おはようございます。 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャストを解明しました。
もはや旧グッドモーニングバイブス、グッドモーニングボイスだった頃が懐かしくなってきたぐらい、
パチッとならない、長い名前になってしまいましたが、1063回をお送りします。
1000回超えましたからね、もう好き勝手やろうということで、好き勝手これまでもやってきたわけですけど、
一層好き勝手やろうということで、10月3日木曜日7時26分です。
少し涼しくなって、今週ちょっとお年がちなんですけど、
まあまあタイトルを変えましてですね、
3ヶ月チャレンジ、これは解明しません。 100日セラピーとか言い出しましたけど、100日セラピーと言っちゃった都合上、
100日やります。100日やりますが、3ヶ月チャレンジです。 だからもうオプションですね。
プラス前後に数日通じたオプションとして追加。 これが第8期の3ヶ月チャレンジとなりますが、
厳密には10月の下旬から2月の上旬までやりますが、 実質11月、12月、1月の3ヶ月がメインとなります。
プラス1、2回のセッションは別にいいんですよ。 これは参加していただければよくご理解いただけるかと思うんですが、参加していただければね、
セッションの1回や2回が物を言うというのは、 そのセッションが物を言うってことはあるけど、この回数の1、2回はですね、
そんなにこの1回がいくらいくらなんだみたいなものとは全然違うと思いますので、 その辺は精神分析の考え方ってよく正しいなって思うんですが、
そういうことではないんですけどね。 ないんですが、やっぱり1回ではどうしようもないなっていうのが、 だから私お試し1回コースってやめたんですよ。
2万円となってしまいますが、お試しは4回コース。 やっぱりこういろいろ見ていくしですね、
初回インテークと言いながらも4回のセッションは、 最初の4回のセッションのアセスメント大切みたいなことが、
カウンセリングの本に一応ちゃんと書いてあるんですね、一応っていうか。
そうだな、4回だなっていうのが、これは4回じゃ本当は足りないんだけど、 4回はないと何もわかんないなっていうことがですね、
よくよくわかってきましたので、1回というのはやめました。 1回ってね、今新しい考え方に1回で決着つけるんだみたいな、
多分1回しか来てくれないというケースがあるんですよね、やっぱりね。 それはあると思うんですよ、あの1回大事みたいな考え方ね。
読んでみたんだけど、いやもうこれは無理だなっていう。 まず強引なんですよね、やっぱりね。
あそこまで強引なことをしなければならないというのが、 そもそも僕の性には全く合わないというのと、
あそこまで強引にやれてしまうというそのケースは限られると僕は思うんですよ。
これでことがうまく運ぶなら、そもそも別に3ヶ月チャレンジとか言う必要なくなるし、逆にあれでことが運んだように思っても何も実は進展がないというケースもいっぱいあるだろうから、
あれ1回難民になるのは、1回実施になるのは、あんまりそれ自体が一つの取り扱うべき何かなんですよ。
だから1回を100回やってるとかね、それはあり得ると僕は思うんですね。
これ1回を100回やるぐらいなら、100回を一つのところでやった方がどんなところでもマシなんじゃないかと思えるぐらいなんですが、
しゃあないですね、これはね。もうそういう一つのパターンもあるであろうと思います。
ということで第8期3ヶ月チャレンジを正式に募集を開始しようと思っております。
近々ですね、ページも作るし、ページ作る前に今もウェイティングリストの方もいらっしゃるんで、そちらからお声掛けをさせていただいて、
ここまでだなという、そこまではいかないと思うんですけど、ここまでだなとなったところがあれば、
一般募集は最初からしないということもないわけではない、今後はですね。
でもまあ一般募集も多分させていただくであろうとは思っております。
いずれにしてもこの4回お試しは必要なんじゃないかなっていうのが最近私思うところではありますんで、
