家を提供する不動産業者
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月19日、日曜日、朝の11時10分です。
ついにこの、ずっとこのポッドキャストでも繰り返し、しつこく告知させていただいていた11月19日が、
今日やってまいりましてですね、
今日の15時から2時間、グラゾノさんとタスクシュートをテーマとして対談をするというものをやります。
私のタスクシュートの現状のリアルですね。
まさに現状のリアルのお話も最初に、冒頭少しでも全貌をお話しさせていただく。
お見せします。
全貌といってもですね、朝何時か何分から何時にこれやってますみたいなのを見せてもつまんないと思う。
面白いかもしれないけど、はっきり言ってどうでもいいことだと思うんですよ。
ただ、僕のだいたい日常なんつーのは、朝5時40分に起きて、ご飯の支度して、娘を起こして、娘にご飯食べさせて、
一緒にちょっと紅茶飲んで、駅まで送って、それから仮眠とって、その前にグッドモーニングボイスやって、
ゴミを捨ててから仮眠をとって、シャワー浴びてね、仮眠とって、
起きてからは妻とこんな食事をして仕事をするという、もうどうでもいいじゃないですか。
どこにでもありそうですよね、非常にね。
そりゃスタイルがいろいろだとは思うんですけど、どこにでもありそうな日常で、
これを話したところでタスクシュートにも何もなりやしないと思うんですよ。
これはただ、言ってみればただの毎日やってることを、
多分これを早々動かせないぐらいならざるを得なくなってこうなってるわけですから、
これは良いと思うんですよね。
そうではなくて、タスクシュート、特に仕事でですね、
私は在宅だからかなりの部分自由になりますので、
それをどういうふうにやってるかというのを実例を交えて、
リアルなところをお伝えしたいという回で、
間もなく締め切りと当然なるわけですけど、
今日の15時からで、今11時になって、
ぜひですね、これを聞いてなお迷っていた方は、
もしくは見ただけると、かなり盛況になってきて、
昨日、今日、一昨日と、すごいお申し込みが集中しておりまして、
最初はずっと1でね、お一方でどうしようかと思ってたんですけど、
非常に安心しております。
もうホッとしているってやつですね。
なので今日、よろしければご参加ください。
今日はですね、何の話をしようかと思ってたんですけど、
昨日、たまたま報道特集という奥様がよく見ている番組がありまして、
私もよくちらちら一緒に見るんですけど、
深刻な話が多いわけですが、
そこでですね、えらい不動産屋さんがいらっしゃいましてですね、
不動産屋を今やってるわけじゃないんだけど、
要するに生活困窮でどうにもならなくなった人に、
まずほとんど無償同然で家貸しちゃうんですよ。
不動産屋だから。
そういうのに賛同してくれているマンションのオーナーとかを抑えておいて、
いざとなったらそこにすぐ入って、
普通はガランとしてるじゃないですか、
そんな借りたてのアパートになって、
でもお金ない人すると困っちゃうんで、
電気とかもすぐ回せるようになってて、
ていうか回ってるんだと思うんですよね、おそらく。
すごいなと思って。
だからすぐ食事ができるとか、
暖房が使えるとかそういう状態になってるわけです。
家具もあると。
いやもうこれは何なんだろうなって思ったんですよね。
普通に考えるとこれは国がやる福祉ですよね、完全に。
で、思い出したんですけれども、
遠畑さんがですね、彼は臨床心理師ですけど、
家があれば人間なんとかなると。
とにかくまずホームレスである人には家を提供して、
そこから心を整えるという風に考えるべきだっていうですね、
非常に臨床心理師としてやっぱり彼はラディカルだよなって感じるんですよね。
まあ普通に考えるとそこは、
心理カウンセリングの範囲ではないじゃないですか。
この辺がですね、先日の対談で下山晴彦さんが、
わりと突っ込もうとしていて、
実はあの二人は私は意見がすごく合ってるんじゃないのかって思ったんですよね。
