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2024-01-03 39:44

項羽と劉邦とイリュージョン【GMV911】

今さら再読してみました。

サマリー

グッドモーニングボイスの話では、人のイリュージョンや演劇との類似点を考え、リアルとイリュージョンの違いについて語られています。混乱の時代において、無能な流砲が周りの優秀な人々に支えられながら王朝を築きます。結果的には、流砲が勝ち残ることで、人々は流砲に集まっていきます。人間の現実とイリュージョンについての考察が行われています。また、祝尊通や流砲の話を通じて、有能な人物でも身の置き所がなくなることを示唆しています。祝尊通、流砲、二世皇帝、始皇帝、長皇、出てこない皇帝、代理人、人間社会的な要素などが取り上げられています。

イリュージョンと演劇の類似点
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
1月2日火曜日の夜20時33分です。
令和6年は1月1日2日と、なんか実にびっくりさせられることばっかりで、
とりあえずまず驚くという感じかなと思いました。
ただ、驚いてばっかりもいられないという方も多くいらっしゃると思いますけれども、
でもとにかく、なんであれ、驚けるということは、生きているということかなと思うし、
驚けるということは、心も生きているということかなといった感じもしますので、
私も、なんですかね、だいぶ前になりますよね、今となっては。
2011年か、2011年でしたっけ、とにかく東北震災のときは、あれはもう全くあれは渋谷でですね、
なぜあのとき渋谷なんかにいたのかと思うぐらいのタイミングで渋谷に行っちゃったんですけど、
驚くしかなかった感じですね。
あのまま渋谷でそのまま一夜を過ごさせていただきましてですね、
コンビニに行っても食べ物がないというのはどういう状況かというのを、
少しだけ垣間見る経験になりました。
で、あれ以来ですね、なんかこう、日本では頻繁にあちらこちらでですね、
震度7というのを観測して、毎度毎度、もうなんかこう、どこにいてもこういうのって起こりうるんだなと思うんですけれども、
の中でですね、いろいろ考えさせられはしますけれども、
ただ、毎回思うのは、なぜなのかはわからないんですけれども、
えっと、予想できないタイミングってあるなっていうね、
例えば、元日とかね、理由はありますよね。
人間としては元日というのは平穏だというイメージがはっきり言って強すぎる。
だからどうしても元日、元日と自然は関係ないんだけど、
元日というものに、なんかこう、
災難っていうのが、しっくりこない。
で、私、去年、実は身内の不幸が待つのうちにあったんですけど、
やっぱ、これも非常にピンとこなかった。
あとから考えると、どちらかと言えば、寒い地域の出来事でしたから、
その去年の身内の不幸はですね、寒い時期の出来事で、
寒さというものと関係があるわけだから、予感があったりしてもおかしくなさそうなもんなんですが、
なかなかそういうわけにはいかないんですよね。
当事者の人もやっぱり、そもそもお亡くなりになった方自体が、ご自身が、やっぱりこうね、
酒盛りの準備を始めていて、飲みかけのお酒もあったんだよね。
いかに人というものが、先々を読まずに実際に生きているかという、
先々を現実のものとしては読まずにっていう意味ですけれどもね、
お酒これから飲もうって思ってたと思うんですよ。
私は、それはそれで幸せなタイミングで、
タイミングっていう言い方もできなくはないんじゃないかと、身内のことなのでね。
様々な出来事ってありますから。
そういった中では、これからお酒飲もうと思っていたところっていうのも、
なんかあるなーって感じもするんですが、
しかし、自分の身体の状態と、
これからやろうとしている状態のギャップにも、また驚かされる話ではありますよね。
そういった話って。
だから、あの、我々はそういう意味で、
分かっていると思っている何かがあるんだけど、
そうではない現実が、一方で進行していると。
そういう意味ではですね、やっぱりこう、なんていうんだろうな、
舞台とある意味、演劇とかと似てるなと。
演劇って、ついつい私たちは演劇見ていると、
そこに白心の演技とか言って、白心つまり、現実味を感じるような、
