1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 眠れぬ夜の精神分析【1283】
2025-11-21 36:08

眠れぬ夜の精神分析【1283】


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サマリー

このエピソードでは、眠れない夜の心理的背景やその原因、アプローチについて探求しています。心理臨床の視点から、眠れないという状態がどのように多様な意味を持つかを分析し、GTDや睡眠薬の役割についても触れています。眠れないという問題を通じて、心理的な要因やコミュニケーションの重要性が探求されています。特に、個人の問題の捉え方やその解決策としてのアプローチ方法に焦点を当て、精神分析や治療方法の多様性が論じられています。フロイトの理論とビヨンの考え方を交えながら、睡眠の悩みや精神分析の過程について探求しています。具体的には、想像や空想が現実での認識にどのように影響するか、また、心の中に残るβ要素が我々の睡眠にどのように影響を与えるかを考察しています。カウンセリングにおける対話の重要性と、喫茶店の環境が思考を促進する空間であることについて考察されています。

エピソードの導入
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1283回をお送りします。
昨日タイトルコール間違えてた気がします。11月21日金曜日、朝の8時5分です。
眠れぬ夜の精神分析とかいうタイトル、これ先にタイトルつけないとライブではですね、終わった後になんかライブとかいう適当なタイトルになってしまって、
人は誰も来なくなるということを学びましたので、もうついにタイトルを先に決めるという、すごいだんだん変わってきましたよね。
タイトル先に決めるとですね、もうグダグダで話すということが非常に難しくなる気がして、恐ろしいわけです。恐ろしくはないけどね。
眠れぬ夜のと言っておきながら、おはようございますでスタートしているわけですが、思いっきり朝ですしね。
お知らせをまずしないとですね。ぼちぼち埋まってきましてですね、ありがたいことに100日チャレンジの第12期ですね。
しかもぼちぼち12月のワンオン私とのセッションが埋まり始めました。土日中心ですけれども。
まだ秋はもちろんありますけど、平日が多くなってまいりましたので、1月、2月、1月開放しました。
1月のですね、セッションできる日程を開放させていただいたので、ちょっと怖いんですけどね。
1月の日程とか全く読めてないのに、特に正月付近とかどうするんだってのがあるんですけど、正月って暇なんですよ結構ね。
正月もやっちゃおうかなとか思ってるんですけど、年の瀬は異様に忙しかったり、異様に忙しいって言っても半ペン買うとかそういう世界でしかないんですけど。
眠れない理由の分析
まあまあ、でもまあ、なんか年の瀬って変に忙しいじゃないですか。忙しいモードにさせられる瀬もありますけど。
正月はなんかもう、えっと、なんかね、結構大学駅伝とかをずっと見てたり。
あ、箱根地下院ね、駅伝見る習慣がついたんですよね。
別に駅伝、ずっとあれをね、第何日か何十何回箱根駅伝ですとか、なんかよくわかんないけど。
こう、そしてキリンかビールのCMを見るみたいな、この繰り返しになってしまってる。
あ、もうなんか話が逸れてますが。
というわけで、100日チャレンジの第12期の1on1が1回だけのやつね。
100日で1回というのが開放されて、1月開放いたしましたので、またよろしければチェックしてやってください。
2月もキンキン、あ、2月なあ、2月とか全然わかんないから。
基本的に1週間先のことはよくわからずに生きてますから、2月とか本当に全くイメージがわからないんですよね。
寒いだろうぐらいなこと以外は何も考えつかないんですよ。
寒いとやらないぐらいなことしか考えてないんでね。
どうしたらいいのかと思うんですけれども。
とにかく、えーっと、何て言うんですかね。
100日チャレンジ、まだまだ空きはございますんで。
でも割とね、本当に埋まるときは一瞬で埋まるんで。
