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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
2月15日の木曜日、7時36分ですね。
昨日は、体調不良でスキップという珍しいパターンだったんですよ。
昼ぐらいから全然復活してたんで撮ろうかと思ったんだけど、
昨日ちょっとやってしまいたい仕事がありまして、そのままスキップしました。
今日からですね、ちょっと短めにしようと。
これはですね、喉が痛いんですね。
だからちょっとこれは短めにしようというふうに思いました。
それで、短めにするんで、サクサクいきたいんですけれどもね。
頭がサクサクはいかないんで。
先送りゼロが、新刊ですね、J松崎さんとの先送りゼロが、
2月24日発売ですので、今日2月15日、あと9日となり、
明日あたり、見本が私の手元には届くと。
著者ですからね。
ここまで来ましたねという感じです。
ここまで来てしまうと修正とか効かないんでね。
もうすでに印刷は始まって、始まってないかなまだな。
でももう間もなく始まり、配本のトラックに乗っていくわけじゃないですか。
わかんないですけどね。
でも多分そういうようなフェーズなんだと思うんです。
やらなくなりますからね、そうしないと。
なので、そんなこんなでようやくできましたので、
よろしければぜひ。
電子も同日発売ですので、どちらでもありがたいので、
ぜひお願いしたいと思います。
その先送りですね。
久しぶりじゃないけど全然。
久しぶりに言っても、完全にただの口癖になってますね。
口癖はいいと思うんですけどね。
書き癖にならないようにしようとは思いますが、
先送りに関して今日は少し話したいと思うんですね。
私は先送りは、それこそ何だか本のタイトルみたいですけど、
気持ちの問題が9割だと今は思っています。
10割と言いたいところもあるんだけど、
まあでもそうじゃないのはあるなとは思うんでね。
9割は気持ちの問題。
で、そのうちの9割は無意識の問題だと思っています。
このようなタイトルで本を書いたら売れないかな。
先送りは気持ちが9割とかね。
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完全にパクリですけどね、何かね。
パクリではないんだけどね。
まあ真似ですわね。
気持ちの問題と言いましても、
ノートにも書きましたけど、
要するに先送りすることはやりたくないわけですよ。
で、可能な限りギリギリまで先送りしたいわけですよ。
夏休みの宿題というのも、
要は先送りしたい人はいないんですよ。
やりたくないんですね。
やりたくないということはですね、
それほどやりたいものでもないものを、
まず第一に忘れてはいけないのはですね、
やろうという気持ちはすごい強いんですよ。
先送りする対象というのはね。
例えば、私で最近ようやく一段落ついたこれも、
確定申告の資料整理ですが、
結局これもゲラとぶつかったために、
いっぱい先送りになってしまったわけですが、
そのゲラとぶつかったということはですね、
確定申告の書類整理をやりたくないんだけど、
やらなければという気持ちと、
やりたいというかやりたいというかね、
やらなきゃという気持ちは強いわけですよ。
これを圧倒するやりたくないという気持ちがある。
だからここには強い均衡があると。
緊張と言ってもいいと思いますけどね。
強い力と強い力ですよ。
で、やりたくない気持ちが勝っているわけです。
だからやる。
これは大変心の中の緊張感は大した強さなわけですね。
やりたくないという、
やりたいという気持ちがなかなか弱ければ、
そんなに悩まないわけですよ。
やりたいという気持ちがほとんどなければ、
やりたくない気持ちに圧倒されて、
それで決まってしまうと思うんですね。
やらなきゃやらなきゃという気持ちが極めて強くて、
にもかかわらずやらない日が100日とか続くわけじゃないですか。
100日チャレンジというのは、
そういう意味も僕は裏では持っていると思うんですけど、
つまりそれは長い間葛藤しているという話なわけですね。
やりたいわけですよ。
で、やりたくない気持ちはもっと強い。
やりたいんだけどもっとやりたくない。
だからやらない。
近差で負けているわけですね。
その近差なんだけど力そのものは強いと。
で、この力の中にいろんなものが混ざっているんだけど、
特に無意識からの力が混ざっていますよというのを
私はノートで書いたんですね。
一つは無意識が抜刀してくるので忘れさせられてしまう。