いますよねでも例えば舞台の上で人が切られても人は切られないわけです そして舞台の上で大変なことが起きそうになっていたとしてもその会場で例えば火事が
起こるということになったらその舞台はたちまち停止して本当にあった 大変な出来事に対処しなければいけないわけですよ
こういう二重観ってのが人間の生活にはあるなぁと私はいつもどういうわけか思うんですよね 私たちはいつもこうリアルとは少し違うものを見て生きていて
不意になんかこうリアルというものがですね例えば津波というリアルがあったりするとショックを受ける
つまりそれはリアルというのはこういうものだっていう 自分なりのイメージがみんなにあって私にもあって
幸運と流報の話
その中で生きてるんだけどその中は決してリアルではない っていうこの不思議なね非常に不思議ですよねそれって
演劇を見て白心の演技にリアリティをすっかり感じてるんだけど もちろん白心の演技は演技なわけだから絶対リアルではないわけですね
そういうものを見て私たちは生きているということがものすごくあるわけですよ きっと
それを
私たちがクラウドの慶三さんが言うグッドバイブスでは言うイリュージョンなわけだと思うんですね
イリュージョンというのは言ってみれば白心の演技などで最もよくできていた場合だとしても 白心の演技は演技ですから絶対にリアルそのものではないと
ここをですねなんていうのかな特に本当は辛くない時にやるのがやっぱりいいと思うんだけど辛くなった時はぜひで絶対これはリアルじゃないんだと
ここで頑張らないっていうのが大事だと思うんですよね いやリアルだったらどうするんだとかこれがリアルだったら私損するじゃないかリアルじゃないと思ったらっていう風に頑張らずに頑張るメリットはないっていうなぜなら頑張らなければ苦しまずに済むから頑張るメリットはないっていう風に思った方がいい気がするんですよ
特にこの現代の日本で苦しいって思いをしている時ほどですねこれがリアルかどうか
疑ってかかるその価値は非常にあると思うんですよね
あの不在のおっぱいとか不在の母親とかいろんな言い方をしてますけど全部つまりリアルではないよっていうメッセージなんですよ
母親不在なだけであって悪意がそこにあるわけじゃないとかえっとカレオバナは幽霊ではないとか
えっといろんな言い方があるんだけど全部同じことを言ってるんですよ示唆してることは全く同じでそれはリアルではない
だから苦しむ理由がないという話
あの倉野さんが許すというのは最後のイリュージョンって言っているのは非常にこうものすごく正しいと思うんですよ
夢の中の悪人を許すっていうのは最後のイリュージョンじゃないですか許せば目が覚めるわけですよ簡単に言うとね
でなんだ悪人そもそもいなかったんじゃっていう話なわけですよ
それを損だってことはないわけですねところが許すと思っているときに
悪人はいると思ってるわけだから当然損をしますよね
なぜ私が悪人を許さねばならないんだっていうだけども夢の中の悪人はどれほど極悪であっても大丈夫なんですよ許していないんだから
ここにポイントがあるよっていう話なわけですね話ですからねこれはね大事な話なんだけど話ですからね
これを疑ってみようねって話
えっとね今日はいろんな出来事があった話から始めちゃったんで全然話が合ってないんだけど正月早々僕はですね今実に今更感のある幸運と流報を不意に本屋さんで見つけちゃって実家に帰った帰りに本屋さんに寄って幸運と流報を見つけてなんとなくパラパラと読んだらやっぱ面白いなと思って買っちゃったんですよね
いやいやいやいやって感じなんだけれどもなんで今幸運と流報買ってるかなって感じなんですけどもね
あれを読むとやっぱりこう人の
イリュージョンのすざまじさというものがものすごくこう痛感させられますね結局イリュージョンに手玉に取られているか手玉に取るかみたいなところが人生にはあって
あの話例えばメインのテーマにというかタイトルがもうそうですけど幸運と流報じゃないですか
でどっち勝ったかはまあ皆さんご存知だと思うので流報勝つわけですよ最終的には簡素攻防戦で
いろんな話がこうあざまざと残ってるわけですねこの辺が古事記とか日本書紀とちょっと違うなと急に人が500歳ぐらいになったりしますよね古事記とかではあれは多分記録をいっちり残していないで多分に伝聞に頼るからああいうどこかにあった事実あるんでしょうけども
