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おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト【1078】関与します。
10月28日月曜日午前7時46分です。
ちなみに、今のApple Watchによると、ドイツは今時23時46分でほぼ真夜中。
なぜこれをいつでもApple Watchで提示させているかというと、
あれですね、私の仕事のパートナーであるジェイマン・スザキさんがドイツにいるときに、
一体彼は今朝なのか夜なのかを知っておきたいというふうに僕が思っているからで、
これを割といつでもわかるところに、
だから今ドイツでは何時なのかを、時計がある場所ではですけどね、世界時計的なもので、
ちょっとグローバルだなと思って、勝手に思ってるだけなんですけど、
あんまり何の意味もないけれども少しはあるかな、
そろそろ疲れてるのかなみたいなことを一応認識しておきたいという、そういうことですね。
いろいろあるんですよ、他にも。
この3ヶ月チャレンジ、8期に入りますけれども、
これはね、募集は締め切らせていただこうと思っておりますが、
海外の方もオンラインでのこのセッションがあるサービスというのは、
ある程度限られてきますので、限られてこないんだけどね、
探しまくればいくらでもあるんですけれども、そういうことはありますんで、
この人は今何時なんだろうっていうのは少しはやっぱり意識しておいたほうがいいかなということで、
時計をですね、あちらこちらの時計をちょいちょい合わせていて、
ちょっとグローバリズム感に酔ってるとか、そういう感じですね。
酔っちゃいませんけど別に。
そして今私は少々眠いんですが、
それは昨日選挙というやつが日本ではあったからで、
そんなこと言わなくても大概これ聞いてる方はご存知だと思うんですけど、
総選挙、自分の入れたところ、入れなかったところがどうなったか、
気になる人も気にならない人もいると思うんですが、
今日はちょっとその選挙にカコつけた話を、
全然選挙の話はしないんですけど結局、しようかなと思っております。
ちなみに私の政治色みたいなものはあんまり興味持つほどのもんじゃないです。
それほどはっきりしたものは持ってないですから、
これ聞いてる方は多少わかると思うんですが、
対してこれといった政治色、私は頭の中にも心の中にも、
それほどのものはないですね。
非常に世の中の普通の人の感覚にすごい近いです。
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世論調査とかを見てもズレあんまりないです。
時々だいぶ違うなぁみたいなことがテーマによってはありますけど、
なんかこう最近物価高いなぁみたいなの、
だいたいみんなそう思うみたいなのに、
僕は一致しがちですね、はっきり言って。
まあまあそんな感じで、
私が話したいのは政治の話でも選挙の話でもなくて、
心の中の政党みたいなものが内的対象なんですよっていう、
ちょっとそういうアレゴリーで言ってみようかなと思ったわけですね。
自民勢力と立民勢力みたいなのが逆行しているという人の場合、
何が起きるかというと、
決断するのが難しくなるっていうことなんですね。
これは先日セッションやっていて、
そういうことになるよなぁと思ったのを、
たまたま昨日の選挙を喫行してたじゃないですか。
どこもかしこも過半数あれで、
これから結構困りそうじゃないですか。
これはつまりどういうことかというと、
これ意思決定なんで選挙の結果ってのはね。
意思決定が難しくなるということだと思うんですよ。
決断力が良いとか悪いとかいう話って時々聞きますけど、
決断力ってのは結局自分の中の勢力が均衡しているか、
それほどでもないかっていう意味でしかなくて、
力そのもの、これは結局勢力が、
勢力の力は力ですよね。
だから内的対象だと言ったのはですね、
いつもの話に戻るわけですね。
選挙の話じゃないと言いましたよね、私。
これは精神分析の話なんですよ、私にとっては。
精神分析は精神力度も言いますよね。
力度がそこに働いている。
これがですね、内的対象が単なる内的イメージとは違うということなんですね。
勢力なんで、自分の勢力がどっち側になってるかっていうのは大問題なわけですね。
そしてそれが対立しているということになってくると話がややこしくなるんですよ。
私の中のお父さん等とお母さん等が喧嘩してますと、仲良くなれませんと。
しかも半々ですってことになってくると、
掃除一つ難しくなるわけですね。
果たしてこの買ってきたUSBケーブルをだいぶ前のやつなんだけど、
捨てていいのか良くないのかっていうと、
お父さん等はもうそんなのは捨てろって言ってるんだけど、
お母さん等がまた何かの役に立つかもしれないでしょうって言うわけですよ。
ここには単なるお父さんとお母さんのイメージでは済まないわけ。
このお父さんの勢力とお母さんの勢力が逆行してしまうと、
自分の意思決定にそれが関わってくるので、
今回の選挙結果みたいになって、
どっちも過半が取れてないということになると、
違うお兄ちゃん等を味方につけた方の結論になるようにしようみたいになるんだけど、
それを味方につけてもなお過半いかないってことになってくると、
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決定できなくなるわけですよ。
結局のところどうするんだってことになるわけですね。
これが内部で起こってることですね。
だから分析家の人、特に力動系のカウンセラーの人が必ず言うことに、
これは認知行動療法の人でもみんな言うと思うんですけど、
ある程度はそれなりにみんな意識してることだと思うんですけど、
そこにクライアント一人がいると思うなってやつですね。
そこには目に見えていない、あるいはここには来ていないその人もいるんだぞっていうことなんですよ。
その人の中には、
今日ここではさほど主張していない別の人格もいますからねっていうのに気をつけなさいよっていうのは、
よくカウンセラーの話では出てくる、カウンセリングの話ではよく出てくるんだけど、
これはもう常識的にそうだろうと私は思いますよね。
だって自分自身のことを考えてみればすぐこれはわかると思うんですよ。
