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おはようございます。 佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1360回をお送りします。
6月12日金曜日6時57分です。 今日本当に時間が全くないので、撮るのやめようかと思ったくらいなんで、
ごく短く済ませたいと思います。 多分これ史上初ぐらいの短さ。1360回と言ったかな?
60回です。 史上初の短さだと思うんですけれども、
本題からもういきなりですね、 精神分析における陰性という、陰性治療反応とかね、陰性の転移とかいう言葉があるわけなんですが、
陰性というやつについて、そういえばこの話してなかったなと思ってですね、
しようと思いました。 陰性だけじゃないんですけど、精神分析用語って、
翻訳が非常にですね、翻訳の間違いをあげつらうのって私大変嫌なと思ってるんですよ。
昔大学の時代に、私D.H.ロネンスのゼミにいた人間なんで、これ非常に僕にとって大事なポイントだったと思うんですが、
僕、D.H.ロネンスとか別に好きだったわけじゃないんですけどね、でもたまたまその先生が非常に面白そうだったんで入ったところに
D.H.ロネンスだったってだけなんですけどね。
ジェームズ・ジョイスならまだわかるんだけど、僕、D.H.ロネンスって全然わかんなかったんですよ。
それは良いんですけど。そのD.H.ロネンスのゼミに入った時思ったんですけど、文学って翻訳するのは無理なんですよね。
だってその言葉の微妙なニュアンスって小説ではめちゃくちゃ大事じゃないですか。でもどうやったってそれはずれてるわけだから、語訳だとか色々言われるんだけど、もうこういうことを話している暇は今日はないんで、一気に本題いきますが、
あの陰性って言葉はですね、語訳では絶対ないと思うんですが、元の意味ネガティブなんですよね。
ネガティブというのは、陰性っていうのが特に性がついちゃってるんで、陰性治療反応。
なんかこうね、そういう弱々しいというか、そういうニュアンスじゃなくて、ここは大事なことだなと思うんですが、
違いがどこにあるんだって言われると難しい気もするんですけど、松木さんはしばしば、松木さんだけじゃないな、ネガティブケイパビリティってあるじゃないですか。
ネガティブケイパビリティ最近あまり訳されてませんけどね。ネガティブケイパビリティを陰性のケイパビリティって言わないですよね。でも精神分析で陰性ついてるのは多くがネガティブっていう言葉に対する
訳のように見えるんですね。確か陰性治療反応と陰性転移はネガティブだったような気がするんですよね。ちょっと私はこの辺勉強をすごくしてるわけじゃないんで、ほぼ全部が受け売りかまご引きなんで、ただこれ大事だなと思ってることをここで喋ってるだけなんですよ。
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だから気になる人は調べてください。正確じゃない話がここでは山ほど出てきます。で、このネガティブ、何でもいいんですけど、フノって訳されている場合と陰性って訳されている場合は、ほぼフノと訳しておいた方がまだマシだって。フもどうかと思うんですけど、フって増えるじゃないですか。それもすごい不思議だけど。
マイナス1マイナス2マイナス3マイナス4って増えていくっていう、これがあのビオンの宇宙科なんかで松木さんが書いたことなんですけど、そういうことなんですよ。
なんか陰性って増えない感じがしますよね。この増える感じ、要するに増殖感、嫌な感じの増殖感。なんかねゾンビが増えるみたいなイメージなんですけど、これが大事なんですよね。陰性ってなんかゾンビ感ないじゃないですか。
悪いおっぱいって言った時、だいたいゾンビを思い出すといいかなって感じがするんですね。悪いおっぱいっていうのは、出ないおっぱいぐらいな陰性の、もう一つ赤ちゃんを満足させられないとか、そういうニュアンスでは全くないと思うんですよね。
