2021-12-09 29:58

【GMV 510】計画もメモも使えない

想定通りにいかないことがあまりにも多い
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
最近は、毎日何かしらのCMをしていますが、ぶっちゃけ相談の動きが欲しいなと思うように、そろそろなってきました。
全く頂いていない訳ではないですが、自転車創業で倒れそうになると、フラッと一つくる状態で、このくらいだと思うんですよ。
視聴者数から考えても、視聴して頂いている数から考えても、1万いいねがあってバサバサくる状態ではないことは確かなので。
最近、YouTubeをチラチラ見るようになっているんですが、たくさん見られるということは、動画らしさが強いんだなと感じられます。
私、このぶっちゃけ相談は面白いと思いますが、基本的には2人で喋っている絵ですからね。
キーワードが入ってくるし、動画である意味がない訳ではないんですけど、どっちかというと教育テレビ的だなという、教育テレビがつまらない訳ではないけれど、
少なくとも、仙台ものみたいではないですよね。動きがなければ何も伝わらないようなものではないですよね。
そういうことはあるかなと思いました。
とりあえず、相談ができるというところなので、何か面白い絵が見られるというよりは、相談ができるという場なので、何かありましたらですね。
何かあるという気は、いつもいつもするんですよね。
ライフハック時代、ライフハック時代はないな。ライフハックでメインでやっていた時代も、今でもやっていない訳じゃないですけどね。
質問って飛ばないものなんだなというのはわかるんだけど、いっぱい聞くことは一方であると思うんですよ。
私、タスクシュートを使い出した頃は、青橋哲夫さんに山のように質問したし、やたらずれた要望もいっぱい出しました。
こういうことは、やっぱり、はばかられるというのと、はばかっているつもりなんだけど、実はガンガン聞いちゃう私みたいな人間といるとは思うんですけれども、
最近いただいているご質問は、グッドバイブス的にも急所をついていいご質問なので、いいというか、つまり考えないといけないなというケースが多いと思うので、
03:01
そういうのをいただけるととても嬉しいです。
要するに本当に困っていることがありましたら、特命のフォームからお寄せくださいということですね。
グッドバイブス公式ホームページからご利用いただけます。
ツイッターで、あまり見かけない方から、グッドマリンバイブスのこの番組の508回で、メモしないという話が非常識で面白かったと。
私は別に逆張りで行くとかいうわけじゃないんですけどね。
タスクシュートの話でもそうですけど、私はタスクシュート1本で行こうというのが逆張りみたいに聞こえられるらしいんですよ。
結構、公式側から見ても逆張りみたいな話になりやすいらしいんですが、
公式だったら1本で押さなきゃみたいに、私なんかはちょっと思うんですね。
これは逆張りではないんですよ。
私は本当にタスクシュート、しかも今タスクマですね、タスク管理についてはこれ1本なんですね。
Todoistとか、TodoistはGoogleカレンダーの補助として私は利用していて、
あれ連携機能が強いので大変いいなと僕は思っているんですけどね。
補助として使っておりまして、あそこに予定を入れるだけなんですよね。
なぜタスクシュート、タスクマ1本じゃいかんのかっていう長期プロジェクトの管理とかいう話をされるんですけど、
長期プロジェクトの管理はいいんですよ別に、どうぞ皆さんにしましょうって感じなんだけど、
それタスク管理と何の関係もないっていうのが今私、これですね、
多分何の関係もないっていう言い方が強すぎると私も思ってたからそう言わなかったけど、
何の関係もないんですね、実際には。
長官して今日の文に落とし込むとか、私あれ嘘だと思うんですよ。
そんな風にいくはずがないと思うんですね。
で、別口であれはあれで何かそれこそExcelでもいいと思うんだけど、
Ganttチャートみたいなのも引いてみると、それはそれでいいと思うんだけど、
それとタスク管理を合体させようとしない方がいいんじゃないかなと思っています。
