと、
全部これで説明できますというのが彼の考え方なのですね。
私はそれはだいたいダメだと思うんですよね。
なんていうのかな、一元論ってダメだと思うんですよ。
全ての病理の原因はここにだけあるみたいなのは最終的には微妙だなと思うんだけど、
でもかなりの部分、こういう観点からいけば理解しやすくなるなというのはあるわけですね。
要は信頼しちゃダメってことです。
信頼してしまうとひどい目に遭う。
だからここでだからこうしますとか、だからああしますといういろんな戦略が精神症状と呼ばれるものなんだというのが
バーンと言わんとすることのような気がします。
信頼してはダメなんですと、そういう意味では他のアンナフロイドとかエリック・エリクソンとかが言っている
絶対的信頼とか基本的信頼とかゼロ歳児の信頼とか言っていることと何ら変わらないんですけどね。
ジジナルシシズムでもいいぐらい変わらないんですけれども、そこから導き出しているわけですね。
要するに信頼するということは恐ろしいことだしおぞましいことなので、
例えば信頼する代わりに今言ったように近づかない戦略、これがよくあるパターンですよね。
不安障害というものが出てくる、あるいは回避性障害という言い方もしますね。
人を見たら逃げる、そういうことをすれば近づいたり好きになったりしてダメージをこむらずに済むと。
だからよくこれもありますよね。
私は時々読むんだけれども、恋愛ですごい素敵な男性がいると絶対好きにならないでおこうみたいな
そういう訳のわからん決意をするわけですよね。
なぜならば裏切られて酷い目に合わされるからダメだと。
これが回避性という戦略ですよね。
不安障害というのは常に登場するようになる。
だから反復脅迫なんですけど、常にそのパターンになる。
だってそのパターンで行こうとしてるんだから当然と言えば当然ですね。
逆の戦略もあるじゃないですか。
これを鈍欲みたいな表現の仕方をするんですけど、分裂症によく見られる鈍欲ですよ。
今全部とっておこうという考え方。
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だからダイエットに失敗する時のパターンですよね。
もう二度と食べられないんだから今日全部食べようみたいなので異常に食べる。
アメリカでそういうビデオを見ていて非常にエグい気持ちになりました。
すごいなとしか言いようがないんですけれども、見ている人みんな嫌な感情になったみたいな感じでした。
とにかく全部とっておく。
ひたすらひたすら集めて自分の手元に置いておく。
これも普通によく見られる戦略だなと思うんですよ。
分割していいところを全て自分の周りに置くという考え方は今では何ら不思議な考え方ではないような気がします。
そういうふうに例えばこういう関係を設定するという人も、私はあんまりこういう関係って広くないんでわからないですけれども、あるんじゃないかなと思うんですよ。
例えばパーティーでも自分の好きな人をひたすら集める立場に自分を置いて、自分の好きな人をひたすら集めるパーティーを催すみたいな、そういう考え方ですね。
とにかくどんよくってよく時々言われるんですけど、なんかもうちょっと違う表現あると思うんですけど、
ただ分裂症の人のどんよくっていうのは昔からは結構有名で、とにかく集めまくるわけですよね。
こうすることによって、面白い発想だと思うんですけど、信頼できないということに対する、信頼への恐怖症というものに対する、これが一つの戦略になるわけです。
難しいところもあるやり方なんですよ。回避のほうがよっぽどわかりやすいじゃないですか。
信頼するのが怖いから、良さそうな人がいたらどことく叫まくるというのは奇妙ですけれどもわかりやすいですよね。
そうじゃないんですよ。良さそうな人の、つまり表面的なところで全部間に合わせるという考え方なんですね。
例えば、ちょっとアレな話になっちゃいますけれども、昔からある種の男性がやっているとされている、本当にそういう人がいるのか知りませんけれども、
この人とは愛情関係、この人とは性的関係、この人は奥さんみたいな、そういうふうにして、自分にとって良いところだけでやっていくと。
ものすごい都合が良い考え方のようですが、平板的に言うと、これも恐怖心から来るものなんですよね。
全面的にある人を信用するというのは怖いので、部分的にいろんな人のところを取っていくと。
これは私は何度もさっきから言うようなんですけど、現代という世界においては非常に普通によく見られるものなんじゃないかなと。
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ある意味、食べ物の栄養素を問題にするのってこういうことのような気がするんですよ。
