リスナーからのお手紙
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1209回をお送りします。
6月24日火曜日、7時57分です。
今日はお手紙をいただきましたので、そちらを読ませていただいて、そのお話をしたいと思っております。
いただいてすぐ読むっていうのは、よっぽど来ないのかって思われると思うんですけど、来ないですよ。めったに来ないです。
まだお一方からしかいただいたことないぐらいですし、厳密に言うとお二方か。
スタンダードFMで以前に、PodcastのSpotifyの方から配信していたときにもいただいたことはありますから、でもそれ全部合わせても都合5回にはなってないと思うんですよね。
5名以上にはなってないと思います。
だからそんなにいただけるものではないので、いただけると大変嬉しいので、早速読ませていただくとこういうことになりますね。
若干ですね、いただいた方から読んでもらって構いませんっていうふうに許可されてるんで、読ませていただきますけど、それでも一部は軽く偽装はしませんけど、
大体全部読ませていただきますけど、一部軽く触れるだけにとどめさせていただきます。
こんにちは。以前真理の学生としてレターを放送内で読んでいただきました。ありがとうございました。
実は若い時に統合視聴証がずらばれて、これは大変だなって思いました。
何しろ私は身内がそのことで今もどんどん大変になってきてるとしか思えないんですよね。
物の見方にもよるかもしれないけど、少なくとも事態が良好な方向に推移してるとは全く考えられないので、厳しいですよ、このお話は。
統合視聴証はずらわれて、その後心理学を実践する中で感慨することができて素晴らしい。
心理学を生かして人を助けることもしたいと思い、心理師の資格を目指して勉強をするようになりました。
これも素晴らしいお話でありがとうございます。こういうお話いただきまして。
で、そこで引き続き以前のPSポジションとDポジションの話になるのですが、6月4日の不在についてのお話しされた回だったかで、
佐々木さん自身がPSポジション寄りの人であり、これは多分僕はそうだろうと思って、
PSポジション寄りっていうのはそれだけパッと聞くとちょっとわからんっていう方もいらっしゃると思うんですけど、
そんな自責的じゃない人間なんですよ。言うほどというかどのぐらい言ってるかわからないですけど。
多責的か自責的かと言えば多責的だと思いますし、他者操作的、自己操作的で言うと、他者操作的なところはありますね。
だから僕は交渉ができると思ってますし、ものすごい絶望しても腹を立てるのであって、既視念慮にはいかないっていう傾向があると思ってます。
これをPS寄りって言っていいのかって言われると、そこはもう私は専門家じゃないからご容赦くださいと。
排出的なことが、この話をこれからしようと思ったんですけどね。
とにかく佐々木さん自身がPSポジション寄りの人であり、人によってPSとDの程度があるという話になるほどと思い、佐々木さんのお考えもわかりました。
この辺の話を今日しようと思います。
抑うつポジションと病理
初めてこのPSポジションとDポジションについて知ったとき、どうしても妄想分裂ポジションというのは統合失調症、欲打つポジションは鬱病を連想したのですが、
これは僕は当然自然の流れだと思うんですよね。
僕だってそうだったんですよ。
だって名前がこうなんで、それは専門的ではないって言われるかもしれませんけど、名前がこうであれば当然そうなるじゃないですかっていう話にはなりますよね。
だからどうしても妄想分裂ポジションというのは統合失調症、欲打つポジションは鬱病を連想したのですが、
そういったディスオーダーの種類とPSポジション、Dポジションは関係していると思いますか?
これはやっぱりもう聞かれているかなと思うんですけど、大学の先生に聞いていただくのが一番ベストかなとは思いますね。
でも私は今日この話をせっかくお題としていただいたので、お答えをしたいと思います。
もちろん一口には言えないところだと思いますが、お話の題材にしていただけると嬉しいなと思いました。
可能ならで大丈夫なのと、私の情報を読んでいただいて結構ですということでありがとうございます。
いや本当ありがとうございます。
そこでなんですけれども、僕はこの連想はすごく自然の流れだなと思いますね。
まず一番トピックの中心にこれ、聞いていただいたのにお答えしないでどんどん違う話をしているうちに忘れちゃうのもあれなんで。
妄想分裂ポジション、昔で言うところの精神分裂病と言われていたものですよね。
分裂という言葉も入りますし、統合主張症を連想しますよね。
PSポジション。
で、抑鬱ポジションに至った、名前が抑鬱ポジションなんて言ってるから、抑鬱症から鬱病っていうものを連想せずにはおられないよなっていうのがあります。
以前私は精神病水準、ボーダーライン、神経症水準、健常っていう古典的な分類にハーッと思ったんですよ。
何がハーッと思ったかっていうと、ボーダーラインってそういうところから来てるのねっていうところにハーッって思ったんですよ。
