1. グッドモーニングボイス
  2. 意識から過去と未来を締め出す..
タスクシュートの話をしています。
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
2月13日火曜日の7時38分です。
相変わらずグッド寒いですが、
今日あたりから一気に気温が上がるようで、たぶん春一番とかが来るんでしょうね。
この辺では、河津桜という桜がわりとあちらこちらにあって、
見ごろを迎えつつあります。
静かにうちの庭にもあるんだけど、あんまりちゃんと咲いてくれないんですよ。
まあまあ少しは咲いてるって感じなんですけどね。
桜が咲くっていうのはもう少し後ですけど、一足先に咲くんですよね、この河津桜ってやつが。
これが咲くと、なんか春が来た感が少しあります。
珍しくこういう季節メーター、そうでもないか。
それなりにこういう話をすることもありますかね。
3月の2日に出版記念パーティーをですね。
とうとう今月の24日に出版となる先送りゼロの記念パーティーですね。
これを2日土曜日、夜7時から渋谷でやります。
たぶんJさんがすでに箱を押さえてくれておりまして、会場ですね。
100名ぐらい入るんじゃないかという。
これは人数が足りなくなると結構やばいことになるんじゃないかという気が。
彼はそこのところは何とかしてくれる気もしますけれども、
とりあえず私も協力者なんでね、ここでも告知させていただこうと。
たぶんなんですけれども、これを聞いている方で来られるっていう方はすでに来るよっていう感じになられているんじゃないかと。
勝手に期待してしまっているんですけど。
フォトキャストって結構やっぱり遠隔で聞かれているという方がすごく多くて、
一番派手しいのがですね、United Statesとか書いてあるわけですよ。
これのパーセンテージがじわじわって上がってきていて、大変ありがたいんですけれども、
つまり日本じゃないという、もはやね。
日本じゃない国が結構参見されていて、今そういう時代なんだなと思うとともにですね、
大変不思議な気持ちにもなります。
ラジオとかやってるわけじゃないですからね。
これインターネットラジオといえばそういうことになるんですけれども。
はい、まあそういうことでですね。
出版記念パーティーもやりますんで、よろしければぜひお願いします。
で、今日はネタはあまりなくてですね。
あ、そうだ。
今日はでもね、タスクシュートの話を久しぶりにきちんと。
きちんとっていうのも変なんですよね。
きちんとは僕は話せない気がするんで。
03:00
久しぶりにではないかもしれませんけど、中間報告的に。
常に自分がどういう状態かを僕は中間報告的にしゃべればいいんだろうと思うので、
そんなふうに考えてしゃべっていきたいんですけれども。
今私はタスクシュートをですね、巻き残りノートにも書いたんだけれども。
しか使わないようにもうはっきり決めていて。
しかもですね、タスクについて言うとほぼデイリールーチンだけを回しているんですね。
かつて既に入れてあるゴミの日のルーチンとか、
週に1回書くことになっているSH、スピードハク研究会というところのメールバーガーに相当する部分なんですけどね。
そこのリード文を書くというのは月1でやっているんで、
これは月1というか週1回月曜日ってことですが、
これを入れてあるんだけど、
ほかはもうほとんどルーチンもデイリーなわけですよ。
非常にざっくりという感じなんですよね。
デイリーのルーチンが圧倒的であるルーチンとしてはですね。
そしてその順番もはっきり言ってぐちゃぐちゃであると。
3時間おきにセクションが適当に区切ってあり、そこに適当に入っていると。
なんなら順番は相当入れ替えなきゃならないんだけど、
事前に順番の入れ替えというのも放置に近い状態ですね。
だからモーニングルーチンと言われているものも一切私の中には概念としてはなくて、
それをやっていくと朝食の準備とお弁当の準備と娘を送るのは間に合うから、
だいたいそれを見た感じでやっていき、土日はそれは全部削除という形なわけです。
1日分以外は本当に全く何も見ていないわけですね。
1日分のタスクが朝、勝手に作られるやつを使ってざっくりとやると。
記録は整然として残っていくわけですよ。
後ほど述べますけれども、特に見返しているわけでもないですしね。
やっていることはただデイリールーチンがある。
それをチラ見しながら適当にやる。
終わったやつは整然と並んでいるらしいというところなわけです。
開始終了ボタンは押しますね。
押すというかタップするんだけど、
タップするのと押すのって感覚的にだいぶ違うんで、