考えてみるに。
結局これはトータルでケアしましょうって考え方。
心理カウンセラーと環境マネジメント
つまりそれは下山さんのつなぐ…なんだっけな。
つなぐなんとかっていうのがすいません。
またすぐと忘れてるんですよね。
何だに読んでるのになんで忘れるんだろう。
まあとにかくつなぐ。
下山晴彦で検索すれば絶対出てくる。
重大なキーワードなんですけど。
これつまりなんつうんですかな。
地域医療みたいな考え方もこういうことと関係があると思うんですけど、
要するに家の世話をする人って心理カウンセリングではないじゃないですか。
今でいうと精神薬理があるからお薬もらいますとか、
体の健康もですね、そんな何日も野宿してたら大変なことになるんであるじゃないですか。
つまりトータルで一人の人の面倒を見ていくっていう風にしないと、
結局心理カウンセリングの専門家だけがそこにやってきても、
もう一つ役に立てないわけですよ。
もちろんそんなことは心理カウンセリングをやるぐらいの人は分かってるから、
そこで頑張ろうとしちゃったりもするんだと思うんですけど、
でもできることには限りがありますよね。
ここに不動産屋さんが出てくるっていうのが面白いなって思ったんですよね。
すごく多分戸畑さんはあの話知ってるんだろうなって思ったんですけど、
昨日の報道特集の話。
やっぱり心を整えるためにはまず環境を整える必要があるみたいな、
最近そういう考え方にどんどんなってきてますけど、
環境マネジメントっていう言い方ですね。
ただですね、これは制度上の不備も様々な問題があるんですけど、
一人の人間でこれをやろうとすると大変なことになってしまうじゃないですか。
だからその不動産屋さんすごいなって感じだったんですけど、
最初はトップの営業マンだったんだけれども、
あることをきっかけにそういうNPO法人の方向に、
ほぼ完全に福祉方面に向かってるわけですよね。
やっぱり当然そうなるだろうなと思うんですけど、
不動産業編人生相談になっちゃうわけですよ。
これは絶対そうなりますよね。
まずやってくる人たちが基本的に人生うまくいってない方なわけですから、
やっぱりそうかなるほどみたいな感じで、
慶長から入ってるんですよ。
つまりこれは人生相談と不動産屋さん兼、
慶長ですよ、ロジャースですよ。
話聞くっていう時間が長いんですよね。
だから心理カウンセリングが心理カウンセラーも兼ねてるわけですよ。
これでもう3つになっちゃうわけですよ。
心理カウンセラー、人生相談所、不動産屋さん。
貸した人、お金ないじゃないですか。
だから今度は生活保護を受けなきゃならないですよね。
でも来た人は身分証明書もないですみたいなことになりがちなんですよ。
だからこの行政的な何かですね、福祉のあるじゃないですか、
例えばですけれども刑務所から出てきた人の福祉を世話をする人とか、
そういう人って必要なわけですよ。
何もないところから手続きとかするのは無理なんで。
全然できない人も出てくるわけですからね。
ここでこの行政福祉士みたいなのが加わってきますよね。
4つぐらいになってますよね、この段階で。
プラストラブルが起こるわけですね、そういう人たちに貸してるんで。
要するにトンズラするとか、いきなり揉め事を起こすとか、
そういうのに対して介入していく人になる。
これはちょっと心理カウンセリングとはまた別なんですよね。
心理カウンセラーは家に行って介入するっていうケースはほぼないと思うんで、
やばいですからね。
これね、やばいっていうのは何がやばいかというと、
実は私、昔これも全く関係ないところからそういう方向に話が流れていくっていうのが面白いんですけど、
昔私携帯電話のね、要するに貸し倒れって言うんですけども、
携帯電話のお金って後払いじゃないですか。
使うのが先、使った分払うっていう形になってますよね。
だけれども、払わない方っていうのはもちろんいるわけですよ。
ところが払わないと何が問題かっていうと、もちろんお金取れないのは問題なんだけど、
でもそれはしょうがないんですよね。