で、今ではあれはですね、古典的だし、そういう単純分類にどれほどの意味があるんだろうって多分なってると思うんですよね、臨床の世の中では。
わかんないですけど。
で、私ももうあれについてあまりあれこれ考えるのはやめたんですよ。
なぜならば、これはもうポジション論でいきたいと思ってる人間にとっては、所詮はポジションの話であって、もちろん病理ということになり、それを感慨させねばならないという立場から、
要するに専門家にかかって治療すると、つまり心理、両方の世界はあるに決まってるし、なきゃ困りますし、私たちもあって当然なんですが、私たちはそこにいるわけじゃないんで、
でも病気の名前がですね、人生に出てくるというのは、そりゃ出てくるじゃないですか。
例えば、それほどの病気、私なんか何百回はかかっている病気の一つに、基幹自然足というとても辛い病気がありますが、
でもまあ、基幹自然足なんていうのはですね、ありふれた病気でもありますし、話題には絶対しますよね、素人だってなんだって。
お腹壊したぐらいな勢いで僕なんかはかかっているんで、
学校の先生にですね、やっぱり全足持ちの先生がいらっしゃって、朝日君もそうだったんだ、大変だったよね、みたいな話をしますよね。
学校の先生と生徒がそれしちゃいけないってことにはならないですよね、専門家じゃないけどどっちも。
だって基幹自然足の当事者ですからね、思いっきり。
お医者さんは別にかかってないかもしれないんですから、一回も。
そういうことだってあり得るわけじゃないですか。
こういう意味で、その病名というものが人生の中で出てくるということはあるので、それは3ヶ月チャレンジでの話ですけど、
その個人コンサルの中で出てきますと、出てくることは念頭に置きますが、治療じゃないんだから、
それを話題にしたり、それに対して集中的に議論したりするのは当然ありでしょうっていう、それこそポジションで私は喋ってます。
で、この話から少しずれたんですけど、妄想分裂ポジションと統合失調症。
抑鬱ポジションと鬱病っていう項は多分厳密にはないんだろうなとは思います。
というのは、これは絶対とは言えませんけど、あくまでも私の感覚では両方とりますよね。
ポジションの理解
PSポジションとDポジションはチェンジします。
で、最終的にはPS1、D1、PS2、D2っていう風に、
螺旋階段を描くという考え方もあるし、私はあれよりも、やっぱりあそこまで行くんなら、
ビオンのように思い切ってPS両矢印2っていう風にポジションチェンジなんだ。
そこに発達とか達成とかあんまり見ないんだっていう方を取るようになりました。
はっきり言ってショートとセカンドのチェンジぐらいな感じですよ。
よく、クラインのお話の最初の話の部分、古典的にはそうだったんで、
そうだったっていうか、古典的には聞こえてもしょうがない話だったんで、
妄想分裂ポジションから抑鬱ポジションの達成みたいな表現を聞いてしまえばですね、
じゃあDの次には何があるんですかっていう、そういう発達段階説みたいに捉えられる人も当然いらっしゃるわけですよ。
いらっしゃったと思うんですよ。
でもセカンドの先にはファーストがありますが、ないですよね、そのようなものは。
ポジションというものはそういうものであって、フェーズとかステップではないのだから、
段階とかグレードとかいうものではないのだから、
ポジションはポジションなのであって、PSとDというポジションをチェンジすると。
だから他者操作的になり、他者多席的になるかもしれないが、
代わりに交渉できるようになるし、原因を外に置ける。
外に置くほうが現実検討として妥当なケースもあるわけじゃないですか、いくらも。
だから何でもかんでも自席することに達成があるわけではないと思うんですね。
そして我々はもちろんこの両ポジションを取れないと困るので、
多席ができないというのはやっぱり困ると思うんですよ。
自席ができないというのも困ると思うんですよ。
どっちかというと、多席より自席のほうが人付き合いの上で、
他人から見れば付き合いやすいから、自席のほうが成熟しているように見えるかもしれませんが、
そんなことは私はやっぱりないと思うんですよね。
だからここに発達段階とか達成というものを見なければ、
もう本当にビオンがやったように完全に科学式のように扱って、
PS両矢印Dでチェンジするんです、ということだけに僕はするようにしたんですよ。
今自分がPS的か、今自分はD的か、どっちに寄ったのかと。
どっちに今寄ると、この事態は紛糾した事態ですね、多くの場合。
あるいは腹立ちが収まらないみたいな時に、
どういうポジショニングをすると楽になれるだろうかなって考えるだけに留めています。
だから、PS寄りだなというのはあるんですよ、私の中に。
でもそれはパーソナリティまで言ったら言い過ぎだと思うんですよね。
PSを取りがちな人間だなと、比較的ショートにいるよね、いつもねっていう、
セカンドにもいるけどさっていう、そういうニュアンスとして考えるようにしてます。
だからこれをしゃべった、不在の話をした頃に比べると、
まただいぶ僕は一段とビオンの方に、
自分の親近感というか納得感が移ってきてるんだなっていうのはありますね。