僕はタップっていい感じだなと思っているんですよ。
タップして始めて終わったらタップすると。
このグッドモーニングボイスなんか本当にいい感じでしてね。
1時50分じゃないですか。
06:00
やる前にタップして終わったらタップすると。
あ、50分ね、長いね、みたいな感じで終わるわけですね。
これだけなんですよ。
別にこのやり方を推奨するというわけではないし、
Jさんも大橋さんも、J松崎さんも大橋哲夫さんも、
使い方違うと思うんだけど、
それはそれでいいんですよ、僕の感じでは。
先日タスクシュートジャーニーでご一緒した井上新八さんなんかは、
僕よりきちんとしたルーチを持ってるけど、
リストは一切持ってないんですよ。
僕はあれを習慣と言うんだと思うんですね。
習慣かじゃなくてね。
あれを習慣と言うんだと思う。
習慣というのはそういうもんだと思うんですよ。
何も見ない、特に意識もしない、でもそうなっている。
かなり複雑な行動の連鎖だとしてもそうなっている。
僕はやめられなくなる小さな習慣。
あれタイトルがね、なんか違う。
頭は必要だと思うんですよね。
小さな習慣あれでいいと思うんだけど、
やめられなくなるっていうのはちょっと、
違う風にしたらよかったと思うんだけど、
今更そんなこと言ってもしょうがないですけどね。
冒頭ネズミだったのもなぁ、
学術的な気配もないのに、
あそこにネズミ出てきてよかったかっていうのは、
今思うとちょっと考えさせられるところなんですけどね。
あれ出した当時は全然変だと思ってないんですけどね。
ネズミがレバーを倒すチーズを食べるは
小さい習慣じゃないですもんね、あんまりね。
ネズミは小さいですけどね。
あの本に書いたのは連鎖ってことで、
もっと連鎖のことをさらに徹底的に書いても
面白かったかな、面白さという意味では売れたかな
という風には思わないんだけど、
面白かったかなとは思うんですよね。
連鎖って感じがちょっとありますね。
私はその連鎖っていうのもことさらに意識してるわけではないんですけどね。
そうなるよねっていうのはありますよ、もちろんね。
黙っててもそうなりますよっていうのはあります。
それで、この話はまた別なんですよね。
そうは言っても、井上審査士さんはそうやってる。
でもタスクシュートは使ってない。
私がしてるのはタスクシュートの話であって、
習慣化の話ではないんですよ。
むしろ僕は習慣というものに対して、
習慣というものはあるんだけど、
ことさら挑戦的なところはあるんですよね。
習慣に関しては今は。
壊していくと。
常に壊していくみたいなところはあります。
これは私タスクシュート的でないとは思わないんですよね。
見てやってるわけだから。
井上さんがおっしゃったように、
見てやるようなことは習慣じゃないっていう風に
もっとマイルドにおっしゃってましたけど、
それはそうだと思うんですよね。
僕は見てやってる。
だからこれは習慣じゃないっていう風に
思ってるところがあるわけです。
少なくとも丸々習慣ではないつもりでやってるんですね。
なるべく習慣的にやらないようにしようっていうのがあります。
でもこれは協会的にはタスクシュートで
習慣化しましょうっていうのが一方にあるからね。
私の立場っていうか、
09:01
私の路線っていうのはすこぶる特殊路線だと思っていただければいいんですよね。
あるじゃないですか。
そういう共産党にもなんとか路線みたいなね。
メインの主流派の路線とは、
今の自民党とかにもありますよね。
主流派の路線とは少し少し違う人も混じってるわけですよね。
それは共産党みたいに言う純度の高い党でもそうなんだから、
あるわけですよ。
ましてこのタスクシュート協会は多分もっと遥かに緩い集団なんで、
あるわけですよ。
僕の路線はすごい独自路線感があると思いますね。
独自路線なわけですね。
なんなら私一人しかいないかもしれないんだけど、
多分こういう人もいるんですよ、中にはね。
緩くやってるとかストイックにやるとかいう話ともまた違うと僕は思うんですね。
僕はただ人の必要性に応じて、
必要に応じてだね、1日分しか見ない。
で、以降のことは一切見ない。
で、見る必要を感じないというか、必要がないということですね。
で、例えば本書くのはどうするんですかって、
これもですね、今回ご一緒させていただきそうな、まだ分かんないんだけどね、
大和書房の編集さんにどうやってるんだっていうのを結構詰められるんですけど、
どうやってるもこうやってるもないんですよね。
つまらない話になるんですよ、はっきり言って。
つまり、リピート、デイリーリピートにしてるわけですよ。
