配信形式の変更とAI時代における顔出しの意義
【1361】となるわけですが、 今日はサブスタックの配信の方をやっていこうと思いました。
理由は全くなくて、いい加減に この体制に切り替えたいというのはあるわけですね。
この体制というのは、つまりこうやって 撮っておいたやつをStandFMにも投稿するという形の方が合理的なんですよ。
視聴者の皆様にはあまり関係ない話かもしれないというか、 関係ないと思うし、私もあまりそこを大真面目に受け止めてないんだけれども、
なんかね、この顔を出して撮った方がいいとされているんですね。 理由は簡単で、AIの時代だから音声は合成できるでしょうっていう話なんですよ。
仮に音声が合成できるにしても、 私のこの内容を合成してまでやる人いないだろうっていう感じが得にならないしね、多分全く。
だから要するにパクられる問題が一つあるわけじゃないですか。 もう一つは、私のこれをAIが全部作ってると信じる人は多分いらっしゃらないと思うんですよね。
そうまでするメリットが全くない割にややこしい話ばっかりしてるんで、 普通常識的な、僕が非常識ってことあるかもしれないけど、
常識的な人ならばですね、もっとこう、 マシなことをやると思うんですよね。そういうことが仮にできるのであれば。
なんかよくわかんないから、見た目を整えてみます。 見た目を整える意味ってどのくらいあるんだろう。なんか整ってる。気持ちが良くない。やめよう。
見た目整えるの。見た目良くなることに非常に熱心だったんですけどね。 少し良くしてみると全然自分がしたいことと違うなというのを今理解しました。
いつもだったらタイトルコールの他に日時に言うんですけど、日時書いてあるからいらないんじゃないかと思っちゃうんですけど、
6月15日月曜日の朝の4時53分。でもこれ入ってないかもしれませんもんね。
もちろんいつもと全くやることは変わらず、ただBGM入らないんですよね。そこはちょっと気になりますけれども、
今なんか出たんですよね。なんかミュージックモードとかいうやつが。このミュージックモードっていうのはなんかちょっと違うような気がするんで、これもやめましょう。
セミナー告知と「精神分析的ラジオ」という名称について
昨日、週刊課のことをお話した。そういう精神分析的な話からしたんですけど、
今日のテーマもそれにしようかなと思っておりますが、全然週刊課の話じゃないじゃんって昨日も思われた気がするんですが、そこは難しい問題でして。難しい問題なんですね。
これはアーカイブ残るはずだよね。アーカイブが残ることを期待しておりますけれども、まず最初にお知らせがありまして、
6月27日の土曜日の6時から山崎孝明さんという方をゲストにお招きしてセミナーやります。
イベントですね。対談イベント。内容としては、野々医者である私がどうしても聞きたいことがいろいろあるから聞くよっていうタイトルにしました。
現在結構申し込みいただいてまして、まもなく20名に達するところでして、リアルでいらっしゃる方は最大で6、7名まで行けると限界だなっていう感じの場所なんで、狭いんでね。
今も随時参加してきてくださっている方にはお問い合わせしているんですけどね、PDX の方から。
とにかく現地参加は上限がありますが、オンライン参加は上限ありませんから、実情。
オンラインの方では90名までご参加いただけるようにしてありますけど、それでもうまくいったらですけど、うまくいったらっていうのはどういうことなのか僕は分からないんだけど、
告知がうまく進行すれば4、50名いってもこのペースならおかしくはないと思いますし、サブスタックのですね、メールの方を取っていただければと思います。
それでなくてもPDX に直接お申し込みいただいてもいいんですけど、あの手この手で今後も告知させていただきますんで、
よろしければこれを何らかの形でご覧になった方は是非見ていただければ、チェックしていただければと思います。
精神分析的、なんで顔が映ってると映ってない時よりは言いよどみやすいのかが不思議なんですけど、精神分析的ラジオというふうに命名してますが、
これは私は結構気に入ってるタイトルで、これをサブスタックでも使っていこうと思ってますけれども、精神分析的というのは色々波紋を呼びそうなというか少なくとも問題になりそうな言い方ではありつつ、
精神分析ではないよっていうニュアンスと、ではないことは精神分析の専門の人ならすぐ分かるはずのことなんで、精神分析の専門でない人にとってはあまりどうでもいいことのような気もするんで、
ではないことをそこまで強調しなくてもいいだろうって最近思わなくもないんですけど、一応繰り返しお断りはさせていただいていますね。
ラジオって基本音声だけじゃないですか、これ顔映っちゃってますけど、やっぱり顔字にそべって音と音とのやり取りをしている部分が、
フロイトさんが言っているように顔を付け合わせて見合うっていうことをあまり避けたいからカウチにしたんだみたいなことをフロイト言ってるわけですよね。
それやっぱりあるだろうなって思うんですよ。だんだん厳しいセッションになってくると顔と顔が違うんですよね。
顔を合わせてやると、私の場合オンラインなんでカウチにそべってもらってもあれだし、同じ空間共有してませんからね。
でも空間共有していて対面でやるというのはフロイトはそれを8時間も見つめられるのはつらいっていう、それはそうなんだろうっていうのもあったし、そういう性格ってこともあると思うんですよね。