えーと話が辻褄が合わなくなった時は適当にお茶を飲んでおくといいなと思うんですけどね
まあその辺僕は日本的で面白いなって思うんですけど中国の話っていうのはそういう意味ではもっとこうなんていうんですかね官僚的っていうんですかねきちっとしてますよねある意味では
んで思うんですよ私あの幸運と流報で流報というのはまあ特に千葉流太郎だったよねが書くとですねもうめちゃくちゃしょうもない人になっちゃうんですけども
多分
まあ
あんまり
限りなくやっぱさっき言ったように正確に記録残しているからね
あの
多分相当
実話に近いところがあったと思うんですね
であの流報って
万年というか後年は完全に深刻化されていくわけですよ
あの横山ミッセルさんの三国志
まあ横山ミッセルさんフォート流報も書いてますが三国志に出てきますよ
流報の無能さ
流報はえーと偉大な先祖としてねあの中山王だったかな中山王が三国志のコミックの初期の方に出てきてえーと途中でなんかそうそう暗殺計画かなんかでやるとき泣くんですよねあんなに先祖は偉大だったのにって言うんですけどあれ絶対中山王と流報を比べると中山王の方がはるかに真っ当で人格的に優れた人だと思うんですよね流報っていうのは冗談みたいな人ですよね
でも勝つわけですよ
まあ幸運に比べてえーと何にも勝ってる部分がないわけですねここがもうすごい大事だと私はああいう作品を読んでいてまああれは作品ではありますが通貫するんですよね今の人は本当に皆さんえーとスキルがないとか能力がないとか言って自分を責めますがえーとスキルとか能力って大して役に立たないと思うんですね
幸運と流報の話なんかの中では
幸運が持ってるスキルは全部重要じゃないですかあの時代まずえーと武力に長けている幸運って人は要するに武力に長けているわけですねえーと戦って負けたことがないタイプの人なわけですよ
でえーともちろん臆病というも感情とは一切縁がなさそうな人ですねとにかく戦えば勝つんだから臆病っていうのが成り立たないですよね
そしてまあ頭も悪くはないんですよねそんなに許容があるっていうふうに書かれてないんですよね
けど決して頭も悪くはないえーと戦略にも長けているそしてこうカリスマ性もあるということなしなわけですよ
持ってなきゃいけないものならほぼ全部持ってるわけですねただえーと唯一どうしてもそういう人が持つことができないものはいくらもあるんだけど
それを流報が全部持ってるわけです流報というのはつまり無能なわけですこれが持てないんですよねスキルがある人は
で流報というのは臆病なんですよ無能な上に臆病なわけですよ
であのコミックでは定調とか言って最初から役人として出てくるんですけど実はそうじゃなくてこれはただのブライのとってやつでほとんどこそ泥なんですよねこそ泥ですからね
でだけれども人からなぜか愛されるとまあこれはカリスマ性っていう人もいるんでしょうけどでもあの作品の中では実は流報には人徳というのもほとんど全くないというふうな感じで書かれているんですよね
で人徳ってものが全くないから
無能な流報の台頭
で人は近づいていきやすいとそういうところありますよね徳ってのも邪魔になるわけですよだって徳のある人ってやっぱり近づいた人にしてみると
に比較して自分に徳がないなってことを感じさせられて嫌じゃないですか嫌だと思う人もいるじゃないですか
だから流報って人が要するにまあこれはブライのとの間のみ人気があるんだけど要するにこそぞろで臆病で教養もなくてスキルも何もなくて
しかも
えっと
どこもないときに
人は近づいていきやすいわけですねで他何か言い何の取り柄もないんだけどあえて取り柄を探すとすれば大ボラを吹く吹くみたいなそういうもう要するに嘘つきまくりな人なわけですよなんかちょっと秀吉と似てるところあるような気がしますけどあんなに知恵が回るわけでもない
で結局何か難しいことがあると即逃げるみたいなそういうところにこの消化という不思議なですねそれこそ人徳とこう
近辺で
人の固まりみたいな人がいるんだけどあれがそのこの真の真の思考体が収めたシーンですけれどもあそこにまた長江というすごいとんでもない人が出てくるんですかあれ長江だけで話しかけばいいのにっていうぐらい長江って人は面白いですけどねまあああいう人現実にいたらたまったもんじゃないですけどねでもまあ長江って人はもう悪人の固まりみたいな人なんですよね