その一般ページにも書きますけどね、お試しというものを先にやっていただくと、
そうすると今10月上旬なんで、もう割とギリギリかなというふうに思いますので、
今募集を正式にかけるという感じにしたいと思ってます。
はい、名前をわざわざ解消したんで、精神分析的ってどうよっていうことなんですけど、
まあ別に精神分析チャットだったのも精神分析的ポッドキャストにしただけですから、
いちいち説明いらないと思いますが、わかりにくかったと思いますので長くなっちゃったけど、
わかりやすく説明的なタイトルにしました。
ポッドキャストだし、精神分析的だし、別に精神分析やってるわけじゃないし、
働くメンタルを取り戻すに、朝からをつけようかどうしようか考えてるんだけど、いよいよ長くなるんで、
朝から働く意欲を取り戻す、働くメンタルを取り戻す。
前も言いましたけど、メンタルを取り戻すというのは取り戻せばいいのであって、
僕に言わせると働かなくてもいいんですよ。働くメンタルさえ戻ってくれば、
もうメンタル超大事っていうのが僕の感覚なんですね。
メンタルさえ持っとけば、これも変な話なんですけれども、
でもメンタルさえ戻ってくれば、稼がずとも働かずとも、まあいいでしょうと。
いいでしょうっていう、世の中的に良くないかもしれないけど、私的にはいいでしょうと。
そういうことがただ言いたいだけなわけですね。
働かなくてもいいですし、お金を稼がなくてもいいんですけど、
でもメンタルは働けるんだよっていう、このメンタルはね、働かないけど働けるんだよというね。
そこまでそんなにきっちりかっちり言語化する必要はないと思うんですよ。
最近言語化はやけに流行ってますけど、言語化っていうのはですね、やっぱりこれはもうパーソナリティだと思うんですよね。
言語化大好きって人はそれでいいと思うんだけど、
いちいち言語化にしてしまうと、やっぱり本体から外れてしまうんで、本体から、
実体から離れてしまうと言いたいんですけどね。
働くメンタルを取り戻すってことと、働かなくても働く気があればいいっていうのはちょっとやっぱ違うんですよね。
言葉に直してしまうとズレるんですよ。
このズレが気になる人は気になると思うんで、やたらと言語化したくないんですけれども、
これは言葉だけでやってるボットキャストなんで、言語化しないわけにはいかないですからね。
だから無理して言語化しているというところ。
ここでだってね、じーっと僕が黙って物思いに出てますとか言ったって、何も伝わりませんもんね。
だから動画ならいいのかもしれないけど、物思い動画みたいな。
でもやっぱりお題もいただかずに、ただただ鎮守黙行してても何もならないと思いますんで、
でも何回そういうのを試みにやってみてもいいかもですけどね。
はい、というよくわからない話でしたけれども、3ヶ月チャレンジ第8期をやります。
主題は働くメンタルを取り戻すです。
で、なぜ精神分析的かですよね。
ずっと精神分析の話してますが、要はこれじゃないと説明された気がしないからなんです。
私がね、私が、アトピーのことしかあり、モテなかったことしかあり、日モテって言っていいのかな、しかりです。
あのこれをね、日モテを、それは一種のミソロジーだよ、女性差別なんだよと言われても、そうかもなぁと思うだけで、
ただ辛くなるだけなんですよ。
何もそれについてそうかわかった、明日から気にするのやめました、ならないっていうのが非常に気になるところなんですね。
アトピーも同じで、何がいますとか薬塗っておきましょうと言われても治んないんですよ、それでは。
治るんだったら、ぼっくりそれで治していてですね、二度と病院行かないはずなんですよね。
何年も何年もじゃなくても何十年も病院行ってるというのは、治ってないってことじゃないですか。
で、治んないならしょうがないですよ、ある意味ね、そうは当時は絶対思わないんだけど、でも治んないならしょうがないですよ。
つまり、つまりこれをやっちゃいけないって言われるんだけど、世の中的に。世の中的というか、カウンセリング的に。
