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おはようございます。 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャストを解明しました。
もはや旧グッドモーニングバイブス、グッドモーニングボイスだった頃が懐かしくなってきたぐらい、
パチッとならない、長い名前になってしまいましたが、1063回をお送りします。
1000回超えましたからね、もう好き勝手やろうということで、好き勝手これまでもやってきたわけですけど、
一層好き勝手やろうということで、10月3日木曜日7時26分です。
少し涼しくなって、今週ちょっとお年がちなんですけど、
まあまあタイトルを変えましてですね、
3ヶ月チャレンジ、これは解明しません。 100日セラピーとか言い出しましたけど、100日セラピーと言っちゃった都合上、
100日やります。100日やりますが、3ヶ月チャレンジです。 だからもうオプションですね。
プラス前後に数日通じたオプションとして追加。 これが第8期の3ヶ月チャレンジとなりますが、
厳密には10月の下旬から2月の上旬までやりますが、 実質11月、12月、1月の3ヶ月がメインとなります。
プラス1、2回のセッションは別にいいんですよ。 これは参加していただければよくご理解いただけるかと思うんですが、参加していただければね、
セッションの1回や2回が物を言うというのは、 そのセッションが物を言うってことはあるけど、この回数の1、2回はですね、
そんなにこの1回がいくらいくらなんだみたいなものとは全然違うと思いますので、 その辺は精神分析の考え方ってよく正しいなって思うんですが、
そういうことではないんですけどね。 ないんですが、やっぱり1回ではどうしようもないなっていうのが、 だから私お試し1回コースってやめたんですよ。
2万円となってしまいますが、お試しは4回コース。 やっぱりこういろいろ見ていくしですね、
初回インテークと言いながらも4回のセッションは、 最初の4回のセッションのアセスメント大切みたいなことが、
カウンセリングの本に一応ちゃんと書いてあるんですね、一応っていうか。
そうだな、4回だなっていうのが、これは4回じゃ本当は足りないんだけど、 4回はないと何もわかんないなっていうことがですね、
よくよくわかってきましたので、1回というのはやめました。 1回ってね、今新しい考え方に1回で決着つけるんだみたいな、
多分1回しか来てくれないというケースがあるんですよね、やっぱりね。 それはあると思うんですよ、あの1回大事みたいな考え方ね。
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読んでみたんだけど、いやもうこれは無理だなっていう。 まず強引なんですよね、やっぱりね。
あそこまで強引なことをしなければならないというのが、 そもそも僕の性には全く合わないというのと、
あそこまで強引にやれてしまうというそのケースは限られると僕は思うんですよ。
これでことがうまく運ぶなら、そもそも別に3ヶ月チャレンジとか言う必要なくなるし、逆にあれでことが運んだように思っても何も実は進展がないというケースもいっぱいあるだろうから、
あれ1回難民になるのは、1回実施になるのは、あんまりそれ自体が一つの取り扱うべき何かなんですよ。
だから1回を100回やってるとかね、それはあり得ると僕は思うんですね。
これ1回を100回やるぐらいなら、100回を一つのところでやった方がどんなところでもマシなんじゃないかと思えるぐらいなんですが、
しゃあないですね、これはね。もうそういう一つのパターンもあるであろうと思います。
ということで第8期3ヶ月チャレンジを正式に募集を開始しようと思っております。
近々ですね、ページも作るし、ページ作る前に今もウェイティングリストの方もいらっしゃるんで、そちらからお声掛けをさせていただいて、
ここまでだなという、そこまではいかないと思うんですけど、ここまでだなとなったところがあれば、
一般募集は最初からしないということもないわけではない、今後はですね。
でもまあ一般募集も多分させていただくであろうとは思っております。
いずれにしてもこの4回お試しは必要なんじゃないかなっていうのが最近私思うところではありますんで、
その一般ページにも書きますけどね、お試しというものを先にやっていただくと、
そうすると今10月上旬なんで、もう割とギリギリかなというふうに思いますので、
今募集を正式にかけるという感じにしたいと思ってます。
はい、名前をわざわざ解消したんで、精神分析的ってどうよっていうことなんですけど、
まあ別に精神分析チャットだったのも精神分析的ポッドキャストにしただけですから、
いちいち説明いらないと思いますが、わかりにくかったと思いますので長くなっちゃったけど、
わかりやすく説明的なタイトルにしました。
ポッドキャストだし、精神分析的だし、別に精神分析やってるわけじゃないし、
働くメンタルを取り戻すに、朝からをつけようかどうしようか考えてるんだけど、いよいよ長くなるんで、
朝から働く意欲を取り戻す、働くメンタルを取り戻す。
前も言いましたけど、メンタルを取り戻すというのは取り戻せばいいのであって、
僕に言わせると働かなくてもいいんですよ。働くメンタルさえ戻ってくれば、
もうメンタル超大事っていうのが僕の感覚なんですね。
メンタルさえ持っとけば、これも変な話なんですけれども、
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でもメンタルさえ戻ってくれば、稼がずとも働かずとも、まあいいでしょうと。