あれぐらい大手の世界になってくると。
絶対一定数の人払わないから。
払わないのはしょうがないんだけど、払わないではしょうがないでは済まさないよっていうのが税務省なんですよ。
いやいや払わせろよと。
一人で行ってはいけない場所
で、そのうちのいくらかはうちに税金として納めなさい。
もしそれができないんだったら払えなかったことを証明しなさいと。
その証明ができないんだったら脱税ですよってこういうことなんですね。
だから我々は取れませんでしたということを証明する証拠書類をきちっと揃えなきゃいけない。
これが僕の仕事だったわけですね。
そうすると時々なんですけど、やっぱり多額の、これもおかしなと思うんですけどね。
月に10万円とか突破する、こういうのをちょっと分けてあるわけですね。
月に1000円とかは、これはもう税務省もうるさいことは言わないわけですね。
難しいラインになってくるのが、月に2万円から10万円だったかな。
このラインが当時ですよ。僕が1998年ぐらいの話ですからね、これは。
難しいラインなんですよね。
でも1000円とかはまあまあここから取れる税金も知れてるじゃないですか。
だからまあ事実上はスルーなんですよね、数千円みたいな世界は。
10万円となってくると、これはもういろんな意味で取り立てないとまずいんだけど、
ここはやっぱり一筋縄ではいかないんですよね。
だって普通に考えれば月10万円も携帯で使わないですよね。
しかもそれが困窮者だとすれば縄のことでおかしいわけですよ。
だからここに実地調査というものが必要なケースが出てくるんだけど、
私知らなかったってこともあるんですけどね。
一人で行っちゃダメだよみたいなことなんか言われてた気はするんだけど、
当時僕派遣社員だったんで、必ずしも細かいレクチャーを受けずにですね、
のうのうと一人で行っちゃったんですよ。
そしたらですね、なかなか大変な、なんかちょっと踏み込んだところからすでに、
私は埼玉県で、その仕事も埼玉県だったんで、埼玉県なんですけど、
地元埼玉県でもこんなところがあるのか的な、その辺で引き返せよって話なんだけど、
僕はバカなんで、のうのうと行ってしまったわけですね。
詳しい話はしませんけれども、なかなかヤバい目にあって、
家帰れ、てか会社ね、会社帰れなくなる、
あれほど僕は会社に帰りたいって思ったことはなかなかないですね。
ようやく会社に帰れなくなるんじゃないかって、
そんな大した目にあってないんですけどね、実際に。
一人で行ったらいけないよって後から言われたんですけど、ほんと身に染みましたね。
絶対一人で行っちゃダメな場所ってやっぱあるんだなっていう、
なんてことはなかったんですけれども、あるところからちょっと急にね、
当時、今では珍しくもなんともないですけど、
当時ではちょっと珍しい、やっぱり外国人の方がわんさかいて、
日本人ももちろんいるんだけれども、なんかちょっと雰囲気が違ってきちゃってたわけですよね。
こういうことが起こるから心理カウンセラーが、
ノーノーと家に行っちゃいけないわけですよ。
やっぱり、自分が普通に暮らしている世界とは異なる世界に行くときは、
それなりの知見なり、やっぱり協力、共同しちゃえば必要なわけですよね。
あっさり一人で普通にスーツ着て行ってしまったら、
いかにも違和感がある人間なわけで、
やっぱりそこら中に散乱していた薬っぽいものもですね、微妙なものばかりだったんですよ。
そしてポストを見ると、やたらここで促速状が突っ込んである。
もうその手前の段階で引き返せばいいのに、僕はピンポン鳴らしてましたからね。
バカだよなって思うんですけど、当時26号その辺だったからしょうがないかなとも思うんですけどね。
まあまあそんなことがありまして、こういう仕事はまた別だと思うんですよね。
行政をする担当の人、でもこれも昨日の人は明らかに兼ねちゃっていたわけですね。
揉め事引け死人みたいなものも兼ねているわけです。
心理師、福祉師、揉め事の人、不動産、これが本業なんですけどね。
人生相談所、一人5役なわけですよ。
