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おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット、第1030回をお送りします。
8月1日、木曜日、朝9時4分です。
暑いのはもういいとして、
今日からですね、8月1日から始まる、
さっき言った通り8月1日なんですが、
3ヶ月チャレンジの第7期がスタートとなります。
昨日でちょうど6期が終わって、
今日から7期、新しい方をお招きして、
ご参加いただきましてですね。
ちょっとこう、にぎやかになってきて、
非常に、僕ちょっとテンションが上がっているわけです。
いろんな意味で。
ただもう、
なんていうんですかね、
ここのところちょっとそれに合わせて、
ちょっと考えるところが、いつも考え通しですがありまして、
思考止めるみたいな話しているんだけど、
なかなか僕の思考も止まらないわけですけれどもね。
今期、前に、
別に特に何かの体制を変えるってことは何もないんですけれども、
ただ、
何かこう、考え直してみようと、
改めて考えてみようですね、
と思っていることがあって、
一体自分のこの方法論って、
実はこれを誰かね、
それこそ認定制度を作って、
その人にやってもらうような何かを作ろうという、
わけでは結局ないんですけど、
そういうことを全く考えないわけではないんですけどね、
でもまあ、
それを直接にやるという感じではないなと思いながら、
間接にやるとすると、
やっぱり何かをまとめなければならない感じがする。
でもまとまっているのかなと思うと、
いまいちまとまっていないんですよ。
何も考えていないところがあるんですね。
そういう教科書的な概念をまとめるみたいな。
改めてどういうふうに私は、
この3ヶ月チャレンジをやっているんだろうと、
考えてみたいと思うというか、
考えてみたところを述べてみたいと思うんですね。
その前にお知らせで、
9月の1日にですね、
ちょっと大がかりな、いま言ったような話も交えてですね、
単独のセミナーをやろうと思ってます。
そういう私がいまやっているようなやり方というものが、
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ある意味これは別に真似というのかな、
それいいなと思ったらやっていただいていいと思うんですよ。
名称すらないんで、名称独占もあったもんじゃないんで、
3ヶ月チャレンジというのはありますけど、
3ヶ月チャレンジマニュアルはないわけですね。
私流のやり方はありますけど、
そういうものすらもこの日は、
なんか私の一足早いここのところの総決算みたいな、
ついでに本2冊出したんで、
出版記念的なものも合わせて、
要するに全部入りみたいな、
タスクシュードクラウド2も出るからってことだし、
それのお祝いも兼ねるみたいな、
どういう回なのかよく分からないけど、
要するに私の活動の総集編みたいなものを、
9月1日にやろうと思っているんだ。
これちょっと大掛かりにやりたいんで、
できれば多くの方にご参加いただければいいなと思って、
まだ持ち込みページも作ってないんですけど、
9月1日にやるのはほぼ確定なんで、
まずはお知らせさせてくださいってことですね。
これで改めまして、
何をやってるかなんですけどね。
ずっと考えてたんですよ。
東映って言葉は絶対出てくるなとか、
表紙画ってのも何だか出てくるなと。
排出というのも盛んに出てくるよね。
良いおっぱい、悪いおっぱいも出てきますね。
結局これって何かって対象関係論だよね。
対象関係というものが私のこの3ヶ月チャレンジでは、
おそらく意識されない日はない、
意識されないセッションもないと。
無意識ってことでもあるんだけど、
もう少し無意識の中を解像度高く見ていって、
いろんな無意識に対する考え方あるわけじゃないですか。
伝統的というか日本で流行ってたのはやっぱり、
かわいはやお、ユングラインの集合無意識とか、
永遠のはかなる大地みたいなああいうやつですよね。
影とかユングの。
これが無意識にある。
まあそうでしょうね。あると思いますね。
アニマとアニムスとかは、
私は得意としない分野なんでパスしますけど、
まあまあそういうこともあるかもしれない。
でも私が一番理解できるようになったのは、
やっぱり対象関係なんですね。
対象関係というものこそ、
これは対になる言葉が多くあると思うんですね。