朝は今朝だから選挙とか見ちゃったから起きたくないわけですね。
起きない党が強いわけですよ。まだ寝てましょうみたいな主張をしてるわけですよ。
でも昨日の選挙見てるときは、もっと起きてて大丈夫だよ党が強かったわけですよ。
こういうふうにその人の中の勢力がしょっちゅう入れ替わり立ち替わり動いているので、
一貫した行動を取るというのは実に難しいことだって思うんですね。
一貫した行動が取れるぞっていう人ってつまりちょっと危ない面があるってことになるじゃないですか。
状況に関わらずうちはもう共産党一党独裁ですみたいなね。状況に関わらずってところが厳しいわけですよ。
何党の一党独裁でもいいんですよ。要するにうちはもう統一されてますからみたいな。
いいんですよそれは。便利なんですよね。便利なんだけど、
その統一された主張が世の中と必ずしも噛み合ってるとは限らないので、
噛み合ってないときにそういう全体が一斉に動くみたいな人の場合はですね、
うまくいくときはいいんですよね。うまくいくときは。
もうなんか怒涛のごとく仕事できるとかね、そういうことになるんで絶対さぼらずに練習するとかそういうことができるんだけど、
一方は違うとひたすら暴走する人みたいに周りから見える、そういうことが起きるわけですね。
全体が基本的に同じ方向向いてるんで、現代ではそういう人が当然減るわけですよね。
だから今時の若い人は優柔不断だとかって言い出すのはそういうことなんですよ。
いろんな価値観がその人の中にあり、そういういろんな価値観を許容するのがいいよねってことになり、
しかもいろんな刺激が世の中にあって、いろんな楽しみ方、いろんな人生の送り方があるということになると、
当然多数党に分裂するでしょ。
普通に教育されればね、よほど偏った考えを注入されない限り普通に分裂するわけですよ、その人の中では。
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だから圧倒的多数の政党は作りにくいわけですよ。
そうするといろんな連合を組んでみたり解散してみたりを繰り返して生きていくことに普通に考えるとなるので、
戦国時代とかだったらそんなふうには人はなかなかならないと思うんですよ。
人格分裂していたらすぐに敵にやられてしまいますからね。
ここは平和のほうがいいんじゃないかとか迷ってるうちにやられてしまうわけですよ。
今はそうじゃないからこそ迷っていられるわけで、いいことなんですよ。
迷っていられるということは、しかしケーブル1本捨てるのか取っておくのかでも、
人は永遠に国会を開くことができるわけですよ、心の中で。
捨てるべき主張と捨てないべき主張に1時間ずつかけるってことになると、
2時間経ってもケーブル1本捨てるか捨てないかの結論が出せないということが起きるわけですね。
これがそのいろんな人がいろんなところで困る理由が出てくるわけですよ。
そしてこう考えていくとですね、
例えばこれを触れたときにときめくかときめかないかとか、
これが家にあることによってあなたの気持ちがポジティブになるか、
そうならないかで決めなさいみたいな議論というか、
そういう主張がそれなりに意味を持ってくるわけじゃないですか。
決める基準というものをはっきりさせることによって、
どっちの政党が、要するに政党が乱立していても結論が出しやすいように
何か持ってきましょうっていう考え方なんですよ。
これがですね、だから分裂という言葉がこの場合はいいと思うんですけど、
なんでメラニー・クラインのスプリットオフ、つまり良いおっぱい、悪いおっぱいの話が
こうも心理学というか精神分析で大事にされるかというと、
分裂の起源を追ってるわけですよね。
一体どうして自分がそんなに多数党に分裂しちゃったのかというと、
何が良くて何が良くないかっていうものについて、
統一的見解をその人にとって持ってくるのが、
実は難しい状況がここにあるからだってことですよね。
起源はもちろん良いか悪いかなんですよ、一番最初は。
特に自分にとって、その自分の中でもより原始的な自分にとって、
一番最初の自分にとって何が良くて何が良くなかったかっていうのが、
すごく物を言ってくると。
長鶴につれてね、それがいろんな形で現れるわけですよね。
勉強するのか、遊ぶのがいいのかとか、体育頑張るのがいいのか、
それとも算数頑張るのがいいのかみたいなのが、
どんどんどんどん出てくるわけですよ。
女の子と仲良くするか、男の子と仲良くするかみたいな。
いちいちそこに決定が実はあるんですよね。
だけど、その人の人格がどうやって統一するのかっていう話になってくると、
親がめちゃくちゃ強制してね、
異性と遊ぶのは全部ダメだみたいな、ゲームも全部ダメだみたいな、
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ひたすら勉強するのがいいんだみたいな、
そういう非常に一等的になれば、ある種の子とはすごい上手くいくんだけど、
だいたい今時そういう家もいっぱいあると思うんですけどね、
そうはしないっていう家もいっぱいあるわけじゃないですか。
だからその人の中の勢力で非常にいろんなものが傾向していて、
その人はいろんな人格を投与していかなければいけないという難しさがあり、
その中である種の人は精神分析なり、精神分析は難しいので精神分析的心理療法なり、
なんか違うカウンセリングなりを受けることもあるということになるでしょう。
そうなるかならないかともかくとして、
ある種の人が理想化と脱価値化みたいなものの間を揺れ動くということは、
とてもよくあることだと私は思うんですよ。
ここから投影とか転移とかいう、精神分析ね、やっぱりこれもおなじみの用語なんですけど、
この転移とか投影といったもの、つまりこの正当が外の人と組み始めるということを
しないわけにはいかなくなってくる。人と生きるってのはそういうことですよね、やっぱりね。
で、外の人は当然、その人の心の中の正当の、自分にとって都合のいいものと組むわけですよ、普通は。
例えば勉強、修行等々、先生は組みますよね。これ大事なポイントですよ。
ということは、今回、政権交代あるかもしれませんけど、
その政権交代が、傾向している人の場合起きやすいわけですが、