これはでも本当にデイリーで書いてますよね、私は代わりに。
本書くとなったらですけどね、デイリーリピートにして原稿を書くと。
で、見通しは一切持たないんで本当に。
ただ100日もらえれば何とかして見せますよとは言いますけどね。
100日いただければ何とかして見せますと。
代わりに僕は絶対書きますから本当にね。
コロナで熱出たって書きますからね。
返事弱は書きますね。
で、ここはストイシズムなのかと言われると、そうではないんですよね。
そうでないことだけは間違いないですね。
私の中にストイシズムって全くないとは言わないけど、ほとんど全くないです。
これで物ができるっていうのは信じられないんですよ、私は。
ストイックにやれば物ができるってのを心の中で信じてない。
しかも全く信じてないんですよ。
ストイックにやれば物ができる人がいるってのはテレビとかで見て知ってるんだけど、
僕はあれが信じられないんですよね。
リアリティを感じない。
なんかこうなんつーのかなぁ、光景としてはこういう感じなんですよね。
大谷翔平さん先日やってたよね。
朝寒い日ね、暗いうちから起き出して、腰にタイヤをくくりつけて、タイヤを引っ張って走るわけですよ。
でも僕はあれで自分があれを仮にやったとして野球うまくなるっていうイメージがわからないですよ。
12:00
タイヤが引けるようになるだけだと。
本当に。
動かしてもね、あれで野球がうまくなるっていうのが僕には、
つまりそれによって根性がついてどうのこうのってところが、もう一つしっくりこないんですよね。
根性はつくと思うんだけど、野球はうまくならない気がするんですよ。
だから僕はストレンシズムっていうもので本が書けるっていうのが理解に苦しいんですよね。
多分私は、どうしてもとなったらやれるんですよ。
タイヤを引っ張る方法。
でもタイヤ引っ張って終わっちゃうと思うんですよね。
本は作れないと思うんですよ、そんなことでは。
それは本を作るのがタイヤ引っ張るより大変だとかそういう話じゃなくて、
あまりにも関係ない気がするっていうだけなんですね。
あまりにも関係ないような気がする。
そういう根性と本を書く力の間の相関関係がゼロとは言わないんだけれども、
とても小さい感じがします。
それだったらポメラ買った方がマシだって思うんですよね、本当に。
ポメラ買った方がまだ書ける可能性がはるかに飛躍的に高くなる。
それだって僕は全然高くないと思うんですよ。
ポメラなんて持ってますけど使っちゃいませんから。
ポメラを使う理由がないなって感じがするんですよ。
だからストイシズムではないと思う。
僕よりストイックな人はいっぱいいますし、それで成果出す人もいっぱいいるんだけど、
私はストイシズムでは何の成果も出せなかった人間なんで、
ストイシズムじゃないなって思うんですよね、毎日やるってこと。
習慣はあります。
これは毎日やってるとやりやすくはなります。
うまくもなるんですよ、確実になると。
私は思いますね、やっぱりね。
先日マリオオデッセイというやつを妻と娘が盛んにやれやれ言うからやって、
ミニカーレース、下手なんだけど私は。
下手なんで3週で26秒切るっていうのが目標なんですよ。
最初なんかはひどくてほとんど逆走に次ぐ逆走で、終わって5分くらいだったんですよね。
5分ですからね。
26秒切らなきゃいけないところ5分っていうのはほとんど何もゲームになってないですけど、
その日のうちに繰り返しずっとやってるうちに1分は切れるようになったんですよ。
つまり習慣化っていうのはスキルアップにつながるんだけど、これなんですよね。
つい先日26秒を見事に切れたわけです。
25秒78が出たわけですよ。
これは習慣化の賜物というか、繰り返しやるってことはこういうことですよ。
ただですね、私はもうタッチタイプも今より早くはならないだろうなと思うんですよね。
早く練習すればなりますよ。
先日ツイッターでケンスーさんというすごいツイッターでものすごいサービスされていて、
一体この人どうなってんだろうって思うぐらい、それこそ僕には彼のような人は大変ストイックに見える。
本人は否定されると思うんだけど、ストイックに見えるんですよ。
ケンスーさんというのはですね、アイコンが口をとんがらかせてロケットに乗っかってるようなアイコンで、
15:05
それは昔見たアイコンで、今は知りませんけどね。
あの方がタッチタイプは絶対タッチミスしないように練習するんだっていう。
最初は遅くてもいいからそういう風に練習する方がいいよっていうアドバイスしてて、正しいって思ったんですよ。
正しいって思ったんだけど僕はしないんですよ。