対人関係がある。
だから仕事術なんですよ。
これ私にしてみるとやっぱりね。
働く人に送るっていうこの番組の働く人というのは、
非常に稼げる人ではなくて、
ほとんど全ての人を含めます。
平人であれば。
それらの人は働いてるんで。
人間に動くと書いて働くなんでね。
お金稼いでなくても働いてはいるんで。
家事、育児は確実に入りますが、
家事も育児もしてなくたって働いてると僕は思うんだけど。
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頭を働かせるみたいな言い方あるじゃないですか。
あの種の働くのニュアンスですね。
ニュアンスですよ。
頭脳労働って意味では全くないです。
もうなんか家に来たAmazonからの何かを
家の中に運んだら働いてるんですよ。
僕の感じではね。
だから働くというのはものすごく抗議にとっておりますんで。
その働く人たちに送る平心分析のおしゃべりなんですよ。
これは。
これと同じことを3ヶ月チャレンジで僕はやってると思うんです。
ただもっともっと個別具体的に
その人にカスタマイズしたやり方をしている。
そしたらもうカウンセリングになっちゃうじゃないですか。
っていう鋭い突っ込みの方はですね。
でも私はカウンセリングはやってないつもりでおりまして。
もちろんかぶってはいますよ。
かぶってはきますけどそんなこと言ったら
相談に乗ったらすでにカウンセリングにかぶるんですよ。
極めて厳しくノートで野良カウンセラーを批判している方が
心を扱うのを専門家でなくてやってどうするんだみたいな
言い方もあるんですけど。
何を言ってるかわかりますけど。
心を扱わないで仕事術を扱うってことは実質的に不可能で。
そんなことを言ったら心を扱わずに
自分の子供を育てるってこともやったらむしろまずいんで。
専門家であってもなくても
この辺はだから僕は念頭にウニコットを置いてるんだけど
専門性はいらないんですよ。心を扱う。
非常に誤解を招く言い方をするとこうなるんですよ。
これは別の言い方をすると
例えば歯を扱うのに磨くって言っちゃったら
専門性はいらないんですよ。
だって私たちは普通毎日歯磨きするじゃないですか。
明らかに歯を扱っている。
他人のって言いたいのかもしれませんけど
私もうちの妻もうちの娘の歯を磨いてました。
他人の歯も扱うんですよ。
身内のでなくて言われるかもしれませんけど
こうやって広がっていっちゃうんですよね。
心は扱えますよ。
学校の先生は間違いなく扱ってるし
うちの父のような坊さんも扱ってますよ。
宗教はダメだみたいに言われるかもしれませんが
宗教はありますし今までもずっとあったし
臨床心理というものがこの世にある前からありましたし
今後もあり続けるでしょう。
先に臨床心理がなくなることがあっても
先に宗教がなくなることは私が思うにないでしょうね。
これは残念なことであろうとなかろうと
実質そうなると僕は思うんですよ。
こういう議論はいらないんだと僕は思うんですね。
してもいいのかもしれないけど
僕がしたい話はそこにはなくて
グッドバイブスチャレンジとここのやつとでやっていることは
つまりベースに対象関係を持っておいている。
そのさらにベースに実は
グッドバイブスというクラザの形像さんたちの
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思想のようなものがあります。
私はグッドバイブスに触れることで
様々な事態が好転と言っておきますけれども
好転したんだけど
なぜそうなったのかの説明をリズムで追っていく上で
僕にとってやっぱり無意識っていうのが
重大なキーワードになっていて
その無意識というものを一番私にとって
しっくりくるやり方で説明してくれていたのが
さっきも言った通り対象関係論。
内的世界には無意識的空想があって
その中で対象関係というものが働いている
っていうこのメラニ・クラインの考え方というのが
それはほとんどフロイトが言ったことを
もっとある意味精密に言い直しただけな気もするんだけど
そういうことですよ。
フロイト・メラニ・クライン・ビヨンでしょうね。
こういうラインにある対象関係というものを
私は難しいですけれども
参照しては
今私と例えばセッションしている
3カ月チャレンジの方のセッションの時に
何が起きているのか分からなくなってきたなと思ったら
必ず、欠かさず対象関係を調べに行く。
主に私は今、それは松木邦博さんという
対象関係の重鎮の人の本を頼りにしている。
