1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 573】1人になりたいのか..
2022-03-30 34:56

【GMV 573】1人になりたいのかなりたくないのか?

内在化された他者の眼差し
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
やや薄氷を踏むというか、そこまでひどくはないんですけどね。
一心一体で、一心一体だと全く進んでいない気がするんですけど、今の季節ぐらいですかね。
少しは前に進んでいる感じでやっております。
何名かの方にご心配いただいたみたいですごくありがたかったです。
多分まだ急に何かを変えなければならないという状態ではないので、
この娘の春休み中ぐらいに一つ結論を出して動き出せばいいかなと思っています。
ボイシーにも申請とかはしてみたので、受かるとは思えないパーセンテージなので、
しかも絶対にボイシーに切り替えるぞと思っているわけでもないので、
今まで通りにやっていくかもしれないし、ちょっと変えるかもしれないんですけど、
すでにちょっと変えている感じもしますけどね。
発信はしていくので、そこのところはご心配なくて結構だと思います。
話すことを忘れたんですけど、
ちょっとだけ考えておいたんですよ。
そのちょこっとを忘れたんですけど、
メモを取ってないんで、これに関しては。
自分、モーニングが好きだからこれを続けてますと。
カフェのモーニングセットとかあるじゃないですか。
実はあれが一番おいしいことはあまりないなと思ってるんですけど、
カフェ行ってそれが頼める時間の時は常に頼んでるんですよ。
理由は別にないんですよ。
そういう関係もあったりして、すっかり忘れてたんですけど、
これを始めた頃にグッドモーニングバイブスということがすごく僕に走ったのは、
そういうきっかけもあるくらい、基本朝好きと。
朝早く起きるのが好きとかいうわけじゃないですよ。
でもまあ夕暮れとかが好きっていうのもわかるんですけど、
私は朝が断然好きなんですね。
そういう意味では単純な人間だな自分はって思うことも結構あるんですよ。
春のあざとか普通に好きそうじゃないですか。
子供とかでも。
こうやって喋ってるうちに思い出したんですけども、
遠畑海斗さんのこの本からの要因ですよね。
この本から彼の本をまとめて紹介する本みたいなのを書きたいと思わなくもないんですけど、
03:00
そういうような方向で新しい企画を立ててみようかなと
今ずっと思っておるところですが、
何にも見つからない夜に、
違った、何でも見つかる夜にですね。
影響妨害してるみたいですよね、こういう間違い方。
心だけが見つからない。
彼は非常に上手で、上手でっていうのは上から見せるみたいで恐縮なんですが、
内在化っていう表現を使って、
眠れないって人の問題を解釈してるんですけど、
私が時々この番組で多分非常に良くない用語、
良くないっていうのか、
認識しがたい用語として、
内的母親対象っていう言葉を使ってますが、
内的○○対象に相当するのが、
つまり内在化なんですね。
彼が今回使っていた、だと思うんですね。
内在化はこれですよっていう客中なりがあったわけじゃないから、
この辺で考えさせられてしまうんですよ。
私のような人間は。
かじった人間はね、これとこれのはずなんだけど、
はっきり書いてないから、そうじゃないですと言われてしまえば、
それまでですからね。
そういう、一人で勝手に悩まなければならないフェーズがあるんですよ。
内的母親対象と僕が言ってるのは、
いわゆる母親機能みたいなものがメインで、
非常に大事なポイントなんですけど、
大事なのは確かに内在化なんですね。
内在化ということは同時の心の中に母親が入ったってことであり、
それはどういうことかというと、それは私だってことなんですね。
ここで二つのことが起こると思うんですね。
一つは分裂が起きますよね。
私なのに母親、母親なのに私だから、
私の心が母親と私になっちゃうわけです。
二個になってしまう、最低でも。
この分裂を問題にしているのが、
あらゆるカウンセリングの基本だと思います。
無意識と意識とか、偽りの事故と本当の事故とか、
全て分けてますよね。
心は、心というものがあるとしても一つなのに、
二つ以上に分けるということは、
つまりそれは分割しているわけですね。
ここが基本だと僕は思いますね。