私がカウチに行ったときは独特の45度対面法みたいな感じなのかな、ちょっと距離を空けて話し合ってましたから、カウチにそべったりはしてませんでしたからね。
だからそういうのいろいろあると思いますけれどもね。それはそれでいいというか、テーマがなかなか入ってきてないんですけど、頭の中には今あるんですよ。なくなっちゃうかもしれないけど。
習慣化と無意識の欲動:赤ん坊の泣き声から精神分析へ
習慣化というものの中に精神分析が絡むと思うのは、基本的に習慣化しようって言っているような何事かは絶対にその人の無意識に臨んでいる欲動ですよね。
マミニコットが人魚って呼んだやつですが、あると思うんですね。赤ちゃんはまるで習慣のように泣くじゃないですか。なんかつまんないこと言ってるようですけど、しかし我々はあんなに泣かなくなるじゃないですか。どこかのタイミングでですね。
泣く以外の手段がないからなんだけど、ただその場合、マミニコット言った通りだと思うんですよね。赤ちゃん自分がなんで泣いてるのか知らないわけですよ。せいぜい不愉快だぐらい苦しい、辛い、しんどいという程度であって、何かを伝えたいとかは多ほど思ってないと思うんですね。
多ほどというか全く思ってない可能性もあると思うんですね。十分。お腹空いたじゃないと思うんですよね。お腹空いたなんて知らないわけですから。あれですよ。生後1年とかの話はしてませんから。生後3日とかの話してますから。自分にお腹あること知りませんから。てか自分がそこにいること知りませんからね。ただ泣いてるわけですよね。
でもこのようなことが、で僕はここが大事だと思うんですよね。これはまあそれはそれ、そういうこともあるよねみたいな話でいいと思うんだけど、私の中にもそれは残ってるっていうのが対象関係論の僕は大きな肝だと思うんですね。人間はこの状態を最終的には離脱したり卒業したりはできないと思うんですよ。
抑え込むとか社会的にはこういう表現を取ったところで意味はあまりないから、まあ要するに意識の脳が無意識の脳を圧倒することによって制圧しちゃうってことはあるにしても、この部分がなくなるなんてことはないと思うんですね。
現に年を取ったりするとですね、そういう部分出てきますよね。うちの母あからさまに出てきているんで、なんでこの人これ言ってるのか多分わかってないだろうなってことを言っちゃうわけですよ。認知症なんですけどね。もちろん赤ちゃんの場合と違って何もわかってないなんてことは全然なくて、ちゃんとわかってる部分も結構あるんだけど、
だけど明らかに今のこの挙動と言動は本人の自覚っていうものはほぼ全く意味を成してないなっていうニュアンスの時が結構ちらほら出てくるわけですよ。あれはやっぱり普通に赤ちゃん返りしたのではなくて、あの人ずっとああだった部分があると思うんですよ。現にいかにも母らしいんですよ。ここ大事なんですよやっぱりね。
非常にシンプルなそういう方は僕あんまりいないと実際思ってるんですけどもわかんないですよね。リニアに人間は成長するんだって信じているような方はだから四十になれば本当に不悪になるみたいなね。四十になって不悪になるわけないじゃないですか。不悪って惑わないってわけですけど惑いますよ。四十も何も。五十だって惑いますし。
七十になれば自由だったか忘れましたけどナンセンスだなって思うんですよ。私はそんなノリを超えないとかノリ誰が決めるんだとか思うしそんなものを普通に五十になったらこうなって六十になったらこうなって理想的にはそうかもしれないけどそれも今から見れば2000年以上前の理想じゃないですか。そうはならないと思うんですよね。
なので立志だからつまりああいう本人たちがそう思って喋ってるっていうのとちょっと違うと思うんだけどそういうふうに暮らすわけしておいて覚えておこうねぐらいなノリだとあれは思うんですけどもうちょっと大真面目にねあの人はやったと思うんですよ。
あの人ポーランドのセシム石化なんですよあの人も。あの発達段階をすっごいがっちり固めた人ですね。あの絶対的信頼対不信みたいな。言い訳することはわかるんだけどこういうふうにこう均等に二分化して次のラインはこうだみたいなそういうふうに我々はなってないなっていうふうに思いますね。
やっぱり非言語水準の部分っていうのは右脳みたいなあるいは偏頭体とか大脳変異型とか会話とか小脳とかその辺は言語扱わないわけですから運動屋もそうでしょうけどそういう部分あるいはガングリオンみたいなもんですよね。
まあそういういろんな部分が脳にはあって言語扱うところなんてむしろ少ないじゃ少ないわけですから狭いと言えばいいのかな小さいと言えばいいのかもしれないんだけど言語脳で過を制圧して圧倒するなんていうことができているわけですけど半分だからあまり泣かないとかあるにせよですね誰だって赤ちゃんみたいな泣かないですけどそういう部分が自分が完全にそこから脱却するなどということは生きてる間は起きない。
まあ下脱とかすれば別かもしれませんけどそもそも下脱って普通の人しないじゃないですかぶったぐらいなもんじゃないですかぶったぐらいなもんじゃないかもしれないけど少なくとも私は下脱とかしそうな気はしないんですよだからこの状態を考えるとやっぱり現実検討がとても怪しくなるということはしょっちゅう起きてるだろうし今後ずっと起き続けるだろうなと思うんですね。
この現実検討が怪しくなるといったときにその現実検討が怪しい部分が習慣化というものを推進するんだっていうのが昨日のセミナーの趣旨だったわけです。