分かる分からないっていう意味では、クラインの方が全然僕には分かりやすいんですけど、
でも分かる分からないだけだと、やっぱりこう…
なんて言えばいいんですかね…
人のは分かりにくいんですよ、自分のは分かったとしてもですね。
だから多分僕は鬱になる…この話なんですよね。
抑うつポジションと心理的防衛
つまりPSによっていることの方が多いから、今までの私の人生の流れからすると、
鬱になるよりは妄想分裂気味になることの方が多そうだと、
統合失調症になるっていう感覚を自分の中ではあんまり持てないんですけれども、
妄想分裂気味に強烈になるっていう方がリアリティはありますよね。
僕の場合、鬱になるというのに比べると。
いわゆるパラノイックになるっていうのは分かる気がするんですよ。
でもディプレッシブが強力に進んでいくっていうのは、
僕にとっては分かりにくいんですね。
自分自身に起きるだろうかって考えてみたとき。
起きないとは言えないです。
起きないとは言えない。まして今後は分からない。
ですが、どっちになりそうな感じがするって言われると、
パラノイックな方になる感じがしますよねっていう。
これはやっぱり病気ってそういうところがあるじゃないですか。
どっちが良い病気だとか言ってもしょうがないわけでして、
肌に出やすい人もいれば前足になりやすい人もいて、
両方そこそこになりやすい人もいれば、
全然そういうのは一切ないんだけどお腹下しやすいですみたいな。
要するにあれですよね。
俗に言う、俗には言わないか。
バルネラブルですよね。
ちょっとやっぱり弱いところがあるっていうことだと思うんですよね。
偏りがあるっていうことだと思うんですよ。
だからこうしてはいない、ポジションからディスオーダーが言えるわけじゃないと私は思うんです。
ポジションはあくまでもポジションであって、
どのポジションに行きがちであるかっていうのが、
その人のパーソナリティらしく見えるということあると思うんですが、
その人のパーソナリティを決するわけではなくて、
ましてディスオーダーをポジショニングが決めていくってことではないと思うんですよね。
防衛の種類とその影響
ただ、これがまたややこしいんですけど、
このポジションにおける防衛の問題なんだと思うんですよ。
PSポジションが良い悪いとか、
性格的になってるなってないってことでは全然なくて、
PSポジションっていうのは取るポジションだと思うんですよ。
ただ、PSポジションに入った時に取る防衛っていうのが、
やっぱり排出的な防衛、そして分裂的な防衛、
つまりスキゾイド防衛みたいになりやすいわけですよね、当然。
このことをフラインは例え話として、
良いおっぱいと悪いおっぱいを使ったんだと思うんですよね。
だから悪いおっぱい、良いと良い、悪い分けてるわけで、
これが分裂的な、スプリッティングによる防衛、
つまり原始的な、原始的なと言ったら分かりにくいので、
乳児的な、乳児的というか、乳児的ですね、乳児的な防衛。
我々は乳児的な防衛をどこ、どんな乳児的な防衛を激しく使うかによって、
ディスオーダーの傾向が決まってくるっていう話なんだろうと思うんですね。
乳児的な防衛っていうのはもうあれですね、
3つぐらいしか、3つか4つ、万能空想みたいなやつとか、
東映、東映ドイツカーみたいなやつとか、スプリッティングですよね。
あとは排出、東映ドイツカーと排出は多々同じだと思うんですけど、排出。
つまりこれを具体的にやるとなると、泣き喚くみたいな、これは防衛ですよね。
泣き喚くという防衛で、何とか自分の苦しみを何とかしようとしているわけです。
つまり苦しい時、どんな手段を使いがちですかってことですよね。
あまりにも同一の、しかも乳児的な防衛なんで、有効に作用しにくいわけですよね。
有効に作用しにくいんだけど、それをすっごくちっちゃい頃使っちゃったもんだから、
つまりそこに親との関係で出てくると思うんですけど、
すっごい使っちゃうと、それにどうしても頼りたくなってしまうと。
で、私はそれが相的防衛なんですよ。
これもまあ原子的、原初的な幼児な防衛だと思うんですよね。
相的防衛。つまり、いやもういいもん。
この関係、つまりこの防衛をする時というのは人間関係で苦しんでいる。
ないし、苦しんでいる時に人が助けてくれないという意味での人間関係に苦しんでいる。
苦しみがあるから防衛をするわけで、苦しみがあるという時に、
使う防衛というものがですね、関係構築的か、少なくとも関係保持的か、
それとも関係破壊的かっていうのがまずその人の性格をかなりの部分決めていくところがあると思うんですよ。
幼児というのは使える防衛が少ないわけですね。そうですよね。
だって泣き喚くことぐらいしかできない。
せいぜい2歳児とかになって歩けるようになったって、
踏んでやるとか叫ぶとか、その使える防衛が少ない。
だから幼児の頃の防衛に頼るということは必然的に同じようなことを繰り返すということになっちゃう。
かなり進んだ幼児でも、ここがポイントだと思うんですけど、
かなり進んだ幼児でも親の機嫌を取りまくるとかになりがちだということなんですよ。
なんか人の顔色を伺ってばっかりだよねっていうのって、