政権交代が起きたときに、その人の脱価値化ってものがどうしたって起こらざるを得ないわけですね。
つまり先生のところに、先生のところでもなくてもいいんだけど、ずっと先生と一緒にいる党が強かった人がいるとするじゃないですか。
勉強こそ大事だと、信じて生きてきた。
それでだいぶ上手くいってたんだけど、ある日急に上手くいかなくなったと。
そういう人がカウンセリング受けたとするじゃないですか。
そしたら、「いや、あなたね、そんなに勉強いっぱいしすぎなくても他に生き方いっぱいあるんですよ。」みたいなことを言われると、
その人の中の反対党が一気に勢力を伸ばしてくるわけですよ。
今回の選挙みたいに逆転するわけですね。
そうするとその先生は理想化されますよね。
なんてすごい良い先生なんだろうと、私の気持ちがようやく通じたって感じがするじゃないですか。
これが理想化ですよね。
ようやく今までね、この腐敗した一党独裁のやつを蹴散らして、新しい自分に生まれ変わるんだって感じがするじゃないですか。
今まさにそういうようなことが昨日の選挙で起きた感じがするじゃないですか。
けれど、あの生徒はずっと強いわけじゃないですよ。
立候補してるんで、やっぱり世の中に出て行って戻ってみるとですね、
勉強しなくても、そんなに社会力に仕事しなくても大丈夫だとってのはすぐ劣勢になるわけですよね。
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会社とかに行くと、やっぱりそれじゃダメだよねってことになって、
政権は元に戻ると。
元に戻ってから、その人の中ではそういう割と革命的なチェンジが起きてるんだけど、
人間ってのは、いつも自分は一つの人格だと思い込みやすい。
これがよっぽど分裂していると、自分ってしょっちゅう他人になってんだみたいな自覚を持つようになるんですけど、
普通の人はそうは考えないわけですね。
寝る前は全然寝る気がしないけれども、起きる時はめちゃくちゃ眠いみたいな自分も統一された自分だって感じるし、
ダイエット中は絶対食事やめて、甘いものは食べないぞと思っても、
ケーキはいっぱい食べるって時の自分がそんなに矛盾してると、行動として矛盾してるのは気づいてるんだけど、
やっぱりそれはそれで統一した自分だよねって感覚はずっと引っ張ってるから、ずっと貫かれていますから、
それは抑鬱ポジションってことだと思うんですけど。
これが抑鬱ポジションとは言えないか、でも統一された自己っていう感覚は、
大概の人普通にあるわけですよね。少なくともこれが現実検討ではすごく大事なポイントですよね。
少なくとも一人の人格として自分は人から見られているし、一つのアイデンティティを持っているって感触は持っている。
で、その人がですね、つまりやっぱり勉強大事だよ等に戻りましたと。
主的に戻りましたって時にもう一回カウンセリング行くと、その先生がすっごいダメな先生に見えてくるわけですよ。
なんか甘いこと言ってるけれども、この先生の言う通りにしてても全然ダメじゃんと。
なんであの時自分はこの先生は素晴らしい先生だと感じたんだろうと思って。
先生は変わってないんだけど、その人が変わったんだけど、政権交代が起きたからね。
変わったんだけど、ものすごくダメな感じがするわけですよね。これが脱価値化ですよね。
つまり、傾向している人にしてみると、世の中ってものが理想的に見えたり、ダメなものに見えたりするって変転が起きやすいんですよね。
で、この中で大事なことはですね、その内的な勢力と外部が、内的などの勢力と外部が踏みがちなのかということが、
その人の内面にとって強い動揺を与えたり、非常に自分を支持してくれたりする感じが強いるってことなんですよ。
その人にしてみるとですね、どうしたってやっぱり内的勢力が傾向しているために自分で決断するっていうのは難しいことなんですね。
だから外部の勢力、つまり他の人ってことですね。他の人と組むことで、例えば、このケーブルはもういらないから捨てた方がいいですって言ってくれる、
わかりませんけど、掃除サポーターみたいな人がいるわけじゃないですか、今時は。
そうすると、それがやっぱりお前、内的なところでやっぱり捨てていいって言ってるじゃないか。
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だから外の人も言ってるし、専門家も言ってるんだからってことで捨てられるってことが起きるわけですよね。
外国の力を借りて政権を運営しているような雰囲気出てきますけども、これがそういうサポーターの人の持っている意味ですし、
これがあるからその内的勢力というものがある程度判断ができるんだけど、逆にですね、そういうふうにしている人の心の中で起きがちなことというのが依存ってことですよね。
一つはね、当然、外の人が助けてくれないと決断ができなくなるっていうのは依存ってことの多分中核的な問題だと思うんですよ。
で、別の言い方をすると、でも依存っていうのはその人の心の中がピッコーしていることを考えてみるとですね、
その人が元気になると大体難しくなってくるわけですよ。元気になるとどこかの党としては面白くないわけじゃないですか。
捨てなさいって言われて捨てましたけれども、やっぱりそれは良くなかったんじゃないでしょうかっていうふうに野党の人が叫ぶように叫び出すわけですよ、自分の心の中で。
これはもうダメだと。そんなことをずっと続けていては良くないっていうことで、その外の人との縁も切りなさいって感じになって、
そしてガラッとその人は変わったように見える。内面で全面的に変わってはいないんだけれども、変わったように外から見えてびっくりされるってことが起きるわけですよ。
で、ということはどういうことかというと、依存状態を続けるにはその人はずっと自信がないという状態が必要になってくる。
これが依存と抑鬱が関係しがちなポイントですよね。
反対勢力に反対されないためには、私はもう自分で決められないから、自分の中で多数党が乱立して決められないから、比較第一党である私がやっていきますけど、基本しょんぼりしてますみたいな。
だって比較第一党が過半ならそんなことする必要はないし、ということは他の人が過半取ったらまずいわけです。
だから過半が誰も取れないような状態になっているような内部の状態っていうのが維持されていると、非常に分裂気味というかややモザイク気味になってくるわけですけれども、自信はない。