自我と超自我と衝動みたいな、
何でもありなんで、
何でもありって言っちゃダメですけど、
例えばユンクなんかはすごくて、
アニマとアニウスとかって言い出すわけじゃないですか。
すごいいろんなことが出てくるわけですよ。
どう分けて、どう名前を付けたって、
あとユンクの有名なシャドウがありますよね。
影。
あれも素晴らしい概念だと思いますけど、
シャドウと自我という風に分けちゃうというのは、
彼が勝手に言い出したことですからね。
僕らがそれに勝手に乗っかっているだけですから。
私は一番、
06:00
フロイトがそうだったんだけど、
一番誰にでもこの分割だけはあるだろうというのが、
母親、父親、自我みたいな、
そういう考え方だと思うんですね。
この内的対象としての母親、
つまり内在化された他人が、
戸畑海人さんの表現を使うと、
今回の本での表現を使うと、
内在化された他者が安全でないと、
私たちは孤独になってしまう。
あるいは孤独な作業というものが、
本当に危険なものになってしまって、
できなくなると。
これはですね、私は実は、
タスクシュートとか仕事術の、
一番僕らの根幹に意識するべきものだと思って、
よくこういうことをしゃべるんだけど、
割と受け入れられない。
なぜならば、
うちのお母さんは、
どこ屋だったんです問題というのが、
もう僕の中では、
そういう名称になっちゃってるんですけど、
とりあえず。
別にどこ屋じゃなくてもいいですよ。
とにかく、
うちのお母さんが内在化されているかどうか、
ということが、
私の仕事に差し障りがあるとかないとか、
言われるだけでも気に食わない、
という問題が起こってしまうんですよ。
だから内在化された他者だと、
いいのかもしれないけど、
内在化された他者となってくると、
そういう非常にニュートラルな表現を使うと、
あの生々しいリアリティが、
どうしても再生されないし、
それは一体誰なんだ、
という問題が、
別途あると思うんですね。
母親であれば、
イメージみんなできると思うんですよね。
ほとんどの人が即座に、
ということが内在化されている、
ということの重要性であって、
例えば私の心の中に、
私の心の中に、
内在化された娘っているんですよ、
今ではね。
でもそれよりも、
はるかに母親の方が、
強烈に、
瞬時に上がって来させられるんですね。
ということは、
やっぱり内在化って、
グラデーションだし、
度合いがあるし、
そういう中では、
父親、母親というのが、
最大だろうなと、
最大レベルだろうなと、
思うしかないところもある。
別にこれは、
実母じゃなくてもいいって話も、
しょっちゅうしているから、
実母じゃないケースもありますし、
難しいんですよね、
育ってくると本当に。
難しいところもあるんだけど、
こういうことがあるんですよ。
例えばうちの子もそうなんだけど、
一人で勉強できますか問題、
っていうのがあるんですね。
小学生が中学受験やるぐらいだと、
出てくるけど、
小学生ではあまり問題になりません。
中学、高校になったときの問題だと、
思うんですね。
一人で勉強できますかと。
よくいるじゃないですか、
友達と勉強したがるという、
あれ学校もよくないと思うんですけどね、
みんなでしましょうみたいな、
あのみんなの、
というところのニュアンスの中に、
実は内在化された他者がいるんですね。
それはみんなじゃないんですよ。
ここが本当にややこしくて、
09:00
ちょっと説明しなたくなりますよね、
受験生のような人たちに、
切羽詰まっているときに、
フロイトの話をしている場合じゃないから、
ただ、
例えば実質にこもったとき、
部屋で勉強できないっていう子が、
いるとしたら、
それが沢田海人さんが今回話題にした、
眠れないっていう問題と、
深く関わっている、
だっていうのが、
あるわけですね、
カンセリングの考え方の中に。
私はこれは、
間違いなくそういう人たちはいるし、
これはもうタスクシュートで、
いざこういう作業、
重い作業をやろうとすると、
できないんですっていう問題と、
一致すると思っているんですよ。
つまりその人の内的母親対象、
私の表現を使えば、
私の表現じゃない、
古典的な表現を使うとこっちですね。
が、
言ってみれば、
その、
いい目で見守ってくれないんですよ。
厳しいやつになっちゃったんですね。
この内的母親対象が、
危険なものになっている。
そういう時には、
その人は孤独ではいられない。