ずいぶん幼稚な人として詐欺すまれるようなんだけど、
あれは小さかった頃にすごく発達が早かった可能性も否定できないと思うんですよね。
僕は少なからずそう言われてたんですよ。
要するに昇吾君はすっごいお利口さんだねみたいなことを2、3歳の頃に結構言われてたんですよ。
僕の取っていた防衛っていうのが当時、やっぱりひたすら機嫌を取るだったわけですよ。
機嫌をその頃に取れるってのはやっぱり、うちの子を見ていても思うんですけど、
発達として一つの早さだなって思うんですよ。
うちの子はそんなに2歳の頃から人の機嫌が取れるみたいな、そういうタイプではなかったんで、
普通に2歳の頃に機嫌を取りに行くっていうのは、やっぱりそれができちゃうからこそやることなんですよね。
で、できちゃうということは、やっぱりそれに悔まなく頼っちゃうじゃないですか。
使える防衛が少ないから。
例えば幼児の防衛の中に排出っていうのが割とあって、泣き喚くっていうのもあるんだけど、
うんこ出すみたいなのもあるわけですよ。
うんこ出すと親がやっぱりモードを変えざるを得ないじゃないですか。
なんかご飯食べなさいみたいな、好き嫌いやめてピーマンとか2歳児に食べさせないか、
とにかく好き嫌い死ぬのやめなさいとか言ったらうんこ漏らすみたいなことをすると、
親はそのもう好き嫌いの話を言ってる場合じゃなくなって、うんこ対応になっちゃうじゃないですか。
それで、うまいこと何かを食べずに済ませるってことができたりしますよね。
これ防衛ですよね、要するに。
で、うんこ排出ですよね。
こういうことを繰り返しうんこをする防衛をやるタイプと、
私みたいにひたすら親の機嫌を取りに行く防衛だと、
2歳児としては親の機嫌取りに行くほうが先行ってる感じがするんですよ。
うんこ漏らす防衛に比べるとね。
で、結局のところ、この場合関係…
例えばうんこ漏らすのは関係…破壊的なように見えて関係依存的ですよね。
面倒見てくれると思ってるからやるっていう部分があると思うんですよ。
明らかに僕のひたすら機嫌を取りまくるっていうのは関係依存的ですよね。
この関係を維持しないとダメだっていう意識が強く働いてる。
このでも防衛をいつまでも続けてるかというと、
私はやっぱりそうじゃなかったらですよ。
10歳ぐらいになるとすっかり馬鹿馬鹿しくなって、
総的防衛に切り替えていくわけですね。
いや、お前いなくたって俺別に生きていけるしみたいな、
そういう10歳じゃ早いか。
でももう12、3歳の頃には完全に親を馬鹿にしてたんで、
僕は一気にPS寄りになったわけ。
つまりですね、PSというのは幼児が取る防衛というわけではないってことなんですよ。
PSあくまでもポジションであって、
この時々でPS的な防衛は移り変わっていくはずだと思うんですよ、やっぱり。
0歳のPSにおける防衛は泣き喚くだったかもしれないけど、
やっぱり15歳ともなればPSの防衛は総的防衛になっていくわけ。
PSが常にDに移り変わるべき未熟なポジションっていうわけではないんです。
PSはあくまでも単なるポジションなんですよ。
そのポジションの中でどんな防衛をしますかと。
原始的な防衛、原始的な防衛ってなっていけばいくほど、
つまり現実を無視する方向に向かっていくわけですから。
だいたいあれじゃないですか、総的防衛だって結構現実見当低いじゃないですか。
お前なんか私立で有名な中学に入れるぐらいの頭だったからって、
人生生きていけると15で思っていたって、実際には無理じゃないですか。
お前らなんかいらねえみたいに思ってたって、
それはただ思ってるだけじゃなくて、
現実認識と防衛メカニズム
金だって全然稼げる気でいるけど稼ぎやしないじゃないですか。
やっぱりあれなんですよ。
対数とかが解ければ金稼げる気になるんですよ。
金稼ぐことは対数解くより一見すごい単純そうに見えるから。
実際に対数が解けてもお金はちっとも稼げないわけですよ。
株式とかに手を出すとあっさり損をするわけですよね。
単純な世界、株式っていうのはそんなに少なくとも三角関数を解くみたいなのに比べると、
一見難しくはないんですけれども、実際にはうまくいかないですよね。
テストで100点取るほうが簡単ですよね、ある意味では。
総的望遠が現実見当能力が高いわけではないんだけど、
そうは言ってもうんこ出しちゃうとかよりは現実見当能力が高いわけですよね。
ピーマン食べたくないからうんこ漏らすみたいなのよりは高いわけですよ。
私は実はどっちも使った記憶が多分あるんですよね、今このように言ってるの。
注射怖いからうんこ漏らすみたいなことはやった気がする。
でも注射されちゃうんですけどね。
だから、つまり、現実見当能力が低いわけですよ。
それはしょうがないですよ。
ただ、ここで万能空想を使うみたいに現実見当能力を下げるみたいな防衛もあるわけですよね。
現実に関わってるとろくなことないから、
空想の世界に行って、優しいお母さんのおっぱいでゆっくり眠る空想に突っ走りましょうみたいな、
そういうこともやるわけですよ。
その時には万能なんで、お母さんはガミガミ怒ってばっかりいるヤバいお母さんじゃなくて、
