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2024-06-28 42:44

「お前が悪い」と「絶交しよう」の違い【1008】

迫害妄想と病理構造体の話。
00:04
おはようございます。グッドモーニングボイスを改めまして、働く人に送る精神分析チャット、第1008回となります。
6月28日、金曜日、7時41分ですね。
雨が強いのですが、窓を閉め切ると厳しい暑さなので、暑くはないんですけどね。
結んで、開けさせてもらってるけど、雨の音が入るだろうなぁというのがちょっと気にはなりますが、このまま行かせていただきます。
このまま行かないと、8時前には僕はもう一旦終了しなければ、多分頭が持たないみたいになっちゃいますんでね。
はい、ご容赦ください。
もう一つご容赦といえばですね、昨日、多分100日チャレンジ第9期の募集をこの放送でかけてしまったんですが、
既に、多分それが公開されていた頃には締め切られていたというね。
早いんですよ、ここに来ると。
だから、気になっている方はですね、直前までお悩みになりたいというのはよくわかるんですけど、
この募集締め切りの週に入ってしまうと、それまでの増え方とは全然違う増え方になりますから、
せめて1週間以上前にチェックをかけていただいた方がいいかなと思います。
私もね、これほど人気になる、やっぱりJ松崎さんと組んで本格的に仕事を始めているのが多分去年あたりからなんで、
これほど人気になるコンテンツ編をしたことがなくて、わからないんですよね、この種の感覚が。
彼には多分多少わかっていると思うんだけど、僕にはわかっていないから、
まあまあ直前になればまだ飽きあるよねぐらいの感覚が抜けないんですよ、私は。
早々満席になるコンテンツなんかやったことないからね。
だけど、これは第9期に至るまで、つまり100人ずつ、8、7期は1000人なんだけど、全部満席じゃないですか。
だから、これちょっとですね、7期は無料だったから、ちょっと特別だとしてもですね、
8期、9期連続で満席になっているところを見ますと、これはやっぱり、私が言うのは何ですか、人気コンテンツで、
それはJ松崎さんの人気に多分にあやかっておりますが、そういうことなので、
ぜひですね、1週間以上開けてちょっとチェックしてみていただいたほうがよろしいかな。
それまでは、まだ50ぐらい飽きあるよねって感じなんですけど、1日で40席とか埋まってしまうんですよね。
そういうことは起こりますので、ひとつよろしくお願いいたします。
何の告知にもなってないので、1個ぐらい告知しよう。
7月10日、おそらく2日あたりに、私のトゥードゥリストは捨てていいという本が発売になります。
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少なくとも書店さんはともかくAmazonさんでは入り、
Kindle同日発売なので、まだちょっとアップされてないのはですね、
これやっぱりギリギリで組んできてるんで、
まだ僕、しろやきにまで修正をちょっと入れるかどうか悩んでいたぐらいなんで、
ギリギリだったんですよ、非常にギリギリ。
絶対やらない進行だなっていう進行してしまってるんで、
それがKindleのほうに反映されてないんでしょうね、ということが考えられますので、
そちらのほうも同日発売になりますので、
絶対電書で読むっていうことがわかってらっしゃる方は、
お待ちいただければ、遅くとも13日とか14日とかには上がってくるんではないかと。
いや、そんなになるはずないんでね。
普通に考えれば10日とかに上がってくると思うので、
しろやきが入らないのに印刷できるはずがないので、
今は多分、ベースは絶対デジタルじゃないですか。
デジタルベースなんだから、Kindleのほうに出ないはずはありませんからね。
あえてずらすっていうのは別として、
すでに出版社さんのほうから同日発売予定ですとは伺っておりますので、
そういうことで12日までお待ちいただければいいかなと思います。
電子書籍で読みたいという方はそちらで待っていただいたらいいと思います。
よく紙で買ってほしいっていうのもあるんですけど、
私は自分が両方あればまず電子を検討する。
絶対電子じゃないと嫌ってことは最近はないんですけれども、
必ず両方を私は検討するんで、両方あれば。
電子でも全然いいと思います。
今はもうね、著者に電子で入るのと紙で入るのは両方検討しながら、
印税いただくっていうのがほぼ常識的になりつつありますんで、商業のほうでも。
だから紙の発行物をそもそも最終的にセーブしていくんですよね。
それが多分これから出版社の生きる道なんだろうと思いますんで、
少なくともしばらくの間は。
だから地方の書店さんがいよいよ苦しいっていう現実はあるんですけれども、
