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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
セミの声は入っちゃうと思うんですけど、ここを締め切るとすぐ熱中症で、1日が使い物にならなくなるので、ほとんど寝て過ごすことになりますから、声はします。
クーラーかけてもいいんですけど、クーラーかけるとなると、ここは洗面所なのでかけられないんですよね。
隣の部屋に行かなきゃいけないんですけど、隣の部屋に行くと、下からの声で起きるとか際しが言うもんですから、結局ここになってしまう。
グッドバイブス勉強会、もはや脅迫症みたいに言ってますが、まだ残席ありますので、是非お見逃しなくていいのかおかしいんですが、動画販売もしますからね。
ご質問はダイレクトでいただけますから、あすであれば。よろしくお願いします。
今、脅迫症って申しましたけど、それとちょっとニュアンス異なるんですけど、反復脅迫っていうことをフロイトは書いてるんですね、論文の中で。
そういう論文のタイトルの中にも入ってくる言葉なんですけど、精神分析を特に当時受けるような人であれば、当然繰り返し繰り返し何か問題を引き起こしているはずなんですよ。
身内にちょっと難しいタイプの人いるなっていう人はよくわかると思うんですけどね。
新しい職場とかに行くじゃないですか。新規一点頑張ろうみたいなのありますよね。
でもだんだん周りにいる人はわかってくるんですよ。
この人はまた新しい職場でトラブって落ち込んで帰ってきてしばらくまた行けないとかいうことに。
これは一例ですよ、あくまでも。
いろんなことが起こるじゃないですか。
ただ不思議と、不思議とではなく、全く不思議じゃなく同じことが発生するに違いないと。
本人は不思議となんですよ。
よくなんでこんなことが俺の周りには起こるんだって思われるんですけど、周りの人は必ずこういうことはそういうことがまた起こるだろうなぐらいにも思うものなんですよ。
私もよくわかるんです。
よく考えてみると僕らの聖壁というか宗壁みたいなものって悪壁を克服するって言うけれど、
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あれは世の中に悪壁とたまたまそれが見なされているから克服しなきゃなんだかなるんですけども、果たして克服できるものなのかと。
克服するのがいいことなのかっていうのは非常に疑わしいといつも思うんですよ。
それがたとえしょうがないから絶対克服するしかないんですが、何とか依存症とかであっても本当にいいことなんだろうかって僕なんかは非常に疑問だなと思うんですよ。
だから僕からすると一日ゲームいっぱいやっちゃいますとか全然問題なくて、どうしてもそれは続ける犯罪だとみなされるケースだけをやめとけばいい。
ただ際どいのがあるんですよね、アルコールとかね。
アルコールそのものは犯罪じゃないけど、どうこすとかなり社会的には厳しいなっていうのはありますよね。
だからある種のものはもう頑張るしかないと思うんですけど、それは生まれた時代があんまり良くなかったとでも思うしかない面もあると思うんですけど。
私は反復脅迫っていう論文を読んだ時も思ったし、今は読み直すとますますその思いを強くするんですけど、絶対ですね、先に何かを決めちゃうってまずいんだと思うんですね。
これは異常な行動だから取りやめねばならないみたいに考えてしまうとおかしな発想にしかなり得ないんだと思うんです。
おかしなことになっていっちゃうと。
精神分析っていうのはある意味ではその反復脅迫を取り扱う条件を設定するんですよ。
そうすることによって爆薬を実験室で取り扱うみたいな感じの形を設定するんですね。
設定っていう論文もあるんですよ。設定する必要があるっていう。
この番組でもよく取り上げてますが、やっぱり一番大元にはどんな難しい問題でも一番大元までいくといいおっぱいは悪いおっぱいなんだなって、あれは本当にうまい比喩だなと思うんですよね。
供給するわけじゃないですか。血のみごに母乳を。
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その供給先が悪であるって考え始めると物事が難しくなるわけですよね。
供給先に悪がある悪いおっぱいだっていうその考え方から全てが導き出されるというか全ての現況がそこにあるみたいなそういう感じがしますよね。
お酒にしてもさっきアルコールって言いましたけど、ドラッグはちょっとあれなんでやめておきますがにしてもそれこそタバコとかギャングルとか様々ありますけど一応供給してくれるわけですよね何かを。
いい気持ちだったりすっきりするんだったりいつも普段ではなかなかちまちまとしか稼げないんだけど一気に大金が入るんだったり熱狂だったり何かを供給してくれるわけですよね。
供給が悪であるってことになってくると私たちは大変困るわけですよ。
お母さんが悪人でしたっていうようなものなんですよ。だからあれなんですよね。やっぱりエリプスとかアジャセとかっていう話になってくる。お母さんが悪人だったんじゃないかっていう話ですからねあれは。
