2021-12-08 32:53

【GMV 509】エディプスに向き合う

罪と罰とお金で苦しみすぎない
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
25日のクリスマスの日に、何となく自分も忘れそうになりかねないので、告知しておきますと、自分のセミナーをやります。
テーマはだいたい固まっていて、むしろテーマだけが固まっているんですが、
1回目に引き続き先送りをテーマにしますが、
実験的にTwitterの方でアンケートを取ってみたら、
なんだかんだ精神分析的な話をするのが一番聞いてみたいというような、
これはTwitterのアンケートであって、実際にセミナーにいらっしゃる人とはまた別かもわからないですけど、
そういうことを言っているとキリがないので、そういう話も実験的にしていこうかなと。
なんだかんだ入ってはくるんですよね。
ただこれは釈放なので、つまり私は精神分析家とかじゃないので、
どういうことかというと、精神分析の話ってものすごくユニークでパーソナルな感じがするじゃないですか。
めちゃくちゃセクシャルだってところがそもそも批判の対象になるぐらいだから、
母親との一体感とかそういう話ですから、
でもやっぱり実に抽象的なんですよね。
その辺はある意味、グッドバイブスであっても変わりはなくてですね、
セッションというものが大事なのは、その人の個人的な、
もう本当に具体的な経験ということになってくると、の意味になってくるとですね、
図式は恐れと不安とかでいいんだけども、結局わからないわけですよね。
何に恐れているのかとかは、本当に人それぞれで全然わからないレベルに入っていっちゃうわけですよ。
他人からは全くこの人がそんなことで悩んでいるとは、到底考えもつかないっていう、
例えば縄跳び恐怖症とかね、子供の頃縄跳びをやらされて恥をかかされたみたいな、
そういう記憶がとても大事な意味を持っている。
もちろんそれは結局恐れと不安といったり、エディプスといって、
そういう図式に見てみれば多分そうなんだけれども、
エディプスといってみたところで、あるいは恐れと不安といってもですね、
本人はそれを意識していなかったりもするわけじゃないですか。
あまりにもパーソナルすぎてですね。
当然他人からそれはわからないので、だからセッションというものが出てくるんですよね。
つまり政治分析の話はあくまでも話であって、
その人その人がどうして先送りしちゃうのかというのは、
図式的な説明としては、例えば仕事をすると時間を失うという恐れているということで通るんですけど、
03:02
それがそもそも千差万別なものに対しては解像度が低すぎると、
遠くから見すぎているわけですよ。
真黒すぎる視点をさらに遥かに近づいて見て初めて、
その人にとって時間というものはどういうもので、
時間を失うというのがどういう意味になっているのかを突き詰めていかないと、
結局わからないわけですよね。
書き上げ塾はその翌日の26日から第5期が始まるんですが、
書き上げ塾なんかもやってて特に思うのは、
どうして書いていくことが難しくなるのかというのは、
本当に人それぞれでして、
ライフハック的にこうやって書くと進むということは言えても、
結局その人がなぜ書かないのかは、
ものすごくパーソナルな理由に寄っているんですよね。
そしてそれはもう他人からは伺い知ることができない。
昔書いた原稿用紙がお兄ちゃんに破られたからそれで残念だとか、
そういう話が関係していなくもなかったりして、
そういうのってもうわからないわけですよ。
その人にとってのこだわりの意味は、
つまりウッドバイブス的だったり精神分析的だったりはするんだけれども、
そういうものと重ね合わせながらじっくり追っていかないと、
結局はよくわからないものになっているケースが多い、
そして本人もすっかり忘れていたりするケースがほとんどで、
それを本人一人一人の中で明らかにしていってもらいながら、
自分の囚われみたいなもの。
この囚われも難しいんですよね。
囚われているというとまるでその人が自分が閉じ込められているみたいになるんだけれども、
逆だったりするんですよね。