本危ないだろって言われるかもしれませんけど
ご本人に聞きに行くわけにはいかないし
毎回毎回電話ですみませんちょっとここ分かんないですけどって
できないじゃないですか。
将来そういうのがチャットGPTとかで
松木チャットですみたいなのが出てきたら素晴らしいと思うんですよね。
思うんですが今はないので
本しかないんですよ。
時々youtube見ますけどあれまどろっこしいですよね。
結局対象関係論の上くらいに書いてある内容の
さらに少なくしたものがダイジェストで
動画で喋られているだけなんでこれだったら本の方が
いいかなって思ってますね。
で、どう参照するのかという話で
こういう時にだから臨床例みたいな話になっていっちゃうんですけど
それは僕はここでは公開したくないし
してはいけないと思っているので
例えば申し訳ないけどコミックエッセイとかを
引用させてもらう。何が申し訳ないかって
あれももしかしてリアルな話だとちょっとね
扱いたくない部分があるっていうのと
もう一つはコミックエッセイかよって聞いてる人は
思うかもしれないからそこもちょっと申し訳ないんだけど
ご容赦くださいという感じですね。
臨床例でもいいんだけどね。
結局僕は仕事術というか働く人に向けて
発信してるんですね。
これは余談なんですけど
最近のこのノラカウンセリングというものが
ノートとかツイッターとか
Xとかを見るといろいろ言われていて
これ対象関係というものを
12:00
ノラカウンセラーという人たちが
私もそうなのかもしれませんが
理解するようになったら
ある程度は好転する問題なような気がするなと
だからそういう繋がり方ができればいいんですけどね
なかなかそういうわけにも行かず
難しい現実ってのはままならないもんだなと思います
これは余談ですね。
そういうことを私は
これはまた私の仕事としては余計な話なのかもしれませんけれども
考えたりもするわけですね。
妻が口を聞いてくれませんという
この番組でも1回は話したことがあると思うんですけど
なかなか厳しいコミックエッセイがありましてね
そのご夫婦では
もう奥さんは旦那さんとダイレクトでっていう意味ではね
数年口を聞かないんですよ
というだけの漫画なんだけど
漫画とか映画でもいいんですけど
どんな作り方でもできるだと。だって会話ないんですよ
会話がないということが
描写になっていくんですよ
4コマともひたすら口を聞かない妻みたいなのでも
4コマ漫画は成立するんですよ
緊張感高いなって思いますね
まあはっきり言ってあれですよね
妻と離婚すれば良くないっていう話もあるんですが
ある気もするんですが、お子さん2人もいらっしゃるし
奥さんは育児も家事も普通にするんですよ
これもなかなかですよね
お子さんとは交えているときは普通に会話するんですよ
これもなかなかですよね
ただ私これある種の非対称性があるなとは思うんですけど
そこはもうスルーしましょう
要は
旦那が心を入れ替えればいいって話なんだと思うんですけど
これは罰なんですよね
ひたすら旦那は罰を受けている
よく頑張って受けてるなと私なんかは感心しますけれども
それほどどんなことをしたのかこの旦那は分かんないし
分かんないということも含めて罰なんだなっていう
そういう意味では地獄の何かを思い出させられるんですけど
仏教はそういう話好きだからね
あれは仏教じゃないと思うんだよな
金通教から来てるんじゃないですかね
まあいいや
それはよしとしまして
口を聞かない奥様
怒ってるわけですけどね当然
口を聞いてもらえない旦那さん
めちゃくちゃ惨めなんですけど
鬱になってないのが偉いなっていうふうに思わなくもない
鬱になってないような人だから罰がこんなに長引いてるのかもしれませんけど
私ここにあるのは対人関係ではないと思うんですよ
ちなみにこの話何で持ち出したかというと
これ仕事するのには厳しいと思いませんか
15:00
だって家に帰ったら奥さんこの人サラリーマンね
全く口聞かないんですよそれが数年も続く
この家のために奥様ほぼ専業主婦に見えるので
この家のためにこの旦那さんは仕事してお金稼いでるんですよ
数年も
いやこれはすごい話だと僕は思いますね
そして私はやっぱこれが普通に口を聞いてくれる奥様だったら
どれほど仕事が楽になるかって思いますね
だから仕事術なんですよ
っていう僕にとってはたてつけなんですね
私にとって仕事術とはほぼ今こういう意味なんですね
普通に仕事を続けるというのは
大層難しいもんだと思うんですね