だから仲間が必要になっちゃうんですね。
あるいは気を紛らわすっていう表現を
取りますけれども、
その内的母親対象をむしろ、
思い出さないようにしたいと、
そういう事態が訪れると思います。
だけど僕らは内的母親対象に、
温かく見守ってもらわないと、
できないんですよ、
というような。
だから、
おままごとのシーンとかが、
大事なんですね。
おままごとをしている子が、
綱場でおままごとをしています。
内的母親対象としての母親が、
見守ってくれているからできるんですよ。
本当はそこにいなくても。
これが自立の一歩なんですね。
で、内的母親対象が、
見守ってくれている感じというものを、
再現しやすくするために、
例えばそこに、
いじのキッチンを置くわけですよ。
これがおままごとなわけですね。
いじのキッチンがあるとか、
ここはキッチンなんだという、
意味付けができるというのは、
母親がかつてしてくれたからなんですよ。
母親はそんなことを、
意識的にしていないと思うんですけれども、
とにかく母親とキッチンみたいな、
これもですね、
今はここに、
今度は社会におけるロールモデルみたいな話が、
どうしてもジェンダー的に出てくるから、
それは今ここで問題にしないことにします。
話がややこしくなる一方だからね。
ただここが、
その内的対象としての母親は、
父親でもいいと、
言っておきます。
実際には。
で、
おままごとをするという段階になると、
いじのキッチンがそこにありますと、
いじのキッチンがあるってことは、
母親いるんだよなと、
心は思えるわけですね。
その砂場に母親はいなくても、
公園に母親がいなくてもですね、
最初はいたはずですよ。
誰か彼かがね。
でもまあいなくても、
一人でもいられる。
12:00
この一人でもいられるが、
そのまま、
勉強部屋に置き換わるわけです。
その時に、
母親が見守ってくれていると、
いう感じを抱けると、
しかもその目は厳しすぎないと、
いう感じを抱けると、
で、そういう風になった時に、
孤独な作業に向かっていけるんですよ。
その人は。
で、この孤独な作業の最たるものが、
寝るってことです。
赤ちゃんは、お母さんが近くにいないと寝られないですね。
あれがそれです。
寝ることができないと言っている人は、
実はその内徹対象、
あるいは内在化された、
まあお母さんですね。
お母さんとしておきましょう。
が、きついんですよ。
あんたも大きくなったんだから、
一人で寝なさいって言うと、
早すぎるんですね。
だから自分は一人なんだと、
内徹対象としての母親はいるんですよ。
それがいないってことは、
ありえないと思うんです。
いるんだけど、そのお母さんは厳しすぎるんで、
危険なんですよ。
このお母さんはすぐに
亡くなったり、ないしは、
もしかすると、
そんなことをイメージするわけじゃないですよ。
そんなことをイメージするわけじゃないけど、
どっかで男と不倫して、
自分のことをほっぱらかしにするんじゃないかと。
ほっぱらかしにされたら、赤ちゃん死んじゃいますからね。
危険極まりないわけです。
この危険性を
意識するから、
眠れないんですよ。
25歳とか30歳になったとしても。
だけど25歳とか30歳になった時に、
そんなこと考えませんよね。
お母さんが近くにいないから、
寝られないなんて、
ナンセンス極まりないじゃないですか。
そこで、
人と一緒に寝るんですよ。
これが一つの方法ですよね。
それは異性であることが
多いでしょうね。
男の人を
内的対象の母親代わりにすると、
あるいは自分の内的対象、
自分が内在化した母親を
いい眼差しに
切り替えるために、
横に男性を置く必要がある
という女性は、
私は結構いるような
気がします。逆は当然いますよ。
逆は、
なぜ逆から言ったかというと、
これを逆に考えてしまうと、
それはマザコンの話に直結するので、
当然そういう
印象にしかならないじゃないですか。
これは逆でも成り立つということです。
父親だと言っても
別に構いませんけれども、
私は母親なんじゃないかと思っているのですね。
現段階でも多くの人が、
最初に寝かしつけを体験したときに、
近くにいたのは
母親だろうと思われます。
その母親を安心な
母親だという
イメージに切り替えるためというのか、
持ち込むために、
隣に
男の人が必要なんです。
多々あると
僕は思うんですね。
それはもう性欲なのかそうじゃないのか、