で流法というのは無能の固まりみたいな人なわけですよ
こういう戦いでですね最後に無能の固まりみたいな人が出てくるんですよ
そういう固まりみたいな人が勝つっていうのはすごく僕はですね教訓的だなって思いますしかもあの中国が官民族の帝国を打ち立ててそれが非常に長期に続いた王朝って実は少ないじゃないですかいわゆるラストエンペラーの真のあの真王朝はあれはあの三随日清戦争の真ですけどあれモンゴル人の王朝ですよね
そして
新野氏皇帝のあの最初のはあれは確かに官民族だけどちょっとこう偏狂の方の民族ですよ
でいろんな意味であのモンゴルの方からやられていることが多いから実際元もそうですけど元は有名ですけどあんま長くはなかったけど
この官民族の国でありながらしばしばこう官族じゃない王朝が結構続いちゃうっていう国ですが最後も最後の皇帝もやっぱりそうだったように
でもこの
漢族の国を最初にすごく長く続けさせていまだに我々漢字とか使っちゃってますけど
漢っていう国作ったのはあの無能以外の取り柄がいまいち見当たらないって人だったんですよ
すごく僕はこれは示唆に富んでるなって思うんですよね
そうであって欲しくないって思う人はいっぱいいるかもしれないけれども
実際私は能力って使えないよなってつくづく思うわけですね
こう言っときちょっと一時的にほんのに短い間
てんかとりあえず
あれほどのあの時代に最も必要そうじゃないですか戦って負けないっての
でも戦って負けない人は最後
胴体が胴体から4つの手足全部打ち切り取られて病を立てられる
病を立ててあげるのはやっぱり流宝なんですけどねかわいそうだと
そういう人なんですよ流宝という人つまりごく普通の人なんですよね
周りに集まる英雄たち
これは史実だとしてですけれどもね
ただどれもこれも史実であるんですよ
でないとしてもですね流宝という人がこれという能力を持っていたわけじゃないっていうのは多分本当だったんだと思うんですよね
だって定調ですからね結局あの子役人の長なんですよね
それも大出世だっていうことにつまり流宝にしては子役人の長って大出世だし
本人はもうここまで来たんだから俺はいいだろうって思っちゃったっていう話もあるぐらい
要するに野心もないんですよつまり何にもないんですよね彼はね
で何かやばそうなことをうっかりやらかすんですよしかもそうすると逃げるという非常に単純ですよねやってることが
で字ももちろん書けないしそのうち書けるようになるらしいんだけど字ももちろん書けないし読めもしないし
農家の家に農業ね農業の家に生まれるんだけど怠け者すぎて農業をやるのがめんどくさくてやってられないから逃げるって
まあ常に逃げるんですけどね
彼が打ち立てた王朝は
100年続きますからね私は思うんですよこれは
えっとまあ単なる偶然と言ってもこの戦術を話しましたよねたまたまですと
たまたまはすごく重要だって私は思います
元日から2日連続で大ニュース駆け巡ってますけれどももちろんたまたまです
自然にとって元日もヘッダクレもありませんからねでもたまたまというのはなんかとても大事だとはよく思うんですよね
何しろたまたまなんでね我々はそこに意味を勝手につけていく
このコード流法の話でも昇華っていうまあこの人本当に人格者であれ頭も良くてこの人が流法を盛り立てていくんだけれども要するにこの人は秦の始皇帝の知性非常に不安に思うわけです
頭がいいから秦の始皇帝というのは近代国家の祖みたいなのをあんな古代の中国で作り上げたいう意味では優れた人なんですけど最意志に強くてすっごいまた嫌なタイプの人ですからね
そういう意味では優れた人なんですけど最意志に強くてすっごいまた嫌なタイプの人ですからね
そういう意味では優れた人なんですけど最意志に強くてすっごいまた嫌なタイプの人ですからね
優れた人なんだけれどもやっぱりこの知性は今の中国では無理だろうと昇華は考えて結局大変な混乱が起きてこの中でどういう人間が新しく束ねていくんだろうと考えるときに流法を盛り立てようということになると
芝寮太郎はそういうふうに書いてるなんでかっていうと流法は何にもないからここがポイントなんですね
得がある
なると僕のせいで近づきにくくなる可能性があるし、UFOというのはそこも浅い人間なので、いろんな人が彼を助けるという意味では役に立つ。
つまり彼は人の助けなしでは到底やっていけない人だから、ましてそんな大混乱の時期などというのは、彼にとっては周りの人間がサポートしなければ多分何にもできない。
