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2021-07-01 32:16

【GMV408】私は肉体そのものではない

私を守るというイリュージョン
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
7月に入った途端に梅雨一色みたいな天気なんですが、
7月9月1日で10日にグッドバイブス勉強会というのを倉園圭造さんとやります。
ここのテーマが罪悪感というものだったんですけれども、
これですね、ものすごく大きなそれを持っちゃっているというケースもないわけではないと思うんですけど、
むしろものすごくしょうもないケースというのが日常にはわりとあふれていると思うんです。
ものすごくしょうもない罪悪感というものを抱くことによって、あるいは誰かにそれを認識することによって、
それは認識するということですらないんですよ。
例えば靴脱ぎっぱなしだったとか、そういう罪を罰したいという意識って、
花々ときどき言いますが、コストパフォーマンス悪く厳しい目線を向けるんですよね。
そういうことをテーマとして今回取り扱っていくのかなと思います。
それなりに深刻なことも日常生活でもあるとは思うんですけれども、
そんなに深刻じゃないやつが蓄積されて許しがたい気持ちを抱くというのが、
わりと一つの問題を生むんだろうなと思うんですね。
そのときに必ず私たちがやることの一つに投影ということがあるんですが、
投影というのは、昨日もおとといも話したかなと思うんですけど、
今日もさっき、今も投げてますが、
キースタジアムで大谷投手が投げてるんですよ。
今日は一番ピッチャーだそうです。
応援したりするじゃないですか。これが投影なんですね。
投影ってその意味私たちの驚くべき能力で、すぐにできちゃうんですよね。
一瞬でできるんですよ。
考えてみればこれって大変不思議な現象で、
誰かになっちゃってるわけですからね。
しかもブラウン管を通して大谷翔平になっちゃうみたいな。
なっちゃわないじゃないですか。でもなってる人いっぱいいると思うんですよ。
なっちゃうからこそ、例えば彼が打たれたりするとダメージを受けた気がするんですよね。
これって何かに似てると思うんですよ。
今のはポジティブな投影なんですけど、当然ネガティブな投影ってのもありますよね。
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この話の流れの中で投影同一誌っていう話を盛んにしてるんだけれども、
一つ私たちの認識として、私たちって肉体そのものじゃないじゃないですか。
この話、時々最近しておりますけれども、
私たちは肉体そのものだという主張もあるんですけど、
私はすごく唯物的な人間だと思うんですが、
もともとそれでも肉体そのものだと思ったことは一度もないんですよ。
っていうのは一つには、これはやや哲学的な話になっちゃいますが、
肉体そのものだとすると、肉体ってなんだろうって話がそこに残っちゃうと思うんですよね。
目で見えるものとかいう定義は全くナンセンスで、
そんなことを言ってしまったらVRとかはどうするんだって話になるんですよね。
あれは私たちは目で見てそこに肉体があると信じ切ることもしばしばありますけど、
あるはずがないですよね。
だから目で見えるものとかいう定義は全然ダメだと思うんですよ、物質というものを。
触れるとかいう話もなくはないんですけど、触れるっていうのは触覚の問題でしかないので、
私たちは夢の中で何かに触ってますよね、頻繁に。
触覚があるというだけではそこに肉体があるっていう何の証拠にもなってないんですよ。
触覚が感じられますというのは多分ですね、
やろうと思えば何にも触っていなくても非常に実感としてあるっていう感覚を持つことは、
今後VR等の技術で容易にできるようになっていくと思いますので、
これも全然ダメなんですよ。
そうするとそこに物体があるって何を言わんとしてるんだろうっていう話を始めるとですね、
結構自分が肉体そのものであるといったときに、
それが何を意味しているのか、かなりあやふやな話になっちゃうんですね。
むしろ、これは最近ウッドワイブスでよく言われている、
クラゾンのケイトさんがよくお話になるですね、
2つ私があるって話なんですけれども、
肉体としての自分というか、
肉体を守ろうとする自分ですね、
そのようなことには一頓着しない自分。
元々この話が面白いんですが、
元々は私たちは後者だったんだって話なんですね。
私はそれがすごく精神分析的だと思っているんですけれども、
つまり自分が肉体であるという認識って明らかに成長とともに発生しているものですから、