赤ちゃんはもう悪いおっぱいに迫害されて、追いかけ回されて、やばい状態になってるという、ある種ちょっとみんながみんなじゃないと思うんですけどね。みんながみんなじゃないと思うんだけど、そういうことを想像してしまう、だからホラー感があると思うんですよね。
だってホラーっていうのは多くの人にとってホラーだからホラーなんじゃないですか。何言ってるのかよくわかんなくなってきたけど、でもお化け屋敷って不思議とみんなよく似てるじゃないですか。
つまりあれが私は悪いおっぱい群に囲まれた時の私たちの見るもの、見ることはないんだけど、見るとすればあんな感じのもの。
ヨウの東西を問わずですね、やっぱりあれがネガティブなもの、ネガティブなおっぱいなんですよ。ネガティブといった時に陰性っていうと、ひゅらーっとしてるっていうか、羽乳ってあれなんだけど陰性の転移とか、だから私陽性の転移っていうのもなんとなく精神分析っていうのはそういうもんじゃないと思うんですよね。
ロジャーズに対して私はある種の誤解もあると思うんですが、なんとなくこういい感じを患者さんと作り上げるみたいな、信頼関係をラポールを形成するみたいな、それはそうだと思うんですけれども、そういうもんじゃないと思うんですよね。
なんていうんだろうな、こうホラーな世界に放り込まれても治療同盟は維持できるみたいな、そういう誰だったら鈴木智美さんのかな、鈴木智美さんの臨床ビネット読んでるとそういうの割とあるんですけど、そういう感じがないと、あのなんかこう、絨毯爆撃を飼いくぐっていく2人みたいな、ちょっとそれも飼いくぐるっていう、なんと言えばいいんですかね。
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絨毯爆撃そのものも敵ではないので、ここが本当に厄介なんですけど、だから僕治療同盟って言葉はイマイチ苦手なんですよね。ものすごく実感に近い一方で、それだと結局のところその一時対称を敵に回すみたいなノリになっちゃうんだけど、一時対称を敵に回してると、永久的にこれが続く気がするんですよね。
だからあのちょっといろいろと説明を飛ばしているのは時間がないからで、現象の母親対象というのはつまり悪いオッパーになることはあるわけですが、ていうか多分あらゆる人にとってあるんですよ。だってやっぱほとんどの人がホラーをホラーだとみなすということはそういうことだと思うんですよね。
中にはホラーにすごい取り憑かれる人と、ほぼほぼ感知しないというかどうでもいいやって思っている人とがいるとは思うんだけれども、でもホラーはホラーじゃないですか。ホラーの雰囲気ってやっぱり何かこうある種テンプレ化している。テンプレ化してるってことはやっぱり多くの人が心の中で共通項を持っている。
ユング的に言う集合無意識感があるってことになるんでしょうけど、そういう感じがありますよね。私あの集合無意識では説明になってないと思うんだけど、悪いオッパーにしないと説明にならないと思うんですけどね。実体験があるという集合無意識って言うとなんかこう共通観念みたいになっちゃう気がするんですよね。
で、このネガティブというのは、つまり負の治療反応であり、つまり悪が増殖する感じが必要なんですよ。あるじゃないですか、なんかこう本当はちゃんと、ちゃんとっての面なんだけど、なんかうわーっと虫が増えていくみたいなそういうニュアンス。だからネガティブケイパビリティというのもそういうニュアンスが必要だと思うんですよね。
負の増殖に耐える力ぐらいな、そういうニュアンスがないと単に持ちこたえますみたいな感じで、あのダンガーマネジメントも含むと思うんですけどね。なんかちょっと違うなーって感じがする。あの徹底操作とか、あの自己愛とか、すべて間違ってると思わないんですけど、ナルシスティックだよねあの人っていう話になった時に、ナルシシズムが無関係だとは思わないんですが、