なんつうんですかね、タスクマ見てる時にわざわざ、わざわざなんですよねこれね。
タスクマ見てる時、今こうグッドモーニングバイブスやってますよね。
次は目高の餌やってシャワーを浴びて、なぜ目高の餌をやってからシャワーを浴びるかというと、
手がちょっと汚くなるから、その直後にシャワーを浴びたいわけですよ。
その前に手の爪を切ると。
こういう風になってるんですよ、生活の見通しというものは。
生活というものは、ここのど真ん中に、さあこれから本を書くぞとなった時に、
06:07
本を書く長期のGanttチャートから逆算して、今日書く文を割り出したのを書く。
あるいはそれを最初にタスクに入れておくって、
なんか口で喋ってるとご理的に聞こえるんですけど、
これをやろうとするとすげえおかしいことやってるなって思うんですよね。
そんな風には絶対やらないと僕は思いますね。
なんか目高の餌をあげて爪を切ってシャワーを浴びて原稿を書くみたいな、
こういう流れですよね。
なんていうんでしょうかね、いきなりそんな、
総理大臣が官邸に入って内閣何とか調査みたいなのを使って、
その資料を元に仕事を始めるみたいな、いきなりそんな風にならないですよ。
そのね、いきなり異常に大げさになる感じがいけないと思うんですよね。
あれをやるためにはやっぱり国会の儀式みたいに、
いろんな時間が膨大にかかる、いろんな人々の時間を調整して、
たくさんの人間がいて、そこでかなり苦い気持ちや体験を経てみたいなことを必要とすると思うんですね。
そんなススッとシャワーを浴びたから原稿を書くかみたいなのに、
そんな長大なものをいきなりどんと目の前に置いたら、
たぶんその計画を立てるというモードだけでいっぱいいっぱいになっちゃって、
原稿なんか書けなくなると思うんですよね。
だから事前にやっておくって言うんでしょうけど、
事前にそんなことをやる余裕は僕はないと思うんで、
文字を書くときに、あの種のことはやっていると進むって言う方はいいでしょうけど、
毎週の例えば連載すら落とすっていう人は、
あれやめたほうが本当にいいと思うんですけど、
あれはなんて言うんですかね、
明治時代みたいなんですよね。
戦艦を使ってこれから大砲の格を決めてドーンと撃つみたいな、
そういう時代はあれだと思うんですよ。
一人じゃできないっていうこともあるけど、
ささっとはできないっていうこともあると思うんですよね。
だからああいうやり方は時間と手間暇がすごいかかると思います。
メモをしないと書いたのはですね、
メモ全然すればいいんですよ。
あれは僕のラディカルなチャレンジの一つであって、
つまりこういうのってなんだかんだ言うと、
家族関係とか、なかなかやっぱりグッドバイブスを取り入れたからといって、
タスクシュート時代は特にそうだったんですけど、
タスクシュートをやっているからといってスムーズにいかないわけですよね。
タスクシュートっていうのも一つの嘘があって、
09:00
例えば皿を割るって書かないっていうのを私時々しゃべるんですけど、
タスクリストに皿を割るって書かないんですよ、絶対に。
でも皿を割る日はあるんですよ、100%。
すでにあったんだから。
これどういうことかと言うと、
つまりそこには理想の世界によったバイアスが必ず入ってくるってことですよね。
それをさっきのガントチャートとか長期企画みたいなのだと盛大にやるんですよ。
盛大にやらかすと言っていいんですよね。
誤字を書くっていうのもそこにはないんですよ。
マクロだからなっていうのは嘘なんです。
嘘をつくからいけないんですよ。
この日までに30ページは書けるだろうとかいう嘘をつくんですよ。
そんなのは全然嘘なんですよ。
30分で書ける量と300時間で書ける量が同じだったりしか出ないのが原稿を書くってことなのであって、
そういうのは絶対認めないじゃないですか、ああいうマクロな世界っていうのはね。
300時間ではここまでできるっていうことにしちゃうし、
できないとすると30分でやれるぐらいの量しか1年かけてできませんでしたってことになると、
100%悪だってことになっちゃうんですよ。
それは罪悪そのもので罰するに値する以外の何物でもなくなっちゃうんですよね。
そうして自罰的なことを感じて書く力を一層弱めるっていうことをやるはずなんですよね。