そういう人間が一番トップに立つのにふさわしいという、ちょっと同居思想みたいな発想を持ってますけれども。
だから周りに実際どんどんどんどん人が集まっていくというわけなんですよね。
もう一つこの話で僕がすごく興味深いなと思ったのが、この流報ってすごいグッドバイブス的だなと思ったということもあるんですけれども、
とにかくとても残念なことがあったりするとすぐ嘆くとかね。
すぐ愚痴を言うとかね。
そしてちょっと難しくなるとすぐ逃げるとか。
難しくは考えられないというタイプなわけですね。
それでその日その日を何とか暮らしていると。
ところがこの周りにいる人っていうのがですね、加工営とか繁華衣とか松果とか出てくるわけですけれども、宗心とかですね。
みんな流報と一緒につるんでいた拝見の人なんですよね。
あるいは松果と一緒にいる拝の犬の拝。
拝っていうのは不思議な字ですけどね。
拝見っていう犬なんですよね。
で。
松果は流報よりずっと偉いわけですよ最初は。
典礼やってるような人なんで。
すごいトップの方にいて流報を無理やり小役人の長にしてあげるわけですよ。
自分の権限を使ってですね。
密かに使ってですね流報を盛り立てるつもりでいるから。
でも周りの人はみんな非常に不思議があるわけですよ。
あの流報にどうしてこう役職が回ってくるんだろうってその程度なんですよ。
彼の評判っていうのはですね。
あれでもあまりにも出世しすぎ。
だってみんなに言われるという相当みんなにあの高く評価されていない証拠ですよ。
でもだから好かれるとそういう話なんですよね。
でこの。
最初に聞いていると僕なんかはその一票コミックなりを読んでコミック以外も読んでたけど不思議なわけですよ。
なんで送信とか加工営とか消化とかつまりその人たちはえっと。
官邸国の。
最初の最初のトップに君臨する人たちなわけですけれども大活躍なんです。
なんでここにいるんだって感じがするわけ。
なんかこうよりにも集中的に範囲に集まりすぎてないっていう流報ってやたら運が良くないという感じがしちゃうわけですよ。
消化上昇はいわゆる高層の三欠の一人ですね。
もうあと二人は長寮と関心なんですけど有名人ばっかりなわけですよ。
オールスターみたいな人がみんなこうよくわからない地元でみんなこう。
つるんで遊んでるというわけわかんないあそうそうあの流報っていうのはホラーを吹く以外の取り柄として酒をいっぱい飲めるというのとあとあの女癖がやたら悪いというまあこういう全然評判がいい部分は一個もないタイプの人なわけですねでこの周りにいる人たちがすごいんですよね英雄ぞろいというでも不思議な不思議じゃないですかこの話だけ聞くとそうではないんでしょうね。
流報の人柄と評判
多分こういうのを。
適材適所って言うんだろうなと思うんですよつまり人ってのは優秀な人ってのはそこら中にゴロゴロしてるんですよきっとただうまくうまいところに収まってないんでしょうねほとんどそういう意味ではえーと流報は何もしてなくてひたすら消化っていう人が頑張ってるだけないような気もするんだけれどもあの要するに優秀な人はいっぱいいてそういう人たちがみんな流報のために何かやろうっていう気になるっていうの不思議な構図を作るんですよ。
流報を作り出すことによって流報はこういうふうに打ち勝っていくっていうそういう物語に柴良太郎は仕立て上げています多少脚色あると思うんだけれども大筋これは事実に基づいていると思うんですよね私三国志演技よりこっちの方がだいぶ好きでっていうのはあの三国志演技ってなんちゅんだろうな曹操と孔明が無敵無敵すぎてあまりにも優秀すぎていまいち面白くないんですよね。
結果が。
結果が明らかになっている物語をずっと読まされてるような気がして。
孔明最後絶対普通に考えたら負けないだろうっていうくらい神様状態なキャラなのででもあの孔明と流報は面白くて常に孔明の方が強いんだけどなぜか流報に負けていくっていうこのわけのわかんないあと登場人物の意味不明ぶりもいいですよね。
あの高速の三傑の一人のさっき言った関心って人はえーとなんだか知らないけど脅されて人の股をくくったというのがずーっと。