どの一つをとっても、福祉師なんて本当そうですけど最近もうめっちゃ忙しいじゃないですか。
どの一つをとっても忙しいのに、やっぱり当然なんですけど電話とメールの相談合わせて400件を超えるみたいな状態だっていう300件かな。
なんかそういうふうに言ってたんですけど、その対応だけでもアウドだろって感じが僕なんかはするんだけれども、
一人5役やって、車で迎えにとかにも行ってるんですけど、この人の時間の使い方は一体どうなってんだろうなっていうのが、
まず最初にやっぱり私はタスクシューターなんで非常に気になりました。
あともう一つは、この人いつ寝てるんだろう。
なんか真夜中だとかね、朝だとか、市役所に一緒に行くだとか、24時間稼働にしか見えないっていう感じで、
この人自身の生活は一体どういうふうに回ってるんだろうなっていうのがね。
あともう一つはお金ですよね。
基本的に困窮の人に全部貸すとかなんで、お金はどこからか出るんでしょうけれども、
これも相当、だからといってこれ、また国がこの体制を整えるみたいな話に、たぶんいずれはそういう話になっていくとは思うんですけどね。
で、全体を通して僕が思ったことは、心理カウンセラーっていうのはこの中で動くものだよなっていう話なんですよね。
これを一人で全役やるっていうのは、そういう超人みたいな人はできるかもしれないけど、みんながそれやるわけにはいかないし、
年齢もあるじゃないですか。若い頃はまだああいうことができてもですね、年齢重ねるとやっぱりできなくなる。
あと私みたいにそもそも体があまり強くない人間がこれやっちゃダメだろうなって感じがするんです。
あらゆる意味でですね、偉いなっていうのと、これをやっぱりこの人がやる、一人でやるっていうのはどこかまずいだろうなっていう感じがするんですよね。
見てて同じようにはできないなって普通の人は思っちゃうのが一つと、この人いなくなるとやっぱり困ることが、悪さが出てくるでしょうからね。
だからこういうものはシステムという、島山春彦さんが先日システムシステムすごいいろんな形で唱えてたっていうのは失礼ですね。
提唱してたんですけども、こういうことなんだよなという、一人全役やる人が出てくると、システムいりますねっていうことが感じられるわけですね。
全部は多分やっぱり対応しきれないと思うんですよね。
そういう空いているマンションがあればそこに入ってもらうってマンションとかアパートとかあるんでしょうけど、その数は限界があるはずで、絶対入りたいっていう人の数の方が多くなりますもんね。
だからまず家だっていうのは本当に正しいと思うんだけど、まず家ならば余計公的な何かだろうっていう感じがやっぱりしますね。
家を提供しましょう
私だって空いてる家の存在なんて知りもしませんから、そこは不動産業ならではなんですけど、いわゆる民間セクターって考えたんですよね。
でもやっぱりそれだと、民間でやる、公共でやるっていうのはどっちがいいってことはまた別なんでしょうけれども、そういう話をちょっと考えたんですよ。
で、家だってことになるとですね、やっぱりでも私の頭はエディプスってことは意識されてくるわけですよね。
だって家作るのはやっぱりお父さん、お父さんっていうのはこの場合、男性って意味ではないですよ。
家を作るからお父さんってわけですよ。
で、このエディプスが一番原始的というか子供っぽい形で出ると、誰のおかげでお前食えてると思ってるんだってあの発言になるわけですけど、
それって要するに一時なるシズムにプレッシャーをかけてるわけですよね。
一時家庭って言えばいいのかな、一時愛的な世界。
つまり、母と子が一緒にラブラブに暮らしている。
それはしかし、家が必要だろうっていう話なわけですよ。
で、その家がバカでっかくなってくると、すごく極端な場合、最大の場合、国の家で国家ってことになるんでしょう。
だからエディプスの究極形はやっぱり今のところ国家なのかなって感じがするんですよ。
王家とかね。
で、まあ普通そんなのは意識あんまりしないんで、組織ですよね。