そしてこの問題はしかし環境設定だけではどうしようもない
環境設定だけではどうしようもない
この旦那さん別に悪いことしてないように見えますし
書いてるのは旦那さんじゃないからね
書いてるのは他の女性のコミックエッセンスなんで
どちらかというと奥さんに堅入れしてるかのような雰囲気ですよ
奥さんに堅入れして書いてるかもしれないけど
雰囲気奥さんに堅入れしてるような書き方なんですよ
これなかなか私は凝った設定だなって思うんですよ
いつも旦那さんの内心が描写されてるのに
普通こっちがにフォーカスされてるような
こっちに肩を持たれるじゃないですか
逆なんですよ
この人被害者なんだけど加害者でもあるっていう立場を
割とはっきりと打ち出させられてる
しかもどんな加害をしたかが分からない
現代の人はこういう立場に
昔の人もそうかな立場に立たされるのを大変恐れていますよね
私はそう思うんですけどね
だから何回か読んでるんですよ
私はこの環境設定という問題から
ここを解くのも
例えばだから夫婦コンサルタントみたいな考え方で
この奥さんの心を癒してあげて
旦那さんが心を入れ替えて
土下座をするのか知りませんけど
深く謝罪して問題何を謝罪するかってことなんだけど
また仲良くなるというのがいいのかもしれない
でも私はその線とそのアプローチに
いまいちリアリティが感じられない
ちなみにこの話どういう結末を迎えたのか気になった人は
読んでくださいね私これは言わないネタバレになりますからね
やっぱりこう本を作る者同士としては
人の営業妨害は避けたい
やむを得ない場合はしょうがないと思うんですけど
ここまでだったら先気になるじゃないですか
こんな辛そうなのは読みたくないというならそれはそれでいいと思うんですけど
それはタイトルの段階で分かるんで営業妨害じゃないと思うんですよ
聞き回し過ぎかもしれませんけどね
これを対人関係であると考えてしまうと
まずどんな害を成したのか
つまり奥さんが良くないのか
旦那が良くないのかって話を始めてしまうと思います
私はそのアプローチは
18:00
妥当じゃない気がする
この状況をどれほど改善した方がいいというのが
自明であるように見えたとしても
私さっき言いましたね一番下にはグッドバイブスが
それがその形状の指向があると
彼は常にそうできているとか
いつでもそう言っているとまでは言いませんけれども
基礎中の基礎に現状絶対肯定という観念を持っていると思っているんですね
安易なことで現状というものを否定することは
彼のことを口から出てきたためしがないんですよ
私が聞いている限りですよ他の人は知りませんよ
これをこの状況に当てはめるなら
この妻の口を聞いてくれないという状態も
肯定されなければいけないんですよね
これを改善するということになってしまうと
結局この条件そのものがまず現状否定から入るんですよ
現状の否認から入る
僕はこれは否定だな否定から入る
僕はこれはいただけないアプローチだといつも思っている
3ヶ月チャレンジでは絶対このアプローチは僕は
極力避けているはずなんですね
自分の認識の上ではやむを得ない
ここはもうこの現状は絶対肯定できないと相手の方がおっしゃれば
とりあえず私の方だけでそれを受け取っておいて引き取っておいて
一旦現状肯定は保留にします
否定も肯定もしないみたいな話になってきます
現状否定から入るっていうのは
私は物事を解決するアプローチとしては
もうほとんど運を天に揺られる
しかもその賭け率はあまりよろしくないっていうパターンに
陥ると信じているのでね
ここはほぼ信念なんですよ
こういう考え方を可能にする理論なり
カウンセリングの方法論なりはないのかと
考えてぶち当たったのが精神分析
精神分析は非常にある種現状肯定的なんですよ
だってフロイトに限らず対象関係論者だけでなく
自我心理学だ
自我心理学があんなフロイトの方の側だって
中立性って言いますからカウンセラーの中立性
ロジャーズとかも言ってるんだけど
カウンセラーが中立であるということは
クライアントさんの言動なり現実なりを
否定したり肯定したりしてはいけないってことではないですか
あの人が共産主義が絶対だって言ってたら
これに対して中立
大日本帝国が絶対だって言ってたらそれに対しても中立
こういう立場に立たなければ
つまり相手のイデオロギーなり信念なりを
批判しちゃいけないんですよ
これは当たり前だと思われるかもしれませんけど
批判してはいけないということはですね