だからリストアップするという発想になるわけね。
忘れないようにすればいいんだと。
でも忘れないことはできても、やりたくはならないわけですよ。
だから無意識はやらせまいとしている。
やりたくないわけだからね。
忘れないということはリストでできても、
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じゃあ忘れないんだったら先送りにしようと。
明日できるよっていうたくさんの、
明日できるのは嘘じゃないんだよね。
たくさんの証拠を次から次へと無意識から上がってくるわけですよ。
いやいやリストアップされているこれをやりたいのは分かったけど、
今日は疲れているよとかね。
そういう気持ちをどんどんどんどん打ち上げてきて、
結局先送りになろう。
つまりリストアップでは私はこの問題は解決できない。
解決しきれない。
覚えているか忘れているかの問題だけじゃない。
忘れさせるというのは無意識の働きによるものだと私は思っているんですね。
偶然起こっていることではないということですよ。
このことは先送りの本では書かれていたり書かれなかったりで、
大半書かれていないんだけど、
もっと明記しなきゃいけないと最近は思うんですね。
忘れさせられているんですよ。
ちなみにフロイトはこのことを書いてますからね。
本の中で100年前にね。
だから僕はフロイトという人の発想はですね、
今のいろんな説に少なくとも十分、
傾向し得る説が100年前にすでにあったと思っているんだけど、
彼は書いてますからね、間違いなく。
僕は口からで任せ言ってるわけじゃないですから。
忘れさせるという力が働いているぞと。
しかも非常に現代的ですよ、ある意味。
はがきを投函したいんだけど忘れてしまいましたと。
駅にあったポストの前を通り過ぎましたと。
こういう話書いてありますからね。
フロイトの本人ですよ。
性とか全く出てこないところで書いてある。
性関係あるんだけどね、彼に言わせればこういうところも。
でもとにかくそういう話が書いてあると。
そして忘れてしまった、偶然忘れてしまった、
うっかりしてしまったではないと。
思い出させないように無意識が頑張ったんだけ、
その結果なんだよ、
要するに必然なんだよって言ってるわけですよ。
意識できてないだけで。
これが現代人にははなはな理解しにくいわけですね。
そんなことないだろうと思ってるから、
繰り返し繰り返し偶然、
ふとうっかり忘れるわけですよ。
繰り返し繰り返し忘れるんですよ。
不思議なぐらい。
私の友達にいましたよ。
大学時代の後輩だったんですけど、
大変仲良くしてたんですよ。
同じゼミでね。
彼が同じゼミの女の子にキレられてて、
何回言ったと思ってるわけみたいな、
忘れるんですよ。
彼はね、それを今風に発達しよう、
当時ですからね、
なかなか彼は先進的な男だったんですよ。
ADDだから僕はみたいなことを頑張ってたんだけど、
大変良い人でね、
優秀で、しかもきちんとしていて、
ADD、なるほどなと思ったんだけれども、
それは嘘なわけじゃないと思うんですよね。
割と典型的なんですよ。
学校の先生やっていたりして、
今もきちんとやってらっしゃると、
すごい勢力的で、
本当に現代に活躍するタイプで、
しかも感じと良い人なんですよ。
何ていうのかな、
稼げば勝ちみたいな感じの人ではないんですよね。
09:00
僕はそのやりとりがすごく大きかったんですよ。
だから、
自分が、
自分が、
自分が、
自分が、
僕はそのやりとりが、
すごく今思うと面白いと思って、
彼は間違いなく無意識に忘れてるんだけど、
無意識に忘れさせられてるんだけど、
だっておかしいじゃないですか。
彼はやっぱりライフハック得意だったから、
リストアップもしてるわけですよ。
で、女の子に手にまで書かれていたわけで、
仲良いんですよ結局、その二人はね。
もう二度と口聞かないからねとか言われていて、
なんか幼稚園みたいだなと思って、
大変面白かった。
この番組で繰り返し言ってるように、
めっちゃ彼女欲しかったから、
すげえ羨ましかったんですよ。
これが当人は悩んでるのかもしれないけど、
明らかにこれは意図的なものがあるわけですね。
本人は意図してませんよ。
でも、
何回かこの番組にも登場するうちの先生は、
プロフィットの本を僕にくれたんですよね、前週で。
だから彼は大変ですね。
独特のおじいちゃんでしたからね。
我々ほんと孫みたいな年だったんで、
おじいちゃんでしたから、
君そりゃあ、あれだろうっていう、
そういう言い方をするんですよ。