大変微妙なところですよ。
ただ、それすら嫌だと。
そういう男の人がいたとしても、
そいつは何をするか分からないという、
15:00
危険性の方を意識した場合、
これは人間では
ダメですよね。
だって恋愛対象に近い存在ですら、
そういう機能を果たせないとなってきたら、
それほど対人間不信のものが
強いのか、しょうがない。
ものに頼りますわね。
だから、例えばアルコールに
走ると。
戸畑敦さんの本ではそうでしたよね。
狩猟、
非常にこれは面白い
シーンだったんですけども、
あの女性は、要するに
対人不信、あるいは
対社会不信が徹底的なので、
いわゆる
妖術の鬼なんですよ。
徹底的にPDCAをすると、
不測の事態を招くことは
絶対に許されない。
なぜならば、内的対象としての母親は
厳しいので、
油断も隙もあったもんじゃないわけです。
彼女は孤独なんですよね。
孤独というのは
一人ぼっちという意味ではないんですよ。
内在化した母親が、
敵対的なんですね。
信頼的ではなく、
敵対的なんですよ。
だから、
おままん事はしてても、
厳しい目で見るんですよ。
そんなことは普通はないんだけど、
でもそういう人っているわけですよね。
だから内在化してしまっている
自分の対象は
厳しい存在だと。
でもそれは自分ですからね。
ここ非常に大事ですよ。
お母さんだったかもしれない、
幼児の頃には。
実は自分厳しいのは、
自分なんです。
自分にとっても厳しい自分というものが、
母親のようなイメージで、
非常にきつい目線で、
自分を見つめていると。
失敗は許されないわけですよ。
恋愛をしようと、
会社で働こうと、
常にPDCAとエクセルの表で
睡眠時間を測ったり、
睡眠までに
何をしたら
寝つけるかというようなことを
やっているから、寝られないわけですね。
寝られないので、
恋人を作るというのもダメなので、
そういう人にしてみれば、
油断も隙もないですからね。
男とかがお金持って行っちゃうかもしれないじゃないですか。
油断も隙もないので、
アルコールを大量に摂取すると。
極めてそれはそれで危険だと思うんだけど、
それしかないんですよね。
つまり物に頼るんです。
人に頼れない人は物に頼るというのは、
精神分析でも言われるし、
一般のカウンセリングでもよく出てくる
技術ですよね。
人に頼れない人は物に依存する。
そういうことってあるじゃないですか。
私たちライフハッカーも、
基本的に人に頼れないから、
物に頼りたがるじゃないですか。
Apple Watchで
心拍数をケアしてもらったり、
iPhoneを見てチェックリストを
チェックしてみたり、
とにかくそういう傾向が
多々ありますよね。
一つには、
孤独になった時に、
まず孤独になりますよね、当然。
人は当てにならないわけだし、
18:00
油断も隙もないんだから、
人がそばにいると、
自分の中の過保養対象が
非常にきつい行動を
とってくるような気がするので、
なるべく人といたくはないですよね。
人といたくないので、
なるべく危険な時ほど、
孤独でいたいわけですよ。
例えばお風呂に人と入るなんて、
とんでもないわけですよ。
寝る時も一人で寝たいと、
没頭する時は常に一人になりたい。
ところが、
一人で何かに没頭するためには、
人が必要なんですよ。
内在化された、
信頼できる他者というものが
必要なんですよ。
僕は、ここの摂中案として、
異性を使うケースが
多いんだろうなとは思います。
この人だけは、
信頼できるという異性を
傍に置きたいと。
そういうケースがいっぱい出てきます。
だから孤独を嗜好しているんだけど、
人は完全に孤独になってしまうと、
行動が取れなくなるので、
特に没頭できなくなるので、
これが発達障害と
言われているものだと思うんですよ。
よくよく話を聞いていると、
いつも話が似ているじゃないですか。
集中できないか、
過度に集中してしまうか。
これは自分の内在化した他者に
振り回されている証拠ですよね。
その他者が、
なぜか暖かい眼差しをしてくれる時もある。
その時だけはやたら集中できる。
ほとんど全てを忘れて、
いつまでもやっちゃう。
あれいるじゃないですか。
おままごとで真っ暗になるまで
ちゅうしちゃう子。
あれがそういう状態ですよね。
でもあれは幼児だから、
十分あり得ることなんですよ。
不意に気がついてびっくりする。
夜になったということに
もう気づかないということは、
これが内的対象としての