口を聞かない奥さんのことも肯定しなければいけないはずじゃないか
私は旦那と今口を聞きたくないんですって言ったとき
いやそれは奥さんよくないですよと言ったら
21:00
中立的なカウンセラーではないんですよ
他のところでは知りませんけれど
だから旦那さんはそれを受けてですね
何が悪いかさっぱり分かりません
今が口を聞いてくれませんって言ってるときに
謝れっていうのは私の立場にはありえないと思うんですね
それがどういう理由であれ謝れっていうところから
入るのはまずいだろって思うんですよ
全然中立じゃないと思うんですね
それではね
中立性ってほぼ不可能なんですよ実際には
だって私には私の政治思想もないけどあんまり
ある種イデオロギーみたいなのがどうせ心の底にあるでしょう
私はそもそも宗教が家は宗教ですし
その宗教はキリスト教とかイスラム教とかではない
他の信仰宗教とかでもない
ありますよね絶対そういうのが
私は自分の宗教にすごく信心深いとは思ってませんけど
ゼロだとは思ってないので
中立ってのは結局のところゼロでないといけないようなところもあると思いますので
難しいわけですねというか不可能だと
だから藤山直樹さんが書いてましたけど
フロイトは無理なことばかり注文しているっていうようなことを
彼ら何回も書いてるんですけどそうなんですよね
でもカウンセラーって何より無理な注文を受けるところから始まるんだと思うんですよ
私はカウンセラーじゃないですけどねわざわざ断っておきますと
でこの奥さんが口を聞いてくれないというのは
だから私は対人関係から入ろうとすると
沼るっていうか最近の流行り言葉をちょっと使ってみてしまいましたけど
そう思う
これはですね
最近タスクシュートの話題でもいきなりどこへ行くんだって感じですが
タスクシュートの話題でもおなじみの逆算というのをしないっていうのに
実は同じ意味があるんですね
逆算って現状否定から入ってるんですよ
現状より良い状態があるそこに向かっていくために
良い状態から逆算して現状と一番つながりやすいところ
そのギャップを小さくしたところを見出そうと
ギャップがあるということは現状は良くないってことなんですよ
私はここから入るのはまずいっていう考え方なんですね
どっかに行き着きたいっていうのはそれはそれでいいとして
現状を否定するところから入ってはいけないという気がするんです
いけないとは言いませんが
私はこのアプローチを少なくともこのポッドキャストや3カ月チャレンジでは
一度も取ったことがないって思ってます
言葉を誤ってることはあるかもしれませんけれども
私の考え方としてあるべき姿を現在よりも上に置くってことは
やったことがないという
これはしかも私は2005,6年大橋一夫さんと仕事するようになってから
実質心の底では一度もこれを肯定したことはありません
24:01
そう言い切れるぐらいの感覚をずっと持ってます
現状基本肯定です
クラザの慶応さんほど
幸せのためには現状絶対肯定っていう立場に立ててないこともありますが
逆算とかゴールドといったもの
あるいは理想のあるべき姿というようなもの
これはですね抽象的に言うとそういうのを否定するのは簡単なんだけど
私たちはですね平気でこれをやるんですよ
だから妻が口を聞いてくれた方がいいと思っちゃうんですよ
これは現状否定しているところからのアプローチなんです
これはダメだろうと
じゃあどうするんだってことなんですよ
そうは言っても今はつらいよね
その時に僕はここを対人関係で見ない
ここを対象関係で見るっていう考え方を説いたいんですね
で対象関係って何よって話になるじゃないですか
散々散々言ってきてますけど対象関係論って
対象ってそもそも何よって話になるじゃないですか
これの説明が難しいから今の今まで逃げてきてるところがあるんだけど
まあ簡単な説明はできませんので
具体的なところでいきますね
うちにね
うちの妻が娘との初めて遊びから始まったんだけど
パンダお母さんというぬいぐるみがいるんですよ
服着せられたパンダのぬいぐるみなんだけど
パンダお母さんという存在はですね
うちの妻がうちの妻のある種別人格で
うちの妻があんまり娘に対して怒りすぎると
それを確らめたりするんですよ
おいおいって感じがするかもしれませんけど
人間ってこういうことできますよ
逆にパンダお母さんが怒るってこともあるんですよ
うちの妻はそれほど怒ってないけど
ちなみに声はどっちもうちの妻ですからね
パンダお母さんらしさっていうのを声で演出はしてますけど
