2021-06-30 34:31

【GMV407】相手が100%の悪であることはない

そうしないと怒れなくなる
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
ここのところずっと東映ドイツ誌みたいな専門用語は決まりないんですけど、
でも現象としてはそこら中にあって、
昨日一つこれだって思ったのがあったんですよ。
昨日千葉ロッテがオリックスに5-1で勝ってたんだけど追いつかれちゃったんですね。
この時うわーって思ったんですけど、これが東映ドイツ誌ですね。
まず応援しているチームならどこでもいいんですけど、
ワールドカップとかで日本だったら大体の人は応援するじゃないですか、自然と。
この自然とっていうのが東映で、同時にドイツ誌も起こってますよね。
自分とまるで自分がロッテになったみたいになっちゃうんですよね。
選手に東映することも多々ありますけど、チームに東映することも同じくらいよくあります。
これで自分が東映してしかもそれと一緒になっちゃったみたいな感じがする。
感じがするだけじゃなくてですね、
本当に痛みや苦しみや喜びが分かち合える感じになる。
別に驚くようなことではないと思うんですけれども、
ただ単に東映するというよりは同じになってしまっているという感じを抱く。
だから東映ドイツ誌ってクラインが言ったんでしょう。
この言葉はいろんな形で使われるんで、
大変分かりにくいなと思ってたんですよ。
いくつか事例を考えていくうちに、そういうことが言いたいんだと思って、
やっぱりそこから東郷市長賞のケースに繋いでいくんですけど、
すごいよくここまで考えていくようなと思います。
結局クラインは要するに幼児なんですけど、年齢はどうでもいいんですよね。
要するに東映ドイツ誌って、そうは言いましても、
普通我々はロッテにはなってないことを知ってるじゃないですか。
ロッテは自分と関係ないよねってことをどこかで知ってますよね。
あんまりものすごく思い入れちゃう時っていうのはあって、
例えば日本シリーズでこれ抑えれば勝てるっていう時に、
ノワウト満塁になったみたいな時になると、
泣いて祈ってる人みたいなのが甲子園とかでもいるじゃないですか。
東映ドイツ誌ってすさまじいところまでいくけど、
でもやっぱりそれが自分じゃないことを我々は知ってるわけですよね。
でも心の機能が十分じゃない幼児の場合、
03:04
多分これ分からないと思うんですね。
このことをクラインはマフロイトの理論から導き出して、
要するに相手になってしまっている。
そして自分がそれじゃないことを分からなくなっているっていうか、
そもそも自分がそれじゃないなんてことを知らない、
そういう年齢ですからね。
例えば良いお母さん悪いお母さんってこの話になると、
社会問題みたいになっちゃうんですけど、
そういうことでは全くなくて、
幼児側からの世界なんですよね、完全に。
幼児側からそのお母さんはどう見えているのか、
お母さんが良いか悪いかは全くどうでもいいことで、
要するに悪いお母さんでは絶対に幼児にとっては出てくるものであって、
しかもその時幼児は悪いお母さんになってしまっているんですよ、一部。
しかもそれが自分じゃないことは分からないんですよ。
さっきの甲子園で祈っている女の子みたいに、
分からなくなるレベルまでいくというか、
その甲子園の人は高校生だから分かるはずなんだけれども、
幼児には最初からそもそもそんな区別はないので、
最初から分かっていないんですよ。
だから自分にすごくきついことが起きたと。
簡単に言うとお腹が痛いとかですよね。
あるいはうんちが出ないとかですよ。
その言葉もないじゃないですか。
お腹って言葉も分かっていない。
痛いという言葉も知らない。
そうすると体験がものすごい生々しい上に、
自我がはっきりしているわけではないのだから、
その原因になっている何かというものに
自分がなってしまうわけですよね。
私だってあれですよ。
例えばロッテソフトバンクみたいな時に、
ソフトバンクすげえ憎いみたいになりますからね。
今はほとんどならないですけど、
高校生とかの時はなってましたよね。
そうするとこれが例えばもっといっちゃって、
例えばアメリカと戦争してますみたいな時は
なりますよね、完全に。
本当にアメリカ憎いっていう感じになるじゃないですか。