そこはもうですね、やむを得ないかなっていう。
私のところの地元にもある吉田屋書店さんってところね、
でもやってるからね、まだね。
シャッターがいなっているところが多い中で、
ちゃんとまだ空いてますから、対象創業って書いてありながら。
まあそういうことなのでね、
そこはもう頑張っていくしかないよなって感じがします。
自分も含めてですけどね。
そんな感じで告知はおしまいにしまして。
すみません。
すごい基本中の基本の話なんですが、
スプリッティングっていうのをちょっと今日は
喋りたいなと思いました。
スプリッティングは分離、分割というような話というかテーマなんですが、
06:06
私はこれは、日常生活において普通にバカバカ出てくるというか、
そこら中で見かける現象であって、
政治分析の中でもですね、
とびきり使い勝手の良い概念だと。
対象関係論に主に出てくるんですけど、
別に対象関係論に限った話ではないと思うんですよね。
ただ、なんで対象関係論かというと、
対象関係論は二者をすごく、
二者ね、二人の関係をすごく言うから、
昨日の番組でもお伝えした通り、
私と大橋さんとで、
一人の女性ファンを可愛い子みたいな前提でね、
全くない話を無理やりひねり出したんですけど、
ここ二者で、少なくとも二者以上、
三者登場しているじゃないですか。
多分に、カウンセリングではですね、
自我心理学も含めて、
一者を問題にしちゃうんですよね。
その人は例えば、
脅迫的であるとかって、
その人一人の心の中だけのことを言ってるじゃないですか。
そういうことってまず、
あんまりその現実では意味をなさなくて、
特に日常生活ではですね、
二者以上絡むから、
人間の心理というのはややこしさを帯びてくるのであって、
一人の中で明らかにおかしいっていうことだけをテーマにしてるってのは、
あまりにも病理に偏ってる感じだと思うんですよ。
実際病理の人だって、
二人以上いるからややこしくなるんで、
だから多くの人はですね、
苦しくなってくると一人きりに困っていってしまうわけですよ。
別に孤立したいわけではないんだけど、
結果としてそうなっていくっていう話なんだと思うんですよね。
その二者をこんがらまらせる最大の要因の一つが、
スプリッティングだと思うんですよね。
喧嘩するところにスプリッティングがないことはないなって思うんですよ。
一つ、こういう用語だけ言ってても分かりにくい例を挙げますと、
例えばですね、あんまり最近ないんだけど、
カードを預かる夫婦間って、
クレジットカードをどっちかが大事なものは預かる係みたいなのをやってるとするじゃないですか。
例えば、奥さんに大事なものは預けてますと。
で、あの滅多につかないクレジットカードがいるってなったときにですね、
ないってなったときに、
旦那さんはね、奥さんに大事なものは預けてるわけだから、
いや、あのクレジットカードを君に預けたでしょみたいなことを言って、
怒り始めるわけですよ。
で、ちゃんと保管しておいてくれるって言ったじゃんって言うわけですよ。
ところが奥さんは、ここでギョッとするんだけど、こう感じるわけです。
もらってないんだけどって言い出すことが多々ある。
こういうことってありますよね。
多分、よっぽどちゃんとしてる家ではないのかもしれないけど、
私はこういうのに、自分の親も含めて何度も遭遇した記憶があります。
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預けたはずだと、もらってないって言うわけですよ。
このときにどっちの責任かっていうことを、私たちはすぐ考えがちですよ。
そうじゃないですかね。
喧嘩するときは絶対に考えてるんですよね。
どっちが悪いのか。
もうちょっと言うと、カードをなくしたのは本当はどっちなのか。
最初から預けてないんなら、大事なもの預かり係に渡してない夫の責任だし、
渡されたというなら、預かり係なのに、
これもどうかと思うんだけど、
預かり係なのになくしてしまった奥さんの責任だと。
この場合はそうしておきましょう。
でも現実の事実はやぶの中ですよ。
だってどっちがなくしたか、おもはやなくなってしまってるからわからないじゃないですか。
このときに、例えばなんですけど、
もらった記憶がないっていう、まずその強調が始まります。
これは記憶の問題だから、
どこかに記憶ないし証拠はないわけですよ。
もらった記憶はないの。奥さんは必ずこれをまず言うと思うんですね。
で、旦那は嫌渡したって言うんですよね。
まず間違いなく。
だからここは記憶の問題で喧嘩してるわけですよ。
これはものすごくよくありがちな、
僕なんかが今しゃべるよりも上手いロールプレイができる人にやってもらうと、
白心の演技でやってもらえると思うんですけど、
ここにスプリッティングっていう問題があるんですよ。
つまり人はですね、まず、