君そりゃあ、あれだろうっていうね。
いやあ、今思うと、
何でも分かってる人っていうのは、
いるもんだなって思うんですけど、
間違いなく、
うちのゼミの先生はですね、
お前、わざと忘れているだろうって、
言いたかったわけですよ。
でも、うちの先生は、
非常にこう、ものの分かった、
上に楽をわきまえている人だから、
そういう学生が間違いなく、
どこかちょっとは傷つくようなことを、
明言しないんですよね。
お前、君そりゃあ、
ちょっとあれだろうじゃ、
分かんないですよ、彼にはね。
フロイトなんて読んでないんだから。
僕にも全然分かんなかったですもん、当時は。
ただ何か言いたいだけだな、
不思議だなとは思ってたんですよ。
僕はその先生の挙動を全部チェックしているような、
人間でしたから、
その先生とは非常に仲良くさせてもらって、
だから、
何を言っているんだか知らないけど、
何か言っているなあ、
みたいな感じはあったんですよね。
要するに、
それはフロイトだよ、
という話なんですけれどもね。
ごく簡単にですね。
だって、
同じゼミにいて、
男女じゃないですか。
そんな、
CD借りたりなんだりするという、
かなり関係性な、
関係なわけですよ。
関係なわけですよ。
それは、
仲良くさせたいという力が、
いや、仲良くしたいだな、
本人の意識なんだからね。
働くに決まっているわけですよ。
だから、私は、
全部じゃないですよ、全然ね。
でも、発達障害のいくばくかは、
性愛が絶対絡んでいるって、
僕は思っています。
これを言うと、
ブログとかで代々的にしゃべっていると、
怒られるでしょうけどね。
12:00
炎上案件かもしれませんね。
でも、いいじゃないですか。
こういうふうに恋愛が発展するって、
全然私は悪いことだとは思わないんですけどね。
若い人に見られると、
僕は思いますね。
だって、そんなことは、
いかにもありそうなことですし、
会ってほしいじゃないですか、
ある意味。
だって、少子化対策こんなに言っているんだから、
話が飛躍しすぎているのは分かりますけど、
会ってほしいというか、
会って悪い話では、
僕は全然ないと思うんですよね。
恋愛とは、このように、
こういうプロセスで発展せねばならん、
というふうに言う人がいるとすれば、
それはよっぽど長けている人か、
僕のように全くモテない人の、
どっちかの言い分だと思います。
愛してそうじゃない、
そういう展開の仕方はしないと思うんですよね。
やっぱり、
それは、
わざと忘れて、
わざと忘れさせているんですよ。
そうすれば、
そうするだけ、
話さなきゃならない。
関係しなければならない。
つまり、
離れることができなくなっていきますよね。
君、
そりゃあ、
あれだろうってことなんだけど、
だから、
何度も忘れてるんじゃないよ、
みたいなことを、
うちの先生は絶対言わないってことですよ。
だけれども、
まさか、
でも別にね、
ストレートに言っちゃってもいいと思うんだけど、
でもやっぱりストレートに言ったら、
台無しになっちゃいますよね。
全く、
学生からすると、
この人バカなんじゃないのっていう風に思われている、
めちゃめちゃ賢い人なわけですね。
フロイトを読めっていう話は、
時々僕も言われたんですけど、
全く読みませんでしたからね。
全くね、
まして他の人たちは全く読みません。
僕は、
それでもユングは読んでたんで、
ユング読んでたのだって、
そのDHロレンスのゼミですよ。
チャナレイ夫人の恋人の。
だからフロイトもユングも出読に近いんだけど、
先生も完全に諦めてましたけど、
学生がそれを読むはずはないと。
でも僕はユング読んでましたからね。
でも他の人たちは誰も読んでなかったのに、
フロイト読めとか、
ナンセンスの極みみたいな話なんだけど、
でも彼がCDだったか、
ノートだったか、
何かのジャケットだったか忘れましたけど、
女の子がね、
繰り返し繰り返し持ってこい持ってこいって言ってたのに、
ゼミに来るたびに、
あ、忘れた。あ、忘れた。あ、忘れた。
いや、僕ADDだからさ、みたいなことを言っていて、
実に理にかなっている。
そこに君、そりゃあれだよ、とか言ったり、
フロイト読めよ、みたいなことを言うと、
この先生バカだなってみんなが思ってるんだけど、
そうじゃないんですよね。
この先生が一番正しいわけですよ。
で、先送りというのは、
投影だということです。
つまり、
投影の結果なわけですよ。
私たちは、
あのー、
先送りというのは、
投影だということです。
投影なわけですよ。
私たちは、
15:00
そのジャケットの話はどちらかというと、