この話は別に昨日のセミナーのことを聞いていただかずとも今後私は多分絶え間なく発信していくことの一つになるんじゃないかなと思っておりますんで少しはブラッシュアップするし変えていくと思うんだけど基本趣旨はそういうことなんですね。
「やりたくないこと」を習慣化する心理とビジネス書への疑問
なぜならば習慣化したいと少なくともミニネス書で習慣化したいと言われることってやれ早起きだとか英語の勉強するんだとか筋トレするんだとか散歩するんだとか散歩運動をするんだジムに行くんだダイエットするんだ何でもいいですけどそういうことばっかりなんですよどういうことかというとやりたくないことばっかりなんですよ。
やりたいことは習慣化しようっていう風に考える必要は一切ないんですね。
これはなぜあんまり習慣化の本とかで言わないんだろうっていうのが僕はいつもいつも自分の本の中で散りばめているんですよ。
あからさまに言うと編集さんが嫌な顔するから背景に置くようにしたりはするけど絶対言うようにしてるんですよ。
あなたが習慣化したいことあなたがしたくないことなんですっていうメッセージは入ってるはずなんですよ何らかの形で相当微妙になっちゃってる場合も削られたりしますからねはっきり言ってあるんですけどああいうのああいうやつですね削られるってまあ編集さんが削る構成の人がガチャガチャ文句を言うからしょうがないからそこばっさり落とすみたいなことしますけれどもいつもよく思うことがあるんですよ。
基本的にそれは売れないからそういうことを書くなってことなのかもしれないけど僕が悪いんでしょうけどいやだって削ったけど売れないんだけどって言われるんですね私いつもそれめちゃくちゃ言いたくなるんですよねあの売れ売れないからこういうのはやめましょうみたいなことをあっさり言うけどそんなに上からじゃないですけどでも僕は常に言いたいです。
あなたはどういう本が売れるかわかってないじゃんっていうわかってるような顔をしてるけどわかってないじゃんって言うだって出してる本の多分そうだな少なくとも6割が売れてる人ってほぼいないと思うんですよねもちろんそれはいろいろありますよ実際にはねこんなに単純な話ではないイライラしてるからこういう発想になっちゃうんだけどあのねえ
手掛けてる本が売れればいいってもんじゃないってことは絶対あるししかもその手掛けてる本の6割も売れるはずないんですけど今のような時代にでもですね売れるからこうしましょうって言っておいてそうしたけど全く売れなかったという経験を山のように持っている私としてはですねそれはだからお前が悪いんだって言われればそうなんですけどまた全くそうなんですけどでも私は本はそうそう読者がこういうと耳鳴りだろうなみたいなことさえ書いておけば売れるんじゃないかって思うんですよ
売るの簡単な世界じゃないという風に思い知らされてきているんでいやここ削ってまあ削ることによって売れる可能性があの0.3%ぐらい上がるかもしれないが多分それによって10番が出るとかないから残しておきたいなっていう風に大体言ったりするんですけどそういうまあ絶望的なことを言って救いのないことを言っても通らないんですよねなかなかこの辺難しいんですけどでもあの
習慣化の本質:したくないことを毎日したいという矛盾
持ってもあったように話がくだらなく長くなりましたが
習慣化をしたいということはそれをしたくないということです間違いないと僕は思うんですねなぜならば多くの人はこういうんですよ
習慣化すると楽にできるつまりしたくないってことだろうそれはって思うんですよ
大変なって言ってるわけじゃないですかそれをするのはとりあえずそうですよ
だから僕は早起きって表現が一番そこをシンプルに非常に明瞭に表していると思うんですね
起きることに習慣化できない人誰もいないじゃないですか
毎日寝てるずっと寝てる24時間寝続けるっていう方がよっぽど難しいと思うんですよ
子供とかが風邪ひいて寝てなさいって言われてるのに起きちゃうじゃないですか
毎日1回は起きますよね我々は習慣ができてますよね起きるだけなら早起きするから失敗するんですよ
なぜなら早く起きたくはないからですよ
これを習慣化の力によって楽に早起きできるようになりましょうって
つまり早起きは辛いってその人は明らかに言ってるわけだから
僕はもうあんまりビジネス書でこういう話をしてもしょうもないんだなっていうことを気がつき始めたんで
ビジネス書ではこういう話をいちいち書かないかもしれませんけど
言いたいことはこういうことまず
習慣化するということはそれをしたくないんですよ
したくもないことを毎日したいこれすごい不思議じゃないですか
だってこれ言葉に直すとそういうことですよねしたくもないことを毎日したいわけですよ
なぜかそこには本人が築いていない欲望があるからっていうのが
つまりニードがあるからと言いたいわけですね
このニードに突き動かされて我々は
何々を習慣化したいという表現を取っちゃうわけだっていうのが僕が思うところ
泣いてる赤ん坊と同じなんですよ
ただし我々は泣く代わりにそれを無意識化して
無意識はある種の我々の突き動かし方をしてですね
結果として何かを習慣化することによって
そのニードが満たされるという形を多分取ってるんだと言いたいわけですね
それは望ましいことであるとは限らないというか
望ましいことでも何でもないことはいっぱいあるわけです
その中にそういう今のような構造を説明するとてもいい言葉として
ヒステリー概念の削除とその問題点:精神分析的視点