100が一瞬で埋まるのは自分が見てても不思議なんですけど、本当にあっという間だなっていうときが時々あるんで。
寝てる間に30いくつ増えてるってことは、まあ僕に入ってくる情報が少しタイムラグがあるにせよ、そういうことがあり得ますんでね。
あのー、ちょっと注視しておいてくださいね。
あの、検討されている方は注視しておいてください。
はい、では、えー、眠れの夜。
最近ですね、まあこれは、まあ昨日もそうですけど、あるあるなんですが、割と。
心理臨床に、うか、あのー、心理臨床に相談してみようかなという方は、眠れませんっていうのは、これはもう出てきますよね。
で、眠れないということには、いくつかのアプローチの仕方と、この入り口であるっていうこととが、いつも私はこう、なんていうんだろうね、絡んでるなって思うんですよね。
そもそも眠れないこと自体にアプローチしてないなっていうケースが、これはお話しした通りあるんですけど、
と同時に、眠れませんという主張ってとにかく使われがちだなと。
あのー、とりあえずこれを言っておくことで、ここに来た理由は満たせるみたいなね。
なんで来たんだかわかりませんっていうのもあるんですけど、臨床の方に読んでると。
これ言うのって割と勇気いるじゃないですか。眠れませんと言っておけば、通るってのもあるじゃないですか。
本当に眠れないんだよって言われると、あれだと大きな毒だと思うんですけど、本当か嘘かって話って言うと、悩んでるわけなので、眠れないと言うっていうこと自体の中に、かなりの実はバリエーションがあると思うんですよね。
つまり、眠れないというのと眠りが浅いというのって、眠れないで割とくくられてる気がしますよね。
眠りが浅い。よく目が覚めてからが眠れないとか、そもそも寝入ることができないのか、寝入ってるんだけど寝た気がしないのか、目が覚めてしまうのか、なかなか眠れないのか、様々ですよね。
で、全く寝てないという人はごく少数でいらっしゃるんで、それ本当にまんじりとも一睡もできずに8時間ぐらい過ごしちゃいますっていう話であると、これやっぱりどうしても薬理学の方に行かざるを得ない部分があると思う。
特に今の時代だったら、行かざるを得ないとかじゃなくて、みんな行くと思うんですよ。市販の睡眠薬もあるしね。
だから、眠れないという一言で言ってもですね、それがある種の技法に近いものなのか、眠れないこと自体が問題なのかというと、偽装というのはおかしいんだけども、眠れないこと自体の問題であるというケースは、私はあんまり政治分析では想定されてないのかなとは思うんですね。
例えば、何か心に引っかかることがあって眠れない。眠れないというのは本当に幅が広くて、それこそライフハックで一番おなじみのGetting Things DoneのGTDですら、夜の真ん中で仕事について、あの仕事やってないというのを思い出してしまう。
そんなんじゃダメだということで、気になることは全て洗い出すって話に繋がっていくんだから、あれも眠れないっていうのをちゃんと突破口と言いますか、入口付近に置いてあるわけですよ。
これ本当に多いパターンだなって思う。で、GTDでは以降眠れないことは一切問題になってないわけですよ。僕の最初の頃に読んだ本では確かにそうだった。夜中に仕事のことで目が覚める、それはダメなことです。
気になっていることは全て洗い出して、きっちりと整理してですね。スタッフですか、そういうものはなくしてから、心を起きなく眠れるように、水面のように静まった心とかっていうことにしましょうって書いてあるわけですよね。
でも、あの本でそうすれば眠れますとは書いてないし、もちろんそうしたからといって眠れない人はいるはずじゃないですか。それは心理カウンセリングじゃないんだから、要するに彼からすると心がモヤモヤするのは全てやりかけの仕事があるせいなわけですよ。
手をつけてない仕事がたくさんあるせいなんで。もちろんそれは気になるでしょうけど、およそこれは精神分析の世界とか心理臨床の世界とイコールではないですよね。そういうものも心理臨床で扱うかもしれませんが、イコールではないですよね。