良い投影なんだけど、
良い投影だろうと、悪い投影だろうと、
投影は投影ですね。
で、繰り返し申し上げてますけれども、
私たちは現実に投影せずに生きるということは、
おそらく、
ほぼ不可だと思うんです。
あのー、あれですよ、
ブッダとかは別ですよ。
だけど、まあ、僕じゃ無理だと。
大体、投影せずに生きていると、
社会生活に不都合の極みになってしまうので、
まあ、だから我々は投影がやめられないんですけど、
なかなか。
ただですね、
あのー、ノフォーズに投影しまくっちゃいけないんですよ。
ここがちょっとややこしいんですけれどもね。
えーと、今回私が、
あのー、先送りしてきた、
そのー、
不定申告の資料整理も、
投影されてしまっていたわけです。
うっかり私、やっちゃってたわけですよ。
これぞ、うっかりなんですけどね。
うっかりやるのは、
交換ポストに、
ハガキで忘れるのが、
うっかりじゃないんですよ。
それはもう、意図的なんです。
そうじゃなくて、
僕らがうっかりやっちゃうのは、
まあ、これも意図的っちゃ意図的なんだけど、
投影の方なんですね。
嫌なものを、
投影する嫌な気持ちって、
どうしても浮かんできてしまいますからね。
ウッドワイブス、いくら朝の、
今日のウッドワイブスを、
倉田経三さんの、
毎日がっちり書いてくださる、
あれを読んでもですね、
起き起こらずに過ごすってわけには、
まあ、僕じゃなかなかいかない。
で、しかもそれは、
いちいち細かく意識しきれないケースも、
いくらもあるわけです。
例えば今、この喉が痛いな、
喋んなきゃならないみたいな、
いや、喋るのはいいんですよ。
喉が痛くない方がいいなって、
思っちゃうじゃないですか。
思わなきゃいいのにね、
思っちゃうわけですよ。
いや、思って当然だろうって思われるかもしれませんけど、
これ喋るから、絶対に。
だったらもう痛いまま喋るのは、
喋らなきゃいいんだけど、
思うわけですよ。
この気持ちがどこかに投影されがちなんですね。
それがしばしば確定申告に、
投影されるわけですよ。
そんなことあるかって言われるかもしれませんけど、
僕はそんなことしかないって思いますね。
例えば、よく最近でも、
布団から出られません。
朝気持ちいいんです。
出るのつらいですって言うんだけど、
布団に母親を投影するのをやめれば、
僕は199.9%出られるって思います。
問題なのは、
それがやめられるかどうかというか、
もっと言うと、
やめるつもりがあるかどうかですよ。
母親を布団に投影する。
で、じゃあなんでお前は出られるのかって言うと、
僕はこのカラクリを知ってますからね。
もはや知ってると言っていい領域だと思うんですね。
投影を自由自在にコントロールできるってわけじゃないですよ。
ただ僕は間違いなく確信するんですよ。
そういう話もあるのかもしれないんじゃないんですよ。
100%終わったら、
このカラクリがやめられるかどうか、
やめるつもりがあるかどうかですよ。
そういう話もあるのかもしれないんじゃないんですよ。
100%俺は至急だと思ってるんだ。
ここで思うんですよ。
で、次に何をするかというと、
これを今ちょっとライフハックテクニカル的に
喋ってるのは、
18:01
そういうことでお悩みの方は一応これを試してみてもいいかもって
思ってるかなんですけど、
こうやって図式的に試せば、
ただそれで済むって話ではちょっとこれないですからね。
いや、心地いいんですって。
心地いいのはなぜかって言うといいですからね。
ここを絶対問わないと、
たぶんこれで、
心地いいのは投影してるからである。
これもう一回言いますよ。
私が布団の中が気持ちいいのは、
布団が気持ちいいからではないんですよ。
布団が気持ちいいからではなくて、
子宮が気持ちいいからなんです。
子宮の中に私がいた時の記憶が
呼び覚まされているせいなんです。
僕はこれを確信してるんですよ、ほぼ。
子宮じゃなくて母親の腕の中でも構いませんが。
とにかくそういうふうに思っている。
そういうふうに思っている。
そういうふうに思っている。
だけど、
そして母親の腕の中でも構いませんか とにかくそういうことなんですよ
こう100%確信したら だったら部屋布団から出て
キッチンに立ってる時も同じぐらい 気持ちよくなりたければ
キッチンを母親だと信じればいいわけですよ
簡単な話なんですよこれは これを人々はそうは考えない
布団が気持ちいいのであって 寒いキッチンは居心地が良くないって
環境次第で我々の快不快は決定されるって 思ってるんですよ