豚からはビタミン何とかを取り、野菜からはビタミンを取って、肉からはタンパク質を取ってみたいな、
そういうすごく都合の良いことをやるじゃないですか。
そういうことと何ら変わらないような気がします。
ただ、分裂症の人のもう一つの問題として、平板がよく指摘するんですけれども、
つまりこれは人が物化しているというのはこういうことなんだって言うんですよね。
だからこの人は全ての人を軽蔑しているのでとっても孤独であるというふうに平板は書いていたりします。
これも全部をスキゾイドで説明しようとすると、
こういう人格攻撃みたいになってしまうという問題がもう一つ発生するようなとは思うんですよ。
面白いし当たっている部分もあると思うんだけれども、
ちょっとどうしてもこういう言い方になりやすいよなとは思います。
もう一つが、ここから脅迫神経症まで説明しちゃうんですよ。
スキゾイドから。
そうするに信頼するということが怖いので、儀式化するというんですね。
これもそれで果たしてガスコンロの火の問題とかまで説明できるだろうかと思うんだけれども、
確かに脅迫的なやり方で人間関係の難しい部分を回避するというのは、
日本人得意とするところじゃないですか。
お悔やみ申し上げますということに決まっているわけですよね。
つまり人間関係というもので実は情緒の交換をしないと。
常に表面的なやりとりで済ませるんですよ、きっと。
私は家が儀式の専門店みたいなお寺ってそういうところもありますからね。
よくわかる気がするんですよ。
あそこで行われていることが全部肩にはまった通りの動きになればなるほどですね。
そこで悲しんだり苦しんだりせずに済む面ってあります。
人間関係というものが要するに儀式化していくわけですね。
信頼するということに対する基本的な恐怖感がある以上、
人と深く付き合うべきではないですよね。
さっきのいいところばかり取っていくというのとはまた違って、肩にはめていくわけです。
何週に1回この人と会い、ここでこういうことを言って、
そしてちょっと軽くランチして別れるというパターンを徹底的にしておくことでですね、
傷つかずに済みます。傷つけずに済む。
そういう考え方ですごく脅迫的にスキゾイドの恐怖というものに直面しないで済むようにするというのも
フェアバーンが指摘しているところがありますね。
すごくこの辺を読んでいくとですね、あ、すごいなこの人はと思うんですよ。
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もう一つは壮的防衛も当然ありますよね。
いいおっぱいしかくれなくていいのではないならば、もうあんたとは縁を切ると。
このパターンはですね、今どき炎上という形でしょっちゅう見られる気もするんですよ。
よく言うじゃないですか、あれほど信頼してきた人なのにあんなことを言うんだと。
もう二度と顔も見たくない、壮的防衛ですね。
まあ乖離性って感じもする。乖離性もこれで説明しちゃうんですよ。
全部スキゾイドで説明するんですね。
要するにいいおっぱいしかくれないんじゃなければ、あなたの関係を断ち切るというわけです。
その中に少しでも悪いおっぱいが挟まっているなら、挟まってるに決まってるじゃないですか。
全体対象であるならばですね、相手が全体的な存在であるならば、自分にとっていい面だけってことは考えられないですよね。
そういう言い方をすると非常に嫌がられるし問題になってしまうんですけれども、
ある上司がとても尊敬できていたのに、ちょっとセクハラ的なことを言ったらもう幻滅したと。
つまり、いいおっぱいの中にちょっとでも何かがあると、もうそれは毒になっちゃうわけですよね。
そういう考え方ってあります。ちょっと乖離的ですけれども。
これもスキゾートで説明すると、分割した恐怖心が全てを生み出したんだっていう考え方ですね。
これがフェアバーンの考え方で提案されているもので、そこをすごく図式的に細かく説明してくれていて、
読んでるとわけわかんなくなっていって、何回か読んでるんだけど、もう一つよくわからんっていうところはいっぱいあるんですけれども、
基本こういう話かなというふうに思います。
すごく私はこれがある意味ではグッドバイオスの説明と近いなと思う時があったんです。
グッドバイオスはいちいち、総的防衛はこうで、恐怖症はこうで、乖離性はこうで、ヒステリーはこうですとか言いませんが、
結局それらの行動は全ておかしな行動ということで一括されているんだけど、おかしな行動なわけですよ。
おかしいというのは笑える面があるっていう意味です。
笑える面があるということは恐れを名乗えている面があるということだと思うんですよ。
このことを私はあんまり怒られている時に認識できなかったんですけれども、
例えば脅迫症の人っていうのはよく怒るわけですね。なぜか?