いいでしょうっていう、世の中的に良くないかもしれないけど、私的にはいいでしょうと。
そういうことがただ言いたいだけなわけですね。
働かなくてもいいですし、お金を稼がなくてもいいんですけど、
でもメンタルは働けるんだよっていう、このメンタルはね、働かないけど働けるんだよというね。
そこまでそんなにきっちりかっちり言語化する必要はないと思うんですよ。
最近言語化はやけに流行ってますけど、言語化っていうのはですね、やっぱりこれはもうパーソナリティだと思うんですよね。
言語化大好きって人はそれでいいと思うんだけど、
いちいち言語化にしてしまうと、やっぱり本体から外れてしまうんで、本体から、
実体から離れてしまうと言いたいんですけどね。
働くメンタルを取り戻すってことと、働かなくても働く気があればいいっていうのはちょっとやっぱ違うんですよね。
言葉に直してしまうとズレるんですよ。
このズレが気になる人は気になると思うんで、やたらと言語化したくないんですけれども、
これは言葉だけでやってるボットキャストなんで、言語化しないわけにはいかないですからね。
だから無理して言語化しているというところ。
ここでだってね、じーっと僕が黙って物思いに出てますとか言ったって、何も伝わりませんもんね。
だから動画ならいいのかもしれないけど、物思い動画みたいな。
でもやっぱりお題もいただかずに、ただただ鎮守黙行してても何もならないと思いますんで、
でも何回そういうのを試みにやってみてもいいかもですけどね。
はい、というよくわからない話でしたけれども、3ヶ月チャレンジ第8期をやります。
主題は働くメンタルを取り戻すです。
で、なぜ精神分析的かですよね。
ずっと精神分析の話してますが、要はこれじゃないと説明された気がしないからなんです。
私がね、私が、アトピーのことしかあり、モテなかったことしかあり、日モテって言っていいのかな、しかりです。
あのこれをね、日モテを、それは一種のミソロジーだよ、女性差別なんだよと言われても、そうかもなぁと思うだけで、
ただ辛くなるだけなんですよ。
何もそれについてそうかわかった、明日から気にするのやめました、ならないっていうのが非常に気になるところなんですね。
アトピーも同じで、何がいますとか薬塗っておきましょうと言われても治んないんですよ、それでは。
治るんだったら、ぼっくりそれで治していてですね、二度と病院行かないはずなんですよね。
何年も何年もじゃなくても何十年も病院行ってるというのは、治ってないってことじゃないですか。
で、治んないならしょうがないですよ、ある意味ね、そうは当時は絶対思わないんだけど、でも治んないならしょうがないですよ。
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治ったというのが気になるところじゃないですか。
素人くさかろうと、野の医者だろうと、搾取されていると治ったってのが大事なんですよ。
治ってないのに、そっちが正式です。だから納得しなさいっていうのは納得できないわけですね。
この二つだけじゃないんだけど、もう一つぐらいはあるんですけどね。
要はこの二つ三つを説明するのに、私は精神分析以外の説明に納得がいったことがないと。
したがって他にもそういう人はわんさかいるだろうというのが、このポッドキャストを続けている最大の趣旨ですね。
働くメンタルがどっか行っちゃいましたというケースも同じだと思ったんですよ。
先送りを繰り返してしまうというのも同じだと思ったんですね。
行動主義ではどうにもならないんじゃないかと思っております。
いくらかは週間化によって先送りしなくなるのかもしれませんけれども、何にもそれではならないんじゃないかと私は思うんですね。
私自身の話に戻しますけれども、要はこれはですね、精神分析的に言うとまた一つ欲打つかなと思ってます。
ヒステリーと言いたいところもあるんですけれども、どっちにしても欲打つというのが一番根っこのところにある課題だっただろうと思うんですね。
精神病性打つとかじゃないです。あそこまでは全然いかない。いわゆる大打つとかでは僕はない。
こういうことではなくて、難因性の打つでもないと思うんですね。
しかし欲打つ傾向はひどかった。
この欲打つ傾向がひもてという問題を著しく悲惨な感じを抱く理由になっていて、だからあまりにもひもてだったわけですよ。
こじらせてるって俗に言われてるやつですね。
で、それ自分の話と関係ないんですけどって聞いてる方は思われるかもしれませんけど、先送りを繰り返しているとか働くメンタルがどっか行きましたというのは僕からすると変わらないんです。
同じ問題なんですよ。まず現代的に一番近いと思われるのが、それを相談する人がいないと僕は思います。
働く気しないんだよねとか、ちょっと体動かなくてとか言っても、薬とか出されてしまったら話を聞いてもらえてる気はしないんじゃないかと思うんですね。
あるいは逆算とか提示されてしまって、じゃあそれは、こういうモチベーションが不足しているから仕事が面白くないんですよみたいなことを言われても、僕なら全然一個打にしないってやつですね。
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ふーん、そうなんだって感じしか全く響かない気がします。そう言われても。実際全く響かなかったし。なんかこう、かが飛んでる音が鳴ってるぐらい、ちょっと不快以外は何も感じないみたいなそういう話を聞いても、全然そういうことではないなって気がするんですよ。僕の場合ひもての話ね。
まずあの、働く意欲を僕にもたらす前に彼女を用意しろって僕は言いたかったんで、本当に。
お前彼女持ってきてから話はそれからだってやつですよ。 この感覚に近いものがね、私はあると思うんですね。