でもそれでも我々は、
たぶんその時の人たちもそうだと思うんですけど、
自我があるわけですよ。
ところが自我がないってことになると、
アメリカ憎いみたいなのも言葉もないまま
なっちゃうわけですよね。
これがたぶんですね、
例えばヤマンバと小僧さんみたいな
童話になるんですよね。
つまりあれヤマンバじゃないんですよね。
なんか自分のお腹を痛くする、
それも概念としてはないんですよ。
自分を苦しめる、
すごい悪の塊みたいな、
しかもそのヤマンバになっちゃうわけですよ。
で、小僧さんにもなってるわけですよね。
それが自分ですよね。
その分離もはっきりしないんですけど、
06:01
でも分離してますよね。
で、この分離というのは、
この分離から全てが始まるんだ
ということを言うわけですよね。
なっちゃうのは投影同一視なんですけども、
その投影同一視の時には
決まって苦しんでるケースが多いわけですから、
すごい良いことが起こってるケースもあるんでしょうけど、
普通は苦しんでるわけですよね。
で、苦しんでるってことは、
苦しんでる相手に投影してるってことは、
当然苦しめられている自分もいるから
分裂するじゃないですか。
この分裂、スプリッティングっていうのは
何を言うんだと思うんです。
善悪に分ける。
どっちも自分なんですよ。
でも善悪に分けると。
で、他方は悪であり攻撃してくるもの。
これが苦しみを作り出すものですよね。
ヤマンバですよ。
で、他方はそいつに追いかけられて
迫害されているもの。
小僧さんですよね。
に分かれるわけですよね。
これがスプリッティングになるんだけども、
これを成人の心理にこのままの形で
発生するとどうなるか。
多分成人は迫害しているのは
さすがにお母さんのはずないんで。
ヤマンバっていうのは要するに
お母さんなんだけれども
お母さんのはずはないんで
迫害しているものはもっと違うものになるけど
迫害することに違いはないんですよ。
だって人生なんで
やっぱり苦しみがあるわけですよね。
これでようやく
僕はですけども
統合室長についてはいろんな説明がありますが
私統合室長の知り合いって何人かいるんですよ。
その人たちの話どうしてもよく分からない
ってことが多かったんですけど
これで一番僕は分かる気がしたんですよ。
そんなに難しい話じゃないんだなと。
スプリッティングをして迫害するというものを
どっかに投影しちゃっていて
しかも私たちに分かりにくいのは
これが自分がやってるわけじゃないんだっていう
自分がやってるに違いないのに
自分がやってるということに気づかないと
そうするとどういうことが起こるかというとですね
例えば
あのATMに私は見張られていて
大変な思いをしているとかいう話が
不意に来るわけですよね。
不意にそれを聞かされる。
どう答えていいか分からないんで
あれはATMじゃないですかっていうことを言っちゃうわけですよ。
そういう言っちゃダメなのかもしれないんですけど
そういうことを不意にやっぱり
最初はどうしてそういうことを言い出してるのか分からないからね。
不意に言われると
こっちもそういうふうに
あれはATMじゃないのってことになっちゃうわけですよ。
あれはヤマンバじゃないのとかって言わないじゃないですか。
それなら分かるわけですけども
分かんないわけですよね。
むしろ大人になって
投影先が
いろんなものに投影しうるから。
究極的には多分お母さんなんだと思うんですよ。
でも本人もそんなことは
もう全く意識していないし
09:02
当然それを自分がやってると
ここが大事なんだと思うんですけど
やってるということを知らないから
気づいてないから
それは自分の心の働きによるものだなというふうに
思ってないので
だから
そういう非常にですね
驚くべき話になる
ところがですね
この驚くべき話は
実は程度問題では確かにあるんですが
程度を下げれば
怒るということをする
どんな人にでも
起きていることなんだということを
自分はグッドバイブスで理解したんですよ。
怒るという時は
少しであっても
たくさんであっても必ず
それを見失ってるってことはほぼないんだけど
でも
この投影同一誌
スプリッティング
結局これは
妄想分裂ポジションって言うんですけどね
このポジションに入る
入らなかったらできないっていう話を
私はグッドバイブスで聞いたわけですね。