何かを閉じ込めているから自分が出られなくなっちゃうみたいな。
これだとさっぱり理屈には通らないんだけど、
心の問題だとそういうことが往々にして起きる。
暴力から逃れるための15章だったかな。
ちょっとタイトルがあやふやになってきておりますが、
よく私がブログとかこのフォトキャストでも話題にしていたやつですね。
あの中の、あの人一章一章にエピグラフを掲げるんですが、
その中に誰かについて起こるってことは、
その人の人生の一部を生きてしまうってことになるんだっていう、
その人の人生の一部を生きてしまうってことになるんだっていうようなのがあるんですよ。
あれが正しいと思うんですよね。
何かに腹を立てるということは、
例えば私が大橋哲夫さんについて何か起こったとかするじゃないですか。
06:02
そういうことが実際時間が本当にもったいないと思う人はですね、
やらないと僕は思うんですよね。
私が大橋さんについて起こるじゃないですか。
彼は全然そのとき違う生活してるじゃないですか。
でも私は起こったことについて考えるじゃないですか。
それは彼の一部を生きることになっちゃうんですよね。
こういうことをしたくなければ、
人について腹を立てるべきじゃないなっていうのは、
私はこのエピグラフを読んだとき、つくづくその通りだと思ったんですよ。
これはグッドバイブスよりずっと前です。
留学する前です。
私はあの本をなぜか留学する前に読んだんで、
多分アメリカに行くのが怖かったからですよね。
アメリカ自由社会だって知ってたから。
そんな頃に読んで、1999年くらいです。
それこそ大橋哲夫さんとも出会う前ですね。
つくづく思ったんですよ、その時。
怒るっていうのが損臭いことだと。
誰かについて腹を立てるということは、
その人の一部を生きるってことになってしまうんですよね。
これをやっていては本格時間ってなくなるんですよ、結局。
今年で阪神からロッテに移ってきて、
そしてロッテを引退したトリタニー選手っていう、
2000ポイントアンダー打った割と有名な選手なんですけど、
彼が怒るメリットというものが一つも思い浮かばない。
彼は怒ったことがないって言うんですよ。
野球選手ですからね。
あんまり見ないじゃないですか。
野球選手というのは野球の試合中、
いつも怒っている感じのイメージが、
ボールぶつけられたりしますし、
いろいろありますからね。
野球というのはチームでやってるし。
怒るメリットが何一つも思い浮かばないっていう話を書いていて、
あの通りなんですよ。
単に実理的な話をしてもですね、
私2000ポイントアンダー打ったような人が、
野球の世界の中で怒るメリットなんて一つもないと思うということは、
よっぽどないんだなって思うんですよね。
怒るメリットというものは。
怒ったところで多分、
何かをトークすることってきっとないんでしょうね。
私は怒ったことがないとは到底言えない人間なんで、
そのレベルまでは達さないんですけど、
時間がもったいないというのは本当だなとは思います。
そういうグッドファイブスティックでないところで言うならば、
多分時間トークすることって怒ることによって、
得る可能性って一個もないという気がします。
まず、何て言うんですかね。
その捕らわれるという時間ってのは、
わざわざすることですから。
大抵の場合、
腹を立てたことについて、
考えをもう一回改めて空想して、
それについてもう一回起こり直すという作業を経ないと、
いわゆる私たちがしがちな怒りっていうものにならないんですよ。
瞬間沸騰的なやつが、
もし瞬間的に収まるんだなら、
あれ1分と持つケースは稀だと思います。
09:00
よく電車の中の、よくはないケース、
時々電車の中でコーロンとかを見ていても思うんですけど、
蒸し返すってのがあるじゃないですか。
肌で見てると本当に思うんだけど、
2、3分に1回ずつぐらい蒸し返しているから、
喧嘩が続くんですよ。
あれ多分、それをしなかったら、
2分とかで終わってしまう。
猿山とか見てると思いますよね。
一時的に喧嘩が始まるんだけど、
持続しないんですよね。
なぜなら猿は前頭腰がちっちゃいんで、
持続できないんだと思います。
喧嘩を続けるデメリットが大きすぎるってこともあると思うんですけど、