我々が一番普通に意識するのが組織ってやつで、もうあのね、相撲の世界とか完全に家ですからね。
部屋っていうじゃないですか。部屋に入門するわけですから、完全に家ですよね。
そこにいるのは親ですからね。親方というので。
しかも相撲の世界って凄まじくてですね。
お相撲さんしかいないんですよね、あの世界は。
普通の世界ってそうじゃないですよね。
例えば野球だって、日本野球なんとか協会とか、コミッショナーとか。
別に元プロ野球選手とは限らないというか、ほぼそうではないし、
球団のオーナーはプロ野球選手じゃないですよね。
楽天のオーナーは楽天の社長とか、ロッテのオーナーはロッテの社長とか。
そういうふうに、別に昔野球やってましたってわけではないわけですよね。
だけれども、お相撲さんの世界はそうじゃないわけですよ。理事長は。
今もそうだと思うんですけど、元横綱の北東美っていう人なんですけど。
理事も全部お相撲さんで、親方も全部お相撲さんで、経営も組織の運営も全てお相撲さんがやるという。
これは野球でいうと、コミッショナーからオーナーから全部元プロ野球選手が担うっていう話で、
いやそれ、なんかめちゃくちゃ無理がないかって思うんですけれども、そういう世界。
まさにあそこは家なんですよ。
部屋であり、一門であり、親方であり、そういう人たちが仕切る世界なんですよね。
で、先に言った人たちは兄弟子ですから、ほんと家族なんですよね。
国鉄一家感がありますね。この言葉も今になっては知ってる人はむしろ少なくなってると思うんですけども。
一家なんですよね。
だからこのエリプスがまあまあ嫌で、嫌なんですよ。
私なんかも嫌だから会社勤めできなかったわけですよ。
嫌だから一時家庭というか、一時ナルシズムというか、そっちの世界、OCの世界に留まりたいんだけど、
どうしてもプレッシャーがかかってくるわけね。
いやそのお前食えてるのは誰のおかげだと思ってんだって、誰だか分かんないところから声がしてきちゃうわけですよ。
これがですね、ちょっと文脈違うかもしれませんが、
倉園圭三さんがグッドワイブスで罪悪化、罪と罰って言ってるやつの罰側の存在だなっていう、
劇が良くない場合の話なんですけども、やたらバーしてくるわけですね。
プレッシャーかけてくるわけですよ。
このプレッシャーにみんな敵役もしてるし、でもいいラクダクトしなきゃいけない気がしているし、
虚勢されてしまう、勢いを削がれてしまうわけですよね。
俺やれるわみたいに思ってても、お前誰のおかげでみたいなのが、
頭の斜め上の方からプレッシャーかけてきて、なんか自分大したことないなとか思ってですね、
結局のところはこの組織の中で何者かになるっていうルートを探りながら、
人にマウント取られたり嫌な思いをしたりしていくという、
エディフスに対して悪いイメージを持つと大体こういうことばかりを意識する羽目になるんですよ。
一時ナルシシズムの世界ってのは、僕はどこに行っても一時ナルシシズムだとは思うんですね。
一時ナルシシズムとエディプス
家がまず作るのはそのお父さんかもしれないけど、できてしまったらその中でやるべきことは一時ナルシシズムしかないわけですよ。
原則的に僕が考えるんですね。
家の中でくつろぐと。
これができないんだったら家なんか意味ないじゃないですか。
まず家を提供しましょうって言ってるのは、家でくつろぐためですよね。
だからエディフスが、だからこの構図ではですね、どうしても父、父ってのはこう、何とも言いますけど女性でもいいんですよ。
父はより偉い感じになってしまって、
どうしても一時ナルシシズムが低く見られている感じの構造ってのがあるんですよね。
これは僕どっちが重要ってことはないと思うんだけども、
なんかですね、どうしてもこう一時ナルシシズムより父、エディフスは上って感じを持たされると、
僕はこれに抵抗しましょうねっていう話を、抵抗するんじゃないんだけど、
これを安易に受け入れないようにしましょうねという、
特に受け入れてその人にとって何のメリットもなさそうな人が、
わざわざこれを頭から鵜呑みにすることはないですよっていう、これがだから甘えの話なんですよ。