悪いものは自分の中にあるとは考えたくない。
これはもう当たり前なんですね。赤ちゃんからしてそうなんですよ。
つまりスプリッティングというのは防衛規制なんですね。
ちょっと専門用語に言うと、心を守るために防衛するわけですよ。
そのために悪いものは自分から切り離す。
切り離すからスプリットオフなわけですね。
この切り離すは肉体の何かを切り離すっていう意味では全くないですよ。
責任を切り離すんですよ。
それは普通でしょうっていう、
そんなスプリットオフとか言わないで人のせいにするって言えばいいじゃんって言われれば、
一応人のせいにするでもいいですよ。
でもこのスプリットオフの大事なところは、
人のせいにするという前にまず自分から責任を切り離しているっていう点が、
無意識のうちに進行しているっていうことを強調しているわけだと僕は思うんですね。
押し付けるのはその後の事態なんですよ。
とにかく悪いことが起きたと。
その悪いのと繋がりがある。
この場合はなくしたというのが悪い。悪いのはなくなったじゃないですか。
その面に繋がりがある原因がなくしたなんですよ。
なくしたというものを自分に置いておきたくないんで、
自分から切り離していく。
そうすると自分の責任半径が実は減ってるんです。
ここが要注意事項なんですよ。
一見したところ誰のせいである、
12:00
私のせいにされてしまうのが大変だって人は思うんだけど、
この時切り離された責任が、責任という部分が切り離されることによって、
自分の利益が減ってるということを、
ここを問題にするのがカウンセリングなんですよ。
実はね。
で、切り離されてめでたしめでたしなわけです。
ただ、切り離しただけで済む場合はいいんだけど、
戻される可能性がありますよね。
いやいや、お前の責任なんだよと。
なくしたのはお前なんだよって言われるとすると、
戻ってきちゃいますよね。せっかく切り離した。
だから切り離しただけでは済まず、
切り離したものを相手に押し付けなきゃいけない。
これを押し込むとかって対象関係の世界で、
投影っていうのもこの一種なんだけど、
要するに相手に押し込もうとする。
相手も自分に押し込もうとしてくる。
これが喧嘩の正体なんですね。
どっちも悪いものを自分の中に置きたくないわけです。
で、悪いものを自分に置きたくないというのは、
赤ちゃんでもそうだ。
だからこれは防衛規制なんですね。
自分の心に悪いものがあるというのは、
自分に悪いものがある。
自分が悪い責任を持っているというのは耐えがたいので、
これを吐き出すとやるわけですね。
これが排出という表現を使って、
だからクラインが排出とか、
うんこを投げるとかいう意味で、
糞便を投げつけると言ってる時に言ってるのは、
全部こういう意味なんですよ、基本的に。
生の具体的ななんで糞便とか言い出すかっていうと、
赤ちゃんがやることはそうだからなんだけど、
とにかくこの排出という行為、
外に出そうとしているものは基本悪いもので、
クライン派がいちいち悪いものを外に出す、
排出するとか投げつけるとか、
糞便とか汚いものとか言ってる時は、
基本こういうことを意味してるんですね。
だからそこら中で起きてるはずだって僕は思うんですね。
この種のことが起きていない人間関係なんて、
ほとんど見たこともないよなっていう気がします。
で、何がいいやって、
これでね、もし奥さんなり、
まあ旦那でもいいんだけど、この場合は奥さんにしよう。
あ、預かったかもって思ったとするじゃないですか。
この考えはすごい嫌ですよね。
この考えが自分、つまり、
自分は一時は旦那が全部悪いと思って、
自分はスプリットオフしてしまったわけです。
その悪い、吐き出した悪いものが自分に返ってくる時ほど、
汚く感じるものがないんですよね。
これが戻ってくるって感じるのが、
欲打不安っていうやつなんですよ。
つまり何が嫌って、この悪いものは私でしたっていう、
これが嫌なんですよ。
全体対称とか統合とか、分割とか分裂とか言ってるのは、
全部基本こういうことなんですよ。
分裂させたものが戻ってきて、
しかもその戻ってくるのは悪いもの。
そうすると自分悪くなっちゃうじゃないですか。
15:01
自分が悪いという、自分の責任だということに耐えがたいという気持ちが、
欲打不安とされている。
何でこれが欲打不安かというと、
この気持ちのままずっといると打つになっていくからっていう、
そういうちょんぼりしますよね、少なくともね。
すごく落ち込みます。
だからここで頑張るわけですよね。
ここで絶対入れないぞというふうに頑張るわけですよ。
そうして両方ともお互いに押し付けていくと。
ここでですね、
分割排除という戦略に絶え間なく出ていると、
自分の責任がどんどん減ってですね、
自分は白いままでいられてすっごく良さそうなんだけれども、
これをやっていくうちに、
一つの事態が進行していくんです。