それはよくできてるっちゃよくできてるんですよね。
要するに続かないんですね。
子供の喧嘩がある意味幼児の場合は、
続きにくいのと多分似てるかなと思います。
すぐ喧嘩になるけれど、すぐ消滅してしまう。
喧嘩ってのは結局、
永続させる理屈みたいなことがいるんでしょうね。
そんなこんなで、
25日はクリスマスの日に
クリスマスの日に先送りのセミナーをしますので、
良ければチェックしてみてください。
26日に第5期の書き上げ塾がスタート。
これはですね、本当に書き上げること、
やっぱりテーマと書き上げることと、
様々なことを6ヶ月でやっていきますけれども、
テーマと書き上げることかなと思います。
最近、僕も書ければいいなと思うのが、
漫画とかフィクションなんですよね。
ある意味売れ行きが全然違うし、
続きが待ち遠しいという気分に人をさせるじゃないですか。
どうしても私たちの、
例えばビジネス書ってそうなんですけど、
1巻、2巻、3巻とかだったらおかしいですよね。
なんかこう、エヴァノート活用術、
続くとかっていうわけにはいかない。
続いたところで待ってもらえないというところがあるんで、
でもフィクションっていうのは不思議じゃないですか。
誰か、なんか女の子がさらわれました。
続く。先が気になる。
別に先気にする理由はないですよね、そんな話は。
作り話なんだから。
でもこれが先が気になると。
ということができるという意味で、
フィクションっていいなと思うんで、
そういう意味でもですね、
実はフィクションが書き上がっているケースのほうは、
なぜか書き上げ塾では多いんで、
こっちのほう、やってみたいという方がいらっしゃったらですね、
ぜひ検討してみてください。
あと相談。
ぶっちゃけ相談も半書きを、半書きじゃないんですけどね、
なんかお悩み相談があれば、
フォームのほうに匿名で出せますので、
そのぶっちゃけ相談の話がツイッターで上がっていたので、
ちょっと考えたんですけど、
昨日言ったような、メモするとか後で読むとかしないというのは、
12:03
あれは要するにどうでもいいことなんですよ。
してもしなくてもいいんですよ。
ただ、不安というものを、
不安払拭のためだけにそれをするということをしない、
みたいな話であって、
メモすること自体の可否は、
どっちでも全くいいと思う。
どっちでもいいと思えるということが大事だと思います。
同じような意味で、
僕らは今回のツイッターで盛んに上げていただいている、
ロングスリーパーさんのツイートを配読していて、
つくづく思うんですが、
僕らは要するにですね、
エリプスなんですよ。
主軸なんて言えばいいんですかね。
エリプスコンプレックスって言いますよね。
新聞説でもこれがやっぱり最大のテーマだとは思うんですけど、
これからほとんど無縁でいる人は、
特に男性はほとんどいないなって思います。
女性もほとんどいない気もするんですけどね。
ただ男性の方が若干不利な点があるかなと。
それは女性と母親が同性であることから来るんですよね。
母親が同性であることから来るんだと思うんですよ。
つくづくね。
ポルノってあるじゃないですか。
この話になるとどうしても何かをふざけているように思われたり、
過剰にセクシャルな話をしているって思われるらしいんですけど、
僕それはすごいナンセンスだと思って、
しょうがないんだと思うんですけれども、
そもそもポルノが意味を成すっていうのは、
エリプスとしか思えないというところがあるんですね。
あれが、例えばラーメンを食べている動画をみんなが見て、
お腹いっぱいになったみたいなことってありえないじゃないですか。
一体全体、見ることでどうして生理的な、
しかも直接自分が関わることもできていないのに、
見ることで生理的な欲求が満足されてしまうのかと。
一時的にでもですね。
それはすごいおかしなことですよね。
例えば、人が寝ている動画を見たら、
寝不足が解消されましたと。
めちゃくちゃ便利ですが、そんなことはありえない。
つまり、ポルノというものは不思議なものなんですよ。
この不思議さが男性に相当寄っているじゃないですか。
今は女性用のものもあるけれど、受けないですよね。
受けないですよね。