ヒステリーって言葉があったんですよ
あったというか今もあるんだけど削除されちゃったんですね
僕はこれすごい問題が大きいなと思うんですよ
松木さんはそういうすごいストイックで真面目な方なんで
皮肉を書くときもものすごくストイックで真面目な書き方をされて
皮肉なんだかなんだかよくわかんなくなるんだけど
DSMからヒステリーという項目が削除されたというのは
まさにヒステリーなんだみたいなそういうことを書かれてるんですけど
あれは本当にやっぱり精神分析の特に精神分析の世界から見ると
これは良くないでしょうっていうのがあると思うんですよね
DSMからヒステリーを削除してしまうというのは
聞こえが良くないとかはわかるんだけどそんなこと言ったら
聞こえの良い病理表現なんていうものはどうしてもおかしいでしょっていう感じが
身体の病気だってそうじゃないですか
一言で言うと癌みたいに聞こえは良くないでしょう
やっぱりそれに比べればヒステリーの方が全然いいじゃんって気もしないではないんですけれども
白血病とかね聞こえが良いはずないじゃないですか
病気なんだから
例えばですよ自己愛性人格障害なんて聞こえは良くないじゃないですか
別に全然ないしはなんだろうな
私はそうだと思うんですけど分裂消失人格障害かな
少なくともそうであった時代は長くありましたね私はね
全然聞こえはいいと思いませんよね
例え精神分裂病統合失調症と言い換えたからと言って
それだったら聞こえが良くなるのかっていうと
なんかナンセンスな感じがしますけれども
ナルシシスティックパーソナリティディスオーダーですからね
NPDはそういう言葉じゃないですか
聞こえいいってことはあり得ないと思うんですよね
ヒステリーだけは包築してしまうっていうのは
そこにジェンダー平等っていうのがあってそれが大事なのはわかりますが
それによって包括的な概念を形態して分散させるってことが起きてるわけですよね
これ以上簡単に言う言い方が難しい
何て言えばいいんだろうな
筆者自身の経験:アトピーとヒステリー、親の関心を繋ぎ止める欲求
その構造で組み上がっているというふうに見なさなければ
それだというふうに認識するのが難しいことって
世の中にはいっぱいあるじゃないですか
なんで僕はこれにこだわっちゃうかというと
僕は自分のアトピーですね
自分のアトピーがヒステリーだとほぼ間違いないはずだっていうふうに
今では信じているからなんですね
あのアトピーがヒステリーだったんだよって言われると
相当スパッとわかることが
この概念が消滅してしまうと
どうしてもやっぱりベータ要素の凝起みたいなところに行っちゃうんですよね
この表現だと自分で言ってても
なんだか実感としてわからない
あの病気がヒステリーだったならば
パッとわかるんですよ
ヒステリーっていうのは
小麗堂羅とか僕はよく出すんですけど
あんな王でも別に同じだと思うんですが
要するに
なんていうのかな
自分の自由にはならない
病ってやっぱりおかしい
けびょうって要するに何か得があるから
あえてそうするって話じゃないですか
でもなんて言うんですかね
身体の症状はないんだが
身体症状を作り出すことによって
無意識にですね
だから無意識に作り出すって表現がすでにおかしいんだけど
無意識に作り出すことによって
その人が
あるものを失うことによる恐怖を
未練に防ごうとする
欲動の現れなんだと思うんですね
だってドーラってそうじゃないですか
お父さんという
特にあの時代に流行ったヒステリーはそうですよね
要するに夫の愛が失われそうになってしまうということに対して
無意識に恐怖してるんだけど
どうにも自分にはできないから
発生する身体症状の様々だと思うんですよ
あるいはあんな王がそうだったけど
お父さんを失った
私は両親との
幼児的な自己愛的世界を失いつつあった時
簡単に言うと小学校4年とかになって
漢字のテストで満点が
僕ねほぼどんなテストでも満点取れたんだ
漢字ダメだったんですよね
今でもダメですけどね
漢字書けなくてもいいと内心思ってますから
漢字が満点取れないこと
うちの母がめちゃくちゃ言ってくるんですよね
で結局私は両親大好きだったんですよ
どっちも好きだったと思うんですよね
両親が絶対に私のことを大事に思っているんだ
っていうことを確信することができたのは
病院に行く時なんですよ
病院に行く時何でかっていうと
まず父は待つのが全然ダメな人なんです
両親の愛情を得るための無意識の行動と習慣化
あれもどうかと思うんだけど
もう待てないんですよね
本当になんかこう
なんかハラスメントのおじさんになっちゃうんですよね
でもそれは子供心には嬉しいわけですよ
なぜかというと
この待てない人が1時間待って
病院で突き取ってくれるからなんです
で分かってないんですよ私もそんなこと
だからうちの親父恥ずかしいし
嫌だなって思ってるんですよ
意識の表面では
でも無意識ではつまり
そのぐらい会議してるってことなんです
すでに小学校3、4年ですよ
だから完全に無意識では
父がそうしてくれることが嬉しいんですよ
で母も薬塗ったりしてくれる
この手で触れてくれるっていうことが
非常に大きいんですよ
まあもう言ってしまえば
ちんちんだって触ってくれるみたいなね
あるわけですよはっきりあるわけ
はっきりはないんだな
全然意識してない
本当に痒くなってるから
本当にただれてるから
だけどそのただれてるのは
作り出されてるんですよ
このことって結局
完全に理解すると治るんですよね
本当に私の場合はね