ナルシシズムっていうのはやっぱり、その、まあナルキッソスですよね。だからナルシスのことを言ってますよね。ナルシスってあのほら、あのエコーですよね。エコーがアイラブユー言ってるのに、あのアイラブユー返してしまうとアイラブユーだし、アイヘイチューだとアイヘイチューが戻ってくるっていう、あれはだから良いオッパイと悪いオッパイの話と全く同じだと思うんですが、そういうふうに自分の世界の外に出られない世界っていうのがあるはずで。
で、この自分の世界から出られない世界にいるというのがナルシシズムであって、ムヌボレが強いっていう人も、なんかその一種かもしれないけど、その全てではないように思うのと似ていて、このネガティブケイパビリティみたいなのも、普通に耐える能力とか、嫌なことに持ちこたえるというだけではなくて、こう逆転してしまうものを許さない能力みたいな感じを、リバースな感じをするんですよ。
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本来、良いものをくれるはずの母親が悪いものを与えてきてしまう、その良いオッパイっていうのは要するに、良いものを与えてくるはずなわけですよね。
赤ちゃんのグガッと鳴いているニードをニーズに変換して、つまり赤ちゃんの中からやってくる非常に厳しい状態というものを、良い状態に変換して戻すっていうこの機能を逆転させて、
うわーって鳴っている赤ちゃんにわざわざ、そのうわーって鳴っている中から良いものを取っちゃって、悪いものに変換して、それを押し返してくるという、割ととんでもないことがそこで起きている感じ。
だから、赤ちゃんがうわーって鳴いているのは悪いことばかりじゃないわけですよね。そこには真実も含まれている。例えば、お腹がガーって鳴っているときはお腹が空いているわけですよ。
そこから、鳴いてお腹が空いていることを真実をわざわざ伝えてきているにもかかわらず、その認知能力も何もかもが乏しい赤ちゃんがですね、必死で真実を伝えてきているにもかかわらず、
あなたのお腹なんか空いてないからみたいな感じで、お腹を空かせているという真実を剥ぎ取ってしまって、あなたがとにかくうるさいから、私はしょうがないから、あなたの面倒を見てやっているのよみたいな、そういうノリになっちゃうと、真実を伝えている赤ちゃんの真実の部分は持ってかれて、
そして、剥ぎ取られるという剥奪という表現があるんだけど、剥奪された上に、良いものが返されるべきときに、意味は剥ぎ取られて、悪いものが戻ってくる。これが赤ちゃんにとっては、すごい絶望的な感じがする。
なんかすごい殺愁感があるし、すごい悪い感じがする。でも母親のそういうことをやっちゃうこともあるんですよねっていうニュアンスも、たぶん我々は大概これを知っているかもしれないけど、だからそれが母親の役割を弟によるんだと思うんですけどね。
スードとはいえ体験、私は絶対していると思うんですよね。やっぱりね、自分の咳が止まらないとか、肌が痒いとか言ってるのに、殴られるみたいな、殴られることはなかったと思うんですけど、ほぼ怒鳴られるとかね、そういうことが、僕赤ちゃんの時ではないとさすがに思うんですね。うちの母のあの感じから言って。でもやっぱり4歳ぐらいの時はそういう経験をしてるから、もういい加減にしろみたいな、いい加減に咳止めろみたいな、眠かったと思うんだけどね。
いや、咳止めろと言っても止まらないしみたいな。ただこれも、これもややこしいことに、実は咳を止めることは母にはできたんですよ。実はね。これがね、非常にね、母にもわからない話だろうと思うんですよね。
でも、うち寺だったし、何かと言うと、ちゃんとお台本を唱えなさいとか、ちゃんとお経を唱えなさいとか言ってるくせに、そういうことはわからなかったんですね、母にはね。母は唯一、あの咳を止めることができた人だったと思うんだけれども、それがよくわかった。まあ、父も一応止めることができるはずだったけど、その役割は結局は放棄してたなと思うんですけどね。