全然タッチミスするんですよ。ものすごい僕はします。
右の小指で鍵カッコの上、最初に開く方の鍵カッコね、打つやつあるじゃん。
あれ必ず手元見ますからね。
練習すればいいんですよ。それは分かってるんだけどしないんですよ、私は。
なぜなら早くなりたいと思ってないから。
そういうことをだいぶ前に気づいた。これはもう数年前ですね。
7、8年前に気づいた。つまり7、8年前からこれやっていて進歩が全くないわけですね。
早く打ちたいと思わないんですよ。なぜならば1日1000字打つのに速さはいらないんですよ。
1日1500字だとしても速さはいらないですね。
わかりますよ、ケンスーさんのおっしゃってることは。
そういうミスがやりたくなくさせるんだというのは分かるんですよ。
あるいはそういうミスがなければ早くなる以上の効果があるんだと。
親指シフトって僕何度も勧められたんだけど、一体かけらほども興味を示したことがないんですよ。
どうしてもこの人熱心だなっていう人のとき、いやもうやりますって言いますけど言ってるだけなんです。
やるはずがないんですよね、私が親指シフトっていうのは。
多分死んでもやらないだろうなって思います。
なぜならば早くなりたいとか思考の速度でとか、僕興味が全くないからなんですね、実はね。
早くとか思考とセットでっていう意味であれば、手で書くほうが早いし思考とセットな感じがします。
だから手で文字書くっていうのにこだわるっていう方の気持ちは分かるんだけど、僕は決してやらないと思いますね。
なぜならそうしたいという気持ちが僕の中にないからなんですね。
その方がいいとか正しいとかは分かるんですよ、分かる気がします。
そうした方が例えばひらめくとか、いい文章が書けるかもしれないとか、一切ある、分かるんですね。
ただ私はそうはしない。
その辺ね、頑固だと言われればそういうことになるんでしょうね。
なんつーんだろうな、厳格義の程度、厳格義みたいなもんだと言われても多分そうだと思いますね。
そこは別になんだろうな、そうじゃないとは思わないんだけど、
ただなんとなく、このなんとなくが結構大事で、昨日言ったんですけどね、なんとなくしないんですよ。
そして私はしないことは結局しないんですよ。
これね、他人から見ると面白いと思うんですよね。
他人から、面白くはないかもしれない。
18:01
他人から見ると不快だと思うんですよ。
でもね、不登校の子の気持ちって僕はよく分かる気がするんですよね。
あのかわいいはやおさんがね、この話、非常にいい話だと僕は思っていて、
これあらゆる人が聞いてもいいぐらいに思うんだけど、
うちの子はね、1キロ先の学校に行かせることもできない。
でも先生、今は、この話何度もしましたね。
月をロケットに飛ばせる時代だと。
30万キロ離れたところにね、ロケットを、しかもボタン一つで、
ボタン一つでっていうのは比喩で嘘なんですけどね。
飛ばせるのに、なんでうちの子は1キロ先の学校に行かせることも人間にはできないんですか。
つまりそれはカウンセラーとかの怠慢なんじゃないかと。
人類の知恵を結集すれば、月にだってものを行かせられるのに、
1キロ先に自分の子供を行かせられないってのは何なんだって話。
まあ親がそれを言うのもどうかと思うんだけどね。
そうなんですよ。
人をですね、ある種のことをさせるってのは、
異変難しいことなんですよ。
で、川上さんは、そうですね、本当ですね。
でもね、お子さんは生きてるんですよっていう話をしたわけですね。
で、ロケットは生きてないんだよってことなんだよっていう話なんですよね、これは。
やっぱりそうだと思うんですよね。
生きてるってことは、ままならないってことなんですよ。
で、生きてるのに、まあ簡単にできると思うんですよ。
タッチタイプの練習とかね、いい万年筆で書くとか。
で、大事なことかもしれないんですよ、それはそれで。
僕万年筆で字を書いたことは、実はほぼないんですけどね。
まともに書ける感じが全くしないし、書きたいという気持ちもこれも全くわかないですよ。
で、あのかなり高いものを、これ熱心な人っていらっしゃるんですね、やっぱりね。
持たせてくれて、ほら、違うでしょ。
わかるんですよ、違うのは。
これが高いだろうなというのもわかるんですよ。
でももうその人と別れてしまうと、万年筆の真の字も頭の中に出てこないのが私なんですよね。
そういうタイプの人間じゃないんだなっていうふうに思うんですよね。
で、まあ万年筆に金かけるんなら、道学全部ファン座にかけたいなって思っちゃうのが私なんですよ。
しょうがないんですよね、これはね、もう本当に。
いいとか悪いとかをいくら言われてもダメだろうなという。