そして他の人の誰かの言うことを聞くと。
ただし、これはいろんな意味で後悔が湧いてきやすいですね。
抑鬱的なパーソナリティの最重要というか、最も目立つのが後悔ということなんだけど、どう決めても後悔は残るわけですよ。
だって他の党は納得しないし、自分の中でも過半の決定じゃないんで、捨てたけど捨てない方が良かったんじゃないだろうかっていうのがいつもいつもあるわけですね。
あとこのような人は自信がなくても腹は立てるってことは忘れちゃいけないと思うんですよね。
やっぱり自信がないのは過半取ってない政権与党が自信がないだけなんで、野党は結構怒ってるわけですよ。
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捨てるべきじゃなかったんだっていう。
なんでお前そんな外の人のなんかよくわからないサポーターとかいう専門家じゃなくて、それはインチキなやつでっていうことになるわけですよね。
だから常に反発心というものがあって、それは後悔とセットなんですけれども、あるわけですね。
だからこういうところに転移というものが起きがちなわけです。
つまり反対の方であれ、与党の方であれ、どっちであれ、外の人と組みたいわけですよ。
外の人、つまりそれが自分のある種の意思決定に味方をしてくれる人を探し求めてる面があるわけですね。
だからそういう人に向かって投影していくわけです。
自分の気持ちというか自分の意思決定を、自分のその勢力を投影するんですね。
だからその勢力を支持してくれる人という意味で他の人に投影する。
だからお父さん党が捨てろって言っていて捨てたいなという気持ちが、つまりその人の中にはいくらかはあるってことじゃないですか。
そうするとすなさいって言ってくれる人に、そのお父さん党を投影するから必ず転移というものが非常に起きやすくなるわけですね。
だけれどもいつもいつも同じ党が運営していないので、こういう行動としては一貫しないわけです。
これを一貫させようという意識のカウンセリングとかサポーターでもいいです。
そういうサポーターだったら絶対一貫させようとするじゃないですか。どんどん捨てるのがいいんです。
捨てたいというあなたの気持ちを育てなさいということになるわけですよね。
こういうカウンセリングも世の中にありますよね。
その人の中の良い自己を支持していくみたいな考え方です。
これは精神分析にもあることはあると思います。
力動的な考え方であることは確かですよね。
この人の中の良い自分を盛り立てていこうみたいな感じですね。
当然反対党が出てくるのは承知の上でやるわけですね。
反対意見が出てきた時も、あなたは今はそう言ってるけど前はこう言っていて、今は私に対する不信があるんでしょうみたいな解釈をすることで、
なんとかその人の中の一貫した自分を盛り立てようという考え方があるわけです。
しかし、これをやりすぎるとその人が来なくなりますよね。
反対党が勢力を増した時に、このカウンセリングはダメです。
なんでも捨てろというのはダメだと思うので、私は前々からやめようと思っていたので、
今日はいい機会だからやめますと言って帰っていく。
これがつまり中断ですよね。
これが起こるのは困るので、常にある程度調子を合わせるという必要があるのかもしれないですよね。
でも常に調子を合わせていてはですね、
その人の一貫した自分というものは、ほぼ永遠に舵取りできないということになるので、
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つまりこれが依存症みたいな時には非常にネックになるところはあると思うんですよ。
お酒飲んじゃいました。いいんですよって言って、お酒やめようと思います。
それはいいですねっていう、こういうのではまずいじゃないですか。
これがだから共感というもの、共感と一致ですよね。
ロジャーズ派で頑張っていた頃の難しさなんですよね。
どこに共感し、その人の中の誰に一致していくのか、何党に加担していくのがいいのかっていうのが、
結局何党に加担するのがいいのかをそもそもセラピストが決めていいのかって問題があるわけじゃないですか。
本当にそうしていいの?みたいな。
これがドラッグ依存とかになってくれば、ある程度どういう方面に向かえばいいかっていうのがあるにせよ、
それが片付けられない程度であればですね、
本当になんかいろんなものを捨てて、それこそミニマリスト等を押しましょうみたいな、
それはお前の価値観だろってことになるわけですよね、これは。
だからその話は私がこの番組で時々言及する山崎孝明さんがよく書かれたり喋ったりされていますけれども、
どうやったって中立じゃなくなっちゃうよねと。
でも基本カウンセラーって中立を思考するべきだよねっていうのは一つあるわけじゃないですか。
何でもかんでもカウンセラーが言う通りにすればその人はよく生きられるっていうのはよっぽどの発想で、
まずそういうのは成り立たないから、
でも一方で今のようにですね、
その人の中で傾向している多数のいろんな勢力がある状態で、
その全てにいい顔をするカウンセラーってもしかすると何の役にも立たないかもしれないじゃないですか。
だからこの辺の結局さじ加減みたいな話になるしかないわけですよね。
しかもカウンセラーの価値観っていうのはあることは間違いなくありますから、
やっぱり部屋はきちんとしていた方がいいと思っている人もいれば、
別に部屋なんか乱雑だってやることやってりゃいいじゃんっていう人も間違いなくいるわけですよ。
で、その部屋なんていくらか乱雑だってのいくらかだって、
人によって人の数だけそのいくらか度は変わっていくと思うんですよね。
でもその人は誰かですから。
結局のところ、そのどの程度のところに落ち着かせようとするかっていうのは、
無意識である可能性すらはあって、結局何かに加担することになる。
しかもややこしいことに、このカウンセラーいくらか散らかっていたとか言いながらも、
相手の部屋見てるわけじゃないんですよ。
オンラインだと見せてくださいと無理やり言えば見られることもあるかもしれませんけど、
なかなかそういうわけにもいかないし、
ましてリアルな面接室を用意している精神分析みたいなものでは、