優しいお母さんでいつでもおっぱい出してくれますみたいな、
自立と依存の問題
それが15歳とかになると性的な方向に相乗りしたりしている。
相乗りって僕は思うんですよね、よくね、これは。
だからこの妄想分裂ポジションが統合失調症というような話ではなくてないと思うんですよね。
私は自分の身内を見ていても思うんですけど、
あれはやっぱり原始的防衛というものを使うことによって、
やっぱりこの自立と依存っていう非常に厄介な、
自立と依存って問題は多分全ての心理臨床で結局出てくる問題だと思うんですよね。
どこまで人に頼れるのか、
どこまで自分で頑張らなければいけないのかっていうのが、
もうあらゆるところに絡んでくるわけじゃないですか。
結局自分で自分の食事を作るっていうのは自立ですし、
その時にUber Eatsに頼むっていうのはある意味依存ですし、
そういうふうに見ていくと、
やっぱりこう自立と依存っていうのが我々の人生で一生涯我々を左右すると思うんですよね。
で、若い頃はどうしても能力高いし体力あるから、
総敵になりやすい、つまりPSポジションを取ると思うんですよ、非常に。
いやもうそんな人に頼ってるやつダメでしょみたいになって、
割と何でも自分で作って何でも自分で食べてお金も稼いでっていう、
これが何かピリッとした良い生き方って感じがするじゃないですか。
でもこれはとてもPS的な生き方でもありますよね。
どう考えても多席敵とは言えないけれども、
実は密かに相当他者を操作しているってことを偏欲無視してますよね。
例えば、いや自分はすごい自立的だからお金バッチリ稼いでどんどんAmazonから物買ってますってのは、
身代によりますよね。身代によって偉い依存的ですよね。
すっかり他人に頼っていて、自分でできることはかなり少ないはずなのに、
お金稼ぐことぐらいだったりするのに、
お金を稼ぐことによって他人が作ったものを食べて、
他人が作った調理器具を使って、他人が作ったスマホを使って、
他人が作ってくれたシステムに乗っかって注文して、
他人に物を運んできてもらって、それを良いところに設置してもらって、
お金があれば自立できるんですけれども、今の資本主義で文明化した社会では。
お金があることによってものすごく依存的になっていて、
しかしそこを頭から無視するってことになると、
現実検討という意味では結構現実検討能力が高いわけではないわけですよ。
他人の世話になりたくないから体を鍛えるとか、
他人の世話になりたくないからメンタルを鍛えるということになっていくんですけれども、
そもそもメンタルを鍛える場所があるとか、
メンタルを鍛える本が読めるということ自体が依存的ですし、
体を鍛える場所があったり機器があったり、
あるいはそういう安全な空間が用意されているってこと自体が、
今みたいにどこかからミサイルが飛んでくるみたいなことがないわけじゃないですか。
ということが既に依存的なんだけど、やっぱりこれは無視できるといえば無視できるんですが、
それは無視しているという意味では現実検討能力を下げているんだと。
考えようと思えば考えられないことではないと思うんですよ。
PSポジションの影響
それぐらいのことができるぐらいの人になってくればですね。
で、自立と依存の問題ってことごと作業に難しいわけですよ。
だからことごとくあらゆることから自立しようとする、
自分というものは自分一個で生きていける、
すごく安定した、たくましい人ですみたいになるっていうこと自体が非常に万能空想的なので、
ここでやっぱり防衛を使っているわけですね。
依存している事実というものに気づきたくないという意味で、
気づくというものが私のバルネラビリティですよね。
弱いところを突っついて、この気づくというところが自分を苦しめるから、
その苦しみから自分を防衛したいっていう、これはもう非常に普通によくあります。
依存する自分はダメな自分なんだっていうこの事実に直面したくはないから、
だから鍛えるとか、だから稼ぐとか、
だから仕事にものすごく精を出すとかそういうこともあるわけですね。
こうなってくると、その人はPSポジションを取っていて、
しかも万能空想を使って防衛をしていると。
防衛をしているんだけど、現実見当が低いようには周りの人からは見えないので、
ある意味この方向に向かって進行していくと。
別に誰かが止める理由ないですから。
何ならみんなはそれをどんどん推奨するじゃないですか、応援するじゃないですか。
いやもうあなたなんとかさんすごいね、何でも一人でできて、
時間もいつもきっちり守ってみたいなそういう風に言われて、
いつも心も健康でみたいに言われると、
気分が良くなってそっちの方向に向かっていくじゃないですか、PSのまま。
で、そうすることによって多分ですね、
これがね、うちの身内に多少起きたことなんだと思うんですけど、
一人暮らしをして親の世話にならず一人で生きていくんだみたいになるわけですよ。
そうするとしかしですね、その人が直面したくない現実は色々あるわけですよね、色々。
例えばお金だって足りなくなるわけじゃないですか。
その時足りなくならなくたって老後に足りなくなるかもしれないわけじゃないですか。