まず、クライン派がよく言う言い方をすると、
自分が痩せ細っている。
自分の責任半径をどんどんどんどん小さくしているから、
一見すごく安心感があるように見えるんだけれども、
自分でできることはほとんど何もなくなっていくんですよ。
じゃあもう私は預かる係はやめると。
そして何々する係をやめると、
どんどんどんどんやめていくとですね、
要するに責任のある出来事に関しては、
自分にできるものは何もないという事態が進行していくじゃないですか。
こういうふうにして自我が衰えるとか、
自我が痩せ細るとか、
そういう言い方をするわけですよ。
もう一つの問題は、
このようにして排出した悪いものは全部相手に押し付けられている。
例えばこの場合、夫が亡くしたんだという事になったので、
夫が亡くしたという事になるとですね、
夫が、要するに役に立たない人になっていくんです。
身近な人であればあるほど、
頼りがいのないダメ人間になっていく。
そういう人ばかりに囲まれる人生を
送らなければならなくなるじゃないですか。
分割排出して相手が悪いという事にしていくとですね。
これが、
一番これが極端にいくと、
悪害妄想という事になっている。
みんなが私を陥れようとしているというか、
私は会う人会う人ダメ人間だっていう、
そういう不幸な方針の元に生まれついたんだみたいな、
そういう感じ方にだんだんなっていくわけですね。
会社をいくら変えても、
変な同僚とダメな上司に取り囲まれる人というのが、
誕生するわけですね。
これが分割排出、スプリットオフというものを、
ずっと進行させた時に、
私たちの周りで起こる現象、脱価値化が自然と進行していく。
現実の価値はどんどんどんどん失われていくわけです。
そして不思議なことに、
自分の自由度もどんどんどんどん減っていくという、
活動半径が狭まっていくんですね。
ところが、
これはですね、だから、
瞬間瞬間の出来事なんです。
今ない、ない原因は何なんだという時に、
18:00
自分の原因にするのは嫌だから、誰かの原因にするという風にやっていくというのは、
瞬間瞬間の出来事なんですね。
だからこれを、これは暗いんじゃないんですけど、
対象関係の最近の話では、
三次元的というわけですね。
過去を出来るだけ掘り返したくないわけですよ。
だって過去を真剣に考えて、記憶をしっかり辿っていくと、
自分無くした可能性が出てくるじゃないですか。
これが欲打不安を呼ぶんです。
つまり欲打不安というものは、四次元的なんですよ。
時間の流れがあるからそこ。
過去どうしたんだっけ、つまり、
今の私と今の夫の関係だけを見ると、
過去の私は何をしたっていうのを探る時には、
時系列を追ってるじゃないですか。
これを追うってことは、自分にも責任があったかもしれないって可能性を、
少しでも招き入れることになりますよね。
だから欲打不安というものは、四次元的なものになっていくわけです。
で、散々夫を罵った後で、
いや待て、自分が悪かったかもってなると、
めちゃくちゃ怖くなりますよね。
この欲打不安というものにしかし、耐えられないと、
人間は自分が分割して、自分が痩せ細って、
半減にしていくばっかりの人生になっていくんで、
どこかでこれを引き取らなければならなくなってくる。
ていうか、いずれ必ずこれを自分に押し込まれる日がやってきますよね、
っていうのが、クライン的なものの言い方に見えるんですけど、
いずれは自分がこれを引っかぶる雨になると、
投げつけたものをね。
なぜならば、
まずミスをしない人がいないって言い方をしてしまってもいいんですけれども、
夫と妻という関係をここで取ってしまった以上ですね、
全部を夫に押し付けておけばハッピーだっていう、
その話自体に無理があるわけですよ。
だから、どうしてもここを、
よっぽど妻が完璧にできて、
よっぽど夫がダメな人間だっていうのが事実だったらば、
そういうこともあるんですけど、まずそういう事実は大抵ないんですね。
だからそういうことを主張すると、
だんだん妄想的になっていくわけですよ。
現実にはあり得ないことを、
事実として信仰させていくよりもないんです。
だから、白外妄想と精神病水準というのは、
非常に近い関係にあるわけです。
100%旦那が悪い、
100%同僚が悪い、
100%上司が悪い、
そういうことも、現実を歪めるよりもなくなっていくんです。
100%私は立派だという。
しかし、ここで忘れちゃいけないのは、
100%私は罪がなく、純白にも関わらず、
ひどい目にばっかりあい続けるっていう不思議な現象が起こるんですよ。
でも、白外妄想的な観点の人の意見を聞いていると、
こういう話が自然とあるので、
別に珍しいことでもないんです。
私はすごくちゃんとやっていて、
いろんなところをきちんとやっていて、
会社でも仕事をきっちりやっているにもかかわらず、