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まあ、その辺は非常にね、難しいところがありますんで、あの両親にそこまで期待はしませんが。そうは言っても、悪を増殖、増…何て言ったかな?ネガティブなものを増大させる負の能力みたいな。だからネガティブがかぶっちゃってるんですけどね。
だから、ここをネガティブっていう英語の原理にどれぐらいそういう意義があるのか、増殖感がどのぐらいあるのかわかんないですけど、あのネガティブをあっさり陰性と訳すのは、そういうケースもあると思うんです。空っぽだとか、ゼロに等しいみたいなケースもあると思うんですけど、赤ちゃんからすると、あるべきおっぱいのところにゼロがある。あるべき母親のところにゼロがあったら、もうそれだけでマイナスなんですよ。やっぱりゼロじゃないんですよね。
それがだから不在論ってやつなんだけど、もっと積極的な感じがするんですよね、多くの場合。だってやっぱりお母さんが、これはお母さん批判をやりたいわけでは全くないんで、ここがすごい面白い。お母さん一般に非難されるべき言われはほぼないと思うんですよね。
でも特定のお母さんは問題な、赤ちゃんから見れば確かに問題な行動であり、赤ちゃんから見なくても、やっぱりある意味問題な行動であり、それは疲れてますとか、眠いですとか、そもそもの能力として耐えませんとか、いろいろあると思うし、社会がそれをパージしちゃうのは問題があると思うんですけど、ほぼならまだしも。
ただこの辺をそういう客観的事実と主観的な現実、要するにサイキックリアリティですね、心的現実をやっぱり、だからこそセッションではそれを分けて考える。本来分かれてないのかもしれないが、そこをくっつけて考えちゃうと、もはや対応のしようがなくなりますんで、やっぱり分けて考えるってことになると思うんですよね。
で、大事なのはここで赤ちゃんは、知らないにもかかわらず真実を、自分のことだからってことはあるにせよ、伝えてきているにもかかわらず、真実は無視されて、そこでの人間関係みたいなもの、つまり母と子の母子関係ですね、を、しかもそれを丸くとって、つまりあんたが泣くからみたいな、これって人間関係になっちゃってるじゃないですか、お腹が空いたから、これが事実を取り扱ってるわけですよね。
事実を取り扱っている事実を鍵とって、あんたが泣くから私が世話しなきゃならないみたいな、でもこういう話をする人って、現実にはいないわけじゃないわけですよね。
で、ここがまたすごくややこしいところなんですけど、これもういるんですよ。事実にだけ即しておきゃいいってもんだ。事実にだけ即しているように一見見えるんだけれども、あなたお腹空いてるのねっていうのは愛情関係ってものがそこにあるはずなんだけど、ないとだからAIになっちゃうと思うんですよ。
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それはそれで私は今後どうなるかわかりませんが、そういうことは行われていくでしょうけど、難しい問題を引き起こすのではなかろうかと漠然と思ってるわけです。本当に漠然とですよ。そんなことまで完全にわかる人間ってそういうもんじゃないと思うんですよ、私は。
ただ今までは少なくともそこに愛情関係に裏打ちされているっていう表現でいいと思うんですけど、そういうことがあったと思うんだけど、その裏打ちされている愛情関係は、それはそれでいるんですよね。
だからあんたが何々だから私はこうすれば別に間違っちゃいないんですよ。ただその時に真実の方を剥ぎ取っちゃいけないってことなんだと思うんですよね。
結局何かをする時にそこに関係を持ち込むのは当然であって、事実だけに即しておけばいいって言うんだと、なんかもう機械みたいになっちゃうんでお腹が空いているんだっていう信号をAIが
剥ぎ取ったから、はい、ミルク出しましたみたいなそういうんだと、赤ちゃん喜ぶかなと思うんだけど、喜ばないよなんていうのかな、そこに何か難しい問題を引き起こしそうな気はします。
これはまた望んだ時に常に一部差があるという状態が決して最高の状態ではない。これはウィニコットの言ったところですけど、そういうある種のパーフェクトマザー的な問題が引き起こしている方の問題っていうのはやっぱり