相手の部屋なんか見ることは絶対ないと思うんですね。
そうするといくらか散らかってたっていいじゃないですかと言っておきながら、
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その精神分析家の人が実際にその部屋を見たら、
これダメです、片付けないとって言うかもしれないじゃないですか。
結局のところ。
そういうものまで含めながら、この話進めていかなければいけなくて、
難しいところはいっぱいあるわけですよね。
当然これはこの話がアルコールになれば著しく難しさは増すと本来思うんですよ。
いくらか飲んでもいいじゃないですかって言って、
そのいくらかが毎日焼酎1本ですってのはまずいと思ってたら、
難しい話になってきますよね。
で、その人にとってそれがどのくらいハームなのかってのも結局わからないわけで、
ハームって言葉自体がすでに価値判断を含んでますからね。
含まないってことは多分あり得ないと思うんですよ。
これが家庭内不安にしてもそうだし、
喧嘩とか離婚とか再婚とか不登校とか転職とか、
全てに絡んでくるということになるわけです。
もちろん多分ですけれども、極力中立でないとダメだろうとは思いますよね。
なぜなら一人の人だけとやり取りするカウンセラーってのは普通はあり得ないわけだから、
当然いろんな人とやり取りするということは、
全ての人に自分の正義を、正解を押し付ければそれで事足りるはずは絶対ないので、
そうなってくるとやっぱりあらゆる人のその人の意思って話になる。
その人の意思って話になった時の難しさの一つが、
頻繁に転移を引き起こし、その転移も一貫しない転移を引き起こし得るようなタイプっていうような、
でもそれはある意味私はごく普通のケースだとは思うんですけれども。
だって迷いがあるから、そういうものが利用されるわけですからね。
転移っていうことになったんで、話が進んできているので、
結局それは、その人の今結びつきたい他人というものが誰であるかによって、
相手の態度っていうものが大きく左右されるか、左右されないとしても、
されないなんてことはあり得ないと思うんですけど、強く影響されるってことですよね。
だから政党は叫んでるわけですよ。
捨てるっていうのに指示しなさいっていうくらい、
カウンセラーっていうのは常にそのプレッシャーに晒されるってことですね。
これが力度ってことですから。
ケーブルなんて捨てるっていうのに指示しなさいっていうのと、
取っておくっていうのを指示しなさいっていう人と、
どっちでもいいのを指示しなさいっていうプレッシャーに常に晒されてるわけですね。
で、どれかに加担するある程度はそういうことになっていくわけです。
全然気にせず加担するっていうカウンセラーさんもいらっしゃるでしょうし、
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すっごく悩むけどやっぱり加担しないわけ。
加担しないっていうのもまた一つの態度なんで、
非常に難しい事態を引き起こすわけですね。
ここら辺に持ちこたえるっていうのが間違いなくあるわけだけれども、
持ちこたえなければ始まらないと。
なぜならば守備一貫した主張であるはずはないからですよね。
守備一貫した主張であるなら多分そこに来てませんから、
守備一貫しない主張がそこでプレッシャーとしてやってくる。
どっちの見方をお前はするんだと。
その結果次第ではもうそこでカウンセリングは終結する。
どんなに良い関係が成立していたようであっても、
終結する可能性ってのはありますよね。
これを言うんだったらこいつはもうダメだみたいな。
でもそれを言うそれっていうのが、
ほぼ100%クライアントさんの中で重大な問題になっているんですよ。
ここがすごい難しいポイントだと思うんですよ。
まさに竹尾さんが言う通りハラハラドキドキなんですよ。
これを下手な言い方でどっちかに加担したら、
もうその瞬間アウトだなっていうね。
でもそのアウトっていうのはですね、
片付けるっていうのがアウトかもしれないし、
とっとけっていうのがアウトかもしれないし、
どっちでも良いアウトかもしれないわけですよ。
そして一番ここで大事なのは、
多分これがLHKって話になると思うんですけど、
忘れちゃいけないのは、どれでも良いんですよ。
分析課の方、カウンセラーの側にしてみれば。
どれだって同じなんですよ。
だってその人の部屋じゃないんだから。
ここがすごい大事なポイントでしょうね。
押し付けたくなるんだけれども、
実はどうでも良いんですよ。
ここが持ちこたえるってことだと思うんですよね。
完全に巻き込まれてしまった場合には、
どっちでも良いことを忘れちゃってるわけですよね。
そういう気持ちに我々はしばしばなります。
というかものすごく流されるわけです。
どっちでも良いっていうのは無責任じゃんっていうことなんですよね。
だから心の底から私に共感し、
捨てるって言ってくれるか、
とっとけって言ってくれるか、
どっちでも良いって言えっていう、
心の底から私に共感して、
それは不可能なんですよね。
自分の部屋じゃないんだし、
自分のケーブルじゃないんだから、
正直その人にしてみれば、
とっといたって捨てたってどっちでも良いわけですよ、文字通りで。
でもその人にとって外にあるってこと、
つまり本当の意味でその人の訴えは伝わらないということ、
を完全に共感するっていうことが、
同時に行われる部分がどっかにあるわけ。
それが他人ってことですよね。
このどの政党が勝つかによって、
日本が核武装しますみたいな話になった時に、
それは絶対ダメだって、
お隣の国は言うと思うんですよね。
でもそれはお隣の国のポジショントークですよね。
カウンセラーじゃないってのはこういうことです。
完全に巻き込まれてしまっているわけです。
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どっちの決断だとしても、
こっちの方が絶対良いって相手が言ってくるってことは、
どっちでも良くはないってことですよ。
でもある私は中国の割と有名な、
あれは経済評論家みたいな人でしょうね。
日本が核武装をしようとしないと、
そんなものは日本人が決めれば良いんだ。
どっちでも良いんだって、
がっちり言っている人が中国人ですよ。