多分ですが、例えばほぼ確実に魚とかそんな認識は持ってないです。
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自分が肉体であるなんてね、全然思っていないと思いますね。
つまり我々が勝手にそういうことって思うんですよ。
しかもこれは肉体という言語を用しますよね。
多分確実に言葉の方が必要だと思うんですよね。
だから対象とかいう言葉が精神分析的だったり、
対象とかいう言葉が精神分析では頻繁に出てくるわけで、
対象というものは結局認識なので、
肉体という認識、言葉というものがある以前の状態ではですね、
夢も現実もそこに区別をするのは無理なので、
自分が肉体であるなんてましてや思わないと思うんですね。
私が肉体であると思うにしても、肉体でない部分って残ってしまうんですよね。
記憶とかがそうですし、そもそも自分の名前がそうですよ。
名前は肉体じゃないですよね。
私は佐々木だみたいに言うじゃないですか。
その時に別に肉体を指していてもいいんですけど、
そうでない部分があるわけです。
言葉で指し示せるということは既に大変微妙なものです。
それに私は経歴を自分のことだと思いますもんね。
この番組でも言っとき、ただの話題にして出しただけですが、
黒歴史とかって言ったじゃないですか。
黒歴史が恥ずかしいっていうのは、
自分がイコール肉体じゃないって言ってるようなもんですよね。
別に過去の自分が何かをしたということ、
例えば私の本なんて、私の本も私じゃないじゃないですか。
でも私の本を徹底的に攻撃されると私が傷つく感じがする。
これは私が肉体じゃないと思っている部分だと思うんですよ。
私の本なんてどう考えても物体ではあるけど、
私じゃないですよね。肉体でもない。
本は物質的な意味というのはほとんどないので、
電子書籍なんかもそうですけど、
本で攻撃されるっていうのは、
本そのものを物体的に攻撃されているわけじゃないですよね。
こういうふうに私というのは非常に、
いろんな形で存在していると思っていて、
問題になる時というのは、
これを守らなければいけないという時なんですね。
グッドバイブスで言う守ろうとする私、
この場合多くは肉体なんですけど、
特に最終的にはそうなんですが、
という私とは、
身体なんだけれども、
これを先日意識したんですが、
この身体という私、守ろうとしている私はですね、
実に独特なやり方で守ろうとする。
要は外部から危険が迫っているっていう、
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なんて言うんですかね、
危険が迫っているという一つの予知を与えるみたいな感じなんです。
予知というのは、予知無っていうやつの予知ですね。
予測でもいいんですけど、
予知みたいなものを感じるんですよね。
これから攻撃されるんだぞみたいな。
恐怖っていうのは、
大概起きたことについて思うことではないと思うんですよ。
これから起きることについて、
今にも起こりそうなことについて、
最も私は最高潮に達する感じがします。
起きたことっていうのは、
マックスじゃないような気がするんですよ、既に。
起きても大丈夫だったから起きたわけですからね。
私はよく家庭の不安みたいな話をしますけど、
これは私が家にいて仕事をしていることが多いからということもあるんですけど、
やっぱり身体に来るっていう部分が、
身体に来ると私が思い込む部分が最大値になるから、
これも先日面白いことに、
何にも起きてないのに私が予知すると、
すでに攻撃を受けた感じを抱くんですよ。
この場合は、本当に身体に向かう感じがするんですね。
二重に不思議なんですよ。
一つは、全く攻撃的な態度を誰からも家で取られてないのに、
恐れることがある。
もう一つは、全く身体的な攻撃を受けてないのに、
恐れているのは身体にまつわる何かであるってことなんですね。
例えば私はDVを受けたってことはないんですよ、この家で。
だから身体が本当に恐れる理由は何にもないんですよ。
殴り合って勝てないとも思わないですしね、あんまりやりたいとは思いませんけど。
つまり身体が恐れる理由はないはずなのに、
恐れているのは確かに身体なんですね。
もう一つが、必ずしも戦いが始まってなくても恐れることはある。
これはありますよね。
相手がまた何か言ってくるんじゃないか。
しかし言ってくるというのは殴ってくるのとは全然違うんで、
本当は身体が恐れる理由はないんですけれども、
恐れているのは身体であると。
こう考えてみるとですね、
この恐れはやっぱり身体が何らかの防御的な構えを取ることによって
発生しているものなんですね。
このことを多分納得できないんですよ。
私のようにまだ気楽な環境じゃなくてですね、