いいことがわかったってダメなんだから。
しかもわかってないと思うんですよね、結局ね。
しょうがない人間だなって、これが一番僕の中でしっくりくるんですよね。
ある種の人になろうという気が最初からないな、自分にはと。
昔ですね、就職氷河期直前に私、全くしなかったんですよ、就職活動。
これもね、だんだん褒められるところはないと思うんですよね。
で、私のことを心配してくれる人が少なく見積もっても50人くらいはいて、みんなどこかでいいから就職しろって言ってくれたんですよ。
で、しかも誰かがね、何かでね、僕も全くこれもあってないと思うんだけど、
あっせんしてくれたんですよね、かなりいい企業でした。
21:01
もう企業名出しませんけどね。
なんでそんなのを私にしてくれるんだろうって本当に思いました。
あっさり蹴っちゃいましたからね。
あれで死んでてもおかしくないですからね、僕はね。
死んでるっていうかホームレスとかになっちゃうとかもおかしくないと相当舐めたことやってると思うんだけど、
そうなんですよ、自分は。
ちゃんと生きていこうという気が多分ないんじゃないかなって思います。
だからこういう人間に親指シフトは無理なんですよね。
本当に無理なんですよ。
何かちゃんとやり抜いたってことがほぼないです。
大学は出たね、一応ね。
中学高校も出たね。無理無理だったけど出ましたね。
赤点3つあると落ちるんで2つだったんですよね。
3から下が赤点で3が2つあるんだけど、あとはだいたい4と5でまとめるっていう。
僕はそういう人間なんだと思うんですよね。
しょうがないと思ってるんですよ。
大学もほとんど学校行かなかったですしね。
気に入った先生がいたからその先生の研究室にずっと入り浸ってたけど、
その先生のところに入り浸ってたために落とした授業っていっぱいありますからね。
何か言ってくれよっていうか言っても無駄だから言わなかったんですね、彼はね。
彼は私のことが実によく分かってたんだろうなって思いますね。
何の話をしてたんだか全く分からなくなりましたが、
タスクシュートの話をしていた気がします。
私はタスクシュートを今言ったようにストイシズムで使ってるわけでは全くなくて、
習慣化するために何かを使っている気もさらさらないんです。
そういうことではないということですね。
だからいつかやりたいことってあるじゃないですか。
これがマスタータスクリストというものを生み出すらしいんですけどね。
つまり自分がやりたいと思ったことを忘れたくないから、
Evernoteとか今ならNotionとかにリストアートしておいて、
そこから今日の文をお寿司みたいに見つくろってくるんですよ、あれはきっと。
私はそれをしたくないんですよね。
今日やりたいことが今日にしか思いつかないのに、
1週間前に思いついた、いつかやりたいことリストの中から選びたいという気持ちが、
どうしても理解できないんですよ。
だからそれはしないんですね。
もう一つ問題があるのは、この先を全く見ないというのが、
もし問題があるとすると一つはですね、
いつかやりたいことじゃなくて、いつかやらなきゃならないこと。
例えば確定申告とかがまさにそうですよ。
私もあれはね、さすがに嫌だからやらないってわけにはいかないと思っております。
なので、あれは無理だなと思います。
あれはやっぱこうかっていうのは相当、
僕のような人間、なめた人間もある程度は許容してくれるけど、
ここから先は男子で許さないよっていうラインがあって、
の一つにあれがある感じが僕はやっぱしますね。
あれはですね、一時逃れようとして、
それ以来逃れようという気が起こらなくなりました。
なめてたんで僕は結構ね。
24:01
逃れられるんじゃないかぐらいに思ってたんだけど、
逃れられないんだなということを思い知ったことがあるんですよ。
で、以来ちゃんとやるようになったんですけど、
これはいつかやらねばならないことですね。
で、このようなものを私は、
なぜマスタータスクリストとかに置いちゃうのかっていうふうに思います。
これは私は男児で、もしいつかやりたいんじゃなくて、
いつかやらなきゃならないことが絶対確実。
確定申告とか、一歩間違うとこの
出逃帝王みたいな話になった場合、
これはタスクシュートに置くべきです。間違いなくそうだと。
そして、なんなら明日とか明後日に置くべきです。
この辺の日にやったらいいなと思って、
30日後とか60日後に置くとかやらない。
そんなことをしてもいいけれども、
私はそんなことをしたんでは自分はやらなくなることがわかってるんで、
翌日に置きます。翌日だったらね、