だからつまりカウンセラーの態度ってのは、
本来ああいうものを含んでなければ始まらないってことですよ。
自分にどれほど強い影響を与えようと、
相手の意思で決めるしかないことだっていうのが、
外にいるってこと。
結局外にいるってのはそういうことですよ。
完全に内側にいるはずは絶対ないし、
だって同一、同じ人間ではないからね。
東英はあくまでも東英だし、
天秤はあくまでもどこまで行ったって天秤なんですよ。
それは親子関係でも家族関係でもないし、
もちろん同一の人間でもない。
同一化は決してできない。
どんなに東英・同一化が進行したとしても、
同一でないことだけは確実なので、
やっぱりそこに2人の人間がいる以上ですね。
同一でないことだけは確実なので、
究極的には相手にとってはどっちでもいいわけです。
だからユーザーさんはいつでも、
その瞬間に辞めたいと思った瞬間に、
二度と来ないという決断ができるわけです。
多分私の知る限り一例たりとも、
精神分析家が未払いのお金をユーザーさんの自宅まで取りに行った
という例はないんじゃないかと思います。
どういうか、
知らないんだから思いますと言っても無駄ですね。
思いたいだけかもしれないですね。
でも僕は取りに行くことは多分絶対ないと思うんですね。
ということはやっぱり究極的にはどっちでもいいと
どこかで思っていなければいけないってことですよ。
この定義というのはこの先があるわけですよ、話としては。
松木さんの昔このポッドキャストで紹介しましたけれども、
例えばよく言うじゃないですか、
これは自分の内心の正当の勢力が
今日はこのアレゴリーで相当引っ張ってきたな、引っ張れてきたな、
勢力が過半どれも行きませんという場合には非常によく起こることだと思うんですけど
人の顔色を伺ってしまうと。
言うまでもなくそういう人はカウンセラーの顔色も伺ってしまうでしょう。
このカウンセラーさんは本当はどっちがいいんだろうっていう
自分の中で感がないっていう人にしてみると
やっぱりですね、なるべく自分に味方してほしい
その自分も分裂しているわけですよ。
だからどの自分に味方してほしいのかが
その人にとってもはっきりしていない。
これこそがまさに力動的なカウンセリングの本来の状況だと思うんですよね。
まあ一つの状況ですね。
ものすごく堅くなな人が行くケースはあると思うんですよ。
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なぜかうまくいきません。
私は一等独裁なんでうまくいくはずなんですけど
うまくいかないんですよ。
私何も困ってないんですけどここに来ましたみたいな話には
しばしばこれがあると思うんです。
だから逆もあるわけですけれども
いずれにしても現実との噛み合わせの問題なんですよね。
まああれですよ。
我が国では批判もものすごくありますけれども
下半プラスアルファで安定多数で一等が
概ね安定してるっていうのは一番他の国から見ると安心なんですよね。
その等がめちゃくちゃ大棒とかでない限りは安心なんですよ。
やっぱり。
どう考えたってそうじゃないですか。
コロコロその人が懐かし化したり理想化するような国って
とっても危ないじゃないですか。
急にある国をものすごく理想化するような行動を取ってみたり
急にその国と戦争するようなことを言い出したりするっていう国は
とっても見ていて不安ですよね。
周りにしてみると。
これは多分普通の人にしても全く同じだと思うんだけれども
やっぱりめちゃくちゃ一等独裁とか
めちゃくちゃ多等分裂みたいな状態の人との付き合いっていうのは
いわゆる難しく感じられる。
この人との付き合いは簡単ではないと感じられるはずなんですよ。
今日はその多等分裂な状態の話をしているんで
こういう人は当然
人の顔色を伺うということが起こります。
つまり
とっとけ党の人が
一応第一党だと
そうすると顔色を伺う人からすると
この人本当は捨てたほうがいいと思ってるんじゃないだろうかなっていうのが
どう考えても疑心暗鬼になります。
この疑心暗鬼は実は
自分の心の中にある分裂なんです。
さっきも言いましたが
カウンセラーその人にとってみると
捨てるほうがとっとこうが
究極的にはどっちでもいいんで
その人のうちにケーブルが一本多くあるかないかの違いで
そのことが重大な意味を持つはずがない。
けれども私
やっぱりとっとこうと思うんですって言ったとき
なんだこいつとっておくのかよ
俺ミニマイシソンだよみたいに思われるのが怖い
と思ってるんだけど
それは反対の気持ちを投影してるにすぎないんですよ。
自分の心の中の捨てなさい党というものが
本当は気になってるわけですよ。
気になって当然ですよね。
問題なのは自分の中の反対党なわけですから。
これを相手の人の気持ちに
相手の人のそのものに投影している。
だからニコニコしていようと
知事的な話をしていようと
実は無駄だってことなんですよ。
私とっておくっていう風にします。
これは例え話ですよ。
こんなに綺麗な話は出ませんよ普通に考えても。
でもそういう風に言ったとして
カウンセラーがそれでいいんですよ
あなたが決めたことなんですからとか
ニコニコしておきながら
内心でチッて思ってるんじゃないかっていう
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疑心暗鬼は抜けないわけです。
その人の心の中に
とっておきますと言った人の心の中に
分裂がある以上
相手がどう思っていようと
必ずこの可能性を疑ってしまうという
構造があるわけですよここには。
チッてこの人思ってるに違いないって
思ってしまうわけですよね。
思っていようといまいと。
だから顔がいかつくて
めっちゃ怖そうな顔をしてるとか
めちゃくちゃニコニコしているとかいうのは
あまり関係がない。
ニコニコしている方が
より一層怖いかもしれないわけですね。
そうするとカウンセラーの方では
どんな顔もできないじゃないですか。
だから簡単に笑うなみたいな話もあるんだけど
その話がどんどん進行して
服も変えるなみたいな話になっていくわけですよ。
服変えるとメッセージになっちゃうからね
みたいな。
そういうことは起こるわけ。
こういう乱立している人の
これはボーダー的な話になってると思うんですけど