どういうことかというと
100%相手が悪いってことになるんですね。
100%相手が悪いっていうのは
クラスの系統さんがセミナーで
10対0って言ってたんですけど
あれは交通事故の責任みたいな話ですよね。
よく言いますよね。
1対3で向こうに責任があるみたいな
でもそれは3こっちにも責任があるって話ですよね。
これは同行法とかで分配したりする
その基準があるからできるんですけど
普通この世の中に10対0ってないじゃないですか。
ところが怒る時は
私らはよく観察してるとよく分かるんですが
10対0で相手が悪いって時に怒るんですよ。
でも10対0で相手が悪いってことは
相手は白外者なわけですよ。
この時に私たちは必ずスプリッティングと
同じことをしないわけにはいかないんですよね。
悪は向こうに全部あるっていう感じ。
それと白外されてる自分に分けるんですよ。
心の中で。
これ絶対多少はやってるはずなんです。
そうじゃないと怒れないんですよ。
相手に。
怒る時に
昨日もお話ししましたけど
この妄想分裂ポジションっていうのは
妄想分裂ポジションっていうのは
0歳児に近い精神状態に対抗するわけです。
対抗って言うんですよね。
退いて戻るわけですよ。
赤ちゃん帰りとかっていうのと同じなんですけど
つまり
時代の区別がまず分かんなくならない限り
これできないんですよね。
さっきも言って最初に出したように
ロッテだか自分だか曖昧になって初めて
こういう感覚になりうるわけじゃないですか。
変なエラーが出ると苦しいみたいな。
それ自分と本当は全然関係ないから
投影して初めて
そういう感じを抱けるわけですよ。
巨人負けると嬉しいみたいな
そういうのってあるじゃないですか。
あれと全く同じ現象が
相手が自分を
12:00
自分の苦しみというものの
迫害原因を
それは多少はあるんだと思うんですよ。
例えば
例えば
戸棚をちゃんと閉めてないの怒られた
昔そういう話をセミナーで聞いたんですけど
私もよく似たようなことがあるんですが
それは
別に戸棚閉めなくてもいいと思っている人からすれば
迫害因なわけですよ。
自分の苦しみがそこにあるわけですよね。
まず言われて何か苦しいと。
この苦しみを作り出した対象を探すんですよ。
もちろん言った人に大概の場合は決まってますよね。
だからこの場合そんなに異常じゃないんだけれども
異常じゃないのはどうしてなのかというと
経緯がそこにあるからですよね。
これを欲打つポジションって
クラインが言うんなんですよね。
経緯があるんですよ。
経緯がなかったら
あるいは経緯を無視したら
その人はもうゼロ歳児に近いんですよ。
どうして自分のお腹が痛いのかって経緯じゃないですか。
食べ過ぎたからとか
お腹がなぜ空いたのかとかは
前にミルクをもらってから
4時間が経過したからとか
経緯ですよね、全て。
これ考える能力がまだない子にとっては
この苦しみは唐突に起こるはずなんですよね。
初めて最初に考え出すことが
迫害されていると
私はこれは議論の余地はあると思います。
迫害されているとばかり
幼児が考えるかどうかわからないですが
迫害されていると考えたことはあるでしょう。
どんな人でも。
そういう意味では
妄想分裂ポジションというのは
十分あり得るポジションだし
現に私たちはやっぱりそれをやるんですよ。
例えば戸棚を云々されるのが嫌だと
夫の人がやったとして
じゃあ何でそれを言う女性と
今結婚して一緒にいるんですかっていう
経緯があるじゃないですか。
この経緯を無視して
10対0で相手の言い分はおかしい
っていうところまで持っていくのは
無理なんですよね。
自分に必ず自分に原因があるんだけど
その部分は無視する。
無視するためには
歴史的経緯みたいなものは
全部見ないことにする
そういう
なんていうんですかね
ポジションなのかな
視点が必要で
その視点を取るときに僕らは
妄想分裂ポジションに入るんですよ。
クラインが名付けたところの
妄想分裂ポジションに入る。
そういう意味では
欲打つがいくつで
とは言えないんですよね。
多分どっちかが0になる人は
成人じゃいないと思うんですよ。
どんな人でも。
でも欲打つが限りなく0に近づいたら
多分僕らは正気とは
言い難い状態になるんだと思うんです。
そして
怒ってるときには必ず
これが妄想分裂ポジションが
すごい優勢になっているはずなんですよ。
これを