ついこれをやっちゃいけないというのは本当かと思いますよね。つまり、あの作者さんは欲打つなんだと僕は思う。
欲打つとして彼をケアしてあげればよかったんだと。今はわかんないですけど、当時は。
多分そうだと思う。僕はあの本を書くことでケアされたと思う。かなりの部分。
これが僕が思うにヒモテのねじれなんですよ。
彼はそんなことは100も承知だったのかもしれないけれども、僕は彼はあの本の中でタナトスを書くんですよね。
あのタナトスの書き方は、なんかやっぱり精神分析が刺さりきってないっていう、なんか知らないんですけどね、精神分析で刺さりきらないんですよね。
ちゃんと刺されば、これで救われるはずなのにって僕は思ってしまうんですよ。
だからヒモテの方が本当に困ってるのは彼女ができないことではないってことなんですね。
自分に自信が持てないことでもないってことですよ。男としての自信が持てないってことでもないんですよ。
女性嫌いとかではないんです。女性恐怖とかでもない。母親の不在だと僕は思うんですね。
だから彼はお母さんとまず話し合うのが良かったと思うんだけど、多分そうしても拉致開かなかったと思うんですよね。
で、お父さん出てこないんですよね、あの本の中には。欠片ほども出てこないという感じがするんです。
働く男性出てくるんだけど、どこにもこういわゆるエディプスにおけるお父さん臭さが見えてこないんで、お父さんが全然こう意識するのも嫌だっていうのがよく伝わってくるねっていう感じがしますね。
私もそうでしたから。父親嫌いだったわけじゃないですよ。そういうことでは全くない。そういうこととは違うんですよ。
いずれにしても、まあこれから説明しますけれども、要するにお母さんがコンテインしてくれなかったという思いに囚われてるんですよ。
お母さんが自分を優しく包み込んでくれなかったんですよ。くれるべき時。
だから彼女に優しく包み込んで欲しいっていう気持ちに、そこが変転してしまうんですね。
そして思春期を通り越えて、しかも僕そういうこと言われたんだけど、広告代理店に踊らされてるねっていうね。
それはそうなんだけど、広告代理店に踊らされてると思っちゃいけないんですよ。
広告代理店に踊らされてはいたんですね。だけど広告代理店に踊らされてるっていうのはあれでしょ?
なんか好きに彼女と行ったら幸せになれるみたいな、そういうCMに乗せられてるって言いたいわけですよね。
それは嘘ではない。嘘ではないんだけど、表層的すぎて意味がない。
私がやりたかったことは別に決してそういうことじゃないんでね。そういうことのはずないじゃないですか。
みんなもっとセクシャルなことを考えてると思い込んでるじゃないですか。それすらも間違ってるんですよ。
間違っちゃいないんだけど、正しくはないんですね。
セクシャルなことではないんですよ。コンティニューされること。
要するに包まれること、あるいは抱え込まれること。
ホールディングというのは少し違うのかもしれないけど、でもやっぱホールディングだと思いますね。
抱え込まれたいわけですよ。
で、抱え込んでくれる存在がいないんですね。
で、今いないのはまあしゃあない。でもいないだけって思えないんですよ。
いないだけなんだけど、これがだから
ちぶさがないじゃないですか。抽象化できてないんですね。
ないちぶさがあるになっちゃってるわけ。僕の感じは全くそういう感じですね。
データ要素ではないんだけど、現実見当はついてるんですよ。
でもないちぶさがあるってのはおかしいですよね。やっぱりちぶさがないでしょ。
この2者の微妙な違い。丸いおっぱいがあるではなかったんですよ。ギリギリ。
時々そうなってたけど。あ、丸いおっぱいがある、もうダメだみたいになってたけど、
悪い彼女がいる。違うな。なんかね、悪い奴らがいるみたいな感じなんですよね。
やっぱり現実見当が多少はついてるんで。
悪い女がいるみたいな。そいつが邪魔をしてるになると完全に陰謀論になっちゃうんで、そうは思わなかった。
悪い奴らがいるわ、正直思いました。