自分を甘えさせるのが一気に食わないとか、人の甘えは断罪したいとか、
急にエディフス側に立ってしまうと、断罪するときだけエディフス側に立つってことは、
これも倉園さんがよく鏡の法則っておっしゃってるんだけど、無理なんですよ。
ダブルスタンダード取れないんですよね。
人に対してお前誰のおかげで食えてると思ってるんだって言うときだけエディフス側に立って、
父親側に立って、通常はラブラブモードで生きていたいって、
こういう都合のいいことは無理なんですよね。
これをやろうとすると、大体一時ナルシズムの方に対抗するばかりになっていって、
食べる世界とか、ファンザの世界とか、薬物依存の世界とか、極端な場合ですよこれも。
極端な場合は、世の中には母子世界しかないんだみたいな、
現実原則は無視しましょうみたいな考え方になっていくんだと思うんですよね。
この現実原則無視っていう考え方がつまり、
いわゆるパーソナリティ障害って言われる出方をするんだろうなと。
そういう感じがします。
引きこもるとか、何でもいいんですけど依存的になるとかですね。
エディプスから完全に退避する。
でも意外とそういう生き方をしていると、
やたらといざというときエディプスに頼りがちなんですよ。
結局のところエディプス強いって意識が拭えないんで、
こんな自分じゃ地堕落でダメだとか、そういうふうに言ってですね。
わかんないですけど、カウンセリングなりで、
いやそれでも許しましょうって、許せないんですみたいな。
急にですね、親と同一化しようとする。
そうすることによって何をやるかというとですね、
いわゆる頼りなさから脱却したいわけですよね。
リジナルシシズムの問題点を頼りなさに置いてしまうということなんですよ。
いやそんなのはいざとなったら、
戦闘機とかにやられてしまうからダメだよみたいな、
そういう現実の厳しさを認識しなさいみたいな。
お前は通用しないんだよみたいな。
これを言ってる時だけは威勢がいいみたいな感じですね。
現実とエディプスへの依存
僕はこれが、いざとなった時の不安っていうのはですね、
テレビとかを見るとどうしても出てきちゃうと思うんですけれども、
だから僕はあれなんですよ。
この問題に引っかかってる人はニュースとかにはまりがちなんだろうなって思うんですよ。
やっぱり現実は甘くないよなみたいな。
グラゾノさんは許せ言ってるけど許せないよねみたいなことを、
すぐ考えたくなるんですよね。
これは長時間の方に引っ張られてるってことだと思うんですよね。
だからニュースとか見るとすぐそういうものがいくらでも手に入るじゃないですか。
いかにお前が通用しないかみたいな。
最初に私が紹介した昨日の報道特集とかもそうですよね。
不動産業とかもそうなんだけれども、
結局のところは現実は厳しいよねっていうのを伝えてきて、
私たちも考えていかなければいけませんみたいなことを、
最もらしく言っていると自分がちゃんと生きられるような気がしてくるんですよね。
僕はこれはでも、
許せ言というコスト
許せ言というコストを払ってるっていうのを忘れちゃいけないと思うんですよ。
やっぱり文字通りだと許せ言っていうのはめちゃくちゃセクシャルで、
変質的な世界に見えるかもしれないけど、
勢いをそがれるんですね。
私は生きていて大丈夫だという感覚を失うと。
これが許せ言ですからね。
代わりに家にいていいよって。
それじゃナンセンスだと思うんですよね。
やっぱり家でそれでじっともくつろげないと思うんですよ。
そして断るごとにお前は誰のおかげで食えているみたいな問いが、
そのうち心の中にインストールされてしまって、
リアルにそんなセリフを吐かれなくてもですね、
俺は誰のおかげで食えているんだろうみたいな、
自分で勝手に自分を苛んで、
自分で勝手に自己を肥減してですね、
でシュンとなると。
でも外に出ていくと、
この超自我と自分を同一化させることによって急にこう、
共変するんですよ。
クレーマーみたいになるんですよね。
社長だぜみたいになるわけですよ。