環境のここをわざわざエクスキューズ的に言うから 話がめんどくさくなるんだけどしょうがない
環境の要素はゼロじゃないです
でも僕は思うんですよね 暖かいか寒いかの問題なんじゃないですよ
心地いいかどうかが問題なわけでしょ
心地いいかどうかは気温とか肌触りとかだけで 決まることは絶対ないんですよ
必ず僕らがそれに何を投影するかで決まるんです
ライナス君はなんで毛布を引っ張って ずっと居なきゃいけないのか
常に母親と接していなければ
彼はまだ歩いてどこかに行く気になれる 年齢ではないからなんです
そして私たち大人もそれと何にも変わらないと 身に凝っとって言う人なんですよ
僕はこれ100%正しいと今思ってるんですよ
だから簡単に出ようとさえ思えば出られるんです
なぜなら支給から出ても別の支給に入るだけだから
これを移行対象と移行空間って言うんだと 私は思っているんですね
この言葉の使い方は厳密性を書いてると 僕も思うんだけれども
喋るレベルではこれ以上厳密に喋っても ただややこしくなるだけだなというのを
最近このポッドキャストを聞き直して考えたので こういうふうに言い切ってしまいます
これはダメだ専門的になってないっていうことを 専門的に言える方がいたら
私に何か書いて送ってください
そしたら何かちょっと考えて書き直したり 言い直したりする気になればします
ぜひやってほしいんですよ 僕は専門家じゃないですからねこの点に関しては
ただ先送りに関しては専門家とは言えないかもしれないけど
ゼロって本を書けるぐらいの立場にはいるんで
先送りはこれで起きてるのは絶対間違いないと思います
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つまり盛大に投影をするんですよ
至急とか気持ちの良いもの心地良さを投影できるなら
当然気分の悪いもの心地の悪いものが その裏側に出てきます
しょうがないです
心地良いものがあるってことは 心地悪いものがあるってことでしょ
快適があるってことは不快があるってことじゃないですか
だから私は快意不快意を投影するのは やめたほうがいいと思うんだけど
というかこれは私が思うんじゃなくて
例えば仏教で禅宗徳がそう思ってるんだけど
我々はそれが簡単にはできないので
投影するならば自覚してやりましょうということですよ
無自覚に投影しまくると あとで面倒くさいことに巻き込まれます
例えば確定申告だるいみたいな
300日先送りしてしまいましたみたいなことが いとも簡単に起こるんですよ
それは無自覚に自分の不愉快なものを 全部そこに投げてしまうので
それに向き合おうとした時にはもう
なんだか知らないけど すっげえ嫌なものが目の前にあるよって
感じを抱いてしまうんですよ
これが先送りなんですね
心地のいいところにずっといたい
居心地の悪いところに断じていきたくないという
それって当たり前でしょうと思うかもしれないけど
それ自体は当たり前だとしてもですね
居心地がいいところに今いるというのは
ただ居心地がいい投影 つまり
母親を今現在に投影しているだけなんですよ
そして居心地が悪いもの
例えば確定申告としましょう
の書類に悪いお父さんでも投影するから そういうことが起こるわけですね
やめればいいんですよどっちも
どっちもやめられないって言うんだったら
確定申告の方に母親を投影してみたり すればいいわけです
ただしそれは意図的にできることでも 自在にできることでも
コントロールできることでもないんですよ
だからここにコントロールできないという 要素が残ってしまうんだけど
だからこそ少なくとも投影しているという 事実に気づきましょうと
ADDですっていう説明よりはここまで持ってきた方が
私は自分がフォンから出たり確定申告やったり する上では役に立ちますっていう話ですね
で、まあいいお母さんも悪いお父さんも 何でもいいんですけれども
私たちは結局投影をやめるというのが 一番根本的にはいいんですけれども
すでにしちゃってるという時に
これからやめるという前にはやっぱり やってるんだという認識がどうしてもいるんですよね
この布団が気持ちいい心地いいっていうだけで 困ってしまっては出られるはずがないですよ
あとはもう無理やり出るしかないわけじゃないですか
無理やり出るしか
本当に投影してるっていうのが信じられませんっていう間は なかなかこの話は難しいと思うんですよね
24:04
私は家にも母を投影してるし 部屋にも投影してるんでどこに行っても快適なんですよ
ずるいじゃないかって言われるかもしれないですが しょうがないんですよこれはね