21:02
会社での評価は極めて低く、
そもそも会社の業績はすごく悪くて、
上司も同僚も部下もみんなダメな人ばっかりでっていう、
最初同情的に聞いているんですよ。
こんなにアホみたいな言い方はしませんからね。
ここまでシンプルな言い方はしませんから。
これをやや加工してしゃべるんですよ。
だから、
それはもうちょっとあなたそんなに頑張っていて優秀なのに
かわいそうよねって聞くんだけど、
すごく優秀な人なのになぜそんな会社に働いていて、
すごく優秀な人なのにどうしてそういう旦那しかいなくて、
すごく優秀な親なのにどうしてそういう子供で、
すごく優秀な子供だとどうしてそういう親なのかという事実は、
これを直面化と言うんですよね。
現実に直面するから。
直面化させてはならない。
つまりですね、
これをバリバリ指摘するっていう人生相談みたいなのがあるんだけど、
それは絶対ダメなわけですよ。
そういう事をやってもその人はただ欲打つ状態がひどくなるだけで、
あるいは全てを排出するから、
例えば人生相談した人もものすごいダメな人生相談師だって事にさせられるだけで、
意味が全くないんですね。
ここが難しいところなんですよ。
この種の話が始まった時にはですね、
やっぱり話を一生懸命聞いてあげて、
どうしてそういう風に考えなければ
この人がやっていけないのかっていう事ぐらいはですね、
当て水量でもいいので検討していってあげないとですね、
ただただこの人に対して、
いやいや実はあなたが全部悪いんだよって、
これを直面化させてみたところで、
まず受け入れられないですよね。
深い葛藤、現実というものに対する
猜疑心というものでいっぱいなわけですよ。
これは非常に辛い状態なんで、
つまりその人はすごく立派で、すごく純粋で、
すごくナイーブで真っ白な人なんだけど、
めちゃくちゃ苦しんでるっていう事態が進行しているはずなんですね。
それがスプリットオフをとことん押し進めた結果なんですが、
ここまでは普通はいかないです。
ここまでいくと、
相手にできるのはカウンセラーぐらいみたいなことになりかねないので、
ここまではいかないですよ。
この手前の段階で我々は手を打つ。
どんな手を打つか、関係を断ち切るんですよね。
これが昨日申し上げた病理構造体って話になってくると思うんですよ。
この旦那が悪いのか、私が悪いのかっていうこの悩み、
普通の人はここで悩むんですよ。
私は悪いのか、私は悪いのかっていう悩み、
普通の人はここで悩むんですよ。
私は100%白、旦那は100%黒。
私は100%白、上司は100%黒っていうことを
近くを歪めながらガンガンやっていって、
精神病の方向に向かって突進していくという風には
普通の人は大体ならない。
やっぱり我々は現実検討能力を持っているから、
どっちかが悪いっていう考え方で苦しむんですね。
24:00
本当は旦那が悪いと思うんだけど、
私預かったかもしれない。
本当は旦那が悪いと思うんだけど、
私預かったかもしれないっていうこの状態。
これは現実検討できてますよね。
どっちだか分かんないっていうのが事実なんで、
どっちだか分かんないものに白黒はっきりさせるから
話がおかしくなるんだけど、苦しいんですよ、灰色の状態。
だからこの灰色に耐えられないから、
抑鬱不安も受け入れませんが、旦那100%悪いってことに
するわけにもいかないってところで、
関係を切りましょう。
この関係があるからこういう苦しみがあるんですっていう
精神病水準まではいかないんだけれども、
その手前の段階で関係を断ち切りまくるというのが
病理構造体、つまり人格障害の水準なんですね。
この考え方って現実の検討能力は少しありますよね。
この考え方って現実の検討能力は少しありますよね。
少しはあるんですよ、この関係は。
少しはあるんですよ、この関係は。
つまり関係を断ち切るというのは
どっちが悪いかは分からないが、
関係しているから苦しいんだっていう
この関係性に問題を見るわけです。
ここがすごい私は大きなポイントだと思うんですよね。
ここがすごい私は大きなポイントだと思うんですよね。
だからあなたと私はどっちかが悪い。
カードをなくしたのはあなたか私だと。
ここで苦しむということはそもそも
カードを預かったりするんだよね。
カードを預かったり預からなかったりするのではなく、
お互いが分離して生きていけば苦しむことなくて済む。
どっちかのせいにしなくて済む。これで関係を断つわけです。
仮に離婚をしないまでも
お互いの責任になるようなことはお互いでしない。
こういうふうにして会社とか家とかでも
分離分離分離で生きていくっていう生きていき方をするというのが
分離分離分離で生きていくっていう生きていき方をするというのが
分離構造対的な生き方なんです。
ここに長寿側が非常に独特の活躍の仕方をするんです。
関係を断ちましょうと。