しかもそういう風になろうという人っていうのはやっぱりですね、
他人に何かを指摘されてへこまされるとか、
まあ俗にへこまされるとか言いますけど、
あなたは全然自立できてないよみたいなことを、
それは親切だとは限りないですよ。
嫌な奴だっているんで、あんたなんか全然もううちの母とか言いそうなことなんで、
全く自立できてないじゃん、こうこうこうこう。
言おうと思えばいくらでも言えるじゃないですか。
そういうのに対してカチンと来たりするわけじゃないですか。
で、その時にやっぱりより防衛的になっていきますよね。
だからいかにこう自分が間違っていないかということを、
あの情報として収集したくなるじゃないですか。
いや本当独行やで、みたいなそういう情報は今あちこちに転がっていますし、
やっぱりそういうのを吸い込むようにして、取り込みですけれども、
どんどん吸い込んでいって、あの盤の空想を高めていますよね。
いかに自分は頑張っていて優秀で一人で生きていける能力があって、
結局そこに行き着いちゃうんだけど、一人で生きていける能力。
たまたまね、Xとかフェイスブックで、フェイスブックって今言わないのかな。
フェイスブック言うよね。
石川拓木の面白い歌がありましてね。
我に頭を下げせし人。
残らず、だからあれですよね。
自分が頭を下げる羽目になった人間、みんな死んじゃえばいいのにっていう詩を彼は残してますね。
あれほどの短歌を書く人がこれを言うあたり、
人間にとって、ある種の人にとって、いかにこう人に依存しているということが屈辱的で腹立たしくて許しがたくて、
だからもう自分に頭を下げさせた奴は全員死刑ぐらいの勢いなわけですよ。
それを詩で書いちゃうわけですよ。
でもこれはやっぱり、石川拓木はともかくとも知ってですよ。
やっぱりうちの身内を見ていると母親との関係だよなと。
そう思わざるを得ないわけですよ。
この屈辱の原点をたどろうとすると、
その最初のPSポジションの時に感じた強烈な怒りがあり、
その時どういう声を使ったのか知りませんけど、
多分それこそうんこするとかいう声だったと思うんですよ。
もう許しがたい親だからうんこして私の世話をさせてやれみたいな、
そういうノリだった可能性は十分あると思うんですよ。
だって1歳とかですから、割と感触持ちな人でしたしね。
幼児の話ですよ。
なんか泣くと火がついてしまって止められないみたいな。
もうだからPSの原始的防衛の究極形態みたいな。
忍者ハットリ君の弟に心臓っていたじゃないですか。
しんちゃんだったかな。
だからつまり心臓って泣くんですよね。
泣いて相手をやっつけることができる。
あんな感じなんですよね。
泣いてやっつけることができるのは忍者くらいなもんですけど、
とにかく泣いてみんなを困らせるっていうタイプだったわけですよね。
それはもう0歳1歳の頃から。
ある意味その人のそれこそパーソナリティみたいなもんなのかもしれないですけどね。
で、こういうことなのでやっぱりその防衛機能をある意味使うわけですよ。
今でも。
本人はそういう意識はないでしょうけど、使うわけですよ。
その時万能空想がどうしてもありますよね。
泣けば何とかなるって万能空想ですよね。
泣いても何ともならないんで。
幼児が抱く万能空想ですよね。
この泣いて懲らしめて、泣いても懲らしまらないから。
やっぱりそれは万能空想ですよね。
その万能空想がそのままもちろんどんどんどんどん発展してものすごく妄想的になることができます。
自分一人で生きていくことができるんだと。
周りはバカばっかりなんだと。
で、書いてあるじゃないですか。
Xとかに周りはバカばっかりだぞと。
そういうのを集めようと思えばいくらでも集められますよね。
我々は全く間違っていないっていう。
これは親に言ってる政府だとやっぱり私には感じられるわけですね。
ここからさらに徹底することができればっていうのか、ある意味の徹底することによって
パラノイックな近くまでいくと大きいですけど、
万能空想の考察
例えば現状ぐらいであればそんなに異常自体じゃないと思うんですよ。
これ聞いていてもし不愉快になられる方がいらっしゃったら申し訳ないと思うんですけど、
僕はこれをその人の責任だとは思わないんですよね。
身内がそうだし、自分もそういう感じのところは危ないわけですよ。
僕はパラノイックまでは行かないんだけども気をつけるんでやっぱり。
ただ気をつけてるだけなんで。
そういう発想が到底理解に苦しむとは思わないんですよね。
うちの実家にやっぱりそういう傾向があるんですよね。
だからこういうといかにも実家を貶めてるみたいなんですけど、
だからこそ僕はPSとDはあくまでポジションだと思うんですよ。
うちの一家の親はやや多色的なんですね。
でも僕は彼らが未熟だと思うんですよ。
あれがみんな自責的でも結構困るんですよね。
うちの父もいつもこう自分を責め災難でいて、
家族の影響と精神的状態
俺はダメな人間だとか言って酒を飲んで、
うちの母も自分を責め災難でいて、
いい歳をしてもいつもいつも私はダメだからいなくなった方がいいのとか何とか言っていて、
で、うちの兄弟もってことで困る。これはこれで。