評判として付きまとっていてやたらとこうまたくぐりって言われて馬鹿にされるっていうどうしようもないようなエピソードがあってないじゃないですか三国志にはそういう馬鹿みたいなエピソードこのなんか孔明と流報の世界は不思議な世界だなって思うんですよなんかこう妙なエピソードが多い超高のエピソードもそうですけれども妙なエピソードがとても多いそこに変なリアリティがあってなんか中国らしいなって感じがするんですよね。
それであのそうそうつまり人材ってそこら中にゴロゴロいるんですよね。
そして人材一人一人ではいまいちその人たちは超優秀なんだけど例えばその創新っていう人ははっきり言ってあのもう絶対官王朝で最初に武功を立ててナンバーワンっていう人は多分創新なんですよね。
でもどういうわけかやっぱり流報の近くにいたと。
なんかねこの辺の話っていうのがどこにでも間違いなくあるに違いないのに私たちはそういうふうなことがよく理解できていないなって感じがするんです。
でどこにでもいるつまり流報ってどこにでもいるタイプなんだけどだって明らかに一番多そうじゃないですか。
女癖が悪い能力がないいざとなると逃げる嘘ばかり言っているまあ誰にでもできそうなことしかしてないですよね。
これがえっと事実上。
新の始皇帝は別としても中国最初の皇帝に限りなく近い存在だと思うんだけれどもまあ要するに特別な人間ではないってことですよね。
特別ひどいという言い方もできなくはないでしょうけれどもつまり話を最初に戻すんですよ。
私としては戻しないんですね。
私たちは現実を見てないはずなんですよ。
私たちが見てるものはイリュージョンばっかりなんですよ。
この中のイリュージョン。
イリュージョンの中でも最大にひどいイリュージョンは能力というか極めて役に立つというイリュージョンですよね。
そして有能な人というのは限られている。
私は全然逆なような気がしちゃうわけです。
有能な人っていうのは極めてありふれた存在で有能な人っていうものによってできることというのは少ないんですよきっと。
理由はわかんないです正直言って私もイリュージョン見てる。
ずっとこれが繰り返されてるなって感じがします。
昔からね優秀な人を作り出そうと学校というシステムが世界中であって優秀な人を作り出そうと頑張ってる人が立派だとみなされる。
ずっと人類はそれをやってるんだけど巨大なイリュージョンなんじゃないかなってよく思うことがあります。
なんかこれ何をやってるつもりでいるんだろうと。
でたまに目を覚まさせられる。
時々ね今年は初日2日とリアルというものは我々の見るイリュージョンとあんまり関係がないと。
いや眼実なのにって私たちはつい思うしうちにもします。
うちの家族でもそういうのをうちの娘も奥さんも言ってます。
まあその通りですよ。
でもどう考えても自信にとって眼実は関係ないよねっていう。
我々は眼実というものを見ます。
人間社会ですから。
ね作り出しますよねみんなでそれを眼実でめでたくていい日だとそういうふうに決定しています。
決定してるんだから我々はそれに乗っかるしかないわけですよ。
私だってその31日にそばを食べると別段31日に絶対そば食べなきゃいけないわけではないですけれどもそばを食べるわけですそうした方がいいような気がするからですよそしてついたしには餅を食うと喉に詰まらせるということが少なくないのにもかかわらず。
私ももう50ですからね水を先に飲んで喉を湿らせてから食べるなどという七面倒くさいことをしてでも餅を食べるとなぜならばそうした方がいいことがあるような気がするからですよでその餅もピンク色と白色ですよね紅白ですよね日本人はでなんで赤い餅食わなきゃなんないのか関係ないんですよねそれはそういうことをするといいことがあるような気がすることでいいことがあるようなことばっかりしているんだけど必ずしもいいことは起きない。
でも我々。
ではいいことがあるような気がしているときにそれをやってるといい気持ちになってくるような生き物は実に面白いですよね。
うちで飼ってるメダカとかうちではやらないですけれども家にあの家によってはシメナーとかやっぱり水槽に飾りますよねそしてクリスマスだったら電飾とかするといい迷惑かもしれないけどするとそれには何か人というものはですねそこに意味を見るんですよね。
ところがそのような意味はメダカには。
もちろんないです自然にももちろんないです人の作ったものですこの人の作ったものの中でも我々の時代に猛威を振るっていてこれから少なくとも100年は猛威を振り出し続けそうなのが有能であることは現実にいいことだっていう強力なイリュージョンだと私は思うんですよそうじゃないってことが古代の中国であんなにバッチリ示されていたんだけれどもそれは無視される。