これをやるのは僕にとってはもはや 難しいことではないんですね
だって昔大学時代にそんなに彼女を作りたかったのは簡単で 女性中に投影しまくってたからですよ母親を
だから誰とくっついても5位に決まってたんだけど 誰ともくっつけなかったからすごい絶望してたわけですね
この話をするとなんでそんなに惚れるんですかっていう 不思議な問いが来るんだけど
惚れてる相手は子宮なんでしょうがないんですよ だってそれは止めようがないじゃないですか
子宮に惚れるのは当たり前でしょ だって自分だったんだから
母親からすればそうですよね 私はもともと母親だったんですよ
ほぼ確実にね 少なくとも最低単位を見積もっても50%は母親と全く同じものでできてたんですよ
しかも母親の体内から出てきたんですよ 最初に例えば私の中のお腹の中の胃袋とかね
あるいは私の中のそうだから何でもいいんですけれども 脳みそとかが私を好きです当たり前じゃないですか
胃袋とか小腸とかが私を好きです私のために働きます 当然ですよ
これに対してそんなに子宮に惚れ込んでどうするっていうのはおかしな話なんですよ 胃袋が私のこと嫌いになるべきだとかって言っても始まらないですよね
胃袋は私から独立するべきだとかすぐダメになっちゃいます だから私が
子宮の中にいた時に子宮に惚れ込んでたのは当たり前なんですよ この記憶を引きずっているというか再現するわけです
今ここで今ここで布団に対して再現するんですよ これ子宮だわーみたいに誤解してしまうというか
誤解っていうのはおかしいんですよ 覚悟おかしい やっぱり投影ですよ
投影です なんならこの言い方がどうしても納得できないというなら母親の腕の中でもいいですよ
抱かれてた時代はあったわけじゃないですか まあニグレットとかあるから一概に言えないけど多分一瞬もなかったと思えないんですよ
でその記憶はあるんですよ しょうがないこれはあるんだから
でこれを投影する だったらどこに投影しても同じじゃないですか
非常に極端なやや難しいけど太陽とかに投影することもできますよ おそらく太陽に包まれるみたいなそういう宗教ってのはこういう話をしてるんだ
これを壮大にやれば めちゃくちゃ心地いいですよそんなの
だから布団から出て太陽の光を浴びるというのが8何かに聞くって当たり前なんですよ 別にオキシトシンがどうのっていう説明は私はこの場合にはすごいさまつな説明だと
思いますねむしろね 神経伝達物質の中のセロトニンが活発活性化されるとかいうのを我々の時代なぜか
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好むんだけれどもそんなの当然ですよね 何かしらが起きるというなら例えば8母の腕の中にいたときにオキシトシンが大量に分泌されて
いましたと で太陽の光を浴びたときにその太陽に母親を見るのは同じようにオキシトシンが大量に分泌されて
ますつまらん説明だと思いますねこんなのはね だからオキシトシン大量に分泌すれば同じ現象が起きるのかで起きないでしょそんなのは
同じような8状態を再生するのに オキシトシンだけ使えばいいって話にならないじゃないですか
基礎が大事ですよねこういう場合プロセスがどこからどこにどういう物質がどのぐらい 行くのかっていうのが大事じゃないですか
大量に分泌されさえすれば同じことが起きるってことはありえないですよね お腹の中で消化するのに8起演算が出ますとそれは出ますよね
だから起演算を大量に分泌すれば消化が進みますって言ったら異変になりますよね つまりつまらん話ですよねそれはね私はそう思うんですよ
のであの 先送りとか今の居心地の下から出たくないという時は絶対投影が起きていると
私はまず考えた方がいいと次にどうするかっていうよりまずそれですよ いい環境と良くない環境があるんじゃないんですよ
心地よくする投影と気分を害する投影とがあるんだけど この投影ってコントロールしきれないもので
投影を盛大にしていると絶対にその心地の良い投影と気分を害する投影が始まって しまってそれが
社会や日常生活に支障をきたすのでそういう話なんですこれは だからできれば投影に気づき可能ならそれを
まあ停止させる 停止させられないならばせめてやらない方向を検討するか
下級的速やかに何とかしたいときには新しく移動するところに心地の良い投影を しょうがないからする意識的にやってみる
できないですよできる環境はせいぜい限られています でもまあやろうとしてみるやろうとしてみればですね
えっと 少なくとも
良い環境にいるのに何で出なきゃなんないんだっていう理不尽さから解放される可能性が 高くなります