決定できなくなるわけですよ。
結局のところどうするんだってことになるわけですね。
これが内部で起こってることですね。
だから分析家の人、特に力動系のカウンセラーの人が必ず言うことに、
これは認知行動療法の人でもみんな言うと思うんですけど、
ある程度はそれなりにみんな意識してることだと思うんですけど、
そこにクライアント一人がいると思うなってやつですね。
そこには目に見えていない、あるいはここには来ていないその人もいるんだぞっていうことなんですよ。
その人の中には、
今日ここではさほど主張していない別の人格もいますからねっていうのに気をつけなさいよっていうのは、
よくカウンセラーの話では出てくる、カウンセリングの話ではよく出てくるんだけど、
これはもう常識的にそうだろうと私は思いますよね。
だって自分自身のことを考えてみればすぐこれはわかると思うんですよ。
朝は今朝だから選挙とか見ちゃったから起きたくないわけですね。
起きない党が強いわけですよ。まだ寝てましょうみたいな主張をしてるわけですよ。
でも昨日の選挙見てるときは、もっと起きてて大丈夫だよ党が強かったわけですよ。
こういうふうにその人の中の勢力がしょっちゅう入れ替わり立ち替わり動いているので、
一貫した行動を取るというのは実に難しいことだって思うんですね。
一貫した行動が取れるぞっていう人ってつまりちょっと危ない面があるってことになるじゃないですか。
状況に関わらずうちはもう共産党一党独裁ですみたいなね。状況に関わらずってところが厳しいわけですよ。
何党の一党独裁でもいいんですよ。要するにうちはもう統一されてますからみたいな。
いいんですよそれは。便利なんですよね。便利なんだけど、
その統一された主張が世の中と必ずしも噛み合ってるとは限らないので、
噛み合ってないときにそういう全体が一斉に動くみたいな人の場合はですね、
うまくいくときはいいんですよね。うまくいくときは。
もうなんか怒涛のごとく仕事できるとかね、そういうことになるんで絶対さぼらずに練習するとかそういうことができるんだけど、
一方は違うとひたすら暴走する人みたいに周りから見える、そういうことが起きるわけですね。
全体が基本的に同じ方向向いてるんで、現代ではそういう人が当然減るわけですよね。
だから今時の若い人は優柔不断だとかって言い出すのはそういうことなんですよ。
いろんな価値観がその人の中にあり、そういういろんな価値観を許容するのがいいよねってことになり、
しかもいろんな刺激が世の中にあって、いろんな楽しみ方、いろんな人生の送り方があるということになると、
当然多数党に分裂するでしょ。
普通に教育されればね、よほど偏った考えを注入されない限り普通に分裂するわけですよ、その人の中では。
だから圧倒的多数の政党は作りにくいわけですよ。
そうするといろんな連合を組んでみたり解散してみたりを繰り返して生きていくことに普通に考えるとなるので、
戦国時代とかだったらそんなふうには人はなかなかならないと思うんですよ。
人格分裂していたらすぐに敵にやられてしまいますからね。
ここは平和のほうがいいんじゃないかとか迷ってるうちにやられてしまうわけですよ。
今はそうじゃないからこそ迷っていられるわけで、いいことなんですよ。
迷っていられるということは、しかしケーブル1本捨てるのか取っておくのかでも、
人は永遠に国会を開くことができるわけですよ、心の中で。
捨てるべき主張と捨てないべき主張に1時間ずつかけるってことになると、
2時間経ってもケーブル1本捨てるか捨てないかの結論が出せないということが起きるわけですね。
これがそのいろんな人がいろんなところで困る理由が出てくるわけですよ。
そしてこう考えていくとですね、
例えばこれを触れたときにときめくかときめかないかとか、
これが家にあることによってあなたの気持ちがポジティブになるか、
そうならないかで決めなさいみたいな議論というか、
そういう主張がそれなりに意味を持ってくるわけじゃないですか。
決める基準というものをはっきりさせることによって、
どっちの政党が、要するに政党が乱立していても結論が出しやすいように
何か持ってきましょうっていう考え方なんですよ。
これがですね、だから分裂という言葉がこの場合はいいと思うんですけど、
なんでメラニー・クラインのスプリットオフ、つまり良いおっぱい、悪いおっぱいの話が
こうも心理学というか精神分析で大事にされるかというと、
分裂の起源を追ってるわけですよね。
一体どうして自分がそんなに多数党に分裂しちゃったのかというと、
何が良くて何が良くないかっていうものについて、
統一的見解をその人にとって持ってくるのが、
実は難しい状況がここにあるからだってことですよね。
起源はもちろん良いか悪いかなんですよ、一番最初は。