倉園さんがイリュージョンって
言うんですよね。
15:01
イリュージョンを作り出すことで
妄想分裂ポジションに
入りやすくできるんです。
入りやすくできるっていうか
これ入るべきところではないんですよ。
我々はこれを0になることはないですよ。
経緯だけで生きているわけじゃないですからね。
絶対に。
だけれども
基本的に正気の人というのは
経緯というものを意識に入れて
生活していますから
だからATMが
自分を
迫害したり
見張ったりすることはありえない
というふうに判断できるわけじゃないですか。
うーんと調子が悪いときのことを
考えてほしいんですよね。
ものすごく気持ちが悪くて
気だるくて
もうなんか死にそうだみたいなときに
ふいにパッと見たものが
自分を苦しめているように見える。
なんでもいいんですよ。
私もそういうことが昔あったんです。
ものすごく
きつい熱中症にかかったときに
パッと電気がついていたら
なんかこの電気って
少し熱いじゃないですか。
しかもその光が
自分を刺すみたいな感じ。
これが多分迫害されているときの
東映であって
東映同一誌なんだと思うんですよね。
迫害されている自分と
迫害している電気みたいな
そういう完全に妄想なわけですよ。
電気を迫害しないじゃないですか。
でもそれは
知っていないとどうしようもないですよね。
苦しみがあんまり強いとですね。
人間の心って
そういうことをやりだすんですね。
ああいうときに実感したんですけど。
子どもの心は
それが容易に起こるわけですよ。
だから童話には
本人はものすごく迫害話が
多いわけですよね。
くるみ割り人形とか
なんでもそうですけれども
西洋でも東洋でも
すぐ魔女が出てきて
やたらパージしてくると
攻撃してくると
自分の原因を
考える能力がないからね。
苦しみというものが発生したら
直ちにそれを
外に投影してしまうと
自分の中で苦しみを抱えて
いられないですからね。
ただ苦しいって嫌じゃないですか。
私たちはあんまり意識してないんですけど
ただ苦しいってことは
ほとんどないと思うんですよ。
昨日飲みすぎたからとか
今コロナだからとか
すぐ理由を認識できるから
耐えていられるんですよね。
ただ苦しいってのは
本当に厳しいと思うんですね。
そうすると外に必ず原因を
求めに行っちゃうと思うんです。
それが排出とクラインが
言ったものであって
排出してしまった以上ですね
苦しみが自分にある以上
排出された悪は必ず自分を
攻撃するじゃないですか。
これはもう確実ですよね。
苦しみが先にあるんだから
その原因は後から
作り出されているんだから
その原因は自分攻撃するためだけに
マンバであろうと
魔女であろうと
18:00
ATMであろうと
UFOであろうと
光であろうと
全然関係ないんですよ。
必ず自分に向かってくる。
これがつまり東映同一誌の
悪の方の東映同一誌ですよね。
自分は攻撃されていると
こうして自分の苦しみの
意味的な理解をですね
固めていくんですよね。
そして私たちが怒るときは
常にこれがまず発生している。
パージする者が外から
やってくるっていうことは
多分絶対なくて
ここに同意できないっていう人も
多いと思うんですけど
多分絶対なくて
まず苦しみがあり
次にパージする人が出てきて
それを攻撃すると
私たちは順序として
そうじゃないと思ってるんですね。
攻撃する人がいて
次にその人が私を攻撃するから
苦しみが発生すると
幼児も全く同じように
自分の発熱だろうと
全部同じように思ってる。
だから全原因を
母、お母さんに持っていっちゃうと
お母さんだけじゃないと
とにかく外に持っていく。
だって自分に原因があったなどと
考えつつ
自分という概念自体がないわけですから
この自分という概念が
なくなればなくなるほど
妄想分裂ポジションに
近づいていくというわけですよ。
自分の作り出したものだという
認識が薄れていくので
外に先に
外に何かが出てきてしまうんですね。
妖怪みたいなものなんだけど
成人が妖怪を
連想するのは変なんで
成人はその妖怪の代わりに
例えば排気口とか
水道の蛇口
あるいはテレビとか
なんでもいいんですよ。
対象というやつなんですね。
だからこれを対象と呼ぶんですよね。
なんていうんですか。
実在はしないものなんだけれども
見るという意味で
非常に困ったもの