GDDをやっとけば眠れますっていう、だったら絶対睡眠薬っていらないということになっちゃうと思うんで、そんなことはあり得ないはずだから、気になることというのを処理しきれば眠れるっていうようなことではないと思うんですね。
睡眠薬の役割
ここから急ハンドルを切って、そういう意味でも眠れないということにまっすぐ対処してるのはこの世の中で民罪だ、睡眠薬だとは思うんですよね。睡眠導入罪。これこそまさに眠れないことにまっしぐらに対応してますよね。
やりかけの仕事とか関係ないし、奥さんとの不仲も関係ないし、娘の成績が落ちてることも関係ないし、明日のプレゼンの心配も関係なく、とにかく薬を飲んで寝るっていうことですよね。そしてその薬は普通に効くはずであると。
ただ薬が手放せなくなるとか、薬の量が多すぎるとか、そういった心配もまた別途あるのかもしれないけど、とにかくこれこそが睡眠にまっすぐ向かってるわけですよ。だから私はこうやってまずこの件は考えた方がいいなとは思うんですね。
つまり、よく精神分析とか手相問題にしなさすぎるとかって言いますけど、心理臨床とか心理カウンセリングだって手相をまっしぐらに問題にしてるケースは、まっしぐらに問題にしてないケースはたくさんあると思うんですよね。だってこのGDDがまさにそうだったわけじゃないですか。
ライフハックというのは一見手相にまっしぐらに向かっているかのような、そういうふうに言われますけれども、それは嘘で、それはあくまでも具体的多くの場合は仕事に関する見立つっていうものを問題にしているに過ぎないのであって、その仕事の中身がしばしば家事になってみたり、もっと踏み込んだところで人間関係になってみたりはするけれども、
実は手相をあっさり無視してですね、自分の手法に巻き込んじゃっているケースの方がはるかに多いんですよ。だから一見したところ、プレゼンのことが気になってますっていうと、
タスク管理の手法とかプロジェクト管理の手法ではあたかもですね、そこにちゃんと向き合ってくれているような言い方をする、そしてその向き合っているっていうことに価値があるんだよという言い方をしますけど、例えば明日のプレゼンがもう間に合わないっていう心配をしている人に、もっとずっと前の段階から時間があるときからコツコツとやっておく習慣を身につけましょうって答えになってないと思うんですよね。
答えになってますよ、それは一つのね。次回からってことでしょ、それはでも。今回はもう間に合わないじゃないですか、それ。だから一見したところ解決に向かってまっすぐ向いているような心じゃなくて、手法とかマネジメントの問題にしているからといって、それが手相にちゃんと向き合っているということにならないんですよ。
最近私は深くそのことを考えるんですね。すごいあそこには実はごまかしがあると思うんですね。なんかやれ認知行動だったらこう、リズム的で具体的なところを手に当ててるし、精神分析だったら深いところにどがって、そういう言い方ってあのざっくりと一般論としてはそうかもしれませんけれども、実は嘘で。
何をその人の中核の問題、そこで問われている問題だと捉えているかによってですね、見え方が変わってくるんですよ。眠れないと言ったって、眠れないことにとにかくまっすぐに向かっているのはやっぱり僕は精神薬理学だけだとある意味思うんですよね。だってそれは眠れない人を眠らせてるわけだから。
でもそれがその人の問題に、美容によってはそれっていうのはつまり問題何にも解決しないじゃんって言ってる、そういう言い方ってされるじゃないですか。ただ寝てるだけじゃんと。その人は寝れないって言ってるんだからただ寝てるだけで問題解決してるんだけど、でもなぜ寝れないのかというと、明日のプレゼンの準備が心配だからですよ。
これに対する向き合い方っていうのは少なくとも2つあるじゃないですか。しかし寝るっていう向き合い方、そうする人もいますしね。だから頑張ってプレゼンの準備をするっていう向き合い方。この2つのどっちかだけを選んだときでさえもですね、向き合ってないとお互いが批判できるんですよ。