乱立している人が
例えばその人は
心の中で私は
服の色が決められないと。
赤が大好きっていう生徒と
赤は大嫌いだって生徒が
その人心の中では2つあるわけですね。
で、たまたま
めったにないことだと思うんですけど
カウンセラーの人が。でも女性ならありますよね。
いつもその人は
水色の服着るのに
今日赤着てきた。
私は嫌われているんだ。そういえば
こないだ言ったことが。ってことになるわけですよ。
なるから服装変えるなってことが
まで言われるようになるんだけど
そんなこと言ってたら
昔文豪さんって人が
同じ色の靴下を
9足変えみたいなことを
15足変えてたけど
そういうことになっちゃうんで
カウンセラーって同じ色の
同じ服しかそもそも着られないよねみたいな
ユニクロとか
無印良品で
大量に100着ぐらい
無くなったら困りますからね
同じ色の服を
ガーッと買ってってことになっちゃうじゃないですか
たまたまじゃないんで
やっぱり
僕は精神分析家じゃないなっていうのは
こういう時にはつくづく良かったと思うんですけど
飲み物も買えますし
なんなら
Zoomのカメガミだって買えますし
Zoomでやってる段階で精神分析的にアウトでしょうけど
顔色だって買えますよね
だってしょうがないですよね
それはね
もちろん分かりますよ
訓練をしてそういうものに
安易に変えることのメッセージ点を
考えろということですよね。非言語メッセージ
人の顔色を伺うってそういうことじゃないですか
顔色というのは
何を言っているかではなくて
この人がどんな顔をしているかを
見なさいってことですよね
でも顔見たって無駄ですよね
人は顔で演技できるんだから
この人は難しい顔してるけど
実は内心ではオッケーオッケーと思ってるかもしれない
プライベートの監督とかで
いっぱいいますからねそういう人ね
一方でニコニコしてるけども
内心ではチッて思ってるのかもしれない
これはその人の
内面の分裂を投影している
っていう部分が
相手のカウンセラーが
42:01
訓練が十分であろうと
未熟であろうと
どっちにしたって起こることだとは思いますね
内面で思っていることが
本当の意味で分かることは
絶対ないし究極的には
内面ではどっちでもいいと思っている
はずなんで
自分がどう思われているかっていうのを
本当に気になるってことは
自分の中の反対勢力が
相当均衡しているっていう
意味だと思うんですよ
自分の中で一等独裁なら
そんなことを気にかけるはずはないんですよ
だって絶対そうするじゃないですか
その人は
なかなかそういう人は来ないと思う
いわゆるカウンセリングは受けないと思うんですけど
私はもうとっとくんですよ
何だってとっとくんです
部屋がゴミ屋敷になろうと何だろうと
とっとくんですよっていう人が
わざわざ人に相談する理由がないですよ
そういう人が人の顔色を
伺う理由もあまりないわけですよ
いやだってそんな
ミニマリストになって
ああいう人間はもう本当に
地上からいなくなった方がいいんですみたいに
思ってる人はミニマリストにどう思われているかは
気にしないじゃないですか
だからそういうことは
起こらないわけですよ
この顔色を伺うが
さらに進行した例を
松木さんが
示してくれていて
顔色を伺うっていう方は
あまりこういう話に興味ないかもしれないですけど
僕はむしろ逆がいいと思うんですね
ああいう松木さんの事例こそ
一番我々が考えたら
いい話だと思うんですよ
ルーターが
ロックオンキーに
つまりルーターなんて
あるわけじゃないですか
ずっと松木さんの部屋といえども
松木さんの部屋じゃないと思うんだけどね
ネットつながるようにしてあるということ
起こるわけですよ
なんていうのかなルーターでわかりますよね
インターネット使うためには必要なものですね
あれがあったというところが
松木先生のことだから
それを毎度毎度場所を変えるなど
そんなことする人はほとんどいないし
そんなうかつなことをするはず
ないわけですよね
ルーターずっとあったはずなんですよ
でもふいにルーターを見つけた人が
あああれは私の声を
ロックオンして
今もこの世界中に
私の声を出して
私がどれほどひどい
ダメな人間かということを
松木さんという
松木先生は
嫌がらせでやっているんだ
ということでしゃべらなくなる
これは私は
精神病水準に違いはないと思うんですけど
これは顔色をうかがうの
一つの究極形態
一つの
もっと先もあるかもしれないけど
そういうことなんだと思うんですよね
その人の心の中の
分裂というものをよく表している
この説明は
わかりにくいかもしれませんけど
やっぱりその人は投影したんですよ
自分の反対勢力に
強い反対勢力を
もしかしたらその反対勢力が
過半を超えている反対勢力かもしれない
それが松木さんに
45:01
投影されたわけですよね
先週私があんなことを言って
松木さんは
ものすごく怒ったに違いない
だから
このよく見たことのない
見たことがないはずないんだけど見たことのない
お家を使って
私の集大というものを
世の中にさらしている
これは顔色を伺うと
我々が言っているこの話の
うんと遠い延長線上に
あるんですよ
つまり反対勢力がものすごい
強い人にとって世の中
どんなに生きづらいかってことを
示していると思うんですね
不思議な現象ではありますよね
例えば
捨ててはいけないと
ものすごく心の強い
ところで思っているんだけど
でもそういうことは起こりますよねやっぱり
でも捨てなきゃ
だってもうこの家にはこれ以上は
物置き場ないんだから
この
普通の人だったらたぶん全然
躊躇しないと思うんですけれども
なんだろうな何でもいいんですよ
プラスチックの大きな
ケースを思い切って捨てましたと
そういう
ふうに思い切って捨てたっていうことを
言ったら物置先生の顔色ががらっと
変わってものすごい
怒っている
気が付くと
床に何か黒いね
得体の知れない黒いボックスがあって
これで私が捨てた
ということが世界中に知らしめて
いずれ私はこの世の中から
抹殺されるに違いないこれは
その人の心の中で絶対
捨ててはダメだとどんなもの
でも使えるものは絶対捨てちゃ
ダメなんだっていう
教えというのかな価値観が
色濃く根強く
強烈にあってそれが一大勢力を
作ってるんだけど
でもその勢力が
自分の中の主導権を取れてない