美容によってはそんなの全然悪くもなんともないだろうというのはもちろんあるんですけどそれは社会常識の話であって子供から見ると悪なわけですよ。
子供から見ると例えば寝たくもないのに寝なさいという。お腹空いてもいないのにおっぱい飲めという。
いろいろありますよね。抱いてほしくもないのに抱っこしてくる。全部悪なわけですよ。
悪は依頼ですよね。する側からすればおっぱい飲んでねとかお風呂入ろうとか全て依頼ですよね。
依頼はしばしば悪ですよね。しかも依頼は多分環境供給ですよね。ほぼ確実にそういうことになっていると思うんですよ。
問題はこの辺で混乱してくるわけですよね。依頼なのか環境供給なのか善なのか悪なのか。
で様々な戦略が始まるわけですよね。
例えば悪いおっぱいの時は噛みちぎるがいいおっぱいの時はニコニコして飲むとか。
この話は前もしましたが、いい会社の時は給料をちゃんと手に入れるけど残業をさせる悪い会社の時は火を吹くとか。
本人は少しもそれはおかしなことだと思っていませんよ。
でもだから赤ちゃんにしてみればね、出ないおっぱいは悪いんだから噛みちぎっていいおっぱいはいいおっぱいなんだから飲む。
それは当然のことじゃないですか。何にも本人は変なことをしているという気はないですよね。
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全部そういう風になっていると思うんですよ。いいお酒は気持ちよく飲むと。
翌日なって二日酔いになるともう二度と酒は飲まないことにする。
本人は何も不思議なおかしなことをやっているとは思っていないと思うんですよ。
ただ周りにしてみるとこの人はまた禁酒を誓ってそのうちまたお酒いっぱい飲むんだろうなとは思いますよね。
反復的に脅迫。脅迫的に反復する。繰り返し繰り返し同じことをやるんですよね。
たぶん会社に最初に行った時は本音じゃないかも分かりませんけれどもこの会社のために一生懸命頑張りますと言いますよね。
これはちょっと違う話になってくるんですけどね。ミニコットの偽りの自己的な話になってきますがとにかくそういう戦略を取りますよね。
最初は言われたことはきちんとやろうとか挨拶ちゃんとしようとかって思いますよね。思わないかもしれませんが思う人はいますよね。
でもやっぱり上司が苦闘点とかのことについて考えられない指摘をしてくる。
しかもなんかとても性格が悪そうだと。その時ついいつもと同じように相手に暴言を吐くと。
おかしいなことをしているわけじゃないと思うんですよ。ただ他の人にしてみるとこの人暴言吐いたのはもう100回目だなってことになるだけのことであって
そのこと自体がおかしいというふうに本音は少なくとも感じられないと思うんですよ。
あり得ないことですけどたまたまそういう人がカウンセリングを受けないこともないか今なら受けるとしますと
同じことが必ず発生するはずだというか発生しちゃうんですよね。
多分まず精神分析なんか特に設定ですから精神分析の分析家というのはまずお母さんなわけですよ。
カウチですからね。ソファーですからね。ソファーを用意してくれるわけじゃないですか。
そこに寝っ転がるわけですよ。そんな古典的なやり方で今やっているところがどのくらいあるか知りませんがそういうところもあるはずなんですよ。
今この瞬間にもあるはずなんですよ。地球全体で見れば寝っ転がってちゃんとヘアもしてあってですね。
空調もいろいろ整えてくれるんですよ。こういう時期ですし。好きなことを喋っているわけですよ。
完全にお母さんですよね。環境を供給してくれる。患者さんというか来た人は好きなことを喋る。
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やりたい放題じゃないですか。ずっと喋ってそれについても一つ一つ今ではそういうやり方はしないかもしれませんが解釈もしてくれる。
こういう時にはそういう風に思うんだみたいな。至れり尽くせにですよね。
しかしそのうちに何かその解釈は当たっていないような気がするとかって例えば思うわけじゃないですか。
そんなつもりではなかったとか。そんなにフロイトみたいに性的に解釈されても自分はそういう人間じゃないとかって思い始める。
だんだん会社の上司に対してそうであったように分析員に対しても腹が立ってくるってことはありますよね。
しかも分析家というのは何も考えてくるのを見るとやってくれない。今言った通りいろんなこと実はしてるんだけどそうは見えないわけですよね。
相談に乗ってくれるとか悩みを解決してくれるとかライフ発行提供してくれるとかGTDを教えてくれるとかいうことは一切してくれない。
ただある意味話を聞いては解釈してくれるとかせいぜいそんなところで。しかも安くはない。
終わると1時間経つとピタッと終わって金を取るとすごい腹立たしい。何なんだこいつはってことになるじゃないですか。
多分なる人いっぱいいると思いますね。最初に自分はいろいろ期待しただけにここに来てすっかり何もかもが良くなるとか期待するだけに。