寝るっていうのはそれは問題の解決になってませんよねっていう言い方。プレゼンの寝っていうのはでもそれじゃ眠れないって問題の解決にはなってませんよねっていう言い方。そういうふうにしてぐるぐる回ってる気がするんですね。だから何に向き合うということを選ぶかというのは実はあるんですよ。最初からどんな手法であれどんな問題であれ最初からその問題はあると思うんですね。
そこに取り組んだ瞬間にもう全てが始まってしまうわけですよね。だから眠れないというのが母親機能が弱いって言ってるのはそれは不快とか手相を無視してるとかそういうことじゃなくてその観点からすれば眠れないとはまさに母親機能が弱いってことなんですよ。
それを強くしないんだったら何をやったって向き合ってないことになるわけですよ。一方でとにかく今寝ることが何よりもだって言うんだったらお薬飲んで寝ましょうということになってそれ以外の方法は全て向き合ってないってことになる。眠りそのものに向き合ってないってことになってるから。
で、明日の夫婦の問題、夫婦仲がずっと良くないとか奥さんがずっと無視してるっていうのを無視してとりあえず寝るっていうのは一つの解決策のようだけれども寝たって別に夫婦仲が良くなるわけじゃないじゃないですかっていう言い方もできるわけですよ。
夫婦関係の理解
で、夫婦仲が良くなることが全てだと、例えば夫婦仲カウンセリングではそうなのかもしれないんだけど、実際には例えば奥さんは別に旦那のことを無視しているわけでもものすごい腹を立ててるわけでもないんだが旦那の方は奥さんがすごく素っ気なくて寂しいと思い込んでるのかもしれないじゃないですか。
アホヨ投影をしまくっていて良いお母さんの不在を嘆いてるのかもしれないじゃないですか。そんなことはいくらもありますからね。で、そこに手を当てないんだったら奥さんにビトのバッグをいっぱい買ってあげて奥さんどんなに喜んでも無駄なんですよ。
それいくらやってもいや奥さんの気持ちはもうずっかり満たされましたってなってもいや素っ気ない俺寂しいみたいになっちゃうんですよ。ある種のナルシシズムですけどもそれはしょうがないんですよ。そこに向き合わないことにはこの問題解決しないんですね。で、非常に不幸なことにいやうちの奥さんあまりにも素っ気ないからしょうがないんだよって言いながら会社の女性といい関係になるみたいな。
これを人にとってはものすごくそれは切実でしょうがないんですよ。でもやってることはすごく頓珍感な感じになっちゃうわけですよね。で、これは何が問題かというと夫婦仲に取り組めばいいってことではないのにそっちにばっかり取り組んじゃっていて何かに向き合ってないってことになる。
つまり何かに向き合ってないというのはそれ自体が臨床の心理カウンセリングの一つの課題そのものだと思うししかもそれは本当は学派によらない。ただいわゆる精神分析学科とかブリーフセラピーとかユングとかは何も見がちであるっていうどこに光を当てがちであるっていうその偏りと言いますか。
その人その人のパーソナリティーを反映しやすい学派ってのはあると思うんですね。やっぱりあの明日のトレゼンの準備が心配だっていうことと眠れないこと自体が問題だっていうことと夫婦仲が問題だってことと自分の寂しさが問題だってことは全部違うことでしてそれもかなり違うことでして。
で、そのどこに目が向きがちかということはやっぱり力動派の人はおそらくその寂しさという心に目が向きがちだしライフハッカーはやっぱりプレゼンの方に目が向きがちだし脳と生理を見たい人はやっぱりこうメラトニンとか日の光の量とか身体的な疲れとかそういうものに頭が行きがちですよね。
そういう話でしかある意味ないんだと思うんですね。
で、眠れないということはそうは言ってもですね、後半にまたがるんですよ。
精神分析からライフハックまでありとあらゆるところにこの悩みを訴えてくることによって何ですか、取っ掛かりを作ることができる。
つまりコミュニケーションの手段として眠れないという表現は優れているということになるでしょうね。
そして意外とこの問題はまっしぐらにここには向かえなくて様々な学派がプレゼンをやるとか前々から準備しておくとか奥さんと今度食事に行くとか