そういう意味で攻撃的なんだけど、
相手をとことん100%悪いみたいにガンガンガンガン攻撃するっていう
攻撃の仕方はせずに、あなたは信用ならないから
ここはもう預かったり預からなかったりはしない。
あなたも信用ならないから
そういう極力お互いの責任はお互いの責任として
やっていく関係でいこうと。
そうすることによって自分の心の平安を保つ
というやり方が
私は今流行ってると思うんですよ。
だからここの先進病水準までは行かないんだけれども
神経症水準にはどっぷり浸るみたいな
非常に独特のですね、やり方で
頑張ると。
頑張るというか、ただこれは寂しいんですよ。
ほとんどの人と心を許したり
気を許したりはできない関係になっていくので
非常に寂しい。自分も信用、しかもこの状態って
自分も当てにならなければ人も当てにならないですよ。
27:01
現実全体の価値がぐっと低くなってるんですね。
さっきの白外妄想の精神病水準っていうのは
自分の価値だけはやたら高いんですよ。
ある意味。細ってはいるんだけども
例えば自分の自由になることはほとんど何もないんだけど
でも自分は真っ白白なんですよ。100%ナイーブで
ピュアで純粋で、やる気もあって
前向きなんですよ。ただ何一ついい目には
合わないんだけれどもっていう正しが気が付く。
あと周りは真っ黒けっけっていう問題があるんだけれども
自分は白いんです。正義なわけです。
だけれども病理構造体の世界っていうのは
いや俺はもういいもんねっていう感じなんだけれども
全体的な価値は全然高くないわけですね。
非常に全体的な価値は低いので
これではやってられないですよ。
自分100%正義っていう
だから白外妄想に満ちている人がしばしば会社で
バリバリやってるってケースはあるんですよね。
バリバリやってるんだけど
売上とかには繋がってる感じはしないし
何かすごくいい結果になってるとも言えないんだけど
でもこの人いつもバリバリはやってるなって
無理を割る人の業績貢献度みたいなのを見ると
多分私低いと思うんですよね。
だけどもより業績の低い人たちはめちゃくちゃ怒ってるから
なんとなくその人には逆らえない雰囲気ってものが
ちゃんと出来上がってるんだけど
それは何て言うんですかね。たまたまなんですよ。
あれ精神病水準じゃないですけれども
非常に微妙な水準だなって感じがします。
でもいわゆる病理構造体の人っていうのは
そうじゃないですよね。人と関わらないんで基本的には。
怒ったりはしないんですよ。
ただ俺はいつでも会社辞めるからみたいな
そういう独特のノリでやってるわけですね。
なんて言うんですかね。いるんだけどいないみたいな
そういう感じの振る舞いになっているはずなんですよね。
これって現実検討はできてないわけではない。
ただし、例えば会社の
その人にとっての会社の価値っていうのは
ゼロに限りなく等しいんで、給料がもらえればいい
みたいなノリなんで、やってられないわけですよ。
彼にとってはね。彼、彼女にとってはやってられない。
だから
これも話でよく
昨日一昨日その前、今週はよく喋ったな
言っている
ダーゴの偶像というものが必要になっている。
ここにいる俺は本当の俺ではないってやつですね。
コピーロボットなんだみたいな感じで、実はパーマンなんです。
そういうスーパーマンでもウルトラマンでも
なんでもいいんですけど、変身するわけですよ、家に帰ったら。
こうして私は本当の私になりました
っていうそれがないと、とてもじゃないけど
この価値のない世界だけで生きていくっていうのは
味気なくて、つまらなくて、しょうがないわけですね。
ただここは
お金をもらいに来るというだけなんですよ。
30:01
そのお金をふんだんに使って
空想世界に入り浸る。
そのためにやっぱり家がいるんですよね。
多くの場合、別世界が必要だってことです。
それはなんでもいいんです。
気心知れた人と飲みに行くとか
それはかなり健全な方ですけどね。
ひたすらエッチなビデオを見るとかなんでもいいんです。
そこにイチジナルシズムが絡んでいるところがすごいポイントですけどね。
精神的な対抗を招きたいっていう感じがありますし
ひたすらエッチなビデオを見るっていうのは
お母さんとイチャイチャしている。
ただしそれはお母さんとイチャイチャしていると
近親相関になっちゃうんで
お母さんと似ても似つかないお母さんと
まったく同じ女の人とイチャイチャするっていう
空想に浸るとかですね。
だからあれは全然性的じゃないと私も思うんですよね。
心の寂しさを埋めるみたいな。
モグロ服装みたいになってくる。
でもそういうことなんですよね。
病理行動体的な世界に生きるっていうのは
本人がどういうつもりでいても
ある意味ではすごく味気ないので
結局のところ空想対現実で
空想の方が自分にとって大事なんだっていう
だけの話でしかありませんから