母親でいいと思うな、
のすごさなんですよ。
夢を見させられる。
夢を見させてくれるんですね。
僕らはその夢をいつも見ているんですよ。
見ているから仕事もできるし、
デートにも行けるんですね。
そして没頭もできるし、
勉強もできると。
だから一人きりで勉強できないと
言っている人は、
内在化された母親対象が
きつすぎるんですね。
敵対的すぎる。
そういう人は多分、
実態のあるお母さんから離れる
ということができないので、
孤立できない。
孤立という言い方は、
ニュアンスが入っちゃうんですけど、
一人でいられないんですね。
一人でいるときは、
非常に矛盾していますが、
心の中では人といるんです。
その人がしかも、
やばい人じゃないという、
やばい状態じゃないという、
そういう人なんです。
だけれども、
大概のときは集中できない。
一人になったとき、
内在化した他者が厳しいことを
言ってくるので、
何にも没頭できないんですね。
油断も隙もないから、
いつも成功するために、
最適化された方法を、
21:00
最短距離で取っていかなければならないから、
没頭はできないんですよ。
過剰に没頭するか、
全く没頭できないかということになりやすい。
人といるときは、
あんまり表面化しにくい問題なんです。
人といるときは、
その人は最初から、
孤立してはいないので、
何かに集中する気はないからですね。
何かに集中する気はないからこそ、
集中できない問題と、
集中しすぎる問題は、
どちらも表面化はしない。
ただし、その状態は、
非常に愉快ではない。
だから、
その人は、
孤独になるのも怖いんだけども、
人といるのは不愉快だと、
そういうジレンマに置かれてしまうんだと、
思うんです。
で、
アルコールをたくさん摂取することで、
頑張って寝ている人は、
つまりこれが、
過集中の一つの形なんですよ。
アルコールをいっぱい取れば、
眠るということに過度に集中できる。
そうすると、
必ず何が起きるかというと、
寝すぎるわけですね。
寝坊すると。とんでもないですよね。
だって、油断も隙もないからこそ、
PDCAでカッチリやってきているのに、
寝坊をすると。
でも、こういうことが起こるんだと、
思うんですね。
不思議じゃないですか。
よくこう、
ADDですと、
だからカッチリと、
タスク管理やってますと、
チェックリストもバッチリ作ってますと、
ミスを絶対しないためですと、
で、ミスがポンポン出てくるわけですよ。
なぜなら、ADDだからです。
という話が起こるわけですよ。
こういう風になっているんだと、
思うんですよね。
私は特性として、
やらかしてしまう。
だから、やらかさないために、
こういうことをする。
だから、やらかすんですよ。
そういう形でやるということは、
根本的な問題としては、
孤独になった時の集中が、
全くコントロール外になってしまう、
という問題なんです。
孤独になった時の、
自分が内在化した、
内在化した母親などというものは、
自分にとって都合が良ければ良いほど、
良いに決まっている、
自分の心の中のものなんだから、
そいつの期限次第で、
私の動きが、
ああだこうだ左右されるというのは、
最低じゃないですか。
つまりそれは、
自己分裂も華々しいわけだけど、
まさにそういうことが思いっきり起きるんですね。
あの女の人は寝坊して、
25分、
カウンセリングの時間に遅れてきたために、
コートも脱がずに、
カウンセリングに入ろうとした、
というシーンが紹介されているんですけど、
あれは非常に、
象徴的なシーンだと思うんですね。
すごく分かりやすいというか、
もしかすると少し、
分かりやすくアレンジして描かれている、
気もしますけれども、
そういうシーンなんですね。
つまり、
これほどやらかすまいとして、
なんでもきっちりできる人が、
こうも大幅にやらかして、
24:00
そのことですっかり動揺して、
自分の状態というものが、
よく分からなくなっている、
という状態が、
カウンセリングに、
いつか必ず持ち込まれるわけで、
それが持ち込まれるから、
実態が少し見えてくるわけですね。
もしそれがないで、
常にうまくいっているなら、
なんであなたはここに来ているんですか、
ということになってしまいます。
なんで眠れないのかとか、
なんで、
すべてがうまくいっているのに、
わざわざカウンセリングを受けに来るのか、
そういう話は、
全部ああいうところに、