子供時代のお話を思い出を語ってもらうとか自由連想してもらうとかそういうアプローチを取ることによって気が付くと眠れない問題は解消しているっていう風になっているケースが冒頭申し上げたとおりGTDがまさにそうなんだけど
GTD明らかに眠るためにどうするっていうのは以後一回も出てこないくせに冒頭は眠れないという主訴があたかも問題であるかのように扱われてますからね。
あれはいわゆるポスト精神分析的心理療法を山崎隆一さんが提案された精神分析的心理療法を略語にしてみたみたいな専門の一つの何かの形にしてみてポストって
ポストっていう資格があるわけじゃないんですけどね。そのポストの中で主訴をするしすぎるんではないかという深い力動系はっていうことですよね。
だってですね例えばユンクとか知りませんけれども私の中のアニマが問題でとかってそういう主訴もってこないじゃないですか人はやっぱりね。
だから主訴を問題にしなさすぎるという風な批判は深ければ深いほど出てき得るものなんですよ。私はどうも永遠の少年のような性質がありまして急に思い立って成功に近づきそうになるところで墜落するんですとか言わないじゃないですかそういう言い方はね。
そういう風に見える行動をとりがちな人はいますけどね。だからその主訴っていうのをするしがちだというのは目線がやっぱり厳正的じゃないところに向きがちなわけですよね。
それは利用によってはそもそもそれ自体が回避傾向を助長してしまうということにもなるわけですよ。一番多そうなのがやっぱりこうそうだな就職できませんみたいなことが問題なのに
例えばその人は社会構造を見てしまうとかウクライナであったことがそもそもいけないんだみたいなそれはそうなの。そういう面もあるのかもしれないですよね。それによって天然ガスがどうのこうので自分が行こうとしている会社はそこに影響を受けているからみたいな話なのかもしれないんだけど
でもやっぱりちょっともっと身近なところに目を向けましょうってことにはなりますよね。なかなかそれができない心理状態ってあるんだと思うんですけど。
ここまではまあまあいつもの通りありがちな前段で前段が長いんですね。眠れないということを盛んに問題にしてみたときにつまり割と
昨日おととい話していたビオンのアルファ機能ってやつなんですけどこのファンクションアルファっていうのは眠らせてくれるんだなって思うんですね。ある意味では。
つまり現実にこれは私その最近読んだ藤山直樹さんの本でこれちょっと非常に微妙な観点だなとも思うんだけどでも非常にこういうのがいい観点なんですよね。
あれで僕はグリッドの理解がガッと進んだんですよ。藤山直樹さんは決してグリッドを和月邦弘さんみたいに機会のあるごとにグリッドをどこかに入れてくるっていうタイプじゃないんで。
グリッドって表みたいなやつなんですけどね。科学記号表に近い心理構造表なんですけれども、このグリッドを私藤山直樹さんの読んでから見たらはるかに前よりも見通しが良くなったっていう経験を
今週持ったわけですね。今週ってって感じだけど。
この眠れないという問題ってやっぱり僕はベータ要素が心の中に居座ってるって状態だと思うんですよね。何らかの形で。
でもベータ要素っていうのはそこら中にあるんで、ある意味物自体ですからね。物自体ってことは物ってことじゃないですか。物そこら中にありますよね。
つまり外界ってことなんですよね。ただ心が感知はした。つまり目にも見えないほど遠くにあるものはベータ要素ではないと思うんですね。
ベータ要素というのはつまり、なんて言えばいいのかな。物それ自体は名称がついてないじゃないですか。
浦沢直樹さんが繰り返し繰り返しモンスターという漫画の中で名前のない世界とかって言ってますけど。
ああいう世界だと思うんですね。名前というのは人間が名付けたものだし、心で認識するしかないものですよね。
例えば目の前にコップがあるっていうのは本当は物があるんだけど、我々はコップを見ることしか大概できなくて、物それ自体とかを心の中に入れるわけにいかないんですよね。
我々が心の中に入れる心象とかイメージとか概念とかは全て心で扱えるいわゆる質量のないものですよね。
心の中に質量があったら変ですよね。明らかに。だから心の中に入ってるってことはすでにそれはアルファ要素になってるってことなんですよ。