特に自分にとって、その自分の中でもより原始的な自分にとって、
一番最初の自分にとって何が良くて何が良くなかったかっていうのが、
すごく物を言ってくると。
長鶴につれてね、それがいろんな形で現れるわけですよね。
勉強するのか、遊ぶのがいいのかとか、体育頑張るのがいいのか、
それとも算数頑張るのがいいのかみたいなのが、
どんどんどんどん出てくるわけですよ。
女の子と仲良くするか、男の子と仲良くするかみたいな。
いちいちそこに決定が実はあるんですよね。
だけど、その人の人格がどうやって統一するのかっていう話になってくると、
親がめちゃくちゃ強制してね、
異性と遊ぶのは全部ダメだみたいな、ゲームも全部ダメだみたいな、
ひたすら勉強するのがいいんだみたいな、
そういう非常に一等的になれば、ある種の子とはすごい上手くいくんだけど、
だいたい今時そういう家もいっぱいあると思うんですけどね、
そうはしないっていう家もいっぱいあるわけじゃないですか。
だからその人の中の勢力で非常にいろんなものが傾向していて、
その人はいろんな人格を投与していかなければいけないという難しさがあり、
その中である種の人は精神分析なり、精神分析は難しいので精神分析的心理療法なり、
なんか違うカウンセリングなりを受けることもあるということになるでしょう。
そうなるかならないかともかくとして、
ある種の人が理想化と脱価値化みたいなものの間を揺れ動くということは、
とてもよくあることだと私は思うんですよ。
ここから投影とか転移とかいう、精神分析ね、やっぱりこれもおなじみの用語なんですけど、
この転移とか投影といったもの、つまりこの正当が外の人と組み始めるということを
しないわけにはいかなくなってくる。人と生きるってのはそういうことですよね、やっぱりね。
で、外の人は当然、その人の心の中の正当の、自分にとって都合のいいものと組むわけですよ、普通は。
例えば勉強、修行等々、先生は組みますよね。これ大事なポイントですよ。
ということは、今回、政権交代あるかもしれませんけど、
その政権交代が、傾向している人の場合起きやすいわけですが、
政権交代が起きたときに、その人の脱価値化ってものがどうしたって起こらざるを得ないわけですね。
つまり先生のところに、先生のところでもなくてもいいんだけど、ずっと先生と一緒にいる党が強かった人がいるとするじゃないですか。
勉強こそ大事だと、信じて生きてきた。
それでだいぶ上手くいってたんだけど、ある日急に上手くいかなくなったと。
そういう人がカウンセリング受けたとするじゃないですか。
そしたら、「いや、あなたね、そんなに勉強いっぱいしすぎなくても他に生き方いっぱいあるんですよ。」みたいなことを言われると、
その人の中の反対党が一気に勢力を伸ばしてくるわけですよ。
今回の選挙みたいに逆転するわけですね。
そうするとその先生は理想化されますよね。
なんてすごい良い先生なんだろうと、私の気持ちがようやく通じたって感じがするじゃないですか。
これが理想化ですよね。
ようやく今までね、この腐敗した一党独裁のやつを蹴散らして、新しい自分に生まれ変わるんだって感じがするじゃないですか。
今まさにそういうようなことが昨日の選挙で起きた感じがするじゃないですか。
けれど、あの生徒はずっと強いわけじゃないですよ。
立候補してるんで、やっぱり世の中に出て行って戻ってみるとですね、
勉強しなくても、そんなに社会力に仕事しなくても大丈夫だとってのはすぐ劣勢になるわけですよね。
会社とかに行くと、やっぱりそれじゃダメだよねってことになって、
政権は元に戻ると。
元に戻ってから、その人の中ではそういう割と革命的なチェンジが起きてるんだけど、
人間ってのは、いつも自分は一つの人格だと思い込みやすい。
これがよっぽど分裂していると、自分ってしょっちゅう他人になってんだみたいな自覚を持つようになるんですけど、
普通の人はそうは考えないわけですね。
寝る前は全然寝る気がしないけれども、起きる時はめちゃくちゃ眠いみたいな自分も統一された自分だって感じるし、
ダイエット中は絶対食事やめて、甘いものは食べないぞと思っても、
ケーキはいっぱい食べるって時の自分がそんなに矛盾してると、行動として矛盾してるのは気づいてるんだけど、
やっぱりそれはそれで統一した自分だよねって感覚はずっと引っ張ってるから、ずっと貫かれていますから、
それは抑鬱ポジションってことだと思うんですけど。
これが抑鬱ポジションとは言えないか、でも統一された自己っていう感覚は、
大概の人普通にあるわけですよね。少なくともこれが現実検討ではすごく大事なポイントですよね。
少なくとも一人の人格として自分は人から見られているし、一つのアイデンティティを持っているって感触は持っている。