ある種の有能な人はしかもそのことを知ってるときている感じがするなんでしょうか流砲の図を盛り立てたんだろう本人が皇帝になった方がよっぽどいいんじゃないかっていう頭はいいし人徳はあるしね武力あんまりなさそうだけどそんなの別に流砲だってなかったわけですからね。
流報の能力と幸運の微妙な関係
だけど本当にどう思ったのかは知りませんけれどもしかも流砲よりずっと偉かったわけですから別に流砲を盛り立てて自分より偉くする理由何にもないわけですよ。
そして人徳者でも人格者でもないから昭和も晩年皇帝になった流砲に牢屋に入れられたりしてるんですよもう何のために昭和って人はあんな流砲なんぞを盛り立てたのかさっぱりわかんないじゃないですかでもそういうことを彼はしてその後一族をバッチリ安泰に導いた偉人なわけですよね。
だからある意味昭和って人は非常に偉人なんだけれども。
この発想の分かりにくさが。
僕は人が持っているイリュージョンってものの凄まじさをまざまざと見せつけられている感じがする。
つまり我々みんな無能であるっていうことに対して不快感を抱き不安になりもっと有能にならなければって相当心の底で信じていますけど多分今年の多くの人が2024年の目標としてもっと有能になるぞっていう目標を立てられたと思うんですけどね。
別にそれに溝を刺そうって言う。
ないんだけれどもそれってそんなに意味意義深いことなのだろうかっていうあの中国の県ですからね拝見っていうのはね日本のこう福井県とか埼玉県とかとは違うわけですよめっちゃでっかい県まあもっとも現代の日本の県の人口を考えれば今の県知事の方がよっぽどパワーあるような気がしますけれどもでもやっぱりまあ王様ですよね県令などというのはそれぐらいの人がまず考えたことは。
この人はいいなぜなら何にも持ってないからしかもそこが浅いから無能で臆病だからどう考えても変じゃないですかこれに近いことを事実を持った可能性は十分あると思うんですよやっぱり現実にそれをやったわけですから昭和韓帝国の初代の上昇になったんでまあ要するに流報についてナンバー2ですよねで彼はそこまで見越していたのかは知りませんけれども少なくとも流報を盛り上げている。
立てるのが何よりだと思ったことは確実だと思うんですよねああいうコマゴマとしたなんかしなくていいようなことばっかりやっている全部作り話である可能性もあるけれどもこの話はでもいろんなところをやっぱり考えさせられ一人一人残らず流報よりは優秀なんですよ長寮も関心も言うまでもなく流報よりは優秀ですよね人間的に。
で新野氏皇帝もそうだし長寮でさえですねめちゃくちゃ悪人でほぼ最高はすですが流報よりは遥かに優秀ですよねあの子がいっていうまあ暗訓とされていた二世皇帝ですけどあれも絶対流報よりは圧倒的に少なくとも物知りではありますよね皇帝なんだ。
で幸運が何しろ幸運ですよね幸運流報に負けるはずがないですよね直接戦えばもう1万回やっても1万勝って感じですよね。
幸運。
で幸運は最後は負けちゃうわけですよね非常に面白い話ですよねで幸運の周りにいた人間だってあの半蔵を含めてそうですけれども優秀な人間はいっぱいいたわけですよ流報に負ける全く理解に苦しいはず話なんですけれどもしかもどっちかというと幸運という人はいろいろチャンスを逃しているんでいつでも流報を殺せるっていう状態を何回も言っているんですよ。
で幸運は何回も機会は巡ってきているついにそれは1回もうまくいかないまま生涯30前で死んじゃうんだったと思うんですよね30前で一度天下取るんだから凄まじいですけどね中国でけれどもなんかこうあれを読めば読むほどですね私好き他をちょこちょこ読んだりするんだけれども読めば読むほどですねこの人絶対能力があったために死んでるよなという。
で幸運。
に溺れるとかそういう話ではないんですよどう考えてもネックになるものがあるとすれば流報ほど無能でないということ以外は説明のしようがないようなところがあるわけですね乱暴だからとか関係ないと思うんですよあの新野志皇帝のやったことは相当むちゃくちゃ暴虐ですからあの時代なんでね幸運が乱暴者だったから天下取れないとかそういう話ではないような気がするんですよね。
隠して唯一流報の方が分がある。