これを聞いている方が女性ならば、母親を用意しなさい。話はそれからだ、というのに近い。 ここに目標を用意されても困るんですよね。全然話が違うじゃんっていう感じがする。
しかも僕ひもての良いところは、良くはないんだけど、母親不在という問題、まあおっぱいの不在の方がいいね。
エリフスコンプレックスが絡んでるわけじゃないですか。 どっかに男として自分の魅力は、まあ僕完全にそう思ってましたから、男として自分の魅力は
えっとなんかもう、最下位街道マッシグラの時代のヤクルト・スワローズぐらいな感じだ。 これ通じないか。昭和のね、最後の頃のヤクルトさんは酷かったんですよ。
今年もちょっと最下位争いで苦しんでますけど、あんなじゃないですよ。なんかダントツでずっと最下位みたいな。毎年毎年毎年。
あれでよく見売りしなかったなって思うぐらい、今東京ヤクルトになってからは結構優勝とかしますけどね、優勝なんて絶対考えられないだろうっていう。
優勝するのが巨人でしょっていう感じだったんで。あのヤクルトとか太陽とかね、なんでこの地位にいつもいるんだろうっていうぐらい下にいた。
あれを、あれが男性としての自分なんですよ。 これじゃ伝わんないかな。
とにかく優勝する奴だけが彼女が作れるんですよ。悲惨なもんですよね。なんかゲーム差30.5とか書いてあるわけですよ。
どうやればここをひっくり返せるってこの発想がいけないんだけど、これがある。これがエディブスコンプレックスなんですよ、僕の場合。
なんでうちのあんな親父に男として勝てないと私は思ってたのかわかりませんが、酷かったんですよね、僕にとってはね。
男子の集まりはどこに行ってもひけ目を感じるというね。どこに行ってもですよ、本当に。
だからもうこの2つがあるから、もうお母さんは欲しいわ、お父さんには勝てないわ、絶望しかないじゃないですか。ここに欲打つがあるんですね。
これがヒモテの品格に僕が思うに、1ページから最後のページまで書き続けられていた話なんです。
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つまり、つまりこれをやっちゃいけないって言われるんだけど、世の中的に。世の中的というか、カウンセリング的に。
ついこれをやっちゃいけないというのは本当かと思いますよね。つまり、あの作者さんは欲打つなんだと僕は思う。
欲打つとして彼をケアしてあげればよかったんだと。今はわかんないですけど、当時は。
多分そうだと思う。僕はあの本を書くことでケアされたと思う。かなりの部分。
これが僕が思うにヒモテのねじれなんですよ。
彼はそんなことは100も承知だったのかもしれないけれども、僕は彼はあの本の中でタナトスを書くんですよね。
あのタナトスの書き方は、なんかやっぱり精神分析が刺さりきってないっていう、なんか知らないんですけどね、精神分析で刺さりきらないんですよね。
ちゃんと刺されば、これで救われるはずなのにって僕は思ってしまうんですよ。
だからヒモテの方が本当に困ってるのは彼女ができないことではないってことなんですね。
自分に自信が持てないことでもないってことですよ。男としての自信が持てないってことでもないんですよ。
女性嫌いとかではないんです。女性恐怖とかでもない。母親の不在だと僕は思うんですね。
だから彼はお母さんとまず話し合うのが良かったと思うんだけど、多分そうしても拉致開かなかったと思うんですよね。
で、お父さん出てこないんですよね、あの本の中には。欠片ほども出てこないという感じがするんです。
働く男性出てくるんだけど、どこにもこういわゆるエディプスにおけるお父さん臭さが見えてこないんで、お父さんが全然こう意識するのも嫌だっていうのがよく伝わってくるねっていう感じがしますね。
私もそうでしたから。父親嫌いだったわけじゃないですよ。そういうことでは全くない。そういうこととは違うんですよ。
いずれにしても、まあこれから説明しますけれども、要するにお母さんがコンテインしてくれなかったという思いに囚われてるんですよ。
お母さんが自分を優しく包み込んでくれなかったんですよ。くれるべき時。
だから彼女に優しく包み込んで欲しいっていう気持ちに、そこが変転してしまうんですね。
そして思春期を通り越えて、しかも僕そういうこと言われたんだけど、広告代理店に踊らされてるねっていうね。
それはそうなんだけど、広告代理店に踊らされてると思っちゃいけないんですよ。
広告代理店に踊らされてはいたんですね。だけど広告代理店に踊らされてるっていうのはあれでしょ?
なんか好きに彼女と行ったら幸せになれるみたいな、そういうCMに乗せられてるって言いたいわけですよね。
それは嘘ではない。嘘ではないんだけど、表層的すぎて意味がない。
私がやりたかったことは別に決してそういうことじゃないんでね。そういうことのはずないじゃないですか。
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みんなもっとセクシャルなことを考えてると思い込んでるじゃないですか。それすらも間違ってるんですよ。
間違っちゃいないんだけど、正しくはないんですね。
セクシャルなことではないんですよ。コンティニューされること。
要するに包まれること、あるいは抱え込まれること。
ホールディングというのは少し違うのかもしれないけど、でもやっぱホールディングだと思いますね。
抱え込まれたいわけですよ。
で、抱え込んでくれる存在がいないんですね。
で、今いないのはまあしゃあない。でもいないだけって思えないんですよ。
いないだけなんだけど、これがだから
ちぶさがないじゃないですか。抽象化できてないんですね。