一見物が入ってるようだけど違うんですよね。物は絶対心の中に入れないんで。
でも心の外には物があるはずですよね。質量を持ったものがあるはずですよね。
夢に質量ないじゃないですか。夢の中に象さんが出てきたって重さはないですよね。絶対に。
重さがあるってことは心の外にあるってことで、ここにβ要素があり得るわけですよ。
それはβ要素そのものがあるってわけじゃないですか。β要素っていうのは結局心が何かに変えられない現実って書いてありますよ。
名前も付けられない、イメージにも変えられない、そういう部分ってあるはずじゃないですか。
我々は象のすべてを把握せずとも象を見ること、象について考えること、象のイメージを思い浮かべること、象の鳴き声を想像することはすべてできますが、
フロイトとビヨンの考察
でも我々は象のすべてを知るわけではないですよね。重さを感じてもいないですよね。
だから現実に把握しきれてない部分があって、それについて考えたり、想像したり、空想したり、変形したりはできないわけですよね。
これがβ要素ですね。今、たまたま象を持ち出してしまったのであまり意味がなかったんですけど、この中には、
例えば、なんでもいいんですけどね、こういう時になんで選んじゃうのかなと思うんですけれども、
例えば、職場ですごく恥をかいたと。恥をかいたと言ってる部分はα要素に十分変えられると思うんですよ。
この体験の中で思い出すのも嫌だとか、記憶するだけでも気持ちが悪くなってくるとか、だんだん不穏のものが出てくる。
それは扱いきれない現実なんですよね。ビヨン牛に言うと考えられていない考えとかっていうやつになる。
考えられていない現実とかね。とにかく扱えないわけですね。心の中に入れるということができない。
だから、現実で把握しきれない部分が残ってしまう。これがあるせいで眠れないんですよね、私たちは。
これは意識しないでは済まされない。つまり、ここがフロイト的なものとビヨン的な考えの反転しているところだと思うんですね。
という藤山直樹さんの指摘は、私は非常に考えさせられたんですよ。
私たちはこの嫌なものって意識の上には置いてありますよね。現実に近い部分にこれはありますよね。
だって職場ですごく恥ずかしい思いをして、それがぐるぐる思考で夜も眠れないんですって言った時に、それは無意識の話では絶対ないですよね。
完全に意識してますよね。
意識上にβ要素が置かれすぎていると、私たちはその処理、つまりα要素にそれを変換してから寝なければ眠れないわけですね。
この変換過程で夢を見ると、あるいは変換した後のいろいろなα機能を見上げたり、つないだり、変形したり、修正したり、イメージしてみたりするのが夢なんでしょうね。
あるいは夢見る思考なんだと思うんです。
こういう夢思考みたいなものに変えられないままの状態は扱いあぐねるわけだから、扱い兼ねるわけで、
しかし像ならいいんでしょうけど、だから像ってすぐα機能になっちゃうし、なってないものはする視点ですよ、我々は。
しかし苦しみを我々にもたらすようなものは、ある意味課題ですから。
会社で何の理由もなくひたすらひたすら嫌な思いをするんだったら、それはただのいじめになる。
それもひとつの課題かもしれないけど、いじめになっちゃうんじゃないですか。
そうではなくて、ほとんどの場合、何かしなければいけないことが、
しなければいけないのか、他の人がしなければいけないのか、そもそもしなくていいのなのかっていうのはあるにせよ、
そもそもそういうことについて考えられるっていう状態ならいいですよね。
考えられないと。とにかく嫌な思いを会社でしたんだと。
それについてもこれ以上考えられない、考えたくない部分がいっぱいそこにはあると。
顔を思い浮かべるだけでも気分が悪くなるみたいな。
そういう時に、そこにβ要素が残ってしまうんで、
例えばこれについて排出するというやり方はあると思うんですよ。
部長のことをめちゃくちゃ悪く言う飲み会に参加するとかで、排出するわけですよ。
扱わないことにする。とにかく外に投げまくっていくと。
あるいは会社中が部長派でクソみたいな会社だみたいな、そういうふうに捉えることにすると。