厳しい環境にある人、本当に殴られるって人もいらっしゃるわけじゃないですか。
そういう人からすると余計納得がいかないと思うんですね。
この恐怖感は相手が作り出しているものだと、
どうしてもやっぱりそう思えるんですよね。
でですね、その時に私が考えたこととして、
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これはつい昨日考えたんですけれども、
投影ってのはそういうことなんですよ、でも。
私は肉体であるって思ったことはイコール肉体である。
肉体でもありますが多分。
肉体であると思い込んだことはないと。
それ以外のものではないと一切肉体であるって感じたことはないんですね。
むしろそういうぐらいだったら、
自分は意識であるって方が昔は割と思い込んだんですよ。
一切は主観であるって感じを持ったことがありますから。
一切は主観であるってのは、つまり身体じゃないじゃないですか。
意識の方が近いと思うんですね。
これは減少学なんですけれども、
精神分析もこれにすごい近いと思うんですけれども、
一切は主観であるっていう感じ方っていうのは、
自分が身体であるという風にはみなしてないんですよね。
どっちかといえば目の前にあるものも自分だみたいな感じの方が近いと思うんです。
少なくとも自覚は自分の自覚だってのがありますからね。
これが統合失調みたいになると崩壊していくんで、
そのケースどうするんだろうって考えたところから、
僕はすごい精神分析にハマった気がするんですけれども、
つまり私が見てるものなのに私じゃないって言い出す人が出てくるわけですよね。
私はそれは非常に分かりにくいんですよ、私のような人間には。
夢も自分だって思うんで、
そうすると意識内容は全部自分だって思うんで、
だから私は意識が自分だっていう方が、
昔は主観一元論みたいなのに僕はハマったことがあるんですよ。
独我論とかって言われるんですよね、批判的には。
つまり世界は私の夢であるみたいな考え方ですね。
これの方が私にはしっくりくるんですよ、はっきり言って。
そういうふうに考えると、
メルロポンティーあたりの人が言ったことだと思うんですけど、
身体というのはですね、メルロポンティーはそういうことは言わないと思うんですけど、
でも身体というのは私が投影している肉体って感じがするんですよね。
これはすごく持って回ったような表現になっちゃってるんですけど、
さっき言いましたが、私が例えば大谷翔平党首に投影すると、
大谷翔平になっちゃうと、完全になっちゃいませんよ。
完全になるとそれとご主張に近いと思うんで、
完全にそうはならないですけれども、
だいぶそっちに入り込むことはありますよね。
あの、ほら、検証とかになっちゃう人いっぱい子供の頃いるじゃないですか。
あれ、投影同一誌だと思うんですが、
私は始終肉体に自分を投影しているんだなって、
先日すごく思ったんですよ。
イコール肉体じゃない、しかも肉体は攻撃されてないのに、
まあ肉体に向かって何か攻撃されることはあるんですよ。
殴られたり蹴られたりしてるわけじゃないのに、勝手に肉体が怯え、
しかもその怯えを使って自分が勝手に恐怖に落とされる、
自分が肉体だと思い込んでいるって言い方の方が近いと思うんですよ。
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その時、私がしていることって、私の肉体に私が意識を投影している感じの方が
多分正しいと思うんですね。
厳密にはちょっと微妙なんですけど、
鏡で自分の手を鏡に映して、そこに鉛筆を突き立てると痛い。
実験があるんですよ。
あれ私実はやってみたことがあるんですけど、
痛みまでは来ないな、色々知ってるってこともあるんですけどね。
でも何か感じるものはあるんですよ。
つまり痛みは投影で作り出せるんですよね。
完璧じゃないですよ。
刺さった感じとは全然違いますけども、
とはいえそういうものってあるんですよね。
ってことは、
肉体というのに自分の意識を投影するってのは、
別に無理なことでもおかしなことでもないと思うんですよ。
ということは、
この投影をやめればですね、
自分の肉体に向かってなされている攻撃というものによって、
自分が傷つく理由はほぼなくなるんですよね。
殴られるわけは別ですよ。
身体自体が傷ついちゃいますからね。
なので、自分が傷つく理由はほぼなくなるんです。
ですよね 殴られるは別ですよ身体自体が傷ついちゃいますからね問題なのは私なんですよ
私がだって大谷翔平当初が例えば大リーガーで乱闘が起こって殴られても私は傷つかない じゃないですか
もし傷つく気がするとすればそれは強く強く投影した結果ですよね 8それと近いことが自分の肉体についてもきっと起きているんだと私は思うん