ポンと出てくるんです。
まるでわざとやっているかのように、
出てくるわけですよね。
それを出てこさせる、
という話が、
一つは、
ああいうものを読む時の、
こういうところから、
ほころびが見えてきて、
そのほころびを伝って、
その人の本性みたいなものに、
迫っていくという、
それを読む面白さだったと、
思うんです。
で、
僕らにも、
ライフハッカーにも、
ヒントになるところが、
多々あると思うんですよ。
要は、
嫌かもしれないんだけど、
何をしている他者とは誰なのか、
というのをまず、
知る必要があると思うんですね。
そして自分が、
確実にそういうケースの人は、
いっぱいいると思うんだけど、
孤独になった時に、
孤独感がますます強まるような作業から、
逃げようとしちゃうのは、
なぜなのかと。
その時、内在化した他者は、
どんな顔をしているか。
そして、なぜ人といれば、
仕事ははかどるのに、
嫌なのか。
多分そういうことは、あると思うんですね。
私、何度も引用している、
オグデンの、
オグデンって人の、
あるエンジニアの話が、
あるんですけれども、
彼は、
自宅に閉じこもって、
自室に閉じこもって作業するのは、
大好きなんだけど、
それは、かなり年上の奥さんが、
家にいる時に限る。
だけど、その家にいる奥さんが、
自分の部屋に入ってくると、
作業はできなくなる。
一方で、その奥さんがどこかで、
外出して出かけていると、
自室での作業に集中できなくなる。
これが僕は、
一番最たるものだなと思います。
でもこれは、眠れないっていうのと、
全く同じです。
そして、一緒にいたいんですよ。
ただし、
目に見えるところにいて欲しくはない。
なぜならば、目に見えるところに、
いられてしまうと、
自分の中の母親が、
活性化できなくなって、
本当の人が、
そこにいるわけだから、
そしてそれが、
運と年上の奥さんと言っているのは、
自分の母親そのものですから、
そこにいるってことは、
27:00
自分の心の中の母親は、
活性化しすぎるのか、
しなくなってしまうのか、
分からないんですけど、
とにかく一人でいるときとは、
違う状態なわけですよね。
非常に心細くなるというか、
自分の内在化している母親と、
二人きりに、
完全になってしまうというのは、
それはそれで困るわけです。
中間領域がいるんですよね。
すげえ、
自分勝手な動きになっちゃうじゃないですか、
これが。
言うまでもなくですね、
精神分析する人とか、
カウンセラーと呼ばれている人を、
この位置に立たせるんですよね。
一般的にクライアントがやることは、
それなんですよ。
このように都合のいいお母さん扱いする、
分析家とか男であるか、
老人であるか、
関係ないです。
必ずこの種の母親に、
相当するポジションに置くのなら、
そういう距離感に出る。
もちろん全てのクライアントがあっては、
ないと思うんですけど、
大半の人がこれを必ずやるんじゃないかな、
って感じがやっぱりします。
私自身の経験でも、
私はこの種のことをよくやっちゃうんですよ。
実母のイメージが湧くわけじゃないですよ。
でも私も、
全くこれと同じような人間だったんで、
例えば彼女というのは、
できるじゃないですか、
デートをしたくはないんですよ。
できているという状態がいいんですね。
そうしていれば、
何でもできるんですよ。
何でもできるっていうのは語弊がありますけど、
少なくとも、
そういうことなんですよ。
でもそういうような扱いをしていると、
大体破綻するじゃないですか。
別れられるでしょ。
何にもできなくなるんですよ。
おかしいじゃないですか。
デートしたくもないのに、
別れて何がいけないのかと。
私はこれをどうしても、
自分は自分勝手だなと思ってたんですけど、
自分勝手だということ以上のことが、
わからなかったんですね。
これは性欲の問題なんだろうかと思ったんだけど、
どう考えてもそうは思えない。
そうするとわからないんですよね。
だから私は
あれこれあれこれ読んで、
なんとなくこれに近いものを見つける
努力をしてきたわけです。
三島由紀夫とかね、
そういうツール、
ルートから入っていった部分も
大きいです。
河合俳夫さんは昔から読んでたんだけど、
この種の話がわかるようには、
ついに彼の本を読んでもならなかったんですよ。
今、戸畑海人さんの本が
あればよかったなとは思います。
あの本だったらわかった気がするんですよね。
ただ、