私は女性の態度の方が当然だと思うんですね。
自分関係ないわけだから、意味がないですよね。
ケーキ美味しそうに食べている動画、
そういうテレビ番組あるけど、
あれは違う理由で作られてますからね。
あれを見て、食べた気にすっかりなって、
お腹いっぱいだわってならないんですよね。
何で見るということで、
生理的な欲求が満たせるような感じがするのか。
これがエディプスコンプレックスの正体に近いところだと思うんですよ。
15:06
フロイトは本当かどうか知りませんが、
子供の頃にお父さんとお母さんが寝室で
そういう行為をしているということの理由で、
鍵を部屋にかけられて、
そこに入れなかったという悲しい図を書かれてたんですよね。
5分も入れて頂戴と言って泣いて、
塔を叩いたという、
すごいひどい話だなと思うんだけど、
ヨーロッパですからね。
これがポルノだと思うんですよね、私は。
つまり、そこに戻りたいという欲求と性欲が
見分けがつかなくなっちゃうという話なんだと思うんです。
私、この話を一生懸命チェンジ図で書いてるんですけど、
永田上さんという人が全くこの通りのことを指摘していて、
びっくりしたんですよ。
私の今回の顔色を伺う本のイラストを書いてくださった
イラストレーターで漫画家さんなんですけど、びっくりしました。
あの方女性なんで、
どうしてこれがわかるんだろうと思ったんですよね。
つまり、これは対抗なんだと。
性欲というのは対抗なんだと。
本当はそうじゃないんですけどね。
政府がただ対抗だったら困っちゃうんだけど、
確かにそういうふうに男性の中ではなりやすいんですよね。
女性を求めてるつもりなのに、
いつしか幼児だった自分に戻りたいという欲求に切り替わっちゃう。
だから盗作が起こるわけですよ。
本来であれば、性的な目的ってのは最終的には子供ができないと
果たされたことにならないんだけど、
そこを全く意識せずに、
むしろ自分が子供になりたいから
性的な方向に向かいたいっていうことになってると。
これは逆転してるんですよね。
盗作って言葉は全くいい言葉で、
例えばカレーの匂いを嗅いだらもう十分満足です。
っていう話なんですよね、これは。
おかしいわけですよ。
本当のところ匂いを嗅いだのは、
本当のところ匂いを嗅いだのは食べるためですよね。
そこのところが逆転してしまう。
男の人にこれが多く起こるのは、
つまり自分にとっての性欲と、
自分にとってその楽園に戻りたい欲求が
同じような形式を持ってるから。
その形式に騙されて、
楽園に戻りたい欲求が自分の性欲なんだと思いちゃうんですね。
違いますよね。楽園を作りたい欲求のはずですよね、本来は。
女性はそうなりにくいのは、
つまりこれだと同性愛になるからなんですよ。
長田上さんはレズ風俗に行く話でヒットしたからですよね。
同性愛なんですよ。
そしてこれが非常に響いたんですよね。
形式的に言うとまさにこの通りだなと思うんです。
18:01
これがエリプスで、
つまりどういうことかというと、
ここにルールを定めるんですよね。
母子はその関係に入る年になったら
分離しなければいけないというルール。
このルールを父親が、形式上ですね、
父親が作ると。
で、父親はルール介在者になってるわけですよ。
父親というのは、
なんていうんですかね、
これはもう象徴ですよ。
別にこれは母親がやる、多々あります、そういうことはね、実際には。
ルール介在者が男性でなきゃいけない理由はないんですが、
一応父親が第三者であるケースの方が多かろうと
いうことは言えそうな気がする。
父親なんて第三者じゃないですか。
子供の主観から見ればですよ。
介在者でしかない。
問題なのは介在者というのは介在するから
そこにルールを設ける傾向が強いですよね。
このルールがエリプスであり、
私たちはそのルールで苦しんだ時に、
というかルールで苦しむんですよ。
このルールの一つに、
とてもプリミティブで、
かつ私たちをかなり苦しめ、
グッドファイブ捨て暮らしの平等さんがいらないという
罪と罰というルールがあるんですよね。
これが大好きときてるんですよ、私たちは。
このルールで遊ぶのが好きなんですよ。
将棋とか野球とかゴルフとか、
全部これですよね。