現実に生きてるわけじゃないですか。
つまり現実を大切にできないという点では
このさっきの白外妄想と
病理構造体の世界は似てるんだけれども
病理構造体の方は悪いのは
人ではなくて関係なんですね。
だから関係というものに対する
懐疑心がすっごい強くて
本人はダメなんだっていうのはある程度
このダメなんだというのに
完全に直面してしまうとやっぱりうつっぽくなっていくんで
そこを守るためには空想がいると。
精神病水準の場合は
あるいは白外妄想の場合
自分がダメなんだというものを
完全に守りきるために幻想がいるんですね。
幻覚がいる。
だから幻覚だということにほとんど気づかずに
現実を歪めるケースと
現実に私はダメかもしれないけれどもという形で
空想に生きることにしている。
だから空想に生きるか幻覚に生きるかの差が大きい。
やっぱり精神病水準となってくると
白外妄想となってくると
妄想なので現実そのものが変化してしまっているわけです。
大きく。
空想では進まないということなんです。
大きめの舞台設定とか
VRゴーグルとかツールとかガジェットとか
大きめの画面とか
すごく
33:00
プライバシーというものが感じられるじゃないですか。
ずっとビデオを見ているのに
近所に丸ぎ声になりますみたいなの嫌じゃないですか。
だから部屋も閉め切って
音も絶対漏れないようにして
何を見ているか誰にも分からないようにして
だから一人耳の方がやりやすいっちゃやりやすいわけですよね。
チャットアウトしなければいけないわけですよ。
幻覚という意味においては
幻覚というのは逆に
逆の問題を引き寄せてくるんですね。
このように空想に浸っている人は
現実と空想の区別がはっきりついているので
例えばそうやって部屋を閉め切りにする
大きな画面でエッチなビデオを見るという時は
安心してるんですよ。
すごく内心では。
でも幻覚になってしまうと
格外妄想の人になってしまうと
やることは別にエッチなビデオとかじゃないんだけど
そんなことはやってられないんですよ。
なぜならばビデオを見ているシーンを
誰かに盗撮されているかもしれないという話が始まってくるんですよ。
空想ではないので
全てが現実と空想が混じって
幻覚化してきているので
そういう不安が先行するんですよね。
だからこの2つは全然違うんだと私は思うんですよ。
自分の部屋にこもっていれば安心というのと
自分の部屋にこもっていたとしても危険でいっぱいだというのとでは
全然違うじゃないですか。
それは空想は現実に関係しない。
現実に誰かに見られることはないって知ってるのと
自分の妄想っていうのは
現実と変わらないですからね。
その幻覚を見ている人にしてみれば。
だから盗撮されているとか
自分の様子が録画されているとかいうことになるので
秘められている生活というものはないわけですよ。
非常に辛いんですね。
現実は真っ黒黒なんだけれども
こもりきる場所というものが
見当たらないある意味で
非常につつぬけ感があるわけです。
テレパシーで自分の考え方が外に漏れ出ている
という話になってくるのも
ここから来るんだろうなって感じがします。
現実と空想というものはもはや区別がついて
いない世界に生きていますからね。
ただし自分はピュアなんですよ。
話聞いていても
この白外妄想系の話というのは
自分は優秀だとして一生懸命やっている。
自分は正直で100%正しい側にいるんだ
という感じがすごくあるんですよね。
これ多分
最早期の赤ちゃんの感覚ってそうなんだろうなって。
私に罪はない。
罪はないですけどね赤ちゃんにね。
だから私が悪いのかもしれないって思う
36:01
考え方はその人にとってはですね。
ものすごく破滅的なものなんだと思うんです。
実際は全然破滅的じゃないじゃないですか。
ここにラクサがあるんですよ。
だってクレジットカードなくしたなんて別に
破滅的じゃないじゃないですか。また審判会社に電話して
再発行してもらえばこと足りるじゃないですか。
このように現実を動かすという
たったこれだけのことが
いろんなシーンを遭遇するに結構難しいんですよ。
うちの親もそうだね。
あり得ないぐらいの喧嘩を始めちゃうんですよね。
お前いつもそうじゃないかみたいなこと言い出して父親とかがね。
そんなことを叫ぶ必要がどこにもないわけですよね。
0120から始まる電話をかけて
郵送してもらえば一発なわけじゃないですか。
すっごい簡単なことなんだけど
どっちが悪いっていう方が
遥かに大事な問題に思えてくるわけですね。
特になんだか知らないけど昭和の時代とよく似そうだったんですけど
銀行の通帳などカードがめちゃくちゃ重要で
絶対失ってはいけないみたいな
なんかそういう超自我的な何か
すぐ罪悪感に過剰なまでに訴えかけるという
癖が抜けなかったんで
そういう
もう刃物で差し合いかねないみたいな
そういうところに発展しがちだったんですよ。