僕そういう経験ありますからね。アメリカでの話ですけど。こんなことをずっと続けているうちに怒り浸透ですよね。
会社で起きたことと全く同じことが起こるわけですよね。もう憎くて憎くてしょうがないみたいな感じになる。
しかし今まで金も払ってきちゃったし何回も会わなきゃいけないというのも聞いた。
今その方がいいというような話を聞いたんでなんか来てると。でも何もかもが少しも良くなった気がしないと。
もしそういうことになると本当に許せないみたいに思う。これが転移ですね。
世の中の一般に対して起きているような気持ちのやり取りというか、大概の場合同じようなパターンの心理的な交換をここで人為的に作られたところで再現する転移ですね。
そうすると精神分析科というのは特殊な訓練を受けているので、特殊な訓練を受けていなくても必ず起こることですが、逆転移というやつが起こるんですよ。
そんな風に思われる筋じゃないって思うんですよ。ごく普通の人みたいにね。これが超大事なわけです。
これはですね、多分演劇とかと似ている。演劇でそういうことが起こるのかどうか僕はほとんどそういう経験がないから分からないんですけど、
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例えば演劇の中で恋愛すると、あの特殊なシチュエーションですごい愛されるわけじゃないですか。
そうすると相手のことを愛してしまうみたいな、そういう心理状態に入るってことはあり得ると思うんですよね。
逆転移というのはそういうもので、ごく普通にそうなる。でもそのことが演劇中のことであるってことを見失ったら演技にならなくなりますよね。
だから演技でなければいけないんだけれども、本当にそういう気持ちになるほどいいっていう部分がきっとあると思うんですが、
精神分析では必ずそのことが起こらないとまずいっていう考え方ですね。
相手のことが来た人が分析家をだんだん憎み始めると、分析家も相手のことを憎み始めると、
もうこの患者どうしようもないなって思うわけですよ。
こいつじゃあ世の中でうまくいかなくても当然だなって思うわけですよ。
そういうふうに思ったり思われたりすることも一つ一つ転移として解釈をして与えてみたりして、
破綻はしないように頑張ると。
そのうちにこの反復脅迫が一体どこから来ているのかということを来た人が、理想的には来た人がどこかで思いつく。
ないしはあるいは分析家の方が不意にそういうことに突き当たるということがあると思います。
今みたいな図式的な話ではどうしようもないので、やっぱりその輪でしか起きないようなことってきっとあると思うんですね。
なぜならばその二人だから憎しみって言っても様々ですよね。
もちろんそこの図式にはお父さんがこういう人だったとか、わりと他の人にも当てはまるようなパターンはあると思うんだけど、
たぶんその二人でなければ起きないような感情の効果ってのは起こるはずなんですよね。
ただの反復脅迫ではないわけですよ。
その人はそれまでも同じようなことを多分してきたので、そして全く同じようなことがその場面で再現されるんだけども、
その時に分析家は訓練を受けているということもあるけれども、何かそこで個性を発揮するんだと思うんですね。
そして考えてみれば来た人だって何か個性的なところはあるわけですよね。
他にもよく聞くようなことをやってきているけど、やっぱりその人ならではのところがあって、そこで何かが生み出される、クリエイトされるわけですよね。
その場でなければできなかったような何かが新しく生み出されるわけですね。
これを今ここって僕は言うんだと思うんです。
つまり、よく今ここ批判みたいな感じで、これはもう倉澤平塚さんもしょっちゅうセミナーとかでもお話しされていましたけど、
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成長線みたいなのに沿っていって、この話だったら単純ですよね。
社会的に難しいところを抱えている、ちょっと不足気味の人がだんだんカウンセリングを受けて良くなっていって、
やがては新しい気づきを得て成長したっていう、そういう論法じゃないですか。
それだったら最初からもっと社会的に成長していて、物分かりの良い人が来ていたら、
同じものが生み出せるっていう理屈にならないとおかしいですよね。
なぜならば成長して何かが生み出されるということは、当然もっと成長している人が最初から来れば、
最初から何かがすぐに生み出せるっていう理屈になるんですけど、決してそうはならないんですよ。
要するに野球みたいな話で考えると簡単なんですけれども、
最初100キロ台しか投げられなかった人が一生懸命練習して140キロ投げられるようになりましたと。
そういう話であるならば、最初から140キロ投げられる十分成長している人がやってくれば、
140キロのカウンセリングっていうのはすぐその場で出せるわけですよね。
そういうふうに捉えたら、たぶん成長している人がやってくれれば、
そういうふうに捉えたらダメなんですよね、きっと。
そういう意味で最初から何かが不足している人が来たというふうに決して考えないわけです。