で、その人がですね、つまりやっぱり勉強大事だよ等に戻りましたと。
主的に戻りましたって時にもう一回カウンセリング行くと、その先生がすっごいダメな先生に見えてくるわけですよ。
なんか甘いこと言ってるけれども、この先生の言う通りにしてても全然ダメじゃんと。
なんであの時自分はこの先生は素晴らしい先生だと感じたんだろうと思って。
先生は変わってないんだけど、その人が変わったんだけど、政権交代が起きたからね。
変わったんだけど、ものすごくダメな感じがするわけですよね。これが脱価値化ですよね。
つまり、傾向している人にしてみると、世の中ってものが理想的に見えたり、ダメなものに見えたりするって変転が起きやすいんですよね。
で、この中で大事なことはですね、その内的な勢力と外部が、内的などの勢力と外部が踏みがちなのかということが、
その人の内面にとって強い動揺を与えたり、非常に自分を支持してくれたりする感じが強いるってことなんですよ。
その人にしてみるとですね、どうしたってやっぱり内的勢力が傾向しているために自分で決断するっていうのは難しいことなんですね。
だから外部の勢力、つまり他の人ってことですね。他の人と組むことで、例えば、このケーブルはもういらないから捨てた方がいいですって言ってくれる、
わかりませんけど、掃除サポーターみたいな人がいるわけじゃないですか、今時は。
そうすると、それがやっぱりお前、内的なところでやっぱり捨てていいって言ってるじゃないか。
捨てるべきじゃなかったんだっていう。
なんでお前そんな外の人のなんかよくわからないサポーターとかいう専門家じゃなくて、それはインチキなやつでっていうことになるわけですよね。
だから常に反発心というものがあって、それは後悔とセットなんですけれども、あるわけですね。
だからこういうところに転移というものが起きがちなわけです。
つまり反対の方であれ、与党の方であれ、どっちであれ、外の人と組みたいわけですよ。
外の人、つまりそれが自分のある種の意思決定に味方をしてくれる人を探し求めてる面があるわけですね。
だからそういう人に向かって投影していくわけです。
自分の気持ちというか自分の意思決定を、自分のその勢力を投影するんですね。
だからその勢力を支持してくれる人という意味で他の人に投影する。
だからお父さん党が捨てろって言っていて捨てたいなという気持ちが、つまりその人の中にはいくらかはあるってことじゃないですか。
そうするとすなさいって言ってくれる人に、そのお父さん党を投影するから必ず転移というものが非常に起きやすくなるわけですね。
だけれどもいつもいつも同じ党が運営していないので、こういう行動としては一貫しないわけです。
これを一貫させようという意識のカウンセリングとかサポーターでもいいです。
そういうサポーターだったら絶対一貫させようとするじゃないですか。どんどん捨てるのがいいんです。
捨てたいというあなたの気持ちを育てなさいということになるわけですよね。
こういうカウンセリングも世の中にありますよね。
その人の中の良い自己を支持していくみたいな考え方です。
これは精神分析にもあることはあると思います。
力動的な考え方であることは確かですよね。
この人の中の良い自分を盛り立てていこうみたいな感じですね。
当然反対党が出てくるのは承知の上でやるわけですね。
反対意見が出てきた時も、あなたは今はそう言ってるけど前はこう言っていて、今は私に対する不信があるんでしょうみたいな解釈をすることで、
なんとかその人の中の一貫した自分を盛り立てようという考え方があるわけです。
しかし、これをやりすぎるとその人が来なくなりますよね。
反対党が勢力を増した時に、このカウンセリングはダメです。
なんでも捨てろというのはダメだと思うので、私は前々からやめようと思っていたので、
今日はいい機会だからやめますと言って帰っていく。
これがつまり中断ですよね。
これが起こるのは困るので、常にある程度調子を合わせるという必要があるのかもしれないですよね。
でも常に調子を合わせていてはですね、
その人の一貫した自分というものは、ほぼ永遠に舵取りできないということになるので、
つまりこれが依存症みたいな時には非常にネックになるところはあると思うんですよ。
お酒飲んじゃいました。いいんですよって言って、お酒やめようと思います。
それはいいですねっていう、こういうのではまずいじゃないですか。
これがだから共感というもの、共感と一致ですよね。
ロジャーズ派で頑張っていた頃の難しさなんですよね。
どこに共感し、その人の中の誰に一致していくのか、何党に加担していくのがいいのかっていうのが、
結局何党に加担するのがいいのかをそもそもセラピストが決めていいのかって問題があるわけじゃないですか。