だから夢の中で殴られても痛いんですよ 夢の中で殴られたって体は痛くないはずじゃないですか
で私は夢の中で悪夢をよく見たんで身体的に攻撃されることは何度もあったんです けどいちいち痛いんですよ
ガラスの破片とか飛んでくると痛いんですよでもそんなはずはないですよね どう考えてもそんなはずはないんですよ
これはだから完全にえっと 身体に投影しているんだけどあのその投影は起きている時も多分4、6時中やってるんですよね
身体に投影 そしてその身体を口喧嘩なんかで攻撃されると身体が恐れを出すと
でもよく考えてみると口喧嘩で体が傷つく理由はないし しかもその口喧嘩必ず体に向かって行われている感じが強いので
本当は私っていうのはそれによって傷つく理由はないんですよね これ心が傷つくって言うじゃないですか
この心が傷つくって表現こそまさにですね とっても肉体に意識を投影している証拠だと思うんですよね
肉体に意識を投影したところで肉体のイコールにならないですから 大谷投資に投影するのと同じでならないんで
だから心が傷つくっていう言い方になるんだと思うんですよ 多分
すごく大谷投資を応援してますとで打たれちゃいました心が傷ついた感じがすると思う これしか言い方がないんだと思うんですよ
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でも私はそれは多分違うと思うんですね 多分違うというのは
子供が 昔私の子供の頃にガッチャマンってあやつなんですけどガッチャマンごっことかするわけですよ
やたらしたんですよ そしてガッチャマンとしてやられたからと言って心は傷つかないじゃないですか
そのようなことはそれが終わったらすぐにサッと 終えてしまえるものなんですよね
昔々 昔でもそんな昔じゃないな このグッドモーニングバイブスでも言ったそのウィニコットって人がですね
ママゴトというのを非常にメタファーとして使ったんですね ママゴトをメタファーとして使ったというよりは
精神分析というのはそういうもんだって言いたかったんだと思うんですよ 疑似で親子関係やってみたりいろいろするわけですよ
恋愛ごっこをしてみたり ごっこなんですよ でもその時に猛烈に入り込まないと意味がないわけじゃないですか
でも猛烈に入り込んでも即座に終えることができますよね ママゴトだって子供って即座に終えるじゃないですか
さっきまでやたらとご飯とかお味噌汁とか言って お水とか泥だんの子とか言ってたのが終わったら即座に全部投げ捨てて
後で怒られますよね つまりそういうことなんですよね 私たちは投影をしてすぐに引き払うことができるはずなんですよ
この投影で心が傷ついたとかいう話をして 延々と引っ張るというのはずっとそれをしちゃってるって話なんですよね
ずっとそれをしちゃうんじゃなくてそれが投影なんだということに気づきましょうっていうのがすごく精神分析の一つのポイントなんだと思うんです
だからついさっきまでケンケンガフガフの夫婦喧嘩みたいな感じで 患者さんが一生懸命怒ったりしていたと
本当に要するにあれですよ 転移ですね
精神分析科を奥さんとかに見立ててもう徹底的に男女関係ないですよ ガンガンガンガン攻撃するとガンガンガンガン攻撃して本当にそうなっちゃったと
はい時間です だから時間で切るんですよねあれは そしてはいお金払ってくださいと
で封筒とかに入れるなって言うんですよ 要するに裸で羽を渡せと
そうするとピタッとそこで終わりますよね これが多分大事なんだと思うんですよ
これだけじゃないと思うんですがここにいろんな意味が含まれると思うんですが こういうことが大事なんだと思うんですよ
私も先日つくづく思ったんですね その攻撃もされてないのに肉体が恐れをなすと
でこれこれあれこそ投影なんですよ 投影同一視なんですよそれは
変な言い方になりますよ私が自分の肉体に投影同一視してるっていう話をしたら いやあなたは肉体と同一でしょうって言われたら
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反論できないですがでも グッドバイブスの考え方から考えてみるとそうおかしなことではないし
現象学で言っても多分そうおかしなことではないと思うんですよね 意識を肉体に投影するそして肉体だと思い込んでしまう
夢の中では間違いなくそういうこと起こってますからね 多分起きててもそれをやっていてそれは非常に夢に近い
何かだと思うんですね そうやって自分で防衛しているつもりになっている
なぜならばだってそんなものを守るために 意識がそれが怖くてしょうがないんだったら投影やめればいいわけですから