みんな言ってることは立派っぽく聞こえることもあるけれどもこれならば。
やっぱこれはこれで困りますよ。
で、うちの両親は掃除でそうではないんですよ。
うちの父はだからつい最近、あれはだからさっき言った大変な事態っていうのはこれなんだけど、
多分ね、何が発生したんですよ。
ほんと勘弁してほしいんですよね。
でも引きこもっている人がいて、その引きこもっている部屋の中にいて、
で、何が何がって言ってもただゴロゴロして、
なんかこう、それはいいんですけれども、
まあその高温脱出ですね今ね。
で、あそこは特に場所ごらん場所なんでめちゃくちゃ高温なんですよ本当に。
それがそれ、それも心配なんですけどね。
高温で死ぬ時代ですから今はね。
とにかく大変な事態なんですよ。
なのにうちの父と来たらですね、
私に電話をかけて、そもそも俺に電話をかけてきてどうすんだっていう、
何退治しろよってノリなんですけれども、
何だと全く思ってないんですよね。
で、私の父はこれを薬害だって言うんですよね。
まああの、ある3カ月チャレンジの方と話していて、
やっぱ政治の季節が来ちゃうんですよすぐにね。
多席的な件ですよ、要するに。
だから今三聖堂がなんか伸びているが、
薬害のようなものが放置されていて、で、俺は失神になったみたい。
それ失神じゃないしみたいな。
写真送ってきてもらったらどう見ても失神とかアトピーじゃないから、
虫に食われてるからすごく体中を、結構問題ですよね。
はっきり言って本当に。
勘弁してくれよって感じで医者に行ったんだ、
医者に行ったんだと思ったんですよね。
どうも虫に食われてるって医者は言うんだって。
いや虫に食われてるんですよそれは。
って思ったんだけど、でもあれは医者は嘘をついていて、
やっぱり俺は薬害なんじゃないかと思ってるみたいなことを言って、
マイルドですが認知症的なもの。
でもうちの父の場合これが認知症なのかどうなのかがよく分かんないぐらい、
昔から結構音ボケおじさんだったし、
急に成人の季節がやってきちゃう人だったんで、
いやそれはどう考えても虫だがどうやって納得させようかと思ったんですよね。
そしたら何のことはないんですよ。
父がですね、いやあのうちの母さんもさ、
あのうちにいるやつもさ、みんなこれなんだよねって。
いや、いやいやいやいや。
だったら虫でしょみたいな。
まず虫疑ってよっていうか、
医者言ってる通りだよっていう。
なんか昔私が、昔ですよそれこそ40年前に塗って、
ちょっと薬害の問題が問題になった、
なんか腹筋ヒストホルモン軟膏がうんたらかんたら言ってるんですけど、
だってそれ塗る前から脂肪になってんのに、
どうして薬害なんだよっていう感じなんですけど、
これがもう非常にPS的だし、非常に多積的ですよね。
で、これだけを取り上げると、
めちゃくちゃなんかこううちの父が、
幼稚っぽくてダメ人間みたいな感じなんですけど、
うちの父はですね、
なんて言うんですかね、
今ですよ、夜中の2時にぐっすり寝るタイプなんで、
起こしたりすると結構起こるんだけど、
夜中の2時に叩き起こされて、
それこそかなりPSっぽいというか、
いろんな意味でいろんな方が来ますからね、
お寺にこうやって来て、
おじおじさんお話聞いてくださいって泣いていると、
ニコニコして対応できちゃう人。
眠いんですようちの父は間違いなく。
酒とか飲んで寝てるわけだ。
そのまんま3時間話聞いて、
そのまんま朝の言行とかをできちゃうんですよ。
そういうことに対しては何にも腹を立てないんですよね。
全然多色的じゃないんですよ、こういう時は。
それは職業的な何なのかみたいなことを考えたりもしたんですけど、
よくわかんないんですよね、そういう話になってくると。
すごい昭和のお父さんなんで、
車ピカピカにしてらしくないんですよね。
アトピーの影響
部屋とかごちゃごちゃなのに車だけピカピカにして。
昭和のお父さんにそういう人いますよね、でもね。
結構いい車買って坊主なんだけど、乗ってるんだけど、
なんかこうですね、
例えばおばあさんが道に迷ってたりすると、
昔結構いらっしゃるんですよね、
微妙なラインでホームレスっぽいんだけどそうでもないような、
ご老人みたいな感じで雨ずぶ濡れだと、
車にバンバン乗せて運んであげるんですよ。
それって危険じゃないって今なら思うし、
あのピカピカにした車は全然こういう時気にならないんだなこの人はって、
私が気になっちゃうんですよ。
嫌な子供なんでね、あんまり困ったことのない寺で育った子供なんで、
僕が嫌だったんですけど、
もう僕が嫌とかはうちの父にはどうでもいいことなんで、
そういう時には全然もう隣町の駅とかまで行って、
しかも時間とかすごい惜しむ人なんですよ。
だから僕はですね、パーソナリティっていうものを信じられないんですよね。
昔から割とそうなんです。
ユングもエニアグラムとか、
うちの父はユングをちょっと読んでたんですけど、
あれを非常にバカにしてたんですよね。
それもどうかと思うんだけど、
性格類型みたいなものが信じられないんですよね。
そんな風に言えるだろうかっていう、
うちの父もそういう資賃になってみると、
まるでこう、あなたボーダーライン水準ですか?