完全にこのことを理解したら
治りましたっていうことになります
ただこの場合の治ったも
私の場合はすでに大筋治ってたから
ここも難しいんですよね
あれでたのに治ってたら
おかしいだろって感じかもしるんだけど
大筋治ってたから
私が結局最終段階で
もうほぼこういうことが見えてきていたけど
もう最終段階で
自分のニードってものに気づいたのはですね
温泉に行かなくなった
そして整体にも行かなくなったってことなんです
僕は結局温泉に行ったり
整体に行くことによって
この要するに肌荒れの細さですよね
アトピーの細さを出すのは
未然に防ぎたかったわけですよ
アンビバレントがあるわけ
習慣化のアンビバレントな構造とニードの顕在化
つまり習慣化はさっきも言いましたけど
私がやりたくないことですから
やりたくないことってどういうことかっていうと
要するにアトピーはやりたくないわけですよ
やりたくないんだけど出ちゃうわけ
だからしょうがないから
アトピーを抑え込むために
温泉と整体に絶え間なく行くわけです
めちゃくちゃ行ってましたよ
ある時期なんて
こっからママネの湯っていうですね
ここは清掃団で
湯河原までそう遠くはないんですよ
でも片道45分ぐらい車で飛ばす必要があるんですよ
結構嫌なんですよ
今言ってたら事故ってたんじゃないかと
なんか大型ダンプとか
よくあるじゃないですか
一車線しかないところ
なんちゅうのかなターブを曲がりきれなくて
いかにもありそうなところを通っていくわけですよ
海岸でね
伊豆の方行くから
伊豆は行かない
伊豆まで行かないんだけど
湯河原だからね
あとあの熱海の手前の
熱海の手前どっちだったっけ
ちょっととにかくそっちの方なんですけど
ちょっと危ないですよね
あの辺ね早朝とかに行くには
早朝行かないと
温泉とか毎日行くとなると
いろいろさしさわってきますから
毎日は行ってないけど
週4ぐらい行ってましたからね
完全にこれはアトピーを抑え込む
だからアトピーにはならない状態だが
アトピーにいつでもなれる状態なんですよ
これを温存っていう表現を
松木さんとってたところ
あったような気がするけど
カードを切りたいわけですよ
いざとなったら無意識は
このカードを切ると両親を綱に止められる
というカードをね
でもアトピーは嫌なんですよ
習慣化ってのはアンビバレントなんですよ
起きたいけれども早くは起きたくないわけでしょ
でも早起きをしたいわけじゃないですか
そういう入り組んだ構造を
作ってるわけですよね自分で
私もアトピーにはなりたい
アトピーはとっておきたいんだけど
アトピーになりたくはないわけですよ
そこで温泉という習慣を作り出すわけですね
このことが自分には
今の説明で納得されない人は
納得されないと思うんですけど
それはもうそういう世界を
納得はできないと思ってらっしゃるからなんですね
無意識というもの
ニードというもの
欲動というもの
あるいは心気症というもの
そして結局それを総称して
ヒステリーと僕は呼ぶべきだと思うんですけど
つまり特に主に
肉親との関係における
ある種の人間関係を
身体表現を使うことによって
ある喪失を
未然に防ごうとする
欲動の
現れだと思いますね
私はこれは
習慣化というものにものすごく深く
関わっていると思っているんですよ
ヒステリーという概念がね
使いませんよさすがに
ビジネス書にトレ書くのは絶対ダメだし無理だから
使いませんけれども
こういうことなんですよ
身体に関わる習慣と視覚情報、そして喘息の経験
さっきから言っていることはね
言ってしまえば
だって身体に関わることばっかりじゃないですか
早く起きるだの
筋トレするだの
ジムに行くだの
全て身体に関わっているじゃないですか
語学学習はちょっと違うけど
でも私はあれも
非常にビジュアル的に英語を喋れると
かっこいいみたいなのが
ないはずないと思っているんで
やっぱりこのビジュアルというもの
つまり視覚情報に訴えるということが
この新気象においては非常に重要だと
アトピーというのも
肌の表面に現れるものですからね
あるいは咳込むみたいな
咳込むというのはヒステリーではおなじみなんですよ
私は基幹腺喘息を
持っていることにされていて
されていってなっていて
母は非常にそれを自慢にする
何を自慢にするんだって思われるでしょ
頭のいい子は喘息になるみたいなの
言説を頭から信じ込むんですよ
彼女は割と素朴なんでね
頭のいい子は喘息になるし
私はその子を一生懸命開放して
頭をよく育て上げたんだ
っていうアイデンティティを持ってるわけですよ
だから僕がそれを捨ててしまうと
喘息全くなくて元気で
アホな子になりましたって
母がものすごくがっかりするのは
目に見えてわかるんで
私は喘息というカードを
温存してあったわけですよね
でも中学になってから
ほぼ干さなくなったんですよ
体質改善されたとか
わけわかんないこと言うわけです
体質改善とか一切されてないわけです
いや一切されてないは言い過ぎかもしれないけど
そんなものはないわけですよ別にね
それは妄想の世界です
非常にそういう作装したものが
作装してますよね
構造的にいって言えば構造的に
入り組んで作り上げたものがあるわけだと
僕は思っているわけですね
今の時代これは納得されないと思います
そうじゃなくてスピリンの
スピリンじゃないスピンヘラーで
吸入しなさいみたいに言われると思うし
それはそれで止まるんだけど
それをやると確かに
でもそれはね
なんかステロイドをその上から入れて