本当にそうしていいの?みたいな。
これがドラッグ依存とかになってくれば、ある程度どういう方面に向かえばいいかっていうのがあるにせよ、
それが片付けられない程度であればですね、
本当になんかいろんなものを捨てて、それこそミニマリスト等を押しましょうみたいな、
それはお前の価値観だろってことになるわけですよね、これは。
だからその話は私がこの番組で時々言及する山崎孝明さんがよく書かれたり喋ったりされていますけれども、
どうやったって中立じゃなくなっちゃうよねと。
でも基本カウンセラーって中立を思考するべきだよねっていうのは一つあるわけじゃないですか。
何でもかんでもカウンセラーが言う通りにすればその人はよく生きられるっていうのはよっぽどの発想で、
まずそういうのは成り立たないから、
でも一方で今のようにですね、
その人の中で傾向している多数のいろんな勢力がある状態で、
その全てにいい顔をするカウンセラーってもしかすると何の役にも立たないかもしれないじゃないですか。
だからこの辺の結局さじ加減みたいな話になるしかないわけですよね。
しかもカウンセラーの価値観っていうのはあることは間違いなくありますから、
やっぱり部屋はきちんとしていた方がいいと思っている人もいれば、
別に部屋なんか乱雑だってやることやってりゃいいじゃんっていう人も間違いなくいるわけですよ。
で、その部屋なんていくらか乱雑だってのいくらかだって、
人によって人の数だけそのいくらか度は変わっていくと思うんですよね。
でもその人は誰かですから。
結局のところ、そのどの程度のところに落ち着かせようとするかっていうのは、
無意識である可能性すらはあって、結局何かに加担することになる。
しかもややこしいことに、このカウンセラーいくらか散らかっていたとか言いながらも、
相手の部屋見てるわけじゃないんですよ。
オンラインだと見せてくださいと無理やり言えば見られることもあるかもしれませんけど、
なかなかそういうわけにもいかないし、
ましてリアルな面接室を用意している精神分析みたいなものでは、
相手の部屋なんか見ることは絶対ないと思うんですね。
そうするといくらか散らかってたっていいじゃないですかと言っておきながら、
その精神分析家の人が実際にその部屋を見たら、
これダメです、片付けないとって言うかもしれないじゃないですか。
結局のところ。
そういうものまで含めながら、この話進めていかなければいけなくて、
難しいところはいっぱいあるわけですよね。
当然これはこの話がアルコールになれば著しく難しさは増すと本来思うんですよ。
いくらか飲んでもいいじゃないですかって言って、
そのいくらかが毎日焼酎1本ですってのはまずいと思ってたら、
難しい話になってきますよね。
で、その人にとってそれがどのくらいハームなのかってのも結局わからないわけで、
ハームって言葉自体がすでに価値判断を含んでますからね。
含まないってことは多分あり得ないと思うんですよ。
これが家庭内不安にしてもそうだし、
喧嘩とか離婚とか再婚とか不登校とか転職とか、
全てに絡んでくるということになるわけです。
もちろん多分ですけれども、極力中立でないとダメだろうとは思いますよね。
なぜなら一人の人だけとやり取りするカウンセラーってのは普通はあり得ないわけだから、
当然いろんな人とやり取りするということは、
全ての人に自分の正義を、正解を押し付ければそれで事足りるはずは絶対ないので、
そうなってくるとやっぱりあらゆる人のその人の意思って話になる。
その人の意思って話になった時の難しさの一つが、
頻繁に転移を引き起こし、その転移も一貫しない転移を引き起こし得るようなタイプっていうような、
でもそれはある意味私はごく普通のケースだとは思うんですけれども。
だって迷いがあるから、そういうものが利用されるわけですからね。
転移っていうことになったんで、話が進んできているので、
結局それは、その人の今結びつきたい他人というものが誰であるかによって、
相手の態度っていうものが大きく左右されるか、左右されないとしても、
されないなんてことはあり得ないと思うんですけど、強く影響されるってことですよね。
だから政党は叫んでるわけですよ。
捨てるっていうのに指示しなさいっていうくらい、
カウンセラーっていうのは常にそのプレッシャーに晒されるってことですね。
これが力度ってことですから。
ケーブルなんて捨てるっていうのに指示しなさいっていうのと、
取っておくっていうのを指示しなさいっていう人と、
どっちでもいいのを指示しなさいっていうプレッシャーに常に晒されてるわけですね。
で、どれかに加担するある程度はそういうことになっていくわけです。
全然気にせず加担するっていうカウンセラーさんもいらっしゃるでしょうし、