あれは非常に僕は子供の頃に変なことやってんなって思ってたんですけど
それがこういうからくりだというのが分かるとですね
すごくやっぱり対処の仕方というものが
分かって楽になるんですよね。
一旦全部自分で引き取るっていうのが
まず一つの手なんですよね。
自分が無くしたってことにする。申し訳なかった。
で、これだと僕が一旦真っ黒になるので
向こうとしてはすっごく嫌なんですよ。
若干理不尽なんだけど
どっちが私か分かんないんでね。
だから真っ黒に一旦僕がなるというのが
向こうが真っ白で嫌い。
だけれども僕が一旦真っ黒になってもですね
向こうが真っ白だという感覚になるとですね
向こうとしてはすごい安心する。
そういうものに訴えなければいいんですよ。
訴えたくなりますけどね。
僕の心の中の病理構造体が動き出すので
訴えたくなるんだけど、この病理構造体ってのは
いつもワンパターンなんですよ。
一つあって、一つは超自我が関係を悪者だと見出す。
もう一つが、この関係を断ち切ることによって
自分は潔白でなくても安心だという考え方を取る。
これを取った時は非常に病的なので
ここまで条件が揃っているというふうに気づければ
離婚という選択肢とか関係を断つという選択肢は
捨てることができるんですね。
ここが僕はすごい大事だと思います。
抑鬱不安を一瞬引き受けるんだけれども
別にこれは抑鬱になる理由は何もないんです。
最初に言った通り、0120に電話すれば
39:01
すぐ話なわけですよ。
だから対外の場合、現実には対応の仕方というものが
ちゃんと用意されているので、ただその前に
ライブハックだと、現実の対応を先に優先すれば
いいじゃんって考えになりやすいんですけど
そうじゃないと思うんですね。
その考え方を先に採用するだけだと
相手がバカだみたいな考え方に陥りやすいので
相手は白くしておく。
関係の破壊というものに対する条件の中で
1、長時間の攻撃というものが関係性に向かって
2、その関係というものがグレーに見えるのは
自分が白か黒かという問題から逃げたいためである
という条件が揃ったら、この関係性に対する攻撃は
捨てていいと思うんですよ。
意味が全くないことをやろうとしている。
そうして次に3、自分が抑鬱不安に陥るのを
ここでストップすればいいわけです。
無くしたのは自分かもしれないが
これは致命的な意味です。
抑鬱不安になって物作業をする必要はない。
失うものに対する失った悲しみとか
失った怒りとかを弔うわけですよ、物作業って。
必要な時はやらないとダメだと思うんですよ。
大事なペットが亡くなったとか
大事なものが壊れたとか
すごく残念なことが起こったなということで
しんみりするって大事だと思うんですけど
過度無くしたとかでそんなに大事なものを
しんみりする必要はないわけだから
抑鬱不安っていうのはこの場合はいらないんですよ。
物作業もほぼいらないと思うんですよ。
その後で現実的な対応を取るという
この4ステップを踏めばですね
たぶんだいぶ楽に生きられる。
で、たぶんこれはね
時間がもったいないって考えてしまうんですよね。
時間を失う妄想っていうのにはまっていくんですよ。
この時はまた別途
時間に万能感を抱いているっていう
つまり時間という万能感を今度もう1回作り出して
そっちに逃げようとしているわけですね。
これもまた万能空想と病理構造体なんですよ。
こいつの関係を切れば俺は時間を無駄にせずに
済むっていうそういう言葉を使うことによってですね
なんか非常に正しい対応が取れるように
思ってしまうんですよね。
でもこれはたぶん億万長者になれば
この人との関係はこの会社との関係は切れるとか
自分はウルトラマンだからここで勤めなくていい
とか言ってるのと何ら変わらないので
さっきのようなこの関係をグレーと見出したいのは
自分は黒いだと思いたくないからだというのと
そこに長時間の関係性を攻撃しようというステップを踏んでいる
っていうのに気づくことができればですね
時間が失われるだろう、時間は万能だという考えは
ウルトラマンになれたらどうするかって考えと同じように
42:01
基本的には売っちゃってしまって差し支えないと思うんですよ。
それでやりたいことはですね
関係性が断ち切られた時の寂しさを埋めるための
よすがに過ぎないもののはずなの。
関係が断ち切られても自分ウルトラマンであればOKってのと
関係が断ち切られても時間が豊富にあればOKってのは
多分僕が思うに全く同じ話をしてるだけで
関係が断ち切られた後で時間が豊富にあっても
意味が全くないと思うんですよ。
全ての人間の関係、全ての組織との関係を切った後に
自由になる時間は最大値になると思うんだけど
多分使い道がなくなると思うんですよね。
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