儀式が見出されるのはとっても恐ろしいんですよ。
もはや本人はなぜ恐ろしいのかの認識が、フェアワン的に言えばそれは一歳児の頃だからあるはずがないんだけれども、
とにかくそういう認識はもうないので、儀式が見出されるということは許せないみたいになっているんですけれども、
もっと奥まで行くとですね、やっぱり人を信頼するのは怖いことになるということから、
儀式でとどめておきたいのに、なぜ人間関係に入ってしまうんだという怒りなんですよね。
で、怒られた方はそうは思わないからびっくりするじゃないですか。
それが私の問題だったわけですけれども、
36:00
怒るということは、結局は恐れているという話に繋がってきているわけですね。
で、怒る人は怖がっているんだと。
これがですね、ここ1年でずっとそういうところを追っているうちに、
もう手に取るようにそう感じられるようになったんですね。
確かに怒っている人は恐れている。
だいたい何を恐れているのかも分かるようになってきている。
そうすると、当然怖くはなくなるわけですよ、結局。
非常に怯えている人をわざわざ怖がる理由はない。
あとは、ここがちょっとやっぱり難しいですけど、
本当はですね、どうしてもこっちにこう、なんていうんですかね、
被害感が出ちゃうんですよね。
なきゃいいんですけど一番。
被害感がゼロになれば相手の恐縮を取ることに全力を傾けられるんだけど、
被害感が少しでも出るとやっぱり、
なんで被害にあったのにこの人の恐怖をわざわざ取り除いてやらなきゃならないんだろう。
しかも難しいところもあるわけですよね。
根源的にはかなり幼い頃の恐怖感というものを取り除くというのは、
相手にとって見れば結構深刻に恐れている部分があるし、
しかもそれについて言及してもおそらくは否定されてしまうという面もあるので、
テクニカルにはそういう難しさがあるんだけれども、
ただ怖くなくなるという点ではですね、
少々被害感が出たところで怖くなくなるという点では、
私みたいに昔のように怖がってばかりいた人間からすると絶大で、
全く怖くないんだと言えなくもないわけですね。
言われれば社会人としての関係の中でのちょっとしたひるむみたいなのは出るんだけれども、
根本的には自分が怖いと思うべき理由は何もないわけですね。
今のフェアバンドでそうじゃないですか、
相手にしてみればいいおっぱいだけよこせという、
そういうナルシシズムなわけですよ。
でも悪いおっぱいが出てきちゃうのはこの世の中では当然なわけですよね。
天気は常に快晴で、
心地よい気温だけであってほしいのに雨が降ってきて腹がゆるせないって言われても、
天気が恐れる理由は別にないですよね。
それと同じことで自然現象ですから私たちはみんな、
自然現象は良い面と悪い面を、
良い面と悪い面は本当はないんだけど、
良い面と悪い面というふうに解釈されてしまう多様性は持ってしまうんですよね。
それは当然のことで、
別にそのことについて自分が罪悪感を持ったり恐怖心を持ったりする理由は
さらさらないわけです。
結局フェアバンが言っていることも全くそういうことで、
39:02
赤ちゃんにとっては良い悪いはあるんだけれども、
それはお母さんが、それはフェアバンの言った言葉じゃないですけど、
グッド・イナフなわけですよ。
出し方とかお母さんなりの事情とかが、
ある意味ではフェアバンは少々お母さんがもうちょっと頑張りましょう的になるんだけれども、
そこもまた難しいですよね。
お好みさんはお母さんに他の男がいるのはしょうがないじゃないかという書き方なんですよ、
どっちかというとね。
もしかするとお好みさんはそれは悪いという言葉で言えることじゃないじゃないですか、