ヤマンバなんてそうじゃないですか。
実在はしないし
見たことがある人もいない。
でもどういうものをイメージすればいいか
大体の人が知っている
ああいうのを対象と言うんだと思うんですよ。
そういうよくわからない言葉の使い方を
理解しないと
読んでいてもさっぱりわからないんですよ。
クラインみたいなのは
良い対象のおかげで
幼児は
持ちこたえることができるとか
全然わからないですよ。
いきなり読んだときは。
良い対象というのは
何だったろうって思いますよね。
でも例えばヤマンバと小僧さんって
最後にある絵本の中では
和尚さんが出てきて
ヤマンバを小豆に変えて
食ってくれるという
ああいう和尚さんというのが
良い対象ですよね。
実在するわけじゃないんですよ。
そういう人が。
でも子どもはそういうものを
心の中に持つことができれば
でも
乗り越えていけなかったら
21:00
大変なことになってしまいます。
多分自我が統合できないんですよね。
そういう
多分和尚さんみたいな人が
超自我とかになっていって
正しさを作るんで
グッドバイブス的には
ここに面倒くささの種みたいなものが
あるとも言えるんですけど
しょうがないですよね。
こういう構造ってないと
どうにもこうにもならないので
だから正しさが自分の中にあるというのは
良いものだという風にも
言えるんですよね。
正しいことをやることで
お腹痛くなくなったり
満腹になったりできるわけですから
その時正しいことが行われないと
要するにヤマンバの世界になっちゃうわけですよ。
この
何て言うんですかね
例えば怒るという時に
だからなんですけれども
怒りが湧くという時に
妄想分裂ポジションに
優位に立たずに怒れるかというと
僕は無理なんですよ。
例外なく無理なんですね。
敬意ってのは非常に重要で
こういうケースでは
なぜそういう人が
怒るのかというと
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
自分が怒ると
子供たちが怒ると
何かが悪に見えるのは、自分が自分だからなんですよ。
これが、すべての経緯に共通するポイントで、
にもかかわらず、怒るというのは、
これらの経緯を無視します、という宣言なんですね。
で、自体が、
9対0からの逆転みたいなレベルでは全くなくて、
ものすっごい自体が逼迫してくれば、つまり自分の苦しさが極大になればですね、
誰だって経緯に何か目をくれている場合じゃなくなるわけですよね。
夫が暴力症でどうしようもないですと、ひたすら酒飲んで暴力振るいます、みたいな。
この苦しみから考えるとですね、
なぜ結婚したのかとか言っている場合ではなくなるんですよね。
つまり妄想分裂ポジションしか、もうないという状態になったらですね、
しょうがないんですよね。
それはパージーしてくる悪がいて、
自分はそれによって迫害されているから逃げる。
これに対して、あとはもう、
他人がどれくらい、つまりその迫害という現実がどれほど客観性を持っているかどうかの問題でしかないと思うんです。
24:05
普通のケースでも同じですけれども、
多くの場合、私の検討した結果、多くの場合ですね、
自分が迫害されているというのはほぼ妄想でしかないんですよ。
少なくとも10中7以上はほぼ妄想。
かなり妄想の力を借りないと、
妄想分裂ポジションですからね、それこそ入っていけないんですね。
スプリッティングというのはやっぱり、
前とはこう分けて、自分が迫害される側、
そして外に迫害するものがあるというふうに、
そういう構造を作った時に、
構造を作るというか、心がパッとこれをやってくれちゃうんですけれども、
非常にこう相手が妖怪地味でくるんですよね。
難しいんですよ、これを説明するのは。
あの、妖怪地味でくるというか、
なんかですね、およそ正気の存在とは思えない。
それは当然なんですね。
悪を全部投影してますからね、そっち側に。
えーと、とっても嫌いな政治家とか、
とっても嫌いな虫とか、
とっても嫌いな、なんかとっても不気味だった子供の頃読んだ悪魔みたいなものを、
全部合体させた存在にするとそんな感じに、投影ですからね。
そんな感じになると思う。
これを攻撃したいと思うのは当然じゃないですか。
攻撃するための存在ですよね、これは。
あのー、クレームメールとかいただくと、
あのー、ギョッとするんですよ。