えっと肉体が本当に 危険に晒されているなら別ですよ
その場合はその場合は逃げ出すしかないと思うんですけれども そうじゃないんだったらそれが怖くてしょうがない場合はですね
投影引き張っちゃえばいいはずなんですよ えっとこれはお味噌汁ではなく水ですということを認識すればですね
その認識に無理があるはずがないですよね むしろ逆の方がよっぽど本当は難しい話のはずなんです
だから私は最初に魚は自分を肉体だと思ってないというふうに言ったわけですよ
多分この能力の方が高いんですよ 工事機能だと思うんですね 私が肉体に自分の肉体に投影し私とは肉体と相一致しましたって
この意識を持つ方が本来は努力を要したと思うんです 引き払うということ自体が本当はそんなに難しくなくましてですね
引き払った後になってまで一生懸命それを引っ張る つまり記憶を自分の体に投影しちゃうなどというのは
それをトラウマというんだと僕は思いますけれども今では 本当はそれはどほどのことが起きたかどほどの努力をしているか
その両方かっていう可能性が高いと思うんですね もちろんそれは無意識の努力ってやつです
意識的にはそういうことをやめたいんだと思うので無意識の努力なんだと思うんですよね そこに
フロイトは固着って呼んだんですけどねこれを
あの だいたいここまでくればですねえっとズレがそこにあるのが確かになるので
8 いくら身体に向かってですね攻撃されてもそれは確かに不愉快なものではあるんだけど
まるで昔書いた本に攻撃されているような感じになってですね まあそういうこともあるよねっていうのかな
8それによって何か致命的な打撃を受けるとかいうことは
怒らないってことがやっぱりわかると思うんですねちょうど何点ですかね 身体は3次元のものなんだけど
8私は4次元のものこれはあくまでもあれですよ 比喩です2次元と3次元でもいいんです
身体は2次元じゃないから2次元というのは変なんだけどまぁ身体2次元のものだとし ましょう
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で私は3次元の存在だとしてですね 8
2次元に書かれたものは2次元の矢の絵とかでも刺さるんですがその矢の絵で私に何か が起こることはないんですよね
そういったズレがあってなんかこう次元的なズレがあってやることはできるんですよ 絵に私の顔を書くことはできるじゃないですか
その絵の顔に徹底的に攻撃すればなんか不愉快な感じはするじゃないですか でも
それは例えばそれを捨ててしまえばそれっきりじゃないですか そういうことなんじゃないかなというふうに
うーんと思えてきたわけです で
こう考えてみると確かにグッドバイオスで言われていることというのは意味付けといい イリュージョンといい
全部そういう話にこうなんて言うんですかね集約させることができていく感じがするん ですね
東映と意味付けは完全に同じことですし 東映同一誌の中にはイリュージョンが絶対に含まれます
だいたいだってほら私が大谷になって打つとかイリュージョン以外何物でもないですよね 実質それを見てはいますが
えっとそれとこれとは何の関係もないですよね イリュージョンは自由自在で何でもありなんですよねイリュージョンなんで
ってことはイリュージョンは自由自在に消していいわけですよ えっと今日の最初の cm ですけれどもつまり罪がイリュージョンだって話になるはず
罪がイリュージョンだったら何でもありになるじゃないですか もちろんこれはテレビで重大な事件を見るとそうじゃないって感じがするんですよ
そうじゃないって感じが必ずするはずなんですね でもだからなんですけれども些細な話の場合はイリュージョンのほうが大体でかいんで
罪がイリュージョンだというふうに見るのは実に簡単なんですよ 靴脱ぎっぱなしとか
絶対いますからね 靴脱ぎっぱなし死刑だみたいなそういうお家の感じになっちゃってるケースってありますからね
えっと そういうイリュージョンってやっぱり膨らみうるものだし
ただその膨らんでいるイリュージョンというのは全部こう やっぱりいろんな投影をした挙句をほとんど
なんていうんですかね 無有病みたいになっちゃってる状態じゃなければ成立しないですよねそんなもの
おままごとってそうじゃないですか いろんなこうイリュージョンで徹底的に固めると だってそうしないと信じられないんですからね
そうすることによって初めてその世界でやっている感じがすると 今まだVRの技術が十分でないのでVRも多少そうです
やっぱり黒い枠見えるとか荒む方向見ちゃいけないわけですよ これが現実なんだって思い込もうとして初めて思い込めるような感じ
と私たちがその肉体に自分を投影して そのやりとりの中に罪というイリュージョンを作り出して