反復脅迫というものに気づくというのは確かに一つの成長なんだと思うんですけれども、
だからといってそういうことに十分気づきうる人が最初から来ていれば、
より生産的なものとしてそのセッションが成立し得たとは考えないわけですよ。
途中逆転位が起こるというのは、だからそういう意味で非常に大事なんですけど、
たぶん分析家の人も浮くんじゃうわけですよ。
ここが単純成長線に沿わない精神分析的なところだと思うんですけど、
言ってみれば悪いおっぱい、良いおっぱいにハマるんですよ、分析家の方。
だって良い患者だったら自分は気楽にやれて、うまいセッションも作れて、何なら本も書けていいけど、
何じゃこいつはっていう奴が来ちゃうから、俺のこの人生が苦しいんだということになる。
これって良い患者、悪い患者じゃないですか。
しかし環境供給してくれるのは、分析からすれば患者さんじゃないですか、来団者さんじゃないですか。
だってその人がお金払ってくれる。そうじゃないとその人分析家になれないじゃない。やっていけないんですよね。
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訓練を受けてるだけじゃダメなんで。
そうするとよく考えてみると、この来団者と分析家の関係というのは、来団者が親であって分析家が子なんですよ。
最初に言ったのは逆でしたよね。分析家が母親で、来団者が子供と性別関係ないですよ。
男であろうと女であろうと関係ないです。
極論ソファーとかカウチとかが母親なんですから、物であったっていいんですよ。環境供給してくれるって意味ですね。
そうすると、この親子関係は逆転いって言葉がそうであるようにしばしば逆転してるんですよね。
だから対等なんですよ。母親が子供を成長させる物語ではないんです。
この役割をしばしば後退していて、逆になってる。
だからこの二人ならではのものがその時その場で生み出される。
それはしかもその時その場でないと多分生み出せないような形で生み出されるんです。
環境脅迫を繰り返して新しいところに一生懸命行ってんだけど、やがてはこじれてダメになるっていうのを繰り返しから脱却するっていう、そういう意味では成長戦なんですけれども、
同時にその人たちでなければ作り出せないものをそこで作り出すっていう意味では今ここなんですよ。
こっちの方が大事なんですよ、当然。
そういうことだから私はギャンブルとかドラッグとかアルコールとかいうものについて安易に悪い習慣っていう風に考えるのは誤りだなと思うんです。
やっぱり反復脅迫するということには意味があるのであって、反復脅迫に気づくということにももちろん意味があるのであって、
だから何かを今ここで作り出すっていうことに繋いでいけるんですよね。
その時にはやっぱり精神分析の場合二者だから、二者で作るんですよね。
そこでカップルが成立するとか精神的なインターコースをするとかそういう言い方をするんですけど、そういうことですよね。
新しい何かが生まれると。
だから逆転医の時には本当に憎んでしまったりもするんですよ。
でも分析家の人も気づかざるを得ないんですよ。
このふざけたやつから俺は金をもらってるんだ。
良い患者と悪い患者は二ついるんじゃなくて一つなんだ。
分かり切ったことのようですが、私たちがいわゆる妄想分裂ポジションですね、この二つを分けて考えたがるのは頻繁にありますよね。
だから成長じゃないんですよ、単純な。
昔は妄想分裂で良いお母さんと悪いお母さんを分けて悪いお母さんを粉々にして良いお母さんとだけうまくやろうとしてた子供っぽかったけど、
今大人になったから悪いお母さんも含めて一人なんだということに気づいた。
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それだけで本当に済むんだな。
一生そういうふうに一度気づけば、永遠にそうやっていけるのならば夫婦喧嘩とかしないですよね。
この夫は悪い夫だからこらしめてやろうとか、頻繁にするじゃないですか。
これ子供に戻ったということになるんですけれども、あるグループからすれば。
そういうふうに見るよりもやっぱりポジションが戻ったというか、要するに自分のいるポジションが変わったというふうに考えればいいんだと思うんですよ。
頻繁にだから起こるんですよね。
その都度成長すると考えてもいいかもしれないんですけど、
それよりは私は今ここで、よくポジションに入れるときに何かが生み出せるんだと考えるほうがいいんじゃないかなという、
実際のリアルな感触にも合致しますからね、そのほうが。
やっぱりあらゆる患者さん、あらゆる来談者さん、あらゆる精神分析家のその出会いが一期一会じゃないですか。
毎度毎度同じ線に沿って患者さん、来談者さん、クライアントをただ成長させていくという物語を繰り返すだけだったら、それこそ反復強迫だと思うんですよね。
そうではないんじゃないかと思えるところに、ああいうことをやる意味がやたらと出てくるんじゃないかと。
やたらとというのは変ですね。
十二分に出てくるんじゃないかというふうに思います。