とすると流報には何の取り柄もないまあ要するにほらを吹くのと酒を飲むことぐらいしか能力がない彼は現に皇帝になった後だってえっとほらを吹いて酒を飲んでえっとセックスする毎日だったらしいんでだからつまり字がそうなんですよね特別何か変わったわけではないわけですこれは非常に僕はあのすごい話だなって私は思いますね周りの人は優秀ですよ。
有能と優秀の違い
確かに周りの人はねだから適材適所って大事なんですよね実際あのが構想の三欠ではまあさっき言った3人ですけど関心が一番やっぱり何に天下取る統一には一番流報の役に立ちましたよねで天下取った後たちまち殺されてますよねつまりこれがまあ非常に残酷な話でありますけど適材適所ってことなんですよ天下取っちゃえばえっと一番軍事に
強い人
っていうのは邪魔でしかないってよくあるパターンですよねあのよりともが天下取ったら輸出ですぐ殺されてしまうまああれややすぐではなかったけれどもでもやっぱり速攻殺されてしまったようにあれと似ている話だとは思うんですけれども
優秀っていうのはつくづくですねえっと身の置きどころが足りなくなるよなぁと思わないではないんですよ
もう考えたってまあ無能であればみんながみんな皇帝になれるわけでは決してないけれど
優秀であるありさえすれば人生うまくいくっていう風に考えるのは相当ナンセンスな感じがします
そんなことをえっと正月から思います結局この正月2日で感じさせられることは私たちは現実というものを見据えるのが本当に苦手だと言うことのところですね
なんともどうしても我々はまあこれは見にこっというに言えば
人間とはそこで生きるしかない生き物だったというのはその通りだと思うんですよ我々は言ってみればこう移行対象を使ってイリュージョンを見て生きる
そうですよね野球場に行けばやっぱりこうアルプススタンドに叩き込めばホームランこれはもう人間が決めたルールですよね
このような現実はないんだけど現地を作り出してその現実のイリュージョンを見ながら現実を楽しむようにできる
けれどもそれはあくまでもなんて言うんだろう
夢を見ていられる装置が健全に機能している場合だけな場合に限った話なんですよ
球場で地震が起きたり大地震が起きたりすればぐらいでそのゲームはやめなきゃなんない
だからいつもこの2つの現実の間を行ったり来たりしなければいけないわけですね
そういうのを柴良太郎さんはもうちょっと違う簡単な小話であの流砲をもっとこう威厳をつけるために
こういう人なんて威厳が全然ないんでね皇帝になった時に威厳をつけるために祝尊通っていう男にものすごく手の込んだ儀式をさせて
要するにみんなが一斉にお辞儀するとかいろんなことをね仕掛けてですね
流砲が歩くたびに威厳が高まるようにしたっていう話を柴良太郎さんは聞きとして書いてるわけですよね
要するに皇帝の威厳というのは装置だっていうことを言いたいんですけども
項羽と劉邦とイリュージョン
だからこの時に祝尊通を褒めて流砲が今日初めて俺は皇帝になった気がしたって言ったっていう逸話を載せてるんですけど
これも本当かどうかわかんないですけどでもそういうのってありますよね
なんかこう気軽に口を聞いたらダメじゃないですか
この種の話は二世皇帝の部分にも二世皇帝本当にそうしたんでしょうけれども
出てきて新の始皇帝の二代目で人前に出ないんですよ
人前に出ないとなんかこう神がかった存在のような
感じを抱くじゃないですか
人間っていうのはつくづくやっぱりイリュージョンの生き物ですよね
人前に出ない皇帝とか絶対ダメじゃないですか
だけれども出なければ出ないほどいいんですっていう風に長皇が言うわけですよ
長皇性格が悪いんでね
だから出なければ出ないほどいいって言われると出るのめんどくさいから出なくなるわけですよ
そうするとすごく深刻化したものになっていく
でもそれっていうのは長皇にとってすごくこう都合がいいんですね
長皇というのはその出てこない皇帝の
代わりに自分が喋るという要するに代理人になっていって
そうすると皇帝っていうのは長皇みたいな話になっていくわけですよね
非常にこう手の込んだ悪巧みなんですけれども
こういうのが通用するってところがやっぱり
非常に人間社会的って言えるんじゃないかなっていう感じがしますね
39:44

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