っていうくらいわけわかんないことばっかり言ってる、
自民党のせいでアトピーになったぐらいな勢いなわけですけど、
それはダニのせいで喰われたんで、
早くバルサン炊いてくださいっていう話でしかないわけなんですけど、
そのぐらい現実見当できなくなっていくんだけど、
だからいつも達成的なのかっていうとそういうわけじゃないんですよ。
だからやっぱりこれはポジションだなって思います。
人はいろんなポジションを取りますね。
ただ、ある種の自分にとって弱い部分というか、
自分がどうしてもそれは割とたやすく苦しんでしまうというシチュエーションが始まったときに、
どうしても繰り返し用いてきた、有効だったわけではないんだけど、
防衛を用いて、その時ついでにと言いますか、
思考パターンの再生産
その防衛だけでは効かないことを本人わかってますから、
万能空想というものが、
この万能空想が人間というものを非常に良くも悪くも困惑させてるようなと思うんですよね。
すぐ始まってしまう。
なぜなら人間の知覚と想像力の組み合わせっていうのは、
すごいある種の能力の発達だと思うんですよ。
どこを考えても世界ってこうなってないのに、
どう考えても世界こうなってるとしか思えないような夢を見てきてるわけだと思うんですよね。
話がちょっと盛大に逸れてきましたけど、
最初にレターいただいたところから来ると結局こういう話になりまして、
ものすごくこう空想して生きているので、
この万能空想によって我々は、
多分混乱させられているんだと思うんですよ。
現実見当というものを捨ててしまって、
何でもかんでも自分が悪くなってみたり、
何でもかんでも隣の犬様が悪いってことになってみたり、
急にしてしまうんですよね。
何でもかんでも政府与党が悪いことになってみたり、
急にしてしまうんですよ。
そこで問題がすべて片付くような感じを抱いてしまう。
20歳の頃の私が、
彼女さえできれば人生はオールオッケーでねっていう、
どちくるったことを考えていたようにですね。
でもあの時僕は真剣にそう考えてたし、
そうとしか思えなかったんで、
近くと空想が入り乱れてしまうわけですよね。
このクラスのあの子と付き合えれば、
もう全人生がオールオッケーなのになぜ、
イエスと言ってくれないんだろうみたいな、
めちゃくちゃのPSポジションじゃないですか。
これはでも、
泣き喚くとかいうのとは違う防衛の資格ですよね。
ジゾイド的な防衛ですけどね、ものすごくね。
ものすごく万能空想に頼った防衛ですけども、
でもちょっとやっぱり、
いかにも思春期の男の子の防衛ですよね。
そういう風にポジションと取る防衛は違って、
そしてものすごくその人にとっての弱いところ、
まあ私は結局母の起源を取れないということに起因するわけですけど、
そこに原初の防衛を絶え間なく投入し続けると、
パーソナリティというものが急に浮かび上がってきてみたり、
そこから多分ディスオーダー的なノリっていうものが出てくるんだろうなと。
ただ私はもうそれをもちろんこの立場としてですね、
アセスメントできないということもありますし、
あまり今言ったような理由で興味も持てなくなってきたんです。
私にとってやっぱり大事なのは、
アトピーであったことではなくて、
アトピーであったことによって、
なんていうんですかね、
避けがたくなってしまう行動のパターンと、
この思考回避、思考のパターンですよね。
この思考のパターンがアトピーを再生産していくっていう、
その流れを断ち切らなければいけないのであってですね、
医者じゃないんで、
そこで診断して薬を出しましょうっていう話でもないし、
生活習慣病だから気をつけましょうって話ですらないし、
そういうことではないなとは、今では思います。
この再生産みたいなことをしない、
そのためにクラインとかビオンの、
お力添えをいただいているって感じなわけですよ。
松木邦博さんのでもいいんですけどね、
お力添えをいただいていると。
結局は原始的な防衛というものを繰り返すパターンと、
万能空想、万能空想自体が防衛だと思うんですけど、
万能空想の組み合わせが自体を悪化させないまでも、
好転していいところが好転できなくなっていくみたいな、
抑うつポジションの分析
そこに話の焦点を合わせて一生懸命それについて考えていると、
割といい感じの突破口が見つけられることもありました、
みたいなのが今は私が3ヶ月チャレンジで考えていることですね。
そして今日のレターのお答えになっていればいいかなと思います。
だからやっぱりポジションがディスオーダーを生むのではないと思います。
ポジションは様々なポジション、おそらくPSDだけではない、
これは代表的なポジションということだと思います。
における選択しがちな防衛で、
それが特に原始的な防衛を過剰に使用するようになるというところから、
ディスオーダーというものが浮かび上がってくるのではないだろうか、
そういう感じですね。
今日はそんな感じでレターのほう、本当にこれだけしゃべれるんで45分ですからね。
大変ありがたかったです。ありがとうございました。