世の中の全面にはなかなか出てきにくいんで、こういう話までしている暇は今日はないんですが、今日言ってるのは要するにですね、
精神分析の用語というものは混乱に満ちてしまっている。日本語に直した時、自己はいいそうだし、徹底操作もそうだし、この陰性という言葉もそうだし、いろいろと混乱に満ちているわけですよ。
分裂って言う言葉だって、分裂はいい方なんだと思うんですけどね。微妙なところが人格障害も最近使われなくなりましたよね。パーソナリティ障害っていうふうに言いますよね。パーソナリティイコール人格じゃないからねっていう感じあるわけですよね。
こうやってみるとすげー大変だなと。だからドイ・タケオが違う意味で言っていた、やっぱり我々に即分かる言葉でやらないとみたいな。
だから彼は甘えとか、気兼ねするとか、気の迷いとか、そういう虫とかね、そういう言葉を使って臨床やっていこうぜっていうようなのを一定程度浸透させることに成功してるけど、そうはなってないですよね、ある意味ね。
結局甘えの病理ですとか言わないですよね。自己愛の病理ですみたいな言いますよね。
そういうふうに、自己愛と甘えはそもそも違いますしね。そういうふうに結局環境都市の母親とかナルシシズムとか言っちゃってるじゃないですか。西洋人はそれだいぶわかると思うんだけど、東洋人はよくわかんないですよね、こういうことを言われても。
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で、翻訳語が出てきてしまって、その翻訳がしかも微妙にニュアンスを変えていて、しかも微妙なニュアンスがめちゃくちゃ大事だったりするんで、迷うわけですよ。私陰性治療反応って本当にこう違う言葉がいるというふうに。
総的防衛とかも全然あれではわからんという感じがしますよね。総的防衛って何なんだって感じがします。独立志向の行き過ぎの防衛みたいな、それも全然意味わかんない。そもそも防衛って言葉がどうかと思うんで。
防衛には多分に攻撃的なところ含む、攻撃は最大の防御って言いますけど、でもやっぱ防御と攻撃って違うじゃないですか。現代のアメリカ軍でそうですよね。攻撃は最大の防御ですよね。攻撃すれば攻撃されないみたいな。それでも防衛って近いところを感じるんですよね。
防衛規制とか言ったり防衛システムみたいな言い方を和れいこさんとかも書いてらっしゃったんだけど、なんかですね、そういうなんかこううわーって赤ちゃんに言われる、うわーって夫に言われる、それを全く自分は受け取りませんみたいな、そういうことが防衛と言う否認とかね、そういう言い方しますけれども、その否認とかもすごい強いですよね。ある意味うわーっと言われてるのに、そこでガンとして無視するみたいなので。
強いですよね。で、意味を剥ぎ取るっていうのがでもこの中では非常に重大だと思うんですよ。意味を認めない。その人が言ってる真実性について、真実かどうかがわかんないっていうのはあると思うんですよ。泣いているけど何が本当は望んでるのかわかんないなって。
でも泣いているということを全部関係の問題にしてしまうということ、そして泣いているんだからあなたは私が嫌いなんでしょうみたいな理屈にしてしまうということ、これがやっぱりこう真実と関係のないところに関係だけを持ち込むっていうことの問題だと思うんですよね。
この場合、好きか嫌いかみたいな話で、好きな時はまだなんとなく機能する感じなんだけど、嫌いになると全く機能しなくなるということが起こり得る、起こり得ないようにするためにやっぱりコンテイナーという考え方が、考え方というかそういう役割応答ですけどがあるわけで、やっぱりこう役割を、これも難しいですね。役割をマットしなきゃみたいな。
やっぱりここに愛情というものが裏打ちがある感じがするんですよね。真っ当に考えた場合にはっていうことですけれどもね。まあいいや、とにかく今日は時間がないのでこのぐらいにさせてください。