ちょっとこれぶっちゃけ毒になってるんで
小声になっちゃうんですけど
小声に意味あるのかって話なんですけど
このパンダお母さんはこれが対象なんですよ
それが言いたいわけ
それは上野動物園のぬいぐるみでしょって言われるとそうなんだけど
上野動物園のぬいぐるみは他にもいっぱいありますが
パンダお母さんはこのように一体しかいないんですよ
こういう話よくするじゃないですか
人文系の人たちはね
これはもう感覚なんですよ
対象というのは感覚でしかないんだけど
人々は親の対象を持ってますよね
対象は単なるイメージではないっていうのは
藤山直樹さんも松木さんも
割とかなり強調してるんですけど当然ですよね
単なるイメージは対象ではない
対象は力を持ってるんですよ
この力ってなんだよって言われると困るんだけど
パンダお母さんがいなくなると我々は結構大騒ぎするんですよ
いなくはなんないけどね
どっかに忘れてきたりはできないわけですよ
それは他のぬいぐるみでは
大体が効かないということですよね
このあたりに
先日あたりかな少し話題にした
27:00
フロイトのショーレドーラで言った
割と有名なセリフ
あなたは今ひっせりというような感じの
痛ましい状態にあるけれども
その不幸を消すことはできませんが
ありきたりの不幸に変えることはできます
っていうような発言を確かしてると思うんですけど
ビヨンも同じようなことを言ってると思うんですけど
これはパンダお母さんのことなんですよ
パンダお母さんはありきたりのぬいぐるみではないんですよ
ありきたりのぬいぐるみというものは
象徴なんですよ
単なる言葉であり記号なんです
パンダお母さんはもっと具体的な存在なんですよ
でも象徴じゃないですか
実際にそういう存在が生きていたかとか
どこから生まれたかっていうのはナンセンスですよね
象徴でありながら具体物である
これを象徴投下物っていうんだと思うんですけど
これのネガティブなものが発生したとき
精神病というものが発動するっていうような考え方が
精神分析
特に対象関係論の中に僕はあると思うんですけれども
そういうことです
つまり我々が間違いなく持っているであろう対象は
母親だと思うんですね
母親は単なるイメージではない
記号化できない
この母親という対象が悪い対象
つまり悪いおっぱいですね
になったとき
我々は精神的に非常に苦労することになる
で
この対象というものも我々はですね
対象との関係で生きてるんですね
これが対象関係論ですね
私はパンダお母さんとの関係でいくらか生きています
で
でですね
これはありえないんだけど
まるでパンダの着ぐるみを着ているような
お母さんがそこらへんを歩いてたりするんですか
私はみんなそうかもしれないけど
私は特にギョッとすると思うんですよね
パンダお母さんを見た気がしちゃうと思うんですよ
これが対象を投影するという出来事ですよ
だから恐ろしい対象みたいなのは
私たち心の中にみんな持ってますが
恐ろしい対象
例えばね
夜暗い道の小道に
おどろおどろしいブルー卿の呪いの人形が
1000体ぐらい置いてあったとイメージしてください
その道を一人でしばらく歩き続けなきゃならないと思ったら
めちゃくちゃ怖くないですか
怒ると抜き怒ると抜き
呪いの人形は何の力もないです
ありきたりの人形です
ここにありきたりって言葉の意味があります
それは所詮記号です
目と鼻と口みたいものをくっつけただけの
ただのものです
でもそこを歩くととても恐ろしい
その恐ろしさの由来はって言ったら対象ですよ
心の中にあるはずです
だから私たちは
とても墓場が怖いとか
とても呪いの人形が怖いって言った時
自分の心の中には
たいそう恐ろしいものを飼っている
っていうことを意味しているはずがある
対象を投影するためには
30:00
対象を持ってなきゃならない
持ってないものは投影できない
だから投影する以上は持っている
私たちは大変強い攻撃力とか
大変恐ろしい考えとか
当然それは他人に対して恐ろしいことが
やれるって意味ですよ
他人に対して極めて強い攻撃を
繰り出せるって意味ですよ
そういうものを持ってなければ
私たちは人の攻撃を怖がるはずがない
って言ったのが
これを一昨年あたりにすごくおっしゃってたのが
倉園圭蔵さんでした
私はそれは100%正しいと思ってます
今でも
それは人が悪意を持たないとか
攻撃してこないって意味ではないです
私たちが攻撃を予感するとき
それは相手の中にあるものを見てはいない
っていうだけの意味です
自分の中にあるものを見ているんだと