だってどんなにミクロでも自分のミスってタスクに書かないんだから、
このライフログ的なタスクリストにすらどんなに小さいミスでも書かないんだから、
絶対それの×100×1000×1万ぐらいになっていくわけですよね。
3ヶ月とか1年分というスパンで見れば、いいことしか書いてないんですよそこには。
でも悪いこといっぱい起こるわけで、
悪いこと全部書いていくと、1年分で進むはずのことは15年分ぐらいかかるはずなんですよね。
これはおかしな数字をしゃべってはいないんですよ。
そういう実験があったんです。
経済行動学者が1年で進むプロジェクトはだいたいどのくらいで終わるものなのかという、
そういう大掛かりな実験って最短で7倍になるという計算なんですよ。
だから1年でやるべきことは最短でも7年かかるわけです。
人間の認知ってそんなもんなんですよ。
で、これ最短でなので、それより短かった計算は1例もないって話なんで、
当然ほとんどのものは10年とか10何年とか、1本しか書くとできないとかそういうことになるわけですよね。
その時、罪悪感を感じるじゃないですか。
でも最短で7年というのは、7年という見積もりを出すべきなんだけど、出せないんですよね。
私たちは7年という見積もりを出してしまったら、その企画は通らないんですよ。
だから1年でできますという嘘を必ずつくしかないんですよね。
12:04
このカラクリ全体がおかしいと思いますね、私は。
人が罪悪感を持ち、最高のパフォーマンスを発揮できない状態でなければ、そもそも企画はおりませんという話をしたのであって、
もっとなんとかなるはずだというのはすべて嘘なんですよ。
なんでかというと、その7年かかる分の未来予知は私たちにはできないから、
できない部分は全部省略するから7分の1になってしまうんですよね。
その7分の1の未来予知も嘘なので、
だってここ1年間の予測を完璧に立てられた人って多分世界中で1人もいないと思いますから、
当然嘘ですよね。
嘘に嘘を重ねていくことにしかならないのに、
これは本当ですって、本当だと思うから罪悪感を持つわけですよね。
それぐらいでできるはずだというのは本当だと。
ここに対して私たちは偉く頑固なんですよ。
他の連中は知らないけど、俺は絶対できるってみんな思ってるんですよ。
ますます無理があるわけですよね。
ここをやることが私は第一歩目にあるのがメモだと思うんですよね。
結局メモというのは、後でこれは必ず役に立つだろうと思うからするんですよ。
これを取っておかないと機械損失すると思うから取っておくんじゃないですか。
これが真実じゃないと思うんですよね。
でもこれは小さなことなので、
そしてそういうこともあり得ることなので、
やっていけないとは思わないし、
どっちにしてもやっていけないわけじゃないんですよ。
7分の1の嘘だろうと、ガンドチャートだろうと、
罪悪感を持つことだろうと、自由なんですよね。
好きにしたらいいと思うんです。
ただ得することはないと思うんですね。
私は物を書いてきた人間だし、
この経験だけはなぜか豊富にあったから言うんだけど、
つまりあれを引いている限り原稿は進まないだろうなと思うということです。
これは人によって全然違うかもしれませんが、
私はそうは言ってもそんなに違わないだろうと思っているのが、
毎日毎日書ける分量なんてただが知れているんですね。
本を書いてきたわけだから、
それがどういう内容であれ、どういう質のものであれ、
所有出版として本に書いたものなんだから、
この文字数について、
他の人たちがやっていることだって平均して慣らしてしまえば、
大した差はないと思うんですよね。
100万字書くのにかかる年数は、
おそらく多くの人がそれが求められていればですよ、
締め切りとか切られていた場合、ほぼ変わらないだろうと僕は思います。
だとすると、僕が大体やっている1日17、8分、
これを僕は一つの限度とみなしているんですね。
この2枚書くことをする日はありますが、
トータルで見た場合、300日に慣らしてみると、
15:01
結局17、8分ぐらいしかまともに原稿を書いている時間はないんじゃないかな、
というのが本音としてはあります。
25、6分という数字ももう一つ持っているんだけど、