翌日にやってもいいんですよ。いつかやらなきゃいけないんだから。
だから、そういうタイミングを逃さずに
確実にやるってことです。これはストイシズムとかではなくて、
逃れられない義務です。
そういうものが人生には1個や2個あるんですよ。
どうがないんです、これは。そういうのが一切ない方がいいっていう考え方もあると思うんだけど、
僕はそこまで理想主義的じゃないってことですね。
そこは現実的に行きます。
1個や2個なんだからやるしかないだろうぐらいな感じ。
こういうのもあります。確定申告はその1つですね。
話がようやく見えてきたんだけど、
つまりリピートタスクに設定しておくだけなんですよ、
現行は。
毎日書く以上なわけです。
そこに会社名書いておきます。
DAIWAさんならDAIWA商房って書く。
だからタスク名はDAIWA商房なんですよ。
毎日絶対書く。これだけなんですよね。
これでいいと思うんですよ。
なんでこれ以上のことがいるのかが私にはわからないですよね。
どうしてもここがわからないという人は質問していただければいいんだけど、
面白い答えは返ってこないですよ。
僕はただ書いていくんで、前から。
1章の1から2、3、4と進んでいくわけですよ。
1日1節ずつ進められるわけじゃないですよ。
ただ1,000字ずつ書いていき、
1節が改まったなと思ったら2に進み、
3に進み、4に進む。
前は一切見ないということです。
そこを書いているところだけを見る。
これはですね、これも倉園圭三さんの影響ですよ、完全に。
書き上げ塾で彼がそう言ったから、
あ、それでいいんだと思ったんですよ。
それまではそれではダメなんじゃないだろうかという、
若干一抹の不安を抱きながらこれをやってたんですよ。
一抹の不安がですね、
例例子アウトラインを作り出すということだけはしてたんですね。
7章の7まで。7章かける7で49、
プラス後書きと始め2を書くと51になりますね。
4ページかけると204に
いろいろふたして208っていうのが
私の計算だったんですよ。
そういうことはできるんですよ、私は。
27:02
やろうと思えば全部4ページずつ書くとかね。
そうすることに何か良さがあるかというとないんだけど、
そうしろとただ言われれば、
そうするってことだけはできるってことですよ、これは。
7章だての7節だてね。
で、ミッシーにするんでしょ。
で、それはできるんですよ。
ただ、これのアウトラインを作るというのは
私のモチベーションの限界なんですね。
このアウトラインに沿って書くというのはもう私は、
やってるふりはする。
でも実際にはやってないんですね、そんなことは。
前から書いていってるんです。
あまたまそれではなくては納得してくれてたから今まで
本が出せてたわけですよ。
決して僕はこの前の方を参照しながら書くってことを
やったことはないんですね。
その形で埋めていけば本になったような本があったというのは確かです。
ライフハックってのは前後の繋がらなくても
必ずしも繋がらなくても書けるっていうのがあるんで。
私の多分これを完璧に見抜いた人の一人が
50の方法の編集さんなんですよ。
あ、こいつ繋げて書く気ないなっていうのが分かって
彼は50を分断したんですね。
そして繋がっちゃってるものもあるわけですよ、
そういう書き方してるから。
だったらこの3つは繋いでるっていう不定をして
あの編集さんは超有能だったんですね。
ただし大幅に書き直されました。
もう私に書き直せと言っても彼は
当時の私だから無駄だと思ったんですよね。
彼が大幅に書き直しました。
だからあれは読みやすい。
つまり私が書くとあまり読みやすくならないということですね。
非常に考えさせられる出来事で
あれ以来私はちょっと路線変えたんですよね。
読みやすくするというのを優先するという風に。
あれ以来すごく考えるようになりました。
毎度毎度やってもらうわけにはいかないですからね。
全ての編集さんあれやってくれるわけでもないですし。
またやるべきかどうかもまたちょっと違うんですよね。
編集さんと著者はちょっと役割違うと思うので
あれぐらい膨大にリライトしちゃうと
誰が書いたんだかよく分からないという。
あの編集さんは優秀ですよ。
そう思いますね。
だからデイリーリピートなわけです。
そしてとにかく
その書いているところだけを見ます。
そして意識も全部書いているところだけに意識があって
そこから先の話は
書くときになれば分かる。
ただ書いてしまえば読み直すのでこれは
全貌というものが少し意識の中に浮かび上がってはきますけど
それは聞き止めておくとか
アウトラインを作るということはしないですね。