止まるというのは
炎症を起こした後の話であって
炎症は私は無意識が起こした
思っているので
だって前触れもなくいきなり来るんですもん
ほこりいっぱい吸うとか
花粉いっぱい吸うとか関係ないんですもん
すぐ季節の変わり目とかになると
季節の変わり目だってしょっちゅうじゃないですか
そこら中に季節の変わり目あるじゃないですか
やれ季節の変わり目だ
気圧が来た
寒冷前線がどうした
気圧がどうしたとかね
そんなものを持ち出せば
もういつでも慣れますよね前足なんて
実際私はいつも前足でしたから
でも違うんですよ
漢字のテストの点が引き取ったっていう方が
漢字テストの点数と親の関心、発作の無意識的機能
確実に壁面に出てたんですよ
後から振り返ればね
私のテストの点がもし低いとすれば
それでも80何点なんだけど
漢字のテストだけだったんで
これは確実に来るんですよね
両親が結局自分から離れると
そんなこと思ってませんよ
漢字のテストが83点だから家から捨てられるのか
思ったことないけど
無意識がそれを恐れるわけですよね
そうすると前足の発作が出ると
そうすると父は仕事を相当やりくりして
坊主の仕事って結構休めませんから
1時間つき添いで
看護婦さんに15分ごとに
まだですかまだですかって言うわけですよ
他の時はめちゃくちゃ穏やかな人だから
めちゃくちゃ目立つわけね
でもあれを見るのが私は実は
無意識ではですよ
好きだったわけですよ
家に帰ってくると母がなんか
よくわかんない
しぽうがと蜂蜜とか
別にそれが僕飲みたいってわけじゃないんだけど
母が作ってくれるっていうのが大事なわけね
で結局そういうことをやることによって
肝心のテストで亀裂の入ったと
僕が勝手に信じ込んでいる親子関係が
修復されていくわけですよ
このように前足が役に立つんだけど
そんなことは全く意識してないですよ
ただこれを今の80でもはや
妊娠が進行している母に対して
私が前足になることに
何の意味があるのかというと
意味は全くないんですが
前足を失うことによって
母を決定的に失うのが怖いから
せめてままねの湯にはいって
いつでもなれる前足を
ままねの湯で抑えているというふうに
僕は思い込んでいて
そういう習慣化を作っていたわけですよ
だからこの習慣の話で言うと
ニードの解明による習慣の消滅と情報環境の整備
ニードを明らかにすることによって
習慣そのものが消滅する
っていうことが起きるわけですね
現に起きたわけですよ
という話を昨日は
日曜だったんでしたわけですね
とにかく
なんて言えばいいのかな
とにかくって言い方はよくないんでね
とにかくでは全くないんで
このような話を
いつもいつも私は
あちらこちらでしなければと
今は思っておりまして
なんなんだろうな
これブログに書くとかの方がいいんですかね
本当はちょっとよくわからないんですよね
今は動画で
例えば最近で言うと
私が割と
よく見ている
戸田悟さんという方のガジェットの
なぜこれをよく見て
そういうガジェットを今どきまた
わたわた探し回ってるかというとですね
やってるこの
静止分析的ビジネスコンサルの
3ヶ月チャレンジですね
いろんな形でこれを拡張していこうと思っているんだけど
それをいかに
自分にとってですけれども
臨場感を豊かに
お伝えして
対面していけるかということを
僕はオンラインでなければ
これは絶対無理だと思っているので
ウェブカメラも買い替えたし
新しいスピーカーも入手したし
あれはつまり
ハウリング絶対しないようにしたかったわけですね
割と高かったんだけど
画面とかも変えたいわけですよ
とにかく
ある種の情報が
自然に入ってくるように
したいわけですね
業種継承というのは
そうなんですよ
業種継承なんだけど
業種継承しちゃうと
これも難しいですよね
集中しちゃうんですよね
今のようなニードみたいなのって
無意識に相手の人も
持ってますから
参加者さんは
私はそれは赤ん坊の頃から
途中言いましたけど
人は決してそれを失うことなく
一生持ち続けるものだと思っているけど
制圧されてますから言語水準によって
分かんないわけですよ
本人も分かってない
私にも分かんない
自然と伝わってくるっていう
ような
知覚情報の
知覚情報の
サポートは
贅沢すぎるってことはないんですよね
もちろん私はお金があんまりない人間なので
常時贅沢すぎる環境は
構築できませんけれども
なるべくそれでもリッチにしておかないと
リッチにすればリッチにするほど
いきなりそれに
気がつくってことが起こる
それはもう分からないんですよね
これを言ってもらったから気がついたとかじゃないんですよ
いきなり気がつくんですよね
無意識ってそういうもんなんですよ
だからリッチにしておくしかないんですよね
情報をリッチにしておいて
もうなんかできないんだけれども
平等に漂う
注意とかね
古いとこ行った言葉ですね
注意が部屋全体に平等に
漂わないだろう注意は
注意ってのは一点に集中するから注意なんですね
注意が平等に漂うのは
おかしいんだけど
でもその通りなんですよ
ドリフトって一体どう思うんだけどね
漂うしかないんですよね
自分のアンテナを細かく
空気中に散りばめておいて
空気中に散りばめておいても
オンラインだから意味はないんですけど
そのアンテナにかかったっていう状態を
たぶん作り出すことによって
何かに気づくことが
できるようになるという考え方なんですよね
でもこれは実感してみると
確かにそうだとしか