介在者がルールを作る。
だってルール作った人はだいたいプレイしてないじゃないですか。
審判とかプレイしてないじゃないですか。
介在者はだいたいプレイしないんですよね。
介在者はルールを司っているわけです。
行事とか相撲を取らないじゃないですか。
審判とかね。
土俵には男性しか上がっちゃダメとかいうルールも、
その人たちが作り出すじゃないですか。
あれルールですよね。
別に上がって何が起こるってわけではないですよね、女性が。
でも、たとえ総理大臣でも上がっちゃダメだって言うんですよ。
これがルールなんですよね。
このルールをどの程度真に受けるかなんです。
ロングスリーパーさんがツイッターで
恥ずかしいと思うとか、攻撃が怖いと思うとか、
全て、たとえば何か相手が不機嫌になると、
自分が罪を犯したんじゃないかと、
何か悪いことをしてしまったんじゃないかと、
つい考えると。
自罰的だと。
自罰的だと。
全てこれはエリプスなんですよ。
エリプスのルールをものすごく鵜呑みにする。
この鵜呑みにする、何点ですかね。
鵜呑みにしがちな人と鵜呑みにしにくい人と言って、
鵜呑みにしがちな人が罪の意識を持ちやすく、
ある程度欲打つ的傾向も持ちやすいし、
多分繊細だと思われます。
なぜならば、そのルールが絶対だと思うから。
絶対だと思うから。
このルールは当然ルールなんで、
仮に目なものですが、
とっても鵜呑みにする人と、
21:02
とってもどうでもいいと思っている人とに分かれるんですよ。
これは私のおそらく推測ですが、
精神不整にはそういう考え方がきっとあると思うんですが、
このルールを鵜呑みにしすぎる人ほど、
盗作的傾向、性的な盗作傾向を持ちやすいに違いないと思います。
非常に考えたいので、
性の話をするというのが良くないことだという意見そのものが、
ものすごくエリフス的で融通の効かない、
非常にめんどくさいものに僕には聞こえるんですね。
しょうがないと思うんですけどね。
例えば通貨というのがそうですよね。
通貨というのはすごいじゃないですか。
このエリフスをやだらうのみにする人というのは、
昔、昭和の時代に、
会社の外に出ても、
俺部長だからという態度を外せなくなるという、
面白い笑い話みたいなのがあるんですよ。
そういう人って確かにいらっしゃったんですよ。
会社では偉いと。
でもそれは会社で作られたルールだから、
外に出たらただのおじさんなわけじゃないですか。
ここのところで、つまり人為的なルールには、
それが適用される空間的な限度があると。
これもルールですけどね。
そういうことがだいたいついて回るんですよ。
ついて回りにくくて、
オールマイティに通用するルールほど、
ある意味、人を苦しめるレベルや広さや深さもひどくて、
かつ便利でもあります。
お金とかね。
お金なんて非常に適用関係が広いですよね。
家から出たらそれ使えなくなりますなんてことはないじゃないですか。
おうちのカタタタ危険じゃないんでね。
だけれども、国から出たら使えなくなりますよね。
でも例えば、それが強い国のお金ならば、
その関係が曖昧に他の国まで広がっていきますよね。
ドルとか。
ドルとかすごいですよ。
メキシコとかでも、今は知りませんが、
私が行った時は普通にドルとかでも使えましたから。
円出しても全然ダメですからね。
そういう意味で、やっぱり強いという、
つまりエリフスには強さとか権力というものが、
はっきりと影響を及ぼすんですよ。
でも天然のものでないのは間違いないですよね。
例えば多分、ドルを韓国とかに行ったら難しいんじゃないかと思うんですよね。
いろいろ事情があるじゃないですか。
北朝鮮に行ったら多分ダメなんじゃないかなと思うんですよね。
で、たとえ他国で通用するにしても、他国では高くつきますよね。
この辺もすごくエリフス的な何かを感じさせられるんだけど、
とにかくそういうのってあります。
でもエリフスを外にも持ち出しちゃう人っていることは確かですよね。
これはお父さんなんだからとかっていうことを、
外でも通用させたがるっていう人っていうのはいらっしゃるわけですよ。
男の方が偉いとかね。
全てそういうのは、実際のところはどこかで適用する特定のルールであって、
野球のルールとゴルフのルールは全然違うから、