それにしてもそんなところかなと思うんですよね。
もっと集中して書く日が多いっていう人もいらっしゃるんだけど、
僕はあんまり信じていないんですよ。
10年とか50年とかいう単位に慣らしたら、
私とどっこいかそれより書いてないんじゃないんだろうかという感じを
僕は持つんですよね、どうしても。
留学中も相当レポート書いた気がするんですけど、
しかも英語だったけど、大した英語じゃないですけどね。
でもそういうものも全部ひっくるめて考えてみると、
やっぱり25、6分かな、1日にかける最大時間数はって思うんですよ。
これなど別に測る必要は全然ないんですけどね。
ただ、3時間とか書いちゃうと、
つまりどこかで全く書かない日が何日も続くことになるんじゃないかなと、
私は思う。
これは全く同じこと、スリー小説作家の森博史さんも書いていて、
1日1章とかいう人もいるけれども、
5日で5章書いたところで、
残り100日何も書かずに過ごせば、
結局それは100日で5章書いたのと変わらないんじゃないかと。
彼は1日の文字数がだいたい1000から2000の間、
あの人はすごい多作家ですよね。
推理作家でだいたいそうなんですけど、
しかも非常に文章が、本1冊あたりが長かったりもするし、
シリーズもので全部見ると結構な分量書いていますけど、
これを言うんですよね。
私はこれは全くそうじゃないかなと思っているわけです。
つまりトータルでは同じになっちゃうんじゃないかと。
これはつまりですね、
私たちに通せる見通しというのは、
そのぐらいにしておいたほうがいいと思うんですね。
つまりそれは1日は難しくて、
26、7分、これくらいならね、
現在と見なしてもいいかなと。
本当はこれも現在じゃないんですけどね、
今ここじゃないけれども、
25、6分ならば、
多分こうやってられるだろうみたいな感じですね。
25、6分なら自分の気持ちにもある程度保証ができるだろうと。
でも私は25分というのは実は自信がなくて、
15、6分かなって思っているんですよ。
そうすると15、6分というのは、
もしかすると4、500時なんですね。
これだけはいけるなって思うんですよ。
いけると思っていいと思うんです。
未来予知なんですよ。
4、500時ならいけると思っていいと。
で、500時だと仮にしますよね。
18:01
100日で5万時なんですよ。
これが正しいと僕は思うんですよね。
500時ならどんな日でもとは言わないけど、
少なくとも前回の実験で、
コロナワクチン2回目を打った日でもかけるんですよ。
こういうのが大事じゃないかな。
コロナワクチン2回目打って、
だるいし腕は痛いし頭も痛いけれども、
500時はかけるんですよ。
こういうのを調子がいい日の5000時に期待するから、
全くかけない日が何日も続くのではないかと思うんですよね。
500時というのは本当に一息で、
もしかすると2分くらいしか2センテンスで終わっちゃうんですよね。
場合によってはそんな長くないか。
でも僕は短く切るようにする方だと思いますが、
10センテンスくらいですよね。
だってツイッター140時限界ですから、
3ツイートすると500時くらいいっちゃいますもんね。
3ツイート分くらいなんですよ。
でもこんなもんだと思うんですよね。
3ツイートでも100日で5万字いきますからね。
薄手の本ならできますからね。
100日で本できるかというと、
できない人いっぱいいますからね。
ということは何が言いたいかというと、
メモはいらないと思うんですね。
ここに戻ってきたいわけです。
15分後に使うメモならば、
多分記憶の中に留まってますよ。
これはメモを取っておいたから、
100日後に使えるというのはナンセンスだと思うんですよね。
15、6分以降の気持ちも定かでないのに、
つまり本当のことは分からないのに、
どうしてそのメモが役に立つと分かるんだろうと。
分からない方に書けといた方が無難だというふうに思うんです。
ツイートされていた方のように、
現代の日本は安全だから、
ますますの安全を追求するのは、
むしろ不安心量を煽るというのはあるんですよ。
それはすごくグッドワイオス的にもあるなと思うんだけど、
僕がメモをしないというのは、
そういう意味では本当のところはなくて、