どっちにしてもそれは邪魔にしかならない気がするんですよね。
書いたものを
結局これはもう物書きだからというのか
30:01
本を書いているときに思うことですけど
本というのはテキストがなければ意味がないんですね。
いくらテキストになるであろう
骨格とかフレームワークとか
いいアイディアというものを出してきても
私は本というのは
著者の書いたテキストがなければ成立はしないと思うんです。
これは著者が一番大事だよと言っているわけではないつもりなんですよ。
ブックデザイナーさんも
出版社という機構も
全部ないと本はできないんだけど
とはいえ中にあるのが
アイディアとリストではダメだと思うんですよ。
そこはテキストでなければいけないと思うんです。
だからテキストは私の責任なので
テキストを作るということに
全部の力を注ぎたいわけですね。
アウトラインがテキストを作るのに役立つという人であれば
それはいいんですよ。
これは万年筆でもポメラでも全部僕にとっては同じなんです。
それらのものは僕にはほとんど意味をなさないんですね。
大きいタイヤを引っ張るのと変わらないんですよ。
まず根性をつけてからテキストを書こうって言うんだったら
根性をつける前にテキストを書こうっていうふうに
私は思っちゃう人間なんで
テキストを作るのには万年筆もボールペンも
紙もアウトライナーもポメラも親指シフトも
いらないんですよ。
なくても作れるんです。
なくて作れるものはなくていいと私は思うんですよね。
だから私は外では基本原稿は書かないんですね。
家でMacの前で
というかMacを使ってそこで書きます。
それだけです。
それだけで毎日千字は書ける。
日によっては700字とかになるかもしれないけれども
それはそれで構わないと思うんですよね。
毎日書いていれば千字で50日で5万字いくんですよ。
ここまでいってそれがちゃんとしたものであるならば
あとはなんとかなるんですよ。
あとは残りの日数でなんとかできるんですよね。
残りの文は僕はなんとかなるような気がします。
日によってはもう少し書きますしね。
千字千字千字っていうわけでは別にないんで。
字数の問題でも本当はないんでですね。
実は字数カウントもほとんどしなくなってしまったので
なんとなくでいくようにしているんですよね。
このなんとなくってのは本当に最近
大事なキーワードになっています。
自分の中でね。
先日の井上しんぱちさんのお話が
割と決め手になってなんとなくだなと。
彼はなんとなく納豆を毎日食べたいんだけど
私は納豆は毎日は絶対食べたいと思いませんけどね。
なんとなくそれこそ食べたい日は食べますけど。
好きですけどね。毎日食べるとなると
毎日食べたいかなみたいな感じのものですが
とにかくなんとなくなんですね。
33:01
これが私のタスクシュートだと思っています。
毎日やるのはタスクシュートなんですよ。
タスクシュートだけは毎日やっている。
確かにやっている。
これに原稿が入ってきたら毎日書かないと
間に合わなくなる気がするんですよね。
毎日なぜ書くんですかと言われると
そうしないと間に合わないという感じがします。
少しずつとかではないです。
少しとかたくさんとかは関係ないんですよ。
それは結構いろいろと使うものがあるから
少しになっちゃうんだけど
別に少しずつやろうとか思っているわけではないんですよ。
書けるときは一気に書くこともあります。
8センチぐらい一気にいくこともあるんですよ。
ただ毎日そんなことはとてもできないんで
毎日書く必要を感じるので
毎日書くと。
これ全部同じなんですよね。
私は毎日することは全部同じなんですよ。
トイレも食事もお風呂も寝るの。
いつも言っている通りです。毎日するんで。
原稿とお風呂は全然違うけど
同じところがあるんですよ。価値が等しい。
毎日やる。
私はこれを習慣化はしたくない。
楽になるからそういう風にしたいという風にはしたくない。
お風呂入るのもそうなんだけど
なんと言うんですかね。これが
ぎょうぎょうしくならないように
全然ぎょうぎょうしくなってないからね。
なんとか堂みたいにもならない
お風呂堂みたいなのが僕の中にあるわけじゃないんで
普通にやるんですよ。
何にも特別なことはなく
普通に毎日。これが毎日できるということは
すごいことなんですよ。毎日お風呂入れるって
すごいことですよ。原始時代とか考えれば
よくわかることなんですよ。
人間はそうやって数万年生きてきてますからね。
毎日お風呂に入れるようになったのは庶民が
という意味で言うと100年もないんじゃないかという気がします。
すごいことなんですよ。毎日原稿書けるというのは