会社に行くのつらくなりますけどね。つまり副作用があるんですよ、このやり方には。
ただ、そうすることによってβ要素をなるべく心の中に入れないで、
心から切断というのかな、切り離してしまうことで、
何とか取り扱えるものばかりをα要素に変えて、
夜は何とか寝るっていうことは可能な人には可能だと思います。
つまり取り込もうとするという人は、
それをいろいろと頑張ってα要素に変えられるんだっていう希望と意欲を持ってるし、
コミュニケーションの重要性
それはもう無理だよっていうことで切り離してしまうということをすることによって、
現実をある意味扱う現実の範囲を狭くするっていう方法もあると思うんですよね。
この辺はもうその人その人のα機能の得意分野不得意分野ってあると思うんで、
あとはバランスなんだろうなと。
やっぱりあまりにたくさんβ要素が入ってくるとなると対応しきれずになってしまいますし、
これ自体は大変心から溢れてしまうってやつですね。
一方であまりに対応しないで切り捨て切り捨て切り捨てやってると、
寝ることはできるかもしれないけど、
現実世界が非常に扱いあぐねるものになっていきますよね。
簡単に言うと非常にやってらんないものになっていってしまいます。
だつ価値化が起きますよね。
β要素をなるべく取り込まない。
だから現実の価値を上げようと思うと、
β要素をある意味色々なミクロなトラウマはミクロな傷つきは得てしまうかもしれないけど、
何とか消化していくと現実の価値というのは上がっていくと思うんですけれども、
その分心の負担はもう上がっていくと思うんですよ。
一方で心の負担をとにかくある程度のところにするには、
やっぱり現実を切り捨ててだつ価値化していくということがある程度必要になると思うんですよね。
ここに得意不得意は、それはあると思います。
得意不得意はね。
対人関係結構得意とか、怒られる上司のことは何とかなるとかいう人もいますし、
一方でもうとにかくそういうのは全然ダメだという場合の話もあると思うんですよね。
立場もあると思うんですよ。
社長なのかパートなのかによって扱うべきβ要素っていうのは大きく変わるのは当然なんで、
扱うべきβ要素っていうのはつまり、
それが心にどんどん入ってきやすい、そういう現実を遭遇しやすいということになるので、
ただ遭遇する現実を切り捨てるということは、
α要素に変えるということをせずに心から弾き出していくということは、
一定量必要だと思うんですけれども、
それをやると現実の価値というのは確かに下がるような気がしますね。
私の仕事なんかは非常にわかりやすいじゃないですか。
例えば3ヶ月チャレンジで利用者さんとセッションしてますと、
これがまさにβ要素になるわけですよ。
それは利用者さんに傷つけられるってことなのってことなのかもしれないけど、
そういうことではなくて、心の中にないものが入ってくるから、
やっぱり全てを扱い切るってことは到底不可能なわけじゃないですか。
全てを扱い切れればいいんだろうけど、絶対それは無理ですよね。
わからないことはあるわけで、見えないところもあるわけで、
その人の生活の中でですね。
そういうものが全てβ要素として、物自体として、
私の心にはないものとして、完全には扱い切れない。
しかし、ここで扱う量を変えることはできますよね。
極端に言うと、いやもう全然扱いたくないからといって、
画面募集に話をしているようで、実は裏でファンさん見てるとかね、
そういうことをやると、ものすごく3ヶ月チャレンジの人を
脱価値化することになりますよね。
全く向き合ってないと。
多分破綻すると思うんですけど、それやってると。
だけれども、一方でですね、ものすごい取り込むっていうのも、
全て記録をして、その記録を日がない1日中読み直して、
何ならプリントアウトして、こことこことここが大事みたいな感じで、
一生懸命頑張って、本当に松木さんの本首ったけで一生懸命やると。
私そういうふうに松木さんとかやってるのかなと思ってるんですけれども、
ただ松木さんのQ&A読んでいると、大事だと思っているところのことだけ記録して、
さらにその中で大事だと思っているところに付箋付けておいて、