メモってつまり未来思考なんですよね。
でも未来はないんですよ。
15分先だって未来だけど、
僕は15分くらいまでを現在と見なしているんですよ。
ここでやれることしか僕らできないと思うんですよね。
実際そうなんですよ。
いつだって何かをやっている時は現在だから。
この15分より先に使うメモを取っておくというのは、
多分無駄だろうなと思うんです。
だから人の約束とか場所の日時とかを示したメモは別ですよ。
そういうメモに関して、むしろ不安、
ある意味では何かの予防のためにメモを使っているんですよ。
それは要するにダブルブッキングしないとか、
そういう意味で約束を守るみたいな。
でも私にとってのネタだのアイデアだの、
21:02
発想だの着想だのはいらないと思うんですね。
15分以内に使うんだったら忘れないですよ、メモしなくても。
15分後以降については当てにならないと思うんですね。
その種のものが価値があるというふうには。
私はそうは思わない。
これはタスクシュートの恩恵だったわけです。
私が書いている時間なんてせいぜい、
よくよく書いている時でも25分、
本当に長い時でも40から50、
1時間いくことはまず絶対なくて、
トータルで見ちゃうと16分とか17分とか、
そういう数字になってしまう。
でもゼロにしない。
ほとんど、休むって決めてる日を除けばゼロ分って日はない。
書こうと思ってるのにゼロ分でしたという日は、
たぶんここ10年で1日もありません。
これが僕の中では結構大事なんですよ。
書こうと思った日でその日書きませんでしたという日は、
たぶんここ10年で1日もないです。
ここ20年でも1日もないような気がします。
こういうのが、
何をするにもそれなりに意味を持つのではないかと。
それはつまり、
私は今ここのことしか保証できないんですよ。
最大限見積もっても15分後まで。
それだって本当は嘘ですよ。
本当は嘘です。本当は嘘っておかしいよね。
だってこれから文章書いてましたと、
15分は書き続けられるって言ったけど、
震度7の地震が今来たらできなくなっちゃうじゃないですか。
こういうことを私たちは、
えらく軽く考えてますよね。
1日、2日、3日、1週間、1ヶ月って平気でやりますよね。
その間何にも起こらないって、
どうして僕らに分かるんだろうと。
僕はやっぱりですね、
それは東日本震災の時に思い知ったんですよね。
やっぱりあそこで渋谷にいたってことは、
先が読めてない証拠だと思うんですよ。
私の家は当時朝霞でしたけど、
朝霞と渋谷じゃ危険度全然違いますもんね。
あの日に渋谷にいたと。
しかも揺れてる真っ最中に、
9階にいたっていう。
この事実が僕の未来の、
未来予知能力はゼロであるってことを、
立証してる以外何者でもないと思うんですよ。
もしあそこで、あそこでやってたのは打ち合わせでありましたけれども、
会食兼打ち合わせという楽しいやつでしたけど、
あそこで原稿書いていたら、
絶対その場で止めなきゃならなかったじゃないですか。
つまり15分間の原稿を書けるという保証っていうのは、
実はないんですよ。
これは大体日本であればですね、
空白とかされないし、
地震はよく来ますけどね、この国は。
15分であればね、書いてられると思うんです。
コロナのワクチンくらいなら余裕で。
24:00
そうなんですよ。
そう思うと、
そこから先ってのはダメなんじゃないかな。
私たちタスクシュートユーザーでよく、
次のセクションに送るということは、
もしかしたらその前に死んじゃうかもしれませんよって言ってるのと、
何ら変わらないと思うんですよね。
次のセクションというのは1、2時間先のことだけど、
ここでやれるっていうのは嘘くさいなと思うんですよ。
だから私は、
次のセクションに送るというのは余裕のことだと思うんですよね。
なぜここでできるという未来予測を、
皆さんがそんなに耐えやすくしてしまうのかが、
不思議なんですよね。
人と何かをやっているときは別ですよ。
ミーティングとか、いくら先の保証がないからちょっとだって、
1週間先の何時って言わないわけにはいかないですもんね。
セミナーもそうです。だからこっちは例外なんですよ。
こっちのほうをメモするんです。
そのメモが生きようと死のうと構わないからするわけですよね。