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死刑だ!ぐらいの勢いになっちゃってる時ってのはそういうことが行われていて 信じよう信じようとしている無意識の努力がですね
かなりのものになっている この話は私全然また違う方向なんですけれども
タスク管理で先送りってあるじゃないですか この話にすごく関係が実は深いだろうなと
特に最近は思うようになりました これもさっきテレビ見てても思ったんですけど
これの大きなヒントくれたのはメラニー・クラインっていう フロイトの弟子さん一番弟子さんなんですけどね
えっと東映同一誌というのは自我を弱くするんだっていう話を書いてるんですよ
コンコンと書いてるんですね あれの読んでて3,4ページなんですけどさっぱり意味わかんなかったんですけど
非常によくわかる気がしてきました さっき不思議だったんですよ
よく言うじゃないですかテレビずっと見てると仕事する気がしなくなると だからテレビ消せみたいな 勉強とかそうですよね
ずっと見てるとこれ ただこう言われてるじゃないですか僕これをねあの学生時代に聞いた時なぜなのか
なぜこそいう現象が起きるし確かに親とかそういうことを言ってんのか聞いてもわかんない 教えてくれないというかわかってないんですよね
やったってテレビばっかり見てると勉強する時間なくなるでしょ それは時間の話であってモチベーションの話じゃないじゃないですか
なぜモチベーションが失われるのか 非常に私良い本じゃないなと思ったんですがこういうこと言うのも嫌なんだけど
完全自殺マニュアルという本が私が中学生の頃かな 実に流行ったんですよもっと後かな
あの時にもあったんですよテレビを消した時のその 虚しさから逃れるためにみたいな表現があったんですけど
今ならえっとあれにどういうふうに反論できるかっていうのがあるんですけど当時は あの虚しさってものが確かに虚しいって感じだけを持ったんですね
投影というのは自分が何か別のものになるわけだから そして対外そこで分裂が起こるのでこの分裂も非常に気の説明はしましたけれども
お話はしましたけれども例えばヤンキースは敵になるじゃないですか で私はヤンキースにも自分を投影してるんですよここは説明しがたいんですけどね
つまり自分を2つに分けてで自分で自分をやっつける物語を楽しんでいる いいんですけど別にいいんですけど
これをやっやりずっとやってるとそれは疲れるんですよ えっと
不意に自分に戻ってきた時に なぜかこうすごく消耗している感じが発生するこれがですね
えっと私はあの特にそうですね世の中とか 他人とか人間関係とかいうものが苦手な人には絶対に発生することだと思いますこれやっぱり
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頭のいい人なら本当は自分でわかってもいいようなものなのに 妙に頭のいい人がこれを四六時中やっていて
えっと私は体力がないとか言っていらっしゃるのを聞くと なんでそういう発想になっちゃうんだろうというのはずっとあったんですよね
えっとそうではないんですよこれは学校で教えてくれればいいんですけどね ほんの少しでもフロイトと投影を
投影すれば当然疲れるはずだし疲れるってのはつまり 投影すると自画機能が弱くなるというのは当たり前のことだと思うんです
私たちは木とかにそんなに投影しないじゃないですか 木とか蝶々とかに投影している限り大丈夫なんだけど
まあそうじゃないですよね ドラマとかでしょドラマとかそれこそ鬼滅の刃とかでしょ
必ず戦ってるじゃないですかで自分は 戦ってるんだけど敵もいるじゃないですかどっちも自分なんでね
投影するはずなんで必ずそれは何て言うんですかね えっとそれをやってる間は自画機能はほぼ停止しますし
投影で全部になっちゃいますからね一歩間違うとでそれが戻ってきたときは なんか何もする気しませんってなると当たり前だと思うんですよね
この話をもう少し詰めてすることができれば mp とかいう話をせずともなんで人が
投影ばっかりしているとやる気を失うのかという話がきっとできると思うし なぜ地蔵移動の人たちがえっと仕事を苦手とする仕事を苦手というのかな
えっと先送りという問題と格闘しているのかということと同時にその
ライフハックが非常にこう 有効に作用すると信じられやすくなるのかということも
合わせて考えつくような日が今ちょっとしているんで えっと今は私はその肉体と私のズレみたいな方に意識がほとんど向いちゃって
いますけど やがてはそっちのことを考えていきたいかなというふうに思っています
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