後で付箋のところだけ読み返したりするのがいいですよみたいな、
全部記録をとって、ひまじめに全部やってると、
時間いくらあっても足りませんからねみたいなことがあっさり書いてあって、
やっぱりつまりですね、現実原則って大事なんですよ。
脅迫的に何でも首ったけにやればいいってものではないんですよね。
現実をおもんじていることにそれはなるでしょうけど、
やっぱり心の中で扱い切れることって、限界って割とすぐ迎えてしまいますから。
この眠れないこと一つとってもそうじゃないですか、
眠れないなどというのは人類発症以来の悩みではないかと私は思うんですよね。
中古の皇帝で眠れない人がなんか飲んでたりしてましたもんね。
つまりそういうことであるのにもかかわらず、
割と人類はもちろん今の睡眠導入剤素晴らしい、凄まじいですけど、
でも意外とできることってそんな多くないっていうのも事実だと思うんですよね。
ましてカウンセリングっていうのは要はコミュニケーションですから、
要はコミュニケーションっていうのはとてもでかいんですけどね、
なぜならコミュニケーションするためにはα機能をふんだんに使い続けてないと、
特にこの種のカウンセリング的なことってそうなんで、
とにかく今何が起きているのかと、赤ちゃんがそうじゃないですか、
今あなたは飢えていない、死にそうになってもいないっていうのを
言葉がわからない人に向かって言葉を駆使して伝えようと懸命になっているというお互いにですね、
コミュニケーションできない者同士がコミュニケーションするべく最大限の努力を払っているのが、
つまりα機能をフル活用しているときに起きていることで、
これをやってるわけですからね、ある意味どんな対人支援であったとしてもやってるわけなので、
ぜひ絶対これね、話聞くだけとかっていうよくわからない批判なのか、
批判されているという思い込みなのかは捨ててしまった方がいいと思うんですよ。
話してるだけだからいいんじゃないですか。
大概の場合、話してるだけって状態を作り出せてないじゃないですか、私たちは。
カウンセリングと対話の役割
会議中みんながみんな話にちゃんと傾聴して発言してるかっていうと、
明らかにそうでないことを多くの人は知ってるし、
食事しながらの話というのは食事してますしね、いわゆるランチのミーティングってやつですよ。
あれはあれでいいんだと思うんですけれども、
つまりそれは話にのめり込みすぎないようにしているんだと思うんですよ。
演習さんと著者の漫画とかにすら出てくるよくある打ち合わせシーンって、
コーヒーでやる、喫茶でやるんですけど、
喫茶店ってやっぱり完全プライベート空間ではないですからね。
話にのめり込めない部分が明らかにあることがお互い分かってやってる部分が少なからずあるんですよね。
それがいいんですけれども、でもそれってつまりカウンセリングには届いてないんですよ。
なぜならば、話だけにのめり込まないようにしようねっていう前提を実は持っちゃってるからだと思うんですよね。
仕事でない話し合いの場って、世の中に実はほとんどないような気がするんです。
こういうことをなぜ僕らはしているのか。
それはベータ要素というものにより多くのベータ要素を心に入れようとしていくことは、
実はしんどいからなんだと思うんですよね。
このしんどさをしかしどう扱うかというのが、
実は眠るということの中に明らかにあることで、
眠る時っていうのはまさにアルファ機能全開ですから、
夢見るというのはアルファ要素を使って夢を作っていくっていうのかな、夢を見ていくわけなので、
だからこのアルファ要素というものをどんどん作り出した、
そしてベータ要素というものに邪魔されないという、
邪魔されると起きちゃうんでね。
邪魔されないというのが大事なわけですよ。
私はこれが喫茶店というものがよくこういう時に出てくる。
つまりあれは起きて夢見る空間としては悪くない空間。
少なくともそうであるべきなんだろうなというふうに思います。
というあたりで今日はおしまいにしましょう。
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