ここでさっきの
妻が口を聞いてくれませんに戻るわけです
なぜ口を聞いてくれないだけの妻は
そんなに恐ろしいんですか
という問いを発ししますね
口を聞いてくれた方がいいのはわかります
口を聞いてくれないという
その奥様の戦略に問題があるのもわかるけど
なぜそれがそんなに嫌でそんなに怖いのか
私だって怖いと思うし
嫌だと思うんだけど
それは口を聞いてくれない奥さんに
おそらく自分の母親が
口を聞いてくれないという態度を
投影しているんだと私は思うんですよ
そうじゃなければ
そこまでその行為に効き目があるとも思えないし
にもかかわらずずっと一緒にいるというのも
行動の説明が僕にはつかない気がするんですね
離婚とは言わずとも別居はできるし
家に帰るのをすごく間を空けるってこともできるけど
彼は律儀に毎日毎日家に帰っている
お母さんに許してもらいたい息子
っていう態度で見ると
この行動の意味は非常に評価しやすいんです
ただただ奥様に罵せられ続けている夫
っていう観点で見ると
なんだかマゾギスティックなだけの人に見えてくるんですよ
そういう人もいるから
全くそういう可能性がないとは言えないんだけど
私はここに対人関係でないものが働いているって見ないと
意味がわからなくなってしまうと思いますね
ちなみにこの話のラストの結末は
私のこっちの見方の方に近いと思います
登場人物の中の漫画の中の登場人物すら言うんですけど
その奥さんのやってることは意味がわからないって言うんですよ
それは対人関係で見ると意味がわからないんですよ
でも対象関係で見ると
つまり今度は奥様の心の中の対象というもので見ると
奥様は最初はそりゃあ
産後クライシスの時に
寄り添ってくれなかった夫とか
無理解な夫に対して罵してるつもりなのかもしれないけど
数年ですからね
実は後日談もあって
後日談でいよいよいろんなことがわかってくるんだけど
数年ですからね
数年それをやるということは
私はそれを罰してる相手は
33:02
夫ではないと思うんですね
しかもこの数年という間には
当然いい加減に自分も口聞いた方がいいんじゃないだろうかって
思い始める瞬間が来るんですよ
その時も口が聞けなくなっている
ある意味監督的な話が始まるんですね
僕はこれは絶対そうだと思うんです
戦略だとしたら実にまずい戦略じゃないですか
関係破壊的な戦略ですよ
どうして関係破壊的なのか
対人関係ならば多分僕は破壊しないと思うんですよ
これが夫だということが100%明らかなら
ここまでやる理由はあんまりないと思う
対象関係は非常に破壊したい理由がありそうですよ
私の感じで
いずれにしてもこの奥様の心の中は読めませんけれども
対象関係で見ないと意味不明になってしまう
どうしてここまでやらなければならないのかが
わからなくなってしまうんですね
この奥様の心の中に
お母さんなりお父さんの対象があり
これを旦那に投影していると考えれば
いくらでもこの種の話は
説明がつき始める気がするんです
これはあくまでも説明してみたというだけですよ
本当のことはわからないです
本当のことなんてわからないんですよ
この種のケースでは
ただ本当のことがわかる必要は
そう早急にはないんですね
対象関係論というものを参照することさえできれば
見えてきやすくなる人間関係が
たくさんあるとさえ知っておけば
この人間関係等から始まる仕事の滞りなり
仕事への気力の無可能さ
結局それは長時間対象というものが
絡んでくるんですけれども
あるべき理想の姿というものを先に打ち立てて
現状を否定する
否定するのは誰かというと長時間です
私の中の父親なり母親なりが
あなたはそのままではいけない
こうこうこういう現実に
あなたは作り変えないとダメだ
あなた自身もそういう方向に向かって
変わらなければいけない
私たちはそういうふうに言われているうちに
そういう対象を自分の心の中に持っちゃうんですよ
そこが略産というものを始めたり
奥様というものの存在のありようを
変更させなければならない
そのためには私は心を入れ替えなければならない
すべてが養成されてくる何かの
本来あなたはこうでなければいけない
という方向に変わらなければいけない
よく言うじゃないですか
夫が変わるべきなのかどうなのか
奥さんがどうこうなのか
夫が変わるべきなのか
今は社会の数性に沿って
男が変わるべきだってなってますけど
私は男女論の話をしているのではなくて
変わるべきものっていうものを
36:00
先に確定したくないんですよ