ないちぶさがあるになっちゃってるわけ。僕の感じは全くそういう感じですね。
データ要素ではないんだけど、現実見当はついてるんですよ。
でもないちぶさがあるってのはおかしいですよね。やっぱりちぶさがないでしょ。
この2者の微妙な違い。丸いおっぱいがあるではなかったんですよ。ギリギリ。
時々そうなってたけど。あ、丸いおっぱいがある、もうダメだみたいになってたけど、
悪い彼女がいる。違うな。なんかね、悪い奴らがいるみたいな感じなんですよね。
やっぱり現実見当が多少はついてるんで。
悪い女がいるみたいな。そいつが邪魔をしてるになると完全に陰謀論になっちゃうんで、そうは思わなかった。
悪い奴らがいるわ、正直思いました。
例えば、いいんだ男はそんなこと気にしないでいいんだみたいな、そういうわけわかんない考えを押し込んでくる、
宗教がかった連中がいるみたいな、右翼みたいだみたいに、そういう被害妄想はありました。
ありましたけど、そこ真剣には考えなかったですね。真剣に考えたのはやっぱり、ないおっぱいがあるなんですよ。
だから空想の女の子になってしまう。現実にいてほしいのに、現実にはいない。
これが、私はこれを聞いていらっしゃる方で、働く意欲がない場合、ない意欲があるになっちゃってると思ってるんですね、一つは。
ない、なんて言えばいいのかな、ないやる気があるみたいな感じ。
だから点滅しちゃうんですよ、そのやる気は。あったりなかったりする。
そして、本来あるべきだって。それおかしいじゃないですか。今ないのに。本来あるべきもへったくれもないんですよ。
まさに私が大学時代、本来彼女はいるべきだって思ってたわけ。
これがおかしいってことですよ。本来いるべきも何もないじゃないですか。いないんだから。
しかもお前、いない年月が20年ぐらい経過していなかったくせに、本来いるべきとか、どういう発想でそうなるんだっていうこと。
ここつらいんですよ、本人にとってはね。だから欲望的になっちゃうんですよ。
本来いるべきにしがみついてないと、これが万能空想になるんですけど、万能空想ですよ、完全に。
だって、いもしないものを作り出してるんで、空想の中で。
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でも、皆さんやっちゃうじゃないですか。ありもしないやる気を作り出すですよね。
ありもしない完璧主義とか、ありもしない理想的な死後的とかね、よくわからないものをどんどんどんどん空想で作っちゃうわけですよ。
私からすれば、ありもしない目標を勝手に設定するのも同じで、あるべき目標とか、なるべき自分とか、
全部べきがついてる段階で、そうではないって自分でわかってるのにもかかわらず、それはありうるしあるべきなんだ。
ただ、この気持ちは、だからね、こう喋ってるときは一般論として、そんなものはないんですから、と言うんだけど、
今は、極力それを、極力抑えます。セッションでは。
あと、かいがないとなってくると、ここは踏み込むしかないなって時はありますけれども、基本踏み込まないようにします。
あるべきとか言っても、まあそうですよね、あるべきっていう気持ちはわかるっていう方向になるべく向かうようにします。
っていうのは、やっぱりですね、これもよく出てくるんですよ。パーソナリティ障害のカウンセリングの話ではよく出てくる。
本来得られて当然のものが得られてない辛さってのはやっぱりあるんですよね。
私がそれを痛感しました。やっぱりね、私の母がどうやったのか知らないですが、うちの母だからなでもな、突き放したんでしょうね。
本来やっぱり抱え込まれるべきときに、親が抱え込んでくれない。
そして自分は、そういう他の人が得ている温かさみたいな表現を取るんだけど、
家族の味わいみたいなやつね。あるいは家族の潤いみたいなやつですよ。
どう言ってもなかなかこうね、ウェットになるばっかりでうまい説明がないんだけど、本来そういうのあっていいでしょっていうことなんですよ。
本来そういうのあっていいだろうと僕もつくづく思うんですよ。自分の子を育ててみてね。
ここで受け止めるのが当然で、ここで突き放すっていうのはよっぽどだなって、よっぽどのその信念なり哲学なり、
ここでもう、たとえ救済児といえども、崖から落とすんだぜみたいな、そういうライオンみたいな考え方をしたい人もいるかもしれないけど、漫画ですよね、それはね。
で、うちの家はそれを哲学とかではなく、やっちゃうところがあったわけですよね。
で、ほらテレビ買わないとかね、そういうことですよ。やっぱりその、なんていうのかな、
信念とか価値観とか個人主義とか、結構なんだけど、なんとなくみんながやってるようにやるっていうのもなかなか大事なんですよ。
そこを突っ跳ねるってことになると、それによるコストを十分計算してかからないと、他の子はみんなテレビ見てるわけだから。
で、うちにはテレビがないわけですからね。これをご利用してしまうという、これこそうちのやり方こそ正しいっていうふうに、
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うちの親父は思ったんでしょうけどね。そしてその親父についていくのが絶対結局間違いないんだと母も思って、
それ自体の価値観として一定の健全さはあると思うんですけど、でもね、よく考えてみると、やっぱりそんなことをすれば、
親の絶対性があまりにも先行してしまって、子供が本気で悩んでいるとき、例えば彼女できないとかね、
勉強できないとか、そんなに有名な私立中行っちゃってるけど、後ろから数えて5番目以内に入りそうですっていう時に、
もっと勉強しなさいとかじゃ全然ダメだと思うんですよね。全然。そんなもっと勉強したところでどうしようもないわけですから。
それが、お前もっと勉強すればいけるんだよと平然と言いながら、英和時点をまともに引けやしないと、うちの母はね。
これはやっぱりダメですよね。例えば、うちの父もそうですけれども、
もっと英語やれみたいなこと言うけれども、英語の長文読んでも読めやしないわけですよね、父にはね。僕は軽く読めるわけですよ、そのくらいの英文は。
これで、お前もっと勉強しろって言われても、だからつまり、それでもいいんですよ。親ってそんなもんなんで、それでも全然いいんだけれども、
こういう家にテレビがなかったらどうよってことなんですよ。テレビがあるという家であればですね、このその他大勢的な所詮、限界のある長寿が、やっぱり長寿がって言葉はここで要りますよね。
なんかね、親の暴力性とか、一面的すぎると思うんですよね。親があまりにも大暴だとか、毒親だとか言うと、もう悪いっぺんとになっちゃうじゃないですか。
でも、うちの親は別にそういうわけじゃなかったのはわかるし、当時ですらわかるし、当時腹が立ったけど、でもわからなくはないし、つまりそれは愛情ゆえにやってることだっていうのは、愛情が相当ずれてたとしてもね、それが教育方針ゆえにやってたことだっていうのは、まあわからないではないじゃないですか。
だからあれは、大暴とか暴力的とか毒とかそういうことでは表現しきれてないと思うんですよ、やっぱり。そうじゃなくて、原始的長寿が、あるいは長寿が敵に過ぎるとか、そういう表現をとるしかないと思うんですよね。
で、なんでそんな面倒くさい過去の専門的な言葉がいるのかっていうと、やっぱりそこには、今言ったように、良いものと悪いものが両方混在していて、非常に分解しきれない何かを感じる。そして親も結局はそういう、自分の考えだと思い込んでるんだけど、ここもさらに含めてね、自分の考えだと思い込んでいる、実は自分の考えではない。
明らかにテレビは子供の脳に良くないみたいなものを、注入されてきたに過ぎない。新聞とかから。それはやっぱり長寿がなんですよ。文化的規範みたいなものを親がインストールし、それを親が子供に良かれと思って標高に押し付けてる。これは全く長寿が敵だと思うんですね。
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実家として毒になるからといって、親が毒であるっていうのは、やっぱり僕はすごい自然なものというか、説明になってるようでなってないなって感じがする。それはただ子供が反発心というものを表現しているに過ぎないような気がするんですね。
もう少し実態に迫っていかないと、結局それが何をもたらしてしまうかということがわかってこないと思うんですよ。やっぱり長寿が未熟であり、未熟ですよね、この長寿が。子供にテレビさえ見せなければ子供が良くなるみたいな非常に短絡的なところがあるから。
親父はテレビ嫌いだったんでしょうね。でも今テレビにべったりなんで、もうちょっと距離をとってみてねっていうね。目と耳悪くなる一方だからさ、それじゃっていう感じなんですけどね。まあ、じいさんになっちゃったわけですね。
こういう長寿が思っているものに対して反発していこうとすると、当然反発は厳しくなるわけじゃないですか。親は正しさについての確信があるわけだから。その分、親がダメだと感じた時のダメっぷりが僕に重くのしかかってくるわけですよ。ここが言いたいわけですね。
しょうもない親だな、だからしょうもないこと言うんだなっていうのが、ものすごくしょうもないなって感じになってくると、余計結局のところ、まだ逆らえない時代なわけですから、逆らったところで自分で生計立たないわけですから、ここがまさにエリプスコンプレックスなんだと思うんですけど、ここで俺にリソースがあればって、ヤンキーだって思うわけじゃないですか。
だから大人の真似をするわけですよね。金はかつあげで手に入れるみたいな。そういう、ここもまた総合的なんですよ。プリミティブなわけ。原始の世界だったらそうじゃないですか。金はかつあげで手に入れる。なんなら賛俗して手に入れるみたいな。やってることは変わらないんですよ。つまり、遺族ってことは、その分こなれなくなるってことなんで、この年になればそんな柱金を賛俗して手に入れる必要は全然ないってことがよくわかるわけだから、
そういう手は取らないんですけれども、15代、16歳とかだったら結局のところ勤めるとかね、一番単純にやれることしか考えつかないわけですよ。この世界に入るということは、親の正しさがより堅毅に見えているというか、より堅毅に作り出されてしまっているっていうことなんですよ。
他の家もそうしてるんだから、うちだってそうするよっていう家であれば、他の家もそう言ってるから、英語勉強しろって言うよってことならば、反発もしやすければ、反発するためのエネルギーも大していらないんだけど、他の家にテレビがあっても、うちにはないぐらい俺は正しいんだから、その俺が言うんだからって言ってわけわかんないことを言い出すと、非常に反発するという気持ちが錯綜して強化されて、怒りのエネルギーが強くなる。
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つまり、タナトスが強くなるわけですね。このタナトスを心に抱えてしまうので、死衝動って言うんですけども、破壊衝動でもいいですよね。
要はこの、毒親みたいに思うってことなんだけども、攻撃的で破壊的なものなんですよ。毒親だと思ってるとか、親が毒であるとか言ってるだけでは、それって外部の話をしてるんで、ここで終わってしまうんですね。
だから親を、そんな親とは離れましょうって、離れる年まではどうするんだっていうのが、あそこに何もないじゃないですか。当時はだいたいそういう言葉すらなかったし、その親子カウンセリングみたいなのって全然現実的にはなかったわけですから、結局我慢するしかないわけじゃないですか。それじゃダメだと思うんですよ。
こうやってすごく強く思う親に対しての、毒だと思ってるっていう、どっちかというと親が毒かどうかよりは、思ってるってことの方が大事で、メンタルの方が大事で、この非常に強い攻撃的な欲望というものがですね、自分を攻撃しているっていう話には全然気づかないんだけど、そうなるわけですよね、どうしたって。
例えば、例えばですけれども、夢の中で親をボコボコに殴るとか、一歩間違えたらミンチ肉にするぐらいの勢い。これ怖いじゃないですか。これって一歩間違えたら自分こういうことしでかしかねないなみたいな気持ちに対して検閲がかかってるわけでしょ。これを夢の検閲って言ったんだと思うんですよね、フロイトは。夢の中だから安全だから、夢の中でどうぞっていうわけですよ。現実でこれしちゃダメよってことですよね。
というぐらい扱いに困る私の中のパワーがあって、これはですね、自分が抱えていると非常にこう、いろんな意味で自己制御力というものを高めなければ当然ならなくなりますよね。既に高まってますよね。
無意識の方で、いやこれちょっとやばいからこいつ夢見させておこうみたいな、既にこういろんな手立てが講じられるほどのパワーで、私なんか全然いいわけですよ。家にテレビがなかった程度なんで。もっともっとこう家がややこしくなってたところ、もっともっとこのエネルギーが高まっているはずなんですよね。
だから余計こう無意識の方で一生懸命頑張っていて、現実はこうならないように気をつけなきゃみたいになってるわけですよね。この現実を切り替えたいじゃないですか。無意識でも自意識の方でも。だからすごい平和な世界を作り出したくなるわけですよ。
超平和世界みたいな。ここにいればこの人は愛の世界に生きられるみたいな。だから彼女が欲しくなる。それもものすごく理想的な状態で。二人きりの世界みたいなものを作り出したくなるわけですよ。この世界に行きたいから仕事をする気になるとか、勉強する気になるとか、親を攻撃しないとか、もちろんテレビなんかいらないみたいな。
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あらゆることをまかなえるような万能的なものがここに用意されるっていうのがまず夢で見させられるわけですよね。こういう夢を見させられるわけ。起きてても無意識のうちにどんどんどんどん送り込まれる。これが私の自意識に変換されると彼女を作ろうになるわけですよ。
で、問題なのはできないってことだったわけですね。できないってことが問題だ。でもこの問題の一番の根幹はできないことじゃない。この空想を作り出されること。だからメラニ・クラインという人が、フロイトの結局対処関係論のご先祖様ですけれども、オリジナルの人ですけれども、メラニ・クラインという人が無意識的空想というのは本能、本能の現れであるっていうような言い方をする。
要するに本能欲動というものが無意識の空想を見させて、その無意識の空想というものが結局のところ意識化されると、なんか現実に可能そうな万能空想みたいになってくるんですよ。これを私たちはつかんでるはずだと思うか思うんです。
僕がひもてだっていうことに苦しんでいるってことを自覚できていたように、これを聞いている人もそうでない人もですね、皆さん持ってると思うんですよ、そういうもの。この意識的、意識化された万能空想の、例えばそれが死後的とかでもいいんだけれども、意識化された万能空想の元となる無意識的な空想は何かっていうのを問い正すと、
その手前、そのさらに無意識的な空想を作り出した原因になった何かが見えてくる。そこには必ず何かが喪失されたというような経験。私の場合のようにテレビが、テレビが喪失されたのは象徴でしかなくて、私はテレビはどうでもよかったんだけど。
要するにこの親の長寿がというものはやけ、やたらと強い。この親の長寿がやたらと強い中にさらにその親の長寿がの手前勝手な哲学のおかげでなかったものがある。それが母のコンテナーなんですね。ここに戻ってくるわけ。母のコンテナーが欲しい。それが抑圧されて強硬に、強圧的な世界の中で手に入らずにいたから、それが無意識の中ですごく欲しいものになり、
しかもそれが万能化されたものが欲しいものになり、過剰に期待してるわけですよ。親のコンテナーなんて大したことはないわけですよ。でも影響されるべきだったわけですね。親のコンテナーって大したことないに決まっていますよね。
私立中の後ろから数えて何番目でも、それに対して私を受け止めてくれたからといって急に成績が進調するってことは考えられないわけです。そこまでの機能はないけれど、それがないままに1日8時間も10時間もわけわかんないことを勉強はできないわけですよ。
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ここにこの働くメンタルにせよ、勉強するメンタルにせよ、何にせよ、メンタルが機能しないときにあるはずのこと、あるいはないことってのがあって、そのないものってものがないおっぱいみたいな、ないんだから当然ないんだけれども、それがあるべきだっていうのとてんめつしてるわけですよね。
これだけの収入を稼ぎ出せる自分であるべきだとか、これだけの収入を稼ぎ出せる仕事を見つけ出すべきだとか、考え始めるべきだとか、アイデアですね、発想するべきだとか、あるいはこう、朝活動するべきだとか、何でもいいんですけれども、そういうものの一番大元のところには大体というかほぼ絶対に喪失した何かがあるんですよ。
本来人間というのはこういうものを持っていて叱るべきだったのに、当然そうだと僕は思うんですね。
11歳なんだので、あんなに過酷な中学受験やったんだから、それに対してもっとあるべき手当てがあったはずなんですよ。塾の先生がなんかこうね、メガネ落とすから頭出せみたいな、そういうところにただ押し込めておくっていう、そして受かったんだから、この子ももう達成感いっぱいでOKだろうみたいな、全然そうではないっていう部分があったはずなんですね。
このあったはずのものがないもんだから、ない何かを作り出してしまうわけ。そしてそれがただないだけなんだということが自分で受け入れられないわけですよ。
同じ頃に並行して動いていたのが私にとってのアトピーだったわけですね。こっちはもう多分トラウマになってますね。今の私の感覚から考えて。全くアトピーないのに時々その恐れが入ってくるっていうのは、いわゆるPTSD的ですよね。土だけど。
最近C-PTSDみたいな表現ありますけど、土なんですよね。ずっと入ってくる挿入みたいなものがあるわけですよ。
多くの人は、多くはないと思うんだけど、これ聞いてる方なんかの場合には、親にされたことがやっぱりふっと入ってくるっていう瞬間がきっとあると思いますね。
だからトラウマっていうのがありまして、トラウマっていうのも同じだと思うんですよ。そういうことが本来なくていいはずだ。まずトラウマだからね。なくていいはずだっていうのがあるわけですよ。
で、その時になくていいはずだっていう思いの裏には、何かがあればそんなものはありえないっていうのがあるわけです。
親として常識的な愛情みたいなやつですよね。話が僕のと似てくるじゃないですか。
常識的な愛情があれば、そういうところでそういう振る舞いしないだろうっていう、例えば炎天下で晒しておいて、自分は涼しいところでジュースを飲みながらワイドショーを見てるみたいなね。
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これ自体がトラウマになりうると思うんですよ。だけども、常識的な愛情があれば、なんか違うことをせめて同じ場所でワイドショーを見ながらアイスティー飲ませりゃいいだろうっていうような話なんですよ。
この課題を、毒をやっていうことが何かにならないじゃないですか。
だから、ましてこういう挿入が来ますって言った時、じゃあその挿入を止めるためにこういうお薬がありますって、なんか違うと思うんですよね、私は。
やっぱり、どうして何かがないことがそんなに問題だったのかを説明してくれない。あるいは、どうして何かがあったことがそれほど問題になっているのかを説明してくれないと。説明してくれるのが精神分析だけなんですよ。
他は説明というものをしないという原理に基づく考え方で来てしまってるから、説明がないわけですね。
ただ、PTSDですってことになってくると、それは心的外傷後のストレスですみたいな話になって、まるで何か出来事そのものが悪いから、そういう出来事に晒されればそうなるのはしょうがないから、そういう考え方もあるとは思うんですけどね。
地震みたいな、今回ミサイルがいっぱい降ってきてる映像が何度もありますけど、あれに晒されてしまったら、子供だったらね、それはPTSDにもなるよねっていう。
でも、やっぱり説明が欲しくなると思うんですよ。何でミサイル降ってくるのかっていう。降ってきたからPTSDになりましただけでは、人は納得できないんじゃないかっていう気がしますね。
納得できないと薬なんて飲めないじゃないですか、やっぱり。だから3つの線が今、我々は幸いにもと言いますか、そういう言い方はいけないと思うんですけど、日本にいますから。
我々にとってのお馴染みのものってやっぱり、一つは万能空想に浸るための反復なんですよね。私の場合はモテるための行動に全てが集約されていったように。
で、私のような極端な人間はそうなりますけれども、そうならない人、例えば少しふわっとした気持ちになれるお酒を飲むとか、そういうこともあり得ると思う。つまり常習的な常動行動ですよね。常動行動からの依存行動みたいな、そういうパターン。
これが一つ、普通に一番考えられる。結局それは、ある無いものというものを手に入れたい、あるいは無いという現実を何とか紛らわして排出してしまいたいという気持ちから来る常動行動だと思うんですよ。
ふわっとした気持ちになることで、無いおっぱいが無いってことを漠然とさせたいって気持ちがまずあるわけですね。これが一つですよね。だから常動行動ですよね。依存症と呼ばれているものは、物質に特に変転した場合の話だと思います。
もう一つが、万能空想です。だからやっぱりこれ精神分析の表現になっちゃうと思うんですね。万能空想、自己愛でもいいですね。自己愛と万能空想、でもどっちも精神分析の言葉ですから。私の場合は、彼女ができれば全問題は解決する。
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特に中でもとびきり大事だったのが、アトピーが治ると信じていたというこれですよね。これも結局子供の頃に得られなかったものというものが、無い○○になってしまって、無い○○があるべきだになって、ここが理想化されるケースがすごく多いと思うんですよ。
で、それって結局、自己完結しちゃってるじゃないですか。○○があれば自分は○○な自分になれるから、現実という問題を全部解決できるんだっていうのは、全部自分の世界の中だけで完結してますよね。非常に自己愛的で、対象と自分の距離という、いきなりそういう話をするのは分かりにくくて聞けないですね。
要するに、一見したところ何かのためにやるとか、あるいは何かが自分に手に入ればと言ってるんだけど、言ってるものが全部自分の欠落だけが問題になってるんで。だってここで僕が言っている理想の彼女って、それはお前だろって感じがしません?
あなたが考えてる人間でしょ。そういう人間はいないでしょってことですよ。こういうことが、でも外在というものによってごまかされる。私たちそう思ってましたもん。そういう女性がどこかにいるって思ってましたもん。これだと笑われるんだけれども、2倍の売上が外部に立つって考えると、人は笑わなくなるじゃないですか。
今年の2倍っておかしいじゃないですか。ただただ2倍っていうのは何の根拠もない。それはすごく自己愛的ですよね。自分が2倍欲しいって言ってるの、社長さんが。さも、ある現実の中にはその2倍の収入があり得るんだっていう。外在するんだ。こういう風なものを作って、こういう風な売り方を頑張れば、2倍のお客様が買ってくれるんだって。これは外在化されてるじゃないですか。
でもその発想のもとにあるのはすごく自己愛的ですよね。俺2倍の金欲しいんだよっていう話じゃないですか。その2倍を外在化してしまってる。だから今ないものがない○○にない売上になってしまってる。そしてその売上があるはずだってことになってしまってるわけですよね。
こういう万能空想が私たちを非常にこうメンタルをダメにしていくものだと思うんです。ないものには向かえないってことですよね。ないってことをただまず現実認識をもっと正確にしましょうと。彼女がいない人はいっぱいいるしそれで大丈夫ですよ。まあこれが納得できないんですよ。売上が2倍じゃなくても大丈夫ですよと2倍にしたっていうのはわかるけれども。
これが2つ目ですね。そしてそこの結果から来るその情動行動、依存症的な行動、万能空想がセットになって、そしてそこに万能空想じゃないケースではトラウマってものがやってきていて、トラウマが来るとやっぱり情動行動になってしまいますよね。非常に多くの場合。
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最近あれなんですよ。埼玉県の方でしたっけ。国分寺とかでガラス叩き割るみたいなそういうのを繰り返し繰り返し、なぜか繰り返し繰り返し報道されてるから繰り返し繰り返し見てしまうわけですね。うちの家族の人が。そうすると窓を一切昼から開けるのやめようみたいなそういう独特の情動行動、あれだからプチトラウマ。あれがリアルに体験するとトラウマってことになるんだろうなって感じがするんですよ。
トラウマってのは結局ないものってのが認識できなくなっていくんですよね。あるもの、なんて言えばいいんですかね。精神病用と似てくるんだと思うんですけれども、私のナトピーがそうなんだけど、ナトピーになってもいないのにフッと挿入されてきて肌がえぐられるような感じになったら嫌だなまたみたいな感じって。
なんかないものがあるっていう世界が発生しちゃうという点ではものすごく悪いおっぱいと似た雰囲気になるんですね。このトラウマは直ちに抑鬱的に、抑鬱ですよね。言ってみればトラウマと抑鬱っていうのはもう本当にコインの表裏って感じでして。
今の説明の中ではすごい難しいですけども、万能空想ともよく似てるんだけど、ない悪いものがある。だから悪いおっぱいがあるにも限りなく接近してしまっているんですよ。ただそれが現在そうでないのはわかってるから精神病と僕はやっぱりちょっと違うと思うんですけれども。
でも未来そうなるっていうことへの革新がえらいに高まっていくんですよね。じゃなければ窓ガラスの強化とか急にやり始めないじゃないですか。窓ガラスの強化しなきゃみたいな。あとちょっと前だと停電が急に起きたら大変なことになるからバッテリーの大きめの急に買わなきゃみたいな30万ぐらい出して。そういう発想になっていくわけですよ。
これはトラウマ的な、だからこれが実際トラウマになっているケースの人だったらそういうことが起こると思うんですよね。これはこの間先週散々お話したβ要素とよく似ているんだけれどもちょっと違うと思うんですよ。リアルに今今それがあるって感じがするんではなくて悪いおっぱいがこれから出来上がっていくんじゃないだろうかみたいな。そういう時系列の世界の外部。時系列の世界の外部だと思ってる何か悪いことが起きます。
悪いことが起きるからそれに備えなきゃっていうすごく強迫的にも見えるし、やっぱり浄土行動がある種のすごい悪いというのかなネガティブな感じの浄土行動が起き始めると。これ結局すごく抑圧的になる。だってそんなネガティブな浄土行動したいっていう人っていないじゃないですか。ないものに対して備える。ある意味それ保険みたいな感じなんだけど、それの備えというものが例えば手に入れたとしても使わないはずなんですよ。
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使う事態ってのはすごい悪い事態なわけですから、例えばあの本当に叩き割られてセコムってそうじゃないですか。何でもいいんですけれどもそういうものって全部そうです。その事態が起きない限りはお金をただただ払い続けることになるわけですよ。これをメンタルの中でやるわけですよ。
蓄電機もそうですよね。蓄電機そのものっていうのは停電が起きない限り使いどころがないじゃないですか。うちはキャンプとか行かないんでね。だからやるその払い続けるわけ。メンタル的には支払いをずっとし続ける。ただしそれは将来起こるであろう悪いことに備えているだけなので、それ自体は何かをもたらすことはないわけですよ。そういう意味ではまさにちぶさがないなんですけど、それはないだけなんだっていう状況が見えてこないんですね。
代わりに悪い何々を作り出してしまう。これはすごくトラウマと深い関係があると私は思うんです。万が一悪いことが起きた。だって私そういう経験をしたから当然起こりうることだよねっていうそういうロジックが、ロジックじゃない。これは感覚なんですよね。私アトピーでこれを振り払うのが多分一番苦労した気がします。
これは一種トラウマなんだっていうふうに捉えるようになってから一気に自分の感覚の中で変転したんですよ。メンタルを払う気が、払わなくていいんだと。払ったってどうせ肌良くならない。メンタルを払うというのは肌に気をつけるとか肌のことを考えるとか。
ろくなことが大きなわけです。すごくオートエロティシズムですよね。つまり自体愛の悪い事態が起こる。ひたすら体をさするとか触るとか。肌にとってそれが良い結果をもたらした試しがない。一番いいのは肌のことを忘れちゃうことなんで。ここがトラウマっていうのがややこしい部分ですね。
一番いいのは忘れることなんだけど、覚えておくことが何よりも備えやお守りとして役に立つっていう発想にとらわれて、そこから起こることはすごく欲打ち的な流れと似てくるわけですよ。
要するに悔やんでも悔やみきれないってのが欲打ちの日本語版の表現なんで、どいたけおさんに言わせるとね。悔やんでも悔やみきれない。過去の何かにすごいとらわれてしまうということですよね。
まあこんな感じなので、結局全部どいたけおさんがそうでした。あの人精神分析の人ですからね。精神分析でいかないと説明をしてもらえない。説明をしてもらえないと対策というものをそもそも実行するメンタルが手に入らないと思うので、今回のように精神分析的ポッドキャストという名前にしてみたわけですよ。メンタルを取り戻す。