という書き方なんですよね。
グッド・イナフなんですよ、彼の考え方も。
おそらくそうだと思わざるを得ないわけですよね。
ただし、赤ちゃんにしてみるとものすごく押しつけがましい一方で、
妙にエゴイスティックな感じというのは分裂を呼びますよね。
どうしたってその人に対する警戒心が出てしまうんですが、
警戒させられるのが早すぎるというわけです。
0歳8ヶ月で赤ちゃんのお母さんを警戒していたのでは、
将来やっぱり信頼することは悪であるみたいになっても、
あるいは信頼することは罪であるみたいになっても、
やむを得ない面はあるかなみたいな、
そういう考え方から来ていると思います。
で、あれなんですよ。
だから結局、怒られているケースはほとんどがこの脅迫症的な理由です。
日本ってやっぱり脅迫的な文化がありますので、
これもまた日本人がその割寂しい寂しいの俳句とかを読みたがるんですけど、
寂しくて当然ですよね、ある意味では。
だってお葬式になったらこうやって、こうやって、
先行こうやって、こうやってお悔やみ申し上げます。
以上っていう、そういうふうにある意味やってきてしまったので、
その情緒的交換が少なくて済むようにするならば、
いくらでも少なくて済むようにできる面があるわけですよね。
徹底的に、なんていうんですかね、パラノイアっていうのかな、
とにかく形式的なところで済ませるようにもできなくはないわけだから、
それの上に今みたいにすごくジゾイド的な世界になっていくと、
なんとなくこう、情緒交換が全然できない世界が出現するわけです。
情緒交換大変だからいいじゃない、それでっていう気質の人にしてみると、
それでいいんですけれども、大半の人は普通はそうでないので、
なんかひどく息苦しい上に疎外感があるみたいな話が出てくることも当然あるわけです。
これは別にこの国に限った話では当然ないですけれども、
そこにはやっぱりこう、人はいいおっぱいだけ出せないからね、
っていう含みがあるわけですよ。
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いろんな側面があるし、人には裏側があって全体があるので、
全体があることによって傷つくので、それを避けるように避けるようにする、
これは一つの戦略なんですよね。
コントロールできる戦略ということになるんだと思う。
で、コントロールしているわけですよ。
表面だけでやりとりできるようにコントロールしてきていると。
で、それが打ち壊されるというか、少なくともそこに違うものが打ち込まれると、
起こり出す人が当然おります。
その人たちが心の傷の話を始め、その人たちに傷つけられるって話を始めちゃうんですけど、
今の観点で考えると、それは相当実際には実情にそぐわないかなと。
その人たちが傷つけているわけでは決してないってことですね。
そうではなくて、傷つく要因はそこら中に無数にあるんだけど、
実は全く本当は傷つかなくていいはずなんですよ、きっと。
傷つかないようにこの文脈でするということは、
人には全体性があってはいけないってことになっちゃうんで、
そんなことは最初から無理ですよね。
人は部分的なものの相話じゃないわけですから。
私は例えば父親とか夫とか、仕事のパートナーとか、
ライフハッカーとか作家とかの集合体でできているわけじゃないですからね。
それ全部張り合わせても僕にはなんないので。
そういうことですよね。
そういう面が後ろにあっては嫌なんですと。
ある意味傷つきたくないというのはそういうことだと思います。
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