言いようがないところが
もちろん話をいっぱい聞いたから分かるってことが
認識の変化と知覚情報の豊かさ:オリバー・サックスの事例
ほとんどなんですけど
でも話をいくら聞いても
そこに何か思い足らないってことも
しょっちゅうで
目の前にあるよくありますよね冗談みたいな
目の前にお前の目の前に帽子あるんだよ
って言うんだけど
気づかなかったわっていうですね
あとオリバーサックスさんっていうのは
それは脳科学の
有名な学者さんなんですけど
妻と帽子を間違えた男っていう
有名な本があるんですけれども
あれは実話なんですよ
妻と帽子を間違えた男
で脳の認識って
認識でしかないんで
ご情報が入ってくれば
この帽子はあなたの奥さんですっていうのが
脳の中で汲み上がっちゃうと思う
そうなるんですよね
この辺のことなんですよね
平等に漂う注意っていうのは
何が何を意味しているのかが
認識の蘇生みたいなものなんですけど
ガチャッと変わった瞬間に
風景が一変しちゃうんで
その風景の
なぜ一変したのかとかの説明は
一切わからないんですよね
なんかナスカの地上絵と
変わらないんですよ
パッと見ると分かる時が来るみたいな
そういう感じなんで
その時のためにやっぱり
知覚情報がリッチになっていればいいという
直接関係があるのか
3年もやったからできるようになったのか
また他の要素なのか
それすらも分からないんだけど
私今やっぱり
マイクもスピンカーも
画面もなるべく
ベタなものに
しているということをやることによって
分かっていることが
増えてきているような気がする
誤解かもしれないけど
精神分析的ビジネスコンサルとタスクシュート協会の展望
そういうことのためにはやっぱり
戸田さんの話が
繋がるわけですよ
戸田さんのYouTubeを見て
いいスピンカーなんですよ
みたいなのを見て
そっかと思って
そういうの見ないと買い替えるというモチベーション
全く持ってなかったから
別に僕の顔がどう映ろうと
そんなことどうでもいいでしょみたいな
人間なんで
音とかも
羽織らないっていうのはすごい大事なんですけども
今これやってるから羽織らないんですけどね
スピーカーを出しながらも羽織らない
でも音が大きくなって
部屋から漏れるのはまずいから
部屋の中で絶対に収まるような
レベルにしておいて
マイクの収音だけ
何の話をしてるんだろう
精神分析的ビジネスコンサルなんですよ
こういう話もしていきたいなと思ってるんですよね
別に
有料にしようとかはあんま思わないんですよ
僕はこの件に関しては
他の人もやりたければ
好きにやったらいいと思うんですよね
やりたくない可能性が高い気はするんですけども
こういうのを出すにあたって
昔だったら絶対ブログに書くだったんですけど
あれなんですかね
今はもうYouTubeとかに
ガンガン出していけばいいのかなっていう
別にそれで収益上げたりとかは
少しも思わないわけですよ
私が何なんだろうな
やりたいというのは
タスクシュート協会をでかくして
タスクシュート協会がでかくなったら
タスクシュートに
私はすごい深く関わっている
多くの人たちが
今はもうだから認定トレーナーさんも
精神分析の知識とAI時代における重要性
今後
すぐにとは言いませんが
じわりと3桁ってなっていくでしょうから
僕はその
自分の仕事の関係者が3桁になる
っていうことって人生で一度も
経験したことが多分ないんですよね
大きな会社に本当の意味で
コミットしたことがないから
自分が関わっている人の数っていつも
なんか何とかが
ここにいる5人の人たちみたいなのが
マックスなんですよ
なんか学校
時代には友達は
そこそこいたんですけど100人とか絶対いない
人間なんで関わりたく
そこまではならないですからね
なかなかね
関わりたくないってわけじゃないんでね
そういう規模のところにコミットできたことがない
っていう方が多分絶対正確だと思う
関わりたいからどうだとか
関わりたくないからどうだとか
そういうことではなかったと思うんですよね
今も参加にしたら10名
じゃないですか大体ね
ここに僕は
コアを置いてますから
こういうことをしたいっていう人が
どうすればできるのか
っていうとそういう話だったら
別にいくらでもYouTube
とかでしたいなっては思いますね
別に無料で
別にそういうことが一番話したい
わけではないので
大体やっぱり松木邦博さんの本の
話とか
最近で言うとね
大阪京都なんとかで
YouTubeずっと出てましたけど
今度イベントの
ゲストの山崎孝明さんがですね
でその山崎さんとの対談が
そのまま本になるんです
そのままなのか知らないけど
速攻注文しちゃいましたけど
そういう話は
YouTubeでYouTubeを
紹介するってどうなんだろうな
とかそういうことやってないじゃないですか
別に普通そういうことは
収益の問題もあるのかもしれないし
いろいろあるのかもしれないですけどね
やってないと思うんですよね
でも別に僕は
そこはなんて言うんだろう
これでこういうことを
興味持ってる人が
3ヶ月チャレンジに何らかの形で
興味持っていただけたらいいなと思っていると
そこまでいかなくても
精神分析というものを
単純知識として
もうほんと単純知識ですよ
もう米東弁は運命を
作りましたの世代ですよ
別に運命好きですとか毎日聞いてますとか
米東弁興味ありますとか知らなくたって
そうじゃなくたって
知ってるじゃないですか
このレベルで精神分析というのは