ときも結構あるみたいな
精神の人にとっては
起こり得る事態なんだと思うんですよ
だからそこが
顔色が変わったと
普通の人が言うところ
スパイの行動を
こういう話が
私はですねやっぱ
切実に身につまされて感じると
いいんじゃないかなと思うんですよ
私はこれを読んだとき
ものすごい感慨させられたんですよね
松木さんの仕事
精神分析家の仕事というのは
非常に大変だなと
床にゆっかりルーターを置けない
でもそう思ってはいけないんですよ
床にルーターを置くんですよ
観葉植物だって置くでしょうし
テーブルもセットする
やっていようとやっていまいと関係ないんですよね
それを言うならば
究極的には何を言おうと
あまり関係ないんですよ
だけれども
そうは絶対にユーザーさんはおっしゃらない
そこにクライアントさんが
いらしたときには必ず
先生は私の
秘密を全部世界中に流してるんですね
って絶対言う
そう思ってるんだから
48:00
そう言いますよ
言わないかもいらないけど
そういう危機が
訪れうるということ
でもこれはある意味
どんな人間関係にでも
起こってるんですよね
ものすごくこれを
マイルドにした現象ならば起きる
それは仲がものすごくいいかどうか
だけでは決して決められない
話だということです
心の中の分裂というのは
こういう話になる
そして我々の心はみんな
絶対に
間違いなく分裂してますから
一刀独裁やばいですから
今のような時代には特にそうです
一刀独裁の心の体制で
生きていくのは
ほぼ確実に不可能
戦国時代だって不可能なんですよ
織田信長みたいな人って
すごく一刀独裁感があるじゃないですか
俺に逆らってみんな殺すみたいな
そういう徹底的な
心象というものを持っているけど
やっぱりあれだと
常々
命を狙われるみたいなことが
反転的に起きてきますよね
そして我々はそんなことは
普通にそういう生き方はできないので
やっぱり分裂しているんですよね
分裂しているということは
お色をかがうということでもあるわけです
相手の人は
相手の人がどう思っていようと
自分の心の中の反対勢力というものに
この行為を反対される
どんな行為でも反対される
反対される可能性というものを
既に抱えている
この苦しさに
多分持ちこたえられるようになりましょう
というのが
カウンセラー
カウンセリングというものだと思うし
特に力動的な精神分析というものだと思うし
やっぱり3カ月チャレンジも
ここを目指したいわけですよ
自分の心の中は
いろんな勢力がありますが
でもやっぱり一つの
統一体として統一している部分があって
その統一しようという意思が
持ちこたえる
持ちこたえるということの力を
生むんですよね
統一する意思のところで
例えば愛情みたいなものが出てくるわけですよ
私がこの部屋を
あの
なんていうのかな
例えばそれが他人の行為だとしましょう
この子が捨てようと
とっておこうとこの人のことは
愛情を持っているから
捨ててほしくはないけれども
捨てたからといって嫌いにならないみたいな
そういうのが愛情じゃないですか
日本自身にも適応されるだけで
いいわけですよ
どっちの勢力を取ったとしても
嫌いにはならない
極端に言うと
日本人民共和国とかになっちゃったとしても
日本のことは好きみたいな
そういう話ですよね
これが
そこのところに
納得ができないっていう状態だと
自分の中の分裂というのは
苦しくてしょうがないってことになってしまう
と思うんですね
選挙アレゴリーで
しかも
片付けの話に終始しましたけど
片付けが比較的
51:00
本当な話に
できるからです
正直片付けであれば
ミニマリストであろうと
なんでもとっておく派で
部屋が雑然としていようと
それが問題だって話も結構あるんだけど
僕はでも究極的には
それはやっぱり
そこまで問題視じゃなくても
どこに住むだろうなって感じがするんです
これが
会社に行く行かないになってくると
これではさすがに確かに
住まなくなるじゃないですか
だから不登校とかは
やっぱりもう少しシリアスな問題になってしまって
学校行くあなたなら
私は愛せるけれども
もう永遠に学校行かないあなたは
愛せないみたいな話になりかねないから
やっぱり話はシビアになる
これを
自分に適応するのは一層難しいですよね
きちんと仕事をする
自分なら好きになれるけど
二と同然の引きこもりの自分は
好きになれないっていうのは
当然あり得ることですから
だからこの話にすると
もっとのっぴきならないことになるので
今日はこの話にはしなかったんだけど
この話にすると
今言ったようなことが
もっと一段と前へ進むと
思うわけですよ
話は分かりやすくなるとは思いますよ
松木先生のところに行って
私は親の金を
めくっていくんです仕事は一切しないんです
ずっと部屋の中にいるんです
って言ったから
だからあそこに
あのね
録音機が発生したんだって
考える人っていうのが
いてもおかしくはないじゃないですか
そのルーター前からあったんだけど
つまりよく言われることですけれども
近くってのは
そういうことをするんですよ
ずっと目に入っていたものが
全く存在していたことに
気づかない
それに不意に気づく
これは一つの定義なんだっていうのが
ある松木さんの本に
出てくるわけですよね
そういうことって
僕らの人生にもちょいちょい
起こってるはずだと思うんですよね
ずっとここにあったのに
ずっとその人これを言ってたのに
ずっと気づかずにいたっていうのに
不意に気づいちゃう
そしてその時には多分何かが起きて
何かってのはつまり
反対勢力が強いことの
反対のことを言ったり主張したり
行動してしまったっていうことが
起きてる可能性がある
というようなお話ですね
もちろんその限りではないんですけれども
そういう可能性です
可能性を探るってことは
できるんじゃないかと
長くなってきたから
もういい加減にしますけど
今日はこのアレモリーで引っ張ったから
長くなったんだな
いわゆる糖質制限で
砂糖とか果糖とか果物とか
一切食べないようにしていた
お米も芋も食べないっていう時代があったんですよ
で
夢の中でそれらをバリバリ食べている
自分での発見して
何これ不思議だって思ったことがある
これが投影ってものの
僕は
54:00
核となる感覚じゃないかな
っていう風によく思うんですね