こういう話ってつまり、
あんまりシンプルに
スパッと分けちゃダメなんだと思うんですね。
図式としてはかなり
複雑なものが含まれていて、
彼女をお母さん側にしている
という言い方はよくされるんだけど、
十分ではないんですよね。
そう言ってもいいけれど、
そこまでシンプルじゃない。
30:00
要は、
自分の内的な
母親の対象、
そうとしか言いようがないですね。
イメージではないですしね。
そういう、
僕なんかは
イマジネーション能力が低いんで、
母親の顔が浮かぶんじゃないんですよ。
ただ、
自分のある種の心の
ある部分が
いい目で
見てくれるか、
そうでないか。
あるいは、信頼できるような
対象なのか、
不信感いっぱいの対象なのか、
そういう切り替わりを、
切り替わりに僕が振り回されている。
しかも、
自覚がすごく困難になったと。
そういうことなんですよ。
彼女がいますが、
一緒にはいませんという状態は、
うまくいくんですよね。
自分の中の
対象との関係が
うまくいくんですよ。
うまくいったんですね。
そうすると、
他人を道具にしてしまうので、
非常によろしくないわけですよ。
そういうジレンマが
僕の中にずっとあった、
時代があったわけですね。
よくよく聞いていると、
勉強できないと言っている
子供の言い分、
一人になるとできないとか、
そうは言わないんだけど、
子供はそこまで素直じゃないから、
でもそうなんですね、見ていると。
自分もそういう時代があったわけです。
同じ問題を抱えているわけですよね。
あるいは、
例えば、
僕で言えば、
編集さんにダメ出しを
少しされた原稿ってのは、
それに向き合うのが
苦痛になるんですね。
その苦痛こそ、
大目で見ているということなんですよ。
そう言っていいと思います。
編集さんのダメ出し自体は、
気になっていないんですよ。
編集さんにダメ出しされるような
お前は、
ダメな奴だって、
母に言われている
その感じを再現しちゃっているんですよ。
僕はですね。
それを自覚できるほど、
今言ったような言葉が
耳から聞こえてくるとかでは、
全然ないですから、
この気分が上がってきて、
この気分が
上がってきた状態では、
原稿に向き合うっていう
心理にはならないんですね。
このメンタルを問題にしたいんです。
このメンタルを、
仕事術で
絶対問題になっているはずだって
僕は思うんですね。
だから、例えば、
ゲームとかをすると、
おかしな話なんだけど、
このゲームをして、
ゲームをするってことにすると、
私の内的な母親、
対象が、
一緒にゲームをしてくれてでも
いるかのような状態に
切り替わるんですね。
33:00
そんな経験はないですからね、
私は、そもそも。
私が幼児だった頃に、
ゲームとかなかったんだから、
ないのにそういう感じになるんだから、
単なる私の心理的な問題なんです。
まさに心理的な問題なんですけど、
こういう風に切り替わっちゃうんですよ。
だから、
原稿を後ろめたい気持ちで
抑え込みながら、
ゲームをするという状態が
頻発すると思うんですね。
反復しちゃうと思うんです。
そういう事態を招いちゃう
だと思うんですよね。
これを何とかできるんですよ。
僕らは。
自覚するだけでも
何とかできるんだけど、
自覚するだけではだいぶ弱いんですけど、
本は何とかできるっていうのが
大事だと思うんですよね。
これを何とかできれば、
そもそも嫌な気持ちになるとか、
原稿だから思い切りになって
当然でしょうが、
少しも当然ではなくなるわけですね。
ゲームの方が楽しいとか言うんであれば、
やや自明かもしれないけど、
それだって疑わしいんですよ。
常にそうだとは限らないですから。
この事によって、
この内的対称の
切り替わりに、
簡単に振り回されなくなることによって、
仕事って進むと思うんですよね。
そういう仕事術っていうのも、
見としてみていいんじゃないかっていう風に、
かなり強く思っていて、
これの話が
発達障害にも関係しているし、
不眠にも関係しているし、
孤独な作業と言われているものにも
関係しているし、
漠然とした不安と言われているものにも
関係していると思うので、
それをきちんと説明することは、
まだできていないですけれども、
まずこの宣伝をしてみるというのは、
十分有効だという気がするんですよ。
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