この話もしたいんですよね
ニードの理解と行動、そして「辛さ」からの解放
AI時代に戸田悟さんもそういう話最近されてるんですよね
ガジェット紹介ばっかりではなくなって
AI結構怖いよねみたいな話
あの人はすごい
頭が現実的な人なんで
AI怖いって言ってるのは
AIがあれですよ
薄積みの果てみたいな
AIが断罪者になるから怖いとか
そういう話はしてるわけじゃなくて
薄積みの果て面白いですよ
そういう話もしたくはあるんですけど
彼が言ってるのはですね
今あるホワイトカラーの仕事の大半は
AIが本当に取って買われてしまう
ではないかとそうすると
だけどみんながみんなぼんやりして
そのまま取られましたってことにはならないから
絶対人って手を打ちますから
社会構造が大幅に変わるよね
大幅に急速に変わるのは怖いよね
っていう意味なんですよ
大幅に急速に変わりますよね
そうでなくても今
儲かるブルーカラーに移るっていう
これやっぱりできる人とできない人って
絶対いると思うんですよ
僕とか絶対できないんで
腕とか折れちゃうんで
たぶんポキッとこうなっちゃうんで
弱々しいんでね
弱々しくはないんだけどね
そういう風に思い込むようになってしまっているんで
今さらできないですしね
どっちにしても
でも全然建築とか建材とか
いわゆる昔で言おうという
ゼネコンのしかも現場の方に
行った方が収益上がるよ
っていう人はいらっしゃるわけですから
当然そっちに動くみたいな
社会構造の変革とか
僕には全然分かんないんだけど
そういう人が流れる
流れが変わるよねっていうのは
なんとなくうちの子とかどうすればいいんだ
って思うんですけど
時々小学生と間違われる高校生なんで
そんなんって大丈夫なのかって感じがするんですけどね
得意なのは小分ですみたいな
ダメじゃんって感じがするんだけど
うちの娘は
私よりも
社会適応能力が高そうな人なんで
そういうのが当てにならないんですけどね
頑張ってねって
ちょっとあれすぎるんで
多分大丈夫でしょうみたいな感じでいるんですけど
そうは言っても
AI時代で
何がどうなるかよくわからないですけれども
中で精神分析は絶対に
知っておいた
みんなこういうこと言うからね
何々は絶対知ってる
特にAIなんかは
僕が全く知らない何とかコードとか
ノートブックエレメント
ノートブックエレメントは全く知らなくはないけど
別にそれほどの深い興味を持っているとは
言い難いこれらのことも
絶対に知っておいた方がいいですね
あちらこちらで言われてますけど
僕は精神分析だと思うんですね
なぜなら我々は
自分のニードを知らないからですよ
そしてニードに突き動かされるからであって
そのニードに突き動かされることによって
例えば何とかという
AIに興味を持つってことは
僕は普通に持ってると思っております
だから
自分がそれを望んでることは
知ってますよもちろんね
クラウドコードで今度はこういうことをしようみたいなのを
望んでるとかは
言語化もできてるし知ってます
だけどなぜそれを望むことになったのかは
多分知らないし
自分一人でそれに気抜くっていうのは
よほどのモチベーションを要する
私みたいにもう毎日ママネの家に行くとか
毎日肌かきまくるとか
めちゃくちゃ辛いんで大変なんで
だから真剣に考えるわけですよ
っていうことを逆に言うと
でもそれっすら今から思うと
あんまり真剣に考えてたとは
言い難いんですよね
そんなことであってもそうなんですよ
まして別にChatGPTにしようか
それともネーミングにしようか
真剣に考えないじゃないですか別にそこまで
真剣に考えてるつもりになってるときだって
外して真剣には考えてないんですね
で辛くならなければ
それを望むのは
なぜだろうなんて思いませんから
だってそうですよね
我々は辛くもないのに
あの
例えば上手くいってる恋愛関係にある人と
今度あそこにデートに行こうみたいな時になって
なぜ俺はここにデートに行きたいんだろう
なんて思わないじゃないですか
思うのは辛い時ですよね
そういう相手が本当はいないとかね
僕の場合しょっちゅうでしたから
そういう時になぜ自分は
こんなに辛い思いをしてまで
あの彼女を作ろうとするんだろうね
みたいなそういうことを考える
それですら真剣には考えないんですよ
むしろやっぱり彼女を作っちゃおう
みたいに行動に走るわけです
行動でニードを満たそうとする
で上手くいく場合は
何も考えなくなります
上手くいかなくなって初めて
自分の本当の欲望というものが一体
何を自分にさせようとしているんだろう
ってことを考え始めて
とんでもないことが出て
とんでもないのも変ですけどね
親の関心をつなぎ止めるために
自分をあれほど深刻な病気に
危うく非関心漸速で
飲んだ薬のおかげで
僕死にかけたことが2度ありますから
人類が明らかにした構造の継承と精神分析の価値
心臓止まりそうになってですね
調べていただくと分かるんですけどね
で
そういうことをやってしまう
ニードっていうものの
そのなんていうんですかね
に関する知識っていうのは
やっぱりひっせりという言葉を
この世から消しちゃうのはそれはそれで
構わないかもしれないんですけど
どういう構造についてかつて
一度は人類は明らかにしたんですよ
っていうことですよ
僕が思うのは
人類はそれを一度明らかにしたにもかかわらず
何らかの理由によって
それを捨て去ろうとしているところもあるんですよ
っていうことはやっぱり
知ってていいことだと思うんですよね
はい