すごいことなんですよ。この凄さの片鱗を意識できれば
ぎょうぎょうしくなったっていいぐらいなんですよ。
でもこれが普通であるということの
意義深さみたいなのかな。
これを僕はタスクシュートで
その瞬間ごとに認識し直しているっていう感じがするんですよね。
毎日やっているなと。
ここにあるのは毎日当然できるようなことではないなと。
もしあれがね
私がただ眺めるだけで
寄付とかはすることはありますけど
ノトハントとかを見て意味があるとすると
これしかないなって思うんですよね。
これが毎日普通にできるってすごいことなんだなっていうのを
自分なりに確認するという作業を
怠らないようにするぐらいかな。
それぐらいしかやれることがないような気がするんですよね。
36:02
毎日いくら見ていても
なんかこう大変だなみたいな
感覚を沸かせること以外のことが
特にできているわけじゃない。
寄付するとかしかできることがない。
だからあとは
自分が毎日できている普通のことは
すごいことだなって思えるっていう
そのためにあれを眺めて
目に入ってくるのかなみたいな感じがしますね。
それが私はタスクシュートだと思っています。
だから掴め以降のものはなく
以前のものをまず見ないし
毎日見る。でも毎日見る。
これが大事なんだと思いますよね。
その日のリストはその日にしか絶対見ない。
原則ね、原則。さっきも言いましたが
5日前に何食べたのっていう風に
お弁当どうしたのとか妻に聞かれたりするので
そういう時は大変便利です。
他に方法ないですからね、まずね。
そういう利便性はすごいんだけど
しかしその日にしか見ないっていうのが
最近はすごく大事な気がするんですよね。
今ここまではいけてないけど
今日この日にはいけてる気がするんですよ。
私の意識の99%までは1日分に
収まっているようになっている気がするんですね。
すっごくそれはですね
精神的にも身体的にすらですね
ものすごく有意義な感じがするんですよ。
有意義ってのはおかしい。
健康にでもいいみたいな感じ。
なんかこう生きていてこんなに快適なことはあんまりなかったなと。
だから私はもともとそうしてたんだけど
これをグッドワイブスという考え方と
いくらか精神分析の力を借りて
ばっくりとこれでいいんだっていう風にしたんですよね。
そして1日分しか見ないっていう風に
確立できたんですよ。
確立できたんですよ。
そのうちに1日分しか意識しないっていう確立できたんですよ。
だから昨日以前にあった嫌なこととか
僕の中ではリアリティを持たなくなったんですね。
ほんと全くないんですよ。
記憶がないわけじゃないんだけどリアリティがないんですよ。
明日以降に起こりそうなことという不安みたいなものも
一切消滅したんですよ。頭の中が。
全くないとまでは言い切れないかもしれないけど
さっきも言いましたがリアリティがない。
そういうことが起きそうだという気がしない。
言われるかもしれないですよ。
いやいやひどいことが起きるんだよ。お前のその生き方は馬鹿なんだよ
って言われるかもしれないけど
それはさっきの万年石とかポメラとか親指シフトと同じなんですよ。
ちゃんと親指シフトやってる方からすると
お前のそのやり方は馬鹿げてるよって。
それはそうなんだと思うんですよ。
ただ僕はその言葉にリアリティを感じないんですね。
39:01
なぜならば自分は親指シフトはないんだけど
本を書く人間では
アレてますからね。
これ以上の言い方はできない。
別に親指シフトは悪いわけでもないしポメラはいいと思って
ただなくても本を書く人間では
アレているんですよ。これ以上の言い方はできないです。
だから明日のことが
全く意識の中に入ってこなくても
とりあえず今は充実して生きていられるんですよね。
これ以上の言い方はできないですね。
そのよしよしは言えない気がするんです。
明日のことを推測して生きていかなければ
成立しない職業。
例えば天気予報士とかね。
先物取引する人とかそうじゃないですか。
それはそうだと思うんですね。
明日のことというのが僕にはリアリティを持たない方が
あらゆる意味で
圧倒的にいいような感じがするんですね。
物書きとしてアレているとか
毎日が充実しているとか
本当につまらない言い方だなって思うんですよね。
洒落な言い方をするとただ実体と遭遇はなくなってしまう。
あえて何か言うとすると
もうこれでおしまいにしますけど
心も含めて血液が毎日サラサラな気がするって感じですかね。
40:29

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