でも、こと自分に関して言う限りは、
自分のことってすごく当てにならないじゃないですか。
さっきまで本当に原稿書く気満々だったのに、
2秒後にはもう書く気全くなくなったりするのが私たちじゃないですか。
こういう、
こんなのを相手にですね、
さて30日後にこのメモを生かそうってのが、
僕はその方法が
いい方法だと思えないんですよね。
いい方法ではないとは思います。
すごくこう、
流れに逆らっているというか、
そういう風にはならないというか、
もしやるとするとすごくこう、
何かを一生懸命ねじ曲げまくっているような、
先日庭の木を切ったんですけど、
なんか庭の木をバキバキ折って、
無理に無理に無理を重ねて、
30日後こういう風にしますっていう。
そうまでしなくても、
書いてる時に何となくいい感じのことが思い浮かんできて、
何となくこうふわっとですね、
次に書くセンテンスは出てくるんですよね。
次に書くセンテンスは出てくるという方法に
信じた方が、
これが危ういって言うんですよね。
でもそれが危ういならば、
今まで何度も何度も書くことを先送りしては、
明日書こう明日書こうという、
この方法はどうして危うくないのかと、
計画を立ててもその通りにならないという、
この計画を何度も何度も立てては自滅感を味わうという、
この方法は何で危うくないんだろうと。
これが危うくないならば、
私はセミナーに何にも持たずに、
何にも持たずに、
ただ喋りたいことを喋ってみるっていう方が、
よっぽど確実なんじゃないかと思うぐらい、
多くの方は同じことをおっしゃいますよね。
27:00
なぜか書けないんですって、
30日とか100日とか平気で言うじゃないですか。
この当てにならない自分を当てにする、
その場合、
耐えない計画というものがありますよね。
この計画というものが信用に値するというのに、
どうしてこう、
その計画通りにならなかったことについては、
特に何も思うこともなく、
必ずまた計画を立てるという話になりうるんだろうって、
むしろ思うんですよね。
先のことはわからないというよりは、
僕の感じではですね、
何回セミナーに行って喋ることっていうのは、
何かできそうな日がむしろするんですよ。
計画通りに行くっていうのは、
かつて一度もそうなったことはないんじゃないのかなと思うんですよね。
先のことがわからないというよりは、
もはやこと計画について言えば、
100日で何文字書くとかも全部そうですけども、
もう明らかなんじゃないだろうか。
その通りにいかないことは。
先のことはわかんないんですけどね。
計画通りにいかないことについては、
保証済みで証明済みで立証されてるんじゃないですかね。
そんな気がむしろするんだけれども、
どうなんだろう。
途中ちょろっと言った、
ここからやる計画、シャワーとかじゃなくて、
これもよく言われるんですよね。
食事とかシャワーとかはそれでいいんでしょうけれども、
現行はダメです。ガントチャート入ります。
一度ですね、やってみたらいいと思うんですよ。
朝食とかについて。
朝食長期計画ガントチャートっての。
ここで必要になる栄養はこれだから、
逆算して今日のメニューはこれにするとか。
絶対それ食べたくならないと思うんですよね。
なんで現行はこうしたほうがいいとか、
仕事はこうしなきゃダメだと、
本気で皆さんが信じられているのかというのが、
ぜひ問いたいんですよね。
長期お風呂計画とか立ててみたらいいんですよ。
一度でいいから。
それとシャワーを浴びることは何の関係もないという僕の意見が、
多分極端におかしなものじゃないと感じられると思うんですけどね、
私は。
逆算することはできるんですよ。
100日後に自分はもっといい肌になっている計画立てて、
逆算するなんていよいよじゃないですか。
そのためにこの日とこの日とこの日まではこういうシャワーの浴び方をするとか、
そういう計画を立てることはできると思います。
私の目には、少なくとも物を書くのについては、
一章と一節でこれを書いて、
アウトラインはこうなるというのを作ることと、
今言ったことはほとんど同じですよ。
同じくらい無茶苦茶なことをやっているように
僕の感じには感じられます。
29:58

コメント

スクロール