このギョッとするというところに、
えーと、まず相手の人から持ち込まれた妄想分裂ポジションの対象があるんですね。
えー、ATMに見張られてますとかいう訴えと同じなわけですよ。
だから、クレームメールというのを読むと、
非常に何かこう、嫌な感じはするんだけど、
言ってる意味がどうもよくわかんないってことが非常に多いんですね。
その漢字を受けた時の漢字というのは、
まさにこう、UFOに連れて行かれた感みたいな漢字なんですよ。
えーと、UFOに私は連れて行かれ、
そのUFOの、えー、その、なんだ、
えー、製造にはあなたが関わっているということがわかったみたいなメールをもらうわけですよ。
クレームメールというのは、そういう印象があるってことです。
これは、つまり、スプリッティングの悪がこっち側に投げられたからなんですね。
えー、例えばそうですね、えーと、最近のエバーノートが、
これは私が現に、えーと、かつて似たようなものを読んだんですけど、
最近のエバーノートのやり方は全く良くないみたいなことが書いてあって、
えーと、その責任が私にあるみたいな漢字になってるわけですよ。
これはもう妄想に限りなく近づいているわけですが、
えーと、なぜそうなのか。
苦しみがあるんですよね、最近。
えー、苦しみがあって、
最近ずっとこう、このツール使ってんだけれども、
えー、脳も、えーと、動機が遅いとかね、
27:01
そういう苦しみがあるわけです。
そういう苦しみは、えー、はっきり言えば誰にでもあるはずですよね。
これはエバーノートが良い悪いとは何の関係もなく、
全然悪くないんですよ、多分。
そうではないんですよね。
えーと、この何かが私を苦しめていると言った時に、
えーと、その苦しみというものはですね、
こう、遅いとか、動かないとか、いろんなこともあるんでしょうけれども、
多分それも本当はどうでもよくてですね、
一番、だから先に苦しみがあるんですけど、
コアにあるのは、やっぱり扁桃体みたいなところなんですよ。
原因は分かんないんですよ、コーヒー飲んだからかもしれない。
とにかく、えー、そこに扁桃体が動いたと。
なぜ動くのかっていうのは、我々には厳密には分からないわけですから。
で、コルチゾールが、このコルチゾール濃度だって、
えーと、相対的な話ですからね、
ゼロになることは絶対ないわけですから、血中コルチゾール濃度っていうのは。
えーと、薄くなったり濃くなったりって言ったって、
人と比べなければ薄いも濃いもないですよね。
自分の時間の中で、濃くなったり薄くなったりはする。
で、起きる時は上がってくるわけですからね。
睡眠中は下がるんだけれども、起きた時に下がった感じがしないってこともあるわけですよ。
いろんなそういうコアの中で、とにかく苦しみはそこにあると。
この時に次に見たものが何であるかってことなんですよ。
えー、箸がちゃんと置かれてないなのか、
えーと、コーヒー飲んで胸焼けがするなのか、
なんかあるわけですよ。
その時、たまたま終わってないエヴァノートの動機を見たのかもしれないんですよ。
原因になってないんですよね。
で、どうしてなのかって考えた時に、
ただずーっと戻っていくと、
エヴァノートをインストールしたのは自分じゃないですか。
ここに戻れないっていうのが、
妄想分裂ポジションの最大のポイントなんですよね。
欲打つポジションっていうものがあれば、
胸焼けするのはコーヒー飲んだからじゃないだろうかって思えるんですよ。
別にそれが原因じゃないかもしれないんですよ。
ただ、間違いなく胸焼けしているその胸は、
自分の胸なんですよ。
ここまで戻ることはできるはずなんだけれども、
戻れない。
とにかく苦しみがあり、
それを外に排出してしまった。
そのエヴァノートというものを見るのをやめて、
えーと、悪のなんとかを見ることにした。
コーヒーだって同じじゃないですか。
飲む時は好きで飲んでるわけじゃないですか。
えーと、でも、悪のカフェインみたいなものを投影してしまった。
投影して外に追い出してしまったら、
そこに悪が外に置かれてしまうんですよね。
ヤマンバと同じですよね。
この悪は外にはないんだけれども、
外にあることになったんですよね。
その瞬間にそれが私をパージしてくると。
苦しみはありますからね。
これを、例えば手紙で書くと。
そうすると今度私は、
30:00
えーと、自分の苦しみというものをその手紙に投影することになるわけです。