例えば、いいんだ男はそんなこと気にしないでいいんだみたいな、そういうわけわかんない考えを押し込んでくる、
宗教がかった連中がいるみたいな、右翼みたいだみたいに、そういう被害妄想はありました。
ありましたけど、そこ真剣には考えなかったですね。真剣に考えたのはやっぱり、ないおっぱいがあるなんですよ。
だから空想の女の子になってしまう。現実にいてほしいのに、現実にはいない。
これが、私はこれを聞いていらっしゃる方で、働く意欲がない場合、ない意欲があるになっちゃってると思ってるんですね、一つは。
ない、なんて言えばいいのかな、ないやる気があるみたいな感じ。
だから点滅しちゃうんですよ、そのやる気は。あったりなかったりする。
そして、本来あるべきだって。それおかしいじゃないですか。今ないのに。本来あるべきもへったくれもないんですよ。
まさに私が大学時代、本来彼女はいるべきだって思ってたわけ。
これがおかしいってことですよ。本来いるべきも何もないじゃないですか。いないんだから。
しかもお前、いない年月が20年ぐらい経過していなかったくせに、本来いるべきとか、どういう発想でそうなるんだっていうこと。
ここつらいんですよ、本人にとってはね。だから欲望的になっちゃうんですよ。
本来いるべきにしがみついてないと、これが万能空想になるんですけど、万能空想ですよ、完全に。
だって、いもしないものを作り出してるんで、空想の中で。
でも、皆さんやっちゃうじゃないですか。ありもしないやる気を作り出すですよね。
ありもしない完璧主義とか、ありもしない理想的な死後的とかね、よくわからないものをどんどんどんどん空想で作っちゃうわけですよ。
私からすれば、ありもしない目標を勝手に設定するのも同じで、あるべき目標とか、なるべき自分とか、
全部べきがついてる段階で、そうではないって自分でわかってるのにもかかわらず、それはありうるしあるべきなんだ。
ただ、この気持ちは、だからね、こう喋ってるときは一般論として、そんなものはないんですから、と言うんだけど、
今は、極力それを、極力抑えます。セッションでは。
あと、かいがないとなってくると、ここは踏み込むしかないなって時はありますけれども、基本踏み込まないようにします。
あるべきとか言っても、まあそうですよね、あるべきっていう気持ちはわかるっていう方向になるべく向かうようにします。
っていうのは、やっぱりですね、これもよく出てくるんですよ。パーソナリティ障害のカウンセリングの話ではよく出てくる。
本来得られて当然のものが得られてない辛さってのはやっぱりあるんですよね。
私がそれを痛感しました。やっぱりね、私の母がどうやったのか知らないですが、うちの母だからなでもな、突き放したんでしょうね。
本来やっぱり抱え込まれるべきときに、親が抱え込んでくれない。
そして自分は、そういう他の人が得ている温かさみたいな表現を取るんだけど、
家族の味わいみたいなやつね。あるいは家族の潤いみたいなやつですよ。
どう言ってもなかなかこうね、ウェットになるばっかりでうまい説明がないんだけど、本来そういうのあっていいでしょっていうことなんですよ。
本来そういうのあっていいだろうと僕もつくづく思うんですよ。自分の子を育ててみてね。
ここで受け止めるのが当然で、ここで突き放すっていうのはよっぽどだなって、よっぽどのその信念なり哲学なり、
ここでもう、たとえ救済児といえども、崖から落とすんだぜみたいな、そういうライオンみたいな考え方をしたい人もいるかもしれないけど、漫画ですよね、それはね。
で、うちの家はそれを哲学とかではなく、やっちゃうところがあったわけですよね。
で、ほらテレビ買わないとかね、そういうことですよ。やっぱりその、なんていうのかな、
信念とか価値観とか個人主義とか、結構なんだけど、なんとなくみんながやってるようにやるっていうのもなかなか大事なんですよ。
そこを突っ跳ねるってことになると、それによるコストを十分計算してかからないと、他の子はみんなテレビ見てるわけだから。
で、うちにはテレビがないわけですからね。これをご利用してしまうという、これこそうちのやり方こそ正しいっていうふうに、