それは超自我と同一化するっていうことだと思うんですよね。
やっぱりね、その人はもう分裂してしまっていて、
誰のおかげでお父さんとシュンとなって怒られている子供に分裂してしまって。
通常自分は怒られている子供だと思っているんで、
自信が全くないんだけれども、
不意に誰かが明らかに間違ったことをしているってなると、
超自我と同一して社長だぜみたいになって、
びっくりするわけですよ、周りは。
なんかこの人、普段は私はもうダメ人間で自己肯定感低いんですとか言ってたのに、
急にクレーマーになったなみたいな、
そういうびっくり感が、
もう僕は全くびっくりしなくなったんですけど、
こういう話っていうのはやっぱりですね、
ライフハックだろうとタスクシュートだろうとなんだろうと、
何かを運営していれば必ず遭遇するんですよね。
家を提供する
最初はびっくりしますよね。
大体の方はすごく穏やかでおとなしくてですね、
私はもう佐々木さんのご指導の下でとかおっしゃってるんですけど、
なんかちょっとでも僕が自来住むと、
もう社長だぜみたいなモードに、
僕が社長ですけどこの場合は、
いや僕出てきてますけどみたいな感じになるんだけれども、
でもお気持ちはよくわかるんですよ。
長寿がが心の中に、
しかもそういうやや子供っぽい、
壮固的っていう言い方、
モンゴルの猛虎藩ですよ。
青いアザみたいなのがあるから壮固的長寿が。
要するに幼児向けの長寿がなんですよね。
ずっと抱えていらっしゃるんで、
辛いんですよね。
何をやろうとしても自分が何をやろうとしても、
お前そんなんじゃダメだみたいな無駄な声が聞こえてきて、
自己肯定感が下がると。
だからいつもは謙虚なんですよ。
そっちの自分と同化してるんで。
でも時々長寿がと、
お前誰のおかげでの方に同化するんで、
急に野生的になる。
野生的お父さんみたいになってしまうんですね。
そして食ってかかって、
そのコミュニティから、
ちょっとすいませんが遠慮してくださいみたいに言われて、
違うところに行くみたいな、そういうノリになるんで。
お気の毒だと思うんで、
やっぱりなるべくこういう人を、
何て言うんですかね、
代謝っていうのかホールディングって言ったらいいのかわからないですけど、
どんな組織でも、
これからくりさえ分かれば、
別に難しい話じゃないんで、
抱えてあげたらいいんじゃないかって思うんですよ。
これを外へ外へと出して、
排出ですよね。
グライン的に言うと。
外へ外へと出していくと、
結局のところそれは、
あれですよ。
罪悪感を外に出して、
全く同じことになってしまうんで。
世の中がだんだん怖いものに、
その組織から見てもなっていくと思うんですよ。
こういう人が来ちゃったらやばいよねみたいなことを、
無駄に警戒して、
無駄な対策を打ち、
そして怖い人を世の中に増やして、
実際増やしてますし、
その恐怖感も全く過剰なものになって、
過剰防衛になっていくわけですよね。
そして組織が入りにくく出にくいものに、
ある意味になっていくじゃないですか。
ハードルを、この出入りのハードルを上げてるんで、
いいこと大体ないと思うんですよね。
そういうことがでも分かるようになってくるのに、
やっぱり僕の場合も25年ぐらいはかかってて、
最初のね、こういうフリーランスの10年とかは、
やっぱりああいう表現する人はダメだみたいな、
表現する方を断りですみたいな、
犬の散歩に書いてあるような盾札を、
やたら立てたくなるんですよね。
これが個人にも組織にも機能するんだろうなと、
話が盛大に逸れてるんですけど、
いろんな意味でですね、
この家をまず提供するっていうのは、
しかもその虚勢的に、
エリプス的にではなく、
穏やかに家を提供する。
だから昨日の本当不動産のNPO法人やってた人が、
すごいその辺が、
どういう季節でそんな風にできるようになったのか、
ちょっとあまりにも説明が端折ってて、
分かりにくかったんだけど、
本当にこれすごいなっていう感じがしたわけですよね。
グッドバイブスだなみたいな感じを、
ある意味僕の表現で言うとしたわけですよ。