ゴルフ場にいて野球はしちゃダメなんですよね。
24:00
それは全くエリフスというものの限界を無視して、
無理やりやろうとすると全然通らなくなるという話になるはずなんです。
これがですね、例えば海外に行くと自分のエリフスがどういうルール、
文化的なルールってやつですよね。
どういうルールで縛られているのかがよくわかるんですよ。
例えばアメリカに行って、日本流のアメリカにシェイムの概念がないじゃないんですけど、
恥の概念がないっていうのは、あれはキクド刀以来の誤解のような気がするんですが、
違うんだけれども、違うことは確かなんですよね。
そのまんまの感覚で行くと全然違うところですっごい遠慮しちゃうし、
一方で遠慮しなきゃいけないところでは全くできないし、
こういうのすっごい嫌う人もいますよね。
なぜかというと、その人はルールというものがリアルだと誤解しすぎているからなんだと思うんです。
ルールがリアルっぽく機能しちゃうことは多々あります。
お金とかそうですよね。
食欲を満たすってことは天然のことだから、やらないとやばいことになるんだけど、
食欲を満たすためにお金を介在させるってところがあるから、
お金は命に関わり得るものですよね。
この辺で、いわゆる人為的に作った、ほとんど意味付けでしかないものが、
現実にすごく作用を及ぼすってことはあるけれど、
例えばプロ野球なんかの場合もそうですが、特にアマチュアの野球で、
これがファールかホームランかとか、これがヒットかファールなのかとか、
これはストライクなのかボールなのか、
所詮はそれはどうでもいいことじゃないですか。
そのままではすごく深刻にならなきゃならないけど、やっぱりどうでもいいことですよね。
それはまあ、つまり現実に関わってはいないから、
あくまでも幻想の世界のままごとなんですよ。
これをままごとと言うんだよな、多分。
このままごとは、ままごとで楽しんどけばいいんですけど、
さっきも言ったように、ままごとが現実に侵食し始めるんですよね。
よくできたルールほど、そうなりがちなわけです。
で、罪の意識と罰っていうのは、一番その中でも、
徹底的に私たちの、まるでそれがリアルであるかのような顔をして、
死刑とかにしますからね。リアルであるような顔をして、
振る舞い始めるわけです。
どう考えてもそれは人間だけが、しかも多分特定の国とかでのみ、
その人たちの生活をシステマティックに便利にするために
開発されたものであって、死刑ってのはすごくあれですね、
無茶苦茶なことをやるよね、人間って感じが。
やっぱりスルーでやる。
エディプスの中でも最もグロテスクに適応されていく何か。
で、私たちはそれをしないでは大変なものになるような気がしているので、
やっぱりそれはリアルに私たちの心理に食い込んできていると、
そういうことなんだと思うんです。
27:01
で、さっきも言いましたように、
死刑に関しては、やっぱり、
生命そのものには多分あんまり関係がないものなんですよ。
快適に生きるとか便利に生きるということのためのものなんで、
そのために全人生が振り回されているんです。
だから、生命そのものに関しては、
その人間の中での生活に関しては、
その人間の中での生活に関しては、
人間の中での生活に関しては、
人間の中での生活に関しては、
快適に生きるとか便利に生きるということのためのものなんで、
そのために全人生が振り回されるというところまで行くと、
行き過ぎなんですね。
で、原理的に一番最初にエリプスが発生するのは、
多分お父さんとお母さんの関係に、
子供が割って入れないっていう、
そのルールから始まっているから、
セクシャルなものがここに強く出てくるはずなんですよ。
みんなが口にしないので、
性的倒作については、
さも普通の人には縁がないもののような顔をしてますけど、
この世にポルノがある以上、そんなはずはないですね。
あれは性的倒作の象徴ですよね。
これは多分一番最初の原理で、
お父さんとお母さんがいたはずなんですよね。
そこに戻りたいという人たちの様々な気持ちが、
いろんな形で反映されると、
覗くっていうのは子供が覗くんですよ。
覗くというのもそうですし、
いろんな形があるわけですよ。
いろんな形は当然なんですよ。
なぜならば、戻れないから。
戻るための様々なルートを考案してみたところで、
無駄なんですよ。戻ることはできないんだから。
戻りたいっていう気持ちが絶望されるほど、
訳のわかんないものが考案されていく。
だけれども、それは結局リアルなものではないので、
どこまで行ってもイリュージョンなので、
そういうイリュージョンというものに、
どこまでのめり込みたいかって、
最終的にはそういうことだと思うんですよね。
別に野球やっていいわけじゃないですか。
何ら問題はない。
でも、やらなくたっていいわけですよね。
罪と罰とお金は、なかなかそういうわけにいかないから、
面白くないわけですよ。
私、全然バスケ好きじゃないんだけど、
お前バスケ死ぬほどやれと、
バスケに命かけろって言われるようなところが、
お金と罪と罰には発生しちゃうんですね。
でも、これはバスケなんですよ。
究極的には絶対に。
決してそれはリアルではないはずなんですよね。
そこのところで、
これたちの悩みってもあるんだけれども、
だから私は、
グッドバイブスでもいいと思いますし、
自分はずっと性的動作というものに
向き合いたいかなと思ってるわけですよね。
最初に言った通り、
これは非常にパーソナルなものなので、
他の人にはまあ理解できないところが出てきます。
その人その人が。
ありますよね、SMとかのぞきとか、
30:02
そういう言い方をすれば、
極めてマクロに見れば、
でもそれは所詮図式です。
抽象感がひどくて、
こうのぞきたいとか、ああのぞきたいとか、
これをのぞきたいとか、
どんどんパーソナルになっていくはずなんです。
それはその子の、
その人が子供だった時の歴史を
絶対反映していないはずはなくて、
で、そういう反映のさせ方の中にですね、
私たちが罪と罰で苦しむ、
つまり罪と罰って概念も、
人をどういうふうに行刑するべきかとか、
どんな罰を加えるべきだ、
めちゃくちゃパーソナルなはずなんですね。
で、多分そこにはセクシャルなものが
加わってくるはずです。
私たちはそういうのを分離して
考えることができているものだから、
そういうふうに思っちゃってますけど、
多分とんでもないことであって、
人は多分、この件に関してはね、
リンチを加えたいっていう欲求が
抑えきれないところがあるんですよ。
だから刑法ってあるんでしょうね。
で、このリンチも、
どう加えたいかが人それぞれ、
100人いたら100通りあるはずなんですよ。
で、これを手放しましょうっていうのが
多分、グッドバイオスでは
基本中の基本になると思うんですよね。
でも、ゴールでもあるぐらい、
これがなかなか手放せないと、
家庭内暴君みたいなものが
いっぱいいるはずなんですよね。
そういう、
ドステフスキーもそういう話書いてますけれども、
そういうことを手放していかないと、
結局家庭内暴君になって
嬉しい人って一人もいないはずなんで、
あれ、すっごい気持ちいいだろうなと思う瞬間って
どうしてもあるんですけれども、
多分、惨劇しか踏みませんよね。
だから、そういう意味では
グッドバイオスって大筋、
幸福になるには
これ手放す必要がありますっていうのは
誰にも異論の余地はないと思うんですけど、
そうなんだけど、この快感に身を
快感なんだと、僕はこれを思っております。
委ねたくなるんですよっていうのが
ずっと攻めき合いとして続いている。
そのうちの中で最大の要因に
罪と罰、そして可憐があるんだろうと
現代人にとってはさらにここに時間を加えるんですけど、
僕は時間は絶対止めといた方がいいと思っています。
金に比べれば時間は大事にしなくていいねと思っている人は
結構いるんで、つまり金に比べれば
普遍性がないんですよね。
この時間に普遍性の力を与えないということが
ドライファック的には多分ほぼ逆のことが
言われているけど、与えないということで
一つ私たちはですね、
余計な負担を背負い込まずに済むと。
罪と罰と金だけにしておこうって
私は思うんですよね。
本当はこれもない方がもちろんいいんですけど。
32:53

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