こういう風にして投影同一誌ってものが、
ある意味どんどん共有されるというのか、動いていくというのか、
えーと、私はその手紙で苦しんだと勝手に思ってしまう。
わかんないですよ。さっきのと同じように。
実は、最近そもそも私ちょっとね、中傷気味で体調が良くないみたいなのがあったとすると、
えー、それを、その苦しみをただ手紙に投影している可能性が、
十分あるんですよ。
どれほどクレームっぽいものだったとしてもですね。
そうすると、その経緯を一切忘れて、
手紙から僕が攻撃を受けたように感じると。
この瞬間に僕は、欲ずポジションというものがぐっとこう、
えーと、自分の中で機能しなくなって、
妄想分裂ポジションがボンと動くんで、
この手紙が大変恐ろしいものに見えてくるんですね。
これは完全に投影ですよね。
で、えー、それによって攻撃されて迫害されている、
えー、ヤマンバの小僧さんみたいな自分、これも作り出したじゃないですか。
自分が分裂してしまってるんですよ。
本当の自分じゃないんですよ。
攻撃されている自分というものが、そこに感じられてくる。
これも一つの分裂なんですよね。
攻撃するもの、それも自分が投影したものですよね。
えー、メールであれ手紙であれ。
攻撃しているもの、攻撃されている自分に分裂してるんですよ。
自画がもう既に2つも3つも増えて、
すっごい弱くなるんですね。
自画というのに分裂すればするほど弱くなるんで、
すっごい弱くなるわけです。
機能しなくなりますよね。
例えば私が日本シリーズで、
えーと、自分の応援しているロッテにすごく投影すると。
で、相手が巨人だったと。
それをもうなんか悪みたいにして投影すると。
えーと、私が見ている私、
えーと、ロッテになっている私、
巨人になっている私、
3つに分裂して、
しかもそれをガーってやるじゃないですか。
野球を見る以外何もしなくなるじゃないですか。
完全に現実機能を失っていくんですよ。
そういう時に。
まあこれを1つの現実機能だと考えることもできるんですよね。
そういう考え方をしたのがミニコットって人だと思うんですけども。
えーと、ある意味ではでも、
例えば原稿を書かなきゃいけないという現実について言うと、
現実機能がぐっと失われるんですよね。
だから投影するということは、
自己を分裂させるってことだし、
そうすると自画機能が下がっていくよっていうことは、
クライマーは書いてるんですよ。
えらい分かりにくい書き方ではありますけれども、
ちゃんとはっきり書いてるんですね。
だからこういうことってもうずっとあることだし、
一番でもやっぱり問題なのは、
わざわざ妄想をたくましくして攻撃に入るというその状態になった時に、
必ずその中にはきっと迫害者っていうんですよね。
で、迫害されている私、苦しみっていうそういう分裂になっていると。
このことがわかっているのに、
迫害者を攻撃することが問題を解決するとは絶対思えないんです。
33:04
問題はこれがわからなくなるってことなんです。
そのことを、私はその、
えーと、なんですかね、
分裂気味の人のお話で教えてもらった感が非常にあって、
そうか、なるほどなと、
スプリッティングってのはそういうことなんだなと、
大変それが恐ろしいっていう話を聞いて、
どうしても私はわからなかったんですよね。
例えばシャワーが怖いっていう話もしょっちゅう聞いたことがあるんですよ。
それも複数人の人から、
穴がいっぱい空いていて攻撃してくるような感じっていうのがあるみたいなんですけど、
非常にその、なんて言うんですかね、
その人はシャワーというものがわかっていないわけではないので、
非常にわかりにくいんですよ、話としては。
えっと、穴から出てくるのが水だということは知っているの?って言うと、
そういう質問をするのだけでも、
失礼な話をして申し訳ないと思うんですけど、
いやそれはわかっているって言うんですよ。
非常に難しい話を聞いている感じがするんですよね。
膝詰めて話をしますとね。
だから、それが何だかわかっているんだけど、
それが私が見ているようには決して見えないという話なんですよね。
やっぱり、それを内的対象って名付けたんだろうなって思います。
34:31

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