1. ライフハック時代の精神分析
  2. 余計なお世話をどう焼くか?【..
2026-02-06 45:19

余計なお世話をどう焼くか?【1316】

素早く効果的に世話を焼くのがライフハック。そしてそれに無駄な抵抗をするのがわたしの仕事。
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サマリー

このエピソードでは、精神分析とライフハックの関連性を探求し、個人的な経験から得た洞察を共有しています。特に、妹の精神的健康問題を通じて、行動の変容や社会運動の意義について深く考察されています。また、フロイトやユングの理論について触れながら、個人の信念や実体験に基づいて生きる重要性が語られています。ライフハック時代における自身の立場や、創始者としての在り方についても触れられています。人生は予測不可能な道のりであり、綱渡りのような状況に置かれていると感じています。アドバイスや他者の期待との乖離に悩む中で、個々の人生のユニークさを再認識し、それを受け入れることの重要性について言及されています。余計なお世話に関する自己愛やアドバイスの危険性についても考察されています。ゲストとして参加した諸富さんや倉野の平蔵さんの意見を通じて、人との関わり方や信頼の重要性が語られています。アトピーに関する考察を通じて、自己受容の重要さや他者からの介入に対する反発についても触れられています。

精神分析とライフハックの関連性
おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1316回をお送りします。
17回?いや、16回だよね。多分そうだと思う。
2月の6日、金曜日、8時4分です。
あっさりタイトル変えてるわけですけど、もはや趣味みたいなもんだなとも思わなくはないんですが、
ライフハック時代ですね、今は。つくづくそう思う。
愛入れないよね、精神分析なんてっていうことがこのタイトルで。
佐々木正悟を入れても視聴者さんは減る一方だということに気がついたので、
要するにこの名前はとりあえず今は何のインフルエンスもないなということがわかったので、
タイトルが長くなるだけなのでカットしました。
で、からのって言っても全然からのになってるのは私の中だけなので、
ライフハックという言葉は私の中ではある意味エポックだったんで、残しまして、精神分析、力度を言ってたんだけど、
ライフハックからの精神力度だと意味不明なので、ライフハックからの精神分析にしてましたけど、
ライフハックからのではないなと。全然からになってないじゃんっていう感じで、
時代の、時代のだとですね、しっくりくるんですよ。
ライフハックが正しければ、正しけれって、ライフハックが正しいかどうかとかはないんですが、
精神分析というのは間違ってるに等しいわけですよね。
なぜならば、今まさに私がそれをせめて目撃と観察だけはしておこうと思ってですね、
妹が重篤なんですね、結構ね、精神障害で、
これに対する療法が原則としては、もう薬理療法以外は考えられないという状態で、
考えられようと考えられないと、私に実はできることは何もなくて、
つまり私に口出しできる権利ってのは実は事実上ないんですね。
一切ないっていうところに自分はいるんだということが先日非常によくわかりまして、
あのもはや見守る以外にできることは何もないなっていうのは、こういうことなんだなと。
そうすると面白いっていうのも変ですけど、非常に妹とですね、2歳の妹と仲良くなのかどうかわかりませんが向こうに寄せると、
遊んだ時のこととかが非常によく思い出されまして、
いやーこれはこうなると人間は何が辛いかっていうことがよくわかるんだなというのがよくわかりました。
手が出せないわけですからね。
抗議、まあできるんですよ抗議はね、でも意味をなさないその抗議は。
した意志したつもりがないわけではないけれども、結局それが何かの効力を持たないというね。
この国はやっぱりこう国の権力は強いと思いますね。
普段は非常に表面的には柔らかくそれが消えてますが、
そしてよくやってくれている国だと思いますけれどもね。
アメリカ行った時でさえ日本というのはいい国だなと思いましたけど、
まあどうしても今ね国権強くしたいという方が強いんで、
さらにこれを強化していくのかもしれない。
これを強化するというのは父親が強くなるってほどに、
私は力動的に見ちゃうんで、そういうふうに見えますけどね。
で、それはまあ必要なのかもしれませんけれどもね。
妹の健康問題と行動の変容
わかんないですが、でも弱いわけではないんですよねっていうことを感じさせられるとともに、
よくやってはいるけれども、よくやってないっていう話がよく出るんですけど、
そんなことはないと思うんですけどね。
よくやってるからといってさらに強くするのがいいかどうかは、
また別の問題って感じが私はしますね。
これはもう人のスタンスそれぞれによって、
人は皆これに対して客観的な視点を持っていると誤解しちゃうんですけど、
これほど主観的な視点しか持ち得ないものはないと思うんですよね。
だって妹がどこかに卒業員になってるかなってないかで、
すでにスタンスは変わるんですよ。
どの程度リベラルになるか、どの程度ナショナルになるかは変わります、絶対に。
これは妹の病状によっても変わる。
それに対する治療法によっても変わる。
で、同じ人は誰もいないわけです。
そもそも妹いない人だっていっぱいいるわけじゃないですか。
全ての人は、実は政治的な立場は違うわけで、
その全ての人が違うものに対して、
自分だけは客観的な観点を持っているということは、
神になりましたっていうのと大して変わらないので、
神になってるんだったら、その人の言うことをみんな聞きますからね、本当のところはね。
決してそうでないっていうのは、
誰もその人の言うことを聞いてくれないっていうことから、
私自身がそうですが、
私が佐々木翔吾の動画を入れたところで、
大して数が増えないどころか、減る一方であることから、
私も神ではないってことがよくは思い知らされるわけですね。
神の言葉だったら、もっともっと多くの人が自動的に聞きますわね。
そうでないからして、私は視点が全て政治的なものであって、
その政治的な視点は全ての人が違うから、
すなわち極めて主観的なもの、偉い偏っているということですね。
その偉い偏っている人間としては言いたいことがあるんだけど、
それを言っても誰も何も言うことを実は聞いてくれない。
聞いてくれるんですよ。
鬼江沢のお審判よくわかりますとか言ってくれるんだけど、
事実上無視されている。
そういうものなんですよ。
法的に無視する根拠を向こうが持っている以上は無視していいわけです。
向こうは正しいと思っていることをやっているわけで、
どっちが正しいかは私には判断する能力がない、資格もないので、
あったとしても効力がないので、そういうことになっているんだなと。
この中で、時代はライフハック的であると。
どういうことかというと、妹を誰も精神分析で治そうなんて、
実際には全く力道にすら誰も関係者興味を一切持っていないと。
これが実情なんだという、現実なんですよねっていうところを踏まえて、
つまり私が言っていることは偉い時代遅れなわけですが、
しかもそれが上手くいっているのかお前って言われると、
非常に上手くいっていない気がしてくるわけですが、
これはですね、踏みとどまるとはこういうことだなと。
どんなにこれが間違ってると思ってても頑張るしかないみたいな。
こういう時に松木さんの言葉が響くわけですよ。
社会運動はPSポジションなんだがなっていうね、
ああいうのがポロッと書いてあるわけですよね。
他者操作的であると。他人を動かそうとしている。
だってそうですよね、社会運動なんだから。
他人を自分がいいと思う方向に変えようとしている。
その行動を変容させようとしている。
一つ一つにかかってくるわけですよね。
例えばこのタイトルも、
いや佐々木昌吾の精神分析とかやったって、
佐々木昌吾無駄ですよ、やめたほうがいいですよ。
ああなるほど、これがPSポジションのある意味形ですよね。
お前の行動を変えろと、いうわけですよね。
これをアドバイスと人はいいますね。
だから私がやろうとしていることを、
社会運動と正しさ
私は極力アドバイスではないように従うわけですよね。
人の行動を変えないとするから。
しかし人の行動を変えないという形を、
このような仕事の上で徹底的に貫けるのかというと、
非常に難しいことになるわけですよ。
いろんな意味で。
一つ、もう本当にグループレクチャーと称していまして、
私はこれをどうしようかなと思っているんです。
名前ですね、名前。
グループコンサルはおかしいんだよな。
だから、共有レクチャーぐらいかな、
みたいに思っておりまして、
名前を変えようかなと思っているんですよね。
でも今このタイミングで名前を変えるというのは、
おそらくある種の行動化だなと思うので、
ちょっと我慢しているんですよ。
行動化ではないと言い切れるタイミングで、
もう一回検討して、
そのタイミングで名前を変えたいと思ったら、
かなり徹底的に動かしていこうとは思っています。
この3カ月チャレンジはね、
それなりに名前でヒットしたような雰囲気もなくはないんで、
ちょっと考えちゃうんですけどね。
しかしこの3カ月という名前のタイトルからして、
既にライフハックなんですよ。
ライフハック時代なんです。
だって10年かかりますよって、
それをタイカが言っているわけですからね。
タイカというのはつまり、
ベイブルースとか大谷翔平みたいに思っておく必要があるわけですよね。
イチローとかね。
イチローのように野球できるかってできないじゃないですか。
だから私が精神分析やったり、
心理カウンセリングをしたりすると、
必ずあの人たちよりはうまくできないわけですよね。
あの人たちは松木くんひろとか、
今呼んでいるオットーカンバーグとか、
こういうレベルに達するはずがないわけですよね。
私がやってもね。
なのに私はそれを3カ月でしかもやろうとすると。
これがライフハック時代ってことなんですよね。
これに3年ですっていうのは完全に間違ってるわけですよ。
今の時代。
間違ってるというのは科学的にではないんですよ。
人はここに科学を持ち出そうとするんですよ。
普遍性を持ちたがるから。
これで思い出すことがですね、
一見何の関係もないんですけど、
留学中にタイ人にうどんを作ってあげたことがあるんですよ。
うどんをしょっちゅういろいろ食べさせてくれてるから、
悪いからうどんぐらいは作ろうと思って作ったんですよ。
音立てないんですよ。一切。
まあまあ育ちのいいタイの人だったんですけど、
音は一切出ないでうどん食べるっていう光景自体シュールですよ。
すごく。
あれは訓練された人じゃないとできないです。
日本人にはできない。
必要が全くないスキルだからね。
むしろ音ゼロっていうのはなんかね、
若干マナーに反してる感じすらするんですよ。
うまい蕎麦は音立ててすするみたいなあれもどうかと思うんだけど、
なんかめっちゃ立ち食い蕎麦屋とか、
蕎麦屋さんでドゥドゥみたいにいるじゃないですか。
ああいうのがいいってある意味文化なんですよね。
音ゼロ、ミュートかみたいな感じでうどん食べてるのって、
光景として妙なんですけど、
それは何なの?みたいに聞いた時に、
まだなかなかわかってもらえなかったんですよね。
英語も怪しいし、私も英語も怪しく、向こうの英語も怪しいんで伝わらないんですけど、
ああなるほど音を立てないというのがマナーなのねという、
そうこれはタイではそうなんだっていう話を聞いて、
これが正しさってものですよね。
そこに行って音を立てる方がいいのか立てない方がいいのかを科学的に言っても無意味ですよね。
そうではないですよね。立てないのが正しいとされてるところでは、
立てないのが正しいのであって単純に、
なぜ正しいのかではなくて、とにかく正しいわけですよね。
昨日の話と同じです。フロイトが言ってたカウチに寝そべるというのと、
フロイトとユング
1回50分であるという、そして収録やる、根拠は一切ないわけですよ。
フロイトがたまたまそうやった。ただし、それが正しさとして確立してしまった以上は、
これ非常に簡単な話なんですけど、我々はこの考え方に慣れていないので、
なんかこれがすごい難しい話に聞こえるんですよね。そうじゃないんですよね。
たまたまやった人がたまたま有名になり、そのやり方はたまたま正しいことになった以上、
もうそれを踏襲するしかないわけです。
変えるとなれば、変えるとなった人が自分のやり方の方が正しいんだということを
強く言える何かを必要とするのであって、変えない限りにおいては、
そのやり方がなぜ正しいのかの説明義務というのは、実はほとんどないという話に近いんですよね。
しゃあない、これは。でもこれを変えようとしているのがグローバル社会というものではあるわけです。
人の行動を変えるということは、PSなんですよ、究極的には。
松木さんがおっしゃる通りですね。PSなんだなと。
そこまで私は彼のようなタイプの人間ではないので、私はやることを全然めちゃくちゃ変えちゃってますからね。
オンラインでやりますというのがすでにナンセンスでしょうし、
3ヶ月で終えますというのも明らかにナンセンスだと思うんですよ。
そして、そうでありながら力度を言いたがりですと。しかも資格は一切持ってません。
論外なんですよ、これはやってることはね。論外だなぁと思うんだけれども、
私は自分が信じられることしかできない人間なんだと思うんですよね、結局は。
これは何か良いこと言ってるようなんだけど、そうじゃないと思うんですよね。
つまり今のような時代は、どんな人でもあるがままに生きていきましょうという時代じゃないですか。
ある意味、これはライフハック時代というよりは、現代という考え方だと思うんですね。
どんな人でもあるがままに生きるということになってくると、
結局は自分が信じていることをやるよりはしょうがなくなっていって、
これがはなはな難しくて無理があるわけですよ。
自分が信じているというのは、結局私の場合は、少なくとも、
割と小さい頃から読んだことがあるんだよね。かわいはやおさん、あれではなかったし。
なぜならあれほど読んだのに、結局あれで逃走という気に私はなってないわけですからね。
これはだから、それが正しいかどうかの話ではないんですよ。結局信じられてないってことなんですよね。
それよりはグッドバイブスの方が、私にとって近接だったということですね。
個人の信念の重要性
近い人がやってたっていうのも大きいですよ。かわいはやおさん、会ったことがないですからね。見たこともない。
写真は見たことがありますけどね、もちろんね。
その前に、そもそもなんでユングとかだったのかというと、コリン・ウィルソンっていう人がいてですね。
彼の本もめちゃくちゃ読んでるんですよ。一番読んだかもしれないな。好きという意味では。
で、あれでうまくいかないんですね。やっぱりね。
コリン・ウィルソンっていうのは、私の人生にとって一番面白かった。
アイニーまで行きました。わざわざイギリスのコーンウォールまで行って。
特急で7時間以上かかるんですよ。
でね、途中からね、道に迷ってタクシーとか行って、めちゃくちゃ金払って。
ウィルソンに、ナンセンスだよそれはとか言われたんだけど。
だってあんなところさ、行く私が悪いんですけどね。わけわかんないんだもん。
全然イギリスのすげえ田舎でですね。
もうほんとにこの辺で言うと、何あそこは。
青森県で地図にギリギリ載ってるかどうかぐらいの街の奥っちょの方に住んでるわけですよ。
やばいっしょそれっていう、その実に面白い体験でした。
本当にタクシーのうんちゃんに盛られたわけでは決してないんですよ。
ナンセンスだっていうのは、住んでる人もそう言うかもしれないけどね。
そういうわけでウィルソン僕大ファンでほぼ推しだったんですけども、
彼が言っている通りに生きるとか全然全然無理ですね。
そんなことは私にできるわけがないっていう感じでした。
でも彼のおかげがいくらかあって物かけになれたんじゃないかなとは思ってますね。
だから私は少なくともユングとかかわいいはやおさんよりはコリン・ウィルソンだけど、
コリン・ウィルソンよりは全然グッドバイブスだし、
グッドバイブスよりも対照関係論で、
対照関係論の中でも藤山直樹さんなのかなーって感じ。
藤山直樹さんよりスキフィニッシュさんの方が読んでるんですけどね。
でも藤山直樹さんなのかなーって感じですよね。
でそれしか信じられないってところがやっぱあるんですよね。
で松木さんがよくこれは藤山さんもほぼ同じこと書きますけど、
能とか歌舞伎とかお寿司とかそういうのは結局型通りにやるだろう最初はっていうこれなんですよね。
なんでそうするのかとかないじゃんっていう。
なんで能は正方形とか一応説明はあるけれど、
結局のところ型通りにやれって弟子は言われるビシビシ動かれて、
それを通れよっていう。そして僕は通ってないというね。
それはよくわかる。通れよっていうのは本当によくわかるんですよね。
私はスキーでそれと全く同じことを喋ってたんですよ。
一応インストラクターだったんで。
全く同じようにしてくださいと。何にも考えずに。
それが一番後でそれの理由は全部わかりますからという感じでね。
あれは身体を動かす作業だからそうなるんですけどね。
でももう嫌だってことになって、そもそも雪嫌いとか言って帰っちゃう人も結構、
私はそういう人が少なかった方ですけど、出ることは出ますよね。
今うちの娘がスキーに行くんだ学校でみたいなこと言って、
嫌だ嫌だってずっと言ってるんですけど、結局のところこういうのって感覚だなって思うんですよね。
私は雪山が好きだから、それが嫌だという気持ちがわからない。
でも考えてみればあれやって何の得になるわけじゃないですしね。
お金絶対損しますから。
ふんだんに金使って、要するに雪山は滑ってくるだけですからね。
ふんだんに金使いますからね、あれね。
ここととばかりに儲けますからね。
楽しいんですけどね。
昨日3ヶ月チャレンジでサウナはいいんですよって言われて、
ライフハック時代の自己理解
私もスキーはいいんだよってスキーで山ごもりで100日くらいこもってた時期がありました。
そういう人間なんで私は。
でも今は行きたいと全く思いませんからね。
不思議なもんですよね、これもね。
今日なぜこんな話をぐじゃぐじゃしているだけかというとですね、
ショットカンバーグの本を読んでいるわけですよ。
境界霊の力動的精神療法。
魅力的なタイトルですよね。魅力全くないけどね。
サイコダイナミックサイコセラピーオブボーダーラインペイシェンツ。
いやいやいやいや。
英語にすると全然僕には魅力を感じられませんね。
境界霊の力動的精神療法。
それがゴシックで白い文字で背景がモスグリーンで字しかない良い本ですね。
つまりですね、私はこういうところがあるんですよね。
別にこれを読んだからといって3ヶ月チャレンジに何かプラスになるとは思えないんですよ、もはや。
で、読んでみてびっくりはします。
あーなるほどなーって。
でもこの人はコアンバーグさんはものすごいわかってんだろうなっていう。
私はこれに比べると全然わかってないなっていうのは実感します。
めちゃくちゃわかってるんだろうなと。
なんでこういう人がそこら中にいてくれてこういう仕事をしてくれないんですかねっていうのは思っちゃうんですけど。
そこがライフハック時代なんですよね。
ライフハック時代にこんなことやってても流行らんのですよね。
みんなカンコ鳥が鳴いてみんな食うに困ってみんなだからAIのなんとかとかを伝える人に変わっていく。
有能な人ってのは結局のところ、食えもしないことをやり続けるっていう風にはなかなかなれるもんじゃないんだと思うんですよ。
これはしょうがないなって思いますね。
こうしなければならないのでは、結局僕はだからこれしか信じられないんですよ。
これが妥当だろうっていう感じがやっぱりしますね。
集合無意識とか夢分析とかやってたって、
ていうかやらせてもらえないですよねおそらくは。
このレベルのペーシェンツって書いてますけど治療ですよね。
このレベルの治療が始まっちゃった時にさすがにそんなことは言ってられないだろうっていう。
まあ基本的にはまず、
接触障害の人の話がそうでしたけどね。
松木邦弘さんに向かってお前なんか死にまえって言うと。
嫌なら私が死んでやるみたいなこういうやり取りになっちゃうはずなんですよね。
はずっていうかそういうやり取りになり得ると思うんですよね。
そこであなたの夢を言ってくださいとか言ってふざけんなって言われるに違いないと思うんですよ。
でお前のせいだって言いふらして何とかかんとかって言われると思うんですよね絶対に。
夢を言えって言われたから私はこんなひどい夢にあったんだって。
今だったらX10でばらまいてやるって絶対言われるだろうなって感じがしますよね。
だからその無意識がどうのこうのとか言ってる場合じゃないっていうか、
そういう話に持ってけないっていう感じがしますね。
だからそのユムがどうやったのかわかんない。
この辺がやっぱり創始者ってのは絶対上手いことやるだろうなって感じがするんだけど、
つまりそれなんですよね。
書いてあることはできないんですよ。
その時その時でできることをやるんですよ。上手いことをやるんですよね。
私はそのそれをたまたま倉園恵都さんが近かったんでGood Vibesで会話を見たんですよ。
言ってある通り書いてある通りではない展開がそこで上手いことを言い抜けるんですよ。
上手いことを言い抜けられなければそれは要するに失敗に終わるんですよ。
しかしそれを含めてGood VibesがGood Vibesに足りなければ崩壊するしかないんですよね。
これが創始者の仕事なんですよね。
私はそういうところまでは行ける気がしないんですよ。なかなか。
だから私は本当は絶対どっかに入っておくべき人間なんだけど入れるわけでもないんですよ。
こういう人間が何とかして食いつないで死ぬまで
妻子だけは路頭に迷わせずに綱渡りをずっとしていく。
で私はもう綱渡りをしていくということは苦にならなくなったんですね。
最初は怖かったんですけど、
なんていうのがいいのかな。
綱渡りしかできない人間がこの世にどういうわけか生まれてしまうらしいということがわかったんで
綱渡りで一生を得ていく。
そう思うと炎上ぐらいはなんてことはないんですよ。
ある意味ではですね。
炎上ぐらいは綱渡りの人生に炎上は起こるでしょう。
つまり綱渡ってる時に下から火をつけられるぐらいなことは起こるんですよね。
綱渡りの人生
こういうことを言うと多分僕が肝が座った人間に思うかもしれないけどとんでもなくて十分動揺はするんですよ。
ただ動揺することと綱から落ちることは違うんだなということは
なんとなく理解できるようになるんですよ。
綱しか道がないんでね。
道があるんだったらそれは道に行くんですけれども残念ながら僕の人生に道がないんですね。
綱しかないんですよ。
しょうがないんだなっていうのはあるんですよね。
嫌だなぁとは思う。
いや違う最初はすごい嫌だったんですね。
しかし綱しかないとなってしまえば嫌もへったくれもないんですよね。
綱と道があるんでしかもお前は綱を行けっていうのは嫌ですよね。
でも綱と道じゃなくて道がなくて綱しかなくてでそれを行けっていうのは嫌ではないんですよね。
考えてみると。
不在なんで。道が不在なんで。
しょうがない。
みんなは真っ当な道を行った方がいいんじゃないか。
私このカウンセリングというものは正義をお勧めしたいとこの話前もしましたね。
思いませんがなりたい人は正義になるべきだって思うようになりました。
なぜならその方がやれるからなっていう感じがしますね。
事業が分かってきて3ヶ月チャレンジなんていうことをやりだすとできないことばっかりなんですよね。
人にリファーはできない。
お薬も一切出せない。
それどころか会議をして同じ空間で2人だけで会うことすら大変疑わしい。
これ山崎孝明さんおっしゃってましたけどね。
今時そんな2人きり密室で女性だったとして自分が男性でどうすんだよそれっていう。
セクハラにされましたとかって相手の人が言い出しちゃったらどうすんだよそれっていう。
そうなんですよ。
ここに正義っていうものの意味があるわけですよ。
本人の力量とは何の関係もなくむしろ力量が高いほど正義であるべきなんじゃないかって思うぐらいなわけですよね。
だって力量が高い人ほどそういう目に合う可能性が高まってきますから。
だって少なくともお客さんの数が多いじゃないですか。
ということになればその確率は自動的に跳ね上がるじゃないですか。
客が誰も来なければセクハラだって訴えられる可能性はそもそもないわけですからね。
その時に正義であるということがその人を何らかの形で何と言うんだろうな。
いろんな意味で仕事をさせてくれるわけですよね。
できなくなっちゃうんでそういうこと自体が。
できなくなれば自分のオプションが一つ減るんで。
減れば要するに手足が縛られていく状態で仕事しなきゃなんなくなるわけ。
私まさにそういうふうになってるわけですよね。
だからこれがタスク仕事だというわけですよ。
他者のアドバイスと期待
私理事なんだからもうめちゃくちゃ手足自由なんで何言ったって何やったっていいわけですから。
これが枠というものの力なんですよね。
一見逆なんですよ。
枠にいるから縛られてるって思うんだけどそうじゃないんですよね。
枠があるから自由にできるんですよ。
枠がなくなっちゃうと自由にできるようなんだけどそれを自由にやったら最後何が起きるかが誰にも責任が取れませんっていうことになって
何かが起きたときの責任だけはなすりつけられますっていう立場に立たされるわけですよね。
よくよく考えるべきなんですよね。
僕は考えが非常に足りなかったんで人生は綱渡りになっちゃってるわけですけど
私はこれは父親が非常に考えが足りない非常にある意味考えが浅い人だったんで
考えが深いんだけどあの人は考えが浅いんですよね。
その生き方をそのまんま踏襲しちゃってるようなところがあって
父親が大好きだったって話ではないですよ。
でも私は平凡な人間なんで平凡な親子関係なんですよ。
平凡な親子関係っていうのは気がつくと父親の背中を追うような
これ美談になってますけど私は全然美談じゃないと思うんですよね。
背中が父親のしかないんだから
その後ろ勝手に歩いて行ったら気がついたら道がなくて
綱渡りでしたみたいな話なんですよこれは。
私いいことでは決してないと思うんですけど
しゃーないなという背中を見せるなんてナンセンス
私絶対自分の背中を娘に追ってきてほしくはないわけです。
娘にはもう少しまともな道を歩いてほしいと私は思うんですよね。
まあこれは要するに親バカなんてねそういうふうに思うものなんですよ。
みんながみんな同じようには思わないでしょうけど
私は自分の人生に何か別に思う
なんていうのかなこうしてほしいとは少しも思わない
ぜひこうしないでほしいと思うんで
あのー
背中を見せるとか本当ないわって思いますね。
でも下駄をすると背中を追っちゃうんですよね。
なぜなら背中はそれしか知らないからなんですよ。
これあれですよなんか軽がもの親子みたいなものであって
あれは微笑ましいかもしれないが
美談とか美読ってはないと思うんですよね。
微笑ましいだけであって
そうなるだろう普通っていうことでしかないと思います。
で私は普通なんでそうなっちゃってるわけですね。
なんか力込めて喋ってますけど意味のないこと喋ってますよね。
あのー
このオットーカンバーグさんの
まあオットー言ってるのはオットーって書いてあるからなんだけど
えーとオーカンバーグの
よくそれで見かける人だなぁとは思ってましたけど
あのー先ほども言いましたけど
なるほどなって思います。
なるほどなとしか思いません。
これがえーと使えるなって
松木邦寛さんの不材論もそうで
使えるっていうようなものとは
違う気がするんですけど
ただ納得だなっていう
つまりこの人がこれを書くのは
すごく納得できるなっていう何かなんですよね。
それ以上のものにはなかなかなりません。
これを書くのは本当納得だわっていう
だから藤山直樹さんは例外的にすごいなと思うんですよね。
後からあれ役に立ってるって思うんですよ。
これがなかなかないんですよね。
一般的には。
本、この種の世界に本っていうのは
この人も頑張ってるな俺も頑張ろうなんですよね。
なんていうのかな
その参考になるとか参考にならなくはないんだけど
実際は参考になんてならなくて
だってやってること全然違うじゃないですか。
私なんかは。
松木さんがやるなってことをほぼ全部やり
やれといったことはほぼやってないわけですよ。
これの何が教科書なのかという教科書なんですよね。
あえて言うとだから
いやー松木さんはすげー頑張ってんな
俺もちょっとは頑張ろうなんですよね。
だけれども指示は無視していて
やる禁止も無視しているっていう現実があるわけです。
基本的にはその価値観に沿ってやってるつもりではいるんですよ。
だけれども結局のところは
指示を無視して禁止も無視してるわけだから
いうこと全然聞いてないわけですよ。
論外なわけですよね。
だけどそれは私のような人間には
それしかできないからそうなっちゃうんですよね。
好きでそうしてるわけではないんですよ。
言う通りにできるんだったら
言う通りにできるような人生を歩まなきゃいけないんだけど
そもそも歩んできた人生がそうじゃなかったから
そうなってしまっている。
今更これを全部元にたどって
やり直すことはできない気がする。
できるって言われることもあるんだけど
50過ぎると信じられないんですよね。やっぱりそういうことが。
だって信長って50倍で死んだじゃんとかって思っちゃうわけですよ。
余計なことをね。
そういう感じを持っています。
でグッドワイブスの話とかをちょっと今日はしてみて
お茶を濁そうと思ってるんで
もうやめればいいんですけどね。
今日のこの番組は。
グッドワイブス。
私あのやっぱりこうあるがままでいいっていう話で
人はやっぱりこう
やっぱり現代はライフハックの時代だから
このキーワード良かったな正解だった。
例えば私がグッドワイブスでアトピーよくなりましたって書くと
書いたじゃないですか。
どうやったのって絶対に聞かれるんですよ。
そして私も佐々木さんのようになりたいとかって言われるんです。
あえて答えを言う。あえて私が言うならば
つまりアトピーでも構わないと思えるようになったんですとしか
言いようがない。さっきの綱渡りそっくりなんですよね。
綱しか人生にないならそこを渡るしかないじゃないですか。
っていう話なんですよ。
一人一人の人生は全てユニークなものなのに
他の人の人生のようにできるはずないじゃん。
他の人は道を歩いてる。私は綱を渡ってる。
不公平だっていう言い方はおかしいんですよ。
私にも道が用意されてるなら別ですね。
でも私には道は用意されてない。
綱しか用意されてないのに公平も不公平もないわけですよ。
PSポジションに立っても無駄だってことなんですよね。
PSポジションっていうのは非常に理にかなってますよね。
良いものと悪いものを分け良いものを取りに行く。
そりゃそうですよ。良いものがあればね。
でも良いものを取りに行こうとすると
必ず起きるのが人の良いものを羨むことになり
できればお前それをやめろみたいなことを
言い出すことになっちゃうわけですよ。
だから私が何をしようと
私がどんな生き方をしようと
それは自由なわけですよ。
ところがここにアドバイスが入るわけですね。
サンチャレ辞めたらどうですか。
なるほどな。それは確かに正しい。
この利益率からしてこの苦労からして
サンチャレ辞めたほうがいいですよと
前にケンスさんに頂いたアドバイスで
サンチャレ辞めるんじゃないですよ。
彼はそんなことは言いません。
彼は素材師さんはだってあんなに物を掛けていて
1000文字1500文字がUに書ける
なんだか2000字だって書ける人が
毎日ノートに2000字書いて
それの一部をXに切り出して
どっかから先を有料にノートに貼って
それを1日10個ずつ
30日で300個やれば
今の収入の倍ぐらいにはすぐなるんじゃないですかねと
私が収入を喋ったらね。
めちゃ親切なんですよ。
めちゃくちゃ正しい。
で、人は自分のアドバイスには
常にこのレベルで親切かつ正しいことを言ってくれる。
どんなことであってもね。
だからみんないい人なんですよ。
ユニークな人生の受容
ただし問題なのは
私にそれができないというか
できるという言い方は
とても理にかなっている。
片目から見ればそうなんでしょう。
絶対できるんですよ。私だったら。
で、私は絶対できないんです。現実には。
だからPSなんです。
アドバイスも私は
松木さんは正しいと思う。
PSなんだと。
アドバイスを言うということ自体がPSなんだと。
人を動かして自分を満足させようとしているんだと。
相手のためにはならないんだと。
その通りだと思うんですよ。
これを私は三チャレでどうやればいいのかと。
どんなアドバイスを相手にしても
私の満足にしかならない。
人はその通りには動けない。
動けないことを言い
私は自己愛の満足感を得て
万能感に浸り
いい気持ちになって人を不幸にする。
これしかできないのに
何をすればいいのかっていう
問いを何かこう立てながら
アドバイスをしますよと。
いう看板を出さなきゃ
ならないわけじゃないですか。
やんない方がいいよねそれはね。
誰かがそれを言ったら
つまりそれはPSなんですよ。
やんない方がいいよそれっていうのは理にかなってる。
今私が言った通りの理由で
まさに正しい。
でもそれをやんないってことは
私にはできないんですよ。
できそうなもんじゃないですかそんなのやんないなんて。
簡単ですよね。やめればいい。
ところがやめられないんですよね。
これをどうするんだってことなんですよ。
やめられないことをアドバイスされる。
する人の自己愛と
万能感が満たせる。
安崎やめろそれ。
やめるのが身のためだ。
やめてこっちの方が儲かる方法
しかも人を不幸にしない方法を教えてあげよう。
すごいいい。すごいいいんだけど
私にそれができないというのが問題だと。
だからその人の自己愛が
ただ満たされるだけに終わる。
私にはできないアドバイスばかりが
当然のようにやってくる。
相手になることの難しさ
なぜなら私はそのアドバイスの
一つたりともできない人間だから。
なぜならそれらの人たちではないからですよ。
簡単にできることばかりですよ。
それらの人たちからすればね。
それらの人たちの中の佐々木はできるんです。
それは対象ですから。
現実に存在しないものですから。
絶対に対象にしか語りかけることはできないはずなので
原則的には。
ないしは対象を通じてですね。
現実の私はそれができない人間ですから。
これが分かってはもらえない。
そして私も私の参加者さんたちに対して
それを分かってあげることができない。
諸富さんですね。諸富さん。
ロジャーズ派の相手になるんですよと。
全く正しいですよね。
それしかないですよね。
相手になることもできずに
どうして相手にとっていいことが分かるのか。
そしてそれを言うことができるのかってことですよ。
だから諸富さんはとにかく相手になるんだと。
他のことはどうでもいいんだと。
雷談社中心療法というならば
雷談社が中心なんだから
自分は衛星なんだからみたいな
衛星だとは言ってませんよ彼はね。
だから自分は周辺なんだから。
中心は自分ではないのだから。
自分が自分の中心にいる間は
相手のためにはなれないんだ。
そうだよなぁと思うんですよね私もね。
でも相手にはなれないじゃないですか。
どうすんだよそれっていうね。
だから諸富さんの
ロジャーズ派のね
あれ小西日産かな。
見に行くとなんか不思議な
スピン丸出し感のお坊さんみたいな
YouTubeを見なさいみたいな。
この人本物なんだから
見なきゃダメだよみたいな感じで。
で見に行くとなんか意味の分かんないことを
坊さんみたいな人が延々喋っていて
いやぁ分かんないわ。
つまり私はこれを
信じることができないんですよね。
結局のところ私が信じられるのは
対照関係論とか
良い一部さ悪い一部さとか
しかないんですよ。
これしかないと私はやっぱ思うわけです。
ライフハック時代だからこれはナンセンスなんだけど
でもやっぱこれしかないんですよね。
私はこれ以外何も信じることができないんですよ。
これを信じることに
権威があるとかでは全くないんですよ。
そんなことは全くどこにもないんですよ。
権威なんかも
私には欠片も感じられなくなっているわけです。
今の精神分析なんかには。
何の権威もないという気がする。
正規の心理師すら
それだけでは名乗れなくなっている感じがする。
そして
私の妹のような状態になった人には
力動的な観点を
何一つとして一つとして
欠片ほども採用されていない。
たわごといかにの存在になっている。
ただ私はそれを見ている。
ライフハックと精神分析
昔この子と遊んだんだなーみたいな。
昔この人は私に
アトピーで苦しんでいるとき
アドバイスしてくれたなーとか
そういうことを考えながら
なんかもう車椅子から全く動けなくなっている人を
見ている。
そして先生これ
30倍の濃度は濃すぎませんでしたか?
というだけでも
全くクレーマーでしかない。
そういう人間なんだなっていう。
自分はそこにいるときには
そういう風なポジションなんだなと。
埼玉県知事に何かを
申し立てすることができます。
第何条の何
書いてある。確かに書いてある。
埼玉県知事かー。
埼玉県知事ねー。
でももう
本当そういうことをされるのは迷惑なんだよね。
っていうのはよくわかるよっていう。
20代なのか30代なのか
いやー本当に真面目そうな先生で
こう
コミュニケーションが
取るのもつらそうで
あーって感じで
もう本当に
私の方がよっぽど
なめらかに喋ってるわけですよ。
悪いなーと思うんで
そのことだけでも申し訳ないなって感じが
しちゃうぐらいなんですよね。
でもこれ言わないっていうのもないしな。
でも言うことによって
何かが変わるわけでもないしね。
いやー
お互い大変だよねこれね
っていう感じなわけですけれども
大変なことはこれだけではないわけですね。
その先生にとって大変なことは他にもいっぱいあって
私も実家に帰れば帰ったで
今度は耳が全く聞こえない
とか言ってる母親に対して
大声でがなり立てて
だから通帳はもうないんだって言った
そもそもその通帳
ないことにしてくれと言ったのはあなただって言っても
私そんなこと言ってないって頑張るわけですよね。
まあわかる。
だってもう忘れてるわけですからね。
3日前のことは全部忘れますよね。
あの年齢から考えると。
認知症であろうとなかろうと。
まあマイルドっていうのが今
軽度認知症っていうのがね
概念として入ってきたんで
それは確実にそうだろうと。
でも思わぬところでいきなり覚えてたりするんで
非常にずるいなとは思うんですけどね。
そこでカチンと来ちゃうんですよね私もね。
PSなんですよ。
忘れたり覚えたりするのは
母の勝手なわけであり
これを覚えておけ
そっちは忘れろみたいなことを言うのは
僕の勝手なわけであり
PSなんですよ。余計なアドバイスなんです。
そんなことしたってできないんだから
彼女には。私が角しか渡れないのと同じで
彼女は彼女でしか
ありえないわけですよね。
これをグッタワイブスの
倉野の平蔵さんは面と向かって
言ってくれたわけですよ。
これが全然私にとってそういう文章なら
仏教なんですから
家が寺なんですから
千回も一万回も読んでますけど
誰も僕に言ってはくれてない気がするんですよね。
面と向かって
倉野の平蔵さんはそのままでいいんですよ
しかもそれが
明らかに倉野の平蔵さんという人の場合には
全くそれ以外のことを
信じてないなっていう
この人の場合は
やっぱりコロナの時ですら
パチンコに行くというような人ですからね
行ってないと思うんですけど
夜中になっても
仕事をして
朝はドラキュラのように眠っていて
それを中学校の頃から
毎日だから遅刻ですよね
あるがままでいいんだと
あるがまでしか人は生きられないんだということを
こんなに
信じることによってこんなに
人生が破壊的に見えるような
人生になっちゃってる人が
面と向かって
絶対この人それ以外のことは信じてないな
あるがままでいいんだと
だから僕は
つまりそれを聞くってことが
アトピーである辛さよりも
いいってことに
展開したんですよね
私にとってはね
私にとっては対象関係がそういう展開をやはり
したんですけど
松木邦博さんのベータ要素という概念でしかないような
概念ですらないような
だって今ベータ要素って言ったって
通らないじゃないですか
PSポジションと言ったってケッて思われるじゃないですか
でも松木さんは絶対に
心の底から信じてるんですよ
でもそれだけじゃなかったんですよ
私にとって
山崎孝明さんが松木邦博っていうのが
日本精神界文マップみたいな
あんな恐ろしいものの中に
松木邦博っていうのが書いてあって
一人ぼつんといたんですよ
これが決定打になったんですよね
僕にとってはね
なんだのこの人っていう
だってこんな大化なのに
なんでこういうところにぽつんと
村八部にありましたみたいなところに
ぽつんといるという図にさせられてるんだろうと
でその
山崎さんの本の中で
はかりさせて
はかりすぎって本が紹介されていて
今の時代はかりすぎなんだと
ライフハックやりすぎているんだと
で下山さん批判みたいなのが
下山さんの森林書心理師が
精子になっているけれど
あんなのことよく書くよなみたいな
私だって下山晴樹くんの名前知ってますからね
その本も家にたまたまですけど
ありましたし
大化ですよねめちゃくちゃ
にあんな若い人がいきなり出した本で
あんなに長い
大化なのに
あんなに長い展開で
いやこんな恐ろしいことを
喋っちゃってますけどでもあれは本だから
はかりすぎなんだ
というね
精神力度というのが
アトピーと自己受容
必要なんだよと
必要ないとみんな信じてるかもしれないが
必要なんだよと
いうことが書いてあったわけですね
そこに松木野寛さんがぽつんといる
わけですよ
その松木さんがβ要素というのが
身体上の極部のところに
精神病状態を生み出したまま
居座っているんだと
ああそうだなって思ったんですね
私はね
それが私のアトピーというような
表現になっているのだ
アトピーどうやって佐々木は治したんですかとか
そんなことは答えようがないです
私は別に
アトピーを治したわけじゃないんです
治ったんですよ
もうちょっと言うとアトピーでなくてもいいことになったんですよ
あるがままでいいから
あるがままでいいって言うと
アトピーでいいってことになるんだけれども
それもその通りなんだけど
要はアトピーであるという状態
アトピーって言ってますけどそうじゃないんですけどね
アトピーであるという状態と
ただ医者はアトピーと診断したし
それも正しい
アトピーであるという状態と
アトピーでなくなるという状態は
等価なんだってことなんですよ
あるがままでいいということは
ただしダイナミックに動くから
皮膚はダイナミックに動いてるから
今も動いてますし
それでもいいんですよ
ただアトピーであるというのは
一つの重要な
不在に対する抗議だったわけです
厳密に言うと
いい母親が不在であるということに対する抗議
その抗議を私は皮膚に託しちゃっているわけですよ
つまりあるがままじゃだめだと
言ったわけですね
もっといい母親であってくれと
PSポジションなわけです
母に対して
今でもやっちゃいますけれども
もっといい母親でありなさいと
こういうことは覚えておきなさい
そっちはもう忘れていいんです
勝手なことを言うわけです私は
妹のためではあるかもしれないが
母にできないことを求めている
できないことを求めてるんですよ
できないことはできない
私もできないことはできない
だから綱を渡っている
お互い様
なわけですよね
だから私は
結局のところこの件についてはですけど
母に抗議しても意味がないというか
そういうことであるならば
アドピーであってまで
抗議したいとは思わない
というところに
というところにというか
そういうことが一瞬で凝縮されていたのが
倉園さんと面と向かった時なんですね
時に起きたことなんですよ
何を言ったとかではないんです
彼はあの人生でいいじゃないですか
他の人が
いやいや昼起きなさい朝起きなさい
学校行きなさい
パチンコ行くのやめなさい
クレジットカード使い込むのやめなさい
